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はてなキーワード: 社会学者とは

2025-11-05

クソみたいなこと言ってるやつが大勢の人がいいねしていたらツッコミたくなるのは、「沈黙の螺旋」と「不協和の恐怖」についてという理論が該当する

被害感を訴える人をなぜ放っておけないのか」という問いに対する、ご自身の「反論したくなる気持ち」は、現代SNS環境における情報拡散性質と、人間の根源的な集団の安定性への希求自己防衛心理が絡み合って生じていると考えられます

以下に、関連するメディア論的・心理学的な概念をいくつかご紹介します。

メディア論社会心理学から見た関連概念

1. エコーチェンバー現象フィルターバブル

SNSが普及する中で、ユーザー自分と似た意見価値観を持つ情報に囲まれやすくなります。この現象を**エコーチェンバー反響室)**と呼びます

ネガティブ意見が広まると社会的不安定さが増す」という懸念は、特定ネガティブな言説がエコーチェンバー内で強化され、社会全体の実態よりも大きく・危険であると誤認させることへの危機感解釈できます

SNS以前は、一部のネガティブ意見が広範な影響力を持つことは少なかった(「放っておけた」)のに対し、SNSではその拡散力と集積力により、**「侵食してくる」**可能性を感じやすくなっています

2. 多数派沈黙と「不協和の恐怖」

ポーランド出身社会学者エリザベスノエルノイマン提唱した「沈黙の螺旋」という理論が関連します。

人間は、自分が少数派であることや、周囲から孤立することを極端に恐れるため、社会的な場で多数派認識される意見に合わせて自分意見を変える、あるいは沈黙するという現象です。

自身の**「反論したくなる気持ち」は、ネガティブ意見があたか多数派であるかのように広がり、それによって「社会は敵である」という認識が優勢になることへの恐れ、つまり社会常識や安定性が揺らぐことへの「不協和の恐怖」**として現れている可能性があります

社会は敵ではない」と反論することで、「社会は安定している・自分安全だ」という既存認識を再主張し、強化しようとする防衛的な行為と見なせます

3. システム正当化理論 (System Justification Theory)

社会心理学者のジョン・ジョストらが提唱した理論です。

人々は、自分自身だけでなく、自分が生きている社会システム(現状)そのもの正当化し、擁護しようとする傾向があるというものです。これは、システム不安定だと認識されると、不安や脅威が増すためです。

社会子連れを歓迎している、優しい」「社会は人につらく当たらない」という反論は、**「自分が生きる社会基本的に公正で良い場所である」**というシステム正当化動機からまれていると解釈できます

被害感を訴える人」の主張は、この**「社会は良いシステムである」という認識を脅かす**ため、反論によってシステムを守ろうとする衝動が生じます

4. 確証バイアス認知的不協和

確証バイアス:人は、自分の持つ信念や価値観裏付け情報ばかりを集めがちです。

認知的不協和:「自分にとって社会は敵ではない」という認識認知)と、「社会が敵だと主張する声が拡散されている」という現実認知)の間で矛盾が生じると、認知的不協和という不快心理状態が発生します。

この不快感を解消するため、人はしばしば**「被害者の主張を否定する」という行動に出ます。これは、「自分認識社会は優しい)を修正する」よりも、「他者の主張(社会は敵だ)を間違っていると否定する」方が、自己の信念体系を保つ上で心理コストが低い**ためです。

anond:20251105081950

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木下ちがや

政治社会学者

2025年11月2日11時21分 投稿

視点】「初の女性○○が事件になる時代は、とっくに終わ」ったのだろうか。「ガラスの壁」を打ち破ることを歓迎する女性たちは「時代遅れ」なのだろうか。「女なら誰でもいいという時代では、もうありません」という上野氏の「選別の時代宣言には、「リベラル学者に選別されてしまう」女性たちの分断を生みかねないという懸念を抱いてしまう。「承認されるに値する進んだ人たち」が「それに値しない遅れた人たち」を置いてけぼりにすることによる尊厳剥奪屈辱感こそが、トランプ現象をはじめとするポピュリズム動力であることを見抜いたのは政治学者マイケル・サンデルである

さら上野氏は、「社会学理論によれば、少数派が多数派集団に食い込んでいこうとするとき多数派よりも多数派らしくなる傾向があります。過剰同一化と呼びます」とし、これが「高市首相を含めた今の自民党女性政治家の多くにもあてはまる」と述べている。だがこの社会学理論を適切に当てはめるならば、立憲民主党から共産党までのすべての政党政治家にあてはまることになる。どの党においても女性は未だ少数派であり、このような党派的選別は社会学にはなじまない。土井たか子浜四津敏子といった女性リーダーの先人たちも過剰同一化していたのだろうか。そうであるならば、高市総理自民党女性政治家たちだけとはいえないだろう。

このように上野氏は、「進んだ女性」と「遅れた女性」、「保守的女性」と「リベラル女性」という女性の選別を前提にしているようにみえる。僕の懸念は、上野氏の主張が正しいか否かではなく、この選別がリベラル社会学一般庶民からますます乖離をもたらさないかということだ。

2025-11-01

anond:20251101142754

石破の時はいなかった自民党よいしょが、高市早苗になった途端にものすごく増えている

その内容もフェミニズムとか、左翼陣営を切り崩す内容で。不思議だなー。

ジェンダー 高市早苗 後退でGoogle検索すればいくらでもなぜに対する考え方が示されているのにね

はてなスター工作は以前騒がれていたけど、SNS投稿に対する横断的な動向の評価社会学者がやったらユニークだろうにね

https://anond.hatelabo.jp/20251027001109

anond:20251101174001

ぜひ社会学者民俗学者歴史学者を総動員させて研究して欲しい話題だが絶対その日は来ないんだろうね。金にならないから。

dorawiiより

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2025-10-20

anond:20251020212749

サンプリングとしての音の良さ

これは本当にすごい。世界にも色んなミームがあるけど、淫夢サウンドでの強さは半端ない

叫び声、環境音、セリフ、あらゆる面で優れたサウンドがある

爆発四散してなかったことになってるけど、プロアーティストリミックスを出すくらい

俺は今でもアルバムリピートしている

本物のクリエイティブが集まった

先にコンポーザーを挙げたが、動画編集者、ピアニスト、その他メジャーマイナーわず本物が多数通り過ぎていった

淫夢という切り口からプロ仕事を見させてもらって、その豊かで育まれ文化的土壌は未だに我々に栄養を与え続けてくれている

学生同人における東方ボカロのような役割果たしている

元がホモビデオドラマ

絵があり音があり文脈があり中の人要素があり、総合芸術作品を徹底的に分解した結果、何にでも適用できた

テキストだけで淫夢をやっている人もいるし、ジャンルとして成立しうる幅が確保されていて、一過性ミームでは終わらなかった

学生運動・労働運動の衰退の受け皿

淫夢社会学者の仮説の1つとして、淫夢アナーキー社会運動代替という説がある

世の中のクソさへの反発を資本家政府に向けるのではなく、淫夢創造によって社会破壊を目論むという説である

適切な切り離し

淫夢ミームであるので常に追加の素材が供給されるが、ある一定の拡大を見せたところで別ジャンルとして切り離す性質がある

クッキー☆しかり、KBTITしかり、syamu_gameしか

そうして本家本元の伝統クオリティを保ち続けたことも作用しているだろう

2025-10-12

anond:20251011161343

いつまで経っても賃金の男女格差が縮まらないのは旦那の金で優雅暮らし低賃金パートで小遣い稼ぎする主婦のせいなんだけど

男女の賃金格差データ「だけ」を並べて女性差別を主張する社会学者絶対に触れないんだよね

2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1. 集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割: 社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2. 社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割: 社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3. 社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割: 社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1. 概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2. 批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3. 社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

ガラス天井と裸の王様モチーフAI小説を書いてもらった

### 高潔なる天井

#### 第一章:仕立て屋の憂鬱

日本初の女性総理大臣誕生する、その歴史的な前夜。社会学者東山教授は、自室の書斎で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。テレビ画面の中では、次期総理の座を確実にした、天城(あまぎ)るり代表が、勝利宣言で満面の笑みを浮かべている。

「天城さん、初の女性総理として、長年この国を覆ってきた『ガラス天井』をどう打ち破りますか?」

記者紋切り型質問に、天城はマイクの前で小首を傾げ、悪戯っぽく笑った。

天井申し訳ありませんが、わたくし、上ばかり見て走ってきたので、道中に天井があったことには気づきませんでしたわ。そもそも存在しない壁や天井の話をするのは、もうやめにしませんこと?」

その瞬間、スタジオは凍りつき、SNSは沸騰した。そして、東山教授の堪忍袋の緒は、見事に切れた。

愚か者めが…!」

東山教授は、長年にわたり日本社会に蔓延る、見えない構造差別」としての『ガラス天井』を研究し、その存在を説いてきた第一人者である彼女にとって『ガラス天井』は、単なる比喩ではない。それは彼女学問のすべてであり、彼女自身が丹精込めて織り上げた、知的で高尚な、しかし目には見えない「至高の御衣(ぎょい)」だったのだ。

この御衣の存在理解できる者こそが、現代社会知的エリートであり、ジェンダー意識の高い「わかっている人間」。逆に、これが見えない者は、時代遅れで、差別的で、救いようのない「馬鹿」なのである

それなのに、天城るりという女は、その御衣の存在のものを、国民の前で一笑に付したのだ。まるで、裸の王様を指さす無邪気な子供のように。いや、子供より性質が悪い。彼女は、圧倒的な実力と国民の支持という「権力」を持って、それをやってのけたのだから

彼女は家父長制に取り込まれた『名誉男性』に過ぎない。天井が見えないのではない、見る能力思想がないのだ」。

東山教授はすぐさまメディアコメントを発表し、取り巻き学者コメンテーターたちも一斉に同調した。彼らは、来る日も来る日も、テレビ新聞ネット上で「ガラス天井」という御衣の素晴らしさを語り続けた。

「この緻密で複雑な構造が見えないとは、なんと浅はかなことか!」

「天城総理成功は、天井に偶然空いた小さな穴をすり抜けただけの例外だ!」

「我々『賢い人間』には、その透明な天井がはっきりと見えているのだ!」

彼らは、自分たちけが見える高尚な天井画を、互いに褒めそやし続けた。

#### 第二章:パレード野次

天城るりが総理大臣就任し、組閣は驚くべきスピードで進んだ。能力主義を徹底し、性別や年齢、派閥など一切関係なく、適材適所人材を抜擢していく。彼女政策は明快で、実行力に満ちていた。国民支持率は、うなぎのぼりだった。

そんな中、東山教授とその一派は、国会議事堂の前で奇妙なデモ計画した。プラカードにはこう書かれている。

天井はここにある!』

『見えないからって、無いわけじゃない!』

『我々の知性を無視するな!』

彼らは空に向かって指をさし、「見よ、この分厚く、冷たいガラス天井を!天城総理あなたにもこれが見えないのか!」と代わる代わるシュプレヒコールを上げた。しかし、道行く人々は、何もない空を指さして熱弁をふるう一団を、ただ不思議そうに眺めるだけだった。中には、不審者を見るような目で、足早に通り過ぎていく者もいた。

「どうして見えないのだ、この愚民どもには!」

東山教授は苛立った。彼女が何十年もかけて織り上げてきた、世界で最も高尚で、最も知的な「見えない御衣」が、誰にも理解されない。それどころか、天城総リは、そんな騒動を意にも介さず、外交に、経済政策に、次々と目に見える成果を上げていく。

国民は、もはや空虚天井画には興味がなかった。彼らが見たいのは、自分たち生活が良くなるという、具体的な未来予想図だった。

#### 最終章王様の新しい服

就任後、初の所信表明演説の日が来た。国民の注目が、官邸から国会へと注がれる。東山教授も、テレビの前で腕を組み、天城がいつ「天井」の存在言及し、自分たち知識人謝罪するかと待ち構えていた。

壇上に立った天城るりは、朗々と、しかし力強く語り始めた。経済外交社会保障。具体的な数値と計画を伴った演説に、野党からさえも感嘆の声が漏れた。そして、演説最後に、彼女はふと笑みを浮かべ、こう言った。

「さて、一部の賢明な方々が、わたくしが打ち破るべき『天井』の存在について、大変ご心配くださっているようです」

議場がざわめいた。東山教授テレビにかじりついた。

「その方々が仰るには、わたくしには見えていないだけで、この国の空には、それはそれは分厚いガラス天井が広がっているのだとか。そして、それが見えない者は、愚か者なのだそうです」

天城はそこで言葉を切り、満場の国会議員と、その先にいる全国民に向かって、堂々と宣言した。

「ならば、わたくしは、喜んで愚か者でありましょう。わたくしには、見えない天井を見上げて嘆いている時間はありません。わたくしが見ているのは、天井の先にある、この国の未来です。国民一人ひとりの、笑顔です」

彼女は両腕を広げた。

「皆様。存在するかどうかもわからない天井の話は、もう終わりにいたしましょう。それよりも、わたくしが仕立てた『繁栄』という名の新しい服を、共にご覧いただきたい!」

その瞬間、割れんばかりの拍手が議場を包んだ。それは、もはや誰にも止めることのできない、新しい時代ファンファーレだった。

テレビの前で、東山教授呆然と立ち尽くしていた。彼女が心血を注いで織り上げたはずの「至高の御衣」は、いつの間にか、誰の目にも見えないどころか、誰の記憶にも残らない、ただの空気に成り果てていた。

王様は裸だ…」と叫んだのは誰だったか。いや、そもそも王様などいなかったのだ。いたのは、自分の仕立てた服こそが最高だと信じて疑わなかった、時代遅れ仕立て屋だけだったのである

社会学者社会性のなさは必然なのかもしれないな

要するに社会適応ゼロ人間ほど「今の社会おかしい」という確信を持ってしま社会学に突き進むんだろうな

2025-10-04

anond:20251004160446

理系のせいで日本は衰退したと言ってもいい

社会学者冷笑して馬鹿にした理系はなにか社会を良くしたんだろうか?

御用学者になって政府の言うままに汚染水を垂れ流してワクチンばらまいただけじゃないか

「アイツは差別していい」って理屈を捻り出すのが社会学者

https://x.com/syatekiya931/status/1974202182271709516

と、社会学者馬鹿にしていいという流れには嬉々として参加する側のみなさん

2025-09-30

透明化する差別無自覚男性差別庶民差別に向けて)

弱者男性という言葉が言われるようになって数年が経った。が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者外国人高齢者といった「マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。

弱者とされるマジョリティカテゴリの人々が声をあげても人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。

実際にその人がどれだけ苦しんでいるか関係がなく、こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば

お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性下駄をはかされ優遇されてきたのにと「加害者発言権が無い」とばかりに、社会学者マスメディアという権威が率先して、見えない弱者差別推し進めてきた。

その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者属性弱者 という分断である

米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたかである

本来労働者階級弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。

左派団体の中心は富裕層高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり、社会問題として訴えられる分かりやす差別問題だ。

疲弊する中間層を救うには賃上げ物価対策経済活性化という地道な努力必要になるが、弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミけがよく、有権者アピールやすい。

この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別女性弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。

暇空騒動やり玉に上がった仁藤夢乃氏は、私立中から私立大学卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。フェミニズム大家である上野千鶴子氏は親が大学教授お嬢様だ。

彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。私から言わせれば、彼女らはそんな社会運動に身を投じて、それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから弱者どころかメチャクチャ社会的強者である

現在疲弊する中間層は、明日のメシに困るわけではない。しか物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。

そして、政治に目を向ければ「差別してきた側」と名指しされ、クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで「架空存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。

LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで差別差別だと騒がれ、業務が増え疲弊する。

外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか。そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットしか吐き出せない。

ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。

本当の弱者は、大学教授社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく、弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。そんな彼らが、ポピュリズムを支持し、日本社会の分断は確実に深まっている。

ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である。そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である

からこそ、人権派を自認するマスコミ社会学者文化人良識派自称する権威の人々へ、お前は恵まれ強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり、その独善性が分断の大きな要因である自覚しろと言いたいのだ。

差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み、それが最終的にポピュリズム暴走というカタストロフに至るのであれば、責任疲弊する中間層無視した側にも大いにある。

透明化する男性差別の原因

弱者男性という言葉が言われるようになって数年が経った。

が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者外国人高齢者といった

マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。

弱者とされるマジョリティカテゴリの人々が声をあげても

人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。

実際にその人がどれだけ苦しんでいるか関係がなく

こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば

お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性下駄をはかされ優遇されてきたのに

と「加害者発言権が無い」とばかりに、社会学者マスメディアという権威が率先して、見えない弱者差別推し進めてきた。

その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者属性弱者 という分断である

米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。

なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたかである

本来労働者階級弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。

左派団体の中心は富裕層高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり

社会問題として訴えられる分かりやす差別問題だ。

疲弊する中間層を救うには賃上げ物価対策経済活性化という地道な努力必要になるが

弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミけがよく、有権者アピールやすい。

この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別女性弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。

暇空騒動やり玉に上がった仁藤夢乃氏は

私立中から私立大学卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。

フェミニズム大家である上野千鶴子氏は親が大学教授お嬢様だ。

彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。

から言わせれば、彼女らはそんな社会運動に身を投じて

それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから弱者どころかメチャクチャ社会的強者である

現在疲弊する中間層は、明日のメシに困るわけではない。

しか物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。

そして、政治に目を向ければ「差別してきた側」と名指しされ

クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから

「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで

架空存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。

LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで

差別差別だと騒がれ、業務が増え疲弊する。

外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか

そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットしか吐き出せない。

ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。

本当の弱者は、大学教授社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく

弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。

そんな彼らが、ポピュリズム投票し、日本社会の分断は確実に深まっている

ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。

ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である

そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である

からこそ、人権派を自認するマスコミ社会学者文化人良識派自称する権威の人々へ

お前は恵まれ強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり

その独善性が分断の大きな要因である自覚しろと言いたいのだ。

差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み

それが最終的にポピュリズム暴走というカタストロフに至るのであれば、責任疲弊する中間層無視した側にも大いにある。

2025-09-23

北村紗衣氏って専門は英文学やろ?

社会学者呼ばわりするのは社会学者に失礼やろ。流石に。

ラオスでの児童買春肯定すべきである理由

ぼざろ脚本家吉田恵里香氏のご指摘にもあったように、また、以前からテニュア社会学者国連特別報告者や専門機関日本事務所長、高名なフェミニスト活動家などからのご批判があったように、アニメマンガゲーム等における、乳揺れ、パンチラ、お風呂シーン、ラッキースケベ、頬の紅潮、胸や尻等の性的部位の強調等の表現性的搾取である。またこれらは、性的搾取であるのだから、仮にゾーニングをしたとしても性的搾取であるさらに言えば、権威ある専門家性的搾取である事実認定しているのだから、これらは事実として性的搾取であり、権威の欠片もないキモヲタ素人による豚の嘯きなど全く問題にならず、事実として確定したものである

しかしながら、アニメマンガゲーム等における、乳揺れ、パンチラ、お風呂シーン、ラッキースケベ、頬の紅潮、胸や尻等の性的部位の強調等の表現を私は好んでいるので、私はこれを何としても肯定する必要がある。しかし先ほどから述べているように、これは事実として性的搾取であると決められている。どうすればいいのか。確かにいかなる行為性的搾取であるかの事実認定においてキモヲタによる豚の嘯きは権威ある専門家に勝つことはできない。しかしながら、事実認定ではない、道徳的善悪判断については誰しも自由に行うことができる。何を良いか、悪いかを決める価値判断個別に下すことが可能なのである。だから、私は、アニメマンガゲーム等における、乳揺れ、性的搾取たるパンチラ、お風呂シーン、ラッキースケベ、頬の紅潮、胸や尻等の性的部位の強調等の表現肯定するために、性的搾取肯定するしか選択肢が無い。

そして、性的搾取肯定するのだからラオスにおける児童買春肯定しなければならない。そして、それを肯定する以上、それらを防止する施策運動への拒否はもちろんのこと、合法範囲での妨害批判的なキャンペーン活動)等を応援しなければならない。

私としては、このロジックは明晰で正しいと思うが、一方でどうにも好ましいとは思えない。そこで、誰かロジック否定してくれないものだろうか?

2025-09-13

なぜ女は自分を怯える男を恋愛対象には見ないのか

お前らは女が見かけや年収に惹かれると思ってるが、それは完全に見当違いだ。女が一番最初に見るのは「この男は私に怯えてるか?」これだけなんだよ。

まず、女性恐怖症とか自信のない男の研究データを見てみろ。シドニー大学調査で2,744人の独身男女に調査した結果、モテない男の特徴第2位が「自信のない態度」だった。女は本能的に「生存能力の低い男」を排除するシステムを持っているんだ。怯える男=危機管理能力がない=子孫を残せない、この図式が無意識に働く。

チー牛が納得できないのはまさにコレだろ。見かけが同等で年収職業自分以下の男がモテてる現実。でもそいつらには決定的な違いがある。女を怖がってないことだ。

女性心理学者研究によると、女は相手の「自己肯定感」を瞬時に察知する能力が異常に高い。お前らが女の前でビクビクしてる時点で「こいつは弱い雄だ」と無意識に判定される。逆に、DV男がモテ理由もこれで説明がつく。あいつらは女を恐れてない。むしろ支配しようとする。女はその「強さ」に惹かれるんだ。

心理学的に言えば、これは「優位性認知バイアス」の結果だ。女は男の微細な表情、声のトーン、姿勢から「この男は私より優位に立てるか?」を判断してる。お前らが「どう思われるだろう」と考えてる瞬間、もうアウトなんだよ。

さら残酷現実を教えてやる。女性恐怖症の男の特徴を見てみろ。「女性身体的に近づくと不安高まる」「意識的女性を避ける」「自尊心が低く悲観的」。これ、全部お前らに当てはまってないか

でも一番ヤバいのは、この怯えが「学習」されることだ。一度女に怯えるようになると、その恐怖心が次の女性関係でも再現される。つまり、負のスパイラルにハマる。チー牛がチー牛のまま年を重ねる理由がここにある。

逆に自信のある男を見てみろ。彼らは「相手の反応」ではなく「自分価値」に焦点を当ててる。女が自分をどう思うかより、自分が女をどう思うかを優先する。この心理的立ち位置の違いが、モテる・モテないを決定的に分ける。

最後に、お前らが勘違いしてることを言っておく。「優しいから女にモテない」じゃない。「怯えてるから女に相手にされない」んだ。優しさと怯えは全く別物だ。本当に優しい男は、女を怯えさせない自信と強さを兼ね備えてる。

から覚えろ。女は年収を見る前に、お前の「恐怖心」を見抜いてる。スペックより先に、お前の「男としての自信」を評価してる。それができてない限り、どんなにイケメンになっても金を稼いでも、永遠に恋愛対象外のままだ。

まずはその怯えを捨てろ。女を人間として見ろ。そしてお前自身を「女に評価される存在」ではなく「女を評価する存在」として認識しろ。これができない限り、お前らは一生チー牛のままだ。

追記

この話を短くまとめると、社会学者リースマンが「孤独群衆」で語るところの社会性格論における他人思考型ではなく内部思考型でいる方が男性女性から受け入れられ易い、と言うだけの話だ。

こう書くと非常に簡潔にまとまる。

そして、この説明のほうが「では実際に女性の前で、どのように振る舞うべきか?」という問いに対しての回答になっているし実施も容易だ。しかしながら、ここまで読んでこの追記の内容をあなた理解できているだろうか?全ての人が理解できているとは思えない。だから仕方なしにチー牛だとか、ここの読者層が受け入れ易いであろう、と想像する言葉を用いている。結果として私が主張したい内容とはやや乖離があるがやむ得ない、と判断したのだが、とても驚くべきことに、私が女性に対して暴力的であれ、と主張していると言う甚だしい誤読をされるのだから、やや乖離どころの騒ぎではない。これは私の文章力の欠如なのか、それとも読者の読解力なさなのか、困惑する。願わくば前者である方がまだ私にとっては好ましい結論である

2025-09-12

ポケモン教育に悪いのではないか

小学校とき先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。

彼は脇目もふらずにポケモンをやっていて、正直、「こいつでもポケモンとかわかるんだなあ」と思った。

三十分ほど彼のプレイを見ていて、とても悲しい事に気が付いた。

彼がそのゲームでやっているのは、マサラタウンの周りでポッポコラッタを倒す、ただそれだけだった。手持ちはただ一匹のピカチュウで、そのレベルは50を越えていた。彼は永遠、でんきショックで草むらのポッポを倒し続けた。

とても楽しそうだった。

先に進めてやろうと思いゲームボーイに手を伸ばしたら凄い剣幕で怒鳴られた。なんて怒鳴られたか聞き取れなかったけれど、とにかく怒鳴られた。

それを見て彼の母親が「ごめんなさいね、○○ちゃんポケモン大好きのよ」と僕に謝った。

彼はポケモン以外のソフトは持っていなかった。

僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。以前のようにゲームにのめり込めなくなってしまったのだ。ゲームボーイを握るとやるせなくなった。友達の家に行ってもみんながやるのを見ているだけだった。

その間、僕はゲームに興じる友達背中だけを見るように努めた。

本当にむなしかった。

その内に、僕はポケモンを憎むようにさえなった。今までの人生の中で、あんなに何かを憎んだことはない。

それは真夜中に僕を目覚めさせた。

ポケモンなんかこの世からなくなってくれと本当に願った。

僕はソフトを彼に全部あげて、本体は捨ててしまおうと思ったが、兄に怒られそれすらできなかった。

一人暮らしをしている今でもゲームは嫌いだし、もちろん家にも置いていない。

時々、彼と、永遠チャンピオンロードに辿り着けなかったであろう彼のピカチュウの事を思い出すと、とても悲しくなる。

司会者

本日は「ポケモン教育に悪いのではないか?」というテーマでお二人に語っていただきます。まず、佐伯先生からお願いします。

佐伯教育社会学者

私は断言します。ポケモン教育にとって“害悪”です。ある事例を紹介しましょう。小学生のある子は、知的障害を抱えていましたが、ポケモンだけに執着し、永遠マサラタウン周辺でポッポを倒し続けていました。レベル50を超えたピカチュウで、ただ「でんきショック」を繰り返すだけ。これは“学び”ではありません。進歩も挑戦もなく、ただ同じ行動を繰り返す中毒状態です。

中原教育評論家)

まったく同感です。その子自身が抜け出せないのも問題ですが、周囲の子供にまで悪影響を及ぼす。彼と遊びに行った友達は、ゲームの楽しさを失い、やがてゲームのものを憎むようになった。つまりポケモンは、一人の子供を“閉じ込める”だけでなく、他の子供の心から健全な楽しみを奪うのです。

佐伯

ポケモン構造のもの問題なんです。捕まえる、倒す、育てる――。この単純なサイクルが「思考停止ループ」を生み、達成感のような偽物を与える。教育観点からすれば、それは「成長を停滞させる装置」です。

中原

しかも、親の側も「ポケモンから安心」と思い込みやすい。母親が「この子ポケモン大好きなんです」と微笑ましく語る一方で、子供現実に一歩も進めないままゲーム内で足踏みし続けている。これは健全な学びの奪取であり、家庭教育崩壊助長しているに等しい。

佐伯

その通りです。ポケモンは「教育に良い」とされがちですが、実際は“害悪”でしかない。子供中毒にし、挑戦心や創造性を奪い、現実社会適応できなくしていく。

中原

私は極論を恐れずに言いますポケモンに夢中になる大人もまた、その毒に侵された犠牲者です。子供の頃に学ぶべき“現実との向き合い方”を学べず、社会に出ても幼稚なまま。ポケモン世代を超えて教育に悪影響を与え続けているのです。

結論

ポケモン教育に悪い。

それは子供の成長を停滞させ、周囲の友人関係すら歪ませる。

家庭も社会も「ポケモン中毒」という害悪から子供を守らねばならない。

2025-08-31

anond:20250831185930

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末冨芳

日本大学教授教育行政学

2025年8月30日18時7分 投稿

視点】【「検察が裏で教団とつながっている」という陰謀論になる、江川さんの懸念を強く支持します】山上被告母親証人尋問時間をかけること、山上被告が旧統一教会安倍元総理関係をどのように認識して犯行に至ったか検証量刑判断するためには不可欠だと、一国民の私も思います

検察が裏で教団とつながっているのでは、私もそう捉えてしまいそうになります

検察が、安倍政権下で相当な介入を受けているのではないかという疑惑黒川検事総長定年延長問題朝日新聞報道していました。

もしかして未だに旧統一教会安倍政権に近い検察幹部を通じて山上被告裁判に影響を与えているのかも、そのように捉えてしま国民は私だけではないと思います

公正中立裁判であることを国民に伝えるためにも山上被告母親証人尋問山上被告に面会を続けてきた宗教社会学者などの証人尋問は丁寧に実施され、報道されていく必要があると考えます

なお、もしいま、山上被告のようにカルト教団への献金宗教教義により、進学できなかったり、学校行事への参加ができなくなっているなどの事例は、すべて児童虐待として対応ができるようになっています

以下のガイドライン日本政府として示しています

具体的な対応については、こども家庭庁に遠慮なくお問い合わせください。

※「宗教信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」

教団めぐる母の尋問必要ない」 安倍氏銃撃、公判前に検察が反対 2025年8月30日 5時00分

https://digital.asahi.com/articles/AST8Y2PX6T8YPTIL009M.html 

10月に始まる公判で教団の影響をどこまで審理するか、双方の意見をふまえて、奈良地裁検討している。

 関係者によると、弁護側は「教団が被告の生い立ちに与えた影響を明らかにしなければ動機を真に理解したことにならず、正しい量刑判断ができない」と主張。母親証人尋問では、被告小学生ときに入信した経緯から信仰が家庭に及ぼした影響まで詳しく聞く必要があり、数時間は確保してほしいと訴えた。

 また山上被告の家庭環境を別の視点からも語ってもらうとして別の親族の一人、さらに教団の特異性を専門的な見地から立証するとして、拘置所山上被告と面会を続けている宗教社会学者ら3人の証人尋問も求めた。

これに対し検察側は、被告自身信者だったわけではなく、教団と被告との関係は「極めて希薄だ」と主張。量刑行為のものの悪質さを重視すべきで、「教団の問題やその活動内容の当否まで踏み込むのは極めて不適切だ」と反論した。

 その上で、母親への尋問では教団との関わりに被告が反発した経過だけ聞けば十分だとし、大幅に時間を短縮するよう求めた。また宗教社会学者らほかの証人請求については「必要性も関連性もない」として、すべて退けるべきだと訴えているという。

2025-08-21

anond:20250821082223

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シロクマ先生強者論理を振りかざしている ネット現代の駆け込み寺だ - はてな村定点観測

つか このシロクマって人より面白い社会学者腐るほどいるよね この程度の人が有名時になれちゃうのが はてな村界隈のレヴェルなのよなー みんな本読めばいいのに

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