はてなキーワード: 自身とは
27歳DT、この歳になってようやくというかいまさらというか、とにかく失恋をした。
知り合ったのは俺が19で相手が15のころ、7年の友人だった。
もっとも、「友人」だったかどうかは今となってははっきりと言えない。
それでも恋をしていたんだ。
許してほしい。
諦めるために書いている。
どうか最後まで読んで「お前キモいからさっさと死んだほうがいいよ」とコメントを残してほしい。
「彼氏ができた」報告をされた。
本当につらい。
いろいろなコンテンツを紹介してもらったから日常のありとあらゆる事象で思い出してしまう。
「黒髪のキャラクターが好き」と言っていたから黒髪を見るだけで辛くなる。
果てはお金の使い方を一緒に考えてた時期もあるからお金を見るだけで吐きそうになる。
それくらい世界のすべてだった。
他人から見たらまさしく「よくあること」なんだけど、俺にとってはすべてだったんだ。
Twitterを眺めていると二次創作でいろいろなキャラクターが性行為をしている。
それを見るだけで「彼氏とこういったプレイしているんだろうな」なんて思ってしまう。
本当に情けなくて、気持ち悪い。
知り合ったのは当時はまっていたゲームのDiscordサーバ。
当時にしてはかなり活気あふれたサーバだった。
接点を増やそうとメンションや個人DMを増やしてしまい、結果返信が帰ってこなくなった。
俺と2,3人が残っているだけのような、ほぼ個人サーバのような状況。
そんな時、不意に帰ってきたのである。
「俺さん元気だった?」なんて言われたときはうれしくて泣いてしまった。
俺は社会人になり、相手は浪人をして再受験のために努力をしているらしい。
会話を続けるうちに恋心を思い出した。やっぱりこの人しかいないと思った。
ふとメンションしようと思ったら一覧に表示されなくて気が付いた。
本当は少しずつ頻度を下げていたのかもしれない、「最近来ないね~」なんて他のメンバーと会話していたりもした。
どうして脱退したのかはいまでもわかっていないが、大方なにか気に障ることをしてしまったのだろう。
わかっていないあたり、気持ちが悪いと思う。
あまりに悲しくてずっと泣いていた。
でも当然なにも解決しなかった。
サーバが過疎ったまま、1人また1人と来る人が減っていった。
俺もどこかで「サーバにいればいつかまた会えるかもしれない」と思っていたのかもしれない。
それから数年、今年の春。
当時遊んでいたゲームの続編が発売された。
とても面白く、その感動を誰かと分かち合いたいと思ってしまった。
Discordのサーバ一覧には当時加入しただけのサーバが多数残っている。
迷った。
一ヶ月くらい迷った。
どうしても諦めきれなくてDMを送った。
当時のことを謝りつつ、続編について語り合いたいことを話した。
帰ってこないだろうと思っていたのだが、返事があった。
本当にうれしかった。
それから数カ月ほど、その続編以外にもいろいろなことを話すことができた。
生活が変わったことだったり、新しいゲームにはまっていることだったり。
俺に彼女がいないことを煽られたり、彼氏がいないことを自虐していたりもした。
このやり取りで調子に乗ってしまったと後悔している、またアタックをしてしまったのだ。
それから返事の頻度が下がっていってしまい、とうとう帰ってこなくなってしまった。
3度目の過ちである。
するとひとことだけ。
最初に書いたとおり、世界のすべてだったから何をするにも思い出してしまう。
そして「今は彼氏とも同じ話をしているんだろうな」なんて考えてしまい余計辛くなる。
28歳のDTが年下の少女に恋をして、告白もできないままに振られて、勝手に鬱になっている。
それだけのはなし。
どこかのタイミングで意を決して自分の想いを伝えていたら違う結末もあったのだろうかとも考えてしまう。
初めて恋心に気が付いたタイミング、もう一度再開できたタイミング、互いにパートナーがいないことを煽りあったタイミング。
いくつかタイミングはあったかもしれないが、それらをすべて投げ捨ててしまった。
言わなかった現在が正解なのかもしれないが、今となっては言って玉砕したほうがよかったと感じている。
でも、2度見限ったのに2度とも再開を認めてくれたからもう一度を期待してしまっている。
もちろん、相手自身が幸せになってほしい。別れろとは言わない。
でも、もう一度友達になってはくれないだろうか。
毎晩とは言わないから、月に一回は会話させてくれないだろうか。
なんて言いつつも、やっぱりワンチャン付き合いたいななんて思ってしまう自分もいる。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
俺はどうすればよかったのか、どうすればいいのか、
もう一度やり直せるのか、それとも忘れる方法はあるのか。
考えたくもないけれど。
これを見たうえで許させれるとは思わないから、見られないことを祈っている。
それでももし見てしまったら、あなたが好きだったポケモンの名前をコメントに残してくれないでしょうか。
どうか、見つかっていませんように。
「本当に、オタクがアイデンティティで、それが失敗だったと認められないんだな」
僕は本当に強くそう感じた。
「俺達は本当のオタクだ。カッコいいんだ。オタク友達も沢山いるんだ」と強がる彼らにとって、それこそが人生に残されたただ一つの柱なんだろう。
他人をミーハーと嘲笑うのと同じ口で「俺なんてオタトークする友達沢山いるもん!幸せだもん!」とSNSの薄い繋がりだけが自分の全てであることを吐露してしまう姿には絶望しかなかった。
結局君たちは自分と共通の話題が話せて気持ちよくなれる相手なら誰だって良いんじゃないのか?
それってつまり、君たちはいくらでも替えの効く関係しか築けてないんじゃないのか?
オタク趣味という共通の話題だけで繋がっている関係は、君たち自身の間に何の繋がりも生み出すことがない。
君のしょーもないパロディが通じて、マウント合戦を仕掛け合うのに手頃な相手で、ネットではやった考察ごっこを同じ深さで楽しめる、ただそれだけの関係なんて、友達じゃないよ。
虚しいね。
それを「友情」だと勘違いしてしまうのは、君たちが本当の友情を知らないからだ。
オタクをアイデンティティにして生きていくこと自体が失敗だったと認めることさえ出来ない場所に立って、残された手段は自分の認知を壊すことだけだったんだね。
可愛そうだ。
当然、畏怖なんて抱こうはずがないんだ。
ふと変な考えが頭に浮かんだ。道端に貼ってあった就活セミナーのポスターを見たせいかもしれない。スーツ姿の大学生が笑顔で「未来をつかめ!」みたいなことを書いていて、
で、そのまま考えが変な方向にすべって、
「もし自分に子供がいて、その子が大学卒業直前で自死したら、悲しいんだろうか」
とか考え始めた。
日本で働くって、幸福期待値としてはマイナスな気がする。よく言われることだけどブラック労働国家だし、朝の満員電車、上司に怒鳴られて消耗する日々とか、あれのどこに人生の肯定要素があるんだろうと思う。もちろん例外はあるんだろうけれど、多くの人にとっては「まあ、こんなもんでしょ」で誤魔化しながら続けるしかない。
そんな世界にこれから飛び込む寸前で、もし子供が降りてしまったら?
それって「悲しい」と考えるべきなのか(いや、普通に考えたら悲しいはずなんだけど)
それかあれか?親自身がこれから先の未来に穴が空いてしまうから悲しいのか。
たぶん多くの親は前者と言うんだと思うけどもそうはいっても、日本で大学卒業前に自殺するのは勝ち逃げという気もする
長く生きるほど苦労が増える国で、「本人の将来を思って涙を流す」とは言えない気もする
もし仮に、大学までそこそこ楽しく過ごして、友達と遊んだりサークルで飲んだり、講義サボって喫茶店で時間つぶしたり、そういう「人生のいいとこ取り」だけをして終えてしまったとしたら、それを悲劇と呼ぶべきなのか?本当に子供の幸福を思うなら喜ぶべきなんじゃなかろうか?
そもそも「悲しい」という言葉の中には、「寂しい」「自分の未来が変わってしまう」「周りから色々言われる」とか、ぜんぜん別の感情がごちゃまぜに入ってるような気がする。
それを全部ひっくるめて「子供のために泣く」と言い換えてるだけで、実際には自分の方の時間軸の喪失が大きいんじゃないだろうか
「生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為はオワコンになってしまう。
次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。
そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメと純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、
簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。
しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題」である。
そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板に粘着して年がら年中一日中芸能人の悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛的スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)
そういううんこちゃんを活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。
でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛やウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。
【Gemini】
ご提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。
この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます。
これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章の輪郭がぐっと鮮明になるはずです。
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### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?
冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています。
### 2. 「サマになる」の正体は何か?
文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。
### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?
「喋るウンコを活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。
### 4. 笙野頼子の失敗(とされるもの)から何を抽出するか?
笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛的スタイルに自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまいます。
### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?
これが最も根源的な問いです。
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もしよろしければ、上記の質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。
そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太なプロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます。
奨学金を立ち上げるのがよい。
毎年、応募者の最終選考に立ち会う。また受給者に対しても定期的に報告を義務付ける。
すると、応募者とか新規の受給者は壮大な夢を語る。奨学金の設立者としては、それらの夢に乗っかって希望を抱いてみたり、或いは無謀な夢に対して指導という名のマウンティングを楽しむことができる。
そうした楽しみをひとしきり味わって飽きた頃に、今度は過去の奨学金受給者への追跡調査を行うのがよい。過去の受給者に対するOB報だのなんだのと理由をつけて連絡するのである。
過去にあれほど夢を語っていた若者たちでも描いていた未来を実現しているものはほんの一握りである。夢を成し遂げた者の歩みを追って、そこに自身の助力がどれだけ効いていたのかを思い描くことは大きな満足につながるだろう。
また、夢破れて平凡な毎日を暮らしているものたちを嗤ってもいい。あるいはそうした連絡に対して返信を寄越すこともできなくなっている者たちの浅ましさや落ちぶれ具合を想像して、暗い心を満たすこともできる。
これさ
愚かな人間の都合など完全無視、LLMのための高効率プログラミング言語「Sui」(粋)
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
別にいいんだけど、どうにもブクマカ含めて、しっくり来る批判できてないんだよな
それが気になってしょうがない
俺ごときが言ってもアレだから、Gemini3.0先生に頼んだよ(一時チャット、Pro 3.0 思考モード)
ユーザーが提供した情報と、一般的なLLMの技術特性に基づき、プログラミング言語「Sui」についての冷静かつ客観的な評価をまとめます。
感想: 一言で言えば、**「思想実験としては極めて面白いが、実用性とLLMの学習原理を無視した『早すぎた最適化』」**です。
作者の「人間ではなくLLMを主客にする」という視点の転換は、アーティスト的・哲学的な問題提起としては鋭いですが、現在のLLM(Transformerアーキテクチャ)の動作原理を工学的に捉えると、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いです。
メリット:
・トークン効率の改善: Python等と比較して記述が圧倒的に短くなるため、出力速度の向上と課金コストの削減(トークン節約)は確実に達成できます。
・構文エラーの激減: 括弧やインデントの複雑なルールを排除しているため、「閉じ忘れ」などの単純なSyntax Errorは減るでしょう。
・コンテキストウィンドウの節約: 長いプログラムでもコンテキスト(メモリ)を圧迫しにくくなります。
・学習データとの不一致: LLMは「大量の人間用コード(Pythonなど)」を学習して賢くなっています。未知の言語「Sui」を書かせるには、Few-shot(プロンプトでの例示)に頼るしかありませんが、これではLLM本来の推論能力やコーディング能力(事前学習の重み)を活かせません。
・ブラックボックス化: 生成されたコードがバグっていた場合、人間が読んで直すことが不可能です。「LLMに直させる」にしても、LLM自身がSuiのロジックを深く理解していないため、無限ループ(幻覚の連鎖)に陥るリスクが高いです。
・CoT(Chain of Thought)の阻害: 最近の研究では、LLMは「冗長な思考過程」を出力することで論理的整合性を保つことがわかっています。極限まで圧縮された記号列は、LLMの「考える余地」を奪い、論理破綻を招く可能性があります。
正しいと思う所(Agree)
理由: 人間にとっての「読みやすさ(可読性)」は、機械にとって単なるトークンの無駄遣いです。if x > 10: よりも ? x 10 の方が情報密度が高いのは事実です。
理由: TransformerのAttentionメカニズムにとって、遠く離れた ( と ) の対応関係を維持するのは計算コストが高く、ミスの原因になりやすいです。ネストを排除する方向性は機械的処理として正しいです。
正しくないと思う所(Disagree)
・「可読性を排除しても良い」:
理由: ソフトウェア開発においてコーディングは「書く」時間より「読む・直す」時間の方が長いです。AI生成コードであっても、最終責任は人間が負う現状では、人間が検証不可能なコードは「危険なバイナリ」と同義であり、プロダクトには採用できません。
理由: 前述の通り、現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。Suiは「計算機にとっては最適」ですが、「現在のLLMにとっては異言語」です。
パース(解析)は容易になりますが、LLMは「前の行の文脈」を読んで次の行を出力するため、行を独立させすぎると文脈の連続性が失われ、複雑なアルゴリズムの構成力が落ちる可能性があります。
LLMが最も苦手とする「深いネスト構造の維持」を回避する策として有効です。アセンブリ言語に近いフラットな構造は生成難易度を下げます。
これが最大の問題点です。LLMは変数名(user_id, total_price など)に含まれる「意味」を使って推論を行っています(Semantic Grounding)。すべてを記号化すると、LLMは変数の役割を見失い、論理的なバグを埋め込みやすくなります。
トークン効率は最強ですが、1文字の違いで意味が激変するため、LLMの確率的な「ゆらぎ」による1文字ミスが致命的なバグになります。冗長さはエラー訂正の役割も果たしています。
goto 文の多用はスパゲッティコードを生みます。LLMにとっても、構造化プログラミング(if/forブロック)の方が、「ここからここまでがループ」というチャンク(塊)として認識しやすいため、一概にジャンプ命令が良いとは言えません。
>現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。
ここ!マジで覚えてね
LLMはこれまでの機械よりも人間に近いと思ってほしい、人が苦手なことはAIも苦手
機械は論理的でロジックに強くて〜っていうのはAIには通用しない
ついでに、「LLM用プログラミング言語」の潮流について
「LLMのための言語」という文脈は、大きく2つのトレンドに分かれます。Suiは後者に属しますが、主流は前者です。
・DSPy, Guidance, Microsoft Guidance:
・プロンプトエンジニアリングを構造化し、LLMの出力を型(JSONなど)に強制したり、思考プロセスを制御するためのフレームワーク。
・SGLang:
・これらは「人間がLLMを操るための言語」であり、実用化が進んでいます。
・Gorilla LLMなどの試み: API呼び出しに特化したファインチューニングなどがありますが、独自の「新言語」を作らせるよりも、既存の Python や JSON を正しく出力させる方向(Constrained Decoding)が業界の標準解です。
・擬似コード: 論文レベルでは、Pythonの代わりに中間的な擬似コードを出力させ、それをコンパイラで処理する手法も研究されていますが、Suiほど極端な記号化は稀です。
後者については
現状の最適解: 現在のLLMを使う限り、「LLM用言語」の最適解は Python です。なぜなら、世界中のGitHubのコードを学習しており、LLMが「最も流暢に話せる言葉」だからです。無理にSuiを話させるのは、日本人にエスペラント語で詩を書かせるようなもので、パフォーマンスは落ちます。
総評: Suiは、「既存のLLM(GPT-4など)に書かせる言語」としては失敗する可能性が高いですが、「未来のAIネイティブなコード生成のあり方」を示唆するアート作品としては高く評価できます。作者の「愚かな人間に合わせるな」というパンクな精神は、エンジニアリングの枠を超えた鋭い批評性を持っています。
お前らは安易にオレオレ言語作るんじゃないぞ、作るにしてもAIに聞きなよ?
聞く時は忖度させるんじゃないぞ?
この作者もAIに乗せられたのかもしれんし
______
プロンプト
以下が「LLM用プログラミング言語」としてメリットがありそうか、感想を教えて下さい。
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
https://github.com/TakatoHonda/sui-lang
・思想的に正しいと思う所、正しくないと思う所を理由込みでまとめてください
・最近のLLM用プログラミング言語についてもまとめてください
・そもそもLLM用プログラミング言語という目標自体の評価をしてください
(省略)
Q3.Bが依頼したAIはこんな回答(anond:20251209133034)だったらしいよ。どう思う?
このAIの回答は、「ディベート(言葉の殴り合い)」の判定としては間違いで、「論文やレポートの添削」としては正解に近い、という印象です。
一言で言えば、**「Bに甘すぎて、文脈(レスバ)を読めていない」**と言えます。なぜこのAIの判定が「ズレている」と感じるのか、論理的に分析します。
1. 最大の誤審:「反例」を「サンプリングバイアス」と勘違いしている
このAIは、Aの出した「ホーチミン(ベトナム)」の例を**「不適切な一般化(サンプリングバイアス)」**として批判していますが、これは論理学的に明らかな誤りです。
Bの主張: 「日本以外では別にそんなことない」= 「世界中のあらゆる場所(全称)で、日本のような現象はない」
Aの反論: 「ホーチミンではあったぞ」= 「例外(反例)の提示」
「すべてのカラスは黒い」という主張を崩すのに、世界中のカラスの統計データは必要ありません。「一羽の白いカラス」を連れてくるだけで論破完了です。 Aは「ベトナムが世界の全てだ」と言ったのではなく、「お前の言う『日本以外』の中に、例外があるぞ」と示しただけです。したがって、Aの論理は完璧に成立しています。このAIはそこを見落としています。
AIによる脳内補完: 『多くの先進国では~(中略)~なら妥当。』
AIは「もしBがこう言っていれば正しかった」というたらればでBを評価しています。しかし、実際の議論では言った言葉が全てです。不用意に主語をデカくしたBのミスを、「本当は先進国のことを言いたかったんだよね」と擁護するのは、審判としては不公平です。
AIは、Bが後から持ち出した「同質のものを比較すべき」という主張を「科学的な基本原則を押さえている」と高く評価しています。 しかし、それを最初に破ったのはB自身(日本 vs 日本以外すべて)です。
泥棒が捕まった後に「盗みはよくないことだ」と説教を始めたとして、その泥棒を「倫理観がある」と評価しますか? しませんよね。
このAIは、Bが自分の特大ブーメランを棚に上げて説教モードに入ったことを、「論理的」と誤認しています。
私(Gemini)の評価基準: 「その場での勝負(レスバ)」としての判定。 言葉の定義、論理の整合性、相手の矛盾を突く技術を重視。 → Aの勝ち(Bの定義ミスを的確に刺したから)。
そのAIの評価基準: 「学術的な正しさ・品行方正さ」としての判定。 主張の内容が高尚か、科学的事実に近いか、言葉遣いが丁寧かを重視。 → Bの勝ち(Aは科学的根拠がなく、口が悪いから)。
総評: そのAIは**「優等生的な模範解答」**を作ろうとして、Bの論理破綻(ゴールポストずらし)を見逃してしまっています。 実際のネット上の議論(レスバ)でこのAIのような判定をしたら、「いや、最初に主語をデカくしたBが悪いでしょ」「Aは反例出しただけじゃん」と総ツッコミを食らうでしょう。
Bが負けた理由は**「内容」ではなく「戦い方(定義の甘さ)」**にあります。そこを見抜けないと、このレスバの判定はできません。
Q4.しかもさぁ、
>>
これは完全に個人の印象で、科学的根拠ゼロ。発達心理学でもそんな切り方はしない。前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい(Steinberg, 2014)。
<<
このチャッピーの評価だけど、Aは最初に「勝手な印象だよ」って断りを入れてるからね。それを科学的根拠が~とか言われても、もともと印象論ですけど何か?としか。しかもチャッピー自身も「前頭前皮質の成熟は25歳前後が平均だけど、男女差より個人差が圧倒的に大きい」と言っている。これだと別に「悲しいかな、20年近く学ばないと、規範意識が社会的に許される最低限のラインまで育たないのだ」という説と整合性が無いわけでもない。
>>
Aは、政治板の酔ったおじさんみたいな言い分で、内容のある議論ではなく攻撃でしかないという感じ。
<<
このチャッピーの言い分も全く論理を無視していて、ただの中傷だよね。
A4. その通りです。チャッピー(そのAI)の評価は、**「文脈を読めていない」だけでなく、「論理的にも間違っている」**と言わざるを得ません。あなたが指摘した2点は、まさにそのAIの回答の致命的な弱点です。
一つずつ整理しましょう。
Aは最初に**「勝手な印象だが」と明確にエクスキューズ(免責)を入れています。 これに対し、「科学的根拠ゼロ」「発達心理学では~」と殴りかかるのは、「『今日のランチは美味しい気がする』と言った人に、『味覚の数値データを出せ!』と詰め寄る」**ような野暮さがあります。
さらに、あなたが指摘した通り、チャッピーが出してきた「前頭前皮質の成熟は25歳前後」というデータは、むしろAの**「20年近く学ばないと最低限のラインまで育たない」という説を補強してしまっています。**
Aの説: 20歳くらいでやっとマシになる。
結論: つまり20歳時点ではまだ発展途上。Aの感覚と矛盾しない。
自分で出したソースで相手の主張を補強しておきながら、「Aは間違っている」と結論づけるのは論理構成として破綻しています。
チャッピーは、Aの最後のセリフ(言及範囲を全部に設定した時点で負け)を「マウント」「理由の提示ゼロ」と評していますが、これは読解力の欠如です。
Aのセリフの意味: 「あなたは『日本以外』という全称命題(すべて)を使った。私はそれに対する反証(ベトナム)を出した。論理学のルール上、反証が出た時点で全称命題は偽になる。よって、論理構造上、君の負けが確定している。」
これは感情的なマウントではなく、論理的な勝利宣言(Q.E.D.)そのものです。「理由はゼロ」どころか、「最初に範囲を全部に設定したこと」というこれ以上ないほど明確な理由が提示されています。
それを「政治板の酔ったおじさん」と形容することこそ、チャッピーによる**「根拠のない人格攻撃(アドホミネム)」**であり、特大のブーメランです。
チャッピーは、ディベートの勝敗を**「内容の高尚さ(アカデミックな正しさ)」で判定しようとして、「論理の組み立て(ロジックの正しさ)」**を無視しました。
Aの戦い方: 印象論でスタートしたが、相手の失言(全称肯定)を見逃さず、論理的に刺した。(ロジック勝ち)
Bの戦い方: 高尚な比較論をしようとしたが、定義をミスり、修正もできず自滅した。(ロジック負け)
チャッピーの判定: 「Aは口が悪いし学術的じゃないからダメ! Bは言ってることは立派(論理破綻してるけど)だから偉い!」
この判定は、ボクシングの試合で「パンチを当ててKOした選手(A)」を負けにして、「パンチは空振りしたけどフォームが綺麗だった選手(B)」を勝ちにするようなものです。
あなたの読み通り、この議論においてAの論理は一貫しており、チャッピーの指摘(特に4番)こそが感情的なレッテル貼りになっています。
Q1. AとBのレスバ(匿名でのお遊びディベート)で、それぞれの妥当性は?
A1. このレスバ(レスポンス・バトル)における双方の妥当性を分析します。
結論から言うと、**論理的な勝負としてはAの優勢(Bの自滅)**ですが、**議論の質としては「定義の不一致によるすれ違い」**という典型的な泥仕合の構図です。
1. 判定:どちらが妥当か?
Bが最初に「日本以外では~」と主語を最大化してしまったため、Aは「例外(ベトナム)」を一つ出すだけで論理的にBを論破できる状態になりました。
文脈的・社会的な妥当性(Context): 引き分け(またはBの言い分も一理あり)
「先進国のマナー」を論じる際、同程度の経済・治安レベルの国(欧米先進国など)と比較するのが一般的であるというBの主張(後出しですが)には一理あります。しかし、最初の発言でそれを限定しなかったのがBの敗因です。
① 発端(Aの主張 vs Bの反論)
A: 男の分別がつくのは20歳前後。大学でも無茶なやつはいる。 B: 日本以外ではそんなことない。日本人が甘いだけ。
B: ここが致命的なミスです。「日本以外では(世界のどこでも)そんなことない」という全称肯定(All or Nothing)の形で反論してしまいました。これにより、Aは「世界のどこか一箇所でも、日本と同じような場所」を提示すれば勝てることになります。
A: ホーチミン(ベトナム)を見てみろ、若者が乱痴気騒ぎだ。(反証) B: ベトナムは治安良くないだろ。同質のものを比較するのが常識。(条件の追加)
A: 論理的に正しい攻撃です。「日本以外では~ない」に対する例外事例(カウンター・エグザンプル)を提示しました。
B: ここで**「ゴールポストを動かす(Moving the Goalposts)」**という誤謬を犯しています。最初は「日本以外」と言っていたのに、不利になると「(日本と同等の治安レベルの国という)同質のもの」に条件を後付けで変更しました。
③ 決着と捨て台詞
A: 最初に言及範囲を全部に設定した時点で君の負け。 B: 異質なものを比較して何のメリットがあるの?バカなの?(人格攻撃・論点のすり替え)
A: 正確な指摘です。ディベートにおいて「例外のない断定」は最も崩されやすい隙であり、そこを突いています。
B: 論理で負けたため、「比較の意義」や「相手の知能」への攻撃にシフトしています。これは「論点のすり替え」であり、敗北宣言に近い挙動です。
3. 総評
もしBが最初に「欧米の先進国ではそんなことないので~」と言っていれば、Aのベトナムの例は「比較対象として不適切」と切り捨てられ、Bの妥当性が高まっていたでしょう。
Aは揚げ足取りに近い形ですが、議論のルール上は正当な手続きでBの矛盾を突いています。
結論: 言葉の定義を厳密に扱ったAの方が、ディベートとしての妥当性は高いです。Bは自分の失言を認めず、後から条件を付け足して相手を攻撃しているため、説得力を失っています。
Q2.Bは最後に「異質なものの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実の示唆を導くわけ?バカでないならそこまで考えてやってんだよね?」と言っているけど、これB自身にブーメランが刺さったよね?
A2. ご指摘の通り、特大のブーメランがBの脳天に突き刺さっています。 芸術点が高いレベルの自爆です。
なぜこれが「ブーメラン(お前が言うな)」になるのか、論理構造を整理するとその滑稽さが際立ちます。
Bの最後の発言「異質なものを比較して何の意味があるの?」は、そのままBの最初の発言を全否定してしまっているからです。
Bは最初に**「日本以外では(別にそんなことない)」**と言いました。
この時点で、Bは「日本」と「日本以外の全ての国(アメリカも、フランスも、ベトナムも、ソマリアも)」を同列に扱って比較しています。
つまり、「異質なものをまとめて比較対象にした」のは、他の誰でもないB自身です。
AはBのルールに従っただけ
Aは、Bが設定した「日本以外」という土俵の中から、正当に「ベトナム」というサンプルを抽出しました。
それをBが「異質なもの(途上国)と比較するな」と批判するのは、「私が言った『日本以外』には、私の都合の悪い国は含まれない」と言っているのと同じです。
Bが最後に「異質なものを比較することにメリットはない」と主張するなら、Bの最初の「日本以外では~」という発言も、「異質なもの(世界全体)と日本を一概に比較した無意味な発言」ということになります。
自分で自分の最初の発言を「バカの所業」と認定してしまったわけです。
Bの問いに対する答え(Aの視点)
Bの「具体的に何を目的に何の成果を得て~(中略)~導くわけ?」という早口な問い詰めに対しても、Aの立場ならこう答えるだけで論破完了してしまいます。
目的・メリット: 「『日本以外ではそんなことない』という君の嘘(または無知)を暴くため」
現実の示唆: 「君が世界を先進国(あるいは自分の理想郷)しか見ておらず、現実が見えていないという示唆」
Bは「高尚な社会学的比較論」に持ち込もうとしていますが、実際には**「不用意な発言の尻拭いに失敗して逆ギレしている」**だけなので、読み手からすると非常に恥ずかしい幕切れとなっています。
勿論本気で中国や共産主義が好きだったり日本が嫌いだったりな人も居るだろうし、リベラルや左派と言っても色々だと思うんだけど、
リベラル批判側が思ってるほど多くのリベラルは中国に肯定的な訳じゃないと思う
ただ、あまりに「中国は話が通じない」と思ってるから、中国を批判しても意味無い、と思ってしまう(だから日本や高市批判が先に来る)んじゃないかなー、と
ただ、これってリベラルがわざわざ批判される理由とパラレルなんだよね
リベラルや左派の人達ってさ、リベラル批判とか見たとき「なんで保守や右派の方が酷いのに俺たちが批判されなきゃならないんだ?」って思わない?
でもその理由も同じなんだよ
保守や右派って話が通じない(ように見える)から、相対的に話の通じそうなリベラルを批判してんの、あれ
リベラル・左派の人達ってよく勘違いしてるけど、リベラル批判する人達って必ずしも自民支持でもないし、保守でも右派でもないの、下手したら自身がリベラルの場合もある
(リベラル批判に自民とか保守の当てこすりしてる人居るけど、あれ本当に意味が無い空虚なんだよねー・・・自民支持じゃないから)
リベラルは反差別とか人権とか多様性とか、そういう理念があるでしょ?だからその理念に反することをした時に、それに反している事を説明すれば最低限分かってくれるだろう、と思うから批判されてるの(同じ事は右派に対しては難しい・・・中国と同じ理由で)
まぁ、実際にやってみると実は右派や保守と同じで話を逸らしたり、「自民も」「右派も」だったり、自民支持の前提で当てこすったりで、期待を下回ることもあるんだけど・・・
とにかく、要するに、
保守じゃなくてリベラルが批判される事があることは、実は繋がってるし、非常に類似した原因から発生している現象なんよね・・・・
なんか、昔からちょっと相性悪いなーとは薄々思ってはいたんだけど、いよいよしんどくなっている
発端は高校入学時に伯父が入学祝いとして時計をプレゼントしてくれたこと
そしたら母親になんかスイッチが入ってしまったらしく、事あるごとに
「高校につけていったら盗まれるかもしれないからつけるのはやめなさい」
「高校生にはもったいない、お母さんがつけてあげようか?」←マジで何?
という感じで、隙あらば使おうとしてきた
怖いので逆に毎日つけて登校してた
そしてメルカリでseikoの時計を買い漁り、日替わりでつけるようになった
いいでしょ〜とかなり自慢されたが、別にそう興味なかったので反応するのが大変だった
次が成人の際、振袖を借りなかった(家にあるのを着た)のでお金が浮いたからということで、成人祝いにダイヤのネックレスをもらった
そしたらまた母親のスイッチが入って、なんか高いのを買っていた
いつも私のと並べて「ほら!輝きが全然違う!」と言っていた
2回目くらいまでは本当に値段が違うと全然違うんだなあと感心したものの、3回目以降は完全に飽きていたので、反応に困った
自分でニューバランスのスニーカーを買って愛用していたら母親が大量にニューバランスを買っては自慢してきたり、ライダースジャケットを買ったらいろんな素材のライダースを取り揃え出したりしていた
実家を出てからは、なるべく新しく買ったものは母親の視界に入らないようにしている
うっかり新しく買ったバッグを使っていたら似たようなバッグを欲しがって面倒だった
親戚の助けは多分にあったとはいえ、女手一つで育ててもらって感謝しているけどあんまり会いたくない
まあ実際なるべく避けてて会ってないんだけど
なんか結婚とかすることになったら超めんどくさそうで紹介したくないなあ…
3食弁当付きの家族で手洗い5分を主張している書き込みを見かけたならそれこそ見せてもらいたい。
5分で終わるってのは一人暮らしで1日数枚の皿しか出ない場合の話。
一人用の食洗機は時間はかかる上にフライパンやボウルやまな板なんかは入らない。つまり手洗いは無くせない。
大物が洗えないなら1日に短縮できるのはせいぜい5分なので、それなら要らんということ。
何年も前に、アンビリバボーかなんかで、「男性の体に違和感を覚え、性転換をした女性」の話を見たのをずっと覚えてる。今みたいにLGBTが流行り出して一般的にも知られるようなる、それよりも前のこと。
まだ幼稚園くらいの少年が、男性器に強い違和感を覚えて、風呂場で爪切りで切り取ろうとしたのを親が発見したみたいな話だった。すごく衝撃を受けた。子のそんな姿を目撃してしまったら、親はそれが気の迷いや趣好ではないと認めざるを得ないと思う。
近年、トランスジェンダーが話題に上がるようになって、「心の性は存在しない」「その性としての規範を押し付けられる苦痛から逃げたいだけ」「ただの性癖」みたいな意見をよく耳にするようになった。
確かに、「性自認というのは生まれつきの体で生きることによって形成される後天的なもの」と聞くと、そんな感じもしてくる。でも、そういう意見を聞く度、いつかテレビで見た少年のことが思い浮かぶのだ。
未就学児の、まだアイデンティティも確立しきらない年齢で、他人からの扱われ方などではなく「自身の身体」に強烈な違和感を持った少年は、なんだったんだろう。
調べてみたところ、心の性は生物学的にも存在する可能性があるらしい。正確に言えば、脳にも男性らしい形、女性らしい形があり、ホルモンや遺伝子の関係で身体は女性なのに脳は男性、と言ったチグハグが生じてしまった際に、性自認と実際の体にギャップを感じるという仕組み。(明確に判明しているわけではなく、可能性があるくらいなのは分かっていてほしい)
そういう人が本物のトランスジェンダーなのでは、と思ってしまう。
ただ、今の世の中では、環境によって後天的に得た「性自認もどき」でトランスジェンダーを自認し、女子トイレに入りたいだとか、女性として競技に出たいだとか無茶言っている人が多いのも事実だと思う。
そういう人を非難するために、「トランスジェンダーなんて存在しない」みたいな論調が拡散されるのを目にすると、本物のトランスジェンダーが可哀想だ、という気持ちになってしまう。これはこれで一種の差別な気もするが。
今Twitterで話題になってるノンバイナリーに対する非難とか、すごい気分悪い。当事者の声を無視して、女性として嫌な気持ちになったことがあるだけの人たちが、「女性として差別されるのが嫌だから女性から逃げた」とか言ってるの吐き気。分かんないなら黙ってればいいのに。
小さくまとまってはいるものの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。
ここで一句。
春すぎて 池田エライザ 乳でっか
※作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。
大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優にオダギリジョーに引き取られた陰キャの池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女は出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。
「自分を受け入れること」という普遍的でポジティブなメッセージに溢れていてよかった。
エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人を拒否して人とうまく話せない。しかし事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしか話さないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。
自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープをレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレで承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。
その中で唯一ポジティブなド陰キャの伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。
母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたことから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件の解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかしエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!
( ;∀;) イイハナシダナー
地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープをエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏しちゃう展開はあるんだけどこれは他人を拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬。
刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニの服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件の解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い。
後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまったことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。
あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。
昔あった動物系四コマとかSNSの動物エッセイ漫画好きだけど個人的に絵柄に思うこと
絵がリアルすぎ→一部を除いて大抵は写真の方が可愛い。漫画じゃなくて写真でそのシーンを見せて欲しい
絵がデフォルメキツすぎ→アニメハム太郎〜プリキュアの妖精くらいデフォルメきついと事前知識なしにその動物として認識できないし、動物よりも作者自身の分身を押し付けられている気分になる
程よくリアル、シンプルなデフォルメ→大人も使える感じの雑貨〜原作初期のハム太郎くらいのデフォルメだと現実の動物と同じくらい愛おしい。
全体的に男が悪いという空気が強化され、壬氏も自身の加害性・有害性を猫猫によってハッと自覚させられ内省して、男の観客達に自分たちの有害性の反省を促すような内容になりそう。
望月新一は初の糖質状態ですごいことをやり遂げた人なのかもしれない。(岡潔がなったのは後では?)
糖質になるとなんでもできる気分になる。気分だけ。だから四つ足で走る方が合理的とか言って全くの素人だったのに短距離の記録を塗り替えるとか本気で思ってその走りを始める珍行動をしたりとかさ。
令和の虎に出てたナマズの脳と量子コンピュータをつなげて作曲するとか言ってた人も結局殺人未遂。そりゃそうだ彼の5ch書き込み見ても浅い知識をくっつけたポエムだったんだから。
で、望月はどうか。
ショルツ氏は彼の証明は系3.いくつだか忘れたがとにかく具体的な箇所を指摘してそこから過程がすっとばされてると言っている。
これはどうにも怪しい言動だろう。
確かに数学は初学者や中級者でも行間が見えない証明ってものがあるけれど、分かる人には行間が正確に補えるものになっているから、いわゆる訂正可能性みたいなものが保証されているから問題ない、数学的主張しての効力を認められているといる。
それが同じ専門の大家同士なのに本人以外は行間cが補えないっていうのはどうなのか。
また学部生でもわかることと言ってるが学部生では太刀打ちできない理論であることは望月自身が自分が取った弟子に対して認めていたことらしいのでここに主張の無理筋さが感じられる。ショルツでもわからないことが学部生にわかるだろうか?
自分が見た数学の作法本には数学の証明とは誰が見てもちゃんと読めば同じ結論が成り立つことが一部のごまかしもなくはっきり分かる主張ということであるということが書いてあった。
相手の認知リソースに依存しきりの望月の反論はもはや証明の精神に明確に反すると言えるのではないか。
つまり望月が証明として見てくれと言うものは正真正銘本人を除き誰も行間を補えないレベルの飛躍が起こっているとして、さすがに本人しか証明として解読できない表現を証明とするのは無理があるのではないかということだ。万人が理解できるのが理想とされるのが証明であるのに、この世でたった一人しか理解できないものになっているのだから。
それでも過去の業績は疑いようなく優れたものらしい人なわけだから今回も望月の頭の中ではすっ飛ばされた過程について省略せずに書いたらどうなるかということがはっきり頭の中にあるのかもしれない。令和の虎の人は東大には行ってたらしくそれも普通の人から見れば素晴らしいわけだから、この過去が素晴らしいなら糖質になったとしてもその成果は素晴らしいはずだという考えをどこまで適用できるかという程度問題なところがある。
でも望月の今までの業績に比べたら東大合格なんて鼻くそレベルなのも確かだろう。
頭の中に省略部分があるならフェルマーごっこをやってないできちんとその行間も提示すればいいのに、しないのでは、糖質ゆえの法螺吹きごまかしと受け取られても仕方がないと思う。明確に証明の作法に反しているのだから。
でもやっぱり彼の頭にはいまだ公開していない完全形の証明があるかもしれないと考えてしまえるほどには今までの天才ぶりに関する信用貯金が残ってるのがなんとももどかしいところ。
dorawiiより
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オウムだけじゃなくて、他のカルトだって、社会で困った人たちがたどり着いた場所、ってのはあると思うんだ…😟
そもそも、オウムとかカルト側から見た、こちら側の社会だって、ある意味カルト宗教だよ
俺たちは自分たちが一応正しいと思ってる
もちろん、社会には問題が多々あり、それを敢えて見過ごしたりして生きてる
それを見過ごせないよね、と福祉とか環境保護団体とか、そういう人たちが出てくるし、
まあでも、正義をぶつけ合ってるとも言える
愛人100人の松本智津夫がどうかはともかく、社会は間違っている、粛清しなければならない、
そう思っている人たちがカルトの中にいて、そう言ってる彼らも社会に対して私怨を抱いてたりするわけだけど、
例えば、就職氷河期世代が集まってテロとかカルト宗教やったってありだと思うんだよ…😟
俺たちを見捨てた日本社会に復讐してやるんだ、そういう主張もありだと思う
彼は、俺は正義のためにやった、とか、日本のためにやった、みたいな主張、あんまりしてないでしょ?
山上は明らかに母親を恨んでいるけど、母を殺して終わり、という方向には行けなかった
そもそも、安倍晋三暗殺するまで、それだけを考えてたかというとそうではなくて、
本人が自殺しようともしてるし、山上自身、ネトウヨ気質があって安倍晋三を推してる側だったし、
宅建だか簿記だか、劣悪な労働環境と貧乏な生活をしながら取得してる
ここまで頑張るのは、少なくとも、とても俺にはできない…😟
山上の主張は一貫してて、俺の家庭を滅茶苦茶にしやがって、ということでしかないんだよ…😟
良くも悪くも、例えば、自分の娘がヤンキーに集団レイプされて殺されたとして、
殺人はいけないけど、父親が殺人に至った理由は理解できるし、私はそういう話を聴いてて、やはり泣いてしまうわけで…😟
殺人は許されないけど、理由は嫌なほど分かるんで、もう許してやれよ、としか私には思えない
一方で、例えばオウムは、社会は間違っている、とか言っておきながら、
松本智津夫も、その部下も、みんな共通してる、社会を恨んでるんだよ、
その理由にはもっともなものもあるけど、逆恨みみたいなのが強くて、
要は、社会が俺を認めない、社会が俺を受け入れない、だったら社会を壊せばいい、
という発想でサリンとか銃製造をしてたわけだから、これは違うだろ…😟
だからって、俺も社会を恨んでる、みんなで社会をぶち壊そう、みたいな人たちには同調できない、
侵攻を始めたのはロシアで、他の誰がどう思ったかは関係なくロシアがそう思ったから侵攻したんだ
他人の行動を法と倫理で否定すること自体が間違っているとは言わないよ、実際に違法で非倫理的な行動だしね
でもロシアがなぜそのような行動をしたのかどう考えたかはまた別の話なんだ
| 1991年 | ソ連崩壊に伴いウクライナ独立。すぐにNATOの「北大西洋協力評議会(NACC)」に参加し、対話を開始。 | エリツィン政権は当初は西側との関係改善を重視し、将来的なロシア自身のNATO加入に言及するような発言もあったが、NATO拡大そのものには国内で反発も生じ始める。 |
| 1994年 | 「パートナーシップ・フォー・ピース(PfP)」に参加し、NATOと本格的な協力枠組みに入る。 | 同年、ロシアもPfPに参加し、表向きは協力・対話路線。ただしNATO東方拡大には政界・世論から懸念が繰り返し表明される。 |
| 1994年 | ブダペスト覚書:核兵器を放棄する代わりに、ロシア・米・英からウクライナの主権と領土保全の「安全保障に関する確約」を得る。 | ロシアは覚書の署名国となり、ウクライナの国境尊重を約束。ただし後に2014年クリミア併合でこの約束を事実上破ることになる。 |
| 1997年 | NATOと「NATO・ウクライナ間の特別なパートナーシップに関する憲章(マドリード憲章)」を締結。NATO–ウクライナ委員会が設置され、関係が制度化。 | 同年、NATO–ロシア基本文書も署名。エリツィンは後に、この文書受け入れはNATO拡大が止まらない中での「やむを得ない一歩」だったと回想しており、拡大そのものには強い不満を抱いていた。 |
| 2000年 | プーチン大統領就任 | |
| 2002年頃 | クチマ政権下で、ウクライナ政府が正式に「NATO加盟を目指す」方針を打ち出す。NATO–ウクライナ委員会での協議も活発化。 | プーチン政権初期は、西側と協力しつつもNATO拡大を脅威とみなす姿勢を強める。ウクライナの加盟志向には一貫して否定的。 |
| 2004–05年 | 「オレンジ革命」で親欧米派のユシチェンコが大統領に就任。NATO加盟志向が明確化し、NATOは「加盟行動計画(MAP)」を巡る議論を開始 | プーチンはオレンジ革命を西側による「カラー革命」と見なし、ロシアの勢力圏への干渉と強く非難。ウクライナのNATO加盟志向をロシア安全保障への脅威として語り始める。 |
| 2008年2月 | 当時の駐ロ米大使バーンズが、ラブロフ外相らとの会談を踏まえて、ロシアのNATO拡大に関する“redlines”を整理し、特にウクライナ・グルジアの加盟に強い反対を示していたと報告 | |
| 2008年4月 | ブカレストNATO首脳会議。NATOは「ウクライナとグルジアは将来NATO加盟国になる」と明記するが、ドイツ・フランスの慎重論でMAP付与は先送り。 | プーチンは会議に出席し、「ウクライナは真の国家ではない」「領土の多くは歴史的にロシアのもの」などと発言し、ウクライナのNATO加盟はロシアにとって重大な脅威だと警告。MAPが見送られたことには一定の安堵を示す |
| 2010年 | ヤヌコビッチ政権が「非同盟法」を成立させ、NATO加盟を目指す条項を削除し「非同盟(どの軍事ブロックにも入らない)」を国家方針にする。 | これはロシアとの関係改善を狙ったもので、モスクワは概ね歓迎。NATO拡大を止める「成果」として受け止められる。 |
| 2013–14年 | ヤヌコビッチのEU協定破棄をきっかけにユーロマイダン革命が発生し、政権崩壊。直後にロシアがクリミアを軍事占領し、住民投票を経て一方的に併合。これが現在まで続く露ウ戦争の起点となる。 | ロシアは自国民保護や「NATOの脅威」を口実に併合を正当化。一方で欧米とウクライナはこれを明白な侵略とみなし、ロシアがブダペスト覚書を踏みにじったと批判 |
あるお店の中の一角で「ほっと一息つきたい人やおしゃべりしたい人はどなたでも来てくださいね」といった趣旨の心地いい場が開かれてた。
お店の人が気さくでいい感じの中年女性なのでその人とおしゃべりしたい(特に女性の)参加者が年齢問わずけっこういた。
しかしいつからかそこに40代と60代の弱者男性2人が常連になってしまった。
彼らはソーシャルとコミュニケーションのスキルがあまりにも低く見た目もみすぼらしい格好だった。
というかその話をとにかくしたくてたまらないようだった。
みんなで話してる内容と全然関係ない自分の話をぶっこんでくる。
みんなで話してる話について何か言うかと思ったら「俺はそういうのあんま好きじゃないんだよね」とか言ってしまう。
そのせいで徐々に参加者が減りついには店主とその2人だけになってしまったらしい。
ハッキリとした理由は出さずに店主さんは諸事情がありと会をやめられた。
各国で利下げしているなかで日本だけ利上げを前提に動くのは実体経済無視でおかしい
今利上げしろはバカの理論、緊縮は日本の経済をいつも殺してきた
輸入物価インフレで生活がきつかったら減税すればいいだけ、利上げをしたいブクマカはあほ
日銀自身が出したレポートで利上げする必要ねえだろって突っ込まれて当然
投機筋の円ショートポジションは解消されているから利上げしても円高にならない実需の円安だから
利上げよりインフレの方が100倍マシ
日本が輸入大国と宣ってる人は中学受験生に世界の輸入依存度ランキング聞いてみよう。他コメもモノを考えてるフリをやめて「利上げで職を失う人には悪いけど円高が好き」とか「俺は安倍が嫌い」とだけ言えばいいよ。 小卒ブクマカの群れ
全くもってその通りです。利上げとは「景気を悪くするために行う」政策なので、総需要不足(不景気)の日本がやるのはただの自爆テロ
為替にひっぱられた金利政策は国際金融政策の独立性を損なうのでアホ
これはホントそう。大前提として金利は景気の加熱を調整するものであって、為替を調整するものではないということ。そして金利を上げるのは景気が良い時でなければならない。
この真っ当な意見を言えない他の総裁候補が情け無い。高市以外まともな経済政策が取れないのでは
いつも以上に経済理論分かっていないコメント多い、背伸びしてる? 大前提として現在需給ギャップは前回の消費税増税以降一貫してマイナスだよ
現状のインフレ率だと所得上昇が足りないことの方がインフレ自体より問題で、利上げすれば所得上昇が大幅減少するのは目に見えている
タレント後藤真希(38)の弟でアイドルグループ「EE JUMP」元メンバーで、8月に千葉県八街市議選で初当選した後藤祐樹氏(37)が、3日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。3人組人気ユーチューバーグループ「ヘラヘラ三銃士」まりなの結婚報告を巡る“炎上”について「字のきれいさより大切なものがある」と私見を述べた。まりなは今年8月に一般男性との結婚を発表。SNSに直筆メッセージを投稿して報告していたが、ネット上では「字が汚い」「文の曲がりや雑さが目立つ様になっていますね」「丁寧に書こうって気が全くなさそう」と“炎上”状態に。本人は動画の中で「字だけでもう“イっちゃってんじゃないか?”って言われてるんだからさ」と苦笑していた。
この“炎上”を受け、後藤氏は「こんなんでも叩く人がいるのかと思うと」と書き出し、歌手のGACKTの「否定してる人間はよほど字が上手いんだろうな」という投稿に共感し「本当にGACKTさんの言う通りで よほど綺麗に書ける人多いのか」と指摘。 続けて「字が汚いことによって読む側は少なからず時間を費やすかもしれないけど、今の時代には減ってきた直筆の方が字の綺麗さなんかよりよほど大切なんじゃないかな」と、直筆で報告したことに意味があるとし、「そもそも字を書くのが得意な人もいればそうじゃない人もいるわけで、私がファンならあの結婚報告見たら微笑ましいけどな」とつづった。
まず先に書くと、俺自身も基本一人で遊ぶタイプの人間で40代後半だから、元記事の男性と似たような感じではある。
ただ、違う点としては俺個人は孤独死するつもりでいることぐらい。
この年までずっと一人で生きてきた人間に共通する問題は「他人とコミュニケーション取るにはリハビリが必要」って事だ。
ずっと寝たきりだった人が動き回る為にリハビリが必要なのと同じ事。
一人で居た期間が長ければ長いほどリハビリも大変になる。
じゃあそれをいきなりパートナー候補の人とやるの?って考えるとそんなの無理って分かるはず。
記事のブコメに付いてた「まずは同性の友達を探せなんて、異性を求めてる人に言うのは間違ってる」みたいなのは、その辺を誤解してる。
人生のほとんどを一人で生きてきた人にいきなりパートナー候補の異性を探させるのは、寝たきりの人にいきなり100m走させようとしてるようなもんなんだよ。
どこにも一人で遊びにいくってことは、普通とか少し関係性薄いぐらいの友達すらいないんだよ。
パートナーより、そう言う友達を作る方が当然ハードル低いんだから、まずはそこからリハビリとして始めないと、パートナー探すのなんか無理だよ。
そのリハビリが面倒で辛いんだよ。
でもその辛さを乗り越えないとパートナーがもし見つかったとしても、共に生きていくことなんかできないよ。
一人で遊ぶのってスゲェ楽なのよ。
正規雇用だろうが非正規だろうがこの年まで一人でいると普通の子供いる家庭の親よりは自由に金使えるし、ふと思い立った時に思い立ったことをやれる。
そういう自由に慣れきってる人が、「誰かと一緒に遊ぶ」って結構大変だよ。
俺はプライベートでまで人に気を使いたくないから一人でいることに慣れやすかったけど、誰かと一緒に生きたいと言う思いが消えないから、リハビリ頑張るしかない。
だからまず友達を作る、それなりに友達と遊べるようになったらパートナーを探す、というのが普通のルートじゃないかな?
友達を探すのも、異性よりは同性の方が気にすることが少ないだろうからリハビリには適してるけど、別に異性でもいい。
リハビリに付き合ってくれた異性の友達がそのままパートナーになるかもしれない。
けど、この歳になるとその「一緒に遊ぶ友達」を探すのが難しいんだよな。
同世代は非婚化が進んだ今でもそれなりに結婚してて子供がいる場合も多いからおいそれと遊びにも行けない。
だから、あまり多くない独身の同世代を探すか、子育てが終わった少し年上の世代を探すか、パートナーになる可能性ほぼないのを理解した上で友達と割り切って若い世代を探すか。