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はてなキーワード: 空虚とは

2024-12-09

anond:20241209120213

佐渡には何も無い。

あるべき筈はないという事は、なんぼ愚かな私にでも、わかっていた。

けれども、来て見ないうちは、気がかりなのだ

見物の心理とは、そんなものではなかろうか。

大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかも知れない。

見てしまった空虚、見なかった焦躁不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。

佐渡 太宰治

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/317_15067.html

2024-12-05

「30代、引きこもり実家暮らし」の問題を考える

家の中で息を潜め、時間が静かに流れる日々。そこに、何があるのだろう。


見失われた自己未来

引きこもり、30代、男性実家暮らし」という状況は、単なるライフスタイルの一形態ではなく、現代日本が抱える深い闇の縮図だ。この状態にある多くの人は、社会との繋がりや自立の道を見失い、自分自身存在意義に迷う。時間は止まらないが、彼らの心は宙ぶらりんのまま。それが持つ社会的、心理的な重さは計り知れない。


社会構造問題個人葛藤

一体なぜ、こうした状態に至るのか。その理由は複雑だ。社会競争が激化し、成功と失敗の二分化が進む中で、「普通」の人生を送ることがますます難しくなっている。それに加え、実家という安全地帯存在が、彼らの自立への一歩を鈍らせている。一方、本人たちは怠けているわけではない。心の中では自分を責め、変わりたいと思っているのに、その一歩を踏み出せないのだ。誰かがその葛藤を解きほぐしてくれるわけではない。


一日の中の孤独

朝、目覚めてもすることがない。家族仕事学校へ出かけると、静まり返る家の中で一人きり。インターネットテレビ友達代わりになり、時間空虚に過ぎる。親が帰宅すれば一瞬の交流があるが、ほとんどは表面的な会話だけ。両親の年齢が上がるにつれて、彼らの不安心配も見えてくる。だけど、動けない。何をどう始めればいいのか、わからない。自分が何をしたいのかさえ、見えない。


変化を起こす勇気支援

この状態を変えるには、本人が勇気を持って一歩を踏み出すことが不可欠だが、それは並大抵の努力ではない。だからこそ、周囲の理解支援必要だ。引きこもり社会問題である以上、それを解決するのも社会全体の責任だ。彼らの未来はまだ閉ざされていない。その扉を開ける鍵は、彼ら自身と、彼らを支える我々の手の中にある。

2024-12-04

anond:20241204012608

宇宙も、人生も、すべては空虚投影にすぎぬ

苦難も享楽も生死もすべて刹那の夢に等しいと捉えるべし

我々が感ずるすべては、燐光せし無限階層の夢の膜が融食するときに生じる手触りのようなもの

2024-12-03

過去呪縛から一歩前へ―妻へのプレゼントに込めた想い

この投稿は、私が過去孤独葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います

新興宗教支配された子ども時代

私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界ほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想信者像」が詰まっていました。

親の支配絶対的でした。同じ新興宗教信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいかからず、彼らと共有すべき話題感情ニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。

学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。

凍った川の上を歩くような人生

それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています

ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教支配された青年が、自作の銃で元総理暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生自分人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。

そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています

感情の欠落と模索する日々

この生い立ちの影響で、私は他人感情理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情共感皮肉ユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。

その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます他人自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています

妻への気づきPCプレゼント

そんな中、Chat-GPT活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ち希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPC自作し、自分趣味に没頭する一方で、妻のための趣味PCを一度も用意したことがなかったのです。

思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログ作品SNS投稿して多くの反響を得てきました。

Buzzることも多く、その活動彼女生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTube動画を見たり、SNS交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。

にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPC押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPC自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味PCプレゼントすることを決めました。

私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通金銭感覚を持つ妻に家計管理してもらっています。この方法により、私たち生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められていますお小遣いあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。

限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeSNSデジタルペインソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニター複数接続することも可能です。

さらに、妻の絵を描く趣味支援するため、私はClipStudioの永久ライセンス譲渡してPCインストールしました。この永久ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間わたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動アナログに近く、プロイラストレーター趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。

メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。

妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進たかったのです。

未来を選び続けるために

Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手立場で考える方法試行錯誤しています。これは、私のように他人感情感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています

それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もありますAIが教えてくれる「一般的感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。

私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。

私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています

夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています

夜明け前の夜は最も暗い」。この言葉を信じて、私はこれからも歩み続けます

過去呪縛から一歩前へ―妻へのプレゼントに込めた想い

この投稿は、私が過去孤独葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います

新興宗教支配された子ども時代

私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界ほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想信者像」が詰まっていました。

親の支配絶対的でした。同じ新興宗教信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいかからず、彼らと共有すべき話題感情ニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。

学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。

凍った川の上を歩くような人生

それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています

ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教支配された青年が、自作の銃で元総理暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生自分人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。

そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています

感情の欠落と模索する日々

この生い立ちの影響で、私は他人感情理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情共感皮肉ユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。

その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます他人自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています

妻への気づきPCプレゼント

そんな中、Chat-GPT活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ち希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPC自作し、自分趣味に没頭する一方で、妻のための趣味PCを一度も用意したことがなかったのです。

思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログ作品SNS投稿して多くの反響を得てきました。

Buzzることも多く、その活動彼女生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTube動画を見たり、SNS交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。

にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPC押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPC自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味PCプレゼントすることを決めました。

私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通金銭感覚を持つ妻に家計管理してもらっています。この方法により、私たち生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められていますお小遣いあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。

限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeSNSデジタルペインソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニター複数接続することも可能です。

さらに、妻の絵を描く趣味支援するため、私はClipStudioの永久ライセンス譲渡してPCインストールしました。この永久ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間わたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動アナログに近く、プロイラストレーター趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。

メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。

妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進たかったのです。

未来を選び続けるために

Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手立場で考える方法試行錯誤しています。これは、私のように他人感情感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています

それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もありますAIが教えてくれる「一般的感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。

私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。

私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています

夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています

夜明け前の夜は最も暗い」。この言葉を信じて、私はこれからも歩み続けます

anond:20241203175245

空虚を埋めてたスカスカの風船がなくなって、真の空虚が現れてるんだから

真実には近付いているよ。

真実不快なもんだが。

2024-11-23

自分史上最低のラブコメ漫画家ジャンプに帰還

このタイトルでどの漫画家を思い浮かべるかは人それぞれと思います

私史上最低のラブコメ漫画家は「ぼくたちは勉強ができない」の筒井大志先生です。

筒井先生は今週のジャンプシドクラフトの最終推理という連載を開始しました。

相変わらず魅力的な絵で話も評判がよくきっと長期連載になるのでしょう。

ただ私にとっては今もぼくたちは勉強ができない先生なのでこれを書きました。

これは個人的な恨みですがこの作者の漫画を読んだから抱く恨みです。

作者の元ファンの一人として綴ります

なぜ最低なのか

話がつまらいから最低なのではありません。

筒井先生ぼくたちは勉強ができないという漫画を描いていました。

週刊少年ジャンプで5人のヒロインマルチエンドを実装したということで一時期話題になりましたのでご存知の方もいるかもしれません。

この評判は必ずしもいいものばかりではありませんでした。ですがそれは最低な理由ではありません。

ジャンプには星の数ほど打ち切られた作品がありますから話の面白さでいえばそれらより上でしょう。

筒井先生が最低なのはキャラクターサプライズのための前座道化扱いして、ファン地獄に叩き落としたから。これに尽きます

具体的にはサプライズ演出するためにそのキャラを掘り下げた長編話を書かなかったことと、作品の終わりかのように演出したうえでラストを次のヒロインへの踏み台したことを指します。

前座扱いされたのは武元うるかというキャラです。

彼女は昔から主人公のことが好きな元気系の幼馴染系のキャラで、いわゆる負けヒロインと呼ばれるタイプキャラでした。

ぼく勉には彼女を含めて5人のヒロインがいますうるか以外のヒロイン過去トラウマ主人公の力を借りて乗り越えるというそれぞれの掘り下げをした長編がありましたが、うるかにそれはありませんでした。

長編がないまま連載が続いていき、話は佳境を迎えて主人公視点の話が多くなり、主人公の掘り下げが進みました。それからラストに向けて色々あって主人公うるか告白しました。したがってここに至っても彼女長編はありませんでした。

これ自体はこれで作品自体が終わるのであれば、今までと主人公ヒロイン立場が逆転するというある種王道な展開になりますので、そういった構造でしたらありかと思います

しか現実にはこのように話は続くことになりました。

https://i.imgur.com/j9weYzw.jpeg

https://i.imgur.com/i4udZqB.png

集英社 週刊少年ジャンプ 2020年15号 ぼくたちは勉強ができない問150 作者:筒井大志 より)

上記うるかルートとされている話の最終ページとその後のパラレルストーリーの告知です。

「君の笑顔のその先に――」とあるように、ここでは最終ページであるにも関わらず、うるかではなくうるか以外のヒロイン存在に焦点を当てています。(ぼく勉において花火ルート分岐の起点であるため)

うるかルートの終わりにあえて他のヒロイン存在に焦点を当てているわけですから、他のヒロイン前座扱いにするための演出という以外に解釈余地はありません。

武元うるかというキャラクターの恋が実った瞬間、それを取り上げ台無しにする。

この瞬間の気持ちを例える言葉を私は持ちません。きっと私だけではないでしょう。

上記のような扱いによって私の好きなキャラクター前座道化扱いにされました。

このような扱いとなった理由は話の良し悪しではなく、作者の哲学問題です。

話の良し悪し、すなわち実力不足は出来るか出来ないか問題です。出来ないことは仕方がありません。

誰もが面白い話を作ろうと思って結果的につまらなくなってしまうだけですから、それを責めることはできません。

ですが扱いを変えるのはやるかやらないか問題です。キャラクター間で扱いを変えるのは意図しなければそうなりません。ファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それを意図してやったのです。

例えば作中のキャラクター言動を以って作者の人格否定するのは誤りです。それは作者の思想を反映したものとは限りません。

ですが作品内容以外でのキャラクターの扱いは作者本人の判断によるものです。それは作者が決断したものであり、筒井先生哲学を反映したものです。

哲学問題であるからこそそれが変わることはありません。作者にとって改善すべきものではないからです。

また同じことを繰り返し、また同じように一人のキャラ犠牲にされるでしょう。

作者にとってはそれが正しく、また書きたいことなのですから

もっとも、キャラクターに損をさせることやファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それ自体がやりたいことではないのだろうと私は信じています

単に筒井先生は多くの人を幸せにしようと思ってそうしているだけなのです。

想像力がなく無神経なのでその行為でそのキャラクター好きな人間がどう思うかわかっていないというわけでもないでしょう。一般的感覚がわからない人間は人気漫画を書けません。

自分の行動がどういう感情を与えるのか理解した上で、そのファンを切り捨ててでも自分の我を通しているのです。これが一番多くの読者を幸せにできると信じているのです。

武元うるかというキャラクターと、それによって踏みにじられるファン気持ち犠牲にして、より多くの読者を幸せにしているのです。

うるかが報われることで気落ちしたより多くの読者をサプライズの発表で盛り上げるために、あえてひた隠しにしていたのです。それでうるかが好きな読者が傷つくことも、どれほど深く傷つけるのかということも知りながら。

実際、筒井先生は連載終了後に送られた、お疲れ様リプライ原則全て返信していました。「ぼく勉は物語ではなく設定集だ」という、筒井先生リプライしたわけでもない一読者の批判的な呟きにもわざわざエゴサして「勉強になります!」と返していました。

しかしながらお疲れ様という言葉と合わせて武元うるかの扱いが悲しいという趣旨のことが含まれたいくつものリプライには一切反応を示しませんでした。切り捨てた後ですから丁寧に扱う必要はないと思っていることの証左でしょう。

現に筒井先生批判的な感想を呟いたアカウントミュートしています

連載終了以前にうるかの扱いへ不満をこぼしていた方がいました。筒井先生リプライしたわけではなく、単に呟いていただけです。

その方は連載が終わったときにはお疲れ様という趣旨のことだけを筒井先生リプライしてましたが、それへの返信もいいねもありませんでした。不満を呟いていたときとはアイコンID名前も変わっていましたから、ミュートしていなければ返信していたはずです。

筒井先生はご自身の取り組みについて色々な意見があるとおっしゃっていましたが、色々な意見があることは知っていても批判的な意見を見る気はないのでしょう。

こうした扱いに耐えかねて、実際にXでアカウントを消してしまった方も多くいました。

ぼく勉の感想を熱心に呟いていた方、うるかの可愛らしい絵を描いていた方、うるかへの大きな愛を語っていた方。色々な方がいましたが、筒井先生の行いによって嘆き悲しみ、アカウントを消してしまいました。

もちろんアカウントは消さずに悲しみと怒りを吐き出した方もいます。そしてこうした行動に移した方々よりも黙って傷ついた方々のほうがずっと多いのは言うまでもありません。

サプライズのために平気でファン地獄に叩き落す。今まで支えてきたファンを平気で切り捨てる。

人の気持ちを大切に扱うべき恋愛漫画で人の気持ちを雑に扱う。それでいて描くべきことを描いたと胸を張る。

から筒井先生は最低のラブコメ漫画家なのです。

おまけ

上記のとおり武元うるかという女の子筒井先生によって犠牲にされました。

犠牲にした後、使い終わった後の扱いは更に象徴的です。

作者本人がヒロイン5人は平等だ。並列だと言っているにも関わらず、その扱いには露骨格差があります

些末な話ですが例をあげていきます

ジャンプではセンターカラーとき扉絵が書かれます。各ヒロイン単独扉絵うるか以外のヒロインは2回以上、少なくとも1回はありました。うるかは1回もありません。

単行本の表紙も同様です。次のURLを見るとわかりますが、うるかを除いた各ヒロイン単独の表紙は2回ありますうるかは1回もありません。(褐色の子が武元うるかです)

https://www.shueisha.co.jp/books/search/search.html?seriesid=37225

18巻以降はモチーフイラストと称して各ヒロインモチーフとなったおとぎ話アレンジした表紙にしています。素敵なイラストですね。

うるかの分は作者個人のXと作者個人YouTubeチャンネルで公開されました。ジャンプでの連載が終了してから2ヶ月、パラレルが発表されてからは1年経ってからのことです。

ジャンプの本誌や増刊にはそのイラストどころかその情報すら載ったことはありません。ジャンプ公式Xでもぼく勉の公式XでもRPなどで宣伝されることはありませんでした。ぼく勉の単行本にすらその情報はありません。

このイラストを見ることができたのはあれほどの仕打ちを受けた後でも1年近く根気強くぼく勉の情報を追っていたファン、もしくは作者のXをフォローしていたファンに限られます

ジャンプ単行本を読んでいただけでは絶対に辿り着けません。

言葉なく離れていった、おそらく一番見たいであろうファンに届くことはありません。

連載終了後にぼく勉を読み始めた読者にも当然届くことはありません。

後世に残るのは、好きになったキャラクターは一人だけ表紙が貰えなかったという事実だけです。

なおぼく勉の公式Xではうるか以外のキャラYouTube動画やグッズの情報RP宣伝されていました。

うるかのそのイラストの後に描いた、ヒロインの一人の両親というサブキャライラストすらRPされていますが、うるかイラストはされていませんでした。

あえてうるかだけやらないのはもう切り捨てているかファンは残ってないとわかっているからですね。エコロジー。一秒で出来るところまで公式が徹底するんだからこれはいっそ感心しました。

Youtubeチャンネルで作者のお絵かき動画がアップされた回数も、うるか以外のキャラは3回以上アップされていますうるかはそれ未満です。扉絵がなかったり表紙がなかったりする分増やすこともなく、むしろ他のキャラより少ないのです。

他にもぼく勉アニメ版権絵を描いていた人が連載終了後にskebでぼく勉キャラの絵を描いていました。うるかを含めて何人かのキャラを描いていました。

筒井先生うるかイラストには反応しませんでした。他のほとんどのイラストにはRPをしたり引用RPをしてコメントを付けたりしているのに、うるかイラストにはRPどころかいいねすらせずスルーしました。(他人いいねが見えていた頃の話です)

もっと前にフィギュアが出たとき真冬のものRP画像ツイートしたのにうるかフィギュアRPツイートしませんでした。一貫してますね。

他にもぼく勉では各ヒロインそれぞれのルートのボイスドラマが作られて単行本の特典になっていましたが、これもやはりうるかのボイスドラマだけ作られませんでした。そしてうるかだけないことについて、筒井先生が気にされている様子も今に至るまでありません。

単行本の描き下ろしでも同じように格差があります。他のヒロイン単行本では最終話の後にその後の様子の描き下ろしがありますうるかにはなく、代わりにパラレルルート開始の告知が掲載されました。うるかより後のルート単行本が発売されてそれを知ることになったときは、まるで煽りのようにも感じられました。

筒井先生のこのような反応を受けて、私自身以前読み切りとき感想を書きました。私以外にも替え歌を作った人もいましたし、別に感想を書いていた人もいました。これらは言い過ぎや被害妄想などと言われて一部から非難されました。

キャラに対する作者のこういった扱いの差を見たときに、嫌われているという感想を持つことは言いすぎでしょうか? 被害妄想でしょうか?

筒井先生の内心はいずれにせよ、言われて当然だろうと私は思います。人の内心はわからいから、その行動から推測するしかないのですから

あなたの好きになったキャラはこのような扱いを受けるのです。

(これは筒井先生うるかを嫌いなわけではないという意見否定するものではありません。ただ作者の行動を見たときに、嫌いなんだなと思うことを否定することは困難でしょう。嫌いじゃないと思うにしろ嫌いだと思うにしろ、作者の内心はわからないという点で等価ですから

なお筒井先生はどのキャラも大切だとおっしゃっていたという指摘がありそうですが、

最終話サプライズのための犠牲にされたのはうるかだけです。単独の表紙がないのはうるかだけです。ボイスドラマがないのも単行本最終話後の描き下ろしがないのもうるかだけです。

まりサプライズ犠牲にしていいと思う程度に大切で、センターカラー単行本の表紙も描かなくてもいいと思う程度に大切で、一人だけボイスドラマも描き下ろしもなくても何ら問題はないと思う程度に大切なのでしょう。

これほど大切という言葉空虚に響くのを私は知りません。

最後

筒井先生は絵が上手です。可愛く魅力的なキャラばかりですから読んだ人であれば全員か、そうでなくとも一人は好きなキャラができるでしょう。

ですが熱中することはやめましょう。報われることはありません。

キャラを愛することはやめましょう。作者はキャラを愛しません。

あなたの好きになったキャラクターは作者の自己満足犠牲になり、一人だけ冷遇されてしまうのです。

その深い怒りと悲しみは、あなたを酷く傷つけます。時間が経ってもふとしたときに思い出してはあなたを苛みます。決して癒えることはありません。

なぜ彼女だけボイスドラマが与えられなかったのか。

なぜ彼女だけ単行本の表紙が与えられなかったのか。

なぜ彼女サプライズ犠牲にされなければならなかったのか。

いかけても帰ってくる答えはありません。作者は何も語りません。

自問自答も苦しみも。絶えることなく際限もなく続きます

筒井先生の新連載を読んで面白漫画だな、可愛いキャラクターだなと思った方。

あなたの好きになったキャラクターがこのような扱いを受けるということを意識して読んでください。

たとえ同じ扱いでなくとも似たような扱いは必ず受けます

作者の哲学ではそれが正しく、また描きたいことなのですから

前作で犠牲にされたキャラクターが好きだった、作者の元ファンの一人から

どうか心のどこかに留め置いてください。

最後にまとめます

事実として起きたことを挙げると、

うるか人生の夢が叶った瞬間をサプライズの発表という形で台無しにする

・一人だけ長編を書かない

・一人だけ単独センターカラー単行本の表紙も書かない

・一人だけボイスドラマを作らず、またそのことについて説明どころか申し訳無さそうな素振りもない

・一人だけお絵かき動画がアップされた回数が少ない

・他のヒロイン単行本最終話後にその後の話が書き下ろされているがうるかにはなく、代わりにパラレルルートの告知が掲載されている

後はキャラ説明でのうるか留学先の誤字(正しくはオーストラリアだがアメリカにしていた)やパラレルルート解説パラレルルートの連載中毎回ジャンプに載っていたコラム)でうるかの顔の上にタスク処理かのように「完了」と書いたこと(うるかの次のキャラの話が終わった後は「完了」ではなく、「Happy end」と書き直した)などありますが、筒井先生裁量が大幅に及ぶ範囲内ならこのくらいでしょうか。

筒井先生の新連載も自分の好きなキャラクターがこういった扱いをされることに耐えられる人が読むことをおすすめします。

逆に次は誰が花火キャンセルされるのかという楽しみかたをするならいいかもしれないですね。

私はするつもりはありません。

追記

筒井先生も喜びそうとか冥利に尽きそうとか

https://i.imgur.com/gUMuX0i.png (替歌がバズったときいいね欄)

筒井先生はこのようにアドラー心理学を修めていますので、もしこれを読んでも心が動くことはないと思います

増田がどう感じるかは増田課題である」と捉えることと承知しています

過去に向き合うのはしばらくやめることにする。少なくともいまの自分には無理だ。

良い思い出が無さすぎて過ちが多すぎて受け止めきれない。

自分人生空虚さに悲しい気持ちけが募るが、それはもうどうしようもない。

それならもっと今日どれだけ良く生きるかについて向き合うべきだろう。

2024-11-22

ゲーム世界や都合の良い異世界転移・転生するみたいなラノベあるじゃないですか

そういう主人公を羨める気持ちって悪くないことだったんだなっていまになって思うんですよ

だってそれって、環境が変われば自分幸せ生活を送ることができるっていう希望を、捨て切ってないとも考えられるじゃないですか

良い方向に変わった自分自分として認識できるだけ、自分可能性を信じているとも考えられるじゃないですか……考えすぎですかね?

翻って自分について考えてみたら、空虚で鈍色の過去に蓋しながら、怠惰コミュ障自分自分として受け入れざるをえない生活を続けていて

逃げずに自分と向き合って現実的に折り合いをつけてやっていかないと、これはもうだめかもわからんねとなってしまったわけですよ

圧倒的な知識暴力や行動力を得る自分想像できないし、盲目的に好いてくれる異性がいたとしてお互い幸せに過ごす生活想像できないわけですよ

でもそういう自分に対する根拠のない自信とか、一見実現不可能に思えるような妄想だって人生を前向きに楽しく生きていくための一要素だったように思うんですよ

自分自分人生にせよ他人人生にせよ若戻ってやり直すとか上々にこなせる気がせんし、突然物語主人公になるような人生の激変にもついていける気がせんのですよ

仮にいま自分が億万長者になったとして、負の感情を覚える機会は激減するだろうけれど、じゃあ楽しい幸せ人生を送れるかというと、そんな想像できなくなってしまったわけですよ

anond:20241120215220

自分が「中身がない」と感じる作品大友の「スチームボーイ」のほうだ

AKIRAと同じぐらい世界観に凝っていて作画も凄まじいのに見ていて何も感じない

魂が入ってない。ガワが豪華なだけに、中身の空虚さが目立つの

これに比べればAKIRAは中身ギッシリだとしか思えない

自分解釈では、中身がない作品というのは人の記憶に残らない作品のことだ

AKIRAスチームボーイがどう違うのか、うまく説明できない

サイキックSFスチームパンクか、時代的に題材が手垢に塗れていたかどうか?

しかし同じスチームパンクでも短編の「大砲の街」のほうには魂が入っていると感じる

スチームボーイの方は作家側がどこに力点を置いていいのか定め切ることができず、

とりあえず技術密度を出せるところだけ頑張ったという印象の作品

大友克洋の作家性の魅力が、若さと共に失われてしまったのだということだけがわかる

2024-11-20

anond:20241120091025

弱者男性だが、ラグジュアリーブランドなんて日本場合学生だって買うじゃん(笑)

そういう空虚ステータス主義を笑ってんのよ

上質な客である夜職界隈がなぜか自分らを選民勘違いしてるのもよくあるけど、そいつらもお前の仲間だしなあ

2024-11-18

自分過去に対する姿勢について考えてみる。

自分は昔から嫌なことがあったら引きずってしまタイプで、思い出すと嫌な気持ちになるから、早く忘れてくれと願った記憶が多々ある。

そのおかげかどうかはわからないが、自分は昔の記憶ほとんど思い出せない。

前後矛盾しているように思われるかもしれないが、いまあるのは「早く忘れてくれと願った記憶が多々ある」という形骸的な記憶で、その内実がどうだったかはもう覚えていない)

それと、自分写真に残すことが好きじゃない。

何がきっかけでそうなったのかはいまとなっては思い出せないけれど、過去自分を記録しておくことに嫌悪感があったことは一因であるだろう。

でもいま思うと、もっと日々の取り留めのないような日常幸せもっと覚えておけば良かったように思う。記録しておけば良かった。

一方で、いずれにせよそれは無理だったろうと思う自分もいる。

から自分物事ちゃんと考えるということをしなかったから、誤った行動をたくさんしてしまったし、内向的消極的だったから友人関係を留めておくこともできなかった。

仮に学生時代に戻りそれからたこの年齢まで生きたとして、じゃあ今度は幸せ記憶を積み上げていられたのかと考えてみると、自信が全くない。

結局のところ自分はこういう人間で、何をしたら楽しいのかも良くわからなくなってしまったいま、これから良い思い出を重ねて覚えていることができるんだろうか。

その自信も全くないけれど、こうやって取り留めのないことを考えたという記録くらいは残していきたいと思っている。

時折誰かの楽しかった思い出に触れると、空虚自分について考えなければいけなくなって、何ともいえない気持ちになる。

2024-11-16

anond:20241116234611

文学風にしたよ

父は正月になると決まって「死んだら終わりだ」と言った。炬燵に突っ込んだ足を小さく揺らしながら、何を見ているのかもわからない視線を窓の外に向けてつぶやくのだ。その言葉を聞くたび、子供だった僕はなんとなくそ空虚さに不快感を覚えていた。正月にはもっと夢のある話がふさわしいはずだし、人生がそこで途切れるなんて考えたくもなかった。けれど、気がつけば僕も同じ言葉を口にするようになっている。年を取るとは、こうして父の言葉無意識に引き継いでいくことなのだろうかと思う。

昨夜、行きずりの女と部屋で夜を明かした。名前は聞かなかった。年末街角で、半ば流れのように出会い自然な成り行きで一緒にいたに過ぎない。彼女は朝になって静かに立ち上がり、玄関先で一度だけ僕を振り返った。口を開きかけて、何かを言おうとするように見えたが、結局何も言わずに扉を閉めた。その後ろ姿を見送ったあと、残った雑煮を口に運びながら窓の外を眺めた。曇り空の下で、近くの神社から上がる初詣の人混みのざわめきがかすかに聞こえる。

「死んだら終わり」という言葉が頭の中で何度も反響する。それは父の声であり、僕の声でもある。いつの間にかそれを自分のものとして受け入れてしまったらしい。ただ、その奥底で何かが不穏に蠢いている気配がする。死んだら終わりであることの気楽さと、その先にあるかもしれない何かへの漠然とした恐れ。その二つが正月の静けさの中で拮抗している。雑煮出汁の味だけが現実感を持ち、僕はそのぬるい温度に救われるようにまた一口すすった。

anond:20241116154435

お前が今感じてること、わかる。正直、その気持ち、すげぇ理解できるよ。けど、歴史的にもこういう試練を乗り越えてきた人は少なくない。お前もその一員になるべきだ。

まず、古代ローマ将軍、スカウィウスなんて言ったんだ。「人間にとって最大の敵は、自分内面の恐れだ」と。お前も今、自分の「苦手」「不安」ってのに対して恐れすぎてる。それは、あたかローマ軍の戦士が「敵が強いから戦いたくない」って言うようなものだ。戦わないと、勝つことはできないんだよ。

「私はワガママ怠惰だ」って自分を責めてるけど、そうじゃない。どんな仕事でも、向き不向きはあるし、最初は苦手でも、続けているうちにその道が見えてくるもんだよ。例えば、アメリカ独立戦争英雄ジョージ・ワシントンだって最初は全くの素人で、戦場で多くの失敗を重ねた。けれども、彼はそれを乗り越えて初めて真のリーダーとして成長した。お前も今、その過程にいるんだ。

運転中の無言の空間、確かにいかもしれん。でも、これはある意味で「禅」の教えにも通じてる。禅では、無言の時でも心を澄まして自分と向き合わせることを大事にする。今、お前が感じてるその「無言の時間」こそが、お前自身と向き合うチャンスだよ。空間を盛り上げようと焦る必要なんてない。むしろ、静かにしている時にこそ、その人の本質が見えてくるものから

そもそもコミュニケーション言葉だけで成り立ってるわけじゃない。古代ギリシャ哲学者ソクラテスが言ったように、「言葉は時に空虚だ。真の理解は、言葉を超えたところにある」。生徒が言葉を発しなくても、あなたの態度や視線運転指導が、彼らにとっての「学びのサイン」になることも多いんだよ。お前が感じている苦しみや不安、それを乗り越えた先に、ちゃんと成長が待っている。

少し休むことも必要かもしれないけど、「やめたほうがいい」と簡単に言う前に、もう一度考えてみてほしい。無理してでも続けることで、自分限界を超えられる瞬間が必ず来る。どんなに大きな困難に見えても、それを乗り越える力は、すでにお前の中にあるんだよ。

いまだに高校に入り直して不登校になる夢と謎のゲーム専門学校空虚な昼休みを過ごす夢を見る

どっちも入ってないのに

2024-11-15

anond:20241115145203

お前の本当の父親に妻をネトラレ 「真の父親」になれず終いの永遠の敗北者・・・がお前のオヤジじゃァ

どこに間違いがある…!!

オヤジ オヤジとお前に慕われて… 家族まがいの茶番劇・・・

……お前も何十年もの間 職に就かず 「父」にはなれず… 何も得ず……!!

終いにゃあ 口車に乗った息子という名のお前・・に刺され…!!

それらを守るために死ぬ!!!

実に空虚人生じゃあ ありゃあ せんか?

イラスト生成AI怖くねぇぜ!彼奴らそんな万能なじゃねぇ

ずっと考えてた。生成AI流行り始めてからずっと。

昨今のイラスト生成AIの使い方で主流な『作品方向性以外全てランダムもの』が普通イラストの”人間(この人)が作りました“という価値には絶対勝ることはない。見てる側も人間なんだから人間が好きなんじゃ人間は。心配は御無用

人間の描いたイラストは作者が作品の要素を解説したり鑑賞者が要素ついて議論したりすることができる。作者という絶対的な正解を持っている存在がある。

たとえ、作者が作品のことを多く語らないとしても、人間は作者の存在にかなりの価値があると感じている。生成AIで作ったもの作品の要素が完璧意志をもって構成されたものではない為(全ての要素に絶対的な意味がなければいけないというわけではない。特定の要素を「なんとなくですね」と言える人すらいないという意味)、それらを鑑賞者が解釈はできるが、“作者(正解)がない作品価値空虚に感じてしまう。(エロ系だと多少話は変わってきそうだけど、やはり人間の代わりにはならない)AI作品もっと意味を持たせようと工夫をしたらそれは人間意志が入ってるから“生成AIジャンル”のような新しい概念の一作品しかならない。結局作者は居る。

なので、今の需要がなくなる・絵師排除されるようなこたぁねえだろ。そんなにAI万能じゃねぇぜ。

イラスト生成AIで良く問題に出される特定の絵柄やキャラクターを出せてしまうことというものがある。でもそれどっちも人間でも出来るじゃん。

公式絵をかなり意識した二次創作とか、いっぱあるしおれは、そういうのも好きだ。それこれグレーゾーンと言われてしまえば返す言葉がないや。簡単に誰でもそういったことを実現できてしまAIに怖さを抱いてしま気持ちもかなり分かるな。だからこそ、使っていくおれらはリテラシーを守り配慮しながら使う必要がある。

あと、絵師に「これってAIですか」ってプロフとか見りゃ明らかに分かるのにわざわざ言うやつ、全部アンチだと思うわ。君、あれでしょトレス疑惑厨。あいつらのやり口が変わっただけ。

Xの規約が変わり画像学習に使われることについても、思うことがある。いわゆる反AI絵師の方々がアカウントを移行したり、ウォーターマークを入れたり苦労なさっている。だけど、それあんあん効果いかもしれんです。早まるな〜!前述の通りAI人間の脅威になることはないと思われるぜ。

でも学習使われるのは嫌って気持ち何となくだかおれにも感覚的に理解は出来なくはない。自分創作物勝手二次利用されているようや感覚なのか。ちょっとわかりますぜ。だけど、実際は二次利用無断転載ではない。全然違うことじゃ。別のSNSに行ってもデータセット作る人がそのサイトに行っても画像をもらうだけっす。

絵師の方このことについてポストなさってた「今までどおり綺麗な絵を見てほしいか特に対策しませぬ」というのは、それを他の人に強要するものではないけれど、「うつくしすぎるっ...本当にありがとう」と感動してしまった。

2024-11-12

童貞チー牛大学生が100日オナ禁を完走した感想

投稿友達なし、彼女なし、実家暮らし限界童貞チー牛大学生が100日間オナ禁を達成したので、その感想を書く。

100日オナ禁を始めた経緯

放課後休日に一緒に遊ぶ友達がおらず、また彼女もいないため空虚大学生活を送っていた。そんななか、一人で自室にこもってはオナニーを繰り返す毎日で、自己肯定感が下がっていくばかりだった。大学生活ではなにか有意義なことをしなければならないという義務感だけが強くあり、かといって何もできない板挟みの中で苦しんでいた。自分の中で、なにか変わるきっかけがほしいと思いオナ禁を決意した。

オナ禁のコツ

記録

まず、絶対的有用であると思ったのが、記録することである

これはオナ禁に限らず、なにか習慣を身につけようと思ったら、記録をするのが最も強力であり、必要不可欠なことだと思った。

記録することによって、何もしなければ取り留めもなく過ぎていく日々を意味のあるものとして、積み上げる感覚を得ることができた。

禁欲アプリは巷にたくさん出回っているが、「禁欲スカイウォーカー」というアプリ使用した。

シンプルデザインがわかりやすく、ネーミングと記録が上がるにつれてもらえる称号が気に入ってこれを使ったが、おすすめである

暇をつくらない

リセットしたくなるときはたいてい暇で、自室の机の前で座ってネットサーフィンをしているときなので、なるべく暇をつくらないほうがいい。

どうやら一人でさみしく感じているときに、リセットしたい衝動に駆られるようである

人とコミュニケーションをとると、性欲は治まるようなので、やはりぼっちには人との交流が不足していると感じた。

100日オナ禁をしたメリットデメリット

達成感&自信

間違いなく、他の多くの人は成し遂げていないことを完遂できたという達成感と自信にはつながる。

ほかの大きなことに挑戦しようという気になる。

オナニーをするかどうか考えなくてすむ

オナ禁を一度決め込むと、行動の選択肢からオナニーを消すことができるため、オナニーをするかどうか迷うということがなくなる。

これは非常に大きなメリットだと感じた。

それまではオナニーをするかどうか逡巡することに常に一定の脳のリソースを割いていたため、気持ちが楽になった。

また、オナニーをした後の罪悪感を感じずにすむということも大きかった。

巷で言われるような美肌効果は感じなかった。

依然としてニキビはできる。

モテ効果

感じなかった。彼女はまだいない。

総括

はたして100日間オナ禁を続けることに意味はあるのかということは疑問ではあるが、少なくとも大きなことを成し遂げたという達成感と、

オナニーとの関わり方を一度見直すことができたという点では、決して無意味ではないと思う。

友達彼女はできなかったが一種諦観のようなものも芽生え、一人なら、一人でしかできないことを頑張ろうという方向に考え方もシフトした。(さみしさは克服できていないが)

これを読んだ皆さんのなかで、なにか変化がほしいけど機会がないという方は、100日と言わず一ヶ月、一週間でもオナ禁を試してもらうといいかもしれない。

anond:20241112000410

Aさん側の人間だが無事田舎を出れた人がなんで戻ってくるんだろうって思うわ

20歳の頃にアカハラメンタルブレイクして2年弱ニートやってから工場契約社員になった

地元で働かなきゃいけないってことで本当に絶望してさ

ニートもやってたし手錠かけられて懲役刑をくらった気分

そういった気持ちで働き始めたんだが地元ではそれなりに頭が良いとされている学校卒業していたので1年ほどで正社員になった

50人超いた同期の契約社員の中でも早い方

リーマンショック過ぎの頃だったので契約社員も多かったんだよね、財閥大手工場だったからさ

そうやって働きつつ自分を許せるようになったのが30代前半になった頃

その段階ではもう結婚やらどうでもよくなっててニートやってたし親の老後のこともあるし貯金だけだ積み上がってる状態

労働意欲はないか時間外労働は嫌ですってずっと定時までに仕事を終わらせるように働いていた

契約社員上がりだから出世はないが、書類仕事もできるじゃんってことで工場だけど今はデスクワークがメイン

ただ田舎で30代後半で貯金2000万超えても空虚感でどうしようもないんだよ

田舎を出れた人が本当になんで戻ってくるかな

2024-11-08

相席屋画像話題だが…

男性客0で女性だけ多くいる相席居酒屋看板がまた話題である

一般男女がマッチすることができる相席居酒屋マッチングアプリ、ハプニングバー…というのは"男の性欲"をもとに作られており、そのほとんどが男性だけ有料で女性無料である

(それぞれの業態については検索してみてください)

まぁこの時点でビジネスとはいえ男女平等なんてもの空虚ものであることがわかる。女性専用車両、女性専用〇〇、レディースデーさらに女にしかできない出産しろという圧力も近年薄れているなど割と最近女性特に若い女優遇されているのだ。

さて、本題に戻ろう。あの看板画像での男と女の反応がはっきりと違うのがわかる。

女は

「タダ飯でラッキー」「私も男いない店使ってタダ飯してる」「タダ飯に来て、もし男が来たら適当にあしらって帰る」

乞食自慢や活用法を言うのに対し、

男は

ビジネスから男が来ないと潰れるよ」

「男は乞食みたいなバカマンコ相手にさせられて金まで取られるなんて」

と、冷静である

そりゃ金を取られた挙げ句女にひどいことを言われるのがわかっていて行く男はマゾぐらいだろう。

一方で女はタダ飯で店の経営を圧迫していく。

"女体の価値性的資本の低下"とは言われたものだが、たしかに昨今の女たちを見ていると、女性が一番嫌う"女嫌いの女体好き"が増えるのも納得である

私は男で上の3業態すべて経験したが、これを続けても女性不信を強めるとわかって関わるのをやめた。でも女の本質と醜い部分を知ってしまったのでいまでも女は嫌いである。

女はイケメンのほうしか向かないのだから夫婦別姓にしたうえで一夫多妻制にするのが理にかなっている。

イケメン以外の男にとっての女は実存があるかもわからないたとえばテレビの中でしか見れない芸能人と同じ扱いでよい。もうイケメンの前にしか現れない偶像やゆめまぼろしでよいではないか

2024-11-07

渋谷ファンタジー新宿リアル

元々渋谷はハリボテ感が強い街だった。

驚くほど文化的ものがなにも育たずに空虚な店に埋め尽くされてる街だ。

その結果一種ファンタジー感も生まれてあの交差点を含めて「サイバー東京イメージに近い景観を手に入れた。

外国の人は渋谷に来ると興奮する「そうそTOKYOってこんな感じ」が表現されている。

原宿に裏原があったように渋谷にも裏渋谷的な流れも確かにあった。

特に音楽との結びつきは比較的強いものがあったと思う。サブカルともある程度親密であった。

それと道玄坂ラブホテル街は今は知らないがクラブ文化とともにどこかさっぱりとした猥雑さという独特な空気もあった。

しかし今ではほんとに空っぽの街という印象が強い。

新宿は常にリアルだ。

トー横の生々しさはもちろん、どこを歩いても人間がたくさんいる。

ザ・ノンフィクション流れるサンサーラ「いきて~る いきてい~る~♪」がこんなに似合う街もそうない。

塩っぱいだけの店が立ち並ぶ中、あちらこちらで謎の目配せが発生する街。

無理やりおしゃれにしようとして大きなLEDを頭上に掲げてもみんなうなだれ歩いてるから誰も見ない。

こんなに豊かで物に溢れてるのにまったく幸せそうに見えない、まさにこれがTOKYOという感じ。

他の街はみんな嘘をついているのだ。

ごくごく一部の富を得たもの達が腑抜けた顔で犬を連れ歩く街など、ほとんどの人には関係のない場所だ。

そんな生活に憧れてでも手に入らない、死んだ目でうろつく街それが新宿だ。

2024-11-03

今のレベルの生成AIエロコンテンツに感動してる奴らってなんであの程度で満足できるんだろうな

本当に最初の一瞬だけだったよ。

「おっ、コイツ思ったより使えるかも知れないぞ」

そう感じられたのは。

実験サンプルを投入した直後に最低限の骨組みが出来た瞬間、そこでちょっと感動するんだよ。

「じゃあ次はもうちょっと良くすれば実用化出来るぞ」

そう思って試しても試しても全くクオリティが上がらないと分かると、一気に失望へと転じるわけ。

Pixivにクソほど乱立されているAI絵を見れば分かるんだが、テンプレを何も考えずに流用してるだけでそこに情緒がないんだよAI出力作品は。

繰り返す試行回数の果てに、そもそもクオリティを高めるということ自体がまともにできる仕組みでないことが段々分かってくる。

コイツらは、「何千枚出力させても一枚のグラビア写真ベースに作られ続けたアイコラしか出してこない自称天才アイコラ職人エロ中学生」程度の存在しかなかったわけだ。

クオリティはそこまで気にしないシチュエーションでなら、生成AIは本当に素晴らしい。

取引先に送る手紙の文面とか、職場の5分間スピーチ原稿とか、エクセルマクロの叩き台、そういうどうでもいいものを作る分には。

だがある程度の品質、その中でも「熱量」を感じ取りたいコンテンツで役に立つことは稀だ。

内容に奥行きが全くないかである

Pixivほとんど全く同じ絵をキャラクターや顔の角度だけ変えて凄い勢いで投稿している有名人荒らしと呼ぶ人もいるが、個性的な利用方法範疇に収まると私は思っている)がいるが、アレと同じことしかAIはしてくれない。

そんなことはないと思うなら、AIのべりすとにでも頼んで

「このキャラとこのキャラセックスさせて欲しい」

と言ってみるがいい。

それからキャラクターを変えて同じシチュエーションをさせてみよう。

最初の2回ぐらいはちゃん文章が変わるかな?

試行回数を10回ぐらいまで増やせば、奴らの表現の引き出しの狭さ、使いまわしの多さが分かってくるだろう。

高校生同士のセックスだろうが、親子のセックスだろうが、OL上司不倫だろうが、どれも大きな差はない。

セックスというものが元々その程度だと思うなら、君は実に幸せものだ。

是非とも生成AIを楽しんで欲しい。

俺は満足できない。

満足できない俺が必死になって「こういった表現を使ってください」と指定を出すと今度はそればかりを繰り返す。

「がんばれ❤がんばれ❤と応援する表現を入れてください」

なんて頼んだ日には3行おきにがんばれ❤がんばれ❤を接頭語にした応援を雑に入れてくるだけだし、途中からその文面が全くのコピペに変わってくる。

生成AIは途中から循環参照を始める悪癖があり、下手に要素を指定するとある種の自家中毒にさえ陥って自己崩壊を始めるのだ。

これでは指定要求なんてまともに出来ない。

こちらが

「同じ表現を何度も使うのは辞めてくださいね

と頼んでも

了解です」

と答えるだけで奴らは何も理解しないまま同じ失敗を繰り返す。

そもそも、生成AIの最大の問題点シチュエーションの奥にある情緒をきちんと汲み取らないことにある。

汲み取っていないから似たような何かを雑にコピペするし、範囲を絞ると全く同じ表現の繰り返しばかりになるのだ。

絵や文章というのは単に事実をそのまま書く以外で終わらないはずなのに。

ゲルニカの絵は一目みた途端に壊滅的なイメージを抱かせる。

それはその絵全体が描き方の雰囲気によってそれを表現しているからだ。

生成AIはそれが出来ないんだよ。

貧乏人の男が「今日貧乏飯だ」と思いながらすするカップラーメンと、

ジャンクフード好きの子供が「今日カップ麺だぜ!」と興奮して食べるカップラーメン

そのどちらも同じ銘柄だったとしてもその絵で表現すべき空気は全く違うよな?

でも生成AI

「目の光らせ方だけ変えればその程度の差は表現できると思うロボ。違いは心ロボ。心、分かるロボ。燃える友情、君と一緒に悪を撃つ、だロボ」

ぐらいにしか理解できないんだよ。

致命的だ。

こんなにも情緒ド安定の空虚モードでは勢い任せに筆を滑らせた情熱あふれるエロコンテンツになどなり得ない。

それでは駄目なのだよ。

それでもいいと思ってる人がいること、それが俺は不思議ですらある。

単にまだ気づいてないだけなんだろうか?

生成AIの生み出す作品が如何にこちらの意図を汲み取ってくれないのかという失望を。

別にそれでも構わないと思っているんだろうか。

安くて量が多ければ質なんてどうでもいいって人は確かにいるんだろうな。

特定キャラクター特定シチュ自体が希少だから何でもいいから数があればいいって人もいるのかな?

でもやっぱ違うんだよな。

「こういうキャラクターでこういうことをさせようとするような性癖の人が描いた作品」だから良かったのであって、その性癖理解もしてないやつが表面上だけを真似たものを作ってもそれは別物になるんだよ。

まりさ、何も知らずに服だけ着てるコスプレイヤーと、原作ちゃんと読んでポーズや表情意識してるコスプレイヤーの違いみたいなもんよ。

かに前者(何も知らずに布面積が少なくて色相現実離れした服を着させられているというシチュに興奮)に需要がないわけじゃないんだろうけど、それはもうそういう特殊需要だろ?

求めているのが後者の「何をやっているのかを理解したうえでやっている」だったのなら、生成AIがそれを満たしてくれることはほぼほぼないと言えるね。

2024-11-02

ハプニングバーに行ってみたら逆に女体嫌い女嫌いになった話

ハプニングバーに行ってみた。

理由は単純、風俗店では時間制限があり絶頂までいたらない遅漏体質なのと、ハプニングバーに行ったことのある知り合いに勧められたかである

多分Hまではできないだろうから見学みたいな感じで行くことになった。

(そもそもハプニングバーとは何という方は検索してみてください)

さて、10月某日、東京某所にあるハプニングバー電話をし、入ってみることにした。

入店すると摘発防止のためか鍵は何重にもなっていた。

入って説明を受けるのだがプレイルーム(合体部屋)からもうアエギが聞こえてきてこの時点でエロスが消えて笑いに変わった。ちなみに男女比は7:3ぐらい。

ロッカー荷物を入れて説明が終わり放流されカウンターに座るのだが、前から座っていた姐様たちが近くで百合っていて話しかけることはできなかった。その直後に来たイケメン挨拶には反応していたので多分自分容姿が原因だろう。自分容姿は悪いほうである

このままではお地蔵さんのようになるなと思って、積極的常連男性単独女性に話しかけてはみるが良い反応を得られなかったので医者コスプレをしてみたが"つまらん""洗い物増やすな"のブーイング。クスコ(膣鏡)がバーに置かれていたので女性に"使ってみる?"と声掛けるも「そういう性癖はない」と言われて終わり。

これで大半のハプニングバー内の女に嫌われてしまった。女はそういう男の不甲斐ない口説けないところを一番嫌がる、感情お気持ち場の空気で動く生き物だからである。ちなみに上手く口説けていた常連さんは何人とも合体していた。

その場面を女たちが見たあとなので女からの反応は悪く、ジェスチャーで「触ってこないで」とまで。

からお触りや合体同意を得るのも、企業契約と同じで段階を踏んで信頼を得ることが大事だが、容姿と先程のつまらん奴という点で差をつけられているので中々に難しい。

ちなみにハプニングバーで女が嫌がってるのに触ると即退店である。つまりイケメンホスト系でないと勝ち目なし。

(追記ジェスチャーで「触ってこないで」としてきた女だが、あとで調べてみたところ風俗嬢インフルエンサーであった。その女はイケメンルームに消えていったので、つまりイケメンならハプバーに行けば運が良ければインフルエンサー芸能人とも合体できるということである。やはりイケメンしかおすすめはできないな…)

ここでは女性様のお気持ち最優先なのである。女が来ないとただのハッテン場になるからである

これは昨今の不同意性交遡及と同じで"あれは同意じゃない""無理やり"と店と女がそう思えば男は追い出されるのだ。

結果、周りからアエギが聞こえるなか、居心地が悪くなり撤退することになった。悪い容姿なのに女を少し触ってしまったので一発出禁かと思ったが、そんなことはなく会員証をもらったが、もう行くことはないだろう。そして"接触の敷居が低いハプニングバーで女に拒絶された"ことで、もうしばらく世間一般若い女とも話せないだろう。

結論容姿に自信のない男はハプニングバーは行くべきではない。同じトーク力がある2人の男が同じ場にいたらよほどの特殊性癖でもない限り女はスマートイケメンに種付けてほしいものだからだ。これはもう女の"劣等遺伝子を拒絶する"という本能であるからどうしようもない。いわゆる穴モテのおそろしい点である。そりゃ自分が男じゃなくて女側で自分の穴に挿れたい男が2人いたらイケメン選ぶよね。

話題を変えるが、昨今、過激アンチフェミニズムネット上を中心に流行しているのもうなづける。社会の縮図というか"女という生き物"をハプニングバーの中はもちろん、それ以外の場面でも見てしまった以上納得である。これらアンチフェミニズムに対する女側の反応も"クソオス"みたいな感情任せで、いかデータを用いて男が劣っているかを示せていない。イケメンボコられたのに非モテやチー牛のせいにするのも"嫌な奴はチー牛"みたいな上書きを女がするからである

社会本能を持ち込む女たち、そして若い女たちの都会信仰のせいで"男女平等""女性社会進出"という言葉空虚ものしか聞こえない。

そんな感じの社会で、自分今日もなるべく"女性女子、メス、♀、雌"を避けて、うまくやって行こうと思ったのであった。

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