最終戦争前に米州の生産力を追い越す?
【 石原莞爾:最終戦争論 】
以下は、青空文庫の石原莞爾『第二部「最終戦争論」に関する質疑応答』からの一部抜粋(その2)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html
昭和十六年十一月九日於酒田脱稿
第十三問 日本が最終戦争に於て必勝を期し得るという客観的条件が十分に説明されていない。単なる信仰では安心できないと思う。
答 われらは三十年内外に最終戦争が来るものとして、二十年を目標に東亜連盟の生産力をして米州の生産力を追い越させようとするのである。たしかに驚くべき計画であり、空想と笑われても無理はない。われらも決して楽観してはいない。難事中の至難事である。しかし天皇の御為め全人類のために、何としてもこれを実現せねばならぬ。
東亜の最大強味は人的資源である。生産の最大重要要素は今日以後は特に人的資源である。日本海、支那海を湖水として日満支三国に密集生活している五億の優秀な人口は、真に世界最大の宝である。世人は支那の教育不振を心配するが、大したことはない。支那人は驚くべき文化人である。世界の驚異である美術工芸品を造ったあの力を活用し、速やかに高い能力を発揮し得ることを疑わない。
困難ではあるが、われらは必ず二十年以内に米州を凌駕する戦争力を養い得るだろう。ここで注意すべきことは、持久戦争時代の勝敗を決するものは主として量の問題であるが、決戦戦争時代には主として質が問題となることである。
しかし、われらが断然新しい決戦兵器を先んじて創作し得たならば、今日までの立遅れを一挙に回復することも敢えて難事ではない。時局が大急転するときは、後進国が先進者を追い越す機会を捉えることが比較的に容易である。科学教育の徹底、技術水準の向上、生産力の大拡充が、われらの奮闘の目標であるが、特に発明の奨励には国家が最大の関心を払い、卓抜果敢な方策を強行せねばならぬ。
発明奨励の方法は官僚的では絶対にいけない。よろしく成金を動員すべきである。独断で思い切った大金を投げ出し得るものでなければ、発明の奨励はできない。発明がある程度まで成功すれば、その発明家に重賞を与えるとともに、その発明を保護したものに対しては勲章を賜わるようお願いする。
最終戦争のためには、どれだけの地域をわが協同範囲としなければならないかは一大問題である。作戦上及び資源関係よりすれば、なるべく広い範囲が希望されるのであるが、同時に戦争と建設とはなかなか両立し難く、大建設のためにはなるべく長い平和が希望される。徒らに範囲拡大のために力を消耗することは、慎重に考えねばならぬ。このことについても持久戦争時代と異なり、決戦戦争に徹底する最終戦争に於ては、必ずしも広い地域を作戦上絶対的に必要とはしないのである。優秀な武力が一挙に決戦を行ない得るからである。
以上の如く、われらが最終戦争に勝つための客観的条件は固より楽観すべきではないが、われらの全能力を総合運用すれば、断じて可能である。そしてこの超人的事業を可能にするものは、国民の信仰である。八紘一宇の大理想達成に対する国民不動の信仰が、いかなる困難をも必ず克服する。苦境のどん底に落ちこんでも泰然、敢然と邁進する原動力は、この信仰により常に光明と安心とを与えられるからである。日本国体の霊力が、あらゆる不足を補って、最終戦争に必勝せしめる。
<感想>
残念ながら、決戦戦争に備えた新しい決戦兵器の創作ができず、八紘一宇の大理想の達成はできなかったが、石原莞爾的国家論を語る人が現れてほしい
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