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はてなキーワード: 必然性とは

2024-12-02

かつて「ワンピースは人が死なない」( メインキャラが死なない )と非難されたように

推しの子セックスしないのが間違いだった。

どう考えても不自然

セックスして然るべきなのにセックスしてないか駄作になった。

必然性があれば脱ぎます‼️

業界を描いておきながら、結局主要人物には濡れ場が無かったのが「嘘の物語」にしてしまっている。

2024-11-28

正直、保護猫と保護犬の活動問題は、腐女子や表自や反AIと同じもの

アニメマンガイラスト基本無料ゲーム二次創作は、非常に敷居が低い娯楽なので、

いろいろなバックグラウンドの人が集まり、正直、地獄めいている

 

同様に、保護活動は非常に敷居が低いので、非常に地獄めいている(日本限定)

今日日本保護活動をしている人に対してまともな人だと印象を持つ人は少ないだろう

なぜなら、あまりにもどうかしている人や団体が多すぎるから

腐女子や表自や反AIと同じだね

 

 

欧米でやったら大問題属性差別を行うことが基本。
しても良い差別などないが、一見合理性がありそうな建前理由すら掲げることなく、直球の差別

  1. 既婚者以外はお断りカップルも不可
  2. 特別ケアがいる犬猫でなくても、小さな子どもがいる家庭には、一律譲渡不可
  3. 成猫/シニア猫、小型犬の成犬/シニア犬であっても、60歳以上には一律譲渡不可(なお、一部自治体動物愛護センターも一律不可を行っている)
  4. 子猫子犬特別ケアがいる犬猫でなくても、単身者には一律譲渡不可(なお、一部自治体動物愛護センターは、単身者保証人を求めることがある)
  5. 単身独身女性なら譲渡面談検討するが、単身独身男性は一律お断り。連絡しないで
  6. 子猫子犬ではなく成猫/成犬の譲渡しか特別ケア必要ではない犬猫譲渡であっても、3時間以上の留守禁止
  7. 持ち家必須賃貸は一律譲渡不可

 

 

個人情報保護法という概念を持たない
法律どうこう以前に他者尊重するという概念を持たないので、警察沙汰裁判になる

  1. 当然のように収入証明書を求め、年収に下限を設け、それ以下はお断り欧米では考えられない
    なお、近年、Pマークなりを取得している企業ですら流出しまくっているのに、個人情報取扱事業者としてどのように管理の取り組みをしているか不明な模様
  2. そもそも論として、公共機関が行う譲渡事業以外で、自宅訪問+自宅撮影を行うこと自体法律プライバシーの重大な懸念があるが、その自覚を持たない
  3. 民間団体譲渡前の自宅訪問+自宅撮影をギリ許容しても、譲渡後に自宅訪問要求、応じないと引き戻しを要求する。そして揉め事・・・

  

 

ボランティア活動公的活動であり、差別プライバシー侵害と捉えかねられない、言いたい放題・やりたい放題をするべきではないが、
下記の人の言動ならギリ一定の理解はできる

 

 

 

でも実際は、アニマルウェルフェアって知ってる?動物虐待って知っている?という環境保護されていることが多い(特に保護猫)

  • 命を繋ぐことを最優先しているため(生きてさえいれば、幸せになれるチャンスはある ←それはそう)、譲渡会で利用している大きさのケージ普段から飼育保護されている
  • 閉じ込めず、一般的犬猫ペットと同じような環境飼育している風ではあるが、『いや、このスペースでこの頭数はないでしょ』という頭数を飼育している

 

上記のくせ下記を要求する。ペット不可の賃貸で飼おうとしている人に渡すのでなければ、どう考えても、貴方のところ/団体にいるよりマシなのでは?

 

  1. 既婚者以外はお断りカップルも不可
  2. 特別ケアがいる犬猫でなくても、小さな子どもがいる家庭には、一律譲渡不可
  3. 成猫/シニア猫、小型犬の成犬/シニア犬であっても、60歳以上には一律譲渡不可(なお、一部自治体動物愛護センターも一律不可を行っている)
  4. 子猫子犬特別ケアがいる犬猫でなくても、単身者には一律譲渡不可(なお、一部自治体動物愛護センターは、単身者保証人を求めることがある)
  5. 単身独身女性なら譲渡面談検討するが、単身独身男性は一律お断り。連絡しないで
  6. 子猫子犬ではなく成猫/成犬の譲渡しか特別ケア必要ではない犬猫譲渡であっても、3時間以上の留守禁止
  7. 持ち家必須賃貸は一律譲渡不可
  8. 当然のように収入証明書を求め、年収に下限を設け、それ以下はお断り個人情報の取り扱い方法については不明
  9. 民間団体、なんなら法人格すら持たないのに、自宅訪問+自宅撮影を当然としている。個人情報の取り扱い方法については不明
  10. 譲渡前の自宅訪問+自宅撮影をギリ許容しても、譲渡後に自宅訪問要求、応じないと引き戻しを要求する

 

 

法律常識が通じない保護活動者/保護団体多数派の中で、常識的な団体を見るとホッとする
しかし、常識的な団体保護ビジネスをやってたりする無情

  1. ペットショップやブリーダー売れ残り保健所に持ち込めなくなったので、保護ビジネスやっている団体に流している模様
  2. 純血種や純血種ミックスを狙った風の個体を避け、典型的雑種を選べば、良いじゃんと言われたら、『それはそう』だが、
    そもそも純血種や純血種ミックスブリーダー下請けをやる団体活動支援して良いものなの?

    保護した人から犬猫の引き受けをするが、明示的に金額上限を設けた上で金銭要求 ←保護スペースや資金も限りがあるのでわかる
    保護した人から金銭負担して貰っているにも関わらず、里親にも金銭要求 ←どういうことな????????(ただ、第一種動物取扱業者登録は一応している模様)

 

なお、上記保護ビジネスでもマシな方であり、古典的譲渡ビジネスは更に酷い

 

 

雑種犬で中型犬サイズ以上になりそうな犬を保護している団体大型犬保護している団体はまともな場合が多いので、保護活動家や保護団体は一括りにおかしいとはみなされていないが

保護飼育ハードルが低く、里親希望者が多い、子犬小型犬、純血種(コーギーなど小ぶりな中型まで)、純血種ミックスを中心に保護してるところだと、

途端に雲行きが怪しくなる

 

 

保護ビジネスではない場合、悪意はなく善意10000%のはずですが

女子や表自や反AIと同じく、ままならないね

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

2024-11-17

天ぷら蕎麦も美味しいと思うけど天ぷら蕎麦という料理である必然性はどこにもないと思う

2024-11-14

推しの子】のラストが描きたかったものは何だったのか

まさかこんなタイトルエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリ最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。

さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。

逆に本エントリ想定読者は、やれ竜頭蛇尾だの、読者のコメント欄を拾い上げてこっちの結末が良かっただのとインターネット上に書いてしまえる精神現在お持ちの方[^1][^2]を対象としている。

そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。

しかし、作中を紐解くと【推しの子】のメインテーマを取り扱うためには、作中で「救いようがない現実」を描く必要が出てくるのだ。

決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示たかったのだと筆者は考えている。

抱えている不平不満に対し、一つの解釈提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。

推しの子】のメインテーマは何だったのか?

こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界舞台として、その裏側に密めく嘘を真実芸能界当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。

言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーン舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。

しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人人格を持ったまま、生まれながらの芸能界人格を得る訳だから芸能界一般ギャップ体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。

そして、転生したルビーアクアもまたそれぞれのスタンス世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成

まり推しの子】は作中のフィクションの裏側を描くノンフィクション、という体裁フィクションだ。

ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円ハッピーエンドでなかったか理解することができない。

何故嘘を付かなければならないか

トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったか必要に迫られて嘘を吐いているのである

誰も愛せないだなんて言えないから。転生したなんて事実公表なんてできないから。アイを殺した犯人を見つけて殺したいなんて言えないから。誰かが死んだ悲劇を乗り越えられていないなんて世間には言えないから、彼らは嘘を吐く。至極明快な論理だ。

このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。

しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?

答えはNoである。ゆえに、この作品テーマを描くためには、嘘を吐く必然性がなければならない。

嘘で何を隠したいのか?

さて、【推しの子】のメインテーマ表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である

嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、

幸福を独占するための嘘と、悲劇を隠す嘘だ。

おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。

もっと他の方向性区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないか説明したいので、このようにしている。

さて、後者想像やすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である想像できただろうか?

そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?

ここまで説明すれば、【推しの子】に悲劇が多い理由がわかるだろうか?

逆に前者を描いていた場合は、

有馬かなとアクアがイチャラブちゅっちゅしながら、それを世間からどう隠すか悩む、惚気お砂糖漫画になっていたかもしれない。

それはそれで見たい気がするが……

いや全然アリだな……

というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画世間に溢れているのである有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。

まりメディア戦略的には「悲劇を隠す嘘」一択なのである

もう一つの悲劇を隠す嘘」について

ところで、「悲劇を隠す嘘」に該当するものはもう一つある。

すなわち、ハッピーエンドのことである

改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的最後を迎えるかもしれない。

ハッピーエンドというのは、そのような悲劇を隠し、幸福絶頂物語を締めくくる、読者に優しい嘘、物語手法の一つでしかない。

例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアあかねキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組視聴者未来希望を抱かせつつ、大団円物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。

実際には破局するにも関わらず。その結末をひた隠しにする、優しい嘘だったのである

まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……

というか実質、アクあかは心が通じ合っているといっても過言ではないというか……

ではなくて。とにもかくにも、

ハッピーエンドというのは世間に支持された、いや支持されすぎてそれが当たり前になってしまった、嘘を嘘と思われない優しい嘘なのである

推しの子】において、作中の登場人物スタンスはともかくとして、物語最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。

世間に対して嘘を吐くことは良いが、読者に対しては嘘を吐くことはしなかった。アクアという人生の一生というリアリティを、作者は示したかったのだと思う。

作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。

ハッピーエンドにする方法簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語ラストは使命を果たしたアクア有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。

しかし、それが嘘であることは変わらないのである

そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。

そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。

そういった理由総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか

繰り返すが、耳障りの良いエンディング物語を終えることはいつでも出来たが、作者はそれをせず、創作であるが故のフィクションという制約の中で発揮できる最大限の真摯さで、悲劇を乗り越えようとする人々のエネルギーを書きたかったのだと思う。

そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実フィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。

きっと、そんな希望現実に持ち帰って欲しかったのだ。

筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇しか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話モノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。

話はそれだけだ。もう帰っていいぞ!

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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツファン相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフ記載した作者がファン監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない

[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない

[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……

[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……

2024-11-08

リセット思考有権者にとってトランプ高齢者であることが投票やすさに繋がった仮説

トランプ政権に嫌気が差したとしても「高齢者であることの必然性から任期の途中で交代してくれる可能性がある

すでにバイデンが途中で選挙を降りるという前例を眼の前で見せてくれていた

トランプが同様に判断する保証はないのだが)

相対的若いハリス場合、どんなに嫌な展開になっても四年間我慢しなければ行けないと思ったのではないか

氷河期世代無能三代目社長が私の定年までずっと権力握りそうで絶望して会社を辞めた人間妄想である

2024-11-06

anond:20241106201753

こういう言葉尻にだけ反応して この話とまとめてやる必然性がどうこうとかの芯には反応せず持論を肯定してる雰囲気だけ出すやつやたらいるよな

anond:20241106161938

こういう言葉尻にだけ反応して

この話とまとめてやる必然性がどうこうとかの芯には反応せず持論を肯定してる雰囲気だけ出すやつやたらいるよな

anond:20241106103219

178万の壁式じゃダメ理由めちゃくちゃ弱くないかこれ

壁をあげてもまたぶつかるだけだって言うけど

壁で止まるのは扶養の人なんだから別に今より収入増えて止まるのは問題じゃないし

178万まで上がれば当面十分な額だ

(今度壁を上げるためにまた議論になるのは面倒という話はあるので、金額じゃなく時間依存でにするとかの改善はある)


後の格差是正とかの話は正直別の話でしかない

ここに絡めて解消を狙う手もあるけど別口で解消を狙ったっていい

あんまりこの壁の軸に絡める必然性はない

必然性ある出来事

ノーマスクの人が盛大に咳をしていた。

これはひどいと思ったが、よくよく考えると、必然性があるなと思った。

ノーマスクポリシーなら、盛大に咳をする事態必然の結果である

2024-11-04

anond:20241104161138

いや、そうやって物語必然性があるならいいけど、何にもなくて最後の3話で飯を食うがごとく当たり前の描写でやったかねこの辺り

2024-11-01

anond:20241101210012

統計的にそれが事実なら別にそれに反論する余地はないよね

でも、元増田がホクホクしてるとこに「でもおまえの職業医者かに比べて結婚できるパーセンテージが低いよね」とか言っていちいち水さす必然性あるかって話だよ。

結婚けが幸せってのは時代遅れだし、医者結婚生活がもれなく幸せとも思えないけど。

どんだけ結婚に夢みてんの?

なんかテレビドラマみててさ「この女優さんすごいいい演技するよねー」とか「いつまでもおきれいよねー」とか褒めたら「でも、この女優いまだに独身だよね!」とかいちいち言うおばさんみたいだね。

2024-10-23

anond:20241023121820

パスポート旧姓記載つけるとかで済むしな

本丸理論武装じゃなくて脇に理屈つけるのタイプはすぐ必然性がなくなる

2024-10-18

anond:20241018132040

これは理屈としてめちゃくちゃ弱いんだよなあ

入れ替わり競争があった方がいいのは事実だけどそれは長期目標の部類で別にである必然性はない

短期的には良い政策を掲げるところとか運営能力のあるところに政権を取ってもらうべきだから

入れ替わるならどこでもいいとするのはかなり短絡的で賛同する動機にはなりづらい

擦られまくってるパロディやられると冷める。

そのパロディ構成上の必然性があればいいんだが、ほとんど唐突なんだよな。

いきなり北斗の拳だったりジョジョの画風になったりとかさ。

「そのパロディをやってる時点で面白い」ってメンタリティなんかね。

同人とかネットお絵描きコーナーでやってる分には身内ウケで済むけどさ、商業誌でやられるとすごく冷める。

そういえば、ジャンプでそこそこ長くやってた漫画人気投票やったんだけどさ。

その結果発表ボーボボ人気投票パロをやったときビビったなあ。

そのページみたとき「うわ、おもんな」って思わず口に出してしまった。

例のボーボボ人気投票ネタ面白さを少しでも分かってたら、ガチの人投票でそのパロディはやらないんだわ。

まり「そのパロディをやってる時点で面白い」ってメンタリティで描いてるのが丸わかりなわけ。

その薄っぺらメンタリティ垣間見えること含めて冷めんのよね。

あと、近年の日清CMとか。

まあ、パロディっていうよりコラボっていったほうがいいかもしれんが、あれはどっちかっていうと「ミーハー感」が先行して冷める。

2024-10-14

anond:20241014210940

SF映画の見すぎ。

AI自我はない。自我のあるAIを作る必然性もない。

AI過去データからし結論を導けない。AIを知らない(知ろうとしない)人間ほどAIに夢をみがち。

2024-09-30

はてなが左寄りだと言うけれど、

そもそもネット言論デフォルトで左寄りなのよ。

というか、元来、言論」という営みは宿命的に左寄りなのよ。

 

インターネットが生まれるよりずっとずっと前から言論体制批判手段だったでしょう。

独裁的・全体主義的なお国では体制批判的な言論は徹底的に統制されるし、日本もかつてはそうだった。

戦前戦中の言論統制、言論弾圧への反省から、今の憲法にはわざわざ「言論自由」が謳われてる。これは、「たとえ反体制的な言論であっても日本はもうそういうの邪魔しません」という国と国民との約束なんです。

「論壇」は、基本的には体制批判的な言論界を指す言葉だし、言論誌と言えば基本的には体制批判的な記事が載る雑誌です。

実力行使による革命が許されていない以上、体制批判のための最大の武器言論なわけ。

いっぽう右派体制派にとっては、今現在自分体制側なんだから別に何を語る必要もない。体制が崩れ落ちようとしているような局面でもない限り、必死体制肯定するような言論をする必然性がないでしょ。言論によって為そうとする目標がない。つまり動機がない。

もちろん保守言論というもの存在はするけど、彼らは別に何と闘っているわけでもなくただ内輪褒めに終始するばかりで、言論によって何かを為そうとしているようには見えないよね。

 

インターネットも「まず知識階級に普及した」「自分のオピニオンを自由に発表できる場所」だったわけで、昔からリベラルムードが濃い。特にはてなはそうだったと思うけど、ポテトチップの味が濃いかいかくらいの違いでしかなく、ポテトチップ基本的にみんな塩味なのだ

anond:20240929233208

2024-09-29

オフサイドって必要なの?

サッカー見てると

オフサイドが反則になる必然性がわからない

極端なカウンターを防ぐって言われてるけど

それの何がいけないの?

せっかく決まったシュートオフサイドで取り消しになると

萎えるんだよなあ

2024-09-23

anond:20240923155652

>とりあえず一試合目の最後まで読んでもらえれば面白さが伝わると思うので

いや無理だわ そこまで読ませる引きがないよ

そもそも女子野球である必然性がないし、女子野球であるが故の不自然さ(設備部員数etcetc)ばかり悪目立ちするよね

anond:20240923090800

君に届けだけじゃないけど1話で示されたテーマに関してゴールしたあとの引き伸ばしは大体だれる

あと君に届け両思い以降は純粋につまらなかった

主人公カップル必然性のある試練ないし。

キャラ恋愛もなんだかんだいってとって付けたようなような感じで薄かったし…作者のキャラ萌えが強くなってしまった

公式による良質な同人誌として読んだ

2024-09-15

anond:20240915210706

でもポリコレ派は登場人物障害者にしたら大絶賛するでしょ

最近ディズニー映画みたいに

障害者である必然性があるのか?って言うと、むしろ他のキャラが健常者である必然性もない!とか言うでしょ

なのに、悪人障害者だったら障害者差別ガー?都合良すぎなんよ

障害者にも善人も悪人もいる

当たり前だろ

ルックバックが統合失調症患者差別してりゅ!描き直し賛成!って言っちゃう人かな?

2024-09-14

ここで言われている「ポリコレ」=必然性がないのに無理矢理ぶち込んでその結果作品をつまらなくしているもの

を指しているって事くらい分かるでしょうに…

ていうかポリコレ定義再現なく広げていったら何でもポリコレなっちゃうんだから

ヒットしたもの寄生して後から「これもポリコレだ」って言うのやめたら?

あんなのカフェ

@annaPHd9pjcafe

ズートピアリメンバーミーにポリコレ要素がないだと!?!?!?!?!?!?

引用

わらび餅@てすと

@coolpoko78

·

18時間

返信先: @hakoiriboxさん

ポリコレ要素のないズートピアやリメンバミーが受けているのはむしろポリコレ要素が害悪である証明じゃない?

https://x.com/annaPHd9pjcafe/status/1834544822562226239

つーかリメンバーミーはともかくズートピアキャラクター動物の姿にしている時点で社会問題真摯に向き合う事から逃げてるって批判されてもしょうがないでしょ。

ズートピアって普通に見たらどう考えても肉食動物草食動物人種民族メタファーなんだけど

日本では何故か性別メタファーだと捉えて(作中には肉食動物女性も出てくるにも関わらず)、女の警戒心を軽視していると言って批判しているフェミニスト人達大勢いたし

それって作品テーマちゃんと伝わっていないって事だよね

まりそんな迂遠なやり方では本来意味でのポリコレとして不適格。

ズートピアだけじゃなくてライオンキングやマイ・エレメントだってそうだよ

舞台設定やテーマからして有色人種をそのまま描いた方が自然なのにそれだと観客に受けないか非人間にしているんだろうって批判海外では普通にある

日本みたいに表面だけ見てポリコレだって持ち上げてる人達ばかりじゃないから。

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