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2025-12-05

高市政権誕生後の日本社会を語る

中国戦争しかねない右翼政権危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスク理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在政局国防上のリスク、これから日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。

賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本現在危機を脱することができます

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる https://gendai.media/articles/-/51438

より抜粋

つの国家

つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラナショナリスト勢力行動様式や、そのめざすもの理解やすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。

第一国家観では、国家を、ひとりひとりの人間共存福祉のための公共財である機械装置と考える。

国は水道電気医療交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要ものだ。その意味で、危険国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である

また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から日本普通先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条改正すべきだと主張する筆者は、「リベラルタカ派」と呼ばれることがある)。

この第一国家からすると、「ウルトラナショナリスト勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。

そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。

国家愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である

それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置防衛メンテナンスのための危険業務組織軍隊)は、集合的生命男根のように感じられる。

アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱体験である

また集合的生命根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である

そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。

国体ひかり輝かせること

第一国家観は、ひとびとの安全生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である国益計算戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。

第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である必要がないときに使ってはならない。そして21世紀世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物しかない。

この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか江戸幕府支配していた日本列島は、列強植民地にされる危険さらされていた。

クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。

それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚である。そしてこの興奮剤は効いた。国家集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。

生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。

しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬自家中毒にやられたのだ。

狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカ戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民生命安全という本来目的第一国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。

学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本ありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義社会であれば、軍事的成功第一の優先事にするはずである

しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体ひかり輝かせることが優先された。

集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。

カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき散華)でなければならない。

このような国体覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊合理的運用すら破壊した。

太平洋戦争では、みこまれ戦果自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。

毎日新聞記者栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄日本人終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。

また、航空機の援護なしに戦艦大和沖縄派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである

もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民自発的集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる

gendai.media

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) | 現代ビジネス | 講談社

日本中、さら世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権日本戦前社会に戻そうとしている「ウルトラナショナリスト政権であると考えられており、日本戦前タイプ社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...

最終更新

午後0:31 · 2025年11月28日

·

https://x.com/naitoasao/status/1994247826122133583

2025-12-04

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

2025-12-01

anond:20251201152834

中国には一切異を唱えず完全に服従する」

中国の言うことには一切耳を貸さず徹底的に対抗する」

の2択しかないと思ってるパターン

その2択なら後者が正しいと思ってしまうのもわかるといえばわかるが

2025-11-29

自分能力の「市場価値」を安く見せて他人に尻を拭かせる者は、恥を知れ

・隷従は、第二の本性となった「習慣」から起きる

圧政者の共犯者となって悪事をはたらき民衆を隷属させる実行部隊隊長は高々4, 5人

臣下を飼い慣らすやり口〉

ペルシャ王は遊戯によって民を腑抜けにした

ローマ圧政者たちは饗宴によって民衆を買収した上で「護民官」を名乗った

エジプト初期の王は小道具を使って自分権威神秘性を与えた

エペイロスの王は奇跡や驚異を「捏造」した

まり、「圧政者どもは、自分地位を確たるものにすべく、民衆服従ついで隷従の状態に慣れさせ、ついには自分を『崇拝』するに至らせるべく、弛まぬ努力を重ねてきた」

さらに、

万年野党として反発するその実、民衆ブレーキ役として圧政者と阿吽の呼吸で手を握り、旨みを噛み締める輩がいる(「証拠」を出せ!)

とはいえ

戦車体当たりしても轢かれるのがオチなので、自分の「何」が圧政者の利益になっているかを見極め、それを手札に使う。ただで「それ」を与えないということ。

Étienne de La Boétie自発的隷従論」より

2025-11-23

高市総理判断こそ、日本を守る唯一の選択だって気づけよ

正直さ、最近の「高市総理中国との摩擦を招いた」とか言ってる連中さ、ほんと浅いわ。

外交経済安全保障も、全部結果だけ見て文句言うだけの観客席気取り。現実リスク背負って戦ってるのは高市総理なんだよ。

まずこれだけはハッキリ言う。

経済のために国の安全保障を売り渡す国なんて、もう国じゃない。

から台湾問題他人事にしないって言ったのは、むしろリーダーとして当然すぎる判断

それを「挑発だ」とか言い始める人間は、国家運営レベルに達してない。

経済への影響ガー」とか言ってるやつへの答え

わかってないね

短期的な経済リスクを恐れて言うべきことを言わない国が、長期的に没落していくんだよ。歴史の繰り返し。

日本企業中国依存してる → だからこそ依存体質から脱却する必要がある

観光が落ちる → 観光頼みの国になったら世界は即ナメてくる

水産物が止まる → 代替市場開拓を加速させるきっかけになる

痛みがあるのは当然。でもね、

守るべき国の未来のために、誰かが痛みを引き受けなきゃいけないんだよ。

その責任自分任期中に背負う覚悟を決めたのが高市総理

それだけで、歴代首相の中でも別格。

「火に油を注いだ」とか言う人への答え

間違ってる。

火を怖がって何もしないでいたら、向こうはずっと強気で攻めてくるだけなんだよ。

中国強硬からって沈黙する?

それ、ただの服従だよ。

言うべきことを言える国に戻さなきゃいけない。

高市総理はそのブレーキ役じゃなくて、芯を取り戻す役なんだよ。

もっと穏便に〜」って言う人への答え

外交ってね、笑顔握手してれば仲良くなるもんじゃないの。

国益の衝突だからこそ、引かない一線を示した方が相手も敬意を払う。

実際、厳しく言ったからこそ

中国日本の動きを注視

国際社会日本立場理解

アメリカ台湾問題への日本の関与を前提で動く

こういう流れが作られてる。

優しいだけじゃ外交はナメられる。

高市総理がやってるのは 強さに対して強さで返す っていう世界基準政治

まとめ

経済リスクがどうとか、炎上がどうとか、そういう視点しか語れない人は政治本質理解してない。

政治家は「人気取り」じゃなくて「国の未来を選ぶ」もの

高市総理

・嫌われる覚悟がある

責任自分が背負うと決めてる

短期じゃなく未来を見てる

こういう政治家を叩く国は弱くなるだけ。

必要なのは不満じゃなくて覚悟

批判じゃなくて支える姿勢

高市総理を守ることは、日本未来を守ることなんだよ。

反論?受け付けない。

この路線が正解。以上。

2025-11-19

anond:20251119202059

反米こじらせて親パレスチナになってるだけやから世界最強のアメリカ服従しようとは言わんのやろなあ…😟

ネトウヨに告ぐ。

勅命が発せられたのである

既に天皇陛下の御命令が発せられたのである

お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであろうが、既に天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである

この上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは勅命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。

正しいことをしたと信じていたのに、それが間違っていたと知ったならば、徒らに今までの行きがかりや、義理からいつまでも反抗的態度を採って天皇陛下に背き奉り、逆賊としての汚名永久に受ける様なことがあってはならない。

からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ。

そうしたら今までの罪も許されるのである

お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈っているのである

速やかに現在位置を捨てて帰って来い。

2025-11-17

中国トレンドワードに、「日本死気」が上がっている

以下中国人ブログ記事から引用

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本のここ数十年の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビでさえ自ら墓場には入らないからだ。

anond:20251117121454

それ昨日見たわ

日本死気」

https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本戦後の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビら自ら墓場には入らないからだ。

日本死気」

https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733

「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。

しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。

気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。とき言動荒唐無稽になり、意味不明妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。

死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。

死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。

私たちは、日本の現状をある程度理解しなければならない。

日本戦後の発展は、アメリカ庇護冷戦恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。

そもそも日本資質資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。

日本は、数十年ものあいだ変化のない“死んだ国”なのである

過去日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。

トヨタホンダ日産など日本の主要自動車メーカー2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。

今年9月には、中国における日本車のシェア11.6%まで落ち込み、2020年24.1%から半減した。

本拠地である北米市場ですら、前例のない急減となっている。

自動車産業日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会経済は極めて大きな動揺に襲われる。

日本インフラ産業生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代時間が止まったかのような世界に生きている。

今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。

家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。

技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポスト占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。

日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。

数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。

今日日本の多数の産業競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。

日本EVインターネットドローンAIほとんど発展していない。

多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。

から彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機艦船年代物のポンコツ空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦わずか8隻、レーダーミサイル技術は大きく遅れている……。

こんな状態で、何を賭けられるというのか?

家の資産豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。

経済産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性技術の差だけで、相手疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。

しかし、日本がどうしても無理に突っ込むというなら――それはそれで“成就させる”しかない。

なぜなら、ゾンビら自ら墓場には入らないからだ。

2025-11-14

女が立場確立するには「子ども別にいらんけど」が必須

持論です。

結局これを心から言えるか言えないかが天下の分け目な気がします。

結局なんで女の立場が弱くなるかって、妊娠出産時の希望として「私も欲しいと思ってる」があるから「じゃあ子育てや家庭維持もおまえにも責任ありますよね~(そして旧来から雰囲気的に90~100おっかぶせ」になるわけじゃないですか。

肉体的にも30才~40才がデッドラインから焦る焦る。

焦って(まあもう私が折れればいいか。。)とかいって折れて、共働きだけど同時に家庭にも入って、グダグダXとかで「夫埋めます😇(埋めてない」ってなるわけじゃないですか。埋めるって言うならただXで埋めますヨチヨチ待ちで実際は夫にダンマリ服従キメてないで埋めろよほんとに。ダセェな。

それはいいとして、そういったお前も子どもしかったんだもんね?という言質につけ込んだナアナアの状況ができちゃうからいつまでたっても結婚出産=女の墓場になりがち状況になってんじゃないのかなと思うわけ。

だったらもう思い切って「子ども別にいらんけど」をまず言い切る覚悟を持つの必須では?というのが最近の持論なわけ。

そうすると不思議デッドラインは一気に無くなるんですよね。

70結婚でも80結婚でもまったくOK問題なし。

もちろん結婚しなくたって全然いい。

それだけでとっても気が楽では?

そんなに欲しいか?作りたいか子ども

そんな動物だってだってやってるようなことを神聖視するようなものですか?

ということを女はもうちょっと考えてみたらいかがでしょうか?と思います

2025-11-07

SNSおかしいんだよな

まともな社会なら価値のないクズ発言権は与えないはずだ

そういうクズはより強いものに頭を垂れ服従するようにできている

2025-11-01

anond:20251101180158

AI作文では無く真実を書きましょう

警察という組織は、約30万人を擁する日本最大級官僚機構である

比較のために言えば、トヨタ自動車従業員国内でおよそ7万人前後

民間企業ならば、多少横道に逸れた部署個性的社員がいても「多様性コスト」として許容される。意外な部署が思わぬヒット商品を生むこともあるからだ。

 

しか警察は違う。

この組織は“失敗を許されない”という前提で動いている。命令系統は強固に一本化され、全員が同じ方向を向いていなければ機能しない。個人の創意工夫よりも、上から命令に対する絶対的服従が求められる。つまり職員は「考える歯車」として統制される必要がある。

 

30万人の人間を完全に一枚岩として統制するのは、常識では不可能に近い。

慎重に採用しても、一定数の「跳ねっ返り」は必ず出る。だが警察はそれを表に出さない。組織の統制を守るために、内部で処理し、表面上の一体性を維持する。

 

そのために、警察職員を徹底的に守る。

事故事件不祥事があっても、よほどの例外を除き、内部で処理される。

組織に逆らわない限り、人生保証する」――これは警察組織不文律だ。

上層部に逆らわない者は守られる。たとえ不祥事を起こしても、組織は庇い立てする。

逆に、組織に異を唱えた瞬間、全ての庇護を失う。

 

から警察官たちは、矛盾理不尽に目をつぶりながらも組織に従う。

この“安心感”が強固な統制の基礎となり、結果として巨大な官僚機構を維持しているのだ。

30万人のうち一人として反乱を起こさない――これは企業ガバナンスでは到底実現できない統制力である

 

不祥事報道でも、警察官が実名で報じられることはほとんどない。

処分は「懲戒免職」ではなく「依願退職」。退職金支給される。

温情ではない。理由がある。

警察の人事は法令により公示義務があるため、名前を報じてしまうと、後日「再雇用」や「関連団体への出向」を通じて職員が戻ってきたことが容易に発覚してしまうのだ。

実際、問題を起こした警察官が、一時的に関連団体へ出向し、数年後に復帰するケースは珍しくない。

警察には「〇〇協会」「〇〇研究所」「〇〇財団」といった関連組織が多数あり、これらが実質的な“待避場所”となっている。

 

要するに、警察は「雇用身分を徹底して守る」ことで、職員絶対服従へと導いている。

その代償として、組織正義個人倫理よりも優先される。

 

かつては警察人事の公示ウェブ上でも閲覧可能だったが、現在では多くの自治体が非公開または検索避け措置を取っている。

公開していても、PDF画像ファイルに埋め込まれ検索不能にしている場合が多い。

実際には、本部庁舎掲示板に紙で張り出されるだけ――それが現代の「透明性」の実態である

「元自衛官だって外の社会に居場所がある」ってのは任期満了で辞めた一兵卒の話であって、軍曹まで昇進しておいて「辛い!辞める!」とか言い出すアホに居場所はないよ

工場ビルメン電気土方と渡り歩いてる間に講習会とかで数日話し合っただけなのも含めれば10人は元自衛官を見てきてる。

N=10しかないけど、傾向的に「元の階級が高い(≒自衛隊にいた年数が長い)ほど予後が悪い」と感じる。

年齢による適応力の低下もあるんだろうけど、ズレた価値観の中で過ごした時間が長すぎるとそこから抜け出せないように見える。

とはいえ半年で辞めるような人はやっぱ問題があると思う。

私が知っているのはN=1でしかないけど「先輩がシバいてるから俺も真似したら自分だけ怒られたので相談窓口にチクったら居づらくなった」みたいなことを平然と人前で言ってしまうような子で、どこでも長く続かないタイプなんだなと感じた。

3年任期や5年任期で満了して辞めた人(トヨタ短期工みたいなシステム)はちゃん社会に馴染めてた。

自衛隊の中の価値観に元々疑問があった人だったり、コスパ重視の価値観が今どきにあっていたり、手に職をつける意欲があったりと全体として1人の社会人として自立した考えを持っている。

からなくても勢いで「はい」と答えてしまう人が多い気がするけど、いきなり否定から入る人よりはまだ良いのかなと感じないでもない。

体力と理不尽耐性と命令服従意識が鍛えられている使いやすい下っ端として会社に入り、そこから周囲の顔色を伺って自分なりのスタイルを身に着けていくという生き方はどこでも通用すると言えばまあそのとおり。

一方で自主退職を行った軍曹以上の人達の馴染めなさはなかなか酷いものがある。

この人達にはおおむね似たような傾向がある自己評価の高さと実際に出力できている結果が噛み合っておらず自分待遇に不満を持ちやすいのだ。

たとえば自衛隊の中でどれだけ自分が偉くなったのかの自慢を仕事中に手を止めながら話だしたりするような所がある。

「俺は35で1曹になったんだよ。これ本当に凄いんだよ。同期にまだ3曹とかもいる中ででさ~~~」みたいなことをグダグダ言われても外の人間にはなんのこっちゃとしかならない。

「俺はこんなに頑張ったのに扱い悪くてさ。馬鹿馬鹿しくなって辞めてやったよ」が彼らの口癖だ。

正直、いろんな人達を見てきても、体力や根性はあるんだろうけど、それが仕事の結果に繋がってるかと言われると、要領の悪さで相殺されてる人ばかりに思える。

それとそこそこいるのが思想が強くてそれを表明してしまう人だ。

韓国人は本当にクズだ!殺したほうがいいぐらいだ!」

共産党投票するようなバカいるか日本おかしくなるんだよね。参政党の議席が伸びないのもソイツらのせいだよ」

安倍さん本当に立派だったのになあ。あのアホが殺してなかったらまた総理やってもらえたのかなあ。高市とかありえないよ。だってまず女でしょ?枕営業だろどうせ」

みたいなことを平気で言う。

本当に言う。

これが自衛隊の中では常識だったか自分おかしいと思ってないのか、そもそもそういう人間から自衛隊で居場所をなくしたのかは分からない。

自衛隊を辞めた人の多くに共通するのが「任期満了以外の場合は辞めた場合を濁す」ということだ。

刑務所から出てきた人が自分罪状をベラベラ話さずにはぐらかすかのように、自分がなぜ自衛隊を辞めたのかの決定的な部分は語らない。

「周りが無能だったから」といった愚痴はするが、それに対して「だから辞めたんですか?」のような返しが来ると「う、うん、ま、まあ」みたいに口ごもってしまう。

自衛隊歴が長い人ほど社会との相性が悪くなっていく。

実際には「自分がやりたい仕事を見つけるのに時間をかけすぎるような鈍臭いやつはどこに行っても駄目」というのが隠れているだけなのかも知れないが、似たような境遇の元IT企業戦士だったりニートだったりする人と比べて「この人やってけるのかな?」と不安になる部分が強い。

自衛隊かに居たのを刑務所にいたようなだと喩える人がいるが、アレを語る気持ちは「ショーシャンクの空に」のような話なんだと思う。

劇中に登場する長期服役囚が外の社会に出て「何もかもが変わってしまった。俺はここではやっていけない」と絶望するシーンのことなんだろう。

自衛隊出身者の中で長く軍曹尉官をやってしまった人達が次の職場に馴染もうと必死にもがいている姿を見ると、そういった気持ちになるようなズレは確かにあるんだろうなと。

まあ、皆が商売してる時に生産度外視でとにかく走り回ってりゃ良かった人間なんだからそりゃズレるわなと思う。

スポーツ選手だって生き残るためにスポンサー契約とかで頭を捻る中で、自衛隊人間はなんでも支給される世界の中で暮らしてきたんだから

まあ、軍人になるってのはそういうことなんだろうな。

合法的他人と殺し合うような立場に身を置く」という川を渡った向こうは別の世界なんだ。

2025-10-30

AIAIうっせぇよボケ

流行語「これはAI

なんだその上から

オマエはAI判定師か?

猜疑心と卑屈な精神言語化してるだけって気づいてる?

AI作文だから何だというのだ

AIに反応したら負けだとでも思ってるの?アホなの?

読んで面白いなら面白いと感じれば良い、人が書こうがAIが書こうが自分価値観内面がどう感じたかで良かろうに

AVでやたらと偽生や疑似挿入疑似精子は許さない勢がいるが、てめぇがやるんじゃないんだからなんでもよかろうに

無駄リアリティに拘るバカ、素直にチンコ立ててシコってりゃいいんだよ

 

OK牧場、わかった 

お前らがそこまでエラソーに言うなら勝負しよう

さて、以下の作文はAI生成だ

どのAIを使ってどんなプロンプトで出力させたか当てたらオマエの勝ちを認めてやる

AI使うの無しな

 

行列という穏やかな搾取

ラーメン屋の前にできた行列を見るたびに、

「この国、今日平和だな」と思う。

だって、寒空の下で一時間も並んでラーメンを食べようという人たちが、

こんなにたくさんいるんだから

誰もが「うまいものを食べたい」という欲望正当化するために、

神妙な顔で並んでいる。

その様子はほとんど宗教儀式だ。

違うのは、信仰対象豚骨スープというだけ。

 

行列の中には、

「ここまで並んだんだから、うまくないわけがない」と

心の中で念じている人も多いだろう。

人間というのは、努力我慢をした分だけ、

結果に価値を感じるようにできている。

まり、美味いのはラーメンではなく、自分の忍耐なのだ

汗と寒さを味付けにして、ようやく自己満足というスパイスが完成する。

 

そして店もそれをよくわかっている。

行列ができれば「人気店」の出来上がり。

広告ゼロ更新毎日信頼度は抜群。

まるで人間広告塔。

しかも彼らは無料で、笑顔で、SNSまで投稿してくれる。

ここまでお得な労働力を他に知らない。

これは搾取ではなく、信仰という名のボランティアだ。

 

店の前には「代表待ち禁止」の張り紙がある。

誰か一人が代理で並ぶのはルール違反

信者平等でなければならない。

全員が同じ時間差し出すことで、

その苦行の公平性が保たれている。

この構図、どこかブラック企業の“平等地獄”に似ている。

 

そして、歩道いっぱいに続く行列

冷静に考えれば、あれ、道交法的にはグレーどころかほぼ黒だ。

歩行者の通行を妨げてはいけない――

そんな当たり前のルールも、

行列です」という名の宗教行事には誰も逆らえない。

信仰には警察も寛容だ。

 

アプリ整理券を配ればいいのに、誰も望まない。

不便を楽しむ。

合理を嫌う。

「わざわざ並ぶ」ことが価値になる。

まるで、テクノロジー恩恵をわざと拒んで、

自分時間を供え物のように捧げている。

令和の日本では、苦労の共有が最高の娯楽なのだ

 

そして、SNSで「行ってきました」「並んだけど最高でした」と投稿して、

自分巡礼を報告する。

今日札所ラーメン明日札所パンケーキ

功徳は「いいね」の数で可視化される。

行列という信仰は、やがて文化になる。

そこに疑問を挟む者は、信仰心の薄い異端者だ。

 

でも、こうして批判めかして書いている私だって

気づけば次の“限定メニュー”を検索している。

結局、誰もがこの社会のどこかで行列に並んでいるのだ。

スマホの予約待ちでも、保育園入園でも、流行りのカフェでも。

行列とは、私たち時代が生み出した最も穏やかで美しい搾取

そして、最も居心地のいい服従のかたちなのだ

悲報はてなブックマーク、完全にヤフコメ化wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

アメリカに完全服従することが決まった内容の会談で以下のようなベタ褒めの模様

mia_pia_tia 外交で結果出せれば何でも良いわ。石破元総理の時もそうだったけど、なんでサヨクは表情だの態度だの雰囲気だの曖昧人間評価しか出来ないのだろう。政治家には政治の結果を求めなよ

Shiori115 高市早苗が「女」でなければ出てこない攻撃が次から次へと出てくる。それを批判しないどころか積極的に加担し正当化するサヨクフェミ界隈がいかに腐りきっているかよく分かります

rider250 正直、これを高市「だけ」がやったなら「媚びてんな」とムカついてたが「あの」英国ですら媚びまくったのを見たあとには/欧州皆が媚びまくったのを見たあとには「国益のためには仕方ないよなあ」としか思えない。

sotonohitokun もうこう言う印象操作的サゲは反発買うだけなんだけど。ぶっちゃけ保守でも国民が豊かになれば良い(逆に独裁共産でも豊か故に支持されてる国もある)わけで、単純に豊かになって欲しいわ。

hazlitt そもそもトランプにあわせたコミュニケーションは誰であろうと痛々しい、というか、文脈でいえば親米保守政権米国に媚びるのは当然であり、むしろ堂々と媚びてその関係性を顕示すればよろしい

avictors 仮に媚びを売ってたとして何が悪いんですかね。日本立場キャラクター的にこの方がいいでしょう。メローニのキャラをまねろとかそっちの方が変。

2025-10-29

強い日本を取り戻す!=アメリカ服従 って単純すぎない?

外国人が~とか言ってたのどうしたの?

アメリカ人外国人じゃないの?

2025-10-26

anond:20251026014624

ユダヤの教えには、「親に対する敬意」というテーマが非常に重く、深く扱われていますトーラー律法)にもはっきりと書かれています

あなたの父と母を敬え」(出エジプト記 20:12申命記 5:16)

現代ではSNSなどで自分感情を発信しやすくなっていますが、ユダヤ視点から見ると、親を公の場で批判したり恥をかかせたりすることは非常に慎むべき行為とされますタルムードでは次のように教えています

キドゥシン31a

「父や母に対して言葉で恥をかかせる者は、神の前でも罪を犯す。」

また、「ラションハラー(悪い言葉他人貶める言葉)」の禁止関係します。

ハフェツ・ハイム(Chafetz Chaim)は、「たとえ真実であっても、他人の悪を公に語ることは神の意に反する」と説きました。親もその「他人」に含まれます

ネット上に悪口を書くことは、まさに「公開の場で恥をかかせる」行為です。

もし親との関係が苦しく、傷ついている場合感情を抑え込むのではなく、「安全な形で」「尊敬を保ちながら」助けやカウンセリングを求めることが勧められます

トーラーが命じる「敬意」とは「盲目的な服従」ではなく、「人間としての尊厳を保ちながら関係を築こうとする努力」です。

詩篇 34:14

「悪を避け、善を行い、平和を求め、それを追い求めよ。」

1. 親を公に恥じ入らせないこと — 敬意の基本。

2. 怒りや苦しみを表すなら、建設的な形で — 信頼できる人・ラビカウンセラー相談する。

3. 言葉現実を作る — ネットでの言葉も「ミツヴァ(善行)」にも「アヴェラ(罪)」にもなる。

ですから、もし親との関係で心が苦しいなら、ユダヤの教えは「沈黙しなさい」ではなく、「癒しと修復に向かう道を選びなさい」と呼びかけます

2025-10-22

anond:20251022112546

オッス、オラ現代民主主義者!

さて、「国旗損壊罪は当然」「秩序を守るための線引き」なんて言葉を聞くと、まるで21世紀社会19世紀の魂が迷い込んだみたいだな。あえて言わせてもらう——それ、民主主義じゃなくて“情緒主義”だ。

まず、「感情保護」と「国家の秩序維持」を混同するな

他人が親の遺影を燃やす例」を持ち出してくるが、それは私人間の侮辱行為の話だ。感情的には腹が立つが、国家象徴批判することとはまったく構造が違う。

民主主義における国家象徴は、批判され、風刺され、時に踏みにじられることで初めて成熟する。

国家が「国旗を汚すな」と言い出した瞬間、それは国民に「思考敬礼」を強要するのと同じだ。

自由は「不快表現」をも守るもの

挑発から表現じゃない」とか言うが、それを決めるのは誰だ? 政府か? 検察か? 多数派か?

その“挑発”を判断するのが権力側なら、いつでも都合の悪い表現を「挑発」として潰せる。

表現自由が最も守るべきは、不快で、不穏で、気に食わない表現なんだよ。

みんなが笑顔拍手する表現自由はいらない。

国旗神棚に上げた瞬間、民主主義は退化する

国旗国家象徴だ。それは同意する。

だが象徴とは“国家の所有物”じゃなく“国民の共有物”だろ?

共有物を「傷つけたら犯罪」とする時点で、国家象徴意味を独占している。

まり国旗を守ると言いながら、国家国旗国民から奪っているんだ。

民主主義象徴神聖化した瞬間、それは信仰対象になる。

そして信仰は、異端者を罰する口実を生む。

社会契約勘違いするな

社会契約の上に立つ自由を壊すな」? いや、自由の上にこそ社会契約があるんだよ。

社会契約は、異なる価値観共存するための最低限のルールにすぎない。

それを「国旗を壊すな」という情緒ルールで縛り始めたら、契約じゃなく服従になる。

現代民主主義者の現実主義

現代民主主義は、成熟した不快さを前提にしている。

誰かが燃やした国旗を見て腹が立つ? そうかもな。

だが、それを「刑罰制御しよう」とする社会は、自らの理性を放棄している。

理性を捨てて感情に法を委ねた瞬間、民主主義衆愚制に変わる。

結論:秩序を守ることと自由を殺すことは違う

国旗損壊を罰する法は、国家品位を守るどころか、国家成熟を後退させる。

自由とは、神聖象徴をも燃やす権利を含んで初めて完全になる。

国家への敬意」は法で強制するものじゃない——市民の内なる思考良心からまれものだ。

国家は敬意を要求する前に、まずその自由を恐れない度量を見せろ。

2025-10-15

初めて夫の誘いを断った

夫43、私40歳

子供3人もいる。

正直もう性欲とか湧かない。

もう10年くらい前、子供を産んだ瞬間から無くなっていたけど、夫婦義務だと思って続けてた。

夫が嫌いなわけではない。

夫の匂いや体温が好きで、添い寝も好きだ。

夫のことは大切なので、我慢して夜の営みを10年続けていた。

夫は私としかできないタイプの人なので、可哀想だという気持ちもあった。

でも私はさっき、夫の誘いを「やだ」と言って、逃げた。

セックスレスだ…」

といって夫は残念そうにしていた。

しばらくしてまた普通の会話に戻った。

私がなんで今になって断ったのか、言語化したい。

最近夫には、強めのASD傾向があることがわかった。

そして

『私の痛みとか苦しみ、辛さなんかの感情には一切寄り添えない』

ということがわかった。

から私が3人子供の世話しながら正社員で働いていて

しか子供のうちの2人が発達障害だということが解って

育てにくさや療育翻弄されてた時も

夜間授乳で眠れなくて眠たくて眠たくてしょうがなかった時も

一番近くにいて見てくれていたと思っていたのに、

夫は1mmたりとも共感はしていなかった。

「女の人生イージーモード」といい続けている。今も。

子供ASD思考回路構造を知った時

夫の「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫?」などの相手を思いやる言葉ロボットでいうプログラミングされたものを実行しているだけにすぎなく、そこに感情はないのことがわかった。

それどころか、辛さや悲しいさなんかの負の感情を表すと、見下したり被害意識つのらせたりする。

私が例えば「◯◯がつらいから◯◯してほしい。 」といえば、迷惑そうな顔をし、「また文句?」と言ったりする。

逆に私が「ありがとう」と言うと、『お前は俺より下』と思うらしい。

私が「大丈夫?」とか言うと、『俺より下のお前が俺の心配するなんて馬鹿にしてるのか』と怒り出したりする。

感情周りの認知の仕方が全然違いすぎて、私が消耗することが多い気がして。

はいしか夫に感情的な会話をしなくなった。

つらいとか、くるしいとか、言わなくなった。

言ったところで無駄から

すごく孤独だった。

『こんなにあらゆることを耐えてるのに、

なんで身体まであなた差しさなきゃいけないんだ』

これが今回断った理由である

これを夫に言うと夫は…

なんというかはわからないけど、

とくにかく自分省みることなく私を責め立てるとおもう。

なんだろうな、「夫婦努力義務を怠るな」とか?

「俺はお前のためにこんなにたくさんいろんなことをしてやってるのに」とか?

まぁ、なんでもいい。

夫は私のこの感情理解することは生涯ないんだろうと思う。

悲しい。

私は夫と愛のある営みをしたかった。

------

追記させてください。

自分気持ち整理用に書いた日記でしたが、励ましから耳の痛い言葉まで本当にありがとうございます

一つ一つに返信できずごめんなさい。時系列が雑多なのもすみません

正社員子供3人は本当ですが、夫は経営者で私の収入は小さなもの。夫からすれば

「働かなくていいのに勝手に働いて辛いとか言うのは意味不明。放デイなど行政に助けられてるのにこれ以上誰か(=俺)頼るのは甘え」

という感じです。

私が働いているのはリスクヘッジのためです。

この生活に耐えられず離婚することになっても子供を守れるように。

また専業主婦になれば夫の「支配」が強まるのが目に見えているからです。

子供を守るにはお金必要、そう思って働いています

多分これが根本なすれ違いです。

夫のASD特性上、私の気持ちは一生理解されないと諦めています

以下は、夫への感情がなくなった決定的な出来事忘備録です。

先々月、長男ノートを買いに出た30分の間に、留守番していた次男行方不明になりました。

ベランダが開いており、飛び降りたら即死の高さ。

パニックになって探したところ、知らないお爺さんが次男保護してくれていました。

本当に無事でよかった。

夫にはすぐLINE電話したけど反応なし。

夜になっても既読つかず、朝にようやく返事。

多分ライブ会場にいたと思われます

帰宅後、私は「どこに行ってもいいから連絡だけはできるようにしてほしい」と伝えました。

すると夫は

自分SIM契約してないからすぐ連絡できない。仕事問題ない。〇〇(=私)が言うなら新しく契約するけど?」

と。

私は契約の話ではなく、「心配かけてごめんね」と言ってほしかっただけでした。

でも夫は悪気なく、ただ問題解決しようとしただけ。

相手気持ち想像する」ことが極端に苦手な特性が出ているだけ。

そして多分私や子供たちがどんな気持ちでいたかなんて想像できる能力そもそもないだけです。

そして謝罪概念が「服従・敗北」と結びついているので、絶対に謝りません。

その時の「何言ってるんだ?」という夫の顔が忘れられません。

『この俺が契約を新たにしてやると言ってるのに感謝するどころか謝れと?』。

頭がおかしい人をみるような、見下したような顔。

その瞬間、心がポッキリ折れました。

思い出すたびに胸がざわつき、今はもう夫と身体を重ねることは無理だと感じています

これからどうするかは、また考えます

2025-10-10

anond:20251010075906

その服従の中に「男らしくない奴は虐げられる」が入ってるって話よ。なよっとしてるとか、下ネタに乗れないとか、危なっかしいことを怖がるとか。

anond:20251010015125

それは普通に

社会でまず学ぶのが服従から

野球部見てりゃわかるだろ

2025-10-09

女様「女様は出産するんだから!男は女に尽くすべきなの!」

それなら総資産が15億あって、年収が5000万あって、相続予定資産10億近くある俺の妻だったら絶対服従、口答え厳禁くらいになるってこと?wwwwww

2025-10-08

果実を見て木を判断する

悪の凡庸2.0──無思慮な服従から寄生的な模倣、そして兵器化されたレトリック

本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳言葉悪用する戦略的操作によって特徴づけられます

悪の凡庸2.0構造メカニズム

BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。

BE 1.0とBE 2.0の対比

アーレント洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。

それに対し、現代加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」構造と変わらぬ行為を実行しています

BE 2.0が「凡庸であるのは、加害者意図が欠けているからではなく、加害者自身社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚麻痺し、悪のパフォーマンス日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。

つの悪の構成要素

1. 洗練された悪意

明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族サークル限定され、普遍的倫理感覚麻痺していきます

2. 凡庸共犯

観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えていますリーダー言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係形成します。

現代の悪がまとう六つのマスク

BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスクベクトル)」です。

1. 自由兵器

本来、異議申し立て保護するための「言論の自由」が、憎悪排除の言説を正当化するために使われます権力者被害者を装い、権利言葉を用いて多元主義のものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。

2. 擬似正義としてのスケープゴート

社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます

システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革必要性は棚上げされます

イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本遂行です。

3. 歴史的な恐怖の矮小化

歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実被害正当化する方便として使われがちです。

4. 永続的な不満の維持

進歩や変化を認めず、過去不正義を手放さないことで、継続的要求道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。

5. 真実マクドナルド化

複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます

6. 投影非難模倣

自らが行っている行為を、先に相手投影し、正当化材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話エスカレートする一方です。

悪が成立する三つの条件

すべての誤りや偏見「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。

1. 人間認識否定

他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳剥奪が始まっています

2. 普遍化された構造

個人の悪意を超え、イデオロギー制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます

3. 善の反転(寄生模倣

悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。

解決の鍵:内なる変容と外的な防護

技術的な修正制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生模倣」に取り込まれしまうからです。根本的な解決は、私たち自身内面から始まる変容にあります

東洋智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立自然に鎮まります

解決のための「二つの道」

1. 内的な道:瞑想自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識否定構造解体する。

2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度規範といった堅牢な外部構造を整える。

判断基準:「三つの鏡」
1. 対話の鏡:

その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?

2. 癒しの鏡:

和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?

3. 共同体の鏡:

力、尊厳自由をより広範に分配するか?それとも、特定部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?

言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき私たち戦略的操作兆候特定できます

結論

民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき集団的凡庸な悪が集約され、最高位の舞台投影されるベクトルとなりえます現代指導者たちの台頭は、システム日常的な否定投影兵器化された美徳パターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。

サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。

本小文は、以下の論文を参考に、オンライン講座「サルからヒトへ——進化と退化の不思議」の草案として、教育目的作成されました。

https://philarchive.org/archive/BOGTBO-3

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