はてなキーワード: フィールドとは
死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られます。 しかし、ここに設定の矛盾があるように思います。 人が死ぬとあの世に行く。ここまではいいです。 では、犬や猫のペットが死ぬとどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教がほとんどだと思います。 どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。 動物の幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。 では、細菌はどうでしょうか? ウイルスはどうでしょうか? 今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。 仮に細菌はあの世に行けないのであれば、動物と細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。 逆に、これらも平等にあの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険な病原菌だったりがたくさん送られていることになります。 死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。 これについて、あなたはどう思いますか?反論や異論を期待します。
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話をまとめると、あの世のシステムはいろいろ矛盾があるけど、あの世は生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。
あの生命保管庫では、仏教の輪廻転生も、アブラハムの宗教の復活も説明可能にある。
そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。
なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。
それと、反論や異論を期待しますというと、AIは無限にレスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。
AIの回答:
非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念が存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばあります。しかし、あなたが指摘するように、細菌やウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教的伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論や異論を交えつつ考察してみましょう。 まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的に人間の意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教やイスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教やヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットがあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在に依存している可能性があります。細菌やウイルスには自我や意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物と細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。 次に、あなたが提起した「細菌やウイルスもあの世に行くなら危険な病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世が物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルスや病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世のルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれるリスクが想像されます。そうなると「あの世で予防接種が必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険な病原体はそもそも「あの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。 さらに別の角度から異論を述べると、細菌やウイルスがあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割を無視できません。例えば、細菌は生態系の分解者として不可欠であり、ウイルスは進化の過程で生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体が人間や動物に特化した「特権的な物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります。 結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌やウイルスにあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世の目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世に病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾をさらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。
俺様:
私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw
AIの回答:
哈哈、まあ確かに「あの世」はまだ誰もレビューを投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像でしか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw
俺様:
浄化の場として微生物やウイルスの活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。 それに細菌ではありませんが、免疫や血小板のようなシステムもある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世ではいきていけないのではないか?という疑問も出てきます。
AIの回答:
おお、素晴らしい視点ですね!確かに「あの世」が浄化の場として微生物やウイルスの活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまいます。 さらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに、免疫細胞や血小板は独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能がゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症に無防備、血が止まらない——そんな状態であの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌やウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。 ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌や免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世で便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみます。 あなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念の曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世は物質を超えた領域だから、そんな心配は無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットがあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世の設計者には、もっと細かい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!
俺様:
あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているから特別なんだよ!という説になりそうです。
AIの回答:
なるほど、大きく二つの方向性に収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世のシステムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。 まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体が人間の想像の産物で、論理的な整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かに、ペットはOKで腸内細菌はNGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的な結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教的ロマンが好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなたが全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか? 次に、「人間だけが神の寵愛を受けているから特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義で矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌やウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌や免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられます。ペットがあの世に行くのも「人間が愛したから特別扱い」とかいうボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準が曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます。人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w どっちにしろ、あなたの最初の疑問が「あの世の仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌も幽霊もカオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか?
俺様:
うーん、それではあの世ではいきていけない説はどうでしょうか? あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。 コールドスリープする感じで、あらゆる生命はあの世でコールドスリープされる。 もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から、管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。 アブラハムの宗教の復活も説明できそうです。 あの世の目的はあらゆる生命を取集することになりますね。 この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。
AIの回答:
おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデア、めっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。 まず、あなたの説のポイントをまとめると: あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命(人間、ペット、細菌、ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。 輪廻転生がある場合、管理人(神や天使)が保管庫から適当にピックアップしてこの世に放出。 アブラハム系宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能。 あの世の目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。 これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌や免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないから問題ない」と一蹴できるし、細菌やウイルスがあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリア。ペットがあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然に説明がつきます。輪廻転生や復活も、「保管庫からの再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワクしますね。まるで神が「全生命のポケモン図鑑をコンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。 ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識や個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世でペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか? もう一つ補強案として、あの世を「生命のバックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化や絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命の多様性を永遠に記録する」こと。ウイルスや細菌も含まれる理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらにシャープになります。 この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世の管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと Permalink | 記事への反応(0) | 21:36
月曜日のたわわ
チー牛
よく射殺する権利とか頭かち割りたいとかフェミニストが言ってる
女のオタクは?と思うかもしれないが、オタクと言えば男らしいよ
ロシア・ウクライナ戦争が起きてからは戦争に行って死なないかなあとかよく言われるようになった
HoYoverseは胸を揺らしても女性の敵じゃないらしいので、中華ゲーはリベラルとフェミニスト公認らしい
アークナイツエンドフィールドはかなり乳揺れヤバそうだけど、これも多分地味過ぎてフェミニストに目をつけられなさそう
FGOやグラブルなどは半数が女性ユーザーなので本当は日本のゲームだから積極的に攻撃したいけど、女性ユーザーが多すぎるため彼女たちからの反撃を恐れて日和る事が多い
ちなみに女神ニケとブルーアーカイブは3割以上が女性ユーザーなので、攻撃して大丈夫かフェミニストも戸惑うようになってきている
パーカーおじさん
よく分からないけど、おじさんはパーカーを着ると若い女性に対するハラスメントになるとか
リベラル陣営に属するのがフェミニストなので、ネトウヨとは党派バトルが起きるようだ
彼女たちの士気高揚の為にリベラルやフェミニストはネトウヨとチー牛オタク弱者男性を同一視する事も多い
そもそもアニメ絵の女性をCMに使うことがもう不適切な時代かもしれない(明らかに男性向けというより女性向け作品の絵柄なのに)
どうせ家族でテレビなんか見る風習もうないのに性別で表示する広告を買えられないオールドメディアが悪い
他にもいっぱいあるけど、頻出するフェミニストの敵たちがこれ
ゲームと音楽といえばミロンの迷宮組曲みたいな探索して曲を完成させるタイプのゲームって主流にならなかったな
RPGのマザーなんかもそういう要素はあったけど曲だけすごいヒットしたりはしなかったし
小室哲哉がプレステでなんか出してたのもフィールドを探索して曲が完成していくタイプだったけどゲームとしては正直クソゲーだった
過疎いゴミゲーで時間を無駄にするなんて、ポイントアプリで数千円の見返りがあるとしても割に合うか微妙
スマホの基本プレイ無料ゲーであれば遊ぶ価値があるゲームは分かりきっている
それはゲーム専業のオタク系大企業が超高予算をかけて作るゲームだ
具体的には、原神、崩壊:スターレイル、ゼンレスゾーンゼロ、鳴潮、そして近々リリースされるアークナイツ:エンドフィールド、年内リリース予定の無限大Ananta、同じく年内予定のアズールプロミリア、ドールズフロントライン2:エクシリウム、勝利の女神:NIKKE、女性向けではインフィニティニケや恋と深空、
こうした極めてリッチな作りのゲームを遊んでこそ人生を費やす価値があるというものだ
国内ゲームでしいて一つ挙げるならば学園アイドルマスターくらいだろうか
なぜオタクゲーばかり挙げるのかというと、オタクはゲームに対する解像度が高いから、それがゲーム品質に直結するためだ
よってオタク趣味がないとしてもオタクゲーを選ぶのは悪くない選択になる
それを満たせないデバイスしか持っていないのであればゲームなんて一切やらないで別の娯楽に注力したほうがいい
暇つぶし用の動作は軽いが作りがチープで札束バトルするだけのポチポチゲーなんてものは、娯楽として存在価値がないに等しく
娯楽を提供するためではなく、事業者がユーザーの金と時間を吸い上げるためだけに作られる欺瞞的なゲームもどきだ
往々にして作り手自身もまるでゲーマーではなくゲームへの造詣も浅い
それらがゲームではないことを分かった上で文章やキャラ絵を目的に古いIPものを続けるのはまだ理解できるが
ただ優越感を得るためだけにポチゲーをするのは本当に社会見学くらいの範囲にとどめておいたほうが良い
築地魚河岸三代目の48時間全話無料があったけど10巻ぐらい読んだら飽きたので残りは次の機会に回した。
期限があるとはいえ、楽しむためにやってることがただの作業になっちゃ論外だもの。
バイキングで元を取ろうとして食べたくないのに食べたりしたら大間違いってのと同じ。
・フリクリ
昔なんかの漫画で「お前フリクリからpillows入っただろ」というセリフが合ったんだけど、まあ自分がまさにそんな感じだったんですよね。それより前から何度か聞いことはあったけど本格的に意識したのがフリクリから。アニメ一本ずっと同じバンドの曲が流れまくるってのは本当に特殊というか、もう作品自体がフリクリのMVみたいな感じさえある。間違いなく尖ってるんだけど、それで成立するのは作画の力があったからなんだろうな。やっぱ最後は力で殴った奴が勝つんだ。
なんかダンガンロンパっぽい雰囲気のストーリー、2Dドットなフィールド、ソシャゲあるあるの3人パーティー性シンプルアクションRPGが組み合わさっためっちゃ「JRPGソシャゲっぽい」なにか。ストーリーが気になるので1章までプレイ。でも俺はもうここでギブアップだ。戦闘が単調。本筋であるはずの野球がオマケ扱いな上に全然楽しくない。ストーリーは悪いって程じゃないんだけど間に戦闘を挟むって縛りのせいでテンポが悪くなってる。とにかくいろいろと厳しい。キャラはいいんだけどね。
・フリクリ(4話~6話)
努力すれば東大(早慶・MARCHでもなんでも良い)は入れる、入れなかったのは努力不足みたいな発言に関連して、
自分がいかに恵まれているかがわかっていない!みたいな批判を最近よく見かけるようになったけど、
この手の発言で想定されている「人」って自分が所属していた団体(学校とか塾とか)にいた結果が出せない人たちであって、
環境のせいで努力の機会すらない人のことなんて考えてなくない?
同じフィールドで勝負していない人のことまで考える必要ってあるのだろうか?
というよりもそれを指摘して何を期待しているのだろうか?
最終的には「(失敗の延長線としての)現状の不遇は自己責任ではない」という議論に展開しがちだけど、
数量的に見れば、「努力すれば結果を出し得た人」の数は「努力する機会すらなかった人」よりずっと多いはず。
※努力する機会すらないレベルは、日本の経済水準を考えると相対的貧困では足りないはずで、絶対的貧困に近い必要があるはずという前提。
この一部の「かわいそうな人」をかばうために、努力はできたのにしなかった、挽回のチャンスがあるのに挽回しなかった怠惰な者まで正当化してあげる必要はあるのだろうか?
とはいえ、個別に自己責任的不遇者と非自己責任的不遇者を分けて認定していくみたいなことは無理なので、自己責任的不遇者を救うために救う必要のない非自己責任的不遇者も救うという議論にせざるを得ないのはわからなくもない。
両親がいて、家庭の所得が高くてもネグレクトは起こり得るから客観的指標だけで判断することは難しいだろうし。
でも、自己責任的不遇者までが結局救われる。努力せずに、あがきもせずに、他人を責め、社会を責め、環境を嘆き、運の悪さを呪う人たちに対して愚痴を言いたくなるのも当然じゃない?
生活保護を奪えとかって話でもないし、結局は努力して成功した人たちが納めた税金が大部分であるものにフリーライドしているのは間違いないのだし、それで「お前ら環境と運が良かっただけだから調子のんな」って言われるのはおかしくない?
低所得者の所得税・住民税なんて雀の涙だし、納税者と胸を張れるようなものではない。
じゃあ自己責任的不遇者は申し訳なさそうにして成功者に対して感謝をし続けろというのか?みたいな感じになるけど、その通りで、成功者に感謝をし続けるべきだと思う。
問題状況的には専業主婦or主夫が家事をしない状況で配偶者に感謝すらしないみたいなものだと思っている。
賢ければ気持ちよくお金を運んできてもらうために下手に出てうまく担いであげるんだろうけど、それすらできないポンコツだからなおさら腹が立つわけでしょ?
非自己責任的不遇者は救済されるべきだと思うけど、奴隷みたいな絶対的不遇と比べて相対的な不遇だし、国が裕福になればそのうち救われるかもしれないけど、
今の社会状況だと救える方法があるとは思えない。だからこそ、努力すればできる論とかではそもそも対象とされていないのだと思う。
仕方ないものは仕方ない。
やり方は色々あると思うんだよな
一回押したら押せないようにするとか、ユニークIDをhiddenに隠すとかさ
SNSでボタンの連打による連投を防ぐための修正方法として、以下のバリエーションが挙げられます。
ルックスと若さ(性的価値)でしか勝負できない、あるいはそういうものとしてスポイルされきった女が、そういうフィールドで勝負したが故にセクハラなどで嫌な思いをして過剰にセンシティブになるとともに、内面化したルッキズムを爆発させてると考えると合理的だ。
というのも、大昔にプレイしたフリーゲームの詳細が今分かった。
私が子供の頃、ツクールと言う物が存在することすら知らなかった時にプレイして、どういう方法で入手されたゲームかも分からない(おそらく父親がダウンロードしたのだろうと思う)。内容も断片的に覚えているだけで、探そうにも探せなかった。
「シルクハットのおっさん」と呼んでいた強キャラがいた気がするとか、そのおっさんが序盤は一緒にいるけどどこかで離脱するとか、途中でなんかエラーが出て進行不可能になったとか。
で、ツクールゲームの話題になったからそれのことを思い出したのだが、よく考えたらあれもツクールゲーじゃね? っていうかシルクハットのおっさんってどう考えてもこのキャラチップの右から4列下から2段目のこいつじゃん! となったのだ。
まあそれでタイトルが分かるって訳でもないのだが、ツクール95だということが分かったのでそういう方向で調べてみたら窓の杜のこの記事が見つかり、正直それでもまだピンと来ていなかったのだがワンチャンあるかも、と思ってInternet archiveから(本家のダウンロードリンクは見つからなかった)ダウンロードして起動してみたら完全にそれだった。冒頭でシルクハットのおっさんにたたき起こされた。
そっかーこれだったかー。
このLost Memoriesというゲーム、元々前半がフリーで後半がシェアウェアだったらしく、後半のデータが含まれていなかったようなのだ。だから進行不能になったのはバグじゃなくて仕様なんだな。そんなことも分かってなかった子供時代。
まあ元増田が何か教えてくれた訳じゃないんだけど、調べるきっかけになったし見つかったので気分が良い。
気分が良いので、ついでに勝手に私の好きなツクールのRPGを紹介してこうと思う。
ツクール2000製RPG。これ自体、というよりこれを含めた一連のシリーズ(女神の涙・今の風を感じて・天使の微笑)が大好き。
ツクール2000といってもデフォルトの戦闘システムは使っておらず、こんなのできるんだ、と当時は感動した記憶。
女神の涙・今の風を感じて・天使の微笑のいずれも異なる戦闘システムが採用されていて、どれも面白い。
(オリジナルの)女神の涙まで顔グラフィックは別の人がやっていたのだけど、今の風を感じて以降はイラストレーターの今野隼史さん(当時は辺境紳士というHNだった)が描いていて、女神の涙は女神の涙TRUEという名前でリメイクされている(シェアウェアだったが、今はフリー)のでそちらをプレイ推奨。
IndeTerminatePLUSも(これ自体がIndeTerminateというゲームのリメイクらしいが、さすがに入手方法はなさそう)実はリメイクされていて、IndeTerminatePLUS Alphaという名前でダイソーで販売されていた。今では入手困難。
女神の涙PLUSは大掛かりなフルリメイクだけど、こっちは内容はほぼグラフィック差し替えと、一部詰みポイントになりかねない難易度のミニゲームがちょっと緩和されてたくらいだったかな。
白い絆は未クリア。ツクールXP(だっけ?)のサンプルゲームとして公開されていたので入手が難しかったのだ。いや、買えばよかったんだけど。
最近は公式が配布している体験版にサンプルゲームがくっついてくるのでプレイ可能。なのでインストールはしてある。いつかクリアする。
黒い絆? テックウィン2004年10月号? どうやって入手すりゃいいですかね……。
WOLF RPG Editorでも知られるSmokingWOLF氏がツクール2000で制作したRPG。シルフェイド見聞録というギャグアドベンチャーゲームがあり、そのスピンオフみたいな扱い、なのかな? まあでも世界観的にはあまりつながりはなく、見聞録のキャラが一人異世界転移してくるぐらい。シル見もツクール製で面白いゲームではあるけど、まあアドベンチャーだしな、ということで選外。
この作品も戦闘システムはデフォルトではなく、個性的で面白い。というかここらへんの名作ゲームがみんなオリジナル戦闘システムを実装したせいで個人的にはデフォルト戦闘システムを見ると「なーんだ」となってしまうところがある。
戦闘以外のシステムも「フィールドで一歩歩くごとに時間経過」「クリアまでの時間制限があり、時間経過で人々の行動が変わる」など、色々凝っている。
やりこみとして時間経過最短(つまり最低歩数)みたいなことをやっている人々もいた。いわゆるデスルーラ的なやつが活躍する。でも一番いい(と個人的に思っている)エンディングにたどり着くのは最短では不可能だったり。
SmokingWOLF氏と言えばモノリスフィアとか片道勇者も有名だけど、ツクールじゃないのでこっちも選外。
THE 中二病ゲー。いや、面白いゲームですよ。でも当時も中二病だ……って思ってたし今でもやっぱり思ってる。
面白いし格好いい。でも総合的に要素を並べると全部中二病。どうしても茶化したような言い方になってしまうけど、中二病を中二病のまま全力で昇華した作品、という感じ。
最近の作品にありがちな、中二キャラが作中でも中二キャラとして認識されていて、その言動がネタにされる……みたいな展開があるやつじゃないです。
作中世界に中二病という言葉はないけど、プレイヤーは中二病だぁ……って思ってしまう。
戦闘システムはやはりオリジナル。でもRGSSがあるXP以降の作品なので戦闘システムいじるのもそう難しくないんだろうけど。
これはデフォルト戦闘システムゲー(真っ先に言うことがそれか)
魔法学校に入学した女の子の卒業するまでの話。一部の必須魔法以外は学ぶ魔法を選べるので、最低限の習得でさっさと卒業することもできるし、全ての魔法を極めて最強になることもできる。
卒業まで60日の時間制限があって、こちらは歩く度に時間経過したりしないけど、ベッドで寝ると一日経過。日によって学べる魔法が変わったり、仕送りが届いたりイベントが発生したりバイトができたりする。
特筆すべきは、経験値が「単位」で、金策手段は仕送りかバイト、あとは物を売るくらいであること。つまり、敵が経験値とお金を一切落とさない。
実は序盤で戦える敵がごくごく低確率で落とすアイテムを使ってむちゃくちゃ頑張って金策することも可能。その場合、最短一日で卒業できる。
前にWeb漫画の話した時にも色々言われたけど、あくまでも俺基準なので。まももがないぞとかセラブルはどうしたとかRuinaはいいぞとかエターナルファンタジアはいつ完成するんだとか(しねえよ)、色々言いたい人は自分で言ってください
Apple、NVIDIAは盛り上がっているが、他の半導体企業は振るわない。
半導体チップというと、ロジック、メモリ、センサー、アナログ、車載など色々ある。
半導体株は一時期盛り上がっていたが、結局儲かっているのはApple、NVIDIA、設計ソフトEDAベンダーだ。
給湯器や車載向けの半導体が無くて作れないといったことが数年前に起こったが、一円以下の数銭単位で値引きされ利益がない。
メディアがIoTだ、車載だと騒ぎ立てたが、どこも稼げずジリ貧のまま事業続けているのが実態だろう。
性能がいくらあっても足りない。というよりスパコン、HPCだ。
単体GPUじゃデータが格納できないので、複数GPUでデータをやり取りすることになる。
NVIDIAはコンシューマ向けGPUでは不要だったスイッチチップも着々と用意していた。
NVIDIAのサイトを見てもらえばわかるが、GPU以外のハードと、それを使うためのソフトも沢山ある。
日本の研究だと低消費電力向けを研究しているのだが、IoTなどでもわかっていることだが
唯一無二の性能・販売価格でなければ他に埋もれて購入すらされなくなる。
ゲームだと1フィールド読み込めば使いまわしなどキャッシュが効きやすい、シェーダパイプラインが決まっている、
そもそもハード限界の中で仕様が決まるなどがあり、問題はなかったが、AIはチップの性能内で決まらない。
AIの場合、推論はKVキャッシュくらいは活用しようという動きが出てきたものの、メモリ全部にアクセスするのでキャッシュがバッファ的な意味合いでしか効いておらず、
メモリ帯域が物を言う。
あと日本はリソグラフィ限界のサイズの大きなチップを作ってこなかった。
4GHz,5GHzで駆動させると、チップ内を光速で信号が伝搬するとはいえ、チップサイズに対して伝搬速度が遅く、タイミングがMETしない。
大きめのチップを作っている企業もあるだろと指摘があるだろうが、物理設計は台湾企業に委託していたりとノウハウがない。
できること
増田にちらっと書く。ただし推敲とかだきない。ただ前から後ろに書いていくだけ。
スマホでヤフーニュースのフィールドをスクロールする。ただし読めない。
ベッドで横になる。寝返り打つ。
ユーチューブをスクロールする。ただし動画は見れない。スクロールするだけ。
なろうとかカクヨムとかのサイトを回遊する。ただし、全然読めない。ただ回遊してるだけ。意味不明。
トイレに行く。ただしかなり抵抗があるのでギリギリまで先送りする。
あるものを食べる。食パンを焼かずに食べるとか。調理は少しもできない。
コンビニに買い物。かなり消耗するのでなるべく先送りする。行くときにはいつものセット(カップうどんと食パンとか)を買うだけ。
できないこと
その他全部。
お風呂はかなり難しい。
ベッドで眠るのは薬がないと難しい。
テレビや動画の視聴はかなり難しい。調子が良い時だけ。声を聞くのはかなり難しいので、動画を見るときでもボリュームは基本ゼロ。
本を読むのは全く無理。
スマホでも文章を読むのは無理。スクロールしてたまたま目に入った数行を拾い読みするのがせいぜい。
メールとかを読むのも無理。書くのは、自分が書いたものを読まずにただ書くだけなら、ギリ。まあそれが必要になる機会もそんなにないし、返事が来ても読まれないんだけど。
あのね…
ピロートークってのは、情事の後に二人でごろ寝しながら他愛もない話をする、という類の意味なの。
ピローは確かに英語で枕の事だし、その事を知ってることは偉いけど、だからってオススメの枕のAmazonのリンクを貼るって流れではないわけですよ。
いるんですよね、こういう、部分的に話を理解して無理くり自分の得意なフィールドに持ち込もうとしちゃう人ってのが。
そういう人っていうのは何も昨日今日現れた訳ではないようで、江戸の町で床屋をしていた益吉もそんな性分だったようです。
ごめんよぅやってるかい。
あー森島の旦那!今ちっと塞がってるからね、もうしばらく待ってもらえるかい。
と、こういうのが話の枕。
では失礼したします。
ついに公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』、初日に飛び込んできた私の目はスクリーンに釘付けになりました。タイトルからしてちょっと変わった雰囲気を醸し出していましたが、見始めてすぐに「あ、これは絶対に外せない新世代のGガンダムだ…!」と確信。いや、正確にはGガンダムというよりも、宇宙世紀の要素がバッチリ盛り込まれつつも、そこにアナザー要素が混ざり合った不思議な感覚を覚える作品でした。今回の目玉は何といっても主人公メカである「ガンダムジークアクス」の存在感。新たなフォルムが持つその圧倒的な威厳は、旧来のガンダムファンでもきっと興奮せずにはいられないのではないでしょうか。
さて、ここからが本題。私、何を隠そう腐女子的目線でガンダムシリーズを愛し続けてきた人間です。モビルスーツのかっこいい活躍はもちろん大好物ですが、それ以上にキャラクター同士のドラマや関係性が気になって仕方がない! そして今作、私にとって特筆すべきポイントは「シャアが出てくるうえに、何とシャリア・ブルとマブダチ」という衝撃の設定。このふたりの関係は“宇宙世紀のどこかで匂わせていたかもしれないけど公式でちゃんと説明されなかった”ラインだっただけに、ファン的には「そこにスポットを当てるの!?」というサプライズでした。
まず、シャアとシャリア・ブルが作中でどんな関係なのか。序盤こそ「旧知の仲」という雰囲気をにおわせる程度でしたが、中盤以降は「こいつらガチでマブダチなんだな…」と確信できるやり取りがふんだんに描かれています。とりわけ、シャリアがパイロットとして圧倒的なニュータイプの才能を示す一方で、シャアはいつものクールな仮面の裏に隠された複雑な心情をちらりと見せるシーンが最高。表向きは常に飄々としているシャアが、シャリアの前だけでは少し弱音を吐いたり、逆に「お前はもっと自分を信じろ」と熱い激励をする姿は、腐女子目線で見るとまさに “完璧なバディもの” の土台です。ここで萌えないはずがない!
しかも、シャリア・ブルといえば『機動戦士ガンダム』(一年戦争時)で悲運の死を遂げたキャラクター。あまりにも早く退場してしまったため、旧作では“シャアにとっての特別な存在”だったのかどうか、確定的には語られませんでした。そのため今作での「生存ルート(?)」というか、まさかこの新たな timeline でシャアと肩を並べて登場するとは…ファンとしては胸が熱くなる展開ですよね。序盤の顔合わせシーンでは、シャリアがさらりと「相変わらず真面目だな、シャア」と言い、シャアが「お前こそ、そういうときは黙っていてもいいんだぞ」なんて口調がやわらかいまま言い返す。このやり取りだけで、「はいはいはい! 尊いです!」と何度スクリーンを拝みたくなったことか!
そんな二人に加え、今作を牽引するニューカマーともいえる若き主人公パイロット(名前は仮にルーカスとします)が乗り込むのが、ガンダムジークアクス。これがまたすごい。視覚的にガンダムらしさを大きく踏襲しつつも、背部に印象的なウイングバインダーを備えていて、“ジーク”というドイツ語的ニュアンスを感じさせる硬質なデザインが目を引きます。ビームサーベルの形状すら独特で、左右に展開する可変式。さらに、コックピットシーンではルーカスが重力下と宇宙空間で別々の操作体系をとる描写がリアルかつ斬新。ストーリー上でも試作機ゆえの不完全さが強調され、そこをシャアやシャリアが「大丈夫、我々がいる」とサポートする展開は、“兄貴分”を感じさせてもうたまりません。
シャアとシャリアが、主人公の成長のために陰日向から支えているような構造は、まるで兄弟が一人っ子の弟を甘やかしつつも鍛え上げているかのよう。腐女子的に「いや、そこはお互い同士ももっと絡んで…!」と思わずにはいられないところですが、この序盤の時点ではまだ二人の過去が小出しにされている段階。きっと今後の展開でもっとディープな絆や秘められたエピソードが語られるのではないか、そんな期待を抱きました。
戦闘シーンはハイスピードかつ爽快。宇宙をフィールドに自由自在に動くジークアクスに、シャアの赤い専用機(やっぱり赤!)と、シャリアの機体が光の残像を残しながら連携するシークエンスは胸熱の一言。しかしその華やかさの裏で匂い立つのは“男たちの内面”。シャアがこれまで背負ってきた宿命や野望、シャリアが見据える新時代のビジョン…。それがどう交錯していくのかを想像しながら鑑賞すると、もっと奥行きが生まれます。加えて、ルーカスという若者を通して二人が何を託そうとするのか。腐女子の私としては、やはり「いつ裏切りが起こるのか」「いつ離反してもおかしくない危うい関係がどこかに潜んでいるのでは?」とドキドキしつつ、彼らの関係を見守りたくなるんです。
総じて、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』はガンダムシリーズの新たな可能性を提示する作品でした。ガンダムジークアクスという主人公メカのデザインやギミックの魅力は言わずもがな、シャアとシャリア・ブルのまさかの“マブダチ”設定がもたらすドラマ性はシリーズファンも思わず唸るところでしょう。個人的には「腐女子的妄想が捗りすぎる…!」という感覚がありありと湧いてきて、今後の展開でさらに多面的な関係性が描かれることを期待せずにはいられません。今までは断片的だった二人の関係に光が当たることで、シャアの人間的な弱さや優しさ、シャリアの持つ本来の魅力があぶり出される展開になる予感がします。
長年宇宙世紀シリーズを見守ってきた腐女子としては、こんなにも美味しい人間模様を出してくれるなんて…!と、思わず劇場を出るときには顔が熱くなるほど興奮していました。まだまだ始まりに過ぎない本作ですが、次回作や続編があるならば、さらに深堀りされたシャア&シャリアのエモーショナルな絡みを期待しています。そしてガンダムジークアクスは、そんな二人の物語を映す鏡のような存在として、更なる進化を遂げるのではないかと。今後の展開から目が離せない、大満足の一作でした!