fc2ブログ

「ラブ・チャイルド」



「ラブ・チャイルド 婚外子差別を超えて」(福島瑞穂著、亜紀書房)より
1991年7月25日第1版第1刷発行


 「ラブ・チャイルド」というのは、英語の「非嫡出子」を意味するスラングである。「愛の子ども」とは、いい言葉だと思う。アメリカでも、かつてはこの言葉どおりの楽しい意味ではなかったかもしれない。しかし、現代は、「愛の子ども」として、育てていきたいものである。


  国際的な潮流

 諸外国においても、個人の尊厳を確保する見地から、非嫡出子差別は撤廃されてきました。

(1)古いところでは、フランスにおいて、1793年8月9日のカムバセレス第一草案と、それを一時的に施行した同年11月2日の第三部第一章は、嫡出子と認知された自然子に平等な自然子に平等な相続権を承認していました。

(2)ソビエト連邦共和国では、1917年の政令で、非嫡出子と嫡出子の差別をなくしました。

(3)ワイマール憲法21条は、「私生子に対しても、法律により、その肉体的、精神的及び社会的な発育につき、嫡出子に対すると同一の条件をもたせねばならない」と謳っていました。
 西ドイツにおいては、1969年、家族法1924条以下によって、父である被相続人に嫡出の直系卑属及び妻がない場合には嫡出子と同じ相続分で相続するが、嫡出子または妻があるときは法定相続分に相当する価格の相続代償請求権を取得するものとされました。このように、非嫡出子は嫡出子と同じ相続権を持っています。

(4)デンマークは、1963年、非嫡出子と嫡出子の相続分を平等としました。

(5)スウェーデンも1976年、非嫡出子と嫡出子の相続分を平等としました。

(6)従来コモンローによって「何人の子でもない子」とされていたイギリスにおいて、1969年の家族法改正によって、非嫡出子は嫡出子と平等の相続権が認められました。また、法務委員会は、1979年の報告書において、「非嫡出子という概念そのものを廃止する必要がある」としています。

(7)さらにフランスにおいても1972年1月3日、家族法が改正され、非嫡出子は、姦出子や配偶者との間で制限を受ける場合がありますが、原則として、嫡出子と同等の相続分を有することになりました。

(8)アメリカ合衆国でも1968年に合衆国最高裁判所が、非嫡出子の差別的取扱いを違憲と判決して以来、急速にその平等保護条項に反するとの訴訟が、あいついで提起されました。その結果、社会保障、労働災害保障、親の死亡のさいの損害賠償請求権などについて、嫡出子と非嫡出子を差別することは違憲であるという判例が形成されていきました。
 しかし、判例には紆余曲説があり、必ずしも非嫡出子の地位を完全に平等化するためではなかったために、立法的に解決するべく、1973年統一親子法が制定されています。同法の2条は、「親と子の関係は、両親の婚姻上の地位にかかわらず、平等に認めなければならない」と規定して、非嫡出子に対する差別をなくしています。また、同法は、「すべての子は、出生によって母の嫡出子とする」と規定して、法律上非嫡出子の出生する余地を全くなくしています。

(9)イタリアにおいても、1975年5月19非法律第151号の家族法の改正がなされ、改正法第185条は、「嫡出及び私生の子は平等の分け前でその父および母の財産を相続する」としました。

(10)中華人民共和国においても、非嫡出子は嫡出子と同等です。婚姻法19条は、「非嫡出子は嫡出子と同等の権利を享有し、何人も危害を加えまたは差別してはならない」と規定しています。その享有する同等の権利の中には相続権も含まれています。


>>諸外国は早期に婚外子差別を撤廃してきたのに対して、日本の遅さの背景にはどんな要因があるのかをしっかりか、国民の間で共有化する必要があろう


「死ぬときに後悔すること 25」


「死ぬときに後悔すること 25」(大津秀一著、新潮文庫)より


  子供を育てなかったこと


 実利を考えて、家族を作るのは間違っていると思う。けれども損得や利害を超えたところでつながっているのが家族であり、自らの死期が迫り、絆が揺らぐ時期となると、あるいは家族の誰かを亡くさんとするときになると、人はその絆を求めて止まないのである。

 もちろん死期が迫る前に、もちろん若く健康なうちに、可能であれば子供を育てておくのが良いと思われる。そして家族はいつでも大切にするべきだ。絶えざる思いやりの心を持つことの大切さと、それがゆえに後悔が少なかった家族を私はたくさん知っている。

 いざ大切に思うときには、もはや残り時間が限られているかもしれないのが人間であると自覚して、早くから行動すべきだろう。


>>今死んだら、子供を育てなかったことを後悔するに違いない

「日本人と天皇」


「日本人と天皇 昭和天皇までの二千年を追う」(田原総一朗著、中央公論新社)より


  あとがき


 戦争の最高責任者は昭和天皇である。私は、当然占領軍は天皇を裁判にかけ、天皇制を廃止するのだろうと考えていた。ところが、マッカーサーは天皇を裁判にかけず、天皇制を存続させた。本文でも触れたが、昭和天皇がマッカーサーを訪ねたとき、「政治、軍事両面での全ての責任」は自分にあり「全てを諸国の裁決にゆだねる」と言ったことにマッカーサーが感動したためだとされているが、それ以上に、占領軍は占領政策をスムーズに進めるために天皇を利用することにしたのである。

 確かに、もしも天皇を裁判にかけ、天皇制をなくしていたら、日本国内は混乱し、収拾のつかない事態となっていたのではないか。その意味で、マッカーサーたちは、日本人というものを非常によく掴んでいたと言える。

 それにしても、日本人にとって、天皇とはいかなる存在なのか。敗戦後、二十八人のこの国の幹部たちがA級戦犯という形で厳しく裁かれるなか、天皇は不可触的な存在でありつづけ、日本人の多くが天皇が最高責任者だとわかっていながら、そのことに違和感を抱かなかった。

 話が飛躍するが、源頼朝、足利尊氏、織田信長、徳川家康など、天下を取った権力者たちは、天皇をなきものにすることが容易だったはずなのに、なぜ天皇を権威として掲げつづけたのか。そればかりではない。明治維新のように各権力者たちがこの国を変革するときは、ほとんど例外なく天皇を担いでいるのである。マッカーサーによる日本変革も、天皇を担いだ、いわば「戦後維新」である。日本では革命は起きず、いずれも「維新」である。そして二千年近く、兵力も財政力も持たない天皇が途切れることなく君臨しつづけている。


>>戦後のアメリカの「天皇を利用する」という国家戦略、今日に通じるものを感じる


「仕事とセックスのあいだ」②



「仕事とセックスのあいだ」(玄田有史・斎藤珠里著、朝日新聞社)より
2007年1月30日第1刷発行


  リハビリで自信を回復

 もともとスウェーデンで開発された骨盤底リハビリに目をつけ、フランスに持ち込んだパリ第5大学のアラン・ピニエ教授は、「最初の出産後にきちんとケアをしておかないと、出産を重ねるごとに修復がむずかしくなる」と忠告する。教授によれば、骨盤底リハビリだけで尿失禁などの症状が「完治する」が25%、「改善される」が50%という確率だ。残りの25%の女性については、後で触れるTVT手術などを勧めている。


 産婦人科の勧めで骨盤底リハビリを2クール続けたところ、失禁の心配がなくなった上、オマケまでついてきたらしい。「夫から毎晩のように求められるようになったの。リハビリで鍛えた膣筋の恩恵を感じたのは、私だけじゃなかったのね」


 腹圧性尿失禁に高い成功率を上げているTVT(Tension-free Vaginal Tape)は、スウェーデンで1996年に発表された新世代型の手術で、膣口からの施術のため傷跡が外目にわからない。もちろん骨盤底修復にかかわる医療費だから、自己負担は一切ない。さらに、出産時に緩んで伸びた会陰部分が縫合で多少せばまり、「会陰短縮手術」の異名で親しまれているほど美容整形効果も期待できるという。


  女性の悩みに冷たい日本社会

 ところで、日本でも骨盤底リハビリを社会保険でまかなうことは出来ないだろうか。三井記念病院の中田医師は、「医療費に回せる条件が限られているという事情は、どの国も同じです。でも、フランスでは女性が子供を産むことが社会的活動と位置づけられているので、産前産後に関わる女性の医療費負担には国民の理解が得られる。日本はというと、妊娠中絶も含め女性の性的な悩みには社会が冷たい。骨盤底ケアを受けたい人がいても、受け皿の準備ができていない」と話す。

 少子化対策にかける出費が、2001年の統計でフランスが国内総生産(GDP)の2.8%を投じているのに対して、日本はわずかに0.6%。いまや国の最重要課題として抜本的な見直しが迫られている状況下で、骨盤底に関わるケアも少子化対策に盛り込むことを中田医師は低減する。

 「子どもの医療費負担や保育所の整備を促進するのと同様に、出産に伴う女性の身体に対する出来るだけの手当てを公費で負担する、という内容を盛り込むべきです。結果としてそれは、M字型にへこんでいる日本女性の労働力を持ち上げることにもつながるのではないでしょうか」


  「多数家族」認定制度

 骨盤底リハビリのほかにも、フランスの出生率を語る上では、数々の少子化対策がある。そのひとつが、3人目の子どもが生まれた家族を「多数家族」と認定する制度だ。3児の母親で、パリの小学校教師アン・ジョゼフ・ラペルデリーさん(46)も、「家族手当が大きいし、ほかの経済的支援も受けられるので、すでに子どもが2人いるならもう1人産んだ方が得、と考えるでしょうね」と話す。


 国有鉄道を利用する場合も「多数家族」の証明書があれば、乗車券の割引率が大きい。子供3人で3割、4人で4割・・・・・・6人以上で6割というものだ。


  35時間労働で夫婦円満

 性愛文化を支える社交が日常的に行えるのも、やはり35時間労働のなせる業といえるだろう。セックスは、男女のコミュニケーションの延長線上にあるものと考えると、長時間労働で夫婦の会話はゼロに等しく、見るのは相手の寝顔だけなどという日本の夫婦のセックスレスはむしろ無理からぬこと、となる。

 世界一セクシーといわれる国のインフラは、医療政策から労働環境まで、さすがに隙がなかった。


>>まずは、日本も少子化対策にかける出費を10兆円(GDPの2%)程度にすることを検討する必要があろう


「仕事とセックスのあいだ」①



「仕事とセックスのあいだ」(玄田有史・斎藤珠里著、朝日新聞社)より
2007年1月30日第1刷発行


 第2章 世界一セクシーな国の女性労働者  斎藤珠里

 
  50~60代でも「週1」をキープ

 日本ではセックスレスというと、長年夫婦でいれば飽きがくるのは当然といった理由がまかり通るが、「とんでもない。セックスはクラシック音楽の演奏に似ています。同じ曲だって毎回、練習するたびに新たな発見があります。何百回と繰り返し演奏することで、その曲の奥深さに魅せられ、さらに追求したくなります。セックスも相手を知り、開拓していくという行為なのです」と、諭されてしまった。

 フランス人の多くが、パートナーの定義とは「知的レベル、性格、そして性的にも相性がいい人」という。しかし、スタート時点で理想の3条件を満たしていても、歳を経るごとに見直しを迫られるのが夫婦の現実だ。そのなかで知的レベルや性格は、歳をとったからといってそう変わるものでもないだろう。そう考えると、昔のように宗教的倫理観にしばられなくなった現代のフランスで、45.5%にも上る離婚率の主たる原因がセックスの破綻とみるのはそう外れていないだろう。


  働く女性を救う「骨盤底リハビリ」

 そのセックス大国フランスの面目躍如ともいえそうな、働く女性のための国家政策がある。出産によって傷ついた骨盤底を、元通りの状態に修復する費用を100%社会保険の対象にする「骨盤底リハビリ」と呼ばれるものだ。骨盤底とは、膣まわりの筋肉や神経組織、子宮や膀胱などの臓器を指す。

 自然分娩などの膣分娩の場合、直径10センチ以上もある赤ん坊の頭が産道や膣口を無理に押し広げて出てくるため、会陰裂傷することも珍しくない。裂けないまでも、膣周辺の神経組織が傷つけられたり、筋肉が伸びてしまったりする。さらには、胎児の重みや長時間に亘る出産時の息みで、膀胱や子宮などの臓器が下の方に押し出されてしまう性器脱と呼ばれるケースも起こる。こうした骨盤底にかかる出産時の負担が、後に尿失禁や性器脱につながる主たる原因だと考えられている。

 フランスでは出産に伴う女性特有の下半身の不具合、つまり尿失禁や性器脱の元凶である骨盤底ダメージを修復するための「骨盤底リハビリ」を1985年、世界に先駆け国家の医療政策として導入した。現在、毎年75万件を超す出産のうち、膣分娩をする約9割の女性の大半がリハビリを受けている。そのニーズにあわせて養成された骨盤底リハビリを施す運動療法士の数は、全国で3万6千人にものぼる。


  「骨盤底の不具合は社会的損失」

 身体あっての労働、身体あってのセックス、セックスあっての夫婦や家族、そして社会・・・・・・。まさに冒頭の「セックス問題が国家の一大事」というフランス式愛の法定式が、実は非常に理にかなったものだと思えてしまう。もっとも、骨盤底リハビリを国家負担とする議案を可決させるために、女性議員たちの強い働きかけもあったという。しかし、セックスを語ることがタブー視される日本社会では、医療関係者の間ですら認識が浅いというのが実情だ。ましてや一般人にとって、どれだけの人が骨盤底という言葉を聞いてピンとくるだろうか。


>>まずは、日本も「骨盤底リハビリ」を保険対象とすることから始めてみたら良いように思う


「下半身のおとこ」



「下半身のおとこ」(勝目梓著、リヨン社)より


  結婚を望まない男女の事情


 結婚する気はないけれども子供は欲しいと考える女性と男性とでは、その数の上で断然に女性のほうが多いだろうと思われる。

 もしかしたら、この先さらに一夫一婦制が力を失っていって、シングルマザーが増大する、という時代がやってくるかもしれない。そういう時代を私は夢想する。

 そして私の夢想はさらに飛躍する。

 シングルマザー増大の時代を迎えるときに、われわれは古代の母系社会のあり方を真剣に見直して、そこから何かを学び取り、新たな男女関係の像と、一夫一婦制に代わる社会の制度を模索することになるのかもしれない。


 結婚したがらない男女が多くなっていることのもう一つの理由に、男たちの人生観の多様化ということもあるのではないか、と私は考えている。

 かつて男たちは、自分の人生の確たる未来像を描くことができた。立身出世を果たし、妻子を養い、立派な過程を築き上げることが、大半の男たちの人生観の基盤になっていた。あるいはそれが男たるもののあるべき姿である、と教えられてきた。社会はそうした共通の価値観で支えられていた。


 だが、市場経済が拡大し、企業間の競争が激しくなり、終身雇用制度が崩れ、成果主義が採り入れられてきて、自分の未来像が不鮮明になっている、と感じる男たちが出てきた。彼らは上昇志向に駆られてがんばることに疑問を抱きはじめた。それまでは確固としたものに思えた標準的な人生観がゆらぎはじめ、自分の生活に違和感を感じはじめた。


 あえて時流の外に身を置き、世間が定型としている人生の形に倣うことを拒み、自分が自認できる価値観に従って自由に生きることを求めることに結びついていく。彼は立身出世を望まず、家庭を築くかわりに自分一人の王国を実現させようと考える。そこでは多分に趣味的な生活が主調をなすのかもしれない。


>>一夫一婦制に代わる新たな男女関係のあり方による少子化対策もありなように思う


「日本、韓国、フランスのひとり親家族の不安定さのリスクと幸せ]



「日本、韓国、フランスのひとり親家族の不安定さのリスクと幸せ リスク回避の新しい社会システム」(近藤理恵著、学文社)より


  家族の個人化

 ベックが指摘するように、「個人化を推進する力が家族へ拡大するとともに、共同生活の形態が例外なく変化しはじめた。家族と個人の人生との関係はゆるめられた。男女の親としての人生を中核とする終身にわたる単位としての家族は、例外的なものとなっている。そして、期限つきでさまざまな家族を自分の人生のその時々の局面に応じて行き来するか、ないしは家族の形をとらない共同生活を送るかというのが通例になってしまった。自分の人生を家族にしばりつけているものが、その時その時の人生の諸断面の変化のなかで、ボロボロにされ廃棄される。交代可能になった家族関係のもと、家族の内側と外側で、男性と女性のそれぞれの人生の独立性が、あらわになってきた。誰もが、その時々の人生の段階に拘束された家族生活を送り、そしてまた家族から自由な形態の生活を送ることにより、ますます自分自身の人生を過ごす。それゆえ、まず個人の人生の時間の経過に沿って見た断面の中において(中略)家族の個人化が現れている」(Beck、1986、188:訳書231)のである。


  法律婚外で生まれる子どもの率

 その年に生まれた子どものうち、法律婚外で生まれる子どもの割合について見てみると、フランスでは2006年にその値は50%を超え、2011年には55.8%となった(Insee、2012b)。このような背景には、1999年に成立した、事実婚や同性愛カップルに税控除や社会保障などの法的権限を与えるパクス法(連帯民事契約)の影響により、法律婚をしないカップルが生きやすくなったという状況がある。一方、日本や韓国においては、法律婚外で生まれる事もの率が増加しているものの、その率はフランスと比較して極めて低い。具体的には、日本2.15%(2010年)(国立社会保障・人口問題研究所、2012a)、韓国2.11%(2011年)(韓国統計庁、2012)であった。


  社会全体で子どもを支える連帯の思想と福祉・教育

 2007年、GDPに占める子どものいる家族に対する社会支出(現金給付と現物給付)の割合は、日本0.431%と0.361%、韓国0.02%と0.478%、フランス1.328%と1.663%(OECD、2012c)であった。


 松村祥子が指摘するように、「フランスの家族政策は、狭い家族規範や特定の家族支援に個人や家族を統合し押し込めるものではなく、多様な人々の生活基盤を支えるという目的と方法をもっている」(松村、2004、23)。

 一方、子どもを「家」の子どもと見なす儒教思想の呪縛から逃れられず、社会全体で子どもを支える思想が脆弱である日本や韓国では、フランスと比較した場合、国家は子どもとその家族に十分介入せず、経済的支援やサービスは充実していない。その結果、再分配後の日本と韓国の子どもの貧困率はフランスと比較して高い(フランス7.6%、日本13.7%、韓国10.2%)(OECD、2008)。


>>子どもを社会の子どもと見なし、社会全体で子どもを支える思想に変えて行く必要があろう


「フランスに学ぶ 男女共同の子育てと少子化抑止政策」



「フランスに学ぶ 男女共同の子育てと少子化抑止政策」(冨士谷あつ子/伊藤公雄 編著、明石書店)より


  第3章  フランスから何を学ぶか

 1 家族政策とジェンダー  伊藤公雄

 1999年には、いわゆる「パックス(PACS)」制度(連帯民事契約制度)が導入され、同性愛カップルを「家族」として法的に保護する仕組みが開始されている。この制度は、同性愛カップルだけでなく、むしろ異性愛カップルによっても活用されるようになっている(2008年段階で婚外子割合は52.6%まで上昇した)。

 こうした共同生活の多様性に対応して、古い家族の規範に縛られることなく、「家族」(というより、「親密圏」という言葉の方がふさわしいかもしれないが)の多様性の承認の上で、家族を単位として支援策を展開していく、という家族政策の形が、1970年代以降、フランスを始めとした西欧の多くの社会では見られるようになっていくのだ。


 家族の問題を、ある一定の枠組みに縛られて政策立案することの危険性はおさえておくべきだろう。「(性別分業の)夫婦と子ども2人」を家族モデルとして考える日本の政策は、ここでも大きな問題とぶつかる。すでに、家族モデルは、多様化しつつある。単身所帯やひとり親家族の増加、同性愛カップルと養子の家族、さらに、国内外のドメスティック・ワーカーやケア・ワーカーとの共同生活など、「家族(というより親密圏と呼ぶべきなのだろう)の形はひとつではない」。多様化した共同生活を前提にして(シングルという選択とその支援も視野に入れつつ)、「家族」「親密圏」を社会的に支える仕組みが求められているのだ。フランスの事例は、こうした新しい家族=親密圏政策のひとつの形といえるだろう。


 フランスの事例は、まだまだ家族政策が不十分な日本社会にとって、たくさんのヒントを与えてくれるのも事実だ。フランスの家族政策を、今後の日本型の家族政策=ジェンダー政策のために、活用していくことが求められているのだ。


>>「少子化対策」という漠然としたものでなく、より具体的な「女性の職業と家庭の両立を図るための家族支援策」を検討する必要があろう


「認知・養育費・慰謝料」



「シングルマザーのための認知・養育費・慰謝料」(露木幸彦著、九天社)より


  第1章  不倫相手の子を妊娠したら

 ※まとめ※

 ・出産を選んだ場合、男性に「認知」「養育費」「慰謝料」を請求できる。

 優先順位を決めて話し合いを進める
 ⇒妊娠3ヶ月目までに話し合いをすすめるには、優先順位を

  1.養育費
  2.認知
  3.慰謝料

 と考えておく


  第3章 がっちりお金を確保する方法

 ※まとめ※

 ・男性に慰謝料肩代わり契約を結んでもらうことにより、本妻からの慰謝料を請求されても、支払いを免れることができる。

 出産する場合
 ⇒不貞行為の慰謝料として200万円以上の慰謝料を要求される可能性がある

 中絶する場合
 ⇒200万円よりは下回るが、不貞行為の慰謝料を要求される可能性はある


>>シングルマザーになるには相当な「覚悟」が必要である


「結婚と家族」



「結婚と家族――新しい関係に向けて」(福島瑞穂著、岩波新書)より


  「非嫡出子」を生むこと

 事実婚で特別に不都合なことはなかったが、そんな私も子どもが生まれる前後は、あれこれ考えた。

 結婚届なんてたかだか紙切れ一枚じゃないと思っていても、「非嫡出子」、「私生子」というおどろおどろしい言葉にびびってしまう。「子どもが、私立学校に行きたい、親としても行かせたいと思っても、非嫡出子であるということだけでことわられたら損だな、こまるなあ。就職差別や結婚差別にあったらどうしよう。非嫡出子だから結婚しないという考え方にとらわれた男なんて結婚してもロクなことはないから、こっちから願い下げだと私は思うが、娘もやはりそう思うとはかぎらない。逆に、『強い母』を死ぬほど恨むかもしれない。うーん、娘に恨まれたくない。それに、日本のように、激烈な競争社会で、親が、子どもが生まれたときに、わざわざ“ハンデキャップ”を付けるのは賢くないんじゃないか」といろいろな思いが頭をぐるぐるまわる。そして、娘のことを心配しながら、本当のことを言うと、自分自身の自己保身の気持ちがあるということに気づいていたのだ。

 はっきり言うと、私自身が、「未婚の母」として、人から後ろ指さされるのが恐かったのである。


  多様な価値観を保障する法

 家族法も、個人に「正しい生き方」を教えるために存在するのではないと思う。家族法の分野においても、極力個人の自主性・自己決定権を尊重するようにすべきではないだろうか。

 スウェーデンでは、非嫡出子の差別がないだけではなく、非嫡出子という概念自体も廃止している。事実婚カップルの子どもは、1987年には出生子全体の49%に達しているが、共同監護権の道が開け、事実婚当事者間に子どもがいたり、長期間共同生活をしている場合には、遺族年金の受給権など社会保障において、そして税法において、事実婚と法律婚は同じ扱いを受ける。


>>非嫡出子の差別をなくすためには、まず戸籍のあり方を見直して「家」に関する意識を変える必要がありそうだ


「家族と法」④


「家族と法――個人化と多様化の中で」(二宮周平著、岩波新書)より


  家族単位戸籍から個人単位へ

 今日、多様な家庭生活・私生活が存在しているにもかかわらず、夫婦と子という特定の家庭像を基本にすることは、現状にも合わない。さらに家族単位であるがために、婚外子の父の氏への変更に、妻や婚内子が反対したり、離婚後300日以内に出生した子が前夫の戸籍に登録されることを心配して、出生届が出されなかったりする現象が生まれる。氏を名乗る権利、戸籍に登録される権利という子の基本的人権が抑圧されるようなシステムはおかしい。


 私は、現行戸籍は「家」の克服という使命を果したとはいえないように思う。今なお性別役割分業意識や慣行が根強いのは、日本的な家意識が残っているからであり、戸籍にはこれを温存する作用があったと考えるからである。憲法は個人の尊厳と両性の平等を原則とし、男女共同参画社会基本法も、ライフスタイルの選択に対して制度が中立的であるべきことを規定する。また社会的な差別を除去し、多様な家族のあり方を保障し支え、子の基本的権利を守る必要がある。したがって、戸籍制度の個人単位化は必然的である。


>>戸籍制度の個人単位化⇒日本的な家意識の排除により、日本の新たな道を開く必要があるように思う


「家族と法」③

「家族と法――個人化と多様化の中で――」(二宮周平著、岩波新書)より


  家族単位戸籍から個人単位へ

 選択的夫婦別氏制度を導入する場合に問題になるのは、戸籍のあり方である。現行戸籍制度は、一組の夫婦と、この夫婦と氏を同じくする子を単位として編製されている。この同氏同籍の原則からすると、夫婦が別氏を選択するときに、氏が違う夫または妻を同じ戸籍に登録できるかどうかが問題となる。

 各国と比較すると、日本のような家族単位の戸籍制度を設けているのは、かつて日本が植民地支配をしていた韓国*と台湾だけであり、多くの国では、個人単位の登録で、かつ出生・結婚・死亡といった事件別の証書制度を採用している。家族登録簿のようなものを設けている国々でも、戸籍筆頭者を定めて、筆頭者を基準に入籍・除籍を繰り返すような仕組みを採用している例はない。その意味で日本の戸籍制度は「日本の民芸品」(戸籍実務に詳しい人の表現)だともいえる。しかし、この仕組みは、個人の尊厳や両性の平等に反する面がある。

*韓国の戸籍制度改革  韓国では、2005年3月の戸主制の廃止に伴い、2008年1月から、戸籍を廃止し、個人単位の登録制度に改正する。日本が1947年の法改正でできなかった個人単位化を、韓国は一気に導入しようとしている。


>>これまで何の疑問も持たずにいた戸籍制度。個人単位へ見直すことで、日本の新たな道が開かれる可能性があるように思う


続きを読む

「家族と法」②


「家族と法――個人化と多様化の中で」(二宮周平著、岩波新書)より


  婚外子の相続分差別の撤廃へ向けて

 今日、女性の経済的自立の傾向が進み、婚姻だけが女性の幸福に結びつくものではないという意識が広がり、自分に合ったライフスタイルの選択が求められはじめている。こうした個人の家庭生活、私生活の多様性を前提にするとき、家庭生活に「正当性」という基準を持ち込み、婚姻のみを正当とみて、その尊重を説くことに、合理性を見出すことは難しい。婚外子の平等化とは、同じ父あるいは同じ母の子であれば、同じ法的扱いを受けるべきであり、家族の一人ひとりを差別してはならないことを意味している。婚外子の相続分差別は、家族の中の個人の尊厳、人権の問題として捉えられるべき課題であると同時に、親のライフスタイル選択の自由にもかかわる問題として認識される必要がある。


>>1年半前(平成25年12月5日)にようやく民法の一部を改正する法律が成立し、嫡出でない子の相続分(それまでは2分の1)が嫡出子の相続分と同等になって(同月11日公布・施行)、良かったと思う


「家族と法」①

「家族と法――個人化と多様化の中で」(二宮周平著、岩波新書)より


  子どもの平等――婚外子差別をなくすこと

 住民票の世帯主との続柄、戸籍の父母との続柄で、婚内子は「長女」「長男」「二女」「二男」と記載されるが、婚外子は、住民票では「子」、戸籍では「男」「女」と記載された。
 
 1980年代後半、あるカップルが自分たちの子の住民票を見て、驚いた。こうした取り扱いは子どもの平等に反すると考え、差別のない住民票の交付を求める裁判を起こした。1995年、裁判所は住民票の記載区別は法の下の平等に反し、プライバシー権を侵害することを理由に違憲であると判断した(東京高裁1995年3月22日判決)。カップルは戸籍の記載についても裁判を起こし、2004年、裁判所は戸籍の記載区別はプライバシーを侵害するから違法であると判断した(東京地裁2004年3月2日判決)。

 これらの裁判が契機となり、住民票は、1995年3月から、婚内子も婚外子も「子」に統一され、行政の責任ですべての住民票の続柄記載を訂正した。戸籍は、2004年11月から、婚外子について母を基準に「長女」「長男」型で記載される改正が行われ、婚内子との記載差別は廃止された。二つの息の長い裁判だったが、市民の異議申立てが制度を動かした。その努力には頭が下がる。


>>このカップルのように、取り扱いが不当な場合はその解消のために行動したい



「ハドリアヌス帝の回想」



「ハドリアヌス帝の回想」(マルグリット・ユルスナール著、多田智満子訳、白水社)より


  ユルスナールをめぐって
  ほほえみの粉――1951年8月の出来事  堀江敏幸


 緊迫した精神史を感じさせる「作者による覚え書き」のなかで、ユルスナールはこう記している。

 「いずれにせよ、わたしは若すぎた。四十歳を過ぎるまではあえて着手してはならぬ類の著書というものがある。その年齢に達するまでは、人と人、世紀とを隔てる偉大な自然の国境を誤認し、人間存在の無限の多様性を見誤る危険がある。あるいは反対に、単なる行政区画や、税関や、守備隊の哨舎などに、重きをおきすぎるおそれがある。皇帝とわたしとの距離を計算することを学ぶために、わたしにはそれだけの歳月が必要だったのだ。」

 ハドリアヌスが帝位につくのは四十代になってからで、これが歴史上遅いのかはやいのか私はつまびらかにしないけれど、彼自身述べているように、皇帝たらんとすることをトラヤヌス帝の晩年にはすでに意識し、その静かだが強烈な野心の火を消さないようながい心の準備をしていたという事実が、六十歳を迎えた皇帝によるこの回想のトーンの、語りの現在における落ち着きを生むのに大きな役割を果たしている。皇帝となった後の、いわば駆け出しのころの迷いがこの長大な手紙にはほとんど感じられないばかりか、政策上の失敗をもふくめたすべての事跡を思いつくままに語って、政治家にありがちな首尾整った回想録の体裁には拘泥しない自然さがあふれているのである。


>>ある年齢に達するまで分からないことはいろいろある

「もう国家はいらない」



「もう国家はいらない」(田原総一朗、堀江貴文、ポプラ社)より


  プロローグ  リスクゼロはあり得ない

 仕事で会う若い起業家たちや研究者たちは皆アイディアを持ち、古いものにこだわらず新しい流れをつくりだそうとしている。彼らの姿を見ていると、世の中に常に変革するきざしがあることに気づき、わくわくする。

 しかし、その変革にはリスクがつきものでもある。

 人間は過ちを犯しても常に前に進む生き物だ。前に進み続けるかぎり、リスクゼロはあり得ない。そろそろ前に進むことをやめてはどうか、という向きもあるが、一度歩みを始めた人類が歩みを止めることはできるだろうか。そして、今よりもっとよい明日を望む人類がいない社会に魅力なんてあるんだろうか。

 まだ起きていない恐怖に怯えるよりも、現実を冷静に見据え、リスク回避を吟味することが問われていると思う。そのためには、新しい社会の流れを知り、新しい考え方を知る必要があるだろう。  田原総一朗


  エピローグ  堀江貴文とこれからの世界と

 ネットの世界では、LINEの森川亮、サイバーエージェントの藤田晋、DeNAの守安功、スタートトゥデイの前澤友作、ライフネット生命の岩瀬大輔など、すくなからぬ若い経営者たちが活動している。


 「それでは、堀江さんから見て、たるんでいない経営者は誰ですか?」
 
 そう問うと、堀江は、孫正義と、もう一人ファーストリテイリングの柳井正の名前をあげた。


 ビットコインは、各国の政府が恐れるほどに、現在すでに確実に広がりつつある。これは、まったく知らない世界・・・・・・。

  2014年秋  田原総一朗


>>新しい社会の流れ、新しい考え方を知った上で、リスクがある変革にチャレンジし続けて行きたい



「少子化対策こそ日本の喫緊の課題」



週刊ダイヤモンド  2014/12/13


  日本の論点  少子化対策こそ日本の喫緊の課題
  大前研一 ビジネス・ブレークスルー大学長


 合計出生率を1.6から2まで戻すことに成功しているフランスを見てみると、30年前に戸籍を撤廃しているんです。これは日本にとって特に重要です。

 日本では婚外子(結婚していない男女の間の子ども)の割合が2%しかない。一方フランスは50%を超えています。フランスでは3年以上同棲していると「事実婚」が認められて、結婚しているのと同じ社会的な優遇措置が受けられます。オランド大統領だって事実婚(それも3人目)です。

 フランスでは、子どもを産めば産むほど税負担が軽減され、給付金も支払われる。3人目の子どもは、18歳になるまでにだいたい1800万円もらえるんです。これだけのことをやって、合計特殊出生率が2になったんです。

 なぜ日本で戸籍の撤廃が重要なのか。それは日本が、結婚していない人たちが子供を育てにくい環境になっているからです。戸籍を撤廃して事実婚を結婚と同じ扱いとして、フランスのように産めば得をするくらいの優遇措置を与える。それくらいやらないと子どもは増えません。

 日本の場合、さらに深刻なのは、政府が少子化問題に全く取り組んでいないということなんです。このままいけば、日本は財政破綻までいってしまうと思います。


>>言うように、子どもを増やすために、事実婚を結婚と同じいとして、フランスのように産めば得をするくらいの優遇措置を与えるべきである



「世界を変えた10冊の本」



「世界を変えた10冊の本」(池上彰著、文春文庫)より


 冒頭で取り上げたのは『アンネの日記』です。


 『聖書』を取り上げたのは、これが世界最大のベストセラーであり、欧米キリスト教社会を形成してきたからです。

 『旧約』と『新約』に別れた書物は、多くの人を信仰に導きました。経験な信者を多数産みだし、平和な社会を築く助けになったこともあれば、「信仰」の名の下に十字軍などの血なまぐさい行動もたびたび発生しました。欧米社会とイスラム世界の対立構造という現代世界を形成することにもなりました。

 やがて、『旧約聖書』の中の「創世記」の内容を科学的に否定する書物が登場します。それが、ダーウィンの『種の起源』です。


 それだけ強い力を持つ宗教。『聖書』が欧米のキリスト教にもとづく精神文明を築いた一方で、同じ神を信じるイスラム教徒の聖典『コーラン』は、中東アジアに大きな影響を及ぼし、イスラム文明を形成しました。

 宗教の持つ力は、書物によって人々を駆り立て、場合によっては、極端な形の運動を作り出します。その典型例が、『道標』でした。オサマ・ビンラディンの極端な思想が、どのようにして形成されたか、その秘密がわかります。


 宗教が私たちの生活に思いもかけぬ形で影響を与えることを明らかにしたので、『プロタンテティズムの倫理と資本主義の精神』でした。

 来世での永遠の命を希求する行動が、強欲な資本主義の精神を築いたとする理論は、その着眼点のユニークさに驚かされます。


 マックス・ウェーバーが、資本主義の精神をキリスト教のプロテスタントの信仰様式から導き出したのに対して、カール・マルクスは、『資本論』によって、資本それ自体が人間を支配する神になってしまう仕組みを解き明かしました。


 マルクスが暴いた資本主義の悪を、理性的な経済対策で抑えることができる筋道を示したのが、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』でした。これ以降、資本主義は恐慌の恐怖から抜け出ることができました。

 しかし、いくら有力な経済理論であっても、すべてを解決することはできませんし、社会経済構造が変化すれば、効果も減衰します。

 そこで登場したのが、ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』。論争の書です。読み進むと、「こんな理論立ても可能なのか」と驚きの連続です。賛否両論が渦巻いた理由がわかります。


 この本は、女性誌「CREA」の連載がベースになっています。連載の途中で、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生。放射性物質が拡散し、人々は放射能の恐怖に怯えました。そんなときだからこそと考えて取り上げたのが、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』でした。


 こうした書物は、現代に生きる私たちにとっての教養の基礎にもなります。これからの人生を考える上で、少しでもお役に立てれば、こんな嬉しいことはありません。

 この本で興味を持った書物があれば、どうぞ次はあなた自身で読んでください。

  2013年11月  池上彰


>>宗教絡みの話になると実感がわきにくい


「下半身のおんな」



「下半身のおんな」(家田荘子著、リヨン社)より


  下半身にある人格

 この下半身の行動は、持ち主の人格そのものを表している。だから、下半身の取材をすると面白い。

 裸になったら、同じ男性。競えるのが、下半身そのものしかないとなった時、人格が顕著にあわられて、男性そのものが、もっと面白くなると、私は思う。


  下半身がつくる時代

 もともと日本という国は、太古の昔より性に対して、大らかだった。天の岩戸の伝説の話にはじまり、戦国武士は、何人もの愛人に子供を産ませていたし、江戸時代には大奥もあった。

 庶民も負けずに大らかすぎたから、姦通罪ができた時代もあった。

 また売春宿は、男の遊び場の定番で、赤線や青線、吉原遊郭がなくなってから、まだたったの半世紀余りしか経っていない。

 現在の下半身模様について、厳しく言う論客も多いが、昔と同じ大らかな意見の文化人や識者も多い。

 ただ昔は、もっと節操や、思いやり、人情が下半身を取り巻く事情を包んでいたのではないかと私は思う。


 下半身を取材すれば、やっぱり、その人の上半身、つまり建前や肩書きを取り払ったその人間の本質そのものが姿を現す。

 今後これから、どんな下半身が社会を、そして時代を作っていくのだろうか。

 現在の既成概念、固定観念、常識を覆し想像を超えた現象に下半身は辿り着くことになるかもしれない。しかし、太古の昔がそうであったように、明るく、大らかで、けれども思いやりのある下半身でいてほしいと願うのだ。

  2007年3月30日 初版発行


>>人格が顕著にあわれる下半身に責任を持てる人間になりたい



「愛国論」



「愛国論」(百田尚樹・田原総一朗、KKベストセラーズ)


  おわりに

 私は「右翼」でも「保守」でもないということだ。もちろん「左翼」でも「リベラル」でもない。私は「愛国者」である。右も左もない。私が愛するのは、祖国「日本」であり、この国を愛する人たちである。反対に私が憎むのは、「反日」と「売国」である。

 戦後、日本人はGHQ(占領軍)が植えつけた「自虐思想」によって、日本という国を愛せないような国民に変えられてしまった。これは「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(War Guilt Information Program)」と呼ばれるもので、日本人に「自分たちが悪かったのだ」と思いこませた。またGHQは、日本軍はこんな悪いことをしたという番組もつくらせた。脚本も演出も実はGHQ制作でありながら、NHK制作と見せかけた卑劣なものだったことを、対談中に田原さんが語っている。

 こうした主張に本来なら日本のマスコミが反対の声を上げなくてはならなかったが、当時の新聞も雑誌もGHQの厳しい検閲下にあり、彼らの意に反することを書けば、たちどころに発禁処分となり回収を命じられ、責任者は処罰された(もっとも重い刑は沖縄で重労働5年)。

 こんな状態が10年近く続き、日本人の心に「自虐思想」は浸みこんだ。GHQの検閲の恐ろしさは、それが終わって60年以上経った今も、実は日本人の心に根強く残っている。たとえば「大東亜戦争」という言葉はGHQが使用を禁じた言葉の一つだが、平成26年の現代においても、多くの人は「大東亜戦争」という言葉を聞くと、何かそこに「右翼」的な響きを感じるのではないだろうか。これはまさにGHQの検閲の恐怖の記憶がこびりついている証拠である。

 そして、この「自虐思想」を背景にして、超反日集団である「日教組」が、国旗と国家を敬ってはいけないという指導を子供たちに行なった。そのせいで、かつては正月や祝日には普通に目にした「日の丸」もほとんど見なくなった。学校の卒業式や入学式でも「君が代」を歌わない学校が増えた。対談のなかでも語っているが、「君が代」の歌詞さえ知らない人がかなりいる。スポーツの国際大会で「君が代」が演奏されても歌えない選手が少なくない。おそらくこんな国は世界中で日本だけではないだろうか。

 本来「愛国者」という言葉は、誇り高い言葉であるはずだ。にもかかわらず、日本においては、その言葉はしばしば「右翼」あるいは「偏狭なナショナリスト」という受け取り方をされる。


 現在の日本は極端なことをいえば、戦後、最大の危機を迎えている。軍事的に日本を脅かし続ける中国との関係をどうするか、ヒステリックに「反日」を叫んで世界中に日本を誹謗して回る韓国との関係をどうするか、またそうした状況のなかでの集団的自衛権を衛盾にならないのは明らかである。また原発停止による代替エネルギー購入で、日本は莫大な金を消失している。この状態が長く続けば、やがて経済的に没落するのは目に見えている。

 こうした危機的状況であるにもかかわらず、多くの「左翼」的ジャーナリストや文化人は20年前と変わらず同じことをいっている。私の目には、彼らの時間はずっと止まっているようにしか見えない。  百田尚樹

  2014年12月20日  初版第1刷発行


>>私も、誇り高い言葉である「愛国者」のひとりである



「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」③



「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」(井上たか子編著、勁草書房)より


  二宮周平

 家制度から近代的な小家族へ転換するにあたって、婚姻法、あるいは戸籍制度の果した役割はあります。もちろんそれは今日の社会では、上野さんが言われたように、もう時代にあわなくなっていて、その規範自体が適合性を失っています。だとするならば、今度は時代にあった規範を作っていかなければならない。それは基本的に個人を中心にして、個人と個人の関係性のなかに家族を位置づけることではないかと思っています。この尊厳という規範を、日本社会に少しでも浸透させることができれば、関係をもつにあたって、他者を大切にし、個人個人を尊重したような社会の方向へ動く可能性が残っている。

 父親との関わりですが、日本の場合は婚姻をしていれば、妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定される。自動的に父親が確保されますが、婚外子の場合は、認知という父親の一方的な意思に依存する形態になっています。このように同じ子どもでありながら、親子の関係性を婚姻との関係で決めています。そこを切り離す必要があろうかと思います。婚姻は婚姻。父と子の関係は自然血縁に基づいて整理する。そういう価値転換をしていく必要があるだろう。


  齊藤笑美子

 婚姻規範が機能していたのは長い期間じゃなかったというお話でしたが、事実としての婚姻率の高さと、婚姻規範の強さというのは別問題だと思います。婚姻している人が1960年代半ばをピークとして減っていっているということですが、そのことによって、結婚しなければ一人前ではないという考え方が弱まっていないのではないかと感じます。やはり結婚をしないと、ちゃんとした人間じゃない。あやしい人だと思う傾向は、かなりあるような気がします。

 近代家族を法制化した典型と考えられるナポレオン法典を見ますと、子は生殖から生まれるんじゃなくて婚姻から生まれる。そこに本当に生殖があるか、セックスがあるか、問題にしていないわけです。妻が出産すれば、それは摘出推定で夫の子と推定されるわけです。そのときに本当に夫が生物学上の父親なのかということは問題にしない。本当は自分の子じゃないとわかっていても、それを問題にしさえしなければ自分の子になる。

 そこは意思主義ですよね。法典を作った人たちは、革命の精神を貫こうとしたんだと思いますが、意思による親子関係の設定ということには、やはりこだわっていたようです。ですから結婚という制度に入ることは、妻が生んだ子どもは自分の子どもとして引き受けるという意志の現れとなる。


  クリスティーヌ・レヴィ

 フランスの女性で、シングルマザーになりたいと思う女性は、1%か2%ぐらいです。なりたいと思う女性は、とても少ない。  ほとんど父親になるパートナーを見つけて、ですから結婚ではないですけれども、愛のある、愛の関係のある人を、それだけ尊重できる父親になる人を見つける。ですから子どもを作りたいというのは、やはりパートナーとの愛の関係か、少なくとも尊敬の関係とか、そういう深い関係が存在しています。そのような関係のない場合に、子どもを作りたいと思うことはまれです。


  あとがき

 この本の出版準備をしているあいだに、フランスでは社会党のフランソワ・オランド氏が大統領に選出され“ファーストレディー”になるのが事実婚のパートナーということで、日本でも話題になった。「普通の」大統領をめざすオランド氏だが、フランスでは事実婚も「普通」であることを印象づけたのではないだろうか。また、三月に就任したドイツのガウク大統領も事実婚なのだそうで、ドイツでもオランド氏の例と合わせて、「私たちは正式な婚姻関係を求める考えを変えるときかもしれない」と報じられたそうだ。ヨーロッパでのこうした動向は、この本のテーマを読者にとってより身近なものにしてくれたかもしれない。


 結婚規範に囚われることにどれだけの正当性があるのかを再検討したいと考えたのだ。どんな社会にも規範はあるが、それが人々の自由を妨げたり、不平等を助長するものになっているとしたら、考え直す必要があるのではないだろうか。 「結婚しないで子どもを産む」ということは、それだけ複雑な問題を含んでいる。


 私自身、再考の過程で痛感したのは、「事実婚」にしろ、「非婚」にしろ、婚姻制度を批判する表現がすべて「婚=夫婦になること」を基準にした言葉だということへの違和感であった。私たちは言葉をつかって考えるのに、新たな考えを表現するための言葉自体が古い考え方に根強く支配されているのである。「ひとり親家庭」という表現も、子どもの側からは適切でない。子どもにはかならず両親がいるのだから。

  2012年盛夏  井上たか子


>>妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定され、自動的に父親が確保されるが、婚外子の場合は、認知という父親の一方的な意思に依存する形態になっており、同じ子どもでありながら、親子の関係性を婚姻との関係で決めている。婚姻は婚姻。父と子の関係は自然血縁に基づいて整理する。そういう価値転換をしていく必要があると私も思う


「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」②



「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」(井上たか子編著、勁草書房)より


 第6章 フランスのひとり親家庭について  井上たか子

  おわりに

 人は必ず死ぬ。だからこそ、子どもを産み、生命をつないでいくことは人生の大きな価値である。結婚しているか否かによって産むことの価値に変わりはないはずだ。ましてや、両親がそろっているかひとり親であるかによって、子どもの価値に変わりはない。しかし、日本では、結婚し「夫に属している」女性は子どものいるいないにかかわらず社会保障や税制での優遇措置を受けているのに対して、結婚しないで母親になった女性への支援へは手薄である。婚外子差別に至っては言語道断である。一人で職業と子育てを両立させるのは容易ではない。それでも、近代家族の変容という大きな流れのなかで、日本でも結婚しないで子どもを産む女性が増加する可能性は否めない。そのときに、どれだけ社会的支援ができるか否かは、男女平等の観点からはもちろん、少子化対策という観点からも重要な鍵となるのではないだろうか。


 全体討論

  上野千鶴子

 いわゆる先進工業諸国を見ますと、いたるところで離婚率も婚外子出生率も上昇しています。ところが日本における離婚率は諸外国に比べても低いですし、婚外子出生率は約2%、統計学的には無視して良いほど少ないと言われます。それでは日本という社会は、先進工業諸国のなかでは例外中の例外、家族規範がきわめて強固に残ったために、その非合理的な要因によって性革命から取り残された社会なのだろうかという仮説が成り立ちますが、答えはノーです。

 なぜかと言いますと、先程挙げた離婚率上昇と婚外子出生率上昇に対応する、機能的に等価な指標が日本には、それぞれあるからです。

 ひとつは離婚率上昇に対する非婚率の上昇です。離婚というのは結婚しないとできませんが、非婚というのは結婚前離婚と言っていいぐらい、つまり結婚しないで最初から離婚状態にあるというようなものです。つまり日本の女性はいったん結婚してからやーめたというめんどうなことをする前に、最初から結婚をやーめたという選択をしていることになります。国際的に見て、きわめて高い非婚率の上昇が日本の特徴です。非婚が同棲とも結びついていないために、非婚は文字通りの非婚です。

 もうひとつ、婚外子出生率は上昇しておりませんが、婚外・婚前の性交渉経験率は高まっており、結果として未婚女性の中絶率が高まっています。未婚女性の中絶は、婚外性交渉の増加のインデクスと考えられておりますので、婚姻規範があきらかに緩んでいる証拠になります。もし婚外妊娠が、そのまま出産に結びつけば、日本における婚外子出生率が押し上げられ、そのことによて出生率全体に婚外子出生率が貢献するというかたちで、日本の出生率は増加するでしょう。


>>結婚しているか否かによって産むことの価値に変わりはないはずで、両親がそろっているかひとり親であるかによって、子どもの価値に変わりはないことは自明だ


「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」



「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか」(井上たか子編著、勁草書房)より


  チェンジ! 少子化
  社説 「日本の『結婚』は今のままでいいのか」

  日本経済新聞 2009年6月28日付


 法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ31%となっている。

 これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。

 
  婚外子の相続差別放置

 そもそも、結婚していない両親の子どもを指す「非嫡出子」にあたる言葉は、差別的な意味があるとして国際的には死語になりつつある。民法の規定は、婚外子が社会的に差別される原因にもなっている。まず民法を改正する必要がある。

 欧米で婚外子が増えているのは、法的な差別がなくなったから、だけではない。結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。

 例えばスウェーデンにはサンボ(同せいの意)、フランスにはPACS(連帯民事契約)という仕組みがある。いずれも、結婚より緩やかな結びつきをカップルに認め、生まれた子どもには相続も含め婚内子とまったく同じ権利を与えている。男性が父親になるためには認知が必要だが、法の枠組みにしたがった同居という意味では結婚に近い。

 スウェーデンではサンボがカップルの3分の1を占め、0~17歳の子どもの親の3割はサンボのカップルだ。スウェーデンでも晩婚化が進んでいるにもかかわらず出生率が上昇しているのは、サンボの間に出産するケースが多いためだ。

 フランスでは昨年、結婚が26万7000組、PACSが13万7000組だった。サルトルとボーボワールのように、かつて未婚のカップルは社会規範への異議、反抗ととらえられていた。もうそうした意識はない。

 こうした仕組みには、互いに相性を判断する「試行結婚」の意味合いがある。法律婚に比べ解消が簡単だからだ。婚外子の割合が増えたからといって、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ、フランスの昨年の出生率は2.01、スウェーデンも1.91と先進国の中で高い。


  今も影落とす「家」制度

 「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている。

 06年の内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては41%が「変えない方がよい」と答え、「相続を同じにすべきだ」の25%を上回った。これも日本人の家族観、結婚観の表れである。

 結婚の形は国の文化や伝統、国民の価値観にかかわる問題だ。しかし、日本の国際結婚は70年の5500組から07年には4万組に増えた。日本人の価値観だけで結婚を考えることは、もう実情に合わない。

 日本・東京商工会議所は少子化問題に対する提言の中で、「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」と訴えている。

 日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。


>>この社説の4年半後の13年12月5日、民法の一部を改正する法律が成立し、嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になった(同月11日公布・施行)



「傑作ドキュメンタリ-88 観ずに死ねるか!」



「傑作ドキュメンタリ-88 観ずに死ねるか!」(鉄人社)


  ゆきゆきて、神軍
  1987/日本  監督:原一男  企画:今村昌平

映画公開時の「知らぬ存ぜぬは許しません」のキャッチコピーどおり、アナーキスト・奥崎謙三が問答無用に戦争犯罪の真相を追求していく過程を追った戦争ドキュメンタリー。撮影時、奥崎の傍若無人ぶりは並ではなく、自分の意に沿わなければ原監督を泣いて謝らせるわ、時に「殺しのシーンを撮らせてあげますよ」と無理難題を押しつけるわ、その制作の舞台裏は本編に匹敵するほど面白い。ちなみに奥崎は、元中隊長の長男に発泡した殺人未遂罪事件の、広島高裁における公判で初めて作品を鑑賞。原監督に「全く面白くありません」と手紙で感想を寄せたという。


 これは、原一男が死を賭けて臨んだ映画である
 頭は迷っても体は迷ってない。
 だから原くんは奥崎を取れたんです   田原総一朗


 「ゆきゆきて、神軍」。言わずとしれた日本が世界に誇るドキュメンタリー映画の金字塔である。

 敗戦直後のニューギニアで起きた食人事件の真相を追求する奥崎謙三の強烈なキャラクターもさることながら、奥崎というモンスターを相手に一歩も引かず、修羅場をくぐり抜き通した監督・原一男のドキュメンタリスト魂や天晴れというより他ない。

 原監督によれば、その確信犯的とも言える制作手法の原点は、若かりしころ多大な影響を受けた「青春この狂気するもの」の著者で、その後師事することになったジャーナリスト田原総一朗の存在にあるという。

 ドキュメンタリーとは、すなわち「相手を土俵に上げ、後ろに逃げられない状況を作っておいてから、がっぷり四つに組む」ことなり。


 重要なのは、この作品が単に凶暴な男を撮ったんじゃなく、戦争映画だということです。戦争では、人の肉を食べたり、無意味な処刑があったという事をちゃんと暴いている。最初、奥崎がそのことを追求しても、みんなシラを切りますね。でも、戦争ってそういうもんですよ。そこも含めて、この映画は戦争を描いています。


>>終戦後十数日経過後のニューギニアで、日本人による日本人に対する悲劇があったことを初めて知った



「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」③



「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」(斉藤淳著、中経出版)より


  単語には「意味」ではなく、「絵」を結びつけるべき

『Word By Word Basic Picture Dictionary (2nd Edition)』(Steven J. Molinsky & Bill Bliss[著]/Pearson Education ESL)
過度にデフォルメしながらも、重要な特徴を最大漏らさず表現している点でおすすめです。本文で例として使った”drive way”は58ページに載っています。主に日常生活で使う具体的な単語・表現が2500種類掲載されています。英語の説明だけのバージョンに加え、日本語訳を併記したバージョンもありますので、自分のニーズに合わせて選んでください。

  
  「奥行きのある語彙力」は「動画」で身につく

『Word By Word picture Dictionary(2nd Edition)』(Steven J. Molinsky & Bill Bliss[著]/Pearson Education ESL)


  前置詞は「日本語の意味」を覚えてはいけない

『Basic Grammar in Use (3rd Edition)』(Raymond Murphy[著]/Cambridge University Press)
この本の「Unit 104~116」に前置詞を説明するイラストがあり、それらを見れば日本語を介さずに前置詞のイメージを養えます。まず「場所」や「動き」を表すもの、次に「時間」を表すものの順番で身につけるのがおすすめです。和訳を併記している版もありますが、なるべく英語だけのバージョンを使いましょう。

『一億人の英文法』(大西泰斗、ポール・マクベイ[著]/ナガセ)
日本語の解説を通じて、英語のイメージを理解したいという学習者には本書、または同じ著者による「ネイティブスピーカーの○○」シリーズ(研究者)をおすすめします。


  語彙数を「爆発」させるには、「英語以外」を学ぶといい

『パーフェクトBOOK 語源とイラストで一気に覚える英単語』(清水建二[著]/明日香出版社)
1万語レベルの語彙を目指すなら、こちらのシリーズをひと通り眺めて、覚え込むことをおすすめします。

「Direct Hits Core Vocabulary of the SAT (5th Edition)」(Ted Friffith[編]/Direct Hits Publishing)
SATやGREなど留学用の試験を受けるなら、最低でも1万5000語レベルの語彙力が必要になります。ネイティブスピーカーの大学受験生が使用しているボキャビル教材がこちらです。あわせて、「Word Smart」シリーズ(Princeton Review)などもいいでしょう。


  辞書のカバーを捨てて、「準備体操」をさせよう

『Longman Dictionary of Contemporary English』(Pearson Longman)
こちらは学習者向けにやさしく書かれた英英辞書として、長年定評のあるものです。私も高校生のころにつかいはじまえましたので定着がありません。すべての単語を2000語程度の語彙で説明する方針で編集されています。
『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』(A. S. Hornby[編]/Oxford University Press)
もともとは日本で英語を教えていた言語学者ホーンビーンが中心になって編まれた辞書です。改訂を重ねていて、最新版は2010年刊。

『英辞郎』(アルク企画開発部/アルク)
コンピュータ上にも辞書を入れておくと何かと便利です。私自身、『英辞郎』もかなり長く使っているものの1つですが、それ以外にも『ジ―ニアス』『新編英和活用大辞典』『Cobuild Thesaurus』などをハードディスクに入れています。「DDWin」というソフトを使うと、これらの辞書を一括検索できます。


  日本人には有利な「短期集中」型の文法復讐

『英文法パターンドリル 中学1年』(杉山一志[著]/文英堂)
『Basic Grammar in Use (3rd Edition)』(Raymond Murphy[著]/Cambridge University Press)
『Grammar in Use(3rd Edition)』(Raymond Murphy[著]/Cambridge University Press)
『Oxford practice Grammar Basic』(Norman Coe他著/Oxford University Press)
『一億人の英文法』(大西泰斗、ポール・マクベイ[著]/ナガセ)
『総合英語 Forest』(石黒明博[著]/桐原書店)
『オックスフォード実例現代英語用法時点』(マイケル・スワン[著]/研究社)


  「自分を語れない」かぎり、その言葉はマスターできない

『完全改訂版 起きてから寝るまでの英語表現700』(吉田研作[監修]、荒井貴和、武藤克彦[著]/アルク)


  Butから英文を書きはじめてはいけない

『Fundamentals of Academic Writing』(Linda Butler[著]/Longman)
「②First Steps in Academic Writing → ③Introduction to Academic Writing → ④Writing Academic English」の順番に難しくなっていきます。


  おすすめ教材

『What I Talk About When I Talk About Running』(Haruki Murakami [著]/Blackstone Audiobooks)
日本語訳が出版されている英語書籍のオーディオブック版をおすすめしておきます。こちらは『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹[著]/文藝春秋)の英訳オーディオブック版。

『Outliers:The Story of Success』(Malcolm Gladwell [著]/Hachette Audio)
『天才』(勝間和代[訳]/講談社)の原著オーディオブック版です。原著者本人による吹き込みです。オーディオブックは、内容自体が面白いもの、自分が興味を持てるものを使ってください。こちらは万人受けする内容ですし、日本語訳もありますのでおすすめです。いきなり英語だとハードルが高いという人は、翻訳書をさっと読んでから英語に取り組むなど工夫してください。

『Civilization:The West and the Rest』(Niall Ferguson[著]/Tantor Media Inc)
『文明――西洋が覇権をとれた6つの真因』(仙名紀[訳]/勁草書房)の原著です。イギリス英語が心地いいという人は、こちらをおすすめします。なお、こちらも原著者本人による朗読です。

『NHK WORLD RADIO JAPAN〔English News〕』(Podcast) (http://www.nhk.or.jp/podcasts/program/nhkworld.html)
さまざまな言語のものがありますので、英語以外の言語を勉強している人にもおすすめです。日本語ですでに知っている内容について英語でどう言うか、これをテーマに通勤時間などに聞いてみるといいでしょう。毎日聴いていると、知らないうちに英語力がついていたりします。出だしの30秒をシャドーイングに使うのもおすすめです。

『Calculus』(James Stewart[著]/Cengage Learning)
「高校後半の数学から学び直したい理系の人」「MBA留学で経済学や統計学の知識が必要になる人」は、この本で微積分の基礎をしっかり学びましょう。数学が得意なら、逆にそれをテコにして英語を効率的に学ぶことができるはずです。

『Campbell Biology』(Jane B. Reeceほか[著]/Benjamin Cummings)
大学教養課程生物学の定番教科書です。日本の医学部でもよく使われており、邦訳も出版されています。イラストも多いので、楽しく読めるでしょう。最初から読んでいってもいいですし、生物学事典のような使い方をするために、索引から見ていくのでもいいでしょう。生物学選考でなくても、一冊持っておいて損はないと思います。

『Principles of Economics』(N. Gregory Mankiw[著]/South-Western Pub)
『Comparative Politics Today』(Bingham G. Powell他[著]/Pearson Education Limited)
『World Politics:The Menu for Choice』(Bruce Russett他[著]/Wadsworth Publishing Company)


>>自分に合った教材を選んで、徹底的に英語を学んでゆきたい


「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」②



「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」(斉藤淳著、中経出版)より


 初級者には子ども用アニメがおすすめ

  おすすめ教材

 『Harold and the Purple Crayon』(クロケット・ジョンソン[原作])
ストーリー展開が単純であるにもかかわらず、さまざまなメタファーが凝っていて、大人でも十分に楽しめます。シャロン・ストーンがナレーションを担当していて、英語がきれいなのもおすすめポイントの1つ。


 『The Cat in the Hat』
アメリカの幼児が最初に手にする定番の絵本をアニメ化したもの。簡単なところから段階を踏むのであれば『Hop on Pop』『Dr. Seuss’s ABC』『Green Eggs and Ham』『One Fish Two Fish Red Fish Blue Fish』『The Cat in the Hat』の順に。リズムに合わせて英語をん毒する練習にも使ってみましょう。ほとんどのセリフが韻を踏んでいるので、音読に自然とテンポとスピードが出てきます。

このほか、名作童話をDVDシリーズ『Scholastic Video Collection 27(DVD Bundle)』があります。小さいお子さんのいる家庭なら、一緒に見ながら英語を勉強してもいいのではないでしょうか。私自身、アメリカで子育てをしたときには、子供に英本を読み聞かせながら、さまざまなことに思いをめぐらすいい機会になりました。


  中級者はレベル別になった教材を!

上級者への一歩を踏み出したい中級者は。徐々に教材の難易度を上げていくようにしましょう。そんなときにおすすめのDVDがこちらです。

『World English (Classroom DVD)』 (Kristin Johannsen/センゲージ・ラーニング)
「Introduction」から「Level 3」までシリーズがあり、語彙と難易度がだんだんと難しくなるように設計されています。同シリーズの「Teacher’s Edition」を購入すると、スクリプトもセットになっていますので、本書を通じて提案している「動画とスクリプトを見ながらの勉強法」を実践するうえでも好都合です。世界各国を取材したコンテンツなので、繰り返し見ても飽きません。


  上級者にはドキュメンタリーが最適

インターネットを検索すれば、さまざまなドキュメンタリー系の番組、スピーチ映像などを見ることができます。これらを利用しない手はありません。また、英語字幕を確認しながら視聴できる市販のDVDもおすすめです。

『60 Minutes』 (http://www.cbsnew.com/60-minutes/)
アメリカのテレビ曲CBSのドキュメンタリー番組です。日本で言うと「報道特集」(TBS系)や「クローズアップ現代」(NHK)に近い感じ。ややハイレベルな内容ですが、毎回、アメリカの社会問題などの今日深いテーマを取り上げているので、番組にどんどん引き込まれていくはずです。さらに、動画のスクリプトがウェブ上に公開されているので、視聴した内容をあとで確認することもできます。
1つの動画の長さは10分強です。1回見てすべて理解できればいいのですが、そうでなければ1~2分に時間を区切って何度も繰り返してみましょう。20、30回のレベルで繰り返すとネイティブが話す英語のスピードに慣れてきます。さまざまな場面とその描写が豊富に飛び込んでくるので、継続的に英語に触れたい人にはおすすめです。

『TED Talks』 (http://www.ted.com/talks)
学術・エンターテインメント・デザインなどさまざまな分野の人物がプレゼンテーションを行う講演会(TED)の模様が、ネット上で無料配信されています。ただし、壇上のスピーチが中心になってしまいがtなので、「状況」を見ながら英語を聞くという英語学習にとっては、やや不満は残るかもしれません。ある程度の英語力を身につけた学習者が、楽しむのに適したコンテンツです。
私のおすすめは、「My Stroke of Insight」(Jill Bolte Taylor:神経科学)、「A Philosophical Quest for our Biggest Problems(Nick Bostrom:オックスフォード大学哲学科教授)」、「The Psychology of Time」(Philip Zimbardo:スタンフォード大学心理学科教授)、「Do Schools Kill Creativity」(Sir Ken Robinson:教育学)などです。

『Discovery Channel(DVD)』 (http://www.kadokawa-cc.com/)
「日本語訳がないとどうしても不安」という人は、「Discovery Channel」のDVDシリーズをおすすめします。KADOKAWAから発売されているこちらのシリーズは、必ずしも学習者向けに最適化されているものではありませんが、字幕モードを切り替えれば、英語字幕、日本語字幕を比べることができます。英語の勉強になるだけでなく、教養も身につきます。


  楽しみながら学びたい人におすすめのドラマ

日常会話を学びたい人におすすめなのが、アメリカのTVドラマシリーズ。多くが次々とDVD化されていますので、英語学習者にとっては非常にありがたい状況です。ドラマといってもいろいろなジャンルがありますが、目的が日常会話なら、ソープオペラかシチュエーションコメディーが最適です。

『Seinfeld』(邦題:となりのサインフェルド)
『Friends』(邦題:フレンズ)
『Hannah Montana』(邦題:シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ)


 Chapter 2  世界の非ネイティブエリートがやっている発音習得法

  おすすめ教材

『英語口の体操』(金坂慶子[著]/国際語学社)

『世界一わかりやすい英語の発音の授業』(関正生[著]/KADOKAWA)
とりあえず発音記号と口の形のつくり方について、基礎をひと通り押さえたいという人には、上記のどちらかがおすすめです。詳しすぎる教材を選んでしまうと、逆に要点が抑えられなくなってしまうので要注意。


  ウェブ上の無料コンテンツで「フォニックス」フォニックスの動画映像は、YouTubeなどで「phonics」でキーワード検索すれば、無料のものがいくつか公開されています。いろいろなものを試してみてください。

『DVD&CD付 日本人のための英語発音完全教本』(竹内真生子[著]/アスク出版)
動画・音声付きで、しかも米英の発音の違いも含めて、非常に丁寧に解説してあります。日本人の発音のクセを理解しながら、詳しく学ぶには最適な一冊です。

声を1オクターブ下げて「腹式呼吸」で発生する

CBS Evening News (http://www.cbsnew.com/evening-news/)
ニュースサイトはどのネットワークのものを使ってもいいのですが、個人的な思い入れもあるCBSを推薦しておきます、私が大学生だった頃は早起きして、TBSが中継していた「CBSニュース」を見て英語力を鍛えていました。


  シャドーイングは「単語」に始まり、「演説」に終る

最後は大統領演説。「なりきる」ことが肝心

Let us never negotiate out of fear. But let us never fear to negotiate

これは、1961年のケネディ大統領による就任演説の一部です。いまでも自分の発音を再確認するために、ときどきこの演説をシャドーイングしてみたりします。

アメリカの歴代大統領の就任演説は、内容的にもすばらしく、お手本にするには格好の材料です。慣れてきたらぜひ挑戦してみてください。

次はオバマ大統領の就任演説の一部です。

I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors.

声色やちょっとしたクセまで、完全にモノマネするくらいのつもりで大統領になりきって発音してください。

『歴史が創られた瞬間のアメリカ大統領の英語(CD付)』(西川秀和[著]/ペレ出版)
『世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか?』(田村耕太郎[著]/マガジンハウス)
『世界一わかりやすい英語の発音の授業』(関正生[著]/KADOKAWA)
『DVD&CD付 日本人のための英語は強運完全教本』


>>ドキュメンタリー系の番組で英語を学んでゆきたい


「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」①



「世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法」(斉藤淳著、中経出版)より


 米イェール大学の教壇を去った私が、英語塾をはじめたのは、それなりの「勝算」があったからにほかなりません。

 そのヒントは「イェール大学の英語授業」にありました。

 事実、イェールで外国語を1年間勉強すれば、かなりの水準の語学力を獲得できます。

 実を言うと、「最も効率的な語学学習法」については、もうすでに「答え」が世界的に確立されています。

 英語が苦手なのは「学び方」が間違っているだけ。

 世界のエリートたちが走っている「語学習得の最短ルート」をたどれば、英語をマスターすることなど、実は誰にでもできてしまうことなのです。


 Chapter 1  世界の非ネイティブエリートは英語をどう学んでいるのか?

  「状況」に飛び込もう!!
  「動画」が最強のツールだ


 日本での「文法訳読方式」の英語学習は旧時代の手法であり、必ずしも効率的に外国語を学ぶやり方ではないのです。

■学校英語の考え方

文法の理解 Would you like some ~ ?(~はいかがですか?)
 ↓
単語の理解 coffee:コーヒー[名]
 ↓ 
文の理解 Would you like some coffee?(コーヒーはいかがですか?)
 ↓
状況の想像

現在、世界の標準的な語学教授法とされているのは、これとちょうど正反対の方法です。

■正しい語学習得のプロセス

特定の状況(ジョンがテニスをしている)
 ↓
文のインプット John is playing tennis.
 ↓           ↓
単語の理解 tennis  文法の理解 is playing

 学校英語式の文法訳読法で学ぼうとするとき、目に前にある英文、耳に聞こえてきた英文は、まったく意味不明な一種のパズルとしてあなたの前に登場します。

 あなたの脳は少なくとも2種類の活動をしています。1つは「文を解読する働き」。もう1つは、その解読結果を手がかりに「状況を想像する働き」。

 動画を使う場合はどうでしょうか?

 まず「状況」が与えられています。目の前でジョンがテニスをしている。聞こえてきたセンテンスがしっかり聞き取れなかったとしても、表示された字幕が一瞬で理解できなかったとしても、「おそらくテニスの話をしているんだな」と推測できる。

 だからあとは英文に集中するだけです。脳に「状況を想像する」という作業をさせる必要はありません。


 「動画」で学んだ知識は、使いやすく、忘れにくい

  人間本来の「言語習得メカニズム」を使うだけ
 
 目に見える「状況」を補助輪にしながら、とにかく言葉をそのままインプットするという学び方は、実は子どもが母語を覚えるときに普通にやっている手順です。

 どうしても聞き取れないときや、自分が聞き取った内容を確認したいときには、「英語の字幕」が出せるDVDを使用します。

 注意点としては、「日本語の字幕」を使わないようにすること。

 さらに重要なのは、動画を使って「状況」から得た知識は、理解度においても定着度においても、学校教育のような「お勉強」を圧倒的に上回るということです。

 英語帳読解問題の「文字」だけを眺めて、うんうん唸りながら「見たこともない情景」を想像するのに頭を使うより、すでにある映像のなかの英語を頼りに、単語や文法の知識を膨らませていったほうが絶対に忘れにくいからです。


>>戦後これだけ英語教育を続けているのに、日本人の英語が苦手なのは、確かに「学び方」が間違っているに違いない




「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」③



「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」(小倉宏著、日経BP社)より


  【課題の分離】

 勉強をするのは子どもの課題であり、親の課題ではないのです。そして、子どもの課題に対して親が土足で踏み込むことにより、親子関係がおかしくなってしまう。子どもの人生に関して責任を取れない親は課題を分離し、子どもの課題に踏み込まないことが大切です。

 上司が部下を変えようとするから、お互いの関係がおかしくなる。そうではなく、部下の課題は部下に責任を取らせるべきなのです。しかし、部下が責任を果たさないことによってチームや組織に悪影響が出る場合もあるでしょう。そんな時は、課題の分離の考え方を生かしつつも、共通の課題設定をすることが必要でしょう。そして先に挙げた「結末を体験させる」などを併用しつつ、人事育成を進めることが効果的である、とアドラー心理学では考えます。


  無理に水を飲ませることはできない

 You may take a horse to the water, but you cannot make him drink.
(馬を水辺に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない)

 私が大きな気づきを得た西洋のことわざです。不遜なたとえかもしれませんが、これを上司と部下に置き換えると、わかりやすいでしょう。ここで言うところの「水」は部下のやる気です。そして、「水辺」とは、水を飲みたくなるような環境、すなわちやる気が出るような環境です。上司は部下のために、やる気が出るような環境を作ることはできるが、無理矢理やる気を出させることはできない。

 喉の渇いていない馬の口を水に突っ込むのではなく、水辺に連れて行く。そして、喉が渇くような環境を作る。繰り返しになりますが、その姿勢を貫くことが大切です。


  ニーバーの言葉に表れる教育の神髄

 神よ、願わくは我に
 変えられることを変える勇気と
 変えられないことを受け入れる忍耐力と
 両者の違いを理解する知恵を与えたまえ

 神学者ラインホールド・ニーバーの言葉です。

 この言葉にある人との接し方は、アドラー心理学の考えに極めて近いため、アドラー信奉者たちに繰り返し引用されています。

 私はこの言葉に込められた願いこそが、本書の「ほめない」「叱らない」「教えない」部下育成の神髄ではないかと思います。

 課題を分離し、境界線を引く。しかし、傍観するのではなく、相手を変えようとするのでもなく、信じて見守る。環境を作ることに専念する。そうした上司の進むべき道が、この言葉に凝縮されているように思うのです。


>>課題を分離し、境界線を引く。しかし、傍観するのではなく、相手を変えようとするのでもなく、信じて見守る。環境を作ることに専念する。これができたら組織は良くなるに違いない


「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」②




「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」(小倉宏著、日経BP社)より


 人材育成に関わる5つのキーワード


  【劣等感と優越】

 人は誰もが劣等感を持っています。そして、劣等感を乗り越えるために建設的な努力を重ねる人と、非建設的な行動を取る人の2種類に分かれるとアドラーは言いました。

 非建設的な行動とは、犯罪に手を染める、依存症になるといったことを指します。アドラーによれば、建設的な努力を重ねる人も、非建設的な行動を起こす人も、目的は1つです。劣等感を払拭し、優越感を獲得するためです。

 組織の中で私たちは様々な場面で劣等感を感じます。そんな時、その劣等感に正面から立ち向かうのか、それとも非建設的な行動、たとえば仕事から逃げ出したり、落ち込んだりするのかは大きな分かれ目です。上司や先輩が部下や後輩を建設的な努力をするように促し、導く。それは、まさに人材育成の姿そのものだと思うのです。


  【勇気づけ】

 誰もが劣等感を持っており、それを乗り越えるために建設的な努力をする人と非建設的な行動を取る人の2つに別れる。その分かれ目こそが「勇気の有無である」とアドラーは指摘しました。

 「困難を克服する活力」を勇気と呼ぶのです。劣等感を乗り越えることも困難の1つです。また人生は仕事の課題、交友の課題、異性や家族との課題など、困難の連続です。人は勇気が欠乏すると問題行動に逃げ込み、勇気が補充されると自らの意思で問題に正面から向き合い、乗り越える努力をするのだ、とアドラー心理学は考えます。そして、アドラー心理学の教育では「勇気づけ」を1つの柱として考えています。

 上司や先輩が部下や後輩に対してすべきことはすべて勇気づけとは反対の「勇気くじき」になる、とアドラー心理学では考えます。勇気づけとは、相手が自分の力で自発的に困難を克服するよう、応援することです。人は誰もがよくなるために努力をする。それを助けるのです。


  【共同体感覚】

 アドラー心理学における教育の目標は「共同体感覚の育成」にあります。

 共同体感覚とは、(1)自分は誰かの役に立つことができる=自己信頼、(2)周囲の人は自分を助けてくれる=他者信頼、(3)自分は社会に居場所がある=所属感、の3つにより構成されます。そして、共同体感覚を身につけるために「まず他者への貢献から始めよ」とアドラーは言いました。

 自分のことばかりを考える人は共同体感覚が低い人であり、自分と同じかそれ以上に他者への貢献を大切にしている人こそが共同体感覚が高い人である。そして、共同体感覚の高い人が社会的に有用な人であり、幸福に生きることができる。アドラーはそう定義しています。この定義はビジネスパーソンの育成にもそのまま当てはまるのではないかと私は考えています。

 ビジネスで言う共同体感覚が低い人とは、顧客や同僚のことよりも自分の成績や都合ばかりを考える人のことです。共同体感覚が高い人は、自分のことよりも顧客や同僚への貢献を第一に考え、献身する人のことです。どちらが組織において有用であり、高い業績を上げるかは言わずもがなではないでしょうか。

 上司や先輩は部下や後輩の共同体感覚を高める方向で人材育成をしなくてはならない。私はそのように考えます。


  【結末を体験させる】

 アドラー心理が教える子育ての1つに「結末を体験させる」という方法があります。

 あらかじめ、時間に遅れたら食事を出さないという約束を子どもとしておくこと。そして、遅れてきた子どもに対して、決して嫌みを言ったり、叱ったりしないことです。食事を出さないことが子どもに対する「罰」ではなく、社会の当たり前のルールであることを理解してもらうことが必要なのです。

 このように「結末を体験させる」ことを通じて、経験から学ばせることをアドラー心理学では重要視しています。答えを押しつけたり、手取り足取り教えるのではなく、結末を通じて学び取ってほしい。それがアドラー心理学の考え方です。上下の関係ではなく、対等な横の関係。相互尊敬と相互信頼に基づき、相手の「気づく力」を信じて待つ。それこそが「結末を体験させる」という人材育成の方法です。


>>相手が自分の力で自発的に困難を克服するよう、応援する「勇気づけ」を通じて、建設的な努力をするように促し、他者への貢献から始めて共同体感覚を高める方法での人材育成を目指したい


「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」①



「アドラーに学ぶ部下育成の心理学」(小倉宏著、日経BP社)より


  はじめに  今こそアドラーの教えを企業経営に活かす時

 私は目先の業績と中長期的な人材育成の両立は十分に可能だと考えています。「ほめない、叱らない、教えない教育」は企業の人材育成においても効果を上げることができるのです。「時代の100年先を行っていた」と言われるアドラー心理学は、世に出た当初、革新的すぎて理解されにくかった面があります。その理論が現代のビジネス社会で今まさに必要とされていると私は思います。


 プロローグ  「常識をくつがえす」アドラー心理学の教え

  ほめてはいけない

 あなたの部下が難易度の高い目標を達成したとします。上司もしくは先輩である、あなたはその部下にどのように声をかけるでしょうか。

(A)目標達成は当然のことなので何も言わない
(B)「よくやった!」とほめる
(C)「すごいなあ」と感心する
(D)「チームのためにありがとう」と感謝する

 一般的には(B)の「ほめる」が正解、とかんがえられているのではないかと思います。しかし、私が学んでいるアドラー心理学ではほめることを否定します。ほめることは「上から目線」であり、「相手の自立心を阻害し、依存症の人間を作る」と考えるからです。そして(C)や(D)のアプローチを推奨します。

 アドラー心理学では(C)や(D)を(B)の「ほめる」と明確に区別して、「横から目線」の「勇気づけ」と呼びます。


  叱ってはいけない

 あなたの部下が目標に対して未達成、しかも大きくショートし、達成率が60%だったとします。そして、その部下の日頃の行動には、残念ながら、あまり頑張りが見えませんでした。そんな時、上司もしくは先輩である皆さんは、その部下にどのように声をかけるでしょうか。

(A)「60%じゃだめだ。やり方を変えなくてはならないぞ」と叱る
(B)叱るとモチベーションが下がるので、あきらめて黙っておく
(C)「成果は出なかったけれど、あのやり方は良かったね」とプロセスに注目する
(D)「60%はできたね」とできたところに注目する

 もしかしたら、皆さんも、かつての私と同じように(A)もしくは、その対極にある(B)の選択肢しか思いつかないかもしれません。そんな時、アドラー心理学は重要なヒントを与えてくれます。それが選択肢の(C)と(D)。どちらも先に述べた「横から目線」の「勇気づけ」の具体的な方法です。


  教えてはいけない

 あなたの部下もしくは後輩が、あなたの目の前で仕事を勧めていました。見ると、明らかに要領の悪い間違ったやり方をしています。このままではミスが出るか、能率が悪く時間がかかってしまいます。そんな時、上司もしくは先輩であるあなたはどのように声をかけるでしょうか。

(A)「そのやり方はよくないね。こうやった方がいいよ」と教える
(B)失敗するかもしれないが、あえて何も言わずに黙っておく
(C)「もしかしたら、XXのようなことが起きるかもしれないけど、その場合はどうする?」と未来を予測した質問をぶつけてみる
(D)「こんなやり方もあるけれど、どうかな?」と別の方法を提示して、それを採用するかどうかは相手の判断に委ねる

 アドラー心理学の人材育成では(B)も1つの正解と考えるのです。何も言わず、あえて失敗を経験させる。これもアドラー心理学では「あり」なのです。

 また(C)のように、未来を予測した質問をぶつけるという方法や、(D)のように、別の方法を提示して判断を相手に委ねるといった対応もアドラー心理学では正解です。つまり、(A)の「教える」以外、(B)(C)(D)のどれもが正解。それがアドラー心理学の考える人材育成なのです。


>>「ほめない、叱らない、教えない教育」は企業の人材育成に効果を上げられるのか、非常に興味深い


FC2プロフ
プロフィール
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
CEO (4)
夢 (8)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR