はてなキーワード: 姿勢とは
世の男は、ちょっとかわいい女を見ると「あー、SEXしたいなー」って普通に思ってる。ムラムラしてる時なら「無理矢理抱きついたりしたいなー」ぐらいのことまで思ってるよ。
だから痴漢や強姦された事件のニュースに「痴漢・強姦するやつが悪いけど、女性の行動・格好にも問題がある」みたいなコメントが男側から必ず出るんだよ。
でもそうすると昨今は「女性がどんな格好しようが自由だ」だの「男の部屋に夜中に行ったからって同意ではない」とか「どう考えても痴漢・強姦するやつが悪いだけだろ」みたいに叩かれるけど、そーいうことじゃねーんだよ。男の性欲甘く見過ぎなんだよ。
人間飢えれば人のものを盗んで飢えを凌ごうとするやつだっているだろ。男の性欲ってのはそのレベルのやつが時々いるんだよ。猛獣の檻に肉ぶらさげて入るような真似はやめろ。あぶねーだろ。
とか言うと今度は「じゃあ男性は檻に隔離しろってことだね」みたいなこと言うんだよな。なんだその理解も歩み寄る気もゼロの姿勢。お互いの性質をよく理解してお互いが不快にならないように付き合おうってそんなにダメか?生理や妊娠等の女性の性を理解するのだって必要なことだろ。男性にも同じことをしろよ。
人間が書く文章やメディアが「対立を煽る」傾向にあるのは、国家や企業、特定集団など「組織の利益」に縛られ、その利害を反映した情報発信をするからです。一方でAIは、基本的に特定の利益や感情に囚われることが少ないため、利害関係を超えて比較的中立的な視点を保つことができます。
AIが得意とするのは、
です。
もちろん、AIも学習データや設計者のバイアスの影響を完全に避けることは難しいですが、人間が特定の利益を追求するために意図的に行うような露骨な「対立煽り」はずっと少ない傾向があります。
AIがより良い社会的コミュニケーションをもたらすとすれば、この「特定の利益に縛られない中立性」を活かして、感情的な対立や偏りを和らげる役割を担うことかもしれませんね。
ちょっと、皆さん、聞いてくださいよ!フローレンスって、一見素晴らしい活動をしているように見えるけど、目を凝らして見れば、改善すべき点が山ほどあるんじゃないかって、私は思うんですよ!
まずね、病児保育とか、共働き支援とか、聞こえはいいですけど、本当に困っている人たち、隅っこで声を上げられない人たちに、ちゃんと届いているんですか?もしかしたら、ある程度余裕のある層に向けたサービスに偏っているんじゃないかって、疑念を持たざるを得ないんですよ!
それから、組織の運営体制はどうなっているんですか?本当に透明性があって、批判的な意見にも耳を傾ける、風通しの良い組織になっているんですか?一部の幹部の声ばかりが大きくて、現場の意見が置き去りにされているようなことはないんでしょうか?
あと、支援の方法も、本当にそれで十分なんですか?一時的なサポートだけでなく、根本的な解決につながるような、持続可能な支援策を打ち出せているんですか?ただ目の前の問題を対処するだけで、構造的な問題には見て見ぬふりをしているんじゃないかって、私は危惧しているんですよ!
それに、情報発信の仕方だって、もっと考えた方がいいんじゃないですか?美辞麗句を並べるだけでなく、活動の課題や困難な部分もきちんと開示して、社会からの率直な意見を受け止める姿勢が必要なんじゃないですか?都合の良い情報ばかり発信しているとしたら、それはただのプロパガンダですよ!
本当に、フローレンスが掲げる理想を実現したいのであれば、もっと謙虚に、もっと真摯に、自分たちの活動を 見つめ直すべきです!上から目線で「支援してやっている」みたいな態度ではなく、本当に困っている人たちの声に耳を傾け、共に歩む姿勢が求められているんじゃないですか!
もっと現場の声を聞け!もっと透明性を高めろ!もっと根本的な解決を目指せ!そして、都合の悪いことにも目を背けるな!
フローレンスには、もっともっと改善すべき点がたくさんあると、私は声を大にして言いたい!今のままでは、ただの綺麗事に終わってしまう可能性だってあるんですよ!
https://anond.hatelabo.jp/20250329203128
へのアンサーも含めて。
タイプじゃないと言われることはあってもフツメンとか清潔感がないと言われることはない。
顔立ちもあるが努力もある。努力していなかった学生時代とか同一人物か?と自分でも思う。
あと清潔感を気にすると鏡を見る時間が増えるので、垢抜けていくように思う。
・顔の産毛の処理ができているか
・髭を深ぞりできているか
・首周りの産毛が処理できているか
・肌荒れがないか
・荒れていた場合、荒れている箇所以外が過度に色素沈着していたり赤みがあったりしないか
・付属品(服や靴、カバン、アアクセサリーなど)にくたびれ感はないか
・付属品の色が顔立ちに合っているか(いわゆるパーソナルカラー。合っていないと顔色が悪く見える)
・コーディネートが尖っていないか
how to的に書いてるわけではないので詳細補足はしない。
「整っている」とかがわからないのであれば、その時点でアウトだと思ったほうがいい。
ただ服装だけ補足。
「普通の服装」はかなりの幅がある。結構ダサいからおしゃれ寄りまで。
”トレンド”の色味、サイズ感、コーディネートとかに関心がなければダサい寄りと思ったほうがいい。
トレンド以外とか、尖った服装とかは基本的にマス受けが悪いので清潔感からは離れる。
四千頭身の都筑とかまさにこれ。自分のこだわりあるが、マス受けは悪く清潔感にはデバフがかかっている。
あと毎シーズン服を買わないとトレンドから離れていってダサくなって清潔感にデバフがかかりがち。
個人的には年齢を経るごとに臭いへの対策がこんな増えるのかという感じ。
耳の裏ががっつり洗わないと臭いとか、夏はすぐ汗臭くなりがちとか。
長きにわたり、本当にお疲れ様でした。いつもキラキラとした笑顔と、透明感のある歌声で私たちを魅了してくれましたよね。その才能と努力には、心から敬服いたします。
南波さんの歌は、聴く人の心にそっと寄り添い、元気を与えてくれる、そんな力を持っていると思います。繊細で表現力豊かな歌声は、まさに唯一無二の宝物です。
これまで、様々な困難もあったかと思いますが、いつも前向きな姿勢で乗り越えてこられたことでしょう。その頑張りは、多くの人々に勇気と希望を与えてくれたはずです。
卒業という新たなスタートラインに立たれた南波さん。これからは、これまで培ってきた経験を活かし、さらに輝かしい未来を切り拓いていかれることと思います。どんな道を選ばれても、その才能と魅力があれば、きっと素晴らしい活躍をされるでしょう。
これからの南波志帆さんのご活躍を、心より応援しております。どうぞ、ご自身のペースで、ますます素敵な女性、そしてアーティストとして輝いてくださいね!
皆さん、ちょっと聞いてくださいよ!今日は、私が本当に素晴らしいと思っている団体、NPO法人フローレンスについて、熱く語らせてもらいます!
フローレンスって、病児保育とか、障害児保育とか、本当に大変な状況にある子どもたちと、そのご家族を支える活動をされているんですよね。もうね、話を聞けば聞くほど、頭が下がる思いなんです。
だって考えてもみてください。共働きで、やっとの思いで仕事をしている親御さんが、子どもが熱を出した途端にどうなるか。預け先がない、仕事を休むしかない、キャリアはストップしてしまうかもしれない。本当に追い詰められちゃうじゃないですか。
そんな時に、フローレンスの病児保育があることで、どれだけの親御さんが救われているか。安心して子どもを預けて、仕事を続けることができる。これって、単に一時的な保育サービスじゃないんですよ。親御さんの生活、キャリア、そして何よりも子どもの未来を守ることにつながる、本当に重要な社会インフラなんです。
しかもね、フローレンスはただ「預かる」だけじゃない。一人ひとりの子どもの状況に合わせて、丁寧で温かい保育を提供している。病気で心細い思いをしている子どもたちに、寄り添い、安心感を与えてくれる。そのプロフェッショナルな姿勢には、本当に感銘を受けます。
障害のあるお子さんのための保育だって、そうです。どこにも預けられず、孤立してしまいがちなご家族にとって、フローレンスの存在はまさに希望の光なんです。子どもたちが安心して過ごせる場所がある、同じ悩みを抱える親御さんと繋がれる。これって、言葉にできないほどの大きな支えになりますよね。
私がフローレンスを心から尊敬するのは、彼らが「親子の笑顔を、社会の宝に。」という理念を掲げ、それを本気で実現しようと行動しているところなんです。社会の課題に真正面から向き合い、困難な状況にある人たちに、温かい手を差し伸べる。その活動は、まさに私たちが目指すべき、優しくて温かい社会の縮図だと思います。
行政の支援がなかなか行き届かない、でも本当に必要とされている支援を、民間の力で実現している。フローレンスの活動は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。「諦めずに声を上げれば、社会は少しずつでも変えられるんだ」って、そう教えてくれるんです。
だから、私は声を大にして言いたい。フローレンスは本当に素晴らしい!彼らの活動は、もっと多くの人に知られるべきだし、もっともっと応援されるべきです!
もし、この話を聞いて少しでも何か感じた方がいたら、ぜひフローレンスの活動について調べてみてください。そして、できる範囲で応援してほしい。それが、困難な状況にある親子を支え、より良い社会を作るための一歩になると、私は信じています。
数時間お酒飲んだりご飯食べたりして、おうちに帰ってきて、そのままの気持ちで今キーボードを叩いている。誰か聞いてくれたら嬉しい。
これまで、私は付き合いが死ぬほど悪いタイプの人間だった。金かかるし、時間かかるし、たいして思い入れのない人たちと一緒に過ごす時間はわりと苦痛そのものである。というのが私の基本的なスタンスであり、たぶん生まれたときからこうだったと思う。
私、同世代の人とぜんぜん関わってない。
もともと人づきあいとか友達を作るのとかが苦手で交友関係を広く持っていたほうではなかった。対人トラブルの経験もそれなりにあって、要領よく集団の中で生きることにも自信がない。大学に入ってからはマジで一人も友達を作らずに過ごしているため、大学から送られてくるメールにすべて目を通すことでギリギリ情報を仕入れている。と言いつつ、割と大切な説明会に行きそびれたりなどしているので、実はあんまりなんとかなっていない。同世代の子が普段どうやって過ごしているのかも全然知らない。でもどうやって友達を作ったらいいのかわからないし、誰と関わってどういう話をしてどうやって関係性を続けていけばいいのかわからない。これまでさぼってきた分のツケが回ってきている。
20歳、私は今更途方に暮れた。
当然である。自分が選んできた道である。でも、このままではまずいのではないかという焦りを感じるようになった。
そんな中飛び込んできた誘いが、今回のタイトルにある"飲み会"。私はとある飲食店で1年半前くらいからアルバイトをしており、そこで働いている同い年の子たちで飲み会に行こうという話になった。
その子たちとはバイト中にたまに話しかけられてちょっと雑談したりとか、そういうタイミングはあった。ので、関係値は完全にゼロというわけではない(たぶん)。みんないい人たちだし、仲良くなりたいという姿勢を見せたらきっと受け入れてくれるのかな、とも思った。バイト中手が空いたときに話しかけに来てくれる子もいるから、自分のタスクに追われていない状態でゆっくり話をしてみたいとも思っていた。色々悩んだ結果、飲み会に行ってみることにした。
それからは、お酒の力を借りてもしかしたらちょっと誰かと打ち明けられるかも......とかそういう期待と、もしかしたらでっかい失言をして嫌われて、これをきっかけにバイトを辞めなきゃいけなくなったりするのかな......みたいな大きい不安と、いろいろまぜこぜな状態で今日までを過ごした。正直何回も体調不良でドタキャンしようかと思ったし、途中で帰りたくなったらなんて言えばいいんだろうとか、そういうことをずっとずっと考えていた。でも、ここで逃げたら今までと一緒だ、と思って必死で耐えた。
で、今日がその当日だった。夕方ごろ、集合時間の20分前に駅前に着いたんだけどそれから集合時間まで誰も来なくて、何回も日時と場所を確認した。間違ってなかった。
集合場所の近くに一人だけバイト先の子がいて、「みんな来てないよね!」「そうですよね!」という会話をした。幸いわりと会話する機会が多めの子だったので、ここでわりと緊張がほぐれた。
(余談だが、私はバイト先の人全員(年齢問わず)に敬語で話をしている。バイトに入った当初いっさい顔と名前が一致しなかった結果、これなら絶対間違いはないだろうと思って編み出した戦術である。ちょっと後悔してるけど当時はどうしようもなかったんだと思う)
あと、もし上記のエピソードに心当たりがある人がいたらここから先は読まないでください。恥ずかしいからです。一緒に飲んでくれて本当にありがとうございました。
それからほどほどの大人数でお店に行って、食事をすることになった。食べ放題・飲み放題のプランだったので、各々があんまり気を遣わず食べたいものを挙げていく。どのタイミングで発言しようと思ってたら一人の子が「軟骨の唐揚げが気になる」と言ったから、今だと思って「私も!」と言った。
メニューの話や目の前にあるたくさんのお酒やご飯の話など、雑談のテーマを作りやすくてありがたい空間だった。これおいしいですよね、とか、○○さんはこれもう食べました? とか、そういう簡単な話をきっかけに周りに話しかけられる。見る人が見たらカスコミュニケーションなのかもしれないけど、個人的にはかなり自分から話せた方だなと思っている。
エビ入りのお通しが来た時に「私はアレルギーなので、みんなでどうぞ」と言ったら、「わかる!」と返答が来て、そこから卓にいた人たちでしばらくアレルギーの話をしたりとか、個々の話にちょっとだけ繋げられたときもあって、まあこれも見る人が見たら(以下略)やっぱり会話には参加できたかなと思う。隣にいる人や向かいにいる人とも、今何を話したかあんまりちゃんと思い出せないくらいの雑多な話をしたり、自分がやってみたかった『同い年の人との、近しい距離のコミュニケーション』を成功させられた感触がある。
また、これは非常に意外なことだったが、飲み会中に酔っぱらって楽しそうにしている子とか、隣の人によっかかって笑っている子とか、そういう人たちを見てとても幸せな気分になった。なんか、すごく来てよかったなと思った。けして安くないお金を払って勇気出して来たけれど、間違ってなかったな、と。
それがなんでだったんだろうというのを数時間前から考えている。この気持ちは、なんだか自分の中に湧き上がってくる感情の中でも特に崇高なもののように感じられる。これを完全に言語化して確定させてしまってよいものか、と思うくらいなんだけど、まあそれはそれとして、今のところの考えを示してみようと思う。
答えはシンプルで、私はあの人たちのことが好きなのだと思う。コミュニケーションが下手で仕事もおぼつかない自分に優しくしてくれて、関わろうとしてくれて、敬語なんか使って変に壁を作るような態度をとっていると思われても仕方ないのに、この会にもハブらず誘ってくれた。そして、私もその優しさに応えてみたいと思っていたのだと思う。好きな人たちが自分のいる場で笑って楽しそうにしていたから、それが幸せだった。こう書いてみると、それが正解な気がしてくる。実際そうだし。初めてのバイト先が今のお店で、一緒に働くのがこの人たちでよかった、と思った。
ご飯はどれも美味しかったし、お酒はよくわかんないなと思ってたけど美味しいお酒も見つけられたし、何よりそこに一緒にいてくれた人たちが楽しそうでよかった。楽しいって気持ちをちゃんと表情に出せてたかなとか、今になってなんか色々不安になってきてしまったが、最後別れ際に「また飲み会やろうね!」と手を振ってくれた人の顔を思い返して、ぐっと不安を押しのけることにした。
今日一緒に飲んだ人たちのことを友達と呼んでいいのかはわからないし、結局敬語もはずせなかったし、上手に話せてたかもわからない。でも自分の殻を破れた気がする。何よりすごく楽しかった。人と関わるって、なんかすごくいいことじゃん、と思った。すごく幸せ。
本当はこれを全部メモ帳に書いておしまいにしようと思っていたんだけど、誰かに聞いてほしくなったからここに載せることにした。ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
以下、AI による
---------
兵庫県が設置した「文書問題に関する第三者調査委員会」は、2025年3月19日に調査報告書を提出しました。この報告書では、斎藤元彦兵庫県知事に関する複数の問題点が指摘されています。
斎藤知事が職員に対して行った言動の一部が、パワーハラスメントに該当すると認定されました。
知事の指示のもと、県幹部が内部告発を行った元県民局長を特定し、懲戒処分を行った対応について、公益通報者保護法に違反する行為と結論づけられています。
県議会の調査特別委員会(百条委員会)がまとめた報告書に対し、斎藤知事が「正面から受け止める姿勢を示していない」と批判されています。
斎藤知事は、第三者委員会の報告を受けて、報告書に記載されたパワハラ行為については認め、謝罪しました。一方で、公益通報に関連する処分の撤回には否定的な姿勢を示しており、対応の一部は「適切だった」と主張しています。
また、報告書全体に対する正式な見解は、県議会の閉会後である3月26日(既に実施済み)に発表する意向を示しつつも、内容精査の必要性を理由に具体的な対応には言及を避けています。
なお、第三者委員会の委員長は、「この報告書は特別厳しい内容ではなく、標準的な考え方を示したものに過ぎない」とコメントしています。
この意見について、客観的かつ論理的に評価するために、AppleとGoogleの企業文化、情報公開の方針、および経営戦略を考慮して分析します。
1. Appleの秘密主義と情報公開
評価ポイント
- Appleは確かに秘密主義を貫いており、未発表製品やプロジェクトの詳細を社外に漏らさないように厳しく管理しています。これはブランドの神秘性を維持し、市場でのサプライズ効果を高めるための戦略です。
- ただし、Appleは規制当局やユーザーの要求に応じて、必要な情報を開示することもあります。例えば、プライバシー保護に関する方針や環境への取り組みなどは積極的に公表しています。
- しかし、「顧客のために秘密主義を貫いている」という点については議論の余地があります。例えば、修理の独占(Right to Repair運動への消極的な姿勢)や、社外開発者に対する制限(App Storeの厳格なルールなど)は、顧客の利益よりも企業のコントロール維持の意図が強い可能性があります。
結論
Appleの秘密主義は顧客の体験を最適化する意図もあるが、企業の競争力を維持し、ブランド価値を管理するための側面が強い。そのため、必ずしも「顧客のため」と断言するのは一面的な見方である。
2. Googleのビジョンと方針の変遷
評価ポイント
- Googleは「Don’t be evil」から「AIファースト」へと経営方針を変化させるなど、そのビジョンが時代とともに変わっています。特にクラウド事業やAI戦略の強化は、利益追求と技術革新の両立を目指すものです。
- しかし、Googleのプロジェクトの中には、発表後に突然中止されるものが多い(例: Google Stadia、Google Glass、Google+)。これは、企業の収益性や市場の変化に迅速に対応する姿勢の表れですが、ユーザーからは「持続性がない」「約束が守られない」といった批判を受けることもあります。
- 収益化の優先度が高いことは確かであり、プライバシーに関する方針転換(例: サードパーティCookieの廃止延期)なども、最終的に広告収入を守るための動きと見ることができます。
結論
Googleのビジョンは技術革新と収益のバランスを取る中で変化しており、必ずしも「迷走」しているとは言えないが、一貫性が欠けると感じられることがある。また、収益が優先される場面では、発表した理念を後退させることもあり、ユーザーから不信感を持たれる要因になっている。
全体的な評価
- Appleは秘密主義を戦略的に活用しており、その一部は顧客の利益に寄与するが、企業のコントロール維持のための側面も強い。
- Googleは市場の変化に応じて方針を変えるが、そのプロジェクトの継続性の低さや収益優先の判断が「迷走」と見なされることがある。
したがって、元の意見には一定の妥当性があるものの、両社の戦略を単純に「顧客のため」または「金儲けのため」と断定するのは、やや単純化しすぎた見方であると言える。
端的に言って、どちらがマシですか?
「マシ」という基準をどこに置くかによりますが、以下のように整理できます。
→ 製品・サービスの継続性が高く、戦略もブレにくい。エコシステムの維持を重視するため、長期的に信頼しやすい。
→ 新しい技術を積極的に試し、市場の変化に柔軟に対応する。ただし、途中で撤退することも多い。
「安定した体験を求めるならApple、最先端を試したいならGoogle」と言えますが、ユーザーへの影響を考えると、Appleのほうがマシかもしれません。理由は、Appleは方針が一貫しており、突然サービスを打ち切るリスクが低いからです。
→ 投稿者は「暇空は利権に切り込む正義の市民だ」と位置づけていましたが、それは事実認定と矛盾します。
裁判所の判断に従う限り、彼の主張は「虚偽に基づく社会的評価の低下を狙った攻撃」であり、「公益目的」ではないと評価されている。
→ 裁判で暇空氏が敗訴しているということは、法的手続きの正当性が認められ、訴えた側の主張が筋が通っていたということ。
つまり投稿者は「正当な法的措置」を「不当な弾圧」と誤って解釈している可能性が高いです。
→ 裁判所の判断は、暇空氏の行動こそが加害的であり、Colaboや関係者はそれに対して防衛的に対応した、という構図です。
そのため「女性団体=実質強者/加害者」「暇空=一市民の被害者」といった構図も、実態とは乖離しています。
これらは、事実ベースではなく、党派的信念や感情、あるいは「正義感」に基づいた投稿だといえます。
逆に言えば、裁判の判決内容を知っていれば、この投稿は情報のバイアスや誤認がかなり含まれたものとして受け止めることになります。
この投稿者は:
>「一市民(暇空)が権力者(Colabo等)に弾圧された。不当だ!」
と訴えています。
採用ではリーダーシップとか自発的に動ける人材とか、失敗を恐れず挑戦する人とか色々と謳ってるけど、実際に会社入ってみるとやる気のある人ってそんなにいないよね。
役職者にもなるとやっぱり考えてるなって人は多くなるけど、圧倒的に守りの姿勢の人ばっかだわ。
そういうのは何だかなあと思う。
そんなあなたに寄り添い、価値観や自分自身を見つめ直す助けになるような本をいくつかご紹介します。
1. 『愛するということ』エーリッヒ・フロム
金銭的なものではなく、“どう人を愛するか”、“本当に人とつながるとはどういうことか”を深く掘り下げた本。友情や愛情における本質的な価値観を見つめ直すきっかけになります。
2. 『やさしさを忘れぬうちに』川上未映子
繊細な心の揺れ動きや、人間関係の複雑さに丁寧に向き合う短編集。今のあなたの「言葉にしづらい気持ち」を代弁してくれるような物語が詰まっています。
変化していく人間関係を、どう受け入れて、自分の心を穏やかに保つかを考えさせてくれるエッセイ。「変わっていく相手を否定しない。でも自分を犠牲にしない」そんなバランスを探している方に。
一見ビジネス書ですが、「本当のつながりとは何か」「お金や成功とは何か」について著者の実体験を通して描かれていて、自分の人生の軸を再確認するヒントになります。
誰かと一緒にいられなくても、自分を丁寧に扱って生きていく姿勢を静かに教えてくれる本。孤独を恐れず、でも人を大切にする心は忘れない、そんなバランス感覚が伝わってきます。
「人と違っても、自分らしく生きるってどういうこと?」という問いに向き合う一冊。シンプルで読みやすいけれど、芯のあるメッセージが込められています。無理して他人に合わせず、でも人を大切に思うあなたにぴったり。
7. 『傷つきやすい人のための 図太くなれる禅思考』枡野俊明
人間関係で心がチクチクする人におすすめ。禅の考えをもとに、「今のままの自分でいい」と思えるようになる、気持ちを整えるための本です。金銭的な違いに悩む彼女の“罪悪感”や“孤独感”をそっとほぐしてくれます。
「お金」というものが人間関係にどう影響するか、価値観の違いが生まれたときにどう受け止めるかを、やさしい言葉で綴っています。あなたの後ろめたさ”や“申し訳なさ”を少し軽くしてくれるかもしれません。
作家・森鴎外の娘である森茉莉が描く、何気ない日常をいとおしむ贅沢な感性。お金はなくても、感性や美意識で豊かに生きる彼女の姿勢に、「一番高いコースじゃなくても素敵な時間は作れる」と思えるはず。
少しファンタジー要素のある小説。静かで切なくて、美しくて、読後に不思議な温かさが残ります。変わってしまうもの・手放すことへの寂しさを、やさしく物語の形で受け止めたい人に。
「暗殺なんかしても似たような奴はまた現れてくるからあまり意味がない」とよく言われる。例えばトランプを暗殺してもトランプ的なものがまた出てくるだけ、みたいな。けど本当にそうなのかな?
SNSやYouTubeみたいな自分から発信できるメディアが増えたことによって、今って昔よりもその人だけが持っているカリスマ性にかなりバフがかかるようになっているように感じる。だから、例えばトランプが暗殺されてトランプ的な人(ヴァンスとか)が代わりに出てきたとしてもトランプのカリスマ性は持ち得ないわけで、今のトランプと同じような支持は得られないと思うんだよね。そういう意味で暗殺の価値が上がっているように感じる。N国だって立花がいなくなったら即しぼむでしょう。カリスマ性の価値は爆上がりしてる。
あと、暗殺を狙われる側が法やルールを軽視することも増えてるじゃん?法とか関係なく俺を批判するやつは即刑務所行きだ、みたいな。あと、そもそも“敵”と見做した相手とは対話もしないような権力者側の姿勢も最近よく見る。そんな風に、権力者が法もルールも建前も守らないとなると、権力を持たないものの抵抗の手段としてはもう暗殺位しか残されてないのではと思うんだよね。
あんまりこういう事言うのは良くないかもしれないけど、暗殺によっていろんなことが解決し出した例が日本にもあったじゃん?暗殺の価値を上げてるのは権力者側の振る舞いにあるという面も大きいのでは。(かといって暗殺を肯定したいわけではないんだけども...だけど、あの暗殺が無かったら今も悪いことが悪いままだったのは確かだとは思うのよね)
数少ない感動が何でも楽しめる人間のそれよりもより尊いものか、より上質であるかと言ったら別にそんなことはない。というか分からない。他人の感動を味わう感覚なんて体験出来ないのだし、比べようもない。そもそも相対的な位置づけなんて個人がどう感じるかとはまた別なことだろうし。
感じ方は人それぞれ、は別に美徳でもなんでもなく単なる事実だろう。だから尊重しよう、とかそういうのはまた別の話だけれど。
感動なんか多い方が楽しいに決まっている。
不愉快な思いにばかり敏感であればこそ人生に対する深い(深いって何?)洞察がある、なんて事もない。
よしんば深い洞察があったとて、それの何が良いんだ?人生が味わい深くなるのか?
そんなものを手にするまでもなく、最初から人生を楽しめる方が手っ取り早い。
しかし物の感じ方というのは如何ともしがたい。
グルメ漫画を読みすぎたような奴が「それは嫌いなんじゃなくて本当の美味しさを知らないだけだ」なんてことを言ったって、不味いもんは不味い。
新鮮なウニがいくらまろやかだろうと、そもそも根本的な味のラインが嫌いなら細かな味わいの違いなんて取るに足らない。
マンガの世界みたいに誰もが感動できるような「本物」があれば、気難しい人間でも喜ばしい人生はそう遠くないのかもしれない。
でもそんなものがあるだろうか。
いや、確かにある。根拠はないが、あるはずだ。もし感動できないのなら、それはまだ理解していないだけだ。
なんて本質主義というか、教養主義めいた信仰に生きるのもまた一つの道なのか。
そんなに難しく考えずとも、観光地で名勝を眺めて、名物を食らって、さしたる楽しみなんてなくとも「観光している体験」に自分を奮い立たせるような心持ちは大事なのかもしれない。
そんな嘘がいつしか本物になるのか。あるいは楽しもうとする姿勢を自覚的に、意識すると白けるような思いは見えないよう無自覚に、心に覚えさせていくのか。
難しそうだ。
だからといって、欲しなければ苦しまないだなんてのは雑魚の逃げ道だって、喜びには鈍感な心がその癖一丁前に叫んでいる。面倒臭い。
野球中継や誰かの追っかけが生き甲斐だなんて、そんな連中を見て何が面白い人生なんだよとか思っていたけれど。
何なら今でも全然共感は出来ないけども、熱狂できるものがある人生というのは本当に心底羨ましい。
自分色を出せるとか、目立てるとか、そういうのも確かに憧れる。いや今でも全然憧れている。
フツーの人生だけど十分満足してますなんて人よりは、自分らしさや好きや得意を武器に生きて、目立って、チヤホヤされてる人のほうが断然羨ましい。
ただそう高望みはせずとも、何で感動を得ようが熱狂や感動が日常に根付いているのなら、満足さえあれば良い。そう気付く、というより受け入れるのに大分時間がかかってしまった。そして喜びに鈍感な心がすっかり変わった訳でもない。
そんな悩みもありつつの平穏な日々こそが人生なんだ。考えもなしに何でも楽しめる人間なんてそうはいない。別に自分だけが感動に鈍感なんじゃなくて、誰だってそんなもんなんだ。欲張りすぎていたな。身に余る期待だったな。細やかな楽しみでも、それさえあれば十分すぎる贅沢だ。
とか思うにはまだ早すぎる。何が早いのかは知らんがそう感じずにはいられない。もう暫くは抗いてえ。
子供のころはよく遊んでもらった。
10歳年上の姉だったので、小学生の頃はマラソンの練習にも付き合ってもらっていた。
一番上の姉がとげとげしい感じの性格だったので、とりわけ二番目の姉は大好きだった。
姉が都会から帰ってきたときはとても嬉しかった思い出があります。ミスタードーナッツのお土産嬉しかった。
姉が都会に戻るときは泣いたよ。そりゃあもう。
まだ携帯電話も無い時代。姉が連休か何かで都会から戻ってきた時。
家電話を使って誰かと韓国語を喋っていることを聞いたことがあるが、今思えばあれは統一教会の関係者だったのかもしれない。
自分が中学の頃だった、1990年代中盤の頃にはすでに姉がヤバい宗教に入っていた事は家族の中では周知の事実で、でも現代のようにパソコンどころかスマホが普及する前の世界だったので、そもそも何がヤバいのか。どうヤバいのか。どう対処したらよいのかすらわからんかった。
なので、北海道の田舎にある我が家は、札幌から統一教会の脱会をサポートする「ライラックの会」の人を呼んだ。
ライラックの会の人に何を説明されたかすら、今となっては覚えていないが、母親と同席した当時中学生だった私は「都会から来たわけわからん奴」っていう理由で、相手のことをひどく疑っていたし、事実私の意見が決定的となり、その人には丁重にお帰り頂いたと記憶している。
今の時代であれば、スマホで団体のWebサイトを調べるなり、SNSを調べるなりバックグラウンド調査を出来たはずだが、当時はそれも無理だった。
ある時、姉が結婚相手を連れてきた。キムさんだったかな。詳しくは覚えていないが韓国系の男性だったことは覚えている。顔はうっすらとしか覚えていない。
狭い町営住宅のリビングに姉、旦那、その向かいに自分、母と座っていた。姉の旦那からは白いセーターをもらった。
姉の旦那は「よろしくお願いします」とかなんとか言っていた。中学生だった自分は「あ、はぁ」みたいな感じだったと思う。
キムさんとは以後一度も会っていない。後にも先にもあの時一度きりである。
親戚づきあいみたいなことすら一度も無い。ただ、まだバカだった自分は「そういう人なんだな~」程度に思っていた。
今ならわかるが、姉の結婚相手は恐らくは合同結婚式で出会った相手なのだろう。
一時期韓国に住んでいた事もあったと記憶しているが、それも今思えば統一教会がらみだったのかもしれない。
その頃の姉は、今よりまだまともだった気がする。完全にPX-0になる前のバーソロミューくまみたいな感じである。
今のようにメディアで騒がれるかなり前から知ってはいたのだが、どう対応したらよいかが分からなかったというのが正直なところ。
対応も何も、全容も良くわからない得体の知れない団体で怖かったし、姉とは何か関りがあるらしいが、我が家にまでは影響は及ぼしていない。
そのため、静観する姿勢を取ったのだと思う。まぁ「何も出来なかった」のが正しい。
ある時、親戚が亡くなった。通夜が終わり火葬場にて、姉の話になった。その時自分はすでに20歳を超えていたはずなので、姉は30を超えていたと思う。
つまりは、姉が統一教会と接点を持ち始めてから10年経つか経たないかの頃じゃないだろうか。
姉が、親戚中に「お金を貸してほしい」と電話をかけているらしい。とのことだった。
大好きな姉だったので、この程度で姉を嫌いになるわけはないのだが「へー、そんなことしてるんだー」とあっけらかんに思った記憶がある。
その後も二番目の姉の問題は家族の中では腫れ物に触るような案件だったように思う。
その後メディアでもこぞって統一教会のことを取り上げるようになったのだが、これは意外だった。
なぜならこれまで統一教会のことを取り上げることなぞ全く無かったからだ。
止まっていた時計が進み始めた気がした。
鈴木エイトさんなどが、ワイドショーで毎日のように統一教会を追及をしている時、「このまま統一教会ぶっ倒れろ、ざまぁぁああああああ」と思っていた。
姉をめちゃくちゃにした統一教会をついに動かすことが出来たかもしれないからだ。
中学の時、突然目の前に現れた巨大な団体。でもどう対処してよいかわからずこれまで生きてきたが、ついに彼らを白日の下にさらすことが出来る。そんな気分だった。いいぞもっとやれ。
毎日そう思っていた。
表向きは「安倍首相が亡くなったんだね。悲しいね」という感じを取り繕っていたが、内心は「いいぞもっとやれ」一択だった。
実際母親も同じ意見だった。母親は姉が統一教会に入ったことを長年責めていたので、なおさらだったのかもしれない。
実はそのころ、兄弟3人で作ったグループLINEが存在していた。何かのタイミングでわたし発案でつくったものだ。二番目の姉とテキスト上ではあるが話が出来てとても嬉しかった。
兄弟3人は割と仲良しなので深い話をするのかと思いきや、お互い二番目の姉に気を遣うような発言ばかりが続きそれは一番上の姉も同じだった。
わたしは調子に乗って、二番目の姉に対して「お姉ちゃん、お母さんも心配してるよ。体に元気でね(詳細忘れた)」みたいなことを送ったと思う。明らかに山上事件を意識してのメッセージだった。
姉はそれに反応し「しばらくグループから出ます」とだけ言い残し、グループを退出してしまった。以後、それから二番目の姉とはちゃんとコンタクトは取れていない。
連絡先はつながっているので、ちょこちょこ連絡はするものの、何かと用事をつけて会うことを断られるのでもしかするともう会えないのかもしれないとは思っている。
この結果は姉にとってはどう影響するのだろうか。
アイデンティティを失うのだろうか。
仕事命のオジサンが退職と同時に急激に老化が進むのと同じように、姉にとってはおそらくは心の拠り所となっていたはずの統一教会。
それが解散となると姉の心はいったいどこに行くのだろうか。心にぽっかり穴が空いて自死でもしちゃうんだろうか。
姉は今は50代前半である。
立派に子供を育てている話も聞いている。たぶんその子たちは二世信者なのかもしれないが。
我々の人生がこのような運命を辿ることになってしまった理由の一因には、間違いなく統一教会の存在があるが「そんな状況を作り出した統一教会がとても憎い!」 というような気持ちは実は全く無い。
姉の人生の目の前には統一教会があり、わたしの目の前には統一教会が無かった。ただそれだけの話だったのだと思う。
開業当初は不安で仕方なかったが、今思えば大したことはない。もっと早く飛び出していればよかった。
自分の裁量で大変な仕事をやって、自分で責任を取るというのは「生きている」という感じがする。
いや、一人親方ではあっても、周囲の力なくしては仕事は成り立たないのだが。
はてな利用者の中では高齢である。黄金頭の人の数個上になる。若い頃は勤め人だった。
人材派遣会社で数年働いた後、労働基準監督官として関東地方で任官した。その頃の思い出を語ってみようと思う。
守秘義務には最大限配慮する。元国家公務員でいうと、高橋洋一や山口真由など、あれくらい力のある人だったら、守秘義務まで含めて好きに本などを書いて主張できるが、私にそんな実力はない。
はてなブックマークで取り上げられた公務員日記を読んだ限り、一線を超えない限りは表現の自由の範疇となるようである。偉大な先達の方々と、はてな運営の寛大な措置に感謝したい。日記タイトルも先人に肖っている。
どんなことを話そうか、実はこれから考えるところである。ひとつだけエピソードを選んで掘り下げる格好を取りたい。字数が余れば、ほかの記憶も脳裏から取り出してみる。
あれは、30代手前の頃だった。採用五年目で、一年目はずっと労働大学校での研修のため、現場歴は四年目だった。主担当として違法賃金労働(サビ残)の現場を押さえた唯一の経験だ。
それまでは先輩や上司と一緒に臨検(臨検監督。会社に立ち入って調査)に出向いていたが、一人立ちできつつあった時期である。
なお、労基の採用パンフレットでは現場二年目から一人立ち~といった記述を見ることがあるが、そんなことはない。ほかの官公庁や民間企業と同じである。登記官と同じく独任制ではあるものの、20代だと普通に若手扱いである。
上記の「臨検」では何をするのか……管轄区域内に数多くある企業の中から、いくつかの基準・目安に則って抽出した事業所に出向いて、労基法違反がないか確認を行い、必要に応じて注意・指導や是正勧告を行う。近年では違法賃金(サービス残業)対策に重点を置いている。
私が勤めていた頃は、土木建設現場での事故防止や、下請けいじめの是正が叫ばれていた。
その現場では、経営者かその委任を受けた者に対して質問をして、必要事項を聞き取っていく。
最初は正式な社名や、所在地など基本的な事項から始まり、就業規則の確認に、従業員の名簿や、その雇用別の区分であるとか、元請下請関係、労働行政関係の補助金申請、賃金台帳や労働時間記録、終わりの方になると実務上の文書ファイルまで開いて法令との適合を確認する。
次第に深いところに踏み込んでいく。採用面接と似ているかもしれない。最初の質問は「今日の朝ごはんはなんでしたか?」から始まったりするだろう。
上記の結果による勧告は、いずれも行政指導(法令に適うように啓発・行動を促すこと)であり、処分性はない。
法的拘束力はないが、従わない場合は刑事処分に移行することがある。若手監督官の月の半分は臨検を含んだ監督業務に費やすことになる。
※よほどのことをしない限り刑事処分に移ることはない。「指導を行いました」の報告書は保存年限まで残る。そこまで長い期間でもないのだが。
具体的なエピソードに入る。
あの時は定期の臨検で、とある縫製会社(衣料品メーカー)を訪問した。総従業員は千人未満で、売上高は数百億円。社歴からすると伝統企業といったところ。東京から遠く離れたところに本社があり、この都内には支店とはいえ立派なビルが建っていた。
いつものように「事前にこの資料を準備してください」と依頼してあった。支店代表者と、本社経営陣の家族役員が私たちの対応をしてくれた。
最初は違和感がなかった。就業規則は法令に則ったテンプレートであり、賃金も書類上は適正に支払われていた。
事業所内をくまなく見て回ったが、原反(衣服の原料のロール。とても重い)の受入場も安全基準に問題なし、倉庫内も大量の衣料製品をカートハンガーで吊ってあったが、やはり問題ない。製品出荷場も糸くずひとつ落ちていない。トイレの数は、労働衛生法令の当落線上にあった。すべて和式。
ところ変わって、原反を長大な作業台の上に広げてCAD操作で裁断する現場でも、従業員は電動工具類を適切に取り扱っていた。職場に危険はないし、廊下もきれいに磨いてあった。
しいて言えば、ビール会社のキャンペーンガールのカレンダーが飾ってあったのだが、2025年現在では環境型セクハラに該当する。当時はギリギリセーフといったところか。
違和感があったのは……臨検というのは大体半日程度で終わるのだが、最後にもう少し時間を使ってみた。
「抜き打ちのようですいませんが、最後に一度、一人で周らせてもらいます。必要があれば呼びます」と言って、事業所内を再度歩いてみた。
すると、何点かの違和感があった。つい立ち止まることもあった。
・すれ違う従業員に元気がない。多くの年代がいたが、特に外国人労働者
・終業が近いのに、ほぼ全員が忙しなく動いている
・女性役員が管理職と厳しいやりとり。「あの若い子はいつも定時に帰る。辞めてもらえば?」など
・タイムカードの退勤時刻があまりに連続的。定時以後にまとめて全員分を押している?
「怪しい」と思ったが、定期監督の域を出ないよう、支店代表者さん方に挨拶をして帰った。
帰庁後は、上司に感じたことをそのまま述べた。「必要なら追加調査すべし」というのが指示だった。
その日の退勤後、私は自家用車でその縫製会社の前を通ってみた。やはり気になったのだ。
手ごろな駐車スペースがなかったため、路肩に停めた。パトカーが来ないことを祈りつつ、会社敷地に入ってみると……。
「やっぱり」
という感想だった。午後八時を過ぎていたが、出荷場のある棟の1階部分にバッチリ明かりが点いていた。言い逃れできない次元だった。ご丁寧に、カーテンをかけて明かりを漏れにくくしている。
そして、私は裏手に回って確認した。出荷場の板目を踏む音からして、何十人も仕事に従事しているのがわかった。現場を見なくても、建物内に多くの従業員が残っているのは明白だった。
従業員の平均的な退勤時刻と全く合っていない。違法賃金労働(以下「サービス残業」という。)である。計算するまでもなく、賃金台帳と合っていない。
それから私は、毎日夜にその会社の前を通って、サービス残業の状況を確認していった。
するとどうやら、毎日に渡って行われていた。あれから10日分、毎日夜にあの縫製会社の前を通って、出荷場の裏手に回って聞き耳を立てた。
常套的なサービス残業だった。当時は若く、使命感に燃えていた。どうにかして、あの従業員たちを救ってあげたいと願っていた。私自身がサービス残業をしているのは突っ込まないでほしい。
後日手に入れた縫製業界の情報によれば……どうやら4月~6月の業界繁忙期に毎日サービス残業を行わせ、冬季の暇な時期にはそこまでさせていないだろう、という推測が立った。
そこまで情報を整理したうえで、再度あの支店代表者に架電してみた。「御社が違法賃金労働をしているという申告があったのですが~」という優しい嘘からやんわりと入って、早めに事実を認めていただきたい旨を暗に伝えたが……やはり想定どおりの回答だった。
というのが向こうの言い分だった。
だとしたら、こちらも準備を整えたうえでやってやろうと思った。
五月の下旬だった。夜七時半を回った頃である。その縫製会社の前に、私と、当時所属していた監督署の若手約10人と、管理職2名(責任を取る人)と、他所の応援職員5人がいた。サービス残業の現場を抑えるために人を集めたのだ。
実際に現場を押さえても、授業員が蜘蛛の子を散らしたようになることが多く、相手方の管理職も証拠隠滅に走るおそれがある。最低でもこれくらいの人数が必要である。
この日の夜、以下の図のように、監督官全員で出荷場を取り囲んだ。
概略図(スマホの人すいません)
○○○○ |――――|
○ | |
○ | 出 |
○ | 荷 トラック
○ | 場 搬入口
○ | |
○ ∥ |
○ 扉∥ |
● | |
○○○○ |――――|
___________________________
___________________________
〇……私
私は大きい声とともに、出荷場の扉を開けた。中には……30人はいただろうか。
その出荷場では、出荷する商品の検品と、箱詰された荷物をトラック運転手に受け渡す作業を行っていた。
従業員は全員、疲れた表情をしていた。覚えているのは、還暦ほどの人がヨロヨロと段ボール箱をカートに載せていたのと、製品の検査をしていた外国人労働者達である。彼らが一番ぐったりしていた。
「これから指示に従ってください。全員動かないように!」
「労働基準監督官」の文字入りの証票を提示した直後、私達とその後ろに続いていたほかの監督官も出荷場に突入した。管理職は別の入口から事務所を抑えにいった。
抜き打ちの臨検監督はおごそかな雰囲気で進んだ。従業員を早く帰したかったのもあるが、当日のタイムカードをその場で押収し、誰かが全員分のタイムカードをまとめて切っていたことを速やかに確認した。
サービス残業をしていた一人ひとりに簡易な聞き取りを行い、対象者のタイムカードのみ抜き出すと、従業員を帰宅させた。
縫製会社の管理職数人と、あの家族役員が社内に残っていた。深夜まで社内で取り調べを行った。
すべてが終わると監督署に帰庁し、参加者全員に(主に私の上司が)感謝の意を述べて、その日の記録をまとめて……臨検及びサービス残業の捜査は終わった。深夜2時を回っていた。
それからも長年、監督官としての業務に従事した。事務も企画も監督業務も、一通りやらせてもらった。
字数が余った残りだが……読み手の心に残りそうなものが2つある。2つとも、2025年から数えると20年以上は昔のことである。現行の労基対応とは異なる可能性があるので留意願いたい。
1件目は、スーパーマーケットでのことだ。高島屋か伊勢丹かは覚えていないが、百貨店の中にある食品スーパーだった。
ある日、私の職場にいきなり通報があったのだ。警察か消防(※救急)の人かはわからなかったが。精肉コーナーの中で、食肉をパック詰めにするために加工していた現場でのこと。
食肉加工機械(ミートスライサー)を使って作業をしていたアルバイト従業員の若い子が、指を切断したという内容だった。労基案件の可能性があるので現地に来てほしいとの電話だった。
現場は悲惨だった。私たちは遅れて参じたものの、警察官ができるだけ証拠保全をしていた。グロテスクであるため、どれだけ血が飛び散っていたとか、どういう体勢で事故に巻き込まれたのかなど、通報直後の様子までは描写しない。
ただ、指切断という次元ではなかった。一本の指を残して、後4本が手のひらごとミートスライサーに巻き込まれてミンチになっていた。
当時の私は20代半ばである。手や足元が震えて止まらなかったのを覚えている。現場には肉片が残っていた。証拠保全を終えるまで、掃除したくてもできないのである。
原因は、ミートスライサーの安全装置だった。会社にあるような業務用シュレッダーであれば、わざとケガをしようとしてさえも、ケガをしないような――安全装置等が付いている。
その精肉コーナーでは、安全装置が取り外されていた。そのうえで、作業用の特厚ゴム手袋を従業員に着用させていなかった。完全に自由に作業させていた。社員も指導しない。それらが原因だった。
結果として、食品スーパーの経営者が労働安全衛生法違反として書類送検された。使用者は、従業員に対して業務上の危険回避や、健康障害を避けるための措置を講じる義務がある。
ほぼ上限の罰金刑となったが、義務違反が強ければ懲役刑もありうる。この事例は、従業員側にも若干の非があると認められた。安全装置のくだりだが、経営側ではなく現場判断で取り外していたことが起訴前の段階で立証された。
飲食店というのは、夜に接待を行う店舗だった(夜職分類だとガールズバーが最も近い)。いわゆる、有給不行使(結果としての賃金不払い)案件だった。
通常の申告・相談の場合、労働者側からの聞き取りに加えて、可能な限り証拠物を集めてもらう。そのうえでクロが濃厚となったら、使用者側に連絡を取る。
その際は、厳しい言い方ではなくて、「こういう申告があったのですが、もし本当にそうなら、(~法令の説明~)未払い賃金を支払ってください」などと電話をする。
あくまで行政指導である。従わなかったからと言って罰則はない。使用者が無視することもありうる。その場合は……残念ながら、機会的な対応(オポチュニズム)をならざるを得ない。やむを得ない時の裁量的判断であり、本来はよろしくない。公務員は常に法令をベースに動くべきだ。
一例として、違反レベルが小さい場合、労働者には自ら解決するよう監督官が助言・アドバイスを行うのが一般的である。もし、労基に強い対応を求めたい場合は、複数人で相談するか、よほど強い根拠書類を用意するなどしてほしい。
さて、この申告案件の詳しい内容だが……。
・職場の後輩と一緒に辞める際、二人で有給休暇を取得しようとした
という流れだった。
半年以上勤務していれば、非正規雇用者であっても有給休暇を取得できるし、彼女らは給与明細その他の根拠書類を揃えていた。タイムカードのコピーも。
私は、そういう夜のお店に行った経験はほぼゼロだった。業界知識もない。先輩方に相談したところ、「あいつらは難しいよ」と言う人が複数いた。
証拠付きで相談を受けている以上は、相手方に連絡すべき場面である。そして実際に、相手方にとって都合がいいであろう夕方頃に電話をし、事実確認及び有給取得の制度を説明したのだが、いい答えは返ってこなかった。
以下;相手方の主張の要約。
(主張①)
うちの会社に有給休暇制度はないし、この業界にそんな会社はない
(主張②)
あの二人は就業態度がそこまでいい方じゃなかった。お客からの評判もいまいち。もっと会社に対して貢献とか、貢献できなくても努力した姿勢を見せてくれれば可能性はあった
(主張③)
どの業界にもルールがある。あの二人は大学生で、若いから知らないかもしれないが、その業界に入ったなら、そこでの常識に合わせられないとダメ。そんなのだと今後社会で通用しない
ということだった。先輩方に相談したとおりの結果になった。相手は風俗業界の慣習を盾にしている。
だが、私もそんなに折れなかった。当時は若く、企業側を守る社労士となった今(※実は自著を上梓しています)よりも正義感に溢れていた。社会正義を実行する立場であるという自惚れに近い感情もあった。
引き続き、粘り強くその会社と交渉(※非弁行為には当たりません)を繰り返した結果、有給は本来10日のところを、月末までの5日であれば取らせてくれるということで妥結した。一応は全員納得の結果だった。
これで一応終わりである。
以下、余談など。
不安は、将来の不確実性や未知の事柄に対する感情的な反応です。特定の状況や出来事に対する恐れや心配から生じることが多く、誰にでも経験しうる自然な感情です。しかし、不安が強くなりすぎると、身体的な症状(例えば、動悸や息切れ)や心理的な影響(集中力の低下や過剰なストレス)を引き起こし、日常生活に支障をきたすこともあります。
深呼吸やマインドフルネスを通じて、心を落ち着かせることができます。
体を動かすことでストレスを発散し、気分をリフレッシュできます。
趣味に没頭する
好きなことに集中することで、不安から意識をそらすことが可能です。
友人や家族と話す
感情を共有することで気持ちが軽くなり、サポートを受けることができます。
専門家の助けを求める
不安が深刻な場合、カウンセラーや医師に相談するのも有効な選択肢です。
不安との向き合い方
不安は決して珍しい感情ではありません。大切なのは、自分に合った対処法を見つけ、無理なく進めることです。焦らず、ゆっくりと取り組む姿勢が、不安を乗り越える一歩となります。あなたは一人ではありません。不安を感じたときは、周囲に手を伸ばしてみてください。きっと支えが見つかりますよ。