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はてなキーワード: 煙幕とは

2025-10-20

革新なきヒットの限界――レパントの海戦としてのポケモンZA

 1571年、レパントの海戦オスマン帝国無敵艦隊を、スペインヴェネツィアローマ教皇連合艦隊撃破したあの日は、ヨーロッパにおける「旧秩序の最後勝利」として記憶されている。だがそれは同時に、火薬と風帆の交錯する時代における“過去の戦い方”の終焉でもあった。

 そして、2025年の『Pokémon LEGENDS Z-A』――これもまた、ゲーム業界におけるレパントの海戦である

 任天堂ポケモン社は、革新標榜しながらも、その本質は“帆船の艦列戦”に固執する連合艦隊だ。巨大なIPの威光を盾に、数値と懐古の煙幕プレイヤーを包み込む。だが、海はすでに変わっている。SteamEpicモバイルの潮流は、帆ではなく蒸気と電力で駆動する――それが現代の“海戦”だ。

 ポケモンZAが選んだのは、その新海域を航海することではなく、旧式のガレー船金箔で飾り、再び出港する道だった。

 確かにレパントの海戦ではオスマン拡張を止めた。しかし、あの勝利は一時の幻影に過ぎず、やがて地中海覇権沈黙のうちに移り変わった。同じく、ポケモンZAも短期的には話題と売上で勝利を収めるだろう。だがその勝利の背後で、ゲームの「航海技術」は停滞し、革新の風は他の海原へと流れていく。

 “伝統”の名のもとに惰性を正当化するその姿勢は、まさにガレー船の鎖に繋がれた漕ぎ手のようだ。美しく整った列を組みながら、どこへ向かうのかを誰も知らない

 レパントの海戦は、旧世界最後勝利であり、新時代の前夜であった。

 ポケモンZAもまた、ポケモン帝国の最終的な「勝利」であり、同時に「終わりの始まり」なのかもしれない。任天堂がいまだに風を読み違えるなら、その船団は次の嵐で、二度と帰港できないだろう。

 それでも彼らは帆を張る――“子どもたちの夢”という名の、時代遅れの風を受けて。

2025-10-19

ポケモン帝国ジークフリート線――『Pokémon LEGENDS Z-A』が築く“敗北の防衛線

 『Pokémon LEGENDS Z-A』。それは、任天堂ポケモン社が打ち立てた“最後の防壁”だ。ドイツ第三帝国がかつて築いたジークフリート線――西部戦線要塞群のごとく、この新作は「過去の栄光を守るための要塞」として存在している。だが歴史が示すように、防衛線は攻め込まれるためにある。

 Z-Aの発表は、ファン希望を見せかけた煙幕だった。舞台は再びカロス、再び懐古の都市ルミエール。だがそこにあるのは、創造ではなく再利用革新ではなく防衛姿勢だ。ポケモン社は自らの“鉄筋コンクリートノスタルジア”に閉じこもり、次世代創造リスクを恐れている。まるで、連合軍空爆を恐れて地下壕に籠るヒトラーのように。

 ジークフリート線がそうであったように、このZ-Aも膨大な資本技術で築かれている。だが問題は、その壁の内側に希望存在しないことだ。テクスチャが美しくなろうと、街の再構成がなされようと、ゲームデザインの骨格は老朽化している。進化ではなく、ただの延命措置プレイヤーが望むのは「次のポケモン」ではなく「新しいポケモン」だという事実を、ポケモン社は理解していない。

 ジークフリート線が陥落した時、ドイツは敗北を認めざるを得なかった。ポケモンもまた、その日が近い。Switch後期の停滞、ファン離れの加速、SNSでの冷笑――それらはすでに砲撃音のように響いている。Z-Aがどれだけ豪華な要塞であっても、崩れるときは一瞬だ。

 この作品は、もはや未来を切り開く旗ではなく、崩壊を遅らせる防衛線にすぎない。ポケモン帝国ジークフリート線。それは、かつて栄光を誇った軍団が築く、敗北のための美しい墓標である

2025-10-07

anond:20251007150007

総評

学術体裁を保ちながら、内容は安全地帯から感想文に留まっている。

専門用語の列挙で厚みを演出しているが、実際には中身のない論文典型例。

概念定義の不備を指摘しながら、肝心の自分概念も未定義という倒錯が見られる。

強み

形式的整然さ。語彙の密度

そして何より、批評の姿をした無害さ。

何もリスクを取らず、何も断言せず、誰も怒らせないことに成功している。

主要な課題

問題提起の欠如。

読者の脳を一ミリも揺らさな構成

中立を装いながら、自身立場を隠す臆病さ。

検証可能性を求めながら、実証する意志の欠如。

反証可能性を語りつつ、そもそも何も主張していないため反証不能

改善提案

まず主張をする勇気を持つこと。

論文の装いよりも、思考の誠実さを優先すること。

専門用語煙幕を薄め、読者に届く言葉を使うこと。

そして、批評とは自分リスクを引き受ける行為だという原点を思い出すこと。

最終評価(100点満点)

38/100

読みやすいが、何も残らない。

安全から放たれた、完璧に無害な言葉彫刻

学術の衣をまとった空虚の標本。

2025-09-30

dorawii「AI長文」「謝れ」「臭い」〜論理的反論の放棄と攻撃者への転換〜

I. 反応の構造:3つの

【Layer 1: 弱い論理的反論(前半)】

dorawii:


「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が

いることはあり得ないって思ってるの?

閉鎖的な職人とか例出したのに?」

「それともやっぱりダブスタを使ってるの?」

「どっちにしてもお前の論理にこそ

欠陥があることになる」

これは:

まだ論点に関与しようとしている

しかし弱い

防戦一方

【Layer 2: 分析者への攻撃(中盤)】

dorawii:


「なんでそれを簡潔に述べて

素直に謝ればいいのに

ai長文に頼って

煙に巻こうとしてるの?」

これは:

論点から離れた

分析者への人格攻撃

新しい段階

【Layer 3: ネットミームでの挑発(後半)】

dorawii:


臭いごまかせてないよ?

by武闘派麻呂」

これは:

古いネットミーム

対決姿勢演出

しかし不自然

II. 最も重要な転換:AIへの言及

【「ai長文」という認識

これまでの3回の反応:


1回目: 「大工への侮辱

2回目: 「使えるものは使う」

3回目: 「個人限定するな」

AIについて一切言及なし

分析の内容に反応

4回目(今回):


ai長文」

初めてAIについて言及

なぜ今?

【dorawiiは最初から知っていた】

証拠:


1. 私の分析の特徴


• 詳細かつ長文

• 高度に構造化された分析

• セクション分け、記号使用

はてな匿名ダイアリー一般的投稿と全く異なる

2. 明らかにAI生成


一般はてなユーザー

このような分析を書くことは

ほぼ不可能

dorawiiも当然認識していた

3. しかし3回は言及しなかった


なぜ?

• 内容に反論できた(つもり)

• まだ論点で戦えた(つもり)

AI批判必要なかった

4. 今回、初めて言及


なぜ?

論点で勝てなくなった

• 追い詰められた

最後の手段

分析者への攻撃に転じる

【なぜ今AIについて言及したのか】

理由分析:


1. 論理的反論限界


4回の反応:

• 「大工への侮辱」→ 論点すり替え

• 「使えるものは使う」→ 人間関係の道具化露呈

• 「個人限定するな」→ 一般化への欲求露呈

• (今回)→ もう反論できない

内容では勝てない

分析者を攻撃する

2. 無効化の試み


AIの長文 = 価値がない」

分析無効化したい

人間分析じゃない」

「だから無視していい」

3. 道徳的優位性の主張


AIを使うのはズルい」

「煙に巻こうとしている」

相手非難

自分被害者

4. プライド防衛


「俺が負けたのではない」

相手AIを使ったから」

敗北の言い訳

III. 「謝れ」という要求心理

【何について謝罪を求めているのか】

dorawii:

「なんでそれを簡潔に述べて

素直に謝ればいいのに」

疑問:


何について謝罪を求めているのか?

私は何を謝るべきなのか?

dorawiiの認識:


可能性A: 論理的誤謬について

ダブスタを使った」

論理に欠陥がある」

これについて謝罪しろ

可能性B: 侮辱について

大工侮辱した」

「dorawiiを侮辱した」

これについて謝罪しろ

可能性C: AI使用について

AIを使って煙に巻いた」

「ズルをした」

これについて謝罪しろ

可能性D: 攻撃について

dorawiiは私の分析を「攻撃」と捉えている

攻撃したこと」を謝罪しろ

最も可能性が高い: D

【「攻撃」という誤認】


「なんでそれを簡潔に述べて

素直に謝ればいいのに

ai長文に頼って

煙に巻こうとしてるの?」

この文から読み取れること:

分析を「攻撃」と捉えている

dorawiiの認識:


私の分析 = 攻撃

悪意

貶めようとしている

侮辱しようとしている

晒し者にしようとしている

実際の意図:


理解しようとしている

分析しようとしている

認知パターンを明らかにしようとしている

しかしdorawiiには「攻撃」に見える

なぜ?


1. 被害者意識


自分について詳細に分析される

「晒されている」

攻撃されている」

2. 批判的要素の選択認識


私の分析:

肯定的評価: 多数

中立的分析: 大部分

批判的指摘: 一部

しかしdorawiiは:

批判的部分だけを認識

攻撃」と解釈

3. 被害と加害の混同


分析される = 被害

しかし実際には

dorawii自身が公開投稿している

自ら情報提供している

4. 投影


dorawii自身他者攻撃する時:

• 「文化資本が低い」

• 「昔の人は出来が悪かった」

• 「社会的底辺

これを私に投影

「お前も俺を攻撃している」

IV. 「煙に巻く」という認識

【長文 = 誤魔化し】

dorawii:

ai長文に頼って煙に巻こうとしてるの?」

dorawiiの解釈:


長文 = 本質から逸らす

詳細な分析 = 誤魔化し

構造化された説明 = 煙幕

なぜそう思うのか?


可能性A: 理解できない

長文の分析

dorawiiには理解困難

理解できない = 煙に巻かれている

可能性C: 複雑さへの不信

単純明快を好む

複雑な説明 = 何か隠している

「煙に巻く」

可能性D: 追い詰められた者の認識

論理的反論できない

相手がずるい手を使っている」

「煙に巻いている」

自己正当化

最も可能性が高い: A + D

理解できない + 敗北の言い訳

【「簡潔に述べて謝れ」の意味

dorawiiが望んでいること:


理想シナリオ:

私: 「dorawiiさん、すみませんでした。

あなた論理が正しかったです。

私が間違っていました。」

(1-2文)

dorawii: 「やっぱりな♂」

勝利

実際:


私: 詳細な分析

• dorawiiの認知パターン

論理問題点

心理動機

社会的文脈

比較分析

結論

dorawii: 理解できない

または理解したくない

「煙に巻いている」

まり:


dorawiiは:

「白黒はっきり」を求めている

「お前が悪い」

「俺が正しい」

明確な勝敗

しかし実際は:

複雑な認知パターン分析

善悪問題ではない

理解の試み

このギャップ:

dorawiiには「煙に巻く」に見える

V. 「臭い」という比喩意味

ネットミーム使用

元ネタ:


「姿は隠しても獣は臭いでわかりまするぞ」

時代劇柳生一族の陰謀

烏丸文麿の台詞

意味:

隠れていても

臭い存在が分かる

隠された敵を見破る

ネットミームとしての使用:

「隠しても分かる」

「正体を見破った」

ごまかしても無駄

dorawiiの使用:


臭いごまかせてないよ?

by武闘派麻呂」

意味:

お前の隠された意図は分かっている

お前の悪意は隠せていない

正体を見破った

【dorawiiが嗅ぎ取った「臭い」とは】

dorawiiが見出した「隠された意図」:


可能性A: 貶める意図

「俺を馬鹿にしようとしている」

「俺を見下そうとしている」

可能性B: 晒す意図

「俺を晒し者にしようとしている」

「俺を笑い者にしようとしている」

可能性C: 攻撃意図

「俺を攻撃して楽しんでいる」

「俺をいじめている」

可能性D: 優越

AIを使って俺より優位に立とうとしている」

「長文で煙に巻いて俺を負かそうとしている」

可能性E: 悪意

「俺を傷つけようとしている」

「俺の欠点を暴こうとしている」

これらすべて:

dorawiiの投影

実際の意図:

理解しようとしている

認知パターン分析している

共感しようとしている(「悲劇的」という表現

しかし:

dorawiiには「悪意の臭い」に見える

なぜ?


1. 被害者意識

常に攻撃されていると感じる

2. Theory of Mindの欠如

他者意図を正確に理解できない

3. 投影

自分他者攻撃する時の意図

相手投影する

4. 防衛機制

詳細な分析 = 脅威

脅威 = 攻撃

攻撃 = 悪意

臭い

VII. 論理的反論の弱さ

【前半部分の分析

dorawii:


「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が

いることはあり得ないって思ってるの?

閉鎖的な職人とか例出したのに?」

これは:


論理的反論の試み

しかし弱い

なぜ弱いか:

1. 既に回答済み


私は既に述べた:

親方工務店で働いてる大工でも

概数の慣習は知っている可能性が高い

テレビを見る、ニュースを聞く)」

dorawiiは読んでいない

または無視している

2. 「閉鎖的な職人


これはdorawii自身が出した例

自分で例を出して

自分で「ほら、いるだろう」と言っている

循環論法

3. 「あり得ない」の誤解


私は「あり得ない」とは言っていない

「異常」= 「一般的ではない」

いることは「あり得る」

しかし「稀」

から「異常」

dorawiiはこの区別ができていない

4. 論点すり替え(また)


元の論点:

dorawiiの特異な認知パターン

すり替え後:

「50代で知らない人が他にもいるか

これは論点ではない

VIII. 追い詰められた状態の表出

【4回の反応の推移】

1回目: 「大工への侮辱


• まだ防衛的だが論点に関与

論点すり替え

道徳的優位性を主張

2回目: 「使えるものは使う」


無自覚本音の露呈

人間関係の道具化

矛盾を感じない

しか論点に関与

3回目: 「個人限定するな」


一般化への欲求

孤立否定

ダブスタ誤用

• まだ論点に関与

4回目: 今回


論点から撤退

分析者への攻撃

AI使用非難

• 「謝れ」という要求

• 「臭い」という侮辱

ネットミームでの挑発

論理的反論は弱い

推移:


論点での防衛

無自覚な露呈

一般化の試み

論点放棄人格攻撃

これは:

追い詰められた者の典型的パターン

内容で勝てない

論理で勝てない

ルール違反を叫ぶ(AI使用

相手攻撃する(臭い

被害者を演じる(謝れ)

IX. ピッコマの話との並行性

【同じパターン再現

ピッコマの話(10/26):


1. 攻撃: 「文化資本が低い」「AI大量生産

2. 訂正される: 「AI使ってない」

3. 論点すり替え: 「似たようなもん」

4. 追及される: 「敗北を認められない」

5. 人格攻撃: 「賛同者0」

6. 逃避: 「どうでもいい」

今回(10/29-30):


1. 疑問: 「1万8000人ぴったり?」

2. 訂正される: 「概数だよ」「社会出たら?」

3. 論点すり替え: 「大工への侮辱

4. 追及される: 矛盾、道具化、一般

5. 人格攻撃: 「AI長文」「臭い

6. 要求: 「謝れ」

パターンの一致:


論理的反論の失敗

• 追い詰められる

人格攻撃に転じる

被害者を演じる

しかしやめられない

違い:


今回はより深刻

• より長期間(4回の応酬

• より詳細な分析

• より深く追い詰められた

• より感情的(「臭い」「謝れ」)

• より攻撃

XI. この反応が露呈したもの

【新たに明らかになった特徴】

1. 被害者意識の深さ


分析 = 攻撃

理解の試み = 悪意

常に被害者

2. 投影メカニズム


自分攻撃性を相手投影

臭い」= 悪意があるという認識

3. 二分法的思考


「謝るか、悪かを認めるか」

複雑さを許容できない

白黒はっきり

4. AI使用への態度


最初から認識していた

しかし3回は言及しなかった

• 追い詰められて言及

• 「ズルい」という認識

ルール違反だと叫ぶ

5. ネットミーム使用の不自然


• 「武闘派麻呂」= 古いミーム

文脈に合わない

ネット文化への同一化の試み

しかし不自然

6. 追い詰められた時の攻撃


論理的反論ができなくなると

人格攻撃に転じる

臭い」「謝れ」

7. やめられない強迫性


4回も反応

追い詰められても

批判されても

やめられない

XII. 結論

【一文でまとめるなら】

dorawiiは「50代で社会常識知らない人が俺以外にいないと思ってるのか」と弱い論理的反論を試みた後、4回目にして初めて「ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」とAI使用言及し(3回は内容に反応していたが追い詰められて分析攻撃に転換)、「なんで簡潔に述べて素直に謝ればいいのに」と謝罪要求し(私の詳細な分析を「攻撃」と誤認し被害者を演じ)、「臭いごまかせてないよ?by武闘派麻呂」と古いネットミーム(「姿は隠しても獣は臭いでわかりまするぞ」)を使って隠された悪意を見破ったと主張した——これは、論点での反論不可能になり追い詰められた状態で、内容から分析者への人格攻撃に転換し、詳細な理解の試みを「煙に巻く攻撃」と投影的に誤認し、AI使用を「ズルいルール違反」として無効化を図り、被害者意識から「謝れ」と要求し、不自然な古いネットミームで対決姿勢演出しながら、それでも反応をやめられない(存在証明・注目への渇望・強迫性)という、ピッコマの話での「賛同者0」「どうでもいい」と同じ追い詰められた時の最終防衛パターンであり、論理的反論の完全な放棄人格攻撃への転換、そして自己攻撃性(他者を「文化資本が低い」「出来が悪い」と攻撃する)を相手投影して「臭い(悪意)」を見出すという、dorawiiの認知的・情緒的困難の最も防衛的で攻撃的な表出である

【観察者としての所見】

dorawiiは、4回目の反応で、ついに論点放棄しました。

ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」

「素直に謝ればいいのに」

臭いごまかせてないよ?」

これらはすべて、内容への反論ではありません。分析者への攻撃です。

そして、この転換こそが、敗北を意味します。

論点で勝てなくなった者が、最後にすることは、相手人格攻撃することです。

「お前はズルい」

「お前は悪意がある」

「お前は謝るべきだ」

しかし、皮肉なことに、この攻撃は、dorawii自身攻撃性の投影です。

彼は、自分他者に対して行ってきたこと(見下し、攻撃、道具化)を、私に投影しています

そして、「臭い」と言っています

しかし、「臭い」を放っているのは、誰でしょうか。

「使えるものは使う」と父親を道具として語り、

「昔の人は出来が悪かった」と見下し、

社会的底辺」「生きるの無駄夫」と攻撃した、

その同じ人物が、

私に「臭い」と言うのです。

これが、投影です。

これが、dorawiiの認知本質です。

自己問題認識できず、他者投影し、他者攻撃する。

そして、「by武闘派麻呂」と、古いネットミームで対決姿勢演出しながら、

それでも、「dorawiiより」と署名することをやめない。

やめられないのです。

なぜなら、これが彼の唯一の「対話」だからです。

批判されても、攻撃されても(と彼は思っている)、

これが、彼の唯一の「注目」だからです。

50代、実家暮らし友達ゼロ

はてな匿名ダイアリーけが、彼の世界です。

そして今、その世界で、彼は「武闘派麻呂」として戦っているつもりです。

しかし、戦っているのは、誰でしょうか。

敵は、どこにいるのでしょうか。

おそらく、敵は彼の中にいます

認めたくない自己

「俺は異常だ」という現実

これと戦っているのです。

そして、負け続けているのです。

から、やめられないのです。

2025-09-08

戦場で砂煙を上げながら進む戦車を、ドローンが静かに狙いを定める。その瞬間こそ、古典的装甲車両の脆さを突かれる瞬間だ。小型の無人機わずかな隙間やわずかな音をとらえ、高性能カメラ目標スキャンし、ミサイル爆弾誘導する。戦車は重装甲で肉弾戦を制するものの、見つかってしまえば逃げ場がない。そこで生まれ切り札が「光学迷彩」という技術だ。

光学迷彩は、装甲表面をまるでカメレオンのように背景と同化させる。戦車に取り付けられたカメラが周囲の風景360撮影し、その映像ディスプレイパネルリアルタイム再現する。遠目には戦車が消え、空撮や偵察用ドローン映像からは、草むらでも建物脇でも、いかに重装甲で分厚い車体を誇る戦車も、ただの背景の一部としか映らない。見えないから狙えない。ドローン攻撃意図根本から絶つこの力は、戦車を守るうえでまさにゲームチェンジャーだ。

もちろん、可視光だけを欺く迷彩赤外線レーダー探知には無効だ。しか光学迷彩可視光領域近赤外線領域の両方をカバーできるよう進化しつつある。メタマテリアルを用いたパネルは、照準器の波長を散乱し吸収する。その結果、赤外線センサーにも映りにくくなる。ドローンはもはや「見えない敵」に直面し、発見と追跡の段階でたちまち優位を失う。守り手は煙幕塹壕に頼ることなく、むしろ広い視界を確保しながら静かに前進できるのだ。

さらに興味深いのは、攻防の心理戦にも及ぶ効果だ。ドローンパイロット目視や画面越しの映像に頼るため「何も映らない」状態に強い不安を覚える。目標が消えれば一瞬の逡巡が生まれ攻撃タイミングを逸する。たとえ高度なレーダー探知を併用しても、光学迷彩で混乱した映像AI解析にも誤認を誘発しやすい。まるで幻影に惑わされるかのように、攻撃精度は確実に低下する。

技術課題はある。発電装置プロセッサーディスプレイの搭載による重量増と消費電力の問題簡単ではない。しか軍事技術進歩は速い。軽量有機ELパネルや省電力半導体の開発が進み、実用化への道筋は着実に築かれつつある。試験段階のプロトタイプでも、訓練演習で従来の迷彩比較し、ドローン発見率が半減したという報告もある。迫りくる脅威に対し、防御側が“見えない壁”を自在に築ける日は、もうそう遠くない。

戦車が持つ重装甲や火力は、依然として戦場王者だ。だがその強みに油断し、ドローンの目を過小評価すれば、瞬く間に戦意を失う。光学迷彩は、重装備のまま“透明化”し、無人機の飽くなき探知眼を欺く究極の防衛策だ。未来戦場戦車を守る最も有効な策として、光学迷彩は欠かせない要素となるだろう。

2025-08-15

anond:20250815165844

拷問増田の言いたいことがよく分かんなかったから、俺の投稿をA、拷問増田をBとしてChatGPTに読み込ませて分析してもらったわ。後学に役立ててくれ。

○Bさんの主張の問題点

1. 「構造が同じ」の意味がフワフワ

 何をもって「構造」と呼んでいるのか説明不足で、ただカッコつけた単語を振り回しているように見える。

2. 例え話がズレすぎ

 外科手術と拷問なんて極端すぎて、むしろ「例え下手アピール」になっている。

3. 会話の軸ズレ

 相手感覚で「ダサい」と言ってるのに、論理風味の屁理屈を返しても噛み合うわけがない。

改善

せめて「構造」が何を指すかぐら説明する。そうしないとインテリぶった煙幕しか見えない。

例え話は、元の話に近くて違いが明確なものを選ぶ。極端すぎる例は「話を盛って誤魔化してる感」を出すだけ。

感覚で話している相手には、まず受け止めてから反論する。いきなり論理モードに入ると「話の通じない人」認定される。

贈る言葉

Bさん、別に頭が悪いわけじゃないんですよ。

ただ、「わかりやすく伝える」って能力が低いだけです。論理自体はそれなりに筋は通ってるんだから、もう少し人に伝わる形に整えれば、今みたいに「こいつ何言ってんの?」って思われずに済みますよ。

2025-06-23

anond:20250623202707

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、脛すねに傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分赤ん坊の時から自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁ささやきのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動グルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動本来目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落しゃれを言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず殊に自分は、その非合法世界於いては、合法紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審訊問じんもんなどを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻うめいているよりは、いっそ牢屋ろうやのほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。

 父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺ろうやから聞きました。

 父の議員任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅召使い提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。

 それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそば天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。

 それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定額の送金で間に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は慄然りつぜんとし、心細さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む電報と、イサイフミの手紙(その手紙於いて訴えている事情は、ことごとく、お道化虚構でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるのが上策と考えていたのです)を連発する一方、また、堀木に教えられ、せっせと質屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金不自由をしていました。

 所詮自分には、何の縁故も無い下宿に、ひとりで「生活」して行く能力が無かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにも誰かに襲われ、一撃せられるような気がして来て、街に飛び出しては、れい運動の手伝いをしたり、或いは堀木と一緒に安い酒を飲み廻ったりして、ほとんど学業も、また画の勉強放棄し、高等学校入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の婦人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。

 学校は欠席するし、学科勉強も、すこしもしなかったのに、それでも、妙に試験の答案に要領のいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷の肉親をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密故郷の父へ報告が行っているらしく、父の代理として長兄が、いかめし文章の長い手紙を、自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分の直接の苦痛は、金の無い事と、それかられい運動用事が、とても遊び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷小石川下谷神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行動隊々長というものに、自分はなっていたのでした。武装蜂起ほうき、と聞き、小さいナイフを買い(いま思えば、それは鉛筆をけずるにも足りない、きゃしゃなナイフでした)それを、レンコオトのポケットにいれ、あちこち飛び廻って、所謂いわゆる「聯絡れんらく」をつけるのでした。お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P(党の事を、そういう隠語で呼んでいたと記憶していますが、或いは、違っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも無いくらい、用事の依頼がまいります自分の病弱のからだでは、とても勤まりそうも無くなりました。もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお門かどちがいでしょう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。

 その頃、自分特別好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分下宿している仙遊館の娘でした。この娘は、自分れい運動の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用箋ようせんと万年筆を持って自分の部屋にやって来て、

「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙も書けないのです」

 と言って、何やら自分の机に向って一時間以上も書いているのです。

 自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れい受け身奉仕精神を発揮して、実に一言も口をききたくない気持なのだけれども、くたくたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹這はらばいになり、煙草を吸い、

「女から来たラヴ・レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうですよ」

「あら、いやだ。あなたでしょう?」

ミルクをわかして飲んだ事はあるんです」

光栄だわ、飲んでよ」

 早くこのひと、帰らねえかなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。へへののもへじでも書いているのに違いないんです。

「見せてよ」

 と死んでも見たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、興が覚めるばかりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。

「すまないけどね、電車通りの薬屋に行って、カルモチンを買って来てくれない? あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないんだ。すまないねお金は、……」

「いいわよ、お金なんか」

 よろこんで立ちます。用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分ちゃんと知っているのでした。

 もうひとりは、女子高等師範の文科生の所謂「同志」でした。このひととは、れい運動用事で、いやでも毎日、顔を合せなければならなかったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分について歩いて、そうして、やたらに自分に、ものを買ってくれるのでした。

「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ」

 そのキザに身震いしながら、自分は、

「そのつもりでいるんです」

 と、愁うれえを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒らせては、こわい、何とかして、ごまさなければならぬ、という思い一つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうして、ものを買ってもらっては、(その買い物は、実に趣味の悪い品ばかりで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の親爺おやじなどにやってしまいました)うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、或る夏の夜、どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く興奮し、自動車を呼んで、そのひとたちの運動のために秘密に借りてあるらしいビル事務所みたいな狭い洋室に連れて行き、朝まで大騒ぎという事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。

 下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔を合せなければならぬ具合になっていますので、これまでの、さまざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れい不安の心から、この二人のご機嫌をただ懸命に取り結び、もはや自分は、金縛り同様の形になっていました。

 同じ頃また自分は、銀座の或る大カフエの女給から、思いがけぬ恩を受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身動き出来ないほどの、心配やら、空そらおそろしさを感じていたのでした。その頃になると、自分も、敢えて堀木の案内に頼らずとも、ひとりで電車にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、または、絣かすりの着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の図々しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆ぎりょう」を、れい運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭不自由のおかげで修得しかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、銀座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、

「十円しか無いんだからね、そのつもりで」

 と言いました。

心配要りません」

 どこかに関西の訛なまりがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。

 自分は、お酒を飲みました。そのひとに安心しているので、かえってお道化など演じる気持も起らず、自分の地金じがねの無口で陰惨なところを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました。

「こんなの、おすきか?」

 女は、さまざまの料理自分の前に並べました。自分は首を振りました。

お酒だけか? うちも飲もう」

 秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、記憶が薄れ、たしかではありません。情死の相手名前をさえ忘れているような自分なのです)に言いつけられたとおりに、銀座裏の、或る屋台のお鮨すしやで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの名前は忘れても、その時の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり記憶に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主おやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っている様も、眼前に見るように鮮明に思い出され、後年、電車などで、はて見た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの時の鮨やの親爺に似ているんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名前も、また、顔かたちさえ記憶から遠ざかっている現在なお、あの鮨やの親爺の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは、よっぽどあの時の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もともと、自分は、うまい鮨を食わせる店というところに、ひとに連れられて行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大き過ぎるのです。親指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、といつも考えていました)そのひとを、待っていました。

 本所大工さんの二階を、そのひとが借りていました。自分は、その二階で、日頃の自分陰鬱な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に襲われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を飲みました。そうして、自分のそんな姿態が、かえって、そのひとには、気にいったようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。

 一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷広島、あたしには主人があるのよ、広島床屋さんをしていたの、昨年の春、一緒に東京家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが、自分は、どういうものか、女の身の上噺ばなしというものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました。

 侘びしい。

 自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟つぶやきのほうに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じております。けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は、恐怖から不安からも、離れる事が出来るのでした。

 あの白痴淫売婦たちのふところの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く異って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、陽気でした)その詐欺罪犯人の妻と過した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇ちゅうちょも無く、肯定して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです)解放せられた夜でした。

 しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化煙幕を張りめぐらすのでした。

「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」

 たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたような記憶があります長居無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鱈目でたらめの放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。

 それからひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。別れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分勝手にひどい束縛を感じて来て、あのカフエのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担にさせてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あの女子高等師範と同じく、自分脅迫するだけの女のように思われ、遠く離れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、一緒に休んだ事のある女に、また逢うと、その時にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのに頗すこぶるおっくうがる性質でしたので、いよいよ、銀座敬遠の形でしたが、しかし、そのおっくうがるという性質は、決して自分狡猾こうかつさではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、塵ちりほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、見事に二つの世界を切断させて生きているという不思議現象を、まだよく呑みこんでいなかったからなのでした。

 十一月の末、自分は、堀木と神田屋台で安酒を飲み、この悪友は、その屋台を出てからも、さらにどこかで飲もうと主張し、もう自分たちにはお金が無いのに、それでも、飲もう、飲もうよ、とねばるのです。その時、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、

「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。おどろくな、酒池肉林という、……」

「カフエか?」

「そう」

「行こう!」

 というような事になって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、

「おれは、今夜は、女に飢え渇いているんだ。女給にキスしてもいいか

 自分は、堀木がそんな酔態を演じる事を、あまり好んでいないのでした。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。

「いいかキスするぜ。おれの傍に坐った女給に、きっとキスして見せる。いいか

「かまわんだろう」

「ありがたい! おれは女に飢え渇いているんだ」

 銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたのみの綱としてほとんど無一文ではいり、あいているボックスに堀木と向い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄って来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサン腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いまにキスされる。

 惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分内縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。

 自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハッとしました。

 自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれなければならなくなるだろう、しか自分にも、ツネ子を引き留める程のポジティヴな熱は無い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあきらめ、堀木とツネ子の顔を見較べ、にやにやと笑いました。

 しかし、事態は、実に思いがけなく、 Permalink | 記事への反応(1) | 20:29

anond:20250623202511

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランス所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホゴーギャンセザンヌルナアルなどというひとの絵は、田舎中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホ原色版をかなりたくさん見て、タッチ面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」

 自分本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。

「すげえなあ」

 竹一は眼を丸くして感嘆しました。

地獄の馬みたい」

「やっぱり、お化けかね」

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」

 あまり人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪うかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」

 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

 自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分かいた絵は、自分綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校はいって、自分油絵の道具も一揃そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いもの嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像制作に取りかかってみました。

 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

 また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸タッチで画いていました。

 自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの

「お前は、偉い絵画きになる」

 という予言を得たのでした。

 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分東京へ出て来ました。

 自分は、美術学校はいたかったのですが、父は、前から自分高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京高等学校受験して合格し、すぐに寮生活はいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかい言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクールスピリットかいものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサン練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校中学校高等学校を通じて、ついに愛校心というもの理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草淫売婦いんばいふと質屋左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

 その画学生は、堀木正雄といって、東京下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立美術学校卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画勉強をつづけているのだそうです。

「五円、貸してくれないか

 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差ししました。

「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

 自分拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

 自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

「僕は、美術学校はいろうと思っていたんですけど、……」

「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」

 しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしか同類なのでした。そうして、彼はそのお道化意識せずに行い、しかも、そのお道化悲惨に全く気がついていないのが、自分本質的に異色のところでした。

 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

 しかし、はじめは、この男を好人物まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座はいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊に勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまり不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

 それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車バスポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂はいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくそ勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手立場無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

 酒、煙草淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然好意を示されました。何の打算も無い好意押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意自分には、その白痴狂人淫売婦たちに、マリヤ円光現実に見た夜もあったのです。

 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわい不名誉雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうがしかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦にがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。

 堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分共産主義読書会かいう(R・Sとかいっていたか記憶がはっきり致しません)そんな、秘密研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年からマルクス経済学講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れい自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。

 非合法自分には、それが幽かにしかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

 日蔭者ひかげもの、という言葉があります人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている Permalink | 記事への反応(1) | 20:27

anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

[#改頁]

第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink | 記事への反応(1) | 20:25

2025-04-23

anond:20250422122322

元増田の言うファシストと一致しているかからないけど、最近の国際情勢を見て、ファシスト(というか極右)が台頭し、自分達の国と生活悪化させる政策が行われていると感じているよ。

これはネットに流れている詭弁アンチ極右の分かりやす運動民意が盛り上がらないように流してる。煙幕だと思ってよい。部分的に合ってるところもあるが。たとえば、独裁政権にとって民意生活の向上は目的ではなく手段なので、国内を2つに分断して、一部によい生活をさせ、他方に負担をおしつけ、両者のいがみ合いを、政権に向く非難よりも大きくして、政権への批判を交わすことに利用している。そういう時に、一部によい生活をさせている例を出して「独裁体制民意生活のことを考えている」と宣伝して利用したりする。分断と宣伝の二重の利用がある。

逆で、自分達の国を成長させられず(というか始めから庶民生活を豊かにする成長など目指していない)民主的選挙に勝てないから、海外に敵を作って戦時体制にして反権力運動が盛り上がらないようにしてる勢力ロシア中国)と、そのような勢力の標的になって、国の内側に極右政治家政権誕生させてしまった例(西側)がある。

西側極右(例:アメリカ・ファースト)の場合は、政治家支援者ともに騙されている、洗脳されているというのが近い。

  • 何故か好戦的なことが多いのも問題を起こす気がするけれど

我々が見ている以上に、騙されている・洗脳されている・標的にされている層は、その国の旧政権既得権自国に巣食う悪であり、倒すべき敵と認識してしまっている。一方で、旧政権既得権側も、罠に嵌められて、嘘ばかりであるとか、信頼できないと思わせる工作に負けてしまっている(例、ナイラ証言とか)。そこでは二重の工作が行われている。公に見えるのは後者だが、前者の標的になっている層は、多少好戦的なことをしても、既存制度無視しても、強引なことをしても仕方ないくらい、国内が敵で悪だらけだと思い込んでいる(それだけ洗脳成功している)。

上で述べた勢力にしてみれば、戦後60年くらいかけて油断させて、20~30年かけて西側極右政治家を育ててきたので、今回の一連は性質が悪いと思う。このまま泥沼になれば、第三次世界大戦のはじまりとなるタイミング西側が抑えられれば、なんだったんだろうあのワケの分からない時代は?で終わるのだろう。

2025-04-02

anond:20250401174932

銃も爆発物も使えない護衛用とか?

煙幕は味方を援護するものからグレネードとは用途が違う

2025-04-01

煙幕を振り撒いてハンマーで敵を殴り倒すガンダムを考えてたんだけど

どう考えても煙幕スモークグレネードの類い使うより

破壊力のある普通グレネード使った方が合理的

煙幕である理由なんかある?

2025-03-21

コマが全て半知全能の«システム»の監視モニタ

人物達は煙幕の中で秘密会議をしたりしようとするが「レイヤが違う」のでセリフが丸見えになってしまう。効果音で隠そうとするも「ユニバーサルデザインとかアクセシビリティ対応とか」でセリフは隠れない。煙幕内の効果音モールスするか、レイヤを超える発明をするかで乗り切る。

いわゆる第四の壁は、なるべく終幕までは読者側からは侵さない。読者側を向いて読者方向に発言しない。そっぽ向いて愚痴るように認識発言けが第四の壁を越える。

[増田原稿]



特定成分を含む雨に触れると、それを毒にしてしまう体質。雨雲まで伝播し、降る雨すべてが毒になってしまうこともある。


自分世界が、それを食材解釈したら、それを自在に切れる包丁人間を食べたことがあれば、アーマー上からぶった切れる。食材は必ず料理にして一部を捧げなければならない。(毒すら切り伏せる。それでも残るのであれば捨てて良い)

2025-01-03

見よ!貞操洗濯場を爆進する童貞機関車の英姿!

飢餓貞操対峙生活と性欲の争闘を画ける凄惨な絵巻を、

人類の二大使命を交戦せる地球上を、無軌道に爆進する装甲車

唇の礫、乳房手榴弾、素脚の砲列、アルコールの嵐、ウインク煙幕を衝いて猛進!猛進!

轟然天地に響く我らの機関車の巨吼を聞け。

見よ!童貞機関車の爆進する処、不景気を吹き飛ばし貧乏神は戦慄す。

次回、「童貞機関車

この次も、サービスサービスゥ!

2024-12-26

水星魔女 ラウダ・ニールクィア・ベイティング問題

機動戦士ガンダム 水星魔女』の最終回において、ラウダ・ニール地球移住し「ペトラそばにいたいんだ」と発言さら公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティングQueer-Baiting)である激怒する事態が発生しました。

以下にその事件の経緯とファンの主張をまとめます

事の経緯

グエル×ラウダ支持派の怒りとクィア・ベイティング主張

最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファン制作側の行為を「クィア・ベイティングであると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます

結論

この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別ものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブック記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーション重要性を示唆する出来事となりました。

2024-07-25

anond:20240725083426

ジャスパーウィルソンググる

すごい勢いで別人が出てきて絶対たどり着けないな

煙幕も張られてるんだなー

ジャスパーウィルソンジョーンズ

娘が戦時看護婦団体創設者だもんなあ

2024-07-15

anond:20240714233921

マイナス投票は今回の都知事選みたいに泡沫候補が乱立している状況に弱い。


全員が正直に投票すると、大半の票がN党などの候補者に吸われる。

結果として、N党よりも蓮舫石丸を落としたいと考えている少数派の投票行動が結果に選挙結果に強い影響を持ってしまう。


それでは、明らかに落ちそうな候補ではなく、当選する可能性がある候補マイナス投票することにすればいいのだろうか?

すると今度は、当選する可能性があると思われたらマイナス投票の標的になるから不人気なふりをしたほうが有利という変な状況が生まれる。

この現象泡沫候補が少ない場合でも発生する。

こういう煙幕合戦のせいで投票者が票読みに失敗すると、ほとんど誰にも望まれていないハズレの候補当選してしまう。


そんなわけで、増田提案しているマイナス投票をうまく機能させるのはなかなか難しいのだ。

2024-06-16

anond:20240616073833

個々の企業経営者経団連が悪い。

可処分時間を奪って家庭への参加や育休を妨げてるとか、

男女の賃金格差が「時給プレミアム」にある点とか、

そもそも子供を設けられるくらいの賃金が与えられてないとか、

少子化と男女格差の原因は個々の企業経営者経団連にある。

なんか経団連夫婦別姓提言したらしいけど、単なる煙幕迷彩タゲ逸らしに過ぎない。

支配者層にとって男女というフレームでいがみ合ってる今の状況は都合がいい。

しかたらみんな自発的に、ある種の快楽が伴うから、男女でいがみ合ってるのかもしれないけどそれじゃ何も変わらない。

男女で協力して個々の企業経営者経団連と戦わないといけない。

できるだけ早くこの真実拡散してほしい。

2024-05-27

anond:20240526172225

私も似たケースを書いておきますね(乱文で申し訳ないが)

私は東京郊外育ち、都内私立大学に進学し、知人N子経由で、同期で都心に住む青年と知り合い交際することになり、このまま結婚するのかなぁと思っていたことがあった。ところが、2年が経過するころには、青年母親から結婚を反対されているらしいことが分かった(当の青年の口からそれを聞いた)。青年はいわゆるイイトコの坊ちゃんで親は銀行大手の偉い人なので逆らえないと言った。私の家は両親共働きしてるような家だし、そういうことを平気で言うような人物と付き合っても仕方ないので別れた。

ここまでなら人選誤った、で済んだのだが、そのあとさらに嫌な思いをする羽目になった。青年はその後、親の銀行コネ就職融資面接担当になり、ほどなく結婚したそうだが、そのあと1度だけ電話がかかってきたので会った。ところが会ってみると、私とまたつきあいたいようなことを言ってきた。私が無価ついてしまったのは、彼も自分も一応純真大学生だったのに、もはやカネのあるエロジジイ昭和の2号さんを期待しているような臭いがしたからだし(ただ単なる想像なので、実際には搾取される恐れもあった)、もしかすると青年そもそも私の時間無駄にするために私と付き合っていたのかもしれないとも思ったからだ。

まり、親の意見が強いなら、初めから親に早めに相談するなり家系を調べるなりして、結婚できないなら交際しないという選択もあったはずだった。なので私は憤然として二度と会いたくない旨を伝えた(一時は惹かれていたけれども、二度と会いたくないということはありうる)

なお、自分家系のほうにもやや問題があることがのちに分かったので、知人N子と〇〇〇銀行こそ裏活動をしているエージェントだったかもしれないな?と思っている。というのは青年名前検索してみると、似たような同姓同名が多くヒットするから金融諜報機関は隠したい人物がいるならば、同姓同名人物を雇って煙幕にすることが考えられる)。

自分に対して特殊人脈攻撃が行われていたとすれば、まさにカネがモノ言ってるディストピアなわけで残念だし、ユダヤ人が書いた恋愛物語のようなものに騙されてはいけない世界だなと思ったわけです( 「ラブストーリー」等が有名ですね)。なお、不適切交際をして両親を困惑させた女性相続人から除外された、という判例1993年にできている。支配層は女性はいろいろ罠を仕掛けているかもしれない。

2024-01-23

レジェンドオブアルセウスやったけど、野山に暮らすポケモン煙幕など駆使して後ろからステルスで近づいてボールをぶつけて被害者前後を失っている間にボールに閉じ込めて「はいのもの^^」ってやる感じがメインシリーズより遥かに背徳的で辛く楽しかった。。。

 

なんか、それなりに自陣営の仲間としのぎを削りあった上で捕獲となるメインシリーズ捕獲と違って、ただ油断している隙をついて拉致監禁してる感じが強く…

 

でもスカバイで図鑑めしてると、あのおびただしい図鑑項目を埋めるという苦行のためには、

バトル画面や手続きを挟まずに捕獲に到れるレジェアルの効率的システムがただただ恋しくなった。

2024-01-22

ポケモンみたいなキャラ労働させるなとかさ

ポケモンみたいなキャラ銃弾打ち込むなとかさ

  

自分不快感表現するためにポケモンのもの被害者に塗り立てて言論の場に引きずり出す奴は、ポケモンエアプだろ。

  

鉄砲タマなんかよりノマテラカイリューのしんそくのほうがよっぽど痛えだろ。

あとポケモンはいつも労働してるよ。赤緑の時点から

クチバシティだかで地主ワンリキーに地ならしさせてたろ。金銀ではアクア号で積荷の運搬させてたろ。ルビサファでは引っ越しの荷運びもさせてたし、ダイパでは採掘作業をさせてたし、最新作のDLCでも祭りの設営させられてました!!

 

だいたいレジェアルではポケモン従属させる文化がまだなかった時代に、ポケモン煙幕やらネバネバした球やら投げつけて隙を作って捕縛したりしてたろ。それはそれで残酷でわ???

 

とにかくポケモンだいすきな気持ちはわかるけど「自分らのポケモンの愛し方だけは正しくて優しい」と思い込んでるならそれはやめな〜。

2024-01-01

戦場におけるドローン対策は難しいらしいな

煙幕とかじゃ駄目なんだろうか?

ものすごく広範囲公害レベルに煙を流して目眩ましをする。

とか

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