はてなキーワード: ムードとは
なんか日本でEU側のロジックでウクライナの肩を持ってる人が多いけど、日本はEUと違って直接の安全保障には関係ないので感情的になる理由がわからない。
開戦時のムード覚えてるけど、開戦時はみんなウクライナ?どこ?旧ソ連?とかウクライナの戦争について気にした様子はなく無関心層が多かった。大変だなあみたいな。
ロシアに攻め込まれてすぐ終わるっしょとか。クリミアのことすらやや無関心だったように思う。所詮遠く離れた国の戦争だしと。
マスコミでウクライナ可哀想というムードができてからウクライナ支持みたいな人々が爆増したように思う。
最初のころは英語圏のニュースはウクライナ超可哀想!やばい!世界滅ぶ!みたいなニュースばかりだったけど、日本はかなり牧歌的だった。ウクライナ?大変だよねーってノリ。
国際協調の主義としてウクライナに一定の理解を示すのはわかる。
でも、テンションとしてEU側についている日本人をちょくちょく見かけるのが謎。どういうメリットを見出しているのか。
自分としてはウクライナ全土が別にロシアになっても戦争終わればいいんじゃねと思っている。というか2022年は世界はもうその前提で進んでいた。ありゃまーみたいな。
2022年時点では世界のどこの国もウクライナなんてどうでもよかったよね。
それが予想外にウクライナが善戦したから今みたいになっている。
3日で終わるとか言われていたのに3年たってる。もうめちゃくちゃだよこんなの。どんだけ人命と金飛んだん?
もういいよ。あと何年この状態続ける気なんだ。
それで、日本としては大規模な戦争起きてて金が飛んでいくとかインフレがヤバいとかの方がよっぽど重要だと思う。
ロシア人やウクライナ人や北朝鮮人が何人死ぬとかっていうのも世界経済の問題からすると問題だけど、日本人的には無関係な人が多いんじゃないか。
人なんて世界各地でどこでも死んでるんだし、ウクライナに限定する理由がよくわからない。
ウクライナが特別視されるのはEUの安全保障に直接関わるからだと思うけど。日本からしたらシリアやミャンマーの話とあんま変わらんはず。
「ロシアーウクライナと中国ー台湾の構造が・・・」っていう意見もあるけど、中国ー台湾問題はアメリカの安全保障問題に直接関わってくる問題で、周辺国も関係も違うのでそこを同一視する点がわからない。
百歩譲って同一視してもいいと思うけど、それなら一歩引いた視点で見ればいいのに、なんか「ロシア憎し!ゼレンスキーは頑張っとる」みたいな感じのテンションの人が一定数いるのがミステリー。
逆に今の状況見て思うけど、中国が台湾に侵攻したときEUが日本韓国台湾を支援してくれるようには思えない。
あいつらどうせ「なんか遠いところでなんかやっとるな」と思うだけでしょ。なんならEUって中国にも一定の理解示して日本韓国台湾は国際秩序のためにも我慢しとけよみたいな外交圧力かけてきそうじゃん?
EUってぶっちゃけ口うまくて口うるさくて正義っぽく振る舞うだけで何もせんやん。これは個人的意見だけど、DEIってEUのプロパガンダみたいなもんでしょ。
正直ウクライナの問題より、米が高いとかキャベツが高いとか、オーバーツーリズムで外国人がうぜえとかの方が遥かに重要じゃね?
基本的に、
を1セットに、このセットを繰り返しながら全体の話から個別の話に少しずつ落としていくはずだった。
要所要所で関係者に伝えたい、アピールしたい話もねじ込むはずだった。
「ウクライナは勇敢に戦った」
という、まずまずいい流れだった。
ただ、安全保障、つまり、「なんかあったらアメリカがケツ持ってやる」は引き出せそうな雰囲気がないのを察したゼレンスキーが
バンスの
にチャチを入れる形で、
「いや、違うぞ、ロシアは約束を守らない。ゆえに外交は意味ない。ウクライナがどっかの軍事同盟の傘に入らないと止まらない」
と無理矢理流れを変えようとした。
説得は無理と思ったのか、トランプバンスに話すというより、メディアに演説するような感じで。
「外交でおさめようって話したいって事前に聞いてるだろオメー。
ってなり、剛を煮やしたバンスが
「ここで自説を唱えるのは失礼(目の前の俺らとの交渉諦めて、中継されてるのいいことに喋りたいこと喋ってるだろ。ホワイトハウスまできて都知事選の泡沫候補みたいなことすんじゃねーよ)」
トランプはやんわり
「まあ落ち着け。
アメリカにとっては大西洋の対岸の火事だから無関係だがうちは大変って言うなよ。
ゼレンスキー「外交じゃ止められないって話や。オバマ、トランプ、バイデンと大統領は代わったがロシアは止まらない。約束は守られない」
トランプ「お前がいう安全保障って、ウクライナ攻められたらアメリカが黙ってないぞって約束やろ?NATO加盟しようとしてロシアに攻められたのわかってる?アメリカが銃口つきつけに行ったら第三次世界だろ?
そりゃ俺の口からは言えねーよ。
そんかわり、希土採掘で米国企業や米国民が駐留すれば、そこでなんかあったときにアメリカが出張る建前が立つ。
他にいいアイデアがあったら言ってみろよ。
君に手持ちのカードはないだろ?」
トランプ「あのな、もっかいいうけど、間違えると第三次世界だろ。俺はウクライナのために第三次世界なんかまっぴらごめんだから。このままだとウクライナ負けるよ。
手持ちのカードはない。
交渉につけ。悪い話じゃないだろ?」
しばし勝手に喋りたいことを喋り、
トランプ「話を切り上げよう。
また、準備できたら来てくれ」
と強制終了。
トランプはウクライナの安全保障、つまりロシアに攻められたらアメリカが出るとかNATOが出るとかという体制を整えると、すなわちロシアへの宣戦布告で第三次世界大戦になると思ってる。
トランプは対外政策の基本は外交、外交とは取引でお互いWin-Winを目指すと思ってる。
これは折り合わない。
トランプが罠に嵌めたとか、ゼレンスキーは最初から同意する気がなかったとかいうコメントがあったけど、同意する前提で話が進んでたっぽい気がしたけどな。
って質問に
トランプ「もちろんだよ。
でも、今日の採掘利権の合意後に、ロシアとウクライナはすぐ停戦するよ。間違いない」
みたいなこと答えてるし
お互い妥協しないと成立しないよ。
そのために俺がいる。
上手く仲介するよ」
みたいなことも言ってた記憶。
それに対して、ゼレンスキーが否定することもなかったし、もう署名寸前ってムードに見えた。
トランプ「NATOでもポーランドとかバルト三国はよくやってると思うよ。
新参の小国に金や人を出させて、綺麗事だけいってなんもしないマジクソな国もあっけどよ?」
ゼレンスキー「いえいえ、そんなことは…」
トランプ「米国の支援より少ないじゃなかったね?ずっとずっと少ないだね?」
って感じで、おそらく台本にない唐突な欧州叩きにも、否定も肯定もせずやり過ごしてた。
というか、記者入れて話すって、もう全部握ったあとじゃないとありえない。
「ちょっと聞いていい?」
って切り出したあと、急にムードが変わった。
そのしばらく前に、何度かゼレンスキーに後ろから耳打ちがあったから、急にどこかから指示が飛んだんだと思うけど、全く想像がつかない。
(トランプ大統領が椅子にどっしりと座り、ゼレンスキー…いや、オフロスキーが現れる)
「……呼んだ?今日はアメリカのホワイトハウスからお届けするよ!」(くるりと回ってポーズ)
「オーケー、ミスターゼレンスキー……いや、なんだその格好は?」
「私はオフロスキー!お風呂と平和をこよなく愛する大統領だよ!」
「ファンタスティックだな。で、ウクライナの支援について話したいんだが……」
「おっと、その前に!トランプくんもリラックスすることが大事だよね!というわけで──」
「これは……?」
「さあ、一緒にお風呂に入って、じっくりと平和について語り合おうじゃないか!」
(オフロスキー、すでに服を脱ぎながら)
「大統領がリラックスしないと、国際情勢もギスギスしちゃうよ!さあ、お風呂に入って、ウクライナ支援を気持ちよく約束してくれ!」
(次の日、ホワイトハウスの公式発表には「トランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談は、かつてないほど和やかなムードで行われた」とだけ記された)
健太は32歳、平凡な会社員だ。日々スーツに身を包み、朝9時から夕方5時までオフィスでExcelを叩き、家に帰ればソファでビールを飲む。そんな単調な生活の中で、彼には誰にも言えない秘密があった。それは、露出願望と羞恥心が絡み合ったマゾヒスティックな欲望だ。人に見られること、辱められることに興奮を覚える自分を、彼は長い間抑え込んでいた。
ある晩、いつものようにアダルトサイトを徘徊していると、Pornhubの「アマチュア」カテゴリに目が留まった。素人が自分の性行為を撮影し、世界中に公開している。コメント欄には賞賛や嘲笑、時には罵倒が並ぶ。それを見た瞬間、健太の心臓がドクンと跳ねた。「これだ」と彼は思った。合法的で、誰にも直接迷惑をかけず、しかも自分の欲望を満たせる方法——自慰を撮影してアップロードする。
決意したのはいいが、初めてのことだ。緊張と興奮が混じり合い、彼の手は震えた。まずは準備だ。部屋の照明を調整し、少し暗めのムードを作り出す。スマホを三脚に固定し、アングルを何度も確認した。顔は映さない。身元がバレるのは嫌だったが、体を見せることには抵抗がなかった。むしろ、見られることを想像すると下半身が熱くなった。
服を脱ぐ。Tシャツを脱ぎ捨て、ジーンズを下ろし、最後にボクサーパンツをゆっくりと剥がした。全裸になった瞬間、鏡に映る自分の姿に少し恥ずかしさがこみ上げたが、それすら快感に変わる。カメラの赤い録画ランプが点滅を始めると、健太は深呼吸してソファに腰掛けた。
最初はぎこちなく手を動かした。普段なら目を閉じて妄想に耽るところだが、今日は違う。カメラに見られているという感覚が、全身を電流のように走る。彼は自分のペニスを握り、ゆっくりと上下に動かし始めた。硬くなっていく感触、溢れ出す先走り液が指に絡むぬめり。普段より敏感になっている気がした。
「誰かがこれを見るんだ」と考えると、羞恥心がさらに煽られた。見知らぬ誰かが、彼の勃起した性器を眺め、コメント欄に何かを書き込むかもしれない。「小さいな」と笑うのか、「気持ちよさそうだ」と共感するのか。それとも「変態」と罵るのか。想像するだけで頭がクラクラした。
動きが速くなる。右手で陰茎を激しく扱きながら、左手で乳首を弄った。普段はあまりしない行為だが、今日はカメラの前で全てをさらけ出したかった。喘ぎ声が漏れる。「あっ…んっ…」と我慢できずに声が出ると、それがまた自分を追い詰める。羞恥と快楽のループだ。
やがて限界が近づいた。腰が勝手に動き、太ももが震える。「見られてる、見られてる」と頭の中で繰り返しながら、彼は絶頂を迎えた。白濁した精液が勢いよく飛び出し、腹の上に、ソファに飛び散った。息を切らしながら、健太は放心状態でカメラを見つめた。録画停止ボタンを押す手がまだ震えていた。
数時間後、編集を終えた動画をPornhubにアップロードした。タイトルはシンプルに「初めての露出オナニー」。顔は映っていないし、違法なことは何もない。誰かを傷つけるわけでもない。ただ、自分の欲望を満たすための一歩だ。公開ボタンを押した瞬間、胃が締め付けられるような緊張と、解放感が同時に押し寄せた。
翌朝、恐る恐るサイトをチェックすると、再生回数はすでに50を超えていた。コメント欄には「エロい体だね」「もっと声出してよ」「次は外でやってみて」と書かれている。罵倒もあった。「みっともない」と。だが、それすら健太には甘美な刺激だった。羞恥心が満たされ、欲望が現実になった瞬間だった。
健太は笑みを浮かべた。次はどうしようか。もっと過激に、もっと辱められるような形で——彼の新しい趣味は、こうして始まったのだ。
健太が初めて動画をPornhubにアップロードしてから一週間が経った。あの日以来、彼の日常は微妙に変わっていた。会社での退屈な会議中や、電車での通勤時間に、ふと「今この瞬間にも誰かが俺の動画を見てるかもしれない」と考えると、胸がざわつき、下腹部が疼く。再生回数はすでに500を超え、コメントも20件以上ついていた。
その日、職場での昼休み。健太はいつものように弁当を食べ終え、同僚たちが雑談に興じる中、一人トイレの個室にこっそり籠もった。スマホを取り出し、Pornhubにログイン。自分の動画ページを開くと、再生回数が700近くに伸びていることに驚いた。そして、コメント欄をスクロールするうちに、一つのコメントに目が釘付けになった。
「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです。」
投稿者は「Yuki_xx」というユーザー名で、プロフィールには「女、28歳」と書かれている。
健太の心臓が一瞬止まり、次の瞬間激しく鼓動し始めた。女性が——しかも自分より若いかもしれない女性が——あの動画を見て興奮し、オーガズムに達したというのか。彼女がどんな姿で、どんな表情で、どんな場所でそれを見ていたのか、想像が膨らむにつれて頭が熱くなった。
彼女が動画を見ながら手を下着の中に滑らせ、喘ぎ声を我慢しながら体を震わせたかもしれない。健太のペニスを眺めながら、彼女の指が濡れていく様子を想像すると、たまらなかった。彼女がどんな体型か、どんな下着を履いているか、どんな喘ぎ声なのか——具体的なイメージがなくても、その曖昧さが余計に興奮を増幅させた。
その夜、健太は帰宅するなり部屋の準備を始めた。昼休みの衝撃がまだ頭から離れず、全身に疼きが残っている。あのコメント——「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです」——が、彼の欲望に新しい燃料を注いでいた。彼女が再び自分の姿を見て、同じように感じてくれることを想像するだけで、下半身が熱くなった。
前回と同じく、スマホを三脚にセットし、照明を微調整する。今回は少し趣向を変えようと思った。ソファではなく、ベッドの上に移動し、背景に乱れたシーツが見えるようにした。少し生活感のあるリアルさが、見る側の興奮を煽るかもしれない。そんなことを考えながら、彼は服を脱ぎ始めた。
Tシャツを脱ぎ、ズボンを下ろし、ボクサーパンツを剥がす。全裸になると、鏡に映る自分の体を一瞥した。前回より少し慣れた気がするが、それでもカメラのレンズが自分を捉えていると思うと、心臓がドクドクと鳴る。録画ボタンを押す。赤いランプが点滅を始めると、健太はベッドに仰向けに寝転がった。
最初は軽く自分の体を撫でた。腹から胸へ、指先でゆっくりと這わせる。彼女がこれを見ながら、また興奮してくれるかもしれない。自分の姿が、誰かの快楽の材料になる——その考えが羞恥心と快感を同時に呼び起こした。乳首に触れると、ピリッとした感覚が走り、思わず「あっ」と声が漏れた。前回より大胆に、声を我慢しないことにした。彼女に聞かせたい、というより、彼女に使われたいという欲望が彼を突き動かしていた。
やがて手を下に滑らせ、すでに硬くなり始めていたペニスを握った。ゆっくりと扱き始めると、先走り液が滲み出て指を濡らす。ぬるぬるとした感触が気持ちよく、彼は目を閉じて彼女のことを考えた。彼女が画面越しにこれを見て、息を荒げ、手を自分の体に這わせている姿を。自分が彼女のオカズになる瞬間を想像すると、ゾクゾクするような快感が背筋を駆け上がった。
「もっと見たい」と言った彼女のために、今回は少し演出を加えた。右手で陰茎を激しく扱きながら、左手で自分の太ももを強く掴み、爪を立てた。軽い痛みが快楽に混じる。彼女がこれを見て、「なんて変態なんだろう」と呆れながらも興奮してくれるかもしれない。そんな妄想に溺れながら、彼の動きがさらに速くなった。
喘ぎ声が自然に溢れ出す。「んっ…あぁ…」と、抑えきれずに漏れる声が部屋に響く。カメラに見られているという意識が、羞恥心を極限まで高めた。彼女がこの声を聞きながら、自分を慰める姿を想像すると、頭が真っ白になりそうだった。自分が誰かの欲望の道具になる感覚——それが健太を狂おしいほどに興奮させた。
腰が自然に動き始め、ベッドがきしむ音が加わる。シーツに擦れる肌の感触、汗ばんだ体の熱さ、全てが現実感を増し、彼を追い詰めた。絶頂が近づくにつれ、彼女のコメントが頭の中でリピートされる。「イッてしまいました」と彼女が書いたように、今度は自分が彼女のためにイクのだ。彼女に捧げるように、彼は限界を迎えた。
「はぁっ…!」と一声大きく喘ぎながら、健太の体が跳ねた。勢いよく飛び出した精液が腹に、胸に、シーツに飛び散る。脈打つペニスから最後の一滴まで搾り出すように扱き続け、彼は息を切らしてベッドに崩れ落ちた。カメラはまだ回っている。放心状態のまま、彼はレンズを見つめた。彼女に見てほしい、このみっともない姿を。
数分後、録画を止め、動画を編集した。タイトルは「恥ずかしい姿をまた見てください」。顔は映さず、身元が特定される要素は全てカットした。アップロードボタンを押すと、前回と同じ緊張と解放感が押し寄せた。
ベッドに横たわりながら、健太は思った。彼女がまたこれを見てくれるなら、次はもっと恥ずかしいことをしてみようか。羞恥と快楽の深みにはまりつつある自分に、彼は少しだけ笑った。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
毎回数十件は書き込みあったと思うけど、スレッドで表示する方法ないのかね。
ガイナックスと庵野はトップとナディアでアニオタの間では十分有名になってたので、エヴァも1話目から注目されてた。
後半くらいから話の決着つくんかねと心配され始めてたのが、24話でこれは終わらんねとあきらめムードになってた。
ただ、25,26話が叩かれるような雰囲気はなかったと思う。
アニオタしか見てないだろうと思ってたので、劇場版の行列の客層とか、小学校でも結構流行ってるって話を聞いて、思ったより広い範囲に見られてたんだなと驚いた。
夫とあまりセックスしたくない。元々セックスは私にとってはかなり体力を使う行為で、できることなら挿入せずお互いを愛撫するくらいがいい。だけど挿入を我慢させるのも悪いし、抱かれてるときの充足感はあるので、お互いの都合が合う時にセックスすること自体は全然いいと思っている。
ただ、誘われても絶対にできない・したくないタイミングが存在する。(明日が出張で早く家を出なくてはいけないとか、熱があるとか、生理だとか。)だが断るとめちゃくちゃに不機嫌になり、腹の虫の居所が悪ければ物を叩きつけたりする。気分とかではなく、かなり正当な理由で断っていると思うのだが、彼にとっては違うらしい。代替日を提示しても機嫌は直らず、ものすごい険悪ムードが寝室に漂う。
そういうことが続いたので、断るのが怖くなった。いいよとも、嫌だとも言わず、なぁなぁで最後までしていた。するとそういった私の消極的な態度が伝わってしまったのか、「続けたくないの?」と聞かれた。私は素直にやりたくない、と答えたら、不機嫌になってしまった。選択肢をミスったかと思い、また同じことがあったときは「どうしてそう思うの?」「続けるよ」と答えたのだが、夫は私に続けたいか、続けたくないかを問うた。私の意思としては続けたくなかったが、続けたいと言わないとまた不機嫌になってしまう。結局続けたいと言ってしまい、夫の中でセックスを続けたいのも私の意思になってしまった。
やりたくなかったことを、やりたいと言ってしまった。嫌なことを素直に嫌と言えたらよかったのに、夫の不機嫌な態度が、物に当たるその暴力が、いつ私に向くか怖くて、自分の心に嘘をついてしまった。
最初は本当に仕事があったり身体が不調で断っていたのに、最近ではなんとなくしたくない。前ならいいよと受け入れていたタイミングも気分が乗らず、したいとも、してもいいかなとも思わなかった。むしろこんな気持ちでやりたくないと思ってしまう。
心が離れるってこういう感じなのかもしれない。
いい視点で感心したので、書いてみる
そのアプリは友活といって、婚活だけでなく友達作りができる。友達ができることが売りになっていたし、実際レビューでは「同性の友達ができた」の報告もあった
「ピアサポートな関係、プライベートで相談し合えたら、状況が少しはマシになるのでは?」
男性は友達作るなってこと?障害者界隈にまで女尊男卑というか男女論みたいな事をわざわざ言わないといけないの?ただの利用者でいさせて欲しいだけなのに
調べてみたら、1年以上こんな状況が続いてるのね
女性の友活コミュは活気があって、ものすごい格差・・・彼氏もちも友活してる
もう一方は、マッチングすらしないと不満を言う
つまり、こういうことだと思う
【女性をディスプレイに並べることだけを重視→当の女性は同性の友達が欲しいので異性眼中にない】
【※集金は男性に依存→なぜか男性にサービスが還元されにくい構造」
障害をオープンにして、やり取りできることそのものに価値があるから女性が集まってるってことが見てとれるよね
現状、「女性は互助を望んでいて、男性は互助望んでない」と運営は判断してると思う・・・男性同士で友達になるってそんなにおかしい?
よくよく考えたら、利用者の割合は弱者男性や弱者女性が多いはずなのに
マチアプのスタンダード「男性は収入があるから」って建前は、このマチアプだと建前にすらなってない
なんの工夫も感じないくらい雑で、障害者の解像度が足りない・・・というよりは、運営側から足ぎりされてしまう状況にやるせなさを覚えた
どことなく苦労や悩みを抱えてる人が多く、収入に男女差をあまり感じなかった=お金が貯まりそうもない程度の差
そこに男女差なんてある?ないよね?クローズで職についてる人も珍しくないけど、もう少しなんとかならなかったのか・・・これ運営どころか、許容してる利用者の品性を欠いてしまうのでは?
友達作る機会すらないとして、婚活アプリとしてどうか?と言われると・・・
友達作りに勤しんでる女性が混在してる中で、真剣に婚活してる男性がお金を支払っても期待薄じゃないかな
機能的には、男性→女性のメッセージは確認できて、女性→男性のメッセージを確認するには『有料にならないダメ』内容が読めなかったりする
補足:女性→女性もOK、だけど男性→男性はそもそも機能がない
そういう状況に慣れすぎると声も上がらないんだろうな・・・これって作ってる側の人間が古いのかな?男女問わず利用者も運営も意識改革してくれないかな・・・なんてふと思う
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
ここ数日例のCMを取り巻く出来事に悶々とする日々が続いていたので、自分の考えを整理したいと思う。
これによって何か大きな動きを作りたいという意図は全くないし本意ではないが、「そんな考えもあるのか」程度に捉えてもらえたら幸いだなと思い、ネットに放流することにした。
まず、私があのCMを初めて見たのはネットで変に話題になる前にテレビ放送されていたものだった。(このCMのオフィシャル情報を追っていないのでよくわからないが、web版のみであると言及している人を結構見かけた。しかし私はテレビCMで目撃している…)
その時の率直な印象は「なんか気持ち悪いCMだな…」というものだったけど、だから放送を取り止めろだなんて思わないし、様々な理由から個人的に好きになれないものなんてたくさんある(個人的に異常に好きなものがあることと同じだと思っている)ので気にもしていなかった。
その数日後、X上でこのCMに対しての批判的意見を見かけ、特にアクションを起こしたいわけでもない私は(同じ意見の人そこそこいるんだ〜)と軽い気持ちでそれを眺めていたが、その後それに同調する人とそれに反発する人が続々と現れ、Xは大騒ぎになってしまった。
これは何度でも言うが、私はこのCMが好きではないにせよ取り止めて欲しいとは全く思っていない。
しかしこのCMが好きではない人が数字で見れば無視できない程度にいるにも関わらず、大挙して「このCMを受け入れられないのはおかしい」という指摘が相次いだことに居心地の悪さを感じてしまった。
ただただ個人的に、(私のこの気持ちはそんなにおかしな感覚なのか?)と暗澹たる思いが湧いてしまった。
そこでなぜ私はこのCMに気持ち悪さを感じたのか、改めて考えてみようと思った。
X上では概ね、表現が性的に捉えられた結果批判されているということになっているが、私個人の感覚として何が不愉快だったのか向き合ってみることにした。
まず第一に私は何かを性的に描くこと自体に特に反発心はない。ただ、エッチなものを見るときは「エッチなものを見る」という気持ちを作っておきたい派。無条件で視界に入ることにはゲンナリしてしまう。
じゃああのCMがエッチに描かれていたかというと個人的には微妙なラインだが、少なくとも主人公の女の子をとてもかわいいものとして描こうという気概が溢れていたように思う。
これはこれまでの人生経験による感覚だが、人間に向けられた「かわいい」という言葉が性的関心とリンクしないと考えることは私にとっては難しい。
なので私は人間をかわいく描くことは性的に魅力的に描くことと近く捉えてしまう。
それ自体を否定する気持ちは全くないし、私もそうやって生み出されたものを見て魅力を感じたことが何度もある。
それは「かわいく描こうとするあまり行動に整合性が取れていなかったから」では、と思った。
涙目の姿がかわいい、漏れ出る声がかわいい、こんな仕草がかわいい、それを描くことに注力したがために「なぜそれをする状態になったのか」の説得力があまりにもなかったように思う。
テレビを見て感動し、それによって泣いている。
そしてうどんを食べるが、うどんに対して別の大きな感情を抱いているのかと思うほど「美味しい」のセリフが意味深。
「んしょ」と言っているが、その音が漏れるような動作をしているように見えない…。
つまり、「描きたいもの」を描くための理由付けが甘いように思えたのだ。
ここまで杜撰な作劇を見せられると、最早主題とはあまり関係のない部分、散々言われている背景の作りだとか、なぜテレビを見ているのにテーブルにある眼鏡をかけないのかだとか、なぜ自宅でひとりまったりムードなのにベルトをしているのかだとか、なぜ泣きながら見ていたテレビのチャンネルを変えるのかだとか、細かな作りの雑さが気になり作品自体への信頼度が落ちてしまう。
何もかもに意味を持たせてほしいとは言わないが、あまりにも意味のない、いい加減な表現が多すぎる。
当然初見時にここまでのことを感じたわけではなかったが、徹底的な作りの雑さによって全てがバラバラになった結果、女の子の存在が浮いてしまい、ただかわいく見せるための装置に成り果てて見えてしまったのではないかと考えた。
フィクションに涙を流し、それはそれとしてうどんの美味しさに感動しているという、あまり繋がりを感じない流れではなく、実際に悲しい出来事があって、うどんの美味しさに感動しほっとするという流れとかではだめだったのか。
本来作り手の意図が多分に込められているであろう本筋にいちゃもんを付けるなんてことはしたくないのに、細かな部分のいい加減さも相まってそこにすら疑問が湧いてきてしまう。
今回制作会社がクリエイターを守る声明を出していたが、多くの人手が加わっているであろうこの企画において強い決裁権を持っていたのは制作会社だと思うから、なんて頼もしい会社だろうと心から思った。
しかしプロの仕事としてこの作品を世に出した感覚はちょっとわからない。
作品を受け取る側の意見は「そんなこと気にしないよ」と思う人も多いと思うが、クリエイターのプライドとしてこんなにいい加減で問題はないのか、と思ってしまう。
「自分はかわいい女の子を描くことにしか関心がない!」という考えだったとしても、ひとりで作っているわけではないんだから、どうすればかわいい女の子をもっと素敵に描けるのか、周囲の人間は考えられることがあったのではないだろうか。
大作アニメ映画にも作り手の性癖はしばしば込められているが、その周囲の作りがとても丁寧だから敏感な人以外はそれに気づかない。今回のCMはそれらに比べると不快感を感じる人が多かったように思う。
今回のことをきっかけにX上で「斜めがけのカバンをかけているだけでいやらしいと言われる」だとか、「棒状のものを食べているだけでいやらしいと言われる」などの経験談が語られていた。
このふたつに関しては私も経験があり、当然不愉快な思いをしたため、そのあたりがエロいものへの過剰な忌避感に繋がっているのだろうかと思い、このCMを不愉快に感じた部分を真剣に考えてみたが、結果として単純に作品の仕上がりがあまり良くなかったから歪に見えたというだけの話では、と思った。
今は技術的にも環境的にも個人で大きな作品を扱える世の中だけど、どうか改めて多くの人が関わって何かを作ることの意味を考えて欲しい。
そして作品を受け取る側は、いろんな意見の人間がいることを受け入れて欲しい。
今の世の中はインターネットの存在により、世界中の価値観を一色に染めようとする方向に動いているように感じるが、私はどこまで受け入れどこまで拒否するかは各々のものさしで良いと思っている。
世界を自分の理想で染め上げたいならそういった活動をすればいいし、私のように自分に影響が及ぶ範囲が不愉快でなければ良いと思うならインターネットの意見に感情を揺さぶられる必要はないのだ。
自分が攻撃されていると感じたとしても、所詮ちらしの裏の落書きで、本来大した意味を持たないものなんだ。だから気にせず自分自身の生活と現実の環境を大切にしたい。今回インターネットの意見を見て多少なりとも気落ちしてしまった自分自身への戒めも込めて。
(追記:予定日直しました。動揺のまま書いたので素で間違った)
妊娠した。生ではやってたが中出しはしていない。40歳。結婚して6年め、不妊治療は行っておらず、子どもを持たない人生なのだろうと思っていた。今後のお金の計画もそのように立てていた。
生理きてないけど、もともと不順気味で過去に何度も二週間程度遅れたことがあった。一か月飛んだことすらあったから、今回もガチで妊娠かもとは正直思っていなかった。
なので昨日お酒も飲んだし、今朝もスタバでコーヒーを飲みました。検査薬やろうと思ったのも、やったら妊娠してないのわかるからほっとするだろうと思って。でもそれは、単にそう思いたがっていたのかな? とも思う。五分五分とまではいかないけど、どこかで妊娠してるかも、の気持ちもあった。だから職場のトイレで陽性反応出たとき、まさか!!!!! という気持ちはなく、「ああ」という感じだった。ただ、「ああ」という気持ちながらも動揺はしていたようで、トイレの個室を三回くらい出たり入ったりはした。
「どうしようどうしよう」の気持ちでいっぱいだったが、わたしが妊娠したという事実がそこにあるだけであって、別にもうどうしようもないなと思ったし、うろたえたところでどうなるわけでもないので目の前の仕事をこなしたり、世間話もふつうにしていた。
その傍らですぐ近くの婦人科を調べ出したんだけど、やっぱりどこか冷静じゃないみたいで、ブラウザを見る目がすべってしかたない。それでも職場から三分くらいの婦人科と、10分くらいの産婦人科を見つけて電話。3分くらいの婦人科は電話は一度かけたらつながらなかったので、10分くらいの産婦人科に電話。当日予約は受けてないと言われたが、夜診もあるとおしえていただく。それでもいいかなと思ったが、3分くらいの婦人科にかけなおすと17:00にあきがあると教えてもらったので、そちらをすぐ予約した。で、会社を少しだけ早退させてもらって受診。待合室ではマスクをして、診察室ではマスクを外せという独特のスタイルだった。
「検査薬で陽性だったんだよね?」と言われた。
「はい」
とこたえると、
「こちらでも念のため尿検査したんだけどね、うん、妊娠ほにゃにゃにゃ」
と言われた。ほにゃにゃにゃ、の部分は、先生がなかなかのおじいちゃんだったこと、パーテーションが存在していたこと、患者の座る椅子が先生の机からけっこう離れていたこともあり、普通にききとれなかった。間違いなく人生で一番肝心なところがききとれていない経験となったが、その後の話の雰囲気で妊娠してることはくみ取れた。ききとれなくてもいいんだ、くみとれればいいんだ。
「ここのところ体にかわったところあった?」ときかれ「11日の祝日から猛烈にだるくて、昨日は眠くて、熱もないのに熱っぽいというか」と説明したところ、看護師さんも医師もにこにこして「うんうん、それね、妊娠してたらぜーんぶふつうのことなの」と言われた。お、おう…。全然普通じゃねぇだろ、妊婦やべえな。
ちなみに婦人科を最後に受診したのはいつ、と言われたので、12月に健康診断をうけており、そのときに頸がんと体がんの検査をやったといったら、初診時にかならず行うという頸がんの検査はパスになった。
で、内診。ストッキング脱いでパンツ脱いで椅子に座って股をひらいた。婦人科の内診の椅子、回転しながら股も同時に開くタイプと、回転しきってから股を開くタイプがあるなという超絶どうでもいいことを思った。今回は後者。
で、内診はじまって5秒もせずに「ウン間違いない。通常妊娠してますね」て言われた。間違いなかった。おめでとうございます、みたいな、急におめでとうムードに包まれたがとうていそんな気持ちになれなかった。40歳やでわしゃ。
エコー映す画面を「見えます?」と言われたが、目隠しのカーテンで見えなかったため素直に「見えません」と答えたら、カーテンがちょっとだけあいて画面が見えるようになった。「やってる?」みたいな。やってるやってる。いややってない。まったくやってない。わからない。なにもわからない。
そして、画面見ながら「赤ちゃんの部屋ができている。ここからここまで2センチ。これがあると妊娠は確実です」と示された。「柿の種くらいの部屋の中に、いくら粒くらいの膜がある。この中に赤ちゃんがいるが、今はまだ見えない」と言われた。柿の種…か…。おつまみだな。赤ちゃんの部屋はかたちも柿の種に似ていた。今思ったら切ったからすみの断面にも似ていた。おつまみだなあ…。同時にわたしは産みたいとか全然思えていないので、できればこういうのを見たくなかったなとおもったが、医者の方では既婚の女がのそのそやってきて「妊娠したかも」言うてるわけだから、そんなセンシティブな感じになってるとは微塵もおもっていないようすだった。そりゃあそうだ。そうだけどさ…。エコーの写真も渡された。
「正直、年齢も年齢なので妊娠は全然想定していなくて」と先生に言うと「不妊治療はしていたの?」ときかれた。「してないです」と答える。中出しもしてないですって言おうと思ったが、中出しの有無は妊娠には関係ない(外出しは避妊にはならない)のはまあ常識なんで、言わなかった。言いたかったけど。
内診が終わって、パンツ履いてストッキング履いて診察室に出て行ったら「予定日は10月8日です」って言われた。爆速。展開がはやい。産みたいとか産みたくないとかの意思確認もなく、突然予定日から入られて動揺した私は「はやっ! はやくないですか!?」と意味不明なことを聞いてしまった。いやでも実際猶予がねぇ…ジャン…!
「あっという間よ」とのことだった。看護師さんもにこにこしていた。
いつ生まれるのかは教えてくれたが、いつできたのかは教えてもらえなかったので「わたしはいつ妊娠したのでしょうか?」ときいたところ「んーとね。最後の生理が12月29日だから……ま、だいたい1月の半ばくらい」と言われる。
「職場は近いんだね?」と言われ(問診表にここを受診した理由を職場最寄りだと書いてたので)「あ、そこの○○ビル…」とありのままにつたえると「ほんほんそりゃいいね」と言われた。いいのか?
前後関係はよくおぼえていないが「ここの生まれ?」 「いえ△△です」 「旦那さんはここの生まれ?」 「はいそうです」 「じゃ旦那さん病院知ってるかもしれないね」などという会話もあった。いやー世の男そんな産婦人科しらんのやないかな。
「しばらくここでみるけど、ここじゃ産めないから、最終的に紹介状書くことになると思います。確かに高齢出産の部類だからね、大きい病院がいい。おうちが××だったら、□□病院がいいんじゃないかな。●●病院も南の方にあるね。▲▲病院まではいいとおもうけど。うん、□□病院が一番いいんじゃないかな」などと言われる。ぜんぜんわからん。
「あの私もう今年41歳で(中だしもしてないし)とてもこころの準備ができてなくて、」というようなことを言っていたためか、「この2・3か月は確かに流産もしやすいです」とも、なんかの話の流れではっきり言われた。
「次はね二週間後でいいんだけど、あなた予期せぬことですごく動揺してるみたいだから、一週間後に来てください」と言われた。
「生む頃41ですわ」というのを無意識に何度もアピっていたのか、医師には「確かに高齢だけど、自慢するほどの高齢じゃない」看護師には「上には上がいるわよ!」と言われた。多分不安をね、やわらげようとしてくれてたんだろう。「まだ若い!」と言われ「若いですかね!?」ときいたら「「若い若い!」と断言された。若いことになった。
「あのわたしほんと妊娠してるとか思いもしなくて、昨日も酒飲んで朝もコーヒー飲んで1月から数えたら4日くらいは飲酒の機会がありました」ってみずからの不行跡を白状しつつ、妊娠とはつゆしらずあまりのだるさにユンケルファンティー飲んだの言うの忘れてたがそこは「でも無事でいるからね」と言われてその話はさっと終わった。刺激物はやめたほうがいい、アルコールももうやめたほうがいいけど、ほかは気にしなくていいと言われる。
「食べたほうがいいものとか気を付けたほうがいいことありますか」
ときいていて、わたしは「ああ、自分はどうやらいまやどっている人らしいものについて、いなくなってくれとかどうにでもなってくれとはとても思いきれないらしい」と感じていた。この気持ちを、まだどう言い表していいかわからない。
「気にせず好きなものおいしいもの食べていいよ。つわりはじまったらこんなものたべたくなんの? っていうくらい嗜好変わったり、食べられなくなったりするから」とも言われた。
急だよ!! 超絶的に急だ!!!!
「来週来てね」 「受付で予約をするんですね」などという会話を経、わたしは「おめでとう」 「おめでとうございます」と診察室を送り出されてしまった…。ようしらんけど、有史でいえばエヴァンゲリオン以来じゃん…?
金を払い、うっかり予約を忘れそうになりながらも来週の予約をして、なか卯で牛あいがけ親子丼食べた。
受診おわってから考えてたんだけど(まあ行く前も考えてたんだけど仕事してたからそっちに集中気味だった)、もうなーこれ年も年だし流産するとか、全然そういうことは想定されると思っていて。
こんな高齢で、はじめての、想定しても望んでもいない妊娠で。自分が母親になれるような人間とはとても思えないし、正社員だけど零細企業でさあ。経済的に大丈夫かなとか。
それから皮膚のアレルギーが遺伝したら気の毒すぎる。生きづらいだろう。私が高齢だから、なんらかの障害をもっていることだって全然考えられるし。
全部不安すぎる。
でもなんでなんだろうな、今、じゃあ積極的に中絶します、というふうな気持ちはどうしてもなれない。
私は母親にならないという人生を積極的に選んだわけでもないと思っていて、単にそれは自然の流れだった。晩婚や、子どもができないことに、ただ抗わなかっただけだった。そういう人にも今は居場所があるでしょう。日々戦争みたいなSNSから距離を置けばなおのことよ、いい時代です。
でも妊娠した。
それでまあ、この後どうなっちゃうのかわかんないけど、いろいろなことがとてもとてもこわいけど、困惑してるんだけど、さっきも言ったけどやりなおせるなら絶対に妊娠しないでいたいんだけど。だけど。いまわたしとともにここにある不可逆的なものについては、わたしの意思で、どうこうすることはどうしてもできないと考えている。
それを産みたいという言葉にできるのなら、わたしは産みたいのだろうというのが今現在の率直な気持ちなんだけど、どうにも頭がぐちゃぐちゃだ。ほんとうにそうなのかもわからない。
まだ誰にも言ってない。
追記:
予想外に読んでいただいておどろいています。たくさんのあたたかいお言葉をありがとうございます。おめでとうというおことばも、わたしの綴ったことを見るにおめでとうとは口にしがたいというニュアンスのおことばも、産んでみなはれというお言葉も、産まないのも選択というお言葉も、すべて骨身にしみてうれしいです。予定日書き間違えて混乱させて申し訳ない。
昨日には書く余裕がなかったのですが、身近なところで、高齢での妊娠で残念ながら…というようなケースがいくつかあり、まっさきにそのことを思い出してもいました。
異様に細かいことを書いているのは昨日おこったことをできるかぎりで忘れたくなかったからかもしれません。この先どうするにしろ、どうなるにしろ、二度と読み返せる気持ちじゃなくなってしまったとしても、年齢的に一生に一度のことだろうから。
医院の予約をとる電話のくだりなんか、心底どうでもいいけど記録しておきたかった。
やはり年齢的にNIPTについては考えざるを得ないと思います。でもNHKの報道番組で、信頼できる機関ばかりではない(結果だけ出してフォローはないことも多い)こととあわせて、陽性反応が出たが覚悟して産んだら障害はなかったというケースを取り上げていて。それを思い出して葛藤しています。命を選別するという行為に直結する可能性が極めて高く、いまはまだ信頼できる医院もなにもわからない状態で。体調に変調がないうちにいろいろとしっかり調べないといけないですね。
これ以上書いていてもとりとめのない不安ばかりが噴出してしまいどうしようもないので、これにとどめておきますが、あたたかいお言葉をありがたく拝読したことをお伝えしたかったので書きました。
『1ST KISS』見た。「また女さんのための夢物語か」と思った。
坂元裕二×松たか子作品は複数あるが、俺が見たのは「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」そして「1ST KISS」。
「1ST KISS」は大絶賛だったが…待て待て。男女逆だったらキツくないか?
40代になり、険悪ムードの妻と自分。タイムスリップして20代の妻と出会い、再び妻からの猛アタックで恋に落ちる…!
ライバルは若くてイケメンの目黒蓮だけど(実際は吉岡里帆)、40代の俺の方がなんかイイらしくてさ〜。困っちゃうよね〜。
って話。
ちなみに「カルテット」は、偶然であって軽井沢で男女2人ずつで過ごすことになったんだけどさ、なんか年下ギャルがさ、俺のコト好きになっちゃって?いや俺は全然興味ないんだけどさ。
むしろ、もう一人若くてイケメンがいて、そいつは年下ギャルのこと好きだからそことくっつけばいいのに〜と思ってんだけどね。ちなみにイケメンと俺も仲いいよ。
って話だし、
「大豆田とわ子と三人の元夫」は、3回結婚してたんだけどね。いまだに全員俺のことが好きでさ(笑)っていう話です。
松たか子だから違和感がないのか?坂元裕二の素晴らしいセリフが聞ければ設定とかどうでもいいのか?
ちなみに、吉岡里帆が毎回、狂気をまとった人間味のない巨乳美女なところも、あんまり好きではない。
今回に至っては、お前、何しに来たんだよ。ちょうどいいタイミングすぎるだろ。
もちろん個人差があるから雑な主語デカ話ではあるけど、女には「集団として均質でいたい、一人だけ浮きたくない」って欲があって、男には「集団の中で頭一つ抜け出たい、他人より上でいたい」って欲があると思う。
公共空間で女はマナーがいいのは「悪目立ちしたくない」「場を乱したくない」からだし、女の中間層が強いのは、能力に欠ける女にとって集団に帰属できる程度に頑張るというのは強いモチベーションになるからだし、女のいじめが陰湿なのは、集団から均質性を損なう人間を排除したいって欲求に基づくからだし、女に抜きん出た能力の人や超難関大学に行く人が少ないのは、それによって集団から浮いてしまうことが少なからず負のモチベーションになるから。さらに、女にホームレスが少ないのは路上で1人で暮らすよりたとえ劣悪な環境であっても保護施設で集団生活したり住み込みで働くことを好む人が多いからだと推測する。
一方、男に抜きん出た能力の人が目立つのは集団の中で一番になることに強いモチベーションがあるからだし、厄介が多いのは厄介行為により集団の中から目立つことが可能になるし、暴力的なのは暴力によって相手より自分が上であることが実感できるからだし、男のダメ男がとことんダメなのは、多少努力して集団について行っても結局は集団の中のミソッカス扱いでしかなく何もモチベーションないし、自分が上位になれない集団生活するぐらいなら路上で暮らすほうが良いという人が多いから男のホームレスのほうが多いのかと。
どっちの特性も良いときは良く働くし、悪いときは悪くなる。どっちがいいとか悪いとかではないと思う。
で、女性で優秀な人を確保し育成するには優秀な女性だけのチームを作ってしまうことが一番で、だから理工系の女子枠ってそれなりに意味あると思うんだよね
一方、女性ばかりの勉強会は運営側がそれ踏まえて工夫しないとあんまり良く機能せず、単に親睦会で終わることも多かった
よくあるのは、課題を一番に仕上げて目立つことに尻込みしてしまい、できてるのにぼんやりしてる人とか。
大人でもそういう行動取る人が多い。
全体のレベル感が平均してればそれでもそれなりに機能するけど、まったくの初心者が混ざるとその人のペースになってしまいがち。
セックスする前に勇次郎の動画を見るとムードが壊れてしまうことがよくわかった。
当然夜になるとそういう雰囲気になってそういうことをするんだけど、範馬勇次郎のせいでセックスできなかったことがあった。
その日も、いつも通りお風呂から上がってお布団で転んでぐうたらしていた。大抵2人ともスマホをいじる。お互いがお互いの好きな動画見たり、片方のスマホで一緒に動画を見たりする。
彼は芸人の動画を見るのが好きで、その中でもガーリィレコードという芸人さん達のものをよく見ていた。私もいくつか見たんだけど、キャンチョメとかごついアシㇼパさんのネタが好きだ。彼らはアニメキャラを雑なのに真剣なクオリティで再現するので普通に面白い。
で、このガーリィレコードチャンネルの中でも範馬勇次郎のモノマネが面白い。他のもそうなんだけど、明らかにパチモンなのに本人は真剣に勇次郎やってるから余計に面白い。
彼氏は私の横でいつも通り動画を見て笑っていた。多分開脚する勇次郎の動画だったと思う、知りたい人はYouTubeで調べてほしい。で、その勇次郎はクセが強かった。罠にかかって開脚しながら「俺の子を産め!」しか言わない勇次郎なのだ。私の頭がおかしくなったような証言だけど本当なのだ。
その勇次郎はまっすぐ開脚してこちらをまっすぐ見つめながら腕組みし、俺の子を産め!しか言わない。そんな勇次郎を見て周りが「すげえ!本物だ〜」とか言うだけの動画なんだけど、刃牙を読んでるとハチャメチャに笑えるので困る。
その後歯磨きもして、もう寝ようか、となって部屋の電気を消した。私は直前まで見ていた勇次郎がまだ脳裏にちらついていた。俺の子を産め!やめろ勇次郎、もう出ていってくれ。面白すぎる。インパクトが強い。
さて少しして、隣でもぞもぞ動く気配を感じた。暗くても彼氏が優しく笑ってるのは分かる。これはイチャイチャしようという合図だ。私は普通に彼氏が大好きなので、彼氏とのセックスも好きだし嬉しい。そう、いつもなら。勇次郎が邪魔してこないいつもなら。
俺の子を産め!おい、本当に許してくれ。彼にそっと抱き締められた。しかし私の中にはまだあの勇次郎がいる。目の前の彼のぬくもりや愛しさに集中しようとすればするほど、勇次郎から逃れられなくなっていく。彼は私の異変に気付いてない。ということはこのまま集中できないままセックスする流れになるのか?
いやだ…このまま勇次郎に囚われたまま演技してセックスするなんていやだ!
彼がキスしようと、顔を近づけてくる。俺の子を産め!限界だった。私は堪えられなくなって吹き出した。そして慌てて謝る。
全てを理解した彼もまた爆笑し、暫く2人で腹を抱えた。そして私はセックスしたいけど今はどうしても勇次郎が頭をよぎってしまうと弁明し、彼は理解してくれた。その夜はセックスできなかった。だって勇次郎がずっと俺の子を産めって言うから……!あの動画見た後に無理やん!と叫んだら彼氏がヒィーッと腹を抱えていた。多分そこまで気にしてなかったんだろう。
元々そんなにムードとか気にしないタイプだけど、あの勇次郎の動画を見せつけられた後に愛し合う雰囲気にはとてもなれないことは分かった。あれがまだ米津さんのモノマネとかなら耐えられたのに、どうしてまた勇次郎だったのだ。しかも俺の子を産めbotの勇次郎なんだ。目の前の彼とスキンシップとりたいのに集中できなかったんだぞ。