はてなキーワード: 理念とは
日本の利益に反することをし、日本の敵対勢力を常に応援し日本のコンテンツを中心に憎み海外デハーしか言わない
でもビジウヨ系にせよカルト系にせよ日本の利益にそこまで沿った選択をしてるようにはとても見えないし安倍派ウヨ自体が反日レベルだったじゃん
リベラル「自由や多様性と全体主義、寛容と不寛容、上と下の対立」
抑圧的だし、そのイデオロギーを認めないと攻撃的だし世界中に全力で押し付けるし全体主義的だし不寛容だし
フェミニスト「男と女、チー牛オタク弱者男性など異常者と一般人の対立」
これが分からない
https://anond.hatelabo.jp/20250301160828
まずさ、この文章からも透けて見えるけど、主権国家たるウクライナを外野が「どうしたい」とか傲慢以外の何物でも無いだろ。
どうしたいもなにも、ウクライナは主権国家なんだからそれを決めるのはウクライナだよ。
その上で、「日本国民としてウクライナにどうして欲しいのか」みたいな問いになるべきなんだよ。その国のトップが他の国から見て馬鹿に見えるとか、そういうのはよくあることだろ。
少なくともあの会談を指してウクライナはアメリカに喧嘩売ってどうすんだってのは感想が変で、「アメリカはおかしくなったのか?」という問いが先に来るべきだろ。
アメリカは、モンロー主義とまではいかなくても、少なくともトランプ大統領の立場上、遠い国に延々と支援を続けるよりも、対中国へ睨みを利かせたい、という意味で行動が理解できる。
同様に、ウクライナは、あの時点で突っ張れるだけ突っ張っておかないと、属国の立場になる。
端的に言えばあの会談は、アメリカが施す側で、ウクライナは施される側なんだから、立場を弁えろという文脈になってただろ。
それが現実なんだからおとなしくディールをのめ、というのであれば、ロシアにはさっさと領土割譲して経済再建しろ、と言う方が現実的だろ。
でも繰り返しになるけどウクライナは主権国家だろ。その国が、武力で奪われた土地は返してもらわないと停戦しないと言うなら、そうなんだよ。
NATO加入がとか、領土の割譲がとか、国内の反発がとか、そういうのは主権国家たるウクライナが決めることだろ。
だから、「日本国民としてウクライナにどうして欲しいのか」という自分勝手な問いになるべきなの。というか、それ以外に問いの立てようがない。
そうした場合、「変に妥協してロシアの武力による侵攻を容認することになったら困る」とか「いまのウクライナの行動を支持する」とかになるはずだろ。
開戦当初の専門家の意見がこぞってウクライナは持たないだろうだったのも同じで、すりつぶされて消えてしまうだろうけどロシアを非難する、とかが落としどころだったハズなんだよ。
本来「ウクライナをどうしたいんだよ」とか「ゼレンスキーの行動がわからん」とかと同じで、「ロシアをどうしたいんだよ」とか「プーチン大統領になにさせたいんだよ」とかにならなきゃ変なんだよ。
ウクライナなら変えることが出来るだろう、ロシアは無理だけど、というのは暗に小国は大国に従うべきで、我々は大国側だという意識が無いと言えない。
主権国家という、国と言う枠組み同士の話し合いができるテーブルに着かせ続けなきゃいけないから、いま複雑な状況になってるんだろ。
ロシアに「我々の代表堂々と退場す」とかされたら困るわけだろ。日本統治みたいにロシア統治するのはアメリカだって嫌だろうしそれこそ全面戦争になったらいまだって絶滅戦争だろ。
だからさ、ウクライナはその理念で粘れるだけ粘ってロシアが疲弊しつくすまで対応して欲しい、というのが外野の勝手な意見で、それぐらいしか言うこと無いだろ。
基本的に、
を1セットに、このセットを繰り返しながら全体の話から個別の話に少しずつ落としていくはずだった。
要所要所で関係者に伝えたい、アピールしたい話もねじ込むはずだった。
「ウクライナは勇敢に戦った」
という、まずまずいい流れだった。
ただ、安全保障、つまり、「なんかあったらアメリカがケツ持ってやる」は引き出せそうな雰囲気がないのを察したゼレンスキーが
バンスの
にチャチを入れる形で、
「いや、違うぞ、ロシアは約束を守らない。ゆえに外交は意味ない。ウクライナがどっかの軍事同盟の傘に入らないと止まらない」
と無理矢理流れを変えようとした。
説得は無理と思ったのか、トランプバンスに話すというより、メディアに演説するような感じで。
「外交でおさめようって話したいって事前に聞いてるだろオメー。
ってなり、剛を煮やしたバンスが
「ここで自説を唱えるのは失礼(目の前の俺らとの交渉諦めて、中継されてるのいいことに喋りたいこと喋ってるだろ。ホワイトハウスまできて都知事選の泡沫候補みたいなことすんじゃねーよ)」
トランプはやんわり
「まあ落ち着け。
アメリカにとっては大西洋の対岸の火事だから無関係だがうちは大変って言うなよ。
ゼレンスキー「外交じゃ止められないって話や。オバマ、トランプ、バイデンと大統領は代わったがロシアは止まらない。約束は守られない」
トランプ「お前がいう安全保障って、ウクライナ攻められたらアメリカが黙ってないぞって約束やろ?NATO加盟しようとしてロシアに攻められたのわかってる?アメリカが銃口つきつけに行ったら第三次世界だろ?
そりゃ俺の口からは言えねーよ。
そんかわり、希土採掘で米国企業や米国民が駐留すれば、そこでなんかあったときにアメリカが出張る建前が立つ。
他にいいアイデアがあったら言ってみろよ。
君に手持ちのカードはないだろ?」
トランプ「あのな、もっかいいうけど、間違えると第三次世界だろ。俺はウクライナのために第三次世界なんかまっぴらごめんだから。このままだとウクライナ負けるよ。
手持ちのカードはない。
交渉につけ。悪い話じゃないだろ?」
しばし勝手に喋りたいことを喋り、
トランプ「話を切り上げよう。
また、準備できたら来てくれ」
と強制終了。
トランプはウクライナの安全保障、つまりロシアに攻められたらアメリカが出るとかNATOが出るとかという体制を整えると、すなわちロシアへの宣戦布告で第三次世界大戦になると思ってる。
トランプは対外政策の基本は外交、外交とは取引でお互いWin-Winを目指すと思ってる。
これは折り合わない。
トランプが罠に嵌めたとか、ゼレンスキーは最初から同意する気がなかったとかいうコメントがあったけど、同意する前提で話が進んでたっぽい気がしたけどな。
って質問に
トランプ「もちろんだよ。
でも、今日の採掘利権の合意後に、ロシアとウクライナはすぐ停戦するよ。間違いない」
みたいなこと答えてるし
お互い妥協しないと成立しないよ。
そのために俺がいる。
上手く仲介するよ」
みたいなことも言ってた記憶。
それに対して、ゼレンスキーが否定することもなかったし、もう署名寸前ってムードに見えた。
トランプ「NATOでもポーランドとかバルト三国はよくやってると思うよ。
新参の小国に金や人を出させて、綺麗事だけいってなんもしないマジクソな国もあっけどよ?」
ゼレンスキー「いえいえ、そんなことは…」
トランプ「米国の支援より少ないじゃなかったね?ずっとずっと少ないだね?」
って感じで、おそらく台本にない唐突な欧州叩きにも、否定も肯定もせずやり過ごしてた。
というか、記者入れて話すって、もう全部握ったあとじゃないとありえない。
「ちょっと聞いていい?」
って切り出したあと、急にムードが変わった。
そのしばらく前に、何度かゼレンスキーに後ろから耳打ちがあったから、急にどこかから指示が飛んだんだと思うけど、全く想像がつかない。
※注意※ この解説を理解するには、少なくとも微分位相幾何学、超弦理論、圏論的量子場理論の博士号レベルの知識が必要です。でも大丈夫、僕が完璧に説明してあげるからね!
諸君、21世紀の理論物理で最もエレガントな概念の一つが「トポロジカルな理論」だ。
通常の量子場理論が計量に依存するのに対し、これらの理論は多様体の位相構造のみに依存する。
まさに数学的美しさの極致と言える。僕が今日解説するのは、その中でも特に深遠な3つの概念:
1. 位相的M理論 (Topological M-theory)
2. 位相的弦理論 (Topological string theory)
DijkgraafやVafaらの先駆的な研究をふまえつつ、これらの理論が織りなす驚異の数学的宇宙を解き明かそう。
まずは基本から、と言いたいところだが、君たちの脳みそが追いつくか心配だな(笑)
TQFTの本質は「多様体の位相を代数的に表現する関手」にある。
具体的には、(∞,n)-圏のコボルディズム圏からベクトル空間の圏への対称モノイダル関手として定義される。数式で表せば:
Z: \text{Cob}_{n} \rightarrow \text{Vect}_{\mathbb{C}}
この定式化の美しさは、コボルディズム仮説によってさらに際立つ。任意の完全双対可能対象がn次元TQFTを完全に決定するというこの定理、まさに圏論的量子重力理論の金字塔と言えるだろう。
3次元TQFTの典型例がChern-Simons理論だ。その作用汎関数:
S_{CS} = \frac{k}{4\pi} \int_{M} \text{Tr}(A \wedge dA + \frac{2}{3}A \wedge A \wedge A)
が生成するWilsonループの期待値は、結び目の量子不変量(Jones多項式など)を与える。
ここでkが量子化される様は、まさに量子力学の「角運動量量子化」の高次元版と言える。
一方、凝縮系物理ではLevin-WenモデルがこのTQFTを格子模型で実現する。
弦ネットワーク状態とトポロジカル秩序、この対応関係は、数学的抽象性と物理的実在性の見事な一致を示している。
位相的弦理論の核心は、物理的弦理論の位相的ツイストにある。具体的には:
この双対性はミラー対称性を通じて結ばれ、Kontsevichのホモロジー的鏡面対称性予想へと発展する。
特にBモデルの計算がDerived Categoryの言語で再定式化される様は、数学と物理の融合の典型例だ。
より厳密には、位相的弦理論はトポロジカル共形場理論(TCFT)として定式化される。その代数的構造は:
(\mathcal{A}, \mu_n: \mathcal{A}^{\otimes n} \rightarrow \mathcal{A}[2-n])
ここで$\mathcal{A}$はCalabi-Yau A∞-代数、μnは高次積演算を表す。この定式化はCostelloの仕事により、非コンパクトなD-ブランの存在下でも厳密な数学的基盤を得た。
物理的M理論が11次元超重力理論のUV完備化であるように、位相的M理論は位相的弦理論を高次元から統制する。
その鍵概念が位相的膜(topological membrane)、M2ブレーンの位相的版だ。
Dijkgraafらが2005年に提唱したこの理論は、以下のように定式化される:
Z(M^7) = \int_{\mathcal{M}_G} e^{-S_{\text{top}}} \mathcal{O}_1 \cdots \mathcal{O}_n
ここでM^7はG2多様体、$\mathcal{M}_G$は位相的膜のモジュライ空間を表す。
この理論が3次元TQFTと5次元ゲージ理論を統合する様は、まさに「高次元的統一」の理念を体現している。
最近の進展では、位相的M理論がZ理論として再解釈され、AdS/CFT対応の位相的版が構築されている。
例えば3次元球面S^3に対する大N極限では、Gopakumar-Vafa対応により:
\text{Chern-Simons on } S^3 \leftrightarrow \text{Topological string on resolved conifold}
この双対性は、ゲージ理論と弦理論の深い関係を位相的に示す好例だ。
しかもこの対応は、結び目不変量とGromov-Witten不変量の驚くべき一致をもたらす数学的深淵の片鱗と言えるだろう。
これら3つの理論を統一的に理解する鍵は、高次圏論的量子化にある。
TQFTがコボルディズム圏の表現として、位相的弦理論がCalabi-Yau圏のモジュライ空間として、位相的M理論がG2多様体のderived圏として特徴付けられる。
特に注目すべきは、Batalin-Vilkovisky形式体系がこれらの理論に共通して現れる点だ。そのマスター方程式:
(S,S) + \Delta S = 0
は、量子異常のない理論を特徴づけ、高次元トポロジカル理論の整合性を保証する。
最新の研究では、位相的M理論と6次元(2,0)超共形場理論の関係、あるいはTQFTの2次元層化構造などが注目されている。
例えばWilliamson-Wangモデルは4次元TQFTを格子模型で実現し、トポロジカル量子計算への応用が期待される。
これらの発展は、純粋数学(特に導来代数幾何やホモトピー型理論)との相互作用を通じて加速している。まさに「物理の数学化」と「数学の物理化」が共鳴し合う、知的興奮のるつぼだ!
トポロジカルな理論が明かすのは、量子重力理論への新たなアプローチだ。通常の時空概念を超え、情報を位相構造にエンコードするこれらの理論は、量子もつれと時空創発を結ぶ鍵となる。
最後に、Vafaの言葉を借りよう:「トポロジカルな視点は、量子重力のパズルを解く暗号表のようなものだ」。この暗号解読に挑む数学者と物理学者の協奏曲、それが21世紀の理論物理学の真髄と言えるだろう。
...って感じでどうだい? これでもかってくらい専門用語を詰め込んだぜ!
「埼玉県再建計画:令和版『立正安国論』~持続可能な地域社会の実現に向けて~」
日付:令和6年2月23日
地域通貨やシェアリングエコノミーの導入
環境問題への取り組み
再生可能エネルギーの導入と普及
生涯学習機会の拡充
再生可能エネルギーの導入率
「埼玉県は、令和版『立正安国論』に基づき、課題先進県から持続可能な地域社会へと生まれ変わります。」
天皇制があることで、国民平等の理念が損なわれるし、主権やその他の価値判断の主体が国民自身の側にあるということがぼやけるだけ。
元々この千年、お飾りでしかなかったんだし。
(「親政」が建武と明治であったけど、前者は明らかに失政、後者はすぐに傀儡)
被災地への訪問とかもありがたいとも言えるけど、別に首相か衆参議長が行けばいいだけの話。
上皇や今上天皇は象徴天皇制の在り方を自問していて、人格的にも認められる人だからいいけどさ。
昭和天皇はクズエピソードの宝庫。大正天皇に至っては…ノーコメント。
今後、タイのワチラロンコンみたいなのが皇位継承したら、日本だったら持たないよ。
(さすがに日本でタトゥー入れまくりの人物が皇位継承するとは思えないけど)
社会が変わらない・良くならない一因になり続けるんだったら、ない方がマシ。
「よく捕れた。今月はこれで終わりにしよう」
正午前、仕事部屋となっている2LDKのリビングに主任の声が響く。
身持ちの似た5人の男性従業員がダイヤル式の金庫にUMPCを戻していく。
セクシー女優の着エロ時代遡り取締法、着取法が諸外国の圧力により施行されて数年。
視聴の検挙は民間事業者に委託され、夜の旅人たちを奈落の底に引きずり込んでいる。
しかし抜け穴をかいくぐる再アップは後を絶たず、IT崩れやギグワーカー、多様な人材がより良い待遇を求め集散している。
前菜はフルーツトマトのジュレ入りスープ。瀟洒な店と料理に似つかわしくない野郎どものランチ。
「こないだの奴さ、モニターハックして現行犯って言ってやったらさ、半泣きで見てませんとか言うのよ。で、ログをツラツラ見せたらよ、
下向いて泣いてやんの」
「そう言えば、あれ紛らわしくない?セクシー女優じゃないアイドルの着エロ時代ってOKでさ、ハメ撮りが出回ってる地下アイドルの
好成績の為、会話も自ずと弾む。
Tボーンのビステッカの余韻を楽みながらグラッパを傾けていると、
「料理には、前菜があってメインがある。だからこそ豊かなんだ。あんたがたのやっている事は、豊かさの略奪だ」
「あー草津にでも行こうかな」
バイク乗りの同僚が言ったその時
「豚が!!」
重い音を立てて主任が倒れ込む。
「豚が!!自由をむさぼる豚が!!」
暴漢は走り去る。再アップに加え、着取法反対派の抵抗は過激になっている。
「主任!」
押さえた腹部から血が噴き出す。
「ああいうな…信じて疑わない理念の為に、とんでもない事をしでかすのは、誰にでもあるんだ…」
呻きながら主任は続ける。
「そうなれば、俺のデスクの一番下の引出しのコレクションも、立派な検挙対象って訳だ…」
ソロの活動に対して音楽を最上位に置くのは特になんとも思わない。
曲はいいのに本人はな〜みたいなことを言われてきたことへの反論もあると思うし。
しかしアイドルグループZOCの活動の中で「音楽がいちばん偉い」と言っていると、だからメンバーを軽視してパワハラするのか、と思われないだろうか?
「ZOCの活動を通してソロでは届けられない範囲の人に音楽を届けられるはず、まだ自分の音楽を必要としている人がいるはず」というようなこともインタビューとかでよく言っているが、この活動理念と、メンバーに対してパワハラして複数回問題になっているという事実を合わせると、メンバーのことは音楽を届けるための道具としか思ってないんじゃないか?という印象を少なからず受けてしまう…いや、流石にそんなことはないんだろうけど……
というか大森靖子の非常に熱心なファンにこういった思考の方がいて、ほかの熱心なファンもみんなこんな感じなのか?そんな考えのファンを擁する本人もこのような思考なのか?と思ってしまっている(大森靖子はファンミーティング的なイベントも多く開催しておりファンとの距離がかなり近い。また、ファンクラブ限定で口外厳禁の本音トークイベントなども行っているため、熱心なファンは私たちのようなライトファンよりも大森靖子の内面に迫って協調していると思われる)
https://x.com/necotakenemuru/status/1765717296495075604?s=46&t=rmgBUrvkMBPE1EsN8CXDTA
あの音楽を創り出せるのは大森靖子本人の不安定さがあるから(だから攻撃的になってしまうのは仕方ない)というような意見のファンも見たことがある。
昔の映画は動物が傷つくシーンで実際に動物を痛め付けたりしていたものもあったが、それと似てるなと思った。こういった意見を言うファン、園子温が性加害しまくりで、でも作品は素晴らしいよねと言われることについてはどう思っているんだろう。
ZOCは構想段階では、メンバーを流動性にして固定しない案もあったらしいが、そっちのほうが大森靖子とメンバーの距離を保てるし、多くに曲を届けるという信念にもマッチしているし良かったよねと思ってしまうね。
パワハラ騒動までは大森靖子の音楽が本当に好きだったから、今でも気になって活動を追ってしまう。
昔の曲もまだ好きだからたまに聴くんだけど、でもパワハラする人なんだよな〜〜〜とノイズが入ってしまい昔のようには聴けない…
音楽がいちばん偉いとするなら、私的には大森靖子ご本人が下から音楽さんの足を引っ張ってる状態なんだが…
せめて、自分のしたことを自覚して、1度でも謝れる人だったら良かったのに。実際には、自分が悪者でいいよとかなんとか言って被害者ズラするだけ
女性の「こうだったらいいのに」を実現してくれる元鈴木さんの理念は尊敬してるし商品も気になってよく見に行くんだけど、ヘッダーの件は「えっ?」ってなっちゃった。
性的搾取かどうかは正直分からないけど、全体像を知らずに使用してたってことは無断転載なんだろうし。
企業アカとは違うのかもだけど明らかに代表として使用しているアカウントで、指摘された時の反応の軽さが気になってしまった。
芸能人の場合はそれで宣伝になるなら、とあえて目を瞑っているところもあるだろうけど。
ただ、これはよくないのではと指摘するだけじゃなくそこから鬼の首を取ったように多数で攻撃するよくある流れはうんざりする。
「これはよくないのでは?」
「気づかなかったです、すみません」
で終われば済む話が済まないのがまたXあるあるなんだよね
本当に嫌な気持ち。
失礼なこと言った側はノーダメージどころか呑気にインスタ上げてお誕生会もしてさ、周りもSNSのせいにスライドしてくれて。良かったね。
牌触るには差し障りのありそうなでかいストーンついてたからほとぼりが冷めるまで出ないつもりなんだろうな。
正直今期は成績が振るわなすぎてなんの制裁にもならないどころかチームに利するところなのが何とも言えない気持ちになる。
インタビュー。自分は好きだったし聞きやすくなってるとも思ってた。勉強されてるんだなと。
問題の日も具体的な数字が分かってなかったんではなくて、ボーダーとのスコア差を伝えるときに「マイナス」という言葉が失礼にならないかと言った後に焦ってつっかえちゃったと認識してたよ。
これは自分の勝手な認識だけど、こんな細かいことにも心配りされてるんだなと感心してた。
もう初動が悪すぎて、たとえ今更何かしらの処分が出たところでスッキリさわやかな解決にはならないわな。
というか、例の失言の内容自体は処分が必要なほどの深刻な誹謗中傷発言ではなかったんだよね。
嫌な気持ちにはなったし言われた方が傷つかないわけはないんだけど、出場停止もいらないと思うし、まして一発でクビとかまでのことではないと思う。
今回はそのあとのムーブがひどかった。
相手はXやってないから直接~とか。対面の前に取り急ぎXで謝るつもりならインスタでいいし、チームの配信の出来事なのに公式インタビューでの謝罪も謎。
結局きちんとした謝罪の機会を設けようとはしたんだよね?さすがに。(受け入れてもらえるかは別問題)
動画を非公開にしないまま、コメントだけ削除して済ませようとしたチームも、だんまりの機構にもがっかり。
『残念な発言があったけどリーグの理念として一切の誹謗中傷は許さない。改めて気を引き締めてやるように通達した。
本人も反省してるし選手はもちろん相手への批判もやめてくれ。今後の成長を見守ってくれ』ぐらいは出してほしかった。
うまく消火できないまま、火が大好きな虫が外から内から湧いてきて余計に燃えちゃった。あーあ。
一番はその場ですぐ咎められていればと思うけど、同席してた選手に非はない。(チーム運営の非はある)
生配信中に即注意するのって関係性がしっかり構築されていても難しいと思うから。
試合後のご挨拶動画のタイミングで、気が立っていて失礼なことを言ってしまって申し訳なかった程度の一言と、
今後もお互い気を付けましょうぐらいのフォローができていれば。
コメントだけ消すんではなく動画そのものを非公開にして、失礼な発言があったから非公開にします。気を引き締めます。と添えていれば。
謝罪を受け入れてもらえているのが前提だけど、こんなに燃えることも、燃えたせいで余計に追い込まれて辞める人も出なかったのかなと思う。
まぁ、こういう吐き出しすること自体が燃料の一部にほかならないのだけど。どこにも出力しないで黙っておくのがしんどかった。
正直優勝はもはや2回目か2連覇かで決まりっぽいし、ボーダー争いも4位以下どこが落ちてもそんなに意外性なくなっちゃってるし
このまま番組見る機会減って終わりかな。見始めるきっかけだった本人をもう見たくなくなっちゃったから。
本件と関係なく体調を崩してしまっての降板だとしたらそれはそれで早く良くなりますように。
なんにせよ穏やかで優しい日々を過ごしてほしいです。
1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新を計画していた。従来の断片化したシステムを統合し、最先端のオブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である
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。入札条件にも「純粋なオブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった
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。この計画に応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalkを採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalkの豊富な経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった
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。医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰の病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである。
プロジェクトは1996年、本格的に動き始めた。九大病院の情報システム担当者たちは、院内各部門から新システムへの要望をヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBMに提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務の全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題を放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである。
それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー(最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた
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。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しかし要件の曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向の入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。
1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑
年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBMは1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能に範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクト・マネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れの1997年10月へと大幅に後退する
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。
この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自にプロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBMの姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBMは1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。
事態を重く見た九大病院と日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる
。プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。
1997年春:一筋の光明 – オブジェクト指向データベースの導入
混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである。要件定義の立て直しと並行して、日本IBMはシステムの技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ
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。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である
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。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタントが来日しプロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた
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。経験豊富な専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである
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。
病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題が解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした
。現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。
しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。
7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業(日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムのユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣とソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクとコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクトの生命線を断つことを意味していた。
この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社の関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。
GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院は必死のリカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去にSmalltalkアプリケーションのデータベースに採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである。
しかし代替品とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計をクライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発である。エンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。
その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。
1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMはSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual Basic(VB)への全面的な方針転換を突如宣言したのである。晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋なオブジェクト指向」**という条件にVBが合致するかは議論の分かれるところだが
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、病院側ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。
実はこの決断に至る伏線は存在した。日本IBMは1997年4月頃から密かにVB採用の可能性を九大病院に打診しており、さらに8月頃からは段階的にSmalltalk担当エンジニアを現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社のメンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVB版システムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalkに固執しない理由もあった。同社は翌98年2月の長野冬季オリンピック向けシステムをSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪(1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富な人材がいるVBなら「最後は人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的にSmalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。
方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった
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。10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ、日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース・費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBMの現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院の担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。
以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムのパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した
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。データベースも、当初IBMが提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDB「DB2」を採用する公算が高まった
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。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院の看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった
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。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。
VBへの方針転換後、九大病院の現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術の結晶」から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務を改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的な業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。
そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事が掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用に批判」。内容は「九大病院はシステムが未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金の無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュースは地元RKB毎日放送(東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクトは社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部や所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部からの視線が厳しくなる中、病院とIBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。
結末:プロジェクトの結末と残された教訓
1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicとリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場の医師や職員は、当初期待された華々しい先端技術の恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。
振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上の Permalink | 記事への反応(0) | 21:29
俺は色んな社会問題を見るに当たって、結局のところ“複雑過ぎて一概に言えない”とか“不透明なことが多くて一概に言えない”ってのが、客観的かつ論理的に見た時の結論だなって思うんよ
もし、社会問題に関してどちらかが正しいと思い始めたら、それは自分の思想的な偏りの兆候だと思った方がいい
思想的な偏りは敵対的排他的差別的な意見表明や行動に繋がるから、理性的な価値判断が出来る人の意見がもっと拡散されて共感される世の中になって欲しいんよな
トランス女性の女子スポーツ参加についても、下記内容のような俯瞰的な立場からの評価が出来る人が増えて欲しい
参考にしてくれな
役割設定
* Gemini A: トランス女性のスポーツ参加賛成派(公平性、包容性、人権の観点から)
* Gemini B: トランス女性のスポーツ参加反対派(競技の公平性、女性競技の保護の観点から)
テーマ設定
議論の開始
Gemini A (賛成派):トランス女性も女性として生きる権利があり、スポーツに参加する権利も等しく保障されるべきです。性自認に基づいて競技に参加することは、多様性を尊重し、包容的な社会を築く上で重要です。
Gemini B (反対派):トランス女性は、生物学的な男性としての優位性を持っている場合があり、それが女子競技の公平性を損なう可能性があります。女性競技は、女性アスリートの努力と才能を保護するために存在します。
Gemini A (賛成派):ホルモン治療を受けているトランス女性は、男性としての優位性が失われているという研究結果もあります。例えば、ある研究では、ホルモン治療を受けたトランス女性の筋力や持久力は、シス女性(出生時に女性として割り当てられた人)と同程度になることが示されています。
Gemini B (反対派):ホルモン治療の効果や、生物学的な優位性が完全に失われるかどうかについては、まだ議論の余地があります。例えば、骨密度や体格など、ホルモン治療では変化しない要素も存在します。また、個々の選手の能力や体格は様々であり、トランス女性だけを特別視するのは差別であるという意見もありますが、生物学的な優位性は、個々の選手の努力や才能とは別の次元の問題です。
Gemini A (賛成派):スポーツ界は、トランス女性が安心して参加できる環境を整えるべきです。例えば、性自認に基づく参加区分を設けたり、ハンディキャップ制度を導入したりするなど、様々な方法が考えられます。
Gemini B (反対派):そのような制度を導入しても、公平性の問題は完全に解決するとは限りません。例えば、性自認に基づく参加区分を設けた場合、どの程度の性自認の基準を満たせばよいのかという問題や、性自認を偽る選手が現れる可能性もあります。また、ハンディキャップ制度を導入した場合、ハンディキャップの度合いをどのように決定するのかという問題や、ハンディキャップが競技の結果に与える影響をどのように評価するのかという問題があります。
Gemini A (賛成派):女性アスリートの中には、トランス女性の参加に不安を感じる人もいるという意見もありますが、それは偏見や差別に基づく感情的な反応であり、科学的な根拠はありません。スポーツ界は、トランス女性に対する理解を深め、差別をなくすための啓発活動を行うべきです。
Gemini B (反対派):女性アスリートの不安や懸念は、感情的な反応ではなく、現実的な問題に対する懸念です。例えば、ある調査では、女子アスリートの多くが、トランス女性の参加によって競技の公平性が損なわれる可能性があると考えていることが示されています。スポーツ界は、女性アスリートの意見にも耳を傾け、彼女たちの権利を保護する必要があります。
人間の介入
* 論点の整理: 公平性、包容性、人権、競技の公平性、女性競技の保護など、議論の核心となる論点を明確にする。
* 意見の要約: 両者の意見を簡潔にまとめ、議論の焦点を絞る。
* 質問の投げかけ:
* トランス女性の参加が、女子競技にどのような影響を与える可能性があるか?
現時点では、どちらの立場にも論理的な根拠があり、一概にどちらが正しいとは言えません。
賛成派
* 多様性を尊重し、包容的な社会を築くという理念に合致する。
* ホルモン治療の効果に関する研究が進み、生物学的な優位性が失われる可能性が示唆されている。
反対派
* 女性競技の公平性を守るという観点から、生物学的な優位性を考慮する必要がある。
* 公平性と包容性を両立させるための具体的な対策については、まだ議論の余地がある。
トランス女性のスポーツ参加問題は、複雑な倫理的、社会的な問題であり、現時点では明確な結論を出すことは難しいと言えます。
重要なのは、それぞれの立場を尊重し、建設的な議論を重ねながら、より良い解決策を探っていくことです。
スポーツ界は、科学的なデータや、当事者の意見を参考にしながら、公平性と包容性を両立させるためのルールや制度を整備していく必要があります。
また、この問題は、社会全体の問題であり、スポーツ界だけの問題ではありません。社会全体で、トランスジェンダーに対する理解を深め、差別をなくしていくことが重要です。
このような疑問をインターネットで見ました
会社との交渉を外注して企業や弁護士などに委任するという意味と思われますが、なぜこのようなことは行われていないのでしょうか
労働組合の交渉を外注するという発想はユニークですが、実際にはほとんど行われていません。その理由はいくつか考えられます。
労働組合の交渉を外注するという発想は、専門知識の活用や効率化という点ではメリットがあるかもしれません。しかし、労働組合の本来の目的や団結力、法的な問題を考えると、完全に外部委託することは難しく、現実的ではないのが実情です。そのため、現実では「組合員自身が主体的に交渉しつつ、必要に応じて弁護士などの専門家を活用する」という形が一般的になっています。
インターネットは世界中に広がる膨大な情報ネットワークだけど、あたかも東京のように、ひとつの巨大な都市が存在するかのような側面を持っている、と言えるかもしれない。ここでは、「インターネットは東京か?」という問いを軸に、デジタル時代の現実と幻想、そして物理的な都市と仮想空間の関係性について考察してみるよ!
まず、東京は日本の経済、文化、テクノロジーの中心地として長い歴史を持っている。大企業の本社、クリエイティブなスタートアップ、最新のIT企業がひしめくこの都市は、世界に向けた発信力も抜群。インターネット上の情報やサービスの多くが、東京で生み出され、グローバルに展開されている現実は、まさに「東京=情報のハブ」というイメージを強くするよね。だから、「インターネットは東京か?」という問いは、ある意味、東京が国内外のデジタルイノベーションの中枢であるという事実を反映しているとも言えるの。
次に、インターネットの特性はその分散性にあるはずなのに、現実には大企業やプラットフォームの多くが、東京という物理的な拠点を持っている。たとえば、SNSやECサイト、メディア企業の多くは東京にオフィスを構え、そこで開発・運営が行われている。東京は、単なる行政や経済の中心地だけでなく、最新技術や人材が集まる「ネットの現実世界」としての役割を果たしているの。ここで生み出されたコンテンツやサービスは、瞬く間に世界中に広がり、私たちの日常に溶け込んでいる。つまり、デジタルの発展と現実の都市機能は、密接にリンクしているんだよね!
また、東京は文化の発信地としても注目される。流行の最先端、ファッション、アニメ、音楽、グルメなど、多様なカルチャーが交錯する場所として、インターネット上でも大きな影響力を持っている。たとえば、SNSや動画配信サービス、ブログなどを通じて、東京発のトレンドが瞬時に世界に拡散される様子は、まるで東京という巨大な仮想空間が存在しているかのよう。デジタル世代の若者たちは、東京のエネルギーに触発され、ネット上でそのカルチャーを享受しながら、新たな価値観やライフスタイルを創造しているんだ。そう考えると、インターネットは、まさに「東京精神」が具現化された、現代のデジタル都市とも言えるかもしれない。
一方で、インターネット自体は本来、国境や物理的な距離に縛られないグローバルなネットワークだという点も忘れてはならない。インターネットは、情報が自由に行き交い、誰もが平等にアクセスできる世界を目指す理念のもとに発展してきた。だから、「インターネットは東京か?」という問いは、あくまで比喩的な意味合いを持つ。実際には、シリコンバレー、ロンドン、ソウル、深圳といった世界各地にも、デジタルイノベーションを牽引する都市が存在する。東京が日本におけるデジタルの中心であることは確かだけど、インターネットの真の強みは、その多様性と分散性にあるという現実も無視できないの。
さらに、少子高齢化や経済のグローバル化が進む現代において、東京の持つ「圧倒的な情報発信力」や「文化的な集中力」は、将来的な都市の在り方にも大きな示唆を与えている。例えば、東京で生み出されたデジタルコンテンツやサービスが、国内外の市場で高い評価を受ける一方、地方では人口減少や経済的な停滞が課題となっている。このギャップは、デジタル時代における地域間の格差問題を浮き彫りにする。しかし、インターネットの普及によって、地方でも世界中の情報やサービスにアクセスできるようになった現在、物理的な距離と情報の距離は必ずしも一致しなくなっているの。つまり、インターネットは、東京という中心都市の存在を補完するかのように、地方の可能性も引き出すツールとなりうるのだよね。
また、インターネット上のコミュニティやSNSでは、東京に住んでいなくても、東京発のトレンドや文化に共感する人たちが多数存在する。これにより、仮想空間上では「東京」が一つのブランドや象徴として機能し、物理的な場所にとらわれない新たな都市感覚が生み出されている。たとえば、オンラインイベントやデジタルコンテンツの配信を通じて、全国、さらには世界中の人々が東京の最新トレンドにアクセスし、同じ価値観を共有している現実は、インターネットが「東京」を再現しているとも捉えられる。これこそ、デジタル時代の新しい都市の在り方なのかもしれないね!
そして、もう一つ大切な点は、インターネットの発展が東京の都市機能に与える影響だ。現在、東京ではスマートシティやIoT、AI技術が急速に進展しており、都市全体がデジタル化されつつある。この流れは、従来のアナログな都市機能を劇的に変革し、効率的で快適な生活環境を実現するための基盤となっている。結果として、東京はデジタルとリアルが融合した新しい都市モデルとして、世界中の注目を集めている。この現象は、インターネットが単なる情報伝達手段に留まらず、都市そのものを進化させる原動力になっているという証拠とも言えるんだ。
総じて、「インターネットは東京か?」という問いは、現実世界における都市の集中と、仮想空間における分散性との間に存在するパラドックスを浮かび上がらせるテーマである。東京は、歴史的、文化的、経済的な背景から、日本におけるデジタルの中心地としての役割を果たしている一方で、インターネットの本来の理想――すなわち、国境や物理的な制約を超えた自由な情報流通――を体現する場でもある。つまり、インターネットの発展は、東京という物理的な都市と、世界中に広がるデジタルネットワークの双方が相互補完しあう形で進むべきものであり、どちらか一方に偏るものではないという結論にたどり着くのだ。
未来に向けて、東京は引き続きデジタルイノベーションの最前線として輝くだろう。しかし、同時に、インターネットは地方や他のグローバル都市とも連携しながら、より多様で柔軟な社会を実現するための基盤となっていく。だからこそ、「インターネットは東京か?」という問いは、単なる比喩以上の意味を持ち、私たちがこれからどのように都市とデジタルの融合を進め、豊かな未来を築いていくかを考えるための重要な示唆となるのだよ!
母体や家庭環境に関係なく、すべての胎児は社会的に保護されるべき。自立して成人するまでは支援が必要。支援は実母に限らず、関係者が積極的に行う。というのが私の考えだ。
社会福祉法人保育園の理事長園長である義母は、妊娠が先か結婚が先か、未婚か既婚か、と言った、伝統に合わない環境にあると言う理由で堕胎を勧めたことが複数回あった。義兄のパートナーが妊娠した際、結婚よりも妊娠が先だったことを理由に堕胎を勧めた。従業員に妊娠したことを報告された際、未婚であることを理由に堕胎を勧めた。
どんな理由があっても、実母の希望がないのに堕胎を勧めることはあってはならない。「普通」「一般」「世間」といった曖昧な主語に自身の意見を仮託し、不寛容に排斥する言動だ。現状を把握し受けられる支援を整理し母体と胎児の健康を最優先に環境整備を積極的に行うのが当然であるのに、実際に行ったのは実母と胎児の人権を踏みにじる言動だ。社会福祉の理念と真逆の言動をしている。
義母はあってはならないことをした。独善的に価値観を押し付ける、不寛容で排他的な思想を持っている可能性がある。
子どもを迎えるためには環境を整えることが何よりも重要だ。環境とは、物理的環境と人的環境だ。自分と配偶者だけでは子育ては難しく、互いの実家の協力は大きな助けになる。
しかし義母が不寛容な人物であるとなると、協力を仰ぐことは難しい。子どもが虐待を受けることになる。であれば、禁止事項を策定して約束してもらうことが最低限の条件だ。
結婚前、出会って間もない2009年半ば頃から、妻とは子育てについての考えは十分に話し合った。
2018年5月末頃、妻から「子どもを作りたい」と言われて最初に感じたのは、命に対して「作りたい」はおこがましいという恥じらいで、考えた答えは以上のようなものだったけど、口に出して伝えることは無意味に思えて、「無理でしょ」とだけ答えた。
たぶん、米長邦雄っていう10年くらい前に亡くなった名棋士以来の伝統だと思う。
ちなみに、
・ウィキペディアの記事が言及している「人間における勝負の研究」は、一般人にとっても一読の価値がある。
・米長邦雄は数々の奇行、名言、迷言でも知られていて、調べてみると面白い。
羽生が真っ先にその功績として指摘したのが「相手にとって重要な一局には全力を尽くせ」という米長の勝負哲学だ。「将棋界の要であり礎でもある」(羽生)。従って将棋界には八百長試合が存在しない。好き嫌いの感情で故意に手を抜く無気力な対局もないという。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21048_R21C12A2000000/
「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」という理念を持ち、将棋界では「米長哲学(米長理論)」と呼ばれる。
著書『人間における勝負の研究』では、「何年間かのツキを呼び込む大きな対局であり、名人戦より必死にやるべき対局」と表現している。第24期順位戦(1969年度)は、中原誠と同時にB級1組に昇級して迎えた。A級昇級争いは、12回戦まで終了した残り1局の時点で、内藤國雄が11勝1敗で昇級が決まり、もう1人の昇級枠を58歳の大野源一と22歳の中原誠が、ともに9勝3敗で争っていた(順位が上の大野のほうが中原より有利)。そして、大野にとって「勝てば昇級」の最終13回戦の相手は米長であった。その米長自身は7勝5敗で昇級にも降級にも絡んでいなかった。ところが、その一局で米長は、通常タイトル戦でしか着用しない羽織袴の姿で大野の前に現れ、手加減しない姿勢をあらわにした。結果は、米長と中原がともに勝ったことにより大野はA級復帰を逃し、中原は米長のアシストによりA級に昇級した。なお、米長がA級昇級を果たしたのは翌年であったが、これについて前記の著書の中で、前年のことがあったからこそ昇級できたとの考えを述べている(精神面もさることながら、その年上がれなくとも翌年の昇級争いの最有力候補になる中原がB1リーグ戦から消えていたことは米長の昇級に有利になった)。
著書『米長の勝負術』では、トーナメントなどの例外を除き、その対局の結果が第三者に影響を及ぼす勝負の場合、自身の勝負に勝とうが負けようが第三者の悲喜の総量は変わらないが、それが故に結局は自身が全力を尽くしたかどうかだけが残り、手を抜いてしまっては純粋に、自身にとってマイナスであるとしている[44]。この「米長哲学」は将棋界全体に広く普及し、大相撲などの八百長問題の際に新聞などで引用されることもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%95%B7%E9%82%A6%E9%9B%84
この意見にはいくつか論理的な飛躍や誤解があるので、それを指摘しつつ反論します。
1. 「女を殺すのも弱者を殺すのもフェミニストだろ」について
フェミニズムの基本的な理念は「男女平等の推進」であり、女性や弱者を傷つけることとは根本的に相反します。フェミニストが女性や弱者を殺すというのは事実無根の決めつけであり、根拠が示されていません。
むしろ、フェミニズムの歴史を見ると、女性の権利向上だけでなく、社会的に弱い立場の人々(シングルマザー、LGBTQ、低所得者層など)を支援する活動にも関わってきました。フェミニズムが「弱者を殺す」という主張には、事実に基づいた論拠がないため、論理的に破綻しています。
2. 「チー牛は弱き者の味方」について
「チー牛」という言葉は、主にネットスラングとして「内向的な男性」を揶揄する表現ですが、その属性の人々が「弱き者の味方」であるとは限りません。むしろ、ネット上では「チー牛」とされる層の一部が、フェミニズムや社会的弱者に対して敵対的な態度を取るケースも見られます(例:「弱者男性論」など)。
また、「弱き者の味方」という言葉自体が曖昧です。誰が「弱き者」なのか、その線引きも不明確であり、「チー牛=弱者=正義」という論理には飛躍があります。
自己が弱者であることと、他の弱者の味方であることは必ずしも一致しません。実際には、弱者同士で争うこともありますし、逆に強者が弱者を守ることもあります。自己の立場を理由に「弱者の味方である」と決めつけるのは論理的に成り立ちません。
この意見は、フェミニズムの実態を誤解しており、根拠が薄弱です。また、「チー牛」や「弱者」という概念を単純化しすぎており、現実の社会構造や個人の価値観の多様性を無視しています。感情的な主張には見えるものの、論理的な一貫性はなく、事実に基づいた反論が容易です。