はてなキーワード: 歌詞とは
仕事から帰ると妻はソファに寝そべり、両手でスマホを持って見つめていた。
ソファの片隅にはブランド品の紙袋。クリスチャン・ディオール。
晩御飯に吉牛を頼まれ、テイクアウトの袋をテーブルに起きながらコートを脱いだ。
妻は顔を上げない。
「晩飯、買ってきたよ」
「…ん? ああ、おかえり」
妻はスマホから目を離さない。ちらりと覗くとメルカリの画面が目に入る。
微かな舌打ち。SOLDの赤白文字。
「クリスチャンディオールはもう死んだよ」
「はっ?」
妻は初めてこちらを見た。
「デザイナーのクリスチャンディオールはとっくに死んでるってこと」
妻は微笑を浮かべる。
「だから何?」
「クリスチャンディオールはとっくにもう死んでるんだよ」
僕は妻が聞こえないほどの小声で繰り返した。暗唱するように。
それでも妻は再びクリスチャン・ディオールの紙袋を並べるだろう。
無地の袋から吉牛二つを取り出すと、割り箸が入っていないことに気が付いた。
仕方がないのでキッチンへと向かう。
4日、初音ミクの公式Xにてピアプロのガイドラインについて触れる表明が出された。[ https://x.com/cfm_miku/status/1864128366720487608 ]
そのことについてユーザーの反応を見るために引用を見てみると、その中に「Deco*27のことか」、「最近のボカロ曲はひどい」とコメントしている人がいて驚いた。
なぜならボーカロイドに卑猥な歌詞を歌わせる歌なんて十年以上前から存在しているからだ。
世代が一巡したんだなとか、知名度があがった分色々な層の人の反応が見えるようになったんだな、とか感慨深くなるが、
私は今回は曲のことではないのではと考えている。
そもそも、ボーカロイドに性的な歌詞を歌わせて話題になるのは十年以上前からあったことだ。
詳細は省くが、歌詞が原因で権利者削除された曲は過去に存在している。
だが、無数にある性的な歌詞の曲全てが削除されているというわけではない。
この違い、匙加減はなんなのだろうか。
初音ミクの公式ブログにて、そういった曲に対し2008年に声明を出していた[ https://blog.piapro.net/2008/01/post-15.html ]
その時の声明の中では、
>> 特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。 <<
としている。また
>> ※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照) <<
とも書いている。
ここにそのヒントがあるように思う。
恐らくは「ボーカロイド本人が発信しているようにみえるか」、「直接的な表現をしているか」が主に判断基準になっていそうだ。
削除された曲はこれにひっかかっていた。(デッドボールPの『私は人間じゃないから』等)
Deco*27氏のそれが話題になりはじめたのは一年前のラビットホールあたりだろうか。
そこから『サッド・ガール・セックス』や、つい先日アップされた『モニタリング』の歌詞も言葉選びで言えば性的一面もあるだろう。
しかし、改めてMVを視聴すると上記の条件にはあたらないように思う。
まず上に挙げた削除された曲のように曲中で初音ミクを自称していない(ため、架空の女子の歌であるとすることができる)。
ではそもそもの直接的表現についてだが、これも対象外ではないかと思う。
サッド・ガール・セックスについては難しいところなのだが、恐らくピアプロが指す直接的表現ではない。
これが駄目ならアゴアニキPの『よっこらせっくす』も対象になるため私はそう考えている。
そして当然、気が付いていないという可能性もない。
ポケミクという大事なコラボにまで起用されるレベルのボカロPの話題曲が耳に入らないわけがないのだ。
例をみるに、有名なエロゲーの主題歌のような匂わせ程度の表現については見逃しているのではないだろうか。
性描写に重きを置いているかどうかも、判断材料として大事な要素かもしれない。
(想い人との別れや少女の感情が肝であるため直接表現とされていないのではないかという考え)
こういった根拠から、今回の件はDeco*27氏についてではないのではないかと私は思う。
>> 今般、主にソーシャルメディア・SNS を通じて発信される一部の当社キャラクターの利用、及びそれを取り上げたメディア報道について、ファンの皆様に多くのご心配のお声を頂戴しております。当社といたしましては誠に遺憾であり、大変心苦しくございます。<<
との一文もある。
過激な歌詞についての声明の時に、はっきりと公序良俗に反する歌詞を含む歌詞についてと書いてあることから、
だからこそ、今回は本当に単純にキャラクター利用についてを指しているのではないか。
(そもそもそう考えている人のほうが多いのだが)
あれは初音ミクに卑猥な言葉を喋らせたいという動機から生まれたらしいのだが、
それをそのままミクにやらせていたらきっと怒られていただろう。参考にしてみてほしい。
しかし、こういった色々な歴史を無視して今回Deco*27氏に対して攻撃的な声があがるのが残念でならない。
私も、他界隈でのグレーゾーンを面白半分で攻めるような行動を見れば思うところもあるが、
今一度、公式の規約、モラル、アーティストの熱意など含めて考えなければいけないと思う。
ちなみに、じゃあ何のことを指しているのかということには触れないでおく。
12月1日に名古屋にて開催された、
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 3rdLIVE スリーズブーケ公演におけるセットリストの楽曲に関する長ったらしい文章だよ。読まなくていいよ
noteに書きたいけどアカウントは無いし、インターネット版 チラシの裏に掃き捨てにきたよ。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(以降 蓮と称する)についても説明しておくと、ラブライブ系列の1つとして、蓮ノ空女学院のスクールアイドルクラブを舞台に、ラブライブ優勝を目指して奮闘する彼女らが主役のコンテンツである。活動記録(コミュ)、生配信、バーチャルライブを束ねて追って、リアルタイムで楽しむコンテンツである。生配信やライブをするのは中の人ではなく、彼女らというのが特殊。初めて見た人の多くは、中身が漏れ出ていないVtuber配信のような感触を持つだろう。バーチャルライブについては、これこそVtuberのライブに近いものがありそう。実際に歌って踊るしMCもする。(たまに声裏返ったり音外したりもする……)ファンの事は「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん」と呼ばれている。
長くてイライラするね!誰もそんな説明は聞いていない。ラブライブのアイドルがVtuberやってるようなもんだよ。どうせその方が通じるんだ。
さて、話を戻すと蓮のツアーライブが現在進行していて、12/1には名古屋に1ユニット「スリーズブーケ」が来たというわけだ。名古屋での公演は昼と夜で計2回。セットリストはほぼ同一だったが、一部が入れ替えとなっており、それが「謳歌爛漫」と「残陽」だった。(ほんとはあと1組あるけど端折るよ)
今回のユニット、スリーズブーケが歌うそれぞれの楽曲は人気が高いが、中でも上の2曲はそれぞれ違う方向を向いた魅力がある。
「謳歌爛漫」は蓮の発足から間もない2023年の4月度フェスライブ(コンテンツ2回目のバーチャルライブ)に初披露された思い出深い楽曲である。爛漫の文字に相応しい雄大さがある曲調の中に、桜模様を過去と未来の境目として綴った歌詞が良い。
入ってきたばかりの新入生と、後輩を持ったばかりの2年生が張り切って歌う感じが良い。尚、このコンテンツは登場人物が進級するため、この新入生は今2年生である。勿論、当時2年生の子は現在3年生、来年3月には卒業する。卒業という別れも現実味を帯びた今、この曲は別の意味を内包し始めている。
「残陽」はバーチャルライブでは披露されていない。2023年9月に出たCDに収録されており、1stライブからキャストが何度か披露している。この楽曲は歌詞と振り故に、異常な人気がある。
夕暮れ時にハッキリ別れる日向と日陰、それを別の世界と置いた上で日向に憧れる者、日陰に居てほしいと願う者との2つの視点で歌詞が綴られている。
「どうしよう、言えない」「どうしよう、行っちゃう」を繰り返している。(はよ直接言え)
そして振り付けだが、曲終盤にて抱き着く振りがあり、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんが毎回うるさい。だがこれもバーチャルライブでの披露という正解がない故、可能となる芸当である。(バーチャルライブで披露された曲はそれに準拠したダンスを披露するのが大半である。)
残陽が夜公演のみの披露と判明した時には、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(現地)はとんでもない腰の抜かし方をし、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(ライブビューイング/配信)はとにかく落胆した。実物が見れなかったからである。
ここまで読み進めた人の大半が思うように、謳歌爛漫 <<<< 残陽 かのように捉える人が大多数である。
だが、そうこう書き進めている上で、気付いた点がある。やはり謳歌爛漫≒残陽であるが、更にいえば謳歌爛漫を正史とした場合に、残陽はそれに相当しない。
2つの楽曲は、どちらも違う場面ながら、「今回のライブでは」別れの歌として機能している。それが風通しの良い感情か、蒸し暑く曇った感情かは違いがある。
2つの楽曲のうち、片方はキャラがバーチャルライブを披露しており、片方はキャストのみがライブで披露している。リアルタイム性重視、ゲーム内キャラクターの主体性を売りにしているコンテンツにおいて、これはどう判断するべきか?
あくまで「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ所属 スリーズブーケ」のライブとして捉えた場合には、謳歌爛漫に軍配が上がる。
では、そこから離れた解釈と表現を含む残陽に惹かれるのは何故か。これを考えると楽曲の属人的側面(その限定性)、またナマモノとしての消費需要が密かに挟まっているからではないかと思われる。
楽曲を歌うキャラクター2人の関係性、これを師弟関係とおくか姉妹関係とおくか親友、またはそれ以上とするかは各自の判断であるが、"親密"である点においては一致している。その限定的な関係性の2人で歌う事に希少さ、価値を感じているのかもしれない。実際に、残された披露回数は手で数えるほどもない。なにせ卒業したら、3年生は居なくなってしまう。
そして、もう一つの理由、ナマモノとしての消費は言うまでもなく声優として眼差す上の消費を指す。バーチャルライブの延長として、活動記録の欠片として見る〜ような建前を持つくせして、実際には声優のイチャつきが見たい、というのが蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんなのだ。アホらしい。この意味では、この曲の披露には破格の価値が付くと言えるだろう。
2つの楽曲を分ける価値はナマモノ消費である、という身も蓋もない結論になってしまったのは大変残念だが、チラシの裏に書くには丁度いいものになった。大変に満足したのでこれで筆を置こうと思う。
残陽なんで夜だけなんだよクソ
先日、訳あって深夜に暇を極めていた私と友人はひたすらアイドルの話をしていた。
最近ハマっているバーチャルアイドルの話、タイプロの話、今のジュニアの停滞っぷり、この前行ったMAMA、昨今のオーディションインフレ、投票の結果で組まれるグループはマーケティングのしようがないこと、そしてME:Iについてである。
「今ME:Iがやってるコンセプトってメンバーの個性殺してるよね」
これが10年以上某事務所のオタクをやってきた私と、10年以上某事務所のオタクをしながらここ5年ほど韓国のアイドルに幅広く手を出してきた友人との間で一致した意見であった。
ME:Iの良さって、側から見ても一人一人が個性的であることだと思う。「この人とこの人似てるよね」みたいなのがない。そして日本の女子ドルよりも女子向けの売り方で、韓国のヨドルよりも健康的な見た目をしており、その上センターが桃奈のおかげで、めっちゃくちゃ健康で健全に見えることも他とは一線を画す特徴だろう。
私のように界隈に疎い人間からすると、グループのコンセプトをガチガチに決めて外見の系統も近い人々で集められた韓国のグループの子たちというのは、その固められた世界観が良さなのであろうが、正直グループ内でメンバーの見分けがつかない。綺麗なお姉さんの集まりLe Sserafim、一軍の先輩たちの集まりaespa、セーラームーンIVE。そしてみんな細すぎておばちゃんは心配になる。生理止まってるんだろうなとか、骨粗鬆症になるよぉとか、そういう心配をしてしまうといくら笑顔を見せられても健全な眩しさとは遠くなる。
対して彼女たちはどうだろうか。まず外見からかなりの違いがあるように思う。というか、伝わるだろうか、「作画」が違うのだ。ME:Iはそれぞれの作画が違う。おそらく、それぞれが違う前世を持っていたり、持っていなかったりするからだろう。
たとえ同じ学校にいたとしても彼女たちはそれぞれ別の部活、別のコミュニティにいる。笠原桃奈はバスケ部の女子に人気がある先輩だし、石井蘭はダンス部の可愛くて人気がある先輩だし、加藤心は女子テニス部の副部長だし、海老原鼓は軽音部の定期演奏会のたびに部内バンドのボーカルとして中庭で歌を歌う隣のクラスの子で、一方文化祭のバンド演奏で初めて校内で歌を披露して話題になるのが文寧で、櫻井美羽は入学した時から美人で話題の特進クラスの優等生で、同じく特進クラスにいて1ミリも校則守ってないけど頭がいいから許されてるのが恵子で、同じクラスにいて妙に存在感があるのが心菜なのである。そして多分山本すずと飯田栞月はその学校におらず近くの私立の女子校に通っていて駅でよく見かける制服を着ているのだ。
ここまで聞いて諸君、思い当たる節がないだろうか。聞いたことがないか?こういう話を。そう、彼女たちは
個性がバラバラで、絶対にいないんだけど学校にいたような親近感があり、それぞれのキャラクターが強い。下積みが長い人もいればシンデレラ的に急にデビューを決めた人もおり、育ちもバラバラ。
このことに気がついてからの我々の会話というのはそれはもう盛り上がった。
想像してみてくれ。
恵子、りのん、文寧による「美しい恋にするよ」からの桃奈による「約束するよ、チャンカパーナ」からの鼓の「チャンカパーナァ〜〜〜〜」の伸びやかなフェイク。
「愛が足りないのにそっと微笑んで、Japonicastyle、華麗に舞う花」と扇子を雅に動かしながら物憂げに歌う櫻井美羽。
キラキラ笑顔で「came on a my house??」する恵子。
「君にやっと辿り着いたスイート」まで普通に歌ったあと「アンサー」と囁いてお口をハートの形にして笑う加藤心と湧くオタク。
たった一つだけ願いが叶うならば君が欲しい蘭。
心、文寧、すず、鼓によるペトラ。
文寧と心菜による硝子の少年。
いけるやろ?????想像に容易いやろ??????性別違うから色々立場ちゃうくね?とかは思うけど、伝わるやろ??????
上記は要するにジャニーズの「トンチキ成分」なのだが、これをこなすには条件がある。
1 トンチキに負けない個性があること
トンチキというクセの強いカレーの中でも、死なない具としての存在感が必要である。口に入れた時にちゃんと具の味がしないと曲のことだけしか思い出せない。チャンカパーナと聞いたら金髪の手越を思い出さないといけないし、セクシーローズと聞いたら佐藤勝利と中島健人を思い出せないといけない。また個人のキャラクターの完成度が高くないと「よくわかんない人達がよくわかんなことやってる」ことになるのである。キャラが確立していないとトンチキはこなせない。
2 陰気でないこと
キラキラしてないといけないんだ、トンチキは。圧倒的に健康でフレッシュじゃないといけない。話題の新商品!みたいな明るさと希望を持って斜め上の方向に向かわないといけない。その眩しさで観客を正気に戻さないようにしなくてはいけない。正気に戻ったら、夜行バスから途中下車して始まるワンナイトも、カモナマイハウスラブカレーも、マイルドも地球の裏側じゃワイルドになるのも、意味がわからなくてとも聞いていられないのである。パフォーマンス中、観客を正気に戻さないようにそのきらめきで「圧し」ないといけない。あまりのきらめきで目が潰れ圧倒され切ったあとに正気に戻って「なんだったんだあれ」となるのがトンチキなのだ。歌っている途中に突っ込んだり馬鹿にするような隙を与えてはいけない。
要するに「コンセプト盛り耐性」だ。トンチキをやってトンチキに負けない盛り耐性がないと、トンチキは滑る。やらされてる、着られてる感じが出るからだ。でもME:Iならできる。グループのコンセプトに合わせて人を集めるKpopグループとも、昨今流行りのカワイイとも、48系が築いてきた大人数グループの歴史とも一線を画す。バラバラな個性、バラバラな背景の人たちを押しつぶして凸凹を揃えるのではなく、バラバラな果物をそのまま使って美味しいパフェを作る「ジャニーズ」をするべきだ。
ピコピコキラキラした曲も嫌いではないが、今の売り方は、バラバラな個性をなんとかまとめるためにフワッとした普遍的なコンセプトを持ってきている感じがして、その平坦なコンセプトで個々のよさがかなり死んでいる気がする。
日プオーデ用のオリ曲の方が個性が生きていたと思う。けどpopcornとかCHOPPYCHOPPYとか&MEとかって、割と#chauとかダイヤモンドスマイルだから、要するにジャニーズだと思うんですよ。(真剣)
「Dreams come trueあの夢まで止まらない止められない、12 123 GO CHOPPY……」←よく考えるとチョッピーって何??となるこの感じと、夢を歌う歌詞。マイルドな嵐の嵐だ。
AtoZの「なんでかわからないけど時はすぎて行くから」のいきなり妙に焦ること言いだすのなんて「やりたいことやったもん勝ち」と歌った後に「青春なら」と現実を突きつけてくるあの感じとよく似ている。
トンチキにも種類があって、特にME:Iで見たいのは「ない日本」と「ないファンタジー」と「ない陽気」だ。ない日本というのはイントロからして和楽器の音が聞こえ、なんか歌詞は雅な恋愛をしていたりして衣装は和装っぽいけど和服ではなくて和傘とか扇子とか持ってたりして、曲の最後に桜が降るようなやつのことだ。これがお笑いにならずにできるのはジャニーズだけだと思っていたが、ME:I、君たちならできる。何故って、「なんか何やってもたおやか」な品がある人と、華のある人が多いから。
ないファンタジーは、なんとなく中世とか人外とか半獣みたいなコンセプトだけど設定の詳細はわからず、なんかハロウィンぽいけど別にハロウィンの時期ではなくて、衣装もゴシックな雰囲気だけど別にゴシックではないやつ。嵐のmonsterとか、JUMPのmasqueradeとか。美羽、すず、栞月、文寧、りのんを中心部に据えたら映える。この人たちは作画がファンタジーなので。
ない陽気というのは、SMAPのSHAKEや嵐のワイルドアットハート、社歌と化したCandoCangoや勇気100%のような、何がそんなに楽しいねんみたいな曲。これは鼓と恵子と蘭ちゃんを真ん中に持ってくるべき。彼女たちの笑顔を見ていたら、なんか、日本の未来も明るいような気がしてくる。そうだろう?
あー見たい、ME:Iのジャニーズ。
絶対受けるって。だって投票してた人たちの2割は事務所の問題で疲れてきたから浮気してみたジャニオタだもん。(体感です)
でも実際問題、現スタエンからはこのトンチキ要素を筆頭としたアイデンティティというのが失われつつあり、オタクのジャニ離れも加速している。その上タイミング的に日プを見ていた人が多いとなれば、知ってる顔も多いというわけで、今ME:Iがジャニーズをやったら確実にかなりの客がそっちに流れるだろう。
ここまで考えてみたけど全然ME:Iは旧ジャニ現スタエンの所属じゃないし、このまま和製K-POPをやっていくんだろう。今の所マジで「ない話」なのが辛い。ここまで全て虚妄。むなしい。
虚しいのでこうやって書いてネットの海に投げるのだ。みんなもME:Iのジャニーズを想像しよう。そしてあわよくばいつか現実にして欲しい。
サブスクリプションサービスの台頭により我々が享受できる音楽の幅は大きく広がった。しかし、音楽に好き嫌いはつきもの。聴いてるだけで女の子に嫌われてしまう音楽ジャンルというものは確かに存在してしまうものである。
第3位:邦ロック
街の意見
「女の子が聴く分にはいいんだけど、男が聴いてたらマジでキショい。典型的『邦ロック好きな自分が好き』タイプだと思う。ヘッドフォン付けてワンオク聴きながら鏡見てシコってる姿が目に浮かんで無理。男は黙ってグリーンデイを聴けよと思います」(21歳 Fランク大学生 大阪府大阪市)
「一言で言い表すなら、『オカマ』。これに尽きますね。オカマみたいな見た目のオカマがオカマ声でオカマ歌詞歌ってるの聴いてオカマが喜んでる構図。地獄です。邦ロック聴いてる人とは関わりたく無いです。オアシスのCD貸すから考え改めて(笑)」(29歳 酪農業 北海道幌延町)
「きょうびロックなんて流行んないですよ(笑)アメリカのチャートを見てください。ロックなんて下火ですよ。
しかもなに歌ってるかと思えば、ナヨナヨした男が『私は恋人じゃなくてセフレでしたから~!残念!!』みたいなのばかり。波田陽区から一歩も進歩してないですね」(32歳 国語教師 岩手県北上市)
第2位:ヒップホップ
「個人的にちょっとダサいかな… 腰パンしてYO!YO!とか言ってそう(笑) 『ですよ。』かよ(笑)」(19歳 養豚業 宮崎県新富町)
「不良の音楽というイメージが強くてちょっとね… あとお金持ってなさそうなイメージ。『財布は空でもサイファーはタダ』とか言ってそう(笑)」(26歳 れんこん農家 茨城県小美玉市)
「地元愛が強そうでちょっと嫌です。私はいつかは東京に出たいので。」(19歳 飲食業 青森県三沢市)
「肌身離さず違法大麻不法所持してそうで嫌。犯罪に巻き込まれたくない。」(27歳 金物屋 埼玉県入間市)
第1位:ヘヴィメタル
街の意見
へへへヘビメタ(笑)ダサい、ただただダサいです(笑)ガルネリウスとかストラトヴァリウスなんか聴いてる男いたら大爆笑もんですよ(笑)キモオタクが好きそう(笑)非モテの象徴的音楽、それがヘビメタですね。」(25歳 総合商社 東京都港区)
「古いんですよ。グランジの台頭でヘヴィメタルは死んだんです。それなのに未だにヘヴィメタルにしがみついてる男がまともなわけありません。ドリームシアター来日だの言われても『へー』って感じですね。」(23歳 研究員 北海道札幌市)
「いやいや、きょうびヘビメタって(笑)未だに聴いてるやつなんてど偏屈なキチガイに決まってます、無理です。この前のタイラー・ザ・クリエイターとかケンドリック・ラマーの新譜聴いてないんでしょうね(笑)」(34歳 準公務員 高知県土佐清水市)
「今時古すぎ。Metal Zone踏むくらいならZORN聴けよって話ですよ。」(27歳 船員 青森県大湊市)
「大好きだった元カレがToolとBetween The Buried And MeのCD持ってたんです、叩き割って即別れを告げました。そんくらいヘビメタはなしです。社会不適合者の証明書みたいなもんです。」(29歳 歌い手・家事手伝い 岩手県八幡平市)
いかがだったであろうか。いささか偏った意見も散見されたが、女の子にモテるためには、聴く音楽にも気を使った方が良さそうだ。
BUMP OF CHICKENの「カルマ」は有名だけど、続編的な「冒険彗星」は知名度が劣る感じがある
カルマはゲーム「テイルズ オブ ジ アビス」用の主題歌で、事前にシナリオの結末など知らされた上で書かれたネタバレソングである
彼は8歳ぐらいの時に誘拐され、無事に保護されたがショックで全ての記憶を失い自分の名前も、歩き方や言葉すらも忘れて赤子同然の状態になっていた
幼馴染で婚約者の王女ナタリアが献身的に支えて一から学習していったが、甘やかされたルークはクズに育った
かつてのルークは、やがてナタリアと結婚して王族として民に尽くす理想を語る幼くもノブレスオブリージュの精神に満ちた少年だった
いつか元に戻って欲しいとナタリアは夢見るも、ルークは一向にかつての面影を取り戻さない
そして明かされる真相は、ルークは誘拐された際にクローン的なもので造られ本物とすり替えられた複製体であり、真ルークは誘拐されっぱなしだった
ルークは記憶喪失などではなく、肉体情報だけコピーされた中身は空白の存在で、最初から記憶など持っていなかったのだった
クズのルークは偽者で、本物は敵の手に落ちたままだがかつてと同じ崇高な思想を持ちナタリアを愛し続けていた
ナタリアは一から育てたようなものであるルークへの家族愛はあるものの、真ルークこそが愛しの男だと再会に歓喜し、NTR
カルマの歌詞「ガラス玉一つ落とされた 落ちた時なにか弾き出した 奪い取った場所で光を浴びた」
真ルークの居場所を知らず知らず奪い取ってナタリアや親の愛や貴族としての地位を盗み取りしたルークの葛藤の歌なのである
一方の冒険彗星のサビはこうだ「一人に一つ与えられてしまった世界の真ん中」
居場所は奪い合うものではなくルークにも真ルークにも与えられてしまっているということだ
ナタリアは寝取られた一方で、もう一人のヒロインであるティアとルークは恋仲になる
複製体は純粋な人間ではなく魔力の塊のような存在であり、死ぬ時に本物がそばにいれば、複製体のエネルギーや記憶や能力などが本物に吸収される
ラストシーンではルークか真ルークかどちらか曖昧なデザインのキャラが「待たせたな」と言って仲間たちに会いにきて仲間たちは喜ぶが、複製体の仕組みをよく知る男だけは顔を曇らせる
一緒に戦ってきたルークは死に、目の前にいるのは「ルークの記憶も併せ持っているだけの真ルーク」だと男はわかっているからだ
カルマの歌詞の終盤「一人分の陽だまりに僕らはいる」「いつだって呼んでるから ガラス玉の内側の方から」もそのことだ
居場所を奪い合うことも、居場所はそれぞれにあると思うこともなく一人の肉体に二人分が収まっている
真ルークは多分そのままナタリアと結ばれて国を納めていくのだろう
冒険彗星はひとり残されたティアが死んだルークを追悼する歌だと思う
宇宙を見て死後の世界を思って、「出会わない旅路」「平行な旅路の交差点」でもう死んだ男との再会を夢見てる
どーすんのこれ。アニメ化無理じゃん https://x.com/kaigaiWSJtsu/status/1860720632763474169
ダウンチューニング: 標準チューニングより半音から1音下げて、重厚なサウンドに。
ディストーション: 強めのディストーションをかけて、激しいサウンドに。
パームミュート: リズム感を強調するために、パームミュートを多用。
ソロ: 高速で複雑なフレーズを、メロディックなラインと混ぜ合わせて。
ディストーション: 軽いディストーションをかけて、ギターと一体感のあるサウンドに。
クラッシュシンバル: 強烈なクラッシュシンバルで、楽曲の盛り上がりを演出。
シャウト: 迫力のあるシャウトで、感情を爆発させる。
昨晩、大地が裂け(C)
震動が体を切り裂き(Am)
揺れるベッド、恐怖に支配され(C)
深い眠りから叩き起こされ(C)
意識は遠のき(F)
体は震え(C)
具体的な表現: 「揺れた」を「震動が体を切り裂き」のように、より激しい表現に置き換えました。
アラフォーマイナーオタクおじさんのワイが学生期にヘラりながら聞いてた曲は
シンガーソングライター大津美紀さんの「手のひらからこぼれる雨」やで
一般流通しとらんくて公式から通販した覚えがあってワイの名前入りでメッセージカードが添えられとった覚えがあるわ
この人はポケモンのカスミの声優、飯塚雅弓さんに楽曲提供しとったことから興味もった方やな
ワイはまーちゃんファンやったが田村ゆかりファンやアイマスファンにとっても触れてた可能性ある作曲家さんやな
この曲はピアノとアコギの優しい響きの曲で、不安や葛藤に寄り添いながら「許されることを忘れないでいて」って歌詞がすごく好きやわ