「天才」
「天才」(石原慎太郎著、幻冬舎)より
2016年1月20日第1刷発行
長い後書き
私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった。だから世間は今更こんなものを書いて世に出すことを政治的な背信と唱えるかもしれぬが、政治を離れた今でこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記した。それはヘーゲルがいったように人間にとって何よりもの現実である歴史に対する私の責任の利口に他ならない。
私たちは今、「現代」という現実の歴史の中にその身を置いている。
その現代という私たちによって身近な歴史的現実が、アメリカという外国の策略で田中角栄という未曾有の天才を否定し葬ることで改竄されることは絶対に許されるものでありはしない。
ロッキード裁判という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに荷担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりもはるかに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売国の汚名のもとに非難糾弾されるべきだったに違いない。
彼が証した最も大切な基本的なことは、政治の主体者が保有する権限なるものの正当な行使がいかに重要かつ効果的かということだった。彼は政治家として保有した権限を100%活用して世の中を切り開いた。
特に通産大臣として彼が行った種々の日米交渉が証すものは、彼はよい意味でのナショナリスト、つまり愛国者だったということだ。彼は雪に埋もれる裏日本の復権を目指したように、故郷への愛着と同じようにこの国にも愛着していたということだ。
アメリカのメジャーに依らぬ資源外交の展開もその典型だと思う。
そしてそれ故にアメリカの逆鱗に触れ、アメリカは策を講じたロッキード事件によって彼を葬ったのだ。私は国会議員の中で唯一人外国人記者クラブのメンバーだったが、あの事件の頃、今ではほとんど姿を消してしまった知己の、古参のアメリカ人記者が、アメリカの刑法では許される免責証言なるものがこの日本でも適用され、それへの反対尋問が許されずに終わった裁判の実態に彼等のすべてが驚き、この国の司法の在り方に疑義を示していたのを覚えている。そして当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳された一人だったことを痛感している。
彼のような天才が政治家として復権し、未だに生きていたならと思うことが多々ある。
角さんとの私の印象的な出会いは、私が再び衆議院に戻り、青嵐会の仲間たちと新しい試みで進みだしてからのことだった。
「おお石原君、久しぶりだな、ちょっとここへ来て座れよ!」
「ああ、お互いに政治家だ。気にするなっ」
いわれてしまったので、
「世の中照る日も曇る日もありますから、どうか頑張って再起なさってください」
「まあ、ちょっと付き合って一杯飲めよ」
いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曾有の天災をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだった。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。
>>自分のミスを認めることが出来て、新たな気持ちで臨むことが出来れば、世の中きっと上手くゆくに違いない