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はてなキーワード: 通夜とは

2025-02-26

派遣おっさんが亡くなった

昨日、派遣おっさん享年不明)が急逝した。

正直、俺もババア先輩(32)もお姉さん先輩(49)も「えっ、本当に?」と驚いたが、死亡届も出されており、会社連絡網でも正式訃報が回った。

「いや、あいつが死ぬとか想像つかないんだけど…」と言いながらも、俺たちは黒いスーツに身を包み、お通夜の会場へ向かった。

葬儀場には会社人間も集まり、皆しんみりと故人を偲んでいた。

おっさん、意外と愛されてたんだな…」と俺が呟くと、ババア先輩も「まあ、憎めないところあったしね」としみじみ頷く。

遺影を見ると、いつもの少しふてぶてしい顔の派遣おっさんが写っていて、なんとも言えない気持ちになった。

そして、いよいよ焼香の時間

俺たちは順番に手を合わせ、「まあ、なんだかんだでお世話になったよな…」と心の中で語りかけた。

しかし、そこで異変が起こった。

「……おい、なんか苦しいんだけど」

え?今なんか聞こえたか?と思った次の瞬間、棺桶の蓋がバンッ!と勢いよく開いた。

会場が騒然とする中、なんと派遣おっさんがむくりと起き上がったのだ。

「……あれ?みんな何してんの?誰かのお通夜?」

いやいやいや、お前のお通夜だよ!!

俺たちはパニックになり、遺族も葬儀屋も「こんなことある!?」と動揺しまくり。

しかし、派遣おっさんはキョトンとした顔で「なんかよく寝たわ」と大あくびかましている。

「いやいやいやいや!お前、死んでたんだぞ!?」とババア先輩が叫ぶと、

派遣おっさんは「あれ?そうなの?でも、腹減ったな…通夜ぶるまい、俺も食っていい?」と普通に席に着こうとする。

流石にこれは現実か夢かわからなくなってきたが、最終的に医者を呼んで確認してもらったところ、

「えーと……心肺停止していたのは確かなんですが、何かの拍子で蘇生した可能性がありますね…」と説明され、結局「一度死んだけど復活した」という謎の結論に至った。

その後、派遣おっさんは何事もなかったかのように通夜ぶるまいの席で寿司を頬張り、

「やっぱ、こういう場ではしめ鯖が一番うまいな!」と満足げに語っていた…。

帰り道、ババア先輩が「マジでお前とはもう一生関わりたくない」と震えていたが、派遣おっさんは「でも、一度死んだらもう怖いもんないよな」と妙にポジティブな顔をしていた…。

通夜派遣おっさん無双してガチで凄かった

昨日、俺とババア先輩(32)とお姉さん先輩(49)と派遣おっさんの四人で、会社の元上司のお通夜に参列した。

礼儀とかマナーとか、ちゃんできるかな」と俺たちは不安だったが、とりあえず黒いスーツを着て会場へ向かった。

派遣おっさんも「そういうの大事からな」と珍しく真面目な表情でついてきた。

会場に着くと、早速俺とババア先輩はやらかした。

香典ってこれで合ってるよな?」と確認していたら、封筒の種類を間違えていたらしく、派遣おっさんが「それ結婚式用の祝儀袋だぞ」と即座に指摘。

「マジか!?」と焦る俺たちに、「ちゃん不祝儀用のを持ってきたか確認しとけって言っただろ」と呆れ顔。

まさか派遣おっさんだけ正しく準備していた**。

焼香のときも、俺とババア先輩は動作がぎこちなくなり、緊張しすぎてなぜか二回手を叩きそうになるという大失態。

「お前ら、神社じゃねえんだから…」と派遣おっさんが小声で教えてくれなかったら、完全に恥をかくところだった。

お姉さん先輩に至っては、焼香の順番を間違えて先に進みそうになり、係の人に止められるというミス

その横で派遣おっさんは落ち着いた所作完璧タイミングと手つきで焼香し、軽く一礼して戻ってきた。

「お前、なんでそんなに詳しいんだ?」と聞くと、

「昔、親戚の葬式でいろいろ教わったからな。あと、こういうのは場数だよ」

さらっと言ってて、正直ちょっとカッコよかった…。

さらに、弔問客が故人の思い出を語る場面で、俺たちは「正直、元上司とそこまで話したことなかったよな…」と気まずくなっていたが、

派遣おっさん普通に「〇〇さんには仕事でお世話になりました。お昼によく行かれてた店の話を聞いて、自分も行くようになりました」と自然に会話をリード

遺族の方も「そんな話があったんですね」と微笑んでいて、場の空気が和やかになった。

極めつけは、お清めの席での振る舞い。

俺たちは「こういうときって酒、飲んでいいんだっけ?」と戸惑っていたが、派遣おっさんは「飲んでもいいけど、飲みすぎないように」と言いながら、上司や遺族のグラスを程よく気遣い

必要タイミングでさっと席を立ってお茶を汲んだり、食事を取り分けたりしていた。

「お前、ホント派遣か?」とババア先輩が思わず聞くと、「こういうのは慣れだよ」とサラッと言っていて、俺たちは完全に敗北した…。

帰り道、ババア先輩が「マジで今日ばかりはお前に感謝する」と頭を下げていたが、派遣おっさんは「まあ、こういうのも社会勉強からな」といつもの調子で語っていた…。

2025-02-05

姉妹が亡くなったこ

もうだいぶ経つけど、彼女がうけた傷をたいしたことないっていう人が世の中たくさんいるんだと悲しくなったので……

亡くなったのはだいぶ前だけど、従姉妹ちゃん20代前半で亡くなった。

私より年下で、私が中学高校?くらいの頃から気づけば親戚の集まりに来なくなっていた。

最初正月かな、顔を出さなかったとき

事故?かなにかでけがして入院してておばさんたちも大変なのよ、と何かごまかす感じで親に言われて、質問は受け付けないという雰囲気でただならなさを感じたのは覚えている。

その後もずっと親戚の集まりにも来ず、引きこもりらしい扱いになっていたので

聞いてはいけない雰囲気から私は勝手学校いじめられてその延長でケガをしたか、もしくは自殺未遂をしてしまったのでは、と思っていた。

おばさん(従姉妹ちゃんの母、私の母の妹)とおじさん(従姉妹ちゃんの父)は親戚の集まりとか法事で会うことはあった。

私が大学生の頃か、社会人になりたてくらいのとき祖母が亡くなった。

通夜葬儀に従姉妹ちゃんはいなかった。

別の親戚のおばさん(従姉妹ちゃんの母ではない)が、通夜のあとみんなが食事してるときに会場の外の廊下でしゃがみ込んでた。

私は多分トイレ行こうとしてたのかな。

そのおばさんはお酒飲めない人だったのでもしかして飲まされて気分が悪くなったのかと思って声をかけたらハンカチで口元抑えながら泣いてた。

私はてっきりおばあちゃんが亡くなったことで泣いてるのだと思って、背中さすりながら向こうで風にあたります?気分悪いです?誰か呼びましょうか?みたいな声をかけたと思う。

ちょっと落ち着いたそのおばさんが、「従姉妹ちゃんのこと考えたらもう悔しくて悔してくて…」と言ってまた泣き出した。

通夜葬儀には従姉妹ちゃんとその母は来てなくて、おじさん(従姉妹ちゃん父)だけが来てた。

現在も従姉妹ちゃんが家に引きこもっている話が出たらしい。

私はこのときまで従姉妹ちゃんはいじめが辛かったんだなあという勝手解釈をしてたので「大変みたいですもんね…」みたいな雑な相槌をうってたらおばさんが

あんなひどいことされて、あの子人生めちゃめちゃで、親にも会えないしまともに生きていかれないじゃないの」みたいに言いだして

そんなにひどいいじめだったのか…?会えないってなに?と思いながら適当に話を合わせてたら本当の理由を聞くことになった。適当に話し合わせて聞いてただけだったから断片的ではあったけど事実概要は知ったという感じ。おばさんはそのとき私が成人だったから知ってると思って知ってる前提の会話をしたんだろうと思う。

そのとき初めて知ったのは、従姉妹ちゃんはいじめではなく性犯罪被害に遭ってたということだった。

具体的な話も少しだけ聞いたけどここには書かない。

初めて聞いたとき怒りと悔しさで震えるとはこういうことかと思った。

被害は従姉妹ちゃん小学生の時で、おそらく怪我して入院して…と正月に来なかった頃なんだと思う。

男の人を見るだけで恐怖で過呼吸や引きつけのような発作を起こしてパニックになり、父親とすら一緒に過ごせない。

学校先生や生徒に男の子男性かいからいけないというかそもそもから出れない。

家の外は被害にあった場所なので怖くて出られない。

知らなかったけどおじさんは従姉妹ちゃんのために実は近くに安アパート借りてそっちで生活してたらしい。たぶんうちの両親は知ってたんだと思う。

カウンセリングか通院かはしてたらしいけど、もうずっと家の中で静かに過ごすしかない状態だったらしく、通夜ときに酒が入ったおじさんが「娘がおばあちゃん葬式にも来れない」ということをこぼして、おばさんが涙をこらえきれなくなって廊下で泣いてたということだった。

このときには多少パニック発作?のようなものは落ち着いてたみたいだけど、ひどいとき宅配水道業者とかの家に来る見知らぬ男性、家の外から聞こえる近所の男の人の声だけでもおばさん(従姉妹ちゃんの母)にしがみついて泣き叫んだりしてたらしい。

このおばさんは従姉妹ちゃんちの割と近くに住んでたので、従姉妹ちゃんちに度々行ってお手伝い(従姉妹ちゃん母が出かけないといけない時に従姉妹ちゃん留守番したりとか)してたらしい。うちの母も姉妹からよく相談受けてたけど私が未成年だったし内容もショッキング過ぎたので言わないようにしてたらしい。

自分の妹の家庭で起きた出来事をよく隠し通したなと思う。

あとで何がきっかけか分からんけどうちの親も「あ、この子姉妹ちゃんのこと知ったんやな」というのを察して知ってる前提で少し会話することがあった。

一度だけ、この葬式のあとに泣いてたおばさんと出かけたことがあって、その後に従姉妹ちゃんちへ行ったことがある。

私も女で親族とは言え、長らく会ってないほぼ他人に近い人では従姉妹ちゃんを刺激してしまわないかと思ったけど、おばさんが行こうと言うならまあ大丈夫なんだろうと思って手土産お菓子を持って行った。

私のいるときパニックみたいなことはなかった。

天気が良くて、縁側みたいなところで日にあたりながら久しぶりだね、大きくなったねって当たり障りのないことだけ話してお菓子を隣りに座って食べた。

かなり痩せていて覇気がなく、まだ幼い子供のように見えるけど、同時にすごく疲れて老けても見える不思議雰囲気だった。

その時に会ったのが最後で、その数年後に亡くなったことを聞いた。

自死だったらしい。

あの時泣いてたおばさんは葬儀ではより一層大泣きだった。

おばあちゃん葬式の時に事実を聞いてから、生まれてきて10歳かそこらの小学生とき被害に遭った従姉妹ちゃん人生は何だったんだろう、性被害を受けて苦しむだけのためにその後の時間が使われて、そんなことのための人生だったのか?何だったんだって、今でも性犯罪ニュース見るたびに従姉妹ちゃんを思い出して胸が苦しくなる。

聞いただけの私がこれだけ苦しくなるなら被害に遭った人はどれだけ苦しいんだろう、辛いんだろうって思う。

たいしたことなんてない。

2025-02-02

自分

箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男

1979年 両親が結婚 父親母親お見合い結構だが反対

1980年 長男誕生

1982年 長女誕生

1983年 父親リストラ転職青森から群馬

1884年 母親宗教入信し毎朝家にいない。

1985年 母親宗教脱退。病気により義眼となる

1987年 父親ほのぼのレイクアイク武富士ワイドから数百万の借金祖父が返済

1989年 父親武富士ワイドから数百万借金母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた

1990年 祖父が家に乗り込んで来て、借金母親

父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親長男正座させ祖父父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す

1991年 長男オナニーを覚える。1日3回ほど実施

テレフォンセックス利用し数万円び請求

1992年 長女が学校いじめを受け父親が泣いた

1995年 父親アコム武富士から数十万の借金長男学資保険を解約し支払い

1997年 長女 睡眠薬を大量に飲み自殺未遂

1998年 長男、両親の性行為を目撃

2000年 正月帰省時、出前の寿司お金が支払えず地元寿司から催促。2ヶ月分割

2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜葬式時のお礼なし食事なし

2001年 長女の妊娠結婚することに

2002年 長女離婚

2003年 父親スナック熟女から訴訟を受けたと後にわかる。寿司代数万円を払わなかったとか

2006年 長女駆け落ち

自分

箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男

1979年 両親が結婚 父親母親お見合い結構だが反対

1980年 長男誕生

1982年 長女誕生

1983年 父親リストラ転職青森から群馬

1884年 母親宗教入信し毎朝家にいない。

1985年 母親宗教脱退。病気により義眼となる

1987年 父親ほのぼのレイクアイク武富士ワイドから数百万の借金祖父が返済

1989年 父親武富士ワイドから数百万借金母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた

1990年 祖父が家に乗り込んで来て、借金母親

父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親長男正座させ祖父父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す

1991年 長男オナニーを覚える。1日3回ほど実施

テレフォンセックス利用し数万円び請求

1992年 長女が学校いじめを受け父親が泣いた

1995年 父親アコム武富士から数十万の借金長男学資保険を解約し支払い

1997年 長女 睡眠薬を大量に飲み自殺未遂

1998年 長男、両親の性行為を目撃

2000年 正月帰省時、出前の寿司お金が支払えず地元寿司から催促。2ヶ月分割

2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜葬式時のお礼なし食事なし

2001年 長女の妊娠結婚することに

2002年 長女離婚

2003年 父親スナック熟女から訴訟を受けたと後にわかる。寿司代数万円を払わなかったとか

2006年 長女駆け落ち

2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2025-01-19

通夜の後の飲み会

って何なんだ

父親が死んだ頃まだ俺は幼かった

通夜で親戚の連中がすし食いながら

ゲラゲラ笑いながら家族と話してるのが

許せなかった

大人になってそういう「しきたり」があるのは覚えたが

遺族の前で飲んだり食ったりしながら

ゲラゲラ笑ってた親戚のことは

いまだに許せない

2025-01-18

こんなときからこそ好きだったフジテレビ番組の話しようぜ

正直いまのフジテレビ、というか15年前くらいかフジテレビは嫌いだし、もはやこうなった以上停波すればいいと思ってる。

けど物心ついた時にはポンキッキを見てて、小学生の頃にウゴウゴルーガを見て、その流れでそのままめざめしテレビ見てたような生粋フジテレビっ子としてはこんな状況になってるのは悲しくもあるんだ。

なので通夜の後の飲み会だと思ってさ、みんなの好きだったフジテレビ番組コメントブクマしてくれよ。

俺はやっぱり忘れられないのは「ラスタとんねるず'94」だな。

とんねるずのみなさんのおかげです」の充電期間にやってたわず半年番組だったがまあ伝説だった。

なんといっても「ジャイアント将棋」。正直当時は格闘技とか全然詳しくなかったのだが、異業種格闘家が戦うのは激アツだった。最終的にとんねるずの2人も格闘家も戦ってで、バラエティ系の競技だととんねるずが勝ったり、それこそ相撲かなんかで石橋貴明ガチ格闘家に勝ったのは胸アツだった。

それに「SPITTING IMAGE JAPAN」。人形劇で当時はなんか笑ってただけだったのだが、大人になってから改めて見たら政治風刺めっちゃ攻めてて驚いた。「サタデー・ナイト」のパロディで「小沢(一郎)についてきゃ間違いないっ!」とか歌ってるの最高だった。

他にも「ウッチャンナンチャンやるならやらねば!」の南ちゃんを探せやマモーミモーはいまも覚えてるし、志村けんのだいじょうぶだぁ人間ルーレットとかもホント爆笑だった。初代笑う犬安藤さんへの繋ぎとかも最高だった。

みんなもさ、好きだったフジテレビ番組コメントブクマしてくれよ。笑ってフジテレビ通夜を過ごそうぜ。

anond:20250118105858

弱みというか信仰問題から

増田みたいに気にしないならいいけど気にする人が多いから成り立ってるんだよ

葬式通夜法事もお参りもなにもかーも一緒

必要ない人には必要ないけど必要な人が大勢いるのが今の社会なんだよね

2024-11-20

ハリス敗戦の時と同じリアクションで草

開票後に出社したらお通夜みたいな雰囲気だったり、「国民バカから」とブチギレしたり、同じことしとる

敗因を考えてた人達はどこに行ったのか

2024-11-18

anond:20241118001247

夏頃に日経が大暴落したとき、よくあることよくあること……と呪文のように唱えてたな

暴落は2日あって、1日目は楽観視してて不安視してる奴らをバカにしてたけど、2日目は完全にお通夜モードだったのは笑った

2024-11-07

anond:20241107031442

通夜ムード沈黙してる層とブチギレてる層に二極化してる

それでも陰謀論を唱える連中がいないのは少し感心した

2024-11-06

昨日までの増田検索してみたけど意外とハリス支持いなかった

https://anond.hatelabo.jp/search?word=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9&mode=top&page=6

 

増田ですらトランプ優勢だったのに、テレビさんのアメリカ選挙予想ハリスで外してお通夜お笑いでもお取りにきたのかな?

久しぶりにテレビ面白いと思ってしまいましたわ

2024-10-22

追記有】東京都婚活イベントに行った

都民女性です。未婚のため東京都恋活に参加してきました。

https://www.futari-story.metro.tokyo.lg.jp/calendar/20241020/

【1部 ホテル宴会会場】

・参加費1000円

ホテルの式場に集められる

・男女4:4の8人が1グループ

軽食なしで6時間拘束

有名なテレビ局報道陣が来ていました。

すでに報道されているみたいなので検索してみてください!

男性側の年齢

40代:5割 

30代:4割

20代:1割ぐらいでした

体感

40代は45-49歳

30代は30-33

20代は25歳前後

という感じです





★開始~婚活アドバイザーのおばさんによる挨拶

「皆さん立ってください!これからあなたたちにアドバイスします!」

もうこの時点で嫌でした。5分ぐらい立たされました。





自己紹介シートを書いて1:1で3分間話す

自己紹介シートの自由記入欄の内容は2つありました。難しかったです。

1,東京都の好きな場所

悪い点 東京都限定されると困る

  行動範囲特定されそう

2,今年やってみたいこと

悪い点 あと2か月で2024が終わる

ちなみに東京都の好きな場所スカイツリー浅草などが安パイでした。

この後一緒に行こうと言えるからです…ただしそんな男はいませんでした。



★卓にいる男性

4人1グループで計16人話しましたが、どの卓もだいたい構成は同じでした。

男性グループ構成

自分語り男1

絶対視線を合わせない男1

フリー枠2

運が良ければフリー枠に”女性と目が合わせられ、会話のキャッチボールができる男性”がいました。

体感フリー枠の中から1/4ぐらいで出会えるため、女性陣の間では『Sレア』と呼びかなり好感度が高かったです。

というより実際SSレア男性などいないので、精神が摩耗した女性陣はSレア=優良物件錯覚していました。



婚活アドバイザーイチオシの謎のゲームを行う

お見合いの後、「男女の共通点を探し出そう!」というゲームを何回か行いました。

婚活アドバイザーはここで「ゲームからって真剣になりすぎる人がいますがやめてくださいね~w」と心配していましたが、真剣になるほど面白いゲームじゃないです。

ゲームの内容】

お題 『みんなが好きな食べ物を決める』

1分ぐらいで全員の意向が決まる

カレー餃子って苦手な人少ないよね」「ここの卓は苦手な人いないからそれにしよう!」

 ーーー終ーーー  

「…この後どうします?」「このゲーム何ですかね…?」

微妙空気

上は『かなり成功例』です

私の女性陣チームは明るくて声が通る方と一緒だったので、和気あいあいとお喋りできました。

他のチームを見るとお通夜みたいな雰囲気だったり談笑しているところがあったりと卓によって差が激しく、まあゲーム内容に問題ありだもんなという気持ちです。



トイレ休憩(15分)

会場はガンガン冷房が効いていたのに、トイレが3-4階の2フロアで計5部屋しかなくて社会的な死を経験するかと思いました。

スタッフに「列整理します!無線で別の階の方が空いてると連絡が来ました!すぐ移動してください!」と3階と4階を階段で何回も往復させられ、東京都による『机上の空論』を体感してきました。



【2部 花やしき

婚活アドバイザー「皆さんお待ちかねの花やしきです!」「安心してください、これまでマッチングしてない男女で行きますよ!」←はぁ?

都庁の粋な計らいにより、全く喋ったことのないおっさん達と遊園地に行くことになりました。

私の卓にはハンターハンターの陰獣みたいな4人(40代)が現れ、絶望でした。

蚯蚓(49)→僕はい楽しいぞ!聞け!と大声で会話に割り込んでくる

蛭(45)→見た目が50代後半

病犬(48)→ネイルラメ入ってるんだね、僕の爪は磨いてるだけなのにこんなにきれいだよ?とアピールしてくる

豪猪(43)→分厚い辞書を持ち歩き資格取ってるアピールしてくる

この時点で和装趣味40代女性体調不良で帰りました。

陰獣たちも問題ですが、一番の問題は”一緒に行く人間名前が誰もわからない”です。

ここに来る人間どもは指示されないと動けません。

いまこそ婚活アドバイザーが「まずは皆さん自己紹介しましょう^〜!」とか言うべきだった、都庁の読みが悪い。

結局、会場→花やしきまでの間、全員無言でした。

ちなみに病犬(48)はネイル以外も個性的ファッションだった為、日テレフジテレビの二大巨頭に「撮影させてください!!!!!」と熱心に声を掛けられていました。

花やしき営業時間後だったので、クレープ屋とちょっとした軽食が売っている売店だけ営業していました。

陰獣たちはホテルに3時間拘束され腹が減っていて周りが見えなかったのか、花やしきについた瞬間、「空いてるクレープ屋でいいよね!」(散ッ!)(シュバッ…)と勝手に並び始め、女性陣が戸惑っている間にクレープを貪り始めていました(当然自分の分だけ買ってくる)

ここで女3人で「よし、見捨てよう!」と意見が固まり花やしきは女だけで超~~~楽しんだ。



総評

とってもたのしかった、女の友情は生まれたが恋は生まれなかった。

全体的に良かった点ですが、男女ともに異臭を放つ人がいなかったです!

マッチングしたいと思った男】

・目を見て話をする

 (その努力をしてるだけでカワイイ!)

【見捨てた男】

遊園地法律辞典を持ち歩く男

・爪自慢男

陰謀論を唱える男

百合子が独身から非難する男

・何でも褒めておけばいいと無理する男

(カーキ色の服の子を「東京都の色だからカナ?イチョウの……知ってる?」と褒めてた)

・僕、空気読めないですかね?と聞く男

都庁爆破しろ!と叫ぶ男

・どこ住みか詳しく聞いてくる男

・駅までストーカーしてくる男

冨樫の敵キャラみたいな男



追記:めざまし8のYouTube映像に出演されている方への誹謗中傷とも取れる意見が見受けられました。

男性女性関係くそのような行為は何卒ご遠慮ください。

否定的でも肯定的でも意見を述べる際は私の文章に対してだけでお願いします!

※病犬(48)は全ての撮影を断っていたので我々チーム陰獣は全身モザイク処理されています

2024-10-19

喪服持ってないか

ボディペイントで通夜に行くんだけどいいよな?

2024-10-11

50歳の誕生日に盛大に漏らした

この前50歳になったんですよ。

 

家族が準備して誕生日お祝いしてくれるって言ってくれて、嬉しくって急いで帰宅自転車飛ばしたんです。

 

自転車乗ってたらお腹痛くなってきて。たぶん間食に食べたヨーグルトだな、なんつって自転車乗ってたら、ビチッときたんです。で、30秒もしないうちに、モローッと。漏れるとかではなく、でました。括約筋が機能せず、モロォーと溢れ出て。

 

家まで、自転車であと20分はある距離でした。

 

街中で、人通りもある通りで。

 

黒いズボンを履いていたは不幸中の幸いでした。靴下に滴り、白いスニーカーブラウンの染めが効いてきて。

 

公衆トイレに入って余分なものを取り除いて。

 

恥ずかしさとこれが50歳の誕生日だという事実に、泣きながら帰りました。お祝いなんて気持ちには慣れなくて。お通夜みたいな50歳を迎えました。

誕生日プレゼントには、自分で白いスニーカーを買いました。

 

筋トレはやった方が良いでしょうね。括約筋は鍛えとくほうが良さそうです。一足先に初老となった先輩からアドバイスです。こういうのが、知見っていうんですかね?

柔道選手の回想を聞いてほしい 4


トイレ付近水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。

「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。

これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。

結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分道程を認めることができる。

ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。

先生。今までありがとうございました」

T君の目に涙が溜まっていた。

先生。これ、悔し涙ですかね?」

「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」

はい。なんか。自分でもわかんないです」

「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」

「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」

「これ? ああ、これね。これは……」

ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。

ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。

T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。

T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。

ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。

それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。



大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラ広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎ちらしい。目をキョロキョロさせていた。

最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。

ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表確認すると、微妙時間帯だった。

アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。

印象的な出来事があった。

結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線ホーム電車を待っていた。すると、そこに中学生女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活大会帰りなのはわかった。日曜日スポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。

の子スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。

ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。

の子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子ストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。

それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。

別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。

その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。

「俺がどうかしました?」

「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」

「それで?」

「どういう関係かなと」

「全く知らねー間柄ですけど」

「そうですか」

「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」

「いえ」

「そんな法律あるんか、オイ?」

「いえ、それは……」

「そんな法律があるんか、答えろやオイ! お前チンピラか」

「いえ、ないです……」

「じゃー、あなた対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」

「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」

「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」

「いや、その。すいません」

すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。

わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。

当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談女子店員おっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。

ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。

ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」

「……ありがとうございます

「どこまで帰るの?」

川野辺まで」※よく聞こえなかった

「へー。俺はそれより前の駅だと思う」

「そうなんですか?」

「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」

「いいですよ!」

約束な」

はい約束です!」

の子と一緒の電車車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。

アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。

当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会お酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。

それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。



中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生セックスしたことはあるだろうか? 俺はある。

あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからガチ柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。

そんな彼女は、全国中学柔道大会ベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校スポーツ推薦で合格してた。

子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。

その先輩のことが、俺は好きだった。だって自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。

その先輩が中学卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。

その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。

ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。

先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。

そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。

先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。

最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。

それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。

残念ながら、先輩が高校に進んでから柔道試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話大人嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。

高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。



あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。

その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。

そのシーンを見ていた。相手選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。

先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。

意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。

柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校スポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。

結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。

今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。

俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。

大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイPHSコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。

大学の長期休み帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。

大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。

せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である脈絡なくて意味不明だし、記憶改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。

いつも大体、俺からメール送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したか記憶にこびり付いてる。

「今度帰省する時、お土産なにがいい?」

東京ばな奈」

「あれ、前も食べなかった?」

「また食べたい」

リハビリとかしてるの」

「してない」

「どうして?」

無駄だし」

無駄じゃないかも」

「体が動かない。自分でどうにもできない」

車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」

「恥ずかしい。あれで外出たくない」

今日学内リーグ戦で優勝した」

「やったじゃん」

「次の決勝リーグで負けたけど」

一年生でそれならすごいじゃん」

「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」

「え。親がお金出してくれるかな」

「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」

「  くんは彼女いるでしょ?」

「いないよ。できたことない」

うそ

「嘘じゃない」

「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」

「うん」

約束守れる?」

「うん。自活できるようになったら迎えにいく」

「じゃまだからやめた方がいいよ」

邪魔じゃない」

「じゃまだよ」

「俺と結婚するの嫌?」

「ううん。  くんと結婚したい」

「よかった。自分もっと信じて」

ありがとう団体戦がんばってね」

「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」

「  くん。体がイタイ…」

大丈夫?」

「うん。痛い。けどがんばれるかな」

「できるよ」

「呼吸も苦しい」

電話する?」

「できない。息ができない」

「今度の春休みに会いに行く」

「きてほしくないかも」

「なんで?」

「どうしても」

「  の気持ちはわかったけど、また帰省した時に行くから

「歩けるようになりたい」

「なれるよ。絶対

「なれるかな」

「うん」

ありがとうね」

「  。今、何をしたい?」

さわりたい」

「何に?」

「  くんに」

「俺も  にさわりたい」

「ほんとうに?」

「本当だよ」

先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。

その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。

それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが

墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。

ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類最後になれるよう祈っててほしい。

次です(最後

https://anond.hatelabo.jp/20241011192841

2024-10-06

なにわ男子結成6周年によせて

10月6日

この日が巡る度、毎年思い出す。

しんどかったな~って笑


ハッシュタグの飛び交う中、嬉しいのに純粋に120%この日を喜べない思いを消化し、きちんと喜べる日にしようとこの日記を書きました。

そもそも何故なにわ男子の結成日が『6日』なのかと言うと、Duet、POTATOWink UP所謂『3誌』の発売日だからである

なにわ男子の結成は上記3誌で発表された為、発売日の2018年10月6日と相成った。

どこのユニットもほぼそうだと思うが、結成日と言いつつ正確には結成『発表』日である


2018年10月5日

早売り情報が流れて来たり、見ない様に流れて来ない様にしたりの毎月であるが、この日この情報を見なかった関ジュオタクはいないと思う。

関ジュに新ユニット『なにわ男子』』。

メンバー西畑大吾大西流星道枝駿佑高橋恭平長尾謙杜、藤原丈一郎大橋和也

今と同じ7人である


メンバーが発表されたことで、この短文の情報がありとあらゆる関ジュオタクに混乱をもたらせてしまった。

·MAIN活動していたのは西畑大吾向井康二大西流星室龍太の4人だったのに4人中2人の名前が無い。

関ジュMAINの2人が。

年齢的にオタクも焦っていたと思うので、下から下克上を起こされ、省かれた様な空気が流れた。


·藤原丈一郎·大橋和也公式ユニット加入も、Funky8と言う屋良朝幸くんの作ってくれたユニット事実上自然解散を思い知らされない訳にはいかなかった。

ちゃんFunky8の赤なのだから

『リューン』の時に丈ちゃんが言っていた『3列目の逆襲』が本格的に始まったのである


·当時の関ジュ結構明確に下記の序列があった。

西畑大吾

⬇️

向井康二

⬇️

大西流星·室龍太

⬇️

高橋恭平·道枝駿佑·長尾謙杜(信号トリオ)

⬇️

正門良規·小島健(もんビバ)

⬇️

西村拓哉·大西風雅·嶋﨑斗亜·岡﨑彪太郎·當間琉巧(ちび5)

⬇️

藤原丈一郎·大橋和也·林真鳥·古謝那伊留·朝田淳弥·今江大地·末澤誠也·草間リチャード敬太

⬇️

※は場合によって入れ替わっていた様に思う。

此処のもんビバを飛び越えてしまたことにより、もんビバ担にも衝撃が走った。

こじけんは兎も角、この年はれんれんのデビュー年でもあり、当時の関ジュからするとユニットもないのに『デビュー』なんて言葉が思いついている訳もなく、同期の正門くんも『早くデビューしてほしい』どころか『やめないで』と言った不安気持ちが何処と無く漂っている時期であった。


そんなこんなで、なにわ男子と言うたった7人のユニットが結成されたことにより、ほぼ関ジュオタク全員をゆるがす大事件となってしまった。


当時私は関ジュ担のTwitterに住んでいたが、あの日の凍った空気は忘れられない。

オタク同士のTLなので激昂する様なヤバいはいなかったが、

·なにわ男子以外の担当ツイートできない。

(今後の自担が何も見えていない中でとてもじゃないけど『おめでとう』等言える心境ではない)


·なにわ男子担当ツイートできない。

(そんな空気の中でとてもじゃないけど喜べない)

正に文字通り突然地獄の様なTLとなった。

私は当時からなにわ男子メンバー担当であったが、例に漏れず誰からも『おめでとう』とは言ってもらえなかったし、自分自身も何も発信出来る空気感ではなかった。

(兄組の担当さんはまた違ったのかもしれない)


色々書いたが空気的にはやはり『康二くんは?』と言うみんなの思いが1番強かった様に思う。


そんな一夜にして訪れた問題の数々をオタク解決出来る訳も無く、私達にはその時『Fall in Love』と言う梅芸公演が迫っており、常に目の前に見えていながらその問題は一旦見ない、と言った本当に無理矢理な方法で終わった。


勿論なにわ男子に入る入らないで関ジュオタク同士がお互いを好きになる訳でも嫌いになる訳でもなく、複雑なその問題は受け止めつつ華麗にスルーする運びとなった。


関西Jr.バリバリサウンド、略して関バリと言うラジオ番組は当時藤原丈一郎·大橋和也·正門良規·高橋恭平の4人がレギュラーメンバーとして放送されていた。

丈くんの面白さ、正門くんのフォロー、橋橋のおバカ加減が絶妙バランスで、この中に担当がいない私も当時は毎週楽しみに聴いていた。

メンバーを見てお分かりのことと思うが、4人中3人がなにわ男子となった。

此処もまた地獄絵図である

生放送だったので同じ時間軸で進んでおり、なにわ男子が結成されて初めての放送を固唾を飲んで聞いていた。

挨拶は変わらず、『関西ジャニーズJr.藤原丈一郎』『大橋和也』『正門良規』『高橋恭平です!』で始まった。

ユニット名を名乗らないどころか、その日の放送ではなにわ男子が結成された話は1mmも出なかった。

こんな大きなニュース近年の彼等に無かった筈なのに。

彼等もまたオタクと同じ様に、『なにわ男子を一旦スルー』することを、なにわ男子も、なにわ男子以外も、選択していた。

彼等もきっと、苦しんでいた。

私は、『あの大らかそうな正門くんでもこんな空気になってしまうのか』とことの重大さを改めて思い知ることとなった。


一方で、その頃丈くんは『タイヨウのうた』と言うふぉ~ゆ~辰巳くん主演の舞台にも出演していた。

当時なにわ男子は勿論関ジュも今みたいな爆発的人気はなかった為、この舞台も当日券で、大阪初日観劇することが出来た。

そこには、最後カーテンコールで『なにわ男子藤原丈一郎です。』と挨拶をする丈くんがいた。

『僕、今初めてお客様の前で『なにわ男子』って言いました』と嬉しそうに言っていた。

関西ジャニーズJr.が他に誰もいないこの空間で、初めて丈くんは何にもとらわれず自由に『なにわ男子』を出すことが出来ていた。


話は戻るが、SNSでの反応が芸能人に届かない時代でもなく、恐らくなにわ男子自身が1番反対されている空気感を感じ取っていた(SNSでは応援より批判の声が常に大きいしね)。

それが梅芸初日に立ってみて『応援されていることが分かって安心した』と言う様な彼等の当時の発言に繋がっていたと思う。


梅芸が終わり、クリパが終わり、序列が変わったことをオタクは口に出さずに徐々に受け入れて行くしかなかった。


そんな時にまたしても大事件が勃発する。

それが、『向井康二Snow Manへの加入』である


2019年1月4日18時公演。

私は入っていなかったが、同日に3公演もあり、それぞれを観ていたオタク10人近くと夜に打ち上げと言う名の新年会をすることになっていた。

終演後、出て来たオタク達は精神状態がかなりボロボロであった。

ROTでも取り上げられているし、素顔4でも発売されたが、公演があんな状況であった。

マイドリでみんなが泣いている。

楽しくみんなで呑む筈が、まるでお通夜である

今迄ああ言う時の関ジュは誰かが辞める時であり、『この人が辞める訳では無いと思う』『こっちかなぁ?』『何だったんだろう?』と解散する迄ひたすら答えの出ない議論が繰り広げられた。


そこから約2週間後、私達は涙の意味を知ることになる。

康二くんのSnowMan加入は彼に残された最後のチャンスであったことは誰の目にも明らかであり、喜ばない人はいなかった半面、あんなに関西を愛して来た彼が何故東ジュにならないといけないのか。

しょおれんのトラウマもあり、またなにわ男子は叩かれた。


そんな中、希望が見え始めたのが『Lilかんさい』の結成である

私はユニットが『なにわ男子』だけでなくなったことに心底安堵した。

元々『ちび5』として非公認ながら5人でいることが多かった為、こちらは誰も増えず欠けず、すんなり受け入れられた様に思う。


そして『Aぇ!group』の結成。

Funky6の行方が知れない中での末澤·草間、そして間にいたもんビバの活動保証されたことで、なにわ男子担的にも自担の長年のツレが多いユニットであり、『良かったね』と言う雰囲気であった。

立て続けのユニット結成であり、非加入組担にも既に『関ジュは変わってしまった。仕方がない』と言う空気も流れていた。

こうして、『一方的に叩かれ続けたなにわ男子』はこの辺でふんわりと歴史を閉じることとなる。


その後、龍太くんも俳優専業となり、真鳥くんも振付師への転向朝田くんは3月の春松竹で退所と、徐々にみんなの道が決まって行った。


夏の8·8で、康二くんは加入から7ヶ月でデビュー組への階段を昇ることが決まり、同じく夏にAぇ!groupはなにわ男子より先に単独関西ツアーを回ることになった。

なにわ男子デビュー発表はそこからおよそ2年先である


何だ、普通にお互いちゃんとしたライバルだったんじゃん。

(しかも結果康二くんにはデビュー、Aぇには単独で負ける)

叩かれたのは何だったのか。

Aぇが出来たことによりこれで叩かれなくて済む、と言う安堵感と、モヤッと感と。

そこから何年も経ち、なにわ男子が出来てからファンデビューしてからファンがもりもり増え、何のしがらみもなく純粋に喜ぶ人が沢山増えた。


10月6日は、私にこの1年弱の色々な感情を思い出させる日にちなのであった。

数年のもやもやを書ききって浄化させたので、これからは私も幸せ気持ちだけでお祝いしたい。


読んでいただきありがとうございました。

2024-10-03

anond:20241002111546

こんなつまんないDQN丸出しの自分語り酔っ払い老害オヤジ説教級にウザい上に知性ゼロやん。史跡美術館デートでお通夜になるタイプだわ。ヤンキーとかホストくらいしかこんな中卒レペルの脳みそと話合わせられないだろ。彼氏の忍耐力が高いことだけはよく分かる。

(私の場合は、マチアプで出会い2年半付き合ったモラハラ男が出会ったときから既婚者子持ちだった)

(ずっと母方のお婆ちゃんだと思ってた女性が実は赤の他人だった)

ハリウッドスターとの写真撮影で、プリンターエラー写真が出ず、5万円を無駄にした)(これは今でも本当に悲しい)

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