はてなキーワード: 対抗軸とは
冒頭、雨宮さんは、最近の政治のキーワード「リベラル」について「共産党は『リベラル』政党と呼んでいいのですか?」と質問しました。
小池氏は、現在の安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊の政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人の尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人の自由、基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-27/2018012705_01_1.html
冒頭、雨宮さんは、最近の政治のキーワード「リベラル」について「共産党は『リベラル』政党と呼んでいいのですか?」と質問しました。
小池氏は、現在の安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊の政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人の尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人の自由、基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-27/2018012705_01_1.html
『現実を直視しなければ「維新の強さ」はわからない 松本創氏が肌で感じた大阪の期待と熱狂』
”かたや、例えば大阪10区で敗れた立憲の辻元清美氏(現・参院議員)は、自公政権批判や国対委員長としての実績に時間を割いていた。国政選挙だから国政を語るのは当然なのですが、普通の市民感覚からは抽象的で遠い印象がある。地方行政を握り、生活に近い具体的な施策を語る維新の演説の方が響くんですね。”
旧民主党からずっと(コア支持者も含めて)この体質は変わらないな。
三年前に書いた増田。https://anond.hatelabo.jp/20201228171117
地方の有権者は国政の問題より、自治体の運営実績を判断基準にしている人がけっこういるのだけれど、この層をほとんど取れていない。例えば2019の統一地方選の結果(リンク先)見れば一目瞭然で、対抗軸が自民VS自民(県連)かVS保守系無所属ばかり。
元々民主党は国政選挙のための政党で、地方は国政選挙の下請くらいの扱いをされていた。例えば2009年の地方選ではその地方の問題ではなく政権交代を中心に訴えたし、国政候補者選定も地方議員からの抜擢より公募が重視された。そのうえ政権喪失後は中央で数合わせの離合集散するたびに、地方組織はダメージを受けて立て直せないまま弱体化していった。
政権を失ったあと民主が取るべき方針は、地方組織を地道に構築して知事の座を取って実績を積むことで、野合して看板掛け替えることではなかったんじゃないか。自民が強くなったわけじゃない。保守系無所属知事の増加が、「自民も野党も支持できない(でも強いて言うなら民主以外)」って声の反映だと思うし。
なぜ自民がどれだけダメでも野党(特に民主)に票が流れないのか、の話がここんとこバズっていたけれど
イデオロギーの話が多くて、割と重要だと思うのに地方組織の話があまり出てこないので、私見をまとめてみた。
地方の有権者は国政の問題より、自治体の運営実績を判断基準にしている人がけっこういるのだけれど、この層をほとんど取れていない。例えば2019の統一地方選の結果(リンク先)見れば一目瞭然で、対抗軸が自民VS自民(県連)かVS保守系無所属ばかり。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_election-local20190408j-01-w600
統一地方選はそれだけで普通の知事選より8%投票率上がるから、本来野党に有利なはずなのに土俵にすら上がれていない。知事のうち野党系(民主以外&元野党現無所属も含め)は相乗りまで加えても11(山形、岩手、東京、埼玉、大阪、静岡、石川、長野、滋賀、愛媛、沖縄)。民主除名→自民推薦の青森入れても12。うち、東京・大阪・滋賀は地方政党。
元々民主党は国政選挙のための政党で、地方は国政選挙の下請くらいの扱いをされていた。例えば2009年の地方選ではその地方の問題ではなく政権交代を中心に訴えたし、国政候補者選定も地方議員からの抜擢より公募が重視された。そのうえ政権喪失後は中央で数合わせの離合集散するたびに、地方組織はダメージを受けて立て直せないまま弱体化していった。
対して自民は、この手の離合集散から無縁だったおかげで地方組織は温存されたし、影響力を失うこともなかった。公明党がいるのも大きいが。結果地方での存在感は、大げさに言うと自民系の内紛の際の数合わせのコマか、国政選挙の時だけ湧いてくる連中、にまで落ちてる。
おまけに、中央と地方の人材の流動性も自民より弱い。地方組織が弱いから地方で絵が描けず、中央から人も来ず、勝負できずにジリ貧の悪循環が続いてる。野党で例外は維新(大阪限定)ぐらいか。「大阪」があるからそれがショーウィンドウ兼補給基地になって中央でも存在感を維持できてる。
これらのために地方から上がってくる情報の質と量と多様性が自民に遠く及ばないことも、民主政権の失敗の原因の一つになったと思う。陳情や会食もはてなだと嫌われているが、地方から情報を吸い上げるパイプにもなっているわけで、それを否定するなら代替システムを用意すべきだった。この懸念は政権奪取前に一度議員や秘書と話しする機会があった時に言ってはみたんだが、どうも危機感をもっていないようだった。
残念ながら、当時の民主が選んだ「生の情報不足をメディアと理論で代替する」方法は地方との軋轢になって噴出したし、思い込みで動く口だけの連中というイメージを広めてしまった。
政権を失ったあと民主が取るべき方針は、地方組織を地道に構築して知事の座を取って実績を積むことで、野合して看板掛け替えることではなかったんじゃないか。自民が強くなったわけじゃない。保守系無所属知事の増加が、「自民も野党も支持できない(でも強いて言うなら民主以外)」って声の反映だと思うし。
どぶ板しろとは言わないが、特に民主系はもっと地方に張り付いて運動家以外の声を聴いて「野党も地方を救える」って絵図を書いて実践する体制作れないとこの状況は変わらないし、なにかの間違いで政権取れてもまた失敗する可能性が高いと思う。
立憲民主党の枝野幸男代表が昨日行った街頭演説について共同通信が記事にしていて、はてブで枝野氏が叩かれまくっている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/680026902001763425
記事にある要約の「首相は取って付けたようにデジタル化なんて言いだした。この国は後ろ向きのデジタルではなく、前向きの自然エネルギーで食っていこう」という部分だけを読めば、確かにちょっと何言ってるかよく分からないのだが、演説はyoutubeで中継されており、元発言を確認すれば記事の要約がおかしいということに気づく。
要は、世界から遅れているデジタル化を推進するのは当たり前で、それは後ろ向きなこと。対して、自然エネルギーの推進は日本が世界をリードできる政策で、前向きに進めていくべきだというのが枝野氏の主張。
これに対して、対抗軸にはならない(魅力がない)とか、自然エネルギーも遅れているor可能性がないという批判ならばまあ妥当であるが、はてブコメントの多くの反応は完全に的外れである。
はてなブックマークは、10年程前から利用しており、それなりにリテラシーある人が多かった印象だったが、ここ数年はユーザー層が増えて変わったのか、この件に限らずリテラシーがなく、文脈、文章がちゃんと読めないようなはてブコメントが割と目につくようになった気がする。そんなにヘビーユーザーではないので、ヘビーユーザーから、昔からそうだよ!と言われればそれまでですが。
anond:20171024073018を読んだ。文字起こし中の北田氏の経済政策に関するいらだちは自分も共感するが、
「アベノミクスを超えるアベノミクス」を野党が打ち出すのは困難ではないかと自分は思う。以下その理由
自民党に詳しい人ならわかると思うがこの政党は野党の主張を取り込んで自党の政策にしてきた歴史がある。
田中角栄の福祉元年は有名だし(http://u0u1.net/GOmQ)、小泉氏が首相になる頃の旧民主党は規制緩和に親和的だった。
今度の選挙でも分裂前の民進党が掲げていた「All for All」に対して自民党は「全世代型社会保障」を打ち出した。
(「All for All」の生みの親である井出英策氏も自民党の「意図せざる」歴史的大転換だと評価している。http://u0u1.net/GOo0)
恐らく「アベノミクスの第四の矢は全世代対応の再配分政策です!」とかなんとか言って自民党が包括してしまう可能性が高い。
再配分政策を支持している有権者(特に無党派)にとっては政策が実現することが大事で、どの政党が政策の実現を担うかは重要ではないし
自民党は日本の政党のなかで一番政権運営能力が高いと有権者に思われているというアドバンテージもある。
選挙においても「自民党が再配分政策やるなら野党に投票する必要は無いか。」と思う有権者が自民党に投票するだろう。
18・19歳、自民に4割傾く 立憲民主は高齢層支持多く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22561000S7A021C1EA2000/
日経の記事が話題になっていて思い出した選挙前のラジオですが、若者の保守化論に関して是非とも紹介したい内容なので途中からですが文字に起こしました。
https://youtu.be/l7_mlqvCB8s?t=15m11s
北田「安倍内閣の支持率が東大生で高いっていう記事が流れてきて、実際そうなんですけど。上がってるんですよ昔より。東大生は強いものに巻かれるんだなって左派的な人から批判があったんだけど、同時に他の大学と比べてみて一般的にどうかっていうと若者全般がそうである。どっかの調査でもありましたけど若者自身が保守化していると言えるのか、現状の閉塞感みたいなものに関して安倍さんの方を革新と見ている可能性がある」
宮崎「読売新聞に早稲田大学の研究所と一緒にやった世論調査があって、50代まで(50代以上の意)は共産党を革新だリベラルだと評価するんだけど50代を境にして(下の世代は)一転して保守的だと共産党を。じゃあ(下の世代にとって)一体何がリベラルかって言うと維新が1番リベラル」
北田「そうなんですよー」
宮崎「維新のイメージって50代を境にして(50代以上からは)保守だと見なされてしまうと。これが典型的に表れているようにリベラルと保守っていう言い方っていうのが世代で違っている。特に50代を境にして全然違っているということになるんですね」
北田「50代までは恐らく冷戦までは通用したような右左とかタカ派ハト派の論理で政党名と繋ぎ止めているんですけど、40代から怪しくなり始めてもう20代30代になると大きく変わってきてしまっている。この状況を踏まえないと従来型の左右というかリベラル、保守という分け方もそろそろ賞味期限というか少し組み替えないといけないんじゃないかと思うんですが、少なくとも左右の対立項が大きくイメージが変わってるのは確かなんですよね」
宮崎「うん」
北田「宮崎さんがおっしゃって頂いたやつは今の中央公論の最新号で高知大学の遠藤先生たちによる『世論調査にみる世代間断絶』っていうのがあるんですけど、今みたいなお話がでています。19歳から29歳は日本維新の会を1番リベラルだと思っていると。先行世代からはなかなか不思議な構図に見える。そのあとも面白い研究をされていて本来であれば社会学者がちゃんとやるべきことなんですが、安全保障、社会的平等、ジェンダーの質問項目を元にどういう軸が区別の指標になっているか因子分析っていう手法でやってるんですけど、そこに3つ出てて安全保障の軸、社会的価値観(女性の社会進出、差別)、第3に税金負担の軽減とか自国利益の強調とか経済的な側面というか自国のあり方のような・・・」
北田「この3つの軸を出されて研究されているんですが、これが綺麗に当てはまらないんですよね。民進党なら民進党とか自民党なら自民党とかパッケージに対応してなくて。経済とか社会的なところで凄く我々から見ればリベラルな態度をとっている若者が、安全保障では我々から見るとタカ派的なことを言っている。どちらも共通してたぶん現状を変えていくというような意識では一貫しているんだと思うんですね。これ分析する側が旧来型の軸に頼っているようではおそらく民意をつかめないのではないか」
宮崎「遠藤さんが取り上げているか分からないけれど、同じ調査の中で50代以下の人に政党イメージについて改革に積極的か消極的か問うているわけよ。1番改革に積極的だと評価されたのがなんと自民党。次が維新。あとの政党っていうのは改革に対して消極的であるという評価。つまり私より下の世代、50代より下の人たちが何に着目してリベラルと保守と言ってるかというと経済体制の改革っていうのが積極的かどうかが鍵になっていると思うのよ。それがなぜそうなるのかというと、20年も続いたデフレ。先輩たちが就職難で就職氷河期で喘いできたのを見てやっと自民党が変えてくれたという実感に根ざしたものではないかという気がするんですけどね。どうですか」
北田「間違いないと思います。民主党の岡田代表だった時代にリベラル懇話会という形で・・・」
北田「今でもです。勉強会みたいなものを何度かやらせて頂いたんですが、その時に簡単な世論調査をしても安保法制で盛り上がる前くらいから分析してても民意は明らかに経済を重視していて、政党支持率と経済政策の推進というのは関係が強いんですよね。一貫してそうなのに何で今ここでアベノミクスを超えるアベノミクスをやるって言わないの?っていう」
宮崎「アベノミクス内部で考えても消費増税はマイナスだったし2013年以降は第2の矢っていうのはちゃんとやってないわけ。GDP比で財政を考えても明らかに緊縮財政になってる。ここを突いてこんなんじゃ駄目だって言うのこそがリベラルだろって私はずーっと言っていて。リベラル懇話会の経済政策提言の中にもそのことが書かれているのに何でリベラルはこれを受け入れないの?」
北田「そこが本当に私も分からないというか。安倍政権のパッケージングとか安保法制とか・・・」
宮崎「そういうのを全部評価するとかまったくなくて、少なくとも第1の矢と第2の矢を評価して第3の矢に成長戦略ではなくて再分配政策をもっと多様化政策を持ってくるべきだ」
北田「アベノミクスを超える財政出動をするぞっていうような、金融緩和についてはあるジゲン(次元?)を設けて消費税についても上げるなんて問答無用な話でそういうジゲン(次元?)をつけて考えていく。再分配の仕方を再考していくっていうのがイギリスでいうとねコービンとか、ポデモスとか世界標準的な左派の普通になってるハズなんですよ」
宮崎「金の問題も重要なんだけどそれは単純に金の問題じゃなくて、そうやって人々の所得が増えていくことによって貧困率だって下がっていくし人間の生き方の多様性、可能性、ケイパビリティ・アプローチですよ。アマルティア・センが言う。それを増やしていくことがリベラルの理念に適っているんだっていう。何でコレが日本では通用しないの」
北田「それを私も聞きたいっていう。あまりにも安倍さんとの対抗軸を立てたいっていうのか強いのか、民進党のDNAの中に刻み込まれているのかどうか知りませんけど、少なくともやるべきことというのは緊縮の話ではないし、アベノミクス全批判ではないハズですよね。政治家だけだったら敵味方の論理で話が分からないでもないんですが、論壇とかに出てるような左派とかリベラルっていう人たちが経済っていう問題を軽く見ている感じというか、経済の問題をを考えなくても他の部分こそが大切なんだっていう。もちろん大切なんですけど、経済の問題が宮崎さんがおっしゃったように人々の可能性とか潜在能力みたいなものの平等を図っていく上で重要な要素であることは間違いない」
宮崎「あなたがね『現代ニッポン論壇事情』の緒言の部分で言ってることがさ、経世済民は思想にして卑しい事柄でも何でもなく自由権と社会権という基本的な人権に関わる重要な社会的行為なのだと。これは本当にリベラルと自認していらっしゃる政治家や言論人に拳拳服膺してもらいたい」
アナウンサー「リベラルの偉い学者さんとかそういう方々は武士は食わねど高楊枝じゃないですけど・・・」
宮崎「食えてるんですよ。あの世代の人たちは食えちゃってるんだよ。豊かさは限界だろうとかさ」
宮崎「そう江戸時代に戻れとかさ。ほんっとに無責任なこと方言するわけ」
北田「でも若い人は絶望してなくて経済指標がよくなったら嬉しいし雇用状況が良くなれば満足度があがっていっていて、それなりに彼らなりに合理的に見ているわけですよ。成熟してこんな成長いらないとか思ってるのは正直な話、若者じゃないんですよね」
北田「バブルでおいしい思いをしてバブルへの絶望みたいのが過度な形で出てるような気はしますけどね」
宮崎「それもあるでしょうね。でも彼らはバブルの受益者だったわけじゃん」
北田「そうそう受益者で、だからこそ割れた時の記憶が強烈なんでしょうけど、だけど、それを20年間散々下の世代が味わってきたわけだから逃げ切りは私は許されないと思います。それと団塊の中でも逃げ切れるの一部ですよ。だから社会保障の問題が重要になってきて財源論だって色んなところで議論が出てるわけ。逃げ切れる成熟しましょうなんていうことは正直申し訳ないけども呑気な話だと僕は思います」
北田「だーれも言ってない」
宮崎「でも2~3%のパイを増やす政策を取らなければだんだん縮小均衡になって1番割を食うのは若い世代。弱者。この人達ですよ」
北田「だから僕は成熟社会論というのは冷たい冷徹な思考だと思いますよ」
宮崎「でもこれがイギリスのギデンズが唱えた第3の道とかさ・・・」
宮崎「だから左派版、新自由主義でしょ。そういうのと一緒に上の世代の人たちの・・・固有名上げるなら民進党の前原さんの頭にね固着しちゃってるんだよ」
北田「前原さん聞いてるなら経済だけどうにか考え直して頂けないでしょうかっていう気持ちが。僕は枝野さんに心配していたんですが、枝野さんがこういうこと言うんだって。ブレイディみかこさんと松尾匡さんと対談している時にニュースが入ってきて、枝野さんがこんなこと言っている!って衝撃を受けて」
宮崎「賃金を上げるために赤字国債発行するとかさ、ここでは私は枝野支持です」
北田「僕もびっくりしましたよ。それが一番求められていることであり、簡単な思考で言うと経済を椅子の数が決まったゲームと考えずに成長していくことによって維持できるっていう、そういうシステムだってことを考えないと公正性とか格差の問題も広がっていくだけと思いますね。だからこれはリベラルというよりソーシャルと言った方がいいかもしれませんね。ヨーロッパ型のソーシャル」
宮崎「ソーシャルって話をすると、もう少し先の話。フォワード・ルッキングしないといけないと思うので言うと、井上智洋って知ってる?マクロ経済学者。汎用AIが開発されて簡単に言うと色んな産業分野に汎用AIと汎用ロボットが広がっていって失業がどんどん増えていくと。そのとき何が必要かというと、経済構造っていうのは消費の部分がなければ成り立たないでしょう。消費っていうものを担保するためには所得を与えないといけない。でも失業してしまったりどんどん賃金が下がっていけば当然消費も縮退していくわけ。それを補填するためにベーシックインカムは必要だと。汎用AIができるかは別にして産業部門で色々使われることによって人減らしがどんどん起こっていくということはほぼ間違いないですよ。その時にどう対処すべきかっていうことを、今この経済政策で、生物学の前適応じゃないけどもやってるような気がするの。今の長期停滞に対処するのならその政策の延長線上でその状況にも対処できる。その観点から言うと消費税って駄目だと思うんだけどな」
北田「だめだめだめだめだめだめ。少なくとも今は駄目で、経済を社会の中でどう位置づけるのかっていうのを考えないといけなくて。公正かどうかっていう比較分析は社会学は得意なんですけど、財源どこかとか国債どうする金融政策どうとかそこがないんですよね。不平等を見つけるのは上手いんだけど、それをどうやったら直せるかって言うと財政を均衡させるしかないって話になっちゃう」
限定知性がその限定的な繁栄のみを独善的に追求するのであれば(有限であるということを無知のままに真として受け入れ、それを実行に移せば)、支配と継承が存続における重要な概念として受け入れられることとなる。支配とは一部の個または集団の限定知性の得た知及び理念を他の限定知性の固有の知、経験を尊重することなく押しつけ、蹂躙し、その形へと染め上げることを指す。個々の価値や経験は個に属することを許さず、特定の個、または集団の限定知性のみが多数の限定知性を浸食し、それら固有の能力や活動領域で培われた影響力を搾取したうえで、一部の限定知性のためにこれらを利用する状態を是とすることとなる。継承とは、支配で得た益を一部の限定知性がその存在を終えても自身が属していた集団に従属するようそれらを維持、存続、そして繁栄させることを指す。限定知性の活動領域において知性の介入は顕著に示されることはない(それゆえ、限定知性が自身の限られた知見における能動性を発揮しうる事由ともなっている)。従って、限定知性という限られた活動領域においては支配とその継承が相互補完に匹敵する対抗軸として永続的に存在しうる。
知性にとって、支配と継承により占有された限定知性は望ましい状態とならない。支配と継承によって染められた限定知性は、本来の個の限定知性の能動的な活動領域を著しく制限し、その知性が個別の活動から得られるうる経験を最低限のものにしてしまうからだ。
増田が書いてる通り、政治に求めるものは「社会保障、年金」と「経済、雇用対策」なんだよね。
今、野党が盛り上がっている憲法改正なんてごく一部の特殊な思想を持つ人しか関心が無い。
本来、自民党への対抗軸として頑張るべき民主党が、共産党や社民党と連携してカルト化しているのは、嘆かわしいとしか言いようが無い。
物価が下がるという事は、過去に稼いでストックを持っている老人有利な世の中となる。
若者は賃金が下がり、ローンの返済は年を経る毎に重くなり、働かないオッサンオバサンが高給を貰う傍らで非正規でこき使われる。
インフレで毎年上がる年収の中から貯めこんだ金で、デフレの世の中を生きるのは超イージーモードだ。
大企業も同じ。デフレで金の価値が上がれば、ストックの多い大企業は新興企業を金の力で潰しやすくなる。
すなわち、日本の多数派である「正社員、老人、既得権益層」に極めて有利な政策を行っているのが自民党だ。
多数派の既得権益層はよく選挙に行く。だから自民党は選挙に勝つのだ。
翻って、野党はどうだろう?
特殊な人しか気にしていない憲法改正阻止を掲げ、経済政策はおざなり。
緊縮財政を訴えて、利益を出している年金運用を叩き、たまに出す法案は実現性皆無のものばかり。
例えば保育士の給与月5万円アップなんてどこから財源持ってくるんだよって話です。(トヨタですらベースアップ含む昇給は2015年11300円、2016年8800円)
本当なら、若者や子供の味方をするべき野党が、特殊な思想を持つ極左しか見ていない。
結果、支持なしが4割、投票率30~40%の国が出来上がる。
増田は一つ勘違いをしていて、自民党は雇用を増やして失業率を下げる政策を行っている。
非正規が増えたと言っても、全体の雇用は増えているし、新卒の採用率は過去最高レベルになっている。
2016卒業の学生は、よほどの高望みをしないかぎりは就職に困らなかったはずだ。(Fランは知らんが)
本来、経済左派がカバーする領域を保守政党である自民党がカバーしている。これは野党の怠慢としか言いようが無い。
今回の参院選は与党が過半数を取って勝利。自民党が単独過半数はほぼ確定、与党+維新などの右派で2/3も狙う。
民進党は議席減確定、共産党は民進党を食い物にして議席を伸ばす。
安倍首相は歴史に名を残したい人なので、議会の安定運営が出来るようになれば、更なる景気対策や経済対策を打ち出すだろう。暴走もありうるかもしれない。
野党は発言権を減らしていく。行き場のない貧困層や過激な若者の受け皿である共産党は伸びるけど。
主張すべきを主張せず、若者を共産党やシールズに追い込んでいる民進党はマジで反省した方がいい。
極左のキチガイ(ヨシフ・スターリンとか旧社民党勢とか)をさっさと切って、まともなリベラル政党として再生して欲しい。
アベ政治を許さないとか言うてる人、お前らの愚かな行いこそがアベ政治を許している最大の原因なんだよ!!!
国民の声(特殊なキチガイ除く)を真摯に聞いて、経済、雇用、社会保障、年金の対策をちゃんとやってくれ!!!!!
こちらからは以上だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160703171723
自民党の政策は「比較的」マシなので消去法で選ばれているだけなんだが、野党及び支持者は自民を批判する事は得意でも、自分でまともな政策を打ち出せないだろ。
出来るというのなら、何故民主党政権時にやらなかった?と聞くけどね。
シールズや共産党支持者の言葉を借りれば「自民党が政権を取っても憲法は変わりません(国民投票で否決されるので)が、民進党&共産党が政権を取れば暗黒の民主党政権時に逆戻りです」だよ。
そうでないと主張したいのなら、まずは野党としてまともな政策を出してこいと。お前ら反対しかしてないじゃないかと。
http://anond.hatelabo.jp/20160114204909
の続きです
ずばり、赤松さんが何をやりたいか、何を最終目標としているかというと、上記ブログ、最新記事の表題にもある通り「電子書籍版YouTube」でしょう
赤松さんは将来を見据え、Googleやamazonが運営し、多量のインセンティブを取られ、アメリカ式の表現規制が導入された読み放題サービスではなく
発生利益のほぼ全てが権利者に渡り、過度な表現規制のない「マンガ図書館Z」という読み放題サービスを作りたいと考えているのです
「え?読めなくなった絶版漫画を読めるようにするサービスでしょ?」
このように思われる方もいるかも知れません、それも当然です
赤松さんは自身のブログにおいて当初から絶版漫画を対象に、と明言しています
しかし実は最近のブログ記事では少しトーンが変わってきています
(切り取った文章では、赤松さんの言いたいことが伝わらないかもしれません、できればぜひそれぞれ全文を読んでみてください)
最近、アマゾンがAmazonプライムで「ビデオ見放題」に続いて「音楽聴き放題」も始めました。
次は、どう見てもAmazonプライムでの「マンガ読み放題」を狙っているはずです。もともと本業は書籍ですしね。
(略)
・・・ここまで来ると、我々「日本人」が、しかも「クリエイター主導」でこれを率先して進めないと、
・・・目指すは、出版社(=新作を持つ)と共同での、日本の全マンガ作品のコンプリート蒐集。
ここに来れば、どんなマンガでも必ず読める(または新作を買える)。私たちの仕組みを使えば、この果てしない夢が叶うと考えております。
に着手いたします!
更に「マンガ図書館Z」には月額300円の有料プレミアム会員プランがあります
これは、アダルト漫画に対応するためと説明されていますが、今後、プレミアム(有料)会員向けに絶版以外の漫画が読めるサービスを開始することを視野にいれた展開でしょう
ここで繰り返しになりますがもう一度、論冒頭の逆説的な説明をさせて下さい
まずそもそも絶版漫画だけを読めるようにする便利サービスというのであれば
youtube的なアップロードシステムを取り入れる必要などありません、従前のアップロードシステムで十分に対応可能ですね
更に最初からその目的として謳っていた海賊版に対抗するという文句も、あまり意味のあるもではありません
違法アップロードされる漫画の量は圧倒的に絶版<その他だからです、つまり絶版以外の現在連載、発行されている漫画が殆どなのです
そして何より、絶版のみを扱うのであれば、黒船としてgoogleやamazonが漫画読み放題サービスを始めた時の対抗軸になることは絶対に出来ません
つまり本当に絶版漫画専用のサービスのみに終始するというのならここまで面倒くさいことをやってきた意味などないのです
別に赤松さんが途中で目的を変えたであるとか、そういうことではないと思います
最初からこういう展開を視野に入れた上で、扱い易い絶版漫画という分野でまず実績を積み上げて、その後絶版以外の漫画にも進出したかったのでしょう
そしておそらく、今すぐに読み放題サービスを始めるということもないでしょう
ある程度今後の成り行きを見守り、上手くいきそうなら、といった感じだと思います
しかし種々の権利問題や出版社への合意を取り付け、実際にマンガ図書館Zが絶版以外の漫画を扱い出した場合
「現在、違法サイトや海外違法サービスで漫画が読み放題だとはいえ、そんなサービスを利用する人間は限られている
しかし、マンガ図書館Zとして正式に国内でサービスを開始してしまえば、今まで紙の書籍を買っていてくれたお客がそちらに流れてしまう」
確かにいくら海賊版が溢れているとはいえ、やはりそんなものを利用するのは少数派です
一つにはそもそもその存在を知らないという人たちも多い
更に一つ、知っていても違法な事に手を染めたくない人たちが大半、というような理由です
マンガ図書館Zというサービスがもし出来てしまい、そして有名になれば、今まで海賊版の存在を知らなかった人たちの中にも利用を始める方が出てくるでしょう
そして違法だからという理由で避けていた人たちも、やはり使いはじめるでしょう、そうなると当然、書籍の売上は減ることが予測されます、これは確かに問題かもしれません
しかしそれは果たしてマンガ図書館Zがなければ解決される問題でしょうか?
この記事でも述べてきたようにそして赤松さんが予測されるように、例えマンガ図書館Zが読み放題サービスを始めなくても
Googleやamazonが類似の読み放題サービスを始めるのではないでしょうか?
もしそうなればやはり紙の書籍の売上は減るでしょう
そしてそれがスタンダードに、日本とは表現規制も何もかも違う外国のサービスが業界標準になってしまったら、それは漫画家にとって不利益とはいえないでしょうか
但し、このように、より悪い状況を想定し、それを人質のように選択を迫るという行為を嫌う方も多いと思います
確かにある意味上からの物言いでこの様にどっちが良いか、と選択を迫られるのは気持ちの良いものではありません
しかし、現実に音楽業界及びネット販売業界では、そうした選択の末、現在のamazonやAppleが支配するような状況が生まれてしまっています
もちろん
「それでも、昔ながらの紙の書籍を売るビジネスが好きだ。電子書籍ビジネスには関わりたくない」といった意見や
「本当にGoogleやamazonが読み放題サービスを始めるかなど誰にもわからない、そしてそのサービスが日本にとって悪いものであるという想定も所詮はただの推測に過ぎない」
という意見もあると思います、前者の方にはマンガ図書館Zというサービス自体が決して受け入れられるものではないでしょうし
後者の言い分もそれを100%否定できるような材料はありません
他にも
「そもそもなぜ赤松さん(GYAO)がサービスを運営するのか?自分は赤松さん(GYAO)は嫌いなので使いたくない」
「結局はお金や名声目当てでは?マンガ図書館Zが成功した後、サービス内容が改悪されない保障がどこにある?」
「マンガ図書館Zが次善の策であるように言っているが、もっと考えれば漫画業界にとってより良い方法があるのではないか」
等など、考え出せば切りがありません
漫画家や権利者、そしてマンガ業界を支える関係者やファン、消費者の方々が十分に考え、導き出した結論であれば
例えそれがマンガ図書館Zには反対!という意見であっても仕方のないことでしょう
何より重要なのは、より多くの当事者が日本のマンガ業界の現状を認識し、ただ座視するのではなくそれぞれに考え行動することではないかと思います
そしてもし、その結果がマンガ図書館Zを支持するというものであれば、ぜひ応援して頂ければと思います
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。