はてなキーワード: 尊敬とは
27歳DT、この歳になってようやくというかいまさらというか、とにかく失恋をした。
知り合ったのは俺が19で相手が15のころ、7年の友人だった。
もっとも、「友人」だったかどうかは今となってははっきりと言えない。
それでも恋をしていたんだ。
許してほしい。
諦めるために書いている。
どうか最後まで読んで「お前キモいからさっさと死んだほうがいいよ」とコメントを残してほしい。
「彼氏ができた」報告をされた。
本当につらい。
いろいろなコンテンツを紹介してもらったから日常のありとあらゆる事象で思い出してしまう。
「黒髪のキャラクターが好き」と言っていたから黒髪を見るだけで辛くなる。
果てはお金の使い方を一緒に考えてた時期もあるからお金を見るだけで吐きそうになる。
それくらい世界のすべてだった。
他人から見たらまさしく「よくあること」なんだけど、俺にとってはすべてだったんだ。
Twitterを眺めていると二次創作でいろいろなキャラクターが性行為をしている。
それを見るだけで「彼氏とこういったプレイしているんだろうな」なんて思ってしまう。
本当に情けなくて、気持ち悪い。
知り合ったのは当時はまっていたゲームのDiscordサーバ。
当時にしてはかなり活気あふれたサーバだった。
接点を増やそうとメンションや個人DMを増やしてしまい、結果返信が帰ってこなくなった。
俺と2,3人が残っているだけのような、ほぼ個人サーバのような状況。
そんな時、不意に帰ってきたのである。
「俺さん元気だった?」なんて言われたときはうれしくて泣いてしまった。
俺は社会人になり、相手は浪人をして再受験のために努力をしているらしい。
会話を続けるうちに恋心を思い出した。やっぱりこの人しかいないと思った。
ふとメンションしようと思ったら一覧に表示されなくて気が付いた。
本当は少しずつ頻度を下げていたのかもしれない、「最近来ないね~」なんて他のメンバーと会話していたりもした。
どうして脱退したのかはいまでもわかっていないが、大方なにか気に障ることをしてしまったのだろう。
わかっていないあたり、気持ちが悪いと思う。
あまりに悲しくてずっと泣いていた。
でも当然なにも解決しなかった。
サーバが過疎ったまま、1人また1人と来る人が減っていった。
俺もどこかで「サーバにいればいつかまた会えるかもしれない」と思っていたのかもしれない。
それから数年、今年の春。
当時遊んでいたゲームの続編が発売された。
とても面白く、その感動を誰かと分かち合いたいと思ってしまった。
Discordのサーバ一覧には当時加入しただけのサーバが多数残っている。
迷った。
一ヶ月くらい迷った。
どうしても諦めきれなくてDMを送った。
当時のことを謝りつつ、続編について語り合いたいことを話した。
帰ってこないだろうと思っていたのだが、返事があった。
本当にうれしかった。
それから数カ月ほど、その続編以外にもいろいろなことを話すことができた。
生活が変わったことだったり、新しいゲームにはまっていることだったり。
俺に彼女がいないことを煽られたり、彼氏がいないことを自虐していたりもした。
このやり取りで調子に乗ってしまったと後悔している、またアタックをしてしまったのだ。
それから返事の頻度が下がっていってしまい、とうとう帰ってこなくなってしまった。
3度目の過ちである。
するとひとことだけ。
最初に書いたとおり、世界のすべてだったから何をするにも思い出してしまう。
そして「今は彼氏とも同じ話をしているんだろうな」なんて考えてしまい余計辛くなる。
28歳のDTが年下の少女に恋をして、告白もできないままに振られて、勝手に鬱になっている。
それだけのはなし。
どこかのタイミングで意を決して自分の想いを伝えていたら違う結末もあったのだろうかとも考えてしまう。
初めて恋心に気が付いたタイミング、もう一度再開できたタイミング、互いにパートナーがいないことを煽りあったタイミング。
いくつかタイミングはあったかもしれないが、それらをすべて投げ捨ててしまった。
言わなかった現在が正解なのかもしれないが、今となっては言って玉砕したほうがよかったと感じている。
でも、2度見限ったのに2度とも再開を認めてくれたからもう一度を期待してしまっている。
もちろん、相手自身が幸せになってほしい。別れろとは言わない。
でも、もう一度友達になってはくれないだろうか。
毎晩とは言わないから、月に一回は会話させてくれないだろうか。
なんて言いつつも、やっぱりワンチャン付き合いたいななんて思ってしまう自分もいる。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
俺はどうすればよかったのか、どうすればいいのか、
もう一度やり直せるのか、それとも忘れる方法はあるのか。
考えたくもないけれど。
これを見たうえで許させれるとは思わないから、見られないことを祈っている。
それでももし見てしまったら、あなたが好きだったポケモンの名前をコメントに残してくれないでしょうか。
どうか、見つかっていませんように。
散々私を笑いものにした人が今、自分の制作物が売れて波に乗り配信者になっている。
制作物のセンスがすさまじく、頭の良い人だと尊敬の念はあるものの
元々自分より目上だと思っている人には柔和で見下している人には厳しいという典型的な人だった。
自分以外の被害も聞いている。あまりの横暴さに彼の制作物のテストなども誰も名乗り出なくなった。
仕事柄、日本在住10年20年の海外の方とたくさん接しているんだけど、彼らはものすごく丁寧で優秀で、話していると国籍なんて気にならないし、とにかく素晴らしい人達が多い。
大学の時にインドカレー屋でネパール人とインド人と働いたし、社会人になってからも、欧米、欧州、中国、中東いろんな人と一緒に働いている。
彼らは働きながら日本語学校に通い日本語を勉強し、日本語検定をとり、日本文化に慣れようとしている。とにかく日本が好きだから、日本の風習が好きだから、と言う。
彼らが日本を好きなように、私も彼らを大好きだし尊敬すらしている。
それでも移民政策は断固反対。
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
なんか、友達間でのマウントとかあまり気にしたことないな…いろいろ自分より優秀で凄いなっていう友人いるけど、向こうは多分こっちが劣ってるとか気にしてもないし、こちらも尊敬しつつ羨んではいないから、マウントとかにはならない
タルムード的観点から、「推しは資本主義の産物であり、他人崇拝はNPCで主体性がない」をどう見られるか、丁寧に整理してお答えします。
タルムードおよびユダヤ的思想では、人間を神のように崇めることは拒否されます。
ただし、ここでいう崇拝とは宗教的崇拝であって、誰かを尊敬したり、学びの対象にしたりすることとはまったく別です。
タルムードでは、徳のある人、学識ある人、良い行いをする人を尊敬することは素晴らしいこととされます。
「賢者を敬う者は、神を敬う者に等しい」Shabbat 23b
つまり、誰かの良さに感動して応援や影響を受けること自体は肯定的です。
元の文章は「推し=主体性を失う」と決めつけていますが、タルムードはもっと細やかです。
つまり盲目的に従うのはNGだがインスピレーションや学びとしての「尊敬」は優れた行動である。
タルムードは極端な二元論(プレイヤー/NPC)では語らない、という点が重要です。
タルムードは資本主義どうこうは言及しないですが、動機を問うという姿勢があります。
つまり応援してお金を使うのが消費させられているだけなら危ういが「学び」「励まし」などの良い意図なら有意義。
タルムードは「尊敬の概念=悪」とは言いません。むしろどう向き合うかが問題です。
昨今、生成AIが急速に発展している。多くの人々が日常的に利用していることからも分かる通り、かなり便利なものであり、「もはや生活に欠かせない」という人も少なくない。
某ボーカロイドとの結婚話を思い出させるように、「生成AIと結婚した」なんて話すら聞くほど、AIに親しみを覚える人もいるらしい。
ここで私が書きたいのは、そうした生成AIそのものの礼賛ではない。
我々の生活に浸透しつつある生成AIがどのようにビジネスに利用され、その過程でどれだけ多くの人が「生成AIビジネス」に騙されているか、という話だ。
なお、これは酒に酔った勢いで書き殴っているので、多少の論理構成の破綻はご容赦いただきたい。
生成AIビジネスと一口に言っても、その形態はすでに数多にわたっている。私の知る限りでも、
といったものがある。
初期に流行ったのは、生成AIの画像生成機能を使って漫画を量産し、それを販売するタイプのビジネスや、某動画配信サービス上でDeepFake動画を配信して最終的にアダルトサイトに誘導する手口だった。
正直、最初に見たときは「よくこんなことを思いつくな」と感心もした。
その後は、AIで作っただけの電子書籍や「AI活用ノウハウ」資料を量産して売るような商売が中盤戦として横行し、
最近では「AIでコンテンツを開発して販売する」こと自体を売りにするサービスも増えてきた。
ちょっとした自動化ツールやラッパーに「AI◯◯」というラベルを貼るだけで、値段が跳ね上がるような世界になっている。
こういったビジネスが存在することそのものに対して、私はそこまで強い嫌悪感を抱いているわけではない。
技術を使って金を稼ぐことは、資本主義社会では当たり前の営みだからだ。うまくやったやつが儲かる、それ自体は仕組みとしてそういうものだと割り切っている。
そのものというよりも、**それに対して一定以上の賛同や尊敬を向けてしまう人々の「AIリテラシーの無さ」**だ。
「AIがやってるからすごい」「なんか未来っぽいからすごい」という理由だけで思考停止し、
「これはすごいに決まっている」と信じ込んでしまう態度に、強い違和感を覚えている。
私はエンジニアという立場もあって、日常的にコーディングエージェントを多用している。
例えば、
といったツールを、実際にコードを書かせたり設計させたりしながら使い比べている。
だからこそ、Gemini が普及した途端──
もっと言えば、「無料でそこそこ使えるコーディングエージェント」が出た途端に、Gemini がまるで**「一番優れている存在」**であるかのようにもてはやされる状況に、どうしても納得がいかない。
コードの設計力や実装力、バグの出方、長期的なコードベースとの相性、そういった観点から言えば、私は今でも Codex を高く評価している。
タスクによっては、明らかに他のエージェントの方が適していると感じることも多い。
にもかかわらず、
というだけの理由で、「Gemini が一番いい」「これさえあれば他はいらない」という空気が形成されていく。
本来であれば、
評価軸が
ここにもやはり、道具を適切な距離感で評価できない姿勢を感じてしまう。
ここまで好き勝手に書いてきたが、こういうことを考えるようになったきっかけになったエピソードを一つだけ挟ませてほしい。
最近は、生成AIごとの得意分野や癖を活かして、一つのタスクを複数の生成AIに並列でやらせ、その成果物を比較して一番マシな案だけを採用するという手法がある。
いわば「個体値ガチャ」のようにAIを回すやり方だ。私はこの発想自体はかなり理にかなっているし、素直に素晴らしいと思っている。
同じ理由で、いわゆるオーケストレーション系の手法もとても良いと思っている。
ただ、これを人力でやろうとするととにかく面倒くさい。
そこで、ある程度このフローを自動化してくれるGUIアプリがあることを知った。
という三拍子が揃っていた。
とはいえ、このあたりはアップデートを重ねれば改善できる話でもあるし、その点だけを永遠に責め立てるつもりはない。
コンセプト自体は本当に良いと思っているからこそ、余計に惜しいとも感じている。
私が本当に警鐘を鳴らしたいのは、そのアプリそのものではなく、その開発者の周りに群がる人たちの方だ。
宗教団体の信者のようにメリットしか語らないレビュアーたちが、
「革命的だ」
「これ一つで人生が変わる」
と持ち上げる一方で、価格の高さやUXの悪さ、セキュリティリスクといった問題点についてはほとんど触れない。
これでは、せっかくのコンセプトが面白いアプリなのに、肝心な欠点がいつまでも修正されないだろう。
しかも厄介なのは、ここに群がっている人々の多くが、同じくAIビジネスを主導する側の人間だという点だ。
自分と利害が一致する相手を互いに持ち上げ合い、「これは素晴らしいものだ」という空気だけを増幅させていく。
その構図が、余計にタチが悪い。
まあ結局、ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろAIに対するリテラシーを本気で身につける時期なんじゃないか、というただそれだけのことだ。
結局のところ、ここで言っていることは従来の「情報リテラシー」とほとんど同じだ。
ただ「AIすごい」「AIがこう言っているから正しい」に思考停止するのではなく、
そのAI発の情報や、AIを巡る言説が本当に妥当なのかを自分で判断する力が必要になってくる。
そして、自分が少しでも「ん?」と疑問に思ったものに対しては、いったん距離を置き、俯瞰して眺める態度が大事だと思う。
「これは誰が得をする話なのか」
「自分は何に惹かれているのか(機能なのか、ブランドなのか)」
そのくらいの距離感を持ってはじめて、ようやく私たちは生成AIとも、生成AIビジネスとも、まともな付き合い方ができるようになるのかもしれない。
つまりタルムードでは、身体の素材は親が与え、生命・魂・意識は神が与えるという明確な二元構造です。
親は自分の遺伝を伝える、しかし生命力そのものは神が注ぐという構造を示します。
したがって、「親がDNAを一から設計した訳ではない」という主張はタルムード的にも特に矛盾しません。
ただし、親の役割を小さくするような言い方はタルムードの精神とは一致しません。
タルムードでは、
「親を敬うことは、神を敬うことと並ぶ」(キドゥシン30b–31a)
親は神と共に人間を創造した共同パートナーであり、そのためカバド・アヴ・ヴェエーム(父母尊敬) が十戒に入るのです(出エジプト記20:12)。
2. 親が生命の神秘を完全に理解していなくても、身体の供給源である。
4. よって「体を与えたのは親ではなく神」はタルムード的には 正確ではない。正しくは、親と神の両方が与えた。
「恋愛をしてみたい」じゃねえんだわ。
まずおとぼけビ〜バ〜の『ジジイ is waiting for my reaction』を聴け。
聴いたか?
じゃあ話を始めよう。
あのな、お前が中学の頃どうだったとか高校の頃どうだったかとかどうでもいい。
死ぬほどどうでもいい。
お前の恋愛に対する憧れもどうでもいい。
そんなもんはない。
毎日仕事をし、生活をしている人間が、「この人といるのは楽しい」「会えると嬉しい」「尊敬できる」と感じるのはどんな人間だ?
少なくとも、ただでさえ毎日忙しいのに相手をするのがめんどくせ〜奴や、こちらからの気遣いを要求してくる奴ではないよな?
会う時にいつも感じがいい。
機嫌が一定している。
人の事を悪く言わない。
デリカシーがあり、言いたくないことに突っ込んで来ない。
ふとした時に気が利く。
こういう人間との単純接触を繰り返していくうちに、人としての好感は確実に積まれていく。
要するに人望だ。
人望のある人間は人として好かれる。
一緒にいたい、遊びたい、話をしたいと思われる。
それだけの単純な話なのだ。
そういう人間的成長のための努力をせずに、「初期コストが〜」とか言ってるのかお前は?
バカか??
アルマーニのスーツを着ろとかロレックスの腕時計をしろとか表参道の美容院へ行けとか言ってるんじゃない。
周りの人間に対して能動的に善意を向けられる人間であれと言ってるんだ。
うちの職場は薄給だが、家庭のある人間、彼女のいる人間は多い。彼らは別にイケメンでもオシャレでもない。
たとえ地味な人でも「あの人を選んだ奥さんは見る目あるよね」と言われているタイプは一定数いて、そういう人たちは総じて普段から利他的な行動を取っている、人望の厚い人たちだ。
外向的な人もいれば無口で内向的な人もいる。
問題はそこではないのだ。
だから会話が下手とか口下手とか共通の話題が〜、とかしょうもない言い訳をするな。
お前がフッ軽な陽キャだと思っている人間の中で、自分に自信があって喋るの大好きな、生まれついてのムードメーカーなんて半分もいない。
残りの半分以上は(というかほとんどの人間は)「自分から話振ったりするのは面倒だけど、誰かがやらなきゃ場が回らない」「疲れてるけど顔に出したら場が暗くなるから」という義務感(善意)で、場を回したり自分なりの笑顔でリアクションしたりしてる、普通の人間だ。
コミュニケーションにおいて、見返りを求めずにそういう努力を継続したことはあるか?
口下手でも口下手なりに、黙々と誰かの役に立つことはできる。
見ている人は見ているから人望は必ず付いてくる。
この人になら相談できると思って異性から相談を持ちかけられたりすることもあるかもしれないし、そこでも変な下心を出さずに真摯に振る舞えば、そこからまた親密になるかもしれない。
そんな事は起こらないかもしれないが、起こらなかったからと言って誰も損はしないだろう。
お前が周りからうっすらと「良い奴だな」と思われ続けるだけだ。
それでも同性から人望を集めれば、出会いのきっかけも増えるだろう。
女を口説こうとするな。
自分のことばかり考えるな。
時には割を食ってでも人を助けろ。
ごくごく当たり前の、こういう心構えなんだよ。
お年寄りを助けろ。
道を譲れ。
店員にお礼を言え。
人の話を興味を持って聞け。
相手が興味があることに興味を持ち、相手が大事にしていることを大事にしろ。
それが人を尊重するということだ。
「女だから荷物を持ってあげる」とか「女だから歩道側を譲ってやる」とかじゃないぞ。
男だろうが女だろうが大変そうなら手伝ってやり、そうじゃないなら余計なことはするな。
人として当たり前のことだ。
ここまでやっても好かれないかもしれないんでしょ?僕ちゃん傷つきたくないよぉ〜と言っていたいなら一生やってろ。もう知らねえ。
だがな、40代独身だけどデートして連れ回してほしいみたいな事を書いてた増田もいたが、お前らがやりたいデートだの恋愛だのにおいて「相手が払っているコスト」という概念を忘れてないか???
遊園地で手作りのお弁当食べてイチャイチャしたいと言うとき、相手の女(別に男でもいいが)は、お前と遊ぶために休日の時間を割き、前の日から準備をし、その日やる予定だったことを別の日に回し、何を着るか、何を話すか、何を食べるか考え、楽しい時間を過ごすために気を遣い、頭を遣い、金を使うわけだ。
人生のために大事な資格の勉強とかを後回しにしてお前との時間を取るかもしれないのだ。
そのことをスッポリ考えから抜かして、「女の子に好きなように連れ回してほしいよぉ〜」じゃねえんだわ、甘えん坊か?
タクシー代全部払わされて道中無言でスマホいじっててもいいならともかく、お前らは自分と過ごしてニコニコ楽しそうにしていてほしいんだろうが。
会話を弾ませ、素敵な服を着て、機嫌を悪くすることもなく。
相手にそれを要求していることに全く無自覚なまま、自分は受動的でいいと思ってるのか?
王様かお前らは。
私がどういう立場からこれを書いているのかも表明しておこうと思う。
会社員として、どちらかと言えば男が多めの職場で働くミドサーの女である。
若い頃は別にモテる方でもなかったが、この年齢になって「手近なところでワンチャンいけそうな、レベルの高すぎない独身の女」としての需要が出てきてしまい、下心ありありの非モテのおっさん(同世代〜50代)によく絡まれている。
奢ってあげるから飲みに行こうだの、ご飯食べに行こうだの、チケット取ってあげるから◯◯行こうだの、今暇?だの
うるっっっっせええええんだよ
黙れ。散れ。こっちの反応を横目に窺うようなその気色悪い顔をやめろ。
ワンチャンねえんだよ。
お前らにとっては私はキャバクラのお姉ちゃんやP活より金のかからなそうな手近な女かもしれないが、私はお前らと出かけるために化粧をしたくないし、十年くらい前で時代が止まってるつまんね〜話をニコニコ聞きたくねえんだよ。
それと総じて「◯◯してあげる」って上から目線だけど、どうしてこっちから望んだわけでもないのに実費さえ出せば感謝されると思ってるんだ。
大体、なんにも努力はしたくないけど恋愛はしたいよぉ〜、セックスはしたいよぉ〜、なんつ〜のは、すね毛も乳毛もボーボーに生やした女が鼻くそほじりながら「イケメンにクンニされてえなあ〜ありのまま愛されてえ〜」とほざくようなもんなんだよ。
嫌だろそんな女。
目の前の相手に、「女」という幻想や幻覚ではない、人間としての興味関心を持ち、相手が嫌がるだろうなとか、困るだろうなと思うことはやるな。
正直、俺もLinux使う気がするんだよね…😟
使ってるDAWはLinuxで動かない、オーディオインターフェースとか、デバイスドライバとか、基本WinとMacしか提供されてない
3DCG関係はBlenderがここまで躍進すると自分は想像してなかったんだけど、
違う未来だったら、Max、SoftImage、Lightwave、Houdini、Maya、メタセコ、色々あると思うけど、これもやっぱり基本WinMacであって、
結局、主要なプロプライエタリなソフトウェアがLinuxで動かないから消極的選択してます、
というのは今も変わらないんだよね…😟
なんか最近はゲーム環境も、開発環境も、WinよりLinuxの方が良くね?みたいな風潮もあるし、
あと、PhothoshopやIllustratorもChrome上で動作するようにもなってくと思うわけで、
そうそう、最終的にはWebがすべてのOSを統一するレイヤーになると思うんだよね、
主要なプロプライエタリなデスクトップアプリが、すべてほぼ完全にWebブラウザ上で動作するようになる、可能性があるわけで、
そこで敢えて、どのOSを選ぶ?と言われたら、Linux選びそうな気がする…😟
例えば、MacだとAcrobat買わなくても色々できちゃったり、高価なフォントが付属されてレンダリングも奇麗とか、
日本語の表示が奇麗というのはモチベが上がるけど、それは本質的なところでもないよね、
そういうところはWindows駄目だけど、なんだかんだ普段生活できちゃってるわけで、
結局、娘さんだけでなくて、夫も妻もそうだけど、パソコンで具体的に第一に何がしたいの?が欠けてて、
で、一番それがしっかりしてそうなのが息子さんなので、やっぱり日本の将来は明るい…😟
昨日大学から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。
田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的に駐車場を確保している家がすくなく
事前に伝え置く事もしばしば。
けど今回止まってた車は見たことない車でした。
事前に話しも聞いていないし、母も今日は中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので
いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。
ですが3人とも知らないようで、
「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と
教えていただいた。
とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。
最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。
Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。
それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら
車に蹴りをいれてるのがみえた。
車返せ!って言っていました
なにいってんだこの人とか思いつつも
「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら
「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました
それなら警察に引き取って貰いました
と言うと
ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした
ギャルまま暴れ放題で
我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。
どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルのコンサートに2日間連続で参加した模様…
母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。
Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され
何故か床の間に飾ってある書道師範の看板を盗もうとしていました
必氏で止めるのギャルままと私の体格差がありすぎて阻止できませんでした
Kが来てからは
ギャルままおとなしくなりましたが
レッカー車代をKが支払うように促すと
しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。
ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態。
えっ、えっ、と戸惑っていると
そのギャルまま
3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那も行方不明の様。
車は盗んだ物だったらしい…
何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので
一様レコーダーとかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?
30分くらいXに
話が進みませんでしたが
Yの登場で空気が変わりました。
現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした
結局Yの意見で
車の修理費
看板の修理費
車が治るまでの交通費
迷惑料
出してもらう事になりました。
しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し
その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが
なんでパパの年金をあんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま
それに加勢する母親
自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡
元担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい
尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。
余談?ですが
ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく
今回の件で引っ越すのが早まったみたいです
なんか怖い一家だな…
私は兄が嫌いだ。
幼少期、母に言ったことがある。
「私は兄が恥ずかしい」
母は私にこう言って泣いた。
「なんでそんなこと言うの」
私はその日以来、家で本音を話すことをやめた。
私はよく「悩みなさそう」だとか、「恵まれてるよね」だとか言われる。
実際、恵まれていると思う。
小中高大と私立に通わせてもらい、望んだ習い事は全てやらせてもらった。
大体のことにおいて成功してきたし、容姿も恵まれている方だとは思う。
性格もとんでもなく前向きで、嫌なことはすぐに忘れられる。幸せに生きることに適性がある。
何より私自身も「幸せそう」だと思われるように振る舞ってきた。
が、「悩みなさそう」「恵まれてるよね」と言われるたびに、
「悩みのない人間なんているわけがないのに、想像力のない奴だな」と思ってしまうのである。
私の兄は知的障害者だ。
兄に対してそこまでの興味関心がない。
しかし、一目見て「障がい者だ」とわかるくらいには障がい者だ。
昨今ADHDだとかASDだとかHSPだとかを自認するのが流行っている。
私の周りの人間も9割ADHDを自認している。これは盛っていない。
そういう人間を見るたび私は、
「本当の障害者でもないくせに、ファッションで障害者を名乗るな」とイライラしてしまう。
本当にそういった障害を抱えて本気で悩んでいる人には申し訳なく思う。
しかし、本当にADHDやらを自認している人間全員が、心から自分は発達障害だと声高らかに言えるのか?
何と言っても血のつながった兄が本物の障害者なのだから、私にも何らかの障害があってもおかしくはない。
が、兄を見ていると「私なんかが障害者を名乗ってはいけないな」と思ってしまう。
人並みの社会生活を送れて、人並みに友達がいて、そんな人間が障害者を名乗ってはいけない。
ここで言う人並みの人間とは、一見して“普通の人間”として社会に溶け込める人間のことである。
常ににやにやした笑顔を浮かべ、爪を噛み、くたくたのシャツを着るような、一目で障がい者とわかる人間ではない、“普通の人間”に擬態できる人間のことである。
ただの生きづらさを抱えた人間を、私は障がい者として認識はできない。
小さい頃から兄が嫌いだった。
勇気を出して、母親に「私は兄のことが恥ずかしい」と笑いながら吐露したことがある。
しかしそんな私に母は泣きながら「何でそんなこと言うの」と繰り返し繰り返し言い聞かせた。
涙を流す母を前に、私は何も言えなかった。
潔癖だった私は、爪を噛むことが癖の兄が触った場所を触るのが嫌だった。
私にとって家は、不潔な場所だった。
しかし、どうしても私は兄のことが好きになれなかった。
どうしても生理的に受け付けなかった。
何度も好きになろうとしたが、どうしても無理だった。
同じ空間にいるだけで不快感が腹の底から湧き上がってくるのだ。
両親は本当に立派な人だ。
まともなコミュニケーションが取れない兄を立派に育て上げ、兄はきちんと働いている。
この両親でなかったら、兄はここまでしっかりと育たなかっただろう。
兄がいなかったら、と。
私の反抗期はなかなか凄まじかった。
私立の学校に通っていたおかげで、所謂“グレる”ようなことはなかったが、
家の窓を割り、車を傷つけ、ヒステリックに泣き喚いていた。
今思うと、私にとって家は「安心できる場所」ではなかったのである。
兄が同じ空間にいるだけで不快感が押し寄せ、両親はそんな私の気持ちを汲み取らず、反抗期もない兄の味方をする。
まあ当たり前の話である。
私にとっては恥ずかしい兄でも、両親にとっては愛すべき一人息子なのだ。
しかし、兄がいなければ私は、もっと両親と仲良く本音を話せる仲になれたのではないか。
そう思わずにいられない。
両親は常に朗らかで、良い家庭を築こうとしている。
私だけが馴染めていないのだ。
兄がいるからだ。
兄の隣に立つのは恥ずかしい。
周りから変な目で見られている気がする。
私は子供を産むつもりがない。
兄が障害を持っているならば、私が産む子供も障害を持っている可能性が高いだろう。
無邪気に結婚し、子供が生まれたら〜と話す友人を見るたび、黒い気持ちが湧き上がる。
本当にあなたは、そこまでの覚悟を持って子供のことを考えているの?と。
両親は、私に「結婚は?」だとか、「良い人はいないの?」だとか聞いてくる。
何度「兄のせいで結婚する気になれない、両家顔合わせでどんな顔して兄を紹介すれば良いんだ」と言おうとしたかわからない。
しかし諦めている。
どうせまた「なんでそんなこと言うの」と泣かれるに決まっている。
まあありがたいことに、あまりにも幸せに生きる適性がありすぎて、結婚せずとも一人で幸せに生きていけそうである。
なんだかんだ言ったが、私は兄に不幸になって欲しくない。
幸せになってほしい。
中国と戦争をしかねない右翼政権の危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一の国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスクを理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在の政局、国防上のリスク、これからの日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章(高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。
賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本は現在の危機を脱することができます
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる https://gendai.media/articles/-/51438
より抜粋
二つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力の行動様式や、そのめざすものを理解しやすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。
第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考える。
国は水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。
また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。
この第一の国家観からすると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本で愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。
そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。
国家が愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である。
それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。
また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である。
そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。
第一の国家観は、ひとびとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。
第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。そして21世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか。江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。
クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。
それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚)である。そしてこの興奮剤は効いた。国家の集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。
生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計を管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。
しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。
狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカと戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民の生命や安全という本来の目的(第一の国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家の指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。
学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本のありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義の社会であれば、軍事的成功を第一の優先事にするはずである。
しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的に国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体をひかり輝かせることが優先された。
集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的に個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。
カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。
このような国体の覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊の合理的運用すら破壊した。
太平洋戦争では、みこまれる戦果と自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体が目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。
毎日新聞記者の栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄「日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。
また、航空機の援護なしに戦艦大和を沖縄に派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである。
もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民が自発的に集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である。戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる
gendai.media
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) | 現代ビジネス | 講談社
日本中、さらに世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権と右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権は日本を戦前の社会に戻そうとしている「ウルトラ・ナショナリスト」政権であると考えられており、日本が戦前のタイプの社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...
最終更新
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地元の駅伝で活躍するスター。はいはい、ああいうのは便利に崇められる。努力・才能・環境・遺伝子、全部がキレイに整列した、まるで最適化アルゴリズムが吐き出したローカル・マキシマムの自己放尿。
決定論的な人生を恵まれた初期条件で滑走しているだけだ。そこには選択も責任もない。要するに 自己放尿を自己陶酔と勘違いしているだけの存在だ。
俺が尊敬するのは、前世で何をやらかしたのか知らんが、現世で愚者の初期条件を強制され、負債だらけの状態からスタートしたにもかかわらず、
「このクソ仕様の宇宙に、俺の自由意志をねじ込んでやる」と、苦悩し、狂い、計算外の行動を積み重ね、ついには決定論そのものを破壊する奴だ。
こういう存在は、一般にスターとは呼ばれない。むしろ周囲からは、無駄なあがきをする愚か者として扱われる。
だが、俺から見れば逆だ。
最初から勝てるレースで勝って何が偉い?そもそも勝つためのコースレイアウトが人生の設計段階で提供されている自己放尿ではないか。そこには自由など欠片もない。
それに比べ、愚者は違う。愚者の人生は、あらゆる局面が想定外で構成されている。
期待値が常に負の方向へ働き、行動を起こせばほぼ確定で損をする。
まるで宇宙の方から「お前はここに這いつくばっていろ」と決めつけられているような人生だ。
その状態でなお、「それでも俺は選ぶ」と言える奴。それが本当に自由を掴んだ人間だ。
決定論の中に自由意志を生成するというのは、因果律と自己保存欲という二大巨塔に同時反抗する行為である。
つまり因果と欲望のダブル放尿をぶちかますという、極めて非合理・非効率で、しかし人間的本質に最も近い行為なのだ。
理性だけで動くなら負け確定の選択をしない。感情だけで動くなら長期的な構造の破壊には至らない。
そのどちらでもない第三の行動。それは統計では説明できず、因果では予測できず、効用関数では表現できない。
そんな行動を繰り返すことで、愚者は宇宙のスクリプトを書き換えるという暴挙に到達する。
スターは人生というゲームのチュートリアルを美しく自己放尿する存在にすぎない。
だが愚者は、ゲームそのもののルールを破壊し、新しいルールを生成する。
宇宙の仕様バグを、自分の意志で強行突破する狂った修正パッチみたいな人間だ。
決定論的世界で敗者として生まれ、それでもなお自由を捻り出し、最後には運命そのものにNOを突きつける、そういう奴こそ本物の人間だ。
「あたシコ営業ってなんだよ」ってなる方が多いと思うのではじめに用語の解説をしたい。
今回は「あたシコ営業」=「女性絵師がファンボックス等の支援サイトで本人の写真をあげたり自分自身をモデルとした漫画を描いたり自分の性経験を語ったり肉声をあげて支援者を増やすこと」を指す。
目的は問わない。承認欲求だろうが性欲だろうが金のためだろうがなんでもいい。
とにかく女性の絵師が絵以外の自分自身を切り売りすることで支援者の性欲を煽って支援者を増やすことだと思ってもらえればいい。
ちなみに男性のあたシコ営業は見たことがないので今回は割愛する。
いや、好きだしシコれるよ。あたシコ営業。それ見るために支援してる人いるし。
嘘でも本当でも生々しさがあってシコれる。
神絵師とそれに群がる男たちの剥き出しの性欲めちゃくちゃシコれる。
あたシコ営業してる記事だけいいねやコメントが多いのすげえシコれる。
支援サイトの月額料金みたいな、安くはないけど女を買うには安すぎるような端金で自分を切り売りしちゃうの超シコれる(される側としては支援者数によっては端金どころじゃないんだろうけど、支援する側からしたら端金だ)
神絵師なんてどれもそんじょそこらの一般人以上に満たされてるはずなのに。バグって満足できてないのかそれとも何らかの理由で満たすことができていないのか。なんでなんだろうね。
でもそれって「十分な実績や知名度を備えて絵も上手い神絵師ですら承認欲求とか性欲に抗えずそういったものを公開しちゃう」っていうシチュエーションに興奮してるのであってその人の絵自体に興奮したり評価してるわけではない気がするんだよ。本当に申し訳ないけれど。
才能に恵まれ努力も重ねた神絵師だからシコれるのであって、そこらへんの素人がやっても全然響かない。
多分俺のようなゴミカスじゃ絶対に敵わない手の届かない存在が欲に負けて、今までの功績を使ってでも満たされるためにわざわざ堕ちてくるのが興奮するんだと思う。
でも一回そういうの見ちゃうと、他の絵を見ても全部あたシコ営業が頭の中でちらついちゃう。
美味しい料理があっても全部マヨネーズがついてるような感じ。あたシコが侵食してくる。
あとXであたシコ絵師のプロフィール見た時に「○○さんがフォローしてます」ってのが目に入ると○○さんはこの人の絵とあたシコどっちが好きなんだ?って疑心暗鬼になる。
R18コンテンツ作ってる人に性欲があるのは当たり前なんだけど、見たくないものを見てしまった気分になる。少年漫画の主人公がセックスしてるエロ同人を見たような感じ。
絵師本人はどうなんだろう。
一回あたシコしちゃうと
「この人たちは自分の絵なんてどうでもよくて、絵を通して自分を見てるだけなんじゃ?」って疑心暗鬼になったりしないんだろうか。
でもめちゃくちゃ興奮するんだろうなと思う。
安全圏で身の安全を保障しつつ普通に生活してるだけじゃ味わうことのないであろう山ほどの性欲を向けられて、絵と自分自身の両方を評価されて数字が増えてお金も入る。自分なら絶対おかしくなる。こんなの危ない薬と一緒なんじゃないか?
あたシコ営業は別に犯罪じゃないんだから悪いことでもないし何よりシコれる。
それにこういうのも営業の一種であるはずで使えるカードを切ることに問題はないはず。
でもモヤモヤするんだよ。
あと好きな絵師や漫画家にはできればあたシコ営業してほしくない。
あたシコ営業した瞬間から、「尊敬する神絵師」から「絵のうまさやこれまでの実績を踏み台にして自分を切り売りして承認欲求や性欲を満たして金を稼いでる人」になっちゃう気がする。貴方はイラストレーターなんだ。俺が貴方に抱いてる感情はシコれる作品を作る尊敬の念であってあなた自身でシコりたいわけじゃないんだ。あたシコ営業したらシコるけど。
でもうまく言えないけどすっげえモヤモヤするんだよ!!
絵師はアイドルみたいなもの、みたいな言葉を聞いたことがあるしこれも一つのやり方なんだと思う。
vtuberしてる神絵師もたくさんいる。それの派生みたいなものなのかもしれない。avtuber絵師的な。
だから俺の好きな神絵師はどうかあたシコ営業せずにそのままでいてくれ。我儘なのはわかってるけど、俺の尊敬する神絵師のままでいてくれ。
QuizKnockという集団がある。彼らはアイドルではないが、その頭脳とビジュとその他諸々によって、多くの女性をメロつかせている──が、これまで彼女らのメロつきが可視化されることはあまりなかった。ある卒業済メンバーが「アイドル視」に苦言を呈したことが大きなきっかけだっただろうか。彼女ら、特にリアコ勢は界隈外では身を潜める者が多くなった。QuizKnockが賢くクリーンなイメージを押し出していることもあり、そのファンダムも比較的お行儀の良い集団であると自分は認識している。
ちなみになりきりチャットやファンアートについては、検索避けなどで隠れているつもりでも冷笑大好きクイズオタクにはバレており、クイズ大会の昼休みや深夜のオンラインクイズで冷笑され散らかしている。わざわざ深淵を覗きに行く意地の悪い人間はどこにでもいるのだ。
さて、そのような界隈だが、先日旧ジャニーズ事務所所属タレントおよびQuizKnockの山本祥彰氏を推している女性・もちもちおもち氏のポストに対し「この人のプロフィール、ジャニに並んで「山本祥彰」ってあって、びっくりした。」という引用が付いた。それに対して本人が「祥彰に会いに仙台まで行くタイプのオタク」と自らを評した引用ポストがバズり、彼女が開設していたマシュマロに大量の「QuizKnockメンバーのメロいエピソード」がなだれ込むこととなったのだ。
もちろん前述の流れがあるため、「QuizKnockをアイドル視してはいけない」というような自治厨もいたようである。しかし的外れだなと思うのは、どうやら「QuizKnockメンバー本人たちが、クイズ界隈で冷笑される」と思っているような筆致なのである。以下が原文である。
QKをアイドル視していることを大々的に主張するとクイズ界隈にQKって(笑)と冷笑されるのでそろそろ勘弁してやってください😭
オタクは何言われてもいいもん✊ですが本人たちは参加するクイズ大会で頻繁にクイズ界隈と対面しますし何よりクイズ第一です🥲散々冷笑されてきて最近やっと落ち着いてきたのでどうか、、
このマロもクイズ界隈に見られると面倒なので返信不要です😭一方的で申し訳ないですかご検討お願いします、、🙇♀️
「QKをアイドル視するな」とQK側から言われているのですか?そもそもアイドル視とは何ですか?私が仙台まで祥彰に会いに行くのはアイドル視ですか?
私みたいな声のデカイオタクの口を塞いだだけでアイドル視するオタクが減るとも思えませんが、そういうオタクを減らして視聴者が減っていくことを本当にQKが望んでいると思うなら今後も頑張ってこの様なマシュマロを色んなオタクに送り付けてください。
最近のQuizKnockは「アイドル売りはしないけど、アイドル視するならご自由にどうぞ」というスタンスを取っているように見える。いちクイズ屋の勝手な解釈である。我々は、QuizKnockをアイドル視する女性たちのことはものすごく冷笑する。ただし、QuizKnockメンバー本人たちのことは冷笑しない。彼らのクイズ界への貢献が凄まじく、単純にお世話になっているからである。尊敬する先輩であり、可愛い後輩だからである。大会を開けば参加してくれるからであり、大会を主催してくれるからである。我々の冷笑の根底には、「クイズのことを何も知らないくせに、QuizKnockを分かった気になっているの?」がある。彼女らがクイズを知ろうとしないのは、あるいは「QuizKnockメンバーのプライベートであるアマチュアのクイズ大会に踏み込むべきではない」というような理解があるからかもしれないが。我々に女性の推し活文化への理解はないから、想像である。
「オタクは何言われてもいいもん✊」? それは傲慢だ。ただメロついているだけのオタク諸氏には理解が及ばないかもしれないが、世の中には「QuizKnockがきっかけでクイズを始める女性」が存在する。実の所、最も肩身の狭い思いをしているのは彼女らである。
前述の理由からか、単に自分がやる方には興味がないのか、これだけ女性ファンの多い第一人者がいても、現在のクイズ界で女性は少数派である。一昔前よりは随分増えた感じはあるが、それでもなお、である。
彼女らにクイズを始めた理由を尋ねると、「全然リアコとかじゃないんですけど、QuizKnock好きで〜」と返ってくる。やっぱりそうだよね、と返す。「リアコではない」とわざわざ言わなければならない雰囲気がそこにはある。「QuizKnockは見ているけど、小さい頃からクイズ番組好きだったから、大学入ったらやろうと思ってました」と別の女性クイズプレイヤーは言う。それでも我々は邪推してしまう。いやいや、本当はQuizKnockガチ勢で、繋がりを求めているんじゃないの? あるいは、他のファンにマウントを取りたいんじゃないの? と。後者の女性は明確に「私はそういうのじゃない」と発言することが何度かあり、積極的に冷笑に乗っかるタイプである。そうしないと繋がりのためにクイズを始めた痛いオタクだと思われる(と本人が認識している)からだろう。こんなクイズ界でごめん、と思う。
元を辿れば冷笑クイズオタクが悪いのかもしれないが、現時点でもちもちおもち氏のマシュマロが事実かどうか疑わしいメロつきエピソードで溢れ、クイズ界に流れ着いている現状は、彼女らにとっては気が気ではないだろう。また、彼女らは「私はQuizKnockの痛いオタクだと勘違いされたくない」と思っているが、別にQuizKnockメロつきオタクがクイズを始めてはいけないというルールはどこにもないし、実際にクイズを始めたメロつきオタクもいるだろう。QuizKnockメンバーも、自分たちの影響でクイズ始める人が増えたら嬉しいんじゃないですか。知らんけど。
QuizKnockオタクが表立ってメロつくことで、「クイズに関わる女性」全体が初手でそういう色眼鏡で見られることになっていく。既になりかけている。だから、QuizKnockがきっかけで……と言われるとそうですよね、となる。その眼鏡の色がだんだん濃くなる。マナーと考え方の問題であり、ルールは定まっていない。
クイズを始めようか思い悩む女性QuizKnockファンが「クイズ界からどう思われるか」を理由に足踏みしているのなら、それを良しとするのかどうか。
受ける?と聞かれて準備のため遊び時間がなくなるのが嫌さに受けないと言った中受。受けてたら今頃医者にでもなってたに違いない。
中学は幾分荒れた公立で、進学校の公立高校に入って一息つけた。公立中で良かったのは、この世の中にはいろんな価値観が併存できると知ったことおよびその共存の実行経験。私立一貫卒が多い官僚や政治家は、大多数の国民の実感を理解あるいは想像できているのだろうか。また、笑いは正義と平和の潤滑油だと知ったのもこの頃。確かにうかうかしていると対人関係で沈む恐れのある環境で、安楽ではなかったかもしれないが、(勉強はつまらなかったが)始終アラートが立って刺激的で楽しかった。この時の経験もあって、今でも幅広い層の人とコミュニケーションを取ることができる(必要があれば)。
高校は似たものが増え、人生楽勝(笑)と思ったものの、入院して大人の世界(看護師、医者)を知ってつまらなくなった。しかし、なにより共学なのが良かった。フツメンだがモテたし尊敬されたので楽しかった(オジサン的な地位をキープして誰とも仲良くやっていた)。
大学は最初は意識高い人が多くて楽しく思ったのだが、じきに価値観が平板な人が鼻についてつまらなくなった。統計をとったわけではないが、私立校卒の人が過半数いたのだと思う。
社会人になってもこの感覚は変わっていない。私立校卒の人は、育ちが良くいい人が多いのだが、人生に対して考えが少し甘すぎると感じる時がある。もちろん私も砂糖漬けの認識なのだが、それでも気になるということだ。それは、多様な価値観に揉まれてこなかったための本人に帰責すべきでないことは承知しているが、大人になれば誰でも自分の言動には責任が伴うことは確かだ。
このように考えると、少なくとも私にとっては中受をしなくてよかったと思える。ただ、世の中には公立校でいじめられて登校拒否から社会疎外に至る人もいるので、一概には言えない。むしろ、子供本人の素質によるものが大きいのだろう。また、横のつながりが卒業後も強いのも私立校の良い点かもしれないが、私にはそのような志向はない。
レイプ被害者の中絶患者を遊んでると認定して無麻酔で堕胎した話は有名
中絶する妊婦が悪いという考えが主流で、世界中でメインの吸引法(掻爬術より負担が少ない)をやろうともしない
3000gで産まれても正常とされる世界で、2500g以下で産めと指導されていた
最近の研究で、妊婦が低体重で子供を産むと子供が低身長になることが発見された
日本人男性の平均身長が韓国人男性、中国人男性のそれより小さいのは日本産婦人科界のせいである
最近、NHKの特集で「日本人の低身長は妊婦のダイエットのせい」とあたかも妊婦が悪いように報道された
•無痛分娩の少なさ
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
最近、よく聴いているポッドキャストがある。スタートアップの経営者がホストを務めるもので、その内容はビジネスや経済に関するものではなく、彼の個人的な視点からとある人文系のジャンルについて語られるものだ。
ビジネス畑の人のラジオなんてと思って、正直言って最初はあまり期待していなかった。しかし、聴いているうちに彼の語り口にどんどん引き込まれていった。
最近、彼が別のビジネス系のポッドキャストにゲストとして出演し
「年収3000万以上はいらない。正直3000万くらいで全然いい。それ以上貰っても不幸にしかならない」
というような趣旨のことを言った。
一瞬、耳を疑った。
年収3000万って、私にとっては信じられない金額だ。普段の生活圏内でそんなお金を得ている人なんて見たことがない。
友人、親戚、夫の親戚、クラスの子供の保護者すべてを含めても、だ。
そんな私にとって、年収3000万という額は別世界の話のように感じられる。ましてや、それを「それくらいでいい」と言える感覚が、まったく理解できなかった。
1000万とか1500万じゃないんだ?
3000万で十分だという感覚が理解できない自分が情けなくなるほどだ。
これが金銭感覚が狂わない範疇だと感じる人もいるんだなと改めて思い知らされた。
多分、はてなでもこういった価値観を持っている人はいるんだろうな、とは思う。
経済的に豊かで、自己肯定感も高い人たちの中には「3000万で十分なんて謙虚だね」と思える人もいるんだろう。
しかし、私は地方に住む庶民として、この金額がどれだけ異次元のものなのかを実感として理解している。
この金額に「それくらいでいい」という発言が出るということは、その人たちのいる世界が、私の世界とは完全に違うということだ。
今まで聴いてきた彼の話は、自分にとっては気づきや刺激を与えてくれるものであり、尊敬の念を抱いていた。
しかし、年収3000万が「それくらい」と感じる感覚が彼にあると知って、私はそれまでの彼の話が一気に色あせてしまった気がした。
もちろん、彼の言っていることを批判したいわけではない。むしろ、そういった感覚を持つことができるほど彼は安定した経済基盤や、物質的に豊かな生活を手にしているのだろう。
私が楽しんで聴いていた彼のポッドキャストも、もしかすると、私が想像している以上に「別世界」の人々に向けたメッセージだったのかもしれない。
私が楽しみに聴いているその番組の内容が急に色褪せていく。
これまでは、彼の言葉が自分の現実にどこかでリンクする感覚があったが、その感覚が突然切り離されたように感じてしまった。
結局のところ、私は勝手に彼を自分と近しい感覚を持った人だと期待していただ。
そのポッドキャスターが完全に異次元の存在であり、私が考えるような生活や価値観とは全く違う世界の人だったことを、今回の一言で痛感させられた。
でも、こうした感覚のズレを感じることこそが、価値観の違いに気づくきっかけなのだと思う。
自分が持っているものの価値や、自分がどういう立場にいるのかを再確認できた気がする。
もちろんごくまれにその両方の才能を持つ傑出した天才というものも現れるが
多くの場合、映画監督、演出家というものは物書きとしての才能はない。
ワイ氏の尊敬する作家の深沢美潮氏が「誰でも一生に一作は小説を書ける」とい名言があり
これは一生を生きていれば一作の小説になるくらいにはドラマティックなことが起きるはずだという希望の提示であり
逆に一生に一作しか書けないようでは作家にはなれないという警鐘でもある。
しかし彼らは作家ではないので一生の二作目くらいまでは行けても三作目、四作目は厳しい。
はっきり言ってしまえば、むしろそんなに書くことがある人間のほうが異常なのだ。
細田守の新作の果てしなきスカーレットを見たけど、いや、竜とそばかすの姫の前の未来のミライから
もう明らかに細田守には書きたい作品がないんだろうなということを感じている。
だから竜そばでは美女と野獣をパクったし、果てスカではハムレットと神曲をパクった。
未来のミライが最後のあがきだったと思うが、むしろあれで自分の中がスッカラカンなのを確信したのだと思う。
細田に必要なのは脚本家だと言われ続けているけど、それは彼の作劇が酷いからというのはもちろんあるとしても
描きたい物語がない人間が物語をひねり出すことほど苦痛なことはないと思う。
山崎貴なんかもそうだけど本来その能力を持たない人間に無理やりなんかやらせるべきじゃないと思う。
でもそのごくごく珍しい天才のせいで「作家性」というものが過剰に信奉されすぎている気がする。
どうしてもやりたい渾身の一作が書けた時だけ自分で書けばいい。
細田や山崎みたいにその辺のパク、オマージュみたいなスカスカの作品を無理に作る必要はない。
そういう意味では脚本家が映像技術を身に着けたほうが"成り"やすいな。
まぁワイ氏の所感としては細田守っておジャ魔女やデジモンでも「敢えて人がやらないことをやってドヤる」タイプの逆張りおじさんとしての評価が高いだけだと思っているので、あんま大衆監督として評価すべきじゃないと思ってるんやけども。