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「不機嫌な作詞家」②


「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」(三田完著、文藝春秋)より


  第二章 青春はシネマの闇に

 淡路島と阿久さんの距離が縮まった大きなきっかけが『瀬戸内少年野球団』だった。例の純白のスーツを着た講演会からほぼ半年後に上梓され、昭和54年度下半期の直木賞候補になった。さらに同作は、昭和59年(1984)に篠田正浩監督の手で映画化される。東京でヒットメーカーに上り詰めた阿久さんの胸が郷愁で疼くことは、それまでなかった。転校と同じで、別れても辛くない場所だった。だが、四十代になり、人生の折返し点を過ぎたとき、あえて淡路島を舞台にした小説を書いた。かつて転校1日目に用いたのと同じ、野球という小道具を盛り込んで。

 高校時代から映画に耽っていた阿久さんにとって、自作が映画化されることはさぞかし胸躍ることであっただろう。『瀬戸内少年野球団』は敗戦直後の淡路島を舞台に、野球に夢中になっていく少年たちと戦争の影を引きずる大人たちの姿を描いた物語である。子供たちを野球へと導く駒子先生を夏目雅子が演じ、結果的に彼女の遺作となった。また、いまや世界的俳優となった渡辺謙の映画デビュー作でもある。

 阿久さんの高校時代、洲本には三つの映画館があった。東宝、大映、新東宝系の「玉尾座」、松竹、東映系の「弁天座」、洋画専門の「オリオン」の三館である。いずれも人形浄瑠璃や大衆演劇を上演する劇場から映画館に転じた由緒を持つ小屋だった。歳月が流れ、最後まで残ったオリオンが平成25年(2013)秋に閉館。いま、淡路島に常設の映画館はひとつもない。


  第六章 『スター誕生!』と山口百恵

 『せんせい』(森昌子)のリリースは昭和47年(1972)のこと。その森昌子が決戦大会の初代グランドチャンピオンに輝いた日本テレビの『スター誕生!』がスタートしたのは昭和46年(1971)10月、日清カップヌードルの発売とほぼ同時期である。企画書を書いたのは放送作家の阿久悠であり、審査員席には作詞家の阿久悠がすわった。

 山口百恵は森昌子と同じホリプロに入った。『せんせい』『同級生』『中学三年生』・・・・・・と、デビューから阿久さんの詩を唄いつづけた森昌子とは別の路線、別の作詞家でいくというのは、ホリプロとして自然な成り行きだろう。とはいえ、七年半の活動期間に百恵さんがリリースした32枚のシングル盤に阿久悠作品がひとつもないという事実には、なにかしらの意味を感じてしまう。

 桜田淳子をずっと阿久さんがやっていたので、百恵さんのデビュー曲(『としごろ』)の詩は千家和也氏に依頼した。

 昭和56年(1981)、日記を書きはじめた年、阿久さんはまだこの番組の審査員を努めていた。

 この年いっぱいで阿久さんは審査員を辞した。番組がはじまってからちょうど十年、つぎつぎとアイドルスターが生まれたスポットライトの影で、そこかしこに制度疲労が起こっていたということだろうか。しかし、阿久さんが審査員席にいた最後の年、『スター誕生!』の舞台からは小泉今日子と中森明菜が巣立っている。卓越したアイドルがふたりも生まれているというのに、なぜ阿久さんの心は弾まなかったのだろうか。

 ちょうどこのころ、松田聖子、田原俊彦、近藤真彦といった『スター誕生!』出身ではないアイドルたちが急速に人気を伸ばしていた。

 同じ年の3月31日、ピンク・レディーがまだ屋根のなかった後楽園球場で解散コンサートを催した。阿久さんが生涯に売り上げたシングルレコード、CDの総売上枚数は約七千万。その1/6を占めるピンク・レディーの解散コンサートについて、日記にはなにも記述がない。


>>時代の変化に合わせて自らも変化してゆきたい

「不機嫌な作詞家」①



「不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む」(三田完著、文藝春秋)より
2016年7月30日第1刷発行


  はじめに――阿久悠と変装

 なぜ『スター誕生!』の審査員席で阿久さんはあんなに険しい顔をしていたのか、後年、尋ねてみたことがある。

 「番組をはじめるとき、決意したんだよ――出場者の前で笑顔を見せるのはやめようと。これからプロをめざすひとたちなんだから、子供扱いしちゃいけない。大人に対するのと同じような感想をいわないと失礼だと」

 つまり、阿久さん自身が、『スター誕生!』という番組のなかでは恐い先生に変装していたのである。


  第一章 美空ひばりと同い年の少年

 阿久悠日記は昭和56年(1981年)の1月1日からはじまる。

 日記を書きはじめた前日、すなわち昭和55年(1980)年の大晦日は阿久さんにとってことさらに華やかな日だった。八代亜紀の『雨の慕情』がレコード大賞を受賞したのである。『また遭う日まで』(71年 尾崎紀世彦)、『北の宿から』(76年 都はるみ)、『勝手にしやがれ』(77年 沢田研二)、『UFO』(78年 ピンク・レディー)につづく五度目の大賞受賞。ちなみに、昭和34年(1959)にはじまったレコード大賞の歴史のなかで、グランプリを五回獲得した作詞家は阿久さんのほかにはいない。そして、『雨の慕情』は、阿久さんが手にした最後のレコード大賞でもあtった。

 阿久さんがヒットメーカーとして頂点を極めたのは昭和48年(1973)から53年(1978)までの6年間である。

 昭和54年(1979)の夏に阿久さんは半年間の休筆を宣言し、その期間中に上梓した小説『瀬戸内少年野球団』が第82回直木賞候補となった。その年、ヒットチャートを席捲したのはさだまさし、アリス、サザンオールスターズ、YMOといった面々である。だんだんと流行り歌の様相が変化しつつあることを阿久さんは感じ、作詞家として自分が行く道を模索しながらも、ときに悶々とした思いを抱いた時期だったに違いない。と同時に、作詞から小説に軸足をシフトすることも念頭にあったかもしれない。

 昭和55年2月から作詞家としての活動を再開し、ヒット曲の数は全盛期に及ばずとはいえ、『雨の慕情』のレコード大賞受賞で堂々の貫禄を示して迎えた新年だった。


>>時代の変化に敏感であり続けたい


「新世代CEOの本棚」⑧



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より


 #08  仲暁子(ウォンテッドリーCEO)

ゴールドマン・サックス證券、Facebook Japanを経て起業。国内最大級ビジネスSNSを展開する若き女性CEOは、ジョブズをはじめとする創業者の本に学んできたという。

 「採用」「解雇」の二大難問に答えてくれた本


  読み継がれるビジネス書には力がある


 古典と言える本の中で特に読んでよかったのが、『影響力の武器』。これは、経営者だとかビジネスパースンといった立場にかかわらず、だれしもが「読まないと損する本」だと思います。

 本書は行動心理学に基づいて人間の行動の謎をひもといていて、ありていに言えば「人をコントロールする方法」について書かれています。「自分が望むように相手に動いてほしいとき、どのように働きかけたら気持ちよく動いてくれるか?」を知ることができるのです。人間の悩みはたいてい対人関係が原因ですから、この本は経営にもかなり役立ちました。


  岡本太郎で目を覚まされた

 「なに、これ?」と手にとったその本は、岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』。

 この本から私が受けた影響は、はかりしれません。

 たとえば岡本太郎は、多くの人が大型直通バスに乗り込み、安全で舗装された道をただ選ばれていくだけの人生を送っている、と警鐘を鳴らしています。「決して自分の足で踏み分け、イバラに顔を引っかかれたり、猛獣とぶつかって息をのむ、というような真正の人生は経験しないのだ」と。


  #09  孫泰蔵(Mistletoe CEO)

ガンホーにてパズドラを大ブレイクさせたIT業界の雄・孫さん。その経営理念を支える本とは。若い社員と働くときの参考になるという、国民的マンガも登場。

 『ワンピース』は、チーム経営の最高の教科書


  江戸時代から、ITビジネスのヒントを得る


 僕がずっとやってきたITは、ライフスタイルや産業など、あらゆるものの在り方を変えていくものです。パラダイムシフトという言葉がよく使われますが、既存のものを積極的に破壊し、新たなものを創造していくことで、社会構造における利便性や効率を向上させてきました。だからこそ、古今東西のいろんなものからヒントを得ることが重要なんです。

 そういった江戸時代の社会については、山本博文さんの『学校では習わない江戸時代』『東大流よみなおし日本史講義』や、杉浦日向子さんの一連の書籍で学びます。

 また研究所では、とりわけ歴史学者の網野善彦さんの本が参考になります。「異端の歴史学者」などと呼ばれることもある網野さんですが、たとえば『無縁・公界・楽』あたりには、いわゆる日本の正史にはない民の姿が書かれています。


  #10  佐渡島庸平(コルクCEO)

 講談社を経て、作家エージェントを起業。『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』を世に送り出した名編集者の愛読書。本とコンテンツビジネスの未来はどうなるか。

 ストーリーづくりは「観察力」が9割、「想像力」が1割


  いつの間にか、見城語録を引用


 経営者として勉強になった本というと、稲森和夫さんの『生き方』がまずあがります。稲森さんは人間としての器が大きいというか、経営者が座禅を組んでいるような感じがします。

 同じ編集者兼経営者の先輩として、幻冬舎の見城徹さんはやっぱりすごいと思います。


  「分人主義」とは何か

 もう一つ、僕がすごく影響を受けているのは、平野啓一郎さんの『私とはなにか』。

 自分というのは一つではなくて、相手によって違った自分が引き出されるという分人主義の考え方を取り入れてから、心の中が整理されるようになりました。今、目の前にいる人は、僕が引き出したその人の一面にすぎないわけです。



>>安全で舗装された道をただ歩むのではなく、既存のものを積極的に破壊し、新たなものを創造してゆきたい

「新世代CEOの本棚」⑦



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より

  #06  迫俊亮(ミスターミニットCEO)

カリスマ社会起業家の率いるマザーハウスを経て、29歳で伝統企業のトップに抜擢される。若さゆえの経験不足を補いたい一心で、食費と睡眠を削って本を読みまくってきた。

 「とりつかれたような読書」から見えてきたもの


  仕事で焦りを覚え、超多読に着手


 以前はゴールドマン・サックスのエコノミストを務めていたマザーハウスの副社長、山崎大祐さんに「これを徹底的に読めば、ほかの本は読まなくていいくらいだ」と薦められたのが、『マンキュー経済学』。

 経済学の素地がなかった私でも「経済学とはどういう考え方をするのか」の本質がつかめたのは、この本のおかげです。日本経済はこれからどうなるか、なぜ貧困が起こるのかといった「応用編」にあたる本を読む前に、経済学の基礎をしっかり身につけられたのは大きかったですね。


  他者への共感と経済合理性は矛盾しない

 『道徳感情論』は私のビジネス嫌いの考えが修正された1冊です。

 社会性か経済合理性かの二律背反ではなく、両立することで社会は良くなる。社会や他者に対する想像力を捨てない限り、資本主義を最大限活用することが社会をよくするベストの方法である。そう納得させてくれたのが、本書でした。


  本から得た「希望」の姿

 『職業としての政治』も、胸に響くものがありました。

 「社会が少しでもよくなればいい」というスタンスに対し、大いに共感したのです。

 希望といえば、『夜と霧』もこの時期に読みました。

 内容を説明するまでのまに有名な本ですが、「アウシュビッツ強制収容所で生き残ったのは、賢い人でも、身体が丈夫な人でもない。希望を捨てなかった人だ」ということが描かれているんですね。

 「この会社でこんなことがしたい!」という思いが明確で、働くことに希望を持っている人のほうが、結果を出してくれるものです。


  リーダーは下の者に使える存在

 『ウィニング』には、「リーダーに選ばれることは、王冠を与えられることではない。ほかのメンバーの実力を最大限に発揮させる責任が与えられることだ」と書いてあります。ほかにもリーダーは下の者に使える(サーバントである)存在だと言わんばかりのルールが並べられていて、「アメリカ型リーダーの代表のようなジャック・ウェルチがこんなことを言うのか」と非常に驚きました。


>>希望を持って働いて、結果を出してゆきたい


「新世代CEOの本棚」⑥



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より

  #05  出雲充(ユーグレナCEO)

マンガに登場する「驚異の豆」にヒントを得て、ミドリムシを事業化。さらに、ある本の教えを実践したことで、敬愛するノーベル平和賞受賞者の弟子になれたという。

 ドラゴンボール「仙豆」から、ユーグレナを着想


  月30冊の読書を支える速読術


 1ヵ月に30冊読破すると言うと驚かれますが、経営コンサルタントで作家の神田昌典さんが監修されている『あなたもいままでの10倍速く本が読める』を読んだからこそ。

 この本では、究極的には1ページ1秒で読めるようになるという「フォトリーディング」と呼ばれる手法を学ぶことができます。


  目利き・成毛眞氏を信頼

 「本のキュレーター」でもっとも信頼しているのが、成毛眞さんです。

 私自身、人に本を薦めることもあります。ユーグレナの仲間が管理職になるときはその人にふさわしいと思う本を必ずプレゼントしているのですが、半分くらいは『優しい会社』を選んでいます。

 これは、本当に素晴らしい本です。戦後70年、世代ごとの生き方や思考パターン、それに影響を与えた時代背景を、各時代にタイムスリップした主人公を軸にストーリー仕立てで学べます。ビジネスパースンはもちろん、芸術家でも、スポーツ選手でも、子どもでも、どんな立場にいる人が読んでも価値がある。そう確信できる1冊です。


  読んでも実行する人は少ないから

 神田昌典さんの本には、何度となく「実際にやってみることが大事だ」と書かれています。『非常識な成功法則』でも、「本を読んで、実行に移せる人は、10人に1人。9人は評論家で、何もしない」と訴えている。


  経営の講義をもとにした『ロケットボーイズ』

 『ハーバードからの贈り物』やランディ・パウシュの『最後の授業』、クレイトン・クリステンセンの『イノベーション・オブ・ライフ』のように、大学の最終講義をまとめた本はいくつかありますが、私がベンチャー企業の経営者として薦めたいのは『ロケットボーイズ』です。

 正確には、これは最終講義をまとめたものではありません。バブソン大学で行われたジェフリー・ティモンズの最終講義のテキストになった、実話をもとにした小説です。


>>評論家でなく、実行する人であり続けてゆきたい

「新世代CEOの本棚」⑤



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より

  #04  佐藤航陽(メタップスCEO)

人工知能を生かしたビジネスを世界で展開。フィンテックの最先端をひた走る29歳の起業家。21世紀型の読書人である彼が、ゲノムと宇宙に注目する根拠とは。

 「感情」「経済」「テクノロジー」で未来を俯瞰


  読む時期と読まない時期を分ける


 本の情報は、あくまで仮説を立て、自分の仮説が間違っていないかを検証するための一部なので、本を読むことと実際に試してみることは、私の中ではワンセットです。

 何かを知りたいと思ったときは、関連書籍をまとめて買ってきて、1週間くらい部屋にこもって、朝から晩まで読んでいます。アポイントも入れません。

 アマゾンでキーワード検索をかけて、上から5~6冊を購入し、興味のあるところだけを拾い読みして概要をつかむ。もっとくらしく知りたいときは、その著者の本をさらに買って読んでみます。

 事業が多少軌道に乗ってきてから出会ったのが、ジェフリー・ムーアの『キャズム』をはじめとする一連の本です。

 このシリーズは、本当に勉強になりました。そこに出てくる話がことごとく自分がぶつかってきた問題とそっくりで、自分のことが書いてあるんじゃないかと思うほど。

 私はたまたま正解を選んで生き残ることができましたが、あそこで別の選択をしていたら失敗していただろうなと考えさせられる場面がいくつもありました。事前に呼んでいたらよかったなと思う本の一つです。


  市場の偏りをいかに見つけるか

 ここ5年くらいは、本で読んだ内容を自分の事業で実際に試してみて、本当だったか嘘だったか、すぐにわかるようになったので、フィードバックのスピードが格段に速くなりました。

 気になった本をつまみ食いして、「もしかしたらここに書いてあることは、この事業と共通項があるんじゃないか」と思ったら、すぐに取り入れて試してみるということを繰り返しています。

 たとえば、『ブラック・スワン』を読むと、不確実性やリスクというものがどういうものかがわかります。

 事業でも資産でも、安全牌ばかり選んでリスクのあるものに投資していないと、逆にそのことがリスクになる。8~9割はほぼ確実に計算できる事業に投資しつつ、残りの1~2割は自分ではちょっとわからないけれども、とりあえずやってみようという事業に投資する。その比率は意識しています。

 有名なグーグルの20%ルールも、創業者が意思決定を間違えたときのためのリスクヘッジとして、社員の創意工夫を引き出そうという仕組みです。

 『新ネットワーク思考』が示すように、人間は最も古くて実績のある選択肢を選びがちなので、経済にはどうしても「偏り」が生じる。その偏りをスピーディーに見つけることができれば市場を押さえられる。

 だから、マーケットのデータを全部集めて分析し、2割の偏りをいち早く割り出すことを極力速くやるようにしていまs。限られたリソースをムダにしないためです。


  「人間の感情」に興味

 人間の感情という意味では、突出した人物がどういうバックグラウンドで育ってきたのかを知りたくて、伝記を読むようになりました。

 たとえば、ウィキリークスを創設し、米国の外交機密文書を暴露して、ホワイトハウスを敵に回したジュリアン・アサンジ。彼の自伝『ジュリアン・アサンジ自伝』を読むと、頭の回転がすさまじく速いことがわかります。

 子どもの頃から抑圧された環境にいて、権力というものをものすごく憎んでいた。それが大人になっても変わらない。めちゃくちゃなんだけど、そこに一本筋が通っています。


  バフェットとソロスの相違点

 ハンガリー生まれのユダヤ人であるソロスは、ナチスの支配下にあったブダペストで、同胞のユダヤ人を密告することで生き残り、そこで十字架を背負います。

 ソロスを知るには、もう一人の世界的な投資家、ウォーレン・バフェットと比べるとわかりやすい。バフェットの評伝『スノーボール』を読めばわかりますが、同じ投資家でも、二人の目的はまったく違います。

 バフェットは一流の投資のあるげき姿を掘り下げていく職人タイプで、投資そのものに興味がある。一方、もともと哲学者になりたかったソロスは、再帰性という自分のロジックがこの世界に当てはまるか試してみようということで、自分の理論を実験する場として株式市場を選びます。

 だから、ソロスにとって投資はただの手段にすぎない。自分自身を突き放し、離れたところから観察する冷徹さに惹かれます。私自身、自分の精神と身体が切り離された感覚を持っているからです。

 私が起業したのは、自分自身を実験台にして、この世界がどんなメカニズムで動いているかなしかめてみようと思ったからです。私とってビジネスは、自分の仮説を確かめるための手段なのです。


  世の中は「嫉妬」と「そろばん」で動く

 日本人では、田中角栄の本が面白かったです。『田中角榮』を読むと、なぜ角栄があそこまでスピーディーに全くのゼロから総理大臣まで昇りつめたのか、その理由がわかります。

 また、世の中は嫉妬とそろばんで動くという話も出てきます。嫉妬というのは感情です。そろばんというのはお金です。

 人間誰しも自分がお金に卑しいとは思いたくないから、お金を受け取る相手が自分を正当化できる理由まで用意する。角栄の人心掌握術はすさまじいものがあります。


  未来予測でしか差別化できない

 中でも印象に残っているのは、『貨幣論』。単行本が出たのは四半世紀も前ですが、その時点で電子マネーがどうなるかをかなり正確に予測していて、衝撃的な1冊でした。


  「何で成長するのか」が決定的に重要

 ビジネスというのは、そもそも99%の人が負ける世界です。上位1%が残りの99%の利益を総取りする世界なので、他人と同じことをしている時点で勝ち目はありません。その非対称性に注目して大成功を収めたのが「Yコンビネーター」の創業者、ポール・グレアムです。


  経営者はバカじゃないとつとまらない

 『ルールを変える思考法』には、みんなが「これはイケる」と口をそろえるプロジェクトは時すでに遅しで、みんなが反対するところに勝機があると述べられています。みんなが反対しても押し切るには、バカでいる必要があるのです。

 何かを思い込んでいる人がすごい集中力を発揮する。その人の思い込みが強いほど、その熱が周りに伝わり、世の中が動いていきます。ところが、いろいろ考えて、この人の立場もわかるし、この人の立場もわかるとなると、動けない。

 スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で語った有名なスピーチの締めの言葉、「Stay hungry, stay foolish」。「ハングリー」の意味はすぐにわかりましたが、「フーリッシュ」の意味が最初はよくわかりませんでした。

 もちろん、経営者はバカなだけでも務まりません。私自身はカリスマ性で社員を引っ張るタイプではないので、人はなぜ人についていくのか。その要所をはずさないことだけ気をつけています。それは成果です。

 結果に依存しているから、そこだけは絶対に守る。それを自分に課しています。


>>本の情報を元に仮説を立ててながら、市場の偏りを見つけてゆきたい

「新世代CEOの本棚」④


「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より

  #03  朝倉祐介(ミクシィ元CEO)

スタンフォード大学客員研究員。クミシィ前社長。1982年兵庫県生まれ。中学卒業後、オーストラリアの競馬騎手養成学校へ。その後、競走馬育成牧場の調教助手となるが、交通事故で断念する。大学受験資格を取得し、東京大学法学部へ入学。マッキンゼーを経て、自身が学生時代に起業したネイキッドテクノロジーに復帰し代表に就任、2013年より代表取締役社長。在任中に、スマホゲーム「モンスターストライク(モンスト)」が大ヒット。業績の回復を機に退任。2014年より現職。

 組織の「グチャグチャ」は歴史本で疑似体験

 ミクシィ再生を請われて30歳の若さでCEOに就任。在任中にモンスタが大ヒットし、同社は復活。ヒリヒリする経営の修羅場を乗り越えるのに役立った本とは。


  気になる言葉は、ググるよりアマゾンで検索

 どうしても頭の中で音に出しながら読んでしまうため、本を読むのは決して早くありません。流さずにきちんと読めるのは週に1、2冊程度。読める数に限りがあるので、本当はもっと慎重に選ぶできなのですが、とにかく本は大量に買います。気になるキーワードがあったら、グーグルで検索するよりも先に、アマゾンで検索して本を探すくらいです。

 昔から「本は値段を見ないで買う」と決めているので、部屋の中は「積ん読」本の山です。本以外のものを買うときは値段をかなり気にしますが、本は高くでもせいぜい数千円。アマゾンのマーケットプレイスなら10円程度から古本を売っていますから、気になった本は全部ポチって買い、それがストレス発散になっています。

 最近はもっぱらキンドルの電子書籍です。本がうずたかく積まれることがないので、QOL(生活の質)は格段に向上しました。キンドルで読むときは、気になったところを全部ハイライトしています。ハイライトしたところは、キンドルのウェブの管理画面でコピペできるから、それをEvernoteに貼り付ければ、メモを取る手間が省けます。

 そうやってためておいた内容は、折に触れて見返したり、何かを伝えたいときに引用してほかの人に送ったりしています。同じことを言うのでも、自分の言葉より、「昔の人はこんなことを言っていたらしいよ」と援用するほうが説得力が増すからです。

 たとえば、5000社以上を指導したとされる経営コンサルタント、一倉定さんの『一倉定の経営心得』は名言の宝庫で、「企業内に良好な人間関係が維持されているということは、革新が行われていない実証である」など、非常にマッチョな、それでいてドキっとするような本質を突いた言葉がそこかしこに出てきます。


  時には雲隠れして、本を片手に自分と向き合う

 ミクシィで代表を務めていた際、重大な決断をしなければいけない局面で、とにかく一人きりになって考えようとしたことがあります。たまたま週末に仕事で大阪に行く予定があったので、神戸の須磨海岸まで足を伸ばしました。そこで孫正義さんの評伝『志高く孫正義正伝』を再読したり、ドラッカーの『チェンジ・リーダーの条件』を読み込んで、今の自分が下すべき意思決定の指針になるものは何かを必死に考えたりしたこともあります。


  経営者として悩んだ人間関係のさばき方

 ITベンチャーの世界でいうと、『社長失格』は最高の読み物です。1990年代、まだVC(ベンチャーキャピタル)も今ほどはいませんでしたし、返済義務があるデットファイナンスと株式の発行を通して資金調達するエクイティファイナンスの違いも十分には理解されていなかったような時代の話です。

 一方で、返済義務を伴わないエクイティファイナンスがいいのかというと、そんなことはありません。当時史上最年少で上場したクレイフィッシュの元社長が社長の座を追われてまでに至った顛末をまとめた『追われ者』を読めば、外部の投資家に株式を発行するということがどういうことなのかが理解できます。

 たとえば、オーナー創業者が資金調達のために第三者割当増資をした時点で、部分的には「身売り」しているということをわかっておく必要があります。

 同じく失敗本の『シリコンバレー・アドベンチャー』は、1990年代、キーボードの代わりにペンで入力するペン・コンピューターというタブレットPCの走りのような製品の開発をめぐる企業物語です。

 結論から言うと「早すぎた」わけですが、開発途中でキャッシュが枯渇して、最後はグチャグチャになっていきます。失敗本のほうがそうしたグチャグチャっぷりが赤裸々に語られているので、読んでいて生々しく感じるし、そのグチャグチャを疑似体験しておくことで、自分が当事者になったときの学びになるはずです。


  「空気」に流されないために

 ウェルチの『ウィニング』が潔いと感じるのは、タイトルが『ウィニング』であることです。私たちはビジネスにおいて成功するため、勝つために会社に集まっています。

 友達づくりのために集まっているわけではありません。価値を生み、お客さまのニーズに応えることでおカネをいただくわけですが、それは端的に言えば、勝負に勝つことであり、自分自身に克つことでもあります。

 だから、組織が居心地のよさ優先のサークル活動であってはいけません。コミュニティではあっても、せめてインターハイでの優勝を目指しますというくらいの部活程度のマインドセットは最低限持っておく必要があります。そうしたことを、本書は躊躇なく言い切っているのです。

 経営者も人間なので、気を許すと、自然にゲマインシャフト(共同体組織)寄りの発想に陥りがちです。目の前にいる従業員とは日々接しているわkですから、「社食がまずい」という声があがってきたら「なんとかしなきゃいけない」と思ってしまう。けれども、株主や投資家とは毎日顔を合わせるわけではありません。そこはしっかり線を引いておかないと、どんどん空気に流されてしまいます。

 空気に流されるといういうと、思い出すのは山本七平さんの『「空気」の研究』ですが、今から40年近く前に出た本なのに、ここに出てくるのは完全に現在進行形の話です。なぜ、戦艦大和は事前に「作戦としてのかたちをなさない」とまで指摘された無謀な戦闘に出撃しなければいけなかったのか。連合艦隊司令長官の「当時ああせざるを得なかった」という戦後の述懐は非常に示唆に富んでいます。

 最も官僚的で、ゲゼルシャフト(機能体組織)的であるはずの軍隊でさえ「空気」に支配され、ベスト&ブライテストたちが寄ってたかって合成の誤謬を引き起こす。離れて見れば明らかに間違っている方向に、みんなで全力で突っ走ってしまう。同じ問題は、今も多くの企業で起きているのだと思います。


  焼け野原では自然とイノベーションが生まれる

 必要に迫られて読んだときのほうが迫力もあるし、得られることも多いものです。今は、もっと俯瞰的に見たい時期でもあるので、歴史物のほうが楽しめます。

 たとえば、明治維新の話を読むと、「勝てば官軍」という言葉が実感としてよくわかります。とくに、半藤一利さんの『幕末史』がおすすめです。

 明治維新というのは不思議な革命です。たとえば、吉田松陰は尊皇攘夷で「夷狄を追い払え」と主張し、彼の教え子たちの活躍もあって倒幕もあって倒幕は成ったけれど、明治新政府が実際にとった政策は、吉田松陰の考えとは真逆の「開国」ですから。

 そもそも、当時の幕府は開国政策を進めていたわけで、何のなために争ったのか、正当性の面では疑問の余地が多々あります。正義が勝つわけではなく、勝ったほうが正義になる。これが歴史の真実なのでしょう。

 それでも、大義は必要です。吉田松陰がビジョンを打ち出したから、そこにだんだんと人が集まり、大きなうねりとなっていく。そうしう連鎖を生み出すもととなるのは、やはり大義です。旗を掲げる人の資質や能力も大事かもしれませんが、それよりも、大きな絵を描くことそのものに意味がある。

 『幕末史』だけではなく、同じ半藤さんの『昭和史1926-1945』『昭和史戦後編(1945-1989)』を読むと、日本人のメンタリティは大して変わらないんじゃないかと思います。起こってほしくない可能性からは目を背けて、想定さえ避けるのが日本人のメンタリティではないでしょうか。

 事業が衰退局面にあることは誰もが気づいているのに、口に出すことさえ許されない雰囲気が支配する。これでは時代の変化に対応できません。


  歴史の知識があると想像力が働く

 今も昔も人間はそれほど変わらないので、歴史の知識があると、こういう出来事が発生したら次はこうなる可能性が高いと、ある程度、想像力が働くようになります。『失敗の本質』は言わずと知れた名著です。

 組織の中には、全体の意思決定を無視して走り出す「関東軍」のような人たちもいれば、どう考えても勝ち目のない「インパール作戦」を強行しようと主張する人たちも出てきます。

 その結末がどうなったか、知識として知っていれば、「ああ、出た出た」ということで先回りして食いとめることができます。挑戦はできるだけ応援すべきですが、周囲が制止できないまま当事者の意地で進めるインパール作戦であれば、早急にとめないと傷口が深まります。


  むき出しの権力闘争から交渉術を学ぶ

 「闇社会の守護神」と呼ばれた男、元東京地検特捜部の田中森一さんが書いた『反転』も、バブル期の黒い人脈や派手な生き様に興味がわきます。本人がやっていたことはさておき、強烈な人物が、時代の波に翻弄されながら本気で生きてきた足跡を巡るのは純粋に面白い。

 リーダーシップという意味では、マキアヴェリの『君主論』も外せません。人間が集まって何かを決めるときは、必ず政治力学が働くものです。「政治=汚いもの」と思って敬遠すべきではありません。

 たとえば、交渉事では圧倒的に優位な立場にあっても、あまりに勝ちすぎてはいけない。ある程度は相手に逃げ道を残すことで、その後の関係がうまくいったりするものです。マキアヴェリの言葉の断片から、そうした気付きを得ることができます。


>>歴史の知識を得て、想像力が働くようになりたい

「新世代CEOの本棚」③



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より


 #002  森川亮(LINE元CEO、C Channel CEO)

  自分の脳を「だます」本で、判断力を研ぎ澄ます


CEOとしてLINEを爆発成長させた森川さん。秘訣をまとめた自著『シンプルに考える』もベストセラーに。経営者として自分を磨き抜くためのブックリストとは。


  『7つの習慣』を読んで変わった生活習慣

 僕が長期的に影響を受けている本は3冊あります。今回は、その3冊を軸に、いくつかの本をご紹介したいと思います。

 1冊目は『7つの習慣』。同署を読むだけではなく、コヴィー博士のセミナーも受け、フランクリン・プランナーの手帳も使っています。

 僕たちは毎日忙しくて、つい目の前の仕事ばかりやってしまうけれど、それだと自分が本当にやりたいことはできない。そのための時間が確保できないからです。だからこそ、最終的なゴールから逆算して、今やるべきことを忘れずに実行するように、スケジュールを立てて手帳に書いておく。そういう行動様式ができあがったんは、完全にこの本の影響です。


 自分の脳をだます

 2冊目は、『メンタル・タフネス』です。スポーツトレーナーだった著者がプレッシャーとストレスとうまく付き合っていくための具体的な方法を説いた本です。

 気分が落ち込んだりするのは気持ちの問題だと思っていたのですが、実はそうではなくて、身体の調子が落ちていると憂鬱になるとか、笑っていると楽しくなるとか、もっと身体と密接に関わっている。この本で、元気になりたければ、元気になるような行動をすればいいということを学びました。意志の力で何かを変えるのは難しいから、自分の脳をだまして、そうならざるを得ない方向に持っていく。前述した通り、僕は自分を信用していないので、そういうやり方のほうがしっくりきます。


  どれだけパターンを持っているか

3冊目は『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』です。リーダーシップのスタイルが変わって、アートの領域というか、数字だけでは表せないところに価値を見いだして、それを追求していくというところに共感し、経営者として最も影響を受けました。

 単純にいいものをつくれば売れる時代から、付加価値を生み出す時代に変わってきたので、それを具現化していくリーダーシップが重要なのかなというのが、自分なりの理解です。


>>元気になるような行動を通して、付加価値を生み出し、それを具現化してゆきたい

「新世代CEOの本棚」②


「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より


  野口英世のグズっぷりが最高な『遠き落日』

 代表作の『遠き落日』も、野口英世のグズっぷりが最高です。「男芸者」と呼ばれ、何度も借金をしては踏み倒すグズっぷりを余すところなく描き切っています。よくこれで千円札になれたなと思います。

私財をなげうって野口英世の散財を支えた歯科医、血脇守之助が後年、息子に向かって「男にだけは惚れるな」と言ったというのが印象的です。「惚れて女に注ぎこむ金はしれている。しかし男は怖い。一度吸われたら、どこまで吸いとられるかわからない底なし沼である」

 野口英世のスポンサーはみんな、家を一軒つぶしてしまうような大変な目に遭っています。アメリカに留学するときも、「もうこれが最後だぞ」と念を押されて、ものすごい費用をかき集めて横浜に行くんですけれど、送別会で芸者を借り切って、大宴会をやって巨額の渡航費を使い果たしてしまうんです。

 人間、ここまで突き抜けると、ただのクズか、本当にすごいことになるか、どちらかしかないと思います。


  日本最大の医療グループを牛耳るトラオ

 面白い人物という意味では、徳洲会の徳田虎雄を描いた『トラオ』もめちゃくちゃ面白い本です。筋萎縮症側索硬化症(ALS)を患い、全身の筋肉がまひして言葉も発することができない徳田虎雄は、病床から指示を出して、日本最大の医療グループを率いています。


  メディアには出てこない教訓

 『栄光なき天才たち』の鈴木商店の話も面白いです。これを読んで、僕はファイナンスの重要性を学びました。


  社史をつくれない会社の裏面史

 中川一徳の『メディアの支配者』を読むと、「社史をつくれない会社」フジテレビの歴史がよくわかります。ちょうど僕が捕まった頃に出た本です。でもその前に、『メディアの支配者』の内容を一部パクった『閨閥』という本が出て、僕はそれを読んでいました。

 ニッポン放送は、日本経団連のもとになった日経連のプロパガンダ放送局として、日経連の加盟企業が共同出資して誕生しました。「ニッポン」放送に「フジ」テレビ。どちらも日本を象徴する名前です。そうした中、繊維や炭鉱などの斜陽産業が持っていたニッポン放送株を、当時、日経連の専務理事だった鹿内信隆が捨て値で買い集めるんです。

 ニッポン放送と文化放送が共同出資してできたのが日本で4番目のテレビ局フジテレビで、そのヘッドには、水野さんのように家柄のいい人を据えておいた。その間に自分はこっそりニッポン放送株を買い占め、いつもまにか過半数を握って、水野さんは追放されてしまったというわけです。

 鹿内信隆は資本市場の仕組みをよくわかっていて、ニッポン放送を乗っ取って社長になり、ホールディングス化するんです。ところが、今度はフジテレビ労組の書記長だった日枝久にクーデターを起こされます。彼は労組の書記長出身だから、オルグする力が強いんです。

 こういう話も、買収騒動の渦中にあるときは、なかなかわかりませんでした。なにしろ本に出てこない話が多いので、ほとんどが後付けです。でも、知らないよりは知っておいたほうがいい。良質な本を読んでいれば、いざというときの対策が立てやすくなるかもしれないからです。


>>野口英世、徳田虎雄、フジテレビのクーデターに興味が沸いた

「新世代CEOの本棚」①



「新世代CEOの本棚」(堀江貴文・森川亮・佐渡島庸平・他、文藝春秋)より
2016年3月25日 第1刷発行

 本書は、経済系ニュースメディアNewsPicksと文藝春秋との共同企画「CEOの本棚」(NewsPicksにて有料記事として連載)を164冊分のブックリストを加筆したうえで書籍化したものです。


  #01 堀江貴文

 ビジネスのヒントを与えてくれる理系本から、人生の危機を回避してくれるノンフィクションまでを紹介。読んだ本を定着させるためのアウトプット方法も伝授。


  「ノーベル賞科学者のプロデュース術」を学ぶ

  本を読んだら、感想を短くまとめて即アウトプット


 「CEOの本棚」というテーマをのっけから否定するようで申し訳ないんだけど、座右の書とか、人生で影響を受けた本というのはありません。本は1回読んだら終わり。何度も読み返す人は、何のために読み返しているのか、逆に聞きたいくらいです。

 むしろ、本を読んだら、読んだ感想をすぐにアウトプットをする習慣をつけるといいと思います。ブログとかで簡潔にまとめる。簡潔というのがポイントで、読書感想文をだらだらと書くとよくないんです。

 140字のツイッターはすごく練習になります。本のキャッチコピーをつける気持ちで、短く言い切る。そういう練習を普段からしていれば、アウトプットの質は高まります。

 たとえば、ジェームズ・D・ワトソン『二重螺旋』のキャッチコピーは、「ワトソンは山師とポジショントーク」。これくら短くまとめれば、読む気にもなるし、ツイッターでも紹介できるじゃないですか。


  ワトソンと僕の仕事のやり方は近い

 二重螺旋を発見したワトソンは、完全に山師です。ヤマを張って仮説を立てまくり、飽くなき野心とポジショントークでライバルたちを出し抜いて、ノーベル賞を取ってしまった。あれを見ていると、自分でも取れるな、と思います。

 ワトソンは、クリックみたいな優秀な研究者をつかまえてきて、うまいこと、つまみ食いしてプロデュースした結果、ノーベル賞級の成果を手にしたわけです。

 僕はそういうプロデューサーだったらなれるな、と思います。僕の仕事のやり方に近いので。


>>本を読んだ後のアウトプットの質を高めてゆきたい

「プライベートバンカー カネ守りと新富裕層」


「プライベートバンカー カネ守りと新富裕層」(清武英利著、講談社)より
2016年7月12日 第1刷発行


 一億ドルという大金を果たして集められるのか――という不安はもちろん杉山にもある。
 だが、彼は野村證券で十二年以上揉まれ、徹底的に鍛え上げられてきた。たいていのことは耐えられる。その後、三井住友銀行で二年二ヵ月、さらに東京に視点を置くフランス系の信託銀行に転じて二年十ヵ月間働いてきた。それらを合わせると、日本の金融界の空気を十七年間も吸い、自分の顧客を増やしてきたのだ。


  ジョブズの言葉

 顧客を取られたり、理不尽な目にあったり、迷ったりした時、彼はアップル創業者であるスティーブ・ジョブズの言葉を思い浮かべることにしていた。

 If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?)
――いや、これは俺のやりたいことやない。十分に我慢して得るものは得たよ。


 そもそも、一人で五百人や一千人も富裕層を管理できるわけではない。一人でメンテ8彼らは富裕層の資金管理、運用をそう呼んでいた)ができるのは、せいぜい二十五人ほどの資産家で、無理して頑張っても五十人が限度である。

 日本人富裕層が増え続けていたことを考えると、まだまだ潜在的な需要が見込めたのだ。スイスの金融大手クレディ・スイスの調査によると、2015年の日本には、資産総額百万ドル(約1億2千万円)超の富裕層が212万人もいた。今や、米国(1565万人)、英国(236万人)に次ぐ世界三位の金持ち国である。


  あとがき

 主人公である杉山智一氏は日本人バンカーやアシスタントの多くは、怜悧で狡猾というプライベートバンカー像を覆して、人間味と向上心にあふれた人々である。一億ドルものノルマを背負って南十字星の国に渡り、異国での競争と矛盾に揉まれ、もがきながら日々を送っていた。

 主人公である杉山智一は実名である。漫画『巨人の星』に登場する星一徹に似た父親の影響を受けた、典型的な日本人だ。


>>日本の富裕層のニーズに対応するビジネスはまだまだ開拓の余地がある

「生とは、死とは」⑥


「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より


  おわりに  堀江貴文

 寂聴さんは1922年生まれ、僕は1972年生まれだから、計算しやすい。ぴったり五十歳違うのである。

 五十年違うから、生きてきた時代が全く違うものの、結婚観にしても、死生観にしても、社会に対峙する姿勢も、芯はブレず、非常に柔軟だ。当然ながら知識・教養もたっぷりあり、興味・好奇心もいっぱいで。全く意見が噛み合わなかったのは原発の話くらいだろうか。

 最初に出会った頃から思っていたけれど、寂聴さんの人との接し方はひとつの理想型だ。

 いい意味でプライドがない。普通は歳をとればとるほどプライドが高くなってしまって、どんどん周りを寄せつけなくなって、結果として人が離れていく。人を失っていく。孤独なエラい老人って多いでしょう。それはさびしいことだ。

 そういう意味で、寂聴さんの有りようはこれからの人間の生き方を先取りしていると思うのだ。誰とでも仲良くなれる。誰とでも話せる。生きてる限り新しい友人が増えていく。そういう能力がとても高い。

「それは寂聴さんだからできるんだよ」って人は言うのかもしれないが、そんなことはない。寂聴さんと同じような生き方は、心がけ次第でできるはず。

 あのお歳でああやって周りに人がたくさんいるのは本当に幸せなことだと僕は思う。あれだけの人がいて(あの世でも大勢が待っていて)、仕事もバリバリしてて、ごはんをおいしく食べて、みんなに御馳走して、下ネタもバンバン、悪口も・・・・・・最高ではないか。非常にいい歳の取り方だ。

 そういうふうにみんな生きたほうがいいんじゃないかな。

 女も男もみんなそうなればいいのにな。

 というのがこの一連の「対論」を終えて、僕の最も感じたことだ。


>>歳とってプライドもなく、みんなに御馳走して、周りに人がたくさんいるような生き方をしてゆきたい

「生とは、死とは」⑤



「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より


  7 国家権力に気をつけよう    軍部より恐いもの、それは「検察」


堀江 帝人事件とか。そういうものっていうのは全部検察が主導して罪を作り上げていくわけです。戦前はそれの手先が特高警察だっただけの話であって、実は検察が後ろで糸を引いていました。検察は組織的には元々大審院検事局だったんですけど、それが戦後は法務省管轄になって、一応三権分立に見えるような形にはなった。でも日本の検察が持っているものすごいパワーっていうのは結局戦後も全く解体されずに残ったんですよ。例えば「起訴便宜主義」というものですね。起訴・不起訴を、検察って自分で決めることができるんですよ。つまり、だからメインターゲットとなる人間がいるとするじゃないですか。そのメインターゲットをやるために、他の仲間たちに、お前は不起訴にしてやるからその代わり全部話せ、みたいな。検察官起訴独占主義なんで、検察官しか起訴ができないんですよね。今、ひとつだけ抜け道というか、違うルートができましたけど。検察審査会っていのができて、検察官が不起訴にした案件で、まあ裁判員みたいな制度なんですけど、二回連続でそこで起訴相当議決ができるようになったんですけど。それが唯一抜け道としてあるんですが、不起訴にすることはできない。それは検察官にしかできないんですね。

 しかも、検察官って独自操作機能を持っていて、それは認められてるんですよ。要は、起訴するだけじゃなくて、自分たちで捜査をすることができるんです。自分たちで起ち上げた案件って、どうしても起訴したくなるじゃないですか。例えば警察がやった捜査を第三者的に働かなくて。だから特捜部がやった案件ってのは必ず起訴されるわけですね。などなど、ほかにもいくつかあるんですけど、そういうその非常に強大な検察の機能を、終戦後GHQは解体しようとしたんですけど、できなかったんです。検察だけは。

 なんでかっていうと、GHQの汚職をネタにユスられたからです。民政局、GSかなんかだったと思うんですけど、捕食案件をネタにユスったんですよ。これをやるぞと。俺たちに手を出したらこれをやるぞと。で、取引をして、さっき言った日本の検察が持っている強大な力を維持できたんですよ。つまり、明治時代からずっと変わらないそのままの旧組織であるのは検察くらいですよ。


  検事が総理大臣になった

堀江
 検察は即時抗告するんですよね。

瀬戸内 そう! この即時抗告が恐いのよ。私、裁判の結果聞くとき、よくニュースで《勝訴》って紙を掲げて喜んでたりするのを見るけど、その人たちに「まだソクジがあるのよ」って叫びたくなる。


堀江 そうそう、戦前の検察を作った男は、あの人ですよ。平沼騏一郎。

瀬戸内 ああそれ! 大逆事件で手柄を立てて、そのあと首相になった人でしょ。

堀江 こいつが、検察中興の祖です。

瀬戸内 それが一番悪い奴よ、大逆事件では。


  国の怪しい動きは警戒しとかなきゃだめ

瀬戸内
 田中角栄だって捕まったんだからね。あのとき、なんで角栄のような人が捕まるのか、と単純に思ったもの。

 小沢一郎さんの陸山会事件なんかも結局は無罪だったわけよね。

 国のいろんな怪しい動きはみんな警戒しとかなきゃだめよ。毎日警戒し続けてちょうどいいくらいです。もうその動きは完全に始まっているからね。特定秘密保護法なんてものができて、検察なんかはまた水を得た魚なんじゃないかしら。

 検察が恐いっていうことで、みんなが口をつぐむ。それは戦前と同じなのよ。捕まっちゃうんだから。私も相当勝手なこと言ったりするけどね、とっ捕まらないようにだけは気をつけてる(笑)。とっ捕まったら最後だと思って。

堀江 ですね。それは事実です。ヤバイですね。


>>われわれ一庶民も国の怪しい動きには警戒せねばなるまい

「生とは、死とは」④



「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より


  3 子育ってってエンタテインメント
    少子化問題は政策ではなく流行にして解決


堀江 だから、子どもだけ作ればいいんですよ。それが普通になればいいんです。産後の社会復帰も当たり前で、子どもができない人は養子を迎えて、そういうのが当然の社会になれば少子化はなくなっていると思いますよ。あとですね、子どもは投資だと考えればいいんです。そもそも実の子どもでなくても期待できる若者には投資すれば、と僕は思いますね。


  4 生きてるだけでなんとかなるよ
    ろくに努力もしないで、絶望するな!


堀江 そうですよ。まあ生きてるだけで丸儲けですよ。生きてればなんとかなる。

 ともかく、多くの場合、悩みはちっちゃいですよね。絶望するのが早すぎます。というかろくに努力もしないで。

瀬戸内 自分になんの才能があるかを見つけるこつはあるのよ。簡単。それはね、好きなもの。人間って初めから好き嫌いがあるじゃないの。走るのは嫌いとか、数学が嫌いとか、だけど絵を描くのは好きとかね。必ず誰だって子どものときから好きなものってあるんですよ。親や先生はそれを見つけて伸ばしてやることね。だから、ほかの成績は全部ダメだけど、絵を描かしたらクラスで一番うまいなんて子がいますよね。私は子どもの頃は、そういいう子がうらやましかったのよ。何もできないんだけど、走らしたら一番とかいるじゃないですか。私、そういうのになりたかったのよ。自分はいつも優等生だったから。優等生とは何でも八十点以上とれる子ですよ。私はそれだったから自分がつまらなかった。だから、この仕事は自分にしかできないってものになりたかったの。だから作家を選んだ。

 好きなことをさせたらいいと思うね。親はお金だけ出して口を出すな。


>>子ども一人ひとりの好きなものを見つけて伸ばしてやることができたら、きっともっと良い日本になるに違いない

「生とは、死とは」③



「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より


  2 こだわるな、手ばなせ!
    もっと認め合い許し合い譲って生きよう


  家も捨てました

瀬戸内 自分のもの、自分の家だから落ち着く、ってない?

堀江 それはみんなの思い込みだと思うんですよね。

 そもそも持ち家って、ものすごいリスクじゃないですか。未来の可能性を、じゃあ例えば五千万円で家建てました、五千万円分の、将来使えるであろう、あるいは自由に設計できる未来を「家」に固定化しちゃってるわけじゃないですか。三十年ローンなら三十年分未来を決めてしまってるわけですよ。なんでそんなリスキーなことができるのかが逆に僕は不思議なんですよ。だって東京に家持ってて、三十年後の東京がどうなってるか、なんて全くわからないですよ。焼け野原になってるかもしれないし。値段も上がってるかもしれないし下がってるかもしれない。それはわからない。僕からしてみるとギャンブルですよ。恐くてしょうがない。みんな経済の仕組みとか歴史を学んでないんでしょうね。というわけで僕はもうモノもぼんぼん捨てることにしました。家も捨てました。

瀬戸内 ちょうどね、刑務所(あそこ)入ったからよかったのよ、あなた。

堀江 入ったときに全部捨てたんですよ。ほぼ全部。本とか家具とか全部捨てて。人にあげたりとか。服とかも人にあげて。

 どんどん投資したり、使ったりするほうに回していってますね。

瀬戸内 貯金も「するな」なんですってね。

堀江 はい。貯金っていうのは、僕はいまいちそのよさがわかんないんで。

瀬戸内 あれ、もうまた使えるお金がたくさんできちゃったの?

堀江 いや全然ないですよ。使えるお金は、人の金ばっかりですね(笑)。


  手ばなさないというカッコ悪さ

堀江
 「こだわる」の先には「手ばなさない」ということもありますよね。つまり既得権、既得権益。長寿の世の中になると、利権が増え、譲らない、という人が多くなります。それも僕なぜかよくわからないんですけど。

瀬戸内 それこそカッコ悪いことなんですよね。老年男子、勇退しませんね。組織である程度の役をもらったらそれをはなさないっていう。堀江さんだったら全部いらん、って言うでしょ。

堀江 組織の中に長くいると守りにはいっちゃいますからね。

 新しい分野をやっていく分には既得権益がないので楽なんですよ。ただ先駆者がいる部門はだいたい既得権益があるから、ほぼぶつかるんですよ。その人たちにとっては「あいつは自分たちがぬくぬくしている部分を奪っていく敵だ!」みたいな感じになっちゃうんだけど、世の中全体はより便利に、より豊かになっていくと思って僕はやってるわけですよ。だからそこでぶつかるわけですよ。あいつはなんでおれたちの縄張り荒らすんだ、という人たちと。

 自由競争になった途端にみんな焦って努力しだすわけですよ。プロ野球だとサッカーのJリーグがスタートしたときに焦りましたよね。例えば高速道路とかも昔は道路公団だったのが、民営化してやっぱり高速道路のサービスエリアとかものすごく充実してきたでしょ。そういうのが大事だと思いますね。

瀬戸内 わかりやすわよね。ホリエモンは、ずっと既得権を脅かしてきたのよね。だから憎まれたのね。


>>既得権益を打破して、より便利なより豊かな世界を創ってゆきたい

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「生とは、死とは」②



「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より


1 死ぬってどういうことですか?
  いつかは死ぬ。死ぬことを考えたら生きることが見えてくる

  人間って思い込みで生きてる  

堀江 細胞って、もうっと言うと細胞を構成している分子っていうのは、どんどん入れ換わってるわけですよ。人間ってたぶん一ヵ月二ヵ月経つとほぼ入れ換わってるっていう説もあるみたいで。

 子どもの頃は新陳代謝が激しいからどんどん換わっていく。だんだんその力が衰えてきて死に至っていくっていうのが死の本質なわけですけど。要は、分子ってのは全く入れ換わってるのに、「自分は自分である」っていう、そのサステナビリティみたいなものが僕は興味深いなと思うんですよね。時系列で自分は自分であるってことを記憶してる回路みたいなものが面白くて。つまり自分は堀江貴文だと思ってるけど、それは単なる思い込みだって話です。それがなくなるのが死なわけじゃないですか。単なる思い込みだなって思ったら最近気が楽になったんですよ。俺って「俺だ」っていう思い込みによってできてるんだなっていう。堀江貴文だって思ってるから死が恐いんであって、「俺堀江貴文じゃないのかな」「ないかもしれない」って思えば。

瀬戸内 人間は観念に支配されている生き物だからね。

堀江 脳がどんどん大きく発達していった中で、脳って電子回路みたいなものだから、その回路が普通に回ってたら自意識みたいなものってたぶん出てこないんですけど、なんかその流れの途中にトラップがあって。人を好きになるのも同じなんですよ、思い込みなんですよ。だからどんどん好きになるじゃないですか。で、あとで例えば十年前に好きだった女の子とかに久びりに会って、なんでこいつのこと好きだったんだろうななんて思うことがよくあるんですけど、それですよね。好き回路みたいなのがどんどん強くなって、そこでずーっと回ってるから。記憶のループなんですよね。思い込みなんですよ。人間ってたぶん思い込みで生きてるんです。「ああ思い込みだ」と思っちゃうと、まあ大したことないなって。なんか砂上の楼閣っぽくないですか? すごくはかなくないですか?

瀬戸内 体はただの借り物ともいいますしね。さて、堀江さんは死への恐怖はどう解決つけてるの?

堀江 結論的には、宇宙という人知を超えた観測できない世界があるってことで、死という現象も恐がらなくていいと思い込みつつ、寿命を延ばす老化防止のテクノロジーに投資すると。そして何より忙しくして死を考えないようにするという、複合技で対処するしかないんじゃないか、と思っています。

瀬戸内 忙しくて、というのが結論って、すごいわね(笑)。


>>確かに、人間は思い込みで生きているのかもしれない

「生とは、死とは」①



「生とは、死とは」(瀬戸内寂聴・堀江貴文、角川新書)より
2016年4月10日初版発行(2014年9月『死ぬってどういうことですか?』を再編集)


  はじめに  瀬戸内寂聴

 最近、注目している人と会って話をしてみませんかと、出版社の編集者に言われた時、私は即座に、
「ホリエモン!」
 と叫んでいた。

「相変わらずお若いですね」
 編集者が半ば呆れた表情で言う。その時、私は九十一歳であった。そして、ホリエモンで世間に通っている堀江貴文さんは、私よりまさに半世紀若い四十一歳で、私の孫娘と同い年である。この編集者は優秀な腕利きだが、惜しむらくは高齢者の神経にうとい。

 人間は年をとるほど同年輩や自分より高齢の相手には興味など失っていく。自分よりはるかに若い相手に向かいあっているだけで、彼等の全身の細胞が発散する呼吸の気配が自分の体に伝わってきて、自分自身の古びた血液がいきいきと洗われるような気がするのだ。つまり、相手の若さを吸収している。そして、どうせ会うなら自分の住んでいる文学の世界の人より、全く関係のない別の世界の人の呼吸をもらいたいものだと思う。ホリエモンとは四年前に対談している。それ以来久しぶりの対面をしたくなってきた。

 たまたまホリエモン、本名堀江貴文さんは懲役二年六ヵ月の実刑判決で牢屋に入っていたのだが、中での態度がよかったのか、半年早く出所したばかりであった。2013年3月のことで、マスコミはそれを迎えて大騒ぎになったが、九月にはめでたく刑期終了となり、晴れて娑婆の人となっている。私はそんなとんでもない経験をしてきた堀江さんにじかに会って話が聞きたくなったのだ。

 六本木界隈で肩で風を切って歩いた堀江さんが、「人の心も金で買える」と言ったという噂が伝わった時、私はそれまで全く興味もなかったこの人を「バッカじゃなかろうか」とお腹の中でひとり笑っていた。この人と私はこの世では無縁で終わるだろうと思っていた。


 私たちは寂庵だけではなく、東京や京都のホテルやKADOKAWAの応接室で会合した。一回に三時間も喋り続けた。私たちの意見は大体一致したが、原発と戦争の話だけは真っ向から対立した。私は必死に抵抗してみたが、ホリエモンの能弁にまくしたてられると弱腰に思えた。それでも私たちはお互いの意見は意見として尊重して喧嘩にはならなかった。どの席にもお酒はなかったし、終わるとホリエモンはいつもそそくさと立って別れをつげ、次の仕事場に飛んでいく。

 最後に会ってほどなく、私は背骨の圧迫骨折になり、倒れてしまった。もし、これで死んでも、ホリエモンとあれだけ喋ったのだから悔いはないなと病床で私は朗らかであった。

 若い人たちがこの本を読んでくれると嬉しい。そして、私のいう原発と戦争について、自分の意見を見つけてくれることを切に願っている。


>>自分よりはるかに若い相手の若さを吸収し続けられる人生を送ってゆきたい

「大学4年間の経済学が10時間で学べる」③



「大学4年間の経済学が10時間で学べる」(井堀利宏著、KADOKAWA)より

  総供給曲線

 価格が上がる⇒雇用が増える⇒生産が増える

 価格が上がると、生産が増える。


  総需要曲線

 価格が上がる⇒利子率が上がる⇒投資が抑制される⇒需要が抑制される

 価格が上がると、需要が抑制される。


  物価と生産(雇用)の決定

 拡張的な財政金融政策⇒需要が増える⇒GDPが増える・物価が上がる

 総需要曲線と総供給曲線が交わるとろこでGDPと価格が決まる。


  インフレ率とGDPの関係

 インフレ供給曲線
 インフレ率が上がる⇒生産量が増える⇒GDPが上昇する

 インフレ需要曲線
 インフレ率が上がる⇒需要が減る⇒GDPが下落する

 財政支出が増える⇒GDP、インフレ率が上がる

 完全雇用水準が上がる⇒GDPが上がる、インフレ率が下がる

 政府支出、完全雇用水準が変化すると、GDP、インフレ率も変化する。
 

  政策の長期的な効果

 短期的には
 拡張的財政政策⇒需要が増える⇒GDPが増える⇒インフレ率が上がる
 ↓期待インフレ率が上がり・・・・・・
 長期的には
 供給が減る⇒GDPが減る⇒拡張的財政金融政策の効果が薄れる

 拡張的な財政金融政策によって短期的にGDPが増えるが、期待インフレ率が上がることで、長期的には効果が薄れる。


>>期待インフレ率が上がらない今日、より積極的な財政金融政策が期待される

「大学4年間の経済学が10時間で学べる」②



「大学4年間の経済学が10時間で学べる」(井堀利宏著、KADOKAWA)より


  財政支出の乗数効果

 財政支出が1兆円増えると・・・・・・
 ↓
 所得が1÷(1-限界貯蓄性向)兆円増える

 財政支出をすると、乗数効果により雪だるま式に国民の所得が増える。


  極端なケース

 流動性の罠
 財政支出が増えても利子率が変わらない

 貨幣需要利子弾力性ゼロ
 財政支出を増やしても国民所得が増えない

 投資の利子弾力性ゼロ
 利子率をいくらにしても投資が変わらない


 投資の利子弾力性無限大
 利子率を少しでも上げると投資が激減


  金融政策は総需要にどう影響するか?

 貨幣供給を増やすと、利子率が低下し、国民所得が増える。


  金融政策の考え方

 マクロ的な金融政策の代表的な考え方には、次の3つがあります。

 ケインズ的な立場
 総需要を適切に管理するように貨幣供給を操作するのが望ましい
 ↓
 総需要を増やすための裁量的な金融政策(たとえば、不況期に大量の買いオペを行うなど)が有効とされる

・金融政策は適切に運営されれば、総需要を管理して景気を安定化させる
・インフレ率とGDPとのトレードオフ関係はある
・その関係の中で最も望ましい点を選択


 マネタリスト
 貨幣供給を一定率で成長されるためのルールを定める政策こそ望ましい
 ↓
 裁量的な金融政策が短期的に総需要管理に効果があることは認めるが、長期的に見ると一定のルールで金融政策を維持するほうが大きなメリットを得られると考える

・長期的に貨幣は中立
・拡張的な金融政策は短期的に有効であっても、長期的にはインフレ率の上昇のみをもたらす


 新マネタリスト
 裁量的な金融政策を全否定し、裁量的な金融政策は短期的にすら効果がないばかりか、むしろ攪乱的な悪影響を及ぼす
 
・予想外のショックがあったときのみ、短期的に金融政策は効く
・裁量的な金融政策の効果は短期的にもない


>>将来の物価予想=期待インフレ率の形成が合理的に行われる(マネタリスト)のか、行われないのか(ケインズ的立場)、それが問題だ

「大学4年間の経済学が10時間で学べる」①



「大学4年間の経済学が10時間で学べる」(井堀利宏著、KADOKAWA)より
2015年4月10日第1刷発行


  価格は市場均衡点で決まる

 「消費者が効用を最大化する需要量」と「企業が利潤を最大化する供給量」が一致する点で、価格は決定される。


  三面等価の原理

 「生産面から見た国内総生産(GDP)、分配面から見た国内総所得(GDI)、支出面から見た国内総支出(GDE)はすべて等しい」という原則


  ケインズ経済学の考え方

 需要<供給・・・今は買わなくてもいいか
 ↓放っておくと不況に・・・・・・
 需要=供給にすればよい
 ↓
 そのために、政府が公共投資や減税を行う


  国民所得決定メカニズム

 総需要=消費+投資+政府支出

 需要と供給が等しくなる点で国民所得が決定される


  財市場と貨幣市場の均衡

 IS曲線は、財市場が均衡するGDPと利子率の組み合わせを表します。利子率が上昇すれば投資が減少するので、在市場で超過供給になります。在市場での均衡を維持するには、GDPが減少して供給を抑える必要があるので、IS曲線は右下がりです。

 IS曲線
 実質利子率が下落⇒投資が増える⇒GDPが増加する

 LM曲線は、貨幣市場が均衡するGDPと利子率の組み合わせを表します。利子率が上昇すれば貨幣需要が減少するので、貨幣市場で超過供給になります。貨幣市場での均衡を維持するには、GDPが増加して貨幣需要を刺激する必要があるので、LM曲線は右上がりです。

 LM曲線
 所得が増える⇒貨幣需要が増える⇒利子率が上がる

 IS-LM分析
 財市場と貨幣が均衡したところで、国民所得と利子率が決まる。


>>ケインズ経済学のおもな関心は、マクロの総需要を適切に管理することで完全雇用GDPを実現し、働けないのに働けない非自発的失業者をなくすこと


「日本はこの先どうなるのか」⑤



「日本はこの先どうなるのか」(髙橋洋一著、幻冬舎)より


  日本経済は必ず成長できる!

 日本の行く末は、「経済成長」できるかどうかにかかっている。経済成長すれば、そのぶん税収が増える。税収の目安は、名目GDPのおよそ2割だ。名目GDP600兆円を達成できれば、国税と地方税の合計はその2割、つまり120兆円程度となる。経済成長によって税収増が実現できれば、日本を取り巻くさまざまな問題の大部分は解決できるはずだ。

 
  経済成長が続けば、年金も破綻しない!

 10年後、20年後のことを今心配しても仕方がない。まずは、目の前の問題を片づけることが重要だ。もちろん、将来のことを何も考えるなと言っているわけではない。

 日本という国は、もともと自然環境が厳しく、天然資源にも恵まれていない国だ。にもかかわらず、これまで連綿と歴史を紡いでこられたのは、一人ひとりの日本人が勤勉で創意工夫の精神に満ち溢れ、なおかつ努力を欠かさなかったからだ。大きな天災に見舞われるたびに復興を果たし、20世紀半ばには大きな戦争を経験して国内が荒廃したが、そこからも見事に這い上がり、現在まで平和と繁栄を謳歌してきた。

 それと同じことが、この先できないはずがない。

 筆者は信じている。勤勉かつ創意工夫の精神に満ち溢れた日本人の力と、その集合体である日本経済の大きな力を--。


>>やはり、消費増税ではなく、経済成長による税収増を目指すべきであろう

「日本はこの先どうなるのか」④



「日本はこの先どうなるのか」(髙橋洋一著、幻冬舎)より


  インフレ目標を3%に再設定すれば、GDP600兆円は3年で達成できる

 IMF(国債通貨基金)のデータから、1980年代と2000年代以降について、名目GDP成長率(以下、名目成長率)とインフレ率のデータが揃っている28ヵ国でそれぞれの年代の平均値を捕ってみるただし、2桁になるようなデータは除く)。

 1980年代ではインフレ率が2%以上になっており、日本のインフレ率が最も低いが、それでも2%程度だ。

 このグラフからも、名目成長率とインフレ率の間には、やはり相関関係があることがわかる。もっとも、インフレ率が高すぎると、名目成長率はそれほど伸びない。

 日本は、先進国の中で、傾向線に沿った経済パフォーマンスで、名目成長率は6%程度、インフレ率は2%程度だった。

 同じように、2000年代を見てみよう。ほとんどの国はインフレ率が2%前後だが、日本だけがデフレでマイナスになっている。

 このグラフからも、やはり名目成長率とインフレ率の間には相関関係があることが見てとれる。2~3%近辺のインフレ率であれば、名目成長率は高くなる傾向があるのだ。

 日本は、傾向線の経済パフォーマンスが出せず、インフレ率は若干のマイナス、名目成長率も若干のマイナスである。

 この傾向線に沿ったパフォーマンスが出せるとして、インフレ率3%を金融政策で達成できれば、それに対応する名目成長率は4.8%になる計算だ。このように海外からのデータを見るかぎり、名目成長率5%は達成可能と言えるだろう。

 現在の名目GDPを500兆円とすると、成長率5%なら、翌年の名目GDPは525兆円、翌々年の名目GDPは約551兆円、3年後の名目GDPは約578兆円に増える。これに、前述の20兆円の財政支出を加えれば、ほぼ600兆円だ。

 しかも、名目成長率5%を実現できれば、増税も歳出カットもせずに、プライマリーバランスの黒字化も達成できるだろう。名目GDP600兆円という目標は「砂上の楼閣」でも「幻」でも何でもなく、手が届くところにあるのだ。

 マネタリーベースを現在のペースより増やすことにより、インフレ率3%は達成できるということだ。ざっくり試算すると、現在の年間60~80兆円程度のマネタリーベース増加額を、100兆円程度まで増やせばいいだけだ。

 これを確実に行うためには、日銀法の改正が必要になるのである。


>>マネタリーベース増加額を100兆円程度まで増やして、名目成長率5%を達成して名目GDP600兆円を目指してゆきたい

「日本はこの先どうなるのか」③



「日本はこの先どうなるのか」(髙橋洋一著、幻冬舎)より


 アベノミクスに終わりはない

  GDP600兆円を達成するための3条件


 2015年9月、安倍首相は自民党総裁再任後の記者会見において、新たな政策スローガンである「新3本の矢」を打ち出した。

 旧「3本の矢」と同じように3つの基本方針で構成され、それぞれ「①名目GDP600兆円(強い経済)」「②出生率1.8(子育て支援)」「③介護離職ゼロ(社会保障」である。

 勘違いしている人がいるかもしれないので言及しておくと、「新3本の矢」が発表されたからと言って、「旧3本の矢」が打ち止めになったわけではない。旧「3本の矢」は、政府が掲げる2%のインフレ目標が達成されるまで継続されていく。旧「3本の矢」を継続したうえでの「新3本の矢」だと理解しておけばいい。

 さて、「新3本の矢」のうち、中心となるのは①の「名目GDP600兆円」だ。

 名目600兆円は、よい目標と言えるだろう。日本政府が、経済成長目標を国民に示すことは、1960年の池田勇人内閣の「所得倍増計画」以来である。

 ただし、達成時期や手段が明示されていない点は問題だ。

 筆者が考える条件とは、次のとおりである。

①20兆円の補正予算
②10%への消費再増税の凍結
③インフレ目標3%(日銀法改正)


  外債投資で儲けた20兆円を、政府は財政支出で国民に還元すべきだ

 国のバランスシートを見ると、2014年3月末時点で、「外為資金」の項目に約129兆円が計上されており、そのうち外国債券が約103兆円を占めている。一方で、外貨負債はない。ということは、円安が進めば進むほど日本政府の資産が膨らむことになる。

 外為資金の情報公開は進んでおらず、外から見るとブラックボックスになっているため大雑把にしかお伝えできないが、筆者の推計では10兆円以上だ。つまり、円安の恩恵を受けた日本政府は、外債投資で10兆円以上も利益を上げているのである。

 使える財源はこれだけではない。失業率の低下によって、いわゆる「雇用保険」の給付が少なくなっているため、「労働保険特別会計(労働保険特会)」にも約7兆円の差益が発生している。

 両者を合計すると、20兆円近い財源になる。この約20兆円を国民に還元して、有効需要を財政支出によって創出すればいい。


>>1960年の池田勇人内閣の「所得倍増計画」以来の政府の経済目標である「名目GDP600兆円」を達成してゆきたい

「日本はこの先どうなるのか」②



「日本はこの先どうなるのか」(髙橋洋一著、幻冬舎)より


  日本の借金は実は約100兆円である

 2014年度末の時点で、国の資産は、総計680兆円である。そのうち、現預金が約28兆円、有価証券が139兆円、貸付金が138兆円、出資が70兆円、有形固定資産が180兆円、運用寄託金が104兆円などとなっている。先進国の中で、これほど巨大な資産を持っているのは日本政府くらいのものだ。日本の政府資産額は、断トツの世界一なのである。

 このうち、換金しやすい金融資産は「現預金(28兆円)」+「有価証券(139兆円)」+「貸付金(138兆円)」+「出資(70兆円)」の計375兆円にのぼる。

 次に、負債を見てみよう。2014年度末時点で、国の夫妻は、総計1172兆円に達している。その内訳は、公債が約885兆円、政府短期証券が約99兆円、借入金が約29兆円、運用寄託金の見合い負債である公的年金預かり金が約114兆円、それ以外の項目で約45兆円の負債を抱えている。

 このうち、「国の借金」と呼ばれるものは、「公債(885兆円)」+「政府短期証券(99兆円)」+「借入金(29兆円)」の計1013兆円である。

 では、粗債務から資産を差し引いた純債務がいくらになるかと言えば、「1172兆円-680兆円」で、約492兆円だ。つまり、日本の実質的な借金は、巷で言われている1000兆円の半分以下ということになる。GDP比で言えば、ほぼ100%だ。

 しかしこの数字は、企業で言えば、子会社を含まない単体ベースでの数字だ。筆者がバランスシ―トを作成した当時から、単体ベースと連結ベースの2つのバランスシートを作っていた。現在も、2014年度版の「連結」財務諸表がきちんと公表されている。それを見ると、純債務は439兆円となっており、単体ベースの約492兆円よりは少なくなっている。

 ただし、この連結ベースには大きな欠陥がある。「日本銀行」が含まれていないのだ。政府による日本銀行への出資比率は5割を超えているうえ、政府は日本銀行に対してさまざまな監督権限ももっているため、日本銀行は紛う方なき政府の子会社である。

 経済学では、政府と日本銀行は「ひろい意味の政府」と認識されており、一体のものとして分析することが常識だ。これを「統合政府」と呼ぶが、会計的な観点から言っても、日本銀行を連結対象から外す理由はまったくない。なぜ日本銀行を連結対象から外しているかは不明だが、連結対象として含めた場合のバランスシートを作成することはできる。

 2015年度末の日本銀行のバランスシートを見ると、資産は総計405兆円で、そのうち国債が約349兆円である。負債は約402兆円で、そのうち発行銀行券が96兆円、当座預金が約275兆円である。

 この数字をもとに、日本銀行も含めた連結ベースで国家財政を考えると、日本政府の純債務は約100兆円ということになる(2015年3月末時点)。

 つまり、日本政府の純債務は、多くても100兆円程度なのである。GDP比で言えば、20%程度ということになる。つまり、財務省やマスコミが喧伝するほど日本の財政状態は悪くないのである。

 ちなみに、中央銀行と連結した場合のアメリカとイギリスの純債務をGDP比で見てみよう。アメリカは65%、イギリスは60%程度である。しかし、アメリカもイギリスも破綻していない。これを見ると、「日本の財政は火の車で、今にも破綻する」という主張の滑稽さがわかるだろう。

 いささかオーバーな表現だが、破綻しているのは財政破綻論のほうなのである。

 財務省が言うように、仮に日本の国家財政が「火の車」「危機的」状態なのであれば、資産を処分して負債を圧縮をすればいいだけの話だ。

 貸付金と出資金は、いわゆる特殊法人等を民営化すれば簡単に処分できる。国の資産処分は、財政危機に陥った国ならどこでも実施していることだ。それを実施していないということは、日本は財政危機に陥っていないということの証拠である。


>>日本銀行を含めた日本の連結純債務はGDP比20%程度の100兆円程度で決して悪くないようだ

「日本はこの先どうなるのか」①



「日本はこの先どうなるのか」(髙橋洋一著、幻冬舎)より
2016年8月10日 第1刷発行


  第1部 日本で本当は何が起きているのか
 

 諸悪の根源は消費増税である

  不況時の増税は経済成長を阻害する


 第二次安倍政権の発足前と発足後とを比較すると、主要な経済指標は軒並み改善している。たとえば、政権発足時の日経平均株価は8000円台だったが、それが2倍以上に跳ね上がった。

 2016年に入ってから為替は円高が進んでいるものの、年平均レートは、2012年には1ドル=約80円だった。2015年は、約120円である。

 完全失業率は4.3%から3.2%(2016年5月末日)に低下し、有効求人倍率は0.8倍から1.36倍(2016年5月末日)に改善している。この求人倍率は、バブル期以来の高水準である。

 さらに、民主党(当時)政権時代に比べて就業者数が100万人以上も増加しているうえ、消費者物価指数もマイナスからプラスに転じ、デフレも克服しつつある。企業の倒産件数も記録的な低水準で、2015年は大企業、中小企業ともに過去最高の経常利益を上げている。

 これらの状況を見れば、アベノミクスは全体的には非常に大きな成果を上げたと言っても差し支えないだろう。もちろん完璧とは言えないが、それでもアベノミクスは日本経済を温めることに成功したのである。

 もっとも、アベノミクスが当初期待されたほどの成果を上げていないことは事実で、景気回復のスピードは落ちている。その原因は、明らかだ。何かと言えば、消費増税である。

 2014年4月から、消費増税が5%から8%へ引き上げられた。筆者は以前から消費増税には一貫して反対していた。なぜなら、増税が景気回復の足を引っ張り、日本がマイナス成長に転落する可能性が高いことがわかっていたからだ。

 そもそも増税の目的は何かと言えば、税収を増やすことだ。しかし、これまでの歴史を振り返ってみると、増税は必ずしも税収アップに結びつかないことがわかる。税収の増減は、その時点の経済状況に大きく依存するのである。

 まして、デフレ下での増税は逆効果で、むしろ経済停滞を招きかねない。

 1997年の日本がよい例だ。1997年4月から、日本の消費税率はそれまでの3%から5%へ引き上げられたが、その後の景気悪化で、国の一般会計税収は減収の一途をたどった。財務省は、「その後の景気の落ち込みはアジア通貨危機の影響で、消費増税が原因ではない」と主張し、「これは学界の意見だ」と付け加えたが、それは間違いである。


>>消費増税がなかったら、アベノミクスはもっと上手く行っていたと思うと残念でならない


「新・地政学」④



新・地政学 「第三次世界大戦」を読み解く(山内昌之+佐藤優、中公新書ラクレ)より


  歴史の転換点に「弱い政権」を戴いた不幸

山内
 やはり、冷戦終結を単なる国際政治のエポックとして見るだけでは不十分なのです。歴史を変えるうねりがつくられた基盤にある政治哲学、シー・チェンジ(大変貌)というべき大きな時代の変動をとらえる時代認識を、世界史と日本史を結合させながら共有できる政治家--。そんな人物があの冷戦終結時に、惜しいかな、政府与党のトップにいなかった。政治家としての脂質と気力をかけた乾坤一擲の勝負をするどころか、土俵にも上がれなかったわけです。その結果、世紀に一度あるかないかの絶好のチャンスを逸していましました。本当に残念でしたね。

 世界を見渡せば、冷戦終結前後の時期、英国にはサッチャー、フランスにはミッテラン、アメリカにはレーガンや父ブッシュという巨大な存在がいました。しかるに、日本では・・・・・・。歴史家として、「冷戦終結」と聞くといまだに去来するのは、その痛恨の思いなんですよ。


  地政学を欠く「地理」の罪

山内
 地政学的に考察すれば、そこは古代から、「乾燥地帯でありながら東西交易になくてはならない要地」だったということになります。この地理の要因こそ、中東が現在に至るまで常に不安定な政情に置かれる宿命を背負わされた一因になったことは、間違いないと思うのです。こうして培われた不安定構造に、エネルギー、安全保障という要素が付加されたことにより、ますます戦略的な重要性を高めているのが現代の中東なのですね。

 古代以来の地政学的な位置と、現代の産油地プラス国際テロや戦争の震源地というファクターを多元的に結びつける視点が、「中東複合危機」を読み解くうえでは必要になるのではないでしょうか。

 高校教育の地理と歴史の総合認識あたりから変えていかないと、日本はますます国際政治において「蚊帳の外」の存在に貶められてしまうでしょう。


>>大きな時代の変動をとらえる時代認識を、世界史と日本史を結合させながら共有できる政治家の誕生が望まれる

「新・地政学」③



新・地政学 「第三次世界大戦」を読み解く(山内昌之+佐藤優、中公新書ラクレ)より


  ベルリンの壁崩壊がソ連崩壊の入口だとは、気づかなかった

佐藤
 前の年に、ソ連の日本大使館勤務になっていたのですが、その日は同僚の書記官が「大変だ、BBCの国際放送でベルリンの壁を群衆が乗り越えているのを放送している」と言うのを聞いて、慌ててテレビに駆け寄ったことを覚えています。ただ、ソ連の中では、そこからソビエト体制の崩壊を連想した人間は誰もいませんでしたよ。正直、私もそうだった。

 ロシア人の感覚では、これからロシアがコアになりつつ、バルトであるとかカフカースであるとか、あるいはウクライナの西部あたりにはある程度の自由さを認め、「新東欧」として残す。そういう形で刷新されたソ連邦は縮小するが、代わりなく維持されていくんだ――とみんな楽観してドイツを眺めていたわけです。

 本当に衝撃的だったのは、むしろ今はほとんど忘れ去られた感のある、ベルリンの壁崩壊の翌月に行われた米大統領ジョージ・ブッシュ(父)とソ連共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフによる「マルタ会談」ですよ。44年前の「ヤルタ会談」に端を発する東西冷戦の終結を、いきなり宣言してしまったのだから。

山内 当時は、「ヤルタからマルタへ」という標語がはやりましたね。私が今でも不思議に思うのは、東西両ドイツの統一を、ソ連がなぜあんなにあっさり認めたのかということなんですよ。仮に強力な統一ドイツができることを米英仏が承認しても、ソ連は頑として拒否するだろうというのが当時の「常識」でした。現にゴルバチョフより前のソ連共産党首脳は、絶対反対のスタンスでしたよね。

佐藤 当時私が聞いた話では、重要な役割を演じたのが西ドイツ首相のヘルムート・コールでした。

 1990年7月、ゴルバチョフとの会談に臨んだ時、大統領の横に軍の幹部やKGBなどの人間がいて言いたいことが言えない。そこでゴルバチョフに、「あなたの故郷の別荘に連れて行ってくらないか」と頼んだ。快諾したゴルバチョフと、スタヴロポリの別荘で“差し”で向かい合ったんですね。その時コールが語ったのは、ソ連史でした。その話にゴルバチョフがいたく感銘を受けて、これは信頼のおける人物だと確信した。そのことが、NATOに留まったままでのドイツ統一にゴーサインを出すことにつながっていった――。この話は真実だと思うのですよ。

 ちなみに、われわれがこのやり方を真似て演出したのが、97年11月の「クラスノヤルスク会談」でした。ボリス・エリツィン大統領と橋本龍太郎首相に、エニセイ川の戦場で胸襟を開いて話し合ってもらった。


>>歴史が大きく動く際には、人と人との信頼関係が必要であるに違いない

「新・地政学」②



新・地政学 「第三次世界大戦」を読み解く(山内昌之+佐藤優、中公新書ラクレ)より


 第1章 「第二次冷戦」から「第三次世界大戦」へ

  「第二次冷戦」を定義する

佐藤
 かつての冷戦は、資本主義、自由主義陣営と社会主義陣営との「イデオロギー対立」を背景としたものでした。プラス私は、「ブロック対立」であるか否かが重要なファクターだと理解しているのです。ソ連の一国社会主義の時代には、誰も冷戦などと言わなかったわけでしょう。両陣営がブロックとして対峙したからこそ、冷戦構造になりえたわけです。

 実はソビエトができたのは1917年のロシア革命の段階ではなくて、1922年にソビエト連邦という国家が成立しました。1919年には全世界に共産主義を広める組織・コミンテルン(共産主義インターナショナル)がつくられました。ソビエトが安定するまでの間は、国家なんていうものは暫定的なものだったのです。当初はとにかく革命を成功させちゃえという勢いだったのですが、二本立てになるわけです。つまり、ソビエトという国家は国際法を守るし、各国と大使の交換もする。しかしコミンテルンでは世界革命を継続する。

 ISは今この両者が渾然一体としたような、ソ連の原型に近いような状況にあります。すると、周辺諸国は認知しないと言いながらも、事実上認知せざるをえなくなります。

山内 それはいわゆる「未承認国家」ということですね。不承不承、交渉もしなければならないし、プラグマティックに公益をすることもあるという消極的な形です。イギリスはロシアとのあいだに1921年に英ソ通商協定を結びました。すなわち、国交は結ばないけれども貿易はするという関係であり、まず通商代表部を認知するところから始めて外交関係を広げていったのです。

佐藤 満州国とソ連の関係も参考になります。ソ連は満州国を国家としては認めていませんでしたが、しかし自国民の保護という名目ではお互いの領事を交換していました。ソ連の領事館はハルビンなどあちこちにありました。逆に満州国の領事館をソ連に置いていたのです。


  サウジとイラクの断交は「第三次世界大戦」を招くのか

佐藤 ISもスンナ派に属しています。日本から見ているとISはヨーロッパ、アメリカ、イスラエルを相手に喧嘩をしているように見えますが、実は最初に考えているのはシーア派をやっつけなくてはいけないということです。これはいわば「内ゲバ」の論理、つまり一昔前の日本の新左翼と同じ状況なのです。本当の革命をやるためにはまず最初に敵対する他の新左翼グループをやっつけなくてはならないという論理なのです。ですから、イランとしてはISと本気で戦わざるをえません。

 山内先生がご指摘の通り、そこにアメリカが目をつけたのです。「敵の敵は見方」という理屈で、イランならばIS対策を本気で取り組んでくれそうだと考えたアメリカは、2015年7月、「ウィーン最終合意」でいらんの核開発を事実上、容認しました。これは核開発能力を維持してもよいということであり、大きな譲歩です。

 それを見ていたサウジは、アメリカに裏切られたと受け止めました。シーア派はバハレーン、イエメン、あるいはサウジの東部にも少なからず住んでいる、イランはこの人たちをそそのかしてサウジの体制をおびやかしているのではないかと訴えているのに、アメリカは聞く耳をもたない。ですから、サウジがイランとの断交を通じてメッセージを発信しているその宛先は、イランだけでなく実はアメリカだと言えるのです。サウジはアメリカに対して怒りを露にしたということです。

山内 サウジが出していたメッセージは、その前にもう一つありますね。アメリカとイランの関係緊密化に対して、サウジはロシアとの接近を図ったのです。国防大臣を務めるムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子がロシアを訪問して、ロシアがサウジの原子力発電所を受注しました。その協定書の中ではロシアがサウジの原発開発において最も重要な役割を演じることが明記されました。原発というのはある種の「含蓄」がありまして、平和利用の発電だけであるはずがありません。イランと同じように核開発に限りなく近い実験と活用を、ロシアの援助の下にやっていこうということでしょうね。

佐藤 スンナ派に属するISが、シーア派殲滅を前面に打ち出すようになって、自体の構造がスンナ派対シーア派の対立に変化しましたね。それを受けてイランによって、ISを殲滅することが、国家存続のために不可欠となったのです。

 そこでイランはイスラーム革命防衛隊(ハーメネイー最高指導者に直結する最精鋭部隊)をイラクやシリアに秘密裏に派遣して、ISとの殲滅戦を展開し、一定の成果をあげました。イスラーム革命防衛隊は、バハレーンやイエメンでもシーア派勢力を支援しました。このような状況にサウジは、「このままだとアラビア半島がイランの影響下に入ってしまう」という危機感を強め、イランよりはISのほうがましであると考えるようになったのです。


>>ISを巡り米国がイランに歩み寄ったことで今日の中東情勢がより複雑化している

「新・地政学」①



新・地政学 「第三次世界大戦」を読み解く(山内昌之+佐藤優、中公新書ラクレ)より
2016年3月10日発行


  まえがき――考現学としての地政学

 ソ連崩壊後、唯一の超大国となった米国に対して、2001年9月11日、イスラム教スンナ派過激団体「アルカイダ」が同時多発テロ攻撃を加えた。これに対して、米国はアフガニスタンとイラクを空爆するのみならず、地上軍を派遣し、本格的に戦争を行った。その結果、アフガニスタンのタリバン政権とイラクのサダム・フセイン政権は崩壊した。しかし、アフガニスタンとイラクの反米勢力を完全に駆逐することはできなかった。イラクで生まれたアルカイダ系の過激派は、シリアの混乱に乗じて、イラクとシリアの一部領域を実効支配する「イスラム国」(IS)に発展した。アフガニスタンでは、タリバンの残存勢力が再び息を吹き返し、無視できない勢力になっている。

 なぜ、世界最強の米国軍が、イラクやアフガニスタンのような、国力、軍事力から見た場合、比較の対象になり得ないような弱小国を制圧することができないのか。それは、イラクの一部、アフガニスタンの全域が山岳地帯だから。ロシアもチェチェンの分離独立運動を鎮圧するのに手こずった。これもチェチェン全域が山岳地帯だからだ。

 中央アジアでは、現在、キルギスとタジキスタンが破綻国家となっており、国土の一部地域が実効支配できなくなっている。その隙間に「イスラム国」の戦士が流入し、拠点を作り始めている。今後、「イスラム国」の影響は、キルギス、タジキスタンと国境を接する中国の新疆ウイグル自治区にも及ぶであろう。そうなると、歴史的に東トルキスタンと呼ばれる地域に「第二イスラム国」が形成されることになる。この動きを、中国もロシアも米国もとめることはできないであろう。なぜなら、東トルキスタン地域のかなりの部分が山岳地帯だからだ。

 このように、山という観点を加えるだけで、国際紛争が悪化する地域の特徴が見えてくる。これらの地域では、山岳地帯に長年住んでいる人々が、心の底から納得して受け入れることができる政治体制しか生き残ることができないのである。

 地政学は、地理的要素を考慮しながら、政治について考えるというアプローチだ。ここで言う政治は講義の概念で、そこには民俗学(文化人類学)、歴史学、哲学、宗教学、経済学なども含まれる。

2016年2月18日、曙橋(東京都新宿区)にて  佐藤優


>>地理的要素を考慮しながら、政治について考えるアプローチの地政学に注目してゆきたい

「衣食足りて礼節を知る」は誤りか ②



「衣食足りて礼節を知る」は誤りか 戦後のマナー・モラルから考える(大倉幸宏著、新評論)より

 第4章 「世間」はいかに日本人の行動を規制してきたか

  企業不正の背景


 明らかに社会のルールに反する行為であるにもかかわらず、企業内の誰もそれにストップをかけなかったという事例や、隠蔽を重ねれば重ねるほど発覚したときの企業へのダメージが大きいと気づいて言いながら誰もそれを表に出さなかったという事例など、「せまい世間」に目が向きすぎていると、不正を不正として認識できなくなってしまうのです。企業という「せまい世間」に潜む、悪しき体質とも言えます。

 逆に、企業をリードする立場にある人、あるいは個々の社員が「ひろい世間」を意識し、「せまい世間」の誤った規範を正そうという企業風土がある場合は、不正は起こりにくいでしょう。不正の抑止には、企業に属する一人ひとりが企業という「せまい世間」に身を置きながらも、「ひろい世間」に意識を向けられるという状態が必要となります。企業の不正防止に向けては、社外取締役などチェック機能の強化が進められていますが、こうした取り組みによって、組織が「ひろい世間」に対してどれだけオープンになっていくかが重要なところです。
 

  おわりに――あらためてマナー・モラルとは

 日本人のマナー・モラルは、この約半世紀の間に飛躍的な向上を遂げました。かつて日本人に浴びせられていた数々の汚名は、見事にすすがれたわけです。その向上への転機となったのは、昭和30年代から40年代にかけての時期でした。そした、変化をもたらした最大の要因と言えるのが、日本人の「ひろい世間」の拡大だったのです。

 もともと日本人は、「世間」の内側では同調を志向し、律儀で礼儀正しいことを重視する習慣をもっていました。だからこそ、こうした劇的な改善をもたらすことができたということも重要な点です。その意味では、日本人のマナー・モラルの向上は世界的にも稀有な現象だったと言えます。戦後日本の経済発展は「東洋の奇跡」とまで言われましたが、マナー・モラルの向上も、同様に「奇跡」だったと言っても差し支えはないでしょう。

 「衣食足りて礼節を知る」--。

 戦後の日本社会における変化を見た限りにおいて、2000年以上前に生まれたこの言葉は、決して誤りではなかったのです。

 「はじめに」で触れたとおり、本書は『「昔はよかった」と言うけれど――戦前のマナー・モラルから考える』の続編にあたります。前著では、現在の基準で見た場合、「戦前よりも今日のほうが、マナー・モラルは高い水準にあると言える」と結論づけました。しかし、そこから派生する疑問、すなわち「では、日本人のマナー・モラルはいつ高くなったのか?」「高くなったとするのなら、その背景には何があったのか?」には答えていません。この問いに答えることが本書執筆の基点になっています。

 その解答として、昭和30年代から40年代にかけての時期に向上に転じたこと、そして「ひろい世間」の拡大がマナー・モラルの向上をもたらしたことを、本書では一応の結論としました。

 二冊の著作をとおして、日本の戦前・戦後におけるマナー・モラルの実態とその変遷を描いてきましたが、まだ触れていない歴史的事実は数多くありません。また、本書の内容から生じるさらなる疑問も少なくありません。それらを今後の課題としつつ、筆を擱きたいと思います。 

  2016年4月 大倉幸宏

>>これからも「せまい世間」ではなく、「ひろい世間」に意識を向けることで、マナー・モラルを向上させてゆきたい

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