はてなキーワード: 生存とは
ある日、ふと周囲を見渡すと、世の中がなんとも不可思議な装置のように感じられることがある。装置──それは生き物ではなく、人間を歯車として組み込み、回し続ける巨大なシステムだ。システムは常に成果を求め、誰もが計測可能なアウトプットを求める。声をかけてくるのは、行動経済学をよく知った巧妙な営業マンのような存在で、やんわりと「もっと頑張れ」「もっと資格を取りなさい」「もっと社会に貢献しなさい」と囁いてくる。
しかし、そうした声に合わせて踊らされるほど、私たちは疲弊する。「人間」はいつしか「成果製造装置」に還元されているかのようだ。何が悲しくて、無理やり筋肉を緊張させ、呼吸を速め、わけの分からない新しいツールや流行のスキルに追われ続けなければいけないのか。これが「社会」なのか。もはや社会とは、精神異常なまでに強制的で、我々を常に駆り立てる、巨大な指示装置になってしまったかのようだ。
奇妙なことに、その歯車たちは自らの苦しみを自明として受け入れているようにも見える。苦痛を疑問視せず、「これが普通だ」と言わんばかりの表情で、生産性向上のためのセミナーや自己啓発の指南書に群がる。彼らは、社会という名の機械の油となって働くことを強いられ、その行為を“正常”と呼ぶ。
一方で、そんな「正常」な行動原理が受け入れられない者たちがいる。社会のペースに乗れず、目的不明なランニングマシンを降りたいと思う者たちだ。全員がアウトプットしろと責め立てられるなか、インプットだけで満足し、自分の内部で静かに知識を発酵させたいと願うような人もいる。彼らはこの世界に息苦しさを感じ、巻き込まれたくないがために距離をとる。すると、周囲は言う。「あの人はおかしい」「社会不適合者だ」「精神疾患なのでは」と。
その瞬間、明らかになる事実がある。社会が「正常」と呼ぶ基準は、歪んだ標準でできている。何が美徳か、何が正解かを不気味なほど確信的に決めているシステムが、少しでも違ったリズムをもつ存在を病的な異端者として処理してしまう。その価値観がいかに偏った「精神異常」を孕んでいるか、本人たちは認めようとしない。
こうして、“まとも”な人々──つまり、自らの意志で学びたい時に学び、出力したい時に出力する、主体的なペースを大切にする人々──が、「精神疾患扱い」されてしまう不条理が生まれる。実際には彼らこそが人間的な感覚を保ち、理性やバランス感覚を持ち合わせているにもかかわらず。
もちろん、「社会を変えよう」と躍起になることは、別の苦痛を生む。社会装置は巨大で、簡単には方向を変えない。ではどうするか。彼らは社会の強制に巻き込まれないよう、自分で生存圏を確保し、好きなときに好きなことを学び、必要なときだけ少量のアウトプットで最低限の関係性を維持していく。たとえ「精神疾患扱い」されようとも、そのレッテルに価値を与えなければよい。彼らは静かな反抗の中で、自分の精神世界を豊かにし、社会の狂った価値観から距離をとるのだ。
不条理な世界で、「まともな我々」ができるのは、狂気を狂気と見抜き、自分なりの生き方を守ること。つまり、偽りの正常性を求める精神異常強制圧力社会に膝を屈せず、内側で燃える知的好奇心や創造的エネルギーを、ほんの少し外に漏らす程度で満たす戦略を取ることだ。結果として、その小さな自由と抵抗こそが、彼らの心を健やかなバランスに保っている。
くだらねぇ推理ドラマの動機ってだいたい浮気とかだろ。気持ちを裏切ったの何だのどうしてそんなゼロイチで考えるんだ。0.1浮気(そもそも浮気は悪いことではない)を定義、許容浮気限度を伝えて結婚という契約の中に含めろよ。争いはすべて ディープステート≒純愛主義者 が作ってんだよいい加減気付けカラクリに。
また、有史以来何度も擦られた陳腐な話だが…ロケットの燃料が固体か液体かなんてどうでもよくて、ロケットは愛で飛んでいる。類人猿から人類になった奴が一代でロケットを飛ばせるなら別だけど、俺達はセックスで文化文明を繋いで西暦20世紀になってやっとロケットを飛ばしたんだぜ。地球自体がセックスしないと出れない部屋だった。だからセックスしないと出られない部屋は流行っているわけですね。
な、売れている同人誌ジャンル=真理だろ。人間の最も生存に無関係で最も力強い欲望たる性欲は真理への重力を持つ。DLsite殿堂入りなるNTRは、つまり真理。Hollywoodですら真理たる セックス≒愛≒寝取られ を高頻度で作品に取り入れる。これは最強の国家は セックス≒NTR という屋台骨によって成り立つ、大黒柱(強制輸入)そそり立つということ。ということですか?
1. セックス
2. セックス
3. セックス
やめよう一夫一妻制。それを打ち破るのがまず夫婦別姓(戸籍上バグる)。そんでもって最近のガバクラ周りだよね。戸籍を全国で統一的にシステマティックに管理することがタフタ祭制を推進するわけ。
「今年◯年生まれの女性のうち◎人が子どもを生みました!現在まで生存している女性のうち何%が出生してます」
そういう他人を挑発するようなことを書いてるの見てストレスが溜まって別のところに同じようなことを書いちゃうっていう負のループなんだと思うよ。
増田もそういう誹謗中傷を見てストレスに感じてるから「書き手の人生は惨めったらしい」っていう何の確証もないことをわざわざ書いちゃうわけじゃん?
そんでなんで人はそんなことをするか?っていうと、群れの中において他人を下げると自分の地位がその分上がる(ような気がする)わけで、生存可能性が高くなるわけじゃん?
それはつまり人間が生きたいって思う本能からくる行為なわけで。
でも実際に生存可能性は上がってるか?っていうとそうでもなくて、そういう負の発言は自分や家族や周りの人間を蝕んでいくので逆にその人やその集団の生存可能性は低くなっていくんだけど。
人類は今、社会を形成して存続可能性を上げるっていうことをやってるわけだけど、それは知性と言われる部分でやってるわけで、人類のもっと古い本能はそれに反するような短絡的な行動を望むこともある。
強盗や殺人とか犯罪って呼ばれるものは、一瞬はその個人の生存可能性を高めるように見えるけど、それをみんながやり始めると社会が崩壊するのでやってはダメですよって決められてる。
誹謗中傷も同じように社会を蝕む行為なんだけど、それをやりたいって思うのは…人類は滅びようとしてるのかな?っても思わなくはない。
つまり人類はまだまだ、踏み台に乗ってベランダから身を乗り出すとか、水の張ってある風呂を覗き込むとか、プラグに針金を突っ込むとか、そういうすぐ死ぬようなことをしちゃう目の離せない幼児と同じってことだね。
「お前の推しがリヴァイみたいに生存するとは限らないぞ、マルコみたいに死んでグロい遺体が鮮明に描かれたらどうする?スクールカーストみたいな平和な公式パロディネタですらグロい死体の幽霊として登場して弄られる救われない展開になったらどうする?」
「誇り高いキャラでもミケみたいに死に際にカマホモみたいな叫び声上げさせたりするかもな」
「ヒストリアとユミルを忘れたのか、同性愛描写で釣って片方をあっさり殺してもう片方がいきなりモブと結婚して子作りとかやる作者だぞ」
通常発情期のある動物でも、温暖な地域だと発情期が曖昧だったりとかすることあるらしいよー。
春に発情期のある動物が多いのは、冬は寒くて活動があんまなくて、あったかくなってきて発情して犬猫くらいのサイズの動物は大体妊娠期間は2ヶ月とかで、初夏とか食べ物の多い時期に出産したほうが生存可能性が高いから?
人間は発情期はないんだけど、多くの国で9月10月生まれが多いらしい。
それはつまり年末年始に仕込むことが多いってことで、家の中はあったかいし外でやることがあんまないからっていう社会的な理由なんだろか。
暖房器具とかはおろか家もままならなかった頃には人間にも発情期はあったかもな。
夏の出産がちょうどいいんだとすると、仕込みはええと8月とか9月ごろか…?
でも妊婦の栄養失調も生存可能性を下げそうだし、大自然において人間がどの時期に出産するのが一番いいのかはちょっとわかんない。
でもあれか、そもそも猿人類はみんな発情期はそこまで厳密に季節に依存するわけでもないのか。
ほな無理かー
平均寿命を大雑把に説明すると、この一年間の頭に0歳だった人の死亡率、1歳だった人の死亡率、……、100歳だった人の死亡率、……を求めて、
その年齢別死亡率に沿って生きた場合、今年生まれた子供が何歳まで生きられるかの平均値を求めたもの。死んだ人の年齢(寿命)の平均値でなくて。
死んだ年齢の平均値だと何が不味いかというと、それこそ今75歳で死んだ人が多いのは彼が団塊世代で人数が多いからで、そこに引っ張られるという問題があるため。平均寿命というのはその年の健康や公衆衛生状況に関する指標だから、人口が多い年代で死亡者が多いといった情報は入らないように調整するんだよ。団塊世代の死亡者が多くても、団塊世代の生存者も多いから、各年齢ごとの死亡率にしてしまえば生まれ年による人口の違いは出てこなくなる。
現在、私は夏にステージIVの癌と宣告されて闘病中。この癌の転移期の平均生存期間は1年と少しほど。現在治療を進めている。運悪く抗がん剤との相性が悪く、薬疹を繰り返して治療はなかなか進まない。ステージや生存期間なんかの細かいことは書いていないが、SNSの趣味のアカウントには癌になり、先の治療スケジュールが読めないことや体調面を考慮して今後リアルのイベントへの参戦が難しくなることを呟いていた。
治療のため一昨日入院し、昨日退院。昨晩、家で趣味のアカウントに流れるフォロイーの呟きを眺めていた時のこと。
──神様は見ている。
──現に悪いことをした人は大病を患った。
決して私個人に宛てられたものではないものの、「悪いことをしたバチとして大病になってほしい」という趣旨の呟きに心はどんよりとした。
確かに不倫は良くない。不倫当事者の家族への裏切り行為だ。当事者の後先を考えていない浮ついた出来心によって家族の人生を大きく変えてしまう。なんて浅はかな行為だろうと思う。
ただ、それはそれとして、「悪いことをした=大病になる(なってほしい)」という考えはどうなんだろう。不倫が良くないのは大前提として、その罰として「社会的な制裁を受けてほしい」ならまだ分かるが、誰がいつなるか、本人の意思や日頃の行いに関係なく患う「大病」を不倫の罰に繋げるのはちょっと違うんじゃないかと思う。
この相互がツイートを宛てた先はあくまでも不倫した社内の人だと思う。この相互には実際に大病を患った人のことなんて目に入っていないし、考えてもいない。不倫した罰として大病になってほしいと言う趣旨のツイートをするが、大病は悪さをした人が受けるバチでもなんでもない。私は既婚者だが、不倫をしたから癌になったわけではない。大病が何かしら悪さをしたバチだと言うのは、あまりにも大病を患った人に失礼すぎる。この相互の周りにはおそらく大病を患ったことがある人はいないのだろう。なんて幸せな世間知らずなのだろう。
私自身は20代でガン宣告を受けたことや度重なる薬疹で進まない治療、治療の副作用に苦しめられていること等諸々の理不尽なことが積み重なり、もう神の存在なんて信じちゃいない。しかし、「神様は見ている」と言う相互の言う通りに神がいるのだとしたら、こんな不謹慎な発言をしたこの相互こそが何かしらの罰を受ける対象になるんじゃなかろうかと思う。ただ、私は大病は悪さをしたバチでもなんでもないと思っているので、「大病を何か悪さをした罰だと言ったこいつが大病になりますように」とは思わない。願うこともない。
私が願うのは、
①趣味のアカウントで自分が当事者でも何でもない不倫について延々と呟くことが場違いなことに気づけないこと(この相互は「日常のこととヲタクのことでアカウントを分けたい」という理由で日常垢は別に持っている)
この相互のフォロワーが上記について、この相互の考えのおかしさに気づき、こいつのことを嫌いになること。価値観を疑うこと。離れること。ただ、それだけだ。
どうかこの愚痴を見て、大病をまるで何らかの罰かのように「悪いことをした人は大病になれ!」と言って、大病を患っている人やその家族の人を傷つける人、また、そういう考えを持つ人が1人でも減るといいなと思う。