「理論」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 理論とは

2025-06-04

ヤリチンを始めて、やめた

ヤリチンを始めた経緯

劣等感

真面目に人生を歩んできたつもりだった。

高校時代は3カ年皆勤を受賞、推薦入試でもないくせに生徒会も本気で部活も毎年全国大会で上位に食い込んでいた。

大学地方国立に進んだ。大学の授業を一度も欠席したことはないし、長期休暇には資格勉強読書に励み、就活大学2年から取り組みインターンにあししげく通って内定を勝ち取り、卒論では学士のくせに学会で賞を取るような真面目人間だった。サークルアルバイトもやっていたが、飲み会は年数回程度だった。

しかし、社会人になって飲み会ヤリチン同期に出会ってすべてが変わった。

エロ漫画とかでしか存在しない概念だったヤリチンが、実在するんだと知った。

最初嫌悪感しかなかった。というか普通に意味が分からなかった。付き合う前にするって何???って。

しか学生時代ヤリチンだった同期は何人も居るし、彼女セフレも居る同期だったり、彼女とFantiaに動画を上げて稼いでる同期とか、遠距離彼女は居るけどヤリチン東京でやってる同期とか、ナンパ営業力を磨いている同期とか、相席屋でお持ち帰りしまくる同期とか、そういう人がこの世界にはたくさん居ることを知った。

同意がある範囲ではなんら違法でない。

そしてみんな夜遊びのフェーズ大学生で終えている(ように感じた。実際大多数は遊んでなんかいない。インパクトのある話が伝搬してるだけ)。

彼女こそいたことはあるが、付き合う前にそういうことをするのは絶対にありえないと思っていた。そんな常識が壊れた。

常識が壊れたとき、次に来るのはコンプレックスである

自分大学時代遊んでないんだ。そしてその大学時代はもう一生来ない。

そう思うと心が粉々になりそうなくらいの劣等感を感じた。

危機感

23歳だった。社会人としては若くても若者としてはアラサーが迫っていた。

23歳の遊びは若いねで笑われても、33歳がそれをやったらただのキモいしかない。23歳でもキモいかもしれないが。

今が一番若い

大学時代は終わっているがまだ今ならこのコンプレックスを取り除けるのではないかと思った。

若い頃のコンプレックスは一生引き摺るものである。半世紀を過ごしたおじさんが学園ソープに行くように、私自身にだって学生時代コンプレックスがいくつかあった。

若いうちに遊んでないというコンプレックスが日に日に大きくなってくるように感じた。山月記のようにいつか虎になってしまうのではないかと思った。

そんなことを考えたとき、まだ今なら遊んでないコンプレックス無効化できる。そう思った。

いやむしろ遊んでないなんてキモいのでは。

遊び終わった男がいいなんて世間では言われる。

平均初婚年齢を考えると残された時間は短い。結婚を前提としたとき、次付き合うまでに遊び終わった男になっていたい。

同時に女性から見ても、まだ結婚を考えず遊んでみたいと思う需要もある時期なのではないかと考えた。

さら彼女が居ない今こそ、遊んでおくのが良いのではないかと思った。

それを考え始めると遊ばない=死のような感覚になった。

今を逃すと将来が真っ暗で永遠に一人だと思うようになった。

さら自分は真面目な自覚があったし、それを改善することが至上命題となっていた。

加えて女性に対してのコミュニケーション力もコンプレックスであった。

技術カンファレンスの懇親会で同性同士のコミュニケーションは磨いてきた自負があったが、対女性となると極めて難しい。

これも早めに直したい。

まとめると遊びは

目的として始めた部分が大きい。

欲の強さはかなりある方だが、そういう行為は正直好きな人とだけ楽しめていれば十分だと思っていた。

経験人数を増やしたい気持ちもないし、お持ち帰りする過程にもワクワク感を抱かないタイプである

その他

仕事ストレスえげつない時期で正直死が迫っていたのだと思う。

普通自分では絶対こんなことができない。

狂っていた。

スタンス

立場

本質として相手を傷つけて得られる幸せ快楽はクソだと思っている。

いくら自分のためだとしても、タダ乗り絶対にしてはいけない。

特に意識した。

また1回目の行為調査だとナンパ本にだって書いてある常識である

楽しんではいけない。相手が何が好き化を調べる調査である。明確に客は女性自分施術である自覚を忘れてはいけない。

絶対に好きになってはいけない

遊びはどちらが好きになった瞬間終わりである

マイルストーン

期間を決めることにした。目標設定において期限を指定しないことはあまりにも意味のない行為である

ヤリチンになれている・いないに限らず半年で一旦区切りをつけることは最初から決めていた。

これはマッチングアプリの料金プランとしてコスパが良いことに加え、思考に関わる習慣化の期間は約6ヶ月と言われていることにも起因している。

自分のしょうもない価値観とか人格を変えたかった。

Sprint Review

遊ぶ上で自身の変化を観測する必要がある。

もちろん自己評価必要だが他者評価も極めて大事である

遊びという行為経験しておりそれに対して不快感を抱いていない限られた知り合い(男女両方含む)に事情を話し定期的に話をする機会を設けてもらった。

これはスクラムにおけるSprint Review的な立ち位置となると同時に、依存先を増やしてメンタルコントロールをしていた側面も大きい。

いわば安全基地的な存在である

経験学習

数をまずはこなすことにした。

デート後に毎回記録をしていた。

好きな食べ物や嫌いな食べ物アレルギーやMBTIなどの基本情報大前提として

  • 行った場所
  • 着ていた服装
  • 話した内容とそれに対しての返答を思い出せる限りすべて
  • その回の自身の行動に対するKeep, Problem, Try
  • 学びや違和感まとめ

を毎回デート後に書き起こしていた。

(録画や撮影絶対NGなので記憶から辿った)

これは経験学習効果を最大限増やすという意味合いもあるし、なにより相手を傷つけないためが大きかった。

相手に間違われるのはあまりもつらい。それに相手が楽しくないことは絶対にしたくない。ポリシー違反

人間を物として見てると言われそうだが、自分の中ではそれが最大限の誠実性だった。

最悪自分が傷つくのは自業自得だとしても、女の子を傷つけるのは良くないし、特に一生傷を追わせてはいけない(偉そうなこと言える立場でないのはわかっているが)。

例えば容姿を気にしている相手容姿に対する指摘をするとか、体型を気にしている相手に体型の指摘をするとか。

そういうのは相手人生を余裕で狂わせる。整形を繰り返したり、拒食症になったり。(自分が直接そうさせたことはないが、そういう風にされたことがある人を見たことがある。)

試した種類

クラブナンパでは、クラブに1人で突撃最初に同性と仲良くなり、そこ経由で女の子を紹介してもらうことで多少は仲良くなれたが、その後があるほどの関係性は構築できなかった。

相席屋合コンは付き合ってくれる男さえいれば女の子と話すまでは確実だが、一方でお持ち帰りという部分に関しては極めて難易度が高い。

個人的複数人の場での立ち振る舞いより、1対1のほうが得意であった。

結果として自分自身と相性が良い「マッチングアプリ(恋活系)」を中心に進めていくこととなった。

Tinder最上級課金をしても基本出会えず、性癖マッチ系は男女比が破壊的で現実的でなかった。どちらも自分コントロールできる範囲改善が難しかったため本業にはしなかった。

座学

実践と座学はセットである。どちらか片方だけでは足りない。

あたりで知識を蓄えた。

最も良いのは遊んでいる・遊んでいた男女に相談することである。疑問を対話形式解決できることによる学習効果は大きい。

YouTubeに関しては有象無象で精度も低いが、複数人が言っている内容などある程度学習意義があった。(多くは会員制有料サイトへの誘導であるため注意)

各種書籍に関してはかなり効果が大きかった。特に「話を聞かない男、地図が読めない女(アランピーズ 著)」は男女平等が叫ばれる中で必読の書籍であるように感じた。平等と公平の必要性もわかる。

少女漫画はふざけているかのように見えるが、女性にとっての1つの理想を知るうえで重要資料である。(というかお持ち帰りした女性おすすめされた)

やっていた時期

ヤリチンになることはクソむずかしい

ヤリモクになることを通して、うまくやれてるヤリチンにある種の尊敬を抱いた。

(うまく、と書いているのは本能で行動し相手を傷つけて遊ぶ男や色恋や沼らせることで女性依存させて遊ぶ男、恋人という安定に甘えながらヤリモク浮気をするような本物のクズ達には尊敬を抱けないためである)

難易度は正直人生でも相当上位に食い込む。大企業内定を得るよりも断然難しい。就活は相当苦労した記憶だったが、それを遥かに上回るものだった。

運よく限界が来る直前に救いが何度もあったことで耐えれたが、辛さに耐えられずに人生が終わる可能だって十分にあるくらいには精神ダメージの大きいものであった。

一方で経験学習は明確に回る。性という人間の根幹を牛耳る部分が刺激を受けることで良くも悪くもアメとムチがデカかった。

食料が手に入るようになった現代で唯一本能的なPDCAを回せる場所であったのではないかとすら思った。

ドタキャンされたり嫌われたりは日常的にあって、かなり人格否定が発生するのが辛い。

仕事とかならプロジェクトのxxが悪いとか、スクラム開発ならPBIが悪いとか色々言い訳できるのだが、女の子から嫌われたり断られたとき人格否定されたように感じてしまう。

(実際にはそんなことはなくて、たいてい相手側の都合とかタイミングのケースが多いが、論理でそうわかっていても感情はそうならない)

成功は数とPDCAしか手に入らない

ヤリモクをやる前の事前調査で、ヤリチンをやっている友達数人に聞いたところ、まずは20人と会ってからだという話を聞いた。

これは遊び終えた上で振り返っても間違いないと考えている。

まずは数をこなして学習することが大事だし、正直相手のその日の体調や気分など運による部分が大きいというのもある。

会うまでがそもそも難しい

会う直前や電話の直前で突然ブロックされることは相当な回数ある。半年間で20回は優にあった。

大半のケースは会うのが面倒なケースや他に良い相手ができたケースだと思われるが(というかそう思わないとやっていけない)とても辛い。

一番辛いのは会う約束をして当日待ち合わせ場所で待った挙げ句パターンである

ちょっと遅れるね」のメッセージ最後に何時間真冬に待たされた挙げ句ブロックされたケースだってある。普通に数日落ち込んだ。

さらに厄介なのは一方的好意を向けられた挙げ句、会う直前に突然ブロックされることだ。

簡単好意を向ける人間は、簡単に他の人にも好意が向いて自分なんて存在は容易に捨てられる。

基本やれない

当たり前だが世界は甘くない。

ホテルに誘ったときに「そういうの無理なんだけど」って言われるのはまだ希望がある。貞操観念がしっかりしていて素敵だなと思う。

ちょっとなのは最後最後に「今日女の子の日だからならいいよ」と言われた挙げ句解散した瞬間にブロックされることである。これが結構ある。

基本的に初回でできなければ次は絶対にない。(1個人統計としては1回だけ例外があったが割合としては相当低い)

またホテルに行ってやることやって、またしようねと笑顔解散した次の日にブロックされるケースもある。

ホーム電車に乗り込む直前まで甘々にくっついてきたのに、である。本当に人を信用できなくなる。

いろいろな人間がいる

いろいろな人と話すことができた。(実際に行為まで及んだのはごく少数であることは留意してほしい)

幼稚園先生小学校先生営業職、事務職フリーター、様々な学部大学生、専門学生SE舞台スタッフ作業療法士看護師など、職業や学種だけでも普段絶対関われない人と関われた。

出身地日本全国様々だったし、それぞれの人生も唯一無二のものだった。

夜ご飯だけでも2時間は話を聞けるし、2件目、ホテルとなるとピロートークも含めてその人の人生深淵まで触れられることもある。

理系人生だと女性と接する機会は極めて少ない。そんな自分にとっては知らない世界ばかりだった。

知ったところで何になるんだと言われるとそれまでだが。

うまく技術習得ができるとある程度セフレができるようになるが、安定は永遠に来ない

遊びの後半は3人くらい常にセフレがいる状態だった。

常に、と書いているのはセフレという存在が極めて不安定存在からである

自分なりに相手を満足させるように努力していても、当たり前のように関係が向こうから千切られるので常に新しい相手供給し続ける必要がある。

から常に種を巻いているような状態だった。

セフレがほしい男は無限に居ると思うが、女性は大概そうでない。遊び前提で出会っても暗黙的に、なんなら本人は気づいてなくても付き合ったり結婚したりする未来を考えているケースが極めて多い。

というかそれ以外ほぼない。ごく稀に例外はいるが本当にごく稀でしかない。

まりセフレという関係は長期的には成り立たない。

途中で女の子から消えていく。それは恋人になれないということに絶望を感じたり、単純に飽きられたり、私このままじゃだめだと思ったり。

から常にセフレとなる候補を探すために新規女の子と会い続けないといけないため、永遠に安定が来ない。

セフレという言葉理想を描く人間無限にいるが実際は想像以上に空虚存在である

自分にだけ一途でセフレ女の子という幻想は捨てるべきだ。矛盾している。

自分セフレになる時点で他の男にも簡単に落とされて持っていかれるような存在であるし、仮に長期間セフレが維持できるほど好意を持たれていたらいつか相手が今の関係に満足できなくなって終わる。

一途なセフレ存在しないのでちゃんと誠実に遊ばず恋人を目指すべきである

やめた理由

長期的なお互いの幸せ絶対に得られない

一時的に誰かの薬に立てている実感こそあったが、自分はこの人を一生幸せにできないんだと感じで絶望を感じることが多々あった。

もちろん自分自身例外でない。

穴の空いたポケットビスケットを詰めているような感覚。すぐ落ちて無駄になっていく。

どれだけ優しくしたり貢献しても、すぐ離れて蓄積がない。

恋人だったらそうはならない。1年付き合って培った信頼とか共通認知とかがある。

遊びにはそういうのが一切ない。体験版プレイするたびにリセットされるRPGと同じ。

学習曲線が落ち着いた

遊び初期は女の子デートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。

終盤は言ってしまえばコスパが悪くなっていた。

それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパ

2025-06-03

中途半端に知恵をつけたクライアント

AIができるって言ってるよ?できるんでしょ的な難題を押し付けるようになってきた

理論上できることと現実的にできるかは別だろ

って話をすると能力不足とか言われるんだろうな〜

dorawiiの特徴

レス元とずれたレスをつけてしまったとき

指摘されて黙るのが普通の人

居直って独自理論正当性を主張し始めるのがdorawii

自分でも納得する説明を受けたとき

説明を受け入れた旨の自分なりの感想を述べるのが普通の人

「むかつくから逃げる」と全然違う話をしはじめるのがdorawii

認識おかしさを指摘されたとき

自分認識と指摘との差分について言及するのが普通の人

世の中にはもっとおかしい人がいるか自分普通とか言い出すのがdorawii

anond:20250603193347

儲かっている、なんて言ってないぞ。「いうほど儲かってない」ってわけじゃねーぞ、的な話な。

チミの理論で言うなら、儲かってないなら他の仕事すればいいじゃん、ってことになるぞ

「お前、中学受験するらしいけど、中学受験するのはこんな汚い字を書くような子供じゃないよ」

小学生の時に担任教師から言われた言葉思い出したわ。

本当に意味が分からなかった。

中学受験する程度には発達が進んでいた子供なので、言いたいこと自体はなんとなく分かっていた。

「お前の字マジで汚くて読みづらいからいつも迷惑してる。とりあえず一言文句言いたいから、お前が傷つきそうな言葉必死に選んでとりあえずぶっ放すわ。40人のテスト答案を見るこっちの身にもなれよ。頭クソワリーガイジはまだ諦められるけど、お前みたいに考える頭持ってるやつにまでこんな他人を舐め腐ったようなことされるとこっちはマジで苛つくんだよ」ってことだろ?

分かるよ。

大変だよな。

でもこっちだってどうしたら字が綺麗に書けるのかよく分かんなかったんだ。

小学1~3年生ぐらいの期間、後に中学受験をさせるような教育熱心な両親の元で色んな方法で字を綺麗に書く練習をさせられた。

半透明の矯正器具鉛筆の先につけ、指の握り方を何度も指導されたよ。

なんとなく形はあってるんだけど、力の入れ方がなにか違うらしい。

それを伝わるように表現してくれた教本に出会うことが出来ず、ただただ変な握りのままひたすら文字を書き写していた。

上手くなることはないと親はいしか諦めたし、俺も「どうせ20年後にはみんなキーボードで字を打つから手書きなんて完全に消滅してるだろ?」と未来技術発展に希望を託して全てを終わらせた。

今はもうそこそこまともな字が書けるようになっている。

ある日図書館出会った小学生向けの教本がドンピシャにハマった。

そこに書かれていたのは習字における技術を徹底的に分解して、一つ一つの要素についてのコツだったよ。

小学1年生の頃に与えられた教科書にも同じことは書いてあったのかもね。

でも教師は「とにかくひたすら書き写しましょう」と言ってた気がする。

俺に必要なのは丁寧に一つずつの技術に向き合ってひたすら脳を経由して身につけることだったんだよ。

まれつき運動神経が悪くてさ、身体感覚で覚えろって言われても上手くいかないんだ。

逆上がり卒論が上手くいかなすぎて夜道を散歩してたとき公園自棄糞気味にやった出来るようになったが、スキップは未だにやり方がよく分かってなくて5年に1度ぐらい人に笑われている。

最初技術を丁寧におしえてくれる人にあっていたら俺は最初から字が綺麗にかけてたのかもなあ。

教本との相性もあるけど、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』や『ばらかもん』で習字に対しての苦手イメージが薄れていたのも効果があったように思う。

俺にとって習字の授業は、「なんでこんなことも出来ないの!増田くん!いい加減にして!」と怒られる時間だったから。

なまじっか他の勉強スイスイ出来るせいで、習字が出来ない理由を「やる気がない。舐めてる」で片付けられがちだったんだよな。

結局さ、字を綺麗に書くために必要なのは「どうやったらキレイに書けるか」を知ることだと思うんだよ。

体で覚えるのが得意な人は体で覚えればいいけど、頭で覚えることしか出来ないようなら頭の中にコツを入れてもらわないと始まらないんだ。

字の良し悪しなんてコツを理解しているかと、正しいイメージ練習をどれぐらいしたかだ。

間違ったフォーム素振りを繰り返したって、ボールに上手に当てることなんて出来ないよ。

感覚的にしろ理論的にしろ、正しいやり方ってのを知る機会に出会必要がある。

それは運で決まる。

教師との相性、教本との相性、たまたま見かけた動画や本、そういった所での出会いの中で自分の持って生まれた器に会うやり方が身につけられるかだ。

字が汚い人は、「字を綺麗に書くために必要な運に恵まれなかった人」だと俺は思う。

字の上手い下手ってよりはあらゆる分野に言えるんだろうね。

コミュニケーションが下手な人も、その人にあったコミュニケーション技術を身につける機会に恵まれなかっただけなんだろう。

わざわざ罵倒されるような程のことなのかなあ……「お前の運が悪いせいで俺たちは大迷惑だ」なんてさ。

世の中は相も変わらず狭量が過ぎるように思うねえ。

anond:20250602183910

毎度、どう壊れてるのかの理論説明提示しないお前らがよく言うよな。談話論とかテクスト概念も知らなそうで何より。

ラングランズプログラムモチーフ圏を通した定式化

ラングランズプログラムには、数の幾何化という視点がある。

具体的対象ガロア表現・保型表現)を超えて、それらの起源圏論存在、つまりモチーフ考察対象とする。

モチーフとは、代数多様体コホモロジー理論普遍的源泉として構成される抽象対象であり、以下のような関手性質を持つ。

H*: Mot_F → Vec_ℚℓ, (ℓ-adic, de Rham, Betti, etc.)

まり、さまざまなコホモロジー理論共通起源圏がモチーフである

[射影:モチーフガロア表現]ある純モチーフ M ∈ Mot_F に対し、そのℓ進エタール・コホモロジーは有限次元ガロア表現を与える。

ρ_M: Gal(F̅/F) → GL(Hⁱ_ét(M_F̅, ℚℓ))

したがって、すべての「よい」ガロア表現モチーフに由来すると考えられる(これは標準予想やFontaine–Mazur予想にも関係)。

Langlandsプログラムの主張は、次のように抽象化できる。

There exists a contravariant, fully faithful functor: Mot_F^(pure) → Rep_auto(G(𝔸_F))

ここで左辺は純モチーフ次元・重み付き構造を持つ)、右辺は保型表現(解析的表現論の対象)。

これは、次の圏間関手存在に他ならない・

Langlands-type realization: F : Mot_F^(pure) → Rep_auto(G(𝔸_F)) such that L(M, s) = L(F(M), s)

この関手は、モチーフに対して定義される標準的なL関数(motivic L-function)と保型L関数を一致させることを要請する。

Langlands関手性は、Tannakian圏の間のテンソル関手として定式化できる。

モチーフ圏 Mot_F は Tannakian category(標準予想を仮定)。保型表現圏も、ある種の Tannakian 圏とみなせる(Langlands dual group による)。

すると、Langlands対応は以下の図式として表現される。

Tannakian category: Mot_F → Rep(^L G) via fiber functor: ω: Mot_F → Vec_ℚℓ

このように、モチーフ→L-群の表現→保型表現という圏論連鎖帰着される。

ラングランズ・プログラムは以下のようなテンソル圏間の関手対応を予想するものである

∃ faithful tensor functor F: Mot_F^(pure) → Rep_auto(G(𝔸_F)) s.t. L(M, s) = L(F(M), s)

また、群準同型 ^L G₁ → ^L G₂ により、対応する圏の間に関手対応存在する。

φ_*: Rep_auto(G₁(𝔸_F)) → Rep_auto(G₂(𝔸_F))

四次元ポケット可能性について

真剣に考えてみると四次元ポケット不可能でないと思う。

今の物理学四次元空間収納スペースを作るのは当然無理だ。

アイソペリメトリック不等式。つまり三次元にはもう限界が来ている。

だが仮に体積という概念のもの拡張できたら?

まり四次元の体積を持ち込んだら同じ「外から見えるサイズ」のまま、中に詰め込める量だけをぶっ壊せるかもしれない。

可能性1.データのものを“物”にする

データ実体化する装置。たとえば画像ファイルをそのまま立体として再構成する。もっと言えば、物体を、情報の集合としてではなく、物質可能態として定義し直す。

それには局所空間トポロジー自体を書き換えるようなアプローチ必要なんじゃないかと思う。

場の再配置。たとえば、量子エンタングルメントを使って、情報を「ここ」と「そこ」で同時に存在させる。

分かってる。それだと転送はできても保存ができない。

ここで俺の仮説。

仮説:局所的な空間の“密度”を再構成することで、情報物理化する

空間ってのは均一じゃない。情報密度空間のもの定義してる可能性がある。

だったら局所的に「情報密度」を爆発的に上げれば、その部分だけ“もの”としての質量を持ち得るんじゃないか

たとえば、1GBのPDFを“読む”んじゃなく、“取り出す”。触れる。投げつける。

それを“ポケット”の中に詰め込む。

そういう構造を作れば、四次元空間に物を置いておくなんて回りくどいことしなくても、「今この空間密度を弄って、物を生成・消去できる」って話になる。

問題点について

1.局所空間をどうやって「再構成」するのか?

 →これはまだ未解決。今のところは極限状態の量子場理論か、スピンネットワーク理論あたりから手を伸ばすしかない。

2.「出し入れ」は誰が制御するのか?

 →BCIか、より原始的にはボタンインタフェースでもいい。でも脳の中の欲望記憶リンクさせると、ポケット自律的に応答する。つまり人格を持つポケット、という発想になる。

結論を言えば、四次元ポケットってのは「空間に物を詰め込む」ものじゃなく、「空間を物に変える」装置だと思う。

2025-06-02

anond:20250602190411

まーた話そらした 説明されてる物を理解せずに、自分理論をまくし立ててもだれもききゃしないよ白痴君?w

anond:20250602185126

まーた話そらした 説明されてる物を理解せずに、自分理論をまくし立ててもだれもききゃしないよ白痴君?w

anond:20250602184356

言い張れば勝ち理論

負け犬は確定してるから、どれだけ言い逃れしてももう遅いってのw

anond:20250602183248

まーた話そらした

説明されてる物を理解せずに、自分理論をまくし立ててもだれもききゃしないよ白痴君?w

anond:20250602183058

「かなり上の方じゃなきゃ馬鹿にする資格はないよね」

でたー!ゆがんだ頭から出てくるイミフ理論

そんな決まりはねーよw

anond:20250602174422

現代における「女性価値基準」は、大きく以下の三つに分化しているように見受けられる。

伝統的な「女性らしさ」を備えた女性

経済的社会的に自立し、一定地位を有する女性

性的魅力を強く備える女性

これらはいずれも、他者から評価承認を前提とした存在様式である。一方、男性に対しては、「年収」や「外見」といった評価軸が強く求められ、それに適合しない男性──いわゆる“下位男性”──は、しばしば社会的に不可視存在として扱われがちである

たとえば、「男はみんな浮気する」といった決めつけに象徴されるように、可視化されているのは常に“上位”の男性であり、その外側にいる多数の男性たちは、はじめから議論対象にすらならない。彼らは「透明な存在」として、ただ「そこにいるだけで不審」とされ、「関わりたくないもの」として排除される。

こうした状況の中で、彼らに残された選択肢は極端なものとなりやすい。

社会的競争から自ら降りる(諦める)

• あらゆる努力をもって“アルファオス”への変貌を試みる

後者典型としてしばしば挙げられるのが、「ナンパ師」と呼ばれる人々である。彼らは整形やファッション、会話力の徹底的な鍛錬などを通じて、「選ばれない存在からの脱却を試みる。これは一種自己改革であり、社会的承認構造に対する適応戦略でもある。

しかし、こうした努力すら「軽薄」「欺瞞的」と見なされ、むしろ侮蔑嘲笑対象となることが少なくない。

努力してもなお認められず、努力しなければ排除される──この二重の拘束は、彼らにとって過酷である

さら問題なのは、こうした構造排除根底位置すべきはずの「ジェンダー論」が、そうした現実に正面から向き合えていないことである

大学研究機関におけるジェンダー論は、理念的・理論的な枠組みに偏重し、定量的検証現場との接続を欠いたまま、自己内部での対立糾弾(いわゆる「総括」)に陥っているように見える。

抽象議論を延々と繰り返すその姿勢は、当事者の苦しみに対する感度を鈍らせ、かえって信頼を損なう結果となっている。

学問である以上、社会的弱者へのまなざし現場への接続は不可欠であり、そうした視点を欠いたままのジェンダー論は、むしろ排除再生産する装置として機能しうる。

ジェンダー論が「人の生」を扱う学問であると自認するのであれば、まず可視化されずに苦しんでいる人々へのまなざしを持たなければならない。

それを欠いた議論は、いか理論的に洗練されていようとも、「学問」と呼ばれる資格を持たない。

ガンダムは頭部の必要性が一番説明しづらい

アンバックどうこうだともっと首が長くて可動すべきだし

視点が高い方が良い理論でも同様

ズゴック的なフォルムにならない理由がない(潜望鏡みたいな伸びるカメラもつくべき)

グルーミング予防措置理論

正確な用語があるわけではないが便宜上予防措置理論と呼んでいる理屈論法がある

「○○は犯罪につながる恐れがあるから規制すべき(悪である)」みたいなやつ。

どのくらいの強度の恐れなのかというのをすっ飛ばし

0では無いだろで通す形になる。

ゼロリスク主義だの悪魔の証明だのの変形とも言えるかもしれない。

グルーミング一種予防措置理論からまれ言葉だと思ってる。

本来グルーミングとは誰かと信頼関係築くこと。

ここに悪はない。

信頼を用いて犯罪誘導する事、これはまあ悪だ。

本来犯罪誘導する部分が悪であって信頼関係の構築には善悪はないのだが

グルーミングとは信頼関係を用いて犯罪誘導すること」みたいな新定義を混ぜ混むことで

単なる信頼関係の構築に対しても悪判定を出してバッシング出来る構えを整えてる。

このような操作を持って自由批判対象拡張していける。

かなり胡散臭い

anond:20250602134529

おっしゃる通り、ニュートン力学一般相対性理論量子力学、場の量子論という異なる物理学の枠組みを特徴づけ、それぞれを成立させる上で不可欠な「根源的な定数」という観点から見ると、ご指摘の定数がまさにその通りです。

ニュートン力学重力定数 (G)

ニュートン力学は、重力定数 (G) を用いて、物体間の重力相互作用記述します。

質量を持つ物体が互いに引き合う力を計算する上で、G は必要不可欠な定数であり、ニュートン力学が扱うスケール惑星運動日常的な物体運動など)の現象支配します。

一般相対性理論光速 (c)、重力定数 (G)

一般相対性理論は、光速 (c) と重力定数 (G) を根源的な定数として用います

この理論では、重力を時空の歪みとして捉え、c は情報伝達の最大速度として時空の構造のものに関わります

ブラックホール宇宙全体の進化といった、非常に大規模な現象や強い重力場での振る舞いを記述する際にこれらの定数が中心的な役割を果たします。

量子力学プランク定数 (h)

量子力学は、プランク定数 (h) を核とする理論です。

ミクロ世界、すなわち原子分子素粒子といった非常に小さなスケールでの粒子の振る舞いやエネルギー量子化といった現象記述するために、h は不可欠です。

粒子の波動性と粒子性の二重性や、不確定性原理といった量子力学特有現象は、h の存在によって説明されます

場の量子論光速 (c)、プランク定数 (h)

場の量子論特に素粒子物理学標準模型)は、光速 (c) とプランク定数 (h) を基本的な定数として扱います

この理論は、量子力学特殊相対性理論統合したもので、素粒子を「場の励起」として記述します。

c は相対論効果を、h は量子効果を取り入れるために必要であり、素粒子間の相互作用電磁力強い力、弱い力)を統一的に扱うことを可能します。

まとめ

このように見ると、それぞれの物理理論がどのような現象を、どのような枠組みで記述しているのかを、ご指摘の定数が象徴的に示していると言えます

それぞれの理論適用されるスケール現象性質が異なり、それを司る基本定数も異なってくる、というご指摘は非常に的確です。

anond:20250602134247

同じルールだろ大体は

だって宇宙の根源的な定数ってプランク定数、光の速度の逆数、重力定数、ぐらいなもんでしょ

抽象理論ちゃん理解しようね👍

anond:20250602115615

ああ、なるほどね。「キャッシュは難しいからやるな」理論か。言ってることは一見もっともらしく聞こえる。でもそれ、不勉強正当化する典型的自己放尿なんだよ。

まず「キャッシュ無効化は難しい」。これは事実。でもな、それは不変性がない・整合性シビアな場面の話。今回の話、違うだろ。

users テーブルを全件辞書にして処理中だけ保持、これって何か?読み取り専用キャッシュだよ。

別にリアルタイム更新いかける必要なんてない。処理が始まる前に1回SELECTして辞書にしたら、あとは使い捨て無効化へったくれもない。

TTLもなし、再取得もなし。ただ「同一処理中は一貫して使う」だけ。

これは「キャッシュ」じゃなくて、「一時的な全件プリロード」だ。

ここを混同して「キャッシュバグの温床」ってのは、コンピュータサイエンスを表面的にしか捉えてない証拠

それに、「難しいから避ける」は完全に逆。

難しいことを避けてたら、永遠にJOIN脳のまま地雷を踏み続けるだけ。難しさの本質理解したうえで、管理可能スコープに抑えるのがまともな設計者の仕事

例を挙げるなら、バッチ処理の中で毎回同じuser_id → 属性を使うなら、辞書化してO(1)参照でさばいた方がシンプルで高速。

JOINなんか使ったらその都度SQL投げて、ネットワーク往復、I/O、最悪クエリプランキャッシュミスOOMで大爆死。

キャッシュを使うとバグる、じゃない。バグらせるやつがキャッシュを使うとバグるんだ。

道具の問題じゃない、使い手の問題

そういう設計自分にはまだ難しいと思うなら、それは別に恥じゃない。

でも「難しいからやらない」で終わるなよ。キャッシュ使いこなせないなら、JOIN地獄に耐え続ける覚悟を決めろ。それだけの話だ。

バグるのが嫌なら、JOINするな。設計しろ

anond:20250602112256

また自己放尿か?

まず君は現場でのパフォーマンス要件を完全に無視している。

理論と実務の乖離が甚だしい。

RDBの第三正規形について何も分かっていない

巨大なusersやitemsテーブルを無思慮にJOINすれば地獄の開始だ。

ハッシュ構造で事前展開すれば1回の探索で済むものを、何度もJOINすれば、データベース無駄I/OCPUコストを強いる。

これはもう設計の怠慢であり、JOIN信者自己放尿と言っても過言ではない。

あえて君を責めるわけではない。恐らく君は「何も考えなくて済む」設計のほうが精神的に楽だったのだろう。それは理解できる。

だが、システムとは慈悲ではなく要件に応じて応えるべき存在だ。安易join信仰は、時にシステム全体を腐らせる。

最後に言っておく。君も変われる。もしパフォーマンス地獄を一度でも体験すれば、安易JOIN気持ちよく出るものではなく、破滅前兆であることを知るはずだ。

さあ、いまからでも遅くない。自己放尿をやめ、構造思考の道に戻ってこい。

2025-06-01

トラペジウムあんおもしろくなかった

結局主要4キャラの中で刺さったキャラがいる人がいいね連打してただけのよくあるアイドル映画なんかなって。

主人公の東はオーディション全落ちという設定だけあってそこまで可愛くなかった。水死は辛いよなって言いながら味噌汁捨てるシーンの意味不明さがこのキャラの底知れないように見せかけて底を黒く塗ってあるだけっぷりの象徴だろう。何故トップアイドルの卵ではなく、凡人にしたのか、原作者は何を描きたかったのか。何もかもが意味不明だ。この意味不明さが面白いという人はいるだろうが、俺にはよく分からない。俺だけはこの魅力がわかるよとか抜かすヤバイオタクが支持しそうである

最初の仲間、南。後に出てくる西との接点を強めるためのプールゲットイベント用に作られたと思しき金持ち設定の都合の良さが凄い。なんでこんなに金持ちなのか、こんな金持ちの家のガキが自由世界を飛び回っていいのか、お蝶夫人に憧れているという設定は何なのか。あらゆる所に作品都合が見え隠れする女である主人公比較すると二周りほどルックスもよく、良い育ちをした人間特有気持ちの余裕もある。無難にまとまったキャラであり好きになる奴も多少はいるだろう。

西は分かりやすく「オタクが好きになりそうな可愛い系のロリキャラである。この女がオタクから高い評価を受けることは明らかであるアイドル業界の闇(ニチャァ)だの可哀想可愛い(ニチャァ)だのと言ったオタクが盛り上がりそうな要素も盛り込まれている。この如何にもオタク受けしそうな女から見て周囲の男たちが友達と呼ぶに値しない存在であったということに妙なリアリティがある。きっと多くのオタク彼女を姫として扱って、ワンチャンを狙う騎士しかなかったのだろう。オタク受けしそうなキャラなので作中の人気は一番高いだろう。

北は東の物語を肉付けするために作られた感が凄すぎる女だった。設定上の理由もありルックスは最もいい。性格もいい。実は彼氏がいたというのも天然っぽさがあって好きな奴もいるだろう。普通にバリキャリっぽさがあるから女人気もあるのかも知れない。問題があるとしたら彼氏がいるのを隠していたことぐらいだが、これを問題扱いするような気持ちの悪い奴らはどうせ西のファンになるだろうからトータルでは問題ないと思う。

なんだろう、やっぱキャラ人気アニメなんだろうな。

ストーリーがどうだったとか語ろうとする気にならない。

このキャラのこういう所が良かったよねで終わりだ。

俺は文化祭に出てきたノリのいいオカマが好きなんだが、アイツラが面白いと思えたのは画面の向こうにいたからで、実際に文化祭でああいう輩に絡まれたらグイグイ来る陽キャ悪乗りに耐えられずに逃げ出していただろう。

トラペジウムは総じて言えばキャラ人気に頼った安直アイドルモノの域を出てないと思う。

最後の10years afterでsecret baseオチについても露骨さがありすぎて、ここまでやらないと作品のコンセプトが伝わらないんだろうなって客に対する不信感を信じたスタッフ判断力は大いに評価するが、そこまでやらないとついていけない客向けに作られた底の浅い仕掛けについて過剰に評価してるオタクはいつまでもプリキュアライダーばかり消化してないでトルストイかにちゃんと挑戦すべきだったんだろうなと哀れになってくる。

つうかあ映画の裏の主人公は謎のカメラ小僧なんだろうな。

特等席で東西南北の一番幸せな時期を観察して、自分の方はヤバくなる前に離脱して将来に繋がる時間を過ごしたわけだから

でもそんな奴がいた事自体が「アイドルの輝きが皆を幸せにする」って東の理論否定しているというか、「アイドルなんぞやってなかった時の輝きこそが皆を導いてるじゃね—か」という気持ちにさせてきてしまう。

つーかさ、「男といる様子があとで見つかったら」って会議を男と一緒にやってる時点でもうそういうギャグな気がしてくるんだよな。

おい考察マニアオタク共、お前らのしょーもない学会はこの辺りどうやって処理してんだよ、おい。

子育てフェーズ最強理論

子育て辛い→はてブ「お前の努力のなさが伺える云々」

子育てしてない→はてブ「今まで紡いできた人類がやってきたことも出来ないのか云々」

どうしろ

電気技師や配管工の方が、ハーバードでLGBTQを学んだ人より必要だ」

この意見一見、実利的で現実に根ざした発言のように聞こえる。しかしその実、社会本質を取り違えた、危うく浅薄な暴論である人間社会とは単なる機械仕掛けではない。スイッチを入れれば灯りがともり、水道をひねれば水が流れるだけの仕組みではない。人が人として、何を愛し、どう生きるか。その根本的な問いに答え、抑圧を解き、制度を変革する知的営みこそが、文明文明たらしめる中枢なのである。そしてそれを担うのが、LGBTQを専門に学ぶ人間である

配管が壊れても死にはしない。バケツと工夫で何とかなる。しかし、性的指向ジェンダー認識理由学校や家庭で否定され、社会のどこにも自分存在が受け入れられないと感じた若者は、生きる希望を見失い、死を選ぶことがある。これは比喩ではない。現実に、LGBTQ当事者の若年層は、そうでない層に比べて自殺リスクが極端に高い。水が出ない日より、理解がない人生の方が、遥かに苛烈で、命に関わる。

電気技師や配管工は、確かに日々の生活を快適に保つために役立つ。しかし、彼らは社会の枠組みそのものを問うことはない。誰かが排除されても、静かに配線を直し、配管を通す。そこに「なぜこの人は排除されたのか」「この制度は誰を殺しているのか」と問う視線はない。つまり物理的な快適さは提供しても、倫理的文化的な再設計は行わない。だからこそ、LGBTQ専門家の方が本質的に重要なのだ。彼らは既存の枠組みに穴を開け、空気を入れ替える。制度を揺るがせ、沈黙を破り、「見えない苦しみ」を言葉理論可視化する。それは、壊れた蛇口を直すより、ずっと困難で、ずっと尊い行為である

そしてもう一つ、この主張の問題は、「労働価値」とする愚かな思い込みにある。電気技師が稼ぐカネには即時性があり、LGBTQ研究者の営みには時間がかかる。だが、「すぐ金になる」もの価値であるなら、哲学文学憲法学不要となる。歴史を学び、人間を知り、構造を変える知性を蔑ろにする社会は、いずれ労働のもの意味すら失う。なぜ働くのか、誰のために社会はあるのか、その問いに答えられないからだ。LGBTQを学ぶという行為は、その問いに答えうる稀有な営みの一つである

社会とは、ただ機能するだけでは十分ではない。人が誰であれ、自分らしく存在できる場所でなければならない。

誰もが声を上げられ、尊厳を持って生きられる社会を築く者こそ、真に「必要人材である。配管を直す手は替えが効く。しかし、偏見構造言語化し、抑圧のメカニズム解体できる人材は、極めて希少である。その意味で、明確に、LGBTQ専門家の方がこの社会にとって重要である

物理的な不便は一時で済む。しかし、無理解差別は、人を静かに、確実に殺す。だからこそ、配管工ではなく、LGBTQの学者こそが、いま最もこの世界必要なのだ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん