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はてなキーワード: 妥当とは

2024-12-12

anond:20241212195143

アルトワークスにしなよ!」という勧めは、車好きや実用性、走行性能を重視する人にとっては一理あるものの、現代における自動車購入という視点から見ると、その妥当性にはいくつかの要因が影響します。

1. アルトワークスの特徴と魅力

スズキの「アルトワークス」は、軽自動車としての機動性、燃費の良さ、そしてスポーツ走行性能を併せ持ったモデルです。特に、以下の要素が強みです:

このような要素から運転楽しいスポーツとして「アルトワークス」は一部のユーザーにとって魅力的です。

2. 現代自動車市場における考慮事項

ただし、現代自動車選択では「アルトワークス」が適しているかどうかは、次のような現代トレンドや要素で考える必要があります

(1) 燃費環境性能

アルトワークスターボエンジン搭載車であり、性能重視ではありますが、エコカーハイブリッドEVが増えつつある現在燃費性能や排出ガス規制への対応は他のモデルのほうが優れている場合もあります

(2) 快適性・安全性

アルトワークススポーツ性重視であるため、最新の快適装備や衝突安全性先進安全技術(例えば自動ブレーキアダプティブクルーズコントロール)については、同クラスの他の車種に比べると限られている可能性があります

(3) 使用目的との適合性

アルトワークス」はスポーツ性能が高い一方で、家族での長距離ドライブや、荷物を多く載せる用途にはあまり適していない場合があります。そのため、使用シーンが多様化している現代では、用途マッチするかを考える必要があります

(4) コストパフォーマンス

アルトワークスは走りが楽しい反面、同じ軽自動車クラスでも他の車種がより実用的で価格も安い場合があります都市部での実用経済性を考える場合、他の選択肢が優れている可能性があります

3. 結論

アルトワークスにしなよ!」が適切かどうかは、その人の目的ライフスタイル優先順位によって変わります

スポーツ走行や軽いドライブ、都会での機動性を楽しむには最適です。

燃費安全装備、スペース、快適装備の点で他の選択肢が優れている可能性があります

最終的な考え方

アルトワークス」にこだわる理由は、その楽しさや運転の楽しさを感じる部分にあるので、車選びで「楽しさ」を重視する人には非常に妥当選択といえますしかし、現代多様化したライフスタイル環境問題への対応を考えると、必ずしも万人向けではないという現実考慮する必要があります

結局のところ、「アルトワークスにしなよ!」は、その人の目的価値観次第です。走りの楽しさや軽自動車の魅力を重視する人には強く推奨できる一方、他の選択肢を検討することでより幅広い選択肢が見えてくるでしょう。

2024-12-11

anond:20241211175102

婚活界隈で普通男性はなかなかいないって言われてるのは女性の考える普通レベルが高いだけだと思ってたけど、そうじゃなくて男性レベルが低すぎるんだね。

初婚年齢の最頻値は27歳

29歳で婚活を始める時点であなたも異性を普通に捕まえられなかった低レベル売れ残り

婚活出会相手はだいたい妥当

ハイレベル()でフリー人間が選り取り見取りできない理由を少しは考えろ

anond:20241211151726

女性強者男性が好き

男性強者男性になるのが最適

弱者男性強者男性になれないからハリボテで騙したい

女性→ハリボテの弱者男性排除したいのでハリボテを批判する

めちゃくちゃ妥当な話だな。何がわからないんだ。

料理する男ってやばい方向に行くやつ多くね

料理研究家さんが

こ、コロッケなんて、、、!!あんな、、、無理ですよね作るの18時に夕食なら16時くらいから準備しないと私は無理です!!茹でて潰して揚げて、他のご飯も準備してとか!

コロッケは買うんだ

ツイートしたのに、料理趣味男性

https://x.com/AKIRA_Momotan/status/1865708007172293111?t=CY8-ICjNGBWBNT38QpYXRw&s=19

コロッケ如きで大変とか抜かしてるアホ、マジで料理向いてないやろ………

何をやったら二時間もかかるんや

芋茹でてる間、鍋の前でずっと芋を見守っててそう

引用リツイートしていた。

コロッケは家庭の揚げ料理では一番くらい面倒なわりに、惣菜が安くおいしく手間が報われない料理筆頭としてよく語られる。

コロッケは手数が多い上に、具材をしっかりいためて水分を飛ばし、成形してから冷まさないと爆発するリスクがあるので時間がかかる。

他のご飯やおかずも作って片付けてトータル2時間妥当時間だが、何故趣味でやってる素人レシピ本何冊も出してるプロマウント取ってるんだ。

そういや前に筑前煮ですれ違う男女漫画に、

筑前煮、「煮る前に具材を炒めるやたら具が多くて汁が少ない煮物」なので、筑前煮が高難度料理と言われると首を傾げてしま

鴨肉のコンフィとかのほうが圧倒的に面倒くさいし、「この料理じゃなきゃダメだった」のは〝九州〟の〝煮物〟が旧態依然の家父長制の暗喩になると作者が考えているからですよ

とキレてる男がいたなぁと思い出し、筑前煮は下ごしらえの必要具材が多く、漫画に描かれていたような、飾り切りした筑前煮はとても手間がかかるのに、一般家庭ではまず作らない鴨肉のコンフィと言ってるの含めて、料理する九州男児もくっそ面倒くせえ…と感じたのを思い出し、料理する男ヤベェの多いなと思った。

2024-12-10

anond:20241210110625

男で婚活の話するのであれば身長やはげているかどうかとかが絶対に出てくるはずなのに

そこを書いていない(恐らく性別をわからないようにするため)のがいかにも女性っぽい感じだなと思う

まあ男でもいいんだけど「自分は世の中の平均より上なのだから結婚相手も同レベル帯(以上)であってほしい」

足切りしている人は婚活は苦労する

実際に答え合わせになっているが、みんな当落線上の戦いをしているのでプラスアルファの魅力がないと次に続かない

それこそ趣味が同じとか、お酒が好きだとか、そういうフッキングがないと「ま、もういいかな」となってしま

でもって自覚もあるっぽいけどたぶん絶望的に話が盛り上がってないんだと思う

婚活って正直コミュ障にはめちゃくちゃハードルが高いのよ

それこそ「自分が80点なんだから相手も80点」みたいな感覚マイナスがなければ、という話で

コミュ障だとここに大幅なマイナスが入ってしまう。2ランク下くらいまで見てようやく

あんまり盛り上がらなかったけど、若い美人しまぁいいか」と思ってもらえる感じ

要するに今は2ランク上にアタックしていると思った方が良い

だとしたらその戦績になるのは妥当で、これからも当たって砕け続けたらいつかは成功するかもしれない

先人に対する敬意というものはない。

現代を生きる我々がバカだというなら、先人たちもまたバカだったと推論する方が妥当だろう。

時の試練を経たと称する書籍も、読んでみれば当たり前のことが書いてあるだけだ。

  会社全体がゴミクズであることを理由裁判官は間違いだらけで出来ないと言っているので、裁判官故意に間違った判決を書くことで、昭和のような具体的妥当性を

  図っているとは思えないし、裁判官検事は、できなくなったからできなくなってる奴ばかりなので、司法警察員は全力でやっている。会社全体が最悪だからそうなっているだけの話。

    本件で、  遺留に関する、甲7号証が証拠採用されていなく、甲1~8号までを採用し、7を採用していない、 糞過ぎて理解できないわけではない。

  この仕事被告人若いときに全部やっていたものだが、本件の捜査員はそれが理解できないから、こういう判決を書く。被告人刑事施設収容された場合は実は非常に真面目である

  これも、生成AIが、労働者にいれてはいけないことになっている。ところで、相当前の、増田で、お前が殺されていないことが理解できない、という書き込みがあったが、現状の生活に鑑みても、

   通常の日常生活の、板橋区には、「受信料の件でNHK訪問大阪府 天王寺営業センター(現 南大阪営業センター)編)」もインターネットにあがっている上に、木山裕作の子供も

 いるし、実際に、刺されていないのがおかしいのは現職の検事裁判官であり、その意味では、現職の検事裁判官が刺されていないのがおかしい。

2024-12-09

anond:20241209133915

正直、出来る人はいるので別スキルだとは思ってない

ただ、ある程度の規模感だとフツーに開発とネットワークインフラで単純にチームが分かれて分業がデフォなので

『全部やります』ってことは通常起こり得ないとは思う

これらすべての知見持ってるので、設計テックリード、チーム全体のコーディネーションで頼りにしてくれよな!が

現実的なところじゃないですかね

 

あくまでひとりで全部やります!なら、あんデカくないサービスなんじゃないかなって推測するのは妥当

差別肯定しないのは妥当性があるで終わる

やっぱどう考えても価値観でも知識でもIQでもないと思うのよね、横たわる問題

 

命題1:周りがAを区別するのは当然だ

命題2:A自身自分に対する差別肯定しない

結論:Aは性格が悪い

 

フツーにドン引きよね

つか、倫理的問題を含んでなくても当たり前におかし

 

命題1:BCDは大きなケーキが食べたいと主張した

命題2:Aは小さなケーキが食べたいと主張した

結論:小さなケーキが食べたいと主張したAは性格が悪い

 

性格に関する評価の要素どっから生えたの?って話よ 

これなら話はわかるけどな(❌印を付けるルールが良いかいかは別として)

 

命題1:大きなケーキ希望しない人に❌印をつける

命題2:Aは大きなケーキ希望しなかった

結論:Aに❌印をつける

 

おかしさに気づかないのは価値観知識IQ問題ではないぞマジで

 

 

まぁ冒頭にあるのがこれだから似た者同士なんだろうな

命題1:Bは優しい人が好き

命題2:BやBのような人間が選ぶのは、Aではない

結論:BやBのような人間が優しい人が好きというのは嘘

 

仮にAが優しいが周囲の人が知る事実でもこの結論フツーにおかしいよな?

下記なら話はわかる

 

命題1:Aは三毛猫を飼っており、Bを含むクラスメイト全員がそのことを知っている

命題2:Bは猫を飼っている人にインタビューをしているが、Aの名前はBのインタビューリストには載っていなかった

結論:Aがインタビューリストに含まれていなかった理由については、持っている情報が足りないため、推測することはできない

 

命題1:Aは三毛猫を飼っており、Bを含むクラスメイト全員がそのことを知っている

命題2:Bは猫を飼っている人にインタビューをしているが、Aの名前はBのインタビューリストには載っていなかった

命題3:Bは黒猫性格を聞くため「黒猫の飼い主」に限定してインタビューをしている

結論:BがAにインタビューしなかった理由は、Aは三毛猫を飼っており、条件に該当しないため

 

anond:20241209022609

2024-12-08

anond:20241208190339

フェミニズム』に対する理解が極端に表層的で単純におかしいので、やっぱラベリングではなくて認知フレームワーク問題だよね

りんご:赤』みたいな。典型なDでは?

 

『昔の日本人男性女性差別主義者』も同じだよね。単純におかし

日本人男性』と『女性差別主義者』この2つは異なるレベル概念だよね

 

この2つは役割も違うよね

 

変数と条件式は混同しないように、会話でも混同しないのが望ましいよね

自然言語処理でも、『昔の日本人男性女性差別主義者』という推論は過度な一般化と扱われると思うし、

現代NLPでは下記の推論規則妥当ものとして許容しますか?』って聞いたら『許容しません』って返すと思うよ

 

 

 

<ほかの例>

例1: 日本の猫好き

 

例2: 学校パリピ

anond:20241205221650

ext3 で、そんだけ?なんの報告だよ。今時暇な大学生の何人かに一人はやってそうな事今更言われても

今更言われてもっていうならお前はこれからツイッターしょうもない報告してる全員に同じこと言って回れよって思うわ。

元増田ツイッターでそのとりとめないことをぱぱっとつぶやく感覚をそのまま増田で発露しただけだろ。

そんな増田はいくらでもいるのに、こいつがこんなブコメをしちゃったのは、元増田が伸びてしまたからただそれだけ。

タイトルすらつけてないのだから本当に伸ばす目的なくただ書き捨て目的なのはわかるだろ。

強いてこいつが叩きの矛先を向けて妥当対象がいるとすればそれはこの元増田を伸ばしたブクマどもであって、元増田に憎まれ口を吐くのは筋違いもいいところ。

新・表現の自由戦士提案

 最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。

 わたし若い女で、比較フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。

 以前、似たような境遇女の子友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。

 しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入り帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。

 この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入り帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。

 話は変わる。新聞社事件事故の欄を見ていると、盗撮痴漢路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。

 そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害あいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。

 そもそも表現というのは社会の情勢や価値観規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現社会個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり表現社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。

 フェミニスト二次元三次元区別がつかない。あるいは、自他境界曖昧すぎてただの絵に自己投影している。エロ表現忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツ邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。

 ポルノグラフィ(エロ絵や漫画アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実性犯罪助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現問題視されていることの妥当性を示したいと思う。

 ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現社会の外側には出られない事実である。つまりエロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力エロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたし意見を述べておくと現実被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力エロ表現ひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり表現社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会しか受けつけられないのだと思う。

 また、そういうチャレンジングな表現社会価値観を問うたり挑発したりすることも表現役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会価値観は醸成されていない。

 ちなみに。こういう話では必ず、殺人現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたし理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人エンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会からなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現エンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうからエロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すとき感覚快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)

 同じように、戦闘シーンを快として描く表現暴力基本的日常の外にある社会からこそ許容されるし、ヤのつく職業社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会から可能なのではないか

 つまりエロ表現自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現自由戦士と呼ばれる人たちは表現現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現現実社会区別〉をつけるべきではないか

 恐らく、フェミニストエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか

補足:Xではエロ表現話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズム文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。

2024-12-07

刑(わ)2494号 窃盗 公判調書

  捜査機関    練り歩きました。(甲1)   糞(9月28日作成分)

           私は大学卒業で、アスペスガー障害で今もきちんと武蔵野病院に通院しています。 (甲2)

          従って、私の学歴は、  私は大学卒業仕事したことはなく、黒羽刑務所に服役し、今のところで生活しています

  弁護士

    公務備品被告人から交番に戻されており志村署の財産被害は僅少だから微罪である

   前科については10年以上まえの事件で本件に関係がない。

  検察官    被告人は、障害年金等級が3級(原文ママ、間違い、福祉課の記録によると2級で、まだ3級になった診断書提出なし)

        アスペルガー障害であって、投げるように戻していることから反省はしていない。よって懲役1年にするのが妥当である

  裁判所結論   食べるものがない。

60分2万円のソープ費用が浮いたから他の事に使ってみた結果

人気嬢に予約できてwkwkしてたら当欠

まぁ風俗あるあるなんだけど、今日は他の子に入るのではなく、2万円で何できるかを実際に試してみた

ラーメン(1000円)

カラオケ(1000円)

バッティングセンター(1000円)

スーパー銭湯(1000円)

回らない寿司(6000円)

バーウイスキー(3000円)

マッサージ健全)(3000円)

新書小説資格の本(4000円)

計20000円

色々やって充実した休日にはなったけど、正直それとアレとは別

今思ってるのはソープ行きてぇって事w

最初ソープ60分2万は高いって話にしたかったんだけど、今は案外妥当かもと思ってる

普段できない事はプライスレスなんだなーと

2024-12-06

anond:20241125201802

まあ、一般向けにも出してるがメインは大口顧客向けだろな。

サポート費とか考えれば妥当レベル

anond:20241206212352

まあ数千万冊の雑書から千万円を得るのに、都度一冊ごとに適切な古本屋を見つけて売り捌くというコストが莫大になりそうだから、そういう意味でも評価額0円とするのが妥当な気もするけどね。

かりに相続人が誰もいなくて国が数千万冊の漫画国庫に納められる場合、これをどう競売とか駆使して現金化するのか考えればその苦労は想像に難くないことをイメージすればいいかも。

徳川埋蔵金を見つけるのに何千億円も投資するようなものだ。

anond:20241205154323

自称税理士でもなんでもいいけど聞きたいんだが、漫画基礎控除額を超える冊数相続しようとするとどうなる?

まり3600万冊とか4200万冊以上ね

ブックオフとかしかるべきところにもってけば1冊1円にはなるかもしれない。

かといってただのゴミとしてかりにただでもらってもただかさばる紙虫の厄介な発生源として、見えないところですぐ捨てられるものとも捉え得る。

そうすると、これらを前者の価値評価すれば3600万円以上になるが、後者ならすべて0円と評価して結局合計0円だ。

一般的相続税でこうやって概算するのは、すべてを計算した段階で数千円以下とかの端数を丸めるという場合だろう。

でも1円か0円かというものが何万個もある場合は塵つも方式で、0円と計算できるともいえれば何千万円と計算できもするということで、前者の場合と違って課税に影響してくる。

こういうのはどうすればいいの?自分に有利なように0円と計算しちゃって課税を逃れようとしても違法にはならない?

まあ数千万冊の雑書から千万円を得るのに、都度一冊ごとに適切な古本屋を見つけて売り捌くというコストが莫大になりそうだから、そういう意味でも評価額0円とするのが妥当な気もするけどね。

かりに相続人が誰もいなくて国が数千万冊の漫画国庫に納められる場合、これをどう競売とか駆使して現金化するのか考えればその苦労は想像に難くないことをイメージすればいいかも。

徳川埋蔵金を見つけるのに何千億円も投資するようなものだ。

anond:20241206145639

そもそも単純に少女漫画雑誌現代ではかなりの弱小雑誌

少年雑誌全体との比較だと天地の差があるし

雑誌単体レベルで言うとほとんどがジャンプスクエア以下の部数しかない

ジャンプスクエア感想をどんだけ見かけるのか思えば単純に読者数比で妥当な程度だとわかる

2024-12-05

から謎なのですが、何で全国の市区町村で同じようなことやってるのに別々にシステム構築するのでしょうか?1つのシステム統一して全国の市区町村で同じシステム使い回せば税金安く済ませられるのではないですか?

https://togetter.com/li/2475751

妥当な疑問で草

そうしたいけど反発するのは地方自治体側の方です

県、市、区すら全然違うシステムだったりするのはそのためです

管理されることを徹底的に嫌うんです

需要を作ることが目的であって、低コスト化や省人化は目的じゃないのよ。

土人で草

anond:20241205081151

収益寄与してるのは、マンガのビューアーだよね。

はてなの「話題エントリー」に最新話のリンクが出てくるのが、

はてなユーザがそのリンクを踏むと、マンガへのアクセス数が増え、はてな収益となる仕組み。

話題エントリーとか匿名ダイアリー無料提供してユーザーを確保して、そのユーザ達に自社のサービスを利用させる。

意地悪な言い方をすると、ステマとも言えるけど

これは事業モデルとしては妥当だし、利益を分配してほしいなら株主になれば良いだけの話。

サービスタダ乗りしたいなら、ここまで理解してからサービスタダ乗りすべきだと思う。

anond:20241205135503

Q.

「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる」

探偵セリフとしては格好いいですが、論理的に合っていますか?

A.

このセリフは、シャーロック・ホームズ名言に由来するもので、原文は以下のようなものです:

"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."
(不可能排除したならば、どれほどありそうもないことであっても、残ったもの真実だ。)

論理的にこの言葉評価する場合、前提条件と適用範囲に注意する必要があります論理的解釈
前提
この論法は「与えられた選択肢の中に必ず真実が含まれている」という前提に依存します。
もしすべての選択肢が間違っている場合(例えば、情報が不完全または誤っている場合)、この方法では真実にはたどり着けません。

不可能排除不可能」と判断するためには、それを十分に検証しなければなりません。つまり、すべての選択肢について正確に評価し、「不可能」かどうかを確定する必要があります。このプロセスが不完全であると、誤った結論に至る可能性があります。

残ったもの評価
不可能排除した結果、残ったものが「極めてありそうもない(improbable)」場合でも、それが真実であるかどうかを追加で検証する必要があるでしょう。この論法はその検証プロセスを省略しているため、実際には「可能性が高い」とする結論を補強する論理が不足しています結論としての妥当限定的に正しい
全ての可能性を十分に検討し、かつ正確に「不可能」を排除できた場合には、この論法妥当です。ただし、その前提を満たすことが非常に難しいため、実際の探偵推理においては注意が必要です。

現実では補助的な論法
探偵科学の分野では、この方法は完全な結論を導く手段ではなく、あくまでヒントや仮説を導き出す一助として用いられるべきです。最終的な結論には、別の証拠論理の補強が必要です。

探偵としての格好良さ
論理的には厳密性に欠ける可能性がありますが、「困難な状況の中で真実を見つけ出す」探偵精神や自信を象徴しているセリフであり、文学的には非常に魅力的と言えます

anond:20241205091712

そういうことを考えて意味があるのは政治家官僚だけだよ

国政レベル方針決定についてなんの権限もない人がグダグダ考えることは何の結実にも到れないばかりか、そうした決定に関与しうる職責を持つ業界人の了見より著しく劣っている可能性のほうがはるかに高いと考えるのが妥当だよね

特にネット匿名人間の了見なんてのは偏ってて各々の見たいようにしか現実理想を捉えてない蓋然性がきわめて高い

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 2

下記の文章フォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか?
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます

 

1. 客観性を求めるプロンプト

• 「Dの行動について、認知問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」

• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。」

 

2. 対立意見意図的に生成するプロンプト

• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性範囲内と考えられる場合擁護意見作成してください。」

• 「Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。」

 

3. 中立的立場を取るプロンプト

• 「投稿者意見引用しつつ、Dの行動が認知問題ではなく、個性価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」

• 「Dの行動が認知問題とされる根拠を再評価し、別の視点提示してください。」

 

4. 哲学的視点を求めるプロンプト

• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義認識論観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」

• 「Dの行動を、哲学的視点から擁護する文章作成してください。」

 

5. 文章中立的に補足するプロンプト

• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」

 

このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判を以下のように評価できます

1. 個性価値観の違いとしての解釈

 

Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身価値観認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります

たとえば、Dがデザイン美的感覚特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカード本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的コンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。

 

2. 価値観相対性

 

トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者トランプ本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準フォント統一性デザイン整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます

3. 共有基盤の曖昧

 

投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそもトランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的文化的多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知問題」と決めつけることは、価値観多様性を軽視している可能性があります

 

4. 投稿者評価の偏り

 

投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点理解しようとする姿勢に欠けているように見えます

もし投稿者が、Dの行動を「トランプ本質」についての哲学的文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話可能だったかもしれません。

 

5. 擁護可能

 

Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます

哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプ本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点提供している可能性があります

創造視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザイン基準美的価値観提案するものとして評価できるかもしれません。

 

結論

 

フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知問題」として否定するのではなく、個性価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。

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Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。

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Dの行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます

1. 認知問題ではなく価値観の違い

 

Dが「フォントの違い」を理由ダイヤのKを否定した行動は、特定認知問題ではなく、個人価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。

たとえば、美術デザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事認識しているだけであり、これは「認知問題」とは言えません。

 

2. トランプ本質に対する多様な解釈

 

投稿者は、トランプカード本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントデザイン重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。

Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティ一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。

 

3. 認知価値観混同

 

投稿者はDの行動を「認知問題」として捉えていますが、認知問題価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できますフォントという細部に焦点を当てるのは、特定認知スタイル個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体問題視されるべきではありません。

 

4. 哲学的視点から擁護

 

Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます物事本質定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります

たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォント統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知問題として単純化するのは、物事本質に対する多様な解釈無視することになります

 

5. 対話の困難さの原因は双方にある

 

投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点価値観を十分に理解しようとせず、一般的基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイント尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります

 

6. 結論

 

Dの行動は、価値観視点多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーション障壁を取り除くことが可能となるでしょう。

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本気でトランプゲーム文脈上記合理的理解だと思いますか?
認知問題ではないと考えますか?

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トランプゲーム文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由カードのもの否定するDの行動は、一般的基準からすると合理的理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。

 

1. 合理性の欠如

 

トランプゲームにおけるカード本質は、そのスート(ダイヤハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由カード否定する行動は、このゲーム目的文脈に即していないため、合理性に欠けています

 

2. 認知問題可能

 

この行動を「認知問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます

• 過剰なフォーカス(過集中)

Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要情報カードのスートやランク)を覆い隠してしま場合、これは認知スタイル情報処理の偏りに由来する可能性があります

• 前提のズレ

Dが「フォントの違いがカード正当性に影響する」という独自ルールや前提を持っている場合一般的認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。

 

3. 個性として理解できる範囲限界

 

Dの行動を「価値観個性」として理解しようとする姿勢重要ですが、それは文脈に即している場合に限られますトランプゲームというルール目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます

 

4. 対話の困難さ

 

Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲーム目的とは何か」という基本的定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報優先順位問題がある可能性を示唆しています

 

結論

 

トランプゲーム文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的文脈整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます

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