fc2ブログ

「敗者の条件」

「敗者の条件」(会田雄次著、中公新書)より


まえがき

いうまでもなく、福沢諭吉は、天の上に非とを作らず、日本として身分制を極端に排撃した。
しかし、否定したのは世襲的な身分制である。「学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり高人」となるが、無学のものは貧民となり下人」となって、この現実の世には貧富貴賤の区別が生ずる(『学問のすすめ』)。この区別は、個々人の努力の差が生んだ当然の、そして正しい区別である。日本はそういう正しい社会秩序の国になるべきである。国家社会の発展は、人びとがその能力を競い争いうることによってはじめて可能となるのだ。諭吉はこう主張する。そして競争をこわがり、競争を避けようとする幕府の役人どもにたいしては、ながい間の身分制社会の行きづまりの生んだ無為の徒輩であり、「頑迷固陋迷の極」として愛想をつかすのだ。もちろん、この場合の頑迷固陋とは、生存競争にやぶれたもののひがみとしての頑迷固陋なのである。


「競争」という思想はヨーロッパとともに古く、日本にははなはだ縁の遠い考え方である。今後の私たちは、このヨーロッパ、アメリカンなどの競争に対決しなければならない。むしろ平和という状況のなかで、本格的な競争をおこなってゆかなければならなくなるだろう。じっくりとした覚悟が必要なのだ。本当の競争とは何か、そのことを私は書きたいのである。
(昭和40年2月)


>>昭和40年からどれだけ日本は成長したのだろう


「歴史家の心眼」


「歴史家の心眼」(会田雄次著、PHP研究所)より


もう一つの明治維新――福沢諭吉


 福沢諭吉がいくら「学者は野にあるべきだ」といったところで、官僚主導型の官尊民卑の世の中になれば、帝国大学に優秀な学者がどうしても集まる。秀才連中も、東京大学、京都大学などの帝大へ行くか、海軍大学校、陸軍大学校、高等師範学校へ行くか、いずれにしろ、官立の卒業生が政界、官界、財界、軍隊、教育の中枢部の大半を占めてしまうことになる。私立大学の自由な学風の中で指導者を育てるとした諭吉の夢は、圧倒的な官僚制の前に後退せざるをえなかった。

 それはとりもなおさず、福沢諭吉と慶應義塾の役割の相対的な低下を意味する。諭吉の活躍が脚光を浴びたのは明治10年ころまでで、その後は、官僚や官学出身者が巨大なパワーを持つようになったがゆえに、諭吉が社会の先頭に立って活躍するような場はほとんどなかった。むしろ、諭吉が考えていた社会改革を、一部都合のよいように変質させて、国家が取り上げ、官僚の手で推し進めてしまった。むろん諭吉が描いていたものとは違っており、むしろ苦々しい気持で社会の変化を眺めていたに違いない。明治維新という政治革命によって手にしたかに見えた理想が、同じく政治の力で遠のいてしまったのである。


>>今、諭吉の理想とした開かれた民主主義が望まれる


FC2プロフ
プロフィール
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
CEO (4)
夢 (8)
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR