はてなキーワード: 光景とは
毎年毎年日本はドベだとかブービーだとか騒がれてるWorld Giving Index
2024年版では142国中141位
項目は「Helped a Stranger」「Donated Money」「Volunteered」の3つと
それを平均した「World Giving Index」
「Helped a Stranger」 141位 24%
「Volunteered」 96位 19%
となっており、確かに悪いけど最下位になるほどか?という感じもする。
しかし平均した「World Giving Index」は20で141位。ブービーである。
寄付金やボランティアもっと低い国あるやろ!という感じがするのだが実際にある。
例えば138位のイエメンなんかは寄付金が7%、ボランティアが9%である。
どちらも日本はダブルスコアつけているが、指数では3負けている。
とにかく日本はこのランキングにおいては「Helped a Stranger」が足を引っ張っている。
この「知らん人助けた?」の項目は全世界的に高い水準を保っており、
122位以上はすべて「50%以上」、138位以上が「40%以上」となっており、
40%未満の国は4つ、フランス(38%)、カンボジア(28%)、日本(24%)、ポーランド(23%)
例えば俺は昨日の帰りスーパーでレジ並んでる時に後ろにヨボヨボのババアが立ったので順番を譲った。
月曜には前を走る自転車の後部座席のガキが靴を落としたので拾って渡してやった。
別に俺が特別優しいわけじゃなくてこれくらいの光景は割と定期的に見かける気がする。
本当に4人に1人しか他人を助けてないか?というのは正直疑問ではある。
もしくは「他人を助けたと思っていない」国であるのは間違いない。
別にそれが他所の国のお前らに何の関係があるんじゃいという話ではあるし
ある種助け合わなくても生きていける程度にはそれぞれが自立した生活を送れている
という捉え方もできるとは思うのだが
出羽守にギャースカ言われないためにも懐が痛まん範囲で他人に親切にしたうえで
自分の中の「他人を助けたハードル」を下げて自己肯定感を上げていくのは悪いことじゃないだろう。
あまり動物の動画は見ない方だけど、youtubeを開いたらショート動画のタブだったらしく、普段は見ない犬の動画が再生された。
知らない家のリビング、テレビが映っている。めざましテレビだったらしい。聞き慣れたジングルと共に「きょうのわんこ」が始まった。そのジングルを聞きつけて、ゴールデンレトリバーだろうか、クリーム色の子犬がぴょこぴょことテレビの前まで走ってきて、ちょこんと座る。なるほど、この子犬は映像の内容と音楽をちゃんと覚えていて、犬が映るコーナーだから見にきたのだなと分かる。
番組の内容はこうだった。ナレーション曰く、今日紹介している柴犬は、散歩の際にいつも会う近所の犬たちが大好きで、目視するだにすれ違うずっと前から伏せて待っているらしい。近寄られて初めて立ち上がり、全力でニオイを嗅ぐ。犬の世界ではそれが挨拶だった気がする。そうして最後に3匹仲良く散歩する映像が流れて、コーナーが終わった。
コーナーが終わると、そそくさとテレビの前を去る子犬。本当にきょうのわんこだけを見にきたらしい。
テレビを楽しみにする犬というのが、犬飼いの人ならよく見る光景なのか、それとも珍しい光景なのかは分からない。
でも私はこの動画を見て、なんとなく未就学児だった頃を思い出した。
幼い頃に社宅の団地みたいなところに住んでいた頃。父は仕事、母は井戸端会議でアパートの前の駐車場。まだ幼稚園にも通っていなかったから私は1-2歳だったはず。昼寝から起きて、母がいないことに気付いて、部屋の窓から下を見ると母親たちが話している。うちが住んでいたのは3階だ。大声で呼んでも気付いて貰えなかったので、リモコンを触ってテレビをつけた。30年近く前、もちろんブラウン管だ。
テレビをつけると、知らない大人が知らない言葉を話し、知らないことをしていた。何の番組だったのかは全く覚えていないけど、おそらく何らかのドラマの再放送だったと思う。幼い子供の認識力では、言葉も途切れ途切れにしか聞こえない。知っている言葉以外が全く耳に入らないのだ。何を言っているのかは全く分からない、知らない大人たちが大人らしく知らないことをしている映像を、不思議だなぁと思いながら私は眺めていた。
そう、このときの「よく分からない言葉を話しながらよく分からないことをしている人たち」を眺めていたときの感情を、さっきの子犬の動画を見て、ふと思い出した。子犬にはナレーションはもちろん理解できないだろうし、おそらく映像の意味も分かっていないと思う。犬は数は数えられるらしいから、「3匹の犬が歩いているなぁ」くらいには思えていただろうか。それくらいの認識なら、おそらく私もかつてそうだったし、そうだったことを覚えている。映像の意味は全く分からない、けれど何かが面白い。私たちは、映像から社会を学ぼうとしていた。
犬は生後何ヶ月くらいから散歩をさせて貰えるのだろう。テレビを見て他の犬との関わり方を学んだ子犬は、散歩のときにどのような態度をとるのだろうか。私は立派な根暗に育ってしまったので、同じ轍を踏まないで欲しいものだ。
職場の先輩に、妙に繊細というか神経質な人がいる。特に音には敏感らしい。
私は敏感さん(仮)から、キーボードがガチャガチャとうるさい、もう少し静かに打てないのかと、毎日のように小言を食らっている。
この仕事に就いて初めてまともにPCを扱うようになった人間なので、実際ムダな力が入りがちなのは否定できない。注意されるたび素直に頭を下げて、なるべく静かに打つように心がけているが、それでも繊細さんの耳からは逃げられないようだ。
私ほどの頻度ではないけど、同じ部署の同僚はほぼ全員が一度は、敏感さんからキー入力音について指摘を受けたことがある。そんなわけで私たちは、静けさを愛する彼女の鋭すぎる耳に怯えつつ、恐る恐るキーを叩いている。
これで敏感さん自身のキー音が、カタカタカタカタッッッターン!式の爆音だったら笑い話になるんだけど、悔しいことに、他人に言うだけあって彼女のタイピングは本当に異常なほど静かだ。
私たちと同じ安物のメンブレンを使っているはずなのに、彼女の席からはほとんどタイプ音が聞こえてくることがない。それでタイピング速度も部署でトップなのだから意味が分からん。
ある日、たまたま敏感さんと二人きりになった時。いい機会なので、どうやったらそんな静かにキーボードを叩けるのか聞いてみた。
敏感さんは、そのミュートっぷりをあまり自覚していなかったのか、少し戸惑った様子だった。
その場で考えながら喋っていることが分かるゆっくりとした口調で、こんな説明をしてくれた。
「盲点って、あるでしょう?目の中の見えない部分。音にもそれがある、と思う。特定のタイミング、リズムで鳴った音は人間には聞こえないんだ、たぶん。だから、私はそれに合わせて叩いてるだけ」
科学的な理屈としても眉唾な話だったが、それ以上に、技術的に無理があり過ぎる話だった。
仮に音の盲点?のような特殊なポイントが存在するとして、それを的確に押さえながら、いつもの敏感さんのタイピング速度を維持するのは神業を越えた不可能としか思えない。
だが、「こんな風に」と言って実演する敏感さんの手の下で、キーは実際に無音で沈み込み、そのまま指は軽やかに踊り――
「――隊長!」
ここは清潔な日本のオフィスではなく、土と草と血の匂いが立ち込める東南アジアの森の奥。
そして満身創痍の我々の前には、不気味な青い肌を持つ人類の天敵たちの、禍々しい巨大な両耳が揺れていた。
月軌道上に突如出現した、質量を持たない「第二の月」。そして、そこから地球に襲来した怪生物「ブルーラビット」。
目的も不明なまま、異常な生命力を武器に人類の虐殺を開始した彼らとの泥沼の戦いは、国家という枠組みを急速に崩壊させていった。
開戦から7年。地球臨時政府の外来種駆除軍に徴兵され、いくつかの戦いを運良く生き抜いた私は、分隊を率いる軍曹になっていた。
あるとき我々は、敵の奇襲を受けた味方の救援に向かった。そして到着した現場で、既に壊滅した友軍の姿と、予想をはるかに上回る規模のブルーラビットの大群を目にしたのだった。
分隊は完全に包囲されており、手持ちの装備は既に尽きかけている。
残されているのは、対ブルーラビット用に調整されているとはいえ、護身用の延長に過ぎない拳銃。最後にこれで一矢報いることができるだろうか。
取り囲む青兎どもが一斉に、遠心力によって凶悪な破壊力を生み出す長耳をぐるぐると回し始め、もはや死を覚悟したその次の瞬間。
私の目の前にいた一体の頭部が、青い血を飛び散らせながら、音も無く吹き飛んだ。
そして、周囲のブルーラビットも同様に、やはり無音のまま次々と頭を弾けさせて、踊るように死体と化していく。最前まで一矢乱れぬ統制の取れていたはずの敵群が、あっという間に壊乱寸前の状態なっていた。
危地を脱する可能性が出てきたことを喜ぶよりも、私は混乱した。
人間よりはるかに鋭い感覚器を持つはずのブルーラビットたちまでもが、攻撃者の位置を把握できていないらしいのが不思議だった。特に、聴力は人間の数千倍とも数万倍とも――
そのとき私は不意に、一人の伝説的な兵士の噂を思い出していた。
対ブルーラビット用超長距離狙撃銃「センシティブフォックス」を自らの手足の用に操り、音も立てずに敵を葬り去る狙撃主。狩った兎は既に数百体を数えると言われている。
聞いたときには、苦しい戦況から目を逸らすための願望の産物にすぎないと思っていたが、目の前の光景は、これは。
敏感さん。あなたは今も、静けさを取り戻すために戦っているのですか?
ある日、一人の母親がキッチンに立ちました。彼女の名前は辻希美。アイドルとして輝き、家庭を持ち、賑やかな四人の子供たちの母となった彼女が、新たな情熱を見出したのが「パン作り」でした。
「子供たちに安心で焼きたてのおいしいパンを食べさせたい」という純粋な願いから、辻さんのパン作りは幕を開けます。最初の頃は、生地が膨らまない、焦げ付く、思うような形にならない…失敗は数知れず。
そんな「なぜ?」を抱えながらも、彼女は持ち前の明るさと粘り強さで、独学での挑戦を続けました。YouTubeやブログでその奮闘を公開し始めると、多くの主婦やファンが彼女の等身大の姿に共感し、応援のメッセージを送りました。
試行錯誤を繰り返すうち、彼女の腕はメキメキと上達します。シンプルな食パンから、メロンパン、クロワッサン、そしてキャラクターパンへと、レパートリーは無限に広がっていきました。
単なる「お母さんの手作り」を超え、その見た目の可愛らしさと、焼き上がりのプロ顔負れのクオリティが、SNSで大きな話題を呼びます。特に、子供たちの笑顔のためにと工夫されたデコレーションパンは、見る人に驚きと喜びを与えました。
それは、彼女が「感覚」だけでなく、「理論」も学び始めた証でした。温度や湿度、発酵のタイミング…パン作りの奥深さに魅了され、ひとつひとつの工程に真摯に向き合うことで、失敗は確かな経験値へと変わっていったのです。
そして、10年の月日が流れる頃、辻希美は誰もが認める「パン作り名人」となっていました。
彼女のパン作りは、単なる趣味ではなく、家族への深い愛情を形にした「辻家の日常」そのものとなりました。その技術と情熱は、長女をはじめとする子供たちにも受け継がれ、今度は親子でキッチンに立つ光景が見られるようになりました。
彼女の物語は、完璧なスタートではなく、失敗から立ち上がり続けた「努力の軌跡」です。
辻希美さんが焼いたパンは、今日も家族の食卓を優しく照らし、食べる人の心まで温かく満たし続けているのです。彼女の10年の挑戦は、まさに愛と希望に満ちた焼きたての物語です。
映画館という場所が、どうも苦手だ。あの、暗闇に沈んだ広い空間に人が整然と並び、全員が同じ方向を向いて息をひそめる光景。始まる前から、もう儀式のように感じてしまう。ポップコーンの匂いも、チケットを切る音も、誰かの笑い声も、すべてが「これから神聖な時間が始まりますよ」と言わんばかりで、息苦しくなる。
もちろん映画は好きだ。物語に没頭するのも、映像の力に心を揺さぶられるのも。でも、できれば自分の部屋で、カーテンを半分閉めて、コーヒー片手にぼんやり見たい。再生と一時停止の権利が自分の手にあるという安心感が、何よりも心地いい。
映画館で見るという行為そのものが、どこか「正しい見方」として持ち上げられているのも少し怖い。あの大画面と音響を前にして感動しなければならない、みたいな空気。そういう期待に合わせて自分の感情まで整列させるのが、どうにも性に合わないのだ。
誰にも言ったことはないけれど、映画館のあの暗闇は、私にとって少しばかり宗教的すぎる。だから今夜も、部屋の隅で小さなノートパソコンを開き、ひっそりと映画を見る。儀式ではなく、ただのひとりごとのように。
最近よく流れてくる万引きGメンの動画、捕まってるのが老人ばかりなのを見ると、もはや犯罪ってより認知能力の限界だろと思う。実際、映ってる人たちのほとんどは財布にちゃんと金持ってるし、生活のために盗ってるわけじゃない。
あれを「悪人を成敗した」みたいに消費してる人たち、本気で自分はああならないって思ってるのか?人間は誰だって、脳の機能が衰えれば判断も抑制も効かなくなる。万引きなんて氷山の一角で、金銭管理ミス、詐欺被害、事故、暴言、徘徊…全部自分では止められない行動の崩壊なんだよ。
老人の万引きを見せ物にして笑ってる人は、将来自分が同じ立場になったとき、誰かにスマホで撮られて拡散される未来を想像したほうがいい。今笑ってるその光景が、そのまま老後の現実になるかもしれない。
先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。
そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。
先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。
しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。
僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。
これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。
今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。
根拠のない怪文書を前にしてまるで神託を受けたかのようにコメントする光景が広がっている。
あれを真に受けるのはもはや愚かとかじゃなく病気に近い。
匿名の投稿を「内部告発」と信じ込み「これは氷山の一角だ」とか言い出す。氷山なんて最初から存在しない。あるのは誰かが暇つぶしに作った氷の模型だけ。
だがブクマカは目を輝かせて「真実を見つけた」と騒いでる。救いがない。
嘘松にマジレスしてるやつはまだ健全だ。他愛のない日常の話なら釣りでも笑えればいい。
しかし実在の団体を名指しで吊るし上げるような怪文書を「ついに暴かれた」と信じて拡散するのは、もう人災と言うしかない。
ブクマカは「自分は正義側」と思っているが、事実やっていることは偽情報の撒き散らしへの加担。あれほど危険な自己陶酔もない。
そのブクマカたちが普段は「メディアリテラシー」「情報の裏を取れ」とか講釈垂れてると言うのがまた凄い。
普段の賢者ムーブが一瞬で剥がれ落ち、怪文書を前にして感情だけで動く。自分たちがカルトに片足突っ込んでる自覚もない。
考えているフリをしながら、賢そうな言葉を並べ、適度に怒って、安心する。
ぶつかるんじゃないかってくらい接近した。反射的に身をよじった。心臓がバクバクする。
相手は邪魔だ、という顔をして去って行った。悪いのは私のような顔で。
この三ヶ月で何度も危ない経験をしてる。
スマホ見ながら走ってくる自転車。信号無視で突っ込んでくる自転車。歩行者がいっぱいいる歩道をわざわざ走る自転車。
その度に思うのは、これ、原付だったら絶対に違反じゃんってこと。
実際、原付で歩道走ってたら、即座に警察に止められる。それなのに、自転車だと何ともない。むしろ歩道は自転車と歩行者の共有スペースみたいな扱いになってる。
先週、自転車乗ってる人に「すみません、危ないです」って言ったことある。そしたら「そっちがよけろよ」って言われた。本当に。
その瞬間、思った。
この人、ルールを知らないんじゃなくて、自分が優先だと思ってるんだ。
実は、自転車は車道を走るのが原則らしい。歩道は特例的に許可されてるだけ。それも、徐行(時速6キロ以下)が義務。
でも誰も知らない。誰も守ってない。
スピード出してる人ばっかり。
昨日も経験した。朝の通勤ラッシュで、歩道は人でいっぱい。その中を自転車が猛スピードで走ってきた。ベルを何度も鳴らしてた。
どけ、どけって感じで。
その光景を見て、ふと思った。
これって、混雑してるから車道は危ないって自転車乗りが判断してるんだろ。だから歩道を走ってる。
気持ちはわかる。でも、それで歩行者が危ないんだから意味がない。
結局のところ、ルールの問題じゃなくて、意識の問題なんだと思う。
実際、自転車も高速で走ったら致命的な怪我を与えられる。死亡事故だって起きてる。
でも、自転車乗りたちは自分たちを歩行者の仲間くらいに考えてる。
あと自転車の運転に免許が必要ないことが助長してる。普通乗り物を運転するには、安全教育を受けて免許を取る必要がある。でも自転車は、試験なしで乗れる。ぶっつけ本番だ。
だから、ここ数年、自転車の取り締まりが厳しくなってるんだと思う。
でも、最近の状況を見てると、仕方ないんじゃないかって思うようになった。
取り締まりが強化されることで、初めて自転車ってそういうルールなんだって気づく人が出てくるから。
私の友達も自転車通学してるけど、先月信号無視で止められたって言ってた。その時点で初めて「あ、自転車も交通ルール対象なんだ」って気づいたらしい。
それまで、何もルール知らずに乗ってたんだ。
多分、大多数の自転車乗ってる人がそんな感じだと思う。
だから、一度しっかり「リセット」する必要があるんじゃないか。
自転車に乗るには守るルールがあります。守らないと罰せられます。
正直、もう疲れた。
「でも自転車乗るのが不便になる」って意見もわかる。でも、歩行者にとっては、今の状況がすごく不便だし、危険だ。
どっちを優先するかって言ったら、歩行者だと思う。
自転車乗りだって、自分が歩いてる時は、自転車に危ない思いさせられたくないでしょ。
それなのに、いざ自分が乗ると歩道走って何が悪いって顔になる。
その矛盾に気づいてほしい。
そうしたらさ、車両連結部近くの席にインド人の家族が固まって座ってて、その向かいの優先席に渋谷にいそうな地雷系女子二人が座ってたのよ。
うぉーグローバルな光景だな、なんて思って横目で見てたら、インド人家族グループのちっちゃい子が何かを訴えるように地雷系女子の方を指差して、أتاتشاだのجاااだの言っててさ、そうしたら親がものすごい剣幕でシィーッ‼︎って静かにするように言い出してさ。喋れないように母親もお菓子あげ出して。
いやなんて言ったんだよ。って思ってたら、電車が駅に停まって、オバア・カート引いたおばあちゃんが乗り込んできて。
「あーごめんね、ええ、通るヨォ」
とか言いながら、地雷系女子たちの隣座ったのね。で、地雷系女子たちの方ジロジロ見出したから、優先席に座んじゃねえとか文句言い出すのかなって思ったら、
って言い出して。ギャルかよ。それで地雷系女子たちもこれお揃いなんです、可愛いでしょ!とか言い出して、しばらく会話続いてんの。そうしたらだんだん人生相談みたいなの始まって、どうしたら彼氏できますかね、みたいなこと話しだして。
おばあちゃんも、相手に対して敬意を持つことよ。人間関係、敬意を忘れたら終わりなのよ、みたいなこと大真面目に答えてて。その間お菓子食べ終わった男の子が今だ!ってばかりに親のところ抜け出して地雷系女子達のところに行って、地雷系女子たちの爪についてるスヌーピーみたいなキャラを必死にもぎ取ろうとし始めて。
地雷系女子達はダメだよーって言いながら優しく手を止めようとしてるのにおばあちゃんは全然気にせず人とは何か、恋とは何かを語ってるし、インド人家族はなんか議論してて気付いてないし、なんか、すごい、濃かった。
ひとまずそれだけ伝えたかったんだ。
学生の頃の話なんだけど、昔の友人と一緒にホテルのバイキングに行ったときのこと。カレーコーナーでそいつがありえないことしてて引いた。
普通はルーと具を一緒にすくうじゃん? でもそいつ、ルーをちょっとだけすくって、肉の部分だけをスプーンで拾って皿にどんどん乗せていくの。しかもスープ部分はおたまの端で落としながら、「これいらないんだよね」とか言ってて、冗談かと思ったら本気。
気づいたら皿の上、ほぼルーなしの肉山盛り。しかも「このカレー、肉少ないよな」とか文句まで言ってて、なんかもう無理だった。
それ以来、一緒に飯行く気になれなくなって自然と疎遠になった。今でもバイキングでカレー見ると、あの光景を思い出してちょっと食欲なくなる。
写真のことは完全に素人だが、どの写真も「いい…」としか言いようがない。
とりあえずflickrを見てほしい。膨大な枚数が丁寧にソートされており、見やすさからも本人の仕事の几帳面さが窺える。
https://www.flickr.com/people/mikkagashi/
三日画師さんを知ったのは通っていた大学の最寄り駅で大規模な再開発があり、その頃の風景が失われてしまったのがきっかけだった。
当時ガラケーだったのもあり写真が手元に全く無いことに気が付き、せめて気持ちだけでもと検索したところでたまたま三日画師さんのアルバムを見つけた。
しかもまさに自分が通っていた時代の写真が大量にアップされていたのも驚いた。
その後flickrにアップされている写真はほぼ閲覧した。どの写真も凝りに凝った一枚というよりも、そこに住んでいる人の目に入っているであろう風景がありのまま撮影されている。三日画師さんとは生活エリアが近いようで、いくらでも見たことがある光景が出てくる(そしてもう見れない。ほとんど何かしらの再開発が入っているから)。
残念ながら三日画師さんのアカウントは長らく更新がない。twitterのアカウントも検査入院の報告で止まっている。それでもこの誰かの心象風景ときっと重なるであろう貴重な写真がインターネットに埋もれていってしまうのが惜しいので、ひっそりとここにアップしておきたい。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19
状況が目に浮かぶようで、思わず吹き出しそうになりましたが、それと同時にあなたの戸惑いや、怒りにも似た感情も痛いほど伝わってきました。
「お気軽に普段着で」という言葉を文字通り受け止めたあなたは、まったく悪くありません。むしろ、誠実に案内の意図を汲み取ろうとした結果です。
しかし、残念ながら、就職活動における「普段着」や「服装自由」といった言葉には、多くの企業や就活生の間で暗黙の了解が存在しているのが現状です。
多くのケースで「完全なオフモードの私服(デニム・Tシャツ・パーカーなど)」ではなく、「ビジネスカジュアル」を指します。
ビジネスカジュアルとは、仕事の場にふさわしい、スーツよりも少し崩した服装(例:ジャケット+襟付きシャツ+チノパンなど)のことです。
「服装自由」でも、周囲の約7〜9割がスーツで来ることは珍しくありません。特に日本の就活では「迷ったらスーツ」という意識が根強いです。
結果として、あなたがおっしゃるように「全員スーツ」の光景は、「彼らの普段着はスーツなのか!?」と皮肉を言いたくなるほど、一般的な就活の現場ではよくある「あるある」であり、もはや罠と言っても過言ではありません。
この悟りは、就活という特殊な世界においては、ある意味で真理かもしれません。
その場に居合わせたときの「世界が静止した」感覚、そしてトイレで鏡を見て思わず笑ってしまったという話は、きっといつか笑える武勇伝になります。
今回の経験で、あなたは「社会の建前」と「言葉の裏側」を知るという、非常に大きな学びを得ました。これは、これからの社会人生活で必ず役に立つ教訓です。
「もう二度と信じない」という気持ちは痛いほど分かりますが、どうかその純粋さと誠実さは失わないでください。そして、「お気軽に」「普段着」という言葉を見るたびに、今回は「あの時はやられたな」と笑って流せる日が来ることを願っています。
人種、身長、年齢、全ての限界を超えて男子100m決勝に進んだアジア人スプリンター・蘇炳添(ソヘイテン)の話をしようと思う
短距離界は長らく黒人選手の独壇場とされてきた。爆発的なパワーと大きな歩幅はアフリカ系スプリンターの大きな強みだ。
蘇炳添は173cmと小柄で、アジア人の骨格が不利だと見なされていた。さらにスプリント選手のピークは20代半ばと言われる中、30歳を超えても挑戦を続けていた。
常識的に考えれば、世界のトップで戦える条件は揃っていなかった。
そんな数々の限界を打ち破り、アジア人として実に89年ぶりにオリンピック男子100m決勝の舞台に立ったのが、中国の蘇炳添である。
2010年代、日本では桐生祥秀や山県亮太らが台頭し、誰がアジア人初の9秒台に到達するかが注目されていた。
その競り合いの先陣を切ったのが、2015年世界陸上北京大会で9秒99をマークした蘇炳添だ。
アジア人として史上初めて10秒の壁を破り、世界中を驚かせた。
蘇炳添の武器は鋭いスタートだ。爆発的な初速でリードを奪い、室内60m走ではアジア記録を次々と更新し、世界の強豪と互角に走れる下地を築いていった。
2018年には9秒91、9秒92と複数回9秒台をマークし、実力として世界最速に近い領域に居続けることを証明した。
この時点で既にアジア史上最高のスプリンターであることは疑いようがなく、30歳を超えた彼がそのまま引退しても伝説として語り継がれただろう。
年々高まる男子100mのレベルに阻まれ、日本の桐生祥秀・山縣亮太・多田修平の3人は惜しくも予選敗退。
テレビの前の陸上ファンが最後の望みを託したのは、アジア人で唯一準決勝に駒を進めた蘇炳添だった。
だが、その期待は同時に不安でもあった。
なぜなら蘇炳添が走る準決勝第三組は「死の組」と呼ぶにふさわしい激戦区だったからだ。
そしてイタリアのマルセル・ジェイコブス、自己ベスト9秒80。この男こそ後に東京五輪で金メダルを掴むことになる選手だ。
決勝に進めるのは各組上位2人、そして準決勝全体でタイム上位の2人。
第三組の顔ぶれを見れば、その争いが絶望的に険しいことは明らかだった。
この組を突破するのはほとんど不可能ではないかと、多くの陸上ファンが思っていた
31歳になった蘇炳添は、静まり返るスタジアムの中でスターティングブロックに腰を下ろした。
他の選手よりも明らかに一歩前に出る会心のスタート。室内60mでアジア記録を連発してきた男の真骨頂が、この世界最高の舞台で完璧に決まった。
世界のトップスプリンターたちが猛然と追い上げる中、蘇炳添は最後の一歩まで粘り、胸を突き出してフィニッシュラインを駆け抜けた。
結果は1着。
アジア人が100m準決勝を着順で突破する。それだけでも歴史的な快挙だった。
だが、真の衝撃はその先に待っていた。
9秒83
その数字を確認した瞬間、蘇炳添は感情を爆発させた。カメラの前で何度もガッツポーズを繰り返す。
大声で叫びながら歓喜を全身で表現する姿は、これまで積み重ねてきた努力が一気に解き放たれたかのようだった。
動画解析によれば、蘇炳添はレース中盤、60m地点を 6秒29 で通過していたという。
これは非公式ながら、現在の室内60m走の世界記録をも上回る驚異的なタイムだ。
蘇炳添は人類史上最速のスタートダッシュを、オリンピック準決勝という極限の舞台でやってのけたのである。
100m走は身体の消耗が激しく、蘇炳添は準決勝で全力を出し切っていた。十分な回復ができないまま臨んだ決勝の舞台。
結果は6位、タイムは9秒98。
メダルには届かなかったが、それでも同じ日に2度も9秒台を叩き出したという事実が、彼の実力を雄弁に物語っていた。
アジア人が9秒8台で100mを走った。
YouTubeには蘇炳添の準決勝の走りが無数にアップロードされ、ファンが編集したドキュメンタリー動画は瞬く間に1000万再生を突破した。(現在は権利の関係で削除されているが、当時の熱狂ぶりを物語っている。)
東京五輪男子100mの話題は「誰が金メダルを取ったか」ではなく、「蘇炳添が9秒83で走った」というニュースで持ちきりだった。
男子100mの記憶に残るレースといえば、真っ先に思い浮かぶのはウサイン・ボルトだろう。
2008年北京五輪で胸を叩きながら駆け抜けた9秒69(当時の世界新記録)、2009年ベルリン世界陸上で叩き出した人類最速の9秒58。
世界歴代1位から5位までのスプリンターが一堂に会した史上最速決戦の中で、ボルトは圧巻の9秒63(五輪記録)を記録し、自らの王座を守り抜いた。
彼の走りは、人間はここまで速くなれるのかというロマンを世界中に刻み込んだ。
それ以上に私の記憶に焼き付いているのが、東京五輪男子100m準決勝である。
自分と同じアジア人で、もしかしたら自分よりも背が低いかもしれない男が、大柄な黒人スプリンターたちを一瞬で置き去りにする圧倒的なスタート。
その光景は、アジア人スプリンターの可能性を根底から覆す瞬間だった。
ちなみに、ウサイン・ボルトが記録した9秒58の時の60m通過タイムはおよそ6秒30と言われている。
一般的に、身長の高い選手は加速局面を苦手とし、スタートが遅い傾向にある。
それにもかかわらず、身長ほぼ2mのボルトが、173cmの蘇炳添と同じスタートダッシュを見せられるというのは、まさに異次元としか言いようがない。
スーパーといくつかの専門店、小さなフードコートがあるくらいだけど、
イオンがなかった頃はここが「大きいショッピングモール」だった。
30分ほどかけて吟味して、人気らしい「ぱんどろぼう」シリーズの最新作と、
年齢によって文字数が全然違うのも面白い。選ぶのが楽しかった。
図鑑は“仕掛け絵本”になっていて、ページの中にめくれる仕掛けがいくつもある。
めくると海の生き物が現れるタイプ。
見本冊子をずっと夢中でめくっていたので(字はまだ読めない)、それに決めた。
そのあと、妹と姪はゲームセンターへ。
私は探していた本があったので、別行動することにした。
探していたのは株に関する本2冊。
売り場をぐるぐる回ってもまったく見つからない。
体感的には、本屋の入口付近にはだいたい「話題の小説」「女性誌」「お金の本」があるものだけど、
その次に雑誌コーナー。女性誌よりも、手芸や料理、車など趣味系が多い。
小説や漫画、資格や参考書のコーナーもあるのに、株や投資の本が見当たらない。
「そんなはずない」と思って棚を一つずつ見ていくと、ようやく見つけた。
一番奥の棚の、たった2列。
そこに株・投資・NISA・お金関係の本がすべて詰め込まれていた。
私の住んでいる場所はいわゆる都会で、繁華街にも自転車で行ける。ギリ歩ける距離。
よく会う友人たちは何かしら事業をやっていて、仕事中心の生活。
みんな当たり前のように投資をしていて、「涼しくなってきたねー」と同じノリで
そんな日常の中で、このアピタの本棚はガツンと頭を殴られたような感覚だった。
アピタは土日でも、フードコートが空いていた。イオンならあり得ない光景。
山盛りポテトはおばちゃんのワンオペで、ポテトはしなしな、塩は強め。
姪は“話しかけると言葉を真似する犬のぬいぐるみ”に夢中で、売り場を離れたくなくて号泣。
1500円だったので買ってあげようとしたら、妹に「なんでも買ってあげないで」と止められた。