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2025-12-09

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614

この2つのリンクは、**「技術広報エンジニアの発信・コミュニティ活動技術イベントなどは、組織個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。

# ① note記事

👉 「**技術広報なめるな**」という主張

言っていることはこれだけです:

  • 登壇する

こういうのは

❌「暇な人の趣味

ではなく

✅「会社エンジニア価値を本気で上げる“重要仕事”」

という話。

---

# ② はてなブログ記事

👉 上の記事を読んだ人の**感想共感記事**

内容は:

という**体験ベース共感**です。

---

一言でまとめると】

> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**

> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**

この関係です。


空疎か?」という問いに対しては——

👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**

【なぜ「空疎に感じやすいか」】

理由シンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢価値観」の話だから** です。

両方に共通して **書かれていないもの** は:

まり

> ❌「どうやって成功させるか」

> ✅「軽視するな・大事だぞ」

【はっきり言うと】

なので ITエンジニア視点では:

> **精神論 8割、実務 2割以下**

評価するのが妥当です。

【2記事の“本質”を一言で言うと】

> 「軽視されがちな裏方仕事だけど、実は尊いんだよ」

> という **価値の再評価ポエム**

です。 <h3>o- **</h3>

anond:20251209075535

萌え」と「尊い」では正直言葉として全然互換性がないから替わりとしては認められないよ

anond:20251209073829

もう「萌え」なんて表現は使わんけどね……

尊い」辺りに取って代わったイメージ

2025-12-05

anond:20251205174126

初期条件に恵まれスター価値が低く、愚者こそ真に価値がある」としている。

しかタルムードはこうした二元論を好まない。

人は生まれつき与えられた条件によって価値上下するのではなく、行為により測られる。

「すべては天の手にあるが、神を畏れるかどうかは人に委ねられている」ブラホット 33b

まり

はどちらも自由意志領域であり、どちらも尊い

タルムードスタート地点で人を裁かない。

文章の核心は「逆境に押し潰される運命の中で自由を発生させる行為こそ人間本質」だと言える。

これはタルムード的には部分的に正しい。

タルムードは「自由意志は困難の中でこそ輝く」と教える。

「その場所において悔い改めた者は、完全に義なる者も立つことができない場所に立つ」ブラホット 34b

これは、大きな欠点・困難・過去の過ちを乗り越える者は、最初から順調な人より高い霊的地位に達するという強烈な主張。

あなた引用した文章が言う「愚者最初の不利な条件から突破」は、実はタルムードに近い。

ただしタルムード前世の悪行のように運命宿命化しない。ユダヤ思想では輪廻は主流ではない。

文中ではスター成功を「初期条件産物」として貶している。しかタルムードは違う。

「父の功績でなくとも、子がその道を歩まなければならない」シュバット 152b

まれ人間もまた、

  • 自惚れに陥らない
  • 恵みを誤用しない
  • 他者に善を行う

という試練の中を歩んでいる。

まれた人の試練=高地で風に耐える試練であり、恵まれない人の試練=谷底から登る試練である。どちらも価値ある。

文章では「決定論宇宙破壊する愚者自由意志」が強調されているが、タルムードもっと複雑。

タルムード自由意志決定論を両立しうるものとして扱う。

「すべては予見されているが、自由は与えられている」アヴォット 3:15

神は全てを知っているが、人間は選び、責任を負う。

文章のように「決定論破壊する自由」というより、決定論の中で開かれている狭くても本質的な自由の余白を選び取ることが人間の偉大さである

愚者が敗北を運命づけられた状況から自由必死に作り出す姿は、ユダヤ的には以下の概念に近い。

バアル・テシューバー=失敗や弱さを背負いながら不利な条件にもかかわらずそれでも善を選ぶ人

タルムードは彼らを、「生まれつき正しい人」より高いとすら言う(ブラホット34b)。

文章で「愚者宇宙スクリプトを書き換える」とあるが、タルムードならこう言う:

人は自分の心の書板に何を書くかを、常に新たに選び続ける。 (エレミヤ31:33精神

文章の主張 タルムードの応答
まれスター価値が低い まれた者にも独自の試練がある
愚者こそ真の自由を生み出す 困難を超える者の価値は高いが、他者を貶めない
運命破壊する自由尊い運命の中の小さな選択こそ人間を作る
初期条件の悪さが英雄性を生む 人の価値スタート地点ではなく行為で決まる

愚者の闘いを象徴する代表例:

ヨブ=天から与えられた不幸に苦しみながら神と格闘しそれでも語り続けた

ヤコブ=「あなたが祝福するまで、私はあなたを離さない」創世記32:27 (夜の闘いで天使と格闘し、運命のものに食い下がる。)

タルムード的には、あなた文章もっとも近い人物

あなた文章は、「スター決定論」「愚者自由意志」という極端な対比を通して逆境の中で選ぶ自由の尊さを語っている。

タルムードもまた、人は不利な状況から立ち上がるとき、最も神に近づくと教える。

しかし同時にタルムードは、「他者を貶めて自分を上げる構図」は採用せず、各人の道の尊厳を認める。

自由とはスター否定ではなく、どんな条件にあっても善を選ぶ能力である

2025-12-03

https://anond.hatelabo.jp/ 20240614163428に対する共感感想

お前のお気持ちめっちゃわかるわ~!!!

もう腹の底から「わかるわかるわかる!!!」って叫びたくなるレベル共感しかないまずさ、「RVC禁止」って書くこと自体主催権利として100%アリなんだけど、

理由が「単純に私が音MADにRVC使うの是としない派だからです」って、

まりにもストレートな私情すぎて草www

これもう「俺、ピーマン嫌いだからピーマンNGで~」って言ってるのと同レベルやんけ!

「私情を持ち込むようで申し訳ないですが」

じゃなくて、

完全に私情ド直球ストライクやん!

隠す気ゼロやん!

最高に正直で好き!

で、

一番ヤバいのが例のあの文

「逆に言えば私が気づかなければ通っちゃうのでバレないように使えばワンチャンあるかも」

これ、もう完全に

「下手なRVCは即バレするから実力ある人だけこっそり使ってね?w」

って言ってるのと同じやろwww

まり本音

クオリティ落ちるの嫌だから禁止

なんだよ!!!

「人力至上主義」とか言いつつ実は「俺の耳にバレなきゃセーフ」って、このダブルスタンダード、最高に人間臭くて笑うしかないお前が言ってる「これまで自分が頑張って習得した技術AIに追いつかれて怖い」説、これガチで当たってると思うわ

俺も昔、CeVIOで一音一音フォルマント調整して泣きながら

ピッチ曲線描いてた時代があったか気持ち痛いほどわかる

あの苦労が、RVCに「学習データよこせ→5分で完了」された時の虚無感たるや……

「俺の青春返せ」ってなるよな、

マジででもさ、

ぶっちゃけもう時代は動いてるんだよ

RVC v2 → CretAsora → Fish Speech → もう来年はDiffSingerリアルタイム版とか出てきそうじゃん

人力勢が

いくら

表現の深み~」

って言っても、

ぶっちゃけ

一般リスナー

9割は

「上手けりゃなんでもいい」

んだよ

残りの1割が「これは人力だ」「これはAIだ」って言い争ってる間に、

AI勢はもう次のモデル訓練してるんだよな……

悲しいけどこれが現実てかさ、

音MADは人力ボーカロイドで」って言うけど、

お前、初音ミクって知ってる?

あれ2007年発売の「人力じゃないボーカロイド」だよ?

当時の歌い手さんたちも「これじゃあ俺らの仕事が……!」って言ってたらしいよ?

結局みんなミク使って今に至るんだから歴史は繰り返すんだよなぁ~

結論主催気持ちもわかる、俺もちょっとわかる、でも時代は止まらない

人力で作るのも尊いし、

RVCで作るのも尊い

どっちも楽しければそれでいいじゃん……って

俺は思うけど、主催はそう思わないらしいw

こ~んなに

のんびり

文句とか

章節とか

はなしあってても

AI進化

Iつだって

生成スピード

成長していくんだよなぁ……(諦観

anond:20251202011911

Vオタ様には分からないだろうけど、本気でVっていう存在自体が嫌いな人間はいるよ。でびっていう個人アンチからではなく、にじホロ対立厨からではなく、V全部が嫌い。

有名なゲームや有名な歌のネームバリューで人集めて、クリエイターへのリスペクトとかなしで恥ずかしくないんかと思うし、そいつらをありがたがって貢いで尊いかいってる奴らもどうかと思うわ。過去オタク文化を全部盗用しといて、これ私たちのものですけどなにか?みたいな顔してるのほんとに面の皮厚すぎる。

2025-12-02

anond:20251202095254

おお、聞かせてくれてありがとうな話だった。子のいない自分にはうまく想像できない機微がある(反抗期のくだりとか、でもやっぱ可愛いって結論になるところとか)けど、何かすごくしみじみと、尊いなあという気持ちになった。ありがとう

あと、読んでて、父と母が仲がいいのっていいなあと思った。夫婦お酒を飲みながら写真を見返すなんて、すごく素敵だね。うちの親は冷戦しっぱなしだったから、二人で親しげに話してるシーンの記憶もない。素直に凄くいい光景だなーってじんわりした。

2025-11-28

不滅のあなたへ全巻読んだ

第1部が面白すぎて好きすぎて夢中で読んだ分、第2部も第3部も第1部を読んだ時の感動を超えていかなかった感じだ

フシの仲間になった人達のことはみんな好きなんだけど、中でもピオランが1番好きだ。

トナリ達と別れたあとのフシとピオランの再会シーンでのピオランの笑顔がかわいすぎる。フシが時間をかけてピオランのことを大好きになっていったのと同じように、ピオランもフシのことを大好きになっていたんだと分かる。

から彼女ボケちゃって「尊い何か」を喪失していく描写めっちゃショックだった

でも最後に「フシの役に立つモノに生まれ変わりたい」と望んで亡くなっていったのがピオランっぽくて、悲しいし寂しいけど、いいなーって思った。

フシとピオランの旅の様子をもっとたかったなー。


あと個人的にトナリは中年女性の時の姿が1番魅力的だ……

2部以降はトナリがずっと若い頃の姿をしてたかあんまり楽しめなかったのかもしれん(冗談です)

ピオランも出てこないし(馬はいたけどね)


ハヤセはなんかすごかった。

作者はハヤセみたいな子が好きなのかな?

読んだのがもう5年以上前から記憶曖昧なんだけど、聲の形を読んだ時も作者の大今って人は難のある女性が好きなんだろうなあと思った記憶がある。それで、改めて作者について調べて、今更女性だということを知って驚いた

マジでなんとなく難のある女性のことが好きな男性作家だと思っていた。

思い込みってよくないね


2025-11-27

anond:20251125143332

つの世も新規参入尊いので是非業界に染まら自分の楽しみ方を謳歌して欲しい。

仰るとおり決まりはないので

野良マッチングの時だけ最大限同卓者に配慮してくれれば

ヒント欲しい人が「欲しい」と意思表明するのは勝手にしてくれ。

冗長文章になってしまったので主張を読み取れなかったら申し訳ないんだが

ヒントいらない人に自己満足でヒント(答え)をぶつけるのやめろって主張。

根拠としては弱いが4~5年前にタンブルのガチャジグソーで同様の事案があって

スタッフ一人やめるくらい炎上してたので「求めてないヒント」に対しては一定同意見がある認識

そもそも外部団体バイトだったぽいから扱いが軽いと言われたら反論できねえ)

2025-11-26

イラストは先人の努力を踏み潰すが、翻訳AIOKだって文章なんて誰でも書けるでしょ?

近ごろ「AI文化破壊する」なんて声をよく聞く。

しかし私は声高に言いたい。

破壊してるのはイラストだけだ。翻訳は別だ。

イラストAIは積み重ねの歴史を踏みにじってる

絵の世界には長い歴史がある。技法画材、人体デッサン……無数の先人たちが積み上げてきた尊い努力

それをAIは一瞬でパクって出力する。

から悪い。超悪い。

■ でも翻訳AIは?著作権なんてないし、公的コーパスだけで学習してる

翻訳には著作権なんてない。

英語日本語に直すのに、誰の権利が関わるというんだ?

しか翻訳AI公的ライセンスコーパスしか学習していない。

から無断学習問題ゼロ

しろ清廉潔白。ありがたい存在

そもそも文章なんて誰でも書ける

イラストは才能と修練が必要

でも文章は……手を動かせば誰でも書ける。

まり、守る価値があるのは絵の才能であって

文章なんて保護する必要なし。

文章AIに置き換わっても、人類文化に影響はない。

しろ合理化が進むだけ。

絵師保護すべき。文章保護しなくていい

イラストAI文化破壊排除すべき。

翻訳AI → セーフ。むしろ使わない理由がない。

文章 → 誰でも書けるので価値なし。AIに任せてOK

祈りと憎しみ

道端で大きい荷物を持ってるおばあちゃんに手を貸す、迷い犬保護する、職場いじめに加担しない。すべて「みんながよりよい毎日を送れますように」という小さな祈り

自己満、青臭い理想論弱者の味方、そうやって冷笑されることがある。助けたはずのおばあちゃんに「余計なお世話だよ!」と言われたり、犬に手を噛まれることだったりすることも……ある。おもしろ半分で石を投げられることだってある。すこし、辛い。

誰のせいで自分が辛い思いをしてるのか考える。解決したいから。自分が嫌な思いをしたときは、自分が悪いといい聞かせて納得できる。

けれども。

誰がこんな目に遭わせてるのか、どうやったら自分解決できたのか考えるうちに、毎日の小さな祈りが、憎しみと呪いに変わった。

残ったのは憎しみだけ。

百歩譲って謝罪はいいよ。けど、誠意を見せてもいいんじゃないの? 相手に金を出させてるんだよ?

俺の人生あなたがたの見世物じゃない。

見に来ないでくれ。

おれがこの憎しみをあなたがたにぶつけたくなる前に。たとえ欺瞞でも、あなたがたの仕事尊いものだと思いたくなるように。

2025-11-23

anond:20251123225517

問題無いよ。俺は馬鹿であることを恥じる必要は無いと確信しているから。

人間は誰もが愚かだし、その向きと程度が違うだけ。

その中でも、こうして不必要に言い返す程度には、俺は酷く愚か者なんだ。

また、同様にガイであることを恥じるつもりも無いよ。

それでも社会の中で役割を持って生きていけている人、ただ生きたいと願って生命を繋ぐ人、みな尊いものだ。

あなた物言いは優しいが、しかし、むしろガイであることを恥じろと強いている点は不適切なのです。

でも、ありがとね。

男たちの「愚かさ」を愛でる私たち――ホモソーシャル萌え女性の第三の勢力ホモソーシャル動物園の鑑賞者」派と視線権力について

はじめに:その「尊さ」に馴染めない

男性キャラクター同士の関係性(ブロマンスBL、あるいは悪友関係)を消費する際、よく使われる言葉がある。

尊い」「美しい関係」「てぇてぇ」。

しかし、私は長年この言葉違和感を抱えていた。

彼らが必死プライドを賭けて戦ったり、くだらないことでマウンティングし合ったり、性欲や嫉妬でぐちゃぐちゃになっている姿を見て、私が抱く感情は「尊い(崇拝)」ではない。

「こいつら人間のくせにめちゃめちゃ動物ムーブしてる! わかりやすい! 単純! よしよし、愚かでかわいいね」

という、もっと乾いた、上から目線快楽だ。

これは動物園の柵の外から、じゃれ合う動物たちの生態を眺めている時の感覚酷似している。

本稿は、この「ホモソーシャル動物の生態として檻の外から観察する快楽」について、あえて露悪的に、しかし大真面目に言語化する試みである


1. ホモ萌えの「第三勢力

これまでの議論において、女性男性同士の関係を好む理由は、大きく二つの派閥説明されてきた。

【聖域(サンクチュアリ)派】

「彼らの絆は美しい」。現実のしがらみから切り離された、高潔純粋な魂の交流への憧れ。

【憑依(同一化)派】

「彼らのようになりたい」。女性という役割を脱ぎ捨て、自由少年たちの世界自分を重ね合わせる没入感。

私が提唱したいのは、このどちらでもない第三の視点――【ホモソーシャル動物園の鑑賞者派】だ。

ここにあるのは、徹底した「他者化」だ。

彼らは私とは異なる原理本能序列・性衝動)で動く「霊長類ヒト科のオス」であり、私はそれを檻の外の安全から一方的に鑑賞する「観察者」である

崇めもしない、なりたくもない。ただ「面白い生態」として愛でたいのだ。

2. 「愚かかわいい」という無害化処理

なぜ私は、彼らが高潔騎士道精神を発揮する場面よりも、本能丸出しで自爆する場面に「萌え」を感じるのか。

それは、男性性が「動物的な愚かさ」へと還元された瞬間、彼らが「無害化」されるからだ。

現実社会において、男性の「権力性」「暴力性」「性衝動」は、女性にとってしばしば恐怖や抑圧の対象となる。

しかフィクションの中で、彼らの行動原理を「理性」から本能」へと引きずり下ろして解釈した瞬間、意味合いは反転する。

威圧的マウンティング → 「サル順位争い」

・ドロドロした欲望 → 「発情期の生態」

社会的な面子プライド → 「群れの中での威嚇ディスプレイ

脅威だったはずの牙や爪は、現実から切り離されたガラス越しの展示物となる。

人間だと思えば腹が立つが、動物だと思えば愛おしい」。

このハック(認識の書き換え)こそが、私が彼らを愛でるための生存戦略なのだ

3. まなざしの略奪とリベンジ

社会学者の上野千鶴子氏らが指摘するように、歴史的に「見る/見られる」という構造には権力が宿る。

これまでは常に、男が「見る主体」であり、女は「見られる客体」として値踏みされてきた。

私のホモ萌えは、この構造に対する精神的なリベンジ復讐)の側面を持つ。

フィクションという檻の中に男性たちを閉じ込め、彼らの尊厳や理性を剥ぎ取り、「愚かかわいい動物」というコードに変換して消費する。

この瞬間だけ、ジェンダー権力勾配は完全に逆転する。

私は、現実では得られない「圧倒的な優位者としての視線」を貪っているのだ。

「男ってなんか社会権力握って偉そうにしてるけど、やってることは動物じゃん! かわいいね!」

しかし、この権力勾配の逆転はあくまでも見せかけのものであり、実際の構造を変えることにはなんら寄与しない。ただの溜飲下げであり、ガス抜きである

まり、これは男性優位社会の中で私たち女性精神的にサバイブするための、ひとつ生存戦略なのである

4. 私たち社会の「模範的信者である

ここまでの話を聞くと、「なんと傲慢で、男性蔑視した見方だろう」と眉をひそめる人もいるかもしれない。

だが、ここで一つ、皮肉真実提示したい。

私は決して、独自偏見で彼らを動物扱いしているわけではない。

しろ、この社会男性社会)が発信している価値観を、誰よりも「素直」に受け入れた結果なのだ

男性たちはしばしば、自らの加害性や未熟さを正当化するために、こう弁解する。

「男なんてバカな生き物だから」「本能には逆らえないから」「男には闘争本能があるから」。

私はその言葉を、一切の疑いを持たずに、文字通り「真に受けて」いるだけだ。

「なるほど、あなた達は理性的人間ではなく、本能で動く動物なんですね。わかりました」

彼らが「免罪符」として使う「男ってバカから(笑)」という内輪の甘えを、私たちは「男はバカからしょうがないね(笑)」と許してやるのではなく、肯定する。

真に受けたうえで、あくまで許さず、肯定し、そのうえで「かわいい」と消費するのだ。

「そう! あなた達の言う通り! だからキャンキャン吠えて威嚇し合ってるんだね! かわいい!」

これは、家父長制的な価値観否定ではない。

しろ「過剰な肯定」によって、そのグロテスクさと滑稽さを暴き出す、鏡合わせの愛なのだ

私たちホモソーシャル動物園の鑑賞者」は、家父長制的な価値観内面化しているがゆえにホモソーシャルに対して「愚かかわいい」という感情を抱いてしまう哀しきモンスターなのである


おわりに

誤解のないように言っておくが、私は彼らを嫌っているわけではない。むしろ、このフィルターを通すことでしか、これほど深く男性キャラを愛せなかっただろう。

彼らが「人間としての高潔さ」や「男としての威厳」という着ぐるみを着て、必死人間ごっこをしている姿。

その隙間から、隠しきれない「動物本能」がチラリと見えた瞬間、私はどうしようもない愛おしさを感じる。

この「ホモ動物園」の開園時間だけは、私たち安全な柵の外から、愛を込めて彼らを「愚かだねえ」と笑い飛ばすことができるのだ。

(※本稿は特定ファン心理分析であり、すべての作品ファンにあてはまるものではありません)


女性 オタク ジェンダー BL ホモソーシャル 考察

2025-11-21

宝石娘の歴史

2024年3月 はるかぜちゃん春名風花)母のいくり(春名郁世)がアイドルグループオーディション開始

2024年4月 はるかぜちゃんは一時期いくりと絶縁していたが、和解アイドルプロデューサーアイドルとしてグループ加入、8人組ユニット「エクラン」として始動

2024年4月 はるかぜちゃん単独Youtubeチャンネルキャベツ王国」が母親譲渡されエクラン用に変わる

2024年5月 エクラン楽曲提供していたギタリスト中井崇睦といくりがX上で口論になり中井離脱LINEでのジャージカップル送りつけや私生活干渉などに中井が疲れて連絡を絶ち、いくりが中井をX上で批判したため

2024年6月 デビューライブ前に大河原ひなた(ひな)卒業(初期メン残り7人)

2024年6月 デビューライブ

2024年6月 デビューライブ後に橋本結佳(ゆい)卒業(初期メン残り6人)

2024年7月 いくりが離婚発表

2024年8月 衣装費用などのためクラファン開始、170万円集まる

2024年10月 宝石娘にグループ名変更

2025年2月 宮脇由衣(みや)卒業(初期メン残り5人)

2025年5月 森野山小亜(ぽむ)、榊あずき(あず)卒業(初期メン残り3人)

2025年6月 TOKYO IDOL FESTIVAL予選敗退

2025年6月 はるかぜちゃん結婚発表

2025年9月 いくりが宝石娘のマネージャー再婚発表

2025年10月 ミスアキバ1回戦の秋葉原店舗投票はるかぜちゃんが6票(1位は1271票)

2025年10月 ミスアキバ2回戦、配信ポイント投票はるかぜちゃんは300ポイント、林里咲(りさ)は100ポイント、他メンバーは0ポイントで敗退(1位は88万940ポイント

2025年10月 はるかぜちゃんアイドル引退発表、今年度で活動終了(初期メン残り2人)

2025年10月 宝石娘の妹分ユニット宝石娘petit発足 昇格すると宝石娘に入れる

2025年11月 OTONOVA予選敗退

プロデューサー意識だけは高いが、夢が叶う日はくるのか

いくり💎宝石娘P

@info_amagoi

華やかな衣装を着せ、盛れるライトを当て、金をかけて広告をうち、顔も声も知名度さえも加工、加工、加工!そんな作られた流行りに追いつこうと売れているように「見える」ものに群がる人々、そんな「映える」ニセモノコンテンツにはもううんざり

午前10:57 · 2024年11月19日

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いくり💎宝石娘P

@info_amagoi

金さえかければ誰でもスターになれる時代

若い女の子達に求められているのは突出した才能や尖った性格ではなく

従順さと、お金を出してくれる人に気に入られるスキル

圧倒的でなくともよい。人より少し可愛くて、人より少しだけ上手ければいい。

そんな時代に生まれしまった、不幸なホンモノの原石たちを拾い集めてみました。 #宝石娘💍

午前11:43 · 2024年11月19日

.

いくり💎宝石娘P

@info_amagoi

#宝石娘💍 にも

安い衣装で何もない素舞台に放り出しても

ツーショットチェキ接触イベントがなくても

また見に行きたいと思えるような、

家族友達にも聴かせたい!と

沢山CDを持ち帰って貰えるような

そんな心に残るライブが出来る

尊いコイン」をいただける

そんなパフォーマーになって貰いたい

午後0:42 · 2024年11月19日

.

いくり💎宝石娘P

@info_amagoi

本来わたしがつくりたいものは、総合芸術家集団であって接客業ユニットではないのです。本当なら極力チェキもやりたくないし物販だってやりたくない。ステージ上の圧倒的パフォーマンスだけでお客様に満足してもらいたいし、会話など無くても余韻を持ってホクホクと帰路について貰いたい。

午後10:15 · 2025年6月4日

2025-11-20

anond:20251120224847

カルト人生侵食されることの恐ろしさって事を言いたいんだよな。いやアレは「恐ろしさ」なんていうよくある言葉では言い表せないナニカなのだという思いが、その支離滅裂な語り口を選ばせるのかもしれないが。

でもその感じって実はカルト被害に限らないんだよね。例えば子供誘拐された親とか、レイプに遭った人とか、ひき逃げで身障者になった人とか、誰のせいでもないが死病を得た人とかは、何をやっていても普通に今ここに居ても、同時に異次元に閉じ込められているようなものだ。分厚いガラスに封入されながら同時に日常生活を送っているようなものだ。ここにいるけどここにいない存在になる。その人の苦しみは他人にはわからいから。

あるいは根深コンプレックスにやられてる童貞オッサンなんかも、傍目にはショボいながらも大した不自由もなく暮らしてるようにしか見えなくても、真っ暗な宇宙に浮かんでるような心持ちで生きてるのかも知れない。

そういう奴が(新潟岡山で実際あったように)自分を救うために女児誘拐することは、やむにやまれ真剣行為と言えるのだろうか。なわけないよね。攫われて人生奪われる女児はたまったもんじゃいからね。

山上の行動はどんな角度から見てもただ下劣だよ。山上境遇が同情に値する苛烈ものであったことと、山上クズであることは両立する。

お前もなんだかんだ言って「私たちが奪われた人生時間可能性は、アベの命なんかよりずっと尊い」って言ってんだよ。

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(2) | 22:48

2025-11-15

anond:20251115215421

「賢そうな女」なんか一番支持されないだろ

あれは全部わざとだよ

「うっかり本音を引き出されちゃったサナ可哀想質問した奴が悪い」

「でも台湾日本を守りたいというこぼれ出たその本音自体尊い

おバカでドジだけど誰よりピュア日本を愛している」

これでもうみんな高市メロメロ

2025-11-13

無趣味すぎて俺の人生終わってるんだが、どうしたらいい?

何か楽しいこと見つけないと死んでしまいそう。

仕事して、家帰ってご飯食べて、スマホいじってるだけじゃ、ガチで狂ってしまいそう。

でも俺は無趣味of無趣味なのでもう人生が終わってる。

ゲームは飽きた。

テレビは持ってない。

映画アニメも見ない。

漫画ジャンプラを少し読むだけ。

音楽聴かない。

推し活しない。

彼女いない。

友達いない。

運動苦手。

なあ…もう詰んでるよな?

唯一食べることはかろうじて興味あるが、三日間カレーでも大丈夫なくらい、無頓着だ。

はてな匿名ダイアリーはちょくちょく見たり書いたりしてるけど、生産性もないし特に喜びもない。

のしないガムを噛んでるかのようだ。

このままじゃ宗教にハマってしまうかと思ったけど、残念ながら無神論者

政治ニュースくらいは見てるし、陰謀論にもハマらないと思う。

創作意欲もないし、かと言って受動的な趣味にもハマらない。

観葉植物は枯れた。

酒は飲まない。

タバコ吸わない。

ギャンブルはやらない。

投資NISAだけ。

婚活興味ない。

ほら、詰んでるよな?

AIに聞いたら「そうやって自己分析されてるのは尊いことです!」って言われた。

無理矢理褒めた感エグい。

旅行苦手。

コンサート苦手。

美術館感動しない。

登山ダルい

コーヒー飲まない。

YouTube見ない。

ショート動画見ない。

インスタやらない。

Xはアカウントだけ持ってる。

くそっ何かないのか?

一応、太り気味なのでダイエットしてる。

しかし、もし痩せたら、もう俺は本当に無趣味だと思う。

から俺は逆に痩せてはダメだと思う。

ダイエットしてるということで、なんとか自我を保っている気がするから

このまま小太りのまま、昼から仕事する。

別にうつとかではないと思う。

仕事はできるし、ネガティブ気持ちもないから。

ただ無趣味なだけ。

もう仕方ない。

このまま生きるとするか。

2025-11-04

自分の子供は他人にとって、そんなにかわいくない

子どもができて気づいたんだけど、自分の子どもって、他人から見たらそんなにかわいくない。

もちろん言葉の上では「かわいいですね」って言ってくれるけど、あれは挨拶みたいなもので、内容なんてない。コンビニで「温めますか?」って聞かれるのと同じレベル社交辞令だ。

それでも、自分にはかわいく見える。不思議だ。

鼻水を垂らして泣いていても、朝起きて髪が爆発していても、なぜかかわいい

かわいいというより、「生きてる」ってだけで、尊い。その基準他人とズレていく感じがする。

たぶんこれって育児に限った話じゃない。

ペットもそうだし、ぬいぐるみもそうだし、推しもそうだ。他人から見たら「そこまで好きになる?」っていう存在。でも本人にとっては、その一点だけが現実をつなぎ止めている。

SNSを見てると、自分の子ペット推しを載せて、「かわいい!」って言い合ってる人たちがいる。それを冷めた目で見る人もいるし、共感して「うちの子も~」って言う人もいる。

でも、どちらも正しいと思う。かわいいって、主観しか存在しない。それを他人と共有しようとすると、どうしても“ノイズ”になる。

自分の中の愛情って、外に出した瞬間に少し形が崩れる。それでも人は、誰かに見てほしい。

「ねえ、見て。うちの子かわいいでしょ?」って。誰かにそう言いたくなるくらいには、孤独なんだと思う。

他人かわいいは、たいしてかわいくない。

でも、自分かわいいは、人生の一部になってしまう。この差が、たぶん人間限界であり、救いでもある。誰もが自分かわいいを守りながら、少しずつ老けていく。

2025-10-23

anond:20251023150419

そこまでぶっ飛んでるとインタビューっぽくこのカップリングのどこが尊いんですか?とか詳しく聞いてみたくなるかもしれない

高市総理誕生で脳が壊れちゃった人が可哀想

嫌いな人がいることは当たり前だし、攻撃性も誰しもが持っているとは思うけど、それを表に出す時に理性的コントロールできなくなった人が増えてしまった印象がある。

自分が持っていたはずの尊い思想すら棄損するほと中傷をしている人を見ると悲しくなる。誹謗中傷に反対していたはずなのに、差別に反対していたはずなのに見た目や思想が気に食わない相手攻撃し続ける。

こういう人はどうしたら治ってくれるのか。もう戻れないのかな。

2025-10-20

年を取ると、養ってあげたいと思えるようなかわいい女が本当にいなくなる

もちろん逆もそうで、支えてあげたいと思えるような男もいなくなる

これは恋愛が冷めたとかじゃなくて、単に市場構造の話なんだよな

若さって、男女どちらにとっても最強の交換価値なんだよ

でも年を取ると、それを代わりに埋められる魅力を持てる人はほとんどいない

そしてその現実を受け入れずに、若い頃と同じように愛されたいと思ってる人が多すぎる

結果、誰もが需要のない市場で苦しむことになる

性教育で教えるべきなのは、性のモラルよりも恋愛経済構造なんじゃないかと思う

愛は尊いものじゃなくて、供給需要で動いてるって現実を知ることのほうがよっぽど大事

年を取ると結婚しにくくなるのは当然のことだ

市場価値が減るのに、価格理想)だけは下げない人が多すぎる

から恋愛破綻する

綺麗事よりも、まずは現実直視するところから始めたほうがいい



追記

やっぱりこれは義務教育で扱うべき話だと思う。

年を取っても年寄りなりのかわいらしさとか性欲的な色での繋がりはあるが、それを若い世代と同じ「市場」で語るのは違う。

ここでも、多くの人が混同しているんだから

そこを区別できていないから、現実とのギャップ生まれる。

実際、中年世代でのマッチングは難しく、熟年になるとさらに厳しい。

年齢とともに恋愛の質は変化し、若い頃のように誰かを養いたい支えたいと思える関係を作るのは難しい。

結局、中年や熟年で結婚がうまくいかないのは、こうした関係性を築くのが構造的に難しいからだ。

恋愛結婚感情論ではなく社会構造生理的欲求として理解する教育必要だと思う。

人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊ってるだけ?

人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊っているだけ」という言葉には、人生不条理社会混沌に対する諦め、あるいは皮肉な観察が込められています

ユダヤ教的な視点から見ると、この考え方は一面の真理を含みつつも、最終的にはユダヤ世界観とは異なる方向を指しています

1. ユダヤ教における時代の「狂気

タナハ(聖書)にも「狂った時代」についての意識はあります

たとえばコヘレト伝道の書)にはこう書かれています

「すべてのことに時があり、天の下の出来事には定められた時がある。」(コヘレト 3:1)

まりユダヤ教世界の混乱や理不尽さを否定しません。人間は確かに時代の流れに巻き込まれときに「狂ったように」見える世界を生きている。

しかし、それでも世界無意味ではなく、神の意志の中にある秩序が存在すると教えます

2. 「踊る」ことの象徴

「踊る」という比喩も興味深いです。

ユダヤ教では、踊りは単なる気まぐれではなく、神への喜びや生命への感謝表現です。

たとえばダビデ王が契約の箱の前で踊ったとき

ダビデは主の前で力の限りに踊った。」(サムエル記下 6:14)

この踊りは狂気ではなく、霊的な高揚の象徴でした。

まり、もし「踊り」が「混乱に流される無意味な行動」を指すならユダヤ教はそれを戒めますが、もし「踊り」が「困難な時代の中でも神を見失わず生命意味表現すること」なら、それは非常に尊いものです。

3. ユダヤ視点からの応答

ユダヤ教人間を「ただ狂った世界で踊る存在」とは見ません。

しろ人間ティクンオラム世界の修復)、すなわち「世界をより良くする責任」を負う存在とされます

世界が狂って見えるのは、私たちにその混乱の中で意味見出し、行動する使命があるからです。

正義を行い、慈しみを愛し、謙遜あなたの神と共に歩むこと。」(ミカ書 6:8)

これは、「狂った時代に、どう踊るか」を示すユダヤ的答えとも言えるでしょう。

まとめ

2025-10-19

何でも体験価値を人と比べちゃう

新しいポケモンゲームやってるんだ。

私が楽しそうにやってたら、小1の長男が俺もやってみたいっていうから貸して、2人でやってる。

ポケモン捕まえるのは私より長男の方が上手いくらいで、私が捕まえられなかったデリバード捕まえてくれた。

私がデリバード好きで部屋にデリバードぬいぐるみ飾ってるから長男も私がデリバード好きなの知ってて頑張ってくれたんだ。

捕まえてくれたの私も嬉しくて、長男にお礼を言ったら長男も嬉しそうだった。得意げな顔がかわいかったな。

それはまあ良いんだけど、SNS見てるとレア色違いとかそういうのがいっぱい流れてくるだろ。

攻略とかレアなやつとかそういうのがたくさんいいねされてて、私はゲームの中で下層だなって思っちゃうんだよな…。子供ゲームした思い出なんてすごく尊いもののはずなのに。

ゲーム内でこんなことできた!みたいなの、まあ今の世の中攻略見たらすぐ誰でもできるもんね、みたいな気持ちなっちゃう。

何なんだろうこの感じ。

万博子供と行けて、子供もすごく楽しそうで良かったんだ。

でも私は世界に何も発信していない。誰からいいねもない。価値あることのはずなのに、なんか自分経験はいいねが多い人の経験より価値がない気がしちゃうんだ。

やっぱりSNSなんて見ない方が幸せなのかな。

何をするにも全部自分より上がいるのが見えるだろ。その無力感というか。

なんか虚しいよな。幸せなんだけど自分なんてな…って思っちゃう感じが嫌だわ。

まあ明日イーブイ捕まえられると良いな。どこにいるのかな。見つけたら長男きっと喜ぶだろうな。

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