「人間の器量」(福田和也著、新潮社)より
今の時代、なぜ器量が必要なのか
昭和の大戦で、最も深く戦場を体験した作家の一人であり、僧侶でもあった武田泰淳は、「世に殺人ほど明確なものはない」と書いています。
殺された者は横たわって動かず、殺したものは生きて動いている。 (『支那で考えたこと』)
死んで動かなくなれば、すべて終わり。
その終わりにむかって、その道程の長短はあれど誰もが歩いている。であるとすれば、その道程を出来るだけ充実させるように励み、試み、考えるしかありません。動けなくなるその時を、死を、見苦しくなく、なるべく思い残すことなく、迎えるために。
そのために、器量を育てる、大きくする事が大事なのです。
死を前にした時、いくらお金があっても仕方がない。高級車も豪邸も意味はない。栄誉も経歴も、何の役にもたたない。
見苦しくなく死ぬためには、人間としての容量を大きくするしかないのです。
結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分の事しか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を前にして最後の最後まで未練にすがりつかなければならない。
天皇陛下は、全日本国民だけでなく、世界中の人々の弥栄を毎日、お祈りになられている。
私は、何度生まれ変われたとして石川先生の境地の足下にも及ばないと思いますが、一緒に汗を流した仲間たちと、共に学んだ学生さんたちの幸運を祈りながら、最期を迎えられるように、せいぜい精進したいと思っています。
>>人間としての器量を育てて見苦しくない最期を迎えたい
「人間の器量」(福田和也著、新潮社)より
器量を大きくする五つの道
ここまで様々な先達を眺めてきましたが、器量を培う道、あるいは素地として、次の五つが挙げられると思います。
一、修行をする
二、山っ気をもつ
三、ゆっくり進む
四、何ももたない
五、身を捧げる
一、修行をする
一たび勝たんとするに急なる、忽ち頭熱し胸跳り、措置かへつて顚倒し、進退度を失するの患を免れることは出来ない。もし或は遁れて防禦の位置に立たんと欲す、忽ち退縮の気を生じ来りて相手に乗ぜられる。事、大小となくこの規則に支配せられるのだ。
おれはこの人間精神上の作用を悟了して、いつもまづ念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した。それで小にして刺客、乱暴人の厄を免れ、大にして瓦解前後の難局に処して、綽々として余地を有つた、これ畢竟、剣術と禅学の二道より得来つた賜であつた。 (『氷川清話』)
勝とうと思いこんでしまうと、知らずに気持ちが急いてしまい、頭に血が上り、動機が高鳴り、処置を誤って動きがつかなくなってしまう。あるいは守勢に立たされると萎縮してしまい、相手のいいようにされてしまう。大きいことも小さい事も、すべて、この法則に従って起きるのだ、と海舟は云っています。だからこそ、勝ち負けを度外視して、虚心坦懐にしてきた。そのおかげで、何度も刺客に襲われたにもかかわらず、難にもあわなかったし、大政奉還から江戸城引き渡しの難局も凌ぐ事が出来た、それもすべて剣術と座禅のおかげだというのです。
二、山っ気をもつ
十数年前のベストセラーに、『まず動く』という本がありました。
心理学者の多胡輝さんの著書でしたが、とりあえず何かやってみる。三日坊主でもいい、失敗してもいい。やっているうちに事態が動くのだ、というような内容で、人間愛に満ちた本でした。
とりあえずやってみる、というのはなかなか大事なことです。
前に少し書きましたが、高橋是清という人は、生活ぶりも修まらないものでしたが、生き方もきわめてイレギュラーな、やや乱暴なものでした。
少年時代にアメリカに留学したのに、奴隷として売りとばされたり、帰国後、大学南高(東大の前身ですね)の教員になったのに、吉原通いが昴じて借金で首がまわらなくなって辞職せざるを得なくなったり。相場師になり、ペルーに渡り銀山を開発しようとして無一文になったり。
まあ、出鱈目といえば、出鱈目なのですが、とにかく落ち着きがなくいろんな事をやっている。それでも、再起不能にならなかったのは、根が楽天家で、しかも人がよかったからでしょうね。
師範学校を出て、一生教員をするつもりか、と。そんな人生はつまらないじゃないか、第一、まったく儲からんぞと、脅した。
自分は、何の係累もないから、師範学校で充分だという青年を説きふせて、フルベッキの所に毎日来る英字新聞からめぼしい記事を訳して新聞に売り込もうといいだした。
東京日日新聞が買ってくれる事になって、高橋が翻訳を読み上げ、青年が原稿にする。
そのうち、福地桜痴が、東京日日新聞の主筆になった。福地は、一時は福沢諭吉と並び称された言論人です。歌舞伎座を作った人ですね。この福地が、大変青年を引き立ててくれた。それをきっかけに彼は大出世をしたのです。後の逓信大臣、枢密顧問官にして、伊藤博文の娘婿、末松謙澄です。日露戦争の時は、英国で日本の大義をその朝野に訴える大活躍をしました。同時期に、高橋是清もロンドンで外債の募集に奔走しています。
是清の面白いのは、末松こそが自分の恩人だといっている事です。
どうしたって、英語を教え、師範学校への進学を止めた是清の方が、恩人なのに、まったくそう思っていない。いい人です。
是清の親切と、山っ気が、末松謙澄という人物を作ったわけですね。
末松が、いかにも気持ちのいい青年だ、と見る感受性、人物観も大事だったと思いますけれど。いずれにしろ、稼いでやろう、儲けてやろうと動きまわるのは、よいことです。
三、ゆっくり進む
誰もが急いでいる時代に、ゆっくりする事は難しい。
それでも、我慢してゆっくりしていれば、誰も気づかないものが見えてくる。
ゆっくり生きることで、自分なりの風格を身につける事ができる。
大事なのは、ゆっくり生きるのは、生きるなりの知恵がいるという事です。
ゆっくり進むというのは、一人で進むという事です。孤立することです。孤立した人間ほど、世間とのつきあい方を考えなければならない。冷静に自分を認識し、世間との距離を精確に見極めなければならないのです。
四、何ももたない
松下幸之助といえば、「経営の神様」という事になるのでしょうか。神様かどうかは分かりませんが、とてつもない人だったのは、たしかです。
幸之助という人は、何も持っていない人だった。
まったくない。
まず、金がない。
父親が、米相場で失敗して、無一文になってしまった。
一家は離散し、両親、兄弟を早くになくしています。
親譲りの財産も、自分のたくわえもない、まったくの無一文。
だからゼロから事業をはじめなければならなかった。
金がない、学がない、健康もない。
絶望的な状況です。
そのマイナスの重なりを、全部プラスにしたのです。
何もなくても、人は生きていける、成功できるということを示してくれたこと。これが松下幸之助のなした一番、素晴らしいことだと思います。
>>何ももたずにゆっくり進みながら、山っ気を忘れずに修行をし続けたい