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はてなキーワード: 義務とは

2025-11-02

自転車に何度も危ない思いをさせられて気づいたこと。


今日夕方歩道を歩いていたら自転車に驚かされた。

ぶつかるんじゃないかってくらい接近した。反射的に身をよじった。心臓バクバクする。

相手邪魔だ、という顔をして去って行った。悪いのは私のような顔で。

別に今日が初めてじゃない。

この三ヶ月で何度も危ない経験をしてる。

スマホ見ながら走ってくる自転車信号無視で突っ込んでくる自転車歩行者がいっぱいいる歩道をわざわざ走る自転車

その度に思うのは、これ、原付だったら絶対違反じゃんってこと。

実際、原付歩道走ってたら、即座に警察に止められる。それなのに、自転車だと何ともない。むしろ歩道自転車歩行者の共有スペースみたいな扱いになってる。

これ、おかしくないか

先週、自転車乗ってる人に「すみません、危ないです」って言ったことある。そしたら「そっちがよけろよ」って言われた。本当に。

その瞬間、思った。

この人、ルールを知らないんじゃなくて、自分が優先だと思ってるんだ。

実は、自転車車道を走るのが原則らしい。歩道は特例的に許可されてるだけ。それも、徐行(時速6キロ以下)が義務

でも誰も知らない。誰も守ってない。

スピード出してる人ばっかり。

昨日も経験した。朝の通勤ラッシュで、歩道は人でいっぱい。その中を自転車が猛スピードで走ってきた。ベルを何度も鳴らしてた。

どけ、どけって感じで。

その光景を見て、ふと思った。

これって、混雑してるから車道は危ないって自転車乗りが判断してるんだろ。だから歩道を走ってる。

気持ちはわかる。でも、それで歩行者が危ないんだから意味がない。

結局のところ、ルール問題じゃなくて、意識問題なんだと思う。

自分がどれだけ危険乗り物に乗ってるのか、理解してない。

実際、自転車も高速で走ったら致命的な怪我を与えられる。死亡事故だって起きてる。

でも、自転車乗りたちは自分たちを歩行者の仲間くらいに考えてる。

あと自転車運転免許必要ないことが助長してる。普通乗り物運転するには、安全教育を受けて免許を取る必要がある。でも自転車は、試験なしで乗れる。ぶっつけ本番だ。

考えてみたら、これって制度設計として変じゃないか

から、ここ数年、自転車の取り締まりが厳しくなってるんだと思う。

信号無視で捕まるとか、ながら運転罰金とか。

最初は、そういうの自転車にそこまで?って感じてた。

でも、最近の状況を見てると、仕方ないんじゃないかって思うようになった。

取り締まりが強化されることで、初めて自転車ってそういうルールなんだって気づく人が出てくるから

私の友達自転車通学してるけど、先月信号無視で止められたって言ってた。その時点で初めて「あ、自転車交通ルール対象なんだ」って気づいたらしい。

それまで、何もルール知らずに乗ってたんだ。

多分、大多数の自転車乗ってる人がそんな感じだと思う。

から、一度しっかり「リセット」する必要があるんじゃないか

自転車に乗るには守るルールがあります。守らないと罰せられます

この基本を、社会全体で浸透させる必要がある。

今の状況では、歩行者が常に怖い思いをしてる。毎日が綱渡り

正直、もう疲れた

から、取り締まりが厳しくなるのは、賛成だ。

「でも自転車乗るのが不便になる」って意見もわかる。でも、歩行者にとっては、今の状況がすごく不便だし、危険だ。

どっちを優先するかって言ったら、歩行者だと思う。

歩道歩行者のスペースだから

自転車乗りだって自分歩いてる時は、自転車に危ない思いさせられたくないでしょ。

それなのに、いざ自分が乗ると歩道走って何が悪いって顔になる。

その矛盾に気づいてほしい。

もしかして、取り締まりが厳しくなることで、その矛盾に気づく人が増えるのかもしれない。

そう考えると、取り締まり強化は必要措置なんだと思う。

道路交通法令の欠陥〜二段階右折と赤信号

自転車や、一定場合原付など、一定車両二段階右折をすることがある。これについて法令に欠陥がある。

* *

説明

さて、二段階右折フェーズ分けをすれば

交差点前の停止線超える→直進→右への方向転換→直進

である(前提あり→※)。

前提のもと、いくつかケースを考える。

(1)まず交差点進入開始時にまっすぐ前にある信号機、これが二段階右折の全フェーズで青のまま変わらなかったケース。特に問題はない。

〘青〙直 換 直

(2)続いてのケースとして、前記の位置にある信号機が、1個目の直進のフェーズで黄から赤に変わり、その後はその直進の完了まで変わらなかったケース。そのまま赤のまま変わらなければ、右への方向転換と2個目の直進をしてもよい(してもよいというのは信号無視にはあたらないという意味)。知らなかった人のなかに、意外にも制限が緩いのだな、と驚く人がいてもおかしくはない。

(一例)

〘青〙直〘黄〙→〘赤〙→ 換 直 〘青〙

(右矢印は行為継続をあらわす)

(3)最後のケースとして、前記の位置にある信号機が、右への方向転換のフェーズ最中で黄から赤に変わったケース。この場合、赤に変わった時点で動きを止めなければならず、さらに赤から青になるまで、静止を続けないといけない。これらを遵守しなければ信号無視としてペナルティ対象となる。

(一例)

〘青〙直〘黄〙→ 換〘赤〙 「ここで赤が終わるまで停止しないといけない」 〘青〙換 直

(※2個目の「換」は方向転換再開という意味

おわかりいただけるだろうか。右への方向転換の最中に、黄から赤へ遷移するという出来事が起こったら、起こらない場合と比べて非常に厳しい行動制限がかかるのである

この差の大きさに合理性は見いだせない。

さらに言えば、方向転換と赤遷移が重ならないよう意図して遅く走れば、つまり意図してカッコ2 に持っていけば、停止静止義務を避けられる。

完全に欠陥である

(※→車両自転車信号機は上矢印(上0度)灯火の出ることのないもの

交差点は(一般的意味の)二段階右折最初の段階で停止線を超えることとなる交差点信号機は青黄赤青…の順で移ろうタイプであること、をそれぞれ前提としている。)

* *

※補足:規定の読み方

道路交通法施行令信号意味規定のみ考えればよい。

規定では、「右折」の語が使われるが、これが重要

青灯火の内容のうち「直進(…を含む。)」のところをみてみると、右折の語は、右への方向転換を指す狭義的なものとして使われている、とわかる

一般的意味の「二段階右折」を構成するうちの、狭義直進と「右折」は明確に区別されているとわかるため)。

次に赤灯火の内容。「既に右折をしている」文言現在進行の形、よってその号では右方向転換の最中である場合のこと(停止義務)が書かれていることがわかる。

他方で直進(一般的意味の「二段階右折」について順番どおり、直進、方向転換、[曲がらないでする進行]、の3つに分解したときの、1つ目の直進。

ただし停止線直前ラインを越えた後の部分)の途中で赤灯火に遷移したときについて、赤灯火のどの号も述べてはいない、つまりその場合、停止義務なし。

道路交通法 残念な法令 自転車二段階右折 特定小型原動機付自転車二段階右折

免許証入れないと動かない車

はあ、なんかそういうこと考える人はつくづく車社会から遠い連中だなと

ただでさえ輸送関連は規制ガチガチなのに、それに輪をかけてどうするんだよ

役所嫌いな草にやってることお役所仕事となんら変わらない

やはり老害が多いんだろうな

じゃさ、免許証差し込めば運転できるシステム義務推進していいから、すべての国民マイナンバーカード統治して税金全てを過不足なく徴収し、脱税も認めない国にしてくれるか?あらゆることがキャッシュレス田舎も都会も区別なくスムーズ物流が行き届く、最高の環境にしてくれよ

anond:20251102145558

入居条件に消防団加入が条件についてる物件なら、ある意味強制加入みたいなもんだし。

加入しないと村八分になるなら、ほぼ強制加入みたいなものだし。

田舎ってみんなで協力して暮らしいるから、どこにどんな義務があるのか知らないと怖いんよ

anond:20251102140842

障害者として雇用されてるの?人事としては法定雇用率達成したいからそこまで邪険に扱わないと思うんだけどなぁ。合理的配慮ももっとあってもいいんじゃないの?合理的配慮義務なんだし。

というか、部外者から純粋な疑問として車輪の再発明とかがされてようが放っとけばいいのにわざわざ絡みにいって公然と叩いてるのがようわからん

質問に応えてない、とかあるがそもそも応える義務あんのか?

2025-11-01

anond:20251101180158

AI作文では無く真実を書きましょう

警察という組織は、約30万人を擁する日本最大級官僚機構である

比較のために言えば、トヨタ自動車従業員国内でおよそ7万人前後

民間企業ならば、多少横道に逸れた部署個性的社員がいても「多様性コスト」として許容される。意外な部署が思わぬヒット商品を生むこともあるからだ。

 

しか警察は違う。

この組織は“失敗を許されない”という前提で動いている。命令系統は強固に一本化され、全員が同じ方向を向いていなければ機能しない。個人の創意工夫よりも、上から命令に対する絶対的服従が求められる。つまり職員は「考える歯車」として統制される必要がある。

 

30万人の人間を完全に一枚岩として統制するのは、常識では不可能に近い。

慎重に採用しても、一定数の「跳ねっ返り」は必ず出る。だが警察はそれを表に出さない。組織の統制を守るために、内部で処理し、表面上の一体性を維持する。

 

そのために、警察職員を徹底的に守る。

事故事件不祥事があっても、よほどの例外を除き、内部で処理される。

組織に逆らわない限り、人生保証する」――これは警察組織不文律だ。

上層部に逆らわない者は守られる。たとえ不祥事を起こしても、組織は庇い立てする。

逆に、組織に異を唱えた瞬間、全ての庇護を失う。

 

から警察官たちは、矛盾理不尽に目をつぶりながらも組織に従う。

この“安心感”が強固な統制の基礎となり、結果として巨大な官僚機構を維持しているのだ。

30万人のうち一人として反乱を起こさない――これは企業ガバナンスでは到底実現できない統制力である

 

不祥事報道でも、警察官が実名で報じられることはほとんどない。

処分は「懲戒免職」ではなく「依願退職」。退職金支給される。

温情ではない。理由がある。

警察の人事は法令により公示義務があるため、名前を報じてしまうと、後日「再雇用」や「関連団体への出向」を通じて職員が戻ってきたことが容易に発覚してしまうのだ。

実際、問題を起こした警察官が、一時的に関連団体へ出向し、数年後に復帰するケースは珍しくない。

警察には「〇〇協会」「〇〇研究所」「〇〇財団」といった関連組織が多数あり、これらが実質的な“待避場所”となっている。

 

要するに、警察は「雇用身分を徹底して守る」ことで、職員絶対服従へと導いている。

その代償として、組織正義個人倫理よりも優先される。

 

かつては警察人事の公示ウェブ上でも閲覧可能だったが、現在では多くの自治体が非公開または検索避け措置を取っている。

公開していても、PDF画像ファイルに埋め込まれ検索不能にしている場合が多い。

実際には、本部庁舎掲示板に紙で張り出されるだけ――それが現代の「透明性」の実態である

何度でも書くけど、この人の問題はあるけど、猟友会ジジイどもはほんっとに横柄」というコメントがつく背景について分析して

町議暴言とされる発言に焦点が当たり、それに対する猟友会の「出動拒否」という対応が報じられています

町議言動批判されるのは当然の流れかもしれませんが、

はてなブックマークコメントで指摘されている

猟友会ジジイどもはほんっとに横柄」

自分たちに頼らざるを得ないことを理解していて態度がデカくなっている」

という視点から猟友会側の構造的な問題や、なぜ彼らが「横柄」と受け取られ得るのかについて論じます

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000463540.html

1. 「代替不可能」な専門家集団という立場

クマ駆除は、単に銃が撃てるというだけでは務まりません。対象猛獣であり、市街地や民家近くに出没した場合安全確保、正確な射撃技術、獲物の回収・処理など、高度な専門知識経験、そして何より危険を顧みない覚悟が求められます

この危険かつ専門的な業務を、現実的に担えるのは(特に地方においては)地元猟友会メンバーに限られているのが実情です。彼ら自身も、そして行政住民も、「自分たちがいなければクマの脅威に対応できない」ことを熟知しています

ご指摘の通り、この「頼らざるを得ない」という状況、すなわち業務代替不可能性が、彼らの立場構造的に強固なものにしています。この優位性が、外部から要求批判に対し、強い態度に出る(=横柄と映る)土壌となっている可能性は否定できません。

2. 専門家プライドと「素人からの介入への反発

記事の中で、海田副議長は「こんなに10何人も来ないと駄目なのか」と、現場ハンターの人数に疑問を呈したことを認めています

猟友会からすれば、これは「現場危険性も作業内容理解していない素人からの口出し」と受け取られた可能性が極めて高いです。

安全確保のための見張り、クマを刺激しないための連携、万が一の反撃への備え、そして駆除後の(時に数百キロにもなる)クマの搬出作業などを考慮すれば、13人という人数が彼らの経験則に基づいた「必要最低限」であったのかもしれません。

副議長の主張によれば、これに対して猟友会側は「(クマを)引っ張ってみろ」と返したとされています。これが事実であれば、まさに「危険を知らない素人が口を出すな。できるものならお前がやってみろ」という、専門家の強い自負と素人への侮蔑が入り混じった反発であり、典型的な「横柄」と受け取られる態度と言えます

3. 危険報酬アンバランスと、「金目当て」という侮辱

猟友会活動は、多くの場合危険任務に見合った十分な報酬が支払われているとは言えません。むしろ地域貢献や義務感、あるいは狩猟者としての矜持(きょうじ)に支えられている側面が強いです。

そのような中で、今回の報道猟友会側が主張する(副議長否定暴言の中に、「金もらえるからだろう」という言葉があります

もしこれが事実であれば、命がけで出動している彼らにとって、これ以上ない侮辱です。自分たち活動の根幹である義務感」や「誇り」を金銭で測られ、貶められたと感じれば、激しい怒りや拒絶反応(=出動拒否)につながるのは当然とも言えます

日頃から行政住民から感謝理解が不十分だと感じている(あるいは、危険作業押し付けられていると感じている)場合、こうした「素人から無理解発言」は、積年の不満を爆発させる引き金となり得ます。その結果としての強硬な態度は、部外者からは「横柄」「態度がデカい」と映ることになります

4. 「閉鎖的な組織」としての側面

猟友会は、その専門性伝統ゆえに、外部から実態が見えにくい「閉鎖的な組織」と見られがちです。独自ルールや、師弟関係のような強い縦割り構造を持つことも多く、外部の論理(例えば行政コスト意識議会の介入)が通用しにくい側面があります

行政町議)側からすれば、彼らは「コントロールしにくい集団」であり、予算支出しているにもかかわらず、やり方や態度に口を出すと強い反発を受ける(あるいは、今回のようにボイコットされる)というジレンマを抱えている可能性があります

副議長の(とされる)「予算を減らす」「辞めさせてやる」といった発言は、まさにこの行政側の不満や無力感、「言うことを聞かない専門家集団」を力で抑え込もうとする不適切な試みであったとも解釈できます

結論

海田副議長言動が適切であったかは別問題として、ご指摘の通り、猟友会が「横柄」と見られがちな背景には、彼らが「危険業務を独占的に担わざるを得ない」という構造的な優位性があります

専門家としての強いプライド危険任務への自負、そして「素人には分かるまい」という意識が、外部(特に行政からの介入に対して過敏な反応や高圧的な態度として現れることは、想像に難くありません。

今回の騒動は、単なる一個人暴言問題としてだけでなく

危険鳥獣駆除を、高齢化が進む特定ボランティア組織猟友会)に依存し続けている日本社会構造のものの歪みが

町議との衝突という形で噴出した事例であるとも言えるでしょう。

自分バラでも買えば?みたいな

季節の変わり目に追いつけない体を抱えて、ベッドにうずくまった。

着重ねする必要がなくなったがゆえに、肌にかかっている布の軽さが物足りない。

「寝る前に換気して、空気を循環させた方がいい」という助言を律儀にまもり、手首のスナップをきかせて、窓を開け放つ。

カーテン呼応するように揺蕩い、爽やかな風が一気に部屋を満たす。

雲一つない藍色の空から、星ごと流し込まれたような心地よさ。額を撫でる風に目を細め、深く息を吸う。

外国人交流できるアプリを開く。

溜まっている「How are you doing?」に返す気が湧かないので、設定からアカウント削除」を選択し、すぐさまアカウントを作り直した。

ネイティブ言語日本 学びたい言語英語 

英語レベルは5段階。少し悩んで、3にする。レベルの横に、ドットが3つついたのを確認し、さっそく投稿を作る。

こんにちは、アキです。喋りたいかアカウント作成しました。チャット電話しましょう。」

なんどもアカウントを作り直してもなお、「アキ」を選びたくなるのはなんでだろう。呼びやすいからか、季節の秋が好きだからか、発音したときの響きが好ましいからか。

改名できるなら「あきらちゃん」になりたいな、と思ったことが何度かあるし、ニックネームアキちゃんと呼ばれたい。

本名はマ行とナ行で、どこか沼っぽく湿気ている。あきら、と声にしたときの、葉っぱをちぎったような爽快さに対するあこがれかもしれない。

投稿ボタンを押すと、少しの間もなく一つ目のいいねがつき、個人メッセージに「手を振る絵文字」が届く。

テンプレートの「調子どう?」「いい感じ」を数人相手に、三往復。

個人的に、チャットに含有される温度の低さが気に食わない。

だが、その日は、単調で使い古されたテンプレートを、目をこすりながら指で辿ることを選んだ。

4人を相手に、ほぼ同じ会話のキャッチボールをした。少しも色が変わらない自身の心を見やり、チャットルームを抜けたところで、「電話?」の無機質な文字列が目に入った。

電話しませんか、の8文字すら省略する、スナック菓子のような軽い姿勢に惹かれ、ポテチをつまむように「通話ボタン」を押す。

耳に届いたのは、岩が転がり落ちて割れたような、気だるげに崩した "Yo, what's up"だった。

20代大学生男子で、発音聞き取りやすいなと思ったら、ニュージーランド出身だった。時差が3時間程度あり、「オーストラリア日本の時差は1時間なのに」というと、「オーストラリアニュージーランドを一緒にしないで」と怒られた。

「それでさ、フィジックスがなにか説明できんの?みたいな」

だれた喋り方が、眠たい自分絶妙マッチしていて楽だった。

フィジックスがなんなのかすら知らない、というと「あー、ぶつりがく」と返してきたので、目を丸くした。

物理学って日本語知ってるの?」

「まあ、わかる」

日本語上手いね。どうやって学んだの」

「まあ…このアプリ始める前はなんもしゃべれなかったけど、なまけずに電話とかしたら上達した。で、物理学説明できる?」

やっぱり物理学説明できないといけないらしい。

息を吸い、悪いけど日常会話くらいしかできないんだ、と返した。

海外に住んでたのは小学生の時くらいで、と付け加える。

「へえ。どこ住んでたの」

オーストラリア

電話口の声のトーンがあがる。転がり落ちた岩から、水切りで投げ、水面で跳ねる石みたいだ。

「うわあ、だと思った。オーストラリアの人って女でも男みたいな喋り方するんだけど、そんな感じがした」

そして、なるほどね、と言い添える。

小学生のころだったら、本格的に専門の勉強とかはしてない感じか。了解した」

どうやら、物理学がなんなのか聞いてきたのは、英語レベルを測るためらしかった。言葉にトゲが少しもないから警戒はしていなかったが、特殊なモノサシのようにも思えた。

「で、なんでチャット電話募集してたわけ?」

「なんか寂しいなと思って」

「寂しい?」

孤独を感じたから。やっぱ今のなし、なんか恥ずかしくなってきた」

英語を学びたいから、と無難に流せるところだったが、口をついて出たのは「ロンリー」という単語だった。

言ってみてから自分状態自覚する。そして、少々オープンすぎたかと思い、早口になる。

彼は特段からかう様子もなく、「なんか悲しいことでもあったの」と聞いてきた。

「いや、悲しくはないんだけど。今こうやって話せてるから楽しいし。」

暗い空気を感じ取られたくなくて、会話を移そうとしたが、彼は話題の切り替えに乗ってこない。

「なにかあった?」

首をひねり、天井を見上げる。少し息をついた。

間をおいてまで考えたが、別に何もないのだった。

「本当になにもないんだ。ただ、人って社会の生き物だから。私は一人で行動するのが好きだし、店とかもひとりで行くけど、たまに人と喋りたくなる。それは、ヒトっていう動物社会の生き物だからだと思う」

「それはそう」

納得したらしい。英語でそこそこ言語化できた自分を、内心褒めつつ、落ち着かなくて言い添えた。

「君をカウンセラーみたいに扱いたいわけじゃないんだよ。だから気にかけてくれなくていいよ」

「なんでそう思ったの」

「どうして悲しいのか聞いてきたのが、こう、心配してくれているように感じて。暗い空気を感じ取ってたら悪いなと。人は人のことをカウンセラー扱いしちゃいけないと思うから。人はあるがままで良いわけだし」

「そんな気にしなくていいのに。別に、ヒトのことをカウンセラー扱いしてもいいんだよ。みんな、誰かをカウンセリングする義務がないことくらいわかってる。強制させてるわけじゃなく、そうしたいからそうするだけで、みたいな」

自分よりも2歳は年下で、語尾の「みたいな」に若者らしさが滲んでいるのが気になるが、それでも海外大学生はずいぶんまともだなと思った。自分よりも、ヒトとの距離感境界線の引き方に長けている気がした。

それにしても、知らない考え方だった。

人のことを便利に都合よく使っちゃいけない、というのが今の自分の考えだ。愚痴を聞かされると、「ゴミ箱にされた」と感じる。人はあるがままで良いわけだから相手になにかケアを求めるのは望ましくないと思う。

だけど彼は、「ヒトは在り方を選択している」わけだから、好きにふるまえばいい、というスタンスだ。

主観的見方しかしない自分と違い、それを受け取り、応答する側である彼の目線から、「自分だってこうしたいからこうする」と、立場を選んでいることを明示され、目からうろこだった。

なるほど。愚痴を聞かされ、人を励ますとき、私はいつも、都合よく使いやがってと腹を立てたりしたが、私はそのケア役割を「選んで」担っているわけか。

「その孤独感って、犬や猫、恋人で埋まらないの?」

彼のカウンセリングが続く。猫はいるよ、と答えてから、少々言葉に詰まる。

「あれ、猫じゃ埋まらない?」

埋まってる埋まってる、飼い猫のこと愛してるし、と返す。

話は自然と彼の恋バナに移っていった。

「今度日本に行くとき日本人の好きな子に会いに行くんだよね。性格が好きで」

「なんかロマンチックだね」

「どこが。ただ会いに行くだけだよ」

拒絶されたらショックだなあ、とぼやいている。きっとうまくいくよ、と励ました。ニュージーランド留学に来ていた女子らしい。

「それで、君は好きな人いないの」

「いないよ。必要かな」

必要ではないけど、恋愛楽しいよ」

「確かに楽しいね。でも、恋愛プロセスあんまりきじゃない。考えてしゃべったりしないといけないし」

「それは、今まで良い関係を築いてこれなかっただけでは?」

どうやら2個目のアドバイスをもらってしまったらしい。確かにその通りなんだけどさ。でも本当に言いたかったのは、恋愛プロセスの中、もしくは先に、自分の体を当然のように要求されることの不健康さだった。まあでも言わないことにした。

その後も、気だるげだがポップコーンポコポコ跳ねるように、軽いフットワークでいくつか話題をまたがり、「もう寝るわ」の声で通話の幕は閉じた。

切り際、「自分バラでも買えばいい」と言われたから、「買う買う」と返す。

「買ったら写真送って」というので、「それは約束できない」と目を逸らすと、「それじゃあ意味ないじゃん」とごねられる。

子どもは寝な、と言うと少し怒ってきたのがちょっと愛らしかった。

次の日、バラドット絵を書き、彼に送っておいた。買ったよ、バラ

子育てを通して自分を知る

先週、2人目の子どもが生まれた。

正直、子どもは嫌いだし、子育ては面倒だし、趣味時間は減るし、お金の使い道も制限される。

性根がおひとり様体質なので、かなりキツい。

アンチ子育て勢だけど、なんとか毎日生きてる。

こんな人間でもなんとか子育てできてるんだよ、っていうのを共有したい。

青森から大阪に出てきて結婚した。

パートナーは顔が好みだから良い。

でも、子どもはうるさそうだし、面倒くさそうだし、正直嫌いだった。

それでもパートナーが強く希望して、不妊治療を経て授かった。

1人目のときは初めての育児だったから、「できなかったことができるようになる」という意味で楽しかった。

まるでRPGレベル上げ。

泣いてる理由を一つずつ突き止めるのが楽しかった。

でも2人目は楽しくない。

もう「強くてニューゲーム状態

あーはいはい、って感じでこなせてしまう。

作業ゲーみたいなもんだ。

多分、自分は「知らないこと」や「想像を超えること」が好きなんだと思う。

逆に、想像範囲に収まると途端につまらなくなる。

の子の子育ても、正直ちょっと飽きてきた。

2歳になって言葉も流暢になってきて、会話ができるようになると、

それはそれで想像範囲に収まってしまう。

「手を洗って」「お風呂入って」「ごはん食べよう」と言えば、

表情や話し方、身振りを少し変えるだけで大体予想通りに動いてくれる。

多分、自分生物として失格なんだと思う。

遺伝子を後世に残したい」なんて、1ミリも思わない。

でも、生まれてきたものは仕方ない。

民法877条に「直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養義務がある」と書いてある。

生物として欠陥まみれだけど、法律があるから仕方なく子育てしている。

でも、できることならやめたい。

こんなところに生まれてきてしまって申し訳ない。

もっと裕福で、もっと愛してくれる人のところに生まれたら、

どんなに幸せだっただろう。

そんなことを毎日考えながら過ごしてる。

一応言い訳しておくと、パートナーから見れば「ちゃんと親の役割果たしてる」らしい。

「きちんと愛情を持って接しているように見える」とも言われる。

まあ、そう見えるならそれでいいと思う。

から何をやってもそれなりにできた。

子育ても多分、それなりにできてるし、これからもそれなりにやっていけると思う。

多分これを読んでる人の中にも、「昔から何をやってもそれなりにできた人」がいると思う。

そんな人におすすめコンテンツが、子育てだ。

理不尽なことも多いし、制約も多い。

でも、自分子ども死ぬまで続く。

ある意味、最強のエンドコンテンツ

ここまで書いて、モヤモヤしてた気持ちの整理がついた。

子育てって、エンドコンテンツなんだ。

自分が主役の物語が終わった後の、やりこみ要素。

自分が主役じゃないから、お金時間自分のためには使えない。

でも、そういうものなんだとようやく理解できた。

晩婚化・非婚化・出生率の低下って、

自分が主役から降りる人」が減った結果なんだろうなと思う。

メインコンテンツとして楽しめる趣味ゲームが増えたから、

主役のままでいたい気持ちはよく分かる。

人生は一度しかプレイできないゲームみたいなものだし、私もそういうタイプだ。

メインコンテンツとして子育てを楽しめる人は、真っ当な人間だと思う。

でも、エンドコンテンツとしてプレイしてる人間がいてもいいと思う。

AI絵師全力応援する根性エロ絵師

絵をやめて1年。

なぜ絵を辞めたのか、そして何故ai応援するのか。

光の中でチヤホヤされる絵師の裏、影でもがいた末の私の無駄な2年間

Twitterを始めた理由はFantiaに誘導して金稼ぎしようというやましい気持ちでした。

そして勿論描く絵はr18です。r18は簡単に見てもらえますからね。しめしめと舐め腐っていました。

過去に一度だけpixivでr18を描いたことがあって、banされないかと怯えながら投稿した絵が1000ブクマ行ったのがきっかけです。

その絵は描きたいから描いた絵です。コマ割りなんてぐちゃぐちゃ、フォントも変、タグも全く付けてないのにスマホの通知が止みませんでした。

それに浮かれてTwitterかいう薬物に手を出してしまいました。

しかし、やってみれば誰も見向きもしない。

pixivフォロワーは何をしているんだ。私がsnsを始めたんだぞ。

何度見てもフォロワー0。

…いやいや、私なら1000人は行けるだろうと、甘い夢を見て早速一枚投稿

ですが反応は無し。やってられるかと早速Twitterを見なくなりました。

元々snsスマホに入れないと固く誓うほど興味のない戦場だったので、この段階では諦めは早かったんです。

それから何週間もアカウント放置していました。

pixivフォロワーは使えねぇし、失敗だと思いました

数日後、なんとなくTwitterを覗いてみたんです。

消そうかなぐらいの気持ちでした

開いてみるとフォロワー500……

既存キャラで釣るというセコ技ですが、500!

天にも登るような気持ちでした、誰が私を見つけてくれたのか、爆発のきっかけは誰だ。

RT覧をスクロールすると何人かの1000フォロワー、万フォロワー持ちの人がRTしていたのです

認められた、同じ界隈に認められたんだ。

しかいいね覧には好きなイラストレーター

神がいいねしてる。私は天才なんだ

……なんて勘違いしていました。

今だからわかりますけど、跳ねる人は最初から1000フォロワーになるんですよね。

rtも4桁当たり前。あの時の私はマヌケでした。

ふんぞり返った私は、さっそく描きかけで辞めていた絵の続きを描いて投稿

これも同じくらいにはrtされてウキウキでした

しかし、フォロワーが伸びないんです

は?2枚目上げたんだから+500増えろや。

そんな事考えながらもTwitterとは継続大事と聞いて、次の絵を考えます

色々と何か創作意欲の湧くいいアイデアの種はないものかと、散々探しましたがありませんでした。

きっと神にいいねされたというのが、ある意味で私の中の無意識目標を達成していたのてしょう。

仕方ないので期限以内に間に合わせるため惰性のような絵を一枚二枚と上げて様子見が続きました。

そしてだんだん絵を投稿した後のフォロワーの数や、いいねリツイートの数が気になりだします。

何故いいねしないんだ、何が足りないんだ。

写実性?構図?シチュキャラデザ?

pixivにいた頃は好きな物を気分で描いて投稿していたのに、なんというザマでしょう。

いいねの数に囚われて、金に目が眩み、絵の魅力を出せない状態に陥ってしまいました。

絵とは描いた人間楽しいが染み付いたものに目が留まると思うんです。

子供の絵って思うがまま描いた絵ですよね。

そして子供の絵はついつい足を止めて見てしまう。

それに比べて私は、人の目を気にして絵の魅力を殺している状態

毎日頭を掻きむしりながら、こたつ机に座布団で腰を曲げて目をしぼませ画面を睨みながら、ペンタブを走らせる

大量の人体や、塗り方の資料とどこをどう塗るかの予定の暗記、レイヤーの暗記

お前らこういうのがいいんだろ?こういうのをいいねするんだろ?テカテカに彩度高めで塗ってやったぞ?

ほら、フォローしろ

完全な伸びない絵描きの闇落ちパターンだと思います

そしてある時、パタリと絵を描くのをやめました

絵を描かないといけない。と考えていることに気づいたんです

まだ一円にもなっていないのに義務化していました

楽しくない、気だるい、嫌なことがフラッシュバックする。何か食べながらじゃないと落ち着かない

そんな鬱みたいな状態だったので、そろそろ資料めしとかないとってタイミングPinterestを削除したんです。

それから解放されたようでしたが、他人の絵を見ることが辛くなりました。

いまだに上手な人の絵は称賛よりも嫉妬心が強いです

まれときから環境が整っていて、気づけば絵を描いてるみたいな幼少期だったんだろうな…。

こちとら2年叩き上げ、毎回知らない人間の関節と筋肉、ロボデザインサイバーパンクファッションに頭を抱えているというのにサラサラ描きやがって

ポンポン投稿して、いつ本職やってるんだよ。

ガチムチをしなやかに描ける奴らが憎くて仕方ないですよ

デザインお上手でいらして?お父様お母様のたっぷりある資金愛情美大卒でございますか?そうであってくださいまし。

運動不足ゴルフに誘う家族持ちですか、素敵ですこと

美術出身彼氏持ち万フォロワー絵師、ボディメイクも欠かさない。

まあ、素晴らしい努力スケジュール管理の才能がお有りで。ぶん殴ってやりたいです

私がAI絵師応援する理由は一つ。

奴らが苦しむ姿が見たいからです。

AI栄光あれ。

2025-10-31

そのプロダクトのクオリティがなんなのかという話で、レスポンス速度やコスト重要なのであればメモリ管理インフラに詳しくなければいけないし、逆にとにかくアプリがダサくないことが重要なのであれ競合とデザイントレンドキャッチアップすることがその組織エンジニア義務ですよね。

anond:20251031170104

俺も作ってみた

 

ChatGPT/プロンプト

ポエム風の散文を書いて下さい。テーマは、都会のOLが虚無の日常を繰り返す、虚しさと絶望風景食事感受性喪失する日々、そのことに自覚もある、自覚があることも辛い、朝の電車感情の行き場が溢れ泣き出してしまう。

修正指示1】感受性を失った自分自覚している、のセンテンスは削除。行間に織り込んで欲しい、壊れたいと願う小さな衝動は虚無に対する諦めを表現するに変更

修正指示2】50文字削って電車のくだりを導入に移動

修正指示3】泣くのは電車の中

修正指示4】一人称に変更

修正指示5】あと70文字削って

 

出力

出勤電車

吊り革の列、スマホの光、無表情の群れ。

広告笑顔を見ながら、

幸福という言葉にもう意味があるのか分からなくなる。

 

夜明けはガラス越しにやってくる。

光が義務のように私の頬を照らす。

アラーム歯磨き粉の味、鏡の中の顔。

どれも昨日と同じ配置、同じ温度

世界は静かに、私の輪郭をすり減らしていく。

休み

コンビニパンを噛む。

味はしない、食感だけが舌に残る。

カフェラテの泡が消える速度が、唯一の時間の実感。

昼と夜の境界曖昧になる。

 

夜、ビルの灯りが順に消える。

窓に映る自分は影のよう。

街はガラスの海になり、足音けが漂う。

望むでもなく、抗うでもなく、

滲むように生き延びていく。

 

朝。

再び電車

吊り革を握る手が震え、視界が滲む。

涙は理由を持たない。

行き場を失った感情身体を通り抜けていく。

誰も気づかない。気づいても、見ない。

 

壊れたいと思う。

けれど、それは救いではなく諦めだ。

虚無の中で、壊れることすら意味を失っていく。

それでも電車は走り、朝はまたやってくる。

私は立ち尽くし、

生きるという作業の中に静かに沈んでいく。

奨学金「やさしい顔をした金融装置」——7か月の謎と税の裏側

「貸倒引当金損金算入」なんて言葉を聞くと、だいたいの人は眠くなる。

けれど、これが実は奨学金という制度の“本音”を照らすキーワードでもある。

ざっくり言えば、「貸したお金が返ってこなさそうな分を、あらかじめ経費として認める」仕組みだ。

そして、これを税金計算に反映できるかどうかが、国の性格を決める。

 

国が“リスクを肩代わりする”ということ

たとえば、あなた会社経営していて1000万円もうけたとする。

法人税率をざっくり30%とすれば、税金は300万円。

でも、あなたが「このうち100万円は、貸したけど回収できなそう」と言って、

その100万円を経費にできる(=損金に算入できる)とどうなるか。

 

課税対象は900万円、税金は270万円。

国に払う税金が30万円減る。

まり、国が“貸倒リスクの3割”を実質的負担したということになる。

損金算入とは、国家企業の失敗の一部を税で肩代わりする制度なのだ

これを知らずに「貸倒引当金なんて難しい話」と思っている人は多い。

だがここにこそ、**「どんな失敗を国が共に背負うか」**という社会哲学がある。

 

日本では銀行けが“国の共担”を許されている

日本では原則として、実際に回収不能にならなければ損金にはできない。

でも例外がある。銀行保険会社などの金融業だ。

これらは「法定繰入率」というルールで、あらかじめ貸倒分を税務上の費用として認められている。

まり銀行融資で焦げついても、その痛みはすでに税で少し吸収されている。

リスク社会で分担する、という前提がある。

 

一方、**奨学金JASSO)**のような「教育支援する貸付」はこの枠外だ。

貸した金が返らなければ、本当に国の損失になる。

からこそ、制度は「破産させない」「逃がさない」という設計に偏る。

これが、表向き“やさしい”奨学金制度の裏にある、硬い現実だ。

 

アメリカは「リスクを値付けして流通させる」

アメリカでは考え方が違う。

学生ローンを含む貸付債権は、束ねられて**証券化(SLABS)**され、投資家の手に渡る。

まり教育ローンも最初から金融商品”だ。

返済が滞ればその分、証券価格が下がる。

貸倒は倫理問題ではなく、市場価格変動になる。

 

アメリカ政府もそれを前提にしている。

議会予算局(CBO)や教育省は、あらかじめ「将来どのくらい焦げ付くか」をモデル化し、予算に織り込む。

まり、貸倒損失は最初から想定済みの政策コスト

学生破産した=想定外の失敗」ではなく、「予定通りの割合なのだ

からこそ、延滞者に課される**回収手数料(25%上乗せ)**も、「罰」ではなく「市場の回収コスト」として処理される。

 

本題、日本の「7か月の謎」は何を意味するのか

日本学生支援機構(JASSO)の奨学金は、貸与終了から7か月後に返済が始まる。

卒業3月、返済開始10月

この不思議な“間”の意味を考えたことがあるだろうか?なぜ4月から請求しないのか?

 

表向きは「新社会人生活安定のため」。

引越し就職給与口座の整備——確かに数か月の猶予は理にかなっている。

だが、もう少し冷静に見ると、別の合理が見えてくる。絶対に借り逃げさせない強い意思

 

4月入社新卒社員は、たいてい3か月間は試用期間。

この時期に返済請求を受ければ、破産手続き裁判所から「支払不能」が認められやすい。書類上は収入ゼロ、もしくは雇用不安定人間借金の取り立てをしているのだから

ところが10月なら違う。雇用が安定し、給与が入る。

まり裁判所破産免責を認定しない。「返せるでしょ?」となる。

このタイミングで返済義務を発動させれば、制度としては極めて理想的に“逃げ道”を塞げる。

JASSOはそこまで公には言わないが、債権保全観点では非常に計算された設計だ。

(ちなみに借金があっても債権から返済の請求が無ければ裁判所自己破産手続き受理されない。返す義務が具体化していないのだから訴えの利益が無いのだ)

 

ライフハック的に「返さない」を想定した借り手

一部には「最初から返す気がない」人もいる。

卒業と同時に自己破産しても、ブラックリストは7年で消える。

20代前半の7年なんて“クレカが持てないだけ”で済む——そう考える若者ゼロとは言い切れない。

JASSOの7か月ルールは、そんな“逃げのタイミング”を制度的に潰す仕組みでもある。

まり、借り手の心理的穴を、制度時間設計で塞ぐのだ。

 

支援”の顔と、“回収装置”の背骨

こうして見えてくるのは、

日本では奨学金は「教育支援」よりも「回収可能性」に重心を置いた制度になっているということ。

なぜなら、貸倒を損金にできない限り、貸す側のリスクは全額自己責任からだ。

税制が貸し手を守らないから、制度は借り手を締める。

 

一方、アメリカリスク市場に流し、価格に織り込む。

貸倒を見越して引当を積み、投資家分散させる。

から破産しても倫理非難は少なく、「数字範囲で終わる」。

 

まり——

日本では**「道徳」が返済を支え**、アメリカでは**「市場」が返済を支える**。

どちらも支援監視バランスの上に立つが、文化真逆だ。

 

それでも“やさしく設計する”余地はある

奨学金は、「教育機会を広げたい」と「回収したい」の間で揺れている。

その揺れを見える化しないまま「返せ」と言えば、制度道徳主義的に硬直する。

もし本当に“支援”を名乗るなら、返済開始の柔軟化や所得連動の自動適用といった再設計必要だ。

「貸す側が損を想定できる国」と、「借りる側が破産を許されない国」では、若者の挑戦の角度も変わってくる。

 

教育とは未来の前借りだ。

ならば、前借りの回収はその人の立ち上がり方に合わせていいはずだ。

JASSOの7か月という小さな数字の背後には、

税と倫理と回収の三つ巴の設計思想が眠っている。

その構造を知れば、奨学金という“やさしい顔をした金融装置”が、

どれほど綿密に国家会計と結びついているかが見えてくる。

 

 

ChatGPTに書いてもらいました。10分

友人グループLINEで最も要らない発言

今日〇〇くんの誕生日だよね?おめでとう!」

この〇〇くんというのは、友人のことではない。友人の次男だ。

今朝唐突に投下されたこメッセージに、私は苛立ってしまった。

なんで個人LINEで送らないかな?

友人本人の誕生日ならともかく、子ども誕生日まで祝ってたらきりがないんだが…

ただでさえ半ば義務と化していてそこに感情はない「誕生日おめでとう!」「おめでとう!」というただの文字列を送り合う風習うんざりしていたところなのに、そこに各々の家族分まで増やすのかと…このグループの友人家族、総勢何人いると思ってるんだよ。

こんなことを気にしたりイラついたりするのは私だけかもしれないので、異論は認める

anond:20251031054948

この主張は「例外を設定することが理論妄想化させる」と言っていますが、特にタルムード思考観点から見ると、まったく異なる理解の体系が存在します。

ユダヤ教おいて、「例外」や「条件分岐」は論理破綻ではなく、むしろ真理をより正確に掘り下げるための手段とされます

タルムードはその典型で、単純な法則提示した後に、無数の「例外」や「場合分け」が登場します。たとえば:

シャバットに火をともすことは禁じられている」

— では、もし病人を助けるためなら?

— では、命に関わらないが苦痛を和らげるためなら?

— では、機械自動で火をともす場合は?

このように、例外を探ること自体トーラーを「生きた法」とする営みなのです。

神は人間に理性を与え、「境界線思索」を求めたとされます創世記 2:19)。例外検討することは、神の創造多様性に応答する行為です。

タルムード議論はしばしば結論が出ません。

なぜなら、ユダヤ思考では、「例外」は理論を壊すものではなく、現実の複雑さを正直に反映させるための器だからです。

例:「人は自由意志を持つ」と「すべては神の計画である」は矛盾して見えますしかし、ラビたちはこの二つを「両立させよう」とします。

神の完全な知と人間部分的自由、その間にこそ真理の緊張があるのです。

あなた提示した主張では、「例外」は理論を守るための防衛反応とされますが、ユダヤ教ではむしろ逆です。

例外を問うことは、理論現実に照らして再検証する道徳的責任です。

律法を学ぶ者は、ただ行うために学ぶ」(アボット 4:5)

まり理論(法)は現実に生きる人を導くものであり、もし法が現実を傷つけるならば、例外を探すことが義務です。

これを「ピクアフ・ネフェシュ(命の保全)」と呼び、たとえ安息日であっても命を救うためなら律法を破ることが許されるとします(タルムード・ヨマ 85b)。

例外を設ける」ことは、理論の腐敗ではなく、真理を現実に根づかせる努力です。

しろ例外を認めない」理論こそが、生命倫理から遊離した「妄想」に陥ります

律法は命のために与えられた。死をもたらすためではない」(エズキエル 20:11 に基づくラビ解釈

2025-10-30

ニート」「パラサイト・シングル」「引きこもり」はまったく別個の話です。

正直、私はこの山田昌弘氏にも大いに社会をこういう状況にした罪と責任があると思っています

それとまったく同じ構造高齢者にも当てはまる。

もちろん高齢者からもはや「ニート」や「パラサイト・シングル」「引きこもり」といった用語は当てはまらない。

だが日々の収入を得るのがむずかしく、生活の基本部分を家族に頼らなくてはならない状況は似ている。

自分より若年者には甘えだと言い、自分と同じ老人は違うと言う、というのはちょっと酷すぎやしませんか?

ニート

まず、ニートは「Not in Education, Employment or Training、NEET」というイギリス言葉であり、イギリス定義です。

日本イギリスは大きく社会状況が異なるにも関わらず、厚労省意図的にこの言葉を輸入し、日本社会に流布したことに、陰謀論とまでは言いませんが、悪質な意図を感じます

また、ニートは明らかに他者に対する侮蔑的表現として日本社会で用いられています

本来定義のとおり、「学校に通っていない、学校に通えない、仕事に就いていない、仕事に就けない、訓練を受けない、訓練を受けられない」人たちです。

そういった、イギリス労働者階級出身者を示している。

社会弱者を何だと思っているのでしょうか。

健常者のとき障害者を見下して加害者になり、自分事故や老人になって身体障害が出たら被害者になる。

こんな日本社会のままで本当に良いのでしょうか???

パラサイト・シングル

これも言葉定義からすれば、就職氷河期のような状況に左右されて、収入が家を出るのに満たない額だから仕方なく家にいる人たちを含めている話です。

そして、こういう造語を作り、他者侮蔑するような日本社会を作ってきた犯人の一人が山田昌弘氏です。

そして、次の「ひきこもり」もそうですが、

引きこもり

ここまでの「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は単なる状態、症状の話です。原因の話ではありません。

例えば、あなた頭痛がする、寒気がする、血便が出た、とします。これは症状です。

症状を緩和することはできます。例えば、風邪薬がそれです。

しかし、あなた自分身体が何かおかしいと思ったら、普通病院に行くはずです。

病院に行って、検査して、医師に診断してもらわないと、原因は分からない。

原因が分からなければ、根本的な解決はできません。

例えば、歯が痛いとしても、虫歯なのか、歯槽膿漏なのか、気のせいなのか、歯軋りなのか、

それぞれの原因に対して、対処方法は違いますよね。

対症療法では何も解決しません。

しかし、日本おかしなところは、

ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」が問題だ、なんとかしなければ、と政治とかマスコミが騒ぎ出すわけです。

例えば、精神疾患統合失調症の人がいたとして、統合失調症でも薬等で安定して一人で生活できる人もいます

しかし、症状が悪化して、仕事を休むようになり、集合住宅で「ひきこもり状態になってしまった人もいるでしょう。

ちなみに、統合失調症も症と付いているように、これは症状です。そして、未だに機序メカニズム、原因は不明です。

しかしながら、医療の発展とともに、分かってきていることがあります

例えば、統合失調症を促しているのは過剰なドーパミンではないか、という仮説があり、ドーパミンを抑える薬は効果があります

統合失調症状態が酷ければ、一人で暮らすことは困難でしょう。

当然、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」の状態になるでしょう。

しかし、就労したいという意思普通あると思います

そうしなければ、いつか限界が来ることは、ある程度思考ができて、相当裕福な家庭でなければ分かっているはずです。

ここで話をおかしくするのは、就労意思があればニートではない、とか、そういうおかし定義が出てくる。

もう、明らかに社会問題定義するニートという言葉侮蔑的差別的に使っており、

自分被差別対象ではない、だって就労意思はあるんだから、という意図を感じます

こんな言葉遊びに何の意味があるんでしょうか???

端的に言って、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」という言葉を捨てるべきです。これらの言葉を好んで使って社会問題を語ることは不可能からです。

では、どう定義すべきなのか、とするならば、ぶっちゃけ、本人の意思なんてどうでも良いのです。

そんなことより、身体障害精神障害知的障害があるのか?

具体的に、収入はいくらなのか?

その当事者の近隣の企業は、どれぐらいの給与を払っているのか?ちゃん最低賃金は守っているのか?求人の量、内訳はどうなっているのか?

日本人はすぐに、本人の意思重要とか言い出しますが、じゃあ、就職する気がなくて遊んでたい人でも、俺は就職する意思がある、

就職する意思がある人はニートとは呼びません、ということになり、就職する意思があると表明すれば給付金がもらえ、

会社で酷い事故に遭った、もう二度と俺は働きたくなんかないからな、と言った人には給付金を払わない、これはナンセンスでしょう。

じゃあ、すべからく貧しい人に給付金を出すべきなのか?遊んでたい人にも、障害者にも、老人にも出すべきなのか?

その通りです。

ただ、単に遊んでいたい人が、本当に詐病でもなく障害があるのか?特に身体障害があるのか?

普通はないと思います徴兵を逃れるために障害車椅子になるぐらいの自損事故を起こす人もいるとは思いますが、

ある意味、それはそれで何らかの給付を得てもいいのではないでしょうか?

だって徴兵逃れとはいえ、今後一生涯が車椅子ですよ?

老人も単に年齢に払うのではなく、身体能力障害があるか、認知症があるのか、そういう状況に即して助けるべきです。

70歳で障害病気、癌などでつらい人もいれば、90歳でも足腰が元気でスポーツを楽しんでいる人もいます

こういう格差は、そもそも出自、つまりまれつき環境が恵まれていたかそれから遺伝的な格差もあるはずです。

社会とは、そういった本人にどうにもできない格差をできるだけ埋め、チャンスを平等にするべきものです。

駆けっこで一位をなくせばいいとか、そういう頓珍漢な話ではないはずです。

最後に端的にまとめるならば、やはり「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような言葉社会問題を語る人を疑うべきです。

それらは症状であり、状態であり、議論になりません。

議論するためには、根本的な社会病理の原因を特定し、そこで初めて、その解決方法議論できるはずです。

要は、例えば「パラサイト・シングル」も「ニート」も「ひきこもり」も、日本労働環境雇用する側、企業人事の悪しき文化ブラック企業など、

政治厚労省からすれば、問題にしたくないわけです。

企業から献金を得ているのに、その企業労働者に酷いことをして、パラサイトシングルニートひきこもり状態国民を生み出している。

お金をもらっているのに、そんな指摘できないですよね。

そもそもひきこもり状態、症状を訴えている人たちは、かなりの割合で何らかの精神疾患があることが既に医学的にも示されています

私も氷河期世代ですが、私が子供の頃には例えば発達障害なんて言葉自体がありませんでした。

これを取り上げて、発達障害なんてもの存在しない、医療界の陰謀、みたいに言う人がいますが、私はそうではないと考えています

単に見つかっていない、無視してきた病気が見つかっただけです。

それから社会の方が変化して、その変化した社会適応できないか病気として認知されたのです。

人為的ですが、これも立派な病気であり障害です。障害とは社会に対する障害で合って、視力が低くても眼鏡があれば克服できることで、これは社会が変わって病気が消えたのです。

まり氷河期世代ベビーブーム世代でありながら、大量の精神疾患罹患者、発達障害などの当事者が、

なんのサポートもされないまま、学校生活を耐えさせられ、社会に出て会社合理的配慮どころか、不合理配慮不条理配慮を受け、

社会適応できないまま放置された、そういうケースがベビーブームですから、大量にいるわけです。

当然、社会問題として目立つことになる。

病人弱者なんだから勝手に淘汰されて死ねばいい、そういう漫画なるたる」の登場人物みたいな考え方もあるとは思います

しかし、社会とは例えば公衆衛生を維持する必要があります

公衆トイレがあまりにも汚い、路上にも糞便が溢れていて、川にも生ゴミ粗大ゴミがそのまま投棄されてる、

そんな社会が本当に住みやすいと思うでしょうか?

でも、ちょっと前、昭和の、私が生まれる数十年前はそうだったわけです。

そこから高度経済成長オリンピック大阪万博バブルバブル崩壊などを経て、公衆衛生は格段に良くなりました。

ウォシュレットなんて、潔癖すぎることで逆に病気を起こすぐらいです。

精神衛生も同じです。

私は漫画アニメ音楽精神汚染しているというよりは、労働環境、悪しき企業の人事の文化

リクルート社のような人材斡旋利益を優先した文化、そういう方が人間精神おかしくしているのではないか、と思っています

労働するなら、やりたくないことをやるなら、せめてできるだけ快適な環境で働きたいとか、もう限界とき休みたいとか、

そう考えるのが普通なのではないでしょうか?

我々は人間です。AIロボットではない。

一方で、近年のAIロボットの発展は凄まじい勢いがあります

私なんかより遥かに天文単位レベルで頭が良い天才が開発に携わり、私にはさっぱり分からない数学の話をしていますが、

そんな超天才たちが、でも、どうしてうまく動いているのか、ちょっとよく分からないんだよね、みたいに言うことがあります

そんな感じなので、本当に超知能が10年後ぐらいに実現するのか、自分にもよく分かりません。

ただ、AIロボット人類労働から解放するのではないか、というありがちな見方ひとつあり、

私はもうひとつAIロボット人類が一緒になって、困難な問題に取り組む、

例えば、この世界はどうなっているのか?そういう究極の真理の探究はまだまだ続くでしょうし、

いくら超知能とはいえ、それこそ「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような症状を生み出す社会問題ゼロにできるでしょうか?

まり、我々人類にはまだまだ成長の余地がある。

すべての人類幸せになるまで、幸福市民義務なんて強制ではなくて、できるだけみんなが幸せになれるような社会にする、

これはきっと永遠に訪れることがない理想理想論であり、しかし、宮崎駿氏が言うように、理想を目指しながら、現実はどうするかを議論するべきなのです。

そのためにAIロボットはきっと役立ってくれるはずです。

私の今の将来の夢は、AIロボットに任せっきりにするのではなく、一緒にプログラミングして、一緒に絵を描いて、一緒に作曲をして演奏して、

一緒に畑を耕して、どんな場所でも、一緒に高め合っていける、そういう社会が実現したらいいなと思っています

ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は症状であり、状態です。

そういう症状、状態の人を責めるなら、その前に、その原因をちゃんと考えてあげてください。

原因が分からなければ、問題をどう解決して良いかからない。

なぜ、お米の価格が上がっているのか調査しないまま備蓄米放出するのと同じです。

まずは調査です。そして、原因の特定です。議論はそこからです。

これ書いたAI小説増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20251025122955

 

X見たら、まだほとぼり冷めてなくて草。

他の人に比べると影響力ないけど、AI小説に対する個人的意見は書き残しておくね。

 

最善策は投稿数の制限を設けて、生成AIを少しでも利用していたら「AI利用タグ」を付けるように義務付けて、プロンプトの明示を行わせること。AI利用タグを付けたものは、1話ごとにプロンプトも載せておかないといけなくする(文字数にはカウントされない)。後は、ユーザー通報に任せる。

 

AI隔離は悪手じゃないかな。読者はいないのに永遠小説投稿されるっていう地獄空間になる。

面白ければなんでもいい」なんていうやつの9割は、わざわざAI小説を読みに行かないし、すぐ飽きて、サイトから消えるよ。

その時その時の面白いと思うコンテンツ渡り歩く回遊魚であり、食い荒らしていくイナゴAI小説書籍化しようって頃には消えてるよ。

 

後、これも言っとくが、10時間取り組んでるから偉いってことはないから。普通に書けばもっと時間かかることを、AI使って簡略化して、大量生産した行為は褒められることではない。

10時間取り組む行為を繰り返して、傑作の1作品を作るAI小説家が現れた時に褒めてあげてね。

anond:20251030001212

弟なら放っておけばいいじゃん

扶養義務はないよ

まあちょっと連絡はいくかもしれないけど、放っておけば問題ない

2025-10-29

anond:20251029180344

法治主義について偉そうにゴタクを並べるなら「被告人」と書け、ボケナスのウスラ馬鹿。これは民事裁判じゃねえんだよ。

検察は実務上は被告人の罪をなるべく重くしようとするのが通例だが、それでも真実義務には拘束されるから

事実道理ねじ曲げて被告人断罪するのは、国民税金を使った公判では絶対に許されない。

てめえみたいな知ったかぶりの半可通のオツムでは理解できんだろうがな。まことに度し難い。まこと愚鈍無知まるだし。

たとえば「「40代となった事件当時まで(家庭崩壊の)影響が及んだとは考えられない」といった断罪の仕方は

明らかに道理に反している。すなわち反則行為である

なぜなら、家庭崩壊のような大きな出来事の影響は終生続くのが不可避で当然だからだ。

検察が言っていることは全くの屁理屈詭弁ナンセンス

もっとも反則といえば、選挙で選ばれたわけでも何でもない単なる木っ端役人

勝手に「公益代表者」を僭称していること自体が反則だがな。

なぜ反則なのか理解できなきゃ小学校から出直してみっちり勉強して来い。バーカ。

anond:20251029155445

なんでそんなに離婚を急いだんだろう。とりあえず1〜2ヶ月入院させるとか、実家に帰ってもらって別居から始めるとか、やりようはあったろうに。

増田には悪いけどその夫は結婚を軽くみすぎてると言うか、配偶者としての義務に対して無責任すぎるかな。今は幸せでも、いつか増田病気とかしたらあっさり「合わない」とか言って見捨てそう。

anond:20251029142906

ウルトラマンティガから入ってコミュニティオフ会いったらマンとかタロウとかセブンとかの話ばっかしててティガの話したら「ティガね(ニガワラ)」みたいな感じだったし、おっさんばっかのコミュニティって大概そうや

その後、ティガ以降のコミュニティ見つけてそっち行った

今はそのコミュニティのおかげで半ば義務感で新作見続けてるから良しあしではあるな

 

ちなみにウルトラマン界隈だと平成以降ウルトラマン勢も初代ウルトラマン強すぎるだろ・・・ってなってる

anond:20251029130754

絶対防げるとは言って無いやん

自転車乗車時ヘルメット義務化したって犠牲者ゼロになるわけじゃないやろ

その程度の効果も無いってこと?

クマ被害対策

クマ出没地域の人は鎧着用義務化すればええやん

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