「同性婚――私たち弁護士夫夫です」
「同性婚――私たち弁護士夫夫です」(南和行著、祥伝社)より
日本国憲法・民法 条文
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
日本国憲法第14条
1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
日本国憲法第24条
1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
民法第772条
1.妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する
2.婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する
家制度の名残としての民法772条
家制度などを定めた戦前の旧民法は、明治時代、1898年に制定されたものである。しかし、国民を「家」の単位で登録し管理する戸籍制度派、旧民法の制定より20余年も前、明治初期の1872年の戸籍法の施行とともに整えられた。つまり1898年に制定された民法の婚姻や家制度は戸籍制度を下敷きにしている。
もちろん今の婚姻制度は、日本国憲法24条が謳う個人の尊重と男女の平等に基いて、戦後に改定された新民法の中で定められたものである。しかし、下敷きになっている戸籍制度が戦前から引き継がれていることなどもあり、嫡出子と非嫡出子の相続分の差別など、新民法の中にも家制度の名残がいくつか残された。
新民法においても残された家制度の名残の一つが、これからのべる民法772条である。民法772条は、生まれた子どもの父親を定めるルールを規定する条文である。旧民法820条の文言がそのまま新民法に引き継がれた。
民法772条は、子どもの父親が誰であるかを、母親の婚姻関係を基準に考えるという規定であり、法律がどのように考えているかを示唆する規定である。
民法772条は、「子どもが生まれる枠組みこそが結婚である」という家族モデルを提示する。しかし、この民法772条が提示する家族モデルから外れた家族は、家族として法律上保護されず、個人としての存在すら認められないという困難を抱えている。
同性カップルに限らず、現実には多種多様な家族が社会で暮らしている。家族にはひとつとして同じ家族はない。本来法律は、どのような形の家族も家族として存在を認め、そして法律上の保護を与えるべきではないか。
だから私は「子どもが生まれる枠組みこそが結婚である」という家族モデルにこだわる民法772条を、家制度の名残だと考える。それゆえ同性カップルを含む多種多様な家族を法律上保護するためには、この民法772条の緊張関係について検討したい。
法律上の父親が誰であるかを、結婚制度を中心とする民法772条のみを頼りに定める時代はそろそろ終りに近づいているのではないか。
民法772条のもとになる戦前の民法820条が制定されたのは明治時代だ。家制度の「家」が社会の基礎的単位であった時代に父親がない子ども、つまり「家」を持たない子どもが社会を生き抜くにはきわめて厳しかった。
だからこそ生物学上の父が誰であるかはさておいて、結婚という枠の中で法律上の父をはずは特定しておくことが、子どもが社会の中で生きていく身分を安定させるために重要な意味があった。
しかし、今や家制度はなくなり、個人の尊重と男女の平等を基礎にする家族という集合体、あるいは個人一人一人が社会の基礎となっている。またDNA鑑定など科学技術の進歩により生物学上の父が誰であるか知ることも容易になり、さらには性や恋愛も個人の自由に委ねられる社会となった。
そうなると、家制度の名残である民法772条の不自由さのみが、多様な家族の存在を否定する大きな壁となって、社会に影を落とすことになった。民法772条を厳格に適用する最高裁判決に対して感じる違和感は、生物学上の父と法律上の父がズレを許容することの違和感ではない。むしろ現実にそこで暮らしている家族を、家族として認めないことへの違和感である。
多様な家族の存在が社会の中でどんどん見えるようになっている。同性カップルの家族、あるいは同性カップルと子どもの家族も、現に社会に存在し、家族としての一つの形である。私は、そのような家族が法律上保護されるとき、つまり同性婚が法律で認められるときこそが、家制度の最後の名残である民法772条の役割が終わるときなのではないかと考えている。
>>憲法第14条の、法の下に平等であるはずの国民が、差別を強いられている民法上の条文は改正すべきである