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「時代と闘った男たち」


「時代と闘った男たち」(監修:会田雄次、PHP研究所)より



 河井継之助 ⇒ 悲運の進歩派家老


 戊辰戦争での奥羽越列藩の抵抗はいずれも短期間に終わっている。首魁の会津藩でさえ一ヵ月しか支えきれなかった。

 しかし、ひとり越後の小藩、長岡藩の抵抗は三ヵ月余に及んでいる。この越後の戦闘は戊辰戦争で最大の激戦だった。

 この戦闘を指導したのが長岡藩の家老河井継之助であった。

 河井は開明的な思想と知識をもって、藩を最新最強の武装国家に仕立て上げた。そして明治政府軍と旧幕軍の二大勢力が激突する狭間で、独自の中立路線を貫こうとした。

 しかし、その路線が政府軍から一蹴されるや、決然と立ち上がった河井は完膚なきまでに政府軍をたたきふせる。

 しかし、遂には敗れる河井の悲劇は、彼が敵にまわしたのが、じつは大きな時代の潮流だったということにあった。




 河井継之助と山本五十六

 
 河井継之助を生んだ長岡は、太平洋戦争の英雄・山本五十六の出身地である。五十六は旧姓高野で、旧長岡藩士の山本家の名蹟を継いだ。

 この二人には妙に共通点がある。

 河井はぎりぎりまで政府軍との交戦を回避し、それが不可能と知ると、一転してみごとな戦術で敵を破った。山本もまた米英との戦争に一貫して反対の姿勢を取りつづけていたが、いざ開戦となると真珠湾攻撃を成功させ、みごとな勝利を収めた。

 しかし、河井も山本も、勝利を得たのは緒戦だけであった。バトル(戦闘)には勝ったがウォー(戦争)そのものには勝つことができなかった。

 しかも、それは彼らの力量以前の問題で敗れたのだ。河井を破ったのは、彼の手に負えぬ近代国家へという時代の大きな流れだったろうし、山本も彼の力ではカバーしきれぬ国家の総合力で敗れたのである。

 そして同じく非業の最期を遂げたという悲劇性までが共通している。



>>河井が西南雄藩に生まれていたならば、明治建設の担い手になったに違いない


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