はてなキーワード: にわかとは
自分が「使われる側」だったときにはハラスメントされただの優しくしてほしいだの言ってた割に、「使う側」になった途端、全く同じことを他人にし始める人がいる。
現代はハラスメント被害者を絶対的な「弱者」、加害者を絶対的な「強者」と見立てる言説が多いけど、そんなにわかりやすく主従関係がある方が珍しくて、実際は名目上の権力関係にさほど差がないはずなのに、強い権力関係が生じちゃう。他のところで被害者になり、みんなから励まされていた人が、他のところでは平気で加害者になる。という、説明しがたい事例の方が相当多い気がする。
事実として押さえておきたいポイントとして、まず楽譜は紀元前3世紀の古代ギリシャの時点で存在していて、その時点で少なくとも西洋において高低の概念は存在している
一方で漢字圏においては工尺譜と呼ばれる楽譜が存在しており、起源は不明だが10世紀のものが現存していることからそれなりに新しい時代になっても使われていた事がわかる
で、この工尺譜だが、音階として使われていた文字が「合、四、一、上、尺、工、凡、六、五、乙」であり、これは音階の低い順に並べたものだが、漢数字が音階に沿っていない
工尺譜は主に民間の通俗音楽などの楽譜として使われたらしいが、少なくとも東洋の一般民衆においては中世においても音階に高低という概念はあまりなかったのではないかと想像できる
自分(男)はひょんなことからBL本を読んだこともあるし、BLに対する拒否感とかも全くなかったので、A子とそれなりに仲良かった。
たまーに会って飲んで近況報告するみたいな関係でもう10年近く経っている。けしからん関係は一度もなかったし、A子も考えてないと思う。
そしたら、A子は「男に踏まれたい」と言ってきた。
聞くと、踏まれることで「ダメな自分があるべき場所にいれる」とかなんとか理由をつけて、踏まれたい願望を語ってきた。
「じゃ、踏もうか?」と軽い気持ちで言ったら、一瞬時が止まった。多分A子にとっては「え・・・いいの?!?!」という感じだったのだと思う。
だんだん興味が湧いてきて、「踏むだけだから」ということで、池袋北口のホテルに向かった。
少し古びたホテルで、広くない。しかし人が床に寝転んで、自分がソファに座ったままA子の上に足をおいて踏みつけるくらいのスペースはあった。
小さいソファで雑談し、「二人でこんなとこ来るなんで不思議w」と笑った。
「じゃ、踏むよ」と言って、A子を床に寝かせた。なんとなく目が合うのが嫌だったので、うつ伏せになってもらった。
そして背中のあたりに片足を置く。A子に触れる。「足の裏でA子に触れるなんて、汚くて申し訳ないな」と思った。
踏んでる感を強くするため、少しだけ力をかけた。ただ足を置くだけではなく、踏む。
A子は黙っている。しばらくそのままで過ごす。
気のせいかもしれないが、A子の体温が高くなったような、呼吸が荒くなったような気がする。
まさか、興奮しているのか?
「土下座するような体勢にしてみて」と。「ふふっ」と言って抵抗することなく、俺の足元で土下座するA子。
女が俺に土下座して、踏んでいる。あろうことか女は喜んでいる。
足の裏からかすかに感じる呼吸や体温から、A子も興奮していることが手に取るようにわかった。
そして俺は意を決してこう言った。
「
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省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。
彼女と別れた。
今26歳で、初めてちゃんと付き合ったのはこの人が2人目。神戸に来てから3年目になるけど、2年目の終わりに差し掛かる頃に出会った、デザイナーとして働く、笑顔が素敵でとっても家族思いの人だった。素朴な子だけれど、自分があって凛としているところがとってもかわいかった。年収は外資だから俺の方が3倍近くあって、正直こんな田舎で出会った人なんてすぐに別れるんだろうなと思っていたけれど、だんだん好きになっていったんだと思う。でも彼女から突然、ドロップキックを食らうような衝撃で別れを告げられた。価値観が合わないらしい。なんだそれ。
そんなこと今までしたことないのに、母親に電話を掛けた。失恋したって言ったら、なぜか涙が止まらなくなってしまった。普段は全然泣けない人だからびっくりしたけど、母親の声を聴くと、背中にバックブリーカーでも決められたみたいに胸が痛んで、引き出しにしまっていたはずの感情が爆発してしまった。話すらほとんどできなかった。
思うに、あまり人と向き合ってこなかったんだと思う。東大を出て、キャリアを重要視して外資系を選んで、高年収やタワマンが自分の目指すところだと思って生きてきた。仕事に打ち込んでもどうも孤独で、アプリでも始めるかと思って出会ったのが彼女だった。彼女に出会ったときは、初めてちゃんと向き合ったと思った。けど、やっぱり俺はまだスリーパー・ホールドで自分の感情を締め上げたまま、人間的なところができていなかったんだなって痛感した。仕事や、世の中の仕組みはすごく簡単にわかるのに、人の心は難しい。自分の心ですらよくわからないのに、そんな状態で他人と向き合うのは、まるで不完全なパワーボムみたいに危うくて不誠実だったんだと思う。
電話を切るときに、親に「いつもありがとう、大好きだよ」って伝えられたよ。あの瞬間は、自分の中で隠していた感情にフラッシングエルボーを決めたような感じだった。こうやって少しずつ、大人になっていくんだな。次に会う人には、きちんと向き合えるようになりたい。まるでブレーンバスターで新しい自分を解放するみたいにね。
別れの夜、布団の中でふと考えた。俺の人生はずっと、彼女の気持ちを正面から受け止められず、まるでエプロンで場外に叩き落とされたみたいに逃げ腰だった。でもこれからは、彼女のことも自分のこともきちんと向き合って、ハリケーンラナのように軽やかに前に進んでいきたい。次に誰かと出会ったら、ラストライドのようにどっしりとした信頼を築いていけたらいいなと思うよ。
山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた
スーパー銭湯に併設のビジネスホテル。施設内の飲食も幾つもあるしコンビニや居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好
長野善光寺の本尊を武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹を強奪したということだろう
諏訪大社の諏訪氏に自分の血統を押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄の戦国大名らしいバイオレンス事績を代表する史跡で、ある意味、信玄すげーを一番感じられるかも
近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった
信玄の本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社そのものは江戸時代以降の武田ブームのアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田の馬出の現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい
隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集(柳沢家は元武田家臣、甲府の藩主時代に武田家の名誉復興に政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった
予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説へシームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料が豊富なものをちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい
特別展としてまとめられていた「縄文時代の不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか
アタマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる
ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレーで集客してるミレー推しの美術館だが、県内の画家の作品が普通に良い
というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古やなんやかやの頃の絵なので古典の範疇であり、近代以降のキャッチーな絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレーの労働、自然、リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧め(ホームページで見れる)
さておき企画展含めた国内作家の作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本人画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う
施設内レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う
中途半端にわかっったつもりになってる奴がエンジニアプライド()とやらで適当に解釈した結果必要な情報を伝えず間違って情報を伝えて来る害悪に気づいてないだけじゃない?
AIを実際に活用しているからこそ、相互フォロワーの絵を何年も見ているうちに、「この人はAIを使っているかもしれないな」と感じることがあります。直感的にわかることもありますし、画風の変化から推測することもあります。
こういった絵師さんたち(以降、AI活用絵師と呼びます)は、2023年までは絵の仕事をしていませんでした。しかし、今年に入ってから次々と商業の世界に進出しているのを目にします。
特にここ1年で、AI活用絵師の絵柄に個性が出てきたと感じます。モデルや指定方法の選択肢が増えたことで、最新の技術を取り入れたAI活用絵師たちは「マスピ顔」からすでに脱却しています。
その結果、投稿スパンやクオリティが安定している彼らは、SNSで有利な立場を築き、フォロワー数の伸びが目覚ましいです。
昨年まで様子見していたAI活用絵師たちが、「企業はクオリティと納期を最重視している」という事実に気づいたのかもしれません。
一定のスキルがある絵師がAIを活用することで、「AIっぽさ」を完全に消しながらクオリティを向上させ、作業時間を大幅に削減することが可能になりました。
しかし、SNSではイラスト生成AIに対する風当たりが依然として強く、こういったノウハウが広く共有されることはほとんどありません。
私自身も独自に活用方法を研究してきましたが、AIを活かすノウハウは一部の絵師に限られた「裏の技術」になっているのが現状です。
私は、こういったAI活用絵師が来年以降さらに商業の世界に進出し、納期とクオリティの面でオール手描きの絵師を圧倒するのではないかと考えています。
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ただ、一つだけ残念に感じるのは、AIを活用すれば飛躍できる可能性があるにもかかわらず、「AIを使うことは悪である」という風潮のせいで、チャンスを逃してしまう絵師がいることです。
自身の弱点を克服できずにくすぶっている人が、「AIを使う」という選択肢を否定され、可能性を閉ざされてしまうのは本当に勿体ないと感じます。
・線画を綺麗に清書するのが苦手なら、AIに補助を頼む
・細かい描き込みが不得意なら、装飾や背景だけでもAIに任せる
こうした方法を使えば、自分の得意分野に集中して作業の負担を減らしながら、クオリティの高い作品を生み出すことが可能です。
それにもかかわらず、「イラスト生成AI=一枚絵を全部AIが生成するもの」という古いイメージが依然として強く残っているように思います。
初期の頃は確かにそういった側面がありましたが、現在では様々な制御方法が開発され、部分的にAIを活用することもできるようになっています。
技術の進歩は、絵を描くことのハードルを下げ、多くの人に「クオリティが上がる喜び」を与えてくれるものだと思います。
それでも、このような技術を公表すれば、多くの批判にさらされるのが現実です。そのため、多くの絵師がAI活用の技術を隠さざるを得ない状況にあります。
特に左派はパレスチナ応援アピールのパレスチナ国旗マークやスイカアイコンを掲げながらどうして無関心でいられるのだろうか
アサド政権はこの10年でサリンなどの化学兵器を用いた大量虐殺や、多くの対立者を刑務所に送り片っ端から死刑にするなど、数十万人のシリア人を死に至らしめており、冷戦後で見ても最悪の指導者だったが日本では岩波がアサド政権のプロパガンダを垂れ流したりしていた影響なのか、状況がよく理解できていないようだ
今回のシャーム解放機構による宗教や民族や外国に依存しない政権打倒はそれこそ韓国のデモなんかよりもよっぽどすごいことで、ロシアとイランとヒズボラの弱体化が生んだ奇跡とも言うべき出来事なのだが…
[追記]
そもそもシリアの事を知らない人が多いようなので、端的にわかりやすく識者のアカウントをいくつか紹介しておきます。信頼できる人、留保がいる人、プロパガンダな人と色々いるので見比べるといいと思う
〈信頼できる人々〉
アサドとプーチンを追ってきたジャーナリスト。シリアについてフラットに一番詳しいと個人的には思っている
・石田昌隆
リベラル写真家。中東には以前から詳しく、特定のイデオロギーに偏っていない貴重なリベラル
・直立演人
・露探【円谷猪四郎】
・内藤正典
トルコをメインとするイスラム学者。トルコについては信頼がおけるがシリアに対してもトルコ寄りの視点なのは留意しないといけない
・異常者
イスラエルを中心とした中東事情に詳しい現地人物。視点としては基本的にイスラエル寄りだがイスラエル全支持とまではいかない
〈信頼出来ない人々〉
・青山弘之
アサドべったりのプロパガンディスタ。アサド政権と深い関係を築いていた
https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/aoyamahiroyuki
・青木健太
・篠田英朗
これさあ、映画のタイトルこそ『どうすればよかったか?』となっているけれど、
実際にはこの監督の中で結論は出ているよね?「早期に受診させればよかった」でしょう?そう決めてかかっているよね?
「間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ」
ただ両親は医者かつ研究者であり、合理的判断ができるはずだったのに、その二人に話が通じないとなるとどうすればよかったのか。無理矢理入院させれば良かったという人もいますが、それがうまくいくとは到底思えません。彼らが認めない入院を病院が認めるとは思えないし、入院させることができたとしても両親が連れ帰ってくる。そして僕が無理矢理病院に連れていこうとしても、姉は赤信号で車を降りるし、身体を縛ったりしたらトラウマにもなりかねない。どう考えても両親を説得する以外の方法はなかったと思いますが、どうすれば説得できたかはいまだにわかりません。
結局、両親に問題があったという事で済ませている。
たとえ両親が望んで入院させたとしても、病院で拘束されて人権侵害を受け、家にいるよりももっと酷い目に遭ったかもしれないなどとは考えていないようだ。
発達障害なんかでもそうだけど、この手の話題になるととにかく子供の障害を認めない親が悪い、早期に受診させていれば解決した筈だ、と決めつけられて
社会からの偏見や医療制度自体の問題は置き去りにされてしまう。それが悔しい。
それに加えて、両親は自分たちで何とかしなければと思ったんじゃないかなとも考えていて。通院歴があると姉の国家資格が通らなくなるとか、研究者としての道が閉ざされることもきっと心配していたと思うんです。
これは正しいよね。精神科の通院歴があると就きたい職業に就けなかったり、保険に入れなかったり。今は多少改善されたようだけど昔はもっと酷かった。
それは社会制度の問題なのに、この監督はそこに深く切り込もうとせずに両親が悪いで済ませている。
世間の偏見の目も強いよ。親族に精神疾患の人間がいるとそれだけで結婚出来なかったり。
しかも「統合失調症」と呼ばれるようになったのも2002年からなので、それ以前は罹ったら人生終了を想起させるような「精神分裂病」と呼ばれていた。そういう医療側の態度も、受診を忌避する患者を生んでいただろう。この人のお姉さんが発症したのは1992年から9年前らしいから、その時は間違いなく「精神分裂病」。この記事にはその事実が出て来ない。
https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58
日本精神神経学会は2002年8月、1937年から使われてきた「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更することに決めた。それに伴い、厚生労働省は精神保健福祉法に関わる公的文書や診療報酬のレセプト病名に「統合失調症」を使用することを認め、同年8月に各都道府県・政令都市にその旨を通知した。現在、メディアや出版業界など多くの領域で、精神分裂病を統合失調症に変更する作業が進められている。
「中学と高校は学校にも家庭にも問題があって暗い思い出しかないので一切聞かないでください」でいいんちゃう
あるいは開き直って不登校は不登校なりに楽しかったこともあったし、家族も優しかったから嫌いじゃない、逆に聞くけど学校ってそんなに楽しいもん?と正直に話すかだね
なんというかそこで「他人はどう思うだろう」「良く思われないと死ぬ」くらいに考えて開き直れないから不登校だったんだろうなというのは非常にわかる(善悪ではなく)。
おまえはおまえだろ。もう大人なんだからやりたいようにやればいいよ。もしも嫌われても飯がうまくてゲームがおもしろければそれでいいやとか、優先順位つけてこうよ。
大前提として本人ともその周辺ともなんの関係もないがパワハラ行為の有無を一切肯定するつもりも否定するつもりもないしノーベル賞を取れば全て無罪放免ともいうつもりはない。ただ大事なことは技術は生命科学の歴史から見て確実に金字塔の成果だし、それが本当の業績であることに生命科学者は誰も疑いを抱いていないと思う。その研究業績は本当で、その意義は純粋・基礎的な生命科学では全く揺るがないし、未来永劫語り継がれるものだと多分みんな思っている。個人的にはDNA二重らせん構造の提唱と並んで記憶されても全然おかしくない業績だ。ただ、その発見の経緯を実際の生物学実験をしている側から言うと、どう見ても総当たり式でブルートフォースの作業を乗り越えて行われている。つまり、最後の最後の土俵際では、力技で脳筋だった、といってもおかしくないと思う。そうした作業は時に生命科学研究で起きるが、そういう研究の一つと生命科学者全員が理解していると思う。繰り返すが、結果は揺るがない。ただ、それは力技で、その研究の過程ではかなりの長時間労働が強いられたはずだ。それは今のワークライフバランスの意識からすると完全にアウトだった。それをパワハラと指摘するのは簡単かもしれない。パワハラにも、人当たりが良くても長時間労働を強いるのと、ちょっと気に食わないと罵詈雑言を浴びせるようなものとあるだろうが、ここで挙がっているのは前者のニコニコ長時間労働だろう。大事なのは、そういう長時間労働は当然だとする意識が、ある時期の生命科学者にあったことであり、また、ある種の実験が労働集約的であることもまた紛れもない事実だと思う。そのようなことで有名な歴史上の研究者というか研究室もある。ただそれを乗り越えて現在の生命科学はある。それが純粋な事実だ。さてその技術が応用可能かどうかは別に議論する必要がある。できた頃は夢の技術で、免疫拒絶反応を回避できるのではないかと期待されたわけなのだが、どうもそう言うことではないらしいと言うこともその後にわかってきたと言うのは今回話題になっているのをみて初めて知ったし勉強になった。ただそれがわかるためにはそもそも技術的にできないといけなかった。その事実は残念でもあると思う。切実に治療法を求める患者様のことを想像すると言葉にならない。ただ個人的には、仮に再生医療によってあらゆる疾患が治療され、それだけでなく無限に医療行為を重ねることで永遠に誰かの寿命が伸びていく、そんなことが生命科学の技術的に可能であったとしても、医療予算を無限に消費してそれをあらゆる人が行うようなことが適切かどうかは議論の余地が大いにあると思う。要するに、再生医療はカネを食うし、延命することはカネを食う。人命を一切失ってはならない至上の価値だとしたうえで医療行為を無限に肯定してそれを疑問視することを「優生思想」と頭ごなしに排除して議論することを拒絶するような現在の議論の趨勢ではきっとそうなるだろう。私は個人的にはそういう無限の医療と無限の延命が人類のありようだと言い切るのは躊躇してしまう。ただそうした意見を表明することすら昨今の「優生思想」をめぐる議論を見ると危険に思われる。だから私はここでそうした議論に加担する人たちに自分の意見の言外の意味を自覚することを促したい。いい加減にしろ。
※一番下に追記あり
社内政治的に言えば負け組に属するし昇給に期待できないのとメンタル面の複合的な理由で頑張り切れなくて成果も出ずモチベーションが下がってる。
今後のベースアップも望み薄な状況になったので給与同水準で今後頑張れそうなところに入りてぇなぁ。
現状と同水準の年収500万、それ以上もらえるのならうれしい。
完全リモートワーク。出向などはなし。
Web系といえばWeb系。Androidアプリ開発もやってたけど今はWebの運用保守まわり。
就職して10年くらい流れに身を任せてなぁなぁに過ごしてきたので何も身についてる気がしない。
以下のスキルもだいたいが腰をいれてやろうと思えばできる、なレベル。
・まぁわかる
k8s, Java(SpringBoot), PHP(5.3くらいまでの話)
Kotlinは読めはするけど書くのはなかなか厳しめ。
趣味レベルでReactとかを使ったフロントエンドのやつをgithubに上がってるやつみて修正したりとかはしたことあるけど
・いまだにわからん
身から出た錆ではあるがいやほんとどうすりゃいいのか。
転職エージェントとかでもこんな微妙なのとマッチングしてくれそうなとこなさそうだしなぁ。
モダンな言語をチョットデキルくらいまではやりこんだりしてから転職市場に飛び込んだ方がいいかね。
まったくプランが見えない。
甘えが過ぎるかもしれないけど、必要あらば答えるので厳しくでもよいのでお願いします。
気になったコメントやブコメがあったのでこれだけは答えようと思う
これは理由にも書いた通り以下にかかっていて
大き目プロジェクトに入ったら超絶ブラック進行すぎて燃え尽きて仕事ができなくなり一番下に落ちている
全然エンジニアと違う部署に行ったりとかしたけど成果出せずまたエンジニア業務に戻った
スキルセットにあるk8sやSpringBootも保守で必要になるから触ったりしたけど成果はまちまちで昇給は数回しかない
なので仕事に向き合えてない自分が嫌で、向き合えてない分周りの評価も低いし
引く手あまたどころか引く手は存在するのだろうかというのが今
定年まで会社にしがみつく予定だったけど上もぎっちり詰まってるしもう厳しいかもってなって増田に書いたところ。
まぁ書いたうえであーだこーだなコメントやブコメ見て自己分析も省みることができたので
EKSやGKE、AKSくらいは一通り触れるようになっておこうかなとは思った。
https://x.com/kokorone99/status/1864152725996621912
#万引き自慢 が何やら話題で少し見たのですが、万引きがダサいっていう人たちは未成年の時に一滴もお酒を飲んだこともなく点字ブロックに普段から全く居座らないそれは素晴らしい生き方をしているのでしょうね
万引きを推奨するわけではないですが、アウトローな事をしてるのとしていないのでは傷みという部分の理解も変わってきますよ
それが良いか悪いかは人それぞれだけど、普通に生きてたら触れ合えない人たちとも触れ合ってきた経験から少なくとも私の中ではそういう人の方が
「人間」としてまともです
別に未成年の時に酒を飲まない、点字ブロックに居座らないなんて素晴らしくもなんともない当たり前のことなんだけどな。未成年飲酒の割合は年々下がっているし、点字ブロックに居座るとか意識するまでもなく普通の生き方でする機会はない。アウトローには分からないかもしれないけど。
アウトローはその素晴らしい生き方をすることはできないから「俺たちのほうがまともなんだ!」と金切り声を上げているにすぎない。
アウトローはあの手この手で素晴らしい生き方をしている人たちをこちらに引きずり出そうとしてくるから絶対に耳を貸しては行けないし関わってはいけない。「お前たちこれぐらいやっているよな!な!」とない常識を捏造してくる。素晴らしい生き方をしている皆様においてはアウトロー達のことは「これ言っちゃいけない」を理解できないし自制できない存在として切り捨てておくべきである。
私はサラリーマンですが、去年の年末調整でうっかりやっちゃったことを記録に残しておきます。
うちの家族に障害者がいます。障害者は障害者控除を受けられます。年末調整のときに障害者にチェックをつけて、障害者手帳のコピーも提出します。
障害の等級によって控除額が変わります。等級は手帳に書いてあります。
一般障害者、特別障害者、同居特別障害者でそれぞれ控除額が違います。
特別障害者は常時介護が必要な状態で、さらに同居であればより介護が必要になるということで控除が厚くなるということですね。
ところが23年の年末調整で、特別障害者のほうにチェックを入れてしまったようです。さらにシステムが同居であることを把握しているので、自動的に同居特別障害者として申告してしまいました。
障害者手帳のコピーも出してはいますが、自分も総務も税理士のチェックもすり抜けて申告されてしまいました。
これに気づいたのがつい数か月前です。
24年の年末調整が始まったので前回の記入例を見返してみたらおかしいということに気づいたというわけです。
23年年末の還付金が多かったんですが、住宅ローン減税も一昨年まであったので還付金の額に違和感を感じずにもらってしまっていました。
さらに、毎月の給料の源泉徴収所得税も減額されていないので「今年から減ってんなぁ」と気づかなかったというわけです
会社に相談したら、会社が税理士および税務署に対応方法を聞いてくれました。
年末調整は会社がやる義務があるが、修正は各々の確定申告で行うということで、会社経由ではなく自身で税務署とやり取りして修正をする必要があるとのことでした。
国税庁の電話相談窓口があるので、実際に必要な手続きを聞きました。
思いのほか簡単でした。
今はマイナンバーカードでe-taxにログインできるので、それに23年の源泉徴収票の内容を書き込んで、変更するところは変更して提出すると差額がでるので
その差額をコンビニ決済で支払えばOKとのことで1日で済みました。
源泉徴収票に23年に給与としてもらった金額、社会保険料として払った金額、税金として支払った金額、控除が書かれていて、
再計算して税金として支払った額と本来の税金として支払額の差額が出るという仕組みです。
なお、住民税は税務署から住んでる市区町村へ情報がいくそうなので、住民税のことは後から何かあるらしいです。
障害者控除は27万円です
差額は48万円です
48万円分納めるわけではありません
まず給与所得とは、給与から給与所得控除を差し引いた金額になります。
給与所得控除とは給与のうち必要経費として使っているだろう金額を差し引いているのです。
さらに社会保険料、基礎控除、配偶者控除、扶養控除、障害者控除、生命保険、地震保険などの控除をへて、残った金額で所得税の金額が決まります。
所得税は累進課税なのでこの金額が高いほど税率が高くなります。
つまり控除を修正した場合、所得額のうち48万円が増加するということですね。
なので、税金としたら4万8千円分払わなければならないというわけです(実際に払ったのは4万9千円でした)
これを機会に所得税について調べました。
毎月徴収される所得税は、ざっくりとした金額で徴収して年末調整で差額を調整しますよね。
そのざっくりした金額はどうやって出すかなのですが、源泉徴収所得税の月額表というものを使います。
テーブル形式になっており、給与から社会保険料を除いた金額が行で、扶養人数が列になっており、その交差する金額を徴収します。
いくつかのパターンでは扶養人数が一人でも二人や三人とみなします。
たとえば配偶者一人だと扶養人数は1人ですが、配偶者が一般障害者なら扶養は二人、配偶者が同居特別障害者なら扶養を三人とみなします。
ただ扶養控除でも金額が違います。高校生なら39万。大学生なら63万の控除があります。
なので、年末調整で本来払う金額を計算して、差分である追加徴収なり還付金が発生するんですね。
月額の源泉徴収所得税には生命保険や住宅ローンなどの控除は反映されていないので、年末調整ではそこらへんの控除の分が戻ってくるので還付金が発生する人が多いんでしょうね
今回の私の場合は、23年度の申告の通りならば24年度の月額表は扶養三人とすべきところだったのですが、幸いなことに従来通り扶養二人と計算したため、源泉徴収所得税は減額されなかったようです。
所得税の計算をいっぱいしたので、せっかくなので今話題のことにも触れておきます。
103万円の壁は、基礎控除と給与所得控除の分を越えて所得が発生する収入が103万円ということですね。
基礎控除は生活に必要な最低限の支出は担税力がないとしていて、給与所得控除はサラリーマンの給与に対して一部経費とみなす支出だろうとしているから、それぞれの控除があるわけですね。
さて、一部議員から、「103万円の壁は企業への周知、システムの改修などが必要なので再来年まで待った方がいい」という意見がありますが、
源泉徴収の月額表と、年末調整時に再計算する控除額が変わるだけなので非常に簡単だなと思いました。
給与所得控除は収入金額に応じての計算式が変わりますが、その計算式は定数です。
納税者の家族構成などによって条件分岐が増えるわけではないので、控除マスターの金額を変更するだけで済むと思います。
よって、システム改修(設定)なんてすぐでしょうし、25年年末までにその設定が間に合えば還付金で戻ってくるので、それほど企業が困ることは起きないと思いますね
2020年の基礎控除、給与所得控除の改定のときとか困ったという声全然聞こえてませんよね。
減税をやりたくない言い訳ですよ。
はー、グダグダと要領を得んことを言ってるがそういう持って回ったしょーもなさは最近のアニメにそっくりやんな。
つらつらと抽象的な文句書き連ねるより一番ビシッと意図が伝わるのがリスペクト作品列挙や。
ちなみにワイも最近はアニメみとらんな。ハルヒらきすたからアニメ遍歴が始まった気がするわ。
ワイが考察とか思想とか語りたくなった(実際5chとかに書いてた)比較的最近のアニメは、新しくとも10年代のもんやけど、サイコパスとか、ガッチャマンクラウズとか、まどマギとか、ダイナゼノンとか、ラブライブ無印~劇場版とか、宝石の国とか、アルドノア・ゼロとか、バビロンとか、回復術士とか、OBSOLETEとかそのへんやな。
でもワイの中でアニメは、君の名は。に頭をぶん殴られて以後の記憶がほとんどないわ。
オリジナルアニメだと、イドインヴェイデッドとか、オッドタクシーとか、デカダンスとか、よりもいとか、カバネリとかも、頑張ってた印象はあるけどイマイチ癖に刺さらなかったわ。
頭からっぽで見れるコメディ枠で好きやったのはてさぐれ部活もの(ほぼ声優ラジオ)とか、あそびあそばせ、ポプテやおそ松も悪くなかった気がするわ。
でもそのへんから何も見てないわ。
多分、そのへんからアニメよりも、リアルタイムに進展していく運営型ゲームのシナリオに魅了されることが多くなっていったからやろな。
昔からシュタゲみたいなPCノベルゲーに感動させられることは多々あったけども、10年代半ばくらいから運営型のスマホ・ブラウザゲーで十分見られる映像表現を伴いつつ良いシナリオ展開してくれるアプリゲームにしょっちゅう遭遇してたんよ。
メーカーでいうとWFS、オーガスト、サイゲ、それから決定的だったのが原神以後のmiHoYoですわな。いや崩壊3rdも初期から遊んでていいシナリオ作ってると思うけどね。
まあ中華ゲーはあまりにも壮大で長期計画すぎるのとローカライズが微妙にわかりにくいのとあってアニメや国産ゲーで得られる感動の質とはちょっと違うけども、それを補って余りある総合芸術的な巧さがあるから普通にポロポロ泣けてしまうんよ。
アニメ見てて泣くことってそんなになかったんやけど、運営型ゲームってのは年数かけて積み重ねてきた展開の重みや関係性の昇華があるわけやから、数ヶ月で終わるアニメには真似できんのよ。
一期一会の傍観者にすぎんアニメや映画とちがって、ゲームのシナリオ体験には長年付き合い続けた自分の人生がレイヤーのように混ざっとるからね。
もうワイはアニメに戻れない体になっとると思うわ。