はてなキーワード: 主題とは
あなたの文章にはいくつかのテーマが含まれています。ユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。
ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的・自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます。
トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります:
つまり、人間は決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。
この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的な自然の流れに対して、神的な選択を行う余地そのものを象徴しているとも言えます。
あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。
ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にあります。タルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います:
「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」
つまり、予測不能な行為も偶然も、本当の自由は倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます。
「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」
つまり、自由意志の究極の目的は倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。
| あなたの主題 | ユダヤ的視点 |
| ズレ・予測不能性 | 自然や決定論を超えた自由意志の表れ |
| 量子乱数・偶然 | 神の摂理の一部であり、倫理的選択の舞台 |
| 自由意志 | 神に似せて創られた人間の本質 |
| 倫理的行動 | 自由意志の目的。創造のパートナーとなる道 |
全員がイーロンマスクや大谷翔平のように働く必要はないが、上を目指したいなら相手はああいう人達、ワークライフバランスと言っていて勝てるのか
私は今、嬉しいというよりも、本当にこれからが大変なことだ。皆様と一緒に力を合わせてやらなきゃいけないことが山ほどある。そう思っております。
たくさんの政策、それもスピーディーに実行しなければいけないこと、たくさんございます。そして、皆様とともに、自民党をですね、もっと気合の入った明るい党にしていく。
多くの方の不安を希望に変える党にしていく。そのための取り組みも必要です。
先ほど申し上げました通り、私は約束を守ります。全世代総力結集で、全員参加で頑張らなきゃ立て直せませんよ。
だって今人数少ないですし、もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます。
私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いて、参ります。
皆様にも、ぜひとも日本のために、また自民党を立て直すために、沢山沢山、それぞれの専門分野でお仕事をしていただきますよう心からお願いを申し上げます。
これの対象が自民党所属の国会議員、どれだけ拡大解釈しても全国の自民党員であることはさすがにわかるよね?
(プライベートを充実させたいとか有給をたくさん取りたいという人は)人生の優先順位としてそういう人がいてもいいが、
そういう人と「とにかく俺はすべてを投げ出してでも仕事だけをやる」という人が勝負したら仕事でどっちが勝つかという、同じ能力ならたくさんやっている人が勝つ。
成功というのがどういうレベルかだけど、例えばスティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクとか大谷翔平に「ワークライフバランスどうなっていますか?」って聞く?
考え方としてはあっても良いけれど僕は違う。9割くらいの人はそこまで仕事に対して充実感とかやりがいを求めてなくて、ほどほどの給料が短い労働時間でもらえて、家族との時間や趣味の時間を過ごしたい。もちろんそれはそれで良いと思う。
全員がイーロン・マスクや大谷翔平のように働く必要はないけど、仕事において上を目指したいならという条件が付くと、プロ野球選手になりたい、世界的な実業家になりたいなら相手はああいう連中ですよ?
ごく一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話をしてる時に、0.00001%以下の上澄みの話を持ち出しても仕方ないだろ。人間は大谷に勝てなくても幸せになれるべきだ。
え?誰が「ごく一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話」をしてるの?
この話題の元になった高市の演説も、田端のyoutubeもそんな話してないよね?
勝手に高市が一般国民に向けて馬車馬のように働けワークライフバランスを捨てろって言ってるって解釈しちゃうの?
読解力0点だな。
ワークのパフォーマンス最大化のために睡眠の取り方とかを研究して、他にやることを犠牲にして睡眠とってるんだけど。
これはそう。Togetterのまとめられた内容に対する批評として正しい。
これは一般論としては正しい。
ただし高市も田端も言及対象をそれぞれ限定しているので、この件に対する読解としては誤り。
そういうのは他人を巻き込み健康等を犠牲にするから規制が必要なわけで。メジャーだってドーピング使って何が何でも力を付けるのは禁止されているし、一般人も長時間残業ドーピングで業績上げることは禁止されている
ドーピングの例は若干蛇足感と例としての適切さに疑問が残るが、前半の批判は今回の件に対する批判として正しい。
あくまで限定した対象に言ったとしても、それが結果的には対象が広がっていくことに対する懸念というのは正当な批判。
この人気コメの揚げ足取り感は何なんだろう。上を目指すならWLBとの両立は困難と言う主題自体を覆せる訳では無いから「そうだね」で終わる話な/国会議員が国難時にWLBで5時上がりでも怒らんの(笑)俺ならキレる。
ただ田端が言及しているようにWLBが二者択一というだけでなく、両方が混ざり合っている人もいるという点は留意が必要。
一般労働者に対して言っていたのであればいいが、言及対象がそもそもWLBとかをあまり前提としないエリート層という点で誤り。
別にこの人らも少しは出世したいくらいの人に大谷くらいやれなんて言わないでしょ。どこまでも上を目指すならやるしかないよと、ごく単純なことを言ってる。どこが自分に丁度いいか、だね…俺はもう休みたいが…
好き。
『仕事において上を目指したいなら』という条件が付くならって言ってんのにそれが読めなく、かつ、楽して年取って何も残ってない人達w一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランスの話なんか誰もしてねーよw
はい、こういった事情と絡めて対象範囲が拡大される可能性について批判的に言及するのが正しいです。
「出世するためにWLBを壊そう」などと考えてる時点でダメで、成功する人は当たり前のように楽しんでそれをやってるので、無理してやってる時点で勝てないよね。向いてないことをやるもんではない
はい、そのケースが多いと思います。ワークとライフが混ざってる人たちです。
ワーク=ライフ(生活)な人もいる。でもライフ(生命)を削らなきゃハードに働けない人は休んだ方がいい。殆どの人にWLBは絶対に必要なのでトップ層は自身の影響力も考えて振る舞うべきだし、他者に強制するのは純粋悪。
はい、その通りかと思います。一般人からすればライフを犠牲にしているなって思うトップ層のほとんどは、自分がライフを犠牲にしているとは考えていないワークとライフが混ざっている人たちです。
だからこそ一部経営者などにはそれを一般的なWLBを守りたい人にも拡大しようとすることが問題です。
日本には制度としてのエリート(仏のグランゼコールのような)がないので「高度人材の裁量労働制」みたいな事をやろうとすると、適用対象がなし崩しに拡大してしまう。明確なエリートコースを導入する覚悟があるなら
WLBどうだってええねんという層に言っているはずが、俺達のような一般人がわーわー言うのはこの棲み分けがないからという側面がある。
機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、
かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクターの創作にある。
この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、
アニメーション作品におけるリアリズムの概念を根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである。
富野は従来のロボットアニメが依拠していた「勧善懲悪」の物語構造を意図的に破綻させ、
善悪の境界が曖昧な世界で苦悩する思春期の少年を主人公に据えることで、
カミーユというキャラクターの革新性は、その精神的脆弱性と感受性の異常な鋭さが、
決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。
従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有の心理的現実を容赦なく暴き出している。
キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。
それこそが現実の人間の内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。
彼の精神的不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである。
彼の鋭敏すぎる感受性は戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、
フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、
これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判的視点を提示している。
富野の文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。
後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。
単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である。
富野は意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユを設計することで、
この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。
カミーユ・ビダンという一人のキャラクターの内面描写を通じて、
商業的エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。
同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。
カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、
1980年代という時代の若者が抱える実存的不安の象徴として機能している。
彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、
高度成長期の終焉とバブル経済への移行期という歴史的文脈において、
将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。
「心理的リアリズム」という新たな表現領域を開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである。
娯楽性と芸術性を両立させながら、
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テニスにおける「エース」とは、主にサーバー(サービスを打つ人)が打ったボールを、相手プレーヤーがラケットに全く触れることができずにポイントになったサービスのことを指します。
これは正式には「サービスエース」と呼ばれ、サーバーにとって最も理想的な得点の形です。
テニスでは、エースと似た状況や、混同しやすい用語がいくつかあります。
* ウィナー(Winner)
ラリー中に、相手がラケットに触れることができなかったり、触れても有効な返球ができなかったりして得点につながったショット全体を指します。エースはサーブに限定されますが、ウィナーはラリー中のストロークやボレーなどで決まったノータッチのショットを指すことが多いです。
* ※注意点: 日本語では「リターンエース」という言葉も使われますが、これは相手のサービスをレシーブしたボールがノータッチで決まった場合に使い、海外では「ウィナー」と呼ぶのが一般的です。
サービスエースの中でも、相手が全くボールに触れられなかったことを強調する場合に使われることがあります。
逆に、サーバーが1ポイントで2回連続してサービスを失敗し、相手にポイントを与えてしまうことです。サーバーにとって最も避けたい失点の形です。
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いいえ、『エースをねらえ!』の「エース」は、テニスの「サービスエース」だけを指しているわけではありません。
このタイトルの「エース」には、主に次の二つの意味が込められています。
主人公の岡ひろみが、鬼コーチの宗方仁の指導のもと、名門テニス部のトップ選手、つまり「エース」へと成長していくことを目指す、という意味が込められています。
テニスでエース(サービスエース)やウィナーといった、相手が手が出せない最高のショットを「ねらえ」という、技術的な目標も含まれています。
しかし、物語の主題は、テニスプレーヤーとして、そして一人の人間として、困難を乗り越えトップを目指して成長していく主人公の姿を描くことにあります。そのため、タイトルは**「最高を目指せ!」**という成長への強いメッセージを込めていると解釈するのが最も適切です。
ちなみに、宗方コーチがひろみに残した最期の言葉は、「岡、エースをねらえ!」でした。この言葉は、単なるサービスではなく、テニスのトッププレーヤー、つまり世界のエースを目指せ、という意味が込められています。
ついでにデッドレコニングも見た。
デッドがマジで酷すぎてそれに比べたらマシだけどやっぱ相当酷い。
デップー&ウルヴァリンやワイルドスピードファイヤブーストみたいな作品だった。
シリーズ追ってきた人に対するご褒美映画というか、製作者のケジメ映画というか。
過去作品からいろんな人物がちょこちょこ出てきて雑に消費されていく。
これ見て「サービス精神がすごい!」ってみんな言うからMCUみたいなサプライズゲスト商法が蔓延るんだろうな。
一生やってろアホ。
どっちも悪い部分は共通していて、しかもその部分がこの作品のウリになっているのがタチが悪い。
そういう意味ではnot for meな作品なのかもしれないが、
それでもレコニングシリーズになるまではまだおもろかったんだよ。
なので、このレコニング2部作が特にヤバいんだと俺は思ってる。
もう語り尽くされてるけど「いい歳したトム・クルーズがすごいスタントを自力でやる」ことだけが主題で
あとはそのスタントにどうつなぐか以外にほとんど意味がない作品になっている。
なので、どっちも二時間半を超える大作だけどほとんどの時間が退屈。
特にデッドはもう話が退屈で退屈で。
ウルトラグレートスゴイAIを支配する鍵の奪い合いゲームなんだけど、
スられました、スり返しました、スられ返しました、スり返しました、落としました、それを拾われました、それをスり返しました、終わり。話がイチミリも進んどらんのよ。
やってるのが超A級エージェントと超AA級エージェントとその辺のスリの女。アホなん?
デッドではUGS(ウルトラグレートスゴイ)AIが電子機器にアクセスしまくって妨害してくるっていう(凄腕ハッカーが出てくる作品とどう違うのかよくわからんが)現代のスパイの弱点を突く展開があって、そこは若干の面白みがあったんだけど。
ファイナルはそのAIにほぼ全世界が支配された世界の話なのに急にAIの影が薄くなってて笑う。
核発射施設へのハッキングに忙しくてイーサンのほうには意識が避けなかったのかもしれない。
ファイナルのほうは多分、スタントしながら脚本書いたんだと思うんだよね。
今回のウリのトム・クルーズが小型飛行機の免許取って実際に飛行機運転しながらやりました!ってスタントがあるんだけどさ。
そこでラスボスの飛行機に空中でトムが乗り移っててんやわんやあって飛行機が壊れて、敵が「パラシュートないからお前死ぬで」って言って飛び降りたら尾翼に頭ぶつけて死ぬっていう酷い展開があるんだけど。
でもまぁ、空中で超高速で飛行する壊れた飛行機に取り残されたトム。どうやって脱出するのか!
パラシュートありました!やったぜ。
エッ!?
たぶんさー、飛行機に取り残されたところまで撮って、やっぱいい感じで脱出するの無理やなってなったから、パラシュートあったことにしとこうぜってなったんだと思うんだよね。じゃなきゃ説明つかない。悪役の人頭打って死んじゃったし、もうスタント撮り直せないからそのまま行きにしたんだと思うの。
M.Iシリーズはアクションを魅せる映画だって主張は6割は理解できるとしてもこればっかりは擁護のしようがないでしょ。
俺は別にそうは思ってないし、過去作に登場したラストの大どんでん返しもなくなってれば、面白スパイガジェットもなくなってるし、これが本当にM.Iシリーズか?M.Iシリーズファンならこの作品を嫌いになるわけない!って言ってるやついっぱい見たけど、この2作は明らかにスパイ大作戦じゃなくてトムのスタント大作戦だろ。
で、パラシュートで着地したトムをバックにこの作品のテーマを死亡したルーサー(レックスじゃないほう)先生が5分栗かけてペラペラお語りになられるんだけど、まーじでダサいからやめて。最後に「このメッセージは5秒後に自動的に消滅する」って出るんだけど、それは「視聴者の頭からも5秒後には消滅してる」って意味か。ずいぶん自虐的だな。
あとどうでもいいノイズとして、まーた黒人の女大統領かよっていうのと、サイエントロジー信者が陰謀論者を説教する映画is何っていうのと、結局スリの女、ホンマにその辺から急に生えてきたスリの女なん?っていうのと、ガブリエルに妻を殺されてMIFに入ったトムが今度はガブリエルから大切な女を救う話かと思ったらそっちはそっちで勝手に問題解決してて草、とか。
過去のM.Iシリーズを好きだった人ほど、この作品の適当さには心底怒りがわくと思うんだが。
もちろん、特にこのVFX全盛期でここからAIに映画業界が支配される可能性もある時代にいい歳したトムが自分ですごいスタントをやって、そのことで役者ってすごいんだぜ、生身の人間がやる映画ってすごいんだぜ!っていうランドマークを打ち立てたこと自体は大変意義のあることだし、トムありがとう、そしてありがとう、って思いはある。
が、それと映画が面白いことは別だし、生身の人間が危険なことやってるのがいい!ってだけならそれこそXゲームのダイジェスト集でも編集して映画サイズにしとけばよくね?主役をヴィン・ディーゼルとかアイスキューブとかにしてさ!
とにかく最後に言いたいことはトム・クルーズお疲れ様。安らかに眠れ。R.I.P
二度と復活するな。
アニメの脚本家が原作マンガの表現を「ノイズ」って言って改変したことで炎上した事件があったじゃないですか。
増田はその作品について原作もアニメも見てないので内容そのものには口出しできないけど、あの発言が燃えた理由についてはちょっと思うところがあるのでいっちょ噛みします。
(なお、増田は作品を未視聴です。したがって改変そのものの是非については論じませんのであしからず。)
つまり「アニメのクオリティアップを目指して原作改変するのはアリ?」って話。
アニメ化のときって監督や脚本家の判断で設定やストーリーが原作から変更されるのはよくあることじゃん。でも、この改変が少なければ少ないほど良いと考える人が一定数いるじゃん。これをここでは「原作準拠主義」と呼ぶことにする。今回の炎上の発端も、原作準拠主義的な、「原作の表現を脚本家がノイズ呼ばわりするのはどうなの?」という意見よね。悪意を込めて言い換えると「脚本家ごときが原作者様に口出しすんな」みたいな。(これはわかりやすさ重視の悪い誇張です。)
他の作品でも原作から大きく改変すると「原作レイプ」なんて言葉で叩かれることがあるし、やっぱり原作ファンは改変を嫌う傾向が強い。でもその気持ちは分かる。増田も『ビブリオ古書堂の事件手帖』で主人公の髪型が黒髪ロング(原作小説)からショートカット(ドラマ版)に変わったのが納得いかなくて、ドラマは見なかったくらいなので。
一方で、大きな改変があっても名作扱いされる作品もある。『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』や『攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELLやSAC)』とか。もちろんアンチもいるけど、全体的には名作扱いされてるよね。まぁ、ビューティフル・ドリーマーは高橋留美子原作マンガの映画化というよりは、押井監督作品と認識されがちなので、またちょっと話が違うのかもしれないが。
いずれにしても、あのインタビューで怒ってた人のうちいくらかは、原作準拠主義だったんじゃないかなと思う。
次に、炎上ポイント2つ目。改変対象が性的描写だったこと。これによって、表現規制論争に巻き込まれた感がある。いや、巻き込まれたというか、まさに未成年の裸体を描くことへの抵抗として水着への変更をしているので、性的描写の表現規制論争そのものかもしれない。ここについては作品未視聴なので特に意見はなし。一般的には入浴シーンだと「湯気」「すりガラス」「水面で隠す」みたいな処理が多いので、水着を着せるという処理はちょっと珍しいなと思ったくらい。
余談だけど、怒ってる人を揶揄するコメントで「そんなにぼっちちゃんの裸が見たかったの?」というコメントがあったので、原作マンガでも別にぼっちちゃんのおっぱいや局部が描かれたわけじゃないんじゃないの?と思ってググったら、わりとおっぱいは描かれていた。えっちじゃん。
さらに余談。インタビューで「現実の女の子は胸の大きさの話なんてしない」って発言があって、まぁそれはそうかもしれないけど、現実でしないからアニメの会話でも採用しないっていうのは違うんじゃない? 演出効果があるなら現実には言わないセリフでも入れるべきだし、逆にセクハラ的なら現実にありふれててもカットするべきじゃん。あるいは「普通は言わないけどこのキャラは言う」っていう個性の演出もありだし。
ていうか現実っぽさで言えば、「一人で家で水風呂に入るのにわざわざ水着を着る」人も現実にはいないと思うんですよね。
炎上ポイントの最後は単純に「脚本家本人が嫌いだから叩く/逆に擁護する」っていう感情論。ようするに脚本かくあるべしみたいな主題から外れた「ノイズ」だけど、実はこれが炎上の本質だったんじゃないのって思う。
これについても増田は特に意見はない。まぁ嫌いなやつを否定するために雑な理屈を捏ねるのは見ていて気持ちいいものではないけど。
「子どもを産まないのは社会保障にタダ乗りしてる」って言う人、けっこういるよね。
でもそれっておかしくない?
それって同性愛の人とか、子どもを産めない女性とか、障害を持ってる人とかを否定するのと同じじゃん。
過剰な出生主義というか。
別にそういう気遣いを人質にしたいわけじゃなくて、言いたいのは「人間社会ってそもそも損得のバランスが公平じゃない」ってこと。
(もちろん子育てってめちゃくちゃ大変で難しくて重要なタスクだなって分かってる。社会負担が大きいなと思う気持ちは察するし、本当に尊敬する。)
結局、社会って「得」と「損」が入り混じってできてるんだと思う。だから「お互いさま」じゃん?
それに、子供を持つことや働くことを一切しない人だって、社会にはたくさんいるよ。
そう言う人が生きていけるのは素晴らしいことだと思う。
(博愛的なことが言いたいわけじゃなくて、障害があっても人生を全うできる社会の仕組みはシンプルにすごいと思う。大変なことは多いと思うけど。)
なのに、「子どもがいて幸せ」って言うのは許されるのに、「子どもがいなくて幸せ」って言うと叩かれるの、めっちゃ不思議。
なんで「子どもがいる幸せ」は美談になるのに、「子どもがいない幸せ」は自己正当化とかフリーライドとか言われちゃうの?
子持ちが写真をアップする時に、いちいち「子持ち"も"幸せですよ〜」なんて配慮と共に書く必要はないのに、子無しは配慮とか罪悪感を暗に示すことを求められるのは、なんか嫌な社会だな。
どっちもその人にとっての素直な幸せじゃん。
もちろん少子化の問題とかはある。(私が肯定する社会保障こそ、「世代交代」で維持されるものだからね)
でもそれって、個人の生き方や幸せの形を否定するための正論になるのか?すごく疑問に思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250926225859
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私は元増田ではありません。
この両方が実現してこそ、多様な人々が幸せに生きられる社会だと思う。
「なぜいちいち子無しの幸せを主張するのか(そうすることでなぜ子持ちに攻撃するのか)」という議論になっていて、相互理解の難しさを感じた。
マイノリティがマイノリティであることを主張すると、なぜそれがオーソリティへの批判だと受け止められるのか。
相対化は人を不安にさせることは明白なので仕方ないにしても、
そろそろソレを恐れずに多様化を受け入れる社会にならないと、それこそ少子化による社会問題(社会福祉循環の破綻)は防げなくなるのでは?
最後に、
この増田を読んで傷付く人を無くしたいので言っておくと、子育てしてる人はすごいし、大変な中で子供たちに愛を向けるのは本当に尊いことだと思う。
誰を選ぶかって?
前職はすでに態度を表明している。
一方、新人候補は「わざわざ新しく立候補した」わけで、市長を助けるために「市長不信任の現状を変え」ようとして「新たに行動した人」なのだから、市長支持派のステルス立候補である可能性が前職より「遥かに高い」。
どんな美辞麗句を並べようと。
特に態度を表明していない人は、限りなく黒に近いと言わざるを得ない。
さらに、現状不支持を表明しているとしても「市長と直接話をすることで、意見が変わった」と言い始める人が現れない、とは考えづらい。
そういうことを「頭のいい企み」と考えるような人が、この手の活動をしている人に多いのはいい加減気づいてもいいだろう。
とか言い放つような輩が総理大臣をせしめるような現状なんだから。
今回は、「不信任案を可決した議会を支持するかどうか」が主題となっているので、「不信任案を可決した議会の構成員つまり前職」に、「前回投票した人と同じ人に」投票するのが正しい投票行動です。
エロはカレー粉の様なもの。ほんの僅かでも分量加減を誤れば料理全体の味覚のバランスを崩して「全部カレー味じゃん」ってなる。
ぶるんぶるん常に揺れてる乳袋が画面内にあるだけで、そこに目が吸い寄せられるだろ?
もう、そうなるとストーリーや主題(他の調味料や素材の風味)が僅かな筈のエロ(カレー味)に侵食される。
いや好きだよ?カレー。
でも今はホクホクした芋の甘さを感じて欲しいから、カレー粉を抜いてみたわ。
って言ってる人間に、カレーの美味さがわからんのか!カレーを貶めるのは許さん!カレーを世界から抹消しようとしてるな!カレーは俺が守る!貴様が!泣いて謝るまで!カレーを!口に!捩じ込んでやる!
話聞いてる?って呆れるんだよ。
原作者の味付けが絶対正しい、それ以外の味など認めないって思い込むのは、作品の可能性を狭めてしまって勿体無いよ。ましてや、原作者はアニメを絶賛してるって何度も言及されているでしょうが。
江戸時代の浮世絵って、なんだかんだいって役者絵が一番売れたらしいんだ。
最初の頃は、芝居の演目に合わせた絵、次第に役者にフォーカスした役者絵が売れ筋に。
今の絵師たちと同じだな。
ただ、面白いのは、美人画の代表のように言われる歌麿の出世作は、「虫えらみ」、「百千鳥」、「潮干のつと」っていう虫の画集、鳥の画集、貝の画集なんだ。
たぶん海外で一番名前が売れた絵師は、北斎だろうけど、もちろん人物画だって描いたけどなんといっても風景画。
歌川広重もそうだな。
東海道五十三次って、教科書では広重の代表作と言われてるけど、東海道五十三次って一つのジャンルとして確立されてて、広重だっていくつもある。
広重のだと、一番有名なのは保永堂版だけど、そのほかに行書東海道、隷書東海道、小さい冊子のも含めるとそのほかにもいくつか出してる。
全部、東海道の宿場町を描いた絵なんだけど、構図や主題を変えて、描きまくった。
で、これまた面白いのは、名所+美人画(当時の萌え絵)の合作がやたら多いこと。
今でも、旅行の広告なんて芸能人かアニメキャラがセットなのと同じように、とってつけたかのように美人のアップを入れる。
そのうちに、宿場町の風景はオマケになり、ただの萌え絵シリーズものが増えてくる。
やっぱり、人物を入れると売れるんだろうな。
知ってる芸能人、知ってるアニメキャラ、見知った顔が入るだけで注目度も親しみやすさも変わる。
写真では撮れないような構図で、AIでは発想しにくいような主題ってのは、人物画よりもまだ勝機が残ってるんじゃないかな。
タイトルだっさwwwと思ってたら最後の最後に主人公4人で夕暮れを見るめっちゃエモくて作品の主題とも重なるいいシーンがあったので、英題:Twilight of the Warriors: Walled Inを付けた人はちゃんと見て考えたんやろなぁと胸がじんわりした。
アクションめっちゃよくて、香港映画らしく登場人物それぞれの個性をアクションで使用する武術で表現するところとかも、もう本当に古き良き香港アクション映画が好きな人たちが作ったんだろうなって感じで超よかった。ただ古き良き香港映画リスペクトならもうちょっと棒術あってもよかったかなぁ。まぁゴミゴミした九龍城塞内で棒術大変すぎるか。
まぁ敵のボスが硬気功の使い手で武器も拳も効かないって展開がちょっと強すぎるしあまりにもフィクションラインが低すぎてさすがにどうかと思ったけど、外部からの攻撃には強くても体内に侵入したちょっとした凶器で崩壊するっていう中国本土に対する香港魂の表現なんだろうし、難しいバランスだな。
旧世代の4人と新世代の4人が対比、対決する形で描かれるんだけどさすがに描写不足が否めない。
漫画化もしてる人気小説が原作だからある程度「知ってて当然」で書かれてるから、わりとキーマンとして描かれている殺人鬼ニキも「なんかめっちゃ超強い殺人鬼がおってそいつが地主ニキの家族を殺して恨まれてたけど、実は床屋ニキとはひげ剃り合いする程度には仲良かったらしい」っていうこんだけの描写しかない。じゃあ床屋ニキと殺人鬼ニキは何があってそういう関係なんかとかは一切出てこない。
ほとんどのキャラは「こういうキャラいるよね。で、今こういうポジションなのわかるよね」っていう暗黙の了解のもとに話が進む。「なんでそういうポジションなのか」とかが描かれないからあんま感情移入できない。まぁバキボコアクションに感情移入いるかって言われるといらんのかもしれんけど。
でもたぶん、原作では各キャラクターの掘り下げとかけっこう細かくやってたんだと思うんだよな。まぁ、全部やってたら3時間とかになっちゃうだろうし英断っちゃ英断か。ふわっとしかわかんなくても何がどうなったかを間違えないような作りにはちゃんとなってるし。そこは脚本家と監督の腕なんだろうな。
ストーリー面も絶賛はできないといいつつも古き良き香港の象徴としての九龍城塞と香港の夕暮れを対比させてそこに古き良き香港アクションを絡めていて作品としてのまとまりはいいし普通に85点くらいは出てた。
(※自分に非があるのはわかってるけどその部分は主題じゃないので責めないでほしい)
3年の結婚生活が終わりアラフォーバツイチ男性が爆誕。年収は1000万ちょっと
離婚理由は自分の浮気なので仕方ないけど元妻と彼女(浮気相手)の掌返しに傷ついている。こんなことは誰にも言えない。
元妻(A子)はイイ女だった。美人でしっとりとした色気があり俺の悪い部分もまとめて許してくれるような包容力があった。見た目は壇蜜の雰囲気。専門職で年収は800くらい。30代なかば
浮気相手(B子)は職場の後輩で可愛くて元気一杯。仕事はまだまだだが健気に努力する姿勢に好感が持てた。見た目や喋り方は若槻千夏っぽさがある。年上好きで今までの彼氏は全員10才以上年上だったそう。20代なかば
関係はB子のアプローチから始まった。もちろん俺が既婚とは知っていたし離婚しないとも言ってあった。それでもいい!タイプすぎるから!!とまっすぐな目で言われて陥落。素直な所が可愛らしかった。
B子は感情の起伏が激しくよく泣きよく怒った。こちらの連絡が遅ければ追いLINEしてきたし(連投や鬼電はない)、約束の時間に5分でも遅れれば拗ねた(自分が遅れた場合はごめ〜んで済ませる)。こう書くと面倒くさそうだけどB子が上手かったのはこれらを『あなたが好きだから、不安になるし期待しちゃうの』というメッセージを常に伝えてきた所。上の句が強くてストレートなので、下の句のダルさを飲み込めた。A子は感情の起伏が少ないタイプでそこが良かったはずなのに、結局物足りなかったんだろう。
不倫相手でいいよ!奥さんと別れてなんて言わないよ、と最初から言ってたにも関わらず、B子は隠れて妻に不倫をリークし水面下でバチバチやってた。その間も妻とは仲良くしてたしB子は可愛く甘えてきていた。
休日に騙し討ちのような感じで自分妻B子の三者面談が組まれて妻から離婚届を出された。そこまではいい。でもいくら謝っても妻は顔色を変えず、慰謝料はいくらで財産分与はどうこうと言う話しかしなかった。今まですべてを許してくれてた妻とは別人でゾッとした。しかも、慰謝料はB子にまで請求するとか言い出した。自分より10歳も年下の薄給の女の子に、容赦ない仕打ちをする妻が恐ろしかった。
B子はB子で健気さゼロで「慰謝料?払ってやりますよおばさんw」という態度。目に涙を溜めて、あなたの幸せな家庭を壊せないよ…と言ってたB子はいなかった。
妻は本当にとりつく島なくその日のうちに出て行って離婚になった。ずっと可愛がってもらってたうちの両親にも何もなし。俺の母親は入院中で妻の世話や見舞いを頼りにしていたのに、挨拶もなく連絡ブロック。俺はともかく病気の老人にもこんな仕打ちかと引いてしまった。掌返しがエグすぎる。
俺はもう疲れたし家庭を壊したB子とも結婚は今は考えられないけどB子はずっとキレていて貯金と親の金で支払った妻への慰謝料で俺を買ったような気になっている。『大好きだから』の上の句は「あんな大金を払ったのに』になりヒステリーじみて来たので本当に怖いしいつか刺されそう
大前提俺が悪いけど妻もB子もこれが本性で今まで騙されてきたのかと思うと女性不信になりそう。女って一瞬で変わるよな。帰ったらB子がいるのが気詰まりで寄り道しながらこれを書いてた