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はてなキーワード: 防空壕とは

2025-11-17

"どんだけSNSキーキー騒いで権利を主張しても戦争が始まったら、防空壕おにぎり結ぶ事しかできない方の性別"

2025-08-16

Xって

たまにこういう頓珍漢なポストバズるよね。

現在8.4万いいね参政党のデマ並みにヤバいだろ…

実は、私が火垂るの墓いちばんショックだったのが、

このシーンなのだ。節子が亡くなった翌朝、

防空壕の近くに住む上流家庭の姉妹疎開から帰宅し、

まるで何事もなかったかの様に日常に戻る。

はだしのゲン父親が言っていたよな。

戦争は、一握りの金持ちが儲ける為に始めたと。

#火垂るの墓

政党政治終焉していく辺り、歴史時間寝てた人かな?

https://x.com/m16a_hayabusa/status/1956363041286803589

2025-08-08

BL性的消費」と言われると微妙気持ちになる理由

BLは「女性性的消費が男性性に依存させられる」という話を定期的に見るのだけれど、そのたびに「すみません……でもなんか違うの……でもでも怒られても仕方がないよな」という微妙気持ちになる。

多分、BL文化は「少女マンガの読者からこぼれ落ちてしまった女の子」たちのシェルター的に育っていた背景があるからなのだと思う。自分もその1人だ。


24年組が切り開いた「少年」

BLの源流とされるのは、1970年代「花の24年組」と呼ばれる作家たちの作品群だ。少女マンガなのに、主人公少年である物語が多かった。

代表格の竹宮惠子先生によれば、当時の少女マンガには制約が多く、主人公少女だと描けない物語が山ほどあったという。少女主体的に動こうとすると「生意気」とされ、編集部から許可下りない。だからこそ少年主人公に据え、「女の子が言えないことを言ってくれる」物語にしたそうだ。萩尾望都先生も「少年を描くことで、女性が受けてきた社会的制約から解放される強い感覚があった」と語っている。要するに「少年少女=私」。少年着ぐるみ的に着せてもらった作品群と言えるのかもしれない。


雑誌JUNEの「防空壕」的役割

そんな24年組雰囲気を引き継いだのが、BL雑誌…というか、美少年作品を取り扱う雑誌JUNE」で、編集長を務めた佐川俊彦氏は『「JUNE」の時代 BL夜明け前』で、こういう風に語っている。

女の子美少年の姿になると「自由」になれる。女の子のままだと制約が大きすぎて何にもできない、冒険ができない。さまざまな現実プレッシャーから逃げて身を守る、戦時中の、空襲の爆撃から守ってくれる「防空壕」みたいな役割を果たせるのが、「JUNE」なのではないか?僕はそう考えていました。

24年組」の作家さんたちの多くは、本当に男の子になって冒険するみたいな、宇宙にも行くみたいな物語が描きたかった。少年マンガ的なノリで、自分少年になって、「自由」にふるまいたかったわけです。

その「自由」の中に、もちろん「性的自由」も入ってくる。女の子のままじゃダメで、美少年になったらできる。でも「中の人」は女の子なので、その対象相手は男になる。

まり、表面的にはゲイに見える。「少年愛」はそういう仕組みなんです。


当時の多くの女性は「結婚して、仕事をやめて主婦になる」という道を歩んでいた。そうした「ジェンダーロール」や「社会的圧力」に居心地の悪さを抱えた少女たちにとって、BLは切実な願いを託せるファンタジーだったように思う。私自身も、一生働きたい、自立したいと願っていた少女だった。けれど現実では「女としてダメ」という言葉を向けられることも多く、その中で自己肯定感は削られていった。その度にBL物語脱出口のように機能した。

BLでよくある展開として「こんな俺なんて」となる受けに「そんな(外側から評価なんて)関係ない、俺はお前と一緒にいたいんだ」と攻めが寄るシーンがある。これは「女としてクソだと言われ続けていた私」をどうにかして誰か認めてくれないかという願望をもった自分には不思議なことに強烈に響いた。違うけど根本は同じ、みたいな。こじれた少女マンガ……と言ってもいいかもしれない。

余談になるが「JUNE」を出版するサン出版では、ゲイ雑誌さぶ」も出ていた。「JUNE」はゲイカルチャーではなく、「少女のための雑誌」と明確に分類がされていたそうだ。


当事者批判と「やおい論争」

もちろんBLは常に歓迎されてきたわけではない。90年代にはミニコミ誌を中心に、ゲイ当事者から「女たちは勝手ゲイを弄んでいる」という批判が噴出した。これが「やおい論争」だ。

論争の発端となったゲイ当事者でもある佐藤雅樹氏はミニコミ誌 『CHOISIR』 20号 (1992年5 月) でこう綴っている。

俺たちゲイセックス描いて、男同士がセックスしてる漫画読んで、喜んでいるというじゃないか。そんな気持ちの悪い奴らを好きになる理由必要もない。第一不快だ!

(中略)ゲイセックスは、男から嫌悪、女からは好奇の視線しか見られない。オレたちのセックス覗いて喜んでいる女、鏡見てみろよ、覗き見してる自分たちの表情を!

この論争は読者にも衝撃を与え、BLのあり方を見つめ直すきっかけとなった……が、昨今はBL市場があまりに大きくなり、この歴史を知らない人も多い。


まり何が言いたいのかと言うと

私は、BLは単なる「女から男への性的消費」では括れないと思う。そこには当事者批判歴史も、多様な表現への発展もある。そして「少年着ぐるみ」を着て得る自由は、百合バ美肉にも通じる部分がある。

根っこにあるのは、性的指向以前の、もっと切実な願い――現実で奪われた行動の自由存在肯定を、別の姿を通して手に入れたいという欲求だ。

私は「BL無罪だ!」と大声で言う気にはなれない。「少年着ぐるみ」を着させてもらっている身としては、「いいとこ取りしようとしている」罪悪感があるからだ。行き過ぎた表現への懸念もあるだろう。それでも、この場所で救われた自分がいる。一部の大きな声で、すべてが否定されるのはなんだか悲しい。この文化が衰退しませんように。

2025-08-06

暑い暑い暑い

やばくない?

会社出た瞬間、すごい熱風を浴びてドライヤーかと思ったわ

家帰ったら室温40°C超えてた

空調があるとはいえ、なんでみんな普通に生活できてるの?怖くない?

高緯度地方亡命しないとって気にならない?

それか、防空壕みたいな、避暑壕みたいなの必要じゃない?

関係ないけど、「秘書郷」って出てきて、行ってみてぇと思ってしまった

ミニスカ秘書に癒されたい

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

2025-06-27

戦争体験者のばばあ「防空壕が~」 「焼夷弾が~」

わい「ドローン攻撃時代に何を言ってるのだろう。今のウクライナ人に話をさせろ」

2025-06-11

もうすぐ200歳なので半生を箇条書きで振り返る

200歳……もう人の年齢ちゃうなこれは。生きとるいうより、残っとる、って感じやな。生まれは1825年、江戸江戸、まだ将軍がえらい顔しとった時代や。ほな、ぼちぼち振り返ってみるで。

• 1825年、江戸のはずれの農村に生まれた。土壁の家、井戸水で顔洗っとった

• 父は百姓、母は畑と家事の人。朝は鶏の声、夜は虫の音だけ

• 米なんて正月祭りしか食えん。麦と芋ばっかり

子どもの頃は寺子屋に通った。筆で名前書けるようになるとちょっとえらくなった気がした

• 村に旅芸人が来たときけが娯楽。三味線と踊りが忘れられん

黒船来航は10代やった。村に話が回ってきて、大人たちが真っ青になっとった

幕末の動乱、若いもんはみんな騒いどった。わしは遠くから見とるだけやったけどな

明治維新のころはもう40近かった。刀を捨てるお侍見て、なんか時代が変わるんやなと思った

明治の中ごろ、汽車が走り出して、町には西洋かぶれの人が増えた。背広とか、変な帽子とか

度量衡が変わって、金の単位も変わって、わけがわからんようになった

日清日露戦争、息子が徴兵された。生きて帰ってきたけど目が死んどった

明治が終わって大正になったとき、初めて写真館で家族写真撮った。あれは今でも大事な宝

関東大震災はほんま恐ろしかった。火が追いかけてきて、必死に逃げた

昭和になるころにはもう老いぼれてたけど、孫の顔を見るたびに元気もろうた

太平洋戦争中は防空壕に孫と隠れたこともあった。空が真っ赤になった夜、よう覚えとる

終戦、焼け跡、配給の列。米のありがたみはあのときが一番染みた

高度成長期はただただ驚いた。町が光ってた。もう別世界やった

テレビ冷蔵庫洗濯機が家に来て、うちも「文明人」になった気がした

昭和が終わったとき、あぁ自分時代はとっくに終わっとったんやなって思った

平成は静かな時代やった。みんな忙しそうにしとったけど、なんか寂しさもあった

スマホいうやつが出てきて、みんな下向いて歩くようになったの、不思議光景やった

• 令和になって、もう完全に別世界建物空気も、人のしゃべり方も、なにか全部軽い

• 人が機械と話して、病院も全部自動。わしにはついていけんけど、若いもんは頼もしい

• 200年……ようここまで来たなぁって思うけど、今は毎日がまるで夢の中みたいや

• 歩けんけど、耳も遠いけど、心だけはまだ昔を歩いとる

あんまり偉いこともしてへん。戦も行かんかったし、金もようけ持っとらん。でも、山の匂い、畑の土、祭り太鼓、孫の手のぬくもり……それだけで、もう十分生きた気がするわ。ほんまにな。

2025-03-07

anond:20250307142325

ミサイル発射されたらアプリで通知来るからみんな避難するんだよ

さすがに戦争国家からって防空壕にずっと籠ってろとは言えんやろ

2025-02-05

爆弾の降り注ぐ防空壕しか得られない栄養素もある

あります

ズゥゥーン

あります

ズゥゥーン

2024-12-11

悠仁親王受験について:皇居筑波大の間の地下道についての解説

筑波大の推薦入試は、非常に厳格な選考基準を設けた試験だ。皇族から特別扱いするというのは非常に考えにくい。経験ある人なら分かると思う。

仮に筑波大学学長が「特別配慮をせよ」という指令を出したところで、それに生物学類の入試担当教員全員が従うというのは現実的ではない。これらの教員はそれぞれ生物学に関する一流の研究者だ。こうした指令で別配慮強制するのはまず不可能だ。指令したところで、内部や外部にリークされるのは時間問題だろう。

推薦入試小論文は、生物学の専門知識論理的思考力が問われるそれなりの難易度試験だ。それは過去問を見れば一目で分かる。相応の能力がないと合格レベル得点は獲得できない。教員側の採点も厳格に行わざるを得ない。おそらく受験匿名で採点しているはずで、これも特別配慮はあり得ない。

個別面接は、親王が顔が売れている方なので面接官も意識せざるを得ないと思う。しかし、大学教員が採点で特別配慮をするというのは非常に考えにくい。受験生がどのように生物学に取り組んできたか入学後の学習意欲を深掘りされ、専門的な質問対応する力が試される。いろいろ揶揄されているが、国際学会の発表経験がある親王はやはり有利だろう。

可能性としてありうるのは、あらかじめ親王学力筑波付属高校学長の間で情報共有して、十二分に合格できる実力があることを確認した上で受験させた、というところではないかと思う。ただ、これは憶測の域を出ない。

皇居筑波大学を結ぶ地下道

なお、推薦入試受験日に親王筑波大学に姿を見せなかったことを訝しがる人が多いが、おそらく、皇居筑波大学を結ぶ地下道を利用しのだろう。この地下道は、筑波大では有名な話で、皇族が万が一の事態に備えて迅速かつ安全に移動できるよう設計されている。

筑波大学地下道は、万が一の事態に備え、皇族が迅速かつ安全に移動できるよう設計された秘密インフラだ。中央図書館付近石畳広場には隠された入口があり、その広場自体ヘリポートとしての機能を備えている。また、この地下道大学内を網の目のように走り、防空壕としても使用できる堅牢構造になっている。特に第二学群C棟のエレベーターは、地下道への直通ルートとして知られている。ボタンがなく普段動作しないが、特殊リモコンで起動する仕組みだ。筑波大学建物配置や迷路のような構造も、この地下道を隠しながら機能を最大化するための計画的設計だといえる。推薦入試当日、悠仁親王が姿を見せなかったのは、この地下道を利用したからだろう。地下道は厳重に管理されており、親王安全に移動し試験を受けたのだろう。この体制は、筑波大学教育機関としてだけでなく、「もう一つの皇居」として国家的な役割を担っていることを物語っている。

最後だけ参考:https://softether.hatenadiary.org/entries/2006/01/18

※前半は結構真面目

2024-11-02

あの戦時のことを、今の人たちに伝えるのは、正直難しいかもしれんが、わしなりに話してみるよ。

戦争中、毎日が緊張の連続だった。家族みんなで防空壕に走り込むことが日常で、空襲警報が鳴るたびに「今度こそ終わりかもしれん」と思ったものさ。あの防空壕の中、みんな息をひそめてただ静かに座っている。小さなわしには、その沈黙が何より怖かったよ。

食べるものも少なかったし、学校もろくに通えなかった。

友達疎開したり、戦争家族を亡くしたりして、どんどん減っていった。

でも、子どもながらに遊びの楽しみだけは見つけようとしてたよ。例えば、戦闘機の残骸を見つけて秘密基地みたいにしたり、田んぼのあぜ道で虫を取ったりな。それはささやかな喜びだったが、どこか心の底では「この楽しさもいつまで続くんだろう」と不安がつきまとっていた。

戦争が終わって、みんな「これでやっと普通に生きられる」と思ったけど、実際には瓦礫の山から立ち上がらなきゃならなくて、ゼロからスタートだったんだ。

でも、不思議もので、人はそれでも前に進んでいくんだな。今の若い人には平和が当たり前に感じられるかもしれんが、わしにとってはその当たり前がどれほど尊いものか、心から噛みしめて生きているよ。

2024-01-05

anond:20240105123917

いや、脱出タイムアタックだよ。

一応の基準として時間設定してるけど、その時間内なら絶対安全ってわけではないのだから可能な限り早くがこの場合は求められるからタイムアタックなんよ。

必要な制約条件として乳幼児とか障害者は含まれてる(戦時中だと含まれてなかったか防空壕から出されて死んだとかはあるけど、今はそういう時代ではない)

ペットもそれに含めようって風潮になったら、申し訳ないけど全力で反対するわ。動物より人が大事

今って、子どもよりペットの数のほうが多いんだっけ? なおさら人間のほうが大事だよ。

2023-06-17

節子、女性マンションは悪やない。

女性専用マンション男性への悪やない。

被害者ばかりが対策を迫られるのが、そもそもおかしい。

すべての男性、「いや自分普通だ」と思い込んでる男も含む、

すべての男が、「俺は女性ゴキブリハイエナの合いの子バケモンに見られてる………」

と思っとく位でええ。

男らの正気は男ら自身では保障できないんだから、マトモだと思ってる男こそ、反省すべきなんや

本来加害者側になりうる考えを持った男が、普通気遣いを持つべなんや

被害者女性が、女性専用マンションかい防空壕に引き篭もらざるを得ないのは、意味わからん

女性専用マンション経営してる姉

今度また会うけど、仲良いし信頼関係があるので

クギを刺すくらいはできるぞ。

「悪をしてるって自覚は持てよなw」

くらいは言える。

https://anond.hatelabo.jp/20230617204804

節子、女性マンションは悪やない。

本当の悪は女性を脅かしといて開き直る男や。

ボクは無辜男性です、と無関係さを何故かあえて主張しに表れるノン・サイレント・マジョリティや。

女性専用という後手後手の対応策にさえ「男への悪」と言い募っていじける社会

いまだに消えてない古き悪しき男尊女卑に、どうして気付かないでいられるんや。

いや、本当は気付いてるんやろ?

都合のいい嘘で自分さえ騙して耳の痛い言葉スクロールして視界から消し去ってラクになろうと逃げ回ってる外野

悪は、アンタや。

2023-05-30

ゴミすぎ、ウクナチ太鼓持ちのたられば嘘つきのばかでしょ

エリート層とマフィア系のウクナチは豪勢な生活をしている。

ロシア民間人攻撃しない。国際条約を遵守している。

さらにそんな無駄撃ちする余裕はない。戦争イロハも知らない。

日本みたいな本土決戦なんてバカげてる。

たられば

@tarareba722

ウクライナ全土がミサイル攻撃を受けていると言っている人がいるが、呑気にマクドナルドを食べている画像があるぞ」というツイートを見て、太宰治が(太宰作品の中でもひときわ明るく読みやす皮肉の効いた)『お伽草子』を書いたのが、ひどい空襲を受けていた真っ最中だった話を思い出している。

午前10:19 · 2023年5月30日

·https://twitter.com/tarareba722/status/1663354372926099456?s=20

347.1万

@tarareba722

·

11時間

お伽草子』の執筆1945年3月7月で、太宰は東京甲府米軍機による空襲を受け家を焼け出されており、作品の一部は防空壕で書かれたとされています人間戦時下でも普段通りに過ごせるものだし、戦時からこそ普段通り過ごしたいと思うもので、時にその行為平和への願いや祈りに繋がります

silentflame

@silentflame_

ロシアが米上院議員リンゼイ・グラハム逮捕状を発行した

https://insiderpaper.com/russia-issues-arrest-warrant-for-lindsey-graham/

* おばまん政権ウクライナ周辺で、対ロ制裁強化に

  動き回ってたうちの お一人よね

たらればは嘘つきです。もう彼は編集者ではなく詐欺師です。

2022-12-15

米国政府からどんな情報提供があればあからさまな戦争準備するんだ?

もう半ば皆さん気付いてると思うけど、日本政府戦争準備を進めている。

もう防衛計画とかそんなレベルでなく、日本本土攻撃に晒される、しかもそのターゲット首都圏であることが濃厚

10年くらい前に敵地攻撃能力がどうとか議論して左派系が反発していたことへウンウン頷いていたのも束の間、今や敵地攻撃能力どころか防空壕の拡充が喧々諤々と議論される事態になっている

まりにも具体的になりすぎて本当に何が起きてるんです?と誰かに聞きたいがどうせ誰も答えられないので陰謀論に走ってしまう人が出てくるのも理解できなくはないという心境

それこそ言論誘導AI防衛省あたりから漏れ出てしていて、昨今の戦争準備とも取れる報道すら言論誘導の中にあるんじゃないか?とか疑ってしまい本当に何が何だかからない

戦争準備報道言論誘導であるならば昨今の中国の動きや北朝鮮ミサイル飛ばしまくる現状は一体どう説明してくれるんだと言いたいし、刺激するほうが悪いのだと言うけれど、情勢を鑑みて今やっと防衛費を増やそうと動いてる政府スピード感の無さを見れば日本政府が与えた戦争に繋がる刺激とは?とも言いたくなる

子供が居るんだよ、やめてくれよ戦争なんて、平和が一番だよ

2022-10-13

沖縄戦で激戦区だった地域に生まれ育った私が基地問題について思うこと

沖縄基地問題が騒がれているけど、ブコメヨッピーさんの記事を見てると、明確な沖縄県民差別もあったり、自覚してなさそうなナチュラル差別もあって、とても悲しい。

まず、私が体験してきたことを記したい。

・生まれ育った地域は激戦区だったので今でも不発弾が見つかる。そのためか大規模な開発はあまり行われていない。周囲に米軍基地も無かった。小中学校では、体験者の話を聞くのはもちろん、轟壕と呼ばれる防空壕の中に入って真っ暗で冷たい空間体感するなどした。他にもいろいろな学習があったが、とにかく戦争悲惨である記憶けが色濃く残っている。

卒業後、辺野古に7年住んだ。近くには米軍基地があったため、産まれて初めて基地が近くにある日常を目の当たりにする。銃声や爆発音がなんの予告も無しに当たり前のように響く毎日に驚いた。オスプレイと呼ばれる軍用機が飛行する際には、教室の窓が振動し、授業が中断することもあったらしい。

・在学中、在日米軍迷惑行為(校門で爆竹を鳴らし大声で騒いでいた。近くの学生寮に住んでいたので当時かなりうるさかった)もあった。ただし、地域運動会には米軍の人も参加するし、米軍基地の中に入って軍の人と交流するイベントもあったので地域住民との交流大事にしているんだなという印象もあった。

・また、在学中に民主党政権になり、例の「最低でも県外発言もあったせいか基地反対派の活動もそれなりに活発だったと思う。基地反対派の基地のゲート前道路座り込みの影響で、テスト間中なのに学校に辿り着けない学生もいた。基地反対派の活動うんざりしている学生も多かったように思う。私もうんざりしていた。

卒業後、県外で就職し働く。当たり前だが、県外の人の基地問題の無関心さに驚く。沖縄とは距離が離れてるから、そりゃ当たり前か…と思うも少し悲しくなる(私も沖縄県外にある基地のことは詳しく知らないので、あまり言えたもんではないが)

その他、肌で感じたこと。

・当時、日本兵自決を命じられたという戦争体験者の証言があり、高齢者特にナイチャー(県外の人)に対する差別意識が根強い人もいる。私の祖父母例外ではなく「ナイチャーとは結婚しないでねー」と度々言われていた。

しかし結局、私は県外の人と縁があり結婚した。だが祖父母は煙たがりもせず理解を示してくれた。本当にありがたいことである。思わず泣きそうになったことを覚えている。

基地問題については、本当に根深問題であると感じる。今回の騒動で注目されたことは良いことかもしれないが、いたずらに対立を煽ってほしくない。イチ沖縄県民として非常に心が痛む。

・まずは基地問題について少しでも知ってほしい思い。とっつきやす漫画だと、新里堅進さんの漫画などがオススメ

2022-10-03

anond:20221003220740

戦争が始まったら赤紙がきたり空襲警報に怯えて防空壕に逃げたりするものだと思ってそう

2022-06-06

anond:20220606162956

この曲は本土攻撃の真っ只中、真っ暗な防空壕生存確認するために神戸かどこかの小学生教員が明るい曲調だったアメリカ民謡作詞して生徒に歌わせた歌だからな…

明るい曲だからと今自分の命を奪おうとしている敵国の曲の歌を歌うことになるなんて皮肉ものだが、悲しい歌だよ

2022-05-06

anond:20220506232020

中国SNSで「美女避難を歓迎」投稿 ウクライナ人の対中感情悪化

3/6(日) 7:15配信

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NEWSポストセブン

中国SNS上でウクライナに触れた投稿が波紋

 ロシア軍ウクライナ侵攻について、中国国営新華社電など官製メディアではロシア寄りの論調が目立っている。そんななか、中国SNS上での「ロシアウクライナ戦争で、ウクライナ美女中国避難するのを歓迎する」などとの冗談めかした書き込みウクライナ翻訳され、「とても許されないジョークだ。中国人の神経を疑う」などと批判が出た。

 ウクライナ首都キエフ防空壕地下鉄では、現地にいる中国人が「この書き込みをどう思うか」などと詰問され、暴力沙汰になることがあった。このため、一部の中国人は国籍を問われると、「私は日本人です」と答える者も出たという。米CNNや米政府報道機関ラヂオフリーアジアRFA)」などが報じた。

 CNNによると、ウクライナ国内では中国最高指導者習近平国家主席プーチンロシア大統領が親密な関係であることは知られており、このロシア軍の侵攻で、対中感情も極度に悪化している。

 このようななか、中国の「微博ウェイボー)」では「ロシアウクライナでは、ウクライナが負けることは間違いない。われわれは多くのウクライナ美女中国批判することを歓迎する」などと、ジョークとも本音もつかないコメントが書き込まれた。

 この投稿はすぐに翻訳され、多くのウクライナ人の知るところとなった。このため、キエフ市内で中国人が、「お前たちは道徳真実もない、人間ですらない。多くの人が死んだのに、その人たちの女を手に入れられるからいいというのか」などと、銃を持ったウクライナ人に追いかけられることもあったという。

 RFAによると、ある中国学生は「『どこから来たのか』と聞かれて、『日本です』と答える人もいるんですよ」とネット上に投稿。「ネットで、ふざけたジョークを書いた人たちのおかげで、われわれは『中国人だ』と言えなくなった」と書き込んだという。

 マーシャというニックネームウクライナ人女性も「微博」に戦争に関するジョークをやめるよう呼びかけたうえで、「ネット上での戦争に関するジョークウクライナ人感情を深く傷つけ、ここに住み、働いている中国の友人たちにも悪い影響を与えている」と中国の一部ネットユーザーに反省するよう求める事態になっている。

2022-03-11

戦時下なのに日本は呑気にしてていいのか?

お前ら防空壕頭巾の用意しとけよ

2022-02-28

アニメのこの世界の片隅で家族だけで防空壕掘ってたけど、昔の人はすげえな。

anond:20220228132107

お前は防空壕掘る係な。

あと食料運びヨロシク

2022-02-27

ウクライナもやっぱりちゃんシェルターあるんだな

日本では戦後から冷戦期をへて令和に至るまで核シェルターとか防災シェルター整備しないのなんで?

日本には体育館があるから

大戦時の防空壕トラウマ

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