はてなキーワード: 反論とは
本記事は比喩としての「熊東京(熊にとっての超過密中心地)」を用いる
行政境界ではなく「生息圏=都市雇用圏」に相当する“生態圏”の密度と境界を参照し、過密=溢出・競合の強化、適密=1クマが享受できる上限まで享受が可能でありながら資源循環が釣り合う状態、と定義して議論する。
「中心が語る物語」と「外縁が語れない現実」のあいだに、まだ拾えるデータと声が落ちている。
“秋田岩手最高!”の景色と、“九州不可”のラベルの向こうに、個体がちゃんと息できる“適密”が点在しているはずだ。
可視化の灯りを、中心にだけ当てないでほしい。
と自分で言いながら返信してくる所にあなたの意志の弱さを感じますね
で、
具体的にどこのテレビ局の誰が「問題がない」と発言しているんですか?
と何度も聞いているのに
と答えになっていない発言を繰り返すだけで
もう左翼オールドメディアを気にしなくていいんだ、と悟った日本政治がどこまで伸びるか|柿生隠者(かきお・いんじゃ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kakio_ja/n/n4cbd67631b31
pikix
オールドメディアのおかげでギリギリ正気を保っていた日本の政治文化が
ソーシャルメディアであれだけオールドメディアが敵視されてるのは
オールドメディアが偏向的姿勢や恣意的報道を露わにしてきたからでしょ。
産経から朝日までどの新聞社でもその資格がないのを豊富な実例付で示されてしまうのが現在地。
un_i_take
左翼ってか民間からの権力監視だから保守政権ならメディアが左翼に見えるんでしょう。
みんなで一緒に吠えるのが気持ちいい畜生に人間社会は理解不能。
2025/11/03
現代の左翼的な人間の特徴ってお題目を唱えれば現実を誤魔化せると思ってるとこだよね。
「現実にやってることがそうではないじゃん」って批判は耳に入れたくない。
気に入らない保守女が政権取った途端「支持率落としてやる」と絶叫してダッチアングルぐりんぐりんするようなのは
「権力監視」とさえ言えば満足してその内容やクオリティをチェックもしないような人間ほど
「メディアは権力監視でー」のお題目だけでメディア批判を退けようとする。
こういう奴って戦中には軍部のスローガンを御題目として有難がってたと思うんだよな。
時代が時代ならええじゃないかと踊り狂うような畜群レベルの知性しかないのにその自覚がない。
今ネットで気が狂ったように左翼が叫んでる高市批判も程度が低すぎるでしょ。
メス犬だの気持ち悪いだのブスだの媚びてるだの長年保守やって顔が歪んだだの
トランプの現地妻だのヒトラーだのババアがはしゃいでて痛いだの年齢より老けて見えるだの
太極旗に一礼したのまでケチ付けてもう意味がわからん。ネトウヨかと思ったら左翼なの。
「権力批判をイジメ呼ばわりするな!」とか言ってるバカが居たけど
「権力批判」と言う御題目じゃなくて中身を見ろと言うのが動物なのでわからない。
見た目の汚さならてめえが鏡見ろって感じのジジイババアがそんな事ばっか言ってる。
能力が低すぎて政策に対する論評なんか最初から出来ねえからだろ?
本質的にオールドメディアや左翼のレベルってその程度なんだよ。
ここが一番の問題な。
それしかできないからこどものイジメみたいなくっだらねーことや印象操作をひたすら叫んでる。
おまけにそのイジメすらフェアではない。
キモいキモくないのレベルで話をするなら前政権の石破と村上は限度を超えてた。
連立政権や民主党政権まで含めてもあそこまでキモい首脳陣を存命日本人は見たことがないはず。
見た目も気持ち悪い、食い方もきたならしい、座り方もだらしがない、体型も締まりがない、
老人だから見た目が汚くなるのは仕方なくとも自律心や努力でどうにでもなることが出来てなさすぎる。
でも左翼やオールドメディアが石破にキモいと言ったか?高市に対するように執拗な容姿・挙措批判をしたか?
全然してねえ。どっかでちょろっとはしたのかもしれないけど目に入らないレベル。
まとめると
頭が悪すぎて政策に対するクリティカルな論評なんか全然出来ないので
印象のウヨっぽいサヨっぽいで批判するか応援するかを決めていて
批判のレベルも極めて程度が低くてネットの罵詈雑言と大差がなく
というのが今のオールドメディアだよ。
笑わせんな。
それでついに信用を失ったの。
hammondb3
何故報道の自由や表現の自由が憲法で保障されているか知らないのか。
書き手は「左翼オールドメディアの口をふさげ」なんて書いてるか?
「左翼オールドメディアが何を吠えても世論がついてこなくなった」と書いている。
この人の反論は意味のある意見の相違ですらないので純然たる雑音、議論の邪魔。
この人にしても国民の平均レベルよりチョイ下ぐらいの頭脳に見える(国語力は総合的知能を図るのに適切な指標だ)けど
多分自己評価としては「大衆よりちょっと、いやけっこう賢いかも!」みたいな感じでしょ。
☆付けてる連中もね。
お前等は知能的に極めて凡人であって、偏差値50点程度の人達なのよ。
勉強出来たやつも出来なかったやつもね。
仕事や生活で抜きんでて賢明で周りに頼られてるなんて奴いないだろ?なら凡人なの。
そこを噛み締めてからそれでも言えることがあるなら謙虚な姿勢で発信してくれ。
お前等が「僕は偏差値70点」みたいな気持ちで発信するならそれは全部雑音。
fluoride
現代の知識体系って専門家が束になってやっとこハンドルできるくらい複雑化しすぎてて、
もう「庶民感覚」では歯が立たないんよな。
これは全くその通りだけど
という事はお前等偏差値50が政治問題社会問題に対して持つあらゆる意見も印象もあてずっぽうの頓珍漢という事ですよ。
お前等には生活者として「税を下げてくれ!」と言う権利はある。
しかしお前等の「減税が正しい政策!」にはなんらの確からしさもない。
要するにお前らの意見も参政党支持者の意見も平等に価値がない、
そこをわかってないし納得する気がないよね。
それどころかhammondb3みたいに問題文すら読めねえやつは回答資格まで辿り着いてすらいないんだけど
そんなのが人気5位になっている現実がある。
お前等は人を見下すんじゃなくて見下される経験をもっと積んだ方がいい。
tikani_nemuru_M
オールドメディアが信用ならんというのはよーくわかるが、SNSやショート動画よりはぜんぜんマシだろ。
それに、ちゃんと探せば活字媒体にはまともな調査報道はあるぞ。それこそ左右の問題ではない。
2025/11/03
オールドメディアの占めた位置はなんかしらの解体や改革が不可避だけど
それは爺さんたちの反省によってではなく退場と世代交代によってなされるんだろう
ヘタすれば玉石石石石混交のSNSやショート動画からなんとか玉と思えるものがのして来るのかもしれないよ
まあこの中では常識的な抗弁ですね
多分、反反AIは
1.打ち込みギターとか、最近の人間に近いボカロ(広義)とかで同じこと言ったらちゃんちゃらおかしいやん。はい論破
2.え? 何? 君、背景情報で自分の感想変えちゃうタイプの人間なん(笑)
みたいな返しをするだろう。
で、自分も割と反反AI寄りなので、喧嘩腰に来られたら、(ここまで煽りみたいな口調じゃないにしても)同じことを言いそう……だが、あえて再反論を考えてみよう
まず、1は、「無断学習という、一部の人は不快感を示すものの上でAIが成り立っていること」「流石に打ち込みギターやボカロ(広義)に比べると、人の苦労が感じられないラインを超えていること」とかが再反論として挙げられる。
ただ、無断学習は作品そのものが直接成果物に使われてない以上、やっぱり共感されるのは中々難しい気がするし、人の苦労が感じられるラインというのは、昔のAutotune批判とかを見ると、時代によって移り変わってしまうものな気がする。
で、2は、「「この挫折と成功を描いた漫画は、作者自身が何度も落選した末に最優秀賞を勝ち取ったからこそ価値があるのだ」的な読みは全然ありだろう。」という再反論が考えられる。
ただ、「背景情報を、ポジティブ文脈ならともかく、ネガティブ文脈で使うのは、見る側としてダサい」という再再反論も考えられてしまうかなあ。
移住先を見つけられてない、ほかに趣味がないから惰性で見てる。
若い層はかなり少ないと思うし入ってくる導線が思いつかない。
たぶんだけど強い人はもうもっと良い代替を見つけて移住してるんだと思う。
タイトルだけとか本文の一部だけ見て、脊髄反射で書いた読む価値のないコメントばっかり。
特にアイコンがデフォルトのやつは、ほぼ捨てアカウントだから言いたいこと言ってるだけ。
「こんなアイコンなので...」←くっそどうでもいい。
コメントが良いか悪いかも分かってないで、雰囲気でスターつけてるだけ。
記事にムカついて何かモノ申したいけど、自分でちゃんとした文章を考えるのはめんどくさい。
だから、自分の気分に合いそうなコメントを探してスターをつける。
自分では何も言う元気も勇気も文章力もないけど、それっぽいコメントにスターつければ痩せこけた反骨心を満足させられる。
頭よさそうなコメントにスターつければ、自分もかしこくなった気になれる。
そもそも何か言えるほど読み込んでない。何となくムカついたから何かした気になりたいだけ。
そもそも記事自体にメッセージを送る機能があるのに、はてブで間接的にコメントする時点で本気で反論・同意する勇気はない。
どこまでいっても傍観者。
内容に関係なく、その人の過去の失敗を掘り返すコメントが一番スターをもらう。
ずっと昔のことにしがみついてるつまらない人たちが多い。今のその人を見てあげなよって思う。
何の役にも立たず足を引っ張るだけ。
でも移住先が見つけられてないので見てる。
メンバーが勝手に良い記事を探してくれるような。はてブの負の部分がまだないようなサービス。
無能だから代替を自分で見つけられてない。似た機能があるサービスはあるけど何か違くて。
ただコメントは本当に半分以上はくだらないしそういう人たちが集まってるので、昔よりはちゃんと見ることは少なくなった。
それだけ。長い自己紹介だった。
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんの AI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
あ、当たり前といえるレベルで超絶意味不明な反論するまでもない主張だったって認めるんですね✋
dorawiiより
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dorawiiともなればなおさらってなんだよ。dorawiiであることがゴミオジの要素になっているみたいな主張になっている意味不明さ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251102154432# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQb91QAKCRBwMdsubs4+ SOWjAQCZZCXhA2GxWEGwnARw6qZfB89V9XrdaYoo2lIOg1AOvAEAxl2THNRA91aL 1Ly0VnBRfVZS0IDxdFBw1pE1MjR7vgk= =WDxX -----END PGP SIGNATURE-----
* 「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
︙
これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
奴らの言う清潔感って
堂々と背筋を伸ばしてハキハキと喋る、みたいなのも包括してんだよ
逆にそこを先にクリアしないと文字通りの清潔感だけ取り繕っても奴らからの評価は
「なんか清潔感がない」なんだよ、ある種お断りのマジックワードにも使われるの
シャンプー変えるよりも背筋を伸ばせ、ハキハキと喋れ、間違っててもいいんだよ、
でも間違いを指摘された場合は素直に認めなきゃ格好悪いよ
あ〜わかった
残念だけど君の負けだよ
君、偏見に対してツッコミいれてご満悦なところ、横から馬鹿にされたってことっしょ。でもそれに対してちゃんと反論すればいいのにAI書いたと逃げたらアカンな。外野が知りもせず石投げてるのと変わらんということや。
Aが自分。
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### [A]に関するチャットログ(名前部分マスキング済み)
----
他の部分を読み返したらBが他の適応障害に対して「きちんと休め」とアドバイスしててちょっと笑った。
笑った理由としては、上の文章を読んだらA(つまりは自分)は適応障害にASDがかなりキツめに出て、そのAに対して「本気で悩んでない」やら詰めたら、悪化するだろと。
#### Bさん(その他のチャットの皆さん)へ
わざわざチャットに返信をしてくれたことはありがたいと思います。
それはそれとして、私に向けての発言は許せないです。
それは、気に食わない弱者なら「少し言い過ぎても許される」という傲慢を感じたこと、また「言い過ぎ」だと思うからです。
---
今の私は、自分もあなた方も誰も正しくないし、許さないの気持ちで人生をこなしています。
でもいつか(できれば私が知れる形で)あなた方はなるべく幸福ではない形で滅んで欲しい。
滅ぶ前に、相続で国立癌センターとかになるべくたくさん寄付できたらそれで意味のある生だった思えると思う。(※今は意味がない寄りの生なので)
いつか直接同じ相手に今の話を言えたら、何か踏ん切りがつくかもしれません。
柴田淳氏、高市総理に対して「男に散々媚びてきたんだろうな」と罵倒
罵倒に対して柴田淳氏の過去写真(胸元が大きく開いて谷間が見えている服装で男性と笑顔でツーショット)を持ち出されて「高市総理より媚びてませんか」と返される
権利元企業から公式イラストの受注もしている公式絵師がプライベートのファンアートとしてキャラの絵を個人のSNSアカウントに上げる→そのファンアートが集合絵で、遠くに配置されていた推しカプをペイントの切り貼りでくっつける加工をして投稿したオタク女が出る→アウトすぎるので注意される→公式絵師のイラストは加工して良いものだと独自理論で逆ギレ→同カプの相互フォロワーからも「さすがにあれはまずい」と注意され誰も味方してくれない→「私に死ねっていうんだ!!」とヘラる
それダメじゃないですかって指摘されて反論できないと「死ねというのか!」になるの本当嫌
誰も死ねなんて言ってなくて問題行動の指摘があっただけなのに「死ねと言われた可哀想な人のポジション」を取ろうとする卑怯さが本当に気持ち悪い
「そうめんを茹でるのは大変だ」という意見がバズり、「そうめんを茹でるのは簡単」という反論がつくと「お里が知れる」という侮辱で返すムーブメントが起きたとき、
ツイフェミにとってのフェミニズムは要するに、能力的に劣った女性の動物的なお気持ちなのだと実感した。
これはそうめんすら茹でるのがだるいような弱者の憂さ晴らしのために存在する依存・他責が教義の宗教のようなものなのだ。
劣った男性が好むインセルアンフェ思想と性別を変えただけの全く同じもの。コア教義が依存・他責で、モチーフを差し替えただけだ。無能にとってのシャブのような思想である。
フェミニズムの隆盛のあとを追うようにしてメンズリブの動きもあったが、女性は「チー牛はNO」と拒否した。要するに能力的に劣った女性のお気持ちフェミニズムにおいては、
男性はその性別を理由として努力して能力を高めなければならず、その能力でもってそうめんすら茹でるのに苦労するような弱者女性を養わなければならない。
男女同権とはどういう状態かに、実際のところ全く興味がない。だからダブルスタンダードを連発することになる。
言うまでもなく「チー牛」という言葉は、男性が生み男性が流行らせた概念である。しかし男が男を嗤っているときに嗤われている側ではなく嗤っている側の男性、
社会的に強い立場の加害男性のほうに乗っかるところに、女性の本能を感じさせる。敵対する女性が強者男性と友好的な関係でいると「現地妻」「パンパン」「雌犬」と侮辱し始めるところも、非常に剥き出しの雌性である。
弱い男性への性犯罪者予備軍、チー牛、弱男、うんこしか産めない、という罵倒に加えて、彼女たちは高市内閣の三人の女性閣僚のような強者女性も嫌う。
まず、医大入試差別のようなド直球の女性差別について、ちょっと騒いだあとすぐ忘れている。あれも被害に遭ったのが医大受験するような強者女性だから、自分には関係がないことだからすぐ忘れているのだ。
前から彼女たちはDeNA南場智子やコーエー襟川恵子、井村屋中島伸子のような人物を存在無視するか嫌うかのどちらかだった。
彼女たちは男性に生まれようが女性に生まれようが成功したタイプだと思うが、こういう女性に存在されることが邪魔なのである。
能力の高い女性を決してロールモデルにせず「名誉男性」「資本主義の犬」扱いして憎むことを徹底しており、瑕疵を探し出しては難癖をつけていた。
「劣った女性のフェミニズム」に未来はない。高市早苗のようなたたき上げの強者女性を性的な侮辱語で口汚く罵ったことにより、彼女たちに理など何もないことが判明した。
私としては国産なり日本発のLLM開発を諦めてはならないし, その可能性は十分にあると信じています. 既に出ているものも多数ございますし.
本エントリはそれとは全く別の,
「国産LLMの人」という方についてです.
---------
色々思うところがありまして.
例えば,
と繰り返し主張しておられる.
そのような単純な活性化関数では過学習か誤差が噴出するかの二択でしょう. 実際, 氏のツイートは正にその状態を示唆しているように見受けられます.
```x
▶︎ 誤差が0.12あるだけでとんでもないエラー率になる。誤差関数が雑だから本当はもっとあるのかもしれないが、改善の余地がある。
▶︎ 問題は、どのような状態の時に学習が成功し、失敗するのかがまだ分かっていない。表現力は十分に持っているはずなのに、なぜか学習しない。
```
過学習に至ったときにうまくいってるように見えるだけでしょう.
```x
▶︎過学習ではないですね。データセットが小さいかつ、それ以外の範囲が出ないことが分かっているので。XORは2^2パターン全て学習できれば精度が100%になりますが、それは過学習とは呼ばないのと同じで、今回の初期のRNNに関しても文字数が圧倒的に少なく、パターンも決まっているので。
```
……と主張されておられる.
私が思うにそれは単純な写像を, ニューロンを使って回り道して作っている状態. LLMは局所的にはたしかに線形写像ですが,全体で見ても線型写像だとしたらそれは複雑な文章生成には到底耐えられないかと. (十分に大きいモデルをマクロに見ると非線形性があるので)
大規模言語モデル=LLMを目指すとして,
そもそもエンベディングテーブルとは数百億から下手すれば1兆語彙を, たった数千〜1万次元程度のベクトルで表現する, 凄まじく繊細なテーブルです.
それをGELUやSwiGLUのような綺麗な活性化関数を使わずに, しかも爆速でやると仰っている. さすがにそのレベルの革新性を主張するには根拠がない限り, 飛躍が過ぎると判断されるかと.
そのやり方で, 例えば1億語彙までスケールするとして2乗の1京回×数千次元をバックプロパゲーションなしで学習するというのは……さすがにきついかと.
バックプロパゲーションが要らないという主張については活性化関数がきわめて単純だから. それなら全層に渡しても「修正」できるでしょう.つまり自明に近いですね.
勾配消失なんて関係ない, という主張については, xorというゼロイチでしか見ないのであれば勾配消失も何もありません. 永遠に層を貫通するわけですから, 何層増やそうがほとんど意味が出てこない. つまりそれは実際には極めて浅い層だけで動いてると思われる.
「こんに」から「ち」「は」が次文予測できたとの報告ですが, まぁ……それが「大規模言語モデル=LLM」にそのままスケールできると言い切れるのはなぜでしょうか?
MNISTだけでなくGLUEあたりをパスしてからにした方がいいと考える次第です.
```x
▶︎ 私が批判されながら、誤差逆伝播に変わるアルゴリズムや精度を30%→100%まで持っていく頭のおかしい行動が取れる理由は、以下の思想があるから。
▶︎ 1. 私のNNは高次元の万能近似回路
▶︎ 3. 何十回と失敗した経験則から、原因と対策が殆どわかっている
```
殆どわかってる, との事ですが, なんで上手くいってるのか分かってないとも自分で明言なさっている. ↓↓↓
```x
▶︎ 学習が進まないの、謎。単体だと上手く動いてるはず?何が原因だろうか。
▶︎ 学習アルゴリズム開発者本人ですが、なぜ学習が進むのかは謎です。
```
既存手法があまたの失敗の上で最適だと言われてきてる経緯もよく知った方がよい.
それはごく初期にそういった様々な試行錯誤のうえで「やはりGELUやBPが現実的にいい性能が出せるし, コストも抑えてこれである」と様々な研究者が合意しているような状況.
そして, そもそもアカデミアは自分のアイディアも含めて新規手法を常に疑ってかかるのが基本姿勢.
ジャーナルに「不確実さ」を載せないためで, それが積み重なると自他問わず全ての研究が信用出来なくなってしまうため. だから懐疑的になる. 個人攻撃ではないのです.
出さないのも自由ですが, 前述の理由で信頼を得られない. これは言動に一切関わらず, その厳密性をフラットに評価してそう判断しているから. 感情ではなく, 論理として.
……と, ここまで色々と蛇足なアドバイスをさせていただいたものの, この投稿に対しても
```x
▶︎ 何もわかってない人が国産LLMのやつ批判してて吹いたww
```
といったツイートをなさるのでしょう. (過去に氏がそう仰っていたので)
先に答えておきますね.
「自分のやってることがご自分でお分かりにならないようなら, 私にわかるわけがないですし仰る通りです. ただ, 詳しい者として一般論は申し上げられます.」
まだ間に合いますので, 大学院あたりまで修了なさるのがおすすめです.
Twitterに何を投稿しようと自由です. でも自分で違和感を見て見ないふりするのだけはやめたほうがよろしい. 既存手法と同等に自分の手法を疑うこと, これは研究者としての基本姿勢です.
研究テーマ設定を見かけるとついつい, より良い筋でやっていけるようアドバイスしたくなってしまう性が染み付いてしまっているためでして.
もちろん, 関わりのない方ですので蛇足でしかないのですが, 多くの方に影響力をお持ちでありつつ研究の進め方については独自の姿勢を持つように見受けられまして.
それはもちろん根本的には自由でありつつ, 相談相手の需要がもしあればひとつの(一般的)意見をお渡しできるかなと思いキーボードを叩いた次第です.
どうか匿名でご勘弁を.
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【追記】
おそらく氏のやられていることは順伝播 (forward propagation) のみでの学習かと思いますが, この手法の先行研究は山のように存在します.
(Hebbian theory, Perceptron, Adaptive Linear Neuron:ADALIN, Widrow-Hoff learning rule...)
見つけられないとすれば, 古典的 (1960~1980年頃) ゆえに電子化されていないためです. 現行の商用LLMがそれらの情報を簡単に連想して引用できず, DR等で検索しても出てこないのはその為でしょう.
これらに簡単にアクセスするためにはやはり学術機関に所属して図書館を利用するのが圧倒的に楽です. マイクロフィルムや紙媒体でしか残っていないものもありますから.
また, 有料データベースであるJSTOR, IEEE Xplore, Springer Linkなどにもアクセスが出来ます.
なお, arXivはあくまでプレプリントですので, 論文として引用するには査読を通過したものをつよく推奨します. ジャーナルもものによっては不十分な査読で掲載されてしまいますので, トップカンファレンスのものを信頼できる足がかりの論理として扱うのが基本的な考え方となります.
また, 「分からなければ (大量に貼った) 論文を読んでください」という姿勢は, それぞれをどう引用し, どのように自分の主張と論理的に接続するかの説明がなされなければ根拠として見なされないのが一般的な考え方です.
ブログとしての掲載はもちろん自由ですが, それらを十分な説明として取り扱ってもらうには至らないでしょう.
論文を引用するからにはそういった丁寧な取り扱いをすることを期待されるものです. 「敬意がない」と他の方から指摘されるのはおそらくそれが理由でしょう.
これは, 過去の論文を引用しながら新たな主張を論文として営々と積み上げ続けてきたアカデミアの「過去への感謝」という慣習です.
人の行動は自由ですから「こうしろ」とは申し上げませんが, この暗黙の了解を保持する (≈研究機関に所属したことのある) 方からの理解を得るのはこのままですときわめて難しいであろう, とアドバイスさせてください.
こういった主張のやり方を自分なりに一から身につけるのはたいへん難しいので, どなたかそういった手法を学べる信頼できる方に師事することをおすすめしている次第です.
本日発表された「生成AI時代の創作と権利のあり方に関する共同声明」は、表面上は高尚な倫理を装いながら、実際には旧来の出版・映像業界が自らの利権と支配を維持するために発した時代錯誤の自己防衛声明にすぎません。文化の担い手を名乗りながら、彼らは文化を盾にして独占し、創作の自由を自らの縄張りに囲い込もうとしています。AIという新たな知的基盤を「脅威」と決めつけ、法律や科学的事実を踏みにじってまで、自分たちの都合に合わせた“新しい原則”を作り出そうとする姿勢は、文化の発展を自ら人質に取る行為と言わざるを得ません。
声明で繰り返される「オプトイン原則」なる主張は、法的根拠のない作り話にすぎません。日本の著作権法第30条の4は、情報解析、すなわち機械学習を適法な行為として明確に認めています。これは国会で正式に審議され、国際的にも承認された条文です。それをあたかも存在しないかのように無視し、独自の“原則”をでっち上げているのは、法の支配を自分たちの感情で上書きしようとする行為にほかなりません。法治国家の根幹を軽んじるこうした態度こそ、社会にとって最大の脅威です。
声明では「WIPO著作権条約の原則にも反する」との一文が見られますが、これは国際法を理解していないか、あるいは意図的に誤解させる表現です。WIPO著作権条約第10条は、各国が技術革新との調和を図るために例外を設けることを明確に認めています。日本の著作権法第30条の4は、その条項に基づく正当な立法です。にもかかわらず、これを「国際的に反する」と断じるのは、国際法の権威を自らの商業的利益のために悪用する詭弁にすぎません。法を装いながら法を捻じ曲げる態度は、文化への裏切りです。
声明が要求する「学習データの透明性」は、AI技術の基本構造を理解していない人々の発想です。生成AIは著作物を丸ごと保存しているわけではなく、膨大な情報を数学的に抽象化して学習しています。どの作品を学習したのかを特定することは、理論的にも不可能です。にもかかわらず、それを“透明性”という美辞麗句で求めるのは、AI研究を停止させるための方便に見えます。理解できない技術を「危険」と断じて封じ込めようとする態度は、科学の否定であり、知の進歩への挑戦です。
著作権法第1条は、「著作物の公正な利用を通じて文化の発展に寄与する」ことを目的としています。声明はこの理念を真っ向から踏みにじり、創作の自由を業界の利権で縛りつけようとしています。もし学習をすべて許諾制にすれば、日本のAI研究は立ち行かなくなり、創作者自身もAI支援という新しい表現手段を奪われるでしょう。つまり、彼らは「創作者を守る」と言いながら、実際には創作の未来を殺そうとしているのです。
声明全体に共通するのは、「自分たちだけが正義である」という思い込みです。AIに学習されることを「搾取」と呼びながら、彼ら自身は長年、他人の文化を引用し、再構成してきました。著作物の「利用」は自分たちの権利であり、AIの「利用」は侵害だという二重基準は、もはや論理ではなく自己保身のための感情論です。著作権を対価交渉の武器に変え、創作の自由を締めつける構図は、文化産業ではなく利権産業の姿です。
7.未来に向けて
AIは人間の創造性を奪うものではなく、拡張するものです。学習を犯罪扱いし、技術革新を恐れ、自由な発想を封じることこそ、文化への裏切りです。私たちは、旧来の特権構造に縛られた声ではなく、法と科学と自由の原理を信じる社会の声を支持します。AIと人間の創造性は対立するものではなく、共に進むべき文明の両輪です。文化を守るとは、未来を拒むことではなく、未来に開かれることです。
【発出者】
以下は、ジェンダーについて、あくまでも(イケメンではない)男性からの視点で考えた文章です。
男女どちらの方がつらいといった意見ではありませんのであらかじめご了承ください。
「イケメンじゃない男性の恋愛社会における生きづらさ」を始点に。
原因の1つは、男女平等が叫ばれて何十年もたつが、いまだに男が女を率いるもの、という価値観がまかり通っていること。バレンタインデーがあって逆バレンタインデーが無いのは、男が女に好意を伝えるのは「当たり前」だから(ホワイトデーはバレンタインデーのお返しをする日である)。
これを強化するのが、ルッキズムは生物学的に(おそらく)自然なことであるのに対し、ルッキズムはダメなことで顔の良し悪しじゃないよという意見が支配的で、しかし実際はテレビに出ている人の整い方は異常であり、完全に矛盾しているということ。例えば、テレビドラマのメインキャストは美男美女しかいないが、これは多くの人が美男美女が好きということの証左である。ちなみにテレビに出ている不細工タレントは本当の不細工ではなく、不細工だとしても身なりやメイクが整っていて漂白されている。これは自然界で起きにくいのは、単純に身なりを(タレント級に)整えるのはお金がかかるからだと思っている。これにブーストをかけるのが昨今のショート動画の流行。
で、なぜイケメンでない男性が生きづらいのかと言うと、特に日本の告白文化だと、告白をするまで女性の本当の意思を確認することができない(男が女に告白して、女に「友達だと思っていた」とフラれる事象があるのは、そういうこと)。で、イケメンなら多くの人が好きなはずであるから、成功確率が高いと事前に分かった上で告白することができる。しかし、イケメンでなければ、よほど特別に近い関係にあって親密さを確認できる環境が整わない限り、告白が成功する確率は著しく不明瞭で、おそらく低い。これが未婚率の増加を物語っているのではないかなあと思いました。あと、告白する前の段階であっても、イケメンでない男性は、特にファーストコンタクト(や浅い関係性)で女性に近づいて拒絶されるか否かは、イケメンに比べて拒絶される確率が高い(内面もよく知られていないから)。だから、親密にもなりにくい。
「イケメンじゃない男性でも美人の彼女がいたり結婚していたりする」という反論に関しては、その男性が「そういう人」(生まれもった性質などでリスク許容性が高い)というだけで、一部の男性に限られた現象ではないかと考える。そうでなければ生涯未婚率が増加している説明はつかない。
ということで、伝統的なジェンダーにおける男性性、つらいよね。ということです。着想した段階では、なぜちゃんみなが人気なのか、という考えがありました。ちゃんみなをビジュアルよりも「強い女性」として人気である、と仮定して考えると、それは生まれもったビジュアルではなく強さ、すなわち「現世で変えられる」ところに希望を感じたからなのではないかと。「理想」は可愛い、きれいな美人かもしれないけど、現実的な折り合いとして「強い女性」が人気になるのではないかと(CHAIの"NEO KAWAII"という考え方は好きですが、生物学的にルッキズムを負かすのは非常に困難で、外見以外を切り口にした方が現実的かもしれません)。それならば女性が強くて男性がそれに預かる、みたいな関係性が魅力になってもいいのではないか、というか、それでしか現代の人間の未来はないんじゃないかなあ、などと考えたり。
そんなことはどうでもいいけど、誰が言ったかかどうかは真実性を棄損しない、に対して反論できてないけど負けを認めたの?
dorawiiより
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1,Bの比喩(「傘をさすと雨が降ってくる」=相関を因果と誤認)は、Aの主張(フェミニストの活動 → 自殺増加)を否定している。
2,もしBの言う通り、フェミニストの活動が自殺増加の原因ではない(偶然の相関に過ぎない)とすると、フェミニストの活動が始まる前から「女性の生きづらさ起因の自殺」は現在と同程度に存在していたはずだ、ということをBは暗に認めることになる。
3,したがって、Aは「活動(原因)前に自殺(結果)が少なかった」という事実(Aの認識)を突きつけることで、「活動の開始」と「自殺の増加」の間にはやはり因果関係があると再主張し、Bの批判が的外れであるとしています。