はてなキーワード: 意見とは
さすがに男で身長170なかったら厳しいよね。
周囲の意見としては自分よりも高くあってほしいというくらいの緩い意見が多いので、160後半ならなんとかなりそうだけど。
やっぱり普通くらいの男性がいいな、という気持ちでマチアプだと170でフィルタしちゃうからね。
特に言いたいことはないけど(ろくでもないもの見たら突っ込むかもだが)
とりあえず、外部ラベルにはかなり強いアスペでも、やっぱ言葉を浴び続けると無影響にはならない
社会軸に合わせて調整しても影響は残る
メンタル弱い人がAI使う際は、医師と近しい人の意見聞いた上で、安全に遊ぼうな
人気YouTubeチャンネル「オモコロ」等のコンテンツで知られる広告制作会社バーグハンバーグバーグによるPR広告が話題を呼んでいる。
広告の内容は星野源の新作アルバムを地域の掲示板で紹介するというもので、「星野源さんの曲を聴いて楽しく踊りませんか?」というキーメッセージと共にポップなイラストやフォントでアルバムの概要を説明したポスターになっている。
増田は初めて広告を見たとき率直に、良くも悪くもバーグハンバーグバーグらしい広告だなという印象を抱いた。
増田も散歩をしている時に地域の掲示板を見るのが好きだ。地域コミュニティに根差した人々がピュアにスポーツクラブの勧誘やお祭りの開催告知、迷子犬の捜索依頼と多様な発信をしている様子を見るのは非常に面白い。
バーグハンバーグバーグに所属する社員や関係ライターもこういうローカルなプラットフォームに目をつけるのが好きそうだなとも思うし、そう言われるとオモコロやそれに関連するコンテンツに目を通したことがある人は頷くところがあるはずだ。
さて、話題になっているのはこちらの広告に対して寄せられた「巨大資本があえて地域の掲示板に広告を出すというのはおままごとみたいなものだと嫌味のひとつも言いたくなる」という趣旨のコメントで、こちらのコメントを中心に様々な意見が上げられている。
コメント自体は曖昧な部分もあり多様な解釈をし得るが、なんとなく言いたいことはわかる。自分がそう思っているかはともかくとして、似たような感想を抱く人がいるのは至極当然なことだろう(本エントリーでは「言いたいこと」や「そう思っている」の内容をあえて詳には説明しないことにする)。
しかし、このコメントに対して批判的な意見が(増田の主観的な印象を大幅に超えて)とても多いことに驚いてしまった。
不快な感情を抱く人が存在するのは分かり切った広告でしょう、と(広告に対して不快な感情を抱く人に、更にブチギレる人がいるのも分かり切ったことだろうと言う人がいそうなので断っておくと、そりゃそう)。
個人的にはバーグハンバーグバーグも「不快に思う人がいるだろう」とは分かった上で広告掲載及びツイートに踏み切っているとは思う。地域コミュニティの掲示板に広告制作のプロ集団があえて垢抜けていないポスターを貼り出すのは極めて冷笑的で、平生より掲示板を活用している人たちを馬鹿にしていると捉えられても仕方ないからだ(もしバーグハンバーグバーグがこれを誰も不快にさせない広告と考えていたら悪い意味でズレすぎている)。
余談だが、この一連の流れを見て、ニュースオモコロウォッチで「人前で飲食する姿を見せるのが無礼という価値観を理解できないのはヤバい」というくだりがあったことを思い出した。
本エントリーは単に「広告に対する不快感を示す人に対してブチギレてる人が多くてびっくりしたよ」という日記にすぎないので本編は以上だが、ここからは眠たくなるまでなんとなく目についたコメントと増田の意見を記載していく。
・なんで叩かれるんだ
→その感覚はまずいよ(【021】ぜいぜいでやらせてもらってます ―ニュース!オモコロウォッチ!)
→そんなことはないでしょう
・許可は取ってるでしょ
→論ズレ
→論ズレ
→論ズレ
→論ズレ
・バーグハンバーグバーグは巨大資本じゃなくて中小企業だ!
→論ズレ(いちおう補足すると巨大資本=レーベルや事務所のことだと思いますよ)
→んなこたないでしょ
・星野源は悪くない
一昨日仕事終わりに久々に友人とご飯に行ってきた。元々オタ友ってやつで、一時期は毎日のように会う時もあったんだけど、ジャンルが変わったり、私がオタ活を控えるようになってからは数ヶ月に1度会うかな?くらい。
お互い今のジャンルは把握しててるから、ざっとジャンルの話をしたり、リアルな話もしたりしたけど、色んな話をしながら、お互いの価値観が変わってきてしまったなぁと実感してしまった。
お互い結婚適齢期?になっているから、リアルの結婚とか婚約話もしたけど、結婚否定派の意見を聞いてしまったりして、結婚肯定派の私としては当然ながら(勿論表立っては言わないけど)意見が合わないなぁと思ったり。
あとはやっぱりお金の使い方が違いすぎる。
確かに私もオタクだったし、まあオタ活で散財したことは何度もある。けど友人はそれの比でない。
まあもちろんそんなのは個人の自由なのでとやかく言うつもりは無いんだけど、こうやって価値観の違いによって距離が遠くなってくんだなぁと実感してしまって、寂しくなったんだよね。
かと言って完全に切るつもりはないんだけどさ。
でも、2.3年後の友人と私のあらゆるものの価値観が違って行きそうで怖い気持ちもある。
視点が面白いから尊敬できるし、オタクとしてだけじゃなくてあらゆるインプットとアウトプットの凄さは見習いたいと思ってる。
あのな、まず「専門家=常に正しい」なんて思ってるヤツなんざ、いねぇよ。
そこから出発してる時点で、もう「藁人形論法」で自己放尿してるようなもんだ。濡れてるのはお前のズボンだけで、周囲は誰も巻き込まれてねぇ。
その「トンデモ」って言葉が便利だからって使うな。具体的にどの提言が、どの文脈で、どうトンデモなのか、データで示せよ。
そういう定義なき批判はただの情緒と偏見の垂れ流しであって、議論じゃねぇ。
「俺は気に入らねぇ」で全てを斬るのは、お前の脳内のカフェでしか通用しねぇ飲み会トークだ。
経済というのは政治、人口構成、地政学、テクノロジー変化…複数の変数で動く多変量システムだ。
その全責任を「日本の経済学者」に帰するってのは、津波を見て「気象予報士が悪い」って喚いてるレベルだ。
やっと正論にたどり着いたな。でもな、それが最初に来てればまだ評価できた。
全体の文脈が「日本の学者は無能」という全否定から入ってる時点で、終わってんだよ。
「どの学者が、どの仮説で、どんなエビデンスを出しているか」に目を向けろ。肩書きや出身国で人間をフィルターするんじゃなく、思考とデータで判断する癖をつけろ。
もしかしたらお前は、過去に「専門家に騙された」「政治に裏切られた」って痛みを持ってんのかもしれねぇな。だが、それを根拠にすべてを疑うのはただの逆張り信仰であって、批判でも分析でもねぇ。
お前が知的に成長する気があるなら、「どのモデルがどんな前提で機能していたか」「なぜ予測が外れたのか」を、もう一度真正面から学べ。
今のままじゃ「なんとなく怒ってるだけの逆張りマン」で終わる。でも、そこから脱却できる知性の余地は、お前の中にまだある。
感情の自己放尿はそこまでにして、ちゃんと知的なズボンを履き直せ。データを持って、また議論に戻ってこい。
俺は待ってる。
自分の言葉で発したら、自分の責任にしないといけないからじゃないですかね。
GrokのようなAIにファクトチェックを依頼し、その出力をそのまま引用すれば、
「これは自分が言ったことではなく、AIが自動的に出力したにすぎない」と主張できるようになります。
そのうえで、もしAIの回答が自分の主張と一致していれば、自分の言いたいことを“AIの意見”として提示することができ、責任をAIに預けたまま周囲にアピールできるわけです。
さらに、仮にAIの出力に誤りがあったとしても、「自分が間違えたわけではない、AIが誤っただけだ」として、自身の責任を回避する余地も残せます。
また、「ファクトチェック」としてAIの出力を提示した後、あまり返信や補足をしない人が多いのも、同様の理由ではないかと考えています。
はてなブックマークのユーザー(ブクマカ)が山本一郎を好む(あるいは「読む」「ブックマークする」)理由は、単に「支持しているから」だけではありません。彼の文章が持つ情報性・論争性・メタ視点が、はてな的な知的好奇心や批評精神と相性が良いためです。
山本一郎の文章は、業界情報(金融、IT、ベンチャー、メディアなど)に詳しく、「自分は知っている」感をくすぐる構成になっています。
はてなユーザーは、自分の視野を広げたり、「裏側の構造」を知ることに価値を感じるため、彼のように背景や業界の力学を語るスタイルに惹かれます。
彼の文章やSNS発言はしばしば挑発的・断定的で、「言い切る」スタイルが特徴です。
はてブには、「賛否が割れる文章」や「炎上しそうな意見」に対して、自分なりの見解をブクマコメントで付け加える文化があるため、議論のタネとして優秀な素材になりやすいのです。
山本一郎は、その論調やキャリアの背景からアンチも多いですが、それもまたはてブ文化では一種の人気のかたちです。
彼の「知ったかぶり感」「上から目線」「一貫して強気」な態度は、嫌われつつも読まれる理由になります。ブクマカは、自分の意見を投げ込める対象としての“強者”を好む傾向があるからです。
彼は「ネットでモノを言う人」ではありますが、同時に企業や政策に関与しているような「リアルとつながっている書き手」でもあります。
この二重性が、ネット世論の限界と、現実政治・経済の力学との接点を示唆してくれる存在として、一定の知的魅力を持っています。
彼の文章に対して、「その言い方は傲慢だ」「もっと慎重な視点が要る」と感じるブクマカは少なくありません。
しかしそれがコメント欲求を刺激し、ブックマーク数を伸ばす結果につながります。つまり、「好悪を超えて、言及すべき対象」であるという点で重要なのです。
――といった点にあります。
つまり、「好かれている」のと「読まれている」の間には微妙なズレがあり、ブクマカにとっては批判しがいのある知的相手としての「好み」だと言えます。
タワーマンションの景色に3日で飽きるという人はうんざりする程沢山いる。
しかし私は仕事柄タワマン住民と会う機会が多く、景色に飽きないという人の意見をたくさん聞く。そこで今日は飽きない人の特徴を書きたいと思う。
タワマンの景色飽きる問題についてここまで詳細に書いた文章は無いと思う。
まず階数の話から。景色に飽きない人たちに共通するのは「30〜40階」に住んでいることだ。
20階以下だと、正直普通のマンションの上層階と大差ない。車や人の動きは見えるが、「タワマンの景色」という特別感はない。一方50階を超えると、今度は高すぎて人や車が米粒のようになってしまう。建物の細部も判別できなくなり、ただの箱庭を見下ろしているような感覚になる。
30〜40階だと絶妙なのだ。人の動きはギリギリ認識できるし、建物の用途や構造も推測できる。この「ちょうど良い距離感」が重要らしい。
飽きない人たちの最大の特徴は、景色に物語性を見つけられることだ。
「あのビルの12階、毎日昼休みになると必ず一人の男性がベランダでタバコを吸いに出てくる。きっとオフィスビルで、彼はそこで働いているんだろうな」
こんな風に、見える範囲の人間ドラマを想像し続けている。単なる風景ではなく、そこに住む人々の生活を感じ取っているのだ。これができる人は確実に飽きない。
飽きない人のもう一つの特徴は、見えるものを徹底的に調べることだ。
変わった形の建物を発見すると、すぐにGoogleマップを開いて正体を突き止める。「あの尖った建物は何だろう」「向こうに見える街はどこの駅の周辺か」そんな疑問を放置せず、地図アプリで永遠に検索している。
さらに実際に足を運ぶ人も多い。ランニングや自転車で「上から見えていたあの場所」に行き、地上からの視点と比較して楽しんでいる。用途地域の境界線まで調べて「あの辺りから商業地域になるのか」なんて分析している人もいた。
この探究心があると、窓から見える景色が巨大な立体地図になる。ただ眺めるのではなく、常に新しい発見がある状態になるのだ。
朝の通勤ラッシュ時の人の流れ、昼間のオフィス街の静けさ、夕方の帰宅ラッシュ、夜の繁華街の輝き、深夜の静寂。同じ景色でも時間によって全く違う表情を見せる。
飽きない人は「今日は普段より遅い時間に人が動いている」「あのエリアの電気の点き方がいつもと違う」といった微細な変化まで察知している。彼らにとって窓からの景色は、24時間365日変化し続ける巨大なライブ映像なのだ。
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結局のところ、タワマンの景色に飽きるかどうかは「受動的に眺めるか、能動的に観察するか」の違いかもしれない。景色を単なる背景として捉える人は飽きるが、そこに人間ドラマや地理的な謎解きを見つけられる人は飽きることがない。
批判者側の意見をまとめると、「地域の文化が、BHBや人気歌手という資本に侵食されるのが嫌だ」って感じで、賛同はしないが理解はしたいんよな
でも、文化の侵食がどうこうみたいなの、理系だからかあんま腑に落ちたことがないんよな
何かしら人文学系の本でも読めばわかるのかしら
ネガティブな意見と dis りを履き違えてる人が多いと感じる
あれはクソだ、オワコンだってのは dis りであって建設的な意見ではない
それに、ネガティブ意見で改善を促すようなフィードバックなら兎も角、dis るくらいなら自らフェードアウトすれば良いのに、わざわざ人目に付くところで強い言葉を使うのは、それを目にする人間の気持ちを考えて欲しい
SNS は見なければ良いという考えもあるが、受け手側に自衛をさせるくらいなら、フォロワー 0 の鍵垢を作ってそれこそ便所の落書きみたいにすれば良い
堕胎において、女性一人で堕胎したら堕胎罪なのに男性の同意があれば母体保護法で無罪なのはおかしいって言う意見を見たけれど、一体何がおかしいのか分からない…
女性の同意なく男性が堕胎させても堕胎罪になるんだから男女平等では?
「鉄血のオルフェンズ」の叩き方の時点でこいつ等なんかおかしくないか?って思ってたけど、ジークアクスに矛先向けてるのはさすがに頭おかしい。
オルフェンズは後から見たタイプなんで感じ方違うのかなと思ったけど、毎週見ててこれなら救いようがない。
富野みたいに何でもキレ散らかさなきゃ気が済まないタイプなのか?
しかも富野よりもちゃんと見てないぞこいつら。ただの他人の言った批判の文章コピペして騒ぐだけの中身空っぽな連中。批判の内容がトンチンカンで、明らかに作品見てないの丸分かりな批判でもかまわず使い回す。
何なんすかねこれ?視力弱くなってまともに画面見れなくなったじじいが言うてるなら分からんでもないが。
新作出る度に叩いてて、もうそれが麻薬みたいに気持ち良くなってるんですかね?
叩くために叩いてて、中身どうでもいいんだな。
要するに、こんなのは本当に頭おかしい意見で真に受けるのはよした方が良いぞってことだ。
反ワクとか陰謀論に乗るぐらい愚行
終わったということはそういうことです。
長かったような短かったような……
次はもっとうまくやれると思うけれど次は無い。
誰かの参考になれば、などという殊勝な考え方は持ち合わせておりません。
様子がおかしくなったのは15年?くらい前。私よりも本人が異常を感じたらしいです。
忘れ物落とし物をすることが多くなった。
普段できていることができなくなった。
そこで「なら私がやる」にしてしまうとさらに何もできなくなるという話も聞いていたので今まで通り生活をしてもらってました。
その後、電車に乗れなくなった(東京近郊なんで免許は無くて仕事行くのも買い物行くのも電車という生活でした)という話を聞いてこれはまずいなとさすがの私も思いました。
とは言えそこまで切迫感を持っていたわけではありません。今思うとこの時点で相談すべきでしたね。
洗濯をすると靴下がばらばらになりました。症状は個人によって違うと思うので参考にもならないのかもしれませんがはっきりと覚えています。
そのころから日常的な家事すら満足にできない私に家事を教えたり、自分で地域の包括支援センターというところに相談したりをしていました。
そういう年なんでかかりつけの医者でも相談して例の薬をもらっていました。
そしてある日包括の人から電話が入っていて家族にも話がしたいと。
休みを取って訪問してもらってデイサービス等の利用を勧められました。
やっぱりショックでしたね。そりゃもう。
元気で言葉は悪いけれど「殺しても死ななそう」みたいな人がそういう判断をされるんだから。
介護サービスを利用するには継続的にお金がかかります。私の収入だけでは心もとない。そのお金をどう調達するか。
ところがです。やってしまった。正直に「認知症がぁ」とぽろっと漏らしてしまったのです。
向こうも困っていました。
そういう電話はコンプラ対策ですべて録音されているわけです。「認知症」はNGワードです。全部の会社でそうなのかはわからないですがその会社ではそうでした。
予定が狂いました……
親も働いていた人なので年金はあります。それじゃ足らない。うーん……
それでも今を生きられなくなるよりはましなのでそういう決断をしました。
給料が安くても毎月お金が入ってくる仕事についているのならしがみつけと。
親の介護が大変で仕事を辞めると共倒れしてしまう可能性がけっこう高いらしいです。
「自分を生んで面倒を見てくれた親よりも仕事を取るとはけしからん」という意見をお持ちの人もいるでしょう。
そこまで極端ではなくてもどっちを取るか迷う人はけっこう多いんじゃないかと思います。
私もそうでした。
自分のケースはただ一つですが包括の人は何十ものケースを見ているはずです。
他のケースも見たうえでそういうアドバイスをしてくれるということには重みを感じました。
もちろん最終的な決断は介護をする自分がしなければなりません。
認知症の場合は本人の決断というのが期待できないので家族が決断しなければなりません。
それでも、他の人の言うがままにこうした、と思うより、自分自身が最終決断したと思うことで自己満足ではありますが後々後悔することは少ないのではないかと私は思っています。
デイサービスというのは曜日単位なんですね。午前コースと午後コース、食事付食事無などいろいろなメニューがある。
利用するまで知りませんでした。
車が迎えに来てくれて車に乗ればあとは帰ってくるまでお任せです。
デイサービスの車の走行距離って全国合わせるとすごいことになってるんでしょうね。事故が多く報じられるのも納得です。毎日あれだけ走っていれば事故も多いわ。
最初のうちは私が家にいる土日は利用していなかったのですが土曜日は利用するようになりました。でもなかなか空かない曜日もあって毎日というわけにはいかない。
仕事続けられるんだろうか?
不安になりました。
デイサービスでは無理、常時介護をお願いできる施設の方がいいんじゃないか。
思い悩んでいるところで神風が吹きました。
それまで在宅勤務は0だったのですが100%在宅勤務になりました!
これなら、これならなんとかなる!
みんな「コロナのせいで」」とか「コロナさえなければ」と言っている中私は「コロナのおかげで!」
そう思った時期が私にもありました……
在宅勤務とは言えというか在宅勤務だからこそ打ち合わせとかありますよね。会議室取らなくていい分増えたような気もします。
打ち合わせしてるじゃないですか。
玄関は鍵閉めてその他対策をして簡単には外に出られないようにしているつもりだから盛り上がってしまったりします。
打ち合わせを終えるといなくなってる……
そして……夜眠っている。朝になるといない……
自分だったらこのトラップを初見で解除できない、そう思っている私が浅はかでした。
本当に認知力に問題あるのだろうか?俺に意地悪しているだけなんじゃないか?とすら思いました。
気を悪くする人もいるでしょうが、実際に触れてみると認知症になった人って子供に戻ってるんじゃないかと思うんですよね。
気を引くためにわざと怒られるようなことをしているように見える節があります。
子育てと似ているのかも。
ただ、根本的な違いがあって子育ては将来に希望があるし終わるタイミングがある程度見えている。
対して認知症の介護は将来治る見込みがなく終わるタイミングが全くわからない。
当たり前といえば当たり前ですが精神的な負担は認知症の介護の方が強いのではないかと思います。
育児も大変ですけど……
横道にそれましたがそんなこんなで限界が近づいているタイミングで利用しているデイサービスの方からももっと手厚い介護を受けた方がいいのではというお話をいただきました。
その時点では日中は家にいる時間よりデイサービスにいる時間の方が長くデイサービスでは私と違って誰かしらが見ている状況なのでそれでも厳しいということだったらと思いケアマネさんと相談を始めました。
提案をされたのはグループホームです。家族の収入にも寄りますが私の収入の場合は公的資金を頼るには多すぎて自己負担が大きい施設を利用するには少なすぎるという中途半端な状況。
無理なくとは言えないまでも無理をすれば支払いができるグループホームを何か所か提案してもらいました。
ここでもコロナで助かりました。
昼休みを潰すと見学に行けちゃうんですわ。やることをやっていればけっこう自由にできる職場だったんで「昼休みのあとちょっと遅れまーす」みたいなことを言えば外出できました。
コロナ前だったらこんな対応不可能でしたね。おそらく有休まで使いきって何日か欠勤してたでしょう。介護休暇?んなもん足りるわけねぇww
見学に行ってよさげに見えても私が決断する前に入居者が決まったり、そもそも見学している時には空きが無かったりとかもありました。
競争率激しいですねぇ。
決め手はなにか?
家から近い!
圧倒的に近い!!
施設は小規模で手厚いサポートとかには不安がありましたけど何かあった時にすぐに行けるという安心感でその施設を選びました。
これは入居してから聞いたのですが、施設で働いている職員の中に私の親が外を歩いているのを見ていた人もいました。
自分のところじゃなくてもいいから入居した方がよさそうだなと思っていたらしいです。
病状は進んで暴れたりすることもあり、気持ちを落ち着かせる薬をもらうのに家族の付き添いが必要ということで、そもそもそういう診断ができる精神科が少なくて予約もできないとかまぁいろいろありました。
そうこうしているうちにこれもまた運がいいことに歩きは無理だけど車なら無理なく行ける場所にあるお医者さんが受け入れてくれました。
診察は最初の1回だけでその後は私が様子を伝えれば処方箋と薬をもらいに行くだけという対応で済むようになりました。
そのお医者さんを見つけたのがかなり大きかったです。私がおかしくなったらそこに行こうかと思ってます。その時にもその先生はいるかどうかはわからんですけどね。
それ以外にもけがをしたりとかいろいろあるたびに医者には連れて行きました。最初は自分で連れていけましたが最終的には介護タクシーを利用しましたね。
車いす対応レンタカーを借りることも検討しましたが行く病院によっては介護タクシーの方が安くつきます。
そうこうしているうちに親の病状が落ち着いてきました。
落ち着いてきた……、それはつまり終わりが見えて来た、ということになります。
精神科にも通院しなくなりそうするとその都度聞いていた様子を聞かない月が出て来たり……
毎月のコミュニケーションはあるんですが通院する時のコミュニケーションはやっぱ濃かったんでね。
施設も職員さんも忙しい中時間を作ってくれてるのはわかるので通院と言う理由なしに「変わりないですよ」という一言を聞くためだけに時間をもらうのもなというのもありました。
ああ、ここでは逆に近いことがマイナスに作用したのかも。近いからいつでもいけるとおもっちゃうんですよね。
そして、様子がおかしいという連絡があり、ちょうど予定していた有休があるのでその時に顔を見に行くという話をしました。
しかしもう一度連絡があってその日が土日だったんでスーパーに買い物に行くついでにちょろっと顔を見に行きました。その時も今日明日と言うようには見えないと言われたし私もそう思ったんですが……。
その翌日、眠ったまま息を引き取りました。
親戚づきあいを濃密にしていたわけでもなく、同世代の友人もみんながみんな元気というわけでもなくということで私が1人で見送るつもりでいましたが、連絡がついた親族や友人経由で小ぢんまりには変わりないですが思ったよりも大勢にお見送りしてもらいました。
知らない人がいると思ってびびってたら40年ぶりくらいに会う人だった。わかるわけがないw
終わったらたぶんほっとするんだろうなぁと思ってましたが違いましたね。
後悔は無いです。
でも、次にやるんだったらもうちょっとうまくやります。経済的な、精神的な負担も今回よりは軽くなるようにやろうと思います。
次はありません。
お前らが気に入らない意見を全部一人の同じ人間が言ってるって、荒唐無稽過ぎだろwwwwwwwww
ちょっとでも共通点を感じたら「点と線が繋がった!テギュアアアアア!」って思っちゃうの糖質の症状だよ?
まじで精神科行って来い
LAUSBUBについての意見
https://anond.hatelabo.jp/20250522113747
だが、この人はLAUSBUBの他の曲をちゃんと聞いたんだろうか?
「棘にある動画レベルで出場だとしたら」と書いてるのでたぶん聞いてないんだろう。ブコメでも指摘されてるが。
この手の人ってどうして「~だとしたら」って前提を勝手に作ってしまうのか。「だとしたら」じゃないのよ。
まず最低限youtubeに上がってる、より直近の楽曲も聞いた上で分析すべきでしょ。
さらにLAUSBUBについて具体的に語ってるのは最初の数行だけで、後はずーーーっとブルースがどうのとかジミヘンがどうのとかの話ばっか。
そんなの考えてる暇あったら他の曲も聞きましょうよ。
んで、彼女らが制服でやってる当時の演奏は確かに技術的に拙いよ。そのままの構成で野外フェスの大きさでやるには不向きだろう。
だけどそれだけで「負けるだろう」とか言い切れるのがほんとにすごい。これが音楽好きの言うことなのかと呆れてしまうという意味ですごい。
彼女らの他の楽曲も聞けば、バックグラウンドに明らかに様々な音楽が根付いてることが分かる。
ベースとしてはテクノ、ニューウェーブの影響が濃いのは明らかだが、その後にこれはどういったジャンルから吸収されたものか分からない。
恐らくより色んな音楽を聞くようになって、インダストリアル系やアート寄りな音、サンプルも取り入れつつ(マスロックも聞いてるかも)、そこに本人たちのルーツにある素朴なロックやポップスのコード感などが混ざり合ってるようにも聞こえる。
最近の(インディーズでの)若い人の楽曲の特徴として、バース、ブリッジ、コーラス(Aメロとかサビとかのあれ)みたいな安定感のある構成を無視する傾向もある。
やり過ぎると気持ちよく聞けないのでそれこそ素人が手を出すには危ない領域だが、LAUSBUBはそのへんのバランス感覚も優れていると思う。
理屈でやってるわけではなさそうだけど、結果的に単なる実験的なエレクトロというだけでなく、どこかポップミュージックとしての軽快さもある。
彼女らの曲を聞く限り、フジロックに出るレベルじゃないだろとは安易には思えない。
少なくともフジロックはジャンルを絞ったものでなく、多様なジャンルのごった煮フェスである。
勝った負けたなんてさほど重視されないほど今の音楽は多様になっているのだ。
自分が感じた感想は、あのとき女子高生で拙い技術ながら熱を感じる曲をやっていたあの人達が、
そのまますくすくと成長した結果音楽的にもより豊かな世界を作るようになったのか、なるほどそれでフェスに参加か、素晴らしいね、だった。
たぶん元増田は「女子高生」とかのワードに引っ張られすぎなのだ。
自虐的に「おじさんが同じことやってもどうせ受けないでしょ」とか書いてるけど、そもそもやれば同じことできると思ってそうなのが舐めている。