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「衣食足りて礼節を知る」は誤りか ①



「衣食足りて礼節を知る」は誤りか 戦後のマナー・モラルから考える(大倉幸宏著、新評論)より
2016年7月10日 初版第1刷発行

  はじめに

 「衣食足りて礼節を知る」――。衣服や食物が十分に足りてはじめて、人は礼儀や切語をわきまえられるようになる、ということを表した言葉です。もとは「蒼凛[穀物倉]実ちて即ち礼節を知り、衣食足りて即ち栄辱[名誉と恥辱]を知る」という一節で、古代中国の書物『管子』に記されています。2000年以上前の言葉でありながら、今なお広く知られているということは、それだけ真理を言い表した言葉であるとも考えられます。

 どころが、今日の日本ではこれを真っ向から否定するような言説が、あたかも事実であるかのように語られています。

 「日本は戦後、急速な経済発展を遂げて豊かになった。しかしその一方で、人々の心は貧しくなり、道徳は低下していった」

 本書では、こうした疑問を解くため、日本が戦後に経済発展を遂げていくなかで、人々のマナー・モラルがいかに変化していったのかを考察していきます。なかでも、日本人が「衣食足りて」の段階へと進んだ昭和30年代~40年代に重点を置きながら、日本社会の状況を分析します。そして、今日の日本人の道徳水準をいかにとらえるべきか、そのメンタリティーにも踏み込みながら、一つの視点を提示していきます。


>>「衣食足り」ずして、マナー・モラルが向上するとは思えない

「刑務所わず。」



「刑務所わず。」(堀江貴文著、文春文庫)より

  解説 堀江さんに贈りたい言葉  村木厚子

 私が遭遇した郵便不正事件では不正、不当な取り調べがあり、最後には検事が証拠であるフロッピーディスクの改ざんに手を染め、これを知った上司もその事実を隠ぺいした。検察や刑事司法に大きな欠陥があることは容易に想像できた。そうした問題点を明らかにするために、私は思い切って国家賠償裁判で検察を訴えた。ところが、検察は裁判で争うことを避けるために「認諾」、つまり、一切反論せず訴えをすべて認めて要求された賠償額を全額払うという対応に出た。必要経費を除き3333万円の賠償金が手元に残った。財源は税金だ。とても私的なことに使う気になれず、運営を引き受けてくれるという社会福祉法人南高愛隣会に寄付して基金が立ち上がった。その後、南高愛隣会の物心両面の支援や多くの人の協力や寄付によって、地味だが本当に良い活動が続いている。しかし、それにしてもマイナーな分野の活動、堀江さんのようなビッグネームに来てもらえるかどうか全く自信がなかった。また、正直に言えば、司法や福祉といった「カタイ」分野の人間が集まる会合で、果たして堀江さんとケミストリーが合うだろうかと不安もあった。しかし、堀江さんは快諾してくれ、シンポジウムは大成功。彼が率直に語る刑務所での経験、そして問題点の指摘に多くの人が感銘を受け、いまだに参加者から「ホリエモン、よかったね」と感謝の言葉が出る。

 シンポジウムで、堀江さんは、塀の中の状況を生き生きと語りながら、彼らが「普通の人」であることを強調した。そして、今の刑務所の在り方の不十分な点をたくさん指摘してくれた。これらは『刑務所わず。』にも書かれている。堀江さんは「最後にひとつだけ、真面目な話を聞いてほしい。」と書き、再犯率が5割を超えていることを聞いて衝撃を受けたこと、刑務所にいる多くの人が普通の人たちだということ、そして彼らはいずれは社会に戻ってくる、だからこそ、その彼らに「なるべくなら偏見の目をもたないことで、彼らの再生を支援してやってほしい。」と訴えかけている。「彼らを排除すればするほど、再犯というブーメランとなって帰って」くる、「だから、そういう人たちがいること、その存在を知ってもらうだけでいい。」という。専門分野の人たちが「負の回転ドア」と呼ぶ状況をわかりやすく語ってくれている。そして「社長」(堀江さんの刑務所内のあだ名だそうだ。)の面目躍如、刑務所、あるいは刑事司法の「経営」の問題点を随所で指摘してくれている。「仕組みがこうなっているから仕方ない」ではなく、常に「こうやったらもっと良くなるんじゃないの」という思考回路、これが堀江さんの大きな魅力の一つだと思った。

 この分野はすばらしい語り部を得たのだと思う。敬愛する浅野史郎さん(神奈川大学教授、前宮城県知事)が、私が裁判が終わって社会復帰した時に「捕まってくれてありがとう」と笑いながら声をかけてくれた。この言葉を叱られるかもしれないが堀江さんに贈りたい。捕まってくれてありがとう!  (「共生社会を創る愛の基金」顧問・前厚生労働事務次官)


>>自分にも再犯率が5割を超える塀の中の人たちを偏見の目をもたずに再生支援することができるだろうか


「中央銀行が終わる日」⑤



「中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来」(岩村充著、新潮選書)より 


  おわりに

 中央銀行にせよ市中銀行にせよ、彼らがその預り金にどの程度のマイナス金利を付すことができるかを考えてみよう。それを解く鍵になるのは、彼らの相手方にとっては、現金つまり銀行券をしまい込んでおくという選択肢が残されていることである。したがって、そうした現金保管にかかる費用を超えてマイナスの金利を預金者から徴収することはできない。これが金利ゼロの金融資産である銀行券の存在をそのままに、銀行がその預かり金にマイナス金利を課そうとするときの限界である。だから、この種の制作の有効性あるいは限界を考えるときには、銀行券を文字通り「現物」として保管すると、どの程度のコストがかかるか、それが預金に課されるマイナス金利に見合うものなのかどうか、それについての見極めが必要なのである。

 金額が百万円ぐらいまでなら、財布やロッカーにしまい込んでおくのも、あり得る話である。だが、百兆円となるとそうはいくまい。専用の保管施設が必要になるはずだ。ちなみに、現在の日銀のバランスシートでは、銀行券と預金の合計が約三百兆円だから、この議論はそのくらいの金額を意識して行う必要がある。ところで、これは数字遊びのような話なのだが、そもそも百兆円というのは生半可な量ではない。一万円札一枚の重さは約一グラムだから、一億円は十キログラム、一兆円なら百トン、百兆円は実に一万トンという途方もない物量になる。これほどの「量」の現金を保管するとなると、あの007シリーズにも登場したような米国のフォートノックス並みの要塞のような施設が要るはずだ。

 問題はそうした施設の運営にどのくらいのコストをかけられるかだが、その上限を画するのがマイナス金利の程度である。金利のマイナス幅が0.1%で新規預入分だけというような話だったら、無理することもあるまい、おとなしく金利を払っておくかと考えそうである。日銀が狙っていることは、要するにそれだろう。しかし、金利が同じマイナス0.1%でも、既存新規を問わずに適用などということを日銀が言い出したら、百兆円を預金すれば年間で千億円もの金利負担が発生してしまう。それなら、日銀に預けて金利を支払う羽目になるより、元気な起業家にでも頼んで「現金保管業」を始めてもらい、それにも日銀がうるさいことを言ってくるようなら、大事なお客様にはそうしたサービスをご自分で利用するようお勧めしまおうか等という話が出てくる可能性もある。要するに、大規模な量的緩和とマイナス金利とは、そう簡単には共存できないのである。

 改めて話を整理しておこう。マイナス金利と言っても、その大きさはコンマ以下の数パーセント程度が限界、対象の預金も異次元緩和が作り出した程の量を相手にするのはやめた方が良い、無理して突き進めば、その先には「流動性の罠」が待っているというのが、この文脈での「落ち」ということになる。行き詰まった通貨システムの未来を本気で切り開きたいのなら、預り金にマイナスの金利を付しますなどという小手先の手段ではなく、銀行券そのものに金利を付すこと、マイナスにもプラスにも金利を付すこと、それができるようにする方法を考えた方が良いはずなのだ。そして、それは、通貨の未来を考えようとした本書で、あえて「ゲゼルの魔法のオカネ」を検討の軸に据えた理由でもある。


>>将来、「流動性の罠」に陥らないないような「電子マネーby日銀」の時代が来るのかもしれない
 

「中央銀行が終わる日」④



「中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来」(岩村充著、新潮選書)より

 ハイエクの描くところの通貨間競争の世界とは、民間の銀行が各々の通貨単位を自ら決め、その単位での銀行券を発行する世界です。その競争を動機付けているのは各発券銀行の企業利益追求です。ハイエクはそうすれば通貨価値は自然に高まるだろうと考えたわけです。まさに慧眼と言うべきです。貨幣発行を競争に委ねれば、貨幣価値を高めるというインセンティブが貨幣発行者に働くということは、変動相場制以降後の各国が繰り広げた通貨価値維持競争と、それによる世界的な物価の安定からもうかがい知ることができます。しかし、だからと言って、競争というルールだけで未来の貨幣の世界の全部をデザインするわけにはいかないだろうと私は考えています。

 貨幣には「決済手段」と「価値保蔵手段」そして「価値尺度」としての役割があると言われます。この文脈から議論すれば、ハイエクの発想は貨幣の「価値保蔵手段」としての役割に眼を付けたものと整理してもよいでしょう。そして、私たちが考えた「ゲゼルの魔法のオカネ」を仮想空間の世界に提供するということは、「決済手段」と「価値保蔵手段」としての貨幣を供給する役割を中央銀行の独占から取り上げて競争に付すことを意味します。これは、未来の貨幣制度として優れたデザインのはずです。ただ、それだけで貨幣が提供すべき役割の全てが揃うわけではありません。それだけでは、「価値尺度」としての貨幣が良く維持できるとは限らないからです。通貨間競争が始まれば、それに参加するだれもが効率的な決済手段にして有利な価値保蔵手段であることに特化した通貨を提供しようと競い合う世界が始まるでしょう。それが競争の担い手である発券銀行たちにとって多くの顧客を獲得することにつながるからです。しかし、そのとき、価値尺度としての貨幣はどうあるべきでしょうか。

 通貨の発行を民間銀行による競争に委ねたとしても、そこには様々な外的ショックがやってきます。災害もあるでしょうし政治の不安定もあるでしょう。思いもよらぬ技術進歩ということもあるかもしれません。そうした不確実な世界の中で、貨幣の外の世界から来るショックをできる限り柔らかく受け止めることを是とする発券銀行はあっても良いし、また少なくとも一つはあるべきだと私は思います。その存在は経済と社会の安定に不可欠の条件のはずだからです。

 そして、その役割を果たすと宣言し、その宣言を人々から最も信じてもらいやすい位置にいるのは、やはり現在の中央銀行のように私には思えます。そうした役割を果たすことになった彼らを、引き続き「中央銀行」と呼ぶべきかどうか、それはどちらでも良いことでしょう。ただ、そのときの彼らは、金融政策という名の景気政策にすっかり軸足を移したかに見える現在の中央銀行たちよりも、かつて「物価の番人」などと呼ばれていたころの彼らに近い行動原則を復活させた存在になっているでしょう。銀行券の価値を安定させて、それが金融契約の基盤として役割を最大限に果たせるよう努力することこそ、今は中央銀行などと呼ばれている彼らの最後の残る使命になるし、また彼らに最も向いた役割になるのではないでしょうか。

 江戸期の日本には「秤座」という団体がありました。度量衡の一つである重量、それを測る「秤」を統一し、当時の活発な経済活動を支えた団体です。もちろん、秤座にも様々な事件があり人間模様もあったようです。しかし、彼らが提供する「秤」は常に人々に安定した基準を提供し続けていました。それは目立たないながらも日本の経済を支えた不可欠の基盤だったのです。

 中央銀行たちもやがては「秤座」のようになるべきかもしれません。安定した尺度の提供は、昔も今も人々の前向きな経済活動になくてはならない役割のはずだからです。でも、彼らがそのことに気付かず、金融政策を担うのだと言って物価や景気を操ることをいつまでも夢見ていれば、本当に「中央銀行が終わる日」が来てしまうこともあり得ないことではないでしょう。そんな日が来ることのないよう私は願っています。


>>貨幣の「決済手段」と「価値保蔵手段」そして「価値尺度」としての役割が変わることはないに違いない

「中央銀行が終わる日」③


「中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来」(岩村充著、新潮選書)より

 第五章 中央銀行は終わるのだろうか
 
  中央銀行は終わるのだろうか


 私は中央銀行たちの円やドルがビットコインたちと華々しく競争して負けるというシナリオはまずないだろうと思っています。理由は円やドルのような信用貨幣の方が、ビットコインたちのようなPOW(プルーフ・オブ・ワーク(作業証明))貨幣よりもはるかに安く、地球資源に負担をかけずに作り出せるからです。ビットコインたちが未来の貨幣の世界に占める地位は、それを彼らが最も得意とするホームグランドたる仮想空間においてすら、長期的には「コイン」というその名の通り、補完的かつアンチテーゼ的な地位にとどまるのではないかというのが私の予想です。ですから、中央銀行の姿が未来の貨幣の世界にない、消えてしまうということが起こるとすれば、それはビットコインたちに負けるのではなく、ときにフィンテックなどという言葉で表現される民間企業や銀行たちによる世界的な決済サービス開発競争の中で、中央銀行たちが自らのいるべき場所を見いだせないときに起こることだろうと思うのです。

 さあ、そうすると、新しいハイエクの世界で、中央銀行たちにどんな役割が残ることになるでしょうか。それとも役割は何ものこらないのでしょうか。最後にそれを少しだけ想像して本書を終えたいと思います。


  やがて秤座のように

 私は「役割は残る」と思っています。残るのは、安定した「価値尺度」を提供するという役割です。正確に言えば、誰もが安定した価値尺度だと認めるような分析と方法論をもって貨幣利子率を決定し、その利子率のデジタル銀行券を世に提供し続けることです。それは、世界がハイエクの描く通貨間競争へと移行しても、引き続き現在の中央銀行たち、あるいはその後継者たちに最後に残る役割であり、最もふさわしい役割でもあるだろうと私は思っています。

 なぜ価値尺度の提供が中央銀行たちに最後に残る役割なのでしょう。それは、価値尺度というのは、単に今日という時点での財物の価値の相対的な大小を図る基準になるだけでなく、現在と将来とを交換する契約である金融契約の安定を支える役割を負っているからです。それを提供することは誰にでも務められる役割ではありません。そしてまた、他の目的から切り離された使命感を背負ってそれを担おうとする者に委ねた方が良さそうな役割でもあります。他の目的を持つ者に尺度の決定を委ねることは、その者の利益のために時間軸上での価値尺度が伸び縮みさせられるのではないかという疑念を世に抱かせます。それは望ましいことではありません。尺度の管理者は、ただ尺度の公正だけを使命とする司祭のような存在であった方が良いはずなのです。


>>貨幣利子率を決定し、その利子率のデジタル銀行券を世に提供するという「価値尺度」の提供が中央銀行の役割になる日が来るのだろうか

「中央銀行が終わる日」②



「中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来」(岩村充著、新潮選書)より


 第四章 対立の時代の中央銀行

  ゲゼルの発想から


 20世紀の初頭にゲゼルという思想家がいたこと、その彼の議論のなかに、貨幣にマイナスの金利を付けるという提案があることは前著でも紹介しました。

 ゲゼルが提案したのはスタンプ付紙幣と呼ばれる方式です。これは、紙幣の保有者に保有期間に応じた枚数のスタンプを購入させ、そのスタンプを貼り付けておかなければ貨幣としての価値が維持できないと定めておくという仕組みです。たとえば、一週間が経過するたびに表示額の千分の一に相当する金額のスタンプが必要であると定めるとすれば、紙幣の価値を維持するのに必要なスタンプの総額は一年間(約52週間で券面の5.2%になりますから、その分だけのマイナス金利を貨幣に付すのと同じことになります。

 
  魔法のオカネの作り方

 貨幣を作る技術がアナログの印刷技術からデジタルの電子技術に進歩したらどうでしょう。ゲゼルの「魔法のオカネ」は簡単に実現できてしまいます。それどころか、ゲゼルが求める範囲を超える「高性能」のオカネを作ることも難しくありません。状況においうじて利子率を柔軟に変更でき、プラスにもマイナスにもなるようにプログラムすることができるからです。利子の計算も精緻にできるでしょう。

 実現の方法としては、銀行券をICカードのような「耐タンパー性」のある電子媒体に収容して、金額表示や支払いのつど利子込みの金額を計算するという方法でもよいですし、思いきって仮想空間上に展開されたP2Pネットワーク上に移行してしまって、そこで第三章の最後に考えたように、プロトコルで制御して仮想空間上でプラスあるいはマイナスの利子を発生させるというような方法でも実現できるはずです。そうした仕掛けの組み合わせまで考えれば、デジタルの世界でのアイディアは限りないほどに豊かになります。デジタルの世界では、銀行券は、今すぐにでも「魔法のオカネ」になれる、ゲゼルを超えた「魔法のオカネ」になれるのです。

>>全ての銀行券を紙幣から電子媒体に変えることができたら、より効果的な金融政策が実施できるに違いない

「中央銀行が終わる日」①


「中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来」(岩村充著、新潮選書)より
2016年3月25日発行


  はじめに

 「われわれの自由社会によっての問題は、たとえいかなる犠牲を払っても失業が発生することは許されず、その一方で強権を発動する意志もないとすれば、あらゆる種類の絶望的な方便を採用しなければならない羽目に陥ってしまうだろう、という点である。それらのどれ一つを取り上げてみても、長続きする解決をもたらすことは不可能であり、すべてが、資源の最も生産的な活用を深刻に妨げるまでに到るだろう。とりわけ注意すべきは、金融政策はこのような困難に対して、何ら本当の解決策を提供することができない、ということである」

 1944年の初版刊行依頼、フリードリッヒ・A・ハイエクの代表作とされ続けている『隷属への道』(西山千明訳・春秋社・2008年)からの引用です。現代の通貨システムの悩みは、この最後の一文に要約されているのではないでしょうか。


  第1章 協調の風景――良いが悪いに、悪いが良いに

 1 協調か競争か

  なぜ協調なのだろう


 一国だけで金融緩和に突き進むと「失業の輸出」という批判を受けやすいわけですが、歩調を合わせて緩和に進めばその心配はありません。ですから日本や米国あるいは欧州などの大国たちが金融緩和を進めるためには強調と相互理解が大事なのです。

  かつてハイエクがいた

 ハイエクが通貨のあり方について主張したのが、通貨を国家のコントロール下に置くな、通貨の発行と流通に「競争」を導入すべきであるということでした。彼の書いていることを引用しておきましょう。出所は彼の1978年の文章です。「あまりにも危険でありやめなければならないのは、政府の貨幣発行権ではなくその排他的な権利であり、人びとにその貨幣を使わせ、特定の価格で受領させる政府権力である(ハイエク「通貨の選択」池田幸弘・西部忠訳『貨幣論集』春秋社『ハイエク全集Ⅱ-2』より)とあり、続けて「責任ある金融政策をとる国の通貨は、次第に信頼できない通貨にとって代わるようになるだろう、というのがおそらく結論である。金融的高潔さの評判があらゆる貨幣発行者が用心深く守ろうとする資産となるであろう」(同上)とあります。

 ハイエクの貨幣についての考えは、この二つのフレーズに尽きているように思えます。見落として欲しくないことは、彼が異議を唱えているのは、政府あるいは中央銀行による貨幣の発行そのものではなく、その「選択」に関する政府の介入であり、具体的には自国の造幣局や中央銀行が発行する貨幣しか使用させないという法的手段による強制だということです。


>>通貨を国家のコントロール下に置くな、通貨の発行と流通に「競争」を導入すべきであるというハイエクの考え方を学びたい


「承認」の哲学④



「承認」の哲学 他者に認められるとはどういうことか(藤野寛著、青土社)より


 第2章 体系 承認の三つの型、そして寛容

 人間が社会的存在である、とは、人間が他者との関係の中で相互の承認を求めて闘い続ける存在である、ということだ――ホネットの承認理論を一言に圧縮すれば、そうなる。その上で、承認は三つの型に分類される。愛・人権尊重・業績評価である。

 まず、愛が、相手から認められようとするいじらしくも苦しい相互の闘いであることは、見やすい消息だろう。片思いにとどまることを潔しとしない者は、避け難く、この闘いの渦中に身を投じることになる。

 次いで、人権尊重とは、人として認める/認められる、ということだ。私を、あなたと同じ対等の人間として認めよ、と求めること。人類の歴史とは、同じ人間として対等の処遇を求める闘い、言い換えれば、差別を廃することをめざす闘いの連続だった。

 最後に、業績評価とは、業績を公正に評価する/される、という形の承認だ。この第三の型の承認を、ホネットは「連帯」という言葉で解釈しようとするのだが、必ずしも直ちに腑に落ちるとは言い難い――実際、ホネット自身、この文脈に「連帯」の語を投入することには概して慎重であるようにも見受けられる。しかし、同じ価値評価基準が社会によって共有されているとき、その社会の内には連帯が実現している、と言い表わすことは不可能ではない。ある社会が、その業績評価において二重基準がまかり通りことを良しとしないという意思を表明するならば、その社会の中には一定の連帯が実現しているのである。

  *

 ここで、三つの承認の型について、その相違と相互関係について整理しておこう。

 愛は、限られた相手・対象に向けられる承認である。すべての人を愛する、ということはありえない。普遍・特殊・個別というカテゴリー・セットで言えば、愛は一人の個人のみを対象とし、つまりは、個別に関わる。もちろん、子の親に対する、あるいは逆に親の子に対する愛のように、相手が複数となり、そのように愛の対象が拡張されることは大いにありうるが、だからといって、その拡張が融通無碍、無際限ということはない。とにかく、愛は人を選ぶ(差別する)のである。

 それに対して、第二の承認の型である人権尊重は、普遍性志向を特徴とする。人を人として尊重(承認)する、とは、人であるという点以外の際は無視する、ということであり、愛が究極の依怙贔屓であるのとは対照的に、こちらは――もちろん、ヒューマニズム8人間主義)の範囲内ではあるが―― 一切の差別を峻別する。 
 
 普遍性へのこの関係は、第三の承認の型である業績評価にも認められるものだ。それは、評価基準の普遍性を前提する。つまり、公平で偏りのない基準に則る評価でなければならない、ということだ。その上で、この承認は、結果においては差をつける。立派な業績は高く評価し、見劣りする業績はそれ相応に厳しく評価する。そうでなければ、公正な業績評価が成り立っているとは言えない。だれにも同じ点数をつけることで差別を回避するのでは、評価(という承認)に関しては怠惰であると言わざるをえない。

 この点で、業績評価という承認と愛という承認の違いは歴然としている。親は、わが子が優れた能力・資質を具えるから愛するのではない。その意味で、親の偏愛は許されると思うが、教師が愛をもってクラスの生徒に接することは認められない。すべての生徒を平等に愛すればよいではないか、と言われるかもしれないが、それは、もはや第一の承認としての愛ではなく、むしろ、第二の承認としての尊重であろう。その上で、教師は、第三の承認としてのフェアな成績評価を下すのでなければなるまい。

 これを、同一性/差異性というカテゴリー・セットに即して言えば、第一の承認が徹底して差異性の承認である(「あなただけを一途に愛す」)のに対して、第二の承認は同一性の承認であり(「あなたも私も同じ人間」)、第三の承認は、同一性を基準としつつ結果として差異を志向するものだ、と整理できるだろう。


>>人間は他者との関係の中で相互の承認--愛・人権尊重・業績評価--を求めて闘い続ける存在である

「承認」の哲学③



「承認」の哲学 他者に認められるとはどういうことか(藤野寛著、青土社)より


 3 承認を拒まれるという経験

  否定性から考える


 われわれが生きてゆく上で、自分にとって大切な人から認められる、という経験が、どれほど重要な意味を持つか。例えば、親に愛され大切に育てられるという経験、あるいは、自分が好きな人に「私もあなたが好き」と応えられるという出来事、あるいはまた尊敬する指導教官から自らの論文を褒められたり高く評価されたりすること――そういったことを思い返すことのできる人は幸せだ。そういう経験が、どれほどわれわれを励まし、支えてくれることか。けれども、承認をめぐる思考へと人を動機づけるのは、そういう幸せな経験であるよりは、むしろ逆に、苦しい、否定的な経験なのではないか。承認を拒まれる、という経験だ。軽視される(軽んじられる)こと、さらには無視されること、またあるいは差別されること。


  「承認が拒まれる」という経験

 論じられるのは、他の人間を、生命ある自然の世界を、さらには自己自身をも相手とするような姿勢としての「承認」であり、そのような承認を拒む行為こそが「物象化」という行為だ、と捉える。「他の主体を、その人間的資質にふさわしい仕方でではなく、感覚を持たない死せる対象、つまりは「モノ」として、あるいは「商品」として扱う」ことだ。

 その議論が全面展開される著作『物象化』においては、人が人を――人の一部である身体を含め――物のように扱うことが、「承認の拒絶」現象の一事例として分析に付される。自分自身の身体をも、モノとして扱い、言い換えれば、ヒトとして扱わないということ。臓器売買にせよ、整形手術にせよ、さらには売春行為にせよ、共通して見られるのは、自他の身体を物のように扱う態度であって、それは「人を人として認め、処遇する」という姿勢が欠落しているからこそ可能になる行為なのではないか、と問われる。「代理母として自らの身体を供すること、愛という関係の商品化、あるいは、性産業の爆発的増殖」――そういった現象の背後にも、ホネットは物象化の進展を見るのである。「承認が拒まれるという経験」の第三の事例である。


 第2章 基礎的考察 「社会性」をめぐる考察へ

  社会生活とは「承認をめぐる闘いだ」


 承認と聞くと、会議で行われる堅苦しい儀式のことが話題になってでもいるかのような印象が生じかねないのだが、もちろん、そうではない。人から認められること、相手にされること、きちんと評価されること、褒められること、愛されること――まとめて言えば、自分の価値をきちんと肯定的に評価され、存在を受け入れられることだ。そういう経験の全体をカヴァーして、「承認」と言われている。

 ここでは、人間が生きてゆく上で、人から認められるという経験がどれほど重要なものであるかが、確認されている。具体的に考えてみよう。親から愛されることは、あまりに当然のことで、それと気づきにくいかもしれないが、教師から褒められたり、異性から好きだと言われたりすることが、どれほどわれわれに自身(自尊の感情)を与えることか。逆に、周りの人から――親や、兄弟や、友だちや、先生や、好きになった相手から――お前はダメだ、あなたなんてダメだ、と言われ続ける人生が、どれほどつらいものになることか。もっとつらいのは、ダメだとすら言われないこと、全く無視されることかもしれない。

 自信をもつためには、達成感というものも重要だろう。自分で目標を立て、それを達成した自分自身への満足感、という形での自己評価だ。

 ホネットは、社会生活というのは、承認をめぐる闘いだ、という。われわれが社会の中で生きるとは、「結びつき・つながり・きずな」を求めて生きる、ということなのだが、それは、認められることを求めての「闘い」であるわけだ。

 闘いであるからには、勝ちたいと思うのは人情だ。

 認められるというのは、受け身の経験だ。認められるためにはどうすればよいか、などと考えるのは、いかにもいやらしい。自分を磨け、とか、ありきたりの道徳的説教に陥りかねない。そうではなく、むしろ逆に、認める姿勢、さらには、認める能力、というようなものがあるのではないか。これは――村上春樹についての議論でも見たように――相手の発する言葉に注意深く耳を傾ける、という姿勢を含む。

 人を認める、という行為は、自己中心性(ナルシシズムだ!)に対するブレーキとして現象するのではないか。自分の利益のために利用すべく人を認める、ということもあるから、すべてがそうだとは言わないが、しかし、人を認める能力を持つ人というのは、概して、自己中心的でなく、その意味で好感度が高いのではないか。


>>社会生活というのは、自分の価値をきちんと肯定的に評価され、存在を受け入れられるという「承認」をめぐる闘いである

「承認」の哲学②



「承認」の哲学 他者に認められるとはどういうことか(藤野寛著、青土社)より


  第1章 導入 他者に認められること/他者を認めること

 1 ありのままの自分を生きること/人目を気にして生きること

  「真の自己」、「内発性」という思想


 自発性・内発性というこの理念は、自由・自立・主体といった理念とも親戚関係にあり、西洋思想の流れの中で中核的な位置を占めてきたものだ。自らの欲求の充足・実現が外部の障壁によって妨げられるとき、人は自分が不自由だと感じる。さらに、必ずしも外部から妨害されていなくても自分で自分の欲求をコントロールすることがうまくゆかない、という場合があり、すると、どうにかしてそれを――自分自身を――律することが「自立」の理念のもとに追求される。さらに、他者や社会によって動かされるのではなく、逆に、他者や社会を動かす立場に身を置くことが、自由の理念のもとに追求されることにもなる。他者に左右されるのではなく、自分が自分の人生の「主」、「主人公」となることがめざされるのであり、その思いが「主体」という言葉に託される。総じて、他者に影響され左右されることは、内発、自立、自律といった理念に反するのであり、内発性の思想というものは、「自己」や「主体」といった近代の理念と深く関わっている。


  「真の自己」は自分の中には見つからない

 「自己」なるものは――「真の自己」であるか否かはともかく――外部との、他者との関係の中でこそ作り出され、作り上げられてゆくものなのではないか。そう考えるとき、「真の自己」にとって「他者」とはどういう存在なのか、という問いが浮上してくる。他者(の目)とは、「真の自己」にとっては邪魔者、障害物のようなものなのか。「真の自己」になるためには、他者との関係は、まずは切り捨てることこそ必要なのか。いや、むしろ逆ではないか。他者とは「自己」にとって、構成成分のようなものである、とこそ言わねばならないのではないか。


  「自己実現」を問い直す

 欲求は、社会的に――外部との関係の中で、外部から――受け入れられ、育て(上げ)られるもの以外ではありえない。そう考えると、これはもはや「自己実現」とは呼ばれえないものだ。実際、自己実現ということが、個人に定位して考えられるのであれば、個人の数だけ様々な自己実現の形があってもよさそうなものだが、しかし、現実に見出される「実現が願われる自己」なるものは、どれも似たりよったりというしかないのではないか。スポーツ選手だの、芸術家だの、芸能人だの、そこに多様性などおよそ認められない。それほどにも、実現されるべき自己のイメージというものは、自己の外にあるのであって、自己の内部に――ポテンシャルとして――埋もれていたりなどはしないのである。


  自己自身との関係、他者による承認

 承認論は、あるタイプの理想やきれいごとに疑問を突きつける思考だ。例えば、「真の自己」「ありのままの自分を生きる」「内発性」「自己実現」。それに対して、むしろ、人と人の関係、社会性を重視し、その中で生きてゆくことこそ人間として生きることであると考える。人目を気にすることを奨励するわけではないが、人に認められる経験の幸いを軽んじない。そうであればこそ、人に正当に認められる経験が阻まれているような社会のあり方を批判する。


 2 「認める」という行為、あるいは村上春樹の出現について

  アンチテーゼとしての「承認」


 もっとも、私にとっては、ホネットに先立って、村上春樹という存在があった。今だからわかることでもあるのだが、彼が『風の歌を聴け』で現れたときの新鮮な印象は、68/69年の思想の倒錯的否定主義へのアンチテーゼという風に解釈できるものだった。否定あるいは批判へのアンチテーゼとしての、承認という姿勢。「わかるよ」という台詞、「そういうものだ」という口癖に表現されているものだ。

 この小説が発表された当時(1979年)、なぜ、自分が村上春樹に直ちに魅了されたのかが、承認について考える過程で少しずつわかってきた。しかし、それだけではない。なぜ、彼の書くものが、1969年の運動との苦渋を伴う自己批判的対決の試みであると感じられたのか、についてもそうだった。つまり、あの運動には、「承認」が不在だったのだ。みんな、「否定」ばかりしていた。もちろん、その「否定」とはまずは「自己否定」であり、自己自身に向けられるものではあったのだが、しかし、人は、同じ激しさ・執拗さで、社会を、世界を、そして結局は他者をも否定していたのではないか。そこに、村上春樹は「承認」の姿勢を提示し、定着させた。そうすることで、「1969年的」な世界に対するアンチテーゼを差し出したのだ。

 つけ加えて言えば、「そういうものだ」という――同じく村上作品の中で反復される――感慨もまた、承認の表現である、と言えるだろう。こちらは、苦い思いの混じる諦念の表明、つまり、渋々の甘受なのではあるけれども、しかし、ここでも「否定」はされないのである。


  「全体の思想」という病理

 当時、「オルグ」という言葉があった。「オルガナイゼイション(organazation)」の短縮形である。人を組織すること、自らの属する集団の一員となるよう説得することだ。そのために、なぜその集団の一員になることが正しい決断であるのかが、熱く語られた。まさにそのような時代、誰もが「熱心に語って」いた時代の後に、村上春樹は、ただ耳を傾け、うなずく人間を対置したのだった。

 「なるほど。」二秒ほど置いてから僕は相槌を打った。そのころまでに僕は三百種類ばかりの実に様々な相槌の打ち方を体得していた。

 相槌は、自分の言葉が相手によって真剣に受け止められている、その意味で自分が(語る人間として)認められているという印象を語り手に与えうる。「僕」は「三百種類」の承認の手振りを体得していたことになる。承認理論を学ぶはるか以前に、私は、村上の小説の中で承認実践の達人に出会っていたようだ。


>>「1969年的」な「否定」に対するアンチテーゼとして、村上春樹の「承認」が差し出された

「承認」の哲学①



「承認」の哲学 他者に認められるとはどういうことか(藤野寛著、青土社)より
2016年7月7日 第1刷発行


  はしがき

 人が、自らの存在・知識・経験について反省的に考え始めるとき、哲学という実践は始まる。その際、「自らの」と言うわけだが、その「自己」とは必ずしも「個人」としての自己を意味するものではない。人間という類的存在の一人としての自己を意味することもあれば、何らかの集団(民族、性とか)の一構成員としての自己を意味することもある。

 現代ドイツの社会哲学者アクセル・ホネット(1949-)の承認論は、私にとって、何よりもまず哲学的反省の試みだった。

 愛されるとは、ある他者によって特別に大切な存在として認められるという経験である。それは、受け身の経験だ。愛するだけでは駄目なのであり、愛されねばならない。われわれは、愛されようとして「闘う」のだ。相手の言葉、振舞いの一つ一つに細心の注意をはらい、正しく反応しようとする。相手に魅力的な存在として認められようとする。相手にどう見られるかと一喜一憂することは、少しも恥ずかしいことではない。どこにも咎め立てられる筋合いはない。

 そして、自分にとって大切な他者によって認められる経験を通してこそ、われわれは自信を得、自己自身との良好な関係を築き上げることも可能になるのではないか。逆に言うと、他者から認められる経験をもたずに自己自身との良好な関係を築くことは容易でないだろう。

 差異が肯定的に評価されることが「承認」と呼ばれ、否定的に処遇されると「差別」されることになる。そして、差別してはいるのだが、「廣い心」で許容する姿勢が「寛容」だ。その際、肯定的に評価される、と言うわけだが、それもまた一筋縄ではゆかない消息だ。「世界にただ一人の人」として認められる「愛」のようなケースがあれば、「すべての人と同じ人間」として尊重されるという形の承認(人間尊重)があり、自分がそこに属する集合が見える性質(集合的属性)が評価されることもある(「日本文化はクールだ」と言われるとか。)

 「承認」という言葉によってカヴァーされる問題の広がりと奥行きを明らかにすること、そうすることで、現代社会に生きるという経験の一つの側面を浮き彫りにすること、それが、本書のめざすところである。


  第1章 導入 他者に認められること/他者を認めること

 1 ありのままの自分を生きること/人目を気にして生きること

  「真の自己」、「内発性」という思想


 自発性・内発性というこの理念は、自由・自立・主体といった理念とも親戚関係にあり、西洋思想の流れの中で中核的な位置を占めてきたものだ。自らの欲求の充足・実現が外部の障壁によって妨げられるとき、人は自分が不自由だと感じる。さらに、必ずしも外部から妨害されていなくても自分で自分の欲求をコントロールすることがうまくゆかない、という場合があり、すると、どうにかしてそれを――自分自身を――律することが「自立」の理念のもとに追求される。さらに、他者や社会によって動かされるのではなく、逆に、他者や社会を動かす立場に身を置くことが、自由の理念のもとに追求されることにもなる。他者に左右されるのではなく、自分が自分の人生の「主」、「主人公」となることがめざされるのであり、その思いが「主体」という言葉に託される。総じて、他者に影響され左右されることは、内発、自立、自律といった理念に反するのであり、内発性の思想というものは、「自己」や「主体」といった近代の理念と深く関わっている。


  「真の自己」は自分の中には見つからない

 「自己」なるものは――「真の自己」であるか否かはともかく――外部との、他者との関係の中でこそ作り出され、作り上げられてゆくものなのではないか。そう考えるとき、「真の自己」にとって「他者」とはどういう存在なのか、という問いが浮上してくる。他者(の目)とは、「真の自己」にとっては邪魔者、障害物のようなものなのか。「真の自己」になるためには、他者との関係は、まずは切り捨てることこそ必要なのか。いや、むしろ逆ではないか。他者とは「自己」にとって、構成成分のようなものである、とこそ言わねばならないのではないか。


  「自己実現」を問い直す

 欲求は、社会的に――外部との関係の中で、外部から――受け入れられ、育て(上げ)られるもの以外ではありえない。そう考えると、これはもはや「自己実現」とは呼ばれえないものだ。実際、自己実現ということが、個人に定位して考えられるのであれば、個人の数だけ様々な自己実現の形があってもよさそうなものだが、しかし、現実に見出される「実現が願われる自己」なるものは、どれも似たりよったりというしかないのではないか。スポーツ選手だの、芸術家だの、芸能人だの、そこに多様性などおよそ認められない。それほどにも、実現されるべき自己のイメージというものは、自己の外にあるのであって、自己の内部に――ポテンシャルとして――埋もれていたりなどはしないのである。


  自己自身との関係、他者による承認

 承認論は、あるタイプの理想やきれいごとに疑問を突きつける思考だ。例えば、「真の自己」「ありのままの自分を生きる」「内発性」「自己実現」。それに対して、むしろ、人と人の関係、社会性を重視し、その中で生きてゆくことこそ人間として生きることであると考える。人目を気にすることを奨励するわけではないが、人に認められる経験の幸いを軽んじない。そうであればこそ、人に正当に認められる経験が阻まれているような社会のあり方を批判する。


>>他者から肯定的に承認される経験を通じて、自己自身との良好な関係を築き上げられる

「生き方」⑧



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


  災難にあったら「業」が消えたと喜びなさい

 「災難にあったら、落ち込むのではなくて喜ばなくてはいかんのです。災難によって、いままで魂についていた業が消えていくのです。それぐらいの災難で業が消えるのですから、稲森さん、お祝いをしなくてはいけません」

 このひと言によって、私は十分に救われた思いがしました。世間からの批判も、「天が与えたもうた試練」と素直に受け取ることができたのです。まさに、いかなる慰めの言葉にもまさる、最高の教えを老師は授けてくださり、私は人間が生きるということの意味、そしてその奥底に横たわる偉大な真理までを学ぶことができました。


 人のあるべき「生き方」をめざせ、明るい未来はそこにある

 人間はより大きな使命をもってこの宇宙に生かされていると私は考えています。知性と理性を備え、さらに愛や思いやりに満ちた心や魂をも携えて、この地球に生み出された――まさに人間には「万物の霊長」として、きわめて重要な役割が与えられているのです。

 したがって、私たちはその役割を認識し、人生において努めて魂を磨いていく義務がある。生まれてきたときより、少しでもきれいな魂になるために、つねに精進を重ねていかなければならない。それが、人間は何のために生きるかという問いに対する解答でもあると思うのです。

 一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間として「生き方」はないように思います。

 混迷を深める社会の中で、人々はいま、手探りで闇夜を進むかのごとく生きています。しかし、私はそれでも、夢と希望あふれる明るい未来を思い描かずにはいられません。充実した実りの多い、幸福な人生を人々が過ごす――そのようなすばらしい社会の到来を心から願うとともに、かならずそれは実現できるものと考えています。

 本書で述べてきたような「生き方」をとるならば、それが個人の人生であれ、あるいは家庭であれ、企業であれ、また国家でさえも、かならずよい方向へと導かれ、すばらしい結果を招くことができるからです。

 まずは自分自身が、またそのようにして一人でも多くの人々が、それぞれ与えられた崇高な使命を理解し、人間として正しいことを正しいままに貫きつづける。そのような「生き方」の向こうには、かならず光り輝く黎明のときを迎えることができる、私はそう信じています。


>>当たり前のことを一生懸命行っていくことで、すばらしい社会を実現できたら良いと思う

「生き方」⑦


「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


 第5章 宇宙の流れと調和する


  人生をつかさどる見えざる大きな二つの力

 人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。

 一つは、運命です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。異論のある方もおられるでしょうが、私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。

 では、人間は運命の前ではまったく無力なのか。そうではないと思います。もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが「因果応報の法則」です。

 つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという、原因と結果をまっすぐに結びつける単純明快な「掟」のことです。

 私たちに起こるすべての事柄には、かならずそうなった原因があります。それはほかならぬ自分の思いや行いであり、その思念や行為のすべてが因となって果を生んでいく。

 ここで大事なのは、因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということです。人生を律するこれら二つの力にも力学があって、因果律のもつ力のほうが運命のもつ力をわずかに上回っている。そのため私たちは、もって生まれた運命でさえも――因果応報の法則を使うことで――変えていくことができるのです。

 したがって、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在でもあるのです。


  心の中心に心理とつながる美しい「核」がある

 私は、人間の心は多重構造をしていて、同心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。すなわち外側から、

 ①知性――後天的に身につけた知識や論理
 ②感性――五感や感情などの精神作用をつかさどる心
 ③本能――肉体を維持するための欲望など
 ④魂―――真我が現世での経験や業をまとったもの
 ⑤真我――心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている
 
 という順番で、重層構造をなしていると考えています。私たちは心の中心部に「真我」をもち、その周囲に「魂」をまとい、さらに魂の外側を本能が覆った状態でこの世に生まれてきます。たとえば、生まれたての赤ん坊でも、おなかがすけば母乳を星がいりますが、これは心の一番外側に位置する、本能のなせる業です。

 そして成長するにつれて、その本能の外側に感性を形成し、さらに知性を備えるようになっていきます。つまり人間が生まれ、成長していく過程で、心は中心から外側に向かってだんだん重層的になっていくわけです。反対に、年をとって老いが進むにつれて、外側からだんだんと「はがれていく」ことになります。

 ここで肝心なのは、心の中心部をなす「真我」と「魂」です。この二つはどう違うのか。真我はヨガなどでもいわれていますが、文字どおり中核をなす心の芯、真の意識のことです。仏教でいう「智慧」のことで、ここに至る、つまり悟りを開くと、宇宙を貫くすべての心理がわかる。仏や神の思いの投影、宇宙の意志のあらわれといってもよいものです。


>>自らの善思善行によって、運命を変えていくことが出きたら良いと思う

「生き方」⑥



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


 第4章 利他の心で生きる


  「他を利する」ところにビジネスの原点がある


 そもそも歴史を振り返っても、資本主義はキリスト教の社会、なかでも倫理的な教えの厳しいプロテスタント社会から生まれてきたものであることがわかります。

 初期の資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントだったわけで、マックス・ウェーバーによれば、彼らはキリストが教える隣人愛を貫くために倫理規範を守り、労働を尊びながら、産業活動で得た利益は社会の発展のために活かすということを、モットーとしていたといいます。

 したがって、事業活動においては誰から見ても正しい方法で利益を追求しなくてはならず、また、その最終目的はあくまで社会のために役立てることにありました。

 つまり世のため人のためという利他の精神が――私益よりも公益を図る心が――初期の資本主義の倫理規範となっていたわけです。

 同様のことを、わが国でも江戸中期の思想家・石田梅岩が主張しています。当時は商業資本主義の勃興期にあたりますが、身分制度の下で商はもっとも下位に置かれ、商行為そのものが何か卑しいものとされる風潮がありました。

 そのなかで梅岩は「商人の売利は士の禄に同じ」と述べ、商人が利を得ることは武士が禄をはむのと同じ正当な行為であり、けっして恥ずべきことではないと、陰でさげすまれることの多かった商人を励ましています。

 「まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり」――これも梅岩の言葉ですが、要するに、相手にも自分にも利のあるようにするのが商いの極意であり、すなわちそこに「自利利他」の精神が含まれていなくてはならないと述べているわけです。


  同じ歴史をくり返すな、新しい日本を築け

 日本という国は近代に入って以降、約四十年の周期で大きな節目を迎えてきました。

 ①1886年――それまでの封建社会から脱し、明治維新によって近代国家を樹立。「坂の上の雲」をめざして富国強兵の道を走りはじめる。

 ②1905年――日露戦争に勝利。世界の列強に仲間入りし、国際的地位を飛躍的に向上させる。以後、富国強兵、とりわけ「強兵」の方向に傾斜して、軍事大国の道をまっしぐらに突き進む。

 ③1945年――第二次世界大戦に敗戦。焦土の中から、今度は「富国」の方向へと大きく舵を切り、奇跡的な経済成長を遂げる。

 ④1985年――日本の莫大な貿易黒字に歯止めをかけるべく、円高誘導、輸入促進を目的にプラザ合意が結ばれる。このころ、日本は経済大国としてのピークを迎え、バブル崩壊後は、現在まで低迷期が続く。

 この四十年毎の盛衰サイクルを見てみると、私たちの国はこれまで一貫して、つねに物質的な豊かさを追い求め、他国との競争をくり返してきたことがよくわかります。ことに戦後は、経済成長至上主義のもと、企業も個人も利や富を求め、それをふやすことに熱心でした。

 いまこそ経済成長至上主義に代わる新しい国の理念、個人の生き方の指針を打ち立てる必要があります。それはまた一国の経済問題にとどまらない、国際社会や地球環境にもかかわってくるきわめて大きな喫緊の課題でもあります。なぜなら、人間の飽くなき欲望をベースに際限なく成長と消費を求めるやり方を改めないかぎり、有限な地球資源やエネルギーが枯渇するだけでなく、地球環境そのものが破壊されかねないからです。


  人類が目覚めたとき 「利他」の文明が花開く

 すなわち「足るを知る」心、その生き方の実践が必要になってきます。いまもっているもので足りる心がなかったら、さらに欲しいと思っているものを手に入れたところで、けっして満足することはできないはずです。

 経済のあり方にたとえれば、GDPの総額は変わらないが、その中身、つまり産業構造自体は次々と変わっていく。古い産業が滅んでも、つねに新しい産業が芽生えていくようなダイナミズムを有したあり方です。すなわち、人間の叡智により新しいものが次々に生まれ、健全な新陳代謝が間断なく行われる、活力と創造性に満ちた生き方。イメージとしてはそういうものです。

 そのようなあり方ができたとき、私たちは成長から成熟へ、競争から共生へという、現在はやや画餅に近いスローガンを現実のものにし、調和の道を歩き出すことができるのではないでしょうか。

 そこへ達することより、そこへ達しようと努めることが大切なのです。そうであることより、そうであろうとする日々が私たちの心を磨きます。そのようにして私たちの心が高まっていけば、知足利他の社会へ至る道程も、そう遠いものではないはずです。


>>成長から成熟へ、競争から共生へというスローガンを現実のものにして、知足利他の社会を目指してゆきたい

「生き方」⑤



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


 第3章 心を磨き、高める


  心を磨くために必要な「六つの精進」


 ①だれにも負けない努力をする
 ②謙虚にして驕らず
 ③反省ある日々を送る
 ④生きていることに感謝する
 ⑤善行、利他行を積む
 ⑥感傷的な悩みをしない

 これらを私は、「六つの精進」としてつねに自分にいい聞かせ、実践するよう心がけています。文字にしてしまえば平凡すぎるほどの、このような当たり前の心がけを、日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから堅実に実践していくこと。大仰な教訓を額縁に入れて飾るばかりでなく、やはりふだんの生活のうちに実行していくことが肝要なのです。


  お釈迦さまが説く「六波羅蜜」を心に刻め

 「六波羅蜜」とは、仏の道において少しでも悟りの境地に近づくために行わなくてはならない菩薩道を記したもの。いわば心を磨き、魂を高めるために不可欠な修行であり、それは次の六つとされています。

 ①布施
 世のため、人のために尽くす利他の心をもつこと。自分の利より相手の利を図り、他人への思いやりともつことをつねに意識して人生を送る大切さを説くものです。

 ②自戒
 人間としてやってはならない悪しき行為を戒め、戒律を守ることの大切さを説くものです。

 ③精進
 何事にも一生懸命に取り組むこと。すなわち努力のことをいいます。

 ④忍辱
 菩薩に負けず、耐え忍ぶこと。

 ⑤禅定
 一日一回は心を静め、静かに自分をみつめ、精神を集中して、揺れ迷う心を一点に定めることが必要になってきます。

 ⑥智慧
 以上の、布施、自戒、精進、忍辱、禅定の五つの修養に努めることによって、宇宙の「智慧」、すなわち悟りの境地に達することができるとされています。


  労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

 戦後日本を統治した連合最高司令官マッカーサーは、極東政策をめぐる議会証言で、日本人の労働感について述べたことがあります。それは、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、いずれの国にも劣らぬ優秀なものであるばかりか、日本の労働者は、人間とは遊んでいるときよりも働いているときのほうが幸福であるという、いわば「労働の尊厳」を見いだしていた、というものであったそうです。

 かつてはもっていたが、いまはほとんど失ってしまった、そういう日本人の労働感の意味するところを、あらためて考えてみるべきではないでしょうか。

 人は仕事を通じて成長していくものです。自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む。それによって、よりいっそう自分の人生をすばらしいものにしていくことができるのです。


>>当たり前の心がけを、少しずつでいいから堅実に実践して、自分の人生をすばらしいものにしてゆきたい

「生き方」④



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


 第2章 原理原則から考える


  人生も経営も原理原則はシンプルがいい


 「人間として何が正しいのか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えたのです。

 嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・・・・そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先見的に知っているような、「当たり前」の規範に従って経営も行っていけばいい。

 人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そういう人間を律する道徳や倫理を、そのまま経営の指針や判断基準にしよう。経営も人間が人間を相手に行う営みなのだから、そこですべきこと、あるいはしてはならないことも、人間としてのプリミティブな規範にはずれたものではないはずだ。

 人生も経営も、同じ原理や原則に即して行われるべきだし、また、その原理原則に従ったものであれば、大きな間違いをしなくてすむだろう――そうシンプルに考えたのです。


  迷ったときの道しるべとなる「生きた哲学」

 人生を歩んでいく途上では、至るところで決断や判断を下さなくてはいけない場面が出てきます。仕事や家庭、就職や結婚に至るあらゆる局面において、私たちは絶えず、さまざまな選択や決断を強いられることになります。生きることは、そういった判断の集積であり、決断の連続であるといってもいい。

 すなわち、そのような判断を積み重ねた結果がいまの人生であり、これからどのような選択をしていくかが今後の人生を決めていくのです。したがって、その判断や選択の基準となる原理原則をもっているかどうか。それが、私たちの人生の様相をまったく異なったものにしてしまうのです。

 指針なき選択は海図を持たない航海のようなものであり、哲学不在の行動は灯火もなしに暗い夜道を進むようなものです。哲学といってわかりにくければ、自分なりの人生観、倫理観、あるいは理念や道徳といいかえてもいい。そうしたものが、いわば生きる基軸となり、迷ったときに立ち返るべき原点として機能します。


  自分の人生ドラマをどうプロデュースするか

 人生とはドラマであり、私たち一人ひとりがその人生の主人公です。それだけでなく、そのドラマの監督、脚本、主演、すべてを自分自身でこなすことができる。また、そのように自作自演で生きていくほかはないのが、私たちの人生というものです。

 ですから何より大切なことは、自分の人生ドラマをどのようにプロデュースしていくか。一生をかけて、どのような脚本を描き、主人公である自分がそのドラマを演じて(生きて)いくかということです。

 真剣さや熱意に欠けた、怠惰で弛緩した人生を過ごすほど、もったいないことはありません。人生というドラマを中身の濃い、充実したものにするためには、一日一日、一瞬一瞬を「ど」がつくほど真剣な態度で生きていくことが必要になってくるのです。

 真正面から困難に立ち向かい、自分を限界に追い込む。そういう心意気が、不可能だと思えた状況を打破し、クリエイティブな成果を生み出していくのです。その積み重ねこそが人生というドラマのシナリオに生命を吹き込み、現実のものとするのです。


  「好き」であればこそ「燃える」人間になれる

 ものには三つのタイプがあります。

 ①火を近づけると燃え上がる可燃性のもの。
 ②火を近づけても燃えない不燃性のもの。
 ③自分で勝手に燃え上がる自燃性のもの。

 物事をなすのは、自ら燃え上がり、さらに、そのエネルギーを周囲にも分け与えられる人間なのです。けっして、他人からいわれて仕事をする、命令を待って初めて動き出すという人ではありません。いわれる前に自分から率先してやりはじめ、周囲の人間の模範となる。そういう能動性や積極性に富んでいる人なのです。

 では、どうしたら自燃性の人間になれるのでしょうか。自ら燃える体質を獲得するにはどうしたらいいか。その最大にして最良の方法は、「仕事を好きになる」ことです。

 どんな分野でも、成功する人というのは自分のやっていることにほれている人です。仕事をとことん好きになれ――それが仕事を通して人生を豊かなものにしていく唯一の方法といえるのです。


 外国との交渉は常識より「リーズナブル」

 外国、とりわけアメリカでは、物事を判断するのに「リーズナブル(正当である)」という言葉がよく出てくることでした。しかも、その正当性や合理性のものさしとなっているのは、社会的な習慣や常識ではなく、彼ら自身がもっている原理原則や価値観でした。

 どの国であろうと、経営をしていくには判断基準となる普遍的な哲学が必要であること。それは普遍的であるほど有効であり、そのためには「人間として正しい」倫理観や道徳観に根ざしたものであること。このことに国境はありません。人間としての原理原則というものは、国の違いや時代の新旧を超えた、人類すべてに共通するものなのです。


>>自分なりの人生観、倫理観、理念や道徳の原理原則をもった上で、判断や決断をし続けてゆきたい

「生き方」③



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


 第1章 思いを実現させる

  求めたものだけが手に入るという人生の法則


 人生はその人の考えた所産であるというのは、多くの成功哲学の柱となっている考え方ですが、私もまた、自らの人生経験から、「心が呼ばないものが自分に近づいてくるはずがない」ということを、信念として強く抱いています。つまり実現の射程内に呼び寄せられるのは自分の心が求めたものだけであり、まず思わなければ、かなうはずのこともかなわない。

 いいかえれば、その人の心の持ち方や求めるものが、そのままその人の人生を現実に形づくっていくのであり、したがって事をなそうと思ったら、まずこうありたい、こうあるべきだと思うこと。それもだれよりも強く、身が焦げるほどの熱意をもって、そうありたいと願望することが何より大切になってきます。


  細心の計画と準備なくして成功はありえない

 いままでだれも試みなかった前例のないことに挑戦するときには、周囲の反対や反発は避けられません。それでも、自分の中に「できる」という確固とした思いがあり、それがすでに実現しているイメージが描けるならば、大胆に構想を広げていくべきです。

 構想そのものは大胆すぎるくらいの「楽観論」に基づいて、その発想の翼を広げるべきであり、また周囲にも、アイデアの飛躍を後押ししてくれるような楽観論者を集めておくのがいいのです。


  あきらめずやり通せば成功しかありえない

 新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。可能性とはつまり「未来の能力」のこと。現在の能力で、できる、できないを判断してしまっては、新しいことや困難なことはいつまでたってもやり遂げられません。

 自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。そのときに必要なのは、つねに「思い」の火を絶やさずにもやしつづけるということです。それが成功や成就につながり、またそうすることで、私たちの能力というのは伸びていくものなのです。

 「もうダメだ、無理だというのは、通過地点にすぎない。すべての力を尽くして限界まで粘れば、絶対に成功するのだ」

 
  あふれるほどの夢を描け、人生は大飛躍する

 自分の人生を自分の力でしっかりと創造していける人というのは、かならずその基盤として、大きすぎるくらいの夢、身の丈を超えるような願望を抱いているものです。私にしても、自分をここまで引っ張ってきてくれた原動力は、若いときに抱いた夢の大きさ、目標の高さだったといってもいいでしょう。

 私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたいものです。夢を抱けない人には創造や成功がもたらされることはありませんし、人間的な成長もありません。なぜなら、夢を抱き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことを通じて、人格は磨かれていくからです。そういう意味で、夢や思いというのは人生のジャンプ台である――そのことを強調しておきたいと思います。


>>夢を抱き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねて、人格を磨いてゆきたい

「生き方」②


「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より


  「考え方」を変えれば人生は180度変わる

 人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは、次のようなものです。

  人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の“掛け算”によって得られるものであり、けっして“足し算”ではないのです。

 まず、能力とは才能や知能といいかえてもよいのですが、多分に先天的な脂質を意味します。健康、運動神経などもこれにあたるでしょう。また熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素。どちらも0点から100点まで点数がつけられます。

 そして最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。考え方という言葉は漠然としていますが、いわば心のあり方や生きる姿勢、これまで記してきた哲学、理念や思想なども含みます。 
 
 つねに前向きで建設的であること。感謝の心をもち、みんなといっしょに歩もうという協調性を有していること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、やさしい心をもっていること。努力を惜しまないこと。足るを知り、利己的でなく、強欲ではないことなどです。

 
  自己を厳しく律しつづける「王道」の生き方をせよ

 人間として正しい生き方、あるべき姿を追求することは、もはや私たちの個人的な問題ではありません。人類を正しい方向に導き、地球を破壊への道から救い出すためにも、一人ひとりが自分の「生き方」をいま一度見直してみる必要があるのです。

 それには、人一倍厳しい生き方をおのれに課し、絶えず自分を律することが不可欠です。一生懸命、誠実、まじめ、正直・・・・・・そうしたシンプルで平易な道徳律や倫理観をしっかりと守ること、それを自分の哲学や生き方の根っこに据えて不動のものにすることです。

 人間として正しい生き方を志し、ひたすら貫きつづける。それが、いま私たちにもっとも求められていることではないでしょうか。それこそが、私たち一人ひとりの人生を成功と栄光に導き、また人類に平和と幸福をもたらす王道なのです。本書は、そのような人生を生きるための手引書であると考えていただければよいと思います。


>>考え方×熱意×能力 の“掛け算”を忘れることなく、つねに前向きで建設的であり続けてゆきたい

「生き方」①



「生き方 人間として一番大切なこと」(稲盛和夫著、サンマーク出版)より
2004年8月10日初版発行


 プロローグ

  単純な原理原則が揺るぎない指針となる


 古来「才子、才に倒れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちなものです。そういう人は、たとえその才を活かし一度は成功しても、才覚だけに頼ることで失敗への道を歩むことになります。

 才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念やしそうであり、また哲学なのです。

 そういった哲学が不足し、人格が未熟であれば、いくら才に恵まれていても「才あって徳なし」、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、道を誤ってしまいます。これは企業リーダーに限ったことでなく、私たちの人生にも共通していえることです。

 この人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにもっている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格-心魂の品格-は陶冶されていくわけです。

 したがって、どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってくる。哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです。

 では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。


 嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった――そして大人になるにつれて忘れてしまう――単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。

 
 人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか――私はこのことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきたのです。

 
 近代の日本人は、かつて生活の中から編み出された数々の叡智を古くさいという理由で排除し、便利さを追うあまり、なくてはならぬ多くのものを失ってきましたが、倫理や道徳といったことも、その一つなのでしょう。


>>人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか、を肝に銘じてゆきたい


「論文の教室」


「新版 論文の教室 レポートから卒論まで」(戸田山和久著、NHK出版)より
2012年8月30日 第一刷発行


 問いに対して明確な答えを主張し、その主張を論証するための文章

【鉄則5】
論文にはつぎの三つの柱がある。
(1)与えられた問い、あるいは自分で立てた問いに対して、
(2)一つの明確な答えを主張し、
(3)その主張を論理的に裏づけるための事実的・理論的な根拠を提示して主張を論証する。

【鉄則7】
「問い+答え+論拠」以外のことを書いてはいけない。

【鉄則8】
結論の正しさにこだわるな。重要なのは論証の説得力だ。

【鉄則9】
論文とは自分の考えを普遍化された形で書いたもののことだ。

【鉄則13】
問題意識をもつにはどうしたらいいかを考えるより、問題意識を捏造する方法を考えよう。

【鉄則17】
論文のタイトルには、「この論文を読むと読者はなにがわかるようになるのか」を書く。

【鉄則18】
要約は文章を一様に短くすることではない。読んで報告する報告型の課題に取り組むとき、
(1)筆者はどういう問題を立てているか
(2)筆者はそれにどう答えているか
(3)筆者は自分の答えのためにどのような論証をしているか
の三点だけをおさえて報告すればよい。

【鉄則22】
調べて報告する型の課題の場合、調べた結果わかったことを書くのではない。何を報告すればよいかを先に考えて、そこにポイントを絞って調査する。

【鉄則23】
問いと答えのフィールドのポイントは、どれだけたくさんの論点を発見できるかということだ。論文で扱うかどうかは忘れて、とにかくひらめきと連想の広がりを楽しもう。

【鉄則28】
トピック・センテンスはパラグラフの先頭に置くのがパラグラフ・ライティングの基本である。


>>「問い+答え+論拠」を意識して、説得力のある論証を心掛けたい


「日仏交流史研究ことはじめ」②



「わたしの日仏交流史研究ことはじめ」(市川慎一著、彩流社)より


  フランス式からドイツ式軍制への転換へ

 すぐれた文明史家でもあった司馬遼太郎は、日本の「近代化にあたっては、諸事、フランスを範にしようとしていた」といっておられる。

 なかんずく、明治16年(1883)までは、フランス陸軍をモデルに仰ぎ、日本軍隊の近代化を図ってきたが、突如、ドイツ式へのモデル転換が行われた。フランス軍時顧問団にかわり、ドイツ軍参謀少佐クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケルが1883年に日本の陸軍大学校に着任した。

 後にドイツ大使となった青木周蔵は、マルセイユで目にしたフランス軍の練兵とベルリンで見たプロシャ軍の演習を比較し、次のような信念をもつにいたったといわれる。

 「ベルリンについてから、青木周蔵はしきりに軍隊の演習を見学し、プロシャ商工や兵士に接触した。その結果、フランス軍はとてもプロシャ軍の精鋭には敵しがたいとの新年を持つに至った」

 さらに、メッケルの教えを直接うけたひとり、大井成元となると、「メッケル将軍の思出」の中で、大山巌元帥の次の談話を引用し、フランス士官の弱点と見ているようだ。

 「佛國士官等は、厳めしき軍服姿で、途上婦人を伴ひ、或は集会場で婦人に戯るなどと、殆ど勝敗を耻ぢらう色もないので、此の一事を以てするも、両軍未だ戦はざるに勝敗の数既に知るべきであったと人に語ってゐる。元帥の此の言、洵に味ふべきものがある」。

 さらに、宿利重一は、フランス人を「無気力なるにかゝはらず、口舌の雄のみなりしフランスの人々」と形容し、普仏戦争におけるその敗因を国民性に帰している。

 山県ら軍指導部は、以後、軍における士官の自由な発言を一切禁止した。なるほど、メッケル少佐は、プロシャ軍制の長所を日本人に教授し、ドイツで隠遁していたが、日露戦争で彼の非凡な愛弟子、児玉[源太郎]が全野戦軍の総参謀長になったという報に接して、「児玉がいるかぎり、日本が勝つだろう」とメッケルが予言した(司馬遼太郎『街道をゆく』)とも伝えられている。薄氷を踏む思いで勝利した日露戦争ではプロシャ式の軍制がほどよく機能したであろうことは認めざるをえないが、その後、旧日本軍では軍人、いや、むしろ人間の自由をないがしろにしてまで、極端な規律一辺倒のドイツ式軍規を金科玉条のごとく励行した結果、第二次世界大戦での痛恨の日本敗戦を招いたこともここでは、もう一度想起すべきではないだろうか。


>>第二次対戦の敗戦を規律一辺倒のドイツ式軍規に起因させるには無理があるのではないか

「日仏交流史研究ことはじめ」①


「日仏交流史研究ことはじめ」(市川慎一著、彩流社)より
2016年5月20日 初版第一刷


 プロローグ 日仏交流のはじまり

  幕末日本に常備軍が存在しなかった


 国内では軍事的・経済的にも徳川幕府を圧倒しつつあった西国雄藩(薩摩、長州藩等)にたいして、衰微をみせはじめた幕府は、最後の将軍、徳川慶喜(1837~1913)に好意的態度をしめすナポレオン三世の第二帝政期フランスに頼り、その両面の立て直しを図ろうとした。

 軍事面においては、1867年には、第一次フランス軍事顧問団を招聘したが、幕府の瓦解により、翌年、最初の軍事顧問団は解消した。団員の中に事業半ばで帰仏するのをいさぎよしととしないで、榎本武揚率いる箱館戦争に参加し、明治新政府に反旗を翻す者もいた(ジュール・ブリュネ大尉ら)。

 それでも、明治新政府も引き続き、第二次軍事顧問団(1872~80)・第三次軍事顧問団(1884~89)を招聘したのだから、フランスとわが国との軍事面での関係は、普仏戦争(1870~71)でフランスがプロシャに敗れても維持されたのである。

 とはいえ、極東の島国、日本はフランス陸軍をモデルに仰ぎ、国防軍の近代化を図っていたが、ヨーロッパの遠隔地、メキシコや日本にたいするナポレオン三世の関心は、それほど強くはなく、ナポレオン一世による失政の轍を踏むことなく、彼は英国外交と協調関係を穏便に保ちたいがために極東の国々(中国、日本)へフランス外交団を派遣したのではないか、というのがわたしの見方である。

 軍事的・外交的な日仏交流は、以上のような経緯をたどったが、実は言語の上では、フランス語と日本とは、それよりも早く結ばれていた。フランス学の始祖と称される松代藩藩医の村上英俊(1811~90)は、独学で仏語を習得し、安政元年(1854)に『三語便覧』なる辞書を刊行していたからであった。三語とは、仏蘭西語、英傑烈語(英語)と和蘭語(オランダ語)を指し、それら三外国語の単語と日本語の単語とがはじめてつながったのだった。


>>第一次フランス軍事顧問団の中に、箱館戦争に参加し、明治新政府に反旗を翻す者がいたというのは驚きだ

老親介護と「嫌われる勇気」②



老親介護と「嫌われる勇気」アドラー心理学が親子関係の悩みを解決する(岸見一郎、Voice 平成28年4月号)より


  「ベストな親を見てほしい」

岸見
  ある看護婦さんが、体を拭いて爪を切っているあいだおとなしくしていた父に「岸見さん、偉いわねえ」と声を掛けたことがありました。歳の離れた人生の大先輩に向かってその言葉はないだろう、と驚いたことがあります。

――褒め言葉は「能力のある人がない人に下す評価」であって、相手次第では馬鹿にしているように聞こえてしまう。

岸見  家族が知っている親は、若いことは何でもできて、いろいろなことを教えてくれた先達です。
介護の仕事に従事する方は、せめてその人が歩んできた歴史の一ページに思いを寄せて、敬意の眼差しを注いでもらいたいですね。


  「若さに価値がある」と思わない

岸見
  上手に年を重ねている方をロールモデルにしてみてはいかがでしょう。美術家の篠田桃紅先生や作家の曽野綾子先生などは、じつに上手に年を重ねていると思います。女優さんだったら、たとえば吉永小百合さんや杉村春子さん。
 
 「老化は悪い」という先入観を捨てて、老いることに肯定的なイメージをもつようにすれば、若返りのために不要な時間とお金を費やすこともなくなります。

 人生とは、スタートから目的地に向けて直線方向に進むものではありません。明日突然、死ぬこともあれば、百歳を超えて生き続けるかもしれない。未来のことは誰にもわからないのです。

 人生とは、ゴールをめざして走り抜くレースではなく、いまこの瞬間を旋回するダンスのような刹那の連続である、と私は考えるようにしています。どこに向かうのでもなく「いまこの瞬間、自分は充実している」という感覚こそ人間にとって完全で美しいものです。こうした考えに基づいて生きていれば、明日のことをいちいち心配することもないでしょうし、志半ばにして人生を終えることへの怯えもなくなります。

 ふと立ち止まったときに、「自分はこんなところまで来たのか」と気付かされる。それが老いです。だから私自身、「いつ人生が終わっても大丈夫」と思える生き方をしたいのです。


>>「いまこの瞬間、自分は充実している」という感覚を持ち続けて生きてゆきたい

老親介護と「嫌われる勇気」①



老親介護と「嫌われる勇気」アドラー心理学が親子関係の悩みを解決する(岸見一郎、Voice 平成28年4月号)より


 心理学の巨頭、アルフレッド・アドラーの思想を取り上げ、対人関係の処方箋を明快に提示したミリオンセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)。著者(原案を担当)の岸見氏は脳梗塞で母親を亡くされたのち、晩年にアルツハイマー型の認知症を患った父親の介護に携わる。「アドラー心理学を学んだことで、幼いころからうまくいかなかった父親との関係を修復し、介護をスムーズにした」という。アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と説く。介護に携わる人がかける人間関係の悩みは、アドラーの教えによってどのようにして解決されるのだろうか。岸見氏から介護体験を基にした親との関係の築き方、生きる姿勢を教わった。


  介護は新しい親子関係を築く

岸見
  「私は父との関係を改善させたくないので、殴られた過去の記憶を自ら持ち出しているだ」と。「あのとき殴られたから関係が悪くなった」というのは、フロイト的な原因論の発想です。対してアドラー的な目的論の立場から見ると、父との関係悪化は自分の人生がうまくいかないことを父のせいにしたい、という「目的」によるものだった。

 アドラーが指摘するように、人は他者を変えることができず、自分を変えることしかできないのです。


  親から承認されることを期待しない

岸見
  大切なことは二点です。一つは、理想の親を頭に描かないことです。

 子育てと違い、介護には希望がありません。「今日できなかったことが明日はできるかもしれない」という希望がもてる育児とは異なり、介護には「今日できたことが明日できなくなるかもしれない」恐怖がもてる育児とは異なり、介護には「今日できたことが明日できなくなるかもしれない」恐怖が伴います。だからこそ、家族の側が赤子に接するように「今日も息をしている」「生きていることだけで喜び」と思えるようになると、介護をする姿勢も変わってくる。

 もう一つ大切なのは、「親から承認されることを期待しないこと」です。

 承認欲求が強い人、つまり感謝されることを求める人ほど介護は辛いものになります。介護をするうえで、自分が親にしたことに何ら見返りを求めてはいけないのです。


  貢献感があればOK

岸見
  「自分が親の役に立っている」という貢献感があれば、承認欲求はおのずと消えます。

 自分の価値を生産性にしか置いてこなかった人にとって、老いは苦しいものになります。また、老いの現実を受け入れられなくなった人が、認知症という症状に逃げていることもあります。たとえば若いころから「先生」と呼ばれて尊敬される人生を送ってきた人が、退職した途端、誰からも「先生」と呼ばれなくなると、現実を受け入れられずにショックを受け、認知症になるケースがあります。

 その意味では、人生の早い段階から自分の価値を生産性や肩書きで図らないことが、認知症の予防にもつながります。

 アドラーも「人は、自分に価値があると思えたときにだけ、勇気をもてる」と述べています。家族の対応の仕方によって、認知症の症状をなくすことは不可能だとしても、親の性格はずいぶん穏やかになるはずです。


>>自分の価値を生産性や肩書きで図ることなく、また、他者を変えずに自分を変え続けてゆきたい

東北から始まる「賢慮の資本主義」②



東北から始まる「賢慮の資本主義」(竹内弘高 vs 佐藤智恵、Voice 平成28年4月号)より


  日本体験で驚くこと

竹内
  昨年11月、私の教え子であるケイシー・ジェラルドがIFCの授業に来てくれました。彼は一昨年5月にハーバードを卒業したあと、MBAs Across AmericaというNPOを起ち上げた人物です。

 彼は「知識総合戦略(Knowledge-Based Strategy)」の考えがインサイド・アウト・アプローチである、と話していました。つまり、自分の思い、信念をベースに戦略、ビジネスを考えていく。これは自社を取り巻く環境や業界を分析して立ち位置を決めよ、というマイケル・ポーター的なアプローチとは逆なアプローチとは逆の新たな方法かもしれません。

 「共通善」の実現をビジネスの目的にしたいと考えるハーバードの学生にとって、彼の生き方は一つのロールモデルになっています。

佐藤  竹内先生は震災の翌年から被災地で実習授業を続けておらるわけですが、その原動力となっているものはなんですか。

竹内  一つはハーバードに恩義を感じていること。もう一つは、親からたたき込まれたミッションのようなものです。私は先述のようにインターナショナルスクールに12年間通い、日本の大学を出たのですが、その間、父親から「日本とアメリカの懸け橋になれ」と繰り返し教え込まれました。

 面白いのは、学生たちが一様に「街にゴミ箱がないがゴミも落ちていない」と言うこと。

 また、ハーバードの学生たちが驚くのは、日本のコンビニの店員が親切で効率的であることです。アメリカではコンビニの仕事は典型的な3K(きつい、汚い、危険)ですからね。こうした体験というのが「暗黙知」として学生たちに残るわけです。結果として、日本そして日本人を好きになって帰る。


  世界を舞台に活躍する日本の若者の力を行かせ

佐藤
  最後になりますが、今後、竹内先生はハーバードでどんな仕事をしていきたいですか。

竹内  ハーバードでの仕事はあと5年ぐらいだと考えていますので、まず自分の後継者を探さなくてはいけません。もっと先を見据えると、グローバルに活躍できる若い日本人を育成すること。

 マルティン・ルーサー・キング牧師は1963年の有名なスピーチで「I have a dream」と語りかけ、子供たちの未来にアメリカの将来を重ねました。私の思いも同じかもしれません。日本の高校生から二十代、三十代の若い世代が「賢慮の資本主義」の精神に基づいて世のため、人のために尽くす。そのような未来を創るのが私の夢なのです。


>>自分の思い、信念をベースに戦略、ビジネスを考える(インサイド・アウト・アプローチの)「知識総合戦略」の考えを持ちながら未来を創ってゆきたい

東北から始まる「賢慮の資本主義」①


東北から始まる「賢慮の資本主義」(竹内弘高 vs 佐藤智恵、Voice 平成28年4月号)より


  ハーバードで日本を再評価

佐藤
  米マサチューセッツ州にあるハーバード大学といえば、いうまでもなく世界の最高学府です。なかでもハーバード大学経営大学院は、米大統領からグローバル企業のCEOまで、数多のリーダーを育成してきたことで知られています。現在、ハーバードには約270名の教員が在籍していますが、日本人教授は竹内弘高先生お一人だと伺っています。そうした竹内先生の目からご覧になって、日本企業の強みはどんなところにあるのでしょうか。

竹内  最近、とくにアジアから「賢慮のリーダー」について話してほしい、という依頼が来ます。私は、一橋大学の野中郁次郎名誉教授と『ハーバード・ビジネス・レビュー』に共同執筆した論文「賢慮のリーダー」のなかで、現代のビジネス・リーダーは「実践知」を実行しなければいけない、という主張を述べました。「実践知」の起源は、アリストテレスが分類した三つの知識の一つ、フロネシスにあり、賢慮とも訳されます。「実践知」は経験から得られる高度な暗黙知で、価値観や道徳についての思慮分別をもつことにより、現実に基づいて最善の判断を下し、最適な行動を可能にすることができる。賢慮のリーダーは、見識ある「今、ここ」の判断ができる、ということです。日本にはそうした「実践知」を備えた企業が少なくない。


  共通善の追求という「生き方」

竹内
  資本主義に関しての私のいちばんの推薦書は、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)です。資本主義のコアにはカルヴィニズムの厳格な宗教倫理があることを述べた名著です。ハーバードのマイケル・ポーターが提唱している「Creating Shared Value(共通価値の創造)」も、もともと資本主義の根底には「creating social value(社会的価値の創造)」というコンセプトが流れていた、という主張です。

佐藤  資本主義というと、最初からお金儲けばかりを追求するイメージがありますが、じつはそうではなかった。もとを辿れば、「common good」と呼ばれる共通善がある、というわけですね。

竹内  そうですね。日本企業はこれまで「投資家へのリターンが十分ではない」「社員を解雇してコストを削減しない」などの理由から、「資本主義が十分ではない」と批判されることが多かった。しかし、そうした批判があるにもかかわらず、優れた日本企業は社会との共生、いわば共通善の追求をまさに「生き方」として実践してきた。むしろことらのほうが正論ではないか、という思いで書いたのが先に挙げた論文「賢慮のリーダー」だったわけです。

 日本の長寿企業の経営者が口を揃えていうのは、たとえば「三方よし」のような古い家訓をそのまま実行してきた、ということです。

佐藤  「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の言葉ですね。そこには、まさに自社とともに顧客や社会を思いやる「共通善」が表れている。結果として、日本には数百年も続く企業がたくさんありますね。これも、利益ばかりを追求しないで、「三方よし」を守り続けてきた結果ではないでしょうか。


  なぜ教養が大事なのか

竹内
  たとえば、ピーター・ドラッカーは、「マネジメントは一般教養である」という言い方をしています。では、彼は何を念頭に置いてそういったのか。「共通善は教養から生まれる」というのがわれわれの解釈です。実際、アメリカの大学では四年間、リベラル・アーツの世界にどっぷり浸かることができる。リベラル・アーツを学ぶための費用が年間5万ドルを超えているんです。

 日本人は社会人になってから、教養の重要性に気付く。そこで「何から学ぶか」を考えたとき、まずドラッカーから、ということなのでしょう。


>>価値観や道徳についての思慮分別をもって「三方よし」の判断を下してゆきたい

「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」②



「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」(金田信一郎著、日本経済新聞社)より


  終章 大企業の未来

 大企業の社会的責任--。その経営判断は、従業員や株主、取引先だけでなく、消費者や地域住民といった人々に影響を与える。無理な拡大路線や利益偏重の決断は、社会全体を混乱の渦に巻き込む危険を孕む。
 
 その「大企業の判断」の重さと難しさを、トヨタは本能的に嗅ぎ取っているに違いない。

 テキサス工場での取材の時、トヨタ幹部はこんな話をしてくれた。ハイブリッド車の開発に乗り出すかどうか。判断に揺れた時のこと。巨額の開発コストがかかる計画だが、もし完成した時に、消費者の環境意識が高まっていなかったら、売れないかもしれない。そうなれば、トヨタの経営は大きく傾くことになる。激論が続いたが、最後はこう腹を括ったという。

 「社会にとっていいことだから、それで倒れたら仕方がないじゃないか」

 すでに、世界の巨大企業は、その域に達している。自動車業界だけではない。製薬業界でも、主な疾患に対する医薬は開発し尽くされ、残った難病に巨額の新薬開発のコストをかけても、患者数が少なくて回収が見込めない。利益を求めるなら、開発を止めて、今ある薬の「効果」を作り出した方が確実に儲かる。いわゆる「病気を作る」マーケティング戦略だ。

 しかし、そうなった時、巨大企業の社会的意義は何なのか? その巨体と有り余る資金や人材は、何のために集めたのか。

 巨大企業の窮状は、多くの業界に合てはまる。人口減少社会で、しかもマイナス金利の時代が到来している。投資すれば、将来の損失につながる世界となった。

 21世紀、巨大企業は極めて難解な設問を突きつけられている。正しい道を歩むには、大きなリスクが待ち受ける。そこから逃げるには、縮小解体か、あるいは不正しか選択肢はない。

 多くの大企業は、リスクに挑戦すると言うだろう。ならば、巨大組織の利点を発揮できるように、社内の設備と資金を解放し、人材を縦横無尽に交流させ、失敗に寛容でなければならない。巨大組織の病を抱えた硬直的な組織のまま、目標だけを命じていれば、中間層は見て見ぬふりをして下に指示を投げ、最後は現場が追い込まれて、不正に手を染めることになる。現在の巨大企業が頻発している不祥事は、ほぼすべて、組織的な問題に端を発している。

 繰り返しになるが、巨大企業を成長させること自体に、大きなリスクを伴う時代が到来した。その視点を欠いたまま、巨体を次なる目標に駆り立てる会社は、遠からぬうちに破綻や不正といった事件に巻き込まれることになるだろう。


>>リスクに挑戦するためには、確かに、硬直的な組織を開放して人材を縦横無尽に交流させ、失敗に寛容である必要があろう

「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」①



「失敗の研究 巨大組織が崩れるとき」(金田信一郎著、日本経済新聞社)より
2016年6月24日 1版1刷


 第Ⅰ部 軋む巨体 8つの失敗を解く

  1 理研 「科学技術」という名のゼネコン


 小保方とSTAP細胞論文問題は、社会の片隅で起きた特異な事件ではない。それは、現代の科学研究現場の縮図とも言える。成長への渇望から、巨額のマネーを流し込まれて膨張してきたが、現場の断絶で研究者たちが分断され、失望と迷走を繰り返す事態に陥っている。理研の歪んだ構図を再構築するためには、政官財を含めた「大転換」が必要であり、それは国家の改革にもつながる大手術となるに違いない。


  4 ベネッセ 巨大名簿会社の虚実

 昭和29(1954)年7月20日、岡山の地方出版社が倒産した。その経営者は元教師だったが、終戦で価値観がひっくり返り、持っていく場のない憤りを覚えた。手記にはこう綴られている。

「やけくそであらゆる闇屋とブローカーをやりました。アイスキャンディー屋もやりました」

 そして出版業に進出、小学校の教材を作って大ヒットした。だが、勢いに乗って全国展開して資金繰りが悪化、高利貸しにも手を出して破綻した。

 次は、絶対に破綻しない会社を作る--。再起を誓った男がまず作ったのは、「年賀状の手本だった。紡績工場へ出稼ぎに来ている女子行員が、なぞって書いたら立派な年賀状ができる。というアイデア商品だ。そして、女子寮の住所を図書館で調べてDMを出した。これが飛ぶように売れて、巨額の利益が転がり込む。それを資本金にして、倒産の翌年となる1955年1月、新たな株式会社が設立される。

 「福武書店」。福武哲彦、39歳の時のことだった。

 その手法を教材にも適用して、教育熱と受験戦争が広まる中で、「今なら間に合う」「締切間近」と入会を迫り、通信教育の会員を増やしていく。

 欲望をかきたてるような商売の本質を、宮本は見抜いていた。

 「住民基本台帳は、かつては誰でも閲覧できる公表データだった。だから、機密ではなく、管理の必要もないと考えられていた」。都内の名簿業者は、そう振り返る。ベネッセの個人データの認識も、そうした時代から変わり切れなかった。それどころか、高学歴な社員が集まったことで、個人データの取り扱いという地味な業務は組織の片隅に追いやられていった。

 だが、各部署から集まる「顧客データ」は積み上がり、いつしか強大なマーケティング情報と化していた。そんな“怪物”の管理を、目の届かない所まで遠ざけて、監視すら怠るようになった歴史と企業文化こそが、事件を引き起こした温床だった。


>>時代の変遷と共に、今日ますます柔軟な組織の変化が求められる

「しんがり 山一證券 最後の12人」



「しんがり 山一證券 最後の12人」(清武英利著、講談社)より
2013年11月13日 第1刷発行


 9章 魂の報告書

  2 大蔵省は知っていたのか


 記憶をたどって三木が告白を始めたのだった。

 「あのころ私は副社長でしたが、大蔵省の松野証券局長に呼ばれて大蔵省にお伺いしました。92年1月だったと思います。席上、局長から『東急百貨店から、飛ばしの依頼が来ているでしょう。どうするのですか』と聞かれました。私は担当でないのでよくわからない、と答えたんです」

 三木の記憶では、その松野は意外な言葉を口にしたという。

 「大和(証券)は、海外に飛ばすそうですよ」

 松野のこの言葉は猛烈な毒を含んでいる。東急百貨店は大和証券との取引でも損失を抱えていたが、その大和は海外に損失飛ばしをしてトラブルを回避するというのである。松野は、山一もまた東急百貨店の318億円の有価証券を引き取り、海外に疎開してはどうか――と示唆しているように聞こえる。少なくとも三木はそう受け取った。

 「『海外はむずかしいのではないですか』と私が答えると、松野局長は『うちの審議官が知っているから、聞いて下さい』と言ったんだよ」

 さらに三木は次のように語っている。

 「あのあとに、松野証券局長にお会いしました。私が『(東急百貨店の件を海外に飛ばすことは)資金繰りなど自信がありませんので、国内で処理することにいたしました』と述べたところ、松野局長から言葉をかけられましたね。『ありがとうございました』だったか、『ご苦労さまでした』だったか。そんな言葉でした。

 そのあとにも大蔵省を訪問したとき、局長からこう言われました。『山一にすればたいした数字ではない。ひと相場あれば解決ですよ。なんとか早く解決してください』と」

 あれこれ思案の末に、國廣は調査報告書の中に、5ページを費やし「東急百貨店問題」と別項仕立てにすることにした。そしてこんな注釈をつけた。

 <松野元証券局長は、衆議院及び参議院において、三木副社長に合ったことは認めるものの「飛ばし行為についての証取法の解釈について一般的に説明したに過ぎない」等と述べている。

 この意味で、松野・三木会談に関する三木副社長の記憶が当然に客観的事実に合致するものであると断定することは困難である>

 一見、大蔵省に配慮したようにも見えるが、最後の文章には次のように嫌味を効かせている。

<なお本件については、その後、大蔵省からは何らの問い合わせ、検査等も行われていない>


>>山一の自主廃業の一因に、大蔵省が債務隠しの犯罪を見逃し続けたことにあったとも言える

「一生モノの勉強法」



「一生モノの勉強法」(鎌田浩毅著、東洋経済新報社)より
2009年4月16日 第1刷発行


  はじめに――大人の勉強は「成功」を目的にするもの――

 大人になって勉強するのは、「成功」という目的のためだと言うこともできます。アウトプットを認めてもらえないような勉強は、ちょっと言い方はきついかもしれませんが、大人にとっては「価値」がないのです。

 もし目的が「成功」であれば、自ずと「戦略」が必要になってきます。

 勉強はいつから始めても決して遅いということがありません。多くの良いインプットを手にし、質の高いアウトプットを出し、周囲から評価されることで、あなたは大きな満足感と生きがいが得られるはずです。


  第1章 面白くてためになる「戦略的」な勉強法とは

 1.場当たり的な勉強をしてはいけない

 2.「知識」と「教養」の両方が必要だ


①まず仕事に関係する知識を習得する
②次に、幅広い知識を使って、とりあえずアウトプットしていく
③三番目に、周囲の人を引きつけるため、人間的な魅力を磨く

 差し迫っての仕事の勉強も大切であり、常に好奇心を持ち続けて教養を深めるのも大切ということです。

 3.仕事の中から勉強のテーマを見つける

 4.必要なのは「三つの能力」を磨くこと


①コンテンツ能力
 知識の中身(コンテンツ)を身につける力です。つまり、最終的なアウトプットの前提となる知識を身につけることです。

②ノウハウ能力
 ノウハウ(know how)能力は、仕事のやり方についての具体的なテクニックやハウトゥに関する力のことです。時間内に仕事を進めたり、円滑に行う方法を知っているかどうかです。

③ロジカルシンキング能力
 ロジカルシンキング(logical thinking)能力は、先に述べたコンテンツ能力とノウハウ能力よりも高度の能力で、具体的に勉強をしていく過程で身についてくるものです。ものごとを常に論理的に見ていく思考によって養われる、と言ってもよいでしょう。


 5.「好きな勉強」にこだわりすぎるな

 6.「スキマ」にこそ投資の醍醐味がある

 7.「遊び」から教養を深める

 8.最初のハードルはできるだけ低く設定



  おわりに

 哲学者のショーペンハウエルは「読書とは他人にものを考えてもらうことである」と警告しています。本を読んだだけで満足するのではなく、読んだ内容を実行して自分のものにすることが大切ということでしょう。

 勉強は場当たり的にするものではありません。必ず戦略を立てて、生活の中の「システム」の一部として勉強するのです。

一生モノの勉強を楽しみながら続けていけば、人生が確実に変わります。

 仕事の勉強にも、教養の勉強にも、好奇心を持ってチャレンジしてください。そして、いつまでも自分を高めていけるような勉強を続けてください。


>>仕事の勉強にも、教養の勉強にも、好奇心を持ってチャレンジして、自分を高めてゆきたい

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