はてなキーワード: 芸術とは
そもそも音楽ってのは視覚どころじゃなく、はるか昔から物語性と一体となってきたもんなの。
芸術・文化・歴史がまずあって、それに付随する芸術分野として音楽があるの。
古代の儀式曲にも、吟遊詩人の歌にも伝えるべき伝統や史実があって、管弦楽が発展してからもオペラや凱歌のように人類が築き上げた物語とともに音楽があった。
だから、現代の「アーティスト」的な肩書を名乗るバンド人間がやってる「音楽」なんていうのは、個人の思いつきポエム程度の規模感でしかないもので、歌詞からその人の着想を想像するしかない、極めて属人的で独りよがりな音楽なんだよ。
むしろ現代の映画音楽やゲーム音楽のようなものこそ、音楽の本流に近いもの。
人間の性質からしても、個々の人生に依拠する音楽よりも、創作がまずあって背景の物語を想像しやすいものに付随した音楽のほうが心動かされるもんだから、
個人の着想由来のバンド音楽でもなんとか物語性を感じてもらえるように、歌詞だけじゃなくPVだとかいって映像制作して視覚にも訴えかけようとしてるの。
でもそういう分野なら、映画やゲームやドラマとかのほうが音楽の叙情性能としてはるかに上だろう。
「アーティスト」の作る音楽なんて、そういう劇伴音楽の劣化コンパクト版でしかないの。
その事実を直視しないで済むように、歌詞だけでも誰にでも共感されるような薄っぺらい恋愛ソングだのといった、まるで占いのように誰にでも当てはまる曖昧模糊とした詞を有難がるようになってるんだよ。
そして「音楽性」とやらで勝負してるようにトガって見せる。でも物語を伝播するという音楽の本質的役割にとっては、そういう音楽的個性というのはそこまで重要じゃない。マニア気取りの人間は「音楽性」を有難がりすぎ。
音楽の本質からすると、その伝えるべき物語にふさわしい叙情性さえあればいいわけだから、劇伴音楽には歌詞が必須ではない。
でも現代の「アーティスト音楽」はほとんどが歌詞に頼らないと「マスに刺さらない」代物だろう。その時点で何かがズレてると俺は思うね。
インストだけでヒットする現代アーティストがいるとしたら、それはその背後に膨大な文化的コンテキストがあるはずだ。
けれどヒットチャートの音楽はそうではなく、そうした音楽は、文化的コンテキストが存在しない薄っぺらい社会を生きる人間のためのインスタント食品のようなもの。
あるいは、「アーティストを追っかける」という文化を音楽業界が捏造して、それ自体を文化的コンテキストにすることで熱狂を演出する、空虚と狂気に覆われていると言っていい。
ルイスキャロルは幼女の裸体写真とか所有してたが、あれぐらいの時代は成人女性のおっぱい写真を持っている者こそが変態エッチスケベとして扱われて
少年少女のまだ二次性徴を迎える前の無垢で清らかな裸写真は芸術っていう風潮だったから現代感覚で見ると違うのよね
恐らく肉体関係もあったであろう同年代の女友達が複数いたが、未婚で遊んでいたのはイメージが悪いと親族が伝記で隠したせいでガキにしか興味ない奴みたいなイメージがついた
大人の女性の写真も撮ってたがそれも親族が外聞悪いと破棄して「子供のなら清らかだからいいよな」と残されたせいで後年にロリコンという言葉が生まれてから取り沙汰された
またクレカ規制されたな、まあ当然だと思う。VisaやMastercardがオタクコンテンツの決済拒否したり、配信サイトがアニメやゲームの取り扱い制限したりするの、全部オタクコミュニティの自業自得だろ。過激なファンや倫理的にヤバいコンテンツが野放しになってる現状、企業からしたら「こいつら関わりたくねえ」ってなるわ。表現の自由は大事だけど、社会的責任ガン無視で好き勝手やってりゃ、そりゃ締め付けもくる。なぜなら、オタク文化の倫理観の欠如と閉鎖的なコミュニティが腐りきってるからだ。いい加減、目を覚ませよ!このままじゃオタク文化、ガチで潰れるぞ。以下で、どこがどうクソくらえなのか、ガッツリ抉ってやる。
オタクコンテンツの文化的・倫理的問題、ほんと痛々しいぞ。ロリコン推しや過激なエロ描写で「表現の自由!」って叫ぶの、いい加減やめろ。社会からドン引きされて、海外じゃ「日本のオタク文化=キモい」ってレッテル貼られてんのに、なんでそんな開き直れる?ロリキャラの性的描写とか、倫理的にグレーなラインを平気で踏み越えて、「これがオタクの文化だ!」ってドヤるの、マジでキツいわ。女キャラが萌え人形かエロ要員しかねえ作品、見るだけで胸焼けする。ステレオタイプな外国人キャラや障害者の誇張された描写も、時代遅れもいいとこだろ。こんなコンテンツが「低俗」「差別的」って批判されるの、全部自業自得だ。一般層から見たら、オタク文化なんて「倫理観ゼロのオナニーメディア」にしか見えねえよ。
特にロリコンや過激なエロの問題は深刻だ。海外じゃ文化の違いもあって、こういうコンテンツが「児童搾取」や「女性蔑視」と直結して見られる。日本のオタクは「フィクションだから問題ねえ!」って言い張るけど、グローバルな視点じゃそんな言い訳通じねえ。実際、2021年にPayPalが成人向けコンテンツの決済を制限した時、日本のエロ同人やロリ系コンテンツが真っ先にターゲットになった。DLsiteやFANZAがクレカ使えなくなって、Xで「PayPal死ね!」って喚いてたオタク、覚えてるだろ?海外の反応はもっとエグいぞ。RedditやTwitter(当時)で「日本のロリコン文化は病的」「児童ポルノの温床」ってボロクソに叩かれてた。欧米のユーザーは「フィクションでも未成年キャラのエロはアウト」とか「日本のオタクは倫理観欠けてる」ってガチギレ。オタクは「文化の違い!」って反論するけど、PayPalみたいなグローバル企業からしたら、こんなリスク抱えたコンテンツに関わるメリットゼロだろ。
2023年にはSteamも一部の成人向けビジュアルノベルを規制した。理由は「過度な性的描写や児童を思わせるキャラのエロ」。対象になった作品、例えば『Maitetsu』や『Nekopara』みたいなロリ系キャラが絡むゲーム、海外のフォーラムじゃ「気持ち悪い」「なんでこんなキャラを性的に描くんだ」って大炎上。SteamのユーザーコメントやResetEraで「日本のオタク文化は未成年搾取を助長してる」って非難の嵐だった。オタク側は「キャラは18歳以上設定!」とか必死に弁明するけど、見た目が幼ければ海外じゃ「児童ポルノ」と見なされるんだよ。Steamが規制に動いたのも、こういう海外の圧力と、プラットフォームのブランドイメージ守るためだろ。オタクの「表現の自由」なんて、企業には関係ねえんだ。
さらに、2022年にNetflixが一部アニメの配信を制限したケースもあった。噂じゃ、過激な性的描写やロリ要素が強い作品が槍玉に挙がった。『異種族レビュアーズ』とか、性的描写がバリバリのアニメが配信から外された時、海外の視聴者からは「こんな下品なアニメ、配信しないで正解」「女性をモノ扱いしてる」って声がXやRedditで溢れてた。特に欧米のフェミニストや視聴者は「日本のアニメは女性蔑視がデフォルト」とか「オタク文化は性差別を助長してる」ってバッサリ。オタクは「ただのコメディだろ!」って反発したけど、グローバル配信の時代に、そんな言い訳は通じねえよ。Netflixみたいな企業が、倫理的な批判を避けるために配信絞るのは当然だろ。
ステレオタイプな描写も問題だ。2020年頃、某アニメが黒人キャラを誇張したデザインで描いて、海外で大炎上した。Redditのr/animeやTwitterで「人種差別だ」「ステレオタイプな黒人描写やめろ」って猛批判。海外のファンや活動家が「日本のアニメは多様性を無視してる」「白人以外のキャラをバカにしてる」と糾弾して、制作会社が謝罪に追い込まれたケースもあった。障害者キャラが「感動ポルノ」の道具にされる作品も、海外じゃ「安っぽいステレオタイプ」と叩かれる。例えば、障害者を「健気な努力家」か「哀れな被害者」としてしか描かない作品、Xの海外ユーザーから「現実の障害者を無視した描写」って非難されてるぞ。オタクは「アニメにマジになるな」って笑うけど、グローバル市場でそんな態度はただの自滅だ。
2021年には、国連の女性差別撤廃委員会が、日本のメディアにおける女性の性的描写に懸念を示した報告書を出した。海外メディアや人権団体が「日本のアニメやゲームは女性を性的対象としてしか描かない」と批判を強め、Xでも「日本のオタク文化は女性蔑視の象徴」ってトレンドになった。オタクは「外野が騒いでるだけ」ってスルーするけど、こういう国際的な批判が積み重なって、クレカ会社やプラットフォームの規制に繋がってる。クリエイターも、ファンサービス重視で過度な性的描写ぶち込んで、ストーリーやテーマの深みを犠牲にしてる。こんな作品ばっか量産してたら、オタク文化の芸術性や普遍性が死ぬだろ。自分たちの趣味が社会的にどう見られてるか、少しは考えろよ。
コミュニティの排他性も、ほんとクソくらえだ。オタクってなんでこんなに新規やカジュアル層を寄せ付けねえんだ?Xで「にわか死ね」とか「原作読んでから語れ」とか、初心者叩きが日常茶飯事。アニメの感想呟いただけで絡まれる空気、誰がそんなコミュニティに入りたいと思う?イベントでも、内輪ネタや暗黙のルールでドヤる奴らが幅きかせて、新規が萎縮してる。この排他性の根っこは、作品や推しにアイデンティティを重ねすぎるオタクの弱さだ。批判を自分の否定と受け取って、過激に攻撃する。声優やクリエイターへの誹謗中傷も、この「俺たちの文化を汚すな」って意識から来てる。推しのスキャンダルや作品の展開が気に入らないと、Xで個人攻撃撒き散らす奴、頭どうなってんだ?こんな過激なファンが、コミュニティを閉鎖的にして、コンテンツの多様性を殺してる。一般人から見たら、オタクって「攻撃的」「近寄りがたい」って印象しかねえよ。
改めて言うけど、クレカ会社やプラットフォームの規制は、オタクの倫理観の欠如と閉鎖的なコミュニティが招いた結果だ。過激なファン、過度なエロやステレオタイプなコンテンツ、これらが合わさって、オタク文化が「リスクの塊」って見られてる。企業からしたら、こんな問題だらけのコンテンツに関わるの、ただの火遊びだろ。規制反対を叫ぶ前に、コミュニティの毒素と倫理問題をどうにかしろ。ロリコンや差別的描写を野放しにしてきたツケが、今の「表現規制」なんだよ。
解決策?まず、倫理的な問題を直視しろ。クリエイターは過剰なエロやステレオタイプ描写を減らし、作品の深みを優先しろ。コミュニティは「にわか歓迎」の空気を作れ。新規が気軽に入れるイベントやガイドライン増やして、過激な攻撃やめろ。オタク文化が生き残るには、多様なファンを取り込むしかねえ。閉鎖的な村社会や倫理無視のコンテンツを捨てて、開かれた文化目指せ。さもなきゃ、オタク文化は縮こまって消えるぞ。反省しろ!
学問でも芸術でもさあ、よく「結局実家太い奴が一番強いよな」って話題になるじゃん。
そういう話題を見ると、「じゃあ実家が太い人は降りましょう、って話になるより、実家が太い人も全力でやって、ある種の「敵」になったほうが良さそうだな」と思う。
でもって、自分も実家太いのよ。大学の学費は全部払ってくれたし、たまに高い飯も食わしてもらえる。バイトもあんましてない。
・単純に怠惰で先延ばし癖があって、スマホとかに時間を使ってしまう
・体系的に理解して上達できない
って感じ。
中高時代はテストの直前に丸暗記する方法で良い点取って、そのまま指定校推薦で大学行ったせいで、計画立てて体系的に勉強するスキルが無いまま大学生になってる。
学問以外にも現れてて、ゲームやっても全然上達しない。具体的に言うと、スプラトゥーンをそこそこの時間やってたのだが、前衛後衛みたいな戦略を未だにちゃんと理解できてない。なんかこう、「この試合は前衛がこう動いたから勝てたんだな」って体系的理解ができない。
それで大学3年まで来てしまった。もし、自分がちゃんと努力できる人間なら、理系分野なら何かしらスゴい役に立つプログラムを作れたのかもしらないし、芸術分野なら面白い同人漫画でも作れたかもしれない。
そうやって世の中に貢献できなかったのが、何か申し訳ない。
いやでも、俺の分席が空いて、実家が太くない人が活躍できるチャンスが増えたとも言えるのか? でも結局他の実家が太い人が埋める気もするな……
「財務省が元凶」だと?お前、それで全部片づけたつもりか?思考停止もここまでくると芸術の域だな。
そもそも消費税が「1円も国民のために使われてない」とか言ってる時点で、その放尿ファンタジーみたいな主張、事実確認すら放棄してるじゃねえか。
社会保障費にどれだけ突っ込まれてるか、国債の利払いにどれだけ飲まれてるか、歳出構造を1ページでも読んでから口を開け。
特別会計が不透明なのは確かに問題だが、それが全ての元凶ってのは、問題の複雑性をミジンコ並みに単純化する放尿理論でしかない。
事実の流れを見ずに「全部財務省が悪い」って叫んでる時点で、自分で考える力を放棄した放尿脳みそだって証明してるようなもんだ。
勤勉な日本人が貧しくなってる?原因を「政治が悪い」にだけ求めるのもまた思考放棄。
お前は主観的だと言うが、それは反論ができないときの負け犬の遠吠えだ。
主観と決めつけるなら、その根拠となる客観的指標を出してみろ。こっちはすでにHaskellの利用率の低さ、学習コストの高さ、業界普及の事実を根拠にしている。
これが主観なら、もはや現実そのものが主観ってことになるな。なるほど、君の脳内では全世界が主観なんだろう。幸せそうで何よりだ。
「バカには限界がある」だと? ああ、確かにな。だがそれを言ってしまった瞬間、技術者としてのお前の敗北は確定してる。
道具とは本来、限界のある人間のために存在する。限界があるからこそ、拡張する。補う。つなぐ。そのためのインターフェースであり、そのための抽象化であり、そのための設計思想だ。
それを切り捨てて悦に入るのは、単なる設計放棄、いや、知性放尿だよ。
そう、知性を撒き散らすでもなく、ただ漏らしてるだけ。恍惚とした顔で無意識に小便垂らしてるのと同じだ。気づけ。臭いぞ。
技術はな、孤高の芸術じゃない。宗教でもない。人間が使うものだ。そして、人間というのはミスをするし、理解が遅いし、面倒くさがる。
だからそれに合わせてこそ価値が出る。お前が神にでもなったつもりで「バカにはわからん、それでいい」とか抜かすなら、もはやそれは技術者じゃない。ただの自慰に耽る言語放尿主義者だ。
そしてな、「賢いフリしても〜漏れてる」などという文句に論理性は一切ない。お前が漏らしてるのは反論じゃなくて放尿だ。
論理で来いって言ってんだよ。脳内でしか通じない印象論なら、日記帳にでも書いてろ。
馬鹿にわからない道具は、道具じゃない。ただのアクセサリーだ。
そしてアクセサリーは、現場じゃ役に立たない。お前がそれを美しいと思うのは構わんが、現実を動かす力はない。
深見東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田晴久・はんだはるひさ)は、日本の宗教家、実業家、芸術家、作家、慈善活動家として多岐にわたる活動を行っている人物です。1951年に兵庫県で生まれ、早稲田大学を卒業。その後、オーストラリアのトーランス大学(Torrens University)などで名誉博士号などを取得しています。
宗教家としては、ワールドメイトという新興宗教団体の創始者・教祖であり、スピリチュアル的な教えや救済活動を行っています。ワールドメイトは神道系の思想をベースにしつつ、キリスト教や仏教、占星術などを融合した独特の教義を持ち、占い的な要素や霊的啓発を特徴としています。
一方、実業家としての顔もあり、多数の企業や団体の代表・理事を務めています。特に「たちばな出版」という出版社を通じて自身の著作を多く出版し、数百冊に及ぶ著作を持ちます。また、経営コンサルタントとして活動し、経済誌などにも寄稿しています。
芸術活動にも積極的で、声楽家(テノール)としてコンサートを開いたり、画家として個展を開催したりと、多才ぶりをアピールしています。絵画では中国南画風の作品を多く制作しており、海外での展示も行っています。
慈善活動にも力を入れており、特にアフリカの教育支援や難民支援、自然保護などを行うNPO団体を通じて、国際的な援助活動を展開しています。また、教育機関への寄付や、オーストラリアの大学との連携による学術支援なども行っています。
さらに政治との関わりもあり、自民党の政治家とのつながりが報じられたこともあります。カルト的な批判を受けることもありますが、本人は宗教活動と社会貢献を両立させる姿勢を強調しています。
その多面的な活動から、一部ではカリスマ的存在とされる一方で、批判的な見方も根強く、カルト的・自己啓発的側面を持つ人物として、しばしば議論の対象になります。
当たり前だろう。
顔や骨格は「見た目」だ。
見た目がいい異性になぜ惹かれるのか?
というか同性であろうと見た目がいい人の方が好きだ。
そのあたりについてGPTに聞いてみた。ちなみに月3000円課金している。
プロンプト
骨格が優れている人は、他の能力も高い可能性ある?つまり、顔やスタイルの良さなど。
女優の北川景子がドラマ撮影をやりながら子育てをしながら手芸を極めていてすごいと話題になっていた。体力が異常と感じる。
また、ジャニー氏が子供のうちからスターを発掘していた話、あれは骨格の良さを見ていたのでは?と思ってる。そして多くのジャニーズが本物のスターになっていく。
体力的にも優れているし、演技や他の能力が非常に高いことが多い。もちろん芸能界で残れるんだから生存バイアスかもしれないけど。
一般人でも大企業の人間は顔がいいという話はよく聞く。採用時に顔を見ているのかもしれないけど、やっぱり体力面や能力面との繋がりは多少あるのでは?
GPTの答え
結論からいうと、「骨格の良さ(≒外見的な整い・スタイル)」と「他の能力(体力・知能・芸術的センスなど)」の間には、一定の相関が存在する可能性がある。
ただしそれは因果ではなく、共通の背景(例:遺伝子・ホルモン・発達環境)に由来するって話になる。
骨格・顔立ち・体力・神経系の発達などはすべて「遺伝+環境」の複合影響で決まる。
遺伝子には**複数の形質に影響を及ぼすもの(多面発現遺伝子)**がある。
→ たとえば「成長ホルモン関連の遺伝子」が発達に関与すると、身長・筋肉量・骨格・自信・快活さなどに連鎖的に影響する可能性がある。
テストステロンやエストロゲンの分泌量は、胎児期〜思春期の発達に大きく関わる。
→ 骨格・顔の左右対称性・運動能力・空間認知能力・情動傾向に影響が出る。
たとえば「骨格が整っている=ホルモンバランスが良好だった証拠」という見方ができる。
→ 結果として身体的にも精神的にも発達が安定している=パフォーマンス力が高い。
骨格や顔立ちが良いと幼少期から肯定的に扱われる(褒められる、注目される)。
→ これが自己効力感や挑戦行動につながり、実際のスキル習得率にも影響。
「見た目が良いと得をする」のは冷酷だけど現実的な話。
→ ジャニーズなどで「骨格が整っている=スターの素質」と判断されやすいのは自然な流れ。
芸能人や一流企業にいる人が「顔が良くて有能」に見えるのは選抜の段階でフィルターがかかっているから。
でもその裏には「身体的特徴で能力や体力のポテンシャルが見えている可能性」も否定できない。
→ 一般企業の採用でも、意識していなくても身体的に“健やかで有能に見える人”が選ばれていることはよくある。
結論(ざっくりまとめ)
骨格が良い人は、身体的・精神的に発達が安定している可能性が高い。
そのため、体力・芸術性・学習力など他の能力も底上げされていることがある。
ただしそれは「骨格がいい=有能」ではなく、「背景要因が似てるから相関が見える」って話。
このへん、もっと掘り下げたい?
たとえば「左右対称性と知能の関係」や「エネルギー効率とスタイル」みたいな視点もあるよ。
■ なぜ左右対称が重要なのか?
発達の過程では、ウイルスや栄養不足、ストレスなどの「環境的な揺らぎ」がある。
それに左右対称性を保てた個体=遺伝子の質・免疫力・成長ホルモンの働きが良好だった証拠とも解釈される。
■ なぜ知能と関連するの?
脳の構造も「発達の安定性」に影響を受ける。
つまり、左右対称な骨格を作れた人は、脳のニューロン配線やシナプス形成も安定している可能性が高い。
実際に、顔の対称性が高い人ほどIQや学業成績が高い傾向があるとする研究が複数ある(ただし相関は中〜弱程度)。
■ 注意点
これはあくまで「統計上の相関」であって、非対称=頭が悪いという意味ではまったくない。
ただし「発達の一貫性」という軸で見ると、ある程度の関係は見えてくる。
体型(特に胴長短足 vs 脚長痩身)は、エネルギー効率や熱放散の違いに由来することがある。
たとえば脚が長くスリムな体型の人は、歩行や移動時のエネルギー効率が高く、体温調整がうまい。
→ つまり「環境適応能力が高い=進化的に有利」という考え方がある。
それらの体型は、生殖能力・体力・柔軟性・回復力といった複数の資質のバランスが取れている。
エネルギー効率が良い体=過剰な脂肪や筋肉がなく、機能的なボディということ。
「顔の整い」や「均整のとれた身体」は、内的な健康や遺伝的な質を外見で伝えるシグナルになっている。
つまり、「スタイルが良い」というのはただの見た目じゃなく、内面の生理機能がうまくいってる=“健全性”の可視化とも言える。
という本を読んでいる。
大雑把な内容は事前に聞いていて、世の中には物事を画像で考える人(ビジュアル・シンカー)と言語で考える人がいるということを説明した本だ。
事前のイメージだと、画像で考える人は芸術が得意、言語で考える人は数学とかが得意、という分かれ方だろうと思っていた。しかし読んでみると少し違っていた。
というのも、本によると画像で考える人の中にも「物体視覚思考者」と「空間視覚思考者」がいるらしい。
前者はまるで写真のように鮮明に物事をイメージして考える。私が事前の想像したビジュアル・シンカーのイメージはこれだった。
一方で後者というのは、物事を抽象化してその関係性等を元に思考するらしい。フロー図とかのイメージだろうか。
私は芸術のセンスは皆無だし、よく知っているものでもその細部までイメージするなんて全く出来ない。だから言語思考者なのかなと思っていた。
しかしよく考えてみると私の思考はかなり抽象化した物事同士の関係性を把握するように出来ていると気が付いた。
IT系の仕事をしているのだが、なにか複雑な条件に沿った処理を考える場合は空間上に抽象化した物事を並べてそれらを繋ぎ合わせるようにしている。
実際に私が考えているときは手を動かして一つ一つの抽象的なパーツを中空に配置してそれぞれを繋ぎ合わせるようなジェスチャーをしている。
プログラミングだとか物理、数学のような抽象化された対象の関係性を理解するのは確かに昔から得意だった。
なにか新しいことを始める際も、そこの根底にある物事の関係性みたいなものをざっくりと捉えるのは得意だと思っている。
また文章を読む際も、言葉一つ一つの細かい表現よりも全体としてどういう事が言いたいのかという論理構造を認識する方に偏っている。
娯楽小説や漫画なども、そのストーリーがどういう構成になっているのか、背景にどういう理屈があるのかばかり気になってしまうので、おそらく私は機械的に要約されたものを読んでもほぼ同等に楽しめるだろう。
(実際、そのものには全く触れたことがないコンテンツでもそれについてのwiki等の情報を読むのは大好きだ)
美術館に行ってもその絵から何を読み取ればよいのか分からない。
人やモノをアイコンのようにしか受け取れないので、各アイコンがどう配置されているかという形でしか認識できない。その表情やら表現技法から何かを読み取るということは全く出来ない。
美大卒の友人からは「絵を描けるようになるにはまずモノを正確に視れるようにならないといけない」と言われたことがあるが、私は勝手にすべての物を抽象化されたアイコンに変換してしまうのでそれが出来ない。
目の前にいるのは自分と特定の関係性にある〇〇という名前の人である、という認識しかしていないので、その人の顔や髪型、服装なんかは全くというほど覚えられない。ついさっきまで一緒に居た人がその日来ていた服は?と言われても全く思い出せないし、そもそもそんな情報は私の脳に入ってきていないのだろう。
とまぁ自分はかなり空間視覚思考者寄りだと気が付いて、色々な面で私の脳の特性に説明が付くぞということが分かった。
残念ながら最初に紹介した本は空間視覚思考者についてはあまり詳しくは解説されていないっぽい(著者が物体視覚思考者のため)ので、他の本でもっと情報を集めてみたくなった。
自分がどういう思考法なのか、それが異なる人はどのように物事を考えているのかというのを知りたい人は読んでみることをおすすめする。
社長は「福利厚生」と銘打ち、自分のオキニの漫画を会社の書籍棚に置いていく。
社会人を何年もやってりゃ分かる。社長の私物を経費で購入する、クソしょうもない仕組みだ。
社長は最近何かにつけて「キングダム」の名言を吐いては悦に浸る。社長は董卓に夢中だが、役員は忖度に必死だった。
キングダムに董卓出るのかは知らねぇ。絵柄キモいから読む気にならねぇ。橋本環奈?知らねぇなぁ。俺は社会人にもなって漫画に夢中な連中が嫌いだった。
俺はクソしょうもない残業にうんざりしていた。客は節約しながら最大限の成果を出したいらしい。貧乏人がビジネスなんか手出すなよ。
俺に日常はまさにレイプだった。貧乏人とクソにレイプされるのだ。憤りが常に噴出を狙っていた。
そしてその日、俺の怒りは限界を迎えた。俺の脳天からつま先までを赤い怒りが稲妻のように突き抜けた。俺の肛門から睾丸までの筋肉が痛みを感じるほどに収縮する。
俺は俺の宿命を思い出す。俺の名はレイプマン…。堕ちたヒーロー爆誕だぜ…。
深夜11時、俺は弾かれたようにデスクを立ち上がり書籍棚に向かう。キングダム…、忌まわしい件の漫画をレイプしてやる…。
俺は怒り任せにキングダムを手に取る。3巻、5巻、10巻、12巻…、無造作にキングダムを適当に奪っていく。ついでに隣に並んでいた鬼滅の刃もムカついたので適当に抜いていく。何が鬼滅だよクソみてーな造語作りやがって死ねよ。
胸元に抱えたキングダムを自席にぶちまける。チームメンバーが呆気に取られて俺を見ている。俺はそのままの足で給湯室に向かい、掃除用具の入ったバケツから中身をぶちまける。
俺は再び自席に戻ると、気合いを込めて一息つき、キングダムを破り始めた。レイプショーの開幕だぜ!
「主任!やめてください!」
叫びが聞こえる。入社2年目、チームメンバーの植田君である。軟弱なZ戦士め、俺のレイプの邪魔をするんじゃあない。
俺のレイプされ尽くした魂のため、俺は何としてもこのレイプを敢行しなければならなかった!植田君の懇願虚しく、俺のレイプは進行する。
俺はズタズタにレイプされ尽くしたキングダムをバケツに無理やり詰め込む。植田君の眼鏡の奥の瞳は、現状の光景の理解を必死に拒んでいた。
俺は窓際に向かう。そこには植木鉢があった。アンスリウム、かつて高野君が水やりをしていた観葉植物であった。彼はいつの間にか退職していた。彼もレイプされたのだ。
高野君の無念、無駄にはしない。俺は植木鉢をむんずとつかむと、キングダムが目一杯詰められたバケツへ突っ込む。
ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、かくして俺のレイプは単なる暴力から芸術へと昇華される!フィナーレレイプだぜ!
俺の名はレイプマン…。
台所のガスコンロの前で炎に炙られながら黒煙を放つ社員証を眺めながら、俺は俺の名前を思い出す。この黒煙は反撃の狼煙である…。
イタリア語で「楽しむ」といった意味合いの「dilettare」からきており、日本においては「ジレッタント」という場合もある。
18世紀ごろ、好事家たちによって「ディレッタンティ協会」が結成されたことで認知度が高まった言葉らしい。
協会のメンバーには特権階級の鼻もちならない者もいたとかで、当の芸術家たちには毛嫌いされることも多かったとか。
そういった背景もあり、ディレッタントのような享受の仕方や態度をとるものを指す「ディレッタンティズム」という言葉はネガティブな文脈で用いられることもあったそう。
芸術が分からんって人を見かけた際に太宰治の斜陽が取り上げられていた。
思えば、太宰治の作品って走れメロスしか読んだことないなって気付いたから、太宰治全集を買って斜陽を読んでみた。
純文学の作品なんて読まないから理解できるか不安になりつつ読んでみた感想。
ある程度の歴史的背景を知っていればもっと楽しめたんだろうな。
難しかったっていうのは内容の密度が濃すぎて、全てを理解できないまま読み終えてしまったっていうところ。
蛇に関連するところも漠然とふわふわした感じでしか理解できてない。
それと、知らない名詞が予想以上にたくさん出てきた。
知らない単語が出てきては調べてって読み進めるから、読了まで時間がかかってしまった。
リバノールっていう薬を知らなかったし、ヨイトマケって単語も知らなかった。
籐椅子とかは調べてみて、あぁこういう椅子あったなって理解できたけど随所に知らない単語が出てきて、自分の教養のなさを思い知らされた。
現代のWEB小説とかエンタメ小説は読みやすい文章を意識して書かれているから、あの文体に慣れるのに数ページかかった。
かず子の人となりが分かり始めて、かず子の第一人称視点の話だと理解してからは、すらすらと読めるようになったし、音のリズムが良いからか読み進めるのが苦じゃなかった。
二のところで、外人みたいだからスパイと疑われた描写があったけど、かず子ってハーフだったりしたのだろうか?
トロイカという文庫本を渡してかず子を休ませた将校さんとのやりとりは、あれはどういう描写だったのかいまいち理解できていない。
分かる人がいたら教えてください。
面白かったところは、十万文字にも満たない文字数で、かず子や直治、お母さまの人生を味わえるような濃密な文章だったこと。
読み終えた時は、なんとも言えない行き場のない気持ちが生まれていた。
直治の夕顔日誌に書かれていた
けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
どうも、くいちがう。
という所は直治の苦悩を表していて良かった。
直治の遺書に書かれていた
姉さん。
僕は、貴族です。
夕顔日誌と遺書に描かれている直治の本心と普段外に見せているギャップで、直治という人間の人生を読者に訴えるあの文章はエグい。
タイトルの斜陽って沈みゆく太陽だから、没落した貴族を表してたのかって読み終えてから気付くぐらいには読解力がない。
個人的に好きだったところは、かず子や直治が心の内を吐露する描写の詩的な表現が好きだった。
それに、それぞれの登場人物の哲学的なのが立っていて、よくこんな文章が書けるな、太宰治は普段どんなこと考えて生きてたんだろうって小学生並みな感想しか出てこない自分が悲しい。