はてなキーワード: 阿鼻叫喚とは
コンビニジムや24hジムなど、フィットネス業界は群雄割拠の様相を呈しているが、価格帯でトップを譲らないのは
市営や町営のジムだ。中年になってから町営ジムに通い始めて3年となり、所謂鍛えられた身体になってきた。
若いトレーニーのようなギラギラとした追い込みはないが、成果としては悪くないと思っている。
今日も懸垂のバーを握り込む。狭めたグリップなら、そこそこ上がるようになった。
多関節から単関節がトレーニングのセオリーだ。シーテッドバックエクステンションの空きを確認していると、
「いつも、来られてるんですか?」
戸惑いを押し隠しつつ、週2くらいですね、と応じる。
「すごく身体も引き締まってらっしゃるので、思わず声掛けちゃいました。私、筋トレ仲間が欲しくて…」
巷のマッチングアプリの阿鼻叫喚に人格が与えられるなら、即座に殴られるレベルでジムの中年はチョロかった。
そして食事から、メルヘンチックな造りが年を経て恐怖となって迫る田舎のラブホにチェックインするまでに、時間はかからなかった。
部屋に入り、事に及ぶ。
「…ん?…んん??」
鍛え抜かれた、牡鹿の角のごとく勇ましい僧帽筋だった。
向き直った彼女の腹筋は、まるで研ぎ澄まされた日本刀のようなストリエーションが表出していた。
「…え?…ええ??」
彼女のものと比べれば、俗物の塊のように思える中年の腹筋を、彼女は眺め呟いた。
「人と比較するものじゃない、甘い思想。でも、それこそがトレーニングの本質だと思う。
私は、抗いたい。万物が比類ない筋肉…非言語の威力にひれ伏すような、私はそんな光景を作る事ができると信じたい」
彼女は、颯爽と部屋を去った。
…何?…何よあれ?
私は女で2.5次元舞台を結構観るんだけど、あの素晴らしい出来でチケット余ってるの絶対絶対おかしいよ。
もしスクールアイドルミュージカルが女向けの舞台だったらシリアル先行抽選でSNSは落選阿鼻叫喚祭だよ。
観た人もほぼ全員大泣きして絶賛してるのにチケット余ってるってなんなんだよ………男オタクミュージカル観ろよ………
スクールアイドルミュージカルオタクはみんな「今回で最後かも……」って思いながら通ってるんだけど、空席が目立つにもかかわらず4回再演してるんだよ。多分ラブライブパワーなんだけどね。
でも今回はキャストやスタッフが「集大成」とか「到達点」とかコメントの端々に「これが最後ですよ〜」みたいな雰囲気出してるのがめっっっっっちゃこわい。
ほんと頼むからラブライブオタク全員観ろ。絶対損はさせないから。
ラブライブ全部追ってる〜ただしスクミュは未履修〜とか言ってるやつまじ許さんからな。全部追えよ。
物語はラブライブエピソードゼロとも言うべき、スクールアイドルが誕生する瞬間を描いた素晴らしい素晴らしいストーリーです!!
最新ハイスペックスマホしかアップデートできないし、詫びクーポンももらえない
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.fujiyakuhin.seims&hl=ja
「アップデートして下さい」との表示で、アップデートしようとしたら、いきなり「対応出来ません」の表示!
アップデートを要求されたが、私のデバイスは対応しなくなったらしく"デベロッパに問い合わせ"と"アンインストール"の文言しか表示されなくなりました
Androidのバージョンの関係か起動すらできなくなった。 店員に聞いてみると他の客でもあった事象だそう。使えないことには意味がないので対応をお願いしたい。
スマートフォンで、SEIMSが開けなくなりました
追記を読み、元増田はもう読まないかもしれないけどシオカラーズ推しからのアオリちゃん情報をおすすめ順に列挙していく
スプラトゥーンは任天堂にしては珍しくキャラクター内部描写が凝っているし、シリーズ一貫しているのでハマると抜けられないです。(他にはメトロイドくらいか)
https://www.nintendo.com/jp/switch/aab6a/sp/archives/novel/index.html
というのが一般イメージだけど、内面描写をされたのはこの小説が初。これを読んで2のヒロモをやると彼女のことがより深く理解できると思うし
辛いことがあったから3でまたシオカラーズを続けているんだな、としみじみすると思う
ちなみにファンの間では連載中、Twitterで阿鼻叫喚だった
■SPLATOON LIVE IN MAKUHARI -シオカライブ CD★有料
何がオススメかというとこのCDでしか聴けないドラマCDがある。
イカ語で喋っているので、会話の内容は我々ニンゲンには理解できないのだが、ファンならなにが起きてなにを喋っているのか伝わるのが実に絶妙。アオリちゃんの表では見せない一面が伺える。
ブックレットはキャラクターデザイナーの井上さんの描き下ろしシオカラーズが見れる。笑顔で手をつなぐ2人が見れるのもこのブックレットだけ
テンタクルズやオクトエキスパンションがメインだと思われがちだけど
2のヒーローモードの初期コンセプト漫画が読めるのが最大の見どころ
ゲームでは採用されなかった要素やセリフもわかり、アオリちゃんはどれだけホタルちゃんのことが大切なのかがわかると思う
アート・デザイン担当の井上さんが動画を勉強されていたので、初代スプラトゥーンは手描きアニメーションがいくつか作られた。やはり動くアオリちゃんはかわいい。
https://youtu.be/_PsBfxHrQHY?si=gL4B8wasCd5-31Od
https://youtu.be/4RBG4KLnGjY?si=oDK_f_QIJVBtsFna
https://youtu.be/MMf22gLlD5Y?si=fOVr0en3D1NAW9_p
■スプラトゥーン2★有料
もう増田は遊ぶと決めたらしいが、やはりプレイ動画見るのと自分で遊ぶことでは違うのでオススメしたい。
ヒーローモードの一番はじめのステージにはアオリちゃんとホタルちゃんのハートが割れた相合傘のらくがきが隠されている。
ゲーム進行には全く関係ないけど、シオカラーズファンとして大切な要素だというのが増田にはわかると思う
クリアしたらタコツボキャニオンに行ってアオリちゃんとの会話を間近で見てほしい
■初代スプラトゥーン フェス会話、ニュース会話のプレイ動画★無料
もうWiiUのネットワークサービスは終了してしまったので、正規の方法では見ることができない
テキストでまとめたものもあるが、やはりアオリちゃん本人が動いて喋っているのを見るのが一番幸せになれる
一番購入難易度が高いと思う。何よりネットワークサービスは終了している。
だがシオカラーズファンとしてはヒーローモードを遊ぶ価値はあると思う。増田はもう購入する予定らしいが、是非17歳のアオリちゃんは今より口が悪いのを味わってほしい
初代と2の設定資料集
アオリちゃんのチアガール初期案や、2のヒーローモードの悪役アオリちゃんの様々な衣装が見える。
表題の通りで、ガンダムシリーズ最新作の挿入歌にVTuberの星街すいせいの起用が発表された際、Xの一部で阿鼻叫喚が巻き起こっている。
・絵畜生が関わってるなら観るのやめた
・どれだけ自衛してもあらゆるコンテンツに侵食してくるのやめろ。さながら不法移民だ
・この起用を決定した関係者みんな○ね△す。家族ともどもみんな不幸になれ
いくらなんでも拒否感の噴出の仕方が凄まじすぎて驚いた。親でも殺されたかのような様相である。
(本当にこんなふうにに投稿している人がたくさんいるので、ぜひXでそれっぽいワードで検索してみてほしい)
百歩譲って、
認知度が高いだけで特に音楽の実績がない単なるアイドルYouTuber的なVTuberを起用するとか、
大げさではあるが「作品を汚された」といえなくない関わり方もそりゃあるだろうとは思うが、
SSA、日本武道館でのコンサート実績がある歌手のVTuberが単に挿入歌を担当しただけで、どうしてこうも拒否反応がでるのだろうと。
で、いろいろXを漁ってみたところ
という本件に関する投稿を見つけて、はて三次元?主題歌担当の米津玄師はどうなる?と思いつつも他のもみていくと、
「VTuberは外見は美少女キャラクターの皮を被りながら実際は現実の実在人間として振る舞う信念のない中途半端な存在。”絵”+”畜生”とはよくいったものだ」
という意見がそれなりにあることがわかった。
確かに、フィクション内に存在している架空のキャラクターと、ほとんど現実の人間として活動しているVTuberでは、見た目は似ていても文学的存在としての純度にはかなり差がある。
一部のアニメファンがこの純度を重要視していて、中途半端なものを紛い物として認めないのであれば理路は通っている。アニメ作品にVTuberが関わることは汚されることと同義なのかもしれない。
(「バーチャルキャバクラはキモい」とか「過去に職業差別発言をしたVTuberがいる。界隈は民度が低いから関わりたくない」などの意見もあったけど)
もはや俺のXのおすすめタイムラインは「面白いから一刻も早く劇場に行って観ろ!」という投稿と「絵畜生が関わるなら絶対観ない!」という両極の投稿が入り交じるカオス状態で、吹き上がってるのは一部の人々なんだろうけど、なんにせよ凄まじい。
カリフォルニアの大火事も偽善者リベサヨのせいだったことがあきらかとなり、マジで全世界がトランプとイーロンのおかげでリベサヨの悪がまくれまくりの展開だ。
日本の偽善者リベサヨどもの阿鼻叫喚も見てみたいのだが日本のリベサヨはアホすぎて世界のトレンドに追い付いてない。
何が起きてるか全くわかってないっぽいな。
もう世界中リベサヨ独裁者が潰れまくりでトランプ大勝利だざまあみろ。
だがこれだけじゃまだダメだ。
これから先もう二度とリベサヨが復活できなくなるようにもっと徹底的にリベサヨを潰せ。
早くYouTubeもイーロンが買収してくれ。
商店街みたいな歩道をあるいてたら、バスの車外放送みたいな感じで『曲がりま…うわぁぁぁ(キキーッドーン)』って音がして、悲鳴とかもして。見えないけど、多分外の車道でトラックかバスが暴走事故で偉いことなってるな、って戦慄してたら『ごめんなさァァい!!次から気を付けまァァす!!』って絶叫してるのが聞こえて(今更もう遅いだろ…)って暗い気持ちになってたら『実は…実は今破片が○×(聞き取れない)に直撃して…』って実況はじめたとこで目が覚めた。見えてないけど、工場のでかいガスタンクみたいな、壊れたら絶対ヤバいとこに当たったイメージがあって、二次の大惨事で更なる阿鼻叫喚になるか、最悪近くにいた我も死んでるだろうなって…つーか、演出が不穏すぎるだろ!音だけで想像かきたてんじゃないよ!自分がやらかした事故なら、起きてからなんだ夢だった(ホッ)と安心するためのアレだろうな、とか分かるんだが、これは何なんだろうな?夢占いとか暗示は信じないけど、今日旅行で泊まってるから長時間運転あるし、なんか不穏やな~
障害者施設がある地域は性犯罪が多いという直球の差別が話題になっていたけど、
障害者による加害行為が無罪でやりたい放題なのも事実なんだよな。彼らには責任能力がないから。
俺が通っていた小学校は養護学校と隣の場所にあって、隔週で養護学校の子と一緒に給食を食べるスケジュールになっていた。
同学年の養護学校の子は2人いて、俺の通ってる小学校は1学年2クラスだったので、1クラスに1人ずつ養護の子が来る。
2人のうち1人は知的障害があり喋れないがおとなしい子だった。
もう一人は喋れないし大音量の奇声をあげて誰彼構わず殴りまくる子だった。
殴りまくる子が来るときは付き添いの養護の先生、担任、クラスの誰かが殴られる。
養護の子が来る週は、「おとなしいほうが来てくれ!」と祈ってたし、殴るほうが来るときは「ハズレ回だ…」と絶望してた。
俺も殴られたことあるし、友達も殴られたし、女子が殴られて号泣してたりもしたし、ハズレ障害児が来る日は暗黒だった。
そして殴られる側はどうすることもできなかった。障害児には責任能力がないからな。
怖がって泣きながら走り回る女子もいた。俺は怖がって走り回るのがダサいと思っていたから着席して耐えた。
着席していても走り回っていても殴られるときは殴られるし、
養護の先生や担任がハズレ障害児を拘束するまで何発もグーで殴られながら耐えるしかなかった。
養護の子との食事ルールは、障害者に偏見を持たないための交流教育を目的として設けられていたのだろうけど、
健常者だから責任能力があり人を殴ると逮捕される「健常悪魔」と、
障害者だから責任能力がなく人を殴っても逮捕されない「障害悪魔」の二種類があり、
絶対に逮捕されない「障害悪魔」とはとにかく物理的な距離をおいて暮らしていくしかないという学習だけが刷り込まれた。
実際、どうするんだよ。どれだけの暴力行為をしても逮捕されない奴とどう暮らしていくっていうんだよ?
養護のおばさんや担任やクラスの面々がグーで殴られまくって阿鼻叫喚、俺も4回殴られ(計4発ではなく、拳で連打されるハズレ日が4回あったということ)、
とにかく耐えるしかないという経験は、本気で憎悪が刷り込まれるトラウマになってるし、それを「障害者差別だ」と言われても反発心しかわかない。
あと障害者全員を差別してない。殴らない方の子に対しては怒りも憎しみも一切持ってなかった。
むしろ人を殴る健常者よりも、殴らない障害者のほうが好ましい。重要なのはまず殴るか殴らないかであり、次に殴るやつを隔離できるかどうかだ。
地方公務員として勤め始めて30年以上になる。きっかけは、高校を卒業して1年ほどプー太郎をしていたところ、祖父の紹介で関東地方にある市役所を受験することになった。
まだ19才の頃である。バイクを乗り回したり、タバコを吸ったり、酒も飲んだし、新宿のクラブで不良と群れたり、その他やんちゃをしていた。
祖父が「このままだと孫の将来が危ない」と心配してくれたのだと信じているし、今でも感謝している。毎年墓参りに行っている。
あまり勉強しなかったが、筆記試験+集団面接試験はスルッと通って、最終面接でも面接官とウマが合った。会話は終始スムーズに進んだ。
祖父が私を売り込んでくれたのか、今にして知る術はない。しかし、そうなのだと思う。今でも、東京都内の市区町村役場では、試験実施前の時点で合格が決まっている(※特に高卒枠)ような子が存在する。
地元が大好きであるとか、地元の名士のご子息とか、中高生時代に役場のトップから認められるような成果を出した子達である。ここまで行くと、堂々と高校推薦で採用すればいいのに――と思う子が多い。
私はそんなレベルじゃなかったが、当時は公務員は人気がなかった。地元から推薦があった子を採用するというのは、どこの地方役場でもそうだったと思う。あと数年遅かったら採用されなかった可能性が高い。
実は、不安がある。年齢を重ねる度に膨らんでいく。若い頃はこんな感情はなかった。本当にいい時代だった。
実際、地方公務員になって更生を果たすことができた。やんちゃな自分から卒業できた。甘っちょろい自分に、社会人としての振る舞いやマナーを叩き込んでくれた。こんな私でもちゃんと教育してくれた。
この組織は『上』からの命令が絶対である。公序良俗、法令、常識や慣習に関係なく、命令には従わねばならない。法令順守の場面が圧倒的に多いのだが、人間の屑にならねばならないこともある。
何十年も前の話だと、画材屋で買った油紙を擦って擦って擦って、いわゆる市長・副市長の印鑑(個人名の決裁印)を偽造して、過去の事務ミスを修正せねばならないことがあった。その時の上司は、やり方だけを私に説明して、具体的な指示はしなかった。
若かりし頃の私は、実際にそれらをやり通した。起案行為が漏れていた件で決裁文書を事後作成したり、国庫補助金事業に係る請負契約書を後付けで作ったりした。組織のためだと信じていた。こうしなければ、国や都庁にお金を返還せねばならなくなる。ならば仕方がない。組織を守るためだ。
税の更生処分のことで裁判沙汰に発展した時には、法廷で事実と違うことを言ったりもした。いわゆる偽証だが、自分だけじゃなくほかの職員も同じことをしていた。組織を守るためなら、これくらいの罪は許されると考えていた。
この時代、国や都庁の職員だって偽証をやっていたのだから、全国どこでもこれくらいはやっている。裁判官だってわかっている、あの人達も組織に雇われて裁判を執行しているのだから。俺達と同じサラリーマンである。そんなことを、若い頃の自分は思っていた。
後悔がない。と言えば嘘になる。今は罪悪感がある。過去に戻れるなら――あんなことをしなければよかった。
さて。上の言う事に従っていれば結果が悪くても大丈夫。下の者は責任を取らなくていい。それが公務員組織の原則である。
そのうえで、公務を正常に行っていくために、予算や人員にも常に余裕があって、いざという時に即時対応できるようになっている。
さらに、リスクを取らざるを得なかった職員を守るために、身分保障という大事なルールもある。この原則は今後何百年経とうが消えないだろう。
そして、厳しい現場や、難しい調整は多々あるものの、長年頑張った職員には、一番ヒラの職員でも退職金は二千数百万円が支給される……。
そんな時代がずっと続くと思っていた、そういう時期が自分にもあった。若気、いや中年の至りである。ここ数年まで、差し迫る危機に気が付かなかった。わが国の公務組織はずっと安泰だと思っていた。少なくとも私の時代はセーフだと。
地方公務員は将来性はやばい?今後公務員の未来は明るいのか解説
https://job-q.me/articles/15320
流れが変わりつつある。
変化の要点は、3つある。法令、予算、人員である。今、私が特にヤバイと感じているのは「人員」だ。最初の2つは手短かに説明する。
地方公務員というのは、正直サラリーマンに毛が生えた存在である(特別権力関係の否定)。民間勤めのサラリーマンと同じである。実際、労働基準法の大半が適用される。
だが、国家公務員はそうはいかない。あの人達は、国単位で責任をしょっている。特にキャリア官僚がそうだ。社会の変化に対して迅速に対応しつつ、法律・政令・通達を作り、地方に対して【指示・指導・命令・助言】を行う必要が常にある。
近年話題の分野だと、少子高齢化・自然災害リスク・社会全体のデジタル化・感染症対策・犯罪の高度化、まあこんなところか。数年前だと、新型プリウスが流行った頃に、国民1人あたり10万円の給付が決定した。あれも内閣府によるスピード決定だったが、給付の実務をやることになった市町村役場は阿鼻叫喚の地獄と化した……。
経験が少ない業務で混乱しがちだったのは致し方ない。が、国の事務要領が推奨する手続きに従って実務を行ったところ、給付ミスが相次いだのは記憶に新しい。キチンと組織レベルで熟考をした地方自治体だと、「うん、アナログの方が絶対にいい!!」という正しい結論に達することができた。が、国の意見を鵜呑みにした自治体はデジタル関係の不具合・ヒューマンエラー・デザインミスで阿鼻叫喚となった。
日本というのは元々、分権の社会である。江戸時代までは、いわゆる封建制(※中世の封建制とは違うみたいだが)スタイルで、幕府あるいはその時の最強組織が国を統治していた。
明治政府になって、ヨーロッパ列強を見習って中央集権でいこうとなったものの、それが失敗であることが判明し、現在のような封建制に近いやり方――国の法律に従いつつ、地方政府が国防・警察以外の統治を行うという手法が確立している。
だが、それは大昔の話である。今のようにテクノロジーが進歩すると……議論を経ずとも正しい知識・手法が即座にわかるとか、連絡通信の物理的・技術的なハードルが下がると、中央集権スタイルでも国家運営が可能になる。
今がまさにそうだ。どんな行政分野でも、国が施策・事業のやり方のパッケージをあっという間に作ってしまい、メール一本で地方に通知通達する仕組みになっている。正面から逆らうのは難しい。地方政府は連邦制国家ではないし、国に運営上の財布を握られている。身動きが取れない。
具体的には、○○分野の行政プランを作るとか、イントラを行政間で統一するとか、人員配置を市民100人当たり○人にするとか、税金その他をクレカ・QR決済に対応しろとか、現場仕事は民間に委託しろとか、現業職を採用するなとか、やりたい放題で指示や指導が飛んでくる。
※地方分権が進んでいる!という異論はあろうが、あれは国や県にとって旨味のない業務を市区町村に押し付けている面が大きい(※特に維持管理系が多い)。天下りや既得権が関係する業務は委譲してくれない。それでいて、市町村合併・協定や、実入りの薄い許認可事務など、自分達が得するものは瞬足で押し付けてくる。
新規事業は財政部門がほぼ落とすし、新しい公共施設の建築はトップ命令でないと不可能に近い。公共の設備を修繕するための予算がないから、業者に無理を言わねばならない。消耗品費の予算がゼロになる部署が増えている。事務用品は自腹で買うか、昭和後期の先輩方のモノを使う必要がある。
正直、金がないとどうにもならない。業者に発注した支払分とか、市民への生活補助のサービスが実施できない。以前は、予算上・契約上のテクニックによりカバーできていた。今は不可能に近い。
数十年前に比べて、いわゆる問題のある職員が増えている。激増ではないものの、確実に増えている。
ざっと数年分を思い返すだけでも、こんなところだ。
・同僚から信用がないことを告げられても、「どうでもいいです。人生の優先順位が低いです」
・勤務中に罵詈雑言(「ぶっ殺すぞ」「なんだお前はっ!!」「駆除するぞ」など)
・業者や市民に平気で嘘をつく。自分の仕事を押しつけて減らすため
・市主催の美術展への作品提出に来た障がい者が帰った後、様子をマネして周りのウケを取る
思い出そうとすれば、あの10コ以上は余裕である。関東圏内の役場でこうなのだから、もっと田舎の方にいくと、さらに忌まわしい事態になっているだろう。
こういう職員が跋扈することで、まともな職員の退職に繋がっていく。今は転職市場が発達しているから、30代でスキルを身に付けた職員が毎年十人くらいは職場を去っていく……退職理由の中に、問題のある人間に対して甘すぎるという意見が確実にある。
正直、そういう職員が飲酒運転とか、暴行障害とか、そういう事案を起こしてくれるとありがたい。良心の呵責なく免職処分を発することができる。
実際、上記のような言動をする職員に対して有効な手立ては……2024年現在、「ない」と言っていい。更生を待つしかない。更生率は2割に満たない。
こうした対処のしようがない問題職員が増加している。その中で、どうしても救いようのない職員に対してのみ相当厳しい措置が取られる。【後述】
※どうしても見切れるため一旦切って投稿する。私の環境だと5000~6000文字が限界のようだ。
(続きです)
簡単にいうと、統率者はMTGを簡単に破壊するし二度と蘇らせないと思ってる。
統率者はMTGにおいて、100枚のハイランダー(各カードを1枚のみ入れる)というデッキで行う多人数戦フォーマット
基本的に4人で回していくため、対戦時間は1時間を超えることもザラ
しばらく前から公式が積極的にこのフォーマットを推しているんだけど、ぶっちゃけアメリカ人が大好きすぎて既にアメリカではMTG=統率者になっている
日本人は基本的にカードゲームを競技的にとらえているせいか、こういう卓を囲んだカジュアルなフォーマットは好まれてこなかった
あるとき「自分の好きなカードを1枚ずつ使って100枚デッキ作って遊ぼうぜ」って感じでユーザーの中で広まった
競技的にガチでやりあうのではなく、好きなカードを使いたい人がもちよって仲間内でボードゲーム感覚で遊ぶことが前提なので、カジュアルが最大の売り
なぜかアメリカ人はこれが大好きなんだけど、逆にアメリカ人からすればカードゲームでガチで競技するって感覚がおかしいらしい
さて統率者がが何を引き起こしているかというと、モダンやスタンといった競技志向のフォーマットが消滅していること
本家アメリカではそういった競技大会がどんどん潰れているし、そういった需要にこたえる記事や情報源もなくなっている
いまMTGのジャッジってどういう風になるのかも実はわかっていない
特に日本だとカードショップにいってそこにいる人に聞いてみないとわからない
遊戯王のように公式が丁寧にフォローするとか一切ないし、単なるルールに詳しいおじさん程度の扱い
特にアメリカは統率者しかみていないし、統率者は総合ルールも結構無視している場合もあって、ジャッジも必要ないし
そうやってカジュアル路線になっていくかというと、これもちょっと違う
統率者の中でもまた競技的なことをしようって人もでてきているし、そういうフォーマットも人気だ
ようするに非公式フォーマットの中にまた別のフォーマットが生まれているというカオスな状況
既に60枚デッキで2人がガチで対戦するってことをアメリカ人は忘れている
で、なんやかんやあって統率者に発言権のある団体がつい数か月前に禁止カードを発表した
この発表内容がまた厄介で、統率者に必須と言われた高額カードが含まれていたりしてまあ大炎上
結果、殺害予告なんかもでて団体は解散、公式がそれを吸収するという運びとなったわけだ
で公式は今まで非公式ルールだった統率者の管理を担うことになったわけだけど、それに伴って統率者フォーマットで強さの基準を決定する試みをしようとしている
けどそもそも、統率者は制御不能な状態に陥っていて内圧によって崩壊したんだよね
だって統率者って近所の仲間とマックで談笑がてらポテト食べつつやるようなものだからね
ルールがあるようでないのが統率者の最大の良い点
それが「統率者ではこのカードを禁止にします」なんて上から言われることがどんだけおかしいかってことか
もちろん各デッキごとに強さはマチマチだがそういうのすら大きな波に乗せられてよくわからない状態になっていた
自由でカジュアルで競技的ではないって言われても、やっぱり競技もしたいって人がハウスルール2を作って楽しむし、内紛状態なわけだよ
カジュアルなものの中ですらガチ・カジュアル論争が起こるとか笑えない
統率者に肩入れしすぎて、統率者専用カードを大量に作っては意味不明な売り方をしたせいで、競技的なことをしたい人から大いに嫌われた
逆に統率者向けセットがバンバン作られて、カジュアルに好きなカードで対戦するって前提も崩れたし
今回のスタン向けのファウンデーションズだって、スタンでは使えないカードが収録されたジャパンアートばっかりが売れてるし
なんでアニメアートのカードをスタンでも使わせなかったんだと多くの人が思ってるけど、たぶん公式は大して理解していない
何が言いたいかっていうと、MTGの1フォーマットに過ぎなかった統率者がMTG全体をくってしまい、どうあがいても初心者が入ってこれる要素がなくなっている
遊戯王とかは「インフレが凄い」の一言でかたずけられるけど、MTGの統率者は存在自体が不思議な文化と暗黙のルールの上になりたっていて、間違いなく初心者には向かない
ただでさえオッサンしかゲームなのに、さらにオッサンしかやらないタイプのフォーマットしか残らなかったら、若い子には「あんな気持ち悪いカードの何がいいの」っていうんだがね
まあオッサンたちはそれに気づくことはないだろうが
草野球が楽しいのは、プロ野球というガチの競技が面白いから自分達も楽しもうって文化が根底にあるわけで、プロ野球が衰退したら草野球だってやりたがらないわけですよ
普通の人は草野球から野球をさせるんじゃなくて、プロ野球をみせるでしょ?
カードゲームだって、魅力的なプレイや有名選手がいるから流行る背景があるわけで、カジュアルオンリーなゲームはオッサンたちのボードゲーム大会でしかないわけ
いや別にボドゲが悪いわけではないけど、そこに競技的要素は二度と持ち込めないし、初心者は入ってくることもないだろう
日本は世界第2のMTGプレイヤーを誇るけど、たぶん10年以内に全てのプレイヤーは統率者に移行するだろう
だって競技志向が薄れていけば残るのは統率者だけになるんだから
こうなるよ
そこではアメリカで起こった数々の問題が噴出するだろうし、統率者の内部でも変な独自フォーマットが作られて阿鼻叫喚になる
それでも統率者は推されていくだろう
本当に厄介なのは、MTGの売り上げって世界全体でみると結構売れてる方なんだよ
MTGのゲーム性が崩壊しようと大会がゼロになろうとどうでもいいと思うよあの会社
ゲーム内の内紛に誰が関わりたいんだろう
「統率者を楽しく遊んでいる人もいっぱいいますー」って言えるのあと何年だろうね
MTGアリーナも耐用年数が近いから、あと数年で統率者専用のDCGにとってかわられるだろう
もうそうしたら競技TCGなんて誰も思わないし、やってる人の中でも問題が紛糾してしまう
でも全部がMTGの中だけで進行するから、外部の人にはなんか騒いでいるけどある日MTGがサ終したってことになるんじゃないかな?
仲間内はカジュアルに楽しみ、大会などの競技性も同時に確保できたらいいんだろうけどさ
競技性とカジュアルは天秤にかけるものじゃないが、特に競技性を捨てたゲームは日本では生きていけないし、本家アメリカももうやばいだろう
はい、じゃあこれでターンエンド