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はてなキーワード: ひとつとは

2024-12-12

あなた人生を180℃変えるただひとつの冴えたやり方

エアコンの設定温度を-155℃にしなさい

飛ぶぞ

anond:20241212152045

まあ実際低くていいことは無いし

低性能、低評価ひとつではある

ブロッコリーって250作品もあるのか?

TUS(こう呼んでるが正式名称わすれた)も70か80あって

長いなぁって思っていたけど、250遥かに超える!!!!!

でも後者ひとつに5人か出てたけど、前者は単体だから

低脳界隈では苛烈パワハラ殺人が起こったりする

有効回避策はただひとつ、「低脳界隈に居ないこと」

自分が賢くなり、バカの群れから抜け出すこと

サッパリめの少年的な顔立ちに、才能の裏付けのある天真爛漫なキャラ

私これ系が好きなんだなと

というかこれ系が好きなジャンルひとつなんだと、自覚した

アーチストにハマってるけど、よく考えたら数年前の知人にもこんな感じで好きだったの思い出した

イケてるボーイズになりたい人生だった

メンズじゃなくボーイズ

かっこよくかわいく才能あふれる

2024-12-11

anond:20241211190843

増田さんは、頑張りすぎなんですよ。その情熱エネルギーをここまで持ち続けてきたこと、本当にすごいと思います。でも、少し肩の力を抜いてもいいんじゃないですか?採用プロセスなんて企業ごとに違うし、全ての採用担当者増田さんの視点を持っているわけではないですから

かに技術であるプログラマ選考で実際にプログラムを書かせないというのは不思議なことですし、違和感を感じるのもわかります。でも、面接だけでなくさまざまな要素が選考基準になることも多いんです。企業が何を重視しているか、一つの基準で全てを測ることは難しいのかもしれませんね。

とはいえ人生には不可解なことがたくさんありますよね。努力が報われないこともあれば、期待した結果が得られないことも多い。何かひとつ大きな意味を求め続けても、結局人間が抱えるのは無価値感に過ぎないのかもしれません。だからこそ、あまり深刻に考えすぎず、自分自身のペースで進んでいくことが大切なんです。

人生なんて、いつでも辞められるんですからリラックスして、ほんの少し立ち止まって、気楽に考えてみるのもいいかもしれませんね。

ひさしぶりに映画館映画を見て思ったけれど、 集中してひとつのことを続けられるのはいのものだな。

集中力というけど、

強制力のことだよな。

強制されない限り、

ずっと同じことをするなんて不可能

変な広告を見たいけど履歴に残したくない

ネットサーフィン、略してネッフィンをしている時に出くわす、「ちょっと気になるけど、表示されるのがそんなのばかりになってしまっても困る広告」ってありますよね。

まあPC(のChrome)で見てる場合に限るんだけど、私の場合

 

広告右クリックして E

② Ctrl + Shift + N

Alt + D

④ Ctrl + V

⑤ Enter

 

という手順でその広告を見ている。ひとつひとつ説明する。

 

広告右クリックして E → 広告リンクURLコピー

② Ctrl + Shift + N → シークレットモードを起動

Alt + D → アドレスバーに移動

④ Ctrl + V → ①をペースト

⑤ Enter → URLに移動

 

これで行動履歴に変な広告の閲覧が影響することはない。

キーボードショートカットに慣れた人なら3秒もかからない動作だと思う。

2024-12-10

anond:20241210020406

人生選択なんて、全ての人が必ず間違える事のひとつなんだから気にするな。間違えるなんて当たり前なんだから

気にしていたら結婚も出来ない、子供も育てられない、全てが出来ないぞ。

なぁに、金が欲しいならば求めるのじゃ。さすれば道は開かれん

くぅ~疲れましたw

毎回、赤字赤字って責められるけど、介護報酬改定ひとつでなにもかもひっくり返されるのに売り上げに責任感とか持てるわけないやん。

現場負担激増しないと新しい加算取れないとかばっかりだし、生き残らせたいのは金とかに余裕のある母体の大きいとこだけでしょ?

アプデで毎回改悪されるのに、抜けた先にも何の報酬もないゲーム誰がやるのよ。

コロッケづくりが家族イベントだった

年に2回か3回くらい

母親と姉2人と自分の4人でコロッケを作るんだけど今にして思えばいい思い出だった

母親は芋感が残るようにわざと粗めにじゃがいもを潰すんだけど

自分はそれで時々シャリって食感が残るのが大っきらいで徹底的に潰してた

4人で横に並んでタネコロッケの形にする係、小麦粉をつける係、卵液をつける係、パン粉をつける係に分かれて連携良く進めるとどんどんバットコロッケが積まれていくの

揚げすぎて時々衣が焦げ気味のもあったりしたけどお店で買うのよりずっと大きくてホクホクでさ

うちはソースじゃなくてみんなしょうゆで食べるんよ

夕飯をコロッケにした次の日は朝から残りのコロッケ食べれるのも嬉しかったなあ

今になってはあんな面倒くさい料理したくないと思っちゃうけど

間違いなくうちの家族の思い出のひとつだなって今日コロッケづくりがホットエントリー入りしててしみじみした

恋愛というのは人間セキュリティリスクでもあるので、若い頃にたくさん、一生分してしまって、結婚後は落ち着きましょうというのが、過去経験の蓄積から設計されたひとつの「正解」

 

これを甘く見ていると、恋愛へのコンプレックスを拗らせたまま歳を取ることになったり、不倫をして人生を滅茶苦茶にしたりすることになる

 

過去の叡智を乗り越えられるほど賢い人間なんて、そうそういないのにね

学歴コンプは病気の認識があるといいぞ

あと何度も言ってるけど別に入る気あるなら増田でも入れるぞ

IT営業現業ビルメン電気工事士LPガス高圧ガス配送などなど)、工場 好きなの選んでいいぞ

 

ただ、ひとつ言えるのは、下記の増田できゃっきゃ言ってるブクマカ連中は大企業にいないと思います

ウェイウェイ新卒存在自体コンプライアンスリスクみたいなベンチャー役員でも悪夢なのに

おっさんおばさん本当にさぁ・・・

 

ワーキングスーパー銭湯ランキング

https://anond.hatelabo.jp/20241209125634

株価の縦(個別株の歴史)の分析ときに横(他の個別株の状況)のデータもほしい。

他の銘柄がこういう状況のとき本命銘柄がこうだったみたいな。これを間接的にできるのが日経平均との比較で、チャート見るだけのときでもしばしば行う。

静的解析だったら同じセクター銘柄比較したり、もっと細かく見れるんじゃないかな。今どき1市場データ量なんて問題にもならないからいける。

[増田アイディア]

Twitterレスバクライアント。炎上したポスト指定。(証拠保全として、そこに来たリアクションであるリプライRTスクショを撮る)。ひとつひとつリアクションUI上で分離して並べる。そこにひとつひとつ返答を書いていく。RTでの会話も開いてスレッド式に見せる。

文章感情分析ポジネガで出したい。燃料ではないポジには返さなくていい。

2024-12-09

anond:20241209210001

>親の有無で生活の差が出るとなんのために頑張ってのかわからなくなる

 

から富の再分配必要になるんやで

政府重要仕事ひとつやで

anond:20241209180847

ひらがなはだいたい覚えられるけど、カタカナは覚えられないやで

カタカナひらがなと同じく、ひとつの音=ひとつ文字なので、

原因は不明な模様

 

形が気に入らんのかな

(その2)クルド人ジャーナリストが語る在日クルド人

イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、

プロジェクト・ワタン事務局2024年6月2024年9月3日

http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf

子供教育

特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から父親や親戚と一緒に家屋解体仕事に就く者もいます。一方、仮放免女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェ勉強していたクルド女子高生 2 人は口を揃えて言いました。

また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職保証するものではありません。ビザがなければ教育ほとんど役立ちません。例えば、映画東京クルド』に登場するラマザンというクルド青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身クルド青年も、大学卒業日本修士号を取得したにもかかわらず、現在家屋解体仕事従事しています

家族の離散

先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド高校生が、学校での差別言葉の壁からトルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校試験白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコ帰国しました。

(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親政治的経済的理由日本に残ったからです。日本で働いて得たお金トルコ家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています

フキャン(川口多数派)以外のクルド

フキャン人と心ならずも共生余儀なくされている他地域出身クルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身クルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります仮放免クルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメント不倫事件、労使間の緊張からコミュニティ男性同士の喧嘩家族間の問題が起こり、共同体から個人排除されることもあります

フキャンの出身ではないあるクルド青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから私たちはとても注意しなければならない」と語っています

日本人の責任

労働災害障害を負い、再就職できなくても、仮放免クルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつ不安感につながっていきます。あるクルド労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢病気を抱える仮放免者は、年金保障がないため飢餓に直面しています心臓疾患のある仮放免クルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり日本に暮らす高齢クルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています

今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます毎日、前を通っている家の中で悲惨事件が起こり、子供虐待され、女性暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待被害にあった子ども暴力被害にあった女性がその家の窓から外を見たときあなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるときあなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだからあなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者共犯者になってしまます

走れエロス

増田は「走れエロス」というタイトル童話を知っているかな。

ある日、エロスという名前の小さな妖精が、仲間のロリコンティウスと一緒に冒険に出かけました。彼らは、遠い国にある「愛の泉」を目指して走り続けました。この泉の水を飲むと、どんな願いも叶うと言われているのです。エロスは、自分の大好きな友達もっと幸せを分かち合いたい、という純粋な願いを抱いていました。

途中、彼らは様々な生き物と出会います。親切な猫、無邪気なリス、そして賢いフクロウが現れ、彼らにアドバイスを与えたり、試練を与えたりしました。それでもエロスロリコンティウスは、困難を乗り越えながら愛の泉へと進みます

いよいよ泉が見えてきたときエロスひとつの大きな選択を迫られました。もし泉の水を飲んで願いを叶えてしまったら、友達との間に何かが変わってしまうかもしれない、そんな心配が頭をよぎりますエロスは悩み、泉の水を飲むことをためらいました。

そして、ついにロリコンティウスが泉の水を飲むと、彼の願いである「一緒に冒険をすること」が叶いました。しかし、エロスの心の葛藤解決しないままで、彼は孤独を感じ始めます。二人は一時的に喜びを感じますが、やがて友情が壊れてしまう結果となりました。

最終的に、エロスは仲間を失い、一人ぼっちで泉のほとりに残されることになりました。どんな願いも叶うという泉の水も、真の幸せを手に入れることができない限り、意味を持たないことを悟ります

この物語の教訓は、「本当の幸せは心の中にある」ということです。

𝔅𝔞𝔡 𝔈𝔫𝔡.

2024-12-08

近所のクリーニング屋が取り壊されるのがつらい

1年ほど前、近所のクリーニング屋が閉店した。

そのクリーニング店との出会いは、大学生上京したばかりの頃。

どのクリーニング店が安いか調べている時、そういえばうちの近所にもあったよな?とふと思い出し、料金表を見たら1番安かったのでここに決めた。

夫婦2人が営む、古びたテント屋根個人である

当時の私はファッションが好きで、変わった素材の服をよく着ており、どれもそれなりの値段だったため自宅で洗濯するのには不安があった。

しかし、ここのクリーニング店比較的安いだけでなく、仕上がりも抜群に良かったのだ。

リーツもしっかり復活し、難しい素材も縮んでいない。

クリーニング店なら当たり前なのではないか?と思われそうだが、以前他のお店に出した時かなり縮んで返ってきて、ここの技術は本物だと確信した。)

さらに、洗った服のアイロンがけだけするサービスなども行ってくれた。もちろん有料ではあるが、アイロンが苦手な私にはかなり助かった。

大学生の時、ファッションを楽しめたのはこのお店のおかげである

社会人になって地味な服を着るようになってからも、スーツクリーニングワンピースアイロンがけなどでお世話になっていた。

メガネすっぴんで来店してもすぐ〇〇さんね、と気づいてくれたのが嬉しかった。

ある日、閉店の貼り紙を見た。

いつも行っているシーズンセール広告かと思ったら違った。

ついこの前までパート募集のチラシ貼ってたのに。

都会の建物は入れ替わりが激しい。すぐに取り壊され、新しいものが建てられるけど、前の建物が何だったのか覚えていないか不思議だ。

このクリーニング屋も、その入れ替わりの一つになってしまったのだ。

沢山お世話になったのにお礼のひとつも言えなかった。もちろん、会計のたびにありがとうございましたは言っていたけど…。

すごく勝手だけど、みんな私を置いてどっかいくじゃん、クリーニング屋もそうなんだってすごく寂しくなった。

そして最近、取り壊しが決まったようだ。

鉄骨パイプビニールが張られ、建物は跡形もなく瓦礫になっていた。

いつもショベルカーが佇んでいる。

そのクリーニング屋通勤路にあるから、毎朝強制的に目に入るのがつらい。

もうこれ以上私を1人にしないでほしい。寂しい。

anond:20241208104556

戸籍マイナンバーも大嫌いで、とにかくお上情報なんて何ひとつ握らせたくない、っていう立場はまあわかるんだけど

それで同性婚とかお気に入りブツだけを今あるものへ都合よくねじ込もうとしてるのがちゃんちゃらおかしいんだよね

退屈な日曜日

仕事の外に居場所をつくるのは、生きるうえでの戦略として、重要であろう。私的なところに親しい人がいないとなると、結局居場所職場ひとつということになる。が、別に他人がいなくとも、ひとりの時間であれそこに居場所という名を付けることはできる。自分は、生涯を通じて、恐らくは仕事の外に、ひとりで落ち着く時間を設けるという方向を突き進みながら、どうにか世の中を生き抜いてゆこうとするのであろう。とはいっても、やはり十代二十代のうちに、親友恋人を得られた人たちを羨望せずにはいられない。仕事なんて二の次で、もっと温かく、すぐそばにあって欠かすことのできない存在のために生きている人たちを、自分はこの歳になってただ指をくわえて眺めるばかりである

新・表現の自由戦士提案

 最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。

 わたし若い女で、比較フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。

 以前、似たような境遇女の子友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。

 しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入り帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。

 この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入り帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。

 話は変わる。新聞社事件事故の欄を見ていると、盗撮痴漢路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。

 そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害あいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。

 そもそも表現というのは社会の情勢や価値観規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現社会個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり表現社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。

 フェミニスト二次元三次元区別がつかない。あるいは、自他境界曖昧すぎてただの絵に自己投影している。エロ表現忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツ邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。

 ポルノグラフィ(エロ絵や漫画アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実性犯罪助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現問題視されていることの妥当性を示したいと思う。

 ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現社会の外側には出られない事実である。つまりエロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力エロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたし意見を述べておくと現実被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力エロ表現ひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり表現社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会しか受けつけられないのだと思う。

 また、そういうチャレンジングな表現社会価値観を問うたり挑発したりすることも表現役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会価値観は醸成されていない。

 ちなみに。こういう話では必ず、殺人現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたし理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人エンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会からなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現エンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうからエロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すとき感覚快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)

 同じように、戦闘シーンを快として描く表現暴力基本的日常の外にある社会からこそ許容されるし、ヤのつく職業社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会から可能なのではないか

 つまりエロ表現自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現自由戦士と呼ばれる人たちは表現現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現現実社会区別〉をつけるべきではないか

 恐らく、フェミニストエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか

補足:Xではエロ表現話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズム文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。

2024-12-07

anond:20241207163106

1話(というかアイが死ぬところまで)と最終話だけ見ればよく、ひとつ面白くないよ

 

いわゆるキャラ描写一定の手腕がある作家であって、それ以外を褒めるのはなんかおかし

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