はてなキーワード: アクアとは
去年から大学生になってバイトできるようになったから、家族にクリスマスプレゼント渡してるんだけどもうネタがつきそうで困ってる。
妹はもう子供用タブレット持ってるしスライムキットだったりアクアビーズだったりと、とにかくおもちゃはたくさん持ってる。
姉、母にはコスメ、スキンケア用品あげてたけど、肌タイプがわからないから悩み中。
一番難しいのは父。全然わからない。疲労回復とか癒し系かな?とか思いつつも正解がわからない。
家族と仲悪かったから全然会話してこなかったのを今更ながらめちゃくちゃ後悔してる。18年一緒に暮らしてなにが好きかどうかも話さなかった。
親不孝でごめんと思いつつ、会話のたねになればいいなとネットを漁ってる。
Amazonのセールでベッドというかマットレスを買おうかなと思ったんだけど、
でてくるものがわりとめちゃくちゃで買えなかった。
まず「普通のメーカー」と「てきとうに怪しい業者が名乗ってる」の区別がつかない。
たぶん西川とフランスベッドとシモンズはちゃんとしててちゃんとした値段なんだろうけど、同じサイズの商品で他と比べると外れ値みたいな値段がついている。寝るのに何十万円出せばいいんだよ。
いや高級品は身の丈に合わないのよ、レクサスじゃなくてトヨタでいいの、というかアクアとかヤリスでいいのよ、って思うじゃん。
アイリスオーヤマなら安いのかなって思うけどブランド名がなんかアイリスプラザってのとわかれててどっちかパチモンか?ってなる。そもそもパチモンみたいなのに。
ニトリならええかって思うがちょっと価格帯だいぶ安くて大丈夫なのかなコレってなる。アイリスも同じぐらいだが…
ニトリは「あからさまに怪しい業者」より安いやつあるぞ。というか怪しい業者が「高い値段ついてれば大丈夫だろ」みたいな線を狙って高くつけてそうな雰囲気がある。
もう何もわからねえ。
「増田は星野アクアさまというタイトルの童話を知っているかな?」
むかしむかし、ある国に星野アクアという聡明で勇敢な若者がいました。彼の妹、星野ルビー、そして彼の母、星野アイと共に、アクアは平和な日々を過ごしていました。しかし、ある日、国を脅かす大きな危機が訪れたのです。
悪の魔女が国中の光を奪い去り、人々は深い暗闇に包まれてしまいました。星野アクアは、妹と母を守るため、そして国中の人々を救うため、魔女を打ち破る決意をしました。星野アイは、優しさと愛情でアクアを支え、星野ルビーは、光る宝石のような希望を胸に、兄と共に旅に出ます。
道中、彼らは数々の障害に直面しましたが、家族の絆と互いを信じる気持ちで乗り越えていきました。ついに、3人は魔女のいる城にたどり着き、力を合わせて魔女を倒すことに成功しました。国には再び光が戻り、人々は平和に暮らせるようになりました。
この物語の教訓は、「どんなに暗い時でも、愛と信頼があれば光を取り戻せる」ということです。ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
B. 救済されて敵を許す
B と見せかけて Aに持っていく、というのが推しの子の最終章だった
という、1巻時点の設定回収としては王道だと思う
ただ、アクアが救済されたことと、ゴローと別人格になったことで読者の着地予想がズレてしまったのかもね
主人公が周りから愛されすぎたことで復讐を遂げることが逆に悲劇になってしまったようだ
復讐者は孤独でいなければならないのだろうな。ルルーシュみたいに憎まれ役でなければならないわけだ
おそらく作者はラブコメを得意とする方のようで「推しの子」でもその才能は遺憾無く発揮されていたように思う
赤坂アカがヒキが下手なのは、単純にラスボスを倒すところと作品のゴールを一致させられないからだ。
最初は殺したいほど憎い何かを設定するのだが
なにが何でも、自分を犠牲にしてでもそいつを倒す!という方向に全力を向けられなくなってくる。
ゴールを決めていたというから最初は「おそらく今回こそはのつもりは刺し違えてでもラスボスと戦う」がやりたかったのだろう。
実際に、今回は一番うまく行きそうだった。
当初の設定ではカミキヒカルは本当にラスボスとしてよくできた設定になっていた。
「推しの子」であるアイに過剰で自分本意な愛をおしつけ、それが受け入れられないと逆上して殺す。
あんまりちゃんと描かれなかったがゴローちゃんはカミキヒカルになるリスクは高かった。
彼の幼少時の病んだ設定などはそのつもりで描いていたと思われる。
ゴローちゃんはアイだけじゃなくサリナというもう一人の推しの子がいたから狂わずに済んだだけだ。
ゴローちゃんがカミキヒカルをもっと深く理解しようといていたら、
あるいはカミキヒカルがアイに固執するあまりサリナを殺そうとしていれば
ちゃんと殺し合ったうえで、二人がそれぞれの思いをお互いにぶつけ合うことができた。
少なくともペルソナ4ではそういう展開を見事に描いていた。
なぜ推しの子はできそこないのペルソナ4になってしまったのか。
サリナちゃんとルビーが完全に同一人物でないことを上手に作品中で消化できなかったことは厳しかった。
それ以上に、映画製作編において、カミキヒカルが何のリアクションも起こさず待ちだったことが意味不明だ。
映画によってカミキヒカルを引きずり出す、という話なのはわかるが
「制作発表」をしている時点で、もっと早い段階でカミキヒカルは介入してくるべきだった。
映画が無事すんなりと制作されて、あっさりふたりとも死んで、もう制作完了してるから映画が放映されました、はさすがに無いわー。
キャラを愛しすぎるがゆえに、カミキヒカルを倒さなくてもなんとなく幸せになってしまう。
こいつを倒さないと絶対に先に進めないということがなくなってしまう。
それどころか、サリナの母親みたいにカミキヒカル以外にあれこれ設定してしまうせいで
しかも映画制作が順調に進みすぎてもうカミキヒカルに言いたいことが全部劇中の映画で昇華されてしまった。
じゃあもう、殺し合わなくてよくね?
アクアは死ななくても良くね?
せいぜいゴローちゃんの部分が消える=記憶喪失にでもなって助かるとかしないとダメじゃね?
完結を待って一気読みするか触らないようにするか考えたくて、感想とか見てたんだけどさ。
・復讐劇、サスペンスものとしてはクオリティが低く失敗している。そこを誰もが低評価している。
・芸能界やインフルエンサー業のお仕事ものとしては一定の評価がある。
・男性キャラクターはアクア一人しか人気がなく、他4人の女キャラが人気。いわゆる「ヒロインレース」構造の作品である。
・結城リト=俺!のような感覚でアクア=俺!とモテ気分を味わえる男性読者は気持ちよく読めるが、芸能界のお仕事もの・アクアのイケメンさ等の要素に釣られて読んだ女性読者はハーレムなど受け付けないため、推しのカップリングの成立を望んでファン同士で殴り合いをしていた。男女両方の読者を取り込んだが、ファンダム内部はアクアの恋愛についてばかり延々と揉め続けた。
・カップリングの結論は出ず、アクアが死んで4人の女の子とのフラグは全部折れたエンディングになった。アクアハーレムを見たかった男性読者も、推しカプ成立を見たかった女性読者もブチ切れた。「勝者」扱いされている界隈が存在しない。
・最終回以降、アクアの恋愛絡みの不満がひたすら炸裂し続けていて収拾がつかない。論点はハーレムかカップリングかくらいしか無く、物語を通じて主張されていたテーマはとくに無い。
こういう理解で良い?
推しの子のテーマは嘘ではなくディスコミュニケーションらしい
でもそれを鵜呑みにしたらコミュニケーションがうまくとれなかったからアクアが死んだように受け取れてしまう
ディスコミュニケーションの末路を書きたかったのか、コミュニケーションそもそもとれてないからお前なんかいなくてもみんな生きてけるよって言いたかったのか、芸能人みんなディスコミュニケーションだよね! なのか
作者はこれが書きたかったようなので、己の読解力の無さを嘆くばかりです
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
んな訳ねー。カミキが改心した回はあっさりすぎ悪役として薄っぺらすぎ今までの化物みたいな描写は何だったんだって叩かれてたし。
その後のやっぱり改心してませーんは、全体がクソ展開の中でその部分だけは誉められてた。
推しの子は単行本派だったけどあまりにもTwitterがザワついていたため耐えきれずWebとアプリで最終話まで読んだ。読んだらもっと耐えきれなくなったので初めてはてブを書いている。匿名で……。
・打ち切りエンドすぎる
・真犯人がニノだったら「アイドル」と小説の意味も違ってくるぞ!と思ってたけど結局カミキだった。ぽっと出のニノが黒幕よりは良かったけども。
・これだから自らの命を蔑ろにする奴はダメなんだ。結局その瞬間の甘美な自己犠牲(笑)に酔って後先考えていないだけ。命を有効活用するにも無駄遣いすぎる。アクアはもっと上手くやれたはずだし、先手で不意打ちなんだからこちらがコストを払う必要はないはず。自分の命を勘定に入れるのは最終手段にしようや……。もうお前だけの命じゃないんやぞ
・ルビーと有馬かなとあかねがあまりにも可哀想すぎる。全員で草。有馬かな、正ヒロイン競争では勝ったけどそもそも「恋愛」というものの価値が意味をなさなくなったから相対的に負けた。ルビーの人生に負けたんだ。
・ハーレムものの主人公が全員からの好意を一定に保ったまま誰からも恨まれることなく死んだから地獄。大切な人を失った女の子が3人生まれました、あーあ。
・アイは生まれもった「愛情」の欠如から来る闇を「嘘」で覆い隠してアイドルをやっていたけど、ルビーは元から素直だし、現世では愛も受けてるし、アイのことも世間に公表して復讐も終わったからこのままだとただの素直なアイドルになってしまう。「私は今日も嘘をつき続ける(=それが魅力)」をやるために、「最愛の人を喪った悲しみを表に出さない」という闇?を抱えさせられた?の?だろうか?と解釈して納得したけどいらね〜!!!!大団円バースの別ルートを見せてください。
・てか自分から死んどいて死ぬ瞬間は「苦しい、後悔、生きたい」とか思うの本当に勘弁してほしい。これだから自殺は(自殺のアンチ)。馬鹿馬鹿馬鹿アーホ!ドージ!マヌケ!大切な女の子待たせてんじゃねえぞ!せめて自分から死ぬなら苦しまないでほしい。アヘ顔ダブルピースのまま「うれし〜〜〜!きもち〜〜〜!ありがとうございました!」つって死ねる奴以外は死ぬなよナメてんのかカスがよ死ね
・ツクヨミ何?
・「同じ轍を踏むわけねえだろ!」まではいい感じだったのにな〜〜〜〜😭😭😭😭
ここも黒川あかねはCIAではありませんが……?にはなったけど。自ら望んだとはいえそんな危険な役回りをやるなやらせるな
・最終話周辺の2-3話、コマだけの無言カットが多くてどこまでが赤坂アカ先生がディレクションしたのか気になる。メンゴ先生の負担デカくないか?
・えーーん、バッドエンド嫌だ……って思って読み進めてたけど、その割に最終話はあっさりしてるしまるで打ち切りすぎるよ。人気も時間も予算もあったと思うんだけどな……。
・有馬の死体ビンタ、ネットではめちゃめちゃ叩かれてたけど思ったより気にならなかった。直後のミヤコさんビンタで相殺されてるし、その後の台詞と文脈聞いたら泣くしかないでしょこっちも。むしろよく発狂しなかったまである。
・星野アクア死んだって聞いて可哀想だと思ってたけど自殺すぎて許せなくなってきた。
・「ママとお兄ちゃんが照らしてくれた、未来を!」じゃないよほんとにこれでこの漫画終わったんか???自分でも言ってたじゃないかアイドルの寿命は短いって。「どうしようもないほど楽しいお仕事!」が終わったときにルビーちゃんも自殺しちゃいそうで怖いよ。みんな病んでる。何!?別にタイトル回収というわけでもテーマに沿ったわけでもないからこのエンドにした目的がわからなくて怖い。逆にルビーに因果が集まりすぎてて、天童寺さりなの命にはそれほどの価値があったのか?(疑問)になってしまっている。
両親を失った命の重みに耐えられなくて闇堕ちしたカミキに対して、様々な人の命の重みを背負って嘘をつきながらアイドルをやってる星野ルビーの善性と強さをもって勝利としたのか?
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
---
[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
自分は普通に主人公が死ぬエンドはありだと思います。完全にリアル現代が舞台の物語で、主人公が人を殺しておいて、のうのうと楽しく余生を過ごすエンドのほうが厳しいでしょう。相手は法の網をかいくぐって殺人を繰り返すサイコパスであるわけで他に手段もない。
それなのに何でこんなに批判が起きるかと言えば、そもそも読者がカミキヒカルに全く興味を持っていなかったから、ということに尽きる。カミキ周りの話がまるまるいらなかった。
こんなぽっと出の魅力ないキャラクターのためにどうしてアクアが死ななくてはいけなかったのか、そこに文句を言っている。
アイの死に、真犯人とかラスボスとかサイコパスの狂人とかいらんかった。
アクアがルビーをアイ超えするアイドルに育て上げながら最後に自分の推しを見つけるという話だけで物語は成立していた。
グロいサスペンス要素を入れなきゃいけないのは、ヤンジャンという青年誌連載作品としての宿命ではあるのだが、何とももったいない漫画だった。
↑の中で手ごわいシミュレーションが完全スルーされていてカッとなって書いた。
1作品につき何人まで、みたいな縛りはとくに設けない。ただし増田はNintendo Switch以降のシリーズを遊んでいないため、それらのタイトルからは選出されていない。よって初期作品に偏っているのは容赦願いたい。近年の作品に詳しい人は自分で書いてくれ。増田もSwitch後継機で遊ぶ際の参考にさせてもらう。
また、リメイク作品(『新・暗黒竜』『Echoes』など)におけるユニット評価は選外としている。増田はスマートフォンゲーム『FEH』も微課金で遊んでいるが、こちらに実装されたユニット評価もこの10選における選評では加味していない。あくまでオリジナル作品における登場時の評価である。
なるべく未プレイの人がネタバレを踏まないように配慮したが、成長率とか専用武器に関しては多少触れている点を考慮の上で読んで欲しい。敵ユニット10選は選ぶのが難し過ぎて筆を折ったため、誰か頼む。
「ロードはこういうユニットです」「レイピアはこういう武器です」「最後にこんな専用武器を使います」を定型化した功績があまりにも大きい。
説得できる、必殺率の高い武器を所持している、踊り子系ユニットを守るといったお約束を確立したことに加え、子安系剣士というポジションも作り上げた。
初期作品においては皆大好きオグマ隊長ともクラスが差別化されておらず、ソドマス系ユニットと勇者系ユニットの個性が別れて行くのは後続の作品からの話になる。
血が重視されるユグドラル大陸においても、あまりに無法な性能を誇った風魔法「フォルセティ」を操る。
味方ユニットというよりフォルセティがおかしいのかも知れない。
サジマジバーツから続く不遇だった斧ユニットの時代を終わらせた新世代のスピード系斧ユニット。敵の攻撃に耐えて反撃で倒すのではなく避けて必殺で倒すところも革命的。
相棒のハルヴァンもなかなかの性能を誇ったが、やはり専用武器「プージ」のキルソード + 手斧と言える使い勝手のインパクトが大きかった。
GBA三部作1作目、加入する味方ユニットは全般的にそれまでの加賀ブレムに対するリスペクトを感じさせつつも、なぜか主人公の幼馴染として加入する魔王系ヒロイン。安いファイアーの魔導書で大半の敵ユニットを屠るぞ。
このキャラメイキングは好評だったのか、後続するシリーズでもサナキ様などやたら火力の高い赤魔ユニットが登場した。
GBA三部作2作目、主人公ユニットは3人登場し、剣士系ユニットかつ海外人気も高いリン、FEシリーズ王道と言えるエリウッドも捨て難いが、やはりシリーズ初のオレ様系主人公ポジションを確立したヘクトルを挙げたい。
そしてこれだけ優遇された主人公の性能があっても突破が難しい「ヘクハー」の存在よ。
GBA三部作3作目、のジェイガンポジション。何と言っても、今まで槍や斧を扱うおっさん系パラディンお助けユニットだったのが、最後まで使えるイケメン剣騎士になった。
『聖魔』からの選出は、エフラムやアメリアや優秀さんと結構迷ったが、何となくこの辺りから「成長するジェイガン」ポジが増えた気がしてゼトに。異論は認める。
ヘクトル→エフラムと続く戦闘民族系の主人公であることに加え、アイクは専用武器「ラグネル」による遠近対応、スキル「天空」で自己回復と隙の無い性能をしていた。
しかも『蒼炎』では歴代ロードに近しい顔つきだったのが、『暁』で突然ゴリラになってしまったインパクトも大きい。セネリオとの関係性とかとにかく語るところの多いユニット。
シリーズ復活作になった『覚醒』において、子世代の中心を担い、専用武器「ファルシオン」やスキル「天空」など、過去作品の要素をこれでもかと豪華欲張りセットで登場。
この辺からクラスチェンジの自由度が大幅にアップして、あまり性能で何かを語る感じではなくなってしまった気がしている。
FEシリーズとしては踊り子系ユニットから誰か1人は選ばないとね、と色々考えたらアクアが残ってしまった。こいつの力おかしいって。
説得役として重要だと思うけどペガサス三姉妹と役割被るよなぁと考えて選外。
シリーズお約束として登場する赤緑騎士ポジションだし重要ではある。
ペガサス三姉妹の概念を確立した重要性は言うまでもないが、誰を選ぶか問題に結論を出せなかった。増田はカチュア派だが絶対割れるでしょ。
こいつ本人も強すぎるし子世代は平民でもかなり強すぎる。ソドマス系ユニットは選ぶと多すぎるから選外。
起用貧乏万能ユニットだったマスターナイトから追い剥ぎ団のリーダーへ落ちぶれた主人公ユニットというインパクトは大きい。が一旦ここはセティを選出した。
ショタ系マージとして間違いなく優秀であるがセティ(フォルセティ)の壁が厚すぎる。
杖ゲーだった『トラキア』の中でも最重要ユニットだが杖ゲーブレムというバランスが後にも先にも特殊すぎる。
10選に弓ユニットを入れられなかったのだが1人選ぶとしたら増田はこの子。
烈火で再登場したインパクトは凄いのだが、ソドマス系ユニットばっかりになってしまうから泣く泣く削った。
踊り子系ユニットとマムクートのハイブリッドなのでユニークではある。
ぶっとばして差し上げます系ヒロイン。暁の2部終章は名マップ。
ハールの動く城はインパクトが強かった。が、あまり似た性能のユニットは後続シリーズに登場しなかったかなぁ。
ラグズ王族から1名入れるならこのユニットか? と思いつつ、参戦期間が短いのよ。
発売前はまるで主人公格の扱いだったのに性能的にも空気だった盗賊ユニット。
『覚醒』はFEシリーズの様々な要素を復活させた重要作で、『外伝』以来の村人ユニット。が、先駆者としては『聖魔』にアメリアなど超成長率の新人系ユニットが居るため選外とした。
きょうだいユニットは全員そつなく強いがこの人は別格。ただ広義のソドマス系ユニットと思うため選外に。
『外伝』リメイク『Echoes』で主人公アルムに突然生えてきたヤンデレ幼馴染ユニット。何それこわい。性能的に他の村人系ユニットほど尖っていた訳ではないが、フリーレンとかアーニャで後年注目を浴びる人が中の人だったと知った。
EVやバッテリーメーカーBYDのPHEVは、カタログ値と実燃費の乖離が意外と少ない。
特筆すべきは、これらの実測値がカタログ値とほぼ同等か、むしろそれ以上の燃費性能。日本のトヨタ アクアの実燃費(27.5km/L)と比較しても、かなり優れた数値[3]。
つまり、カタログ値2.26L/100kmに対し、実際の走行では2.28〜2.54L/100kmと、ほぼ誤差レベルの燃費。
特に面白いのは、ある中国のジャーナリストが BYD Qin L で1,497マイル(約2,409km)を1回の給油と充電で走破したこと[4]。これはまさに「長距離走れるPHV」の決定的な証明かと。
正直、日本メーカーよりもかなり洗練された感じ。特にBYDは技術にマジで本気な印象。
[1] 中国BYD、PHVの燃費さらに改善 ガソリン車に対抗 https://jp.reuters.com/economy/industry/7SCOWFZX7FLL3E2YLW7JWMDHZQ-2024-05-29/
[2] BYDが航続距離2100km超のPHEV発表。“マルチパスウェイ”を巡る ... https://news.yahoo.co.jp/articles/1a2f0799726ad11a48a913090d0bf898d236465c
[3] BYD次の一手は「日本車キラー」、超肝入りPHEV技術「DM-i」 http://phev.blog.fc2.com/blog-entry-5743.html
[4] Someone Drove A BYD PHEV 1,497 Miles Without Stopping For Fuel https://insideevs.com/news/721577/byd-qin-test-range-china/