はてなキーワード: つくしとは
会社にいる唯一はてなのことを知ってる人とちょっと話したときに思ったんだが、はてなってほぼSNSと同意義と考えていいんだな
そんでSNSとしたら完全におっさんだらけで全然新規もいないし内輪話だけしている
当然そこの話題は似たり寄ったりというか、他所で言わないことや他所だと失笑未満で相手にされないことを言いあってる
まあそれはどこのSNSでも同じだけど、厄介なのははてなは選民思想はちょ~~~~とだけ強いことと年代ゆえに左寄りってのが、少し偏ってる面があるんだよね
なんつーか自分たちをアングラな先住民族みたいに思い込んでる節がヒシヒシと伝わってくるし、自分たちだけで盛り上がれるものに飛びつくし
でも最新の情報とか仕入れるには頭硬直化しすぎて全然遅いんだよ
その一方で独自の文化や価値観ってのがほぼないから、実は新規が来ても全然問題ない程度にはネットの中で影の薄い存在という変な印象がある
そういう場所ってネットの中でも2・3軍かその中でもかなり目立たない人が居座ってるんじゃないかな
でも完全なルーキーやアマじゃなく、経験値はあるけど一回もベンチから抜け切れていない人
そんな思考だからお前らみたいなのが育てる子どもは我慢が効かないキレやすいガキになるんだろうな。
あのな?
子供の躾というものの最大の目標は「我慢を覚えさせること」だと言っても過言ではない。
マクドナルドが食べたいというのなら食べさせてやりたい。
それで上機嫌になるなら親もハッピーになるし、何よりも
「手間がかからない」。
あのな?
でも、そうやって手間を掛けられることで子どもというのは我慢することを覚えていくんだよ。
お前らみたいに何でもかんでも面倒だ、って放り投げて
ガキを甘やかしに甘やかして育てるからおかしなことになるんだろうがよ。
システムエンジニア。社内システムの内製や開発会社と要件定義やスケジュール管理したりするいわゆる社内SE
昨今のAIの進化は日進月歩で寝て起きたら昨日学んだことが無駄になることも多い
職場もAI導入しているがセキュリティや内部情報の管理の為に巷で話題の技術にすぐ触れられないがそれなりに活用はできている
そんな中後輩がとにかくAI任せになるのだがとにかく雑でぱっと見でエラー分かるレベルだ。業務的にフルスタックな感じなので色んな分野を面倒見るがどの分野もAIに吐き出させその結果軽く動かして持ってくる。
別にAI任せは良いし今後はスタンダードだと思っているが、命令する側が知識無きゃAIは平気で嘘つくしゴミ回答でトークン無駄遣いする
そういう意味でドメイン知識や基本情報レベルのシステム知識はあった方がいいよと言ったが
と矢継ぎ早に言われてううんとなった
正直AIって自分で出来る人がすごく楽できて、いくらバイブコーディング言って初心者が二人三脚で作っても出来るアプリやサービスはその辺の技術書かUdemy課題レベル
そこから興味持って壁打ちでどんどん吸収するのは極々一部で大半は楽を覚えてシスアド以下で仕事した気になっちゃう
と氷河期世代のシステムエンジニアが心配しても流れは変わらないし今後どうなるんだろう。フルスタックで上流経験あっても若さ優先になるのかな〜辛いな
貧困家庭が奮発してケーキ買ってくるにしても、今ならコンビニやスーパーのカット済のケーキになるんじゃね?
ホールケーキでも小さくて安いやつはあるけど、それならサイズ的に切り分けるまでもなかったりするし。
親や本人が自作するにしても、よほど料理慣れしてないと道具含めて買うより高くつくしな。
そう考えると円をケーキに見立てて線を引いて切り分けてくださいって問題の時点で、結構意地悪だと思うんよ。
あの本は結構前に読んで内容には頷く部分はあったけど、著者の視点というか立ち位置はそこで良いの? とも感じたのを今更思い出した。
「オタク界隈に反社会的・下層階級的属性を持つ人物が増えているのではないか」という指摘には、一部共感できる側面がある。
一方で、そこにはかなり飛躍した推論も含まれていると感じる。
つまり「もともと恵まれた層が築き上げたオタク文化に、社会的に報われない層が入り込み、格差に耐えられず暴発する」という構図は、一部の傾向を捉えているかもしれない。
たしかに、90年代後半から2000年代初頭のオタク文化、特にエロゲーやアニメ、ラノベの創作物を牽引した作り手の多くは、中産階級以上の家庭出身だった。
実際に、時間的・経済的余裕が必要な創作活動には、ある程度の「実家の下支え」が必要だったのは事実だ。
また、90年代の同人文化やPCゲーム開発にも、設備投資とスキルの習得という高いハードルが存在していた。
しかし、インターネットとスマートフォンの普及によって、こうした文化は広く一般層にも行き渡るようになった。
今では、貧困層や社会的に孤立した人々でもアクセスできる環境が整っている。
そこに「異世界転生」や「俺TUEEE」のような物語が刺さりやすいのも理解できる。
投稿者が指摘するように、これらのコンテンツが「幻想」を提供し、それが壊れたときに怒りや暴力へ転じる。
これは一部にはある現象だ。
しかし、それがすぐに事件化につながるというのは、過度な一般化である。
京アニ放火事件の青葉真司を例にしても、彼の犯行には精神疾患や生活苦、社会的孤立といった複数の要因が確認されている。
文化は「きっかけ」にはなり得ても、「原因」ではない可能性が高い。
また、プロレタリア文学の例――たとえば小林多喜二『蟹工船』のような作品は、もっと直接的に階級闘争を描いていた。
だが、それは現実と向き合うものであり、怒りを政治的な運動や集団行動へと昇華させていた。
現代のオタク文化は、「現実との闘争」ではなくむしろ「現実からの逃避」を描くものが多い。
そこには連帯も革命もなく、「自分だけが選ばれる」という個人幻想がある。
それが自己肯定感につながることもあるが、時に現実とのギャップで苦しむ人も出てくる。
その幻想が壊れたとき、孤立した人間が暴発する危険性は否定できない。
ただし、そうした人々を「文化の外に出て行け」と切り捨てるのは短絡的だ。
彼らにとって、その文化こそが最後の“居場所”であることもあるからだ。
本当に問うべきは、こうした人々がなぜオタク文化にしがみつくしかない状況にあるのかという点である。
孤立や困窮に対して、社会が支援やつながりを提供できていない現状こそが、問題の核心ではないか。
文化を悪者にするのではなく、それを必要とする人たちの背後にある社会的現実に、もっと目を向けるべきだ。
オタク文化に惹かれる人々の多様さを認めつつ、彼らが孤立せずに生きられる仕組みを作ることが、より本質的な解決につながるだろう。
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