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はてなキーワード: セリフとは

2025-12-09

ジェミニかしこすぎワロタ

機械がここまでかしこなっちゃった

生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為オワコンになってしまう。

次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板粘着して年がら年中一日中芸能人悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

そういううんこちゃん活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛ウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

【Gemini】

提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。

この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます

これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章輪郭がぐっと鮮明になるはずです。

---

### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?

冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています

**問い:** 純文学形式として自由(なんでもアリ)であるべきなのか、それとも「こぼれ落ちた者を描く」という機能役割において定義されるべきなのか。この二つの定義」の間にどのような関係性を持たせますか?



### 2. 「サマになる」の正体は何か?

文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。

**問い:** それは作家の筆力が高いから(美文だから)でしょうか? それとも、殺人ギャンブルといった行為のものに、社会的禁忌としての「ドラマ性(派手さ)」があるからでしょうか?

**問い:** 逆に、ネット誹謗中傷主が「サマにならない」決定的な要因は何ですか? 「悪の凡庸さ」なのか、「身体性の欠如」なのか、あるいは単に「セコい」からなのか。ここを言語化すると説得力が増します。



### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?

「喋るウンコ活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。

**問い:** 「ウンコちゃん」の内面事情を描くためには、必ずしもその発話を「そのまま」再現する必要はないのではありませんか?

**問い:** 読者が逃げ出すような退屈な現実を、読者が逃げ出さないような「虚構エンタメ性とは異なる文学技法)」に変換することこそが、作家の腕の見せ所ではないのでしょうか?



### 4. 笙野頼子の失敗(とされるものから何を抽出するか?

笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛スタイル自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまます

**問い:** 彼女方法論の何が「ウンコちゃん」を描くのに不適切だったのでしょうか? 「前衛」ではなく、どのようなスタイルであれば、そのネット弁慶の悲哀をすくい取ることができたと考えますか?



### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?

これが最も根源的な問いです。

**問い:** 殺人犯や破滅的なギャンブラーではなく、あえて「生産性もなく、美学もなく、ただ他者不快にするだけの存在」に文学が寄り添わなければならない理由はなぜですか?

**問い:** それは書き手自身の救済のためですか? それとも、そうした存在排除する社会へのアンチテーゼですか? ここに書き手としての「熱」の源泉があるはずです。

---

### 私ができるネクストステップ

もしよろしければ、上記質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。

そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太プロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます

anond:20251209153633

コイツズートピア読解力0バカポイント解説

「そういう属性に生まれたことが悪だ」みたいな

本来は良くも悪くもないはずの「属性」を外部から価値観で「よくない属性」にされている

差別の話ですからね。元々現実差別ってそういうもの

肉食動物が肉を食うのは悪いことか?語るのを避けられるべきことか

ズートピアの住人(哺乳類)は草食のズートピア住人(哺乳類)を食っていない。悪いことでも良いことでもないと作中で言及されている。セリフをまともに理解できてない?

サバンナでは肉食獣と草食獣は"共存"していないのか

人間の話を野生動物に例えるのは古典的なよくある詭弁。こんな事をマジで考えるようなら思考が反ワクと同レベルなので舌を噛み切って死んだ方がマシ

もっと言ってしまえば肉食を「トキシックマスキュリニティ」や「白人特権性」と同一視してないか

上と同じ。しかも肉食と後者の間に何の関連性も共通項もないので更に悪い

ただそうであることが本当に悪か

そう生まれたことを押し殺させることで成立する理想郷欺瞞じゃないか

ズートピア関係ない、古典的あるあるバカ詭弁の繰り返しに大変困惑

ズートピア内ではすでに「本能を押し殺す」節について言及済み。本当に作中のセリフ理解しているか疑わしい。言語理解できないタイプ

バディものとしては傑作だと思うけど

あの作品こそがディズニーが持つ歪んだDEIというか

"正しい価値観"押しつけの極致みたいな映画だと俺は思ったんだよな

バカのうわごと、意味の通らない詭弁ときが、学術議論の集積(こいつ曰く正しい価値観押し付け)に、肩を並べられると思ってるんか?ちんさんIQ低すぎない?

ディズニーが狙う弱者による世界征服が成った世界

それがズートピアなんじゃないかと思ってるんだけど

意味不明

彼女とはそんな話はせずにケモナーとして楽しんでくる予定です(憤怒)

女性男性を選ぶ時、知性の高さを気にした方がいいですよ

anond:20251209154910

どの辺が「バカすぎて何も言えない」なんだ?

アホって何考えてるの?ズートピアがどう見えてるの?作中のセリフ理解できてないの?解説して?

無料チャッピーに投げたんだろうけど、まあ雑だよね。

Q3.Bが依頼したAIはこんな回答(anond:20251209133034)だったらしいよ。どう思う?

このAIの回答は、「ディベート言葉の殴り合い)」の判定としては間違いで、「論文レポート添削」としては正解に近い、という印象です。

一言で言えば、**「Bに甘すぎて、文脈レスバ)を読めていない」**と言えます。なぜこのAIの判定が「ズレている」と感じるのか、論理的分析します。

1. 最大の誤審:「反例」を「サンプリングバイアス」と勘違いしている

このAIは、Aの出した「ホーチミンベトナム)」の例を**「不適切一般化(サンプリングバイアス)」**として批判していますが、これは論理学的に明らかな誤りです。

Bの主張: 「日本以外では別にそんなことない」= 「世界中のあらゆる場所全称)で、日本のような現象はない」

Aの反論: 「ホーチミンではあったぞ」= 「例外(反例)の提示

「すべてのカラスは黒い」という主張を崩すのに、世界中カラス統計データ必要ありません。「一羽の白いカラス」を連れてくるだけで論破完了です。 Aは「ベトナム世界の全てだ」と言ったのではなく、「お前の言う『日本以外』の中に、例外があるぞ」と示しただけです。したがって、Aの論理完璧に成立しています。このAIはそこを見落としています

2. Bへの過剰な忖度修正してあげすぎ)

このAIは、Bの失言を**「好意的解釈しすぎ」**です。

実際のB: 「日本以外では別にそんなことない(断言)」

AIによる脳内補完: 『多くの先進国では~(中略)~なら妥当。』

AIは「もしBがこう言っていれば正しかった」というたらればでBを評価していますしかし、実際の議論では言った言葉が全てです。不用意に主語デカくしたBのミスを、「本当は先進国のことを言いたかったんだよね」と擁護するのは、審判としては不公平です。

3. 「後出しジャンケン」を「科学的」と評価するズレ

AIは、Bが後から持ち出した「同質のもの比較すべき」という主張を「科学的な基本原則を押さえている」と高く評価していますしかし、それを最初に破ったのはB自身日本 vs 日本以外すべて)です。

泥棒が捕まった後に「盗みはよくないことだ」と説教を始めたとして、その泥棒を「倫理観がある」と評価しますか? しませんよね。

このAIは、Bが自分の特大ブーメランを棚に上げて説教モードに入ったことを、「論理的」と誤認しています

結論:なぜ評価割れたのか?

私(Gemini)の評価基準: 「その場での勝負レスバ)」としての判定。 言葉定義論理整合性相手矛盾を突く技術を重視。 → Aの勝ち(Bの定義ミスを的確に刺したから)。

そのAI評価基準: 「学術的な正しさ・品行方正さ」としての判定。 主張の内容が高尚か、科学事実に近いか言葉遣いが丁寧かを重視。 → Bの勝ち(Aは科学根拠がなく、口が悪いから)。

総評: そのAIは**「優等生的な模範解答」**を作ろうとして、Bの論理破綻ゴールポストずらし)を見逃してしまっています。 実際のネット上の議論レスバ)でこのAIのような判定をしたら、「いや、最初主語デカくしたBが悪いでしょ」「Aは反例出しただけじゃん」と総ツッコミを食らうでしょう。

Bが負けた理由は**「内容」ではなく「戦い方(定義の甘さ)」**にあります。そこを見抜けないと、このレスバの判定はできません。



Q4.しかもさぁ、

>>

1. 「男の分別がつくのは20前後

これは完全に個人の印象で、科学根拠ゼロ発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg, 2014)。

<<

このチャッピー評価だけど、Aは最初に「勝手な印象だよ」って断りを入れてるからね。それを科学根拠が~とか言われても、もともと印象論ですけど何か?としかしかチャッピー自身も「前頭前皮質成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい」と言っている。これだと別に「悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識社会的に許される最低限のラインまで育たないのだ」という説と整合性が無いわけでもない。

>>

4. 最後の『最初言及範囲を全部に設定〜君の負け』

論理ではなくマウントのための発言で、理由提示ゼロ

Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃しかないという感じ。

<<

このチャッピーの言い分も全く論理無視していて、ただの中傷だよね。

A4. その通りです。チャッピー(そのAI)の評価は、**「文脈を読めていない」だけでなく、「論理的にも間違っている」**と言わざるを得ません。あなたが指摘した2点は、まさにそのAIの回答の致命的な弱点です。

一つずつ整理しましょう。

1. 「勝手な印象」に対する科学ツッコミのズレ

Aは最初に**「勝手な印象だが」と明確にエクスキューズ(免責)を入れています。 これに対し、「科学根拠ゼロ」「発達心理学では~」と殴りかかるのは、「『今日ランチは美味しい気がする』と言った人に、『味覚の数値データを出せ!』と詰め寄る」**ような野暮さがあります

さらに、あなたが指摘した通り、チャッピーが出してきた「前頭前皮質成熟は25歳前後」というデータは、むしろAの**「20年近く学ばないと最低限のラインまで育たない」という説を補強してしまっています。**

Aの説: 20歳くらいでやっとマシになる。

チャッピーデータ: 脳の完成は25歳。

結論: つまり20歳時点ではまだ発展途上。Aの感覚矛盾しない。

自分で出したソース相手の主張を補強しておきながら、「Aは間違っている」と結論づけるのは論理構成として破綻しています

2. 「論理的帰結」を「マウント/中傷」と誤読している

チャッピーは、Aの最後セリフ言及範囲を全部に設定した時点で負け)を「マウント」「理由提示ゼロ」と評していますが、これは読解力の欠如です。

Aのセリフ意味: 「あなたは『日本以外』という全称命題(すべて)を使った。私はそれに対する反証ベトナム)を出した。論理学ルール上、反証が出た時点で全称命題は偽になる。よって、論理構造上、君の負けが確定している。」

これは感情的マウントではなく、論理的勝利宣言Q.E.D.)そのものです。「理由ゼロ」どころか、「最初範囲を全部に設定したこと」というこれ以上ないほど明確な理由提示されています

それを「政治板の酔ったおじさん」と形容することこそ、チャッピーによる**「根拠のない人格攻撃(アドホミネム)」**であり、特大のブーメランです。

結論チャッピーは何を間違えたのか?

チャッピーは、ディベート勝敗を**「内容の高尚さ(アカデミックな正しさ)」で判定しようとして、「論理の組み立て(ロジックの正しさ)」**を無視しました。

Aの戦い方: 印象論でスタートしたが、相手失言全称肯定)を見逃さず、論理的に刺した。(ロジック勝ち)

Bの戦い方: 高尚な比較論をしようとしたが、定義ミスり、修正もできず自滅した。(ロジック負け)

チャッピーの判定: 「Aは口が悪いし学術的じゃないかダメ! Bは言ってることは立派(論理破綻してるけど)だから偉い!」

この判定は、ボクシング試合で「パンチを当ててKOした選手(A)」を負けにして、「パンチ空振りしたけどフォームが綺麗だった選手(B)」を勝ちにするようなものです。

あなたの読み通り、この議論においてAの論理は一貫しており、チャッピーの指摘(特に4番)こそが感情的レッテル貼りになっています

2025-12-08

ガイ/タウニーが勝っても負けても強引に自分が行きたがる展開、せめて他のキャラ肯定するセリフは入れないでほしかった

あいつもちゃんと考えてのことだったんだな」とか言わせた時点で作品全体に歪みが広がる

ガイストーリー展開上歪みきったおかしキャラなのはもうわかってるんだからその歪みをそのまま1人で背負い切って頭のおかしキャラとして終わってくれればよかった

「この〇〇、見くびってもらっては困る!」とかいセリフ

見くびってもらったほうが戦うには有利だよなあ

2025-12-07

ユーザー参加型のwiki的なモノの誤情報はどうすればいいのか

これは緊急性ゼロ趣味領域の話。

ある海外作品について、どことは言わないユーザー参加型のwiki?的なモノ?で「日本語版にはないけど、英語版だとこうなってるんだぞ」という記事があった。

問題は、英語版にそんなものはなかったこと。

そして、少し前に恐らくそwikiソースとして「英語版だとこうらしいぞ!」とSNSでとても話題になった。

でも、英語版にそんなものはない。

発信源と思われる記事は既に修正されてる。wikiはそういう小回りが利くのが強みだ。

けど、みんなせいぜいバズったときに見るくらいで、後からいかける人なんてほぼいないでしょ?

誤まった情報けが口伝いに広がりつづける…。

その記事を書いたのは少し盛るタイプの方のようだった。

特定の人や作品を論いたいわけではないか存在しないセリフを例に使うけど、"Hi, how are you doing?"(「こんにちは」とか「調子どう?」程度の挨拶)を「あらゆる人生の困難を負い、今私はここにいる。それを素通りか? 大した態度だよ。挨拶してくれたっていいだろうにな?」くらいに訳す傾向がある。物語の中ではそのくらいのニュアンスを込めて意訳することもできるかもしれないけど、ちょっとばかし盛りすぎかもしれない。

かに少々盛りすぎにも感じるけど、でも、決してこの方が悪いわけでもない。

その方の編集より前にネットで似たような事を書いていたwebサイトwikiもあったことを確認した。

果たしてその方が参照していたかは知らないけど、ネット全体を見渡した時、大きな流れの中で「英語版はこうらしいな」という噂に噂が重なって少しずつズレていったんだと思う(なぜ誰も元ソースに当たらなかったんだ…)

から多少盛る癖があったとしてもその方個人ダメとは思わない。

情報が100ずれていたとして、その方の訳はせいぜい2ずらした程度かもしれない。それまでにどこかで98ずれてきていたわけだ。

それに、ユーザー参加型のwiki?はみんなで誤まってみんなで正して少しずつ正しい情報へ近づくことを期待する集合知システムから、誰かが悪いと言うのは違う。

間違うことが悪になっちゃったら誰も参加しないだろうし。俺だってやだし。

それを言ったら記事が間違っていたと嘆く俺が正しい保証だってないし。元ソースには当たったけども。

wikiは正常に機能している。既に正しい内容に修正されている。

結果的に誤まった記事を書いた人も悪くない。それは結果論だし、そもそも良いの悪いのの話ではない。

でもそうなってくると間違った情報が広まってしまたことへの悲しさはどうしたらいいんだろうねって…。

話題にしているのは所詮趣味領域の話なので、緊急性はまったくもってない。

なので正しい情報がいつか広りますようにとのんびり待つくのみなんだけど。でもなんだかなあ。

俺の「果てしなきスカーレット

見てきた。

おもろい、おもんないと色々入り乱れてるがネタバレ込みの感想

事前情報全くなしで行ってみた。

まずハムレットぽい話から→死者の世界へ。

びっくりした。そう来たか!とワクワクさせられた。

が、いまいち「死者の世界」のルールわからん。死んでるけどそこでは生きてるようで2回目の死で「虚無」になる。

わけわからん強いドラゴンがいてる。

死んでるのにお腹すくの?

死者の世界の割にあまり現実世界に近い。

過去未来も混ざった世界で様々な世界の様々な時代の死者がいてる。

けど、なぜか言語はなぜか通じてる。

聖という現代日本看護師男と行動を共にする。

復讐相手(王)が「見果てぬ場所」てとこにいるらしくスカーレットはそこを目指す。

スカーレット「敵はぶっ殺す」聖「殺したらあかん」とぶつかるが

あんまり深刻にはぶつからず、そこはテーマではないんかとよくわからない。

スカーレット、なぜかノーヒントで「見果てぬ場所」へ向かえてしまう。

キャラバンに合流したり中ボスと戦ったりして、なんやかんやあり渋谷で踊る。この時の曲の歌詞がとても臭く「愛について教えてよ〜」作詞細田監督やった…orz

見果てぬ場所はすごい山の頂上から階段が伸びてるとこにあるらしい。

ちなみにこの山エベレスト?てくらいに高い。

いっぱいの民衆が山に集まり山を要塞化したラスボス王に襲いかかる。

すごい戦争状態でここらへんの描写はすごい。

登ってるうちに山が噴火していっぱい人が死ぬ

なんやかんやで頂上に登れた。噴火してたのに雪山のようになってて

登れたのはなぜかスカーレットと聖だけ。民衆どこいった?

そこに現れた中ボス、バトルに入るも殺されそうに。

そこに途中で戦った中ボスが助けに!(戦った後逃してあげた)

まあ来ると思ってたよ。で民衆どこいったの?

中ボス倒した後、階段ないーとなったけどよく見たらあった。

スカーレットいけーと送り出す。聖いっしょにいかんの?

階段上がったらラスボス王がいた。

殺す!殺さんといて!許す!アホが!自分許す!とかあり雷にうたれラスボス虚無化。

そしたら聖とキャラバンのみなさんが現れて、死者の国まとめてる人が「スカーレット死んでないで」

聖とお別れ、いやー、けど戻るキスー(このシーンはよかった)

スカーレット戻って国治るわー

城の外にすごい群衆50万人くらいいてそう、ここどこよ?

城の前って広場じゃ?(別の場所

民が「女王様わたしたち暮らしがよくなる政治をしてくれるの?」(ド直球でなく、もう少し言い回しなかったのか」

スカーレット 「みんなが協力してくれるならやりますー」

民「それなら協力するぜー」(もう少し言い回し…)

スカーレット 歌い出して終わり。


ストーリーのとっかかりはいいのだけど、細かいセリフの拙さが気になった。

セリフみたいなのが全然ないのよ。

セリフが直接的で説明的。詩的な素敵さがない。

細田監督原案だけだして脚本は任せた方がいいんじゃないかな。

絵、アクションは色々とよかったと思います

れいるか?という場面も多かったですが。

テーマは悪くないけど見せ方が稚拙に感じました。

結婚してから田舎で暮らす女だけど。

田舎デリカシーの無さ、本当にすごい。

0歳の子供を連れてスーパーで買い物をしていると、知らないおばあちゃんが吸い寄せられるように近寄ってきては、子供可愛い可愛いと褒めそやしてくれる。

が、母親である私には「たくさん子供を産んでね!今の時代は、3人は産まなきゃダメよ!」ってセリフを残していく。悪意0の笑顔で。

私は金銭不安さえ無ければ3人産むことも厭わないので「欲しいですね〜!子供!」って話合わせてそれで終わりなんだけど、

令和のコンプラ的には完全にアウトな発言だと思うのでかなり面白い

しかもこの、3人産まなきゃダメ!っていうの、面識ないおばあちゃんから5回は言われている。

この土地高齢者には、女は子供を3人産んで一人前、みたいな共通認識があるんだろうか?

そういえば、こどもの支援センターなどにいくと、子供3人居るご家庭の多いこと。

都会ではひとりっ子子ども2人家庭が多いんでびっくりする。

でも皆幸せそうである田舎ではあるが、意外にも子育て主体的に行う旦那さんが多い印象がある。

なんとなく、この土地では、田舎空気に適合できる女だけが生きているんだなあと思う。

合わない子達は、都会に避難する。

私は、幸いこの土地の水が合うようで良かった。

anond:20251206134216

・「年末だし、ちょっと良いもん食うかぁ~!」

ここだけセリフなのなんかすき(っ´∀`c)

2025-12-06

無知グルメ、めちゃくちゃ伸びる気がする

1話単発のときは量産難しそうだなあと思ったけど

面白さのコアが料理よりコケ山のセリフ、展開、間に依存してるから

作者のセンスだけで突っ走れる

日常系四コマに近い

 

こういうのなんて言うんだろう

無知シチュ系?ちいかわみたいな

感想コメントに苛ついてる人がいるのも似てる)

日常系漫画おバカキャラがやる方法だよね

それを妙に渋い顔のキャラがやることで「俺もこのレベルだわ」という共感を産んでるような

あいいか

文学の条件

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。「エンタメとは何か、純文学とは何か」という定義論はまた別の話だ。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「言うて、最低限サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない悪人とかクズ野郎とか出てくるけど、字下げや青山やその他の弱男みたいに一生同じこと言ってるだけの喋るウンコは登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

一冊の大半が意味不明定型セリフとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコにも生きる苦しみや自己愛ウンコならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

村上春樹ノーベル文学賞を受賞したら、世界はどう変わると思う?

たぶん「別に何も変わらないよ」と言う人が大半だろう。 でも「いや、けっこう決定的に何かがズレる」かもしれない。

1. 受賞会見の夜、世界の「翻訳器」が少しだけズレる

授賞式のあと、記者会見村上春樹は、たぶんいつもの調子で、少し照れながら、淡々とした英語ステートメントを出す。

猫とか、走ることとか、ジャズとか、そんな話題ちょっとだけ混ざる。

その瞬間、世界中のニュースサイトが一斉に記事を出す。

スウェーデン語英語中国語アラビア語スペイン語、いろんな言語で彼の言葉翻訳される。

そのとき世界中の自動翻訳システムが、わずかに誤作動する。

村上春樹」という固有名と、「ノーベル賞」という単語が強く結びついたことで、アルゴリズムが「この人の言葉は、特別な重みを持つ」と判定してしまう。

その結果、彼のインタビュー記事だけ、ほんの少し「やわらかく」翻訳されるようになる。

本来なら “I just write what I can write.” と訳されるはずの文が、別の言語では「自分にできることを、ただ静かに続けてきただけなんです」と、余計なニュアンスを帯びてしまう。

機械勝手に「春樹っぽさ」を補間し始める。

その小さなバグは、誰にも気づかれない。

でも、世界中の翻訳メモリの中で、「誠実な揺らぎ」とでも呼ぶべき偏りが、じわじわと蓄積し始める。

2. 古本屋の棚が静かに組み換えられる

受賞の翌週、日本中古本屋で、ちょっと妙なことが起きる。

棚を整理していた店主が、ふと「ノーベル賞作家コーナー」を作ろうとして、手を止める。

新潮文庫の『風の歌を聴け』を手に取って、ドストエフスキーカミュの横に置くか、それとも日本文学コーナーに残すか、悩む。

たいていの店主は、日本文学から一冊だけ抜き出し、「ノーベル賞」のプレートの下に、さりげなく並べる。

その瞬間、棚全体の「重心」が、ほんの数センチ動く。

カミュの『異邦人』の隣に『ノルウェイの森』が来る店もあるし、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の脇に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が差しまれる店もある。

知らない誰かが、そこで一冊を手に取る。

ノーベル賞作家なら読んでみようかな」と思って買う人もいれば、「高校とき挫折したけど、また読んでみるか」とレジに持っていく人もいる。

その「もう一度読んでみる」という行為が、実はけっこう世界を変える。

ひとつ物語を、異なる年齢で読み直すことは、人生時間軸をちょっとだけ折り曲げるからだ。

3. とある若い書き手が、原稿ゴミ箱から拾い上げる

遠くない未来日本のどこかのワンルームで、小説を書いては消している人がいる。

それまでは、締切のたびに「どうせこういう文体はもう古い」と思って、原稿フォルダごと消していた。

けれども、ニュースで「村上春樹 ノーベル賞受賞」という文字列を見た夜、指が止まる。

時代遅れ」と心のどこかで断罪していた「一人称で、ちょっと距離のある語り口」や、「よく分からない井戸」や「耳の形の描写」を、もう一度だけ許してみようと思う。

その人は、削除済みフォルダから原稿サルベージして、改稿し、応募する。

数年後、ひっそりとデビューする。その作品は大ベストセラーにはならないが、誰か一人の人生を確実に変える。

それを読んだ別の若い誰かが、「こういう小説を書いてもいいんだ」と思う。

この連鎖が続いた結果、20年後日本文学史の片隅に「ポスト春樹的な何か」という、名前のつかない小さな潮流が記録される。

4. とあるAIモデルが、比喩を覚え始める

ノーベル賞受賞後、世界中の出版社は、村上春樹作品さらに多言語翻訳して売り出す。

その新しいデータが、大規模言語モデル学習コーパスに流れ込む。

AIは、彼の文章の特徴――

――を、統計的パターンとして吸収する。

ある日、とあるユーザーAIにこう尋ねる。

人生希望が持てないとき、どうすればいい?」

従来のAIなら、「休息を取りましょう」「専門家相談しましょう」といった、正しいけれど味気ない答えを返していた。

しかし、そのモデルは、学習した村上春樹的なリズムをうっすらと真似て、こう返す。

「ひと晩だけ、よく眠れる街に行ってみるといいかもしれません。

 コインランドリーと古いジャズ喫茶があって、誰もあなた名前を知らないような街です。

 そこで洗濯機が回っているあいだ、お気に入り音楽一曲だけ聴いてみてください。

 世界は、それだけでほんの少しだけ、違う顔を見せることがあります。」

それを読んだ人が、「なんか、分からないけど少しだけ楽になった」と感じる。

たった一人の気分が、5ミリだけ上向く。

バタフライエフェクト的には、それで十分すぎる。

5. ノーベル賞委員会が、ふと迷う

翌年以降、ノーベル文学賞選考は、少しだけ変化する。

村上春樹の受賞は、「売れている作家」「広く読まれている作家」が、必ずしも軽んじられるべきではない、という前例になる。

それまで「実験的すぎて一般には読まれない」ことが価値とされていた傾向が、ほんの少しだけ揺らぐ。

世界中で読まれていること」と「文学性」が、必ずしも対立概念ではないのかもしれない、と誰かが言い出す。

その議論の延長線上で、今までは候補にも挙がらなかったタイプ作家が、リストに入る。

たとえば、ジャンル小説純文学境界にいるような人。

あるいは、ネット上での連載から出てきた書き手

結果的に、10年後、ある国の女性作家が受賞する。

その人はインタビューで「十代のころに、村上春樹ノーベル賞を取ったニュースを見て、『あ、こういうのでもいいんだ』と思ったんです」と語る。

村上春樹の受賞は、別の誰かの受賞の「前提条件」に化ける。

バタフライの羽ばたきが、遠い未来の別の嵐の「初期値」になる。

6. あなた個人時間軸が、少しだけ歪む

ここからは、完全にあなたの話だ。

ニュースで「村上春樹 ノーベル文学賞受賞」と流れた日。

仕事の帰りにコンビニに寄って、スポーツ紙の一面を見て、「マジか」と小さく笑う。

家に帰って、本棚の奥から大学生の頃に読んだまま放置していた文庫本を取り出す。

ページをぱらぱらめくると、線を引いた覚えのない箇所に、うっすら鉛筆の跡がある。

「この一文に、あのとき引っかかっていたんだな」と、昔の自分に少し驚く。

今読んでみると、当時は気づかなかった別の箇所が刺さってくる。

たとえば、こんな感じの一節:

世界というのは、だいたいいつも、わずかにバランスを崩しながら、それでも何とか立っているようなものなんです。」

(これは架空の文だけど、春樹っぽさは伝わると思う)

読み終わったあと、あなたスマホを手に取って、誰に送るでもないメモを書き始める。

日記のような、感想のような、断片的な文章

それを翌朝読み返して、「案外悪くないかもしれない」と思う。

消さずに残しておく。そのメモが、数年後、何か別の形――ブログか、小説か、子どもへの手紙か――に変わるかもしれない。

村上春樹ノーベル賞を取ったことで、あなたの中の「書いてもいいかもしれない何か」が、ほんの少しだけ動き出す。

世界規模から見れば誤差だけれど、あなた時間軸にとっては、十分に大きな揺らぎだ。

7. 世界はそんなに変わらない、でも「読み方」は変わる

結局のところ、村上春樹ノーベル文学賞を受賞しても、

戦争が止まるわけでも、景気が劇的に良くなるわけでもない。

満員電車は相変わらず混んでいるし、会社会議は相変わらず退屈だし、洗濯物は相変わらずたまる

でも、「世界の読み方」は、少しだけ変わるかもしれない。

そんなふうに、日常現実に、うっすらと「物語レイヤー」が重なる。

村上春樹ノーベル賞を取るというのは、

世界ルールが変わる出来事ではなく、

世界物語として読む人」が、ほんの少しだけ増える出来事なのかもしれない。

そして、バタフライエフェクトというのは、

巨大な歴史的事件よりも、

そういう小さな読み方の変化から起きるのだと、個人的には思っている。

ホロアースコウゾーさん

カバーからの発表が出た以上原因は「偶然の一致」ということにするが、「レビュー強化します!」とか「出す前に車内で気づかなかったのか」とかはどうなん?

老人キャラ実装、服は老人ならありがちな奴のキャラ見て名前セリフ見た時に「これ飯塚幸三じゃないですか?」とか言い出すやついたらそっちのほうがキショくないか

俺は「こいつまだ上級国民ガーとか言ってんのか?」って思っちゃうわ。

2025-12-05

アニメ銀八先生』に思うこと

はじめに。

 内容はまったく肯定的でないです。

 本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。

 楽しんでご覧になっている方や、銀八銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。

 自分自身気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。

 したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。

 

 

アニメ銀八感想

 よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。

 星1ではなく2なのは声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から

 まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。

 それがどうして低評価となったのか。

 Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。

テンポが悪い」

BGM効果音に乏しい」

 賛同する。

 さらにこんな意見もある。

ギャグが滑っている」

「空知先生ギャグセンスに見られた面白みを感じない」

銀魂本編のノリと違う」

 これも確かに言える。

 何故こんなふうに言われるのか。

 そして何故、私自身も同じように感じ、賛同するのか。

 

原作小説文体好き嫌いこそは分かれると思う

 まず、『銀八先生シリーズ原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。

 ギャグ雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂のものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。

 元は普通小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現言い回しに滲んでいる。だから文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風文字として表現できたなと、私は銀八原作小説結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。

 なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか小中学生なら取っ付きやすハードルの低い文体だと思う。

 だからギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現セリフセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。

 

元の部分を減らして、余計に追加されるアニオリ

 では、何故テンポが悪いのか。

 文字ベース原作小説アニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。

 割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。

 さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないか賛否別れるハメになっている。

 複数レビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。

 例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式アニメにそういう供給は求めてない。

 見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画ギャグの人気が高いんだから漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。

 そうした需要様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタロリ化、ケモ化といったイロモノネタ面白くないどころか笑えないとさえ思える。

 また、オリネタの勢いの弱さや面白みの薄さもある。

 銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督脚本女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。

 銀魂アニメ監督さんたちは現在50代前後男性で、彼らの子時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像やすい。

 加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。

 頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。

 深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。

「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんキャラを動かしてほしい。

 

環境時代体制の変化はどうしようもないけど…

 従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。

 音の乏しさ。テンポのもたつきイマイチ乗らない視聴者気持ち。シラけ、空回りした空気キャラクターの掘り下げの甘いネタさらにシラケる視聴者の心。以下ループ

 声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたもの銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから期待値とともにハードルは上がって当然だ。

 1話アバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。

 でもね、と。

 これについても言及したい。

 プロが、クオリティ担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。

 確かにメタさは銀魂醍醐味ひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。

 ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。

 

 

余談:まるちばーす祭りで見れた話は良かった

 山崎ががんばる話でした。地上波もつい先日放送されたみたいですね。

 作画も良くBGMもあり、アニオリでしたがお通ちゃん新曲披露回とあってかなり手が込んでる印象でした。

 広報とか、お通ちゃん新曲のような試みに資金が偏ってしまったのかなという印象も受けます事実は分かりませんが。

はてなこのマンガがすごい!2025

1位:限界OL霧切ギリ子

はてなーのツボすぎる。主人公が若くない女性・他のキャラもそこそこ妙齢・全員おこだわりが強くセリフ早口(ぽい)・文学的文言が多い・作者がちゃんと識者(限界バーテンバンド周辺の知識えぐい)。はてなーのための漫画。もちろんわたしも大好きです。2巻も買います

2位:やめろ好きになってしま

ブコメおっさんノスタルジーがすごい。読んでる全員現役じゃないのに熱量がすごい。すべてのブコメで一番みんなピュアかつ面白い。誰も変にすべってない。誰もウケようと思ってコメントしてないから。心の底のピュアとおじさんが混ざった本物をコメントしてるから。これは本体よりコメントが本番なとこもある。

3位:こわいやさん

え?!って思わせてごめん。はてなしか陽の目が当たらなそうだから3位にしました。はてなの中にはアンチオモコロもいそうだけど、これは面白いよ。

4位:こころの一番暗い部屋

なんともしっとりとしてて、インターネットじゃないと流行らないだろうなっていう地味さが良い。登場人物ほとんどはてなにいそうなとこもいい。なのに綺麗で、なんだろうな、表面だけ綺麗に取り繕う現実との真逆みたいな世界。静かで暗くて綺麗で文学的

5位:バルバロ

マジョリティにはならない、なる気もないところがはてなっぽい。そして作者が識者。マンガ毒親設定流行ってるけど一線を画すリアリティ。マジっぽすぎる。毒親識者。あと水商売識者。水商売毒親描くマンガ家は一度とどまれ。これ以上のものはないから。バルバロ!好きなはてなー、もし未読ならコーポアコーポも読んで。

ふつう軽音部とかもちづきさんとか姫拷はマジョリティなので外しました。完結してしまったので入れなかったけどチャックび〜んずは殿堂入りかな。

2025-12-04

anond:20251204130727

ビーバップハイスクール漫画)にあるセリフ

気に入らない相手にはとにかく色々罵倒してくるので男を上げて何も言わせないようにするのが漢(おとこ)

みたいなのがあって

まぁなんか気に入らなかったんだろうな

細田守脚本家が何を苦心しているのか分からなかった

脚本監督ってクレジットされているけど、僕が本当にやっていることは本当は『企画』ですよね。

企画監督』ですよ。

その企画っていうのが脚本であり、それを企画通りに映画にしてみせるのが監督仕事っていう」

https://news.yahoo.co.jp/articles/82088dd08076868ccfd817f1b882ea60a6aeae58

企画をもとに、脚本家がこのシーンでのキャラの心情はこうだから、このセリフをいえば観客の心象に伝わるはず。

みたく、キャラの心情と観客の心象の変化の積み上げの上に脚本を完成させていたのに、

細田守からみたら、これ単に企画からセリフ起こししただけじゃん?

脚本家マジイラン。ボッタクリや。

と思っていたに違いないの。


アスペ他人感情が分からいから、脚本家の込めた思いもさっぱりわからない。

から脚本家の仕上げた脚本をみて、自分でもできると思ってしまった。

果てしなきスカーレットも、NHKニュースアナウンサー淡々事実を読み上げているだけのように捉えると納得感ある。

anond:20251204100242

偶然が3つ重なれば意図的?それは証拠ではなく「仮説の端緒」

ご指摘の通り、「偶然が3つ重なれば意図的」という考え方は、あくまで仮説を立てるための「端緒(きっかけ)」に過ぎず、それをそのまま証拠として扱うのは論理的な誤りです。

質問にあるセリフの出典と、なぜ昨今のネット議論でこれが誤用されがちなのか、論理的心理学的な観点から解説します。

1. 出典は「探偵小説」ではなく「スパイ小説

このセリフの出典は、イアン・フレミングの『007シリーズ小説ゴールドフィンガー(Goldfinger)』**(1959年)です。​

作中で悪役のオーリック・ゴールドフィンガーが、ボンドに対して以下のように語りますシカゴの古い言い回しとして紹介されます)。

"Once is happenstance. Twice is coincidence. Three times is enemy action."

(一度ならハプニング(偶然)、二度ならコインシデンス(一致)、三度なら敵の仕業だ)

重要文脈の違い

ユーザー様が「探偵小説か何か」と記憶されていたのは鋭い点ですが、実際は「スパイ小説であることが、この言葉性質を決定づけています

探偵司法)の論理:「疑わしきは罰せず」。真実を明らかにし、法的な証拠を求める。

スパイ戦争)の論理:「疑わしきは排除する」。生き残るために、リスクを過大に見積もる。

まり、このセリフは「証拠がなくても、3回重なったら攻撃とみなして反撃せよ」という危機管理ヒューリスティック経験則)であり、真実証明するための論理ではないのです。これを現代ネット上の議論や法的な「証拠」として持ち出すこと自体が、文脈無視した誤用と言えます

2. ネット上で「偶然」が「証拠」に見える心理的トリック

ネット上で「偶然の一致」を列挙して「これが証拠だ」とする手法が多く見られるのは、以下の心理学的・統計的現象説明がつきます

アポフェニア(Apophenia):

無作為無意味情報の中から規則性や関連性を見出ししまう知覚作用のことです。陰謀論を信じやすい人は、このパターン認識機能が過剰に働いているという研究結果もあります。​

テキサス狙撃兵の誤謬(Texas sharpshooter fallacy):

納屋の壁に無数に発砲した後で、弾痕が集中している箇所に後から的(マト)を描き、「すごい腕前(意図的命中)」だと主張する論理の誤りです。

ネットという膨大な情報の海(無数の弾痕)があれば、「偶然の一致(弾痕の集中)」は確率的に必ず発生します。そこだけを切り取って提示すれば、あたか意図的計画があったかのように見せかけることが可能です。

3. 結論:仮説と証明混同

ユーザー様の解釈論理的に正当です。「3つの偶然」は、アブダクション(仮説形成)の出発点にはなり得ますが、それ自体インダクション帰納的な証拠)ではありません。

特にビッグデータインターネットのように母数が巨大な環境では、「3回程度の偶然」は日常茶飯事であり、それを意図証明とするのは、ノイズシグナルと誤認する典型的確証バイアスです。

anond:20251204100242

日本では少年漫画の中の刑事が言ってたセリフが有名ですが

「3つ重なったら俺はそれは偶然ではないと考える(確信をもって捜査を始める)」つってるだけで

「3つ重なったら起訴できるし公判維持して有罪確定まで持っていける」とは言ってなかったですし

そういうねじ曲がった受け取り方してる奴もあんま見ない気がしま

偶然が3つ重なったらそれは意図的と考えて良い、というのは探偵小説か何かのセリフだったと思いますが、それって仮説の出発点に過ぎず、証拠は別途必要ですよね?

偶然が3つあるいはそれ以上重なっていること、それ自体証拠であるかのように、誤って解釈されている気がするのですが。

遊戯王は好きだけど全体的にダサいのが気に入らない

OCGは面白いと思うけど、正直言って他のTCGをみると本当に遊戯王は古臭くてダサいなって部分が多い

カードの見た目が古臭い

遊戯王と言えば、上部にモンスター名前属性レベルイラスト効果とくるのはみんな知っているだろう

モンスターは基本茶色で、シンクロエクシーズなどは白・黒といった感じ

それ自体は慣れればいいんだが、ちょっとでもほかのTCGと並べてあると「あーーうん、遊戯王デザインだな」と消極的気持ちになるのは否めない

イラストの枠がかっちりきまっているからか、どうしても窮屈なデザインUI

昔の「ほーむぺーじ」を見ているような感覚がある

あと、全体のバランスがとても悪いんだよな

効果テキストが一番注目されるはずなんだが、ここが全体の3分の1未満の容量しかない

そこに詰め込めるだけ詰め込んでいるからすごく読みづらい

このフォントの大きさは魔法罠や種族文字より小さいからね

何で一番大事な部分が一番読みづらいんだろうか


イラストが棒立ちで背景がつまらない

遊戯王イラストってどんな感じを想像する?

棒立ちのモンスターがぐるぐる背景の前にいる印象だと思う

まあそこまで酷いのは近年は少ないけど、ぶっちゃけまり変わらないと思うよ

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=1&sess=1&pid=1000009535000&rp=99999

例えば最近出たパックのカードイラストを見て欲しい

よくいえば「実家のように安心できる遊戯王イラスト」だね

悪く言えば「証明写真

イラスト自体は綺麗でかっこよいんだよ

でも正直、遊戯王のあの古臭いカードデザインの中に押し込むと途端に「いつもの証明写真」になってしま

もちろん魔法罠はそこまでのっぺりはしていないし、気合を入れているカテゴリーは背景も段違いだ

だけど半数はJ2証明写真みたいに躍動感が足りず面白みが薄い

まあ遊戯王している人はごちゃついたイラストがたぶん好みじゃないってのは確か

フレーバーテキストがダサすぎる

フレーバーテキストってわかる?

カードのどこかにある、効果テキストとは違うモンスターたちの情報を書いたおまけみたいなもの

魔法使いとしては、攻撃力・守備力ともに最高クラス

これは遊戯王でおなじみのブラマジのフレーバーだね

他にはこんなのがある

同志たちの力を得て成長した「竜剣士ラスターP」の姿。

謎の呪いをかけられて竜魔族に似た竜の力を発現しているが、

それ以前の記憶が全て失われており、真相は定かではない。

"竜化の秘法"がその呪い記憶を紐解く鍵だと信じて、

今日も悪の魔王を討つべく旅を続けている。

ネオスペースからやってきた新たなるE・HERO

ネオスペーシアンとコンタクト融合する事で、未知なる力を発揮する!

電撃を操るサイキック戦士

自律増幅器「PSYフレーム」を駆り、セキュリティフォースに強襲を仕掛ける。

その姿は、正に電光石火の如し。


こういうのはストーリーの補完的な意味もあり、実際にフレーバーの中でのみ語られるストーリー存在する

けどさ、ぶっちゃけこいつらを俺は面白いとは全然思わないんだ

理由は単純でモンスター自己紹介文でしかいか

世界観を語ってるとすれば、DT世界クリフォートツール面白いかなと感じ程度

あいった世界観表現するにはフレーバーテキストがうってつけだと思う

だけど、基本的遊戯王って「このモンスターはこういうのです。強いです」的なニュアンスしかない


一言であらわすと手抜きだよな

小学生が書いたような文章しかない

フレーバーテキストってTCGではおなじみだし、別になくてもあってもよいものなんだ

だけど各社は伝統的にフレーバーを入れたがるし、各社がそこそこ工夫をしている

セリフだったり意味深な引用をしていたり

死は労働をやめる理由にはならないかめっちゃ有名だもんな

TCGによっては各パックの中で優秀なフレーバー投票している動画を上げていたりする

それに比べると遊戯王フレーバーテキストって、単純に数が少ない上にほとんどが糞ダサ手抜き文章ばっかりなんだよな

ほんの一握りの世界観を現したフレーバーをみんなでわっしょいしているのが現状

そういうと「遊戯王フレーバー勝負していない」っていう人いると思うけどさ、他のTCG普通にやってることできていないんだから

テキスト説明的なのに冗長

これは本当に感覚的なものなんだが、遊戯王はあのせまいテキスト枠の中でできるだけ効果を詰め込むことに全力を費やしているためか、非常に遊びが少ない

別に遊戯王テキストが分かりづらいとは思わないし、数年前から劇的に良くなっていると感じる

けど逆にいえば似たり寄ったりな説明文を延々と読んでいる感覚に陥る

最近TCG初見でも理解やすいよう開発の段階からテキストの工夫がみられる

色分けして発動条件がはっきりしているのがもはや普通

能力自体カテゴリーごとにつけられているし

けど遊戯王って各カテゴリーごとのフレーバー的なものが本当に感じられない

全部平文で黒い文字だけで表現されているからってのが一番だけど、それにしたって硬い文章に感じる

文章全体に遊びが存在せず、ひたすら強いこと書いてあるだけ

そのわりになぜか冗長なんだよな

総合ルール裏付けられていないか自由律なはずなのに、なんか妙につかみづらい印象がある

このあたりの感覚文章しづらい

遊戯王に慣れた人が他のTCGを見下す傾向があるのは、たぶんこういうテキストの読み込みが得意な古参が生き残ってるせいもあるんじゃないかな?

俺はこんな文章もスラスラいえるんだぜってなんかドヤってそう

ただし俺にとっては他のTCG比較して極端に小さな文字で硬くて冗長文章が並んでいるのはちょっとの子供には厳しいんじゃないかなって思う

[余談]全てが禁止改訂だより

毎回そうなんだが、インフレ意図的に起こして禁止改訂で調整するというスタイルはもう疲れるんだよなあ

調整自体うまいと思う

ぶっちゃけコナミ日銀トップになれば日本経済変わるんじゃね?とはいつも思う

そして毎回思うんだが、禁止改訂理由ってまるでわからないんだよな

全てにおいてユーザーの動向に寄せているから反発がほとんど起きないのだが、じゃあMDとかで禁止されたカードがどういう経緯で禁止になったか、今後どうすべきかとか誰もわからない

俺はMTGもするからMTGの開発日記とか改訂のたびに発せられる言い訳ブログとか読むわけだ

他のTCGだって改訂に対してほんの少しの理由を添えたり、レギュレーション導入においてオキモチ表明していることだってある

でもさ、遊戯王ってそういうのないんだよな

なんていうか、遊戯王の開発側の声ってユーザーにはほとんどわからない

それがどうしたって思うだろうけど、俺としては「もうちょっとなんかないの」と毎回思うわけだ

まあようするに愚痴です

遊戯王ショップに並んでいると時々そこだけ時間が止まって見えることがある

10年前のiPhoneを触ったときみたいなあの感覚

まあそれがいいともいえるけどね

でも本当にUIWindowsXPまりなの、ユーザー側が指摘して欲しいんだよな

新規こねーぞ

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