「検索」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 検索とは

2025-01-19

仕事中以外は勉強しないプログラマー20年やってきたけど限界がきつつある

入社最初の3年ぐらいは休日勉強してたんだけど、ある日「いくら頑張っても給料上がらねえし、仕事中に学べる分だけでええわ」と気づく。

そこから20年、ずっと休日勉強せずに遊んできた。

でもいよいよ限界が来たっぽい。

ぶっちゃけ今までは仕事時間中に色々検索して勉強してたんだけど、それやってる時間労働時間カウントしてはいけないってルールになってきた。

俺はそれに対して「えぇぇぇ!?じゃあ何も調べずに今知ってる知識範囲適当に組めばいいんですかぁぁぁぁあ!?」とわざとらしく煽ってやったんだがそれが良くなかったらしい。

勉強時間仕事としてカウントすることが一切禁止というお触れが出てしまった。

そこで俺はすかさず「えぇぇぇ!?じゃあ仕事中に調べないと分からないことが出てきたら、勉強のために時間休でも取れってことですかい旦那!?」と更に煽ってやったんだが、これがまたしても失敗だったらしい。

「わからないことがあったらメモをしておいて、就業時間が終わってから自分時間勉強するように」という意味不明ルールが始まったのだ。

もう終わりだよこの会社

転職活動しなきゃなあ。

anond:20250119124819

岡山駅の周辺で検索したら20店ぐらい出てきたぞ?

お前が言ってるのはどこの田舎基準にした「岡山」なんだ?

ガノタの方のVTuberアレルギーが凄まじくて驚いた話

表題の通りで、ガンダムシリーズ最新作の挿入歌VTuberの星街すいせいの起用が発表された際、Xの一部で阿鼻叫喚が巻き起こっている。

・絵畜生が関わってるなら観るのやめた

・V豚はYouTube内だけでブヒブヒしてろ

・どれだけ自衛してもあらゆるコンテンツ侵食してくるのやめろ。さながら不法移民

・この起用を決定した関係者みんな○ね△す。家族ともどもみんな不幸になれ

作品は100点。絵畜生の歌でマイナス×億点

ラーメン食ってたら知らないキモおじさんに痰吐かれた気持ち

・食べようとしてた唐揚げに無断で下痢便をかけられた気持ち

いくらなんでも拒否感の噴出の仕方が凄まじすぎて驚いた。親でも殺されたかのような様相である

(本当にこんなふうにに投稿している人がたくさんいるので、ぜひXでそれっぽいワード検索してみてほしい)

百歩譲って、

ゲスト出演!とかいって作品内にチョイ役で登場するとか、

認知度が高いだけで特に音楽の実績がない単なるアイドルYouTuber的なVTuberを起用するとか、

大げさではあるが「作品を汚された」といえなくない関わり方もそりゃあるだろうとは思うが、

SSA日本武道館でのコンサート実績がある歌手VTuberが単に挿入歌担当しただけで、どうしてこうも拒否反応がでるのだろうと。

で、いろいろXを漁ってみたところ

二次元の中に三次元混ぜるのほんとやめろ(原文ママ)」

という本件に関する投稿を見つけて、はて三次元主題歌担当米津玄師はどうなる?と思いつつも他のもみていくと、

VTuberは外見は美少女キャラクターの皮を被りながら実際は現実実在人間として振る舞う信念のない中途半端存在。”絵”+”畜生”とはよくいったものだ」

という意見がそれなりにあることがわかった。

かにフィクション内に存在している架空キャラクターと、ほとんど現実人間として活動しているVTuberでは、見た目は似ていても文学的存在としての純度にはかなり差がある。

一部のアニメファンがこの純度を重要視していて、中途半端ものを紛い物として認めないのであれば理路は通っている。アニメ作品VTuberが関わることは汚されることと同義なのかもしれない。

(「バーチャルキャバクラキモい」とか「過去職業差別発言をしたVTuberがいる。界隈は民度が低いから関わりたくない」などの意見もあったけど)

もはや俺のXのおすすめタイムラインは「面白いから一刻も早く劇場に行って観ろ!」という投稿と「絵畜生が関わるなら絶対観ない!」という両極の投稿が入り交じるカオス状態で、吹き上がってるのは一部の人々なんだろうけど、なんにせよ凄まじい。

最近知った言葉「スナ系」

地雷系の次に流行りつつあるファッショントレンド

スナとはスナイデル(SNIDEL)のこと

少しお姉さんっぽい感じになる(画像検索すれば分かる)

地雷系は2023,2024あたりが流行りまくって今少し落ち着いた?

 

個人的にはSNIDELってそんな界隈化するほど人気だったんだ?と思った

俺が知ってるくらいだから存在感は大きいんだろうけど

こういうのってブランド作った側からすると名誉だよな?

GRLやINGNIもスナ系らしいんだけど、そう考えるともうちょい良い言葉無かったのか

2025-01-18

anond:20250118232015

カノッサの屈辱』、ググってみたけどめっちゃ面白そう。

放送時期見るとまだギリギリまれてるくらいだった。

画像検索したら「ユーミン西太后」とか出てきてワロタ

何本かYoutubeに上がってるっぽいから見てみるわ!

anond:20250118151317

隣の県で一番人気のあるラーメン屋ラーメンデータベース検索してドライブがてら食べに行ってみる。

ふしぎちゃんキャラ名前検索したら「○○ 発達障害」ってサジェストが出てくるの悲しい

anond:20250118123618

「いちゃつく」程度のものポルノっていわないし人によってはエロともいわない。

今までのお前の検索力がゴミだっただけでは。

生成AIママみたいに要求を訊いてくれて良かったね

anond:20250118062303

AIに尋ねたら、"リフレ政策の支持者は、経済活性化させるために中央銀行が無制限紙幣を発行することが必要だと主張します。"についての増田反論はその通りだそうな。

リフレ政策リフレーション政策)とは、経済活性化させるために、一般的には中央銀行金利を低く保ったり、資産購入(量的緩和)を行ったりして、貨幣供給を増やすことを指します。つまりリフレ政策目的は、経済を刺激するために貨幣供給量を増加させることです。

しかし、リフレ政策の支持者が「無制限紙幣を発行することが必要だ」と主張することは、通常はあまり見られません。リフレ政策基本的な考え方は、経済需要不足やデフレを解消するために貨幣供給を増やすことにありますが、「無制限に」という表現現実的ではなく、過剰なインフレを引き起こすリスクも伴います

また、リフレ政策に対する支持は、無制限お金を発行することを前提とするわけではなく、適切な貨幣供給の増加とバランスが求められます。過度に紙幣を発行すれば、インフレが加速し、経済に悪影響を与える可能性があるため、慎重な政策運営必要です。

したがって、リフレ政策の支持者が「無制限紙幣を発行するべきだ」と主張するのは、一般的には過度に単純化された主張であり、経済政策の実際の議論とは乖離しています

②"1920年代ドイツでは、過剰な通貨供給ハイパーインフレ引き起こし、人々の貯蓄は一夜にして無価値になりました。"に対する増田反論についてもAIに尋ねたが、「供給不足自体インフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的見解」とのこと。

「過剰な通貨供給ハイパーインフレ引き起こした」という見解が、一般的には妥当とされていますが、反論一定理由があるため、その背景を理解することが大切です。

ドイツハイパーインフレの原因

1920年代ドイツハイパーインフレは、第一次世界大戦後の複雑な経済状況に起因しています戦争の結果、ドイツ経済は壊滅的な打撃を受け、生産能力は著しく低下しました。また、戦後賠償金支払い(ヴェルサイユ条約による賠償金)が大きな負担となり、その支払いに備えてドイツ政府通貨を大量に発行しました。この通貨供給過多がインフレ引き起こし、最終的にはハイパーインフレに至りました。

反論観点

反論の主張は、戦争による生産能力の壊滅とその後の供給不足がインフレの原因であり、通貨を刷りまくった結果として必要物資を購入しようとした政府の行動が原因ではなく、インフレが生じた後にその対策として紙幣が大量発行されたという点に焦点を当てています

実際、戦争での破壊的な影響と供給不足がインフレ悪化させたことは間違いありませんが、問題本質ドイツ政府賠償金支払いのために大量に通貨を発行したことにあります通貨供給の増加は、インフレさらに加速させ、最終的にハイパーインフレに至ったのです。供給不足自体インフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的見解です。

結論

反論戦争後の供給不足と政府の行動を重視しており、これも一定の要素として理解できますしかし、ハイパーインフレ根本的な原因は通貨供給の過剰であり、経済史学観点からは「過剰な通貨供給インフレ引き起こした」という見解がより妥当です。

こういった説明妥当性について検証したければ、検索型のAIに聞けば根拠とした情報源も出してくれるわけだし、ほんと、会議AIを同席させるのはもはや必須と思える。

声優高濃度水素ゼリー食ってるのが面白くてネット検索したら

Chrome北九州市の返礼品(高濃度水素ゼリー含む)さとふる広告が表示されるようになったんだけど

こうなるのが鬱陶しいかWebサービスの存続に広告必要理解しながらも広告ブロッカーをオンにしちゃうんだよね

2025-01-17

復讐したら人生が始まった。

長いです。

中学1年生のとき、太ってて肌が汚いブスってことでいじめられて不登校になった。

派手で性格がキツい同じクラス女子Aが主犯で、教師も誰も助けてくれなかった。

高校通信制に行ったけど、2年からがんばって地方国立に進学して、今は税理士になって働いてる36歳です。

派手な復讐じゃないけど、Aを見返すことができてやっと人生を取り戻せた気がする。

年末とある顧問先の企業年末調整をチェックしていたら、Aを見つけた。

中学同級生とは全く連絡をとっていないので、Aの近況は知らないんだけど、アルバイトとして働いているようである

年収は200万円にも満たないか結婚して扶養に入っているのかと思ったが、苗字そのままで配偶者なし、住所を検索してみると築40年の軽量鉄骨1DKアパート

私を苛めて学生生活を壊した女が低年収で安アパート住まいなのかと思うと笑ってしまいそうだった。

Aと似た名前容姿の人にまで怯えて生きてきたこれまでを思うと、この現実だけでもかなり爽快だった。

その会社は先輩税理士から引き継いだばかりで挨拶にすら行ってなかったので、事務員が持っていくはずだった年末調整書類を私が持っていくことにした。

スーツセミナー講師をする時や壇上に立つ時用に作った一番良いセミオーダースーツを着て、一昨年買った中古レクサスは洗車してピカピカにした。私自はいまだにチビデブなんだけど、身だしなみには気を遣っているか清潔感はあるつもりだ。

引き継ぎの挨拶も兼ねたいと事前に伝えていたからか、顧問先の社長専務奥さんと共に歓待してくれて、税理士である私がわざわざ年末調整ごとき書類を持参し挨拶してくれて嬉しいと言うので少し申し訳なさを感じる。

バイト込みで15名程度の大手下請け製造業なので、応接スペースに隣接する作業場従業員さんたちが働いている。今年買った機械設備確認と称して作業場にお邪魔してすぐにAが分かった。

Aは中学生の頃、別に美人ってわけではないがイケてる女子だった。しかしなんと今は女版チー牛としか言えない容姿で、更に私よりも太っていて汚らしい。さらこちらをガン見している。

私の苗字は難読で珍しいので、顧問税理士として話題になった時にでも気づかれていたのかもしれない。Aを見分けたとき、私は気づかないふりをしようと瞬時に判断した。

これは無視するのが一番良いと思った。勝った、と思ったから。アラフォーで低年収アルバイトの汚らしい女。私の10代はこの女に壊されて鬱屈したものだった。通信制高校でも大学でも、怯えや卑屈さが先立ってしまって友達なんかできなかった。なんとか生きていきたかたか税理士資格をがんばって取って、お前の雇用から丁重おもてなしを受けているよ。

Aの表情からして私に気づいていることは確実だったけど、顧客企業の初対面の従業員に微笑んで会釈するポーズを上手くやれてたと思う。

なんでAがそんな状況にいるのか経緯を知りたい気もしたけど、客観的に見て私の方が何もかも「上」の人間だと感じた。Aは私に再会したことにすら気づけてもらえず、歯牙にもかけられなかったと思っているはずだ。

事務所への帰り道、これまでの人生で味わったことがないくらい心が晴れやかで、雨が降っていたのに景色が明るく見えた。

事務所に帰ると1月から産休に入る年下の事務員さんが出迎えてくれて、彼女のことが突然心配になった。うちの事務所は古くて段差が多い。いまさらだけどつまずいたりして怖くはなかっただろうか。工事するには遅すぎるけど、不安なところがあったら教えてほしいと言うととても喜んでくれた。社長が持たせてくれたお土産シュークリームを一緒に食べたら、それもおいしいと喜んでくれてとても可愛かった。

年末税理士事務所は繁忙期で、みんな疲れきっていたから、初めて使うUberスタバドリンクおやつを頼んだ。私がそんなことをするのは初めてだったので、事務員さんも先輩税理士もとても驚いていた。シュークリームを食べた人たちも含めてみんな喜んで飲み食いしてくれて、楽しい気持ちになった。

この時からなんだかとても人の役に立ちたいと思えるようになった。

私の人生を壊しかけた女の惨めさを見て、そいつを取るに足らないものとして扱った程度のささやか復讐だったけれど、私のことを凝視していたあの醜い顔はとても胸のすくものだった。

尊厳回復ってこういうことなのかな、と思った。自己肯定感を取り戻したことで、自分の部下である事務員さんにも思いやりをかけられるようになれて、やっとマシな人間になれそうな気がする。

苛められている私を抱きしめて何度も謝って泣いた母は税理士試験合格する前に死んでしまったし、父は若年性認知症でかなり前から施設にいる。

孤独一人暮らしだけれど、新築マンションに住んでレクサスに乗れているし、顧客からの信頼を得られていると思う。従業員さんたちとはシュークリームスタバ以降、なんとなく関係性が改善できできたように思う。

中学生の頃からきっとずっと固まり切っていた感情がやっと解けて、初めて人に思いやりをかけられるようになったんだと思う。

ボス税理士にも最近変わった、彼氏ができたか?と聞かれたので、とりあえずすごく良いことがあった、仕事のおかげだから感謝しているし頑張って働くと伝えた。

来週から産休に入る事務員さんが今日、私だけに挨拶お菓子をくれた。産休クッキーか?とゲス好奇心を持ったが、地元の有名洋菓子店の美味しいガナッシュだった。産休中に日商簿記2級を勉強するのだと言うが、3級取得に2年かかった彼女がそんな短期間で2級を取れるようになるはずもない。それはそのまま言えないので、産休中は体を労って、復帰してから一緒にがんばろうと伝えたら泣いて感動していた。ずっとバカギャルだと思っていた彼女がなんだかとても可愛くて、来週から一年会えないのは悲しい。

今は毎日が明るくて楽しいと感じる。

anond:20250117223112

ぶっちゃけAIって何の価値があるのか良くわからん

ネット検索の要約が上手だったりtiktokでやってるような文字情報だけで動画を作ってくれるわけだよな

Linuxコマンド操作ネットワークの質問だととても丁寧で的確な答えをくれる

んでもそれが何だというのだろ

毎月何千円もだして契約するほどのことかな

PC内のファイルや自前の文章を加工する際にAIを使うと当然情報は読まれるわけだよな

プログラミング自分はやらないがこういうアプリ作って」で作ってくれるのか

何ができるのか具体的な説明がないか分からん

無料版で十分だ

お気に入りセクシー女優が年老いていくのが悲しい

分かる?この気持ち

お気に入りセクシー女優がいてさ

動画とか書いまくってさ、見まくってさ

すごいなーいいなーこんだけ可愛けりゃそりゃ専属だよね

みたいに思っててさ

応援してて、

でも、だんだん

あれ?なんか違うな

可愛さが消えてきたっていうか

歳をとってきたというか

艶やかさが減ったというか

なんか、こう、興奮しない

年齢を調べると、もう、25歳

25って若いといえば若いけど

AV界ではどうなんだろう

そのうちさ

単独専属でやってたのもなくなって

エグいプレイもし始めてさ

どんどん劣化していって

最後には引退

悲しい

悲しすぎるよ

セクシー女優の終わりはいつも悲しいよ

前に好きだったのはいわゆるロリ女優

でもその子劣化は早かった

どんどん年相応の容姿になって

ロリ系で売ることができなくっちゃった

名前検索したら

風俗で稼いでるみたい

AV出演→風俗ってラインあるあるなのだろうけど

まりにも悲しい

もっと潰しが効く仕事にならないのか

一生体を売る仕事なんてできないじゃん?

可哀想すぎる

俺がAV買わなきゃこんなことにならないのでは?

なんて考える日もあった

応援するからどんどんAV世界、体を売る世界から出られなくなってる

そんな気もするから

応援するのも辛くなってきた

俺はどうすればいいんだ?

anond:20250117073736

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同人誌 今日ランキングTOP10

(※男女両方検索結果同じ)

ピクシブで一件だけでてきたけどおまえレタ酢っていうの?

まんこ注射ってなんだよ笑

はんこ注射の間違いだろ笑

って思って検索したらマジであるのね

膣の締まりをよくするらしい

ピナッソスの思い出

ピナッソスとは、謎の黒人がつくった謎料理のことである

昔のことなので仔細を忘れたが、世界屋台料理と称した野外イベントに、ピナッソスを出品している屋台があった。

日本語の拙い外国人店員に尋ねたところ、カレーに似たほうれん草料理だという。

カレーなら大外れはなかろうと注文したところ、確かにほうれん草入りのカレーライスのような料理が出てきた。辛くはなく、むしろわずかに甘い。

屋台物なので食い出はなかったが、肉や野菜もっとたくさん入れればもっと美味しいだろうなと思いつつ、ピナッソスを完食してその場を後にした。

家に帰りネット検索したところ、なんと「ピナッソス」は1件もヒットしなかった。なんなのだこの料理は。

店員誤記かもしれないと思いなおし、「アフリカ」「シチュー」等の単語で再度検索したところ、その料理はマフェと呼ばれる西アフリカ料理であり、ほうれん草のマフェはギニアであるとつきとめた。マフェとピナッソスじゃ全然違うじゃん。

ところで、マフェの特徴はコクと風味付けのためにピーナッツバターを使う点にある。

ピーナッツバター

ピナッソス…

ピナ…ソス…

嗚呼ピナッソスとは「ピーナッツソース」のことであったのだ。

メニューを代筆した日本人が聞き間違いをした結果、ピーナッツソースピナッソスになったと思われる。小説人間の証明」並みのトリックであった。

「マフェ」でネット検索すれば料理写真レシピは多数入手できる。美味しい料理なのでぜひお試しください。

ネット検索をしても1件もヒットしなかった単語ピナッソス」。この場を借りて「ピナッソス」をインターネットに記録したいと思う。

ピナッソスとは、謎の黒人がつくった謎料理のことである

Google の人に聞いたんですが、日本人検索ワードをなぜか単語でやる傾向があるらしく、AIを使った調べ物に少しの抵抗があるらしい」「え、Google検索ってワード単位でやるもんじゃなかったの?」

卑怯者が気持ちよくなってて草

その気持ちよさのぶんそのうち「返って」くるんだね

ひ〇ゆきさんとおなじ

2025-01-16

              活動日誌

    時刻                      記事

    04:30                  起床

     6:30                  消防署前。

     7:00                  消防署前で、出初式

    11:00~11:20          宮崎地裁延岡支部

    12:00                 昼食。

    13:41               横田忠彦に判決結論をきく。住所変更届のための話で11分に長くなる。

    14:00                 出発。

    14:40               荒平デイサービス祖母を見てすぐに出る。

                           浦城と須美江を検索

    17:00                作業かたづけ、帰宅準備 帰宅

    18:00                 印刷用事コピー機に立ち寄る。

    18:20                 帰宅。夕食。

    19:00                 祖母が倒れて動けないというので立て直しに行く。仏壇などがなくなっているし敬一の部屋はゴミ屋敷になっている。

    22:00                    就寝

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

   30歳から43歳は、身柄をその場所に現さないで、なにかをで、やるということが流行っているから、当職が調査のため、須美江キャンプ場のケビンなどを

   検索したが、15:30~17:00の限り、誰も見当たらなかった。むしろ、昔から働いている人間しかいない。あの辺を一世を風靡した安室奈美恵本人も

   今どうなっているのか分からない。

anond:20250116203813

いわゆるスナックボウル開けはどうだろうか

キャベツの袋を逆さまにして、マチを作るように形を整えたら、底の角(三角形になります)を袋の内側に折り込み、袋の上部を開けて、底をどんどん内側に折り込み、あとは内容物が盛り上がってきて、好みの高さになったところで、底を整えて完成、というやつだ

詳しくはスナックボウル開けで検索すれば動画とか出てくると思う

anond:20250116181752

それはお前の検索の仕方が悪いだけだし、例えば店員が一人いたとしてそれが救命活動になんか関係あるんですか?

anond:20250116181126

AED検索してみればわかるけど、商業施設もない田舎公共施設に置いてありますけど?

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