「回想十年」
「回想十年 新版」(吉田茂著、毎日ワンズ)
ハウス大佐の忠言
エドワード・ハウス大佐というのは、第一次世界大戦の前後、米大統領ウッドロー・ウィルソン氏の顧問(パーソナル・エンヴォイ)として、国際外交舞台で活躍し、当時は日本にも知られた人であるが、ヴェルサイユの講和会議の際に、わが国の全権の一人であった牧野伯と懇意の間柄となった。ハウス大佐は私の顔を見るや、開口一番、「ディプロマチック・センスのない国民は、必ず凋落する」と強調して、語り出したのである。「ディプロマチック・センス」とは直訳すれば「外交的感覚」であろうが、「国際的な勘」といってもいいかもしれぬ。
第一次大戦直前のドイツは隆々たる新興国家で、経済に、また軍備に、イギリスを凌ぐ勢いで、私が大佐に会った当時の日本はいわば「第二のドイツ」といったようなところであった。大佐はさらに語を継いで、
「今日の日本に対しても、当時のドイツに対してと同様の忠言をいたしたい。日本がいたずらに戦争に突入するようなことにでもなれば、近代日本の輝かしい興隆発展は、一朝にして覆されてしまうであろうし、もしまた反対に日本がこの際自重して、平和を維持し、冷静に国連の隆盛に専念するならば、日本の前途は洋々たるものであろう。殷鑑遠からず、ドイツ帝国にあり。これは老人の過去の経験から生まれた結論であるから、今日の日本国民は深く自分の言葉を味わってもらいたい」
と、心からの言葉を述べたのであった。
帰朝後、私はこのハウス大佐の話を努めて広く伝えたが、その後、近衛文麿公爵が渡米して、ハウス大佐に会ったときにも、大佐は熱心にこの日本に対する忠言を繰り返していたそうである。近衛公も私と同様にそれを朝野各方面に伝えるよう努められたようである。
ところが、不幸にして、せっかくのハウス大佐の忠言も、ドイツの場合と同様に、わが国にも用いられず、明治以来長い間の外交上の伝統を狂わせて、無謀な戦争に突入し、興国の大業を根底から破壊してしまった。
>>安倍首相には「ディプロマチック・センス」があると信じている