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はてなキーワード: 必然性とは

2025-12-09

映画ルームロンダリングを見た

小さくまとまってはいもの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。

 

ここで一句

春すぎて 池田エライザ 乳でっか

作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。

 

大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優オダギリジョーに引き取られた陰キャ池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。

 

自分を受け入れること」という普遍的ポジティブメッセージに溢れていてよかった。

エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人拒否して人とうまく話せない。しか事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしかさないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。

自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレ承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。

その中で唯一ポジティブなド陰キャ伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。

オダギリジョー干渉せずに見守るポジションだしね。

母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたこから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!

( ;∀;) イイハナシダナー

 

地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏ちゃう展開はあるんだけどこれは他人拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬

刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニ服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い

後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまたことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。

 

あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。

ただ陰キャ池田エライザめっちゃ可愛いし出てる演者、みんな頑張ってて画面見てて飽きることはなかった。

小ぶりでもなんかい映画見たいな―って時にオススメ

2025-12-08

anond:20251207135134

東風先生って全然メインどころのキャラじゃないし

退場に理由けが必要とは全くおもわないわ

接骨院先生、一番上の姉(名前忘れた)と恋愛要素あり

ってだけで別にバトルのたび乱麻を脱臼させる必然性はないし

姉の方も全然メインどころの立ち回りするキャラじゃない

リョウガとかムースあたりの恋愛話より全然格下のサブキャラの話まで全部やれとか思わない

2025-12-07

anond:20251207124517

税収が自然増している状況で、あえて増税をする必然性が無い

台湾侵攻が起きれば日本無関係でいられる可能性はほぼない

米国シンクタンクCSIS中国による台湾軍事侵攻が生起した場合シミュレーションを行っている。

(原文:https://www.csis.org/analysis/first-battle-next-war-wargaming-chinese-invasion-taiwan)

時々ニュースなどでも断片的に取り上げられているのでご存じの方も多いかもしれない。この報告は検討可能オープンソースシミュレーションとして提示されている点が特徴である

様々な条件のもとでシミュレーションを行い、どの条件が台湾侵攻の趨勢に大きな影響を及ぼすか分析している。

この報告の結論として、侵攻のシミュレーション結果に「決定的/根本的な変化」を引き起こす要素として挙げられていることが2点ある。

米国が介入しない」「米国は介入するが日本在日米軍基地使用許可しない」という条件である

前者はそりゃそうだという感じだが、後者に関しては意外に思う人も多いのではないだろうか。


まず、「米国が介入しない」シナリオ場合、当然ながらシミュレーション中国圧勝で終わった。膠着状態にすら持ち込めない。

ウクライナのような間接的な支援による戦線の維持ができるのではないか考える人いるかと思うが、 ウクライナと異なり友好国への陸路航空優勢もない台湾ではこの方法不可能である

中国支配によって台湾自治は失われ、周辺の戦略的環境は激変する。

ただ、中国勝利までに約70日を要するというシミュレーション結果は興味深い。

この月日はおそらく日米の世論に大きな影響を及ぼすだろう。


次に、この報告書主題である中国軍事侵攻に対して米国が介入した」場合シミュレーション結果である

いろいろと前提のある話なので詳細は確認してほしいが、基本的に日米が協調して介入する限り悲観的な条件でも中国勝利した例はなかった、という結論である

「日米が協調して」とわざわざ書いたのには理由がある。

この報告ではどういうとき米軍目的を達成できないのか検討するため「ラグナロクシナリオ」と銘打った検討を行っており、その仮定というのが「日本在日米軍基地使用を認めない」ことである

中国の米艦隊グアムへの攻撃米国の戦力投射封殺され、この前提条件では逆に完全な中国勝利に終わった。

まり米軍が十全に活動できるかどうかを決定するという意味において、台湾侵攻が生起した時点で自動的日本は米中台に次ぐキーパーソンになってしまうのである


そのため米国から見れば、もし台湾侵攻に介入すると決めたなら日本にはどうしても協力してもらう必要がある(在日米軍基地が使えないと米国に勝ち筋がない)。

逆に言うと日本強硬台湾侵攻への非干渉を主張すれば、米国も介入をあきらめざるを得ないという言い方もできる。

しかし、これは日米同盟の破棄とほぼ同義なので現在日本の政治環境では考え難く、基本的には米国が介入すれば日本も参戦を決断することになると思う。


とはいえこのシミュレーション結果は、米国からすると中国艦艇に対する先制攻撃や早期の核兵器使用など、リスクの高い戦略検討する必要がないことを示している。

しかし、中国はその立場にない。

そのため、中国先制攻撃によって前方配備されている米空母打撃群在日米軍排除しようとする必然性がある。

そのとき艦隊と共に嘉手納、岩国横田三沢などが攻撃され、多数の日本犠牲者がでるだろう。

実際、CSISの報告では多くのパターンで米艦隊在日米軍基地中国先制攻撃する前提でシミュレーションが行われている(ただし、この前提でも中国勝利できない)。

米軍との直接対決を避けたい中国が、米軍(と日本)を放置して台湾のみを攻撃する可能性もあるのでは?と思われるかもしれないが、この場合日米からすると(軍事的に)簡単なケースになる。

先制攻撃して空母打撃群を初手壊滅、在日米軍に大損害を与えた前提でも、中国の最終的な勝機はほぼないというのがCSISシミュレーション結果だったのである

米軍を丸ごと放置したまま台湾に攻め込んだとして、米軍が座視してくれればいいが、もし無傷の米軍が介入しようものならワンサイドゲームになってしまう。

台湾に攻め入るのに米軍放置するというのは、中国からすると米国生殺与奪権を差し出したようなものだとも言える。


まとめると、中国台湾への武力行使決断した場合、高確率在日米軍基地への先制攻撃を行う(しない場合より容易に米軍に叩き潰される)。

そして米軍戦闘を実行するため必要不可欠な要素として日本の協力を非常に強く要求するだろう。

これらのことから仮に中国台湾軍事侵攻した場合日本無関係でいられる可能性は非常に低い、というのがこの問題に取り組む人の共通見解だと思う。

(逆に台湾侵攻の勝敗に対する影響の比較的少ないインドフィリピンシンガポール韓国などの国は積極的な関与を避けると予想される。西洋諸国のいくつかは介入を志向するかもしれないが、可能な限りの艦隊派遣しても戦況には大きな影響がない)


一応、中国台湾軍事侵攻した上で日本人に戦死者がほとんど出ないシナリオとして「台湾が早期に降伏する」「中国米軍への先制攻撃がなく、かつ米国が介入を行わない」というパターンが考えられる。

ただこの場合地域での中国存在感は高まり中国との係争地への圧力も強くなることから、必ずしも日本にとって容易なルートではない。


また前述のように、日米が協調すれば中国の勝ち筋はほぼないというのがシミュレーション結果ではあるが、「勝てるなら問題ない」とはならない。

中国の侵攻は阻止されるが、そのとき日米台は非常に重大な損失を被ることになる。

悲観的なシナリオでは、米空母2隻を含む数十隻の艦船、数百機の航空機の損失、一万名近い死者が日米で出る。

これは戦後秩序にも重大な影響を及ぼすだろう。


まり台湾侵攻は仮に発生すれば米中台日が全員損をするクソイベントであるのは明らかである

冷静に考えればこんな特大のクソを漏らしたい国などないと思いたいし、筆者も正直「あまり起こりそうにない」という考えだが、それでもありえないとは言えない。

なぜなら中国は「台湾に対してわれわれは武力行使放棄せず、あらゆる選択肢留保する」ことを明言しているかである

anond:20251206230941

病気の項目がハードル高すぎる。

女性側に他にたくさん選択肢がある中で、婚活対象としてあえて選ぶ必然性がない。

婚活目的でない出会いから始めた方がいいと思う。

寝落ち」の意味が変わってきている

もともとはネトゲやってるうちに寝てしまうことを指していたと記憶している。回線落ちとかと同じような使われ方。

そのうちに通話配信中に寝ることを指して使われるようになり、更には勉強読書などオンライン要素のない行為最中に寝ることも意味するようになった。

この時点で「落ち」の部分は意味をなさなくなったが、状況的には原義とそこまで乖離していないためまだ理解できる。

問題はここ数年、枕などの寝具メーカー広告でこの言葉を利用するようになったことだ。単に眠りに落ちることを寝落ちと言い換えているような使い方だが、そこに必然性が無いことは自明である

広告で堂々とネットスラング誤用するとかプライドというものが無いのだろうか。

2025-12-06

anond:20251206120540

Gemini「BLMは成功

🎯BLMは「歴史的意識変革と構造改革」を達成した

BLMは短期的な選挙戦術の成否ではなく、社会根本的なOS(基本認識)を書き換えた点において、歴史的成功を収めました。

1.構造差別可視化: 「個別の不幸な事件」として処理されていた暴力を、**「構造的な差別(Systemic Racism)」**として世界認識させ、不可逆的な意識改革をもたらしました。

2.実質的制度変革: 警察改革(ボディカメラ義務化や武力行使基準厳格化)や企業のDEI推進など、法制度と社会規範を具体的に変容させました。

3.「摩擦」の必然性: 過去公民権運動と同様、社会の無関心を打破するために既存秩序との摩擦(抗議)は不可避であり、変革のための必要プロセスでした。

4.真の普遍性への貢献: 「燃え盛る家(黒人の命)」を優先的に消火することは、「全ての家(ALM)」を守るための前提条件であり、結果として社会全体の正義基準を引き上げました。

結論として、BLMは政治的な波紋を呼びつつも、人権基準値を恒久的に引き上げ、世界を変えた運動として歴史肯定されます

2025-12-04

空海は、多分、天才というより「人生全体が詩だった人」だと思う。


天才ではなく、執念

天才というのは「才能がある」という意味だけど、空海場合、それだけじゃない。

彼は遣唐使として唐に渡って、わずか2年で密教の奥義を習得したとされている。その速度は、確かに天才的」だ。

でも、その背後にあるのは「なぜ、これだけの短期間で修行できたのか」という問いで、答えは多分「本当に、それしかやってなかった」ということだ。

まり天才というより「執念」。

帰国後の活動の方が、すごい

本当に脅威的なのは帰国後だ。

弘法大師として、真言宗確立して、東寺を手に入れて、高野山を開いて、文字を工夫して(いろは歌)、書を極めて、彫刻も残して、教育施設も作った。

その活動量は、もう「天才」というより「人間か」というレベル

時代最澄との比較も興味深い。最澄比叡山天台宗確立した。その業績は確かに大きい。

でも、空海の「何でもやってる感」の前には、最澄の方が「一つの道を究めた」という印象になる。

人生全体が詩」という意味

なぜ「詩」かというと、空海人生には「必然性」がないから。

その全てに「理由」があるけど、同時に「何か、もっと大きな流れ」に乗っているように見える。

それは、計画的というより「運命的」で、その運命性が「詩」に見える。

空海著作には、実は「俺は天才から、こういうことができた」みたいな驕りが、ほぼ無い。代わりに「法華経の教えによれば」「密教の奥義では」という、何かの「流れ」の中で自分位置づけている感じがある。

まり、彼は「自分が何かを成し遂げた」というより「自分は何かの一部として、それを表現した」と考えていたのかもしれない。

その点で、天才というより「完成された人」

天才というのは「個人の才能」を指すけど、空海場合、それは「個人を超えた何か」の表現に見える。

から空海を「天才」と呼ぶより「完成された人」と呼ぶ方が、正確な気がする。

完成された人というのは、内部に矛盾を抱えていない。あるいは、矛盾を抱えていても、それを統合する力を持っている。

空海は「修行者でありながら、俗世間にも関わり、権力との関係も持ちながら、精神性も失わない」という矛盾を、全部統合していた。

その統合の力が「天才」と呼ばれているのかもしれない。

ただ、個人的には「空海天才か」という問いより「空海はなぜ、あそこまで多くの活動をしたのか」という問いの方が、大事だと思う。

その答えは、多分「それが、その時代必要だったから」というシンプルもの

必要なことを、必要なだけ、最大限の力で、やり遂げた。

その姿勢が「天才的」に見えるのは、現代が「選別」と「専門化」の中にいるからかもしれない。

空海は「何もかもやる」という選択をした。それは、愚かにも見えるし、同時に最高に賢くも見える。

その両者が同時に存在するところに、空海の本当の面白さがあるんじゃないか

2025-12-03

妻がちんこを舐めてくるのが嫌だ

汚いじゃん

なんで舐めるの?

意味不明なんだけど

やめてって言うんだけど、体は正直的なことを言ってきて、気持ち的には萎え

そりゃ刺激を受けたらそうなるんだよ

そもそも舐める意味が分からない

美味しくないでしょ?

甘いの?

おしっこするところだよ?

キモいよね?

本当にやめてほしい

しかも奥の方まで入れるから、そんなことしたら喉に炎症が起きるかもしれないよって言うんだけど、やめない

「手を使わないでやるね」っとか言ってきて、いやむしろ手だけでいいんですけど??

早く入れようって言うんだけど、もうちょっと待って、いくまでするとか言い始めて、ほんと訳分からない

こういうの好きなんでしょ?って苦手だって何度も何度も言ってるんだけど、一向にやめない

吸い付きすぎて、タコか?とさえ思う

全く気持ちよくないかといえば、多少は気持ちいいけど、それより「なぜ口でする必然性がある?バイ菌がうつるよ?普段は見たくないって言ってるものを口に含むなんてどうかしてる」という気持ちが上回る

男は舐めておけば喜ぶだろってこと?

そのひょっとこみたいな顔やめてよ

そんな顔見たくないよ

音立てないでよ

「手も使うから」って、手だけでいいんだよ

早く入れようよ

「ここが好きなの?」とか言われても、好きじゃないよ

「口が疲れてきた笑」じゃあやめようよ

「口に出していいよ」絶対に嫌だ

体にも悪いだろうし、汚いよ

衛生観念どうなってるの?

飲む意味が分からない

人前で言えないでしょ?「私は精子を飲みました」って

恥ずかしいし、絶対変だよ

どういう教育受けてきたんだよ

れいつまでやるの

マラソン

もうやだ

振りほどいてゴムつけた

「チッ」ってなんで舌打ちするの

入れるよ?

はい入れた、ほら、刺激が多すぎて秒で終わった

あんなに口でするから

口でするメリット、なくない?

「早い笑」って、君のせいだよ

と思ったらゴム外して、また口入れようとするから

「それは絶対ダメ!!」と怒ったらシュンとしてた…

ごめんね

2025-12-02

anond:20251202101834

「これやりたい」っていう前向きなモチベじゃなくても「これやらなきゃなぁ」っていう後ろ向きなモチベにはなるとは思ってる。要するに、業務に対する必然性があまりにもなさすぎて動くの面倒くさいなってなってる。

かになんとかやる気出すための理由付けぐらいにはなるかなぁ。

まあ何もやることないわけではないだろうし暇つぶしとでも思ってとりあえずやればいいんじゃないかな。

anond:20251202101359

ゴメン消しちゃった。

「これやりたい」っていう前向きなモチベじゃなくても「これやらなきゃなぁ」っていう後ろ向きなモチベにはなるとは思ってる。要するに、業務に対する必然性があまりにもなさすぎて動くの面倒くさいなってなってる。

別にバリバリ評価されたいわけではないが評価下げられたいとも思ってないし、うっすら評価上がるといいなぁくらいには思っているので評価基準が決まっているなら仕事時間中くらいはそれに対してある程度の邁進をしたいという気持ちもあるって感じかな。

映画スマホを落としただけなのに 最終章ファイナルハッキングゲームを見た

俺が嫌いなタイプ邦画だった。32点。

アマプラに来てたぞ、みんな乗りこめ~^^

 

からよくあるタイプではあるけど特に半沢直樹以降に顕在化した「いい演技=オーバーリアクションの顔芸」系作品。このハゲー!! ちーがーうだーろーっ! 違うだろーォッ!! 違うだろっ!!!唐突豊田)。元々は蜷川あたりの演劇界からの輸入だと思うんだけど、演劇であれがバエるのは空間が広いからだろ。画角的に小さく切り取られた画面内でやられても、こんな奴おらへんやろ~としかならんやろ。

なので僕はこの映画が嫌いです。

千葉雄大って口に顔乗っ取られてるんか?感情的になって話すと口の動きにあわせて顔の位置が動くから一生懸命頑丈込めて台詞読んでます」感がすごくて毎回ズコーってなる。顔はかわいいけど主役張る器とは思えなかった。まぁ主役なんかジャニでええんですってのが邦画から別に千葉雄大でええか。

 

話としては前回(見たはずなんだけど何一つ覚えてない)逃亡した天才ハッカー成田凌を追う刑事千葉雄大ハッカー対策室に異動。一方その頃成田日韓首脳会談の中止を目論む韓国反政府組織就職。そこで監視役についた韓国美女といろいろあって、最終的に公安井浦新に撃ち殺されて韓国美女はく製にされておしまい

 

これ別にいいっちゃいいんだけど、韓国反政府組織韓国上司大谷亮平で、韓国で知り合う韓国剥製師が佐野史郎なんだよ。ちなみに韓国美女元アイドル韓国人。なんでみんな韓国人にしなかったの?予算なかったの?

俺はハリウッド映画とか見てて日本人役が韓国人だったり中国人だったりするの毎回イラッとするタイプからすげー気になっちゃった。もしくは韓国美女日本人で揃えてこれはジャパニーズファンタジーコリアですよっていう空気感統一をするとかさ。

 

実は韓国美女心理操作に長けた超悪女だった可能性もある(最終的に成田剥製にしてる)から意図的演出なのかもしれないけど、韓国美女ストーカーに追い詰められたところを成田が助ける展開があって、その後、距離が急接近して哀しき過去告白するってシーンがあるんだけど、そこがカタコトの日本語なんだよ。2人はほとんどのシーンで韓国語で話してるのに。

韓国まれ韓国育ちの韓国美女が最もエモーショナルになってる場面で敢えて(カタコトの)日本語話すか?毒親虐待されて施設で育ったって設定なんだけど、その施設が実は日本にあって私は韓国毒親に捨てられて日本で育ちました、なら、本当に辛いとき日本語が出るのはわかるけど、別にそんな設定ないし。なんでこいつ日本語しか話さんようになったんや。こういう感情が繋がらない感じ苦手なんだよな。

 

ハッキング関係も今の時代ホンマにそうか?って感じでさ。

途中で急にミサイル日本に撃ち込まれる展開があって、Jアラート作動防衛庁ミサイル存在確認。2分後に着弾。実際に着弾しモニターには濛々と煙をあげるビルが。しか千葉雄大モニタ凝視し、旗のはためきと煙の向きが違うことからハッキングを受けてフェイ映像を流されている」ことを見破る。

って展開なんだけど、いや防衛庁レーダーハッキングしたん?だったらもう何でも好き放題やれるだろ。フェイ映像なんか流して遊んでる場合か?とも思うしさ。何より今の時代サイバーハッキング対策室ならまずやるべきことはSNSモニタリングだろ。

実際に着弾してるなら映像なり写真なりが一瞬でバズりまくってるはず。フェイ映像凝視してる場合か?「あれれ~おかしいぞ~。SNSに何の反応もないよおじさん(CV高山みなみ)」がリアルじゃね?つーか情報収集のために24時間監視しとけよ。

日韓首脳会談の会場にドローンが雲霞の如く押し寄せる展開もあるんだけど、それだって急に近所からドローンが湧いてくるわけもなし周囲何キロかは当然ある程度の警戒態勢が敷かれる以上、ある程度の距離を飛んできているはずなんけど巡視してる連中は何も気づかんかったんかって感じだし、何より首脳会談とき普通に広域監視ドローンの警戒は現代では当然にやっとるわい。ドローン出てきたての時に脚本書いたんか?

 

あとこれはもう本当に全然どうでもいいことなんだけど、反政府組織大谷の恐ろしさを表現するために裏切者を処刑するシーンがあるんだけど、そいつ警察組織情報を売ってたのね。で、問い詰めると「娘を学校に行かせるのに金が必要で!」って言うの。反政府組織より警察のほうが金払いいいことありえる?めちゃくちゃ潤ってそうな組織だったけど。別に「喋らないと一家ともどもぶち込むって脅されて」とかでよくね?

あと反政府組織をずっと警戒してるのに「背中のやけどを見せる」ためだけに上半身裸で寝てる成田ね。こいつそのシーン以外ではずっとパジャマでもない普段着で寝てるから。こういうの嫌い。

 

基本的に謎演劇演技が「すご~いこわ~い」って思える人にはポップコーンムービーとして普通に楽しめる程度の映画ではあると思う。でも俺には「演技合戦(笑)」が映るたびに逆に集中力を削がれてしまって、気にしなくていいことばっかり気になってしまった。

でもこれはたぶん1,2が好きだった人に対するご褒美映画な部分はあると思う。なんかマジで必然性なく出てきて足を引っ張るしかしない田中圭もたぶん1か2の主要人物でしょ。で、成田韓国美女に心開く描写も1と2を見て着てたら感動するんでしょ。成田千葉友達だと思ってて最後に助ける展開もずっと見てると激エモなんでしょ。いや。

俺も見てんだよ!!!!!何も覚えてないだけで!!!!!!じゃあ俺が悪いか!!!ごめんね!!!!!!

でも邦画基準の中ではまぁまぁ頑張ってる方なんじゃないの。知らんけど。

アマプラ無料で見られるので千葉雄大成田凌ファンにはオススメ

 

あと書いてなかったけど今回誰もスマホ落としてません。どういうことなの。

2025-11-26

トラック野郎USAのおじさんの設置してるカメラ群は見てるとめっちゃ真似したいな〜って憧れる

ただ軽自動車だし家はワンルームだしつける必然性もなにもないんだけどああい秘密基地感のあるマイスペースってほんと憧れる

部屋をわざと狭いエリアに配置替えしてああい秘密基地感出してみようかなぁ(やらんけど)

anond:20251126134713

なんかそういう演出意図とか社会状況とかの必然性じゃなくて、単に脚本書く力がクソなんだだと思うぞ。

 

同じ題材、同じ舞台、同じ設定でも、セリフ回しやシーンの取捨選択でぜんぜん違ったと思う。

anond:20251126111358

??

銃は必然性が求められるモノという認識の上で語られてるんだぞ?

それを場に出したなら意味があるべきだし、意味がないなら場に出すべきじゃない

そういう類のもの

主人公腕時計を付けていたらならそれに意味があるべきだ、とか言わないだろ

主人公が車に乗っていたなら、そこに特別な回収が必要か?

2025-11-25

細田守の「果てしなきスカーレット」が“弱く見える”理由を、宮崎駿との比較から考えてみた

AI記事

細田守の新作『果てしなきスカーレット』を見た。

率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。

ネットを見ていると

宮崎駿と比べると、細田守作家性が浅い」

みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。

しろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。

以下、自分なりに整理してみる。

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■ 1. 宮崎駿映画は「人生の重み」がそのままテーマになる

宮崎駿作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。

父親戦闘機工場を営んでいたこと(戦争の影)

「作ること」への罪悪感と執着

日本という国の歴史への複雑さ

家族との距離感

自己矛盾を抱えながら創作を続ける苦しさ

こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。

から物語が飛躍しても、説明されなくても、

テーマ密度勝手に重くなる。

君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、

作家人生のもの物語の重さになっているからだと思う。

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■ 2. 一方の細田守「日常」関係性」に特化してきた作家

細田守本来の持ち味って、

家族距離感

ちょっとした心の揺れ

日常の中のズレ

成長の痛み

さな感情回復

といった、ミクロドラマの繊細さ にある。

時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、

世界大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。

細田守は「巨大な寓意」を背負うタイプではない。

しろ逆で、日常に寄り添う作家 だ。

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■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか

『果てしなきスカーレット』は、

時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、

設定の必然性説明しないシーンがかなり多い。

まり、“飛躍の文法”を使っている。

でも、細田守人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から

飛躍させたときに「中身の密度」が薄く見えてしまう。

たとえるなら、

宮崎の飛躍 → 何か深い象徴がある気配

細田の飛躍 → ただ意味が繋がってないように見える

という差が生まれしまう。

これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、

得意技と作風そもそも違うだけ。

細田の強みは「丁寧な日常」であって、

寓意の飛躍」ではない。

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■ 4. 今回は“本来武器を自ら置いてしまった”映画だった

『果てしなきスカーレット』に対して

テーマが弱い」「何が言いたいのかわからない」

という感想が出るのは自然だと思う。

なぜなら、

細田の強み(関係性・ミクロ感情)をほぼ捨てて

宮崎が得意な構造寓意・飛躍)で戦おうとして

結果として 武器ミスマッチ が起きているから。

細田映画が本当に輝くのは、

「誰かの小さな心の回復」みたいな領域なんだと思う。

そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、

作家性との接合面が弱く見えてしまう。

---

結論

細田守作家性が浅いのではなく、

今回の作品は、細田本来得意とする作家性と噛み合っていない。

宮崎駿と同じ土俵説明しない寓意映画)に乗った瞬間、

どうしても“重みの差”が出てしまう。

それは才能の優劣の問題ではなく、

作品設計思想と、作家本質的方向性のズレ なんじゃないかと、個人的には思った。

「30までに独身だったら結婚しようぜ」、って言ってた友達が29歳と11ヶ月で結婚しやがった

結婚式から帰ってきたので感想

友達、そっか、本当にやっちゃったんだ……なんか複雑だ……

という感じになりました。期待と現実のズレ。

しかに「また30ネタかよwwwwww」と私たちは好き放題あの約束ネタにしてきたし、20代前半のころも「あと10年あるなwww」とか言って笑ってたし、20代半ばのときも「そろそろやばくね?」って冗談で言い合ってたし、25歳のときに「よし、あと5年だ」と思ったら本当に29歳11ヶ月で結婚したので笑っちゃったし、しか相手が私の別の友達だったので「あーはいはいこの二人が結婚するんでしょ?」と思ったら本当に結婚したので笑っちゃったし、招待状が来たときは「本気だったんだwwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあその約束冗談から私たちはずっと自由でいようね」という前提のもと歩んできた私の人生を振り返ったとき感想は「あ、私、あの約束無意識に本気にしてたんだ」という感じになってしまった。

そもそも私はあの友達に本気で結婚してほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼とのあの約束ネタにする関係性はすごく好きだ。友達を「また30ネタw」と弄るというのは、信頼関係表現のようなものであって本気で結婚してほしいと思っていたわけではない。彼に対してアンケートなどを取ったわけではないので実際に「私たち」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「友達くん! あの約束をずっとネタにし続けよう! 30歳までのカウントダウンを本気にするのはあきらめて、人生設計を共有するのも封印して、あの約束ネタに好きなだけ笑い合おう! 飲み会や軽いデート冗談のような約束可愛いけど軽い関係性のままでいよう!」というつもりだった。

要するに、「あの約束で本気になってんじゃねえよ」というのは「結婚してんじゃねえよ」という意味ではなく「あの約束冗談のままにしておこうよ」という意味だったのだ。しか友達は前者の意味解釈したようで、今回は完全に本気で結婚をお出ししてきた。友達関係にありながら『29歳11ヶ月』で本気の人生決定をぶち込んできたあいつとは逆の流れへの進み方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「冗談だと思ってその約束を弄ってたら、相手が真に受けてほんとにやりやがったw」というのは確かにそういう状況であり、友達がどれだけあの約束を本気にしていたかはわからないが、彼とのあの約束ネタにしてきた者の一人としては真剣に複雑さに襲われざるを得ない。無神経にネタにしてて、そっかなってなりました、友達

で、式の感想なんですが。

「私からあの約束ネタにされ続けたから、別の人生に舵を切ったのか?」という感想になりました。わかりやす恋愛の導入(でも私との約束を踏まえといてあの扱いは何なの!? 友として待つという選択肢はなかったんですか!)、しか結婚相手は私の別の友達で、二人がいつから付き合ってたのかは謎のまま、途中でいつの間にか二人が接近していることに気づいて(おお、私の友達に新しい人生あれ!)(ちゃんと二人の関係の経緯は後から聞かされたけど、でも友達と話すことな秘密にしてた必然性は、まあ、気にしないでおく)、気づいたら二人でデートしてるのを見かけて、彼とのあの約束価値が急速に下がっていくのを感じ、コミカル蚊帳の外存在(=私とのあの約束)が配置され(このあたりはマジで私が世界から取り残された感があった)、ドラマティックな「実は好きでした」という告白もなく突然結婚式に力を入れる、というのは、従来の「あの約束ネタにする」関係性だった私たちから脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「あの約束ネタ化」を期待していた者としては奇妙な喪失感があるというか、私はあの約束の軽さと温かさが好きだったんだな……という複雑さに襲われてしまった。

問題は別の女性との結婚だと割り切って見たところで私の感情の整理などが色々と難しいというところで、ちょっと思ってた以上に人生は進んでしまうんだな、という感じで、「これはきっと私の想像力が低くて人生の筋を追えてないんだろうな」と思いながら式に参加してたけどでも「29歳11ヶ月で結婚するのはズルい」。『あの約束ネタ化』は今改めて思い返してもよく出来てたよ。やはり二人の関係性……その約束の持つ重さとネタとしての軽さは、私たち友情の全てだったんだな……!

友達があれだけ独身を貫いてきた理由に何の説明もないのってどういうことかしら? あれだけ私たち約束を弄んでたのに、その約束を破った瞬間の決意がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう想いで、あの女性結婚しようと思い至ったのか。そして結婚してからは、あの約束をどう思ってるのか。いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが人間関係を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも私たちはこれまでいちいち言葉であの約束ネタにしてたじゃん」っていうのと、「すみません! 私には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。マジでわからんかったので。

最後のほうは「私の人生の転換点の物語?」って感じでした。式でのスピーチはもうしょーもない。あれだけ私と「30までに独身だったら結婚しようぜ」って約束を弄んでおいて別の女性結婚するなら、最初からそんなに本気で約束するなよとしか言えない人間関係ってままあるよね(昔見たドラマの「私たちはずっと友達だよね」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(ちゃん登場人物自分選択責任を持つ作品はみんな好きだよね)(全然関係ないけど最近ドラマって登場人物真摯なことを言わせる割に「約束」とか「期待」とか「未来設計」とか出てきて彼らが(象徴的な友情ではなく)実際の人生選択を保持してる描写もあるので何でそこだけ曖昧なんだよって言いたくなりません?)。

あと、式場のセットがちょっとファンタジー風だったので「なるほど異世界ウェディング的なやつなんだな」と思ったけど、実は普通日本教会での式だったのでビックリ仰天。私の友達たちって普通日本人なのに、なんでファンタジー風の演出にしたんです……? そもそも論で言うとさぁ、私たち約束冗談だったのか本気だったのか、本気だとしたらなぜ友達は別の女性結婚したのか、冗談だとしたら私の期待と喪失感は何だったのか、そのへん全部曖昧なまま式を迎えて、何で私はここにいるんだよ!

あ、式での友達くん素敵だったね。タキシード姿のラインが綺麗で、『あの時のあの約束をした居酒屋でのはしゃいだ彼』の面影も残してて何か良き。友達笑顔で誓いを立てる姿が本気で良かった。あと式の演出はすごいよ。『あの時の居酒屋』とか『あの時のカラオケ』とか『あの時のドライブ』とかで見た彼と私の距離感が、彼と別の友達距離感に変わっていく過程が蘇ってきた。あれは式で見る価値があった。仕事を休んで何も考えずに参加して正解だったわ。『あの時の約束の場面』を式で見た……みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前、あの約束タイムリープしてたんでしょ?」みたいな気分だったからもうなんか実質『あの日に戻りたかった』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、まあ、友達なので、式に参加して、そして式後に友達たちと語り合っても、まあ、うん、ご祝儀ぶんの複雑さと喪失感しか残らないと思う。参加したあとに友達と語らいたくなるという意味では非常に優れた結婚式だと感じた。友達はそろそろ懲りろよというか、約束人生設計と友人関係の扱いについて一度話し合いをしよう? な?

いや、別に本気で結婚してほしいとか思ってたわけじゃないけどさ。

でも、あの約束ネタにしながら共に過ごした時間が、こんなにあっさり終わるとは思わなかったんだ。

29歳11ヶ月で、別の女性結婚するなんて。

何か言葉にならない複雑さと、失ったものの大きさが、残った。

2025-11-23

『果てしなきスカーレット』見てきたので感想

細田守監督いじめててごめんね……許してください……

という感じになりました。いじめっ子の悔恨

しかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタ尻尾バイブでアナル絶頂CMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たとき感想「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。

そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタ制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖誤用)を描こう! ショタケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生理想郷を作ろう!」というつもりだった。

要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しか細田守は前者の意味解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことないじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督

で、本編の感想なんですが。

日本オタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんハワイ語ハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本アニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「日本アニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品キャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。

問題海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!

聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物気持ちを全部言葉に出しちゃうマン細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。

最後のほうは「宗教映画?」って感じでした。ラスト演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃん主人公共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近プリキュアって主人公意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。

あとヒロイン名前スカーレットファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国王女名前採用されてるんです……? 「たまたま異世界デンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界デンマーク舞台からねこれ。正気? それとも「一度も現実世界日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけどクローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピア登場人物日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピア英語で書いた前近代作家からであって、現代日本作家が何でデンマーク人名英語読みするんだよ!

あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体ラインピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?

2025-11-22

NHKの、米騒動構造的な必然性に触れた記事おもしろかった。でもさすがに、その構造歴史的社会的になぜ生じたのか、利害関係者は誰なのかについて深掘りはしていないな。

  

日本農地法改革がなかなか進まないのは、「利害が複雑だから」みたいなフワッとした話じゃなくて、政治構造選挙制度農協の力・地域社会価値観ガッツリ絡んでいる構造問題からでしょ。

自民党支持基盤 × 農村の一票の重さ × JAという巨大組織 × 農地資産という文化がセットで抵抗している。

 

まず、農地改革って小規模農家JAに不利、大規模農家に有利みたいに、受益者被害者がハッキリ分かれる。日本選挙制度農村票の価値が重く、都会で1票でも、農村側はその数倍の価値がある。だから農村組織票を失うと自民党議員落選やすい。JAはその票を握っているから、政治家は逆らいづらい。農地改革をすすめる=JAの怒りを買う=議席が危ない、というめちゃ分かりやすい構図。

さらに、自民党にとってJAは昔からの超・重要支持母体JA農産物流通だけじゃなく、銀行保険販売ロビー活動地域コミュニティまで担っていて、地方生活インフラのもの。ここを敵に回す政治家はまず勝てない。だから農地自由化市場化には、政治的なブレーキが必ずかかる。

農地のものも、単なる生産手段じゃなくて資産兼業農家が多い日本では、農地を売る・貸すことへの心理的抵抗も強い。「先祖土地を手放すのは恥」「貸したら返ってこない」「土地価値が下がる」といった文化不安が根強く、農地の流動化が進まない。これがまた改革ハードルになっている。

そしてJAの側からすれば、市場化や大規模化自分たち存在意義が縮む話。大規模農家JAを通さず売るようになると、JA収益源(販売・集荷・金融)も減る。JAにとっては死活問題から、全力で反対する。これが米市場自由化が失敗した理由もつながる。

 

官僚側にも問題がある。農林水産省減反政策成功体験が強く、前例踏襲ミスを認めない文化が長く続いた。JA農村議員との結びつきも強く、改革より「守る」方向に働きがち。

 

あとはたぶん、農村社会価値観農地は「家の象徴」みたいな位置づけで、売る・貸すことがコミュニティ内での評判に関わる。制度だけ変えても、現場が納得しないから動かない。

 

農地改革が進まなかったのは、政策が下手だからではなく、 日本社会構造のものが、自民党と支持者、支持母体関係から必然的抵抗が生まれるようにできているから。抵抗が強いのも当然という話。

米を安くするには、この構造をぶっ壊せ!というどこかのシティボーイ政治家による第二の構造改革の波みたいなもの必要なのかもしれないし、それをやると本当に自民党をぶっ壊せ!になるのかもしれない。

個人的にはちょっと見てみたいけどね、どうなんだろうね。

2025-11-20

映画ランボー 最後の戦場を見た

言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。

 

3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズもっとも人気のあった作品スピリット継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクションである。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。

散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬シマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写二郎系野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。

「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界告発したいという強い意志を感じた。

最後の戦いのランボー機関銃を掃射してミャンマー軍兵士身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。

あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。

身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。

 

今作のストーリーとしては

タイ雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。

 

まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボータイ隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争PTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。

俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴ移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。

 

今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会ボランティア団体の扱いにある。

彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボー人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボー空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆投影しているのは明らかだと思う。

それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローン本音だろう。しか特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。

言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療教育少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。

誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想なっちゃった世界めちゃくちゃになっちゃうよ。

 

よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲブロンド美女がいるんだけど、ランボーハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。

ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険から帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。

お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理からね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナムアジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!

最終的に大惨劇の後に美女ハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲ美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーガチ美女に惚れちゃってただけかもしれない。

 

この作品最後ランボー実家帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボータイ隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。

2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!

あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争PTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲ美女あんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。

でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。

 

ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法ちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。

とにかく人体破壊描写を頑張ってる映画なので人が吹き飛ぶアクション映画を見たい人はオススメ

2025-11-18

斬首作戦定義すらわかってなさそうな書き込み斬首作戦とは、総統斬首することとイコールではないんだけどな、包含はしてるかもしれないけど)だったので、とりあえず議論の土台になる定義の共有からねという意図だったが。

最近台湾総統独裁者でもないしカリスマリーダーでもないので「斬首」しても意味がない

https://anond.hatelabo.jp/20251118131834



・踏まえてたそうで。でもたぶん君、元増田と別の人だよね。元増田の主張と君の主張、一貫性が薄いというか、元増田と君はおそらく真逆の主張だもの

・文の読めてなさ、語彙への理解不足が甚だしいのは君。そんな短い書き込みなのに、その中で「前面」侵攻とか誤字も平気みたいだしね。

からそれを踏まえて

中国台湾に対しては斬首作戦オプションを取れない

前面侵攻ののち地上軍により占領するしかない

と言ってんだよ文盲

anond:20251118142433



アメリカ経済力軍事力他国を引き離す超大国だが、他国侵略戦争を仕掛けていない。

なぜなら、現代では侵略を行うコストが高すぎるから

資源貿易で手に入り、莫大な占領コストがかかり、物理的な土地から得られる利益は限られ、国際経済から得られるメリットを失い、核抑止によるカウンターがあり得、同盟ネットワークを失い、国内情勢が不安定化する。

そのコストに見合った侵略が、選択肢に無くなるから

 

ではロシアはなぜウクライナ侵略たか

ロシア軍事的コスト経済制裁国際的反発のコストを、かなり楽観的に見積もっていた、見誤っていたという見方が強い。

コストに見合った利益を得られず、国際的地位も低下し、長期的には世界の中でのポジションを落とす、失敗した戦略ということになる。

 

では中国はどうか。

中国南シナ海で強行姿勢を崩さないのは、地政学的な必然性があると言われる。

世界海上貿易の1/3が通過し、中国原油輸入の80%はこのエリアを通って中国に入る。

もしそのエリアアメリカに封鎖されるとすると、中国にとって最大の弱点になり得る。

当然、海中の資源を確保したい思惑もある。

 

同じように、中国台湾への強硬策に出るのか。

可能性はゼロでは無いが、政治的軍事的経済的になコストから軍事侵略は行われないだろうと考えられている。

台湾軍は山岳地帯防衛に特化しており、中国海軍は見かけより外洋戦能力が弱いと言われている。アメリカ日本が介入する可能性もある。

また、武力侵攻が行われれば、日本アメリカ欧州ロシア以上の制裁を発動すると想定され、中国ロシア以上の経済的な打撃を受けることになる。

中国が取り得る強硬策は、台湾への経済封鎖や民間企業への圧力サイバー攻撃SNS工作による世論への介入などなど。

なおこれらは、中国侵略コストを正しく認識していることが前提となる。

https://anond.hatelabo.jp/20251118130104

アメリカ経済力軍事力他国を引き離す超大国だが、他国侵略戦争を仕掛けていない。

なぜなら、現代では侵略を行うコストが高すぎるから

資源貿易で手に入り、莫大な占領コストがかかり、物理的な土地から得られる利益は限られ、国際経済から得られるメリットを失い、核抑止によるカウンターがあり得、同盟ネットワークを失い、国内情勢が不安定化する。

そのコストに見合った侵略が、選択肢に無くなるから

 

ではロシアはなぜウクライナ侵略たか

ロシア軍事的コスト経済制裁国際的反発のコストを、かなり楽観的に見積もっていた、見誤っていたという見方が強い。

コストに見合った利益を得られず、国際的地位も低下し、長期的には世界の中でのポジションを落とす、失敗した戦略ということになる。

 

では中国はどうか。

中国南シナ海で強行姿勢を崩さないのは、地政学的な必然性があると言われる。

世界海上貿易の1/3が通過し、中国原油輸入の80%はこのエリアを通って中国に入る。

もしそのエリアアメリカに封鎖されるとすると、中国にとって最大の弱点になり得る。

当然、海中の資源を確保したい思惑もある。

 

同じように、中国台湾への強硬策に出るのか。

可能性はゼロでは無いが、政治的軍事的経済的になコストから軍事侵略は行われないだろうと考えられている。

台湾軍は山岳地帯防衛に特化しており、中国海軍は見かけより外洋戦能力が弱いと言われている。アメリカ日本が介入する可能性もある。

また、武力侵攻が行われれば、日本アメリカ欧州ロシア以上の制裁を発動すると想定され、中国ロシア以上の経済的な打撃を受けることになる。

中国が取り得る強硬策は、台湾への経済封鎖や民間企業への圧力サイバー攻撃SNS工作による世論への介入などなど。

なおこれらは、中国侵略コストを正しく認識していることが前提となる。

2025-11-13

インテリ大衆の終わりなき闘争

知識人≒少数派≒指導者知的で鋭敏な頭脳(上層)」と

大衆多数派労働者差別的愚鈍身体(下層)」という図式。

頭脳からの指令に従わない「身体」は無能な役立たず(=交換可能)、という思考

この下働きの「身体」の部分は、必ずしも「日本人である必然性は無い(=交換可能)、

というのが「頭脳」のホンネ。

2025-11-11

アニメ版グノーシアに言いたいことを全部言う日

テレビアニメ『グノーシア』は、原作ゲームより情報量を減らして分かりやすくしたつもりで逆に作品世界観に納得するために必要情報が足りていないという話がしたい。

タイトル原作ゲームを夢中になってプレイしたファンである者として、アニメ版には納得できない点が多く無限文句を言いたくなってしまうため、今日ここに考えをまとめて終わらせたいと思う。

当方原作厨と罵って議論を終了させたいならそれで結構だが、原作と違うからダメ!という感情論ではなく、SF的要素を備えた当該作品舞台設定に対して前提条件を一つ変更することで起きる影響までが正しく考慮されておらず、それに伴って劇中で開示されるべき情報が受け取り手まで共有されていないためアニメ単体として作品論理的に成立していない、という批判が本投稿本質である

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グノーシア検知に関する"技術的な限界"について

合わせて、作品舞台である宇宙船人狼ゲームにおける「夜」にするための舞台装置である空間転移」の設定について。

原作では『船が空間転移をすればその度にグノーシアが人間を一人消すリスクを伴うが、空間転移完了時にしか船内のグノーシア反応を検知できないため、議論コールドスリープ(以下、CS)→空間転移をセットで繰り返して、最終的にグノーシアの排除を目指す』(※そのために船の航路は、可能な限り多くの空間転移を繰り返してたどり着くことのできる目的地が設定される)という理屈説明されていたところ、

アニメ版ではCS完了後にあらためて船内のグノーシア反応が検知されるかどうかという判定が行われており、それはつまり空間転移の実行時ではない、乗員が活動可能環境下で、常時「船内のグノーシア反応」を検知できる…ということになっている。(※その判定を更新されるのが「CS完了後」のタイミングでなければならない必然性存在するのだろうか? )

原作世界観では「空間転移完了時の船内のグノーシア反応」が船側の、グノーシアの所在を絞り込むことのできる技術的な限界であるという定義をとるのは自然だ。(検出の必須条件となる「空間転移」という現象が及ぶ対象は「船全体」であるため、それが検出範囲限界認識できる)

しかアニメ版世界観では「グノーシア反応」を検知できる範囲が「船内全域」にしか及ばない点の不自然さを指摘できる。

・「緊急事態のため船の機能制限されている」という説明原作でも存在しており、アニメ内でも描写されたが、すでに提示されたような技術存在する条件下で、グノーシア対策規定というものがLeViのシステムに組み込まれるほど一般化・周知されていることにも鑑みれば、緊急時制限されることのない隔離された機能として、船にグノーシアを特定するための装置(グノーシア反応を検知できる範囲を「船内全域」よりも狭く絞り込めるような設備)が実装された上で運用されていてしかるべきだ。

・また、そのような設備がやはり技術的に不可能であるか、現状の『D.Q.O』には存在しなかったという限定的な条件を仮定しても、この環境において「船内」に含まれない範囲、すなわち「船外」は存在している。

原作ゲームを未プレイであるアニメ勢の感想に挙げられていた、"乗員一人ずつに宇宙服を着用させて「船外」に出し、その都度「船内」をスクリーニングすることによって誰がグノーシアかを判別することはできないのか?"という指摘が生まれたことは、要領を得ない突飛な発想のようでいて、じつは当然のことである

(※アニメ内で描写のあったテザー無しのEVA作業宇宙服で離れた後に再度帰艦できるような距離範囲を「船内」「船外」とは判別することができない検知方法である、という可能性はある)

LeViの判断合理性に欠けている

また、アニメ版の設定において、船内のグノーシア反応が確実に残っていると分かった状況で空間転移を実行する理由とは?(※原作においては複数のグノーシア反応が認められた場合にこの状況が発生することはある)

そういった状況下で、例えば議論が紛糾した末にCS判断の誤りが判明した後、投票結果に異論があった者の暴動を招く危険性や、確実に誰か一人が消されると分かったまま空間転移を実行される乗員の心理的負荷等をLeViが考慮しない理由は?

(※アニメ版での表現では投票を行う際の手続き原作比較してかなり厳重であり、毎回「拒否権はありません」との警告と承認があることから結果に異議を唱えたい者の暴動対策は取られている可能性。)

・以上の疑問点が解消できるような状況を説明されない限り、アニメ版舞台装置論理的に納得できる情報が不足していると言える。

・我々の世界にはまだ確立されていない技術である「星間航行船の空間転移」というものがどのような事象であるかは原作でも詳細な説明はなく、その情報が不足しているために判断がつかないことであるが、原作での「グノーシア対策規定としてなるべく多く空間転移を行う」という船の挙動を、前提の異なったアニメ版世界にそのまま適用されていることは、全く合理的判断であるように見えない。

エンジニア権限」の設定について

原作では「調査対象者の空間転移時の次元波を解析してグノーシアかどうかを判断できる」ため、空間転移時のグノーシアの活動による犠牲者が出るという危険を冒してでも空間転移が明けないと調査結果が出ないという設定に対し、

アニメ版では「時間がかかるた調査結果がわかるのは空間転移後」という表現がされており、つまりアニメ版におけるエンジニアは船が空間転移を行うことでグノーシアに襲撃の機会を与えずとも"時間をかければ"グノーシアを特定することが技術的に可能ということだ。

(※「時間がかかる」と曖昧表現された部分の実態は気が遠くなるほどの膨大な時間必要とするもので、空間転移によって乗員の体感時間にしてそれを大幅に短縮するような効果がある可能性。相対性理論…?)

判断材料が欠如しているということ

・以上の前提に基づいて判断すれば、アニメ版世界ではなぜ"なるべく空間転移をせずに時間を稼ぐこと"がグノーシア対策規定の基本になっていないのか、どうしても空間転移が実行されなければならない理由があるのであればその情報が開示されなければ、乗員としてもこの状況に納得できる判断材料に欠けている。

論理的思考の持ち主であるラキオが、その点を指摘しないのは不自然

・『アニメ作品』に対する個人的な所感として、"そうなってないのは何か理由があるんだろうな"と考察することも可能であるが、この物語舞台設定の状況が、こういった前提条件の世界観の中で最も一般的な、大多数の人間が納得できる合理的判断として成立しているもの理解するために"整合性のつく要因を勝手に推測するしかない"のでは、あまりにも粗末である

原作の設定にもなんとなく推測するしかない要素はある、エンジニア次元波を云々も小難しいこと言ってSFっぽくしてるだけ、とかいえばそうなんだけど、論点がズレるのでそれは置いといて。

本当にわかやすくなっているのか?

わかりやすテレビアニメ『グノーシア』をつくるためにはそのように舞台上の様々な制約を読み手に共有させるSF的要素は"ノイズ"であり、

SFらしく小難しい舞台装置論理的整合性を減らしてでも、あえて原作では排除されていた「人狼」の表現を再度劇中に持ち込むことが作品をわかりやすくするために必要判断だったんだ、と言う主張がある。

実際、アニメ版制作方針としてそうなのだろうと思うし、いまさらそのような制作方針の根幹について、今後のアニメ展開で改訂される可能性は皆無と言える。

・"なら僕はもう……何も言えません……"と言うしかないのだが、アニメ版が本当にわかやすくなっているのかというと、それは甚だ疑問である

だって粗探しをしていてこんな結論になった訳ではない。"原作とは違うんだな"と思ったから、検証を進めていただけだ。

そして、上述のような疑問や指摘が浮かび、ついぞ解消しそうにもない。

理解しようと思ったのに、全然からなかった。ましてや整合性のとれる理由は劇中で明かされておらず、各自推測しなければいけないとなれば、アニメ版初見である視聴者にとっては"理解しがたい前提で、納得できないまま物語を押し進められている"という印象を抱くのも無理はないのだ。

・実際にアニメ勢で"この作品、設定ガバいな"といった感想が出された実例観測した。

アニメ本編の情報だけで判断したらそらそうなるわ、という話だ。

個人的に、この作品が好きだったのは"一人用の対COM人狼ゲームシミュレーター"から発展させて「人狼」の要素を抜いてSF世界観物語を再構築しているという部分であったために、アニメ版において世界観がこうも変更されている点について"好きなもの否定されて悲しい…"という感情になっているのだと思われる。

アニメ版だけの論理性に欠いた表現のためアニメから触れた新規原作ごと作品価値が誤解されるのも遺憾であるが、もはやしかたない。

OK原作ゲーム『グノーシア』はSF人狼SF濃いめ、テレビアニメ『グノーシア』はSF人狼SF抜き、別ジャンルの別作品としてそれぞれのファンである我々は住み分けていこうじゃないか

もうアニメ版の視聴は諦めて、大人しく退場しようと思います

みすみすアニオリの改悪を許すなんて歯がゆいことだ。ああ歯がゆい

本当に、君達にはガッカリだ!

2025-11-08

超弦理論の今(2025年後半)注目されている最新の動向

まず一言でまとめると、場の論理幾何の高次的融合が進んでおり、境界の再定義重力整合性算術的制約(swampland 系)、散乱振幅の解析的・代数的構造という三つの潮流が互いに反響しあっている、というのが現在最前線の構図。

1. 境界の再概念

2. Swampland

3. 散乱振幅の代数性とストリング必然性に関する手がかり

4. アンサンブル解釈とベイビー宇宙問題

5. まとめ

現在の進行は低次元代数的不変量(モチーフ、モジュラーデータ)+∞-圏的対称性+コバーティズム的整合性という三つ組が、量子重力理論(および弦理論)が満たすべき基本的公理になりつつあることを示す。

これらは従来の場の理論が与えてきた有限生成的対象ではなく、ホモトピー型の不変量と算術整合性を前提にした新しい分類論を必要とする。

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