はてなキーワード: なうとは
でも、日本は歴史的経緯(満州事変、華北分離工作、汪兆銘政権)からも、日中共同声明の趣旨からも、中国と台湾の分離を積極的に推進するかのようなことは言いにくい。
あと、台湾有事で日本が巻き込まれて戦争になると、直接被害を受ける多数の国民にとって人権侵害になるし、日本政府が全体主義に寄っていくことになる恐れがあるので、台湾有事を誘発するようなうかつな発言には批判せざるを得ない。
ロト三部作が全部出たので
全体的に良い作品だしFCからは考えられないくらいボリュームもあったし、レベルデザインもかなり良かった
ただしこれは悪口しか書いてません。もし今後もHD2DDQが続くなら本当に改善してほしいね
超絶技というシステム自体は良かったと思うが、問題はそれが分かりづらいこと
発動条件もHP50%以下以外隠されてるし戦闘中も存在すら忘れる
そもそもどの技が何に派生するか分からず、使ってみた結果補助系は全く違う技になるのがほとんど
しかも消費MPが分からず、いざ使ったらMPが足りないと言われて不発に終わることもしばしば
システム自体は悪くないだけに、使い勝手の悪さがとことん足を引っ張っていて良くないふざけている
それと戦闘中でも技発動直前にYで超絶技に変えられるのだが、これをゲーム内で説明してる場所って無かったよね?
いい加減ダッシュ速度が普通の移動スピードであることに気付け、最低でもあれの1.5倍の速度は欲しいというか2倍にしろ
あとボタン余ってるんだから、ZLやZRでもダッシュできるようにしろ
なんでBだけなんだいつまでBダッシュやってるんだもうFCは40年前だぞ
メニュー閉じるときに何回B押してダッシュ切り替え誤爆をしたか
船の速度も遅いまま、本当にどうかしてる
ぶっちゃけ個人的には本作のルカニスカラの仕様は構わないと思う
攻撃力不足なのに、ルカニで守備力下げればごり押せるほうがおかしい
ルカニで守備力0になるなら、敵の守備力を設定する意味がほぼなくなるし
スカラが4段階か6段階かでダメージが倍違うのに、それが一切分からない
気付けば1段階まで下がってる始末だし、アイコン共存も理解不能
流石にIII初期版はあり得ないくらい弱かったが、修正版以降は十分強い
検証していたところIIIやIよりもIIのほうが物理が強くなっており、ローレシア王子の壊れ火力はそこの影響も大きい
やられる前にやれというスタンスだと思われる(他のHD2D作品と似たものを感じる)
個人的にこのスタンス自体は悪くないとは思うが、せめてXIくらいの塩梅にしてほしい
というかドラクエのもとの計算式(攻撃/2-防御/4)は非常に優れているので、計算式をこれに戻してくれ
IIIはほぼすべてのボスで、状態異常ターン数が減るという設定がなされていた。これは意味が分からない
本作ではごく少数なうえ、逆に効果が長引く敵も多く登場している。全体的には悪くない調整だと思う
ただ攻略本の表記と異なる敵が見受けられるので、ちょっと怪しい(眠りで効果が長いと書かれているのに、1ターンで解ける敵がいる)
特にこれはIIの話だが後列狙いのボスが多すぎる。半数近いボスが後列狙い
加えて回避率が高いボスが多すぎる。3割くらいのボスが回避率高めに設定してある
多段ヒットの特技が多いDQ11ならいざしらず、基本的に1回か2回攻撃しかない本作でやるべきではないゴミ調整
正直回避率さえなければ良ボスと言えるボスが多いだけに、こればかりは本当に残念でならない
例えば運の良さ100で10%軽減みたいな絶対評価なら分かるんですよ
でも各キャラごとにレベルごとに基準値があって、同じ運の良さ100でもレベル1なら強いけどレベル99なら弱いことになっている
レベル1で運の良さ100なら状態異常耐性もばっちりで与ダメージも増える、でもレベル99の場合だと状態異常耐性はからっきしないし与ダメージも減る
あまつさえ攻撃役になるキャラはその基準値が高めに設定されている(特に各主人公)ので、意図して運を上げなければ状態異常にもなりやすい
もういい年なんだから遊ぶのはやめなさい
本作は良い感じの量だと思う。これの回収だけで攻略は厳しいので適宜買い物も必要といった感じ
これが一番最悪かもしれない
今までのドラクエはランダム成長でも基準値が存在し、最低保証のステータスが存在していた
だが本作にはそれがなく、レベルアップのたびに最低の成長を引き続けるとトンデモステータスが生まれることがある
一番分かりやすいのがサマルトリアの王女加入で、彼女はレベル20で加入してくる
この時初期ステータスは決まっておらず、20レベル分のステータス上昇を一気にこの時点で行うのでステータスが大きくぶれる
攻略本には初期体力が69~85とあるが、この時点で初期HPは138~170までぶれる
しかもこれはあくまで目安と攻略本にも表記されており、実際には初期HP120未満から200超まで出てくる始末である
各国で利下げしているなかで日本だけ利上げを前提に動くのは実体経済無視でおかしい
今利上げしろはバカの理論、緊縮は日本の経済をいつも殺してきた
輸入物価インフレで生活がきつかったら減税すればいいだけ、利上げをしたいブクマカはあほ
日銀自身が出したレポートで利上げする必要ねえだろって突っ込まれて当然
投機筋の円ショートポジションは解消されているから利上げしても円高にならない実需の円安だから
利上げよりインフレの方が100倍マシ
日本が輸入大国と宣ってる人は中学受験生に世界の輸入依存度ランキング聞いてみよう。他コメもモノを考えてるフリをやめて「利上げで職を失う人には悪いけど円高が好き」とか「俺は安倍が嫌い」とだけ言えばいいよ。 小卒ブクマカの群れ
全くもってその通りです。利上げとは「景気を悪くするために行う」政策なので、総需要不足(不景気)の日本がやるのはただの自爆テロ
為替にひっぱられた金利政策は国際金融政策の独立性を損なうのでアホ
これはホントそう。大前提として金利は景気の加熱を調整するものであって、為替を調整するものではないということ。そして金利を上げるのは景気が良い時でなければならない。
この真っ当な意見を言えない他の総裁候補が情け無い。高市以外まともな経済政策が取れないのでは
いつも以上に経済理論分かっていないコメント多い、背伸びしてる? 大前提として現在需給ギャップは前回の消費税増税以降一貫してマイナスだよ
現状のインフレ率だと所得上昇が足りないことの方がインフレ自体より問題で、利上げすれば所得上昇が大幅減少するのは目に見えている
55くらいから膝の曲げ伸ばしがつらくなった
痛い
ジムの同年代と会話してて思うのは人体の機能は40過ぎから色々と耐用年数が迫ってくるという感覚
いかにしてセカンドドライバーをフェルスタッペンの僚友として正しく機能させるか?
ということだと思う。
なぜレッドブルのセカンドドライバーは、ああなってしまうのかは正確には理解できない。
一切の間違いなくパソコンをオペレーションするようなものを想像して欲しい、
というような例えをしていた。
これが正しいのかどうかはわからない。
彼はずいぶんと前に、現行のレギュレーションとは違うマシンに乗っていたときの経験を語ったものだからだ。
なんにしろ、原因はわからないにせよ、レッドブルのセカンドドライバーは、
無様としか言いようがないパフォーマンスしか発揮することが出来ない。
というのは大きな課題だ。
今日のレースでも、虎の子の新型フロアを他チームのミスにより潰されてしまったため大きなハンディを抱いていたという理由があるにせよ、
角田をフェルスタッペンのサポートして機能させることは出来ていなかった。
わずか2ポイントの差でフェルスタッペンはチャンピオンを逃してしまった。
もしも、これが正しく角田も機能させる事ができるチーム作り、マシンづくりが出来ていたとしたら?
現在のマックス・フェルスタッペンが魅せる魔法のような活躍のパフォーマンスは若干弱まる可能性はある。
かつて空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがそのマシンの設計において
あまりにも空力性能を追求しすぎた結果として
ドライバーのドライバリティを損なうようなマシンに仕上げてしまい
そういう失敗の経験を活かし、ニューウェイは空力だけを追求するマシンづくりではなく
それに似ていると思う。
レッドブルが勝てるのはフェルスタッペンファーストのチームを作り
フェルスタッペンの神通力とも言える脅威のドライビング能力によるものだが
あまりにもそれが極端にすぎると
結果として
何も出来なくなってしまった。
もしも、レッドブルにもノリスとピアストリを牽制できるセカンドドライバーがいたのなら?
結果は変わっていたかもしれない。
あきらかに、レッドブルというチームの大きな欠点であるに過ぎない。
誰がやっても、同じなのだ。
そして、そのことをドライバーの才能という問題だけに押し込めていることがレッドブルの最大の問題なのだ。
来年は新レギュレーションとして全くこれまでとは違うマシンが登場する。
そして、そのマシンはおそらくは、ニュートラルな性格をもったマシンとしてまずは始まるだろう。
これは現行のレギュレーションに変更された2022年でも同じであった。
乗りやすく、そして他チームに対して圧倒的なアドバンテージを誇ったマシンはペレスも勝利を上げ、フェルスタッペンのライバルとなる勢いすらあった。
ただシーズンを重ねる毎に、そのマシンはフェルスタッペン向けへと調整されていく。
やがてはペレスが扱いかねるものとなり、最終的にはドライバー、スポーツ選手として大切な要素の一つ「自信」というものを完膚なきまでに破壊してしまう。
この負のリピートをどうやって終わらせることが出来るのか?
あるいは、これはフェルスタッペンが考えるべき仕事なのかもしれない。
彼は負けて悔しかっただろう。
あからさまには態度には表してはいなかったが、チャンピオンになれなかったことに失望したはずだ。
では、どうすればワールドチャンピオンをもっと引き寄せることが出来るのか?
それとも4度のワールドチャンピオンとして僚友すらもときに育て、ときに牽制し、従わせる。
そのような大きな仕事を総合的に出来るように存在となるべきなのかもしれない。
ルイス・ハミルトンは、おそらく全力を尽くせばボッタスを完封することが出来ただろう。
しかし、彼はそのようなことはしなかった。
最終的にワールドチャンピオンになればいいという計算でときにボッタスに花を持たせたりしていた。
もちろん来年以降のレッドブルにそこまでの余裕があるわけもないが、
そのやり方の視点のようなものはフェルスタッペンも見習うべきものがあるはずだ。
そして、おそらくは彼もそのことに気づいている。
なぜ今年勝てなかったのか?
そのことを彼は徹底的に考えて
そして正しい結論を得るだろう。
知らんけど。
わかりました。では「日本でインド系(南アジア系)として生まれた場合」に想定される生活体験や社会体験を整理します。黒人や白人と比べながら具体的に見ます。
インド系・南アジア系は、日本では肌の色がやや濃く、顔立ちも日本人とは明らかに異なるため「外国人」として見られやすい。
差別や偏見の度合いは黒人よりはやや軽い場合が多いですが、白人ほど優遇されることは少ない。
「頭が良い」「ITや理系に強い」というポジティブなステレオタイプを持たれることもある一方で、「少し怖い」「怖そう」と思われるネガティブステレオタイプも存在する。
小中学校
日本人の同級生からは「外国人扱い」されやすく、からかいや言葉の暴力を受けることはありうる。
肌が黒めでなければ、黒人ほどの激しい暴力や排除は少ないことが多い。
学習面では「賢そう」というポジティブな偏見で評価されることもある。
アカデミックな場面で評価されやすい傾向があり、進学指導や教師からの期待は白人や黒人に比べて比較的中立〜好意的。
部活動や趣味の場では、日本人と同様に友人関係を築けることも多い。
IT・理系・金融などの専門職では、インド系出身者が多く、職場での受け入れられやすさは比較的高い。
一方で営業・接客・アナウンサー・メディアなど「顔や印象を重視する職業」では、白人ハーフほど優遇されることは少なく、肌の色や顔立ちで警戒されることもある。
日常生活では、肌の色やインド系の外見で注目されることはあるが、黒人ほど強い偏見や嫌悪を受けることは少ない。
4. 日常生活
街中で外国人として目立つことはある。特に地方では珍しさから注目されやすい。
スーパーや公共機関で無視されたり、声をかけられなかったりすることは稀だがゼロではない。
外食店や賃貸などで「外国人だから断られる」という経験は黒人よりは少ないが、報告されることはある。
5. 心理的側面
黒人に比べると自己肯定感を大きく損なうような差別体験は少ないことが多い。
一方で「外国人扱い」される経験は積み重なると心理的ストレスになる可能性がある。
まとめ
ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。
衆議院解散直前に地盤ガチガチの大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10年秘書を務める窪田正孝は政治の世界も世間も知らない素人娘のサポートにてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……
というお話。
個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。
作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。
政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。
政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。
政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないから政治のこともわからない。
は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。
いちおうネイルサロンで従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的な炎上政治家リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分が所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。
それくらい宮沢りえは過去のバカ政治家炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?と逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話。
ただ宮沢りえが自体はバカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治の世界の波にもまれてワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。
例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国旗アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年に参政党の神谷が街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう、2022年の映画なのに。
また、途中で目的が変わって意図的に炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営の街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年の補選でつばさの党がやって大問題になったことと類似する。
気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプの作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。
地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治の世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえは世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通の感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ、宮沢りえが政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。
そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。
また非常にシニカルにかつ現実的に政治の世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。
後半の展開としては父親の政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書が尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親の意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自の利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治の世界に嫌気がさした宮沢は落選することを決意する。
また窪田も病院で自分の生き方を振り返っていた宮沢の父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分の幸せを押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分に気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。
ここから政治スキャンダルの証拠を暴露したり、さらに自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。
このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人の意思など問題にならないのだ。
そして最終的に宮沢は当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率低いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員は当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。
特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。
特によかったのは宮沢が選挙の裏側の汚さをマスコミに暴露すると騒ぐシーン。
宮沢に対して「たぶんメディアは相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去のあなたのスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。
こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。
宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言で宮沢ともめた後に事務所の屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治の世界もおかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治のうねりの中にいる人物として言外にシステムの冷徹さを示し、宮沢をビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分も飛び降りるシーン。
最後に自分も飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人にやらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。
全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間の常識は永田町の非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ。
毒リンゴを混ぜる行為は、信頼できる情報源(リンゴ農家)が提供するすべてのリンゴを、購入者(探求者)が疑うように仕向ける行為です。購入者は、特定のリンゴが毒入りだと知ること(特定のウソを信じること)よりも、「どのリンゴも信用できない」と言う印象を持つこと(情報リソースの有用性が低下すること)によって、結果としてリンゴの購入(探求)を断念します。
ディスインフオメーションは、探究を行う主体Aにとって利用可能なコンテンツの価値を、ディスインフォマントDの介入がなかったときよりも低下させるために使用されるコンテンツである、と特徴づけられます。
「本物のリンゴの中に毒リンゴを混ぜる」という比喩は、Dが採用する以下の戦略と強く関連しています。
D(白雪姫でいうと魔女)が毒リンゴ(Xの属性Pに関する噂、または偽造されたコンテンツ)を混ぜることで達成したいのは、探究を行なっている聴衆が証拠に注意を払い、それを処理するのを思いとどまらせることです。
Dは、本物の情報源に対する信頼全体を低下させるために、偽のコンテンツを意図的に導入します。
・この種の偽造品は、「転覆目的の偽造品」とも呼ばれ、本物との区別が難しく、本物も偽物も無価値であるという印象を聴衆に与える意図を持ちます。これは、良質なリンゴと見分けがつかない毒リンゴを混ぜることで、市場全体のリンゴの価値を下げる行為に相当します。
毒リンゴを混ぜる行為は、情報チャンネルにノイズを加えて、信号(本物のリンゴ)を見つけるコストを高くする戦術とも関連しています。
・Dは、利用可能な情報にノイズを加えることで、聴衆にとって信号を探すのが費用がかかりすぎると思わせるインセンティブを持ちます。
・「ゾーンを氾濫させる」などの戦術は、圧倒的な量の情報、ウソ、注意を逸らすためのコンテンツを提供し、聴衆の認識能力を圧倒します。
・この結果、報道機関とその聴衆は「麻痺し、混乱し、偏見、偽り、事実の海の中で何が現実であるかを見分けようと奮闘する」状態に陥ります。これは、リンゴの山にゴミを大量に投げ込むことで、まだ食べられるリンゴ(信号)を見つける作業を非現実的に困難にする行為に似ています。
誰かXの属性Pに関する噂(毒リンゴ)を流すことは、その特定の噂が真実であるか虚偽であるかに関わらず、聴衆が証拠を収集・処理し、それに基づいて最適な選択を行う(合理的選択)能力を低下させるという点で、disinformationの重要な機能(情報価値の低下)を果たしていると言えます。
主人公の目の前には、看護婦さんとか、ピエロとか、様々な職業の人たちが大勢いて、みんなうなだれてて…😟
理由を聞くと、みんな気が付いたら、この巨大な壁に囲まれた世界にいたんだけど、
壁はツルツルしてるし、異常に高いし、越えられない、みんなここからの脱出を諦めてるみたいな話で、
で、主人公は全員を集めて、集団で肩車してみたり、色々案を考えて、オチで壁を越えられそうになるんだけど、
そこで場面が切り替わって、クリスマスだったか、子供がバケツを持ってて、
カメラがバケツの中を見ると、そこには看護婦とかピエロとか主人公の形をした人形が入ってて…😟
トワイライトゾーンだった気がする…😟
片方を男性に、片方をりりちゃんのままで会話させてみたんだけどさ。
・お互い絶対に自分の夢に金を出させたいが相手の夢には金を出したくない
このつばぜり合いがすごすぎて笑いが止まらん
B「私には何もできないけど私にできることはしてあげたい!」
A「その言葉めちゃくちゃ嬉しい。でもお金が厳しくて夢がかなわないかも」
B「Aさんの夢がかなわないなんて嫌だ!Aさんの夢は私の夢だよ、応援したい!私には何もできないけど!」
A「その言葉だけで十分だよ。僕も君との夢を叶えたい……でももうダメかもしれない」
B「もうダメなんて言わないで!私なんだってしたいよ。お金はないけど……」
金出したくなさすぎるのが表に出すぎてるだろ
草草の草なんだ
最終的にBが「こいつ金出す気ないな」と判断して
「じゃあ夢のために集中する時間が必要だよね!夢がかなうまで連絡は控えるようにするよ!」とか言い出して
マニュアルの強固さを思い知ったね
アンサイクロペディアをAIで侵略するノイマン氏を悲劇の人物に仕立て上げる、元側近ウソペディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。
読んでみると、そもそも私信と思われる情報を暴露することの背信性からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。
Side Uなるものは、第一回人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正面からの対立勢力なら風刺記事とかにしやすいけど、ああいうのは反応しづらい。
ウソペディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディアが北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁、毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。
ウソペディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアのノイマン氏=ウソペディアの開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそも誰からも本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。
本稿では、そのノイマン=開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点から、ノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。
ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題とライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである。
後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。
しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから、永久に広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。
だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。
ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。
一般論としても、我々で独自にルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCのライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。
私からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。
そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質の記事を安定して生産し、助役CUや管理者の誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。
これはあくまでも私のカンでしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアのDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。
東大全体なら三桁からがスタートラインだぞ
このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校の記事をアンサイクロペディアで三つも立てている。
麻布中学校・高等学校 - 開成と桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校も推しますわね?--/* ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■ 2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)
英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。
しかしながら、チャクウィキやアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的に無視すらしているようにも見える。
編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです
総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます。
ノイマン氏の理屈は、確かに最終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸的価値観への反発の形を取って世界的なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的な動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである。
ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア。
そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言をノイマン氏に贈る。
お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。
光がなければ人は生きていけない
鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。
今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマン氏からはフル・フロンタルのような冷たさを感じる。
いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。
わたしは普通の人が異常な性的衝動に駆られて葛藤するというシチュエーションが死ぬほど性癖で、それ以外のシチュエーションではどうしても心を満たすことができない。
例えば女子高生が自転車のサドルに媚薬を塗られて帰宅中に発情オナニーするAV、本当にかわいい。我慢できなくなったり、友達に話しかけられて無理に正気を取り戻したりするいじらしさがほんとうにいい、最後にトイレに駆け込んでひとりでしちゃうとことか。
とにかく、我慢できなくなって、おかしくなりそうで、衝動的に、でもあくまで普段はまともに過ごしている普通のいい子が、っていうのがたまらなくかわいい。
正直最後の男性との性交シーンはあんまり興味なくて、ただ女の子がひとりで疼いていて、ギリ満たされてない様子が好き。
本当に好きだ、かわいい女の子のかわいい映像をこうして作り出してくれて本当に感謝してる。
そして、かわいい男の人で同じ映像を作ってくれたら、同じようにきっとすごくかわいいと思う。
性の目覚めと共に初めからふつうの素直なポルノを手に取っていればこんなことで苦しまずに済んだのかもしれないけど、性に目覚めた当時のわたしはへんに真面目で性欲に対しての罪悪感もあったので、18歳未満閲覧禁止だと言われてしまえば抗うことができなかった。
ポルノを手に入れられなかったから、抑圧された日々のストレスと年頃の性欲に脳を支配され続けた思春期の苦しみの中で、とにかく数多くのWikipediaのえっちな記事や文章を読み漁り、その結果として性癖が歪んだ。
はじめは知ってる単語を調べてたどり着くことができる「性行為」「オナニー 」の記事に始まり、宗教的タブーについての記事、多様なフェチシズムや性に関する病気についての記事など性的なタイトルを扱うページを読み漁り、英語版の存在に気付いてからは「Humping」や「Frotteurisme」「Schuren (seksuele handeling)」などひたすらに読み耽って、ついでに苦手科目だった英語の成績もぐんぐん上がっていった。(英語版wikiにはそれほどに素晴らしい記事がたくさんある)
それらを読み耽り健全で道徳的な性行為のよろこびに憧れを抱くだけなら何も問題はなかったんだけど、わたしにはもうひとつ最悪のお気に入りジャンルがあって、それは性にまつわる事件や、異常な有名犯罪者の記事でした。
残酷な犯罪を犯した有名犯罪者の幼少期や生い立ちについては大抵ひどい不幸と家庭内での性虐待が描写されている。
彼らの不幸な過去とその破滅的な犯罪行為との間には人生を破壊してしまうほどの異常な性的トラウマや性衝動を感じて、倫理観が性欲に完全敗北した思春期の脳みそと身体は死ぬほど興奮した。
殺人を犯しながら勃起していた最低の変態殺人犯も、とにかく人を殺すほどの苦しい人生の中で気が狂って勃起していることがかわいいとしか思えなかった。日本で起こった事件や性の相談窓口に寄せられる母子相姦被害者の男の子たちのエピソード、それらの問題について書かれたすごく古い本をわざわざ取り寄せては読みながら何度もオナニーした。
女としての母親からの性暴力はどう考えても悍ましく残酷な行為で、それなのにわたしは他人の心の傷と尊厳を踏み躙るようなとてもひどいことを考えて本当にどうかしているし終わってるって分かっていたし罪悪感は苦しいけどそれでもどうしようもなかった。
そのうち、自分は母子相姦が好きなわけではなくて、ただ男の人たちが身体によって一方的に与えられる性的な仕組みから決して逃れられないという事実が嬉しいのだとわかった。男の人がふつうでまともで、常識的で、優しい人であればあるほど嬉しい。
身体のしくみから逃れられないということ自体は男の人に限った話ではないのだけど、異性の受難には共感の余地がないので特別に思えてしまう。
この抽象化に成功してしまったせいで性欲の対象は母子相姦の被害者や異常殺人者に限らなくなって、男の人が少し哀れな目にあったり泣いたり傷ついたり、苦悩を抱えていたり理不尽に耐えて生きていることを知るたびに、それでも生活の中に性的な瞬間があるということを意識してどうしようもなく興奮した。
性欲と理性との矛盾や、それによって自尊心を損なう苦しみはわたしには想像できないほどひどいものかもしれないし、そんな苦しみはすべてわたしの勝手な妄想かもしれないけれど、男の人たちを最低な方法で消費して異常な妄想を繰り返すのを結局大人になってもやめられない。
男の人が性欲に苦しむ切ない様子や、いじらしい自己嫌悪、どんなに頭がよくて優しくて不幸や苦しみの中にいても身体のつくりのせいで性欲や性機能があって、彼らにも下着を汚したり健康を損なわないために仕方なく吐精をする必要があって、ふつうの生活の中に性的に興奮している時間や頭をバカにしながら必死になったり、手慣れた手つきでティッシュ越しに精液を受け止めたりするのだという事実がだいすき。
どんなにひどい地獄に落ちても構わないくらい性欲と理性の矛盾に苦しむ男の人が好き。
18歳を迎え、20歳を迎え、年齢制限の壁を完全に克服したわたしは、以降あれこれ自分の嗜好に合うポルノを探し続けているのですが、性被害者による異常性欲の作品なんてもちろん見つからないし、そもそもかわいそうな男の人の性欲に萌えるための作品は殆ど見当たらなかった。
そのため18歳の節目はわたしの性欲にとってpornhubの解禁以外にほとんど恩恵はなく、外国人が電車内で勃起して女の人に押し当ててる動画とか、毎日寸止めしながら射精禁止生活をしているマゾの男(edgingという趣味らしいです)の寸止め動画やRedditの投稿を読むなどをみたり、たまにDLsiteを巡回して小銭を使う程度に落ち着いた。
いつか、着衣の女性の背中やお尻に男の人がズボン越しの勃起ちんぽを必死に擦り付けるだけのかわいい映像を撮影してネットにアップロードしてみたい。喘ぎ声は我慢して欲しいけど、呼吸は荒く苦しそうになってほしいし、女性とは一度も目が合わず言葉も交わさないまま終わって欲しい。
性欲の話をするのは楽しい。
誰にも知られずにこんな話ができるなんて、はてな匿名ダイアリーはいいサービスですね。
日常会話や世間話なら一人当たり一文。ほとんど一文ごとに話し手と聞き手は入れ替わる。
このやり方である限りにおいては先生と弟子があるテーマに沿って対話して一緒に学びを深めていくようなことにも当てはまることだが、話す順番は特に意識する必要はない。相手が聞いてきたことから答えればいい。
それは問いも答えも文章的には一文によってやり取りされることに関わっている。
これが二文以上を費やしてもっとまとまりのある情報を一度に伝えようということになる段階で文章の組み立てというものは意識される。
長い文章ほど推敲もしないで思いつくままに話したり書かれたりされても受け手はどんどん置いてきぼりになっていく。
やみくもに話したり書いたりしたとしても偶然話の組み立てとして最適解な順番になっていて推敲した時と同じ効果を受け手に及ぼすこともあるかもしれない。
むしろそれが偶然よりも高い確率で起こるようにするためにこそ推敲をするのだと考えるべきだろう。
ここまでのことを踏まえれば、結局逆に言えば挨拶や英会話のような単純な質問と応答のような世間話のような類をラインやネット上の掲示板でチャット感覚で行なうことにおいては、その文章は本質的には形式に囚われて文章と分類していても仕方がないのではないかということだ。
文章は他人の目に触れた瞬間それは解釈的に作者の手から離れるというが、まさかチャットで書き手が誤解されて誤解であることを釈明した後でも「お前の先の文章ではそう解釈できるんだからお前がどういう意図で書いたかは関係ない」とか言ったらただのキチガイだろう。
政治家が発言を撤回したならば撤回したという事実自体は受け入れられ、批判されるのだとしても「撤回するなら最初から言うな」といったような類であるのが健全であり、まるで撤回したことなど知らないかのように「なんであんなことを言うの」と言い続けるのが異常とみなされることに対応する。
また一般的な文章では同じ言葉は極力使うべきではないという考え方があるようだがチャット的な単なる意思疎通のための文章では別にそのようなこだわりは求められていないと思う。
これも音声での対話でも同様に同じ言葉を何度使おうが全く気にしないのと対応している。
そもそももし我々が声帯も手も失ってしまったら何が望まれるだろうか。
脳から口を動かしたりキーボードを叩くときの命令が検出されたらそれに対応した人工音声の再生なり、ネットを対象としているなら端末への文字の入力なりが望まれるのではないか。
ネットを対象をしてなくて対面でもあえて胸元にiPadみたいな液晶をぶら下げておいてそこに言葉を発しようとする時の脳の命令に対応する文字が出てくる仕組みを望む人もいるかもしれない。
いずれにせよこうやって考えてみると、音声のときと文字の時とで文章かどうかの扱いが変わってしまうという考え方には本質を欠いた印象を受ける人も出てきているのではなかろうか。
しかし現行の考え方では人工音声か胸元に文字が表示されるいわゆる筆談形式をとっているかというだけで文章という呼称を適用すべきかの判定をしていることになる。
増田というある種の仮想空間においても我々は喉を潰され筆談を強制されているようなものだ。
筆談する障がい者の表現は全て「文章」力という尺度によって評価されるべきなのだろうか?現に「口下手」だった後天的啞が筆談でコミュニケーションを取っている場面でその巧拙が考察される場合、おそらくそれは会話という捉え方で分析されるように思えるし、このような場での表現の巧拙をやみくもに全て文章力と呼んで処理する傾向は腑に落ちない。
dorawiiより
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なんとなく語感だけで「核共有」というわりと現実的なオプションが存在するかのように思い込んでるアホがよく居るけど、
核シェアリングというのはドイツ統一などにともなうNATO拡大の文脈上で出てきた特殊解であって、アメリカが日本にボクの核ミサイルのボタン君も押したかったら押してもいいよなんて言うわけがないんだよ。
増田で長文を書く人、増田で自演してまで議論風味の体裁を見せつけたい人、それらを毎日10数時間行なう人も同じ領域に存在するわけですよ。行動がまったくもって理解できない。少なくともインセンティブでは説明できない。
>>「台湾を中国北京政府の支配下に置く」ために「武力の行使をともなうのであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」<<
というのは目的と手段を述べているだけであって誰に対してかは明確にしていないし、強引に補完するのであれば前段の発言を引き継ぐしかないでしょ。
そして全体のやり取りを通して誰に対する武力行使が存立危機と当たり得るのかを発言しているのは前段のアメリカと条文通りという回答しかないわけで、それを台湾に対する武力行使が存立危機にあたると発言したと解釈するのは流石に無理筋では?
麻生さんが『中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高い』、安倍さんも『台湾有事は日本有事』と言っている。
むしろ「前提条件も絞らずに軽々しく存立危機事態だなんて言うなよ」と説教してるわけだ。
「台湾を中国北京政府の支配下に置く」ために「武力の行使をともなうのであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」と、
ぺらぺらと具体例を語り出してしまった。
この文章は誰がどう読んでも「中国が台湾を武力攻撃すれば存立危機事態」としか解釈できない。
だからヤバいと思った岡田が「え、よくわからないですけど(すっとぼけ)、誰に対する武力攻撃ですか?」と助け舟を出しているんだよ。
いまからでも全文を読んだほうがいい。
岡田は議論の前提をきっちり詰めつつ「台湾危機がすなわち存立危機事態になりうると直結する言い方はおかしいですね?(日本艦船への攻撃など条件はありますよね?)」と聞いてる。
それに対して高市は「戦艦を使って、武力の行使もともなうものであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態にあたる可能性が高い」と明言してしまった。
岡田がフォローして「誰に対する武力攻撃ですか?(日本かアメリカへの攻撃ですよね?)」と質問したのに、そちらには明確な回答をしてない。
このやりとりの前段で高市は米軍への攻撃に言及しているが、この質問に対してはその「米軍への攻撃」という前提がポロッと外れてしまった。