はてなキーワード: 個人的意見とは
法華狼とは意見が合わないがこれについてはコメントがアホ過ぎるので。
一にも二にもこれが全て。炎上したこと自体を否定している、という前提でコメントしている人が多すぎる。
なぜ、この程度での批判でこんなになるかというと、AIの雑誌の表紙の件で、企業が取り下げてしまった事件があったから。最初はこんな程度のもの、だったのに実際に取り下げられたことで一気に危機感上がって、以降は批判しまくるようになってる https://t.co/a1x9kWm82w— エキサイ (@excite6636) November 26, 2024
これについては当事者(慶應SFセンター所長大澤氏)の認識を示しておく。
あと根本的な話として、Twitter等のSNS上の議論を何らかの生産的なものと捉え、意思決定プロセスに入れるのは危険だろうとは、当時も今も思っています。一部の意見のモニタリングには有用だけど、正しい意見が通る媒体ではないし、実際、反響は見るけど、次の表紙の意思決定にはほぼ関与してない。— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 30, 2024
どうも自分が「当事者」らしいので当事者見解を述べておきますと、始めに外部からの表紙への指摘として気づいたのはスプツニ子!さんではなく新山さんの指摘でしたね。あと、自分としてはエクスキューズがあれば、と言っており、なかったので「問題視」はしてました。でなければイベント出たりしない— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 30, 2024
2013年末に起きた人工知能学会のいわゆる「表紙問題」については、2015年の表紙変更の際に総括記事を書きました。ただ、本件を炎上として扱い人たちは、事実自体に興味がないのかも……2015年表紙更新にあたって :人工知能/30 巻 (2015) 1 号/p.2--6 前年の「表紙問題」のまとめとこれから→— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 29, 2024
法華狼にアホなコメントが付いていることから学会誌を読むヤツはほぼいないだろうが、表紙について学会内外から批判、その問題点を人工知能学会は重く受け止めているとし、それを基に次の表紙についてのプロセス見直しが行われたことが書いてある。決してフェミニストからの批判だけを受け止めていない。
記憶によれば肯定/否定問わず表紙問題のときに人工知能学会に来た意見は数件とかいうレベルなので、業務負荷というレベルでない。あと、10万人が賛同しようと不適切な意見は無視しますし、1人の提言であろうと価値のある意見は反映されます。アカデミアが専門性を無視して票数のみで決定したら終わり— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) December 3, 2024
(あと私は15年前から韋宗成老師のファンだし、台湾の方々がパブリックな場所での表現でどういうラインを引いてきたか、何を守るべき価値だと考えてきたかは、そこそこ追っているつもりです、よ)— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) December 3, 2024
大澤氏、人工知能学会と当事者が批判に一定の理があると内部で議論を重ねより良い表現を模索し、努力を重ねたことが資料として提示されている。
これを炎上させられたから対応を迫られたのだ、という事は勝手だが、それは当事者の意見を無視して自分の意見を知らしめたいという意味で大川隆法の霊言と変わらんことは自覚すべき。
法華狼の記事にある学会誌を読めば人工知能学会が炎上の元となった批判に理があると受け止め議論を重ね改善に動いたことが分かる。これを炎上だ、フェミニストが燃やしたのだとそこ“だけ”にこだわるのは研究者に対する侮辱だと思う。
利用者が日に日に減っている。全体的な伸び率を見てもイーロンショックは凄まじい感じがする。仕様変更も酷いが、強制広告は利用者が減る合図かもしれない。斜陽もいいとこなので未来が無い。近く崩壊するのでは?
広告により利用者が激減したところ。が各SNSの利用者を考えても力は強く、外資系に勤める人なら利用したほうがいい。日本で使うのは高齢者が多い。圧倒的世界一位なのに日本では全然なのは文化的違いだろう。
仕様変更により相当使いづらくなった。あえて悪くしてThreadsに流すためだろうと考える。Instagram自体のアクティビティも減っている。Instagramから自動的にアカウントを作成できるので爆発的に伸びはしたが、Threadsも伸び悩んでいる感じ。Threadsはどうも日本では主婦の学級会の新たな場になっている模様。
安定して伸ばしている。投げ銭やサロン系が増えた感じでトラブルが心配。シニア層もかなりが利用しはじめた様子。やはり黒柳徹子と上沼恵美子チャンネルのおかげ?(※超個人的意見)YouTubeMusic(笑)
安定して伸ばしている。気になるのは使用できない楽曲が増えたこと。大手レコード会社がTikTok利用にNGを出した影響なのだろう。トランプ政権になったのでTikTok運営が解放される気がする(児ポ関係でぶっ叩かれてた)
漫画を見ていても「メールする」が「LINEする」に変わったように日本では一般化した。LINE VOOM LIVEの伸びが凄くて、映画の舞台挨拶配信などにも使われているがYouTubeかそれ以上に再生されることもある。ショート動画にも参入しているが安全性の面で不安は残るので、今後に関しては国の対応次第な気がしている。
長年各コミュニティを築いてきたが、その閉鎖性によりX不具合の受け皿になりきれない部分が多く、ユーザーが一瞬増えてもまた落ち着いてしまうループから抜け出せずにいるようだ。他SNSも大体このループに陥っている印象。
まだ2月に正式公開したところ。明らかにこの上位陣の利用者には追いついていない、が成長速度はThreadsを超えていま一番勢いがあるSNS。AI等で移動が話題になったが、それよりもXの不具合でその度伸びている感じはある。最初の転機はブラジルのX利用禁止令だった(今は解除)。その次はアメリカ選挙でのトランプ勝利。イーロン抜擢。その日から毎日100万人増えるような状態になっている。利用者1億人くらいは直ぐかもしれない。元はツイッターの企画だったことはあまり知られていない。
他タイッツーやミスキーなどに触れようと思ったが、利用者数に関しては上記に足元にも及ばず、及ぶこともないと思うが、しかし応援する価値はあると思っており、あえて指摘はしないでおく。SNSはたくさんあっていいと思う。一極集中すれば思想操作も簡単になる。
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
今回の訴訟って、記事に対する名誉毀損であって、性加害の事実認定については名誉毀損を認めさせる上での副次的な内容でしかないということ。
で、大体の人が勘違いしているのが、「たられば型謝罪」について、それは謝罪ではないという部分。
気持ちはわかるし、増田も松本人志を擁護するつもりなんて一切ない。
でも、それとこれは別。ここは裁判の公平性に関わってくる部分なので、松本人志がどうとかこうとかよりももっともっと大事なこと。
「松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。」
これは松本人志側による一方的な声明ではあるのだけど、文春側も取り下げに同意しているということはこの事実の否定はされていないということ。
つまりこれは、裁判という公平な制度のもとにおいて、訴える側訴えられた側のどちらもが認めた事実ということになる。
もうそうなってしまったら、第三者がとやかく口を挟むことではない。それが裁判というもの。
「いや、被害女性は記事に虚偽はない。納得ができないといっている!」
ごもっともです。
ただ、忘れちゃいけないのは、今回の訴訟は記事の内容に対する名誉毀損であって、松本人志が性的加害を行っていたかどうかではなくて、記事の内容に真実性があるかどうかという点でしかないわけ。
もし松本人志の性的加害を認めさせたいなら、被害者からの告発が必要で、被害女性も取り下げに納得行かないなんて言っている間に訴訟を起こせばいいじゃない?ということにしかなりません。
もしくはSNSで確信をもって松本人志を黒だと言い張っている人が何らかの形で訴訟を起こせばいいだけの話。
それもせずに「取り下げの同意に納得が行かない」というのは、1000%ただのお気持ち表明でしかないです。
たられば型謝罪について。
「松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。」
ここの勘違いが一番大きいのだけど、前段で「物的証拠がない」という内容で同意を得ている以上、記事の内容について謝罪することはありえないです。
だって、そうしたら同意した内容を否定することになってしまうから。
なので、本来はこの謝罪については必要がないものということを忘れないでほしい。
ただ、やっぱり本人は感覚がズレていたことを反省しているのだと思う。
「事実無根なので戦いまーす」とか「やっとでたね」みたいな(ちゃんと覚えてないけど)世間を舐めてた感覚があったのは事実で、そのことは謝罪しないと収まらんよな、という判断での謝罪と考えればいいんじゃないかな。
で、これに対して「誠意がない」とか「謝ってない」っていうのも1000%お気持ち表明でしかないです。
他人から与えられた断片的な情報だけで物事を判断するという、陰謀論ムーブであるという点にご注意ください。
じゃあどうすんのよ。ってところ。
ただ、何で訴えていいかわからないって人は、そもそも訴える権利を持ってないのであきらめてください。
それでも自分が納得行かないからあいつを締め出せ!というのは、それはもう魔女裁判なんよ。
松本人志憎さに、いつかあなたを守ってくれるかもしれない裁判の公平性を損ねちゃダメでしょ。
「あんた顔がキモいから有罪」っていうのと、根本で同じことになっているということを忘れないで。
それでも、見ない自由はあるよ。
結局はその部分を徹底的に貫くしかないよね。
でもさ、結果的に世間が松本人志を受け入れてしまったときは、自分は少数派だったんだなっていう事実も一緒に受け入れなきゃダメよ。
それに対して「世間が間違ってる」「マスコミの陰謀だ」っていうのは簡単で、でもそれはさっきも言った通りただの陰謀論ムーブです。
そんなに世の中は自分の思い通りにはならないってこと。
まとめ
この内容を松本人志擁護だと思っちゃう人は本当に危険なので気を付けて。
「名誉毀損訴訟を起こした上で、双方が「物的証拠がない」」と同意して取り下げを行った。」
それを否定することは、現代の裁判制度そのものを否定するということになる。
もしこれに不服がある人がいれば、それはもう訴えるしかないです。
ただ、一点言えることは、松本人志側が、過去の飲み会において「不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。」ということを認めたという点。
もし本当にそういう思いをしたという人がいるならば、その訴えはかなり通りやすくなったと思っていいです。
本当に彼をテレビから消し去りたいなら、そういうことを証言してくれる人を探してくることからはじめたらいいと思います。
それもしないで「いたに違いない!」はただの魔女裁判ですよともう一度申し上げます。
今のところ半々かなぁ。
個人的にはもう二度と顔も見たくないくらいの気持ちだけど、吉本のゴリ押しパワーで来年の春頃には普通に出てるんじゃないかな。
それについてはやっぱりまだまだ女性の性的被害についての世間の理解が足りないよなって思う。
増田の考える最高なシナリオは、松本人志復活がでかいショーレースとかで企画されて、プロモーションにもめちゃくちゃ金を使ったうえで直前に新たな告発が出てきて全部丸つぶれになることかな。
過去の過ちをたられば型でも認めたということは、その部分の可能性を大きく開いたってことだと思うので、ぜひ週刊誌各社の記者さんには頑張っていただきたいところです。
前回、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について書かせていただきました。
https://anond.hatelabo.jp/20241028233555
X経由でも約700名の方に閲覧いただけたようで、ありがとうございました。
今日は、市長選の重大論点の1つである、守谷駅前の開発議論について考えてみます。
日々Xで皆さんと交流していると、要するに様々な論点がごちゃまぜになって語られており、
このままだと議論が平行線を辿ったままになると思ったので、まとめました。
一応、一定のデータを集めた上での考察ですが、自分も当事者なので、実感値も交えた話が散見されます。
引き続き、事実・解釈を上手に分けてお読みいただきますよう、お願いいたします。
また、最後にも書きますが、私は自民党員でも松丸信者でもありません。
ただの暇な人ですのであしからずです。
なお、こちらのページの特性上、画像貼り付けやエクセルファイルの貼り付けはできないっぽいです。
まず本件については、以下の3つの論点がごちゃまぜになっていることに留意が必要です。
それぞれについて、細かく見ていきたいところですが、まずはデータを集めてみました。
(1)市民の実感値
これに関しては、守谷市のまちづくり市民アンケートは、論拠のひとつとなるでしょう。
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/gyouseihyouka/1006780/1006785.html
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※令和元年→令和2年→令和3年の数字を手集計
ある 5.7→ 4.2→3.8
どちらかといえばない 41.4→ 46.7→48.4
ない 27.7→28.7→27.6
単位は全て「%」
==========
・守谷市民は、実感値では、75%の方が「駅前ににぎわいがない」と考えているようです。
・毎年 、実際ににぎわいが減っていっている、もしくは市民の意識が高くなっているためにぎわいがないと認識するようになっている、どちらかであることが読み取れます
(2)地価
にぎわいとは若干異なるとは思いますが、地価を見ることで、守谷駅周辺の価値をはかることも重要でしょう
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/138/suii.pdf
↑本当は他自治体もこういう資料が欲しかったんですが、つくばは塩対応、流山もたらいまわしにされてしまい面倒なので一旦断念しました。
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H25→R6のデータを拾ってきました
1,730/H25→1,730/H26→1,730/H27→1,740/H28→1,770/H29→1,850/H30→1,940/R1→1,990/R2→2,070/R3→2,200/R4→2,400/R5→2,700/R6
ざっとですが、約10年で1.56倍になっていることがわかります。
※単位は全て「百円/m2」 つまり、平成25年は1平方メートルで173,000円なんだそうな
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(3)人口
一旦、以下の通りまとめてみました。※手集計、地獄
ひがし野1丁目+4丁目・中央1丁目~4丁目・百合ケ丘2丁目3丁目・松並青葉の人口推移
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/toukei/1005522/index.html
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ひがし野1丁目+4丁目 1091/H29→1110/H30→1226/H31→1304/R2→1298/R3→1337/R4→1341/R5→1370/R6
中 央1丁目~4丁目 2327/H29→2354/H30→2401/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
百合ケ丘2丁目+3丁目 4737/H29→4825/H30→4781/H31→4840/R2→4849/R3→4930/R4→4931/R5→5001/R6
松並青葉1丁目~4丁目 1463/H29→2123/H30→2717/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
※単位は全て「人」
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(4)その他
駅徒歩圏内でこの10年で新たにできたモノやコト(私の記憶の範疇)
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<事実>
市民アンケート:「守谷駅前ににぎわいがない」と感じている人が75%いる
人口:この7年で、ひがし野1・4丁目で1097人→1370人と25%増 百合ケ丘2・3丁目で4737人→5001人と5.6%増 中央1~4丁目で2327人→2584人 と11%増となっています
その他:駅前イベントはコロナ禍も乗り越えて定着、商業ビルやブランチ守谷もオープン等、受け皿自体は増えている状態ではあります。
ただし、ブランチ守谷やダッシュビルでもテナント撤退は続いている状態。
<考察>
人口が増えている。それに伴ってかは不明だが、地価も商業施設の発展も見られている。
駅前での毎月のイベントやブランチでの町内会イベント等、定期的に人が集まるイベントも開催。
ただし、実感値として「にぎわい」は発生していない。
つまり、駅前の開発が失敗しているのかについては、実際として地価も上がっていることからも、
現時点では「失敗していると言い切れない、むしろ経済的には成功している」と考えるのが合理的かもしれません。
※これ、人権に配慮してかなり優しく表現してます。個人的意見は、経済的には成功しちゃってるんだよなぁ・・です。
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そもそも、駅前再開発が必要なのか、皆さんは考えたことはありますか?
気をつけなくてはならないこととして、市のアンケートは「駅ににぎわいがあると感じているか」であって、「駅ににぎわいが必要か」を聞いたものではありません。
皆さんは、「守谷市にとって、駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?」と聞かれたらなんと答えますか?
なぜなら守谷駅は、つくばエクスプレスが茨城県に入った最初の駅であり、関東鉄道との乗り換え駅。
そう考えた際に、守谷市にとって駅のにぎわいが、あった方が良いか、なくても良いかと聞いた時に、「なくても良い」と答えるのは、もはや非国民でしょう。
では、問いを変えます。
「「【あなたにとって】駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?
駅のにぎわいは、恐らくここでは商業の発展や人流を表しているものと思います。
その上で、守谷駅のにぎわいは、あなたの守谷生活において、良いものとなるでしょうか。
実際にこの質問をXで投げかけると、主に以下のような回答が返ってきます
========
・駅では特に滞留しない
========
かなりの駅近に住んでいる私でも、上記と同様の考えです。
駅で買い物をする=荷物が多くなるため、駅近くに求めるものは買い物需要ではないのではないかと思います。
もちろん、「守谷市にとっての駅のにぎわい」や「あなたにとっての駅のにぎわい」について集まったデータがないため、軽々しいことは言えませんし、私の実感値レベルで申し訳ないのですが、
「守谷駅のにぎわい」は、実生活におけるニーズとしてはそこまで高くないのではないかなという考えがあります。
※ただし、私や一定の方が、このアンケートを取ると、結果が恣意的なものになることが多分に予想されるため、当方では集計等はしません
人口推移を見る限り、駅近くがあきらかに人口空白地帯になっているワケではない(むしろどこも満員御礼に近い)ことからも、買い物の利便性に乏しいという実態がない、もしくはあっても、転居を検討するほどのレベルではないということは十分に推察されるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーー
にぎわいを「人流」「商圏」ととらえた際の、駅前再開発の必要性について考えてみます。
先ほど、駅周辺に直結している人口が増加していることを記載しました。
そう考えると、行政が手をつけずとも、民間での商業発展は既に達成されている可能性はありそうです。
ただし、やはり市民として「駅前で仕事帰りに買い物をして家に帰る自分」が想像できないのも事実。
実際に、最も利用者のニーズに敏感なコンビニの品ぞろえとしても、守谷駅のファミマでは野菜・タマゴといった生鮮品は置いていなかったと記憶していますし、ファミマで夕飯買って帰った!という体験をした人はほぼいないでしょう。
スーパーマーケット機能としても、東口の守谷コレクション・西口のブランチ守谷で、仕事帰りと思われるお客さんで賑わっている様子はあまり目にしません。(※ブランチ守谷の半額品漁りは別)
実際、twitter(当時)においても一部のユーザーの熱意で守谷コレクションが夕食時に弁当を改札近くで売る様に働きかけ、実際にそのような動きがありましたが、あっという間に撤退したのは記憶に新しいところです。(いやせめて言い出しっぺの人は、日常で買ってtwitterで拡散してやれよ・・・)
西口:コンビニ機能こそ不足しているが、お買い物機能として、中央1丁目側はベニマル・中央4丁目・百合ケ丘はイオン(カスミ)で成立している
東口:コンビニ機能が豊富(ローソン・セブンイレブン)、ブランチ守谷・ヨークベニマル、本町側はストッカーが商圏として成立している という状態が読み取れます。
現状で生活と消費のバランスがとれていることを考えると、守谷駅周辺に新たに商業施設(少なくともスーパーマーケット施設)は必要なさそうだなと考えられると思います。
ただし、買い物ニーズがないというのは恐らく外れてはいないと思いますが、
サービス系の業態(ジムや塾といったサービス)に対するニーズはある可能性があります。
実際、守谷駅は学生の電車通学者が少なくない(実数不明)ため、後述の通り、勉強スペースのニーズはあるかもしれません。
また、ジムに関してもエニタイムフィットネスほか、パーソナルジムやエステが乱立していることからも、サービス系の業態でればペイできる可能性はあるかもしれません。
※現状では供給が不足しているのか等については不明。あえて言うなら買い物以外で頼むぜ、そうしないと失敗確率高いぜ程度の温度感です
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日常使いという点を考えると、中央・ひがし野1丁目や4丁目に居住されている方が、守谷駅の商圏と捉えて良いでしょう。
一方、日常使い以外の点、例えば駅から遠くに住んでいる方が駅に定期的に集まる機会はどの程度あるのでしょうか。
つくばエクスプレス沿線にあるショッピングモールから想定してみます。
・流山おおたかの森SC:1753台
・つくばのトナリエ:4000台
どちらかというと流山や柏の葉よりもつくばレベルの郊外化が進んでいると想定される守谷でも、2000台~4000台の駐車場の準備は必要と考える必要はあるでしょう。
また、商圏外からの流入と考えると、自動車・バス・電車での移動が中心になると思います。
そうなると、市内でもイオン・アクロスモール・守谷テラスとも競合
市外でも上記3施設や、取手でまさに今作ろうとしている広大なイオンとも客を取り合う必要が出てきます。
それらの施設、あまつさえ市内の他施設と客を取り合う必要も出て来るため、駅前再開発においてはかなりの競争力がある施設を考えなくてはなりません。
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そうはいっても、守谷駅前の再開発が必要だととなえる市民はいます。(何人いるのかは知りません。データもないし)
市長候補3名中2名が、駅前再開発について発信されていることを考えると、市民にとっては大きな関心ごととしてとらえているのでしょう。
※今まさに再開発しようとしている新守谷駅周辺はほぼスルーするのに、何十年後にできるかわからない守谷駅再開発について盛んに発信する程度には関心があるようです
かじおか香織さん https://kaori-moriya.com/agenda/
(要約)
・市民の声には不満が多い
・具体的には市の施設(保育ステーション・図書室や自習室・公共施設を整備)を設置、商業施設が連動した再開発を推進する
わたなべ秀一さん https://go2senkyo.com/seijika/136729
(要約)
・若い世代に選ばれる街になるために駅前再開発にチャレンジしたい
・具体的には市の施設(保育ステーション・行政・郵便・図書室・市民ホール)を設置、民間企業とともに再開発を推進する
松丸修久さん https://www.nobuhisa.jp/
前回の記事の通り、松丸氏はハード面で何かを建てます系の主張は特にされない方です(2024.11.1時点)
かじおかさん、渡辺さんとも、駅前再開発の必要性や行政施設の設置によるにぎわい創出を提案されています。
ただし、それによってどういったにぎわいが創出され、市にどのような良い効果が表れるのかについての記載がなく、ここまで論を組み立ててきた当方としては、若干消化不良とみなさざるを得ないです。
経済効果の発揮を主張するのであれば、現在の経済規模→再開発後の経済規模を明記してほしかったというのが本音ですが、
政策の一貫性という観点から見ると、市内全域の交通とも論理を接続しているわたなべさんには、一貫性は感じます。
ただ、現状私が駅前再開発として読み取れているのは、「情緒的価値への訴え」のみです。
日常の利便性や、経済的価値(=私たち個人にとって、何がどう良くなるのか)に関しては、試算の上公表いただきたく思います。
ーーーーーーーーーー
と、ここまで
に分解することを目的とし、
・上記1.守谷駅前の開発は現在失敗しているかの議論・2.守谷駅前の再開発は必要なのかの議論
について記載して参りました。
ここまでまとめておいてなんですが、私は現状、「守谷駅の再開発は経済合理性は低そうではあるが、情緒的に必要性を訴えている」であると読み取ってしまっています。
こんなことで本当に良いのか。
続けて「守谷駅前の再開発は実現可能なのか」について見ていきたいと思います。
と、ここまで書いて大変申し訳ありません。
なんと、後半記事が文字数制限に引っ掛かってしまい、以降の掲載ができなくなってしまいました。
後半については、以下URLよりご参照ください。長くてごめん。
Xでは、コミュニティノートという、投稿に背景情報を付加できる仕組みが運用されています。特に、デマや陰謀論に対してコミュニティノートが付与されているのはよく見かけられます。
ノートは、コミュニティノートの参加者として登録した人が匿名で(正確にはコードネーム制で)ノートを書いたり、他の人が書いたノートを評価する仕組みがあります。
コミュニティノートに参加してノートを書くための敷居はそんなに高くないので、的外れなノートやイタズラが書かれることもあります。
そのようなノートは評価者から低評価を受けるため一般ユーザーに表示されることは滅多にありません。ノートが適切に評価されるように、コミュニティノートは「追加の背景情報が必要ない理由を説明するノート」を書く機能があります。これは、要するにノートに対する反論です。不適切なノートに対しては誰かが反論を書いておくことで、通りすがりの評価者がノートを正しく評価するのを手助けします。
ノートは、根拠となるURLを示すことが推奨されています。反論においてはよくあるのは、
「~~のような指摘はコミュニティノートの目的ではありません。コミュニティノートではなく返信や引用で指摘してください。コミュニティノートのルールを再確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction 」
のようなものです。定番なのは、パクツイ(無断転載)に対して「無断転載です」というコミュニティノートが付くと、「無断転載の指摘はコミュニティノートの目的ではありません」という反論が付きます。
この記事で言いたいのは「いや、コミュニティノートのルールにそんなこと明記されていないよ」ということです。
コミュニティノートは反論も含めて文字数制限が厳しいので、主張をこの記事にまとめました。これを書いた人はこの記事を適宜引用して利用しますが、もちろん、他の人も自由に引用したりリンクしたりできます。
コミュニティノートの根幹は「さまざまな視点を持つ十分な数の評価者が“役に立った”と評価したら、そのノートは表示される」ということだけです。
コミュニティノートのドキュメントは、どのような観点で評価すべきかということに重きを置いており、評価者によって意見が分かれることが大前提となっています。
評価者の意見によらず、「こんなノートを表示すべき」「こんなノートは表示しないべき」という具体的なことは、コミュニティノートの公式ドキュメントにはほとんど書かれていません。
ですから、コミュニティノートのドキュメントのURLを出しながら、「コミュニティノートのルール」を根拠にノートへ反論するのはごく一部の例外を除けば間違っています。書いていないことを書いてあるかのように見せかけて引用するのは悪質な印象操作であり、適切な評価を妨げてしまいます。
ノートへの反論は、あくまで自分の言葉で、コミュニティノートのドキュメントに頼らずに行うべきです。ノートが表示されるかどうかを決めるのは、ルールではなく、評価者の意見です。
ここからは、上記の主張を補強するために、コミュニティノートをどう評価すべきかについて、コミュニティノートの公式ドキュメントに実際には何が書いてあるのか説明します。
意外なほど、どんなノートを評価すべきかについては明記が避けられています。書かれているのはあくまでコミュニティノートの「目的」であって、その目的をもとに個々のノートを評価するのは評価者の仕事です。
ただし、ドキュメントを全部読むと分かりますが、一部例外的に、不適切なノートについても言及があります。そのようなノートに対する反論を書く時だけは、ルールのURLを根拠としてもよいでしょう。(この記事最後のまとめを参照してください。)
コミュニティノートは、誤解を招く可能性があるポストに、Xユーザーが協力して役に立つノートを追加できるようにすることで、より正確な情報を入手できるようにすることを目指しています。
ノートの中身に言及されました。評価者は「役に立つノート」かどうかを評価することが求められています。
また、「誤解を招く」という用語が登場しました。この用語はXのインターフェース上などでも使われており、コミュニティノートの対象として「誤解を招く可能性があるポスト」が想定されていることが分かります。
ただし、注意しなければならないのは、「誤解を招く」かどうかの判断もまたノートの評価者に委ねられるということです。どのようなポストが誤解を招くとみなされるべきか、コミュニティノートのドキュメントには明記されていません。
「陰謀論は誤解を招く」、「無断転載は誤解を招かない」のような区分けはコミュニティーノートのドキュメントに一切書かれていません。個々のケースに応じてそれを判断するのも評価者の仕事のうちです。
つまり、「この投稿は誤解を招いていないのでコミュニティノートは不要です。コミュニティノートのルールを再確認してください」のような反論は不十分です。反論は、他の評価者が「これは誤解を招いていない」と納得してもらうのが目的であり、コミュニティノートのドキュメントはその根拠になりません。
Xがノートの作成や評価を行ったり、ノートに介入したりすることはありません(Xルールに違反している場合を除きます)。Xでは、表示されるノートをユーザーの意見によって決めることは、正確な情報を入手するのに役立つ背景情報を追加するための公平で効果的な方法であると考えています。
Xがノートの評価を行うことはないと書かれています。もちろん、評価という実作業とルール整備とは別のものですが、ここでも「表示されるノートをユーザーの意見によって決める」ことが強調されています。
「○○のようなポストに対してはノートは不要」といった基準をXの側で用意していないことを示す記述です。どんな内容の投稿であっても、評価者がノートが必要と判断したのであれば、ノートが表示される可能性があります。
Xでは現在、人々がさまざまな視点から役に立ち、参考になると考える背景情報を、コミュニティノートが確実に提供できるようになることに焦点を合わせています。
コミュニティノートは、さまざまな視点からユーザーに有益で役に立つ背景情報を提供するために作られており、Xのその他のポリシーやルールを補完することを目的としています。
コミュニティノートの目的はさまざまな箇所で繰り返し説明されています。
コミュニティノートの理念を説明するページであり、特にノートの評価にあたって参考になるページです。
コミュニティノートは、ポストを読んだユーザーが、常により優れた情報を把握できるように、有益な背景情報を提供することを目指しています。ノートは、取るに足らない内容を気軽に投稿したり、個人的意見や侮蔑的な内容を投稿したりする場所ではありません。ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノートを作成しましょう。
この箇所は、珍しく不適切なノート内容に言及されています。「取るに足らない内容」は結局評価者に委ねられるのでさて置いて、「個人的意見や侮蔑的な内容」についてはノートとして適切ではありません。このようなノートに対する反論としてなら、コミュニティノートの理念を引用することができます。
「個人的意見」の逆は、「客観的事実」です。そのため、客観的事実をもとに指摘しているのであれば、そんな指摘はコミュニティノートでしなくていいと思ったとしても、コミュニティノートの理念を引用できません。自分の言葉で反論すべきです。
コミュニティノートは、異なる視点を持つ可能性のある人々も含め、あらゆる人々がポストで議論されている問題について、より深く理解できるようにすることを目的としています。あなたの意見に同意しない可能性のある人々にも、有益性と敬意を感じ取ってもらえそうな投稿を心がけてください。ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現は避けてください。
ここでも、「ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現」がノートにふさわしくない内容として言及されています。このようなノートに対する反論としても理念を引用することができます(ただし、ヘイト表現などはXルールにそもそも違反するため、ノートに反論するよりもノートを報告してしまうほうが適切かもしれません)。
対象のポストが誤解を招く可能性があり、追加された背景情報が事実の理解に役立つとノートで主張する場合、そのノートが十分な数の協力者により「役に立った」と評価されると、対象のポストに表示されます。
コミュニティノートは、Xで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報を提示することを目指しています。
役に立つノートと役に立たないノートの特徴が列挙されています。また、例も掲載されています。
役に立つノートの特徴は「品質の高い資料を引用している」などで、役に立たないノートの特徴は「出典が含まれていないか、信頼できない」「情報が正しくない」などです。
一見すると、どのようなノートが必要・不要なのか明確に書かれているようですが、注意すべきことがあります。
これらの特徴は、評価UIのチェックボックスの内容そのままです。つまり、これらはノートの評価基準であり、逆に言えば評価基準でしかないということです。実際にノートの表示・非表示に繋がるのは、これらの基準に従った個々の評価者の評価です。
ですから、やはりノートの反論に根拠として使えるページではありません。例えば、こんな反論は反論になっていません。
「このノートには誤った情報が含まれています。情報が正しくないノートを書かないでください。コミュニティノートのガイドをご確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples 」
ここでコミュニティノートのガイドのURLを根拠にされても、意味がありません。その評価基準はもうUIに書いてあるので分かっています。それよりも、なぜ情報が正しくないのか、そちらを反論に載せるべきです。
これは極端な例でしたが、このようにコミュニティノートのガイドのURLを使って反論しても、評価基準を説明しただけで中身のない反論となってしまいます。
反論ノートに求められているのはさらにその先で、「評価基準に照らして、なぜそのノートを低評価すべきなのか」をきちんと説明することです。
コミュニティノートのガイドの全てのページを見ても、どのようなノートが適切か、適切でないかの具体的な説明は限られています。理念のページで以下の内容が不適切とされている以外は、すべて目的の説明や評価制度の説明です。
よって、コミュニティノートに対して、以上の内容に当てはまらない反論を行いたい場合は、「コミュニティノートのガイドをご確認ください」のようにコミュニティノートのガイドを根拠とした反論はできません(したとしても、中身のない反論になってしまい意味がありません)。
そうではなく、なぜそのノートが役に立たないのか、ルールに頼らずに説明する必要があります。
この記事に対する反論がされることもあるようなので、コメントします。
当たらない反論です。この記事は「誰が書いたかに関係なく、内容を読めば分かる記事」です。
この記事を使う人は、「この記事があるという事実」を根拠に使うのではなく「この記事に書かれている内容」を根拠に使います。
そのため、誰が書いたか分からないことは反論になりません。この記事に対して反論するのであれば、この記事の中身に反論する必要があります。
基本的には良い人なのだが、話がつまらない(個人的意見ではなく、n=5ぐらいの主観。言いたいことラリータイプの女性や聞き上手さんとはある程度話が合う)
つまらないし高頻度高確率で場をしらけさせるのだけど、それはまあいいんだけど、
Aの話してて、B(Aの隣や次の意味)の話題に変わるぐらいなら良いのだけど、突然Dとかエーの『エ』の話とかぶっこんでくる、それもまあいいんだけど
ネタというよりマウントのために誇張しすぎて(倍とか3倍ではなく100倍とかするからもはや虚言癖だと言ってる人も居る)、それもまあ略
極まれに、会話に混ざれなさすぎると、0からエピソードを生み出す。流石にそれは嘘だからダメだと思う
こないだも、より良きオナニーの話をしてて、VRエアドールの空気入れの話になった時に、電動ポンプか手動ポンプか、自転車用の携帯のやつは効率悪いとか言う話題で盛り上がってた時に、肺活量自慢なのか(昔水泳やってたらしい)口で膨らませてるとか言ってきて、
色々怪しかったので詰めたら、どんなタイプのエアドールさん使ってるかとか聞いてもごにょごにょいうか、的外れな回答しかできずに、
結局、VRはスマホで動画を何回か見たことがあるだけ、エアドール所持歴も無さそうということが発覚した
本人いない時に、エアプはなぁって話になって、我々の行いもある意味エアプだけどなって言うオチが浮かんでどうしても消化したかったから、
【追記】
アマプラその他にはアマチュアが投降した動画がない、というのを失念していた
まあ、それもようつべがあるけどさ……やはりニコニコ動画のノリを思い出すと、ニコ動がいらないってのは言い過ぎだったと思う
ドワンゴよ、ごめんな……
___________________
(以下本文)
別にもういいよな。復活しなくたって。
これまで約二か月、ABEMAとアマプラのすばらしさに目覚めたよ。ついでにネトフリも。
画面はでかいし、画質はキレイだし、そのうえユーザーインターフェースも整ってる。お洒落だ。
正直、ニコ動って、これまで惰性で人気を得てきたんじゃないのか?いわゆる先行者利益ってやつだ。
PC関係だったら、キーボードの配列だって、今のより効率的な配置が科学的に明らかになってるけど、既得権者がいるからそのまま50年以上前の配列になってるんだろ。
俺はもう、ニコニコ動画に戻るかはわからない。今のところはアマプラが一番好きである。
私立中に進学する最大のメリットは、ユニークな個性が育ちやすい点だと思う。
公立中の子たちは、能力の高さを感じることがあっても、強い個性や自己主張にいまひとつ欠ける印象を受けることも多い。
令和の公立中の現場はわからないが、それなりに荒れていた自分の公立中の環境を思い出すと、尖った個性が表に出にくい環境というのは何となく理解できる。個性的であることが何よりも求められるこれからの社会において、これは結構まずいことだと思う。
その点私立中の子たちの話を聞くと、面白いし、大人であるこっちが、へーってなることも多い。
そういう個性が許される環境があるのだろうし、そういう個性を持った友人と関わることで、自分自身も個性的であることを目指すようになるのかもしれない。それはとてもうらやましいことだと思う。
一方、公立中のメリットは、自信がつきやすい環境であることではないか。
選抜されたメンバーからなる私立中の中では埋もれがちな子であっても、公立中ならばそれなりに「できる子」と周囲から見られて、何かと頼られたり、一目置かれたりする場面も多くなる。
それ故のやっかみもあるのかもしれないが、それでも自信、というのは幼い少年少女にとって、成長にとっての最大の原動力であるわけで。
もちろん私立中の中位以下の子たちも、中学生全体で見ると優秀なレベルにはあると思う。でも人間は自分の半径数メートルでしか自分を評価できないわけで、周囲と比較して自己を過小評価してしまい、能力を発揮できないケースはかなり多いのではないか。
あと、勉強頑張ったときの校内順位や偏差値の伸びも、公立中の方が大きいですよね。
では大学進学にとって、どっちが有利なのか、という話。
世間的には、私立中に行く方が圧倒的に有利、と思われているのだろう。確かに最難関の大学に行きたいのであれば、そのとおりと言うしかない。
だが個人的な意見としては、公立中で得られる自信は意外と侮れないし、その自信を武器に結構な大学に合格する子は少なくないように思う。
筆者は臨床心理士と公認心理師(心理士/師 と記します)の資格を有し,会計年度任用職員であるスクールカウンセラーとして働いていた時期があるが,現在はある行政機関で働いている。
この日記に記すような考えを持っていることは,名前を添えて発信することはとてもできないので,初めて匿名ダイアリーをお借りします。
行政の観点は持つものの,あくまで行政を専門とするわけではないので,誤りについてはご容赦ください。
(1)スクールカウンセラーについて
スクールカウンセラーは,「会計年度任用職員」として都道府県及び政令指定都市に任用され,小中・高等学校,特別支援学校,教育センターにおいて,
児童生徒の相談に応じるほか,教員や保護者への助言,研修等を行い,もって,児童生徒の支援にあたる。
令和2年3月以前は,特別職非常勤職員として「スクールカウンセラーを委嘱」されていたが,同年3月以降は,「会計年度任用職員に採用」されることとなった。
財源は「いじめ対策・不登校支援等総合推進事業(スクールカウンセラー等活用事業及びスクールソーシャルワーカー活用事業)」による国の補助が1/3,
都道府県及び政令指定都市が2/3を負担する。文部科学省による令和6年度要求・要望額は90億円。
参考:tps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1328010.htm(スクールカウンセラー等活用事業)
tps://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2190fb02-e55a-4041-a510-f98183ca6a8b/ae2f9d28/20230908_councils_ijime-kaigi_dai1_03_1.pdf
(いじめ防止対策に係る取り組み状況及び令和6年度概算要求について)
会計年度任用職員は,令和2年4月に施行された「地方公務員法及び地方自治体の一部を改正する法律(平成29年法律第29条)」により導入され,
地方公務員法第22条の二によって任用される非常勤職員である。
基本的な考え方として,会計年度任用職員としての任期終了後,再度同じ職に「任用」される(「再度の任用」という)ことはあるが,これは「更新」とか「任期の延長」,「同一の職に再度任用」
されるのではなく,「あくまで新たな職に改めて採用された」と整理されるべきもの。
なお,事務処理マニュアル及びQアンドAにおいては,繰り返し同一の者を任用することは長期的計画的な人材育成への影響等の理由から留意が必要と示されているほか,
国としては,公募によらない再度の任用は可能であるものの平等取扱いの原則及び成績主義を踏まえ,公募によらない再度の任用は連続2回までとするよう努めていることが示されている。
これらの文言をうけて,スクールカウンセラーについては,例えば,「公募によらない再度の任用は4回まで」と回数を定める自治体が多く認められる。
参考:tps://www.soumu.go.jp/main_content/000853430.pdf(会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル)
(3)雇い止め
『「雇い止め」(更新拒絶)とは、有期雇用契約において、雇用期間を更新せずに契約を終了させること』(東京弁護士会HPより引用)
なお,今回の問題について「解雇」と記す記事があるが,「再度の任用」をしないことは「解雇」には当たらないので,誤りである。
引用:tps://www.toben.or.jp/bengoshi/soudan/work/yatoidome.html
2 スクールカウンセラーの雇い止め(事実の記述)
東京都の会計年度任用職員であるスクールカウンセラーが,4回の「(公募によらない)再度の任用」を終える令和6年度に向け,公募による募集に応募したところ
鈴木都議によるXへのポストによれば,「今回契約延長を求めた1100人の現役のスクールカウンセラーのうち、およそ15%程度が不合格となった」とのこと。
参考:tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027(東京新聞)
tps://www.jcp-tokyo.net/2024/0212/90022(東京民報)
tps://twitter.com/Retsu_SUZUKI/status/1757670551433453730(鈴木都議によるポスト)
(1)スクールカウンセラーの雇い止め問題について
次の点から,今回多くのスクールカウンセラーが再度任用されないことは,何ら問題なく,むしろよいことだと思う。
ア スクールカウンセラーが再度任用されないこと(雇い止め)は,法律にそった対応であることから,何ら問題ではない。
イ スクールカウンセラーの入れ替わりが促進されることから,資格取得後間もない若手にも活躍の場が与えられ,心理士/師にとってもよいことである。
ウ 今回の問題を機にスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないことがよく理解されれば,常勤採用につながるきっかけとなる。
ア 再度任用されないことは問題であるという論調の記事等では,例えば次の理由(というかご意見)が挙げられていますが,再度任用されないことを問題とする根拠とは言えない。
(tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027 より)
・雇用継続されたが,いつ自分も切られるか不安 ➡︎ 多くの労働者は同じ不安を抱えて生活しているので,不安であるというだけで,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(実際にそのとおりかどうかは疑問が残るが,不安の中では相談において十分な能力を発揮できないからスクールカウンセラーは
・駒のように人を代えられるのは納得がいかない ➡︎ 職員の入れ替えがあるのは教員も同じであるので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。駒のように,というのは受け止め方の問題である。
・児童生徒,保護者に来年度の不在を伝えることが大変気が重い ➡︎ 教員も異動等で変わることがあるものであり,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(別れもまた成長の機会であるのだから,児童生徒の成長につながるように交代の話をしてほしい,と言われそうな印象。)
・これまでの経験や成果が全く考慮されず,残念 ➡︎ さらなる活躍が期待できる人の応募があればそちらを採用するものであるから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・評価がAであるにもかかわらず補充任用でした ➡︎ 現場の評価と面接での評価が一致しないこともあるのだから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・向き合っているのは人の生死。現任者を切るやり方は,児童生徒に不利益を与える ➡︎ 現任者の交代によりどのような不利益が生じるのか明らかでないので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(この意見の伝え方は,必要以上にエモーショナルで,一般的には受け入れられにくいだろう)
(不安定な状態で継続的な相談に応じている中で交代することにより相談の一時的な停滞が想定される,という主張であれば,もとよりスクールカウンセラーの相談は長期間の継続を想定しておらず,
継続相談を要する場合は,その判断があった時点で近傍医療機関へ紹介されているべき,という反論がありうると思います。)
イ そもそも,この問題は,再度任用されないことは問題なのではなく(問題として扱えないレベル),スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことにあると思います。
そのあたりの整理ができないまま,再度任用されないという個人的な不利益について児童生徒を持ち出して訴えるので,話がややこしくなり,また理解されづらくなっていると思います。
(3)今後の方向性について
ア 上に記したとおり,スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことが問題なのであり,スクールカウンセラーを自治体や教育委員会の職員とする等,他のあり方へつなげることが,
そもそもの狙いになるのではないでしょうか。
そのためには,東京都や総務省に対し再度任用されないことを問題として訴えても話にならないのであって,主管である文部科学省との間でスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないこと
について話をしていかなければいけません。
ただし,この時,ではどういう採用をしてほしいのか(立場は?人数は?財源は?)という案まで考えた上で伝えていかなければいけません。
一緒に問題を解決するという立場で,むしろ自分で自分の問題を解決するという姿勢で,行政に働きかけていかなければいけませんし,できることならば政治の問題として取り上げて行く方が望ましいです。
イ そのように,行政に働きかけ政治の問題としていくためには,職能団体としてしっかりまとまらないといけません。
(案のまともさは前提として)この案は全スクールカウンセラーの総意です,というものをもって行政に働きかけていけるよう,皆んなで先生を応援しますのでよろしくお願いしますと
頭揃えができるように,職能団体としてまとまりを持つ必要があります。
ウ さらに,このような働きかけをしていくとしたら,また,ニュースにあるような声を上げるということ自体が,他の会計年度任用職員の存在をおざなりにしていることを自覚しなければいけないと思います。
事務処理マニュアルにおいては,スクールカウンセラー以外にも,保育士,看護師,掃除作業員,医療的ケアのために置かれる看護師・言語聴覚士・作業療法士・理学療法士,スクールサポーター等
多くの人が,スクールカウンセラーよりも安い賃金で,同じ不安を抱えながら生活していることを理解し,会計年度任用職員制度そのもののあり方を問うて行くことが必要だと思います。
そういった俯瞰的な視点を持たず,スクールカウンセラーの雇用についてだけ声を上げるというのは,社会的な支持を得にくく,何も成果をもたらさないと思います。
個人的には,そういう視点が持てなければ(持てていないから),スクールカウンセラーは会計年度任用職員止まりなのだと思います。
(4)自分たちの総括について
ア スクールカウンセラーの専門性は外部性である,という意見をよく聞きます。外部の立場だからこそ,客観的なアセスメントができるものである,等の意見です。
果たしてそうでしょうか。ここで議論することではないので何も触れませんが,外部性を訴える以上,会計年度任用職員以上の常勤職には,外部性と相反することから,なれないでしょう。
そもそもどうして外部性というアピールが生まれたのでしょうか。本当に,非常勤でなければ客観的なアセスメントができないのでしょうか。常勤職につけない正当化であった可能性はないでしょうか。
イ 公認心理師ができても常勤職は少なく,会計年度任用職員という非常勤ポストすら奪い合いの状況です。
学会を見ても,多くの理事の先生方はとうに65歳を過ぎておられ,若手に席が回ってきません。
ベテランの先生は退職しても開業されますので,開業カウンセリングの市場も奪い合いです。みんなが食べられる状況ではないことは明らかです。
大学院生はどんどん修了し,供給だけが進みます。大学院での学びを活かし,心理士/師として働くよりも条件が良い仕事,働きがいのある職場はたくさんありますよ。
ウ スクールカウンセラー全員が学校に歓迎されているわけではありません。ニュースになった事件もありました。
予算執行調査でも,「SC等の資質向上は最重要事項」と言われています。
これは,若いスクールカウンセラーの資質向上という意味ではありません。ベテランのスクールカウンセラーでも,何も言われなくても,イマイチと思われていることもあるのです。
また,税金を投入する以上,本当に効果があるのか,どの程度の効果があるのか,という問いからは逃れられません。
曖昧模糊な言葉で訴えるだけでは,カウンセリングの重要性を理解してもらえません。予算レベルでは,文科の担当者の方が頑張って財務省と話をして予算をとってくれるわけですが,
自分たち自身も,日頃,スクールカウンセラーやカウンセリングによってどういう効果があるのかを,専門家でない人でもわかるように説明できるようにならないといけないと思います。
とにかく大切だとか,命に関わることだとか,そういう説明では,その場はそうですよねと言ってもらえますが,実は理解を得られません。
また,言葉で訴えるだけではなく,定量的な指標で効果を示せることが必要です。
参考:tps://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/budget_execution_audit/fy2021/sy0309/11.pdf(総括調査票)
エ スクールカウンセラーも心理士/師も,社会で働いています。
そのため,組織に関する行政は,ある程度理解する必要があると思います。今日リンクを貼った文科のHP等は最たるものですが,見ているスクールカウンセラーはあまりおられないでしょう。
社会の中での位置付けを抜きにして,児童生徒とスクールカウンセラーとの関係はあり得ませんので,ある程度行政での位置付け,行政での扱われ方も理解した方がいいと思います。
カウンセラーは社会性がないとよく言われます。個人のカウンセリングだけではなく,社会にも目を向ける必要があると思います。
4 最後に
スクールカウンセラーは,楽しかったですし,良い仕事だと思います。今の心理士/師としての仕事も,楽しくやっています。
ただ,心理士/師には難しい人も多く,これから国民にとってアクセスしやすい存在になるにつれ,問題も表面化していくと思います。
これからどうなるのでしょうか。明るい業界であってほしいと思いますが,明るい業界を作り出せるかどうかは自分たちにかかっている中で,地に足のついた議論は乏しいようにも思います。
この日記が,心理士/師業界の発展につながり,ひいては国民の福祉と健康につながる一助となればとても嬉しいです。
ありがとうございました。
財務省での財政制度等審議会資料での、予算をめぐる文科省と財務省のバトルが話題になっています。
ブコメや増田の記事を見ていると、前提知識を勘違いしている方もおられるようなので、国の予算要求と財務省の役割、今回のバトルについて自分のわかる範囲で解説します。
なお、自分は教育関係者でも財務関係者でもなく、ただ国の予算編成過程が多少わかる、という程度です。
★教育新聞の記事(発端となった記事。お金を払っていないので「教員採用倍率『今後は改善する』と「奨学金返還免除『課題が多い』」までしか読んでいません)
文科省令和6年度予算 (ざっくり知りたければ「・・・ポイント等」の資料を読めばよい)
財務省制度審議会資料 (ここでは資料1と参考資料を対象)
今回のバトルで、国の予算の成立の背景知識や、財務省が文科省の予算をどこに気になっているのか、自分なりに解説をします。
また、上記別の増田の記事で解説されている内容は、以下の部分における2つ目に大きな誤解があり(文科省の予算案について、財務省が当初の案通りに認めてきたわけではない)、
それが全体の論旨をゆがめているので、訂正をしたいです。
■3行で
むしろ、教育新聞の記事の趣旨通り、このままだと文科省の要求した予算を大きく減額するよ、という意思表示とみたほうが自然です。
国の予算は、ざっくり言えば、
8月末:概算要求(各省庁が財務省に対して必要予算金額を伝える段階)
9月~11月:概算要求内容に対する各省庁担当部局への財務省ヒアリング、財務省での予算編成(予算金額の修正を含む)
12月:概算決定(財務省が事業の予算金額を確定させ、それぞれの金額を積算した政府予算案を策定)
上記の通り、制度上、国会の予算委員会で審議、承認されることで予算として成立します。財務省が決定しているわけではありません。
では、財務省は何をしているかというと、8月の各省庁から提出された概算要求内容を基に、各省庁の各予算事業の要求金額を精査し、必要に応じた減額(増額されることはあまりないです)を行ったうえで、政府予算案を決定しています。
また、国会予算委員会での審議においては、多くの場合そのまま政府予算案通り承認されます。
と書いていますが、文科省のHPの記載での「予算案」は、財務省と調整後の12月に決定された政府予算案を指しており、文科省が最初に8月に出した予算案を財務省が丸呑みしたわけではないです(丸呑みしたのは国会)。
上記9月~11月の財務省の予算編成過程では、バチバチに財務省から注文を付けられ、また、概算要求された予算は多くの場合削られます(=コストカット)。
むしろ、財務省審議会で財務省がこのタイミングで論点化してきたことは、文科省の教職員定数の増加や教員に対する奨学金の返還支援について財務省から待ったをかけた形と見たほうが適切だと思います。ただ、教育関係の予算を一律に削りたいとかではなく、文科省の令和6年度要求に反応した形ではないかと思います。
まず、文科省の令和6年度概算要求(特にp.6参照)において、教職員の給与の国の財源(教職員給与は1/2が国負担)である義務教育費国庫負担金について増額要求をしていること、特に以下の項目が、財務省としてはカチンときたのではないかと思います。
<令和6年度要求>
・教職員定数の改善 +128億円(+5,910⼈) ・定年引上げに伴う特例定員 +105億円(+4,857⼈) ・教職員定数の⾃然減等 ▲168億円(▲7,776⼈)
<令和5年度予算>
令和6年度予算は、定年引上げを行い教員を増やすにもかかわらず、昨年度以上に教職員定数を増やしています。
おそらく財務省としては、定年引上げに伴い教職員定数の増加量は小さくなる(例えば令和3年は定年引上げなしで+2000人)と見込んでいたところ、逆に増やしてきてぶち切れ、という流れかな、と勝手に推測しています(この辺りは令和5年度予算要求の際に文科省が財務省にどのように説明してきたかにもよりますが)。
また、、財務省が一般公務員と教員給与を比較して云々言っているのは、同じく文科省の令和6年度概算要求資料p.6の中で、
教師の給与体系の改善については、⾻太⽅針2023に基づき、具体的な制度設計を進めつつ、職務の負荷や職責を踏まえ、先⾏して以下の処遇改善を図る。
財務省としては、「骨太方針2023(これのことです。)に基づくとか言っているけど、『職務の負荷に応じたメリハリある給与体系の改善』とされてるのに、なに雑に一律に給与上げようとしてんだよ!」となったのかなあ、と思います。ただこれについては額も小さいので、どちらかというと「今後ちゃんとメリハリある給与体系をきちんと考えるんだよなぁ(威圧)」という脅しの意図のようにも思いました。
(この部分について個人的な意見として、財務省側も、反論として教員の給料と国家公務員(一般職)の給料を平均で比較して高いとしたのはあまりに雑すぎるのでは、と思いました。)
あと、教員に対する奨学金の返還支援については、「一度辞めたものを復活させるにはそれなりに理由がいる(もし理由がないなら、過去の決定は間違っていたことになる)けど、当時の理由が解消された、あるいはそれ以上の理由があるの?」という財務省として当たり前の指摘かな、という印象です。
全体的に、今回の文科省の予算要求は、教員に対する奨学金の返還免除でかなり話題になったため、大きく削る決定をする前の先手を打った、という形と思います。
個人としては、現代の教師の方は部活や時間外労働など山ほどあってしんどいし大変で、本当に頭が下がるな、という思いはあります。
一方で、そのために必要なのは学校の仕組みや組織の改善(部活の縮小やテストの採点・授業等の効率化など)であり、
今の枠組みを維持したまま、予算だけを増やしていくのは違うのでは、という思いが強いです。
(個人的には、今回の審議会資料の参考資料の、「在学者1人に対し、どの程度の公財政教育支出を行っているかで見ると、日本はOECD諸国平均と遜色ない水準。」というデータはとても驚いたし、今後公的な教育支出の増額を議論するならこのデータへの反論が必要になると思いました。)
逆に文科省に対しては、自治体レベルの教育は各自治体の教育委員会、現場の運営は各学校にゆだねられている中で、現場を少しでも改善しようと頑張っておられ、その中で今回の予算要求となったのだと推察しています。仮に今回の要求が大幅に減額になったとしても、教員予算や教員不足解消に関する議論に一石を投じたという意味で、意味があるものと思います。
一律に「財務省は教育を軽視している!」とか、逆に「文科省は何もわかっていない!」と勝手に悪魔化せず、冷静に論点を見極めて議論し、これからの教育の在り方を我々一人ひとりも考えていきたいですね。
なんか長文ありがとう。
意見に対し意見を出してくれるのは無関係な晒し上げや中身のない罵倒で済まされるより遥か健全で嬉しいよ。
ご指摘の通り、あの増田はヴォルテールっぽい人の名言よろしく、当然の権利について書いてる。
それだけなら支持なんて書き方は不適切だろうと言うのは、その通りだと思う。
ただ私は室井氏のブコメでも書いた通り、
Capricornus 2023/09/21
少なくとも私は暇空氏が行政に係る会計部分に疑問を呈し、一民として起こした住民監査請求や住民訴訟については筋が通るので支持するし、それ含めデマだ攻撃だのと言い張るcolaboや共産党を不可解に感じてるだけだな。
としてるので、やっぱりこの点においてだけは支持してるよ。
行政文書に係るところでは変な事ないと言うか、逆に下手に変なこと出来ないだろうし、今も住民訴訟の真っ只中だしね。
どんな判決が下されるのか見守りながら、政治家や報道がどう関わっていくかも見所だと思ってる。
大マスコミがColaboが記者会見を開いた時から随分と一方的である事とか、多分本来その時点で終わると思ってたんだろうな。都の黒塗り文書に関して前年は攻勢だった日本共産党が180度意見を翻して全面擁護し、何も突っ込まなくなった事とか。
そう言うところ。多分私以外でも多くの人が伺ってるところではと思う。
あの増田の趣旨はそうした所から、個人に寄って権利や報道、政治主張の判断変えるなよと言う、あくまで私の個人的意見だった。
だから、私の書き方がどうであれ、私は他の誰かが暇空を支持する/しないには重きを置いてないよ。
寧ろもう堀口氏とかWBPCや都の不正から全然関係ないところへの苛烈な個人攻撃から“支持”と言う立場から離脱するのはよくわかる。
だから話はわかるけど暇空は支持しないというコメントには納得してるし、その表明には評価もしてるよ。
何より誰かを支持するしないなんてのも、人によって当たり前の自由だ。
仁藤氏の例えは、まあニュアンスが伝われば充分だよ。そしてちゃんと伝わってるようだし。
もし暇空氏の立場が仁藤氏だったらそれも支持したって言う、私の判断は人格に寄りません宣言です。
だから別に暇空氏じゃなくて別のもっとまともな誰かだったらベターだったりベストだったりしたんだろうね。
国語力のツッコミに対して暴力的に言って悪いけど、あまりくどくど行政文書みたいな労力かけるところじゃないと思う。
晒し上げ批判については、じゃあid:brightsoda はこの増田から、全く無関係な遥か昔の発言を晒し上げられ、好き勝手笑い物にされると言うのは納得がいくか?
今現在だって誰かから見ればこれはおかしいと言う程度の発言くらい幾らでもしてるだろう。
あの増田だっていくらでもツッコミコメントもあったし、こんな国語力がどうのと突っ込む増田も現れた。
その時その時で突っ込んでくれたら充分でしょ。
また文脈として、わざわざ無関係な過去の発言や無関係なものを晒し上げて好き勝手見せ物にするほどの主張だったか?
私が暇空氏の罵倒を取り上げなかったとの不満もあるようだけど、そっちはそもそも何か言えるほど追ってもない。個人レベルで何かやってんのねって興味のなさだったから、個人間で決着つけてくれたらそれで良い。
暇空氏も相当のこと言って裁かれるなら、それは当然の事であるだけ。それだけの事でしょう。
逆になぜ私がそんなにも興味のない個人間の諍いにまで密着して追わなければならないのか。
誰かも言ってたけどあれを逐一追うのは私は精神病むわ。
どんな労力注いだところで寧ろ個人レベルの諍いに外野が首突っ込んでできる事もないし。
そんなものに細かく構って論旨がぼやけて行くのは馬鹿らしすぎませんか。
彼の口が悪く、被害者から訴えられたら裁かれるんじゃないってレベルの誹謗中傷を口にしてるのは皆よく知ってのこと、記述はあれで充分だったと思うよ。
トラバの増田たちは意図を理解して議論しているのに対し、ブクマかは意図が取れていないようですね。おそらく前提知識に違いがあります。
勝手ながら論点をまとめて知識を補足して良いでしょうか? anond:20230725121700
1. いわゆるお気持ち長文が読書感想文フォーマットであること
2. 日本の国語教育は読書感想文に偏りロジカルライティングを教えないこと
3. 議論においてお気持ち長文を書いてしまう人が多いのは国語教育のせいではないか
普通、議論において文章は 事実(データ)/ 意見(考察)/ 結論 に分けて書きます。
例えば「表現規制は犯罪抑制に効果があるか?」という議論においては
2. 考察: 各国の表現規制の状況と犯罪率の相関を調べ議論する
3. 結論
といった形になるかもしれません(あくまで例です)
〇〇が話題になっているようです。
(ここまでの経緯を要約)
私はこの記事を見てショックを受けました。まだ動悸と涙が止まりません。
(悲しい体験)
(悲しい体験)
(心を打つ名文)
このような人がいると知っていただけたら嬉しいです
元増田が言うようにこれは読書感想文フォーマットなのだと思います
もちろんただの日記ならこれでよいのですが、議論に加わるつもりなら不適当です
日本の国語教育は読書感想文や随筆に偏り、論文やレポートの書き方を教えないという事が 木下 是雄『理科系の作文技術』 において指摘されています
アメリカでは小学生からテクニカルライティングを教えているそうで同書に小学生向けの問題が紹介されていました。今手元に本がないのでうろ覚えですが
新聞の1節を読ませ、事実と意見に分けなさいといった問題で、大人の日本人でも手強いと感じる内容でした。
私もトラバ及び元増田に同意です。日本でもテクニカルライティングを教えたほうが良いと思います。
少なくとも、読書感想文が国語教育においてどのような効果があるのか?何を習得させようとしているのか?今のウエイトで良いのか?はちゃんと議論し直した方が良いと思います。
とはいえ我々の知っている小学校の授業はN年前のものです。もしかしたら現在の指導要領では見直されているかもしれません。(もしそうなら教えてください)
我々世代の国語教育について興味深い解説を見つけたのでトラバします:
「お気持ち表明文は適切な国語教育の結果」というお気持ち表明文
現在の新卒や大学生たちの受けていた国語の指導要領の解説です。
日本の国語はその目的の一つに道徳教育を掲げているという指摘とその影響について論じています。
https://anond.hatelabo.jp/20230725175238
お返事どうもありがとうございます。
これは本当によくわかります。
id:oeshi 国語については門外漢なんで雑にしか言えないけど、論理国語ってやつがそれに対応する目的で作られたんじゃないかな。でも現場教師が文学作品を好むのは事実。教科書会社も抜け駆けして小説入れたのが人気だったはず
id:oeshiさん、どうもありがとうございます
「論理国語」では、実社会において必要となる、文章を論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視しています。
教材は、『近代以降の論理的な文章及び現代の社会生活に必要とされる実用的な文章』や『必要に応じて、翻訳の文章や古典における論理的な文章などを用いることができる』としています。
おおーーー! これですね! 学校の先生の皆様どうもありがとう!
理系は最悪大学で学べるので、文系にこそ選択して欲しいものですが。
それでも、以前よりはずっと良いですね。これからの若者に期待です。
id:mezirushi いまの学習指導要領では小学校の国語から「情報の扱い方」があって、ロジカルな読み書きも学んでいるはず https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/news/?id=20180189 情報の比較とか引用の仕方、出典の示し方までやってるみたい
id:mezirushiさん、どうもありがとうございます!
・第1学年、第2学年
ア 共通、相違、事柄の順序など情報と情報との関係について理解すること。
・第3学年、第4学年
ア 考えとそれを支える理由や事例、全体と中心など情報と情報の関係について理解すること。
イ 比較や分類の仕方、必要な語句などの書き留め方、引用の仕方や出典の示し方、辞書や事典の使い方を理解し使うこと。
・第5学年、第6学年
おおお・・・! 論理や議論の仕方をこのように教えるわけですね。なるほど
長年議論されていた理想の授業が詰め込まれていて いやはやスゴイです。
現場の先生の皆様ほんとうにありがとうございます!
それにしても現在学んでいる子供たちは我々とはもはや別者になりそうですね
私も負けないように勉強しないといけないな
すみません、他にトラバをいただいているようですが伸びすぎてしまって探せませんでした
反応できなくてすみません
個人的意見だが...
糞みたいな中古車屋が多いから、中古車はできるだけ買わないか、
中古車を扱っているメーカーのディーラーで購入すべきだったね。
車は車を買った代金支払うというよりも、車屋との付き合いに代金を払うと思った方がいいと思う。
中古車よりは未使用車、それより新車が良いのは分かっていると思が、
下手な軽自動車よりも安いコンパクトカー=リッターカーの方が丈夫でメンテ費用も比較的安い場合が有る。
安い中古の軽自動車は、メンテナンス費用が嵩むことが非常に多い。
一つ直すと次の摩耗、故障、また一つ直すと...良いことは無い。
例えばトヨタの中古車屋で、新古車若しくは高年式車(できるだけ走行距離の少ない物)を調べてもらう。
車検以外の6か月点検とかは、普通の乗用車は義務ではないから受けなくても良いのだけど、
女性だったらディーラーとの関わりを保つために受けておいた方がいい。
車検までの期間の6、12、18か月点検、ワイパー、オイル交換を含んだお勧めパックみたいなのが売られてる。
最初は高いと思うかもしれないが、トータルで考えればそれほどの差はないと思うし、
その気苦労を考えれば、安いもんだと思う。
「糞みたいな中古車屋」を見分ける技量が無ければ近づかない方がいいと思う。
(俺は近づかないようにしている。中古車屋の営業が恐いから。)
さっきの人文系にエビデンス言っちゃう中学生もそうだけど、こういうエビデンスの誤用気になるなー
私が思うことはエビデンスではないんだからいちいちエビデンスエビデンス言わなくてよくない?私の個人的な意見でいいやろ
個人的意見にエビデンスがないという理由で軽視する奴(個人が意見を持っているという意味で1事実に違いないから反論するならエビデンスの欠如ではなく思想について反論すべき)と、理系科目ではなく人文科目でエビデンス言っちゃうやつ(多分理系科目ですらもエビデンスの具体的意味を理解していない。根本的な体系知識が足りないからエビデンスの言葉の意味を何も理解してない。どうしようもない)は脳みそが足りないから無視でOK
上司は一言で言うといわゆる上級国民という存在だ。もっと上品な言い方をすれば上流家庭育ちと言えば良いだろうか。
ありがちだが父親が独裁し自分以外の家族は奴隷扱いみたいな家だったそうな。そしてやはり母親はそんな父親に逆らえない空気みたいな存在だったとのこと。
(個人的意見だけど、上流家庭は父親が毒な場合が多い気がする。中流家庭は母が毒親、底辺は二親揃ってクズな感じ)
それを聞いてやっぱり「上の人間」でも親ガチャに失敗する事はあるんだなと思うのと同時に、上の人間が自分と同レベルの苦労をしてるんだと思うととても安心する。
自分より下の人間の苦労話は聞きたくない。その人が自分でどうにも出来ない事(生まれや育ちなど)が原因で苦労してると知ると、その人より良い環境に居る自分が責められてる気がする。その被害妄想こそ私のクズな部分なんだろうけども。