はてなキーワード: 媒介とは
近年、量子情報理論と基礎物理学の交差点において、時間の一方向性の起源に関する新たな議論が活発化している。
従来の熱力学第二法則に基づくエントロピー増大則による説明を超え、量子削除不可能定理や量子情報の保存原理が時間の矢の根本原因であるとする仮説が注目を集めている。
本稿では、量子情報理論の最新成果と従来の熱力学的アプローチを統合的に分析し、時間の不可逆性の本質に迫る。
量子削除不可能定理は、任意の未知の量子状態の2つのコピーが与えられた場合、量子力学的操作を用いて片方を削除することが原理的に不可能であることを示す[1]。この定理の数学的表現は、ユニタリ変換Uによる状態変化:
U|\psi \rangle _{A}|\psi \rangle _{B}|A\rangle _{C}=|\psi \rangle _{A}|0\rangle _{B}|A'\rangle _{C}
が任意のψに対して成立しないことを証明する。この非存在定理は量子力学の線形性に根ざしており、量子情報の完全な消去が禁止されることを意味する[1]。
特筆すべきは、この定理が量子複製不可能定理の時間反転双対である点である[1]。複製不可能性が未来方向の情報拡散を制限するのに対し、削除不可能性は過去方向の情報消失を阻止する。この双対性は、量子力学の時間反転対称性と深く共鳴しており、情報保存の観点から時間の双方向性を保証するメカニズムとして機能しうる。
従来、時間の不可逆性は主に熱力学第二法則によって説明されてきた。エントロピー増大則は、孤立系が平衡状態に向かう不可逆的過程を記述する[6]。近年の研究では、量子多体系の熱平衡化現象がシュレーディンガー方程式から導出され、ミクロな可逆性とマクロな不可逆性の架橋が進んでいる[2][6]。東京大学の研究チームは、量子力学の基本原理から熱力学第二法則を導出することに成功し、時間の矢の起源を量子多体系の動的性質に求める新たな視点を提示した[6]。
量子力学の時間発展方程式は時間反転対称性を持つが、実際の物理過程では初期条件の指定が不可欠である[5]。羽田野直道の研究によれば、励起状態の減衰解と成長解が数学的に同等に存在するにもかかわらず、自然界では減衰解が選択される[5]。この非対称性は、宇宙の初期条件に由来する可能性が指摘されており、量子情報の保存則が境界条件の選択に制約を与えている可能性がある。
Maxwellのデーモン思考実験に関連する研究[4]は、情報のアクセス可能性が熱力学的不可逆性を生み出すことを示唆する。量子削除不可能定理は、情報の完全な消去を禁止することで、情報アクセスの非対称性を本質的に規定している。この非対称性が、エントロピー増大の方向性を決定する一因となりうる。
サリー大学の画期的な研究[3]は、量子系において双方向の時間矢が共存しうることを実証した。開量子系の動力学を記述する非マルコフ方程式の解析から、エントロピーが未来方向と過去方向に同時に増大する可能性が示された[3]。この発見は、量子削除不可能定理が保証する情報保存性が、時間矢の分岐現象を支える数学的構造と深く関連していることを暗示する。
量子状態空間の情報幾何学的構造を時間発展の基盤とみなす視点が注目を集めている。量子多様体上の確率分布のダイナミクスを記述する際、削除不可能定理は接続係数の非対称性として現れ、これが時間矢の幾何学的起源となりうる。このアプローチでは、エントロピー勾配と量子情報計量が時空構造と相互作用する新たな枠組みが構想される。
量子重力理論の観点から、宇宙の初期状態における量子情報の配置が現在観測される時間の非対称性を決定した可能性がある。削除不可能定理が保証する情報保存則は、初期宇宙の量子状態の選択に根本的な制約を課し、結果として熱力学的时间矢が出現するメカニズムを提供しうる。
本分析から得られる重要な知見は、量子削除不可能定理が単独で時間の矢を説明するのではなく、情報保存原理が熱力学的不可逆性と量子力学的境界条件選択を媒介する階層的メカニズムを構成している点である。
時間の一方向性は、量子情報の保存性、多体系の熱平衡化動力学、宇宙論的初期条件が織りなす創発現象と解釈できる。
今後の研究では、量子情報理論と一般相対論の統合による時空構造の再解釈が鍵となるだろう。
Citations:
[2] https://noneq.c.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/2021/10/Kaisetsu_KIS2018.pdf
[4] http://cat.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~ueda/27.pdf
近年、フェイク情報の拡散は社会的な課題として深刻化している。
個人が情報の真偽を判断する際に数学理論を活用する可能性について、動的システム理論、疫学モデル、統計的検定理論、機械学習の観点から体系的に分析する。
arXivや教育機関の研究成果に基づき、個人レベルの判断を支援する数学的フレームワークの可能性と限界を明らかにする。
ディスインフォメーション拡散を非線形動的システムとしてモデル化する研究[1]によれば、従来の臨界点(ティッピングポイント)を超えるだけでなく、変化速度そのものがシステムの不安定化を引き起こす「R-tipping」現象が確認されている。
個人の認知システムを微分方程式で表現した場合、情報の曝露速度が一定の閾値を超えると、真偽の判断能力が急激に低下する可能性が示唆される。
このモデルでは、個人の認知状態を3次元相空間で表現し、外部からの情報入力速度が臨界値r_cを超えると安定均衡が消失する。
具体的には、認知負荷関数Φ(t)が時間微分に関して非線形な振る舞いを示す場合、漸近的に安定な平衡点が突然不安定化する分岐が発生する[1]。
個人の情報処理速度と認知リソースの関係を定量化することで、フェイク情報に曝された際の判断力低下を予測できる。
IPSモデル(Ignorant-Prebunked-Spreader-Stifler)[2]は、個人の情報受容状態を4つのコンパートメントに分類する。
基本再生産数R₀の概念を拡張したこのモデルでは、プレバンキング(事前の誤情報免疫教育)が個人の感染率βに与える影響を微分方程式で記述する。
dP/dt = Λ - (βI + μ)P - ηP
プレバンキング効果ηが増加すると、平衡点における感染者数I*が指数関数的に減少することが数値シミュレーションで確認されている[2]。
特に、プレバンキングの半減期を考慮した忘却率δを組み込むことで、免疫持続期間の最適化問題が定式化可能となる。
正規分布N(0,I_n)に従う真データXに対し、敵対者がrtを加えて生成するフェイクデータX+rtの検出可能性についての研究[3]では、検出力の情報理論的限界が明らかにされている。
検定統計量T(x) = min_{t∈T} ||x - rt||² を用いた場合、検出可能半径r_dはガウス幅w(T)に比例する。
r_d ≈ 2w(T)/√n
この結果は、高次元空間において敵対者が特定の戦略(符号反転など)を採用すると、検出力が急激に低下することを示す[3]。
特に、対称性の高い攻撃セットTに対しては、個人レベルの単純な統計検定では50%以上の誤判別率を免れないことが証明されている。
多数決投票法を採用したフェイクニュース検出システム[5]の理論的解析から、k個の弱分類器の誤り率εが独立と仮定した場合、多数決の誤り率ε_majは以下のように表される:
ε_maj = Σ_{i=⌈k/2⌉}^k C(k,i)ε^i(1-ε)^{k-i}
この式に基づき、96.38%の精度を達成した実験結果[5]は、ベイズ誤り率の下限を考慮した場合、特徴空間の次元縮約が最適投票重みの決定に重要であることを示唆する。
特にTF-IDF特徴量と深層学習モデルの組み合わせが、非線形分離可能なケースで有効であることが確認されている。
Scale-Freeネットワークを想定した拡散シミュレーション[6]では、個人の接続数kに依存する感染率β(k)が次のようにモデル化される:
β(k) = β₀k^α
モンテカルロシミュレーションにより、α > 1でスーパースプレッダーの存在が拡散速度を指数関数的に増加させることが確認されている。
個人のネットワーク中心性指標(媒介中心性、固有ベクトル中心性)を監視することで、高危険ノードの早期特定が可能となる。
個人の事前信念p(h)をベータ分布Be(α,β)で表現し、新規情報xを受信した後の事後分布を:
p(h|x) ∝ L(x|h)p(h)
ここで尤度関数L(x|h)をフェイク情報検出アルゴリズムの出力確率とする。
確認バイアスをモデル化するため、反証情報の重みを減衰係数γで調整する:
L(x|¬h) → γL(x|¬h) (0 < γ < 1)
この枠組みにより、個人の信念更新プロセスを定量的に追跡可能となり、認知バイアスが誤情報受容に及ぼす影響をシミュレーションできる[4]。
フェイク情報検出の数学理論は、動的システム理論の安定性解析から始まり、疫学モデルによる介入効果の定量化、統計的検定の根本的限界の認識、機械学習の最適化理論まで多岐にわたる。
個人レベルでの実用的応用には、これらの理論を統合した複合モデルの構築が不可欠である。
特に、認知科学と情報理論の接点となる新しい数理フレームワークの開発が今後の課題となる。
プレバンキングの最適タイミング決定や、パーソナライズされたリスク評価アルゴリズムの開発において、微分ゲーム理論や強化学習の応用が有望な方向性として考えられる。
Citations:
[1] https://arxiv.org/abs/2401.05078
[2] https://arxiv.org/html/2502.12740v1
[3] https://www.math.uci.edu/~rvershyn/papers/mpv-can-we-spot-a-fake.pdf
[4] https://scholarworks.sjsu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2405&context=faculty_rsca
まず政策の失敗でそもそも過剰な物不足になっていたという認識を追加してくれ。そしてその場合政府はどうせざるをえないか考えてくれ。
181兆通貨発行したらインフレになりそうだが、可能性が低いなら根拠示してほしい
そんで、181兆の国債発行ならそこまでインフレ進んでいないように思えるし、円ドル為替は円が弱いというよりドルが強くなったって印象があるわけで
2024年国債発行181兆とか言ってるがそんな事実ないし、お前の印象とか知らんのだが。
インフレになるかどうかは需給バランスの問題なんで日本の生産余力や海外からの輸入余力次第としか言えねぇよ。いちおうデフレ・ギャップとかの指数あるが俺は信用しとらん。
俺の考えは根拠はないんだけど、181兆円通貨発行したらインフレするっしょ?国債とか関係なく不具合生じるんだからできないっしょ。その代わりに国債で資金調達してるんじゃねえのってことなの
彼らは「いいね」やリツイートなどのエンゲージメント(インプレッション)を求め、群れをなして行動します。
内容は二の次で、目を引く話題や過激な言動に飛びつきやすい傾向があります。
時に、誤情報や扇動的な言説を拡散する媒介となることもあります。
彼らの行動パターンを観察し、どのような言動に反応するかを把握しましょう。
彼らの言葉に惑わされず、情報の真偽を冷静に判断する力を養いましょう。
複数の情報を照らし合わせ、偏りのない視点を持つように心がけましょう。
疑わしい情報には安易に反応せず、公的機関の情報やファクトチェックサイトなどを活用しましょう。
発信された情報に対して、常に「なぜ?」「本当に?」と問いかける習慣を持ちましょう。
感情的な言葉や断定的な表現に惑わされず、論理的な思考を心がけましょう。
個人情報の取り扱いには十分に注意し、プライバシーを守りましょう。
信頼できる情報発信者と繋がり、互いに情報を共有し、支え合いましょう。
有益な情報を発信し、共感を集めることで、味方を増やしましょう。
インプレゾンビの攻撃に対して、無理に応戦する必要はありません。時にはスルーすることも重要です。
悪質な攻撃や執拗な嫌がらせに対しては、躊躇なくブロックしましょう。
明らかに規約違反となる行為や犯罪行為に対しては、運営に通報しましょう。
常に最新の情報にアンテナを張り、変化に対応できるようにしましょう。
SNSのアルゴリズムは常に変化します。常に最新情報を手に入れましょう。
現実世界での人間関係を大切にし、心の拠り所を確保しましょう。
印刷物の「縦の列」を指すようになり、
この増田では、コラムの語源と起源を軸に、その社会的役割と現代における展開を考察する。
コラムの語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。
紙面の縦方向の区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。
日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。
1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、
当初は「雑報」と呼ばれていたが、
興味深いことに、
戦前の新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、
戦後GHQの指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。
1751年3月11日、
イギリスの『ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。
これが「コラム」と呼ばれる契機となり、
当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、
この形式が人気を博し、
1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。
年間人気コラムランキングが出版されるほど社会的影響力を持った。
朝日新聞「天声人語」の執筆陣には芥川賞作家の井上靖や開高健ら文学者が名を連ねた。
この時期の特徴は、
800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体の確立にある。
インターネットの普及により、
コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。
この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。
「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩(20%)→結論(25%)」
①擬人法(「円が踊る」)、
2000年代以降は、
といった読者参加型の手法が増加している。
特にYahoo!ニュースのコラムでは、
本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。
公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能を果たしてきた。
実際に地方自治体の政策変更につながった事例が複数報告されている。
近年では、毎日新聞「発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポを継続的に掲載し、
コラムは教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要な役割を担ってきた。
2010年代には、
産経新聞「産経抄」が日本の伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、
2023年、
朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、
感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感型AI」の開発が進められている。
一方で、
2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品がノミネートされる事態が発生した。
読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラムが一般化している。
ユーザーの位置情報・検索履歴・心拍数データ(ウェアラブル端末連動)を分析し、
これに伴い、
職能の変容が進んでいる。
その形態は変化し続けているが、
今後の課題は、
AIとの協働の中でいかに人間らしい洞察を深化させられるかにある。
次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
はじめに
不動産売却を検討する際、無料で複数の不動産会社に査定を依頼できる「一括査定サイト」は便利だと認識されている。実際、売主が利用する分にはコストがかからないため、多くの人が「不動産の相場が上がってるらしいし、売る気はないけど使ってみるか」と軽い気持ちで使いがちだ。しかし、その裏側では、不動産会社が抱えるコスト負担や業務効率の低下が進み、場合によっては売主自身を含む社会全体に負の影響が広がる可能性がある。
いわゆる「バタフライエフェクト(些細な出来事が巡り巡って大きな結果を生む現象)」である。本稿では、この不動産一括査定サイトの構造を多角的に分析し、その副作用がどのように広範囲へ波及しうるかを論じる。
従来の一括査定サイトは、売主が査定を依頼すると1件あたり数千円〜数万円が不動産会社へ請求される「送客課金」を基本としている。売主は無料だが、査定依頼があればあるほどサイト運営側が収益を得るという構造である。すると、サイト側はとにかく多くの査定依頼を獲得することを至上命題とし、
など、見込み度が低いユーザーまで大量に集める方向へ動きやすい。
さらに、アフィリエイト報酬を目的にマ⚪︎ナビニュースやダ⚪︎ヤモンド不動産などの大手から弱小メディアまで「おすすめ一括査定サイト⚪︎選」といった記事が乱立しており、とにかく査定依頼に申し込むことを煽るような環境が構築されてしまっている。「できるだけ多くの不動産会社に査定してもらうために、複数の一括査定サイトを併用すべきだ」などというふざけた言及も散見される。
売主は「無料だから使ってもノーリスク」と感じがちだが、不動産会社側の負担増という目に見えないコストが確実に発生している。結果として、「誰もが一括査定を申し込む→不動産会社が膨大な数の“微妙な”リードに対応→営業コスト爆増」につながる。このコストは巡り巡って、社会全体に転嫁される危険性がある。
1.成約するわけもない高い査定額を提示し、媒介契約をまず取ろうとする(→ 売主を釣って契約し、“ダメだったら後で値下げすればいい”)
2.売主に対する営業や訪問を無理やり増やす(→ しつこい電話・営業でストレス大)
このような行動へ走りやすくなる。すると、売主は一見「高く売れるかも!」と舞い上がるが、実際には売れずに長期在庫→値下げのルートになりやすく、結果的に売主の不満も増大。
更に、不動産会社からすると「明らかに冷やかし」や「いきなりスパム連絡のようなリード」に課金されるのはたまったものではない。
•課金除外(営業しても成約見込みが低すぎるリードは請求を取り消してもらう交渉)
•内部でのリード精査
など、無駄な工数が増え、不動産会社の生産性は大幅に下がる。このコストはやがて不動産会社の人件費増大を招き、手数料などに上乗せされるリスクがある。
特に都市部の人気エリアなど、不動産会社が少しでもチャンスを逃したくない地域では、「一括査定サイトを介した高値合戦」が繰り広げられ、実際の市場価格を反映しない相場の混乱を引き起こす可能性がある。根拠の薄い高額査定や媒介契約の値下げ合戦→やっとの思いで媒介契約→結局査定額で売れない→時間だけが経過…というスパイラルが進行すれば取引が停滞し、市場に悪影響を及ぼしかねない。
不動産会社が“質の低いリード”に追われて疲弊すると、本来注力すべき顧客(本気の売却希望者や地元住民)へのサービスが手薄になる。
•対応の遅れ
結果として、地域の不動産流通がスムーズに進まず、空き家問題や老朽化物件の放置などに拍車をかけるかもしれない。
また、一括査定サイトの利用料を回収するために両手取引を試みて囲い込みするといった不誠実な対応も生じかねないと言えるだろう。
「相場から20%も離れたチャレンジ価格を提示され、こんなに高く売れるなら住み替えたいな」という過度な期待が、実需と乖離した価格帯に物件が溢れかえる状況を引き起こす可能性がある。これによって不動産市況全体の透明性が損なわれる。
売り出し価格を見誤った結果、買い手が見つからず値下げ、値下げ、また値下げで売り止め。誰も幸せにならない。無知な買主を謀ってチャレンジ価格の物件を紹介する不動産会社が出てくると、消費者の資金繰りや資産形成に影響を及ぼす。マクロ的には消費意欲の低下や不動産市場の停滞を招き、国全体の経済成長にもブレーキがかかるだろう。
経済学的観点から見ると、「売主が負担しないコストが不動産会社や他のステークホルダーに押し付けられている」 という構図は、外部不経済に近い。誰もが「自分だけなら大丈夫だろう」と思って無料サービスを利用し続けると、全体としては取引の非効率化や本来必要ないコストの発生がどんどん積み上がる。
そもそも諸悪の根源は、高値で売れると誤認するような広告を行う運営やメディアではあるが。
4-2. バタフライエフェクトのメカニズム
ほんの小さな「売主1人の冷やかし査定依頼」が、不動産会社の人件費増→業績低下→売却に失敗した顧客の不満→相場混乱…と、複雑な経路を通じて社会的コストを膨らませる。一括査定サイトの仕組みは、それが“拡散しやすい環境”を作ってしまっているわけだ。
おわりに
不動産一括査定サイトは、一見すると「売主無料でお得」「手軽に査定依頼ができる」という魅力的なサービスだ。しかし、“無料”の裏側にあるビジネスモデルが引き起こす過剰な営業コスト、高額査定の乱発、さらには市場の歪みや社会的損失に至るまで、問題の連鎖は決して小さくない。
このように、些細な“無料査定依頼”が不動産会社と売主、さらには不動産市場全体に負の波紋を広げるという点こそがバタフライエフェクトの恐ろしさである。本来は誰もがハッピーになるはずの「ネットで気軽に査定」の仕組みが、構造的な歪みを生むことを直視し、より健全な課金モデルや運営方針へシフトする必要がある。“無料神話”をただ享受するだけでなく、その背後のコストと影響を理解することが、すべての当事者に求められているのだ。
仰々しく書いたけど、諸悪の根源はやっぱり一括査定(というか、それを運営する会社やアフィリエイターの広告手法)だと思う。業者に失礼な反響しか寄越さないんだから、優良誤認を招く広告はやめなさい。国交相も広告規制した方がいいんじゃないか?"売らない主"も、一括査定の仕組みぐらい多少調べてから使ったらどうだい?査定申し込んだのにイエウーラナイなんて失礼じゃないか!
と、某所からの反響で腹が立った次第です。最近は成約課金のところもチラホラ出てきましたが、初期費用だけ取られて査定は来ないとかも聞きます。
自分の業界のことだから自分にとっては当たり前だけど、一般の人にはわからない無料サービスのデメリットってのはきっといろいろあるよね。完全成功報酬の仲介手数料ってのは中々シビアだなと改めて思いました。
自分の世代では珍しく、ニコ動やボカロを視聴しないオタクだった。
画面の上にコメントが流れるとコンテンツが見えにくいからnicobox派だったし、好きなカテゴリは料理動画とASMR。合成音声や人力の音をうまく聞き取れず、楽しみ方がよくわからなかったのだ。
にちゃんでSSを読み漁って生き延びたガキが大学に入って初めて行ったカラオケで、オタクたちはニコ動のミーム楽曲やボカロ曲を歌う。でも私はそれらを聞いて育っていないから、他の好きなアニソンを歌って帰った。
彼らは自分の前に歌った曲の関連楽曲や同じPの曲を入れて、流れを楽しんでいたのに、いつも私が空気を読めなかった。
ある時Vtuberの存在を知った。Vtuberが歌うボカロ曲の「歌ってみた」が楽しめると気づいて嬉しかった。歌い手はニコ動、ツイキャスにもいたのに。
曲を聴こうと思う時、その歌を好きな誰かに紹介されて「出会う」と思う時がほとんどで、Vtuberは多分その媒介になったんだと思った。
Vtuberの歌ってみたのおかげで、オタクたちのカラオケでも空気を読んだ選曲ができるようになった。
だけど、歌える曲が増えるようになってから、自分の好きな曲を選曲する後ろめたさを感じるようになった。
オタクグループでは私抜きのカラオケが何回か開催されている。私の知らない、お互いの共通界隈の曲を歌って盛り上がっていると思う。そうあって欲しい願いがある。
プレイリストを送り合っても、一緒にカラオケに行っても、知っている曲は少ないけど、初めて聞いたメロディやリズム、詩を歌う声がどこか光っているように感じて、新しく好きになる曲が増える。
なのに、私は誰に紹介されても、合成音声のままの曲を美しいとは感じられないと思う。
常識と良識とかもだけど、他人から見るととても目立つし後から振り返るとすごく恥ずかしくなったり僕はするんだよなぁ
なんか12月ごろからとみにツボに嵌ったみたいだけどそれまでもちょくちょくマイブームになってるみたい
借金玉
@syakkin_dama
1月26
@syakkin_dama
1月23日
返信先:
@syakkin_dama
さん
常識で考えろ!!
@syakkin_dama
1月21日
@syakkin_dama
1月20日
返信先:
@syakkin_dama
さん
ほら、エラの方まで赤いし色もくすんでないでしょ。このパターンは「新鮮だけど赤い」なんです。じゃあどこで見分けるかって? 言うわけねえだろ常識で考えろ。
@syakkin_dama
1月6日
「最後のチャンスだ、やっとけ。おれも別に生きていたくはない」って言ったぞ、おれは。美しい悪党が生まれるなら、それはそれでいいと思ったんだ。生きていたいと思うか?常識で考えろ法曹ども。
@syakkin_dama
1月5日
アナーキーじゃないしUKでもないだろ、ゴッドが何をセイブするんだ、常識で考えろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
@syakkin_dama
1月5日
自分に都合の悪いことが聴こえると「キョーハク」って鳴き声を上げるあたりも含めて、法曹君は習性がなってない。直らないなら私が最高裁までキッチリ「常識で考えろ」とデカい声出しに行きます。
@syakkin_dama
1月5日
返信先:
@tomo_law_
さん
弁護士が「ヤクザまがい」の侮辱から捨て台詞に「体調に気をつけろ」の連呼はダイレクトにアウトニャン。素人の障害者はついつい怯えちゃうニャンよ、常識で考えろよ…。
@syakkin_dama
1月2日
健全系not Youtuberです!! いうて近接格闘なんてバカか最後の手段ニャン、長い廊下と射出武器に長物、それが尽きたら基本は終わりニャン、ナイフなんてただの調理器具で格闘に使う時は「ほぼ死んだ」時ニャンよ?常識で考えろ。
@syakkin_dama
専門家じゃなくたって、知っていてわかっていればわかるし「出来る」よな。そうじゃないなら、それはペテンだ。そうだろ? 実務的学問というのは「わかればわかる」ことの詰み重ねでしかない。当たりまえのことだ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
それは社会の共有財産であって、おまえたちの利権じゃない。当たり前だ、国庫支出金の流れを見ろ。国民の税金で運営されているシステムだろうが。常識で考えろ!!!!!!!!
@syakkin_dama
https://x.com/syakkin_dama/status/1869917961072586835
これは結構嘘で、そもそもメディアが「第四の権力」ってのがバカの寝言ニャン。遥か遥か昔から、ムカツク集団に吟遊詩人とか送り込んでめちゃくちゃにしてた詩が残ってんだろ、常識で考えろ。「光あれ」と中間を媒介したのがメディアだよ、両手だったらしいぞ。
@syakkin_dama
「統合以外全部失調してる」を一語で表す名詞を考えましょう、目をさますとグレゴール・ザムザ以外全部どうなっていたか、それが問題なんです。サンスクリットでも表せねえよ常識で考えろ。
@syakkin_dama
https://x.com/syakkin_dama/status/1869926674927890759
飛行機でハワイに行くだろ、常識で考えろ!!!!ファーストクラスだ、他人のカネでな!!!
@syakkin_dama
文字通りの「教科書通り」なんだよな、後は国庫支出金の流れ調べると、そりゃそうだってことが起きてる。赤コーナーと青コーナーと審判が全部同じジム部屋でかわいがりが発生だ、ハッケヨイ常識で考えろ。
@syakkin_dama
返信先:
@HuRiKaKeMeShi
さん
そりゃそうだ、明治以降の技術発展で暖房出来るようになったんだから。常識で考えろよ。
@syakkin_dama
ところで、借金玉になんとかケチつけるバイトって光と闇のどっちになるニャン?こないだの「北海道でも味噌は醸造できたコミュニティノート」はコミュニティが過ぎたぞ、凍ったら発酵しねえし溶けたら腐るだろ。常識で考えろ小銭太郎。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
柔道は「道が柔らかいと力いっぱいブン投げられてうれしい!」って流派だろ、現代には必要だったんだよ、硬道がな!野球だってそうだろうが!常識で考えろ!
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
北海道警察からいっぱい出てくる銃とか何の関係もないから、常識で考えろ!ストリートセキュリティ柔術だ!!
@syakkin_dama
常識で考えろ、バタフライナイフなんか持ち歩くのはバカだけだ。警棒に決まってんだろ、伸縮するうえに拳と違って壊れにくいし安価だ。利き手前に出してフック(最もKO率が高い)狙うフリしつつ、掴んで崩して肘or鉄槌。これを道警流柔術と言います。道だけにストリートの技ですね、常識で。
@syakkin_dama
「あいつら真面目にやってるくせしてなんであんな弱いの」と言ってた柔道部同輩氏へ、真面目にやってるからです。筋肉の薄い部分を的確に狙い、ポリ校太郎に負けたらセッキョーなんてちゃんとしたご指導を受けてたらそりゃ強くもなるよ常識で考えろ!
@syakkin_dama
我が校は、「昇段審査でポリ校太郎に負けたらセッキョー」という伝統があり、「自衛隊はセーフ」とか本当に理不尽過ぎるんだよ。「足払いカーフ」は最初に教える技じゃないし筋肉の薄い部分を的確に狙うよ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
強いことも悪いことじゃない、よく切れる刃物との付き合い方を覚えろ、子どもはナイフでたくさん遊ばせろ、鉛筆も削れるし、「人を刺すならこれじゃだめだ、自分の指がすごいことになる」とわかる子は、人を刺さねえんだよ。バック取ってネイキッドチョークの方が確実だろ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
だから言っただろう。「そこが最後のチャンスだ、ちゃんと殺れ」って。悪党に生きるならそれに殉じろよ、美しくねえんだよおまえの生きざまは。常識で考えろ、やり直せ!
@syakkin_dama
返信先:
@tatuya25876765
さん
@syakkin_dama
ベストセラーにはなると思いますし、「最早これは第一次世界大戦以来、本物のクサレスラップスティックがここにある、そうこれがノンフィクションだ!悪い冗談です!常識で考えろ!」とか帯つけていい?
@syakkin_dama
メール相談者と弁護士にコンフリクト発生するなら、今すぐ日本中の弁護士事務所にご相談して法的無敵太郎に変身するだろ常識で考えろ。それはそれとして、「弁護士会さんを通じてしっかり前提を知っていただき、それを揺るがぬものにする」ことには意味がある。アドバイスありがとな!知らなかったぞそ
@syakkin_dama
法人所有のアカウントを私の一存で、しかも領収書ナシで売却できるわけねえだろ常識で考えろ!!
@syakkin_dama
@syakkin_dama
「私の予算上限は600万です」なんて口が裂けても言っちゃだめで、「本尊と相談してきます、じっくり」とかせめて威嚇入れて帰れ!基本をやれ!常識で考えろ!例え本尊は存在しなくても、とにかく持って帰って考えろ!
@syakkin_dama
https://note.com/syakkindama/n/n75b7bdec79bd
こんなのしか書けねえよ!地獄の一か月だった!10回寝てない!ふざけるなよバカ野郎常識で考えろ!
@syakkin_dama
仲間をウタうな、梯子を外すな、どこの街のチンピラだって知ってることだ。当たり前だろ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
「口頭でいい」なんてあり得るわけねえだろ、常識で考えろ、と思ってました。はい。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
「モメたら駅を封鎖された、バイクで迎えに来てくれ」って話については、「スズメバチの巣をつつくな」って思いました。フェロモンで集まるからあいつらがマジで速いことくらい常識だろ。もっと生物について考えろ。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
「あいつ、目の前で彼女を馬鹿にされた相手を平手打ちで済ませたんだよ、マジ信じられねえ。その場で髪掴んで膝蹴り入れて踏むだろ、常識で考えろよ」みたいなところは確実にあったし、倫理ってむずかしいね。
@syakkin_dama
ロクに仕事せずSNSのお友達とグネってたらそりゃ人生ヤキ回るだろ、常識で考えろよ。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
いや、「パパ活してる」ってどう考えても社会的には「あいつは個人買春(売春)してる」って話になるでしょ…。男性だろうと女性だろうと、社会的信用の毀損はクソデカいでしょ、常識で考えろや…。
@syakkin_dama
板金鎧+半鎖帷子で迫る戦士をどうにかできる西洋剣術の人、「動物を試し斬るなんてとんでもない常識で考えろ」とも同時に主張しており、リアリティ深度がバグり過ぎててすごい。鎧の隙間に刃通してトドメ入れる話だろそれ。
@syakkin_dama
「生きた動物シメるのも嫌だ、常識で考えろ」と主張する「剣術」っていったい何を目標にして練習してるのかわからん。まぁ、スポーツなのかもしれんが。じゃあ「肉を斬る話はわからん」って言えばいいのに。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
冷えてる方が切りやすいに決まってる。脂もコラーゲンも低温で固まるんだ。ホロホロチャーシューだって冷やして切らないと崩壊するだろ。常識で考えろよ。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
こんなクソしょっぱい市場守るために、「オタクカルチャー」なんてクソデカマス市場潰せるわけないでしょ。常識で考えろよ、稼ぎ頭やぞ。アホか。
@syakkin_dama
返信先:
@syakkin_dama
さん
常識で考えろ。「江戸でミカンが高い、借金してミカン買い占めてボロ船で江戸へ向かうぞ、大嵐の中を!」って本物の男が、「俺の材木屋も焼けるかもしれない、分散しよう」とか考えると思うか?そんな奴にTOKKOはできない。日本人は特攻と玉砕が出来るから強いんだ。
@syakkin_dama
ベストセラー2冊書くより、ネットの誹謗中傷に法的措置やるより、鬱のどん底で無職の状態から這い出して非正規雇用太郎として出直すときの方が辛いに決まってるじゃん。常識で考えろよ。辛かったよ、誰も褒めてくれない達成こそ一番辛く、一番大事なんだよね。そこからしか始まりようがないし。
@syakkin_dama
うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、両方ダメに決まってんだろ常識で考えろバカ野郎。
@syakkin_dama
鍵かけて自分の悪口で盛り上がってたインターネットムラがあったら、そりゃRPGの一発も撃ち込むだろ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
「(任意のこだわり)だろ、常識で考えろ!」と言わず呑み込むのが大人だという考え方はあるんだけど、普段様々なことを呑み込む「オトナ」が予想もつかないところで「~~だろ!」と叫び始めるので、アレなんというかどこにスイッチあるかの問題のような気がする。
@syakkin_dama
@syakkin_dama
返信先:
@bg70576627
さん
俺が関係なければ面白いが、俺が絡んでるのに面白いわけねーだろ。常識で考えろ。
@syakkin_dama
北海道の民が「違法だから」くらいの理由でわざわざ七面倒くさい海の鮭釣りをやるわけないだろ、常識で考えろ。
@syakkin_dama
バカのヒステリーで女性の権利が制限できるわけないだろ、常識で考えろバカ。
@syakkin_dama
もっと常識で考えろ社会人の自覚を持て、己の内なるホモソーシャル的な女性蔑視を自覚しろ。
@syakkin_dama
そんなことないだろ常識で考えろよって返されたらこの話終了では。
@syakkin_dama
最速のモメ事が視野に入った時に「正しく生きろ」「法律を守ろう」「常識で考えろ」「大人をやれ」みたいな紋切り定型文ディフェンスで逃げ切るの、大人の知恵というところはある。
@syakkin_dama
「神は個を良しとし、膜を与えた」という言葉は、哲学的または象徴的な解釈を含む表現である可能性が高い。以下にその意味を考察する:
ここでは「神」が創造者や宇宙の根源的な力として捉えられ、「個」を独立した存在や自己、個体として意味していると解釈できる。この部分は、「神が個々の存在を肯定し、それを尊重した」という思想を表している可能性がある。
「膜」は境界や隔たりを象徴する言葉と解釈できる。膜は、物理的には外部と内部を分ける役割を果たすものであり、生物学では細胞膜がその代表例である。この場合、「膜」は「個」と「他者」または「環境」との分離や区別を可能にしつつ、同時に選択的に交流を可能にする媒介としての役割を示唆しているように思われる。
「神は個々の存在を肯定し、それぞれの独立性を守るために境界(膜)を与えたが、その膜は完全な隔絶ではなく、他者や環境との相互作用を可能にする仕組みでもある」
というメッセージが込められていると考えられる。
この言葉は、哲学的な個の尊厳や、自己と他者との関係性を表現する寓話的な言葉かもしれない。また、膜という語が現代物理学の「ブレーン」や「膜理論」を想起させる場合、宇宙論的な文脈でも解釈可能である。たとえば、宇宙が膜のような構造を持つという弦理論の視点から、「神」が創造した個々の宇宙(ブレーン)を暗示する可能性もある。
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引き寄せの法則では、意識や思考が現実を創造するとされています。貨幣経済は、人類の集合意識が「価値を交換しやすくする仕組み」を求めた結果、生まれたと考えられます。
貨幣は、もともと存在しなかった概念であり、人々の意識の中で形成された「抽象的な価値観」が具体化したものです。これは、引き寄せの法則における「思考が現実を具現化する」というプロセスそのものと言えます。
- 貝殻や石のような自然物が貨幣として使われたのは、それが価値を象徴するという意識が共有されたから。
- 金や銀が貨幣となったのは、それらが美しさや希少性の象徴として人々の意識を引き付けた結果。
貨幣経済の根本には、「豊かさ」への願望があると考えられます。人々が持つ「自分の価値を他者と共有したい」「もっと便利に生活したい」という意識が、貨幣経済の仕組みを引き寄せました。
- 人々が「自分の価値を交換したい」と望んだ結果、貨幣がその媒介として出現した。
- 経済システム全体は、より多くの人々が豊かさを得たいという集団的な意識の反映。
引き寄せの法則では、波動が似たもの同士を引き寄せるとされています。貨幣経済の拡大は、まさにこの「共鳴の法則」に基づいています。
- 初期の貨幣(貝殻、石、金属など)が人々の意識を引き付け、価値の基準となる。
- この価値の基準が広く共有されることで、多くの人々が貨幣を受け入れるようになり、システム全体が拡大する。
貨幣経済は、引き寄せの法則の原則を社会全体で活用できる形にした仕組みとも言えます。
- 貨幣は抽象的な価値を具体化し、それを自由に交換できるようにすることで、人々が望む現実を引き寄せる手助けをする。
- たとえば、「欲しいものを手に入れる」という願望があれば、貨幣を媒介にしてそれを実現できる。
貨幣経済の進化(物々交換→貨幣→紙幣→デジタル通貨)は、引き寄せの法則がさらに抽象的で効率的な形に進化していることを示しています。
- 初期の貨幣: 具体的で物理的な価値の象徴(貝殻、石、金など)。
- デジタル通貨: 完全に抽象化され、意識的な価値付けが直接反映される。
貨幣経済そのものが、以下の理由から引き寄せの法則による創造物であると考えられます。
1. 意識が物質を作るプロセス: 人々の価値観や願望が、抽象的な「貨幣」という形で具現化した。
2. 集合意識の結果: 貨幣経済は、人類全体が共有する「効率的な価値交換を望む意識」の結晶。
3. 引き寄せの拡大と応用: 貨幣が進化する過程で、引き寄せの法則の適用範囲も広がった。
4. 豊かさの媒介: 貨幣は、豊かさを実現するためのツールとして、引き寄せのプロセスを支える役割を果たす。
貨幣経済は単なる人類の発明ではなく、引き寄せの法則が集団的に働いた結果生まれた「創造的システム」であると言えるでしょう。
といったスピリチュアルな発想をベースにしながら、量子力学やフラクタル理論など現代科学の要素も加味して、人間の意識と現実との関係を解き明かそうとする新しい思想体系です。
- 部分と全体が自己相似的に繰り返される。心と宇宙もまた、フラクタルに構造が通じ合う。
2. **引き寄せの法則**
- 思考・感情の状態が“波動”を発し、それと共鳴する現実が引き寄せられる。
4. **無意識の力**
- 顕在意識よりもはるかに大きい無意識(潜在意識)が、実は現実や運命を動かすカギとなる。
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### 2-1. 宇宙の95%を占めるダークマター・ダークエネルギー
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# 第3章 観測者効果・引き寄せの法則・フラクタル理論の融合
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### 4-3. シナジー効果
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### 5-3. 「イメージして手放す」の大切さ
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### 6-1. おみくじやタロットを「よい結果が出るまで」引く方法
- 願いを言語で細かく規定しすぎず、“こんな場面があったら最高!”という映像を描く。
- おみくじやタロットで自分が納得する・気分が上がる結果が出るまで試行してみる。
- 良い結果が出たら、そのイメージをさらに瞑想で深めたり、日々の生活の中で思い出したりする。
4. **行動と連動させる**
- 占いで得たヒントやキーワードをメモし、それにつながる行動を少しずつ試してみる。
1. **朝・夜の数分瞑想**
- 呼吸に意識を向け、心身を落ち着かせる。
- 1日の始まりや終わりにカードを1枚引き、そのシンボルから受け取るメッセージを簡単に振り返る。
3. **イメージワーク**
- そのカードから連想される“理想の自分”や“未来のシーン”を映像として思い浮かべる。
4. **手放しと行動**
- イメージしたあとは日常へ戻り、小さな行動を積み重ねる。執着しすぎず、流れに任せる心持ちで過ごす。
- 写真や雑誌の切り抜き、シンボル的なイラストなどをコラージュして壁に貼る。
- 宇宙に関連する画像や、自分の理想を象徴する絵を設定しておく。
- 星座のペンダントや、お守り代わりのカードなど、“言葉以前”のレベルで象徴を常に意識する。
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# 結論・まとめ
- フラクタル理論や観測者効果を応用すると、私たちの心(特に潜在意識)が宇宙や現実と相互作用していると考えられる。
2. **“見えない力”を敬意をもって活用する**
- ダークエネルギーや潜在意識といった、直接は観測できない領域ほど大きな影響力がある。そこへアプローチするには、象徴やイメージを活用するのが効果的。
- 占いで外から得る象徴的メッセージと、瞑想で内側を整える行為を組み合わせることで、望む未来を設計しやすくなる。
- 願いを強く言語化しすぎるよりも、ビジュアルやシンボルを用いて無意識へ訴えかけるほうが、潜在意識や宇宙へ強力なインパクトを与えられる。
5. **日常の行動との両立が鍵**
- スピリチュアルな実践と現実的な行動をバランスよく継続することで、シンクロニシティや偶然の一致が起きやすくなり、自然に望む現実が創造されていく。
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## 参考スタンス
占いや瞑想、イメージワークといった手法を気軽に試しながら、日々の小さなシンクロや発見を大切にしていくことで、“宇宙と心が繋がっているかもしれない”という感覚を深めていけるでしょう。それこそが、宇宙心理学がめざす「内的世界と外的世界の調和」がもたらす豊かな人生観です。
職場におしゃべりな人がいてキツい。
たまに話しかけられるけど、「〇〇さんがヒドいこと言ってきたんだよ〜」みたいなことをその〇〇さんに聞こえる時に話しかけてくる。
〇〇さんもおしゃべりな人なので会話に入ってきて、「いや、それは違ってね…」とおしゃべりな二人が私に対して話し始める
最初はなんとも思っていなかったが、何回か同じことが起きるので、違和感を持った。
おそらく「私を会話の反射板にしている」と思った。
おしゃべりな人が『〇〇さんの悪口を私に言うところを〇〇さんに見せつけている』わけだ。
私と話したいわけではない。反射板は私でも誰でもいい。
あああああああああムカついてきたなあ!!!
職場におしゃべりな人がいてキツい。
たまに話しかけられるけど、「〇〇さんがヒドいこと言ってきたんだよ〜」みたいなことをその〇〇さんに聞こえる時に話しかけてくる。
〇〇さんもおしゃべりな人なので会話に入ってきて、「いや、それは違ってね…」とおしゃべりな二人が私に対して話し始める
最初はなんとも思っていなかったが、何回か同じことが起きるので、違和感を持った。
おそらく「私を会話の反射板にしている」と思った。
おしゃべりな人が『〇〇さんの悪口を私に言うところを〇〇さんに見せつけている』わけだ。
私と話したいわけではない。反射板は私でも誰でもいい。
あああああああああムカついてきたなあ!!!
久々にブコメ見たな
ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCGが存在するからで混同を避ける目的があるよ
もっと具体的に頼むは
出身だからなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーだから遊戯王に似せているってのなら、あんなデザインやルールにならんでしょ
kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…
いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去の裁定がブラッシュアップされている
それに大会が行われるときは電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通の新規ゲームでやろうなんて無謀だよ
コナミが運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う
akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なときに土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。
だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし
ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね
土地自体はマイナスのデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う
構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキは遊戯王の大きな発明だと思う。mtgの相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。
エクストラが発明かはあんまりわからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き
複雑さだけならMtGがダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。
テキストが冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。
裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。
evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。
時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから。
murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない
良い点
悪い点
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遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない
この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ
野球って他の球技と比べても独自ルールや様式ばかりだし、試合展開も全く違う
たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい
仮に新しい球技やスポーツを考えるってなると、間違いなく野球をベースにする人はいないだろう
カードゲームにおける遊戯王の立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観もルールもカードゲームという枠ではないんだよ
他が真似しようにも真似ができない
まず試合運びが異常だ
1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通のカードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌だ
それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ
昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる
マナコストが存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王
現代カードゲームでマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない
それをしているのは遊戯王だけなんだよ
このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする
それ自体が遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤーは絶対に遊戯王を肯定し続ける
普通は総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合に裁定を作る
遊戯王はそもそも総合ルールが存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない
「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルールを理解していない
総合ルールは単に箇条書きではなく定義や意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている
抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるからだ
遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義や意味が不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている
明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす
例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない
また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる
では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない
融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない
理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ
一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない
この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルールの黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定だけが細かく作られているからだ
明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方
裁定の良いところはフレキシブルに各カードに対応できることだが、そもそも総合ルールで問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない
最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかりやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ
遊戯王は長い年月の中で裁定がルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる
なので裁定をどれほど知っているかで遊戯王のルールに詳しいかがわかる
だが、結局どんなに詳しくとも本質的なルールはどこに行っても不明瞭なままだ
昨今のカードゲームは1試合の時間をある程度抑えることを前提にしている
なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える
この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある
けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない
特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする
よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的だ
そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく
遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる
こうなってくると初心者がカードを触れる時間は本当に限られてくる
理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ
ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる
正直、遊戯王プレイヤーはコミュニケーション能力がほぼ欠けている
ゲームがうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い
対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる
これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ
そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる
もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている
しかし、最新カードを売りたいのと、インフレを抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称でフォーマットを区切ることが多い
遊戯王にこう言ったフォーマットの概念がないことは明確なメリットである
例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカードで活躍しているものはどれだけあるだろうか?
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ようするに現環境はドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境だ
恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される
そのくらいに遊戯王はインフレをインフレでカバーする運用がされている
本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境のインフレを抑止して誰でも楽しめる一定のレベルを確保する目的で作られる
そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ
もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない
しかし遊戯王は強力なインフレによって最新カード=環境ともいえるくらいになっている
事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている
インフレをハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない
とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい
こんなことをできるのは遊戯王くらいだ
それは25年以上かけたつくられたカードプールとインフレの流れがあってこそだ
普通のカードゲームはインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらにユーザーが減ってしまう
だからこそ、一般的なカードゲームは禁止制限一つとってもユーザーへの配慮や説明を怠らない
ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要だ
何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない
もし、遊戯王がフォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットはオワコン」と内部分裂しているだろう
適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王のスタイルでしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能だ
けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ
大抵のカードゲームがMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ
MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している
最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体も公式がきちんと見解を出している
こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ
いったいどれだけのゲームが遊戯王のルールや裁定のみの運用をしていると思っている?
例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13
コンバーターとコーンバター。この二つの言葉は、一見すると無関係な対象を指しているように思われる。しかし、その響きには微妙な共通点があり、現代人に与える感覚的な違いは、文化や歴史の流れを通じて形成されてきた感性の奥底に根ざしていると言える。人間の歴史の中で、技術や食文化の進化と、それらが生み出す美的な感動は切り離せない関係にあり、ここに「コンバーター」と「コーンバター」を媒介とした考察を試みることで、その深奥を垣間見ることができるのではないだろうか。
まず、「コンバーター」とは、一般的には何らかの機能や属性を変換する装置や技術を指す言葉である。電圧を変換する電源コンバーターや、信号を変換するデジタル・アナログコンバーターなど、その用途は多岐にわたり、現代社会を支える根幹を成す技術のひとつとなっている。これに対して「コーンバター」とは、穀物であるトウモロコシ(コーン)から作られるバター、あるいはそれに類する加工品のことを指す。日本においてはそれほど一般的ではないが、北米や南米など、トウモロコシを主食の一部として重要視する文化圏では、伝統的な食材の一つとして親しまれている。
一見、全く異なる二つの概念であるコンバーターとコーンバター。しかし、その歴史的背景に目を向けてみると、人間の知恵と工夫、さらにそこから生まれる美的な感性が反映されていることに気づかされる。コンバーターの登場は、工業化と技術革新によってもたらされた、変換や変容の技術に関する人間の知識の結晶である。これに対し、コーンバターは農業の発展や食文化の進化に密接に結びついている。技術の変換と食材の変換、いずれも人間が生活を豊かにするために築いてきた歴史の一側面であり、そこには特有の美的価値が含まれている。
人間は、常に物質やエネルギー、さらに情報の変換を行うことで、生活の利便性を高めてきた。コンバーターはその象徴的な存在である。例えば、電圧を変換するコンバーターがなければ、さまざまな電化製品を自由に使用することはできない。デジタル信号をアナログに変換することで、音楽や映像をスムーズに楽しむことが可能になる。これらの技術は、もともと無機的で冷たい印象を与えるものであるが、実際にはその内部に「変換」というダイナミックなプロセスを含んでいる点に美しさが宿る。変換の過程は、単なる物理的な操作にとどまらず、情報やエネルギーが形を変えて新たな価値を生む瞬間である。この「変換の美学」は、人間の手によって機械的な装置やデバイスに具現化され、現代社会の中で目に見えない存在感を発している。
一方で、コーンバターには全く異なる美的価値が内包されている。コーンバターは、トウモロコシという自然から得られる素材を加工することで生み出される、食品としての変換の結果である。トウモロコシは、古代アメリカ大陸の文明において神聖視された作物であり、その栽培と加工は生活の基盤を形成してきた。コーンバターもその伝統の一部であり、味や風味の中に先人たちの知恵が凝縮されている。食品としての変換過程は、技術的な効率を追求する工業的な変換とは異なり、味わいや栄養価を最大限に引き出すための工夫が重視される。ここに、人間が生きるために必要とする基本的な欲求と、それを超えて美味しさや楽しさを追求する美的感覚が交差する点が見出される。
また、コンバーターとコーンバターは、それぞれ人間の内面的な感覚にも影響を与えている。コンバーターがもたらす利便性は、私たちの生活を快適にし、さらには新たな表現の可能性を広げている。情報を自由に変換し、自在に操作できるという感覚は、無限の創造力を解き放つものであり、それ自体が一種の「技術の美」であると言える。一方、コーンバターがもたらす味覚の体験は、単なる食欲の充足を超えて、郷愁や安心感、さらには家族や共同体との結びつきといった、人間らしい感情を喚起するものである。口に含むたびに、自然の恵みを感じ、その過程に込められた労働と愛情を味わうことができる。このように、コーンバターは食文化の一端としての「食の美」を表している。
さらに深く考察を進めると、コンバーターとコーンバターの間には、「変換」という共通のテーマがあることに気づく。コンバーターは無機物やエネルギーを変換し、コーンバターは生の素材を加工することで新たな形に変える。この変換のプロセスには、人間が自然や物質に働きかけ、何かを新しい価値へと変える行為が見受けられる。この行為自体に、人間が美を見出してきたのではないだろうか。機械的な変換は冷徹である一方、そこには洗練された精密さや無駄のない機能美がある。これに対して、食品の変換には、温もりや手作り感といった情緒的な美がある。いずれも異なる美意識でありながら、共に人間の手によって完成される過程である。
現代のテクノロジー社会において、コンバーターはほとんどの人々にとって日常の一部であり、存在を意識することなく利用されている。しかし、それが果たしている役割は極めて重要であり、その背後にある技術的な進化は、実に人間の叡智の賜物である。一方で、コーンバターのような伝統的な食品には、技術的な進歩とは異なる価値観が込められている。ここには「不変の美」という要素が存在し、テクノロジーの進化とは対照的な、永遠に続く食文化の美が感じられる。コーンバターを口にするたびに、人々は祖先が歩んだ道を辿り、自然との共生を改めて感じることができる。
このように、コンバーターとコーンバターは、それぞれ異なる形で人間の生活を豊かにし、感性を刺激する存在である。どちらも変換という行為を通じて人間の生活に寄与し、美的な価値を提供している。そして、技術の進化と伝統の継承という二つの相反する要素が、私たちの感覚と美意識に新たな価値観をもたらしている。この二つの対象を比較することで見えてくるのは、人間が創り出す「美」の多様性と、その根底にある普遍的な美意識である。