はてなキーワード: 挨拶とは
吐き出させてほしいのよ。
夫婦子一人。嫁さんとは仲がいい。一緒にご飯を食べ、三交代で休みがあった日は二人で出掛ける。
お互いそれなりに年を取り、友達付き合いは以前に比べかなり減った。でも、二人で過ごす時間が充実してるし、なんなら友達付き合いの方が煩わしいとさえ思うようになった。
嫁さんがフルタイムの仕事を始めた。子供も大きくなり、時間を持て余すのもアレということで。
話だけ聞くに、やばそうな会社ではあるが、社長の人柄と数少ない良心をもったベテランのおかげでなんとかなってるイメージ。
そんな会社での勤務がなんだかんだで3年目を終えようとしている。
嫁さんの勤務先はこの飲み会のほか、様々な社内イベントが行われているらしい。
ただ、小さい会社なもんで、年齢層も高ければ参加者も減少傾向。
なので企画の度に声をかけられていたそうだが、すべて不参加を決め込んでいた。
しかし今回はなぜか、はてどうする、となったようで、私としては好きにしたらいいじゃん、行くんなら送り迎えするよ~ってスタンス。
結局参加したのがつい先日。
嫁さんを会場に車で送り、いったん帰宅。子供のご飯作ろうとすると、バーキンで食ったとのこと。いいですね。その後迎えに行く。
終了の予定の時間を聞いていたが出てこない。
そりゃそうだ、飲みが時間通りに終わって、時間通りに出てくるなんてありえない。という事でアイコス吸いながら待つ。
予定時刻から1時間弱、にぎやかな声が聞こえてきて、わらわらと人が出てくる。
さっぱり分からんがこの人たちが社員?、と遠目に眺めていると嫁さんも出てきた。
はいお疲れでした、じゃあ帰りましょか。と様子を見ていると嫁さんは方々に笑顔で挨拶。
おっさん連中の肩をたたき、頭を下げて回る。
この辺まではまだ何も思わなかった気がする。
嫁さん車に乗り込み一路帰宅。
車内で会話をぽつぽつ。酒くせえ。というかいろんな匂いが混ざってくせえ。そりゃ飲みだから当たり前なんだけど。
家に着く。会話は常時と比較し1割5分程度。
何故か?
何故なんでしょう?なんなんでしょうこの感情?記憶を反芻する。何が気に食わない?何かが気に食わない。
嫁さんがおじさまと触れ合っていたところを目にしたから?おじさまから(性的な意味ではなく)かわいがられている姿を見たから?
でも考えてみろ。自分が飲みに行った時、おねえちゃんと接触してないか?接触しまくってます。
おじさんへの嫉妬なわけない。嫁さんが200%浮気をするわけもない。私も浮気をしないように努力、というかすでにそんな気力はないし、絶対ばれる自信がある。
じゃあこの感情は何なんですか?
自分が理解していると勝手に思っていた人の知らない部分を見たとき、こんな感情になるんでしょうか。
器の小さいおっさんは救いようがないですか。
近世以前
日本において暦日を用いた新年の概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良の正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年の挨拶を伴った年賀状のルーツといえる[14]。
平安時代に入ると貴族間で年始の挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始の挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶が一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始挨拶の文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。
明治維新後になると逓信省の前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度が確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。
郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった[20]。年末の一定時期、具体的には12月20日から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがきの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函が可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。
関東大震災(1923年)や大正天皇崩御(1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。
年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年(昭和10年)に私製はがきの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年(昭和13年)に年賀切手の発行が中止。 さらに物資の節約のため1941年(昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。
終戦後の1948年(昭和23年)12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年(昭和24年)、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年(昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。
お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年(昭和36年)から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年(昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。
1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年(昭和57年)から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年(平成元年)からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。
イラストやデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。
一方で2000年代からはインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンラインの手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月の風物詩となった。
2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。
2017年6月1日に郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき(1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったことから、利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがきと年賀はがきは同一の料金となった[28]。
2010年代になるとスマートフォン、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年の挨拶をオンラインで済ませる人がさらに増えた。LINEが運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象、複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNSで送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業のTB(名古屋市東区)は2017年から、高齢を理由に、今年限りで年始の挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。
また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に2024年10月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状はフタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である。企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30
ある海外作品について、どことは言わないユーザー参加型のwiki?的なモノ?で「日本語版にはないけど、英語版だとこうなってるんだぞ」という記事があった。
そして、少し前に恐らくそのwikiをソースとして「英語版だとこうらしいぞ!」とSNSでとても話題になった。
発信源と思われる記事は既に修正されてる。wikiはそういう小回りが利くのが強みだ。
けど、みんなせいぜいバズったときに見るくらいで、後から追いかける人なんてほぼいないでしょ?
特定の人や作品を論いたいわけではないから存在しないセリフを例に使うけど、"Hi, how are you doing?"(「こんにちは」とか「調子どう?」程度の挨拶)を「あらゆる人生の困難を負い、今私はここにいる。それを素通りか? 大した態度だよ。挨拶してくれたっていいだろうにな?」くらいに訳す傾向がある。物語の中ではそのくらいのニュアンスを込めて意訳することもできるかもしれないけど、ちょっとばかし盛りすぎかもしれない。
確かに少々盛りすぎにも感じるけど、でも、決してこの方が悪いわけでもない。
その方の編集より前にネットで似たような事を書いていたwebサイトもwikiもあったことを確認した。
果たしてその方が参照していたかは知らないけど、ネット全体を見渡した時、大きな流れの中で「英語版はこうらしいな」という噂に噂が重なって少しずつズレていったんだと思う(なぜ誰も元ソースに当たらなかったんだ…)
だから多少盛る癖があったとしてもその方個人がダメとは思わない。
情報が100ずれていたとして、その方の訳はせいぜい2ずらした程度かもしれない。それまでにどこかで98ずれてきていたわけだ。
それに、ユーザー参加型のwiki?はみんなで誤まってみんなで正して少しずつ正しい情報へ近づくことを期待する集合知のシステムだから、誰かが悪いと言うのは違う。
間違うことが悪になっちゃったら誰も参加しないだろうし。俺だってやだし。
それを言ったら記事が間違っていたと嘆く俺が正しい保証だってないし。元ソースには当たったけども。
wikiは正常に機能している。既に正しい内容に修正されている。
結果的に誤まった記事を書いた人も悪くない。それは結果論だし、そもそも良いの悪いのの話ではない。
でもそうなってくると間違った情報が広まってしまったことへの悲しさはどうしたらいいんだろうねって…。
ハタチの頃だったか、所用があって、オーロラの見える北米に行ったことがあった。で、夜、酒場でビールをたらふく飲んで世界がゆっくりと回り始めたとき、4, 5人の若者が店に入ってきて酒を注文し、俺にも話しかけてきた。最近友達に言われた通り、当時俺は英語は今よりだめだめだったが(This is a penに毛の生えた、ほんの片言程度だったと思う)、出鱈目を言って人をからかうのは好きだったので、喜んで話し相手になった。しばらくすると、1人が、おまえ面白いのでうちに来て飲み直さないかという。相手は小柄で、悪党という顔ではない。俺はちょうど小腹が空いて、サンドウィッチを注文しようと思ったところだった。食べるまで待ってくれとごねると、家で俺が作ってやるから、というので、押し問答の末、店を出ることにした。千鳥足で歩きながら、こいつらホモじゃないだろうなという疑念がふと頭をよぎったが、俺以外にも酒場から女の客を連れてきたので、あまりその心配はなさそうだと判断した。
家に着いた。フラットをシェアしているカナダ人の仲間らしい。約束通りサンドウィッチを作ってくれ、カナダのビールを飲んで話した。しばらくすると、俺を誘ったやつと女がどこかに消えた(笑)話題はたしか、カナダ人がアメリカ野郎と違っていかに素晴らしいか、だったような気がするが、腹がふくれて眠くなったので話半分で聞いていた。そのうちの1人は、来月日本で英語を教えると言ってたっけ。
朝になると、アメリカ人のフラットメイトが起き出してきて、またこいつらが変なの拾ってきたな、いや迷惑かけて悪いな、という目で俺に挨拶した。やっぱりこの人はアメリカ人だ、とこのとき思ったのを覚えている。みんな仕事に行くというので、俺はフラットを出て宿に向かった。
友人が特殊詐欺に引っかかりかけた記録
警察から発表されている特殊詐欺の気を付けるポイントと比較しておく。
・SNSのダイレクトメッセージで投資話を持ちかけられた▶ツイッターのDMで、知り合いから「株の知識が無くてもAIを使って半自動的に株投資が出来る」話が来た。
・連絡先がLINEに変わった▶詳しい話はテレグラムで、専門家から説明してもらえるとして招待される。
・相手方の口座にお金を振り込むように言われた▶言われていない。
・金融庁「無登録業者との取引は要注意!!」~無登録業者との取引は高リスク~▶DBS証券を名乗り実在しており、国の登録業者であった。
・「必ず」「確実」「あなただけ」と言われた▶言われていない。利益が○くらい出た場合、会社側は○%貰うという話らしい。
・「著名人による」「無料の」投資教室である▶著名人は出てこない。株の講座が毎日テレグラム上で開かれ、70人ほどが参加の模様。
・公式アカウントからの発信がない▶公式HPには個人との取引はしていないという旨が記載されていたが、代表者の挨拶文に「今後AIを活用して何かしらで提供する」とある。
<投資に関係する「暗号資産」や「投資アプリ」等が実在するか>
・検索しても、勧められた「暗号資産」や「投資アプリ」が出てこない▶出てこない。投資アプリは参加表明した人にしか教えていないとのこと。
■恐ろしいと感じた点■
・実在する会社のHP内容を把握しており、電話番号はシンガポールのカスタマーサービスとなっている。(日本語対応無し)
・テレグラムのやりとりで株のミニゲームを行い、正解者に景品を贈っている。(友人は正解して送られてきた)
・投資に引っかからなかった場合を想定してか、ロマンス詐欺に移行できる形となっている。(友人は3人の女から「この投資って本物でしょうか?」と連絡が来た)
年齢:36歳
•独身偽装をし先輩や行きつけの店員を巻き込んで女性を年単位で騙す
•結婚したら家族カードを渡す、タワマン購入や結婚式をすると求婚
•子供が出来にくい女性を産婦人科へ促し、自身でルナルナ管理し妊活
•立ち会い出産/親挨拶/マタニティフォト/指輪まで買うという徹底っぷり
•"独身偽装"をした理由を問いただすと「娘を愛せなかった、嫁とは適齢期で焦って結婚してしまったのでずっと不仲。居場所が無かった」とあまりにも自分勝手な言い訳
クリニックの情報も何個か来ていますが、真偽が問われるので一旦出さないでおきます。
「赤羽ハート内科クリニック 独身偽装」でググると他にも出てきますね。あとはご自身で。
この間の赤坂殺傷事件も「独身偽装」でした。あれは何故か騙された被害者が刺されてしまいました。独身偽装被害者達は大丈夫でしょうか、色々心配です。独身偽装とは何なのか?騙された方が悪いのでは?と疑問を持つ方も多いので今回、情報を出しましたがいかがでしたでしょうか。それでも騙された被害者が悪いと叩きますか?
〜独身偽装は"詐欺"です。僕のDMにも他被害者の声が連日届きます。厳罰化になるのもそう遠くないでしょう、医師の皆さん、女性を騙すのは辞めましょう!いつか痛い目見ますよ〜
年末の糞忙しい時期に、上司がいないとかいうから理由を聞いたら、挨拶回りで忙しいだと。
年末の忙しいときに挨拶に来られたら、そんなことで来るな邪魔やって思わん?
というか、同世代とかちょっと上くらいの人たちは全然問題ないね。
ただ、どうしても名前的に不信があるみたいで部屋借りるとかは日本名の人に比べて相当難しい状況かと。
まぁしょうがないっちゃしょうがないと思うんだけどね。事情を説明して納得してくれる不動産の方はめっちゃ心配してくれたり、
近所の方の挨拶に同行してくれて説明してくれたり・・・・。悪い人は少ないけど、それでも理解を得られないときはしんどかったりするなぁ。
何度か目が覚めていくつか夢見てたけど
覚えてるのはふたつ
一つはコの字になった寺院のような古い日本家屋のアパートに引っ越す夢
コの字の内側が駐車場になってるけどめちゃくちゃ狭くて何度も切り返してようやく止めれた
大家一家のおばあさんが気難しく認められないと住人として許されないらしく緊張しながら管理人室のドアを叩いたら奥さんが出てきた
どこそこの誰それの部屋に居候になるなんとかですと挨拶したら聞いてないと言われてすごく困ったというのがひとつめ
二つめは駅で行進してたら足元に手榴弾があって見つけたぞー!と叫ぶ夢
安全ピンは刺さってるので問題ないな、古くて錆びて取れそうにないしな、と確認する
でも触ってみるとピンが取れそう
あれ、これやばいんじゃ?というシーンを覚えてる
他にも何個か見てるはずだけど思い出せない
「うち初めてですか〜?」みたいなやつ。マジでウザい。
たしかに、店の商品に興味を持って少し話したあとに言われるならわかるのだが、
田舎にある店で「初めてですか」はよそモンに対する威圧すぎるのか、経験したことはない。
これって、大抵わざわざうちに来てくれてありがとう系のトークに繋げるためのフリなのだ。
でも別にその店に興味があるから入ったわけではないことが多いので、ウザいのである。
「初めてですか〜?」
→はい。
・通りがかりに新しい店があったので、何かと思って入ってみた。
別に商品に興味はない。なので押せ押せで来るとメッチャウザい。
→いいえ。
欲しいアイテムがあるがいつもの店に欲しいものがなかったので、気にいるものはないかという消極的選択。
はい/いいえどちらであろうとも、わざわざお前の店目当てで来たわけではない。
そもそも近所でよく通る道とか、よく来る館にあり、
そのアップデートで知らない店が実装されたという意識であることも多い。
すげえ自意識過剰だなぁと思う。
店員のお前にとっては特別な店かもしれないけど、ただ入店しただけでそのテンションに付き合わされる筋合いってないなと思う。
若い店員だと多分お前より昔から知ってるし来てるよってパターンもある。
そういう客相手に「初めてですか」って野暮極まりない声かけだよな。
昔を知ってるが故に、ああもう流行ってないな〜みたいな客入りだったりするため、
さらにはスタッフ募集広告に、狭き門ですが…とまで書いているショップがあり片腹痛かったが、
そのあとすぐに潰れていた。
慢心だよね。
女どころか男にすら人間関係から除外されてるから、「こんなイケメンなら初対面や親しくない女を襲っても受け入れられる」みたいな関係性抜きの見た目の話に偏り、女が最も気にする他者や社会からの評価という視点が常に欠けてるんだよな
なので女なんて自分のパートナーと息子ちゃん以外の男は全てフラットな路傍の石レベルの存在であり、初対面や知らない異性でシコったり買ったり盗撮痴漢など性加害して射精するのは男だけなのを認められないだけ
そういう性差が理解できないから、いい年した童貞おじさんが「女はジャニーズやイケメンに襲われたら受け入れるし擁護する」みたいな妄言を撒き散らして恥をかいてたわけだ
男が自分のスペックより上の女を手に入れるのは学校や職場等での自由恋愛しかないわけよ
ブサでも低身長でも「周りに好かれてる人、信頼されてる人」という評価を得られればそれだけで恋愛や結婚に持ち込める
しかしそんな協調性や能力があったらこんなとこで暴れてないからな
https://anond.hatelabo.jp/20250825103147
自由恋愛不可能な発達障害アスペ男性が、初対面や親しくない相手に「この技を使えば都合がいい女が一発で手に入る」という詐欺を鵜呑みにする 「恋愛工学」の被害女性が増えてる ...
交渉術の本とかでも信頼要素無視するやつも多いんよな。 まあ複雑で難しい要素を排して簡単な法則で語る方が受けるんだろうけど
一緒に体動かすとか
その中で、気が利く・優しい人柄ってにじみ出てくるものだし。
それに似てるっちゃ似てる。
市民ミュージカルやったことないけど、共同作業で複数の物を作り上げると一体感が出て交際に繋がりやすいってのはわからんでもない
ネットでバラバラの意見を主張してる人らに「くっつけばいい」と主張するのは男しか見たことない
女は自由恋愛でコミュ力や評価を確認し、好感を持てる言動、関係性が発生してからようやく「この男と結ばれたい」とスイッチが入る
@
自分がやからしたから分かるけど、非モテは女子にアプローチしてる時に距離感が測れてないことが多いと思うのだ
@
学校や勤務先でも選り好みして、級友や同僚上司に日常の挨拶もろくにしないくせに、たまに好みの子がいると距離感なく入り込んで嫌がられる、「人間関係の車間距離がわからない人」も多いかと。付き合わないか結婚かの極端な選別しかしてない、出来ない。
https://anond.hatelabo.jp/20250923103250
結婚や恋愛における、長年の知り合いの低スペや中スペが初対面のハイスペイケメンより優位な理由が言語化されていた
https://anond.hatelabo.jp/20250822105151
婚活やナンパよりも自由恋愛補正の方が低スペック男が上物女とマッチングできる
コスプレしてくださいよ~といわれて
いや、私太っているから無理ですって言ったのに
「え?私、太っているから無理っていいましたよね?」
さすがにこれは辱めのヤツ。
(もっとチャイナとかセーラー服とか布面積が多いもの沢山あるじゃん?)
なにこいつ・・・・
とこいつにいらだつ理由はこのコスプレの選んだ服がきっかけではなく・・・
はじめてあったのでとりあえず挨拶をして、
「ん?なんだこいつ?」と内心、思っていました。
そのあと予告もなく突然なれなれしく触ってきたので
これで一気に冷めました。
ここは風俗店ではないので、勝手に触るのは男性も女性もNGです!
それも会話もなく、勝手に馴れ馴れしく触るのは
そのラインを堂々と超えていくのは無理だろ?
そのあと私が他の単男さんと話していたときも勝手に会話に入ってくるのはいいんですが
慣れ慣れしいというか、
ここはハプバーだけど、会話の相槌やら入ってくるタイミングが全部ズレすぎて
もう私はコイツ無理!ってなっていたのに
それで、コスプレが~~~とか言ってきたので
一旦その場から逃げました。
そしたら外国人単男がきて
「いや私、英会話しにここに来たわけではないのに・・・」と萎えて離席
(そのあといつ戻ってくるんだろうって笑顔でこっち見てたので無理だった)
空気読めない屑単男と
しばらく避けていたらクズ単男が
近づいてきて
「え?あっち(ソファー席)になんでこないの?こないから帰っちゃうね!」って
(勝手に帰れよ、しね)
背中を触られて
さすがに極限キレそうになりました。
速攻で店員さんにいって、怒ってもらいました。
「ああ、あの人やばいなって思った」って
避けていたのもやはり空気感でみなさんわかっていたんだなって思いました
(おそらく無視することで帰らせたってことかなと)
てもう色々あったのでしばらくここに行かないようにします
みんながAさんをフォローしてない時代、Aさん素敵だよこんな所が魅力あるよと話していたけど皆は大抵スルーしてた。のに声のでかい人がイジったら一気にAさん認知されてみんなAさんをあだ名で呼んだり何かとワイワイするようになった
Bさんもフォロワー少なかったとき、Bさんも〇〇(共通の趣味)始めたけど作品素敵だよー!って言っていてもみんな大して反応なかったのにしばらくしてBさんが認知されたら盛り上がってる
みんなは他人の作品に悲鳴をあげたり沢山イイネする。みんなにイイネしたり言葉で伝えても私が作品をUPしたらイイネが1つか2つ付くだけ(嬉しいけど)
集まりに参加して挨拶しないやつ何?に同意してる人が私に挨拶してくれたことなかったり、
散々遊んだ人があとから参加した人と遊んだときに「今までで一番楽しい」と言ったり、
精神的にしんどくて1週間くらいSNS離れても何も言われなかったのに他の人は多忙でまる1日いないだけで心配されたり
…と、疲れてることを私が言うと反応薄いのにあの人が言うと些細なことでも慰めが来る
そもそも作品に対する反応の薄さなんて私にセンスがないから仕方ない。仲良しの輪に入れないのも楽しいと思ってもらえないのも人徳の無さ立ち回りの下手さだから仕方ない。
こちらが親愛をもって接しても同じようにされるわけじゃない。
わかってるけどやっぱり態度の差を見せられると辛い
何したら気にしなくて済むか分からないから最近はほとんどSNSで交流してない
35歳なのにまだ中学生みたいな事で悩んでるの恥ずかしすぎる
日常会話や世間話なら一人当たり一文。ほとんど一文ごとに話し手と聞き手は入れ替わる。
このやり方である限りにおいては先生と弟子があるテーマに沿って対話して一緒に学びを深めていくようなことにも当てはまることだが、話す順番は特に意識する必要はない。相手が聞いてきたことから答えればいい。
それは問いも答えも文章的には一文によってやり取りされることに関わっている。
これが二文以上を費やしてもっとまとまりのある情報を一度に伝えようということになる段階で文章の組み立てというものは意識される。
長い文章ほど推敲もしないで思いつくままに話したり書かれたりされても受け手はどんどん置いてきぼりになっていく。
やみくもに話したり書いたりしたとしても偶然話の組み立てとして最適解な順番になっていて推敲した時と同じ効果を受け手に及ぼすこともあるかもしれない。
むしろそれが偶然よりも高い確率で起こるようにするためにこそ推敲をするのだと考えるべきだろう。
ここまでのことを踏まえれば、結局逆に言えば挨拶や英会話のような単純な質問と応答のような世間話のような類をラインやネット上の掲示板でチャット感覚で行なうことにおいては、その文章は本質的には形式に囚われて文章と分類していても仕方がないのではないかということだ。
文章は他人の目に触れた瞬間それは解釈的に作者の手から離れるというが、まさかチャットで書き手が誤解されて誤解であることを釈明した後でも「お前の先の文章ではそう解釈できるんだからお前がどういう意図で書いたかは関係ない」とか言ったらただのキチガイだろう。
政治家が発言を撤回したならば撤回したという事実自体は受け入れられ、批判されるのだとしても「撤回するなら最初から言うな」といったような類であるのが健全であり、まるで撤回したことなど知らないかのように「なんであんなことを言うの」と言い続けるのが異常とみなされることに対応する。
また一般的な文章では同じ言葉は極力使うべきではないという考え方があるようだがチャット的な単なる意思疎通のための文章では別にそのようなこだわりは求められていないと思う。
これも音声での対話でも同様に同じ言葉を何度使おうが全く気にしないのと対応している。
そもそももし我々が声帯も手も失ってしまったら何が望まれるだろうか。
脳から口を動かしたりキーボードを叩くときの命令が検出されたらそれに対応した人工音声の再生なり、ネットを対象としているなら端末への文字の入力なりが望まれるのではないか。
ネットを対象をしてなくて対面でもあえて胸元にiPadみたいな液晶をぶら下げておいてそこに言葉を発しようとする時の脳の命令に対応する文字が出てくる仕組みを望む人もいるかもしれない。
いずれにせよこうやって考えてみると、音声のときと文字の時とで文章かどうかの扱いが変わってしまうという考え方には本質を欠いた印象を受ける人も出てきているのではなかろうか。
しかし現行の考え方では人工音声か胸元に文字が表示されるいわゆる筆談形式をとっているかというだけで文章という呼称を適用すべきかの判定をしていることになる。
増田というある種の仮想空間においても我々は喉を潰され筆談を強制されているようなものだ。
筆談する障がい者の表現は全て「文章」力という尺度によって評価されるべきなのだろうか?現に「口下手」だった後天的啞が筆談でコミュニケーションを取っている場面でその巧拙が考察される場合、おそらくそれは会話という捉え方で分析されるように思えるし、このような場での表現の巧拙をやみくもに全て文章力と呼んで処理する傾向は腑に落ちない。
dorawiiより
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彼女はベトナムの田舎に生まれた。父親は学校の先生で、母親は縫製の内職をしながら介護をしていた。2人姉妹で妹は障害があった。外国に行って沢山お金を稼いでベトナムに家を建てるのが夢だった。
義務教育を受けたあと専門教育を受けて看護師になり、都市部の病院に就職した。ベトナムの看護師は初級から上級までレベルがあり、大学を出ていない彼女は下のレベルで安月給だった。
病院では外科で働いた。身の回りの世話は家族がするため、彼女は毎日処置や点滴や酸素管理などの医療行為に追われた。
彼女は最初、台湾か香港で看護師として働こうと思い中国語を勉強していた。次第に看護師ではなく海外で働ければ何でも良いと思うようになった。
ある人から「台湾の工場で働く仕事を紹介するよ」と言われた。彼女の父親はブローカーに払ったベトナムドンは日本円換算で約60万。そのお金を払えば台湾で働けると思った。
そしてベトナムの「送り出し機関」に登録した。その送り出し機関は台湾、韓国、日本に多くの技能実習生を送り出していた。
送り出し機関のスタッフは「コロナの影響で台湾は仕事がない」「日本なら仕事がある。最初は工場での仕事だが、日本は高齢化だから日本語が上達したら将来的に看護師としても働ける。そうすると月給8000万ベトナムドン(日本円で50万)は稼げる」と勧めた。
彼女は日本語を勉強したことがなく不安だったが、これは人生最大のチャンスだと思った。
まずは最低7ヶ月間送り出し機関で研修を受けなければならない。請求書には教材費、研修費、渡航費、健康診断費、ビザ登録手数料などで総額にすると日本円換算で40万近くだった。すでにブローカーにも多額のお金を払っている。
彼女の父親は親戚や知人からから借金をして送り出し機関にお金を払った。送り出し機関は寮制で、食費や寮費は別途必要だった。ここで日本語、工業縫製、日本での生活ルール(交通マナーやごみの出し方など)を朝から晩まで勉強した。
結局彼女は日本に入国するまでに日本円換算で2億ベトナムドン(日本円で約130万)ほど支払っている。彼女の父親の年収が4800万ベトナムドンであることを考えるとかなり高額だった。それでも先進国の日本で働けばすぐに返せると思っていた。
いよいよ日本に入国し、管理団体で研修を受けたあと、田舎の工場で縫製の仕事を始めた。朝8時には仕事場に行き、寮に帰るのは夜19時。遅い時は20時過ぎた。
寮はベトナムの送り出し機関の寮より狭い2人部屋。廊下や共有施設は監視カメラ。個室は鍵があるが、仕事中に寮の管理人が勝手に部屋の中をチェックする。
布団、食器、調理器具、スリッパ、自転車、布団、ドライヤー等はすべて寮の備品を使わなければならない。個室の壁には画鋲やテープを貼ってはいけない。
「エアコンの効きが悪いので、電気ストーブを私費で買って部屋に置いても良いか」と相談しても火事を理由に却下された。
手取りは寮費を差し引いて7万〜8万。ここから食費を払い、必要な生活用品を買えばわずかしか残らない。父親は日本に送るために借金をしていたので、苦しかったが3カ月に10万ずつベトナムに送金した。
休日は月6〜7日。風邪で休んだら給与は減額された。健康保険証と在留カードは会社が預かっていた。外国人は在留カードの携帯義務があるため、寮の近くのコンビニとスーパー以外に出かける時はどこに行くか伝えなければならない。在留カードを受け取りに、帰ってきたらまた会社に渡す。病院に行くときも毎回健康保険証を受け取る。厳しく行動が管理されていた。
技能実習制は原則として実習先を変えることができない。管理団体に相談しても助けになってくれない。実習をやめてベトナムに帰国したら父親の借金を返すあてがなくなる。
彼女はfacebookで同じように日本で暮らすベトナム人グループと繋がり、愚痴を言い合う時間だけが癒しだった。技能実習先を離れたらもっと稼げる仕事があると紹介された。それはルール違反なので断った。失踪した仲間もいた。
彼女は「日本で看護師として働く」ルートが事実上不可能なことを知り、特定技能に切り替えて介護士として働けないか支援団体に相談したが、受け入れ企業は高いお金を送り出し機関等に払っているため難しいとのことだった。
そんな中で親切に接してくれる日本人男性がいた。彼女より11歳年上の社員の男性だった。優しく日本語や仕事を教えてくれて、休憩中にはお菓子をくれた。休日はドライブデートで外食。仕事の相談もお金の悩みも全て聞いてくれた。結婚して一緒に暮らそうと言ってくれた。オンラインでベトナムの両親に挨拶してくれた。彼女は忙しい合間を縫って結婚に必要な書類を申請していた。
ある日、彼の部屋で性交渉を求められた。彼女としては婚前交渉はしたくないし、妊娠したら実習継続不可で帰国させられると言われていた。(実際は産休育休の権利があるが行使できない圧力がある)
すると彼は日本では婚前交渉しないと結婚できないと言ってきた。彼女にとっては唯一頼れる職場の上司であり、拒否することは恐怖だったが、夜中に部屋を飛び出して泣きながら寮まで帰った。
「襲われそうになった」と相談したが「婚約者で家に行ったのだから当然」というように諭されて絶望した。
あとで分かったことだが正社員もいうのは嘘で契約社員だった。離婚歴もあり、借金もあった。
彼女は裏切られたショックを抱えながらも何とか2年働いたが限界だった。寮から失踪した。在留期間はまだ残っている。しかし他の仕事をするのは違法になる。彼女は入管に出頭し帰国した。
多摩動物公園でハトを眺めていた。カラスバトさんとソデグロバトさんとアオバトさん。
カラスバトさんは名前だけだとカラスなのかハトなのかわからない紛らわしい名前だが、目が黒くてクールなハトだった。お馴染みのドバトさんみたいに緑色と赤紫色の光沢があって綺麗だった。
檻の中には一心不乱に餌箱の餌をぱくぱく食べている個体と止まり木の上でじっとふくらんだままの個体がいた。
同じ檻に手乗り文鳥をそのままデカくした感じのイワシャコさんがいたけど、喧嘩したりしないのだろうかと思った。
ソデグロバトさんは名前にクロってあるけど見た目は真っ白でふわふわな可愛いハトという感じだった。翼の袖の位置にあたる羽根は確かに黒かった。ソデグロバトさんは止まり木の上に見張りみたいにずっといた。ここもコサンケイさんが同じ檻にいたんだけど、石の後ろに隠れたままで姿は見えず。
アオバトさんは嘴が青く羽はくすんだ黄緑色といった見た目で、通る人たちがみな口を揃えて「綺麗ね〜」と称賛するくらいに綺麗だった。途中で20秒間くらいにらめっこしていて、アオバトさんが羽づくろいを始めたので僕の勝ちになった。
その隣の檻は別のカラスバトさんの檻で、ニジキジさんというキジとシェアルームだったがニジキジさんは奥のほうでじっと固まったままだった。
ここのカラスバトさんは僕のほうを見つめてしきりにホウーホウーと鳴いていて、これは友好の挨拶をされているのか威嚇されているのか判断がつかなかったが、ずっと見つめ返しているといきなりおじぎするみたいにこくこく頭を下げてきたからカラスバトさんなりの小粋な挨拶だったのかもしれない。
お腹が空いたんで今は売店で体によさそうなカレーを食べているところ。またハトさん見て、そのあとぐるりと他の所を見に行こう。
そういえばキジ・ハトのエリアの隣のサル山でハクセキレイさんを見たんだよね。また尾羽ふりふりを見られてうれしかった。でも間も無くしてめっちゃ金玉でかいニホンザルが声荒げながらガチ追いかけっこしてたのに驚いて飛び去ってしまった。残念〜。