はてなキーワード: 肉体労働とは
人間になって2年目、赤ちゃんしてるけど人間向いてないなぁと思うことが多々ある。昔からケアレスミスとかするタイプだから、歩くとか食べるとかの基本的な行動が割と苦行。食べこぼしとかはよくあるし、細かい服の着方とかで何度も指摘入って直される。あとはトイレの管理とかも任されたりもするけど、トイレトレーニングとかで失敗して迷惑かけるのもしばしば。リーダー的な存在の人(母親)がしーしーしといてね〜あとはこっちが確認するだけにしといてね〜と思ってるレベルの作業ができてないので、完全に家族のお荷物と化してる。
ある程度の肉体労働とコミュニケーションは覚悟した上で、自分でもやっていける生き物に変わりたいなぁ。こんな無能でもやっていけそうな向いてる生き物とかありますか?
IT系に入って2年目、エンジニアしてるけどこの業界の仕事向いてないなぁと思うことが多々ある。昔からケアレスミスとかするタイプだから、仕様書とかテストとかのドキュメントを作る仕事とかが割と苦行。直し忘れとかはよくあるし、細かい書き方とかで何度も指摘入って直される。あとはGitの管理とかも任されたりもするけど、マージとかで失敗して迷惑かけるのもしばしば。リーダー的な存在の人がこれやっといてね〜あとはこっちが確認するだけにしといてね〜と思ってるレベルの作業ができてないので、完全にチームのお荷物と化してる。
逆に、プログラミングとかコードの実装に関しては、昨今の技術革新で分からないところを調べたりAIの助けも借りつつ、今与えられる仕事のレベルではこっちの方がなんとかなってる。だけど、ちょっとコード書けるくらいじゃこの業界はやっていけないんだよね。ドキュメント作成もそうだし、上の立場になれば工数管理とかチームマネジメント、客との折衝とかもあるわけで、AIに助けられる程度の技術力じゃそれらをカバーできないし仮に技術力があってもそういう他の仕事で躓いちゃう。かろうじて就職はできたけど永遠に同業種で転職だなんて夢のまた夢すぎて、頭打ちな気しかしてこない。勉強して何か知識とか技術とか学ぶにしたって今やってる仕事と関係なかったりすると頑張ってもこれどこで活かすんだとモチベも無くなるし、そもそも今やってる仕事で手一杯な感じもしてる。それに結局技術とか知識を身に付けても、上に挙げた資料作成だの顧客折衝だのマネジメントだのといった要素が足りてなさすぎて、勉強してもこの業界ではやっていけないのかなと思ってしまう。人見知りだから接客はなぁ、体力無いから肉体労働もなぁ、と消去法の末に残ったことと手に職が付けられるという理由でIT系を選んだのは少なくとも間違いだった。
ただそうだからといって、今から異業種にいく勇気も出ないしそもそも何がやりたいことなのか、向いてるのかもわからなくなってる気もしてきてる。あと今のこのスペックでどこか雇ってくれるところなんて、ないよね?
ある程度の肉体労働と接客は覚悟した上で、自分でもやっていける仕事に変えたいなぁ。こんな無能でもやっていけそうな向いてる仕事とかありますか?
俺も、かとうさんも日雇いバイトとしてその現場で働いていたが、かとうさんは50近い年齢にもかかわらず、そのイカツイ見た目と時折見せる到底素人とは思えない凄み方で、倉庫のバイト集団の中でも異彩を放っており、もちろん現場のリーダー格であった。
本当にめちゃくちゃ出来た。現場の責任者もかとうさんを頼りにしていたと記憶しているし、実際にあの時、現場でかとうさんを超える技術、体力を持つ人は社員と言えどいなかったと思う。
かとうさんはよく、自分をメシに誘ってくれて近くの天丼屋に連れて行ってくれた。
もちろん、お互い給料なんてたかが知れているから、奢りなんてことにはならなかったけれど、飯を食いながら倉庫の仕事の話や、自分の若いころの話なんかをよく聞かせてくれた。
昔、営業時代に「○○を○○円分売った」とか、某プロ野球団のリーダー長をしていたとか、そういう話をよくしていた。
また、年齢が近い大手企業勤務の彼女がいるっていう話もよくしていた。
今思えば、かとうさんは話をかなり盛っていたのだと思う。自慢もしたかったのだと思う。
それでも当時、30そこそこの自分は目をキラキラさせながらその話を聞いていた。
俺は、そんなかとうさんにいろいろなことを教えてもらった。
荷物の扱い方に始まり、荷物の持ち方、荷物の積み方、降ろし方、倉庫内の業務の流れ、○○さんはどういう役職で~などという、倉庫内の人間関係など、実に様々なことを教えてくれた。そして社員との付き合い方。契約上自分たちはどういう立ち位置で、どのように動く必要があるのかなどの話し。肉体労働であるからこそ、ペース配分を考えて動くことの重要性など。
激務、ブラックと呼ばれ新人定着率10%を切る某宅配会社の倉庫で、5年経った今も変わらず、誰にちゃんと教わったわけでもないのに、何食わぬ顔で仕事が出来ているのは、間違いなくかとうさん、あなたのおかげなんだ。
あの時教えてもらったことは、今の今でも十分生きているしなんならこの先もかとうさんから教えてもらったことだけで、飯が食えて行ける自信がある。
かとうさんが新人に俺のことを紹介していた時、「こいつはここの仕事を分かっているから、こいつに何でも聞け」と言っていた時は本当に嬉しかった。
今でも覚えている。そのあとすぐに、些細なミスをして、かとうさんの機嫌を損ねたが。
このエントリを書いていて思い出したが、かとうさんからは現場仕事の世界で生きていく際の、コツのようなものを教わった。
いわく「相手から指名を取ること」が重要なんだそうだ。アイツを呼んでくれと言わせる。
というか、そうなるように先方に売り込む。売り込んでおく。
実際、来月の仕事もあるかどうかわからない日雇いの世界で、かとうさんは1年の間、いろいろな職場を定期的に回って生活をしていたように思う。
数年のブランクを経て、倉庫の仕事に久々に戻ったら、かとうさんはもうその職場にはいなかった。当時を知る人に話を聞いたところ、ケガか何かをして体を壊してしまったらしい。
その話を聞いたときは「あのかとうさんが??」とは思ったが、仕事はかとうさんがいなくても、つつがなくいつものように進んでいった。メンバーも半分以上が変わっていた。
そして自分は、その新しい職場になじむために下っ端からやり直し、そして徐々に過去の感覚を思い出し、仕事にも慣れ、そしてじきにかとうさんのことも頭から消えていった。
いや、そんなことはない。おそらく自分は終生あの人を超えることは出来ないと思う。それほどまでにかとうさんは凄い存在感があった。
自分は忘れない。今の自分があるのは間違いなくかとうさんのおかげなのだ、年齢で言えばもうそろそろ60近いだろうか。
「自分は敵をたくさん作ってきたから、決していい死に方をしない」と言っていたが、本当にそうなるのだろうか。
またどこかで会うことがあったら、また仕事の話しをしましょう。
ありがとう。かとうさん。
『メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価に限定して使われているイメージがあります。
けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。
具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足や視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのものに問題があります。
時間が自然に解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います。
エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要なスキルです。
たとえば、「お目当てのプリンが冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日はプリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。
冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?
仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手が勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます。
けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
メタ認知は知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。
たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。
でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキルや共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます。
たとえば、プリウスの運転手が軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。
仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして、記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象の理解がそもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。
たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんごの品種や生育環境、熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えています。さらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープンな姿勢もあります。
多次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分の直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。
だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。
一方で、こういう視点や意識(見たまま受け入れる、自分の五感や直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、
『りんご=赤い』っていう単純な答えでテストに合格して、「自分の理解は完璧だ!」って思い込みます。
現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。
で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題に対処できなくなります。
同世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学、医療、社会問題、仕事の議論でトンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。
違う文脈で知識を応用するなんて、そもそもの理解が浅いと到底無理な話です。
新学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、
現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。
それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。
増田のタイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?
これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないかと確信を持っています。
大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強やデスクワーク=知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働の本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います。
しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります。
なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。
実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
例えば、エラーを検知し、適切なタイミングで作業を中止し、問題を解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。
障がい者雇用に最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故や怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。
フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識を活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。
もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉(運動能力)なのか、論理筋肉(知識)なのかって違いだけです。
1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。
物理筋肉も論理筋肉も、それをうまく使うスキルが必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システムと連携して本来の力を発揮するのと同じです。
で、そのシステムを設計するには、基本的なエラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、
つまり『知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。
国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉を有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソースの無駄になってしまいます。
というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えます。リソースの無駄遣いを避けるために、筋肉の活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います。
(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事や科学や社会問題の議論でトンチンカンな発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲に知的な課題は持っていない、なんなら大学も卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)