はてなキーワード: マダムとは
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完全に平和
ひいきにしているカレー屋が、職場から歩いて五分ほどのところにある。
豆のスープがおかわりし放題で、チリをベースにしたメニューもおいしい。日替わりカレーにはアチャール、つまり南アジア風の漬物もついてくる。
今の職場に移ってから、定期的にそこに通っている。だから、もう六七年近くになるだろうか。
しかし、理由はよくわからないのだが、客の愚痴がよく聞こえてくる。同僚に対する不満だとか、介護している家族への不平だとか、聞いていてカレーがあまりおいしくならない話題が多いし、口調も横柄だ。行くたびにそうなのだ。だから、おいしい店なのに行くのが何となく憂鬱だ。一度あまりにも嫌な気分になったので、急いでいるからと言い訳して出店を出ようとした。親切な店主は急いでメニューを出してくれた。急かしてしまって申し訳ないことをした。しかし、ここにいるとおいしいのにエネルギーを奪われることがある。
他の店でもそういうことはないわけではない。しばしば行く中華料理屋だとか、坂の上の蕎麦屋もそうだ。思い込みの激しそうなマダムや疲れたおじさんの愚痴を聞く。だが、せいぜい三回に一回だ。
一方で、逆にほとんど愚痴を聞かない店もある。学生の多いサンドイッチやさんだとか、顔を覚えてくれているタイ料理屋だとか、職場から十分ほどのベトナム料理屋だとか。カウンター席に座ればテーブル席の声が届きにくいからかとも思ったが、それも違う気がする。
店や店主の雰囲気が暗いからというわけでもない。価格帯もそれほど違わない。何かネガティブな気があるのか、はたまた単に人の通り道から外れているのか、店がよく潰れてはしょっちゅう入れ替わる一角が街にはあるが、似たものかもしれない。
いや好きだよライトいいキャラだと思うけどさあ、明日にはチャスカと孫くるし…ここんとこ目玉キャララッシュで厳しいわ
まあ原神はver後半復刻だから流せるし良いんだよ、スタレがヤバい、サンデー新停雲そして大ヘルタが控えてるって発表が今日あったところだな、どれも取り逃がしたくねー
限定調和は全員持ってるしサンデーは見送れなくもないが…マダムヘルタとシナジーある可能性あるよな…ぐぬぬ
ゼンゼロも次verに神枠に相当するであろう虚狩り枠?の雅が控えてるしスルーはあり得ない
3rdも絶対逃せないコラボ花火が来る、しかも本家より可愛い、開発側から愉悦ムーブかましてくる有り様
まぁーどのゲームも経験則的には月額+2倍石までの課金でも無凸無餅に徹してverコンテンツから掘れる石取り尽くしてればほぼ全キャラ確保までは賄えると分かってはいるけどさ
畳み掛けてこられると戦慄するもんがあるよね、手持ちが空っぽの状態からだと1キャラ2万円ってのは…
まあ確率ゆるい国産ソシャゲの天井8万よりは精神的ダメージないけど2万でも普通に高い…
いや6週間おきにこんだけのクオリティのもんをワイワイしながら4作遊べてる時点で買い切り2本分以上の喜びはあるかと自分を納得させていく素振りはしておこう
ただこんだけ目玉ラッシュが来てて女性キャラが多くても強キャラはだいたいクールな麗人系か
見た目に反して可愛いって意味では孫か、ダインスレイヴさえ絆される孫パワー強いな
でも使い方はだいぶ難しそう…現状雷キャラは激化を混ぜないとパワー不足感が否めないが感電と激化の両立はきついしね
シュヴルーズみたいに過負荷軸にすればバフ配れるってことならまだしもオロルンは感電を維持してれば自身が裏火力を出せるってだけみたいだ
ただ追撃が主力っぽい性質上、裟羅もベネも合わなそうで攻撃力バフが不足しそう、杯攻撃力か?
結局のところオロルンは、フィッシュルの派生形としての立ち位置で、フィッシュルと違い表キャラが通常振らなくてよく、範囲に優れる雷サブアタなんだろう
感電と相性いいのは拡散だから、通常をあまり振らない風メインアタッカーとなると、魈…はもう完成形ぽいからチャスカとペアになるんだろうな
ざっと中国の先行みた感じチャスカに関してもベネットフリーナがほぼ固定であと1枠が八重オロルンディオナ申鶴あたりから選択になる感じのようだ
感電拡散と言えばいにしえの感電スクロースだけど、フィッシュル代用としては…絵巻のおかげでギリ超えるくらいかな?
感電で組むなら水はサブアタならフリーナが安定だろうしメインならヌヴィレットと組めそうで、フリーナを他PTに回す時にシロネン万葉オロルンヌって感じでは入りそう
綾人やタルは通常振るからフィッシュルでも良さそうだけどやっぱり絵巻バフと、爆発使ってオズ維持しないといけないフィッシュルと違い15秒ごとのスキルで追撃維持できるのは使いやすそう
ぬーん
まあ取らぬ狸の皮算用だな
脱衣所で服脱いで、ふと下着を見たら直径数ミリくらいの小さいシミがある
さっきまでなかった
おかしいな〜と思いながら入浴を済ませて、しばらくのんびりして寝る前のトイレに行く
さっきのシミが気になったから、その後少しして自分の部屋で下着を下げてみたら再び小さいシミがある
これはまさか…?
いやでも、そういうのって中高年のマダムじゃないの?
検索してたら妊娠出産したらなりやすいとか、太ってる人はなりやすいとか書いてあったけど、喪女だから妊娠出産なんて関係ないし太ってもない(むしろ最近はBMI値が17切ってる。それはそれでダメだとは思う)
吸水シートなんて持ってないから、とりあえず穿き替えた下着におりものシート貼ったりスウェットの中にインナーボトム一枚増やしたりして気持ち的に少し誤魔化して寝るけど、この歳で尿漏れなんてやだなあ……
ごめんなさい、今更気づきました!!
言及していたのはプルンチットにあるホテルオークラに入ってるElementsです!駅直結なので是非!
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せっかくなので思い出したあれこれを書いておく
プルンチットらへんは個人的に好きなお店が多くて、色々行った
それ以外に行った有名なところは…
あとは、こういう高くて旨い店もよかったけど、何だかんだ思い出すのは現地の人に連れて行ってもらった何でも無い店かもしれない。
・大乱闘穴ブラザーズ映画と思ってみたらとんでもねえ百合が根底に流れている映画だった
・「同じ人を知っているはずなのにまるで別人という人間が自分以外にも複数いる」部分が推しカプ妄想の参考になるかと思い見たのであんまり期待してなかったし三谷幸喜作品って50代以降がメインターゲットなのであんまり期待してなかったけど思ったほど悪くなかったし「三谷幸喜が生きてる内に作品を履修できて良かったな」という気持ちになった 合う合わない別にしてエンタメに歴史を残す作り手が生きてる内に本人作品を摂取できる機会があってよかった
夫躍り出る夫の名前の末に番号ついてるのもなんか夢感増してた
・スオミの「帰る場所」ポジを確固キープし、スオミの人生と並走し続ける黒光さんとスオミの処女貰ったであろう先生が優勝・勝者です以上
・最後のスオミ本人による供述シーンで夫達それぞれの椅子のデザインとか座り方で一目で個性伝わらせようとしてきてくれてる感じがよかった
・指示厨の夫の椅子が映画監督(人に指示を出し動かす役割の人間の椅子)の椅子っぽいのがオッ秀逸!ってなった
・映画本編自身が終止して良くも悪くも大衆的で「一目で伝わらせる」のはすごいことなんだなぁとおもった エンターテイメントや…
でも作り手が歴史ある大手すぎるので作り手の感性に大衆的が合わせられてる説もあるっちゃあるな…と思った
・3席くらいとなりのマダムが目茶苦茶楽しんで映画観てて、自己顕示欲とかなしに素直に「映画を見てて思わず声を漏らしてしまう」みたいな場面が何度もあって面白さバフかけられた感あった
・猿轡とちょっと首元はだけてるだけなのにあんなにエロスなの、さっすが天下の大女優、長澤まさみさんやでぇ…背景黒なのが尚更エッチ感にバフかけとったな…
・さすがに…さすがに、セーラー服は、ツインテは…キチィて…!いかに長澤まさみといえども…!
・頼む…中学時代に誰とでも表面上「仲良く」できる(誰も気づいていない)スミオに対して「あんたそんな誰に対してもニコニコして疲れないの?」っていう黒光さんと誰にも仮面を気付かれないと思っていたスミオさんがハッとする…そんなやり取り絶対にあったでしょう…!そんな過去回ください!いや語られないほうが美しいのでやっぱいいです…!黒光さんは生徒会とかお硬い役職についていたのではないか?
・映画評価で「序盤でミステリのネタがわかりすぎる」とかちょいちょい見たけど全然そんなことなかったぜ!
エンドロールで「航空学校」ってあったから訓練用の設備貸してもらったんかなとか邪推しちゃったぜ!エンドロールが短いぜ!でも助手さんの名前とかも書いてあってヌクモリティを感じたぜ!
・警察後輩の存在、狂言まわしとしてかなり助かった この人がいないと兄弟たちの身内感に疎外感を感じてストーリーを追うほどの興味を持ち続けられたか少し不安なくらい
・むっちりクソガキのクソガキっぷり草
「ついに捨てられたの?」草
しょぼ追記
朝見たらトップページに載ってて数年前のふわっとした思い出読んでもらえてありがたいかぎりです!!あとニイハオのくだりご不快になった方申し訳ありません!!
ブコメトラバで複数指摘のあったパリ症候群って何...?と思ってググったら「パリにやってきて、後に生気を失った顔で帰国する日本人女性」て書いててまままま増田そのまんまやんけ!!!!とすごく笑っちゃいました良い言葉だ!!!
TOEIC模試の増田の現在のスコア300点弱というアホアホスコアなので奇跡的に英語力が伸びたらまた記事書きたいですそんな未来が来るのか果たして
ごめんもういっこ追記!
パックツアーだから良いところしか見てないけどぶっちぎりで良かったのはポーランド!!次点チェコ!!!そしてここに書いたイギリス!!!
オーストリアは国に全く罪は無いのですが公園で休憩してたら寄ってきた現地のオッサンにいきなりベロチューされて増田のファーストキッス終わったので二度と行きません!!!!ゴメンオーストリア!!!!
追加終わり!
本文はここからです↓↓↓
タイトルの通り!!!!!新型コロナ流行1年前の話。パックツアーでチェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリア、ポーランドには行ったことあります。
主題の個人旅行のフランス+おまけのイギリスについて垂れ流します。
増田は大学のフランス語の先生がちょっと厳しいけどオシャレで気さくで関西弁を喋り倒す素敵フランス人マダムで大好きだったので、卒業してしょぼい会社の事務員になってからも細々と勉強をしていた。頭は良くないので在学中にやっと4級、卒業後数年してやっと3級を取った!!
このタイミングでそうだ!海外旅行しよう!となり、増田含め全然英語もフランス語も喋れない友達と個人旅行に行くことにした。友達はイギリスに行きたいと言っていたのでヒースローで降りてイギリスとフランスに何日かずつ滞在し、最後にシャルル・ド・ゴール空港から日本に帰ることにした。
イギリスはとても良いところだった。友人の選択は正しかった。ロンドンと周辺の街しか行ってないけども。そりゃ住んでたら根深い差別とかはあるのだろうが、案内所の人、お店の人、道わからなくて聞いた市民の方、みなさん増田の中間テスト20点のアホアホ英語を一生懸命理解してくれようとしてやさしい英語で丁寧に対応してくださった。バスと電車何回も乗り継いで可愛い田舎町に行けたのはみなさまのおかげである。たまたまかもしれないがだいたい時間通りに来たし。街も綺麗でごはんは美味しくはないが食べられなくはないし、観光なら間違いなく楽しい場所だと思う。
問題はフランスだフランス!!ていうかパリ!!!地下鉄の駅が軒並みくせえ!!!美しい石畳の歩道も思ってたより犬(?)のウンコ落ちてるし!!!!どの店の人もめちゃくちゃ怖いし!!みんな怒ってんの?てレベルで唯一世界最古のデパートの店員さんが優しかったかな...?くらい
あと差別っぽいのを初めて体験した。ずっと日本にいると分からないものだなと...。通りすがったパリジェンヌのマダムたちが明らかにこちらを見て嗤っていたり(増田は本当に印象に残らないくらいの普通のワンピース、友達もシャツとジーパンで、DQN行為をする勇気も無くただ本当に普通に歩道を歩いていただけ)、お店でもだいたいニイハオシェイシェイで、増田がじゅすぃじゃぽねず...&友達がもあおすぃ...と言うとア〜...と言われただいたい。なんやねん。
良かったのはテキトーに買う食べ物飲み物がだいたい美味しかったことくらいか!?特にジュースは何買っても本当に美味しかった、日本でも売ってくれ。あとメダイの教会というところのお土産が祝福を受けたメダイ(メダル)で値段が恐ろしく良心的だったのと、そこのシスターさんは優しかったのとガチのミサに呼んでもらえたことか。ガチ過ぎてキリスト教の知識ないのにその場にいることが申し訳なくなり途中こっそり出た。妙に偉そうな乞食が出入口に立ってることを除けば良いところだった。
旅行前の理想ではフランスの空気いっぱい吸って帰国後思い切って準2級の申し込みをして勉強して〜、というプランだったのだがいざ帰国するとまったく!まったく参考書を開く気分になれなかった。だってフランスの空気くさかったし...人怖いし...ていうか行く直前火炎瓶投げまくってたっけたしか...ごはんは美味しいけど高いし...と、美しく格調高い国というイメージがなよなよに萎えてしまいもっかい行く気にはなれなかった。パリ以外はそんなことなかったのかな。
そこから長期間何も勉強していなかったが、最近重い腰をあげてTOEICの勉強でもしますか...となり増田に決意表明も兼ねて思い出話を投稿させて頂きました。
がんぼるぞい。
静岡市に転勤してきたとき、同僚が薦めてくれた丁子屋・・・は前に行ってきたので、今日は別のお店である
土日は混むらしいので、予約をしておく
自分一人のために飲食店予約って恥ずかしいな。うるせぇ、それでもやるんだ。と一人葛藤してから電話を掛ける
「席はどこでもいいの?」と聞かれて、構わないと答える。見晴らしのいい席とかあるんだろうか。
バイパスを降りて、細い道を進む。「これはひょっとして一通の道を逆走しているのでは?」と不安になりながらもさらに進む。
やべぇ対向車が来た。泣きそう。寄せて停止。というのを3回くらいやるとお店にたどり着いた。
お店の前の駐車スペースが埋まっており、再度泣きそうになる。
見回してみるとお店の駐車場・・・?なのかな?というスペースがあったのでそこに停める。違ったら謝ろう。
名前を告げ、座席に通される。田舎の親戚の家のような落ち着く空間。
「定食でいいですか?」と聞かれる。
メニューは定食しかないと聞いてたし、お店の前にも書いてあった。それでも聞くんだな。常連には裏メニューとかあるんだろうか。
定食を待つ。他のテーブルの奥様達の談笑が聞こえてくる。楽しそうだ。
あれが有閑マダムと言う奴だろうか。そうかマダムは日曜にとろろ汁を召し上がるのか。そんなことを考えて待つ。
ごはん、とろろ汁、もずく、冷奴、たくあん、蕎麦。あと、薬味のネギと一味。
「一味はそばにどうぞ」だそうだ。
それよりも、正しいとろろの食い方を教えて欲しい。まぁいいや適当に食べよう。
まず、ごはんをそのまま食う。よくわからんが、とろろに合うご飯なんだろう。単体でも美味い。
そんで、とろろをそのまま食う。出汁なのかなんなのか知らんが味がついてて美味い。
後は、よく覚えてない。かき込んだ。美味かった。腹いっぱい。
マダムたちもこの量を完食したんだろうか。すごいな。それとも俺の胃がいつのまにか小さくなったのか。
このまま帰るにはさすがに早いので、近隣をブラブラすることにする。
案内板を観ると、峠を往復する散策コースがあるらしい。所要時間片道20分。ちょうどよいのでコースに向かう。
なんか昔の歌人が歌に詠んだとかどうとか謂れがあるらしい。ちゃんと読んでないからよくわからん。
歩き始めて数分で後悔する。ぬかるんだ山道だ。片道20分は嘘だろ。騙された。
汗だくになりながら、登る方向に石段を進む。スニーカーでくる場所じゃないな。足の裏が痛い。
誰も居ないので独り言をブツブツ言いながら進む。どっこいしょとかよっこらせとか言いまくる
昔の人もこんな道を通っていたのか?馬とか無理だろ?と思いながら、進む。
何かしらの柑橘類の畑の脇を通り抜け、山道の終わりが見えてくる。
家族連れがテントを拡げて寛いでいる。川遊びに良い場所なのだろう。
引き続き散策コースに沿って歩こうとする・・・が、コースの一部である明治時代だかのトンネルが通行止めになっているらしい。
ショック。今来た山道を引き返す必要があるのか?と絶望しそうになる。
ついでに店員さんに聞いてみると、1号線のトンネルを使って帰ればよいとのこと。徒歩では通れないと思い込んでいた。一安心。
アドバイス通り、1号線に沿って歩く。トンネル。本当だ、しっかりした歩道がある。知らんかった。
ただ、歩くには騒音が激しすぎる。とくに見るべきものもないので、足早に進む。
強いて言えば、暗号めいた落書きが気になった。保守の工事の人の目印か何かだろうか。
出口が見えてくる。
トンネルを抜けると、そこは俺が車を停めた道の駅だった。異世界でなくて良かった。
疲れたので帰路に着く。
ラジオでは山下達郎と思しき何かが、何かを喋っている。何かで揉めてなかったかこの人。元気で何よりだ。知らんけど。
途中でスーパーに寄って、3割引きの団子を買う。甘いものが食いたい。
楽しんでいただけたようで何よりです マダム
ジョーカーとかめっちゃ人気だったけど、バットマン登場させずにヴィランだけ出すとか何が面白いの?って感じてしまって見る気すらおきない
まだスーサイド・スクワッドはDCEUの枠組みの一つだからアリというかそういう切り口も良いかなって思えるんだけど
ヴェノムとかモービウスとか、SSUってスパイダーマンありきで成り立ってる世界観のはずなのに肝心のスパイダーマン未だでてこないし、そんな状況で悪役ばっか集めたりマダム・ウェブみたいな小粒なヒーロー映像化して何が面白いの?
ヴェノムはまだ知名度もあるからタイトルとして成り立つ気はするけど、モービウスとか作品の面白さとか以前にスパイディとの因縁なんて皆無だしクレイヴン・ザ・ハンターだってPS5のゲームやってなけりゃ誰それ?状態だし、SSUのヴィランって有象無象すぎないか?
DCもマーベルももうシェアードユニバースだのマルチバースだのでなんでも結びつけるのやめろよ
最初の頃は同じ世界観を共有してるってことでワクワクや期待感高まってたけど、作品を追うごとに、
“もっと強いヒーロー居るのになんでそいつ呼ばないの?そいつ呼べば楽勝じゃん!”とか他のキャラクターの影がチラつくし、他の作品で未知の惑星だ量子世界だ征服者(笑)とかスケール広げれば広げるほど“あーはいはい今回はそんななのね”って感動とか驚きが無くなっていくわ
あとアベンジャーズ新作にロバート・ダウニー・Jr復帰することなんかより、今のアベンジャーズメンバーに誰一人として心惹かれるメンバーいないことのほうがビックリだわ
作家側の「女の自由・解放」「強い女」に対するだいぶ攻撃的ですらある固定観念や強迫的なこうだろ?感が透けすぎててつらい、という話だったらよくわかる
ハイスペ男になぜか愛される系健気な私スカッと作品とあんまり違いがないくらいもうど定番中のど定番展開になってるから不自由に感じるんだと思う
女性向けのエンパワメント作品にも類型や定型ができてしまって、しかもそれは共感がベースになっているのでその型から外れない、外れてはいけない、女性だったらきっとわかるしわからなくてはならないでしょ?という感じが現実と作中のキャラクタと二重構造になってこちらに迫るのでそこに苦しさをおぼえるのだという気がする
みんなバービーやジェーンスーさんのラジオを聞いているのだろうかしら…みたいな作品に通底した匂いや感触みたいなさ
こういうものも多分話売りとか商業的な媒体であればあるほどある程度はトレンドがあるもので、仕方ない気もするけどね
最近ラジオで流れてたキンチョーの朗読ドラマ仕立てのCMで、意思も人格もしっかりありそうな女性の描写なのに「男と別れて髪を切る」の類型を結局まだやらせていてうへっとなったものだけど、要するに「女には思いを込めて断ち切るものや変化するステップとしての行為があるのだ」という類型がだいぶ強い思いこみに感じるし押しつけがましくて、変化のスタイルや本人の感情や動機のベクトルがどの向きであれ「キャラクタにこの思想をやらせよう」が隠しきれてない場合にはどれもあんまり根っこが変わんないよな……って嫌さがあるのかな
同一パターン外の物語が見つけづらいだけであるにはあるのだと思う
入江喜和とかわりとそうかな
他トラバの凪のお暇もそうかも
(結局テーマ作りや演出の巧い作品では類型もそのキャラクタの行動の一部として不自然とは感じられず、類型を描くことそのものが目的になっていることがはっきりしている拙い作品では目や鼻についてしまうだけの話かな…とも思う)
漫画じゃないんだけどインド映画「マダムインニューヨーク」はこの「一歩踏み出し、冒険をして自分を認めて、自分が欲しいものはただ敬意なのだと表に出せるようになる」ことへの変化をとてもすっきり美しく清々しくスカッとでもなく描いていてとてもすばらしいと思ったものだった
打ち負かすか逃走か、自己の獲得において常にその二つの道しかないわけではない、という広がりが気持ちを楽にさせてくれた
追記2
ともすれば髪型を「強く」変えることが積極的な自由選択からではない虚勢や逃避に見える場合があることも苦しさの一因かもしれない
そんな小さな変化にしか我々には自由が許されてないのか……みたいな、あるいは増田が書くようにこれまでの自己を捨て去って獲得する自由の道しかないみたいな、そんな現実にも確実にある抑圧の強さをよりわかりやすく感じさせる痛々しい、息苦しい描きかたの漫画もあるしね(読み手としてそれに触れたときつらくて苦しいことがあり、その感情の正体を元増田を足がかりに考えてみたい…というだけのことで、こちらの思うとおり描けとかやめろとか納得できないとはまったく書いていないので、そこを曲解されると非常に困ります)
基本的にそういう作品世界のキャラクタは自分を追い詰める敵と闘争(なのでトーンが攻撃的になるのは当然と言えるかも)してるわけで、その動機から本来理由がなくともカジュアルに、自分の好きにしていいはずの髪型の変化自体が武器化武装化手段化してしまうのを目の当たりにしなきゃならない苦しさもあるかなあ……
そのもがきや闘争はつまりスタイルの獲得のためで、それ以前は自己のスタイルがない状態として物語に規定されている上に、変化後のパターンすら概ね決まってしまっているのならば、結果その一本道しかないその状況や環境に苦しさを見出すのは当然かもな…という気もする
追記3
誰もが菱沼聖子さんのように生きられるといいのに
お笑いが好きだ。
昔から好きだったが、今年に入りライブで好きな芸人がコンビトリオピンと何組かできて、劇場に足を運ぶ機会が急激に増えた。ネタを見るだけでなく、YouTubeを見たり、インスタライブを見たり、ラジオを聞いたり、ネタなしのトークライブに行ったりと色々なコンテンツに触れるようになった。
そうして様々な芸人を見ていく中で、ある一つの問題に気が付いた。
・頭の天辺から毛先までグリングリンかつくるんくるんの強カール
・今時マダムですらこんなに強いのはかけないだろと思うレベルのチリチリで細かいソバージュ
これに加えて、後ろをメチャクチャに刈り上げるか、一定期間髪を伸ばしつづけてベートーベンや偏屈な文豪みたいな外見になるケースが多い。
強調したいのは、決してインスタでフォロワーが何万人もいる美容師がかけるようなオシャレパーマではないということである。芸人は、どこで流行っているのかわからないパーマを、何の前触れもなくある日突然かけるのである。
そしてそういうパーマが似合う芸人であれば別に何の問題もないのだが、ここで問題なのはそういった強パーマがまるで似合わない芸人がかけているということである。XX年生きていて自分に似合う
/似合わない髪型もわからないのか?と正直思ってしまう。※何かしら戦略があってわざとかけている場合は除く
とにかくネタが入ってこない。これに尽きる。
集中してネタを見たくても、「そんなことより何あの髪型?」という余計な考えに遮られてしまうのである。
38マイクを挟んで立ちネタをする。その時客である自分は何処を見るか?マイクから離れてネタをやる芸人もいるのは置いておいて、基本的には腰より上を見る。
その時、以前はかけていなかったとんでもないパーマをかけた姿を見ると、なまじパーマをかけていなかった頃のビジュアルでネタを見たことがあるせいで、当時はクリアな思考で見ることのできたネタにいらんノイズが入ってくるのだ。ネタの情報を処理する上で支障しか起きないのである。
こういうことを言うと「結局顔ファンってことじゃん」等と言われそうだが、生粋の顔ファンは髪型なんてどうなろうが気にしていない。顔ファンは「顔」以外の情報を自動的に切り捨てて一切見ていないからだ。ネタを見ているからこそ気になってしまうのが問題である。
(少し話がずれるが、そもそも顔ファンの何が悪いんだと思う。好きになる・応援するきっかけは多ければ多いほどいいと考えている。
ことお笑いジャンルは顔ファンが忌避される傾向にあるが、人前に出る職業を選択した時点で顔ファンがつくことは諦めるべきではないだろうか。どうしても顔ファンがついてほしくないなら、黒子姿でネタをすればいい。どうせ「○○ 素顔」って検索されるけど。
たまに芸人側も顔ファンを減らしたいのか、わざと奔放な女性関係の話をするときがあるが、あれは顔ファンが減るというかただただ好感度が下がるだけなので即刻止めた方がいい。)
話がずれすぎたので元に戻します。
散々文句を言ったが別に本人の好きにすればいいと思う。罰ゲームでかけたのではなく、本人が明確にある戦略を持ってかけたり単純に好きだからかけたりしたのであれば、こんな一ファンの意見など無視して好きなだけかければいい。「好きな色のリップを塗りなさい」というやつである。
それにこの問題は、自分が元々アイドルや俳優といった特にビジュアルが重視されるジャンルを見てきたからここまで気にしてしまうという要因もある。あと、そもそもありえないパーマでも好きだというファンの意見もある。
だから、自分のようなオタクがパーマ如きでキーキー喚いたところで「なんか言ってらあ」と思ってスルーしてほしい。まあそういう人もいるよね、ぐらいで流してくれればいい。
というかそんな一意見で左右されるなら最初からかけんなや……としかこっちは思わない。
A.最初から変だからそういうものだと受け入れているだけです。
Q.髪型を変かどうか思うかなんてハマったタイミングによるだろ
A.そんなのわかった上で言ってます。
A.坊主は失敗しようがないから別にいい。激太りor激痩せは心配が勝るのでノイズにはならない。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。
「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。
何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。
つまり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だから、ジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。
パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正と明治で同じようなことがあった、とか。
時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶も曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白いものって今にはないかな、と。
そうやって見ていくと、最近の若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものとそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから、時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。
今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱になっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。
そもそも、ご自身の文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います。
あの、本書の前半では、2022年9月13日のフランスの映画監督ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別な存在なんでしょうか?
これは世代的なもので、僕の世代で芸術、音楽、映画、文学が好きな人でゴダールに影響を受けていない人はいないと思います。
当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画のニュースもなかった。テレビのニュースもやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。
僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画もクレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。
しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGSの映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダールの作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイルが特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的に編集で映画を作るというスタイル。
引用が多い。ゴダールの作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用で作品を作る。だから、過去の世代を否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います。
最後の作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真がバンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。
どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダールの作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画はテーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ、映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。
ゴダールは、自分の映画が自殺の映画だと言っていて、主人公が死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後に主人公が自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後に自分の意思を表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。
「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品と現実の境界を取り払うことを考えていたんです。作品と現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。
映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダール。アメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールはもっと前からそれをやっていた。それがかっこよかったんです。
また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学者牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?
いや、面白いですよ。単純に普通に面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。
でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。
でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。
普通、おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいから普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のものを尊重するってことなんですよね。つまり、おかしくても存在意義がある。
これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。
僕も色々調べました。障害がある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます。時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます。特に父親は最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。
魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎も変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎は植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。
でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存が保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存が保証された。
でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。
結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。
これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。
セコさんの漫画「マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますから、よろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?
自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています。
一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります。
例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。
転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。
そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。
例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族と契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。
プラン75もそうですが、年寄りが不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。
でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代が連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。
僕は政治テーマとして、全世代が連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。
これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。
社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。
ジャニーズ問題と玉音放送について、高橋さんがテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題を無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末にジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか?
あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBCが放送した直後に番組審査員を辞めて、最後の番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。
でも、やっぱりテレビ局は商業放送だから、視聴率が下がることが怖いんですよね。だから、視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通の常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。
今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディアが動画サイトやSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。
だから、僕も言ったんですが、面白い動画サイトの番組はテレビより面白いですよ。テレビのバラエティなんてやめたらいいと思います。個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビはお金も人もあるんだから、もっとできることがあるはずなんですよね。
Netflixのドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います。
江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サドの作品を絶賛されていた話もあります。今の時代の言論の空気感についてどう感じていますか?
メディア、テレビ、ラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。
一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史の捏造じゃないですか。
今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史の捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。
ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います。定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものだから。
ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会だから、空気で決めるというのはやばい。ポリティカル・コレクトネスが空気で決められるようになっているのが、日本の事情なんですよ。
上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事を判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題を言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。
その辺が、日本という国は忖度する社会だから、空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。
大杉栄についても言及が複数見られます。思想、生き方、性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?
大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。
例えば、子育てをしていたんです。普通、政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊の選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。
彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供だから自分が Permalink | 記事への反応(1) | 08:25
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。