はてなキーワード: 入学とは
私は義務教育を受けていない。
正しく言えば小学校、中学校にまともに通っていない。所謂不登校だった。
そんな自分が今23歳となって社会人をやっていて強烈に感じる弊害と、どうしてそんなことになってしまったのかを綴っていきたい。頭が悪いということの行く末は孤独と搾取という気がしていて怖いのだ。
まず、私は簡単な計算が出来ない。親いくつ?って言われたときに「51です」と答えるとじゃあ27歳の時に産んでるんだ!若いね!などと返してもらえる。私はその計算が出来ずに頭の中でひっ算をしているうちに会話が進んでいた。
優先順位が自分で立てられないのだ。その場で目についた物だけを進め、何で期限が今日までのものに何も手を付けてないの?といったことが何度も起こる。
また、人と会話ができない。言葉が出てこないのだ。日常の些細な雑談でさえ、言葉が詰まり、人を困らせる。
そうなるに至るまでの過去を振り返る。
私の栄華は小学3年生の頃だった。
ある程度裕福な家庭で、欲しいおもちゃはたくさん買ってもらって、小学生が憧れる可愛い物を沢山持っていたからクラスでも友達が寄ってきてくれていた。
だから私は図に乗った。友達も世界も全部自分のものという無敵感があった。クラス新聞を自分の漫画で埋めたり、クラスの皆とカラオケに行ったとき(本当は規則違反なのでこっぴどく叱られた)私以外に曲を歌わせないなどの粗暴さを見せていた。その結果やはり友達がいなくなったし、クラスから孤立した。そのまま学校へ行けなくなり、私は中学受験をする為の塾に行くことで日々を過ごすようになっていた。保健室登校という言葉がじわじわ出始めたくらいの頃で、当然保健室にも居場所はなく、私はコミュニケーションをとる相手といえば家族と塾の先生だけ、という状態になっていた。なんとなくカウンセリングに通いながらも結局学校には馴染めず、そのまま受験して合格した中学校に進学した。その中学校はその当時の私の偏差値では受からないと思われていたけれど、受験できる時期が早かったから練習用に受けてみた本命ではない学校だった。私のレベルより遥かに偏差値が高かったのだ。そこに何故か受かってしまい、そのまま入学。今思うとそれがいけなかったのかもしれない。
鮮明に覚えているのは、社会の授業中に先生に当てられて、世界の大陸名を答えられなかったとき。ひどく恥ずかしく、体調が悪いと嘘をついて教室を逃げ出したことを覚えている。その後もとにかく私は勉強についていけなかった。数学と英語はいつも赤点。補修のメンバーは毎回帰りの会で名前を読み上げられ、それが恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかった。友達と話していても私だけ落ちこぼれの劣等性という烙印が頭を離れず、常に焦っていた。私はそこでまた逃げ出してしまった。学校に行かなくなるのだ。そして、小学生の時のように受験勉強をするでもなくアニメにどっぷりハマってしまった私はオタクとしての黒歴史をバッチリ残しながら、授業も受けず過ごしていた。
その結果私は義務教育で身につくはずの基礎的な知識、友達とのコミュニケーションの取り方、一つの物事をやり遂げる忍耐力、多少の理不尽に耐えるごく普通の精神力、そういった物が全て身につかないまま義務教育期間を終えてしまった。
高校は出ているがそれもやはり不登校であまり通えていない。その後2年間フリーターをした後専門学校似通って卒業して社会人をやっている。)
私が今思うのは「逃げてもいいよ」という言葉の怖さだ。私はとにかく甘やかしてもらっていた。辛いなら逃げていいよ、学校に行くのが苦手なら休んでもいいよ、と。でもそれは結局将来の私がこのように苦しむ結果になってしまった。一度も努力をしたことがないから忍耐力がなく、すぐに投げやりになり、何もうまくいかない。勉強をしていないから物事を知らない。記憶をしておく力を持ち合わせていないから人との会話も覚えていない。とにかくどうしようもない。
もう、若いからで済まされる次元にもいられなくなってしまった。私はどうしたらいいのだろう。全ての事柄から逃げてしまっていたツケが回ってきている。こんな私の人生に挽回の余地はあるのだろうか。辛くて情けない毎日を送っているうちに鬱にもなってしまった。正直もうどこから手を付けていいか分からない。高い学費を払い続けて私を育ててくれた両親に申し訳なくて涙が出る。頭が悪くて、死にたいのに死ぬための知識もないんだ。
悠仁さまがご入学されて以降、学問の自由と大学自治が危ういらしい。
https://note.com/kawakamikoyo/n/n7574a7ba2565
すでに卒業から5年以上経つものの筑波大学出身者として興味深く読んでみた。
1. 建物の出入り口に警備員が配置され、入館に学生証の提示が必要となった。学生証を忘れたら別途入構許可を取らねばならない。
3. サークル施設の施錠後にたむろっていたら警備員に解散を促された。
妨げないでしょ。
図書館や研究棟のように学生証が必要な場所があるのは以前からなので、学生証を忘れたら云々のくだりはまったく共感できなかった。また、学生証の細則にも学生証は常に携帯することとの記載がある(これ自体気に食わない、という意見はあるだろう)。ちなみに、私は学生証と運転免許証を身分証として両方とも常に持ち歩いていた。
妨げないでしょ。
学外者って大学の授業がどの教室で行われるか知る必要ある?ないよね。私は元々ないと思ってました。とはいえ私が知らないだけで、世間には学外者だけど授業がどこの教室で行われるか知らないといけない人がいるのかもしれない。大学とは関係ないけどその人に教室情報が渡らないと学問の自由と大学自治が危うくなる、、、いるのか?てかいていいのか?
妨げないでしょ。
note筆者のサークル施設がどこかは知らないけど、場所によっては近隣住民や研究棟の学生から苦情が来ることもあるし安全管理上はさっさと帰ろと言われるのは当たり前だよね。私の時代にもあったし、むしろ警備員さんに迷惑かかるから解散後は速やかに移動というのはサークル内で暗黙のルールでした(新入生が最初に上級生から叱られる恒例行事のひとつ)。大学設備を使わせてもらってるしね、こういう持ちつ持たれつの関係を維持するのが「自治」ではないかと思うのだけど。note筆者には声高に注意してくるのはハズレの警備員だし集会の自由の権利侵害らしい。んなわけないだろ大学敷地内だぞ。てかそういうモラルの欠けたサークルがいるから利用時間が制限されて善良なサークルが割を食うんじゃ。
最後の方では監視社会の訪れを危惧することが書かれてるけど、個人的な意見としては「理由ちっちゃ」でした。上記3点は学生のモヤモヤとしては理解できる(私も経験してきた)けど、社会人で共感してくれる人は少ないんじゃないかな。筑波大学生であるならば「悪魔の詩翻訳者殺人事件」も「筑波大学女子大生殺人事件」も当然知っているはず。前者は大学助教授が、後者は入学したての新入生が犠牲になった。両事件とも未解決です。これらの事件と今回の話を、開かれた大学と学内の安全をどうバランス取るべきなのかという観点から展開していたら、筑波大学を知らない人にも広く考えさせる投稿になったのではないかと思います。
悠仁様を押す悠仁様派の学者の一人として愛子様を押す週刊新朝などの週刊紙に異論を唱えたい。
1.正統な皇位継承者
正統な皇位継承者は秋篠宮殿下であり次が悠仁様だ。愛子様は皇室典範において継承者でないので愛子様を押すのは帝位簒奪行為である。
大学の推薦入試が増えてるのは全国的なことであり大学生の半分近くが推薦入学で入学する。問題だとは思うが現状そうなっている以上悠仁様だけの責任にするのはおかしい。悠仁様は一般的な大学生と同じように推薦を利用しただけだ。これは制度の問題だ。
私はこの意見がもっともおかしいと思う。現代的価値観に照らし合わせたら直系長子と言うだけで相続できること事態がおかしいのではないか?天皇家は多くの分家や親戚がおり源氏も平氏も天皇の子孫である。多くの日本のエリート層は広い意味で天皇の分家もおおい。現代的価値観に照らし合わせるというなら天皇を志願制にして選挙で選ぶべきではないか?
女性の活躍だのなんだの言われるが実業界で実績をあげている南部氏や襟川氏らの方が愛子様より実績があり伝統的価値観を許せないと言うなら彼女らを差し置いて愛子様が天皇になるのはおかしいだろう。
学校は都市圏の地域で2、3番手の共学校。四谷大塚の偏差値は、試験日程にもよるが大体59くらい。正直、第一志望として入学してくれる子は半分以下なのが実情で、
2、3番手でもそういうもんなのか。
人気は別学が多いってことなのかな。
現在7年目になる。
学校は都市圏の地域で2、3番手の共学校。四谷大塚の偏差値は、試験日程にもよるが大体59くらい。正直、第一志望として入学してくれる子は半分以下なのが実情で、悔しいところだ。ただ、なんだかんだ言って華々しい進学実績を残し、学校生活を楽しかったと言いつつ、卒業してくれる高校3年生も多いので、それを見るのはこの仕事の楽しいところだ。
そして、ここ何年かは、中学1年の担任をすることが多い。新たな目標を持って中学校生活を楽しんでくれる子達も多いが、一方で中受での学校選択のミスマッチによって子供が苦労したり家庭内でトラブルになる案件をよく目撃してきた。
そういう視点から、中受をする家庭に教員側から(まとまりはないが一応項目に分けて)確認しておいてほしいことを伝えたい。
これは本当に避けた方がいいです。
このトラップのせいで、生活習慣も成績もどんどん悪くなり、メンタル面も支障をきたす中1をめちゃくちゃ見た。
よくあるパターンとしては、家から通いやすい本命校の前に、アクセスは少し悪いが受験の日程の早い地域をお試し受験したら、その後の本命群は全落ちでそこしか受からず、少し遠いがせっかく中受のコストもかけたのだからと(あと往々にして本人のプライドの問題もある)入学してしまうタイプ。
よほどその学校でなくては、という目的がないのなら、家から学校まで2時間以上なら避けた方がいいとすら思う。以前ニュースで通学に1時間以上かかる中高生はうつ病のリスクが高いとか見たけど、それも納得する。公立の小学校に通っていたと仮定すれば、小学校までの距離は大したことない。それが急に、朝5時半に起きて、6時に家を出発して8時に登校。(私立中は往々にして、朝の補習やら朝の小テストやらが入ってくるので、正課のホームルームの時間よりも登校時間は早い学校も多いと思う。)放課後、部活をやって6時半に終わる。学校生活に慣れてくれば、そのあと友達とどこかに寄り道もしたい年頃だろう。家に帰って8時半(遅延やバスの渋滞もあればもっと遅くなる。)で、そこからご飯を食べてお風呂に入って9時半。私立中だから当たり前なのだが、宿題めちゃくちゃ出る。小テストの勉強ももちろんある。11時に寝たとして翌朝の起床時間は5時半なら6時間半しか寝られない。
12歳、13歳で、部活もやっているとくれば8時間は寝ないと疲弊してしまう。
そういうわけで、大抵どれだけ本人が真面目でやる気があっても、通学時間が長すぎる子はほぼ授業中にうとうとしているか突っ伏して寝ていて(惰眠ではなく睡眠不足なので起こしても起きないことも多い。ほっとくしかなくなる。)授業を聞いていなければ当然課題もできないので、分からなくて課題を出さなくなる。
三者面談で、授業中居眠りが多いですね、課題もあまり出ませんね、と伝えると親は子供を叱るが、正直本人のせいではないので可哀想だし、改善策がない(部活を辞めるくらい?)。
というか授業料払ってるのに家遠いせいで授業についていけなくなるなら、毎日ちゃんと8時間寝て家から近い公立中の授業受けた方がマシ。
2. 校風(管理型か自由型か)が子供に適しているかよく検討すべき。
正直これは12歳くらいだと、人格というか精神状況が不安定な子もいるので、適する環境を考えること自体難しいのだが、
うちの学校は完全な管理型。生活記録ノートをつけさせ、何時に帰宅して何時に学習を始め、何を勉強して何時に寝たかを記録して反省も書かせる。小テストは不合格であれば、放課後に何度も再テスト。課題は毎日出され、提出できなければ居残り。昨今珍しいくらいだと思うが、正直うちくらいの偏差値だとそこまでしなければ、自主的に勉強する子が少ないので、旧帝や早慶に行ける子が育たない。
このやり方は、
真面目に一つ一つタスクを潰していくのが快感で、教師と密に連携を取るのが苦ではなく、なんならその方がいい子なんからめちゃくちゃ伸びる。
ただ、例えば
・自分のやり方でやりたい
・自分の順番がある
こういうタイプはかなりの確率で不適応を起こす。管理型であるということは、説明会などでかなり伝えているつもりなのだが、そこを自分の子があっているか、をうまく判断できずに入学してしまう。(というかうちしか受からなかったのか。)特に反抗期を迎える中1〜中2あたりは、この学校や大人による管理や介入が極端に嫌になり、もはや(おそらくは反抗心から)勉強すら何もしなくなってしまう子が毎年学年に1〜2人いる。成績が下がり、学校も自分も嫌になる。怒られるから大人も嫌になる。そして、基礎が必要だったと気づく頃には完全に手遅れ。そういうタイプも見てきた。
こだわりが強い子が管理型の学校に入学することはお勧めしません。逆にお尻を叩かれて伸びる子が自由型に行くのもおすすめしません。
あとは、勉強も習い事もやらせたいタイプの家庭も管理型の学校は、正直うまくいかない。私立中なので月曜から土曜まで授業があり、日曜に休息と自分の勉強を進めてね、というのが学校が想定するスケジュールなのだが、日曜は1日クラブチームの練習で…とか言われちゃうと、そのハードスケジュールに耐えられるキャパが無ければ、疲弊して課題も追いつかず(出さないと結果居残りになったり指導されたりで子供の気分も下がるだろう。)、子供がしんどい。教員の立場からは、もちろん習い事を辞めろとは家庭に言えないが、正直な話、他にやりたいこともあるなら自由な校風の学校や、土曜授業がない学校、もしくは公立を選べばいいのでは…?と内心思っている。
3. お金を払っているのだから公立よりもいいはず、ではない。
これは特に、生徒層の話。
本人が中受を希望した理由として、「地元の中学が荒れてるから」「小学校の時に学級崩壊していて同じ中学校に進学したくなかったから」という理由はかなり多い。
多分相対的に見れば、生徒層は落ち着いているのかもしれないが(とりあえず全員が席に座って話を聞くことはたやすい)、トラブル、いじめ、授業崩壊や学級崩壊がないわけでは全くない。
というか、勉強のストレスからくるいじめや問題行動はかなり多く、生徒指導案件も多い。
・親が子供に期待やプレッシャーをかけすぎていて、親子関係がうまく行っていない。自己否定からの自傷行為や、ストレスからの、いじめなど問題行動に走る。
・学力的な知能は高いが、発達に問題を抱えており、コミュニケーションが苦手で攻撃性が高い子が周囲とトラブルになる。
この2つのタイプは、最近になって本当によく見る。ただ、家庭環境や本人の特性は仕方ないことであるのと、本人に非はないので、SCやカウンセリング、心療内科の紹介などが必要になるが(これは学校にもよるが)私立の場合、勉強に特化したプログラムや人員配置のため、この辺が公立と比べて手薄なこともままある。また、このようなトラブルやメンタルの不調、自傷行為についてを、親に知られたくない、と話す子も多く、その場合はマジで詰んでいる。
自分が言うのも心苦しいのだが、昔は違ったかもしれないが私立だからいい先生がいる、というのは正直もう期待しない方がいい。(最上位の伝統校などは例外だと思ってほしい。)
教育現場の働き方の改善が世間に追いついていないのは、叫ばれ始めて久しいが、もちろん私立も例に漏れず同じである。というか、私立の方がブラックなことも多々ある。先ほどちらっと言及した、朝の時間の補習や小テスト、課題の居残り、土曜授業。この辺は私立だから発生している業務だろう。もちろん部活動もある。加えて公立にはない業務として、休日の学校説明会など生徒募集のための広報活動がある。13連勤は、あるあるです。
そして、もう一つ私立だからこその問題点。一流大学を目指させることが前提の私立校なら、教員の学歴も、そこそこのものが期待されるだろう。もちろん教員という仕事に対して熱意を持って、辞令を受け取る若者もいる。しかし、この就活売り手市場の状況で、そこそこの学歴がある若者が13連勤当たり前の環境を選ぶだろうか…???雇用の流動性の活発化から転職を選ぶ教員も多い。
この辺をよく考えてみてほしい。
私は「バイブコーディング」と別れることにした。その理由を説明しよう。
大学の情報系学部に入学した頃、初めて作ったウェブアプリは教授の評価基準には遠く及ばなかった。「コードの構造化ができていない」と指摘され、基本的なフォームのバリデーションすら理解に苦労した。実習の時間に発表した時、クラスメイトの質問に上手く答えられず冷や汗をかいた。提出期限前日には大学のPC室に残って徹夜し、それでもアプリは不安定で、UIは粗削りなものだった。
でも少なくとも全て自分の手で実装した。Stack Overflowのコードを参考にしながらも、自分で考えて書いた。どんなに質が低くても、そのコードには私の試行錯誤と、友人たちとのデバッグの記憶があった。それは誰も奪えない自分の財産だった。
それが、生成AIが登場してから状況は一変した。課題は提出期限までに余裕で完成するようになり、エラーも数秒で解決するようになった。卒業研究のプロトタイプもAIに頼れば、わずか数日で作れるようになった。
ある日、就活の面接から帰る電車の中で気づいた。この半年間、何一つ新しいプログラミングパターンや設計思想を自分の力で理解していなかったことに。確かにAIを使って卒業研究は華々しく進めたけれど、頭から離れない質問がある。自分で書いたコードがほとんどないのに、エンジニアになる資格があるだろうか?
そのとき思った。コーディングは単位取得や就活アピールのためだけではない。それはプログラミング言語を学ぶようなものだ。考える過程が大切なのだ。問題解決へのアプローチが重要。それは技術者としての本質的な成長なのだ。
そして、AIにこれらを奪われる準備はまだできていない。私は再び基礎のテキストを開き、自分のコードを書くことに戻る。たとえ就活の自己PRで派手な成果が語れなくても、たとえ周りの就活生が「時間の無駄だ」と言っても、ゆっくりと、意図的に。
無償ならって私学に行こうとしている貧乏人は世間知らずなんだろうなって思う。
まさにこれなんだよな。
え?高校無償化って生徒を集められなくてつぶれそうな私学を支援するってだけしょ?あとは誰得なのって思う。
無償ならって私学に行こうとしている貧乏人は世間知らずなんだろうなって思う。
入学金、授業料をただにしてもらっても、"任意"のイベントへの参加費は自腹になるってことを理解してない。
私学って私学に入るだけの学費を*余裕で*払える人がターゲットなんだよな。
だから、それなりの額になる"任意"のイベントへの課金は当たり前だし、イベントに参加できるクラスメイトとの貧富の差を改めて認識することになる。
イベントはお食事会みたいなものからプレゼントみたいなもの、研修旅行みたいなものまでいろいろとあると思うけれどさ。
まあ、学校だって人間がやっているんだから寄付金をはずんでくれる人とそうじゃない人には当然差がつくと思うんだよな。
大人になってこの辺の仕組みがわかってから改めてギリギリ私学に行っていた自分を思い起こすといろいろと思うところがあるんだよな。
「トイレ研究」で東大に入学した“21歳女子学生”の野望 「男性用・女性用以外の“第三のトイレ”を当たり前に」
2016年度から導入された東京大学の学校推薦型選抜(推薦入試)は、今年で10回目の入学者を迎えた。これまでの合格者は全学部合わせて802人。そのうちの一人、原田怜歩(らむ)さん(21、経済学部4年)は、中学生のころから公共トイレの調査・研究に打ち込んできたトイレ研究家だ。いまは「トイレの選択肢を増やす」ことを目標に公共トイレのデータ化、配置の最適化などを東大で研究するかたわら、それを社会実装するための手段として自身でプロデュース会社も経営している。「トイレ」で東大に入った女子学生とは一体どんな人物なのか。
原田さんにとって、トイレは小学校時代からの関心事だった。なぜなら仲の良かった友人が、男の子として生まれながらも、女性としての性自認を持つトランスジェンダーだったからだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d16cbe8af6ba9b65020a267415b41bfe8ac41310?page=1
東京は市は広いけど区は狭いんだよ
そして、実物を確認しやすいという意味ではやっぱり地方は東京には勝てない
見本のランドセルの中の一部のランドセルを東京の一部の店舗にしか置いてない企業がある。
それで、とある親子がランドセルの候補を2つに絞ってたんだけど
親は東京に日帰り旅行して現物のランドセルを見に行こうよと話してたんだけど
子供は途中で、東京にしか見本がないものじゃないほうのランドセルを選んで、親も「じゃあ東京には行かなくてもいいね」ってことになったんだよ
それが、子供が小学校入学後、やっぱり東京にしか見本を置いてないほうのランドセルにすれば良かったと言い出して、
親も東京まで言って、候補だったランドセルの実物を見せればよかったと後悔したと言ってる。東京まで行けば候補のランドセルを子供の目の前で2つ並べてどれにする?と聞くことができたのに。そこまでやって、東京にしか見本がないランドセルじゃないほうを選んだとしても、親は現物を見せた上で子供に選ばせてるわけだから、親としては子供のために全力を尽くしている。
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
うちの高校は卒業生の母校愛がめちゃくちゃ強くて、かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
1億積まれても入れたくない。
超優秀な学生や強力なコネを持つ学生でも無ければ、一部上場の企業などには就職できるチャンスのなかった世代である。
ほぼ運ゲー。
私は運が良かった。
なんとか上場企業に就職できて結婚、子供2人。20年前に東京本社に転勤。低金利真っ只中で、23区内にマンションを購入。
その学費と家のローンを除いてしまえば、正味の生活費部分は、年収200万の非正規雇用のそれとたいして変わらないはずだ。
海外旅行なんて新婚旅行の時だけ。パスポートはとっくに期限切れ。
国内旅行の余裕も無い。
もうこの際、退職して生活保護でも受けようかなとわりと真剣に考えたが、親兄弟が存命で、住宅や金融資産があるため、そもそも生活保護の対象になりえない。
だから、高校無償化とかされても、もはや我々世代には全く響かない。
バカみたいに払っている税金が、バカみたいなことに使われてしまう。
もうウンザリだ。
人に投資するよりも、河川が氾濫しないような国土整備に使ってくれ。
この30年で会社はどんどん大きくなり、いつのまにかグローバル企業になってしまった。
昇給は若者世代に手厚く、40-50代はほぼ据えおきだ(弊社の場合だが)。
人事部の説明によると、若い世代の給料を良くしないと、優秀な新卒を採用できないのだそうだ。
仕事では今や英語とAIは必須で、生活の空き時間はそのための勉強に消費される。
見る余裕もない。
ラジオのほうを良く聞くかな。「ながら」でいろいろ出来るから。
夜は疲れ果てて寝るだけ。
Youtube見始めると止まらないので、スマホにはなるべく触れないようにしている。
こんな世代の我々に対して、与党も野党も、70歳まで働けという。
バカ言え。
奴隷が喜んで働くわけないだろ。
昔みたいに50歳で定年退職して、余生を楽しみたいよ。
医療が発達し、栄養状態が良くなったせいで、80を過ぎても生きねばならなくなってしまった。
70歳まで働いたとして、やっと自由が手に入る頃には、体も脳もうすっかり衰えてしまっているだろう。
23区とはいえ、近所の商店街はシャッター通りとなっていて寂れている。
東京ですら、町行く人々は茶色か黒い服を着たヨレヨレの年寄りばかり。
電車や夜の繁華街は太った欧米人や原色ファッションのアジア人ばかり。
百貨店店員は外国人には接客するくせに、我々には見向きもしない。
夜ともなれば肌の浅黒い外国人男性たちが近所の公園に集まり、スマホ片手にぶらぶらしている。
少し、話が逸れた。
とにかく言いたいことは、もはや我々世代は疲れきってしまっているということだ。
極端な話、世界大戦レベルのクライシスでも起こって、地球上の全てがリセットされることを希望している。
トランプかプーチンが核ミサイルの発射命令ボタンを押してくれないかな、と最近は密かに願っていたりする。
が、親兄弟や子供たち(例えアホであっても)が苦しむ姿は見たくない。
だから、痛い思いをせずに、幸福感に包まれながら安らかに死ねる薬を無償で配布してくれ。
私が政治に言いたいことは、それくらいだ。
あと10年以内にAIで不老不死技術が実現するって、本気で信じてる。
そんな世界が来るってのに、今さら努力とか馬鹿らしいにもほどがあるだろ。
そう思った俺は、妹が入学予定だった医療系の専門学校に入学辞退の連絡を入れたんだよ。
なぜか妹ブチギレ。
「勝手なことするな!」って、机叩きながら怒鳴られた。
でもさ、考えろって話だろ。
5年以内には、全部AIがやるようになるに決まってんじゃん。
わざわざ数百万も無駄金使うとか、ありえねーだろ。
だから俺、熱弁してやったんだよな。
そしたら妹、「ふざけんなテクウヨ野郎!」って泣きながら叫んできた。
正直、ちょっとびびった。
俺はただ、妹の未来のためを思ってやっただけなのに。
妹がこんなに愚かな人間だとは思わなかった。
付き合っていたのは1年にも満たなかったけど振られて別れて年単位で引きずったひと。
私の結婚前に再会して何度か飲みに行ったり結婚出産後に全然別の繋がりがあったりして、友人としてのお付き合いはあったけど
あちらの結婚後は勿論会うこともなく、道で見かけた際に「いたねー」って連絡がくる程度だった。
保育園で時々話すママがとっても感じが良くて可愛くて、仲良くなりたいなーと思って送迎時に雑談していて、
旦那さんがその人であることが判明したのが数年前。当時は驚愕したw
その後イベントごとや送迎で彼と遭遇することもあり何とも言えない複雑な気持ちが沸く中で子供が保育園卒園→小学校に入学。
幸い(?)彼の子とは全く別の学区だったのでようやく縁が途切れた…はずが、その後も頻繁ではないながらも子供繋がりでお付き合いが続いている。
彼に対しては、友人として再会後は未練はなかった。
忙しい夫に対する心の中の当てつけで結婚後何度か飲みにいったことはあったし、
あちらにその気があったらもしかしたら流されたかもしれないけどは彼も私のことを完全に友達と思っていたし、
私自身浮気をする甲斐性もなかったのできっと何もなかったんだと思う。
ただ、付き合っていた当時具体的な結婚話があり彼との結婚を夢見た過去があったせいで、
子供のお友達のパパとして再会し家族ぐるみでのお付き合いが発生した今、彼の家庭人としての姿を見ていると
そして今まで彼の奥さんは「男友達の奥さん」という“面識のない”存在だったので気兼ねなく連絡できていたのに、
図らずもママ友になったことで「やましいことが何もなくても連絡するのに気を遣う存在」になってしまったのが面倒臭い。
彼との共通の友人と「意外な形で繋がってびっくりしたよー!」とかも、もう直接連絡取れないじゃん。
つまんないの。
どうにかなりたいわけじゃない、不倫したいわけじゃない、だけど他愛もない話を連絡できる男友達がいることによって保たれていた
安心感?優越感?なんだろう、そんなものが得られなくなって寂しい。
私は、彼の女友達で居たかったんだよ。奥さんのママ友じゃなくて。
友達が一人いなくなって(いなくなったわけじゃないけど)寂しい、みたいな。
表現するならそんな感じ。ただただ残念。
社会人になって数年。
上司にはずっと「物覚えが悪い」と言われ、趣味や楽しみもなくなって毎日無機質なルーティン生活を送っていた。
大学入学ころから頭にぼんやりと霧がかかり、まるで他人の生活を見守っているような人生を歩んできていたが、就職もでき、生きていけていたので「こんなものか」と感じていた。
しかし最近は30秒前に指示されたことを忘れたり、食べたいものが分からなくなったり、何時間寝ても疲れが取れずと、仕事にもはっきりと影響が出始めたので心療内科を受診することに決めた。
特に決め手になったのは、これまで「自殺は悪」だと思い込んでいたが、ふと「場合による」ことを知ってしまったせいで、希死念慮に囚われてしまったことである。
ぼんやりと「海で生涯を終えたい」という気持ちがあり、近場の海辺へフラッと散歩に行くことが増えた。
そんななか心療内科を予約したが、最近は患者が多いらしく、一週間後の診療予約となった。
もちろん、気持ちにも波があるのでキャンセルすることを何度も考えたが、「頭の中をはっきりとさせる薬をもらって帰ろう」という軽い気持ちで挑むことを決意し、ついに当日となった。
本当に驚いた。
今は一人暮らしをしているが、実家では「うつ病=甘え」という偏見が強く、まさか自分がという気持ちだった。
確かに、一般的な趣味や楽しいこと、旅行等をしてもあまり覚えていないため、ぼんやりと毎日を過ごしていたが、「勉強とかせず頭を働かせていないせいで知力が下がってるんだろうな」くらいの認識だった。
そして今、休職して約1か月になるが休職してよかったと思っている。
休職したての頃は仕事に穴をあけたこと、仕事をせず家にいるという罪悪感や将来への不安感でつぶされそうになっていたが、幸い少しの貯金があったのと周りの人の勧めで毎日好きなことをして、これまで欲しいと思ったものをたくさん買って自由に散財した。
すると、なんだか毎日が楽しくなってきた。
明日は何をしようか、今日はどこへ行こうか、ふと近所を散歩してもいいな、というポジティブな感情が湧いてくるようになった。
また、以前はゲームが趣味だったので、埃を被っているスイッチを取り出して遊ぶことも増えた。
早起きも出来るようになった。
ただ、実家のことや仕事のことを考えると頭が働かなくなり、無性に泣き叫びたい感情になるようになった。
鬱状態を抑える薬ももらっているので問題ないが、以前ではなかった感情なので自分を理解できていることなのかな、とポジティブに考えている。
いつかは乗り越えないといけない。
毎日やる気を出す薬を服薬している。
こうやってパソコン越しに感情を吐露出来ているのもこの薬のおかげ『だけ』かもしれない。
断薬が怖い。
家族が怖い。
職場が怖い。
将来が怖い。
たとえ診断を受けようが、薬を飲もうが、周りが優しくても負の感情は消えない。
そしてごめんなさい。
今まで不安も感じていなかったので、これも進歩なのかもしれない。
記録のためにここに残します。
同じような状況で悩んでいる人がいたら、参考になればいいんかな。
布団の中で天井を見つめ、自分の人生とはなんだったのかと考えずにはいられない。
それなりの大学に入学したが、そこで共産主義に傾倒し、学生運動に参加してからタカシの人生は変わった。
学生運動は楽しかった。生きているという実感があった。心を許しあえる友にも出会えた。
しかし、年を経るにつれ、友は皆結婚し、活動から離れていった。
何人かの友はたまに会うと、お前もいい加減現実を見ろと説教じみた事を言い、タカシの方から連絡を絶った者も多い。
学生時代に反発していた「大人」と同じ事を言う友が許せなかった。
50を過ぎたころ、インターネットが広まり、タカシはそこを活動の中心とした。
年相応に体力は落ち、デモ活動などにも参加するのが億劫になっていた。
そしてあの男が現れた。
タカシの魂は震えた。自分の生涯をかけて戦える相手を得られた事に。
安倍晋三の行いの数々にタカシは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の右翼の王を除かなければならぬと決意した。
タカシのキーボードを打つ指は止まる事がなかった。ひたすらに安倍晋三への批判を繰り返した。
しかし、そんな戦いの日々が終わる時は思ったよりも早く来た。
安倍晋三の死を伝えるニュースを見たときは、タカシは狂喜した。
ついに天罰が下ったと、狭いアパートの中で、雄たけびを上げた。
見ろ!これこそが民意だ!貴様の数々の行いの報いがついに銃弾となり貴様を貫いたのだ!
数日間高揚した気分でキーボードに向かったが、その頃から、タカシは自分の不調に気付いた。
人生最大の敵と見据えた安倍晋三の突然の死は、タカシの活動への熱い思いを奪い去っていった。
Twitterを見ない日はないが、そこに情熱はもうない。議論に参加する事はあっても、燃える物がなかった。
タカシは天井を見つめ、自分の人生とはなんだったのかと考えた。
「晋三、なぜ死んだ」