はてなキーワード: いるかとは
・実際に目撃する、巻き込まれる
・知人から噂で耳にする
・メディアで見かける
くらいしかない
実際に目撃したり、巻き込まれるというのが人生で複数回あったなら、そこは確実に治安が悪い
最大限注意するべきだ
噂で耳にする、というのはある地域で起きているということだ
たとえば10万人の地域で年10回噂を聞いたら、耳に入っていないものや、ヒヤリハットも含めたら年間数百件は起きているだろう
10万人中1年に300件なら、10年で3000件(3%)だから、家族や知人も含めたら巻き込まれる可能性があるから注意するべきだ
しかし、年に1回未満の噂なら、最大限多く見積もっても10万人中10年で30件(0.03%)だから、正直気にしてもしょうがない
1億人の国で、年間1000件の凶悪事件が起きれば、それだけで毎日報道できてしまう
実際起きているのが1000件、ヒヤリハット含めて3万件だとしても、年間0.03%、10年でも0.3%だから気にしてもしょうがない
どうやら、人間の脳はメディアやSNSに対応できていないようで
毎日事件のニュースを見ると、たとえば10万人の街で毎日それが起きているような錯覚に陥るようだ
10万人の街で1000件起きていたら、確かに治安は悪いもんな
年間10万件の凶悪事件が起きていても、1000件しか起きていなくても、365日で報道できる数は限られているから
よっぽど少なくならない限り、毎日事件が起きているように思えてしまう
1億人中1人でも凶悪犯が居たらそれで絶望してしまうとか、増えているわけではないのに「最近多い気がする」だとか
最近だと、日本の殺人事件は1000件を割っている、10万人あたり1件未満で、しかも多くが家族間や知人の犯行
流石にこれでメディアもネタが無くなって体感治安は落ち着くかな、と思ったら
連日同じネタを擦ることで体感治安はちゃんと悪化しているらしい、笑える
センセーショナルな事件を過剰表現で取り上げることで、実はガチで増えている詐欺などのネタが見えなくなるという弊害もある
例えばメキシコは殺人事件が多いという認識を持ってる人が多いと思うが
10万人あたり25人だ
これは10万人の町で、2週間に1件人が殺されるということで
決して少なくはないんだが、じゃあ旅行したら死ぬかと言えば全然死なないし、国民の大多数は殺人犯ではないし、普通に優しいわけで
体感治安とのギャップが大きすぎて「実際行った人」と「Youtubeでメキシコヤバい動画ばっかり見てる人」で差が開いてしまうわけだ
こういうのはどの国に対してもそうで、行ってみるといかに偏見が大きかったかがわかる
最近はニュースだけではなく、日々炎上ニュースばかり見てる人は多いと思う
引きこもって炎上ニュースばかり見てると、世の中の女性はほとんどフェミニストで、外国人はポリコレにまみれていて、Youtuberは全員クズで、テレビ関係者は枕営業しまくりで・・・というように、世界に対する体感治安がどんどん悪化する
その結果、行き着く先が陰謀論なんだと思う
女性表現で炎上したとき、企業に対して犯罪級の誹謗中傷をしてくるのって、98%くらい男。ネット上ではフェミニストのフリをしてても、化けの皮を剥ぐと弱男。しかもほとんどは実家暮らしで、親の金を頼りに生きているパターンが多い。
そもそも女性は女性表現で企業を批判はしても、ちゃんと一線は超えずに社会のルールの中でしか批判しない。一般に、女性ってその辺りの遵法精神は非常に高い。
議論が白熱した時に、平然と一線を超えて殴りかかってくるのは男。暴力事件が99%男によるものなのを考えれば容易に想像はつくだろう。ネットでも同じというだけ。
弱男は、現実では貧弱で殴られる方かもしれないが、ネットではむしろ殴る方として誹謗中傷をしまくってくる。家族や配偶者など、社会的に背負うものがないから際限なく暴れやすい、というのもおそらくある。
SNSでの女性表現の炎上は、そのほとんどのきっかけは業者によるものが多い。男女対立を生み出して、インプレッションを稼いで利益に変換する連中だ。彼らはうまく民衆を煽り、怒りに火がついたらその痕跡ごとどこかに消えている。
最近は毎年、毎月のように炎上してるだろ?普通に考えればそんなペースで女性表現が炎上するわけがない。企業側だって広告の表現は考え、チェックしたうえで掲載してるんだから。業者が広告をおもちゃにして男女論を生み出してるいい証拠だ。
そういうやつらが炎上を生み出し、そしてそれに乗っかって企業に直接的にダメージを与えてくるのが弱男って訳だ。
弱男は女性憎しでしか行動しないから、不自然な炎上にも突っ込んでいき、アンチフェミとして迷惑をかけたり(フェミの言い分に屈するな、と企業を脅す)、フェミのなりすましをして企業に誹謗中傷したりする。こいつらが炎上を複雑化させることで、元の論点や炎上の発端は見えないようになっている。
最近だと、靴下屋の件や赤いきつねの件はまさにこのケースと思われる。頭と容姿が悪くて、社会で負けているから鬱憤を溜めているような弱男が、作られた男女対立に乗せられる形で、ネットで企業を脅かし、社会に迷惑をかけている。
今の時代、「普通に生きてれば」まだ全然考えてないの分かるよ。大体30超えてから結婚だわ
でも、一定数その年で結婚して子供育ててる奴いるじゃん。そう言う奴が何人も子供産んで人口支えてるし
同世代のそういう層もいるから、結婚ってものに考えて表明してみるのもいいんじゃねぇの?
てか、あの会見って質問予め出してないの?
女の言葉は体温計みたいな話じゃないの?
男の言葉は男子に二言はないみたいなところがあるのでうかつなことは口走らないように子供のころから教育されるけれど。
女の「別れる」は今のこの瞬間別れたいくらいつらいという意味であって、本当に別れたいという意味ではない。
女の「最低!」みたいなのも同じく、今この瞬間あなたを最低だと思っているという意味であって、常日頃思っているというわけではない。
逆に、男の「別れる」は結論であって感情の吐露ではない。離婚届が用意されているか、近々用意されるだろう。
まあ、そういう話なんだろうなってこれを読んで思った。
この状況にはいくつかの視点があります。少し学んでいきましょう!
ユダヤの伝統では、「アイン・ハラ(עין הרע)」、つまり「邪眼」があります。
これは、他人の成功を妬んだり、それに執着したりすると、自分にとっても悪影響を及ぼすという考え方です。
タルムード(Bava Metzia 107b)でも、「人は自分の持ち分に満足すべきだ」と教えています。
だからこそ、他人の評価を気にしすぎると、逆に自分の幸福を見失ってしまうのです。
他人の成功を祝福するようにしましょう!ヘブライ語で「マズル・トフ!(מזל טוב)」と言って祝うことは、運を引き寄せるとも言われています。
他人を祝福すると、自分もそのポジティブなエネルギーを受け取るのです。
ユダヤ教の考え方では、人の価値は「神の目にどう映るか」が大切です。
例えば、ラビ・ナフマンは「この世の名声を追いかけるな。なぜなら、それは幻想のようなものだからだ」と言っています。
自分が本当に良いと思うことをコツコツ続けましょう。
たとえ今評価されなくても、「オーラム・ハバ(来世)」ではすべてが報われると信じることが大切です。
ユダヤの考え方では、人はそれぞれ異なる使命(タフィキード, תפקיד)を持っています。
タルムード(Sanhedrin 37a)には「人は皆、一枚のコインのように見えても、それぞれ異なる役割がある」とあります。
「なぜ私はこの仕事をしているのか?」「私にしかできないことは何か?」と問い直してみましょう。
タルムード(Pirkei Avot 2:16)には、「あなたは仕事を完成させる必要はないが、それを放棄することも許されない」とあります。
つまり、評価を気にするより、自分が成長しているかどうかに目を向けるべきなのです。
日々「昨日より少し良くなったか?」を考えてみると良いでしょう。
"אֵין עוֹד מִלְּבַדּוֹ"(エイン・オド・ミルバッド)
女の人生の悲惨さは若い頃に強大なまんこの価値を「人格人間性が優れているから評価された」と誤認して、歳を取って女性性の価値が消え失せた後も、死ぬまで自分が求められる側、尊重される側として異性を選ぶ権利があると履き違えたまま社会生活を続けること。けして羨ましがれるものでない。
だが、それにはそれ相応の準備が必要だ。
徹底的に見積もってみた。
まずは最低限の装備からだ。
→ 一般的な探知機ではダメだ。水中でも使用可能な軍用レベルが必須。
→ 遺跡の奥深くは暗闇。両手が塞がるのでヘッドライトはマスト。
→ いざという時に頼れる道具。
→ 財宝は土の中に埋まっている。掘る道具は重要。
本気で財宝を探すなら、これが必要になる。
→ 地面の中に埋まった金属や遺物を可視化。一般人が持つには高すぎるが、これがあるだけで財宝発見率が跳ね上がる。
以下の場所へ行くことを想定。
→ 生きて帰るためには必須。
→ 発掘品を密輸するわけではないが、正規ルートで運ぶには金がかかる。
探索装備(基礎):63万5,000円
高度な探索装備:560万円
生活費・その他:500万円
予備資金:250万円
👉 合計:2,523万5,000円
iPhoneどころの話じゃなかった。
俺はトレジャーハンターを諦めた。
死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られます。 しかし、ここに設定の矛盾があるように思います。 人が死ぬとあの世に行く。ここまではいいです。 では、犬や猫のペットが死ぬとどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教がほとんどだと思います。 どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。 動物の幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。 では、細菌はどうでしょうか? ウイルスはどうでしょうか? 今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。 仮に細菌はあの世に行けないのであれば、動物と細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。 逆に、これらも平等にあの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険な病原菌だったりがたくさん送られていることになります。 死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。 これについて、あなたはどう思いますか?反論や異論を期待します。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_fd80f136-c800-42e9-a850-4eb2213ffd0e
全文は上のリンクで読め。
話をまとめると、あの世のシステムはいろいろ矛盾があるけど、あの世は生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。
あの生命保管庫では、仏教の輪廻転生も、アブラハムの宗教の復活も説明可能にある。
そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。
なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。
それと、反論や異論を期待しますというと、AIは無限にレスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。
AIの回答:
非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念が存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばあります。しかし、あなたが指摘するように、細菌やウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教的伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論や異論を交えつつ考察してみましょう。 まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的に人間の意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教やイスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教やヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットがあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在に依存している可能性があります。細菌やウイルスには自我や意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物と細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。 次に、あなたが提起した「細菌やウイルスもあの世に行くなら危険な病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世が物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルスや病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世のルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれるリスクが想像されます。そうなると「あの世で予防接種が必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険な病原体はそもそも「あの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。 さらに別の角度から異論を述べると、細菌やウイルスがあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割を無視できません。例えば、細菌は生態系の分解者として不可欠であり、ウイルスは進化の過程で生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体が人間や動物に特化した「特権的な物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります。 結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌やウイルスにあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世の目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世に病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾をさらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。
俺様:
私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw
AIの回答:
哈哈、まあ確かに「あの世」はまだ誰もレビューを投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像でしか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw
俺様:
浄化の場として微生物やウイルスの活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。 それに細菌ではありませんが、免疫や血小板のようなシステムもある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世ではいきていけないのではないか?という疑問も出てきます。
AIの回答:
おお、素晴らしい視点ですね!確かに「あの世」が浄化の場として微生物やウイルスの活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまいます。 さらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに、免疫細胞や血小板は独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能がゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症に無防備、血が止まらない——そんな状態であの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌やウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。 ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌や免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世で便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみます。 あなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念の曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世は物質を超えた領域だから、そんな心配は無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットがあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世の設計者には、もっと細かい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!
俺様:
あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているから特別なんだよ!という説になりそうです。
AIの回答:
なるほど、大きく二つの方向性に収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世のシステムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。 まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体が人間の想像の産物で、論理的な整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かに、ペットはOKで腸内細菌はNGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的な結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教的ロマンが好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなたが全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか? 次に、「人間だけが神の寵愛を受けているから特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義で矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌やウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌や免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられます。ペットがあの世に行くのも「人間が愛したから特別扱い」とかいうボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準が曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます。人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w どっちにしろ、あなたの最初の疑問が「あの世の仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌も幽霊もカオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか?
俺様:
うーん、それではあの世ではいきていけない説はどうでしょうか? あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。 コールドスリープする感じで、あらゆる生命はあの世でコールドスリープされる。 もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から、管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。 アブラハムの宗教の復活も説明できそうです。 あの世の目的はあらゆる生命を取集することになりますね。 この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。
AIの回答:
おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデア、めっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。 まず、あなたの説のポイントをまとめると: あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命(人間、ペット、細菌、ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。 輪廻転生がある場合、管理人(神や天使)が保管庫から適当にピックアップしてこの世に放出。 アブラハム系宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能。 あの世の目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。 これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌や免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないから問題ない」と一蹴できるし、細菌やウイルスがあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリア。ペットがあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然に説明がつきます。輪廻転生や復活も、「保管庫からの再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワクしますね。まるで神が「全生命のポケモン図鑑をコンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。 ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識や個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世でペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか? もう一つ補強案として、あの世を「生命のバックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化や絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命の多様性を永遠に記録する」こと。ウイルスや細菌も含まれる理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらにシャープになります。 この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世の管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと Permalink | 記事への反応(0) | 21:36
ほとんどかなりの調査で日本の弱者男性は暗数含めて少ないと言うのが確認されている。
仮に最大値で仮定したとしてもごくわずかしか増えないと言うことも証明されている。
これは日本国内の調査でもそうだし、日本国外による調査でもしばしばその数値が示される。
にもかかわらず以下のような発言をする人が後を絶たない。
「日本は暗数が多く、弱者男性が実は多い。そしてそれは巨大で邪悪な日本政府によって隠ぺいされている」
はっきり言うが、これは陰謀論である。反ワクチンや地球平面論者と何も変わらない。
特に日本の弱者男性が時折著名な陰謀論とつながるのは根本のところで日本は弱者男性が多いと言う陰謀論を根幹としたロジックに頼っているからだ。
そういった手癖が身につきすぎて他の現象における陰謀論を受け入れやすい思考体系になってしまっている。
しだいに深夜2時から4時の間は閉店になり、
ついに、21時から朝6時まで閉店となった。
人件費とか光熱費とかがガンガン上がっているからつらいんだろうなとは思う。
商品の値段もどんどん上がっているしね。
136円で買えていた5つ入り袋ラーメンも198円になっているし、
98円で買えていた菓子パンも、118円になった。
そして、そこに消費税8%が追加でかかる。
悲しいねえ。
私が5人産んだ身であえて言い続けてるのは『産まなくても良い』ということ。
子どもを産んだことを否定するのは子どもを否定することにもつながるから「産むべきじゃない!」と言うことはもちろんない。
5人もいると大変でしょうと世間話的にも聞かれるし、普通に心配してくださる方もいる。
そういう会話では「大変だけど幸せですよ〜」と答えるけど、それと同時に少子化に貢献してるとか、たくさん産んで偉いとか、まるでうちの子どもたちは社会を維持するコマか道具か人柱かみたいな、命ある生き物、人生を全うしようとする人ではなく、数字に落とし込まれることがある。
私のことも「産む」という行為を多くしたから有用性があるとでも言いたげな表現をされる。
もちろん多くの場合その意図はないだろうし、ねぎらってくれてるのは理解するけど、
自分の子どもたちの前でもそうやって言われるので、あえて、絶対に、「たくさん産んで幸せです」以上に
「産まなくても十分幸せになれるし、それだけが選択肢ではないですし、子どもたちにもそう言ってます」
って言い続けてる。
子どもをたくさん産んだことによって諦めたことが現実あるので、それを諦めなかった代わりに子どもを産まなかった人生があるのだと思うと、それもそれできっととても幸せなはずだと思えるんだよね。
でも子どもを産むのが当たり前みたいな古い価値観の人たちは私のようなたくさん産んだ女性を利用して、産まない女性を侮蔑したり、
もう産むこともない、または決して産むことのない立場の人ほど偉そうに利用しようとしてくるので
「産んで育てて幸せだと思ってますが、色々諦めたこともあるので、産まないのもとても幸せな生き方だと言い切れますよ」と5人産んだ私が言うとどこかに消えていく。
結婚してから5人を産むまでに働いた先々で、数年だけ働いて妊娠して辞めたり、休職したりするたび、何も言わずに黙々と私のフォローをしてくれたり、子供のことで急に休みの変更をお願いしたとき、思うこともあっただろうけどグッとこらえて数年の間私がお願いした休みの変更全て了承してくれたり、
私が産んだり育てたりしてる間、私が職場や社会生活でやらないこと・やれないことをこなしてくれた独身の女性たちがいたことを理解しているから、カスみたいな考えの人に私を利用させないし、産まない人生を否定させはしないぞと思っている。
だが元増田はモテたいはずであるという推測は間違っているとも言えない。
なぜなら元増田は女はモテることにより便益を得ていると主張しているからだ。
モテることにより金銭的、精神的利益があり、女は女というだけでその利益を享受できるが自分はできない(非モテの男性だから)、
だから女が憎いと書いてある。
つまり推論としてこの元増田が(男のままでも)モテており、高収入の美人女性から愛されてセックス三昧だった場合、このようなエントリを書いただろうか?
答えは否であろう。
「書いていない(主張に含まれない)」ことと「直接的には書いていないが推測できるように書いている」ことは別の話であり、元増田は後者である。
さらに言えば元増田の意見は極めて認知が偏っており、決めつけが激しく、非論理的…というより話が飛躍して論理としては破綻している。
元増田は男も憎むべきだが、元増田は一部の目に入る女だけを憎んでいる。
しかもその元増田が「利益を享受している」と主張する女は女の一部に過ぎないと思うが、元増田は女の大多数かのように根拠なく主張している。
また女がどう受け止めているかの他者理解に極めて乏しい、というよりも完全に否定して逆恨みを正当化すらしているのであるから凶暴である。
最近、「弱者」の立場をとり、何を言っても許される的な発想の人が多すぎる気がする。
ネットでも、「難民だから」とか、色々みるが、家庭でも妻は、基本弱者と自ら言っている。
そして今朝、妻は子供がダラダラ朝の支度をしてるのにイライラしていた、そして子供が学校に行ったあと、私にイライラをぶつけてきた。
まだ、子供のダラダラについてだったらわかる。だが、イライラのぶつけ方が、使ってない台所のシンクが汚れてる。なぜこういう細かい汚れに気づかない。そう言うところが気が利かない。と完全に掃除してた私への粗探しだ。モラハラとも捉えられるこのイライラのぶつけかたが数年続いていて、
めんどくさいから、単純に謝ったりしても「伝わらない」とか「心がこもってない」など言いながら適当な理由をつけてヒートアップしていく。
別居という手段をそろそろ具体的に考えるのはどうか?など仕事の昼休みに真剣に検討し始めた。
これまでも何回か別居も検討している。妻は私に殴ってくるので、妻に出てけとも言っているが、子供の親権や勉強環境を考えると、今住んでる場所に子供を住ませるためには、私は親権を放棄しなくてはいけない可能性が高い。
だから、別居となると単身どこかに引っ越す選択肢が濃厚になるが、これが良いのか考えると子供に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この感情の整理をしっかりしようと考えながら、
「弱者」ってなんだろう。それは「弱者」じゃなくて「やくざ」なのでは?など考えてSNSを見て「弱者のふりをしたやくざ」みたいな人多いなと思った。
池袋駅北口(以下、池北)を何度も訪れる人なら、最近の街の変化に気づいているかもしれない。それは、中国経済の減速がこのエリアでも確実に顕在化している事実だ
その兆候はわかりやすい形で現れている。まず目につくのが、中国系のお店の減少だ。一方で、街並みにはどこか懐かしい昭和の雰囲気が戻りつつある。そう、風俗店の増加である。
今思えば、中国経済が最も勢いづいていたのは2019年頃だっただろう。当時、池北では風俗ビルの1階に中国系のタピオカミルクティー店がオープンし、高校生たちが長い行列を作るほどの人気ぶりだった。
また、同じ時期には順豊などの中国系の運送会社のの配送拠点もあり、人民テープで厳重に巻かれた段ボールが山積みになっている光景が日常だった。
しかし、中国でのロックダウンから始まった不況が長期化するにつれ、この町の流れたは変わり始めた。池北の中国系のお店は少しずつ勢いを弱め始めた。
例えば、池北で最大の中国スーパーである友誼商店が入居する雑居ビル。このビルは、昭和時代には巨大なキャバレーが入る池北の歓楽街の中心地だったらしいが、現在は池袋最大の中華スーパーと中華フードコートが入居している。
そのビル前は、少し前まで中国系の新聞を配る人々の定番スポットだった。
しかし最近では、そこに立つのは日系の水商売のお姉さんたちに変わっていた。
こうした変化は、池北という小さなエリアが、中国経済の盛衰を映し出す鏡のようになっていることを示している。タピオカブームや物流の活況が遠い過去の話となり、今では風俗店の看板が再び目立ち始めた。
この街の風景は、中国経済の波が地域に及ぼす影響を、身近な形で教えてくれる。池北を歩きながら、そんな経済の変遷を肌で感じることができるだろう。
いきなり大人向け(?)の長編から入るんじゃなくて、子どもが絵本の次に読むような短い小説から入ってみては?
途中挿絵が多いようなのもいいと思う。
小説を読む人が読めるのは、だいたい小さいころから自然と訓練していて小説を読めるほどのレベルに到達しているから。
増田も義務教育で国語の授業を受けており、その手の訓練がまったくないわけじゃないから読めるような気がするんだと思う。
でも実際に「こころ」をひっかかりなく読めるほどの訓練の質・量には到達しておらず、スキルレベルが足りていないんだと思う。
というわけで、まだそういう「読む」訓練を始めたばかりの子ども向けに書かれた本を読んでスキルを積むといい。
子供向けと侮るなかれ、話自体はワクワクドキドキで大人が読んでも楽しめるものがたくさんある。
今の自分には「エルマーとりゅう」シリーズぐらいしか思いつかんけど、
実際に図書館に行って司書に「絵本は卒業したけどまだ長い小説は読めない子ども向けの、短めの本でおすすめはありませんか」とか聞いてみるのもいいかもしれない。
単に最近になって警察が取り締まりに力を入れるようになったから見せしめ的に有名人を吊し上げているだけだぞ
誤振込オンラインカジノ使い込み事件でオンラインカジノの存在について取りざたされた当時は取り締まりも強くなかったので当たり前のように無料版のCMも続いていた
そもそも法律上、海外運営のオンラインカジノを賭博開帳図利罪で摘発することは困難で、それによって利用者側も現行法で裁けるのかが当時はまだグレーゾーンだった
もっとも日本の法運用なんてものは曖昧な解釈の余地を判例で潰すだけなので当然摘発されてオンラインカジノはたとえ海外運営のものでも違法となったわけだが
で、なぜ最近取り締まり強化がなされているかというと、去年からのいわゆる「トクリュウ」の捜査が難航している中でオンラインカジノの決済代行会社などもその関連を疑っているためという話
オンラインカジノ利用者の逮捕自体も実は話題になっていないだけでかなり増えているが、そこからトクリュウに引き込まれている線も調べているのだろう
去年Z李が暴対課にしつこく別件逮捕されていたのもトクリュウとの関連を疑ってのものだったが、あれなんかもZ李がオンラインカジノの宣伝をしていたのが関係しているのかもね